イシス〜ピラミッド――7
「なにをやってるんだろうな、俺は」
 呻くように言ったラグの声は、泣いた後のように嗄れていた。
「馬鹿みたいだ、本当に。いい年してつまらない感傷で騒いで、取り乱して、その上、保護すべき相手を、あんな……」
「…………」
「最低だ。俺は俺が一番嫌いな、子供を殴る大人になっちまった。最低だ。あんな、あんなに傷つけられた子を、自分の感情で傷つけて……」
 ぐいっ、とグラスの中の酒を乾し、頭を抱える。さっきからラグはロンに顔を見せようとしない。合わせる顔がないというわけか、とロンは肩をすくめた。気持ちはわからなくもないが、それではこうして二人きりで飲んでいる意味がない。
 黄金の爪の呪いでうじゃうじゃと出てきたミイラ男どもを次々薙ぎ倒し、セオを助けてぶん殴って抱きしめられたラグは、しばらくなにも言わずうつむいていた。放っておいてやりたい気持ちもあったが、黄金の爪を持っている以上ピラミッドの中にいてはまた番人に襲われるに決まっているので二人をぐいぐい引っ張ってピラミッドの外に脱出し、セオのルーラでとりあえずイシスまで戻ってきたのだ。
 そして、宿に戻ったロンは、今にも死にそうなほど落ち込んでいるラグに部屋で飲もうと誘った。
 エヴァについてはフォルデとセオに任せてある。なぜ一人であんなところにいたのか等々を聞き出させることになっていた。エヴァのセオに対する反感がやや心配されるところではあったが、あの少女はセオに命を救われたのだ、いくら内心穏やかならざる感情を抱いていようと刃傷沙汰には至るまい。
 なので今はラグの方を優先した。少なくともラグが一応でも弱音を吐ける相手は、このパーティ内には自分しかいないだろうと思ったからだ。
 ラグも実際かなり弱っていたらしく、杯を幾杯か乾しただけで泣き言を呟き始めた。
「本当に、なにをやってるんだろう。母さんのために生きるって決めて、ようやく少しはマシになれた気でいたのに。母さんに誇れるように、自慢の息子だと思ってもらえるようにって、人生かけて努力してきたつもりでいたのに」
 ロンは無言で杯を重ねる。とりあえず吐き出せるだけ泥を吐かせてやらないとどうにもならない。
「情けないよ、本当に。俺は今までなにをやってきたんだろう。勝手に怒って、空回りして、まるで八つ当たりだ。そりゃ、俺はセオに腹は立ったさ。曲がりなりにもパーティメンバーとしてやってきたのに、独断専行して、あげくこちらの気持ちをまるで無視していつもの平謝りだ。だけど、だからって……」
 ぐいっ、とまた杯を乾す。実際、なんのかんの言いつつ気位の高いラグには酒でも飲まなければこんな愚痴は言えまい。
「本当に、馬鹿みたいだと思うよ。最低だ。あの子の言い分も聞かず、一方的に感情を昂ぶらせて、殴って、ひっぱたいて、挙句の果てに、あんな、子供みたいに……」
 やっとここまできたか、と少しばかり待ち構えていたような気分でロンはさりげなく告げる。
「少しはすっきりしたんじゃないか」
「は? そんなわけ」
「セオに対して心の中に溜めていた言葉のいくらかをぶつけられて」
 ラグは絶句し、それから睨むようにロンを見つめて言ってきた。
「……お前は、わかってたのか」
「わからいでか」
「いつから?」
「ノアニールの辺りからあ、こりゃなんかあるな、とは思っていた。確信したのはアッサラームだが」
「アッサラームのどこで」
「旅立つ直前。ヒュダ殿に会って話を聞いて、お前さんと話をして、ギルドとのごたごたが終わって、アッサラームを案内されて、セオとお前が話してるのを聞いて。それからいろいろと考えて、だな。ちゃんと思考として結論付けられたのは最近だが」
「………そうか」
「まぁ、お前さんがああも乱れるとは俺も予想していなかったわけだが。セオのあの思考は今に始まったことじゃないというのに、どうしてああも取り乱したんだ? セオの異常なまでの愛のひたむきさにお前が嫉妬しているのは、今に始まったことじゃないだろうに」
 そう言ってやると、ラグは深々とうなだれた。
 つまりは、そういうことなのだ。ラグはずっと、セオに嫉妬していた。嫉妬という言葉が正確でないというのなら、眩しすぎて正視できなかった、と言い換えてもいい。
 ラグは八歳の時からヒュダを唯一絶対の価値基準として頂点に据えていた。その上で周囲の人間に優しく親切に振る舞ってきた。ヒュダに自慢の息子と思ってもらえるように。ヒュダの価値観にかなう、ヒュダのような人間になれるように。
 けれどラグはヒュダを唯一絶対と仰ぐかぎり自分はヒュダにはなれないということに気付いていた。そしてそれを、たまらなく引け目に、申し訳なく思っていたのだろう。ヒュダがラグのそうした心理を喜ばないだろうことを知っているから。ヒュダを唯一絶対とし、他の人間を『それ以下』と定義する理念は、ヒュダの価値観にそぐわないと気付いていたから。
 そしてセオだ。セオはそういうラグの引け目を、すべて無視してラグ(や、自分たち)を至上の存在であるかのように崇めた。ラグがヒュダを崇拝する時のような熱意をもって。
 それだけでも自らをヒュダに遠く及ばないと考えていたラグにはいたたまれないことだったろうに、セオの持つ優しさは異常なほどに広く、深かった。自分たちを崇めながら、絶対存在とせず、周囲のすべての人間に、それどころか魔物にすら分け隔てなく尽くすその姿は、ラグにはおそらくヒュダに似て映ったのだろう。
 そのような、ヒュダに匹敵する存在が、ヒュダに比べれば虫けらのような存在だと考えている自分を素晴らしいと崇め奉る。それは心苦しく思って当然だろう。
 そんな引け目と尊崇の念でぐちゃぐちゃになっているところに、セオがまるで自分のような(と、ラグが考える)仲間を信頼していない独断専行を行う。それまでの鬱憤が爆発しても当然だ、とは思うが。
「……俺は、自分でもちょっと前まで――それこそお前にセオの話を聞くまで、自分がなんでこんなに苦しいのかわかってなかったよ」
 ロンは目をぱちぱちとさせる。
「そうなのか。本気で?」
「ああ……セオが俺をきらきらした目で見つめるたびに苦しくて、逃げ出したくなって。エヴァが俺を好きだと言う時よりもっと苦しくて」
 ラグは淡々と、けれどときおり言いよどむようにしながら言葉を紡ぐ。
「お前が星の試し≠ナ見事な技を見せた時から、その苦しさは耐え難いくらいになって」
 ロンはまた目をぱちぱちさせた。
「俺が?」
「ああ。なんでなのかがわからなかったから、よけい混乱したけど。……今思えば、俺はお前の気迫に打ちのめされたんだろうな」
「気迫?」
「俺には、お前のあの見事な技は、自分の強さも弱さもすべて受け容れているから発揮できる力のように思えたんだ」
 ロンは目を見開き、それから肩をすくめた。
「……そう褒められると、照れるな」
「間違っては、いないんだな?」
「まぁ……」
 確かに自分のあの気合はそういう面がなきにしもあらずだったのは確かだが。そうも真っ向から称揚されると、さすがに少しばかり気恥ずかしいものがある。
「自分はヒュダ母さんのためにあるものと決めたのに、それでいいと思ってるのに。セオのために力を尽くしてやりたいなんて筋違いなことを考えて。そのくせセオの俺に向ける視線が苦しくて……苦しくて。慣れてるはずのエヴァの視線も気に障るくらい不安定になって。セオが俺たちになにも言わずエヴァを連れていったのが腹が立って腹が立って。矛盾してるし……馬鹿みたいだ。この年になって、本当になにやってるんだろう。勝手に不安定になって、喚いて。みっともないったら、ありゃしない……」
 また落ち込みの螺旋に陥っていくラグに、ロンはするりと近づいて、肩を抱いた。
 とたん突き放された。顔が赤い。
「い、言っとくが、いくら不安定なところにつけこまれても、俺は男は無理だからな!」
「…………」
 しばしまじまじとラグを見つめてから、噴き出してしまった。まさかここでそう来るとは思わなかった。
「な、なにがおかしいんだ」
「俺はそれなりに時と場合というものをわきまえた人間のつもりなんだがな。お前が、大切な仲間がそうも落ち込んでいるというのに口説くほど見境なしだと思ってたのか?」
「え……」
 ぽかんとした顔をしてから、さっとおそらくは羞恥に顔をさらに赤らめる。
「すまん、ロン。せっかく心配してくれたのに――」
「まぁ、慰めの触れ合いに乗じてお前の体の感触を堪能したいなーとはちょっと思ったが」
 笑顔で言うとラグはすざっと音を立てて半丈近く退いた。そのあまりの反応のよさに思わずまた噴き出す。
「……お前っ、からかってるのか!?」
「半分冗談半分本気というところがなきにしもあらずというところか。信用する範囲の判断はお前次第」
 ラグはうぐっと言葉に詰まった。ロンがラグの人格を信用してロンの性癖をどう扱うかを任せていることを悟ったのだろう。
「……悪かった」
「いやいや。これで少しはお前もわかっただろう?」
「? なにがだ」
「いい年といっても、まだ俺もお前も仲間に肩を抱かれてうろたえてしまうような若造にすぎないということが、だ」
「…………」
 目を見張るラグに、ロンは微笑む。実際、少しばかりほのぼのとした気分だった。
「お前は自分をもう熟年の人間のように思ってるかもしれないが、実際のところはまだ二十代なんだぞ。若いんだ。少しぐらい迷おうが悩もうが当然のことじゃないか」
「も、もうすぐ三十路なんだぞ、俺たちは。普通に生きてりゃ所帯を持つのが当然の年だ、若いとかそういうことを言える年じゃ」
「俺はまだまだ青春真っ盛りのつもりだがな。それに、ラグ? 年を取ればそりゃ経験は積める。だがそれは結局人生の積み重ねだ。別に心身に飛躍的な向上があるわけでもなんでもない、特に年を重ねればな。俺たちはちっぽけで愚かな存在だ、受け容れるべきことを受け容れられず同じ失敗だって何度も繰り返す。それでもな、ラグ」
 いつの間にか真剣な顔でこちらを見つめるラグの肩に両の手を乗せ、笑って瞳を見つめる。
「俺たちは生きてるんだ。まだどうとでも変わる可能性があるんだ。同じところに留まるか動くかは選択次第だが、どちらにしろ自分の可能性を限定してしまうのは面白くない。そうじゃないか?」
「ロン……」
「生きてるんだから周囲の人間や環境から影響を受けるのは当然のことだ。だったらせいぜい素直に受け容れた方が人生楽しいぞ? ヒュダ殿もそれを望んでるはずだ。心配せずとも愚痴や相談の相手ならいつでも俺がなってやる。だから好きなだけ悩んで、迷って、考えればいい。自分自身納得するまで何度でも。な?」
「…………」
 ラグは一度すうっと目を閉じ、それから照れたように微笑んだ。
「そうだな。ありがとう、ロン。……お前がいてくれて、助かった」
「いやいや」
「……だからってその微妙にいやらしい手つきはやめてくれないかって尻を撫でるな!」
「おおすまん。ちょっとばかし俺の手が持ち主の感情に素直になってしまったようでな」

 セオはおずおずとむすっと黙り込んでいるフォルデとエヴァを見比べた。傷の治療を終えて、ラグとロンのいる部屋の隣に部屋を取ったのだが、話し合いはまだろくに進んでいない。
 ロンがせっかく自分たちを信頼して任せてくれたのに、不機嫌なフォルデとエヴァに気圧されてなにも言えないままでは申し訳が立たない。かといって自分などがなにか言ってはフォルデとエヴァの思考を妨げてしまう気がする。どうしよう、どうすればいいんだろう、と頭をぐるぐるさせながら考えた。
 ふいに、フォルデが口を開いた。
「おい、セオ」
「へ、は、はいっ!?」
 まさか自分に話しかけられるとは思っていなかったセオは仰天してばばっと周囲を見回した。フォルデは、なぜかエヴァも、こちらを睨むように見つめてきている。
「あ、あの、えと、なん、でしょうか……」
「お前、なんであんなことしたんだよ」
 フォルデに眇めるような目つきで問われ、セオはびくりとした。あんなこと。なんだろう。フォルデの気に障るようなあんなこと。思い当たることが多すぎて特定ができない。どうしよう、どうしよう、なんて言えばいいんだろう。
「そうよ。なんであたしがあなたに助けられなきゃいけないわけ? よりにもよって、あなたに!」
「おい。なに文句垂れてんだコラ。てめぇはこいつに助けられたんじゃねーかっ、だったら偉そーにしてねぇで礼言って頭下げるのが当たり前だろーが!」
「冗談言わないでよ! あたしは助けてなんて全然頼んでないもん、別にこんな子に助けられなくたって」
「笑わせんな。てめぇどう見たって俺らが行った時すでに殺されそうになってたじゃねーかよ。てめぇの力量を測ることもできねーくせしてでかい口叩いてんじゃねぇ!」
「っ、あたしの力だけじゃ駄目だったかもしれないけど! ラグがいたもん、ラグ来てくれたもん! いつもみたいに王子様みたいに助けに来てくれたもん! あたしが本当に大変な時はいつだってラグが助けに来てくれるんだからっ!」
「ざけんなボケ女んなもんたまたまだろーがよっ、百万回にいっぺんくらいの運で偶然俺らが来合わせただけであのままじゃどー考えてもてめぇは死んでたっつーんだよラグがどうとか夢見てんじゃねぇ!」
 唐突に始まった言い争いに、セオは目をぱちぱちさせておろおろと二人の間で手を彷徨わせた。さっきまで自分を睨んでいたはずの二人が、なんで揃って言葉をぶつけあっているのか。もしかして自分が原因? 少なくともきっかけはそうだ、自分などがエヴァを無理やり助けてしまったから――
「っ……そんなことないもん、ラグは、ラグは、私のこと、大切に――」
「ごめんなさいっ!」
 腰掛けていたベッドの上で土下座の体勢を取ると、エヴァは呆気にとられたように口を開けフォルデは苛立たしげに舌打ちをした。
「ちょ……なんであなたが土下座するのよ!?」
「セオ、てめぇ本気でいい加減にしろよ、むやみに謝られる方がよけい腹立つってなんべん言わせりゃ」
「ごめんなさい、俺、わがままだってわかってて、嫌がられるのを承知で、エヴァさんを、助け、ました」
『は?』
 目を見開く二人に、セオはぎゅっと奥歯を噛み締めて説明した。軽蔑されて当然の道を外れた思考は、断罪されなければならない。
「俺、エヴァさんが、俺に助けられるの、嫌がるかもしれないって、わかってました。勝手なことをって、みなさんに怒られるの、わかっててエヴァさんを抱えて、ピラミッド脱出しようとしました」
「え……」
「……なんでだよ」
 なぜか普段より静かに聞くフォルデに、セオはつっかえつっかえ答えた。
「俺、エヴァさんを見た時、なんとしても、助けなきゃって、思いました。ラグさんの、大切な人だし、人が襲われてるのを、見捨てるなんて絶対、嫌だし、それに、もしかしたら、俺のことが嫌い、だからエヴァさんは、黄金の爪を、取りに来たのかも、しれないって、すごく申し訳、なく思ったから」
「……っ」
「……それで?」
「黄金の爪は、盗掘を防ぐためピラミッドにいる限り、魔物を召喚する、呪いをかけられてます。それで、俺、嫌だって、思ったん、です。呪いで無理やり召喚されて、戦わせられる、魔物と、ラグさんや、ロンさんや、フォルデさんが、戦うの。フォルデさんたちが傷つくのも、嫌だったし、自分の意思じゃなく、魔物たちが戦いを挑んできて、無駄に殺されていくのも、嫌、でした。でも、エヴァ、さんは絶対、助け、なきゃって思ったから、俺、エヴァさんが嫌な思いするのも、みなさんがみなさんの去就の是非を、勝手に決めるなって、怒るの、当然だってわかってて、そうなるだろうって思ってて、でも動いちゃったん、です。魔物と可能な限り戦わず、エヴァさんと、みなさんが無事ピラミッドを、脱出できるように、って」
「…………」
「俺らに怒られんの、承知でか?」
「しょ……うちかどうかは、わかんない、です、けど、体が、そういう考えが全部どんなに身勝手かって、考えるより先に、動いて。その時は、そう、しなくちゃって、思ったんです。……そうかもしれないって、思ってた、から、かも」
「は?」
 セオは言ってからはっとして、びくんと震えてまた土下座した。
「ごめ、ごめんなさいっ、勝手な、偉そうなこと、言って……!」
「勝手ってなんだ。そうかもしれないってなにがだよ」
「…………」
 セオはきゅっと唇を噛んだ。言うのは自らの愚かさを再確認させられるようで苦しいが、言わないでいることなど自分などに許されるはずがない。
「ロンさんの、言ってた、ことなんですけど」
「……もしかして、お前が自分を最低の存在だと思わないと……とかってやつか?」
「はい」
「あれ聞こえてたのかお前……つか、それとこれが、どういう」
「俺、ロンさんの言ってらしたこと聞いて、そうなのかもしれないって思いました。俺が自分を、どうしようもなく最低の奴だって思うのは、そう思わないと……家族とか、を憎んでしまうからかもしれない、って」
「……ああ」
 そう感じた時の瞬間の衝撃は、今思い出しても頭がくらくらする。
「でも……俺は、俺を、本当に、世界一ってくらい、最低な奴って思うんです。本当に、最低な奴だって。罪を犯したし、許されないことをした。周囲を憎まないために自分を最低だって考えるなんてそれこそ最低だし、それだけじゃなくて」
「なんだよ」
「……俺の目に映るきれいなものたちより、自分の方が価値があるなんて、思えないから」
「………はぁ?」
 フォルデがぎゅっと眉根を寄せる。ああやっぱり、とセオはうつむいた。やっぱり怒られる。それは当然だけど、フォルデを嫌な気分にさせてしまうのが、ひどく嫌だ。
「なんだよそれ。きれいなものたちだぁ? なんなんだよそりゃ」
「世界は、きれいだから。この世の中にあるものはみんな、すごくきれいに在るから。人も、獣も、木々も、魔物も、空も、星も、水も、石も、炎も、物語も……この世にあるものはなにもかも、みんなすごく、ただそこに在るだけできれいで。そんなきれいなものたちと比べたら、どうしたって俺は、あんまりいびつで、醜いから。だから、どうしたって、最低な奴としか、思えないんです」
「お……」
「でも、ロンさんの言葉も、確かにそうかもしれないって思えて。ますます自分が最低の存在だって思えて。でもそう思うこと自体間違ってるんだとしたら、って思ったらもう、どうすればいいのかわからなくなって、苦しくて、そういうこと思わないようにってしてみなさんの言葉に答えるようにしてみてもやっぱり苦しくて、だから自分が最低な奴って、証明するために、あの時体が動いたのかも、って……」
「て……メェ、なァ……!」
「ふざけないでよ」
 フォルデのどこか苦しげですらある低い唸りを遮ったのは、エヴァの地の底から響いてくるような言葉だった。フォルデが驚いたのかエヴァの方を振り向くより早く、エヴァはぼそぼそと、次第に早口で喋りたて始める。
「黙って聞いてれば馬鹿なことばっかり言わないでよ。最低? 価値がない? なにそれ。じゃあそんな最低な奴に助けられて、庇われて面倒見られて挙句の果てに目の前で好きな人取られたあたしは超最低の大馬鹿娘ってことになるじゃないのっ!」
「え? 取ら……?」
「えーえーわかってるわよあたしは馬鹿よ大馬鹿よ! ラグがあたしのことかまわないであんたばっか気にしてるから悔しくて少しでもあたしを一人前だって認めさせたくて案内人頼んで黄金の爪探しに来て、落とし穴に落ちてぎりぎりで助かったはいいけどどこが出口かわからなくて探してるうちに偶然隠し階段見つけて黄金の爪も見つけてなんにも考えないで喜んで取って呪い発動させた大馬鹿女よ!」
「ンなことしてたのか……お前マジで大馬鹿」
「わかってるわよそんなこと! そんでしっかり報いも受けたわよっ、敵に助けられて、庇われて、それだけでも死ぬほど惨めなのに、助けに来てくれた好きな人は、あたしの方見ないで、あんたの方、ばっかり見て、抱き、抱き、抱き合ったりしてぇぇーっ……」
 ぶわ、とエヴァの瞳から涙が流れ落ちた。セオは仰天して固まったが、フォルデも驚いたのか固まった。固まる二人の男の前で、エヴァはうっくえっくと泣きじゃくる。
「あたしにとってはっ、ラグは、王子様なのにっ、ただ一人の、人なのにっ、ラグにとってあたしはっ、ほんとに、妹の一人で、もしかしたらそれ以下かもしれなくてっ、あたし馬鹿だけど、馬鹿なことやったけどラグのために、ラグとまた会うために必死になって頑張ったのにっ、傷だらけになって戦ったのにっ、ラグは全然あたしの方、見てくんなくてっ、それどころか気付いてすらいないかもしんなくてっ」
「お、おい、おま……」
「あたしがどんなに必死になって頑張ってっ、怪我したって、傷がついちゃったって、ラグはぜんぜんっ、ぜんぜんっ気にもしてないっ、あたし何年もラグのこと追いかけてって結局そんな程度の存在でしかなかったのかってもー、死ぬほど泣きたくてっ」
「あ、の、エヴァさ」
「なのにあたしからラグを奪い取った相手は自分のこと最低とか言うし! 価値ないとか言うし! あたし、あたしは、必死にラグに振り向いてもらおうとしても見てもくんないのにっ、抱き、抱きついときながらそんなこと言うしーっ!」
 結局そのあとはうわぁん、とベッドに泣き伏すエヴァを宥めるのに必死で、フォルデがなにを言おうとしていたのかはよくわからないまま終わった。

 前回王宮に上がった時通されて食事をした広間。ネフェルタリィは前回同様、静かにたたずんでこちらを見ている。その顔貌は相変わらず人知を超えるまでに美しい。
 そしてその隣にはなぜかイシスの元勇者、エラーニアが微笑みながら座っていた。
 なんなんだ、とラグは頭をかく。イシスに戻ってきて、ロンに愚痴を吐き出して(別になにが解決したわけでもないのだが、すっきりした気分にはなった)。それからさして時間も経たないうちに宿屋の主人が王宮からの使いが、と泡を食ってやってきた。
 ルーラで戻ってきてまださして時間も経っていないのに手回しのいい話ではある。どうやら魔法使いギルドの魔法監視網にひっかかったらしいのだが。
 ともかく女王にピラミッドに行ったらまたここに戻ってこい、と言われたのだから王宮に向かうつもりではあったのだが。なぜエラーニアまでいるのか。別にエラーニアが嫌というわけではないが、彼女の勇者――セオに対する言葉を思い出すと、嬉しいという気分にもなれない。あの言葉は、ラグの中にも奇妙な戸惑いを呼び覚ましたのだ。
「彼女は私が呼びました。私の言葉の足りない部分を、補ってくれることを期待して」
「…………」
 ネフェルタリィの言葉を、一同無言で聞く。そもそもネフェルタリィの言葉というものがどんなものが出てくるかはなはだ不安ではあるのだが。自らの基を示すと言われて見せられたあの映像。あそこからどんな言葉が出てくるのかと思うと、考えただけで気が重くなる。
 特に仲間には聞かれたくないのだが、とちらりとロンを見ると、ロンは軽く笑って肩をすくめた。その仕草にふっと気が抜けてラグも笑う。とりあえず、その時はその時だ。少なくともあれだけ愚痴った相手に格好をつけてもしょうがないだろう。
 それに、女王がセオにどんな言葉をかけるかは知っておきたい。真剣な面持ちになって、ラグはネフェルタリィを見た。
 ネフェルタリィはその美しい肉感的な唇をゆっくりと動かして、喋った。
「セオ・レイリンバートル。あなたへの言葉を捧げます」
「は、はいっ」
「あなたは世界の一部です。愛することが愛さないことであることを厭うより、目の前の手を握りなさい。抱きしめれば人は温かいのだから」
「え?」
 セオは目をぱちくりさせる。ラグも同じように目をぱちくりさせた。なんだ、どういう意味だそれは?
「次はジンロン、あなたです」
「……いつでもどうぞ」
「あなたはここにいます。生きても大丈夫なのだと、死ぬ前に思い出せるでしょう」
「…………」
 ロンは眉をひそめた。どういう意味なのかよくわからないのだろう。ラグももちろんわからない。
「ラグディオ・ミルトス」
「はい……」
「どちらを選んでも後悔は残るでしょう。けれどあなたの幸福はひとつではありません、心の赴くところへ向かいなさい」
 やっぱりさっぱりわからない。
「フォルデ」
「…………」
「あなたがセオや仲間を大切に思っているのはちゃんと仲間たちにも伝わっています。セオは少し鈍感ではありますがあなたの気持ちは確かにセオの心に届いています、セオもいつか気付いて振り向いてくれますよ。だから大丈夫、あなたは心配しないで今の仲間たちと一緒にいたいという気持ちを抱きながら進みなさい。そうして大人になればいつか自分の幸福さを認められる日も来るでしょう。それと、女は魔物だということを忘れずに」
『………………』
「ちょ……待っ! んっで俺だけそんな……わかりやすっ……」
「ほうほうお前はそんなに俺たちのことを大切に思ってくれていたのか。女王陛下にそう言われるほど。いやいや照れるな」
「フォルデさん……あの……あ、りが」
「だーっうるせぇ黙れなにも言うんじゃねぇ俺は別にっ……がー!」
 やれやれ、とラグは苦笑した。なんでフォルデだけこうも直截なのかは知らないが、まぁフォルデならこれくらいわかりやすい方が伝わるだろう。
 しかし他の面々に向けられた言葉はいったい、と考えているとエラーニアが微笑みながら言った。
「陛下のお言葉はあなた方が道に迷った時、苦しんでいる時に思い出せば道を示す標になってくれるはずです。今は理解する必要はありません、ただ覚えていればいいのです。思い出した自らの基を胸に、前へとお進みなさい」
「……はい」
「ちょっと待て、だからなんで俺だけあんな……」
「それはあなたが今迷っているからでしょう」
「な、別に俺は迷ってねーよっ!」
「ところであなた方はこれからどこへ向かわれるつもりなのですか?」
「え……」
 言われてセオの方を見た。オーブは手に入らなかったのだからこれからまたオーブ探しに戻る、というのが尋常な方策なのだろうが、具体的にどこに向かうかとなるとまだ決まっていない。ラグとしてはこれからまた話し合って決めるつもりだったのだが。
 しかし旅の基本的な方針を考えてるのがセオだけっていうのも問題あるよな、とラグはぽりぽりと頭をかいた。別にセオの方針に従うのが嫌なわけではないが、十六歳の少年に旅の計画を任せきりというのも情けない。
 だがセオはあっさり言った。
「まだちゃんと決めたわけじゃ、ないんですけど、いったんアッサラームに、戻る予定です」
 ああ、そういえば盗賊ギルドと商人ギルドに依頼をするとかいう話があった。
「それからは?」
「えと、俺はロマリアに戻ってからポルトガに行ったらどうかな、って思ってるんです、けど。あそこには船乗りギルドもありますし、世界のいろんなところへ、定期便も出てますしルーラ便も割安だって聞きましたし……最終的には船を借り切らなくちゃならなく、なりそうなんでポルトガ王と船乗りギルドに面識を得ておきたいな、って」
 なるほど、とラグは内心うなずく。確かにポルトガは拠点とするにはいい場所だ。確かシルバーオーブはネクロゴンドにあると言っていたから船を用立てるのは必要だろうし、レイアムランドにも行かなくちゃならないし、となれば一番手っ取り早いのは海の男たちの総元締めであるポルトガ王と船乗りギルドに誼を通じることだろう。相変わらずセオの思考は筋が通っている。
「なるほど……セオさん、あなたはポルトガの勇者カルロス・アリアーガのことは知っていますか?」
「え? はい、一応ある程度は。斧を取れば当代一、現在生存中の勇者では随一の実力を誇ると謳われる勇者ですね。半年前の情報でレベルは34、打倒バラモスに一番近い存在と聞いています……けど?」
「そうですか……いえ、ならばいいのです。今後の参考のため会っておかれるとよいでしょう。彼とは面識がありますので、紹介状をしたためてさしあげます」
「では、私はポルトガ王に対する書状を。そんなものがなくともあなたの名があれば謁見は可能だとは思いますが、ポルトガ王とは何度かお会いしたことがあるので少しは誼を得る助けになるはずです」
「あ、ありがとうございますっ!」
 揃って二人に頭を下げる。実際助かる話には違いない。
 だが、フォルデは一人仏頂面だった。
「……なんでいちいち行く先々の勇者に会わなきゃなんねーんだよ。競争相手だろ、そいつら」
「え、でも、あの……」
「競争相手だからこそですよ、フォルデさん。勇者は常に試されています。世界という障害は、命のみならず魂を堕落させる危険をはらんでいる。私や、神竜=A黄金闘士≠フようにならぬために、過ちを繰り返さぬために、先人の歴史を学ぶ機会は逃さぬようにしてほしいのです」
「エラーニアさん……ありがとう、ございます」
「……つか神竜≠ニか黄金闘士≠ニかってなんだよ?」
 一瞬エラーニアの顔に緊張が走ったように見えた。だがすぐに彼女は微笑んで話し出す。
「私と同じように、戦ってレベルを上げ強者として名を馳せながら、勇者であることをやめた者たちです。いわば堕ちた@E者たち。神竜≠ヘかつて世界最強と謳われながら人としての道を踏み外した、神殺しの神の名を称号としてつけられた勇者。黄金闘士≠ヘ金色の鎧を身にまとい、幾万の敵を打ち破り英雄と讃えられながら王の命に背き捕らわれた勇者です」
「へぇー」
 そんなものがいたのか。そんな話は噂としても聞いたことがなかったけれど。
「初耳だぜ。そんな奴らの話盗賊ギルドでも聞いたことねぇ」
「それはそうでしょう。堕ちた勇者などがいると知られれば人心は乱れ悪人が栄えます。世界中の国家が結託して隠してきたのですよ」
「……ふーん」
 面白くなさそうにフォルデは呟いた。
 最後に、退出の際、ネフェルタリィがこちらを見つめ、その恐ろしいほどに整った面にかすかに、だがはっきりと切望の色を浮かべて告げたのが妙に印象に残った。
「ご武運を。あなたたちは、今や世界の希望です。私たちにできることがあればなんであれ力になりましょう、ですから、どうか、魔王を」
 少しばかり大げさなのではないかとラグには思えたが(世界には他にも勇者がまだまだいるのだから。セオとフォルデもきょとんとしていた)、だが女神といってもおかしくないほど美しい女に切々と訴えられれば悪い気はしない。少しばかり照れくさい顔を見合わせて、「はい。必ず」とそれぞれの言葉で誓った。

「あたし、絶対あきらめないから」
 エヴァは真っ赤な瞳できっとラグを睨みそう言った。
「あたし、絶対あきらめないから! そりゃ今回は失敗したけど、絶対、絶対ラグのこと振り向かせてみせるから! そのくらいのいい女になってやるんだからねっ、覚えてなさいよ!」
 朝早いイシスの街で甲高い声でそう叫ばれ、ラグはうんざりしたようにため息をついた。そりゃ確かにこれだけ迷惑をかけられてまるで言うことが変わらなければうんざりもするだろう。フォルデも実際ムカつく。
 だが、その半面、どこかで「けど、それはそれだけこいつが必死だっつーことなんだよな」と思っているのも確かだった。我ながらどういう心境の変化かよくわからないのだが。エヴァのあの号泣を聞いたせいか、それともセオが必死にエヴァを慰めるのを聞いたせいだろうか。
 セオはエヴァが泣き出したあと、必死にエヴァに話しかけて慰めた。自分も泣きそうになりながら、「ラグさんはエヴァさんのことちゃんと大切に思ってますから」だの「俺がエヴァさんより大切とかそういうことないです」だのしょうもないことを言いながら。
 当然エヴァはなかなか泣き止まなかったのだが、セオはそれでも必死に話しかけた。瞳を潤ませながら。相手がそれこそ自分の家族か恋人だとでもいうように。
 その時、『ああこいつにとっては本気でこの女も全然知らねー奴らも全部きれいで大切なんだ』とぽかんと思い、その実感が胸をすうすうとさせたから、エヴァのラグを唯一絶対ただ一人の人とする価値観に少し共感というか、ほっとするものを感じたのかもしれない。
「エヴァ……いいか。お前はまだ未熟で、子供なんだ。一人前にはほど遠い。だから俺のためにどうこうとかそういうことを考える前にだな、まず誰にも迷惑をかけずに自分の面倒を見れるようになることを」
「知らない、そんなの。あたしはラグがいればいいの。ラグだけいればいいの。ラグがあたしのことを見てくれればそれだけでいいんだもん」
 真っ赤な瞳でラグを睨みつけて言うエヴァに、ラグははーっとため息をつく。またしょうがないことを言って、と思っているのだろうか。
 だが、フォルデには少し違って聞こえた。エヴァが泣き止み始めた時の、あの愚痴のようなものを聞いたせいだろうか。
「あたし、十二の時、ラグに命を救われたの」
 エヴァはうつむきながら、セオに背中を撫で下ろされながらぽつぽつと言った。
「あたしの家、エジンベアでそれなりに大きな商人やってたんだけど。商売に失敗して、両親自殺してあたしは借金のかたに娼館に売られることになったの。もう、世界が終わるみたいな衝撃だった。あたしそれなりにいいところのお嬢さんのつもりだったのに、そういう世界がずっと続くと思ってたのに、両親が死んで、あたしは体を売らされる生活をすることになる。もう、どうすればいいのかわかんなかった」
「…………」
 甘ったれた台詞だ、と思ったが口にはしなかった。また泣き出されたら、面倒だ。
「そんな時。娼館の奴に泣き叫びながら引っ張ってかれる時、あたし、もう駄目だって思った。あたしこれから先ずっと不幸なことばっかり続いてどうしようもなく嫌な人生送らなきゃならないんだって。もう嬉しいことなんにもないんだって、そう思ったら耐えられなくなって、その場で舌噛んで死のうとしたの」
「え……」
「その時なんだ。ラグが、すごい勢いでやってきて、娼館の奴殴り倒して、抱き上げてあたし連れて走り出してくれたの」
 エヴァは、手に降る雪の結晶を見る時のように、儚げで幸せそうな声でそう言った。
「すごい、ですね」
「うん、すごい。格好よかった。安全なところまで来て、あたしが呆然とラグのこと見つめてると、にこって、ちょっと照れたみたいに笑って、よかったら、俺に助けられてくれないか、って、死にたいって思うならその前に人生変わらないか賭けてみないかって、俺と一緒に来てくれないかって聞いてくれたの。それが、始まり」
「…………」
「ラグはあたしの世界の崩壊を救ってくれたの。命を救ってくれたの。生きる道を作ってくれたの。だからあの時から、ラグはあたしにとっての世界のすべて。それからヒュダさんのところへ連れて行かれて、ろくに会えなくなっちゃったけど、それでもあたしはずっとラグが好きで、大好きで、振り向かせたくて、一緒にいたくて、だから戦士になって世界を巡るの。一人前になりたいって思うからっていうのもあるけど、それより、もしかしたらどこかで会えるかもって思ったら、アッサラームで待ってなんかいられないから」
 ぐす、と鼻を鳴らしながら、囁くようにそう告げるエヴァは、子供ではあったかもしれないが女の顔をしていた。
 ただ一人。唯一絶対、その人だけしかいらないと思える存在。
 そういうものを持ってしまった心というのは、いったいどんな形をしているのだろう。
「……とにかく。これからはなにも考えないで無謀なことをしたりしないで、自分の実力に見合った仕事や冒険をするんだぞ」
「心配してくれてるの?」
 じっと見上げるエヴァに、ラグは小さく息を吐く。
「しないわけがないだろう」
「……そっか。そっかぁ。えへへっ」
 ぱっとエヴァの顔に笑みが咲いた。顔全体がぶわーっと笑っている。満面の笑みの見本市に出せるだろうと思うほどだ。
 ラグはまた小さく息を吐いて、エヴァを目を眇めながら見つめて言い出した。
「いいかエヴァ、お前はまだ若いんだから、俺なんかを追いかけてないで周りに目を」
「どっちを見たって、あたしにはラグしか見えないもん」
 ふふっと妙に嬉しげに笑って、エヴァはこちらに背を向けた。
「じゃあね、ラグ。また会おうね。世界のどこかで」
「……俺としてはアッサラーム限定の方がありがたいんだがな」
「またそーいうこと言う。絶対別の場所でも会うもんね」
 鼻息を荒くしてそう言って、足早に歩き出し。すたすたと曲がり角を回って姿を消して。
 数秒後、だだだだっと凄まじい勢いでこちらに向かい走ってきた。思わず目を見開くフォルデたちにかまわず、エヴァは顔を赤らめながら目をぱちくりさせているセオに駆け寄り、うつむいて早口に囁いた。
「迷惑かけてごめんなさい助けてくれてありがとうひどいこと言ってごめんなさい慰めてくれてありがとう」
「え……あ、の」
 ばっと顔を上げて、きっとセオを睨み指を突きつける。その顔はやっぱりだいぶ赤い。
「言ったからね! それと感謝はしてるけどだからってあんたがあたしの敵なのには変わりないんだからね! いつか絶対完全勝利してやるんだから、覚えてなさいよっ!」
 そう叫んでまただーっと走り去る。その背中をラグとセオは呆然と見つめた。
「……なんだったんだ? あれ」
「さぁな? 自分で考えてみたらどうだ。どうしても知りたいなら寝物語に俺なりの推論を聞かせてやるが」
 やれやれ、と面倒くさそうに伸びをするロン。その腕には黄金の爪が輝いている。
「やれやれまったく、あの女は。黄金の爪を譲られる形になってしまったのが腹立たしいな」
「いいじゃねーか。俺らが来なきゃあいつ死んでたんだし、元からラグに渡すつもりだったっていうし」
「エヴァさん、は優しくて、いい人だ、と思います」
「そーかよ」
 やれやれ、とフォルデも頭の後ろで腕を組む。こいつにとってはそうなんだろう。誰だって自分よりはるかに価値があるものとしか見れない奴なんだから。
 セオの言葉を、フォルデはラグとロンに告げておいた。二人とも難しい顔をして、そうか、だのなるほどな、だの言っていた。
 ロンの言葉もきっと一部は正しいのだろう。ただ、たぶんセオのすべてではない。当たり前かもしれない、そいつがなにを考えているかなんていつも変わるものなんだから。
 セオの言葉。セオの考え方。そういうものはやっぱり気に食わないし、根性を叩きなおしてやるという気持ちにも揺らぎはない。
 ただ、少しばかりため息をつきたい気持ちになっていたのも事実だった。たぶん、先は長い。セオは間違ってるのに、絶対に絶対に間違ってるのに、奇妙なその思考を心の底から頑なに信じ込んでいる。
 なんであいつはああなんだろう。世界の全部が自分よりずっと価値があるなんてどうして思いこめるんだろう。あいつの必死さも、強さも全部その思い込みからくるものなんだろうか。
 まだセオの言った言葉をうまく受け容れることはできていない。セオの言葉は絶対間違っているとは思うけれど、どうしてこんなに胸がすうすうするのかもよくわかっていない。
 ただセオがあの時言った言葉や、ピラミッドで見せた行動を思うたび、胸が冷えてしゃがみこみたくなって頭を抱え込んで目をぎゅっと押さえて、必死に冷たさに耐えなければどうしようもないような気分になる。
 あいつとエヴァを足して二で割ったらちょうどいいのかもな、なんてちらりと思う。たったひとつのものしか見えていないエヴァと目に映る全部をたったひとつのように大切にするセオ。
 あいつが誰かに熱を上げてるとこなんて想像できねぇけどな。そりゃあいつだって普段からラグには気ぃ許してるしキラキラした目で見たりしてるけど。俺にはしょっちゅうビクビクしてるくせして。クソ、なんかムカついてきたな。
 つか、そもそもあいつ女好きになったこととかあんのか? ぜってーなさそうだよな、考えたこともなさそうだ。当然だぜ、俺だってろくにそんな経験、って俺のことはどーでもいいんだよ。……まーあいつ女に好かれても気付かなさそーだし、当分は女に縁はなさそーだよな。俺がどんだけあいつのこと考えてるかにだって気付かねーんだから。
 ……ちょっと待て、なんだそんな台詞が出てくんだ。そりゃ考えてはいるかもしれねーけどなんで女の恋だの愛だのそーいうこと考えてっ時に……だーもうあの女王が妙なこと言うからだっ! 俺は別に迷ってなんてねーってのに! ただよくわかんねーだけで!
 第一俺にも好みってもんが、とそこまでぐるぐると考えを回した時、ふいにぼっと頭の中に過去に一度だけ会った純白の少女の顔が頭に浮かんだ。思わずカッと顔を赤らめる。なんであいつが出てくるんだ!?
「見てみろセオ、フォルデの顔が面白いぞ。百面相してから顔を真っ赤にして頭抱えて」
「え、あの、えと」
「放っといてやれよ、ロン……」
「だぁっ! お前ら、うるせ……」
「フォルデ、さん?」
 鈴をふるようなか細い声に、フォルデは硬直した。
 思わず勢いよく振り向く。馬がいた。執事がいた。いかにも上等そうな馬車があった。あの時出会った少女――ヴィスタリアの馬車がそこにあった。
 馬車の窓部分が開いて、そこから雪より白い顔が微笑みかけてきている。フォルデは呆然とその顔を見つめた。
 ヴィスタリアは優しく微笑んで、星を鳴らしたならこんなような声になるだろう、という声で馬車から話しかけてくる。
「こんなところから声をかけてしまってごめんなさい。フォルデさんがせっかく注意してくださったのに」
「……や。別に」
「でも、せっかく偶然こうしてまたお会いできたんですから、少しでもお話したくて」
 にこ、と儚げに微笑む顔に、思わず顔が赤くなるのを感じた。なんでこんなこと言いやがるんだ、この女。
「そちらが、フォルデさんのおっしゃっていたお仲間の方々ですか?」
「……ああ、まあ」
「はじめましてみなさん、私ヴィスタリア・フュメーナと申します。こっちは執事のヴィンツェンツ。一緒に世界を旅して回っているんです。以後、お見知りおきくださいね」
 横の執事が頭を下げるのに、セオたちも慌てて頭を下げ返した。
「あ、あのっ、セオ・レイリンバートルですっ」
「ラグディオ・ミルトスです。こちらこそよろしく」
「ジンロンです。ちなみにあなたとフォルデはどういうご関係で?」
「なっ、ロンてめぇうっせぇんだよっ!」
「一度この街で会って、少しお話をさせていただいたんです。……またお会いできて、本当に嬉しいです、フォルデさん」
 わずかに小首を傾げ、にこ、と微笑まれて、フォルデは猛烈に顔を熱くしながらもそっぽを向いた。
「そーかよ」
「えぇ。私、今日イシスを発つんです。ですからその前にお会いできて、本当によかった」
「……そうか」
「はい。……あの、フォルデさん」
「なん、だ?」
 ヴィスタリアはふわ、と優しい、けれどひどく儚い笑みを浮かべて言う。
「また、お会い、できますか?」
「……運が、よけりゃな」
 ぶっきらぼうに言うと、ヴィスタリアはにこっとひどく嬉しそうに微笑んで、手を振った。
「では、その時を楽しみにしています。みなさん、ごきげんよう。またお会いしましょうね」
 がらがらがらがら、と車輪が回り、馬車が去っていく。その後姿をじっと見つめていると、はー、とため息をつく音が聞こえた。
「やれやれ、フォルデ、お前という奴は。まだまだお子様だな、女の恐ろしさも知らずにわかりやすい罠に引っかかって」
「フォルデの好みってああいう子だったのか……まぁ、確かにわかりやすいかも」
「フォルデさん……あの、すごいです、ね……」
「お……まえらっ、うるせ――――っ!」

 がらがらと車輪が回る馬車の中。椅子を覆う上質の布団にゆったりと背中を預けつつ、少女の姿をした女はふ、とため息をついた。
「単純な男ね」
「だからこそお嬢様も標的に選ばれたのでは?」
 無機質な、けれどどこか面白がるような声で言う執事に女は鬱陶しげに返す。
「聞いている人間もいないのにその呼び方はやめなさい」
「承知いたしました。では、マスター。なにがお気に召さないのですか? 勇者セオ・レイリンバートルとの繋がりはできた。仲間の篭絡もほぼ為し得た。被った仮面を怪しまれている様子もない。万事順調だというのに、なにをそう落ち込まれることがあるのです?」
「別に私は落ち込んではいないわ。勝手に主の感情を推測してああだこうだ言うように作った覚えはないわよ、ヴィンツェンツ?」
「私を学習し成長するようプログラムされたのはあなたではないですか、マスター? 主のお心を慮り快適な状態に保つのも下僕の仕事かと」
「頼んでもいないことをしないようリプログラムが必要かしら?」
「下僕のささやかな気遣い程度で人格をリセットされるのは割に合いませんな。それならせめてエリサリ殿に『マスターがお悩みのようなのですどうぞ元気付けてはいただけませんか』と連絡するぐらいのことは」
「壊されたくなかったらその口を今すぐ閉じなさい」
「了解いたしました、マイ・マスター」
 馬車の中には沈黙が訪れた。がらがらがらがら、という車輪の音を除き。
 女はぼうっと、どこか虚しげな顔で中空を見つめていたが、やがて一声呪を発して手元に一枚の書類を取り出した。表情を厳しくも凛々しい、戦うもののそれに変えて、書類に目を通しながら呟く。
「ヴィンツェンツ」
「もう口を利いてもよろしいのでしょうか、マスター?」
「仕事の話よ、思考モードを切り換えなさい。……勇者セオ・レイリンバートルとその仲間たちの印象は? あなたの個人的な感想でかまわないわ」
 しばし考えるような間を置いてから、執事はすらすらと答えた。
「私にはあの勇者は警戒する必要のあるほど大した存在とは思えませんでしたな。確かに三人も仲間を持つことができるというのは大きなアドバンテージですが、ああも甘ちゃんではろくにその力を発揮できますまい。正負どちらの影響を持つにしろ、脅威になりえるとは思えませんが。仲間も青臭い食い足りぬ奴らばかりで――まぁ、唯一少しは楽しめそうなのはあの武闘家ですか。自らの器の大きさ、力の使い方を知っている者と見ました」
「そう……」
「お聞きしてよろしければ、マスターのご評価は?」
「あなたとさして変わらないわ。ただ――」
「ただ?」
 女はわずかに口を開きながら数秒静止し、首を振って肩をすくめた。
「やめておきましょう。まだ評価を下すには早すぎる。どう使うにしろ、せめてもう少し成長してくれなければ見極められないわ」
「しかし、上にはどうご報告を?」
「不確定要素を極力排除したまま、現状の監視体制を維持。それが一番無難でしょう。今はまだ危険を冒す必要はないわ」
「上がそう考えるてくれるかどうかはわかりませんがな」
「まぁね。我々には上が決定したことについては従う以外の選択肢はないのだし。でも、上もおそらく私と同じ判断を下すはずよ。セオ・レイリンバートルは現在最も世界の根幹に近い勇者、極力様子を見守りたいというのが本音のはず」
「なるほど。しかし、敵性情報cカ-3の対策についてはいかがなさいますか。最近彼奴は派手に動いているようですが」
「あれについては考えがあるわ。上の判断次第だけれど。……状況によっては、Ω-3を……神竜≠セオと会わせる必要が出てくるかもしれないわね」
「ふむ。我々もまだまだ休めぬようですな」
「当然でしょう。私たちの仕事に終わりはないわ」
「そうであってほしいですな。――『世界に平穏と、神の恵みを』」
 執事の言葉に、女はふぅ、とひどく疲れたようなため息をこぼしてから、太陽がさんさんと降り注ぐ窓の外を見つめ答えた。
「そうね――『世界に平穏と、神の恵みを』」

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