ポルトガ〜バハラタ――1
「あ」
「なんだよ」
「え、いえ、あの。……潮の香りがしてきたなって」
 セオが言うと、フォルデはわずかに鼻をうごめかせて軽くうなずく。
「そうだな。なんか、すっげ磯臭い」
「そういうことをポルトガ人の前で言うんじゃないぞ?」
「なんでだよ」
「『海よ、そは我らが愛、我らの母、ポルトガ男の帰る場所』って歌があるくらいにな、ポルトガ人は自国の海がどこの海より美しい故郷だと誇ってる。自分たちの世界一美しい家だとな。だから海をけなすようなことを言うとムッとされる。血の気が多い奴なら喧嘩になるかもな。で、ポルトガ人ってのは八割がその血の気の多い奴なんだが」
「なんだそりゃ、面倒くせぇな……なんで海なんぞにそこまで思い入れられんだか」
「ポルトガは首都の人口の半分以上が船乗りだからな。自分の仕事場をけなされたように思うんだそうだぞ」
「ポルトガは、国としての形を成す以前から、漁師と海賊が住む人の大半を占めていたらしい、ですから」
「ふーん……」
 現在自分たちはロマリアからポルトガへ向かう街道、ウェスペリン街道を歩いているところだ。彼方にピライル山脈を望むこの街道は、ロマリアとポルトガの間の海を繋ぐ地下通路遺跡……からではなくそこから一日歩いた場所にある宿場町ステルージから伸びている。
 ロマリア〜ポルトガ間を移動する者は普通古代帝国時代に作られたといわれる地下通路ではなく海路を使う。外海を移動するやり方だけでなく、陸路をたどる者も間に立ち塞がる海を越える時は渡し舟を使って渡るのだ。
 それは海を結ぶ地下通路の、中の空間が不安定になっていることによる。古代帝国人たちはこの通路を旅の扉の製作実験場のような用途に使っていたらしく、強固な結界で旅の扉を封じてあるにもかかわらず(それゆえに、と主張する研究者も存在するが)、この道を通る者を空間の歪みに引きずり込んで別の場所に転移させてしまうことがあるのだ。
 なのでロマリアとポルトガ双方から人を出し、この通路に入る人を管理している。基本的には最初この通路に入る時かかっていた封印を復活させて誰も入れないようにしているのだが、完全に立ち入り禁止にしないのは、この通路を安全に通ることが可能な人間もいるからだ。
 それが『魔法の鍵を使用して、封印を解いてから三十分以内に通路に入った者』。なぜか封印解除の呪文、アバカムでは駄目なのだ。この通路には魔法の鍵を使って入るのが正規の手続きとされているらしい。
 ともあれ、自分たちはピラミッドで魔法の鍵を手に入れているので、逃げ場のない海路で魔物が出現した時他者を巻き込むよりも陸路で行こうとロマリアに飛ぶ前に決め、アッサラームからロマリアに転移してからロマリア政府に極力見つからないようこっそりと街を出て通路の遺跡へと向かったのだ。
 そしてそこからポルトガ領に入り、ほとんど道なき道と化している街道を通ってウェスペリン街道に入り、首都ポルトガまであと少しというところまで来ているわけだ。魔物ともさして出会うことなく、わりと安穏とした道行きだった。
「しかし……商人ギルドも盗賊ギルドも願いをあっさり聞いてくれたのはいいんだが、絶対になにか裏があるよな。俺たちをいつなにに使うつもりなんだろうな?」
「まぁ、バラモスを倒すのに邪魔になるようなことはせんだろう……お、街が見えてきたぞ」
「お! あれがポルトガか?」
「そう、世界一の港町。世界一の漁港にして世界一の貿易港。海の支配者たちの街、ポルトガさ」
 セオはまだ上り始めたばかりの太陽の輝きに映えるポルトガの街を見た。街の遠景は、赤茶けた平原に広がる絨毯のように見えたが、その向こうからこちらまで届くほどの光でなにかが輝いている。
 海の光だ、としばらく見ていて気付いた。

「………つまり、あなた方はアリアハンの勇者のパーティだということ、ですか」
「は? はい……それがなにか」
 入街審査担当の衛兵はひどく渋い顔でセオたちを見つめていたが、やがて深々と息を吐いて「どうぞお通りを」と告げた。
「なんだったんだありゃ。妙な目でこっち見やがって、気色悪い」
 街に入って衛兵たちから離れるやいなやフォルデが不機嫌に言う。ラグも首を傾げた。
「妙な態度だったよな。ロマリアみたいに勇者のパーティだからって即崇め奉られるのも嬉しくないけど、なんかあの人たち、俺たちを警戒してなかったか? なんていうか、疫病神でも見るみたいな目つきで見られた気がするんだけど」
「そうだな。俺たちが通ったあと詰め所にも妙な動きがあったし。イシスの時のように俺たちを監視する者をつけているかもしれん」
「んっだと、冗談じゃねぇぞクソ。……イシスで監視してくる奴らの気配に気付かなかっただけでもいーかげんムカついてるってのに」
「まぁ、あれは魔法による遠見の術だからな、仕方ないさ。……けどそれでいくとここでも同じ手使われるのかな……」
「へ? なんでだよ」
「ポルトガの魔法使いギルドはルーラ便の料金が安いって言っただろ。ポルトガは船乗りたちの国だから、造船技術航海技術は他の国を一歩も二歩も引き離してる。同様に航海に必要な魔法技術も発展してるんだよ。天候予測天候変化、水質浄化海流操作にいざという時船ごと転移する術、つまりルーラの技術なんかをこの国の魔法使いは徹底して叩き込まれるらしい。遠視に遠見もそのひとつってわけ」
「全体的な技術水準はともかく、航海に必要な一芸では魔法使いギルドも世界のトップというわけだ。だからルーラを使える魔法使いも多くいてルーラ便も安くなるし遠見の技術も発達してる、と」
「ふん、それでやることは結局覗き見かよ、鬱陶しいったらありゃしねーぜ。……おいセオ、お前さっきからなにきょろきょろしてんだよ」
「あ」
 セオは慌ててフォルデたちの方を向いた。仲間たちの話を聞いてはいたのだが、目は確かに周囲を眺め回していた。
「ご、ごめんなさい、俺、ちゃんとお話聞く態度じゃ」
「それはいいから。なにを見てたんだい?」
「え、あの……街並みを」
「街並み……ロマリアとあまり変わらないと思うけど」
 それは確かにそうだ。集合国家となる前のロマリア帝国とポルトガは、何度も相争ってはいたけれど互いに支配しあうこともあってそのたびに文化交流が行われたため文化的に近い(国民間の仲も基本的にいい方だ)。気候がさほど違わないこともあるのだろう、建築様式についてはポルトガはロマリアのそれを踏襲していた。
 眩しい太陽に温暖な気候。雨の少ないからっとした空気。ロマリアの方がやや湿潤だろうか。港町であるポルトガでは海の男が圧倒的多数を占めるが、その周辺では農業も盛んだと聞いているしこれまでの道のりでも豊かな畑をいくつも見てきた。
 それはわかっていることなのだが、ただ。
「あ、あの、奥に進むにつれて、すごく港町、って雰囲気になるなって」
「……ああ」
 ラグとロンは納得したようにうなずく。フォルデは言われて初めて周囲を見回し、目をぱちぱちとさせた。
「そういや、いつの間にか市場の近くに来てんな。なんか……すっげぇ魚くせぇ」
 そう、すでに自分たちは魚市場の前までやってきていた。道の先を見渡す限り、並んでいるのは美しいロマリア風の建築様式ではなく布と木枠と樽などで作られた屋台の山。今朝水揚げされたばっかりのまだ新鮮な魚がどっさりと陳列されている巨大な市場。敷かれた茣蓙の上に巨大な魚がいくつも並べられ、水の満たされた樽の中には小魚が何百と泳いでいる。貝や海老の類も大量に篭の中に転がり、ぶった切られた魚の頭やら尻尾やらもごろごろに道の脇に載せられていたりする光景はまさに圧巻の一言に尽きた。
「ま、ポルトガ人の主食は魚って言われてるくらいだからな。大量に獲った魚を大量に食う。ポルトガ人は一日五食食事する奴もいるっていうぞ。で、その多くが魚料理なんだがな」
「……ふーん」
「嬉しくなさそうだな。フォルデ、魚嫌いなのか?」
「べ、別にそーいうわけじゃねぇよ! ねぇけど……魚って、うまくねぇじゃん。肉の方がうめぇだろ」
 仏頂面での言葉に、セオは目をぱちぱちとさせラグは首を傾げた。ロンは面白がるような顔をしている。
「アリアハンでも漁業は盛んだったと思うが。それでも魚が嫌いだったのか?」
「だっから嫌いってわけじゃねぇっつってんだろ!」
「まぁ、なにを好きになるかは人の好みによると思うけど。アリアハン人で魚嫌いって珍しい気がするな」
「味覚が子供なのか……それとも、フォルデ。お前新鮮な魚を食ったことがないんじゃないか?」
「誰の味覚がガキだっ……! それがどーしたっつーんだよ!」
『ああ〜……』
「魚の燻製とかばっか食ってたんだろ。あれ、安いから」
「なるほど、それならお前の台詞もうなずけるな。せっかくだ、昼食がてらうまいポルトガ料理を食わせて単に味覚が子供なだけなのかどうか試すとするか。まだシェスタの時間でなくてよかったな」
「んっだよそれ! 俺は別に……」
「ラグ、お前どこかうまい店に心当たりはあるか?」
「そうだな、俺はポルトガには何度も来てるから……」
「聞いてんのかコラ!」
 怒鳴るフォルデに、セオはそろそろと近づいて、そっと上目遣いに見上げ頭を下げた。
「……なんだよ」
「あの。どうしても食べたくなかったらいいですけど。せっかくですから、食べて、みませんか?」
「…………」
「俺も、ポルトガ料理って、食べてみたい、ですし」
 フォルデはそう言ったセオに小さく目を見開き、がしがしと頭をかくと、ぶっきらぼうに告げた。
「まずかったらお前が責任取って食えよ」
「は、はいっ」

「うまっ……! なんだこれ!?」
 思わずといったように声を上げるフォルデに、ロンは笑った。
「パエリヤは口に合ったようだな。ポルトガの代表料理だぞ」
「こっちの海老のニンニク炒めも食ってみろよ。セオ、どうだい、お味の方は?」
 店で食事をする時はいつもそうであるように、親切に料理を取り分けてくれるラグにセオは顔を崩しながらこくこくうなずく。
「お、いしい、ですっ」
 本当においしかった。パエリヤも海老のニンニク炒めもトルティーリャもタコや白身魚のおつまみも。ロマリアのパスタや魚介料理もおいしかったが、やはり魚介類は港町で食べるに限る。香辛料をたっぷりと使いつつも素材の味を活かした料理は、さすがラグのお墨付きの店だけあるというところか。
 アッサラームやイシスの料理もおいしかったが、暑さをしのぐために辛いもの中心なため(おまけに季節がちょうど夏季だった)、本場のイシス料理ばかりの日々は正直少し辛かった。温暖湿潤なアリアハンで、柔らかい味の料理を中心に食べて育ってきたセオには、こちらの方が口に合う。
「食ったらどうする? 城に行くか、カルロスとやらに会いに行くか」
「先に上の方に話を通しておいた方がいいだろう。普通に国王に謁見を求めるんじゃ駄目なのか?」
「まぁ、そうだな……首都の国府にはシェスタも適用されないと決められたらしいからな」
「そうなのか?」
「おい、シェスタってなんだよ」
「なんでも今の国王が決めたらしいぞ……ああ、シェスタというのは、まぁ昼寝の習慣のことだ。この地方じゃ夏なら昼は四十度を越すらしいからな。一番暑い時間を寝て過ごす……いや、夜暑くて眠れないから暑くなってきた時間に目が覚めるように昼寝しとくんだったか? まぁどっちでも一緒か、ともかくそういうことだ」
「おい、そんじゃ以前は国府の奴ら昼寝の時間になったら仕事しないで寝てたってのかよ?」
「ああ。まぁ、普通の店や農家や漁師もその時間になったら仕事をやめて寝るんだから当然といえば当然だな」
「……なんだそりゃ。なんつーか、暢気な国だな。真昼間っから泥棒し放題じゃねぇか」
「暢気というか……あんまり効率的とは言いがたい国なのは確かだな。スープに蝿が入ってるだけでも決闘騒ぎになるような血の気の多いところがあったり、商売のやり方がやたら大雑把だったり」
「ポルトガは、その発生からして未知の大陸へ旅立っていった、冒険商人たちの集まり、ですから」
「ふーん……」
 椅子をぐらぐらと揺らして平衡を保ちながらフォルデは口の中に突っ込んだフォークをくゆらせる。と、ふいに目つきを鋭くして周囲を睨み回した。
「どうした」
「気付かねぇのかよ。周囲の奴らの視線」
「え?」
 セオは目をぱちくりさせて周囲を見た。周囲の人々の視線? 別に普段と変わらないと思うのだが。自分に向けられる視線が白いというか、疎外するような蔑むようなものなのはいつもと、アリアハンと一緒――
「あれ……?」
「どうした」
「なんていうか……普段と違うなって。なんて、いうか……よくわからないんです、けど、なんだかこっちを蔑むより、怖がってるような気持ちの方が大きいような……」
「なんだ、ようやく気付いたのか」
「なっ、お前らわかってたのかよ」
「それはまぁ。周囲の空気を読まなきゃ傭兵はやってられないからな。街ですれ違った人たちの中にも時々こっちを見て逃げ出す人とかいたぞ」
「逃げ出す? なんで俺らが通りすがりの奴らから逃げ出されなきゃならねーんだよ」
「さぁ。なんならこの辺で情報収集してもいいが……それよりも城に向かった方が早いんじゃないか。もしこの街の奴らがこちらに妙な気を持ってるなら、城は当然そいつらの本拠。さっさと乗り込んでかたをつけるにこしたことはない」
「こら、待てよ。もしそうだとしたら相手は曲がりなりにも一国の主か、それに近い人物だぞ。そんな奴に喧嘩を売る気か? 盗賊ギルドなりなんなりで情報を得てからの方が」
「かといってなにも情報を得ないまま逃げ出すわけにもいかんだろう。それにもし向こうが本気でこちらを襲ってくるならセオの呪文でいつでも逃げ出せる、そのためには全員一緒にいた方がいい。アッサラームの時のように単独行動した奴が襲われるということだってありうるしな」
「……っ、もーそうそうあんなにあっさり捕まるかよ!」
「お前に気骨があるのはよく知ってるがな。それでもお前の腕はまだ俺たちの域にも達してない。達人名人がごろごろしてるだろう敵地へ単独で乗り込んで脱出できるほどにはなってない。たった四人のパーティなんだ、全員行動する不利益より利益の方が大きいと思うぞ?」
「…………。セオはどう思う?」
「え、お、俺、ですか?」
 セオは目をぱちぱちさせた。自分に聞いたところでさして意味のないことしか言えない気がするが、聞かれたのなら全神経を傾注して答えなければ。
「あの、俺は、ですけど。城に向かった方がいいんじゃないか、って思います。情報収集しようにも、国が緘口令を敷いている可能性も、ありますし……ロンさんの言うことも、もっともだと、思いますし。こちらにはイシス女王からの紹介状もありますから、門前払いされることもないでしょうし……それに……あの、あくまで勘、みたいなもので根拠ないんですけど」
「……けど?」
「視線に、敵意は、感じません。真正面から向き合って、いいんじゃないかなって、思います」
「……ふむ」
 ラグは少し考えるようにする。フォルデは仏頂面でフォークを噛んだ。セオはいつも通りにビクビクドキドキ、泣きそうになりながら二人を見つめた。
 しばしの沈黙ののち、ラグはうなずく。
「わかった、それでいってみよう。確かに俺も変だとは思うけど敵意は感じないからな」
「……ま、俺もそれでいいぜ。けど、警戒はしとくからな。下手打つんじゃねぇぞ」
 セオはこくこくと必死にうなずいた。警戒が必要だというのはわかっているが、今はフォルデたちを怒らせずにすんだ、という事実にたまらない安堵を覚えてしまう自分に、嫌悪を感じながら。

 ポルトガの街の港の近く、小高い丘になっているところに港町ポルトガの城、セアゴビー城はあった。門の前の衛兵たちに紹介状を見せて王への謁見を求めると(こちらの姿を見たとたん警戒状態になったからやりにくくはあったが)、渋い顔でなにやら相談したのち、城の中へと通された。
 すれ違う人々にあからさまに驚きと警戒の視線で見つめられながら、衛兵たちに応接室に案内され、そこで待つこと一刻近く。ひどく厳しい顔の、おそらくは近衛兵に謁見の間へと連れてこられた。
「そなたたちがアリアハンの勇者、セオ・レイリンバートルのパーティか」
 ロマリア同様先頭でセオが(緊張に泣きそうになりながら)ひざまずくと、ポルトガ王はそばに控える小姓に中継ぎをさせることもなく直接セオに話しかけてきた。
 低く落ち着いた男性の声。おそるおそる顔を上げると、まだ若く、そして逞しい男の顔がそこにあった。若いといっても三十は超えているだろうが、壮年というにもまだ年若いのではないかと思われるほどその顔貌は若々しいし、海で鍛えたのか錆びた肌の下は筋肉で鎧われているのがわかるくらい体つきががっしりしている。
 当代のポルトガ王、リカルド三世。彼は勇者カルロスと共に二年前父王を譲位させて自らその地位に就いたという。頭の中にあった王≠ニいうものとはだいぶに違うその姿に目を瞬かせていると、ポルトガ王はセオの答えを待たずに言葉を継いだ。
「現在のポルトガを訪れたのは、どういう意図あってのことかお聞かせ願えるか?」
「え、と」
 セオはごくりと唾を飲み込む。頭がぐるぐるし始めたが、みんなに迷惑をかけるわけにはいかないと必死に頭を振ってポルトガ王を見つめ言った。
「あの、今すぐ、じゃなきゃ駄目、というわけじゃ、ないんです、けど。俺たち、魔王の城へ突入するために、航路にない場所へ行かなくちゃならなかったり、するので。船乗りギルドで、船をひとつ雇いたいな、って思って。なので、イシス女王ネフェルタリィ陛下にご紹介の労をおかけしてしまったんですけど、まずは世界中の船乗りの集まる船乗りギルドの本拠地の支配者であられる陛下に、ご挨拶を、と……」
「………ふむ」
 ポルトガ王がおもむろに立ち上がった。そしてゆっくりとこちらに向けて歩み寄ってくる。なんだ? と目を見張る暇もなく、じゃっ、とかすかな音を立ててポルトガ王は腰に佩いていた剣を鞘から抜き放ち突きつけてきた。
「なっ、てめ」
「動くな。貴様らが動くより先に、余は勇者の首を飛ばせるぞ?」
 まじまじと顔を見つめるセオの視線を獰猛な笑顔で見返しながら、ポルトガ王はくい、と抜き身の剣でセオの顎を持ち上げた。
「その言葉、信をおいてもよいのだな?」
「え? あの、はい」
「アリアハン王の命でも、ロマリア王の命でもないと誓えるか?」
「え、はい、誓えます、けど?」
 なんでポルトガ王がこんなことをしなければならないのかよくわからず、きょとんとした顔でポルトガ王を見上げるセオ。今にも食いつきそうな猛々しい顔でこちらを見ていたポルトガ王は、ふっと苦笑し、すっと剣を収める。その動作はラグにも匹敵する熟練の戦士のものだった。
「信じよう。ポルトガ王リカルド・イグナシオ・オルディアレス三世がここに宣言する。勇者セオ・レイリンバートルに魔王征伐以外の私心なし。これよりのち、勇者セオを疑うことは余を疑うことと知れ」
『はっ!』
 周囲に控えていた近衛兵たちが、いっせいに頭をたれる。なんとなく話の成り行きがわかって「ありがとうございます」と頭を下げかけるとほぼ同時に、フォルデの激昂した怒鳴り声が響いた。
「おいっ! てめぇなんのつもりだよっ! いきなり剣突きつけた上に偉そうに抜かしやがって、なに考えてやがんだボケ野郎!」
「おい、フォルデ、おちつ」
「これが落ち着いてられっかボケ! おいポルトガ王っ、どういうつもりか言ってみやがれタコっ!」
「貴様っ、陛下に向かい数々の暴言」
 いきりたつ近衛兵たちを手で制し、ポルトガ王はくるりとフォルデに向き直る。その視線の鋭さ、重さに気圧されたかひくりと喉を鳴らし一瞬黙るフォルデに、ポルトガ王は嘲笑ってみせた。
「ぴぃぴぃ喚くな、小童。貴様がいかにパーティの中で下っ端であろうと、むやみに騒ぐのは貴様の仲間たちも軽く見られるということがわからぬか」
「な……て、こわ……!?」
 一瞬の沈黙ののち、さらに勢いを増して怒鳴るフォルデを無視し、ポルトガ王はセオたちに背を向けた。
「ついてこい。ゆっくり話がしたい」

 ポルトガ王に連れられてやってきたのは城の中庭だった。花が咲き乱れ、草が生い茂る少し傾いてきた陽の光降り注ぐ野原のような庭。その中心にある東屋のテラスで、女性が二人椅子に座っている。眼前の卓にはガラスでできた瓢箪のような形の器具とカップ、あれは確かサイフォンというもの。となるとカップに入っているどろりとした液体はコーヒーか。
 そしてそのコーヒーを楽しんでいる女性たちの傍らに、馬が立っていた。テラスのすぐ脇、階段の下に立ち、女性たちの卓上の会話に参加するように首を突き出している。
 馬ってああいうことをする生物だったっけ、と目をぱちぱちさせながらポルトガ王についてその東屋に向かうと、ポルトガ王は女性たちがこちらに気付くのとほぼ同時に声をかけた。
「ガブリエラ、サブリナ。アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートル殿とその仲間たちだ。セオ殿、これは我が妃ガブリエラ、その横の娘が僧侶サブリナ」
「は、はじめまして……」
 状況がつかめないなりに頭を下げると、サブリナと呼ばれた桃色の髪の女性は恥ずかしそうに微笑んだ。
「陛下、いい加減に娘と呼ぶのはおやめになってくださいな。私、もう二十歳を超えていますのよ?」
「なにを言う、男を誘う色気のひとつも醸し出せぬような身で女と呼べるか。抱かれた男が悪かったな。まったく、十六になるならずの頃に手を出しておきながらこの甲斐性なしが」
 言いながら馬の鬣を撫でるポルトガ王に、馬は不満げに嘶きを上げた。わずかに脚を上げて蹴る真似をする。
「っと、暴れるな、カルロス。……セオ殿、紹介しよう。我がポルトガの勇者、カルロス・アリアーガだ」
「は?」
 ポルトガ王の指し示す先を見る。そこには馬しか見えない。馬がこちらを向いて小さく嘶いている。
「陛下、勇者殿が驚いておいでですわよ。まったく、いつも本当に子供のような振る舞いをなさること」
 上品に微笑むガブリエラはさすがポルトガの王妃と言いたくなるような美しさと気品を兼ね備えていたが、その笑顔のまま言い放った言葉はセオたちの驚きをさらに加速した。
「サブリナと共に、バラモスの呪いをかけられているのだということを話さずにいてはわけがわからぬでしょう?」
『えぇ!?』

「……つまり、魔王バラモスに呪いをかけられて」
「昼は勇者カルロスが馬、夜はその妻サブリナが猫になってしまう状況に陥った、というわけですか」
「うむ。そのためにカルロスは魔王征伐を行うことが極めて難しい状況にある」
 東屋のテラスでポルトガ王と共に王妃にコーヒーを淹れてもらいながら行われた説明に、セオたちは思わず瞠目した。
「呪いって……そんな呪いがあるんですか? 魔王はそんなことまでできるんですか? もし簡単にそんなことができるなら、俺たちも……」
 呪いをかけられて旅を続けられなくなる、という言葉を続けずに憂わしげに眉をひそめるラグに、ポルトガ王は静かに、だが靭い視線でこちらを眺め回し言う。
「我らもその危惧は抱いておる。だが今のところこの呪いについての情報がろくにない。教会の聖呪ですら解けぬほど強力な呪いであるという他はな。現在魔術師ギルド、教会、ダーマ神殿にも働きかけて調査を進めさせているが、いまだ対応策のめどすらついておらぬのが現状よ」
『…………』
「カルロスは妻サブリナと共に魔王バラモスの城へ侵入すべく、何度かネクロゴンドのあるアーグリア大陸へ上陸していた。だが険しい山と激しい火山活動に行く手を阻まれ、なかなか先へ進むことができずにいた。それでも必死に苦心惨憺し、バラモス城までたどり着いたその時、突然現れた魔王に呪いをかけられたのだそうだ」
 ブルル、とカルロスが悔しげに鼻を鳴らす。確かにそこまで行ったというのに脱出しなくてはならなくなるとは、さぞ無念だっただろう。
「……カルロスさんと、サブリナさんは、魔王に会ったんですね」
「ええ――ですが私は不意打ちでかけられた呪いを感知し、逸らすのに手一杯で魔王がどのような姿をしていたかなどはよく覚えていないのです。そのあたりはカルロスに訊ねた方がよいと思いますわ」
 サブリナが伏目がちに言うが、セオはその発言に驚いた。
「逸らした、んですか? 魔王の呪いを? すごい、ですね……魔族の呪力というのは、人間の器ではとても対抗できないと聞いたことが、あるんですけど」
「逸らした、と申しますか、カルロスに向けられた呪力を私とカルロスで半分ずつにしたというのが正しいでしょうね。だから私とカルロスが二人でひとつの呪い、畜生落としの呪を分け合うことになったのです。それだけのことに魔力を最大限に使わねばなりませんでしたが」
「ともあれ、それが三ヶ月ほど前のことになる。当然だが、我らはその情報を全力で秘匿した」
「へ? なんでだよ」
「馬鹿、一国の勇者が魔王の呪いを受けて動物にされたなんてことが知れたら恐慌が起きるぞ。勇者っていうのはその国の表看板にもなりうる世界の希望なんだからな」
「それにレベルの高い勇者はそれだけで一個の軍事力だ。抑止力にもなれば戦力にもなる。それが失われたとなれば、他国の軍事介入、侵略を招きかねない。魔王が倒される前からその後のことを皮算用してこの状況を利用して立ち回ろうとする者もいるだろうしな」
「然り。当代のロマリア国王が相当な野心家であられるのは世界規模で有名な話よ」
 言ってポルトガ王はコーヒーをすする。セオも今大変な話をされてるぞ、と緊張しつつひどく濃いコーヒーを少しすすった。
「なのでセオ殿、そなたが入国した際より我々はそなたを最大限に警戒してきた。アリアハンが、あるいはロマリアが、情報を聞きつけて我が国に手を伸ばしてきたのかとな」
「あの待ってください、なんでロマリアまで? ロマリア王の自国の勇者になれという誘いを断ったという情報は入ってないんですか?」
「むろん、聞き及んでおる。だがロマリアは現在アリアハンはじめ各国にセオ殿たちがロマリアの勇者となったと匂わせるような情報を流している。その情報の信憑性を疑わなかったわけではないが、嘘であろうで済ませられるほど軽い話でもないのでな」
「ロマリア王が、そんなことを……」
「たぶん周りから固めてセオを引き抜こうというつもりなんだろうな」
 ラグが腕を組み、考えるような仕草をするのにロンが肩をすくめ言う。フォルデはさっきからむすっとしている。たぶんフォルデはこういう話が大嫌いだからだろう。
「そんな時にイシス女王の紹介状を持ってそなたたちが城にやってきたのだから、正直我が城をひっくり返すような騒ぎになったぞ。うるさがたの石頭大臣どもはそれこそ国が滅びたかのようなうろたえぶりだったな」
 くっくと笑うポルトガ王を諌めるように笑顔でそっと叩きながら、ガブリエラが優雅に笑んで言う。
「そして結局、陛下が自らの眼でセオ殿を見定める、ということに落ち着いたのです」
「ケッ。眼で見定めるだぁ? そんなに簡単に人の性根が見抜けんなら世の中はもっとお気楽だぜ」
 フォルデが吐き捨てると、ポルトガ王はふんと鼻で笑ってみせた。
「命知らずもの知らずもいいが、限度をわきまえておくことだな。世の理を知らぬ身で無駄に噛み付いては恥をかくぞ」
「……んっだと!?」
「国王という職業には『相手の人間の本質を見抜く』という能力が備わっているのだ。人を知らねば国を治めることはできぬでな。そして、余は現在レベル29、達人級と言っても過言ではないレベルよ。いまだレベル20にも達しておらぬ勇者の本質くらい見抜けんでどうする」
「レベル29!? どうやってその年でそんなレベル……」
 フォルデが驚愕の声を上げる。ラグとロンも目を見開いているのをポルトガ王は楽しげに見やったが、セオの表情が変わらないのを見て取ったのか軽く肩をすくめた。
「セオ殿はご存知のようだな」
「えと、まぁ、一応。他国の勇者の情報は、国から自然に入ってきますし」
「おい、なんだよ、どういうことだ?」
「え、えっと……」
 セオはポルトガ王を見やり、王がゆったりとうなずくのを確認してから仲間たち全員に向かい言う。
「ポルトガ王は、勇者カルロスと、子供の頃からの幼友達でいらっしゃって、何度もご一緒に、冒険に出かけられたんだそうです。カルロスは一人、仲間を作れる勇者であられるから」
「幼い頃から共に魔物を倒してレベル上げができたというわけだ。王としての力をつけるためにレベル上げの旅に出たこともあったのでな、剣の腕も熟練の戦士にすら引けをとらぬ自信がある」
 セオは笑顔のポルトガ王の前でわずかに身を縮めた。やはりリカルド三世がその才ゆえに父王に疎まれ、気に入りの弟王子を王位に就けようと命すら狙われたので修行という名目でカルロスと旅に出て、レベル上げをしたその実力をもって父王を打ち負かし即位したという話はしない方がいいのだろう。
「まぁ、カルロスの旅の相棒の座は旅から帰ってきてからサブリナに受け渡したがな。サブリナも今や齢二十一にしてレベル25の高僧、呪いをかけられた際もカルロスを守ってくれた」
「いえ、私はそんな……結局カルロスから呪いを取り除くこともできていませんし」
「気に病むな、そなたのせいではない。……ともあれ、現在ポルトガの魔王対策担当者は勇者カルロスの呪い対策を考えることで手一杯だ。それは理解していただけただろうか」
「はい……」
 ポルトガ王の言葉におそるおそるうなずくと、王はじ、とセオを見た。こちらの心の奥まで見透かしそうな深い瞳で、低く告げる。
「そこで余は、魔王征伐のため、そなたに我らなりのやり方で協力しようと思う」
「……え?」
「そなたたちに、魔船を貸与する」
『!』
「魔船……ってなんだよ」
 思わず驚きに固まるセオとラグとロン、怪訝そうなフォルデ。ポルトガ王は悠々と笑ってみせた。
「魔船とは古代帝国より伝わる船体全体に魔力が付与された船。風がどう吹こうと、海流がどう流れようと、少人数でも自由自在に向かいたい方向に動かすことができる。手入れも不要。海水を飲める水にしたり転移の呪文へも対応済みであったりと、船旅をする者にはまさに至れり尽くせりの船よ」
「……それって、もしかしてすげぇもんじゃねぇのか?」
「ポルトガの国宝だ」
「マジかよ!?」
 セオたち同様に驚くフォルデ。ロンがじっと笑顔のポルトガ王たちを見つめ言った。
「魔船はポルトガ秘宝中の秘宝、勇者ですらそうやすやすとは使えぬと聞きますが。なぜそれを我らに?」
「現在バラモスを倒せる可能性があるのは、そなたたちだけだからだ」
「ポルトガを治める陛下としてはなんとしてもカルロス殿の呪いを解きバラモスを倒させたいところなのでは?」
「見損なうな、武闘家。余がたかだか国民に魔王を倒した者の名声を与えるために他国の勇者の足を引っ張ると思うのか?」
 一瞬で表情を鋭利なものに変えロンを睨むポルトガ王に(当然セオは泣きそうになって固まった)、ロンは平然と答える。
「配下の名声のためにはやらずとも、領土を安全かつ公明正大に拡大するためならばその程度のことはする方だと噂から判断したのですが、間違いでしたか?」
「……ふん。勇者の一味というのはどいつもこいつも遠慮なしにものを言う」
 不機嫌な口調だったが、顔はむしろ面白がっているように笑んだ。
「間違い、とは言わん。余には王としてそれなりの野心がある。自国の栄華を築くため、他国を傘下に収めたいとな。そのために自国の民を犠牲にする気はないのだから、私欲とは思わんが」
 なんだかすごく大変な話をしているような気がするのだが、とどうしていいかわからず困り果てながらロンとポルトガ王の顔を見比べる。ロンはずけずけと言った。
「ですが他国の民ならば犠牲にしてもいいとお思いなのでしょう?」
「まぁ、正直なところを言えばな。だが、我が親友であるところの勇者カルロスはそれを許さんと言い張りおる。自らの繁栄のために他者を犠牲にするなど断じて許さん、とな。まぁ考えなしで単細胞で猪突猛進な愚か者で共に旅をしていた頃には何度も面倒をかけさせられたとはいえ、余はこいつには大きな借りがある。曲がりなりにも一国の主が、そんな相手の言葉を無視するわけにもいかぬだろう」
 楽しげで穏やかで、なのにどこか切なげにポルトガ王は言いながらぽんぽんとカルロスの首を叩いた。カルロスはぶるる、と鼻を鳴らしながらかっぽかっぽと足踏みをした。確信はないが、たぶん照れ隠しなのではとちらりと思う。
「それに余は猛獣を前に夕食のパイの切り分け方を算段するほど愚かではない。人類に仇なすと宣言した相手が目の前にいるのだから、それを倒す算段も整っておらぬうちに人類同士で争うのは馬鹿馬鹿しいくらいのことは阿呆でも理解できよう。確かに魔王を倒す可能性が最も高い勇者に貸しを作っておきたいというくらいの思惑はないでもないが、少なくともロマリア王のように勇者を自国に引っ張り込むような真似はせぬさ」
「……ふむ」
「余はセオ殿には魔船を貸し出す価値があると思った。投資する価値があると見込めばできるだけの金をつぎ込む、商売の鉄則だ。それだけの単純な話にすぎぬよ」
 ポルトガ王はす、と立ち上がった。カルロスの鬣を撫でてやりながらテラスから下りる。
「今夜はこの城へ泊まっていくがいい。陽が落ちればカルロスは人に戻る。代わりにサブリナは猫になってしまうがな。そなたたちも魔王バラモスと相対した勇者に聞きたいこともあろうし、カルロスも話したがっておるようだ。このままそなたたちを帰してはカルロスに恨まれる。それに、余もセオ殿とカルロスがどのような話をするのか聞いてみたいしな」
「え……いいんです、か?」
「かまわぬ。今後の旅の予定などゆるりと聞かせ願おう」
 ポルトガ王はこちらに背を向けて去っていこうとする。セオがそれにこのまま見送っていいのかどうしようか泡を食って周囲を見回していると、柔らかい、だがよく通る声がかかった。
「お待ちを、陛下。先に魔船を貸していただくお約束をしたのは、私の方が先のはずです」
「……む」
 その時、初めて常に(こちらを睨んでくる時ですら)余裕たっぷりだったポルトガ王の顔がわずかだが焦ったような気がした。
 声をかけてきたのは、ゆっくりと中庭に入ってきているおそらくは二十代後半の女性。長い紅の髪を後ろで結び、豊満な胸を揺らしながらポルトガ王に歩み寄ってくる。
「……オクタビアか」
「はい、陛下」
 オクタビアと呼ばれた女性はどこか妖艶な微笑みを浮かべてひざまずく。ポルトガ王妃ガブリエラが、ぎり、と拳を握り締めるのが聞こえた。常に微笑みを絶やさなかったその顔に、わずかに皺が寄っている。
「オクタビア、言っておくが」
「わかっておりますとも、魔船を貸すとおっしゃってくださったのはしょせん口約束。それに魔王を倒すという大願の前にたかだか一商人の都合など斟酌している暇はありませんものね。もちろん承知しておりますわ」
「う、む」
「ですが、私、陛下から魔船を借り受ける時を心待ちにしていましたのよ? どれだけ晴れがましく、喜ばしいことか毎日毎日想像しておりましたの……」
「む、う……」
「ですから、陛下。その代わりというわけではありませんが、陛下から勇者殿たちにお申し付けくださいませんか?」
 オクタビアはにっこりと、優しげな、それでいてどこかしたたかな笑みを浮かべて言う。
「黒胡椒を取りに向かう私の隊商の、護衛をしてはくれぬかと」

戻る   次へ
『君の物語を聞かせて』topへ