ポルトガ〜バハラタ――2
 山道を歩きながらセオは小さく息をついた。こうも険しい山を登るのは初めてなので、少しばかり足が痛い。
 だがこの七ヵ月半ほぼ毎日長距離を歩いてきたのだ、この程度でへこたれるわけにはいかない。それに今の自分は隊商の護衛役なのだ、気を抜いて魔物に教われたりしたらそれこそ申し訳が立たない。
 そうか、もう七ヵ月半になるんだなぁ、とセオは一瞬回想する。セオの誕生日が四月一日だから、もう十一月も半ばを過ぎている。旅立った時はまだ春だったのに、季節は秋から冬へと変わっていこうとしているのだ。
 そしてあと一ヶ月と少しで、年が明ける。そう考えるとずいぶん長く旅をしてきたんだなぁとしみじみとしてしまう。
 といってもまだ旅の終わるめどは少しも立っていない。魔王と相対できるほどのレベルに自分は達していないし、魔王の居城に向かうためのオーブだってまだひとつも手に入れていない。まだまだ先は長い、自分などの力では邪魔になるかもしれないけれど、少しでも早く旅を終わらせるために努力しなければ。
 自分のそばにいてくれる、優しい人たちを早く解放しなくてはいけないのだから。
 そう考えて一人ずぅん、と沈み込んでからなにを考えてるんだと首を振る。世界を危機から少しでも救うために、無駄に死ぬ人や魔物を少しでも減らすために、全力で努力をするのは当然のことではないか。なにを沈み込んでいるのだろう、本当に自分は馬鹿だ。
 そのためにも今は護衛を頑張らないと、とぐっと拳を握り締めて気合を入れ直していると、突然隣で「あっ……」と小さく声を上げて人がよろめいた。
「だっ、大丈夫ですかっ?」
 さっと素早く支えて声をかけると、その人は弱々しげに微笑む。
「ええ、大丈夫です……ただ、少し足が痛くて。普段は街で商売をしているので、こんな険しい道を歩くことがないので……」
「そうなんですか……あっあのっ、俺でよろしければリホイミかけましょうかっ?」
「いえ……あの、よろしければ。おぶっていただけません?」
「え?」
 セオはきょとんとした。そんなことをしたらとっさの時に対処が遅れてしまうのではないだろうか。そもそも自分などに負ぶわれてはこの人が嫌な思いをするのでは。
「あの……」
「セオさまがお嫌なら無理にとは申せませんけれど、私を哀れと思し召してくださるのなら、どうか……」
 ふらりとこちらによろめいて、ぎゅっと腕をつかみ抱きつくように体を寄せてくる。ああそんな風に思っているのなら断ったらこの人に嫌な思いをさせてしまう、とセオは顔を歪め、うなずいた。
「あの、俺で、よろしければ」
「あなたがいいんです。どうか、よろしくお願いしますね?」
「は、はい」
 うなずいて背を向けしゃがみこむと、相手はすっと背中にもたれかかってきた。その量感のある胸がぎゅうっと背中に押し付けられる。
 この人は本当に、どうしてこんなに自分に体を押し付けてくるんだろうなぁ、と内心首を傾げながらセオは彼女を背負って立ち上がった。実際この女商人――オクタビア・サーデは(セオなどがそんなことを考えるのは不遜だとはわかっているのだが)よくわからない人ではあったのだ。

「隊商の護衛、だと?」
「ええ。勇者殿にぜひともお願いしたいのです」
 セアゴビー城の中庭で、ポルトガ王にオクタビアは笑顔で言った。
「しかし……なぜ、そのようなことを。護衛ならば勇者殿に依頼せずともお前の隊の稼ぎならばいくらでも」
「それはそうですけれど、勇者殿以上に心丈夫な護衛はいらっしゃいませんわ。信頼度も信用度も申し分なしですもの」
 優雅に笑いながら言うオクタビアに、ポルトガ王妃であるガブリエラは眉間に皺を寄せていた顔を笑顔にして言った。
「オクタビア、少しは恥というものを知ったらどうです? 他国の勇者殿の前で王にわがままを言うなど、無作法にもほどがあるのではなくて?」
「あら、王妃様。これは失礼をいたしました。ですけれど私は商人。人からどう見えるかなどを気にしていてはやっていけない時もあるのですよ。気位を高く持ちすぎて夫の寵愛を失った本妻のようにはなりたくありませんもの」
「………っ!」
「オ、オクタビア!」
 ポルトガ王が今までになく狼狽した声を出す。不穏な空気を察知してびくびくと周囲を見回していると、オクタビアは優雅な笑みを崩さないままセオに話しかけてきた。
「セオさま? どうか、私の願いを聞いてくださいませんこと? 私と一緒に、バハラタまで行っていただきたいのです」
「え、あの、え?」
 セオは突然話しかけられてわたわたと慌てふためく。黒胡椒はバハラタの特産。つまりこの人はバハラタまで自分たちに護衛をしてほしいと言っている、のはわかる。
 でもその意志をなんで自分にだけ確認するのだろう、とわけがわからないまま訊ねるようにラグとロンとフォルデの顔を見渡す。ラグは困ったような顔で、ロンはあからさまに顔をしかめ、フォルデは戸惑ったような顔をしている。
「あ、あの、みなさんは、どう思いますか?」
「……君はどう思うんだい、セオ?」
「え、えと、俺は……魔船を横取りしちゃうのも申し訳ないですし、バハラタは魔物たちの強さを比べても次に行く場所としては妥当ですし、ルーラで行ける場所を増やしておくのもいいと思うから、受けても、いいんじゃないかなって思うんですけど……」
「ありがとうございます、セオさま。本当に評判通り、お優しくていらっしゃるのですね」
「え、いえ、そんなことは」
「……陛下。わたくしも賛成いたしますわ。この者の護衛、勇者殿にお願いしてはいかが?」
「む、う……」
「勇者殿ならばこの者を引き受けるだけのお力はお持ちでしょうし……なにより。わたくし、侮辱をそのまま聞き捨てにしておくほどの意気地なしではありませんの」
「う……」
「それとも、あくまでこの者を手元に置いておきたいとお考えなのですか?」
 にっこり笑顔で言うガブリエラ。ポルトガ王は苦りきった顔で、首を振った。
「いや。……わかった。セオ殿、すまんが頼めるだろうか。ポルトガ国府からの正式な依頼というわけにはいかんが、ある程度ならば報酬も用意できる」
「え、えと、あの。みなさんはどう思いますか?」
「……非公式とはいえポルトガ王からの依頼となれば、受けないわけにはいかないだろうね」
「まー……ちゃんと報酬が出るっつーんなら、別にいいけどよ」
「俺も異論はない。ですが、ポルトガ王? 魔船を貸与していただけることは非常に感謝しておりますが、その借りは借りとして、これは貸し、ということでよろしいですね?」
「ふん、わかっておる。まったく……勇者の仲間というやつは、本当に遠慮がない」
 ロンのよく意味のわからない言葉に、ひどく面白くなさそうな顔で、ポルトガ王はうなずいたのだった。

 険しい山道の中腹に、その道はあった。隊商の人々は荷物を背負ったラバを引きながら、セオはオクタビアを背負いながら岩陰に隠れたその道に入る。
「すいませんセオさま、下ろしていただけます?」
「あ、はい」
 セオはもとより(オクタビアの要望で)オクタビアと共に先頭を歩いていたので前に出る行動に遅滞はない。すりすりっと体をすり寄せながらセオの背から降りるオクタビアに、本当になんでこんなに体をくっつけてくるんだろうなぁ、と思いながらもきちんと護衛の任を果たすべく右側に並んで立つ。
 暗い道の奥、ぼんやりとヒカリゴケが輝く通路の突き当たりに、洞穴が広がっていた。洞穴といっても湿っぽさはなく、快適に過ごせるように岩の間仕切りやら絨毯やら家具やらが具合よさそうにしつらえてあり、暖炉には炎が入り赤々と洞穴の中を照らしている。本で読んだ通りの、大地の妖精ホビットの住まいだ。
 オクタビアはその入り口に立って、大声で呼ばわった。
「ホビットのノルド殿! ポルトガ王の代理人としてお願い申し上げます。バーンの抜け道の通過をお許しくださいませ」
「……またか。面倒な」
 体の底に響くようなずっしりと量感のある声。それが奥から聞こえてきたかと思うと、岩陰からするりと身長四尺と少しぐらいの人影が姿を現した。
 子供のような背の高さだが、子供にはありえないがっしりとした筋肉と豊かな髭をたくわえている。初めて見る、彼がホビット。
 ドキドキしながらホビット――勇者カルロスと共に旅をしていた頃からのポルトガ王の友人であり、今もその親交のために王が特に許可を出した隊商にだけアッサラーム地方とベーラシア地方を隔てる大山脈、ゼグザロス山脈を通り抜ける抜け道を通ることを許している大地の妖精族、ホビットのノルドを見つめていると、ふいにノルドがこちらの方を見て眉を寄せた。
「そのサークレット……あんた、勇者か」
「え、はい、あの、一応、そう、です……」
「ふん。勇者というやつはどいつもこいつも同じだな。世界の平和のためになら人の家にずかずか上がりこんでも問題ないと思うている」
「ごっ、ごめんなさいっ、あの」
「……挙句の果てに魔王の城なんぞに乗り込んで、呪いをかけられ畜生に落とされるとは。身の程知らずにもほどがあるというものだ」
「あっ、あのっ!」
「なんだ」
 ぎろり、とこちらを睨み上げるノルドに、セオは必死に主張した。
「あの、俺は本当に、どうしようもなく身の程知らずだってわかってますから、当然だと思いますけど、無理に、カルロスさんのこと、悪く言うようなことしないでもいいんじゃないかなって、思うんですけど。あんなに、立派な方なんですし」
「……ふん。立派? あの小僧がか。勇者だなんだともてはやされていい気になって、結局魔王を倒すこともできず腐っておる血の気の多い愚か者であろうが」
「あの、ごめんなさい。俺、こんなこと言うの、ぶしつけだってわかってますけど。無理して大切な人のこと悪く言って、自分を傷つけるようなこと、したらあなたの大切な人たち、悲しむんじゃないかなって、思うんですけど……」
「……ふん」
 ノルドは面白くなさそうに鼻を鳴らし、こちらに背を向けた。
「お前のような小僧に言われる筋合いはないわ。……ついてこい、抜け道に案内する」
「ありがとうございます、ノルド殿」
 オクタビアがにっこり笑ってセオをちらりと見やる。セオは慌てて背を向け、再びオクタビアを背負い歩き出した。
 居心地のよさそうに整えてある洞穴を通り抜けながら、セオは「……そんなこと、言われんでもわかっておるわ」とどこか寂しげにノルドが呟いたのを聞き、自分などが言うことではなかったと少し落ち込んだ。
 けれど、無理をすることはないのではと思ったのは本当なのだ。カルロスという勇者のひととなりを、セオはわずかなりとも知ったのだから。

 ポルトガで、オクタビアとのやり取りを終えたセオたちは、湯を使い、用意された品のいい(しかし実用的な)服に袖を通して晩餐に出席した。こちらの意を酌んでくれたのだろう、出席したのは自分たちとポルトガ王夫妻、まだ幼く王妃に面倒を見られつつ食事に集中していたその王子とあと二人ぐらいのものだった。
 そしてそのあと二人というのが、勇者カルロスと猫となったその妻サブリナだったのだ。
「あんたがアリアハンの勇者、セオ・レイリンバートルか!」
 侍女に先導されて食堂に入るやいなや、大声で怒鳴られてセオはびくりとした。ずかずかとこちらに近づいてくる声の主は、ポルトガ王より少し低いぐらいの背をした、同じくらいにがっちりとした男だった。口髭を生やしているが、顔はさほど年を取っているように見えない。確か年齢は二十九歳のはずだったが、まだ二十代半ばではないかと思われるほどの若々しさだった。
「あ、あの、はい、あなたは……」
「俺はポルトガの勇者、カルロス・アリアーガだ! 会えて嬉しいぞ、セオ殿!」
 がっはっはと笑いながらばしばしと背を叩かれて、セオは目を白黒させる。フォルデがじろりとカルロスを睨んだ。
「おい、あんたな、てめぇがどんだけ偉いと思ってんのか知らねーが」
「おお、お前がセオ殿の仲間の盗賊、銀星のフォルデだな! 生意気そうな面構えをしている!」
「な……」
「けっこうけっこう、勇者の仲間はそれぐらいの気概がなくてはな! 魔王を倒すため精進するのだぞ!」
 そう言ってまたがっはっはと笑いばしばしとフォルデの背を叩く。どうやらこの人は、話しながら背を叩くのが常態らしい。
「てっ、いてーよっ!」
「おお、すまんすまん! ふむ、それでそちらの戦士がラグで武闘家がロンだな? どちらもよい腕をしているな、気配でわかるぞ! 経験の足りない仲間たちを守って頑張ってくれ!」
「は、はぁ……」
「むろん、そうさせていただきますよ。あなたの腕にはとうてい及ばぬ程度の力ですが、俺たちなりにね」
「うむ、そうしろ!」
「こら、カルロス。晩餐の前にぎゃあすか喚くな。セオ殿たちが驚いているだろうが、この常時無神経猪突猛進男が」
 ポルトガ王が最奥の席から呆れたように言ってくる。カルロスはむっとした顔でそちらを睨んだ。
「なんだと、リカルド! せっかく俺が若い勇者を激励しているというのに!」
「だから喚くなと言ってるだろうが、このスカポンタン。お前の激励は暑苦しくて鬱陶しいんだと何度言えばわかる」
「リカルド、貴様、俺に喧嘩を売っているのか! 久しぶりに一戦やるか!?」
「他国の勇者殿の前で自国の恥をさらす気か? 王と勇者が殴りあいをしたなんぞと噂が立ったらどうする」
「むぐぐぐ……」
 顔を赤くして童顔を歪め唸るカルロスに、ポルトガ王は笑った。
「まぁ、せっかく勇者が二人も揃った晩餐なんだ。喧嘩するよりは仲良く飯を食った方がいいと思わんか?」
「うむ! それもそうだな!」
 カルロスは笑顔になって王妃ガブリエラの向かい、ポルトガ王の隣の席に座る。なんだかよくわからないが、ポルトガ王と勇者カルロスがとても仲がいい、ということはわかった。
 侍女の案内に従い席に着くとさっそく食事が運ばれてくる。前菜を赤ワインと共に口に運びながら、ポルトガ王が余裕の表情で言った。
「さて、セオ殿。まず、そなたからカルロスになにか聞きたいことはないか?」
「あ、えと……その」
 セオはびくりとしてきょろきょろと周囲を見回した。確かに彼には聞きたいこと、聞かなければならないことがいくつもある。だが他にも聞きたいことがある人がいれば、自分などより優先されるべきだろう。
「あの……先に、みなさん、お聞きしたいことがあれば……」
「は? 俺は別に」
「なんだなんだ、はっきりせん奴だな! そのように仲間の後ろに隠れていては、勇者の名折れだぞ!」
「ごっごめんなさいっ、俺がこんな馬鹿なせいで」
「こら、カルロス。お前のように無駄に前に出る勇者とセオ殿を一緒にしてどうする。セオ殿のパーティにはただでさえ前線要員が多いんだぞ?」
「うむ、それもそうだな! あっはっは!」
 豪快に笑うカルロスに、セオたちは目をぱちくりさせた。これまでの旅でセオの醜さを蔑む人もいれば無視する人もいた。だが見咎めておきながら、こうも元気に笑い飛ばす人がいようとは考えもしなかった。
「ふむ、そうだな。とりあえず魔王と会った時のことは聞いておくべきじゃないか?」
「そうだな。カルロスさん。魔王バラモスと会った時のことを詳しく話していただけませんか?」
「うむ、そうだな……」
 カルロスが真剣な表情になる。セオたちも居住まいを正してカルロスを見つめた。
「バラモスは、顔はカバに似ていたな」
『…………』
「そうなんですか……」
「うむ、でっぷりと太った体、口のでかさ、体毛の生え具合といい体色といい頭の形といいカバそのものだった!」
「……阿呆かーっ!」
 フォルデが怒鳴り、ラグがなにか言いたそうで言えないという顔をし、ロンがくっくと笑う。感心して聞いていたセオはカルロスと一緒に目をぱちくりさせた。
「あの……フォルデさん……」
「どうした、食事中にカッカしては消化に悪いぞ。そのような心構えで旅ができるか。常在戦場、いついかなる時も戦いを忘れずにだな」
「あんたは阿呆か! そーいうこと聞いてんじゃねーだろ! 魔王の顔がなにに似てるかとか聞いてどーすんだ!」
「なにを言う。相手の顔がなにに似ているかは大事なことだぞ! あらかじめ聞いておけば心構えができるだろう。俺はバラモスと相対した時カバそっくりだと思って吹き出してしまったゆえ反応が一瞬遅れたのだからな!」
「……マジか?」
「うむっ! 思い返しても口惜しい、あの遅れがなければせめて一太刀は浴びせられたものを……!」
『…………』
 悔しがっているカルロスに、フォルデは頭を抱えた。
「これが勇者でポルトガ大丈夫なのかよ……」
「まぁ、こいつは根っからの阿呆だが、底抜けの阿呆だからこそできることもある。それゆえに勇者の力を得たのだろうよ」
 にやにや笑いながらポルトガ王が言うと、カルロスはぎっとその大きな瞳でポルトガ王を睨みつける。
「リカルド! お前、また俺を馬鹿にしたな!?」
「馬鹿にしたわけではない。事実を言ったまでだ」
「そうか。ならば、よし!」
「いいのかよ!?」
「あの……カルロス、さん」
「おお、なんだセオ!」
 にかっと笑顔を向けられて、セオは少し戸惑いつつも訊ねた。
「あの、カルロスさんは、なぜ相手がバラモスだとわかったん、ですか? 相手が名乗ったんですか?」
「ん……うむ。そうだ。唐突に現れて呪いをかけ、俺が馬に変じていく姿を見て笑う敵の姿を見てサブリナが忘我の状態で何者かと問うと、彼奴は答えたのだ。『我は魔王バラモス。この世界の破壊の尖兵』と」
「そのあとは、バラモスはどう、行動を……?」
「うむ……どうだったかな。えーと、確かふらふらと身構えるサブリナを見て、なにやら顔をしかめ、怪しげな呪文を唱えて姿を消したのだったと思うぞ。まったく、呪いをかけた上に逃げ出すとは卑怯な奴よ!」
「その状況で逃げたって考えるかよ、フツー」
「……あの、呪いをかけてきたバラモスの様子とか、どんなものだったかわかり、ますか?」
「むぅ……唐突に現れて一瞬俺が気を取られた隙に、凄まじい速さで呪文を唱えて俺に呪いをかけたからな。よくは覚えていないのだが……確か、かったるそうだったように思う」
『…………』
「かったるそう……ですか?」
「うむ。なんというか、面倒くさそうというか。いかにもやっつけ仕事をしているというような顔をしていたな」
「……カバみてーな顔の相手の気持ちとかはたから見てわかんのかよ?」
「お前はわからんのか?」
 真面目な顔で聞かれて、言葉に詰まるフォルデにポルトガ王がやはり真面目な顔で言う。
「こいつは頭が悪いが、その分勘は恐ろしく鋭い。こいつがかったるそうというのだからおそらく、バラモスは本当にかったるかったのだろう」
『…………』
「なんだよ。じゃあバラモスっつーのはなにか? 実は世界征服やる気ねぇのか?」
 困惑と怒りを等分に混ぜ込んだ声音でフォルデが言う。セオはおずおずと首を傾げつつそれに答えた。
「やる気がない、というか……もしかしたら、バラモスにとっては世界征服と、いうのも暇つぶしや退屈しのぎにすぎないの、かもしれません。いつでも世界征服できる、と思っているのかも」
「……それほどの力を持っているってことかい?」
「本当のところは、わかりませんけど……」
「そうだな。バラモスがかったるそうだったというだけで力の程や性格まで推し量るのは危険だろう。……まぁ、魔王にかったるそうという言葉はどうもそぐわん気がするのは確かだが」
「だよな。しかも勇者に呪いかけるなんて魔王にだって大仕事なはずだろうし」
「魔王っていったいなに考えてんだ。そもそも城の前まで来た奴になんで呪いかけるなんて悠長なことすんだよ。普通そこまできたら戦うしかねぇだろーによ。勇者だって二度と復活できねぇように殺すことだってできんだろ?」
 セオはこくんとうなずく。それはフォルデたちにも説明していたことではあった。
 勇者の特殊能力のひとつ、安全な蘇生。普通の魔物ならまだしも、世界を征服せんとする魔王ともあろうものがそれに対処する方法を知らないとは思えない。さもなければ即座に世界中の教会を滅ぼさない限り最終的には勇者に倒されてしまうのだから。
 人間の知識ですらいくつかその力を封じる方法はあるというのに、魔族の王がそれを知らないなど笑い話にもならない。
「遺体を完全に消滅させたり、灰にして海に撒いたり、細かく引き裂いて肉片をすべて別々の獣に食わせたりすれば、勇者でも二度と復活はできない、って言われてます……」
「呪いをかけるよりそちらの方が安全確実、というか呪いをかけて力を封じたんなら普通はそこで殺すよな……」
「あーくそ、わけわかんねー」
「まぁ、その件に関しては我らもここ一ヶ月討議を繰り返して結論が出なかったのだ。今考えて結論が出るものでもないと思うぞ?」
「うー」
「ふむ」
「そうですね……無理に考えない方がいいのかもしれない」
「…………」
 セオは一度、うつむいた。バラモスがなぜかったるそうだったのかについてはいくつか理由は思いつくが、推論を今ここで口に出して不安を呼ぶわけにもいかない。本当のところはバラモスに聞いてみなければわからないのだから。
「……あの、カルロスさん。バラモスのだいたいの強さとか、見当がつかれたらお教えいただきたいんですけど」
「おお、強さか! そうだな……威圧感からして、俺が十人もいれば倒せるだろうと思った」
「……それじゃあんたら真正面から戦っても勝てなかったんじゃねぇか」
「うむ! しかし俺は負けん! 一度は負けたとしても修行してもっと強くなっていつかは勝つ! セオ、魔王バラモスの首を取る偉業、俺は決して諦めたわけではないぞ!」
 目を輝かせながら言うカルロスに、セオはわたわたと頭を下げる。
「えと、あの、はい。頑張ってください」
「うむっ!」
「応援してどーすんだ阿呆かてめぇはっ!」

 なぜ怒られたのか、セオはいまだによくわからない。勇者カルロス。彼はセオにはひどく眩しいというか、立派な人に思えた。彼にはあの人ならば魔王を倒してくれるのではないかと人に期待させる力があった。勇者の力というよりは、彼の人柄によるものだろう。人によってはそれを器と言うかもしれない。
 だから彼が魔王を倒すならそれでもいい、というのは確かなのだ。セオの個人的なわがままなど、この際問題にはならない。なるわけがない。
「おい、セオ。ぼーっとしてんじゃねぇよ」
「っ」
 セオははっとして周囲を見回した。いつの間にか手が止まっているのを、仲間たちに注視されている。
「ごっ、ごめんなさいっ」
 慌ててスープをがふがふと口に運ぶ。バーンの抜け道を通り一日でゼグザロス山脈を越え(普通の旅人が通る山道より距離が短いのみならず地霊の働きで高速で移動できるようになっているらしい)、ベーラシア地方へやってきて、もう一週間経っていた。歩く道も山道から街道に戻っているから、バハラタへの道程も半ばを過ぎる頃だろう。
 今のところ護衛の仕事は順調だ。隊商の人間にも荷にも被害は出ていない。魔物がさほど出てこないせいもあるのだろうが。アッサラームからイシスに向けて旅する時もそうだった。やはり文献にあった通り、勇者の普通より魔物と出会う確率が高くなる力は他者を巻き添えにしないようにできているのだろう。
 だからといって気を抜いていいことにはならない。しっかりしなきゃ、とぎゅっと拳を握り締めていると、ふいにラグが「あー……」と言っていいものかどうか迷っています、というような声を出した。
「セオ。君、大丈夫かい?」
「え……あ、はい、体はどこも、悪くない、ですけど?」
「いやそういうことじゃなくて、まぁそれもだけど……」
「なんつーか……あの女に妙なことされてねーだろうなお前って聞いてんだよ」
 顔をしかめて苛立たしげに言うフォルデに、セオは困惑した。あの女というのは、隊商にいる女性はオクタビアだけだから、彼女のことを指しているのだと思うが。
「あの、はい、されて、ない、です」
「……本当に?」
「はい……その、ごめん、なさい……」
「ならなんで謝んだてめーはっ」
「ごめっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいーっ」
 ぐりぐりと頭をいじめられてセオがひたすらに謝っていると、柔らかい声がセオの名を呼んだ。
「セオさま。よろしければ、食事をご一緒しませんこと?」
 オクタビアだ。体の線の出るぴっちりした服をまとって、静々とこちらに向かい歩いてくる。
「え、あの、その……俺なんかと一緒で、ご迷惑じゃ、なければ……」
「迷惑だなんてとんでもない。セオさまとご一緒に時を過ごすことができれば、望外の幸せですわ」
 オクタビアはするりと自然な動きでセオのそばにすり寄る。セオもするりと間を空けた。
 オクタビアはいつも、歩いている時も休憩中も自分の方に近づいてくる。自分の占有している場所に行きたいということなら、はっきり自分に邪魔だと言ってくれればいいのに、といつも思うのだが、オクタビアは常に笑顔ですり寄ってくるので隊商の和を乱すわけにもいかず口には出せない。
 こうも自分が邪魔なのならどうして自分たちに護衛を頼んだんだろう、などとちらと思うこともあるが、そもそも自分などをそうも意識されていると思うこと自体思い上がりのような気がして深く考えることはしなかった。勇者という名だけが必要だったのかもしれないし、ラグたちの力を見込んでのことかもしれないし。
 オクタビアは今日は徹頭徹尾自分を追い払いたいらしく、空けた間合いをすぐに詰めてくる。セオは急いで間合いをまた空けた。詰めてくる。空けた。詰めてくる。空けた。
「……あークソ鬱陶しい! おい、お前らちょろちょろ動いてねぇで座って食え!」
「あ、はいっ、ごめんなさいっ」
「セオ、こっちにおいで。俺たちの間で食べればいいよ」
「え、あの、いいんです、か……?」
「もちろん」
「……別にかまやしねーよ。しっかり飯も食わねーで動き回られる方が鬱陶しい」
「う、ご、ごめん、なさい……」
「別に怒ってんじゃねーんだから謝ってんじゃねーよボケッ!」
 フォルデに叱られながらセオはラグとフォルデの間の席に入る(ロンは現在見張り中だ)。優しくされているような気がして、嬉しくなって顔が緩む。
 オクタビアは笑顔のまま、なぜか怒りのような視線で自分を見つめていたが、彼女が自分を嫌っていることは自明なのでいまさら落ち込みはしなかった。
 それにオクタビアがどういう人間かについては、カルロスから聞いていたし。

「どうした、眠れんのかセオ」
 寝室から繋がっていたテラスで月を見ていると、ふいにそう声がかけられた。振り向くと、そこに立っているのはカルロスだ。
「あ……ごめん、なさい。うるさかった、ですか?」
「こら、セオ。男児たるものがそう簡単に謝ってはいかん」
 怖い顔をされ、セオは少しびくつきながらまた頭を下げた。
「ごめんなさい……俺、鬱陶しいです、よね」
「む? 奇妙なことを言うな。謝ってはいかんのと鬱陶しいのと、どう繋がるのだ?」
 真剣な顔で首を傾げるカルロスに、セオは戸惑いながら訊ねる。
「あの……謝ってばっかりだと、謝罪の言葉に重みが、なくなるし卑屈なところが苛々する、ってよく言われるので……そうなんだろうなって」
「そうなのか? むう、よくわからんがお前は謝るのが好きなのだな」
 そういう言葉が返ってくるとは思わなかった。セオは戸惑いながらも首を振る。
「え、いえ、別に好きというわけでは……」
「む? ではなぜ謝るのだ?」
「あの、俺って本当に情けない、馬鹿でみっともない奴でしょう? 本当に生きてるのが申し訳ないくらいで。だから、少しでも他の方の邪魔にならないように、って思ってるんですけど、俺馬鹿だからうまくできなくて。それが申し訳なくて申し訳なくて、謝らずにはいられ、なくて」
 カルロスは黙ってそれを聞いていたが、セオの言葉が途切れたとたん満面の笑顔で言ってきた。
「そうか。よくわからんが、頑張れ!」
「……は、はいっ!」
 セオは思わず姿勢を正して答えてしまった。なんだかよくわからないが心臓が熱い。いい意味で気持ちが昂ぶっている、こんな感情久しぶりだ。この人はやっぱりすごい人なんだ、と実感していた。
 それから少しお喋りをした。お互いの生い立ち、得意分野、どんな旅をしてきたか、しているか。
「カルロスさんは、国王陛下と仲が、いいんですね」
「うむっ、親友だからな!」
 笑顔でカルロスはうなずく。セオは他人事ながら嬉しくなって頬を緩めた。
「立派な方です、よね。まだお若いのに、臣下の方々からすごく敬われていらっしゃるみたいですし」
「いや、奴はそう立派でもないぞ?」
「え……」
「底意地が悪いし野心家だし女好きだしな。俺にいつも意地悪を言うし、隙があれば少しでも領土を拡大しようとする。ロマリアに戦争を仕掛けようとしたことすらあるのだぞ、あいつは。俺がぶん殴って止めさせたがな」
「は、あ……」
「その鬱憤晴らしのつもりか、王妃がいるのにちょっと気に入った女がいるとすぐに手を出す。まったく大たわけだと思わんか。オクタビアもそうだ」
「そうなん、ですか?」
「うむ。あの者は城に出入りしている御用商人の娘の一人だったのだが、王に近づいて誘いをかけてきてな。その誘惑にあっさり乗ったせいで、鼻面を引き回されて利用されている」
 憤慨した顔になるカルロスに、おそるおそるセオは訊ねる。
「あの、利用って、具体的に、はどういう……?」
「そうだな、隊商をひとつ任せることにさせられたり。王家所有の船を格安で提供させられたり。他にも資材やらなにやら……よくわからんが。リカルドは正当な取引だ、利益は予想以上に上げているのだから問題はないと言っていたが、だからといって王妃がいるのに他の女に目を向けて金まで出してやるなぞよくないとは思わんか」
「え、と……はい」
 カルロスが、ぐいっとこちらを向き、顔をのぞきこむようにして言う。
「セオ、気をつけろよ。オクタビアは自分の損になることは絶対にしない女だ。絶対にお前を利用してどうにかしようとする腹に違いない……とサブリナが言っていた」
「え……でも、俺なんかを利用して、なにか得なことがあるんです、か?」
「うーむ、どうだろうな? そこらへんは聞いていないのでよくわからんが。まぁサブリナがそう言うのだから利用するつもりなのは間違いない。よくわからんが、気をつけろ」
「あ、はい、ありがとう、ございます」
 頭を下げると、カルロスは笑顔でうなずく。
「うむ、素直でよい。リカルドときたら俺が同じようなことを言ったら『女を一人しか知らんお前に女のことで説教されるいわれはない』などと偉そうな顔で抜かしたのだぞ! まったく、今思い返しても腹立たしい!」
 言いながら怒った顔になりぶんぶん逞しい腕を振り回すカルロス。セオは思わず目をそばだてた。
「? なんだ、セオ」
「いえ……あの、なんていうか」
「はっきり言ってみろ。男だろうが」
「いえ、その。えと……お気に障るかもしれないんですけど」
「そんなもの聞いてみんとわからん。言ってみろ」
「あの、なんていうか。お二人はお互いのことがすごく大切なんだなぁと思ったというか……」
 カルロスは目をぱちくりとさせて、それから磊落に笑った。
「親友だからな。子供の頃からのつきあいだ、たとえあいつがどんな馬鹿な真似をしても見捨てはせんさ。あいつが馬鹿をやろうとしたら全力で止める。あいつもきっとそう思っているだろう。まあ、あいつの考える馬鹿は当てにならんがな」
「どうやったら、そんな風になれるん……ですか?」
「む? そんなもの、お互いを想う心があれば簡単だろう」
「簡単、ですか?」
「うむ! あとはそれを行動で表すことだな! 俺はそのためにも、世界のためにも一刻も早く呪いを解いて魔王を倒すぞ!」
 そう言って勇者カルロスはやはり磊落に笑った。

 お互いを想う心。それを自分たちは持っているだろうか。自分と、仲間たちは。
 自分が彼らを想う心はあの人たちを振り向かせるに足りているだろうか。あの人たちが自分を大切に思ってくれているのは確かだろうけれど、それは自分を友と認めてくれていると受け取ってもいいのだろうか。
 あの二人を、カルロスとリカルド王を見てから何度もそんなことを考えている。自分などが誰かの友になるなぞおこがましいのはわかっている、けれどどうしても夢を見てしまう。自分たちもあのくらい親しくなれたら、などと羨ましがってしまうのだ。
 なに考えてるんだ馬鹿、と首を振って自分を罵る。自分などがあのくらい信頼してもらえるわけがないじゃないか。この期に及んで、まだ魔物を殺したくないと、お互いに生き延びる方法を全力で探してしまう自分が。
「セオ、どうしたんだい? さっきから百面相してるけど」
「え! いえ、あの、なんでもないです、ごめんなさい」
 慌ててセオは荷物の整理を再開した。今日は久しぶりに宿屋に泊まっている。街道筋にある宿場町のひとつ。ここまでくればバハラタはもう少しだと隊商の人々が言っていた。
 最後まで気を抜かないようにしなくては、と思うものの久しぶりにお湯を使ったりベッドで眠ったりできるのはやはり嬉しい。交代で湯屋に向かい体はさっぱりとした、夕食もとった。あとは荷物の整理をして、明日に備えて寝るだけだ。よけいなことはあまり考えないようにしなくては。
 と、コンコン、と部屋の扉がノックされた。
「はい!」
 慌てて立ち上がり扉を開けると、そこには隊商の人が立っていた。セオと目が合うとにっこりと笑む。
「すいませんセオさま、ちょっとこちらへ」
「はい……」
 オクタビアの影響で隊商の人々は自分のことをセオさまと呼ぶ。やめてくださいと言うのも厚かましいような気がして、いまだ訂正はできていなかった。
「オクタビアさんがお呼びなんですよ。すいませんが、あの人の部屋に行ってもらえませんかね?」
「あ、はい」
 セオはなんの用だろうと思いながらもうなずいて、ラグに「ちょっと、行ってきます」と声をかけてからオクタビアの部屋へ向かった。むろん護衛として誰がどこの部屋にいるかは頭の中に入っている、迷いはしない。
 コンコン、とオクタビアの部屋の扉をノックする。「どうぞ」と妙にしっとりと艶めいた声が返ってきたので、「失礼します」と言ってから中に入った。
 部屋の中は暗かった。この辺りでは明かりをつける魔道具がまだ普及していないのだろう、絞られたランプの明かりがうっすらと部屋の中央に立つ女性、おそらくはオクタビアをぼんやりと照らしている。
「あの、なにか、ご用でしょうか?」
 訊ねると、人影はしめやかな声で「こちらへ……」と囁いた。オクタビアの声だ、と確認し、セオはゆっくりとそちらへ近づく。
 近くに寄ると、オクタビアの姿がはっきり見えてきた。薄絹の長衣を一枚まとっただけの人によってはしどけないと思いそうな姿。寝るところだったのかな、と少しばかり恥ずかしくなりながら、セオはなぜか瞳を潤ませているオクタビアの前に立つ。
「なにか、ご用でしょうか」
 そう言うと、オクタビアはぽろりと涙をこぼした。セオは仰天して、おろおろとオクタビアに訊ねる。
「あの、オクタビアさん、どうなさったん、ですか? どなたか呼んできましょうか?」
 なにか悩みでもあるのだろうか。自分などで力になれるならなりたいが、嫌っている人間になどこの人は頼りたくないだろう。そう思い提案すると、オクタビアはばっとセオにしがみついてきた。
「わ、オクタビア、さん!?」
「ひどい……ひどいですわ、セオさま。あなたは、私の心を少しも考えてくださらないのね」
「え? あの、心って」
「よろしいのです、わかっていますわ。あなたが私を嫌っていらっしゃることは」
「え、いえ、そんな嫌ってなんか」
「嘘はおやめになって。あなたはいつも私を避けてばかり。私がどんなに近づいても、すぐお逃げになってしまう」
「え、逃げるって」
「考えてみれば、私のような女をセオさまが受け入れてくださるはずがなかったのです。セオさまに想ってくださることは諦めました。けれど、せめて……」
 むにっ、と豊かな胸をセオに押し付け抱きつき、すがるような瞳で。
「せめて、一夜のお情けを……」
 オクタビアの唇が近づいてくる。状況がつかめず呆然としていたセオは、唇が触れる一瞬前に我に返って「わっ!」とオクタビアを振りほどき身を引いた。
「………。セオさま、つれないお方。あなたは私を哀れだとも思ってくださいませんの?」
 またするりと近づいてくるオクタビアに、セオはあわあわしながらまた間を空け、ぶるぶると首を振って叫んだ。
「そういうのは、やめた方がいいと思います! 好きでもない人に、キスとか、するの!」
「私の気持ちをお疑いなの?」
「お疑いっていうか、オクタビアさん、俺のこと、嫌いでしょう? なのに無理して、そんなことすること、ないです。そんなことしなくても、俺にできる、ことならあ、もちろん俺なんかじゃろくな助けにはならないのはわかって、ますけどなにかお困りなことがあるならおっしゃっていただければ」
「………いい加減にしろよこのふにゃチン野郎!」
 ずかずかとセオに歩み寄り、オクタビアは胸倉をつかんだ。その顔は今まで見たことのない、鬼のような形相に変わっている。
「女にここまで誘わせといてビビってんじゃねぇよ! てめぇ男だろチンコついてんだろ、あたしがあんたとヤりたいっつってんだ、速攻押し倒すのが筋ってもんだろ!」
「ごっ、ごめ、ごめんなさいっ、でも俺みたいな嫌いな人間とそういうことやったら、オクタビアさんが絶対嫌な思いすると思うしっ」
「ざけんな玉ナシ野郎、あたしを気遣うくらいならヤれっつってんだよ、女に恥かかせる気か!」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいーっ!」
「阿呆。恥を気にするなら今の時点でお前は充分恥っかきだ」
 そう冷たい声が聞こえた瞬間、セオは思わず振り向いた。扉の前に仲間たち――ラグとロンとフォルデが立っている。腕を組みながら冷たい視線をこちらになげかけているロンの後ろで、ラグはフォルデの口と腕を押さえ動きを封じていた。
「みなさん……どうしたんです、か?」
「ラグに君がオクタビアに呼び出されたと聞いて、すわ貞操の危機かと駆けつけてきたんだよ。まぁ、万一君がオクタビアの誘いに乗りたいと思っているのなら口出しするのも野暮だというラグの主張に従ってぎりぎりまで扉の前で待っていたんだがな」
「……ぶはっ、放せラグっ! おいババァ、とうとう本性出しやがったな、男日照りだからってこんなガキに手ぇ出すんじゃねーよっ! どーせこいつの種仕込んでゆすりだのなんだのする気だったんだろこの痴女!」
「フォルデ。……まぁ、俺としても仲間が意に染まない形で押し倒されるのは、なんというか嬉しくないので。いかにポルトガ王の依頼とはいえど、そういうことにまで従う義理はありませんのであしからず」
「………っ」
 オクタビアは怒りに燃える瞳でこちらを睨み、ぎりっと奥歯を噛み鳴らす。心底悔しがっているのがわかり、セオはおそるおそるその顔を見上げた。
「あの、オクタビアさ……」
「なら、魔船をよこしな」
「は?」
「は? じゃねぇっ! あたしはそのために、魔船を得るためにポルトガ王にさんざん股開いてやったんだ。それを横からかっさらっていく気か? ざけんじゃねぇよ、世界を救う勇者だっつぅんならあたしのことも救ってもらおうじゃないか!」
「ざけんなボケババァ! てめぇ魔船以外にもさんざんポルトガ王から掠め取ってんだろっ、股開くだけでそんだけ奪っといてまだ取る気かよ!」
 え、フォルデさんどこでそれを、と思うより早く、オクタビアはぎっとフォルデを睨みつける。
「ふざけんじゃないよはこっちの台詞だ小僧。あたしには目的があるんだ。そのために利用できるものはなんでも利用する。自分の体も心も切り売りするし脅しやゆすりたかりだってしてやるさ。命張ってんだよ、半端な覚悟じゃねぇんだ、あんた程度の男に偉そうに口出しされる筋合いじゃないね!」
「笑わせてくれるな。覚悟をしていればいい、というものでもなかろうが」
 ロンを無視して、オクタビアは今度はセオを睨んだ。
「え、どうなんだい勇者さん。あたしみたいな必死で生きてるしがない商人が、必死で得かけていたものを奪うのかい。それでも勇者だって胸張って言えるのかい!?」
「え、あの」
「あんたの種くれるっつぅんなら黙って魔船譲ってやるさ。けどあたしとヤるのが嫌だっつぅんなら魔船を返してもらう。世界を救う勇者さまならそのくらいしてくれたっていいだろう!?」
「あの、えと」
「種か魔船か! どっちだ!」
 ぎっと苛烈な瞳で睨まれ、セオは泣きそうになりながら考えた。確かにオクタビアにしてみれば魔船を横から奪い取られたような気持ちなのかもしれない。それはひどく申し訳なく思うし、なにかお詫びができたらとも思う。
 だけど。
「サーデさん、失礼ですがあなたにその選択を押し付ける権利は」
「あのっ。なんのために、魔船が必要なん、ですか!?」
 頭の中で考えたことをセオが泣くのを拳を握り締めて堪えながら訊ねると、オクタビアは一瞬虚を突かれたような顔になったが、すぐまたこちらを睨みつけて言う。
「交易商人にしてみりゃ魔船ほど便利なものもないだろう。遠距離だろうと近距離だろうと自由自在に航行できる」
「便利だから、必要、なんですか?」
「………そうだよ」
「じゃあ、俺の種が必要なのは、なんで、ですか? 俺なんかの種もらっても、嬉しくないと、思うんです、けど」
 オクタビアは思いきり顔をしかめた。あからさまに苛立った口調で怒鳴るように言う。
「馬鹿か、あんたは。嬉しい嬉しくないの話じゃない、世界を救う勇者の種を持ってれば人の見る目がどれだけ変わると思ってるんだ。世界を救う勇者の女って名は、あんたなんかに想像もつかないくらい価値があるんだよ」
「てめぇ、ぬけぬけと」
「俺が世界を救えるかどうかなんて、わかりません、よ?」
「わかってないね、少なくとも、世界の大半はあんたが世界を救う確率が一番高いと思ってんだよ。ロマリアの抱えてた問題を二つともに解決し、アッサラームの盗賊ギルドと商人ギルドも味方につけ、グロフ王のピラミッドの謎も解いた。おまけに三人も仲間を連れていける。エジンベアの勇者よりはるかに有利だ。だからポルトガ王も魔船を貸すなんて言い出したんだろうが、あんたにでかい貸しを作るために」
 セオは目を瞬かせた。もちろん自分なりに世界を救うために尽力するのは当然だが、世界の大半に世界を救うことを期待されているというのは正直ぴんとこない。アリアハンであれだけ馬鹿にされ、罵られてきた自分に、期待する人など本当にいるのだろうか? 第一自分はまだやっとレベル17になったばかりの未熟者にすぎないのに。
「じゃあ、えと、もうひとつ。あの、ぶしつけなんですけど、オクタビアさんの目的って、なんですか?」
「……あんたには関係ないだろうが。知ってどうする気だよ」
「ご、ごめんなさい。でも、オクタビアさんの目的に、よっては魔船や種を渡すより、得になることが見つかるかも、って」
「………ふん」
 オクタビアはまたあからさまに顔をしかめ、不機嫌そうな表情を作ったが、すぐに答えてくれた。
「街」
「え……街、ですか?」
「スリッカー大陸、スーより山を越えた東、エジンベアから西に船で十日のカルディア大森林。そこに交易都市を造ろうって計画が持ち上がってる。スーのある部族の長老の弟を発起人に、あたしを中心にしたポルトガ商人の何人かでな」
「カルディア大森林……? そんなところに街なんて造れるんですか?」
「なんにもわかってねぇな。スーの独特の植生から生まれた特産品は他国で高く売れる。エジンベア、ポルトガ、サマンオサにだって近いんだ、絶好の交易地になる。おまけに、これは極秘だが、街からさほど遠くない山の中にミスリルの鉱脈まで見つけたんだ。あの街は、絶対にアッサラームにも勝る交易都市になる」
 ぎらり、と瞳を輝かせながらオクタビアは語る。その口調には、今まで聞いてきたオクタビアの声とは違う、熱に浮かされたような一途さがあった。
「あたしはあの街を世界一の街にしたいんだ。そのためならなんでもやる。だからこれまでポルトガ王にも必死に媚売ってきたんだ。勇者の種か、魔船か、せめてそのどちらかは手に入れないで引き下がれるか!」
「んなの俺らには関係ねーだろーがっ!」
「……街を、大きくしたいんです、よね?」
 セオがゆっくりと口にすると、オクタビアはわずかに不審そうに目をすがめてうなずく。
「だから街で所有する船を少しでも多くするために魔船は必要だし、街の名を世界に知らしめるために勇者の女って付加価値がほしいんだよ。なんとしてもな」
「あの……ごめんなさい。俺、どちらも、あげられないです」
 ぺこり、と頭を下げる。オクタビアが怒りの形相で唸った。
「なん、だって?」
「あの。魔船は、オクタビアさんにとっても、すごく便利だとは、思いますけど、俺たちにとってもすごく、便利なんです。船の動かし方をろくに知らない、俺たちでも世界中を旅して、回れる。その上船を雇うのとは違って、お金もかからないし、なにより魔物に襲われても人を、巻き込まないし」
「だからあたしだって魔船がいるんだよ!」
「オクタビアさんの目的には、魔船は少し、そぐわないところがあると、思います。ポルトガ王家所有の魔船は基本的に、少人数での航行を目的として造られた、船です。大量の荷を運ばなければ、ならない交易には少し、不向きです。高価な魔法の道具袋を大量に使用するのは、不経済ですし」
「っ……」
「俺の種、のことなんですけど。俺、まだ子供を作る資格、ないです。自分の面倒もろくに見られない、奴が子供を作ったら子供が可哀想すぎます。それに、俺なんかの血を受け継ぐのも、母親にあたるあなたに、街を大きくするために作った、なんて思われたりするのも絶対、子供は傷つきます」
「ふんっ、くだらない。ガキを親がどう扱おうが勝手だろ。親がいちいちガキの気持ちまで面倒見てやらなきゃならないなんて法律がどこにあるってんだ」
「てめぇ……」
「サーデさん、その言い草は聞き捨て」
 オクタビアの言葉に怒りを覚えたのだろう、ラグとフォルデが一歩前に出かけ、とたんぎくりとして動きを止めこちらを見た。オクタビアもなぜか、表情を固まらせ、まるで恐ろしいものを見るかのようにこちらを凝視している。
「勝手じゃ、ありません」
 セオは静かに言った。溢れ出そうになる感情を、自分にこんな感情を抱く資格はないと無理やり押し込めて。
「子供を大切にできない人間に、親になる資格は、ないと思います。どんな理由があろうと、生まれてくる子供の心と、体を、子供が独り立ちするまで守ろうとすることができない人間が、子供を作るべきじゃありません」
「…………っ………」
 硬直しているオクタビアに、セオは生意気なことを言ってしまっただろうかとはっとして頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ、偉そうなこと言って。だから、あの、俺としては、バハラタまで護衛をしたあと、ポルトガに戻って、船をもらって。それからオクタビアさんたちの造っている街まで行ってみて、そこに造られようとしている街やそこで作っているものがいいものだったら、購入させていただいて旅する先々で宣伝する、っていうのがいいんじゃないかな、って思うんですけど、駄目でしょうか……?」
「……わかった。譲歩、してやるよ」
 少し掠れた声でオクタビアは言い、セオはほっと胸を撫で下ろす。オクタビアに向かい頭を下げた。
「じゃあ、そういうことでよろしくお願いします。あの、それと、また偉そうで申し訳ないんですけど。無理して心とか、体とか切り売りしなくても、いいと思いますよ。オクタビアさん、すごく有能な商人だと思いますから、無理に女性の武器ってされてるものを使わなくても、商才だけで充分人を動かせるんじゃないかって思います。それじゃ」
 またぺこりと頭を下げ、ラグたちと一緒に部屋を出る。その一瞬前にちらりと見えたオクタビアの顔は、どこか途方に暮れた子供のように、あどけなく見えた。

 四人で部屋に戻る途中に、ラグにおずおずと訊ねられた。
「……セオ」
「はい?」
「あの、さ……サーデさんに言ったことなんだけど」
「あ……! すいません、みなさんに相談もしないで勝手にこれから先のことを」
「いや、そうじゃなくてさ、その……親と子供のことで」
「え? はい」
 見上げると、ラグは少し困ったように「その……」と頭をかき回す。どうしたんだろうと首をかしげていると、フォルデがぶっきらぼうにラグに向け口を開いた。
「いーだろ、んなこたぁ。今はもう、関係ねーんだから」
「?」
「関係ないかどうかは知らんが。まぁ、わかっていることをいまさら聞き直すこともなかろうとは思うな」
「……そう、だな。ごめんセオ、なんでもないよ」
「? はい」
「おいセオ」
「え、はい、なんでしょうフォルデさん」
 フォルデの方を向くと、フォルデはにっと笑って言う。
「お前、きっちり言うこと言ってたじゃん。お前にしちゃ、上出来だったぜ?」
「――え」
 ぼんっ、とセオは頭に一気に血が上るのを感じた。これって、これって。フォルデさんに、褒められて、いる?
 まさかそんなあるはずが、と思いつつも心が暴れだしそうになるほど浮き立つ。溢れ出しそうになる感情を止められなくて、真っ赤になって震えながら頭を下げた。
「あ、ありがとうございますっ!」
「そうだな、あの時のセオの顔は普段とは別方向になかなかそそられるものがあったぞ。セオもいい男に向け日々成長しているということだな?」
「ロン……お前な、茶化すなよ。……でも、そうだな。よく言えたね、セオ」
 ぽん、とラグに頭に手を置かれ、セオはこれ以上ないほどぽーっと頭に血が上り、耐えきれずその場にひっくり返った。
「ちょ、セオ、どうした、大丈夫か!?」
「おいなにやってんだよこの馬鹿どっか痛いのか!?」
「うむうむ、やはりセオの基本形はこうでなくては」
 そんな声も聞こえなくなるほど頭をぐらぐらさせながら。

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