ポルトガ〜バハラタ――3
「勇者カルロスが呪いをかけられたって情報はね、ポルトガじゃもう民間に浸透してんだよ」
「そうなんですか……」
「そう。ポルトガじゃアリアハンのオルテガ並に、それこそ神様かなにかかってくらいにあの馬鹿勇者は人気があったからな。だから魔王には勝てないんじゃないかと国民全体の士気が落ち込んじまってる。そんな時に他国の勇者が来たんだ、侵略されるんじゃないか、カルロスのように突然魔王に襲われる巻き添えを食うんじゃないかと思って怯えた視線でお前らを見たんだろうさ。はっきり言って、船乗りギルドに行ってもまず船は貸してくれなかっただろうな」
「そうなんですか」
「そう。リカルド王がカルロスが呪いにかけられた情報を秘匿したっつったのは、まぁ一応隠してんのも確かなんだけど、お前らに高く恩を売るためさ。ポルトガは世界を救う勇者に船を貸すこともしなかった、なんてことが終わったあとにロマリア辺りから咎められたら面倒なことになる。だからポルトガはお前らが船を借りに来たのならなんとしても貸さないわけにはいかなかった。けど無理に強権を発動して船乗りギルドを動かしたら支持率が落ちる。リカルド王はあれで民意を惹きつけてるから余計にな。つまりポルトガ王にとって一番損の少ない方法は魔船を貸すことだった。持ってても使えない国宝なんざあの国王にとっちゃカスだ。で、それを特別に貸してやるんだぞ、とお前らに思わせて、魔王征伐に大きく貢献した国として少しでも名声を確保しようとしたわけだ」
「そうなん、ですか」
「そう。リカルド王は若いが、相当に切れる男だからな。女好きでも」
「おいっ、お前らなに話してんだよっ!」
 フォルデが近寄ってきて怒鳴る。セオに話しかけていたオクタビアは平然と言った。
「勇者に少しでも恩を売ろうとしてるんだよ」
「ぬけぬけと言うんじゃねぇこの猫かぶり女! てめぇの恩なんざ金もらったって買いたくねーよ!」
「あんたの腹はどうでもいいんだよ。あたしはこの勇者に恩を売りたいんだ。こいつの性格なら一度恩を売られたら律儀に返すだろ、それを狙ってんだよ」
「てっめぇしれっと偉そうに馬鹿なこと言いやがって……おいセオ! この女は相手にするなっつっただろーがよ!」
「ごっ、ごめんなさいっ、でも得られる情報はっ、得ておいた方がいい、だろうって思って」
 バハラタまであと少し。オクタビアとのやり取りを経て、彼女はセオに近づいてくることはなくなった。代わりに恩を売らせろ、と直裁に口に出してセオに様々な情報を提供してくれる。セオとしてはありがたいという気がしたのだ。自分などに恩を売っていいことがあるのかどうか怪しいのに、旅のための情報を話してくれる。
 フォルデは「こんな胡散臭ぇ女に借り作んじゃねーよ!」と怒ったりもしていたが(申し訳なくて泣きそうになった)、ラグとロンが取り成してくれた。ラグは「身元は確かなんだからこのくらいの取引なら問題ないだろ」とフォルデをなだめ、ロンは「借りなんぞ面倒になったら踏み倒せばいいだけのことだろう。人質もいないんだし」と言い放ちフォルデを絶句させて。
 それでもフォルデがオクタビアを警戒しているのは変わらなかったが、オクタビアはラグやロンやフォルデにはちょっかいをかけることはない様子だったし、自分などが借りを作る程度で商人の間に流通している情報を得られるのなら安いもののように思えたのだ。商人間の情報網というのならアッサラームの商人ギルドも相当なものだが、基本的に陸地、ユーレリアン大陸上の情報が主。海路を主に使用し、大陸間を移動するポルトガ商人ギルドの人間の話も聞いておきたかった。実際二年前に鎖国したサマンオサの情報や、ネクロゴンドのあるゴンドリア地方の現状など参考になる情報がいくつも聞けたし。
 海路を主に使用する交易商人なのになぜ陸路でバハラタに向かうことにしたのかというと、オクタビアの目論見としては一ヶ月弱のその旅程でセオを篭絡するつもりだったらしい。黒胡椒をはじめとする香辛料の世界最大の産地、バハラタで香辛料農家とこれから作る街のため契約を結ぶ用も実際にあったらしいし、アッサラームまで隊商をセオのルーラで運べる、つまりルーラ便の代金を節約できること(セオの能力のだいたいのところはロマリア等の情報でその筋には知られているらしい)、街道筋の街でも商売ができることなども考えて、勇者の篭絡のために一月程度ならばかける価値がある、と考えたのだそうだ。
「勇者と一度でも関係を結んでしまえばむしりとりようはいくらでもあるからな」
 そう断言するオクタビアを、セオはすごいなぁと感心して眺めた。彼女の生活力に圧倒されるものを感じた。この人のそういうとにかく利益を得ようとする一途さは、尊敬できるとすら言っていいかもしれない。セオなどと比べてもしょうがないだろうが、自分よりはるかに決然と現実を見つめている。
 アッサラームの商人ギルド長ファイサルと違い軽い借りならば作ってもさほど問題ないだろうと思うのは、彼女には投資を回収できないと踏んだらさっさと撤退する明敏さがあるからのような気がする。魔船も子種も渡すことはできない、とセオが断言した時から、一切セオに必要以上に接近することはやめ、少しでも多くの恩を売ろうと情報提供のみにいそしんでいるのだから。
「いいから来い、タコッ! てめぇにはこの女の相手するより他にやることがいっくらでもあんだろーがよっ」
「は、はいっ」
 腕を引っ張るフォルデに従い慌ててセオは歩き出した。ふん、と嘲るように鼻を鳴らすオクタビアに頭を下げて、フォルデと並ぶ。
 フォルデは仏頂面でセオをぐいぐいと引っ張る。もしかして自分になにか用があるのだろうか、とセオは首を傾げたが、ゆっくりと進む隊商の先頭を通り過ぎてもまだ引っ張り歩き続けるのに驚いておそるおそる訊ねた。
「あの、フォルデさん、隊商の先頭通り過ぎちゃ、護衛の役目が果たせなく、なるんじゃ、ないかなって思うんですけど……?」
「っ……」
「なにか、ご用があったんですか?」
「別に、用っつーんじゃ、ねーけどよ」
 一瞬言葉に詰まって、フォルデはもごもごとなにか言いかけ、がしがしと苛立たしげに頭を掻いた。セオがきょとんと首を傾げていると、フォルデは思いきり顔をしかめて舌打ちし、ぐいっとセオを引き寄せて小声で訊ねてくる。
「じゃー、バハラタについて話せよ。つか、変だ変だと思ってたんだけどよ、この辺街ばっかで国がねぇだろ? 地図見ても国境とか国名とか全然書いてねーし。なんでなんだよ、てめぇなら知ってんだろ?」
「え、えと、はい!」
 自分などの知識で役に立てるかどうかドキドキしつつも、セオは勢いよくうなずいた。少しでもフォルデが自分を必要としてくれるのなら全力でそれに応えたい。
「あの、ベーラシア地方からガンドル地方にかけては、古来からあまり強い国家が育たなかったん、です。気候的風土的に過ごしいい土地とは言えなかったこの地方には、古代遺跡が少なかったせいもあって、移住してくる人間が少なかった上に、文化技術がなかなか発展しなかったことに加え風土病の蔓延で人口が増えず、住民たちは他の土地ならば国家が成立してきていた新暦五百年代に入っても、集落単位で相争い、足を引っ張り合っていました。強大な指導者の一人でも生まれれば、また違ったんだろうと思いますけど、幸か不幸かこの地方ではそういうことはなかったんです」
「ふん」
 ふん、ってどういう意味なんだろうか、とどきどきしつつもセオは続ける。
「他の強大な国家からも距離的に遠く、侵略してもさほど旨みのない地方ということで、この地方はそういう小集団、といっても終わりの頃には都市国家と言っていい程度の力を持つ集団になっていましたけど、ともかく抜きん出た力を持つ者がいない闘争を新暦八百年代まで続けていました。ですが八百年代の半ば頃、都市国家のひとつバハラタで胡椒の生産が始まって、その状況が一変するんです」
「ふん」
「当時は肉食を主としていたカザーブ、ノアニール、シャンパーニ、エジンベア、ロマリア北部、ポルトガ内陸。そのすべてがバハラタを侵略すべく行動を開始しました。胡椒が肉の保存に極めて有効だと知られたからです。当時は魔法技術も進んでおらず食物の保存は自然に頼るしかなく、これらの地方に適応した農耕技術も完成していなかったので、肉を食べるしかなかったこれらの地方にしてみれば胡椒という香辛料の存在はまさに福音だったんですね。アッサラームの商人たちもその戦争の合間を縫ってこれらの地方に胡椒を高値で売りつけました。アッサラームが商都として名を馳せ始めたのはこの頃からなんです」
「ふん」
「バハラタを巡る戦争は百年ほど続きました。その間ずっとバハラタ、のみならずこの地方は戦いを強いられ疲弊していきました。それが終わったのはどこかの国が勝ったからではなくて、アリアハンという大帝国の侵略によります。世界の全てを手にせんとするアリアハンの侵攻により、バハラタは真っ先に攻め落とされ、支配下に置かれました。それから百年ほどの時間をかけてアリアハンは世界を征服し、二百年ほど圧政を続け、一人の勇者により版図を縮小させられたわけですが、バハラタはその際ダーマに願い出たんです。『永世中立都市』の認定を」
「……なんだそりゃ」
「版図を広げようとどこかへ侵略することもしない、国家の脅威になるほどの権力を蓄えもしない、その代わり侵略されることもないようダーマで取り計らってくれ。そうダーマに願ったんです。我も我もとこの地方の都市国家群はそれに続き、この地方は永世中立都市ばかりということになりました。この地方の都市国家群は度重なる侵略と戦争――アリアハンが撤退する際のどさくさで侵攻してくる国家による戦争が一番深刻な被害を与えたそうですが、に疲れきっていたんですね。なので、この地方には国というものがなく、小さな都市がそれぞれの権力の範囲内で自治を行っている、という世界的に見ても珍しい状態になったんです」
「ふーん……じゃあこの地方には王とか貴族とか、いねーのかよ」
「王の代わりに領主が代々権力を握ってますから、いないというには語弊があるんじゃないかと思います。ただ、いくつかの都市――これから行くバハラタもそうですけど、では共和制といって、希望者の中から市民の投票で領主が決められているのだと聞いて、ますけど」
「へぇ……マジか?」
 フォルデは目を輝かせて興味を示した。フォルデは王や貴族というものをひどく嫌っているようだからそれがいない都市というのに興味があるのだろう。
「ま、共和制といっても領主に選ばれるのは権力と金を持ってる奴らだけだがな。いくつかの家の間で領主の座がいったりきたりするだけだ。票を動かすのは出馬者の人物もあるが、それ以上に金とコネだし」
「ロンさん」
 隊の後方からするりと近寄ってきたロンに、フォルデは舌打ちした。
「なんだそりゃ。結局王族どもと似たようなことしてんじゃねぇか」
「逆に言えば、王だの貴族だのという仕組みがなかろうが、権力を握る奴らは誰しも子に権力を受け継がせたがるものだという証明だな。お前さんの王族嫌いの表向きの根拠が薄弱なことが理解できてきたんじゃないか?」
「あぁ? んっだよ、その表向きってのは。つか、てめぇに俺の流儀をどうこう言われる筋合いなんぞねーってんだよ」
「ふむ、ま、お前がそう言うならそういうことにしておくがな」
「んっだと、コラ?」
 フォルデがぎろりとロンを睨む。セオは突然の不穏な空気におろおろと二人を見比べるが、ロンは平然とした顔で隊商の進む先を指差す。
「それよりも、見ろ。バハラタが見えてきたぞ」
「え?」
 セオは思わずロンの示す先を見る。どこまでも続く薄茶に枯れた平原のかなた、水色に輝いているのがかすかに見える河のほとりに、確かに人の造った街の影があった。
「わ……随分遠くから、見えるん、ですね」
「この辺りは山やなんかがほとんどなくて視線が相当遠くまで通るからな。この隊商の調子ならあと二日というところか」
「二日か……」
 少し忌々しそうにフォルデは呟くと、わずかに歩調を落とし始めた。ロンが面白がるような顔をする。
「またあの女の見張りに行くのか? まめな上に正直だな、珍しく」
「っせーな、別にそんなんじゃねーよっ。ただあの女に借り作んのは俺が嫌なだけだ」
 苛立たしげに言って隊の先頭から離れていくフォルデに頭を下げて、セオはバハラタの方向へ向き直った。胡椒の街、バハラタ。あそこにはいったいどんな風景があるのだろうか。

「……なんつーか、貧乏くせぇ街だな」
 フォルデがやや困惑したような声を出す。オクタビアがふんと鼻を鳴らした。
「実際貧乏なんだよ。いくら胡椒の世界最大、むしろ唯一の産地っつってもな、結局は農産物、値を守る商人がいなきゃ方々の奴らに安く買い叩かれるのは当たり前だろう。商人ギルドも小さいし、領土も小さいんだ、人材がいないのさ。その上胡椒をはじめとした香辛料以外の特産物らしい特産物もないときちゃ、金持ちになんざなりようがない」
「ふーん……」
 フォルデのなんというか面白くなさそうな反応に、セオは首を傾げた。フォルデは金持ちを嫌っていたように思っていたのだが。
 バハラタは今まで通ってきた街の中でいえば、アッサラームに似ていた。アッサラームの入り口付近の迷路のような道のあった辺りに。
 こちらは道は広いし建材も日乾し煉瓦ではなく木材石材を組合わせたダーマ風建築の模倣だ。だが、雰囲気とそこに生きる者たちの貧しさがひどく、似ていた。
 当然のように糞が転がり土埃がひどい道の脇に寝転がり、あるいは呆然と座っている人々。彼らの身なりはみな一様にぼろぼろだった。物乞いのための演出ではない、取り繕う余裕すらない圧倒的な貧しさ。
 道はまったく整備の手が入っていないのだろう、土埃が舞い端の方には雑草がぼうぼうと生えている。立ち並ぶ建物も(街に入って相当歩いているにもかかわらず)手入れの行き届いていないのがはっきりわかる、泥と埃で薄汚れ、前に転がる物乞いたちも含めてひどく不潔な雰囲気を漂わせている。
 そしてそれがどこまで行っても変わらない。貧富の差が激しいのではなく、街全体がひどく、貧しいのだ。
 それに気付き、セオは思わず泣きそうになってぐ、と拳を握り締めた。アッサラームのように犯罪を行うことで活計を得なければならないという状況もひどく悲しいが、ここのように持てる者から奪うことすらできないような世界での絶望は、どれほどのものだろう。
 堪えきれずセオは、できるだけ気付かれないようにこっそりと財布を取り出した。自分の自由に使える金は五百ゴールドもないが、ほんのわずかで申し訳ないと思いながらも物乞いたちに渡したいと思ったのだ。自分などに金を渡されるなど、と腹立たしく思うかもしれないけれども、誰に渡されようと金は金。少なくとも一時お腹いっぱい食べることができる。それなら少しでも、などと思ってしまうのだ。
 なんの解決にもなっていないし自分などがなにをしても解決できない問題なのだろうというのは、わかっているのに。
「セオ」
 声をかけられて、びくんと震えた。けれど隠し事をするわけにはいかない、財布を取り出したまま声のした方を向く。
「ラグ、さん」
「ここでは財布をほいほい取り出さない方がいい。旅人は街中のスリから狙われる」
「え、あの、はい……」
「施しをするなら宿に落ち着いてからにしよう。護衛の任をきちんと果たしてからね」
「はっ、はいっ!」
 そうだ自分には果たさなければならない任があったんだ、と(ラグの施しという言葉に自分などがそんな偉そうなことをいえる立場じゃないんじゃと違和感を感じながらも)前に向き直るセオに、ラグは小さく囁いた。
「その時は、俺も付き合うから」
「え……」
 セオは一瞬ぽかんとラグを見上げ、それからうっと涙ぐんだ。
「ラグさん、ごめんなさい……ありがとう、ございます」
「いや」
 少し照れくさそうに笑うラグの顔は、ひどく優しかった。この人は、本当に優しい人だ。
 本当に、どうして自分などのそばで、自分のことを大切だなどと言ってくれるのだろう。

 オクタビアは宿を取ると、商談の護衛をしろと自分たちを連れ出した。なんでも相手は相当たちの悪い商人らしく、暴力に訴えて交渉を有利に進めようとする可能性もあるのだそうだ。
「なんでそんな馬鹿を相手に? もっと他の優良な胡椒商人もいるでしょうに」
「馬鹿だからこそさ。向こうが暴力に訴えてくるならこちらとしてもやりやすい。いくらでもつけこんでむしりとれる。おまけに向こうは胡椒に対する目利きは一級品でね、取り扱ってる胡椒は質がいい。そのくせやたら金にガツガツしてるから他の交易商人からは敬遠されがち。少しでも安くつく香辛料の入手方法を確保するためにはうってつけなのさ」
「せっけぇことしやがんな。たかだか数ゴールドの差だろ」
「商売のことをなんにもわかってない奴が抜かすんじゃない。この街での一瓶の値段なら数ゴールドかもしれないけどな、これから何千何万って数を揃えるんだ。そうなりゃ数万数十万の違いになるだろうが、その程度の計算もできないほどの馬鹿かい、お前は」
「んだとってめっ……!」
「よせ、フォルデ。先に失礼なことを言ったのはお前だろ」
「っ、チッ」
 などと話しつつすえた匂いのする道を進み、街の大通り(といってもそこも物乞いとけだるげな露天商で溢れているのだが)一軒の胡椒の卸問屋に入った。そこも全体的にくすんだ色調の建物だったが、オクタビア他数人の商人が護衛として自分たちに囲まれながら入っていくと、中は(この街の中では初めて見る)見たところそれなりに高級な絨毯や置物やら壷やらで豪奢にまとまっていた。
 だがなぜか、ひどく騒がしい。というか奥で口論をしている声がこちらまで響いてくる。若い男と老人の声に聞こえたが、互いに激しく言い争っているのが否が応でもわかった。
 オクタビアは一瞬わずかに顔をしかめたが、すぐに優雅で妖艶な微笑みを浮かべてみせるとしゃなりしゃなりと歩いて不安そうにぼそぼそ内緒話をしている店員の一人に話しかけた。
「失礼。今日商談を申し込んでいたオクタビア・サーデですけれど、アショーク氏はどちらにおいでかしら?」
「っ! も、申し訳ありませんっ、今少し立て込んでおりまして……」
「あら、なにか困ったことでもおありになったんですの?」
「いえ、その……」
「お聞かせ願えません? せっかく商売をさせていただくのですから、お役に立てることがあるならお聞きしたいですわ」
「いや、しかし、その、特にお話しするようなことでは」
「もちろん最終的にはあなたの判断にお任せしますけれど。場合によっては功績をアショーク氏に認めてもらえるかもしれませんわよ」
「え? な、なぜそんなことが」
「私、たまたまポルトガ王から格別のご配慮をいただきまして、隊の護衛に勇者さまを遣わしていただいているのです。なにか厄介事が起きたということでしたら、勇者さまに特別にお願い申し上げても構いませんが?」
「え……」
 その店員は一瞬呆然とオクタビアを見つめ、それから大慌てで叫びながら店の奥へと走った。
「しょ、少々お待ちを! ご、ご主人様っ、ご主人様ーっ!」

「勇者さま……! まさか、薄汚い商人でしかないこのわしが勇者さまにお目にかかることができようとは!」
 アショークと呼ばれた老人は顔を歪めながら目頭を押さえ平伏した。アショークの隣に控えていた若い男も愕然とした顔でこちらを見ているので、セオは慌てて頭を下げる。
「いえ、あのっ、俺なんか本当にそんな、頭を下げていただけるような存在じゃないのでっ、どうかお気になさらず」
「なにをおっしゃるのです、セオさま! その蒼く輝く宝玉を埋め込んだサークレットこそ勇者の証! ダーマの至宝、勇者が生まれたと確認された時のみ賢者たちの手により造られる勇気持つ者の冠ではありませんか!」
「あの、その、確かにそうなんです、けど俺は本当にどうしようもないクズ勇者なのでっ」
「なんと謙虚な! そのお心、まさに世界を救う勇者にふさわしい……どうか、セオさま、我々をお助けください!」
「待ってください、お義父さん!」
 セオにすがりつかんばかりにするアショークに、若い男がきっとセオを睨み叫んだ。
「こんな情けない男にタニアの救出を任せるというんですか! こんな奴がタニアをさらった凶悪犯どもを倒せるとは思えません!」
「なにを言うかグプタ! お前もわかっておるだろう、この方のサークレットこそ……」
「わかっています、いますが納得がいきません! こんなひ弱そうな情けない男などに任せて、失敗したらタニアはどうなるかわからないんですよ!?」
「おい、なんだとテメェ偉そうに抜かしやが」
「口を挟むな、話がややこしくなる」
「ではどうするというのだ! 街の自警団も当てにはならぬ、冒険者どもも然り、これ以上誰に頼ればいいと!?」
「……っ僕が、僕が冒険者たちを指揮して人さらいたちを討伐します! こんな奴らに頼りはしません!」
「待て、グプタ!」
 ずかずかと部屋を出ていくグプタに、セオは思わず声をかけた。
「あ、あのっ」
「うるさいっ! お前などの指図は受けない!」
 怒鳴り苛立たしげに言って去っていくグプタの後姿を、セオは泣きそうになりながら見つめた。自分などが信頼できないのはその通りだし文句は言えない。けれど、ラグやロンやフォルデたちは一流の冒険者なのに、グプタの雇う冒険者たちと力を合わせればより目的を達成しやすくなるだろうに、自分の情けなさがグプタにその選択をさせなかったのだと思うと、申し訳なくてたまらなかった。
「ごめ……ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい……」
 必死に泣くのを堪えながら周囲の人々に頭を下げる。ラグは苦笑し、ロンはいつもの顔で肩をすくめ、フォルデは仏頂面でそっぽを向き、アショークはやや戸惑ったようだったが、その前にオクタビアが笑顔で進み出た。
「で、アショークさん。どういうことなのか、詳しいお話をしていただけません?」
「は、そうですな。実は……」

「今度は人さらい征伐かよ。ったく、いいように使われてんな、俺たち」
「心配するな、報酬はしっかりいただく契約をしてある。アショーク氏からもオクタビアからもな」
「へ? なんでオクタビアからもなんだよ」
「俺たちのおかげで胡椒の契約が順調にいきそうじゃないか。情報量を差し引いた金額にはなるだろうがな。ま、細かい借りも返せて一石二鳥ということで」
「まぁ、サーデさんからは完全成功報酬で前金なしだけどな。ないよりはずっとマシだ」
「ラグも一枚噛んでんのかよ……ったく、素早い奴ら」
「当然だ、この年になるまで冒険者やってるんだぞ。取れるところからは取れるだけ取る、これが冒険者の鉄則だ」
「へいへい……」
 セオたちは足早にバハラタ北東の洞窟へと歩を進めていた。そこに目的の人さらいたちは居を構えていると思われるのだそうだ(偶然目撃証言があったらしい)。
 バハラタを一ヶ月ほど前から騒がせている誘拐犯。彼らは徒党を組み、街で美しいと評判の女性たちを次々と誘拐しているらしい。しかも目撃者はすべて惨殺するという非道なやり方で。
 アショークの一人娘タニアも昨日その犠牲になった。そしてタニアをどうやって助けるかとアショークとタニアの婚約者グプタが議論していたところに、自分たちが現れたというわけだ。
「しっかし、人さらいの居場所がわかってんのならとっとと討伐隊でもなんでも組織すりゃいいだろーに、なにやってんだ上の奴らは」
「セオから聞いただろう、この近辺は都市国家ばかりで強力な軍事力なぞどこにも持ち合わせがないんだ。自警団も誘拐犯どもにはまるで歯がたたなかったそうだし、要するにこの近辺は慢性的な人材不足なのさ」
「そのわりに血筋的に美人が多いっていうのが困りものなんだがな。この近辺ではかなり最近まで奴隷商人が公然と商売してたって聞くぞ。今も伝手を残してる奴らもいるだろう、誘拐された人を救うためには一刻も早く敵を倒さなきゃならない。そういうわけだから、鷹の目での位置確認頼むぞ、フォルデ。罠の警戒もな」
「………チッ。わかってるよっ」
 フォルデは舌打ちをする。苛立ちをぶつけようにもどこにもぶつけどころがなく腹立ちを抑えかねているのだろう。
 頼りきりなのになにもできず申し訳なさは募ったが、セオにはもしかしたらその感情以上に心を占めていることがあった。必死に気を引き締めようとはするものの、ともすると心の底からその思考が浮き上がってきてしまう。
 こんなことじゃ駄目だ、とため息をつくと、ロンがそれを聞きとがめたのかこちらの方を向いた(現在の隊列は先頭にフォルデ、中衛にラグとセオ、後衛にロンだ)。
「どうしたセオ、なにか物思いにふけりたくなるようなことがあるのか?」
「え、えと、その……」
 セオは少し言いよどんだ。こんなこと、誰が聞いてもくだらない弱音だ。それがわかっているのに大切な人に説明するのは勇気がいる。
 だがロンがん? と首を傾げて言うまで許さないぞという顔をしているので、セオとしては逆らえようはずもなく正直に言った。
「俺たちが誘拐犯たちを捕らえても、今までさらわれたり、犯行の時に巻き添えで殺されたりしてしまった人たちを家に帰すことはできないんだろうなって思うと、なんというか、すごく申し訳なくて」
「……はぁ? なに言ってんだてめぇ、コラ」
 フォルデがあからさまに機嫌を損ねた顔でこちらを見る。ああやっぱり自分がくだらない弱音を吐いたせいで怒らせてしまった、と泣きたくなりながら頭を下げる。
「ごめんなさい、くだらない弱音吐いてっ。俺なんかがこんなこと、考えたってそれだけじゃなんの意味もないしっ、こんなこと、みんな当然飲み込んで戦うべき、ことなのにっ」
「そーいうこと言ってんじゃねーよっ。つかな、てめぇのその世界の悪いこと全部てめぇのせいだと思う思考回路どーにかしやがれっ」
「え、へ、え、あの……?」
 フォルデは強烈な苛立ちと怒りの入り混じった瞳でこちらを睨む。セオはどうしようどう謝ればいいんだろう、とおろおろした。だがラグは前方を警戒しているしロンは面白そうにこちらを見ているから自分でなんとかせねばならないのはわかる。
「あの、ごめんなさい、俺なんかが偉そうに」
「そーだよ、てめぇ自分を何様だと思ってやがんだ! てめぇ一人で世界背負えるとか本気で思ってんのか! 世の中の悪事の責任全部てめぇが背負えるなんざなぁ、とんでもねー思い上がりなんだよっ! 他の奴らのことは他の奴らのことなんだっ、てめぇのケツぐらいてめぇで拭かせやがれ!」
「え、あ、の、ごめん、なさい……?」
 なんだろう、フォルデのこの言葉は。この内容ではまるで。
 自分を労わっているように聞こえる。
 ぽかんとフォルデを見るセオをフォルデはぎっと睨み、それからはっとしたような顔になってカッと頬を朱に染めた。それからぎゅっと歯を噛み締めながらこちらに背を向け、ずかずかと歩き出す。
 呆然とそれを見送るセオの背を、ロンがぽんぽんと叩いた。追い抜かれたラグが苦笑して、セオの方に向き直る。
「まぁ、エラーニアさんの勇者の定義にはそぐわない言葉かもしれないけど、あいつなりに君を心配してるんだ。そこのところは汲んでやってくれ」
「え、あの、その、そんなっ、俺なんか、心配する価値」
 言いかけて固まる。それじゃあフォルデがせっかく与えてくれた心配を突き返すというのか? いやでも自分などに心配なんて、だけどしかしフォルデさんの気持ちを無視するような真似は絶対したくないし、でもけれどやっぱり自分などに。
 ぐるぐる頭を回転させるセオに、ロンがくくっと笑って言う。
「ま、君が世界を背負うというのなら、俺たちもその一端くらいは背負えるつもりだからな。愚痴が言いたくなったらいつでも来い」
「…………」
 セオはロンの顔を呆然と見つめる。本当に、この人たちはどうして、こんなに自分に。
 自分には、そんな価値は本当にないと、わかっているのに。
『!』
 気配を感じたのはほぼ同時だった。セオたちは武器を構え、一散にフォルデのいる方向へと向かう。
 予想通り武器を構えるフォルデの前に、魔物たちが現れていた。狼系のアンデッド、デスジャッカルの群れだ。
 数はざっと十匹弱。常に群れで行動するデスジャッカルとしてもだいぶに多い。
「数が多いな……こんな時に」
「俺がニフラムで浄化、します」
「頼む。その間俺たちは壁になる。いいな、ロン、フォルデ」
「むろん」
「わかってっよっ」
 セオは呪文を唱え始めた。呪文の使える場所でアンデッドと相対する時は、セオも唯一積極的に戦闘に参加できる。ニフラムで全てのアンデッドを浄化するからだ。
 アンデッドの生を害する権利はないと思う気持ちに偽りはないが、セオにはアンデッドたちの生がひどく辛そうなものに見えるのもまた確かなことだった。むろん聞いていないのだから勝手に納得するわけにはいかないが、ニフラムで浄化する時、アンデッドたちから解放されたかのような感情が伝わってくるような気がして、だからセオはおそるおそるながらもアンデッドたちはできる限り浄化することにしていた。
『×#%¥※*!』
 デスジャッカルの半分がいっせいにルカナンを唱える。特定の呪文使用能力を生理として持つ魔物は数多かった。そしてその詠唱の多くは人間のものよりはるかに早い。
「愛物どもの上にしも――=v
 デスジャッカルの残り半分がいっせいに飛びかかってくる。今の自分たちの盾鎧は本来の半分の防御力も持っていないはずだ。
 この人たちを傷つけさせるわけには、いかない!
「わが輝く手を伸べなんとす!=v
 叫ぶと同時に柔らかい光が周囲を包み込む。その光が一瞬で消えた時には、もはやデスジャッカルの影さえ見えなくなっていた。
「……ふぅ。やれやれ、傷を負わなくて助かっ」
「! ラグ、上だ!」
「っ!」
 ビュッ! と高速で打ち下ろされるハンターフライの尻尾の棘を、ラグはぎりぎりでかわした。そして素早く愛用の鉄の斧を振り回し、羽音もさせずに近寄ってきていたハンターフライたちを次々と薙ぎ倒す。
「フゥッ!」
 ロンも大きく跳躍してハンターフライを黄金の爪で突き刺し、飛び下りざまにいつの間にか出現していたマージマタンゴを同様に切り払う。
「のやろ、うじゃうじゃと……!」
 フォルデは舌打ちしつつポルトガで買った鋼の鞭を振り回し、集まってきたハンターフライを落としていく。マージマタンゴも出てきているが、ギラで複数に攻撃してくるハンターフライの方がより脅威だと判断したのだろう。
 時ならぬ遭遇戦に全員本気で戦っている。そして、セオは――
 なにもできていなかった。
 遠慮しながら結局買ってもらった鋼の鞭で、呪文を唱えそうな敵の牽制をする。そして呪文や攻撃から必死に仲間を庇う。
 やっていることといえばそれくらいで、それすらフォルデに「邪魔だ、すっこんでろ!」と怒鳴られたりで果たせないことも多かった。
 泣きそうになりながら必死に牽制をしつつ思う。わかっている。このままじゃいけないということは、よくわかっている。
 これから戦いはどんどん厳しくなる。セオ程度の戦力でも遊ばせておく余裕はなくなる。セオだって仲間を守りたい。絶対に彼らを守ると決めたのだ。ラグやロンやフォルデを守るためならどれだけ傷ついても構わないと思う。
 だが、それでも。それでも決心がつかない。
 魔物を殺す。邪魔だから殺す。生きていた命を消滅させる。
 それは以前自分がやったことで、犯した罪で、絶対に許されないことだった。
 それを再び行う。自分の意思で。生きていたものを殺すという、世界の中でみんな当たり前のように行っている、けれどたまらなく無残で、救われない行為を。
 魔物だから人間とは違う、とは思えなかった。もちろん魔物は人間とは別種の生命体だ。殺したところで人の罪には問われない。それは知っている。
 だが、生きている。それでも生きている。生きて、感じて、動き、死を避けようと懸命に戦っているはずなのに。
 それを、命というこれ以上ない宝を、自分などが襲われた程度のことで奪っていいはずはない。
 ―――でも、それはラグやロンやフォルデが襲われたとしても?
 自分よりも大切な人が襲われたとしても、奪ってはいけないと思うのか?
 それはただのわがままなのではないか、ラグたちの命を軽んじていることになりはしないか、けれど魔物の命だって他のある存在には自分にとってのラグたち同様大切な存在かもしれないのに、じゃあ自分はラグたちの命よりも魔物たちの命を重んじるのか、そうじゃないそうじゃないけれど、でも生きているのに心があるのに殺しあわないでもなんとかお互い生き延びられる可能性があるかもしれないのに――殺して、いいのか?
 魔物と戦う時になると頭が勝手にそのことを考えてしまう。そして体が動かなくなる。なにをしても間違っているような気がして、まともに動けなくなってしまう。
 それが一番間違っているということを、知りながら。

 デスジャッカルと遭遇して数分。セオがなにもしないうちに戦いは終わった。自分もいくつか怪我を負ったが、ラグやフォルデも少し怪我をしているのを見て取りセオは泣くのを必死に堪えて駆け寄る。
「あのっ、俺が、ホイミかけ」
「いや、いいよ。薬草があるから。これから戦闘があるんだ、魔法力は温存しておいた方がいいだろう」
「……はい」
 しょんぼりとうつむき、セオは手持ちの薬草を傷口にすりこむラグたちの邪魔にならないよう離れて周囲をうかがった。
 自分はなんの役にも立っていないのに、戦っていないのに、この優しい人たちは自分を責めない。罵りも殴りもせず、労わりの言葉をかけてくれることさえある。そんな人たちを守りたいと心底思う、のに。
 どうして自分は、魔物たちの、敵≠フ命をこの世から消滅させるという恐怖に、耐えることができないのか。
 う、と泣くのを堪えて口を曲げる。自分は本当に、至らない。そんな戦闘があるたびに陥る思考の下向き螺旋階段をいつも通りにぐるぐる回る。
 と、気配を感じた。
 ばっと顔を上げ、その場から大きく跳び退る。だがそこもまた陣のうちだった。予想よりはるかに大きく、そして精巧に組み上げられた魔法陣にセオは絶句する。
「? どうしたんだい、セ」
 それに答える暇もなく、陣は発動した。一度だけ文献で見たことがある、バシルーラの呪文を付与した強制転移魔法陣。対象を個人にまで指定できるため待ち伏せ用の罠に使われる。本来なら古代遺跡や魔法使いギルドでしか見られないであろう代物がなぜこんなところに――
 巡らせた思考は一瞬で途切れた。周囲を巻き込むまいとセオが身を縮めて魔力の広がりをできる限り押さえ込み、結果抵抗することもできず転移させられてしまったからだ。

戻る   次へ
『君の物語を聞かせて』topへ