アリアハン――5
 ―――ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく!
 なんなんだこのガキは! あっさり魔物斬り倒しといて、それができるくらいの腕持ってて、なに泣いてやがんだこのクソボケガキ!
「フォルデ、落ち着け。ダンジョンでは苛立ちは命取りだぞ」
「うっせーな、わかってるよ!」
「というか、ここでは間違いなくトラップがあるんだからな、盗賊が冷静でいてくれないとパーティ全員に関わってくるんだが」
 ロンに飄々とそう言われ、フォルデはカッとなって言い返そうとしたが自制心を全開で発揮して口を閉じた。確かにここは盗賊が冷静でなくてはパーティ全員に迷惑がかかる場面だ。
 トラップになんぞ引っかかってたまるか。俺は銀星のフォルデだ。
 自分のプライドにかけて。今までの努力に誓って。連れをトラップに巻き込むような真似はしない。
「―――わかってる」
 十数えるほどの時間が経ってからそう答えたフォルデに、ロンはん? というように片眉を上げ、それからにやりと笑った。
「あの、あの、フォルデさん……頑張って、くださいね」
 おずおずと泣きそうな声で勇者が言ってくる――そのとたん、フォルデは自制心が一瞬でぶち切れ怒鳴ってしまった。
「うるせぇっ、てめぇに言われなくても自分の仕事はきっちりやるに決まってんだろ! 舐めんじゃねえこのボケ!」
「ひっ!」
 勇者は一瞬固まって、それからじわぁと目に涙を浮かばせる。
「ご……ごめ、な……ごめんなさい……」
 その涙声にまた一段と苛つく。その顔が、声が、おどおどした態度が、ぽろぽろとこぼれ落ちる子供のような涙が、フォルデを苛つかせてしょうがない。
「何度言わせりゃわかるんだっ、その泣きゃあいいって思ってるとこが俺はムカつくんだよ! てめぇそれでも男かっ、チンコついてんのかっ! 大したことでもねぇことでいちいちべそべそ泣いてんじゃねぇっ!」
「ご……め、んな、さ……」
「フォルデ」
 静かに咎められ、フォルデはふんっとそっぽを向いた。
 この旅に加わったことを後悔する気はないが――このガキはとにかくなにからなにまで、気に入らないのだ。

 フォルデに姓はない。孤児だからだ。
 アリアハンの繁華街の一角、目立たない民家に偽装された盗賊ギルド。物心ついたときにはフォルデはその中にいた。
 盗賊ギルドは孤児院というわけではないが、何人か孤児を集めて育てている。その大半は見目よい少女だ。美しく育て、作法を叩き込み、あるいは高級娼婦に、あるいは貴族の養女に育て上げるのだ。
 男であるフォルデがなぜ盗賊ギルドに拾われたのかはわからない。この銀色の髪が珍しかったせいかもしれない。男娼にするつもりだったのかも。
 だが、フォルデにとってはそんなことはどうでもいいことだった。フォルデはほんの小さな頃から、盗賊になると決めていたからだ。
 別に盗賊に憧れたわけではない。純粋に、金のためだ。盗賊ギルドへの借金を、自分の力で返すため。
 盗賊ギルドが孤児を育てるのは慈善事業ではない。孤児が自由になるためには、盗賊ギルドに育ててもらった分の金に利子をつけて返さねばならないのだ。
 フォルデは自由がほしかった。自分の力で生きていきたかった。誰かの世話になって、誰かのお情けで生かしてもらうのはごめんだったのだ。
 だからフォルデは必死になって盗賊の修行をした。ほんの子供の頃から。毎日毎日、暗くなるまで登攀、鍵開け、忍び足、尾行、戦闘――そんな訓練に明け暮れた。遊びたい時も、腹が減った時も。
 幸いその努力をある盗賊が認めて気に入ってくれ、親方として面倒を見てくれた。十三の歳から仕事に加わって、十六の職業選択の儀から数ヶ月も経たないうちに借金を返し終えていた。
 フォルデには自信があった。自分が今ここにいるのは、自分の力だ。自分で運命を切り開いてきたのだ。
 自分は努力をした。運命に勝つための努力を。だから自由を手にすることができたのだ。そのことには絶対的な自信を持っている。
 だから、親に保護されてぬくぬく生きている奴は大嫌いだったし、家や制度に守られている貴族たちは心底軽蔑していた。フォルデが認めるのは、自分の力で、世間とぶつかり合いながら自分を生かしてきた人間のみ。
 ――だから、この勇者だって蔑んでたのに。
 フォルデは後ろを歩く勇者を見て唇を噛み締める。レベル15? 十六歳で?
 勇者はガキの頃から職業が決まっているとしても、自分は十八歳でレベル9、勇者は十六歳でレベル15。その差は歴然だ。勇者が言う通り敵を倒すことによるレベル上げをしていないのなら、その差はすなわち努力の差。フォルデは勇者より努力をしていなかったということになる。
(―――冗談じゃねぇ)
 自分は同じ孤児の中で、そして知る限りの人間の中で最も努力していた。その自信がある、なのに。
 親にぬくぬく守られてきた、勇者の子だ、未来の勇者だと大事に大事に育てられてきたとしか思えない、甘ったれで情けない弱虫うじうじ勇者なんぞに負けるなんて。
 そんなのは死んでも認めたくないことだったのだ。
「俺の後ろを二丈くらい離れてついてこい。俺が踏むなっつった場所は絶対踏むんじゃねーぞ」
「了解」
「自信たっぷりだな、古代遺跡は初めてなんだろう?」
「罠の仕組みは一緒だろーが」
 冒険者としての盗賊――純粋な盗賊ではなく盗賊技能者も盗賊ギルドで修行するのだ、冒険者の盗賊の技も何度も見たことがある。
 勇者はフォルデの言うことに、こくこくと何度もうなずいていた。素直なそのしぐさがガキっぽくてまた苛つく。
 岬の洞窟を抜けてナジミの塔に入っての作戦会議。岬の洞窟では移動している間ほとんど数分おきに魔物に襲われたが、少し休めば体力はすぐ回復した。
 これも勇者の力らしい。勇者の力の影響下にいる者はどんなに疲れていようとも普段と同じに動くことができ、少し休めばすぐ体力は回復するのだ。病気や怪我さえしていなければ。睡眠時間さえ究極的には必要ないとロンが言っていた。
 ――結局あのあとも魔物一匹も倒しゃしねぇ野郎の力の世話になってるっつーのがメッチャクチャにムカつく。
 そんな苛立ちを抱えながら、フォルデは潜入を開始した。

「――液体トラップか……また面倒なもんを」
 ち、とフォルデは舌打ちをひとつして解除に取り掛かった。出てくるのは大方酸か毒液というところだろう。扉を開けた瞬間に先頭の奴にふりかかるという仕組みだ。
 実際、この塔の中は噂以上に罠だらけだった。神殿のような明快な造りに似合わず、扉ごとに必ず罠があり、通路にも階段にも罠が仕掛けてある。
 しかも階層が上がるごとに罠の難易度が上がっていくというおまけつきだ。魔物もばかすか出てくるし、いくらレベルの高い盗賊とはいえよくもまぁこんな場所に居を構えていられると感心したくなる。
 神経を使う罠の連続に、正直フォルデはかなり疲労してきていた。
「……解除終わったぜ。とっとと行くぞ」
「お疲れ」
「お、お疲れ様ですっ」
「いちいちうっせぇんだよボケ勇者っ! 人のこと気遣う暇があるんだったらてめぇのケツ拭きやがれっ!」
「ご、ごめんなさい……」
「落ち着け、フォルデ」
「これだけ罠があれば苛々するのもわかるがな。仲間に当たるのはプロの盗賊としてはどうかと思うぞ?」
 ロンに薄く笑まれながらからかうように自分でも気にしていたことを言われ、フォルデの理性の糸はまたもぶち切れた。
「うるせぇっ、俺はてめぇらを仲間だなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇんだよっ! あくまで俺は借りを返しに同行するだけだっ、あと自分のためだ! てめぇらなんざ単なる旅の連れだっ、勘違いしてんじゃねぇっ!」
 ねぇっ。ねぇっ。ねぇっ。ねぇっ。
 フォルデの怒鳴り声がわんわんと塔内に反響する。勇者とラグとロンは揃ってこっちをじっと見つめた。
 勇者は泣きそうな顔で、ラグはため息をつきたそうな顔で、ロンは薄く笑った顔で。その顔を見ているとさらに頭にかーっと血が上るのを感じた。
 自分だってわかってる、今のは言いすぎだった。まだ十日しか一緒にいないが、いくら腹が立つ奴らだからって、いくら苛つくからって、これからずっと一緒に旅する奴ら相手に仲間と思ってないと言ってしまうのはルール違反だ。
 だが、それでも。自分より強いのに剣を振るおうとしない、この勇者に悪かったと頭を下げるのはどうしても嫌だったのだ。
「………先行く。とっととついてこいよ」
 顔を見ているのに耐えきれなくなって、フォルデは踵を返した。

 罠、罠、罠また罠。
 落とし穴、振り子罠、毒針、ガス噴射。
「次から次へと……!」
 フォルデは唇を噛み締めながら額の汗を拭いた。ほとんど三丈ごとに罠がある。
 それも進むごとにどんどんえげつなくなっていく。さっきの扉の罠なんて扉の前に立った瞬間なにかを落としてくるという罠で、さらにそれを解除して厳重な鍵のかかった扉には罠を仕掛けずに油断させておいて部屋の中の二歩先に落とし穴を仕掛けているという執拗さなのだ。
 部屋に入ってすぐではなく二歩先というのがまたいやらしい。部屋の中にも当然のように罠が仕掛けてあり、その解除の方法がまた部屋の反対側にある石を動かすというもので、そこまで神経をすり減らしながら指先で確認しつつ辿っていかねばならず死ぬほど疲れた。
 だが。それよりも、フォルデの心にのしかかっていたのは。
『てめぇらを仲間だなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇんだよっ!』
 ――あの一言が、何度も繰り返し繰り返し、ちくちくとフォルデの罪悪感を責めるのだった。
「いつまで続くんだクソッタレがっ……!」
 部屋を通り抜けて、神経を尖らせながら階段を登る。苛つく。ムカつく。腹立つ。悔しい。負けてたまるか。俺は悪くない。なんとしても、絶対に――
 ふいに、視界が大きく揺れ、逆転した。
「うわわわわわわわっ!?」
 宙を舞いながら叫ぶ。なんだ、なんだという言葉しか頭に思い浮かばず、自分は吊り上げ罠に引っかかったのだと気づいたのはロープの揺れが収まってからだった。
「フォルデさーん! 大丈夫ですかー!?」
 頭の下の、本来なら上の方から勇者の声が聞こえる。フォルデはカーッと顔を熱くした。
 冗談じゃねぇぞちくしょう! なんで俺が、この銀星のフォルデが、あんなボケ勇者の前でこんな赤っ恥かかなきゃならねぇんだっ!
「おお、こりゃまた見事に吊り上げられたもんだな」
「ロン。……なんとかして下ろさなきゃな……フォルデ、ナイフ持ってただろう。自分で足の縄切れるか?」
「うるせぇっ、たりめぇだろ馬鹿野郎っ! 一人で抜け出せるっ!」
「あのっ……俺、トベルーラで浮いてお手伝いしましょう、か……?」
「―――すっこんでろっ!」
 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! ヘマしたところを見られて、助けられるなんてプライドが絶対許さねぇ! 俺は努力してる、頑張ってるのになんでなんだ、ちくしょうっ………!
「フォルデ、意地を張るな。頭に血が上って切りにくいだろう。フォローできるところはフォローする、それがパーティっていうものなんだぞ」
「うるせぇっ、俺は一人でやれるっつってんだろうがっ……!」
「――やれやれ。勇者のパーティの盗賊にしてはあまりに青いの」
 声がした、と思った瞬間、足にかかった力が抜けた。
 え、と思う暇もなく誰かにふわりと受け止められる。細い感じがするのにしっかり筋肉がついて力強い腕――これは!
「あ、あの、フォルデさん……大丈夫、ですか……?」
「離しやがれクソ野郎っ、てめぇの世話になんざ死んでもなりたかねぇっつーんだよっ!」
 フォルデはばしんっと自分を優しく支える勇者の腕を払い、飛び降りて殺意をこめて睨んだ。
 ――なんでこんな奴に助けられなきゃならねぇんだ。
 ――こいつにだけは、もう二度と、助けられたくなんかなかったのに。
 勇者は泣きそうな顔になって、必死に泣くのをこらえていますという顔をして、ぺこんと頭を下げた。
「ごめんなさい……」
 もうこれ以上怒れっこないというところまで怒っていたのに、さらなる怒りがフォルデを包む。
「謝るなっつってんだろーがっ!!」
 こんな奴に。こんな奴に。こんな奴に。
 助けられた上謝られちまったら、俺は、本当に、どうしようもねぇ奴ってことになっちまうじゃねぇか。
「まったく、それでも盗賊か。自分の感情に囚われ、冷静な判断力を欠いておる。頼りなさすぎて泣けてくるの」
「んだとてめ……!」
 怒鳴りかけて、気づいた。
 声の主に、目の前から声が聞こえるというのに微塵も気配がしないことに。
「あんたは……」
 目の前に突然姿を現したように思える、気配のしない老人は笑った。
「わしはナーシン。ナジミの塔の老盗賊じゃよ」

 ナーシンはナジミの塔の最上階、フォルデが罠にかかった階段を登ったところに居を構えていた。華美ではないが質のいい家具に囲まれた部屋で、フォルデたちは薄い茶を出される。
「薄いな、この茶」
「文句を言うなら飲むな。わしは薄めが好きなんじゃ」
「ロン、そういう言い方は失礼だろう。すいません、ナーシン殿、礼儀知らずで」
「かまわん。わしも礼儀作法にはとんとうといからの」
 そう言ってずずっと茶を啜り、じっと勇者を見る。
「さて。勇者、セオ・レイリンバートル」
「は………はい」
 勇者がおそるおそるナーシンに目を合わせる。なにびくびくしてやがんだ、とまた苛立つ。
「わしは夢を見ておった」
「夢、ですか………?」
「お前にこの鍵を渡す夢じゃ」
 そう言ってナーシンが取り出したのは黄色に塗られた仕掛け鍵――盗賊の鍵だ、とフォルデには一目でわかった。
「ゆえにおぬしにこの盗賊の鍵を授けよう」
「え……い、いいんですか………?」
「いらんのか?」
「あ、の、えっと………ごめんなさい、ほしい、です………でも、ナーシンさんが本当に俺なんかに渡しちゃって、いいのかなっていうか、嫌な気持ちにならないかなって思って………」
「わしはな、子供の頃からなにか大きなことをする前にはよく夢を見た。その夢の通りに行動すれば必ずなにもかもうまくいった。だから夢に従わない方がわしとしては嫌なのさ」
「そうなんですか……」
 なに納得してやがんだ、とフォルデは唇を噛む。てめぇの力やらなんやらっつーのをまるっきり無視されてんだぞ。ちったぁ怒るとかねーのかよっ。
「あの、それじゃあ、その、受け取らせていただきます」
「うむ」
 勇者は盗賊の鍵を受け取り、深々と頭を下げた。フォルデは苛立ちを抑え素早く立ち上がる。
「おら、さっさと行くぞ。もうここには用ねーんだろーが」
「あ、はい………」
「せっかちじゃな。よほどわしに評価されるのが怖いとみえる」
 フォルデはぎぎぎっと、軋むような動作でナーシンの方に振り向いた。
「なん、だと、ジジイ」
「違うのか? 部屋に入ってきた時からわしの方も仲間の方も見ようとはせん。自分のミスを追及される恐怖からではないのか?」
「………っ」
「やれやれ。曲がりなりにも勇者の仲間が、ミスしたことを仲間に詫びることもできんとは。情けないにもほどがある」
「あ、あの……っ!」
 唇を噛み締めていたフォルデの横で、勇者がおもむろに立ち上がる。
「どうした、セオ・レイリンバートル」
「あの……っ、ごめんなさい……ごめんなさい、俺の、せい、なんです!」
「は?」
 怪訝そうな顔をするナーシンに、必死な顔で。
「俺が、フォルデさんを、苛つかせちゃったからフォルデさんは罠を見抜けなかったんです! 俺のせいなんです、フォルデさんは全然悪くないんです、俺がいなければフォルデさんは簡単に塔のてっぺんまでたどりついていたに違いないんです! だから……」
 泣きそうな顔で、実際に涙を滲ませながら、必死にナーシンを見て。
「お願いですから、フォルデさんを悪く言わないでください………」
 その言葉を聞いたとたん、フォルデの頭の中は火がつけられたように燃え上がった。
 ――なんだ、そりゃ。
 ――あれは俺のミスだ、間違いねえ。それなのに。
 ――なんでこいつに、よりによってこいつに、自分のせいだなんて言われなきゃなんねーんだ?
 ――こいつにだけは、絶対にかばわれたりしたくなかったのに。
「てめぇ………!」
 立ち上がり、ぐいっと胸倉をつかみ上げる。
「てめぇにかばってほしいなんていつ言ったっ、よけいな真似しくさってんじゃねぇっ!」
「ごめんなさ、ごめんなさいっ、でもっ」
 目から涙が一筋こぼれ落ちる。顔がなんの感情でかくしゃくしゃに歪む。
 そんなガキのような顔で勇者は、必死に言った。
「本当のことだしっ、俺が苛つかせなかったらフォルデさんは絶対罠に引っかからなかったと思うしっ、それに、フォルデさんは、俺みたいな奴と一緒に来てくれるような、いろいろ言ってくれるような、優しい人だから、悪く言われるの、俺嫌ですっ」
「――――」
 フォルデは一瞬固まってしまった。
 まさか。よりにもよって、このガキに。
優しい≠ネんて言われるなんて、思ってもみなかった。
「……なんというかまぁ」
「セオ……」
「……勇者――いやセオ。おぬしはこの盗賊にさんざんなことを言われておっただろう? わしは伝声管で話を聞いておったのだぞ。それでもおぬしはこの男が優しいというのか?」
「フォルデさんは優しいです。とってもいい人です」
『………………』
 きっぱりと言う勇者に、周囲は沈黙し、フォルデは――途方にくれていた。
 なんなんだこのガキ。なんでこんなこと言いやがるんだこいつは。
 自分でさえ理不尽だと思っちまうようなことだってさんざん言ったのに。なんで優しいとか言い切れちまうんだ。
 こんな、こんなバカ、見たことねぇ。なんて言やあいいんだ、こいつに。
 のろのろと勇者から手を放したフォルデにナーシンは苦笑すると、勇者に自分の方を向かせて言った。
「セオよ。すまんな、今のはわしの嫉妬なのだ」
「え………?」
「わしから見ればまだまだひよっこにすぎん若造が、勇者の仲間として旅に出るのが面白くなくてな。それでついいじめてしまった」
「で、でも、勇者っていっても俺みたいななんで勇者なのかわかんないような奴ですし」
「それでも勇者だ。仲間を連れて行ける勇者だ。世界の冒険者がみな仲間になりたいと願う人間だ」
「でも………」
 納得いかなそうな勇者に、ナーシンは笑いかける。
「わしは世界を救いたかった。ケチな盗賊のわしが、世界に褒め称えられるという夢を見ていた。だが――結局のところ、夢は夢だ。そんな浅ましいことを考えている人間には、勇者はやってこないというのがよくわかったわ」
 に、と人がいいのか悪いのかわからない笑みを浮かべて。
「さ、そろそろ帰るがいい。この塔をここまで登ってきたことに対する敢闘賞は、その鍵があればお釣りがくるじゃろう」
「はい………」
「そうじゃ、ときにセオよ。お主たちはこれからどう旅をするつもりじゃ?」
「えっと、北上してルード港からバハラタに渡る予定です、けど」
「金もかかるし、時間もかかるな」
「はい、それは……」
「一気にロマリアまで一瞬で移動する方法があるんじゃが、知りたくはないか?」
「え、本当ですか!?」
 セオが瞳を輝かせる。ラグとロンも興味を持ったようだった。
「ロマリアなら、魔物もアリアハンに次いで弱いし、これから目指す土地としてはもってこいだな」
「魔法使いを探してルーラで運んでもらうんですか? でも運賃が高いし……正直俺たちの手持ちの金では払えるかどうか」
「そんなもんなわけなかろうが。金はかからん、ただそれを使うにはちぃっと労力が必要だがの」
「労力?」
「うむ。……誘いの洞窟を知っておるか?」
 あ、とセオが声を上げた。
「もしかして旅の扉を使うんですか? でもあそこはもう三百年も前に、封印されたんじゃ……」
「その通り。さすが勇者、博識だの」
「え!? ち、違います! 俺はただ、偶然、読んだ本に載ってたってだけで、俺の力ってわけじゃ全然……」
「そう謙遜せずともよかろうに。……よいか、ここアリアハンの東――レーベからアリウーフ山脈をぐるりと回っていった先にエニルヘヤ山脈があるのは知っておるな? それに囲まれたセバヤの森の中央、セバヤ湖の周囲をよく探せば、人造の地下へと続く階段があるのがわかる。詳しくはセバヤ森前にある小さな祠で聞けばよかろう」
「……そこがどうしたってんだよ」
「そこは誘いの洞窟と呼ばれる人造の洞窟でな、奥にはロマリアに通じる旅の扉があるのだ」
「旅の扉……」
 話には聞いたことがある。古代帝国時代の遺跡にまれに見つかる、一瞬で遠距離に移動できる魔導装置。出口入り口が固定されているためルーラによる移動網が整備された現代ではもはやほとんど使われてはいないが、昔は戦にも使われていたとかなんとか。
「そこはアリアハン王家とロマリア王家の共同管理下におかれているが、アリアハン王家はかつて――三百年ほど前そこの道を封印した。当時世界をその圧倒的な武力でねじ伏せ支配していたアリアハンは、一人の勇者によってその行いを正された。そして世界各地から兵を引き上げ、道を封印することでこちらから他国に攻め入ることはない、と示したのだ。実際にはルーラもキメラの翼もあるので侵攻は不可能ではなかったがな」
「……だからなんだよ」
「つまり、基本的には旅の扉は使用できん。しかし、だ」
 しゅるり、と懐から書状を取り出し、机の上に広げる。
「一度封印を解き、そのあと再度封印することならばできる。――レーベの村からの嘆願があればな」
「え?」
 全員思わず机の前に駆け寄る。そこには間違いなくアリアハン王家の印章つきの、『封印一時解除許可証』と書かれた書状が広げられていた。
「……ご老人、これは?」
「ご老人なんぞと言うな、年を取ったと宣言されとるようで気分が悪い。――三百年前に旅の扉を封印したのはレーベの村の魔建築研究家たちだ。あそこには代々魔道と建築を融合させる技を研究している者たちがおってな、彼らが魔道の力を込めた壁で通路を封じた。――であるから、彼らはそれを破壊することも当然できる。魔法の玉を使ってな」
「んだその適当な名前」
「魔建築研究家は代々実際家で、名前なんぞにはこだわらんのだ。――これはマホカンタの呪文を織り込み、どんな攻撃でも弾き返す魔道壁を唯一破壊できる爆弾なのじゃ」
「爆弾ねぇ……」
 崩落した洞窟を壊すのに発破をかけるのは、どこでもやってるらしいそうだが。
「え、で、でも、アリアハン王家が封印を命じた壁、なのに……」
「うむ、だがな。魔建築研究家たちはその力を示す機会がめったにない。魔道を織り込むほどの建築物を建てるためには莫大な金がかかる、そんなものを頼む人間などめったにおらん。彼らは魔道建築を建てる機会に飢えておる――よって、アリアハン王家は百年前から十年に一度、封印の洞窟の魔道壁を破壊し、新しく作ることを許可したのだ。そのために必要な資金の提供も含めてな」
「……つまり、魔建築研究家たちの鬱憤を晴らすために、封印の洞窟まで出かけていって壁を壊してこい、と?」
「鬱憤のためだけではない、研究成果の発表と有効性の検証、という目的もある。――それに、今回は勇者の旅立ちのため、という大義があるからの」
「………え?」
 勇者が大きく目を見開いた。驚愕、を絵に描いたような顔だ。
 ナーシンはにやりと笑んで勇者に言う。
「魔建築研究家たちもただ壁を壊して元通りにする、という意味のない作業には飽き飽きしておるのさ。その作業に意味が、しかも世界を救うかもしれない勇者の旅立ちだという意味が付与されるなら、奮い立つのも当然じゃろ? だから爆破する時期も合わせて、わしのところに勇者が来たら連絡するように頼み、レーベでも勇者に使者を送り――そいつは間に合わなかったようじゃが……」
「………そんな…………」
 勇者はふえっ、と顔を歪めた。じわぁ、とみるみるうちに瞳が潤む。
「俺……そんなこと、してもらえるような人間じゃありません。そんな、旅立ちを祝われるような、たいそうな人間じゃないんです」
「いや、なにもそんな卑屈にならんでも」
「そうじゃないんです、本当に俺はどうしようもなく駄目な、勇者どころか人としてクズみたいな奴なんです、本当に、旅立ちを祝われるなんて、そんなことされていいような奴じゃないんです」
「いや、セオ………」
「ごめんなさい、そんな、期待されるような人間じゃないんです、本当に、本当にごめんなさい、でも俺、本当にそんなことしてもらっていいような人間じゃ―――」
 ――フォルデは、がっしと勇者の頭をつかんだ。
「え……フォ、ルデさん?」
「………いい加減にしやがれこのクソ野郎!」
 全力でぎりぎりぎりと頭を締め付け、痛めつける。
「いた、いたた、ごめ、ごめんなさい、フォルデさん、ごめんなさいっ!」
「てめぇわかって謝ってんのかなんで謝ってんだ言ってみろこのクソタコ野郎!」
「お、俺がっ、俺なんかが、偉そうにナーシンさんの言葉を遮ったりっ、レーベの人たちの好意をすぐに受け容れなかったのが……」
「……っ! てめぇなんもわかってねぇじゃねぇかいっぺん死ねこのクソボケカス野郎!」
「ごめんなさい、ごめんなさーいっ!」
 ナーシンの前で盛大に喚きながら、フォルデはぎりぎりと奥歯を噛み締めていた。
 ムカつく。腹立つ。苛立たしい。なんでこいつはこうも自分を苛立たせられるのか。
 こいつはなにもわかってない。勝手に自分を卑下しやがって。それじゃそんなこいつについてきた自分たちまでもが大馬鹿者だってことになるじゃないか。
 こいつが自分のことを悪く言って落ち込むたび、こっちがどんなに苛々するか腹が立つか、こいつは全然わかってない。
 そう思いながら、フォルデは怒りをこめて勇者の頭を痛めつけた。

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