アープの塔〜世界樹の森――3
「どういうことだ、てめぇっ!」
 その言葉を告げるや、瞬速で胸倉をつかみ上げたフォルデに、サヴァンは涼しい顔で笑ってみせた。
「どういうこともこういうことも。そういうことだってだけだよ。僕はかつて神竜<Tドンデスの仲間だった。サドンデスさんは一人仲間を作れる勇者だったからね。その頃この森にもやってきていたんで、神竜の従者って呼ばれるわけ」
「なに抜かしてやがる、さっきてめぇ俺らを殺したサドンデスっつってたじゃねぇかっ、お前今でもあいつと繋がってんだろーがっ! 俺らの情報あいつに流してんじゃねぇのかよっ!」
「そういうわけじゃないよ、僕は別の線から聞いたんだ。ていうか、サドンデスさんは別に君たちの情報ほしがったりしてないと思うけど?」
「なっ」
「……確かにな。あそこまで簡単にこてんぱん、というかぶち殺せるほどレベルが違う相手をわざわざ情報を集めてまで警戒するのは異常なまでに用心深い奴か、馬鹿だけだ」
 す、とロンは静かに場所を移動する。武闘家として修練した十三年間で会得した間合いを制する技術。身体能力は低くなっているが、それでも技術に限って言えばサヴァンにも劣る気はしない。
「が、俺たちはあの女について大したことを知っているわけじゃない。あの女が病的に用心深かったり、馬鹿だったりする可能性も否定できない。それに」
 す、と体をそばまで近づけ、裁きの杖をぴたり、と背中に密着させる。この間合いならまず一息で背骨を砕けるだろう。まぁ実際にやるとなるとそう簡単にはいかせてくれないだろうが、嘘やごまかしをしたら許さないぞ、という意思表示にはなる。
「あなたが、俺たちがあの女に対する情報を集めていると知りながら、意図的に黙っていたことは疑いようもない事実だ」
「……ふむ」
「あの女がこちらをどう思っているかは知らないが。これ以上ないってくらいに惨殺されたんだ、俺たちがあいつを警戒しているのは言わないでもわかるだろう。――場合によっては」
「僕と敵対することも辞さない?」
「っ」
「え……」
 フォルデが息を詰めたような音を立て、セオが目を見開く。ラグはさすがというべきか、いつでもロンとフォルデ双方の援護に入れるような体勢を取りながら無言無表情で自分たちを見つめている。
「あなたが俺たちと敵対する、というのなら」
「ふぅん……でもロンくん、君たち、僕に勝てる? 今までの稽古で君たちが僕に勝ったこと、ほとんどないよね?」
「確かに。だが、あれは実戦じゃない。手段を選ばず、かつ四対一で、しかもこの配置でならば、あなたが呪文を唱える前に殺れる。身体能力はともかく、体術でならばあなたより俺の方が勝っているし、力ならラグが、速さならフォルデが勝る。力ずくで押し通るというのは不可能だぞ」
「ふぅん―――」
 くすり、とサヴァンは笑い声を立てた。その笑い声のまとう殺気に、一気に空気が硬直する。
「試してみる?」
「そうだな――」
「ごめんなさい……!!!」
 がづーん、と地面(ちなみに相当に堅い岩場)に頭を打ちつける音がした。ロンの目にすら止まらぬ速さで土下座し、たぶん全力で頭をその岩場に打ちつけ叫んだのは、予想通りというか彼以外いないというか、セオだった。
「っ……おま、いっつも言ってんだろーがちったぁ状況読みやがれ―――っ!!」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい、俺なんかのせいで不快な思いをさせてしまって本当に本当にごめんなさい……!!」
「だっからなんでもかんでもてめぇのせいだと思い込むんじゃねぇてめーはそんなに偉ぇのかって」
「でも、どうかお願いです、申し訳ないんですけど、本当に本当に申し訳ないんですけどっ……俺、みなさんと、サヴァンさんに、喧嘩してほしく、ないです……っ!!」
『…………』
 一瞬、沈黙が下りた。その理由はおのおの異なっていただろうけれども。
「これは君だけの問題じゃない。俺たち全員の安全に関わる問題だ。それでも君は俺に退け、と?」
「退けなんて、言えませんけど、ロンさんが俺たちみんなのために全力で少しでも情報引き出そうとしてるのに、本当に身勝手で、偉そうで、生意気で、この世から消えてなくなってしまった方がいいって思っちゃいますけどっ、ごめんなさい、本当にごめんなさい、でもどうか、お願いです……!」
「君がそこまでお願いしなければならない理由は?」
 土下座の体勢からわずかに顔を上げたセオは、きょとんとした表情になり言った。
「だって、サヴァンさん、いい人ですし」
『…………』
 再び沈黙。
「っの、おっまえなぁっ」
「いやぁ、君がそう言ってくれるのは嬉しいけど、僕正直そんなにいい人でもないよ? しれっとした顔でえげつないことやるってよく言われるし」
 サヴァンが苦笑しながらそう言ってみせるが、セオはきっぱりと首を振る。
「サヴァンさんはいい人です。本当に優しい、いい人です」
『…………』
「あのっ、だから、お願いです! 本当に本当に申し訳ないんですけど、俺の身勝手な押しつけで申し訳ないんですけどっ、どうか、ロンさんもサヴァンさんも、喧嘩しないで、ください……!」
 がづんっ、とまた岩場に頭を叩きつけるセオ。それを見やって肩をすくめ、ロンはサヴァンに訊ねる。
「セオはこう言っているが、あなたはどうする?」
「……うーん……」
 サヴァンは苦笑して肩をすくめ、それからこくんとうなずいた。
「わかったよ、セオくん。わかった。僕は、君と、君の仲間たちとはこれより先絶対に喧嘩しない。蒼天の聖者≠フ名と、それに培った誇りと、かつて仲間だった勇者サドンデスに懸けて誓う」
「えっ、あのっそんな、俺の言葉なんかでそんなきちんと誓う必要本当にないので、ただそのあの」
「お願い≠ネんだろう? 聞いてあげる。君のお願いちゃんと聞いてあげるよ。だから、もう心配しなくていいよ」
 笑顔を向けられ、セオはびくん、と震えてから、泣きそうな顔で深々と(土下座したまま)頭を下げる。
「あ……りがとう、ござい、ます……」
「どういたしまして」
 笑顔で言ってから、サヴァンはロンにだけしか聞こえないような顔で小さく囁いた。
「策士だね。まさかこういう手でくるとは思わなかったよ」
「まだつきあいだして一年足らずとはいえ、俺は俺の仲間たちのことはよく知っているつもりなので」
 涼しい顔で言って杖を下ろす。誓わせることまでできるとは思っていなかったが、さすがセオというべきか、あの少年の心はこの古狸にもなにがしかの感銘を与えたらしい。
「――よろしいか」
 最初に声をかけてきた時と変わらない姿勢で律儀に待ち続けていた白の森≠フエルフが一段落着いたと思ったのか声をかけてくる。ラグが慌てて向き直りうなずいた。
「あ、はいすいません、いつでもどうぞっ」
「――我ら白の森≠フエルフは貴殿らに告げる。世界樹に詣で、その葉を受け取らんとするならば、我らの試しを受けよ」
「……試し?」
「世界樹の葉を託すほどの力があるか否か。同人数での力による試しにて、見極めを行いたい」
「……はぁ?」

 世界樹の森の、道なき道をを自分たちは進む。最初に出てきたエルフの案内で。
 そいつの言うことには、この森を訪れ、世界樹の葉を得んとする勇者たちには、エルフたちは必ず試練を課しているのだそうだ。自分たちの出す試練を乗り越えるだけの心身の力を示さなければ、世界樹に詣でる資格はないと。
 世界樹の苗木を素体として創られたエルフにとっては世界樹は自分たちの祖とも言える存在。その上その葉は呪文と違い、遺体さえ取り返しがつかないほどに破壊されていなければ、十割の確率で死人を生き返らせる力を持つのだから、試練を課そうという思考はまんざらわからないでもない。
 ちなみにサヴァンはまた別の試練を受けるらしい。どういうことか詳しくは話してくれなかったが、軽く潜って≠ンたところサドンデスの仲間だった時代に勇者の仲間としての試練は乗り越えているので、個人として世界樹の前に出るにはまた別のやり方で試さなくてはならない、とエルフたちの会議によって決まったようだ。
 つまり、エルフたちは自分たちが今日、この場所を訪れることをあらかじめ知っていたということになるわけだが、そこらへんのところを軽くつついてみると、「我らが巫女が神のお告げを受けた」ときっぱり言われてしまった。そう言われると、こちらとしてはなんともしようがないわけだが。
「……おい、そこのあんた」
「なにか」
 先頭に立って自分たちを案内しているエルフが、こちらを振り向きもしないまま木で鼻を括るような口ぶりでフォルデに返事をする。当然ながらフォルデはムッとした顔になった。
「なにかじゃねーよ。世界樹の葉手に入れんのに試練が必要っつーならやってやってもいいけどよ、なんでいちいち森の奥まで行かなきゃなんねーんだよ。勝負っつーならさっきのとこでやってもいいじゃねぇか」
「これから案内する場所は防護結界が張ってあり、手加減なしで戦っても周囲に被害をもたらさないようになっている。それから『森の奥』ではない。我らが森のほんのとば口にすぎない」
「………。あとよ、なんか周りからすっげー視線感じんだけど。んっだよ、人間がんな珍しいってかよ」
「そういう動機でやってきている若い者もいるだろうが、大半は貴殿らを警戒して有事の際に備えて監視しているのだろう」
「……んっだよ、そりゃあ。俺らがいきなり暴れだしてこの森燃やすとでも思ってんのかよ」
「そう思っている者もいるだろう。人間の恐ろしさはみな幼い頃より女王たちから聞かされている。たとえ勇者の仲間であろうと、そうそうその警戒心を捨てられるものではない」
「……古代帝国の、エルフ狩りってやつかよ」
「むろんそれもあるし、私が生まれてからもこの森に侵略しようとした愚かな人間は幾人かいた。我々の知っている人間は侵略者か、勇者か、その仲間かだ。出会ったうち三割以上が我らが森を奪おうとする敵対者たちならば、人間という生物を警戒するには充分な理由ではないかと思うが」
「……そうかよ」
 ち、と小さく舌打ちをしてフォルデはこちらの方をちらりと見た。それからすぐ前を向いたが、こちらに話しかけているのかエルフに喋っているのかしかとはわからない間合いでぶつぶつと言う。
「ったく、エルフってのはみんなこうなのかよ。いちいち偉そうっつーか上から目線っつーか、ムカつくったらねーぜ」
「フォルデ。そういうことは聞こえるように言うな」
「陰口叩くよりマシだろ」
「だが、青の森≠フ人間拒絶教育を受けた奴らとは少し違うだろ」
 そう言うと、フォルデはむっと眉をひそめる。
「そりゃ……そーだけどよ」
「少しサヴァン殿に似てると思わないか?」
「へ?」
 言われてフォルデは目をぱちぱちとさせたが、少し考え込んでからうなずいた。
「そうかも。なんか、こっちの言い分聞きはするけどぜってー受け容れなさそうなとことか」
「エルフと賢者が属性からして少し似てるせいもあるんだろうが。年の重ね方次第では簡単にああなるのだと思うと、ますますこの額冠の重みが増してくるな」
「へ? なんだよ、エルフと賢者が似てるって」
 きょとん、とした顔になるのに、あっさりと解説する。
「前に俺がエルフは神の眷属だとか言ってただろう。あれはあながち外れでもなくてな。エルフというのは神にこの世界の運行を効率よく行うための回路としての役目を与えられ創り出された存在なんだ。神が精霊――世界の自然現象を統御、というか自然現象そのものに人格、ないし意識が発生したものを効率よく動かすための補助機構。エルフは存在するだけで周囲の精霊、すなわち天地間の万象――生命も含めたすべての活動を活発化させることができる。神のためにこの世のありとあらゆる知識を収集・解析する義務を負う賢者とそう」
「賢者殿」
 案内役のエルフが、低く、そのくせかなりに鋭く呟く。ロンはちろりとそちらを見て肩をすくめた。
「失礼。気に障ったか?」
「神の思し召しに勝手な推察を差し挟むなど不遜、とは思わぬか。我らはみな神の御力によって生かしていただいているのだから」
「そこらへんは好みの違いだな。俺はどんなに立派と言われている権力者だろうと無条件で敬服したりはしない主義だ」
「……主義のどうこうで語れることではあるまい」
「俺にとってはそういう問題だ。よく知りもしない相手のことをどうこう言うことはできん。そして俺は神という存在と話をしたことがあるわけでも存在を実感したことがあるわけでもない。だから無条件で敬服はしない、それだけだ」
「……そうか。人間らしい、と言えば言えるか」
 低く呟き、エルフは足を速める。どうやらムッとしたようだった。まぁほとんど世界創成より変わらぬ営みを『神の御言葉のままに』続けているエルフ族ならば、当たり前と言えば当たり前なのだろうが。
 と、さっきの爆発からひたすに周囲に謝罪を繰り返していた(たぶん久々の爆発で抑えが効かなくなったのだろう)セオをなだめていたラグが、エルフに向け声をかけた。
「あ、ちょっといいかな。ええと、エルフのお嬢さん」
「なんだ、人の子よ」
「……君みたいな子に子供扱いされると、なんというか、いたたまれない気分になるな……」
「自らの生の数十分の一も生きていない者にお嬢さん扱いされる私ほどではあるまい。で、なんだ」
「あ、うん、ええと」
 数十分の一……? と呟きつつ目を白黒させていたラグは、重ねて問われ慌てて答える。
「聞きたいんだけど。俺たちとこれから戦うというか、試練の相手になるのは、エルフ族の戦士なんだよね?」
「そうだ。この森のエルフの中でも、幼き頃より戦う道を選び鍛え抜かれた精鋭だ」
「そうか……で、その。やっぱり……女性、なのかな?」
「は?」
 エルフが素できょとんとした声を出す。フォルデが目をぱちぱちとさせる。ロンは思わずは、と息を吐いてラグに小声で心からの忠言を送った。
「おいラグ。老婆心ながら忠告するが、女だらけの世界でそういうことを聞くのは、どういう意味であれ侮辱と受け取られかねんぞ」
「い、いやそれはわかってるけどさ! なんていうか……やりにくいなぁ、って。今まで俺の見てきたエルフっていうのは、みんな華奢で……触ったら壊れてしまいそうで、戦いなんかする必要のない子たちばかりだったから。そんな子たちと戦わなくちゃならないと思うと、やっぱりやりにくいなぁ、って」
「……戦士。聞くが、お前は我らを馬鹿にしているのか」
 低く、冷たい声で訊ねるエルフに、ラグは慌てて首を振る。
「いや、そういうわけじゃないんだよ!? 君たちが俺たち人間より強い魔力を持っているのは知っているつもりだ。だけど、やっぱり君たちは全員女性だろう? なにもわざわざ試練にこんな、戦いなんかを選ばなくたって……自衛のための戦いとかならとにかく、する必要のない戦いまでしなくても」
 ああ、またこいつはこういう時にこういうことを、と額を押さえるが、時既に遅し、案内のエルフは零下の視線でラグを見つめてくる。
「そう思っていたければ思っているがいい。そんなことを考えているような者が我らに打ち負かされたのち、見苦しく言い訳をせずにいられるか見物だな」
「え、いやあの、ごめんそういうつもりじゃなくて――」
 が、エルフはふい、とこちらに背を向け、先程よりさらに早足で歩を進め始める。ふう、とため息をついて、ロンはラグを半眼で見つめた。
「お前な……この状況であんなことを言えば向こうの反感を買うだけだとわかってただろう」
「いや……それは、わかってたけど」
「はぁ? なんで反感買われなきゃなんねぇんだよ? ラグはただ女がわざわざ戦う必要ねぇってだけじゃねぇか」
「フォルデ……」
 思わず頭を押さえると、なぜかラグがフォルデに向き直り説教するように言う。
「フォルデ、戦うことを選んだ女性に対してそういうことを言うのは失礼に当たるんだぞ。守ってくれる男がいなかったからとか男に負けたくないからとかいろいろ理由はあるにせよ、女性であろうと戦う道を選んでしまった人がそれをよそからどうこう言われたら腹が立つ。お前だってお前の事情をなにも知らない相手からなんで盗賊なんか選んだの、とか言われたら腹が立つだろう?」
「う……そりゃ、まぁ」
「わかっていてなぜ聞いた」
 というか向こうはお前のその根本的な上から目線というか、女を対等の存在としてみなしてないところが腹が立つということわかってるのか、と言いたくなりながらも訊ねると、ラグは困ったような顔をして頭を掻いた。
「だってさ……正直、本当にやりにくいんだ。女と戦うのは苦手なんだよ。今までも何度か女戦士と戦ったことはあるけど……それでもやっぱり、そのたびにものすごく疲れるし……戦ったあと、落ち込むし」
「落ち込む? なんでだ」
「だって、傷をつけちゃまずいだろう。女性なんだから。もし必要以上に傷をつけてたらと思うともう、申し訳ないというか身の置き所がないというか……」
 は、とロンはため息をつく。ロンとしては正直阿呆かとかそういう思考を抱くこと自体真剣に戦士の道を目指す女にとってはこの上ない侮辱だろうとかいろいろ思うことはあったのだが、言うのはやめた。言っても無駄だろうし、そもそもさして気に入ってもいない女の代弁をしてラグと喧嘩をしてもロンは少しも面白くない。
 が、フォルデはなぜか妙に真剣な顔でラグに訊ねる。
「やっぱそうか? 女ってやっぱ、そう……体に傷が残るとか、気にするもんなんかな?」
「おい……フォルデ」
「普通は気にするだろう。女戦士としての道を志してはいても、やっぱり女なら体に傷が残ることはすごく辛いことだと思うぞ」
「……あのな」
「そっか……そーなのか、やっぱ。……クソッ」
「ああ……やっぱり女性との直接対決なんて、気が進まないな。どうにか別のやり方に変えてもらうことは」
「お前らな……」
 あーくそどーやってこいつら説得しようかまったく面倒くさいなんで俺が女の感情を代弁しなければ……と顔をしかめていると、きょとんとした顔で話を聞いていたセオが首を傾げて言った。
「どうして、ですか?」
『…………』
「ど、どうしてって、セオ。だって、女性と戦うんだよ?」
「あの……でも、エルフの方々が、話し合いの末決めた、ことなんですから、こちらの都合でそれに文句をつけるのは、かえって失礼じゃないかと、思うんですけど……っすいませんごめんなさいっ偉そうにっ、ただそんなことを言ったらラグさんやフォルデさんが悪く思われちゃうんじゃ、って……!」
「それは……そうだけど……。セオ、君は嫌じゃないのかい? 女性と戦うのは」
 セオはまたもきょとんとした顔をした。
「どうして、ですか?」
『…………』
「……女性の体に傷をつけても、いいってことかい?」
「いえ……あの、男性でも体に傷がつくのは嫌って方もいらっしゃるでしょうし。そもそも勝負に負けたり死んだりする方が嫌だという方も多いでしょうし、もちろん体に傷をつけたくないと思ってる方に無駄に傷をつけたくはありませんけど、戦いの最中にそういうことを考えてると、殺される可能性の方が高いですし……」
『…………』
 沈黙した二人に、ロンは思わずぷっと吹き出した。ぎろりと睨まれるのに、くすくす笑いながら流し目をひとつくれてやる。
「ま、そういうことだな。女が相手だろうとなんだろうと、戦いの最中にしょうもないことを考えていたら負けるぞ、ということだ。試練と称しているとはいえ、向こうにこちらを殺す気がないなぞと断言なんぞできんのだからな。相手の力もわからんのに、戦う前から手加減の方法なんぞ考えていると死ぬぞ。そのくらいとうにわかっていることだろう?」
『…………』
「あ、あの……俺、なにか変なこと、言っちゃい、ましたか……?」
「いいや、心配するなセオ。君は微塵も間違ったことは言っていないぞ」
「……チッ。わーったよ。確かにちっとボケてたな……人の姿してるからって魔物より弱ぇたぁ限んねぇのによ」
「あ、のっ。白の森≠フエルフの、精鋭ということは、たいていの魔物より相当、強いと思い、ますっ。世界でも相当に強い部類と言われる、この世界樹の森の魔物を、簡単に倒せるって、ことですからっ」
「へっ、上等だ。面白ぇじゃねぇか。きっちり負かして世界樹の葉ぶんどってってやらぁ」
「……と子供たちは言っているが、どうする母さん」
「子供たち呼ばわりすんな!」
「だから母さんはやめてくれといつも……ああわかった、わかったよ。俺もぬるいこと言うのはやめて目の前の敵に全力で対処する」
 だけど、本当に苦手なんだよなぁ。
 心底困り果てたという顔で呟くラグに、ロンは少しばかりラグの女性観念とヒュダへの信仰の関連について一席ぶってやりたくなったが、やめた。戦いの前にラグと喧嘩になっても困るからだ。そのあとラグの機嫌を直すのも大変だし。

 案内された場所は森の中の広場だった。そこだけぽかんと空間が空いており、積み重なった落ち葉が腐葉土となっているのに樹はおろか下生えも生えていない。おそらくはエルフの魔法だろう。エルフ族は植物についてならば賢者すら知らぬ秘術をいくつも心得ているというし。
 ざっと半径三丈の円の形をしたその広場には、三人のエルフが待っていた。それぞれ虹色に輝く衣をまとっているだけで、武器も持っていない。案内のエルフはすたすたとその三人のところに近寄り、くるりとこちらを向いて告げた。
「貴殿らの相手は我ら四人が行う。戦いの準備をなされよ」
「は……? おい、ちょっと待てよ、お前ら武器も防具も持ってねぇじゃねぇか」
 訝しげな声を上げるフォルデに、エルフはあっさりと首を振る。
「気遣いは無用。我らエルフにとり、この大地が鎧であり大気が盾。そして木々が武器だ。この森で戦うならば、貴殿らに対するに武器は不要」
「……舐めてんのか、てめぇら」
 一気に険悪な表情になるフォルデを、小さくロンは制した。
「落ち着け。挑発だ」
「っどよ!」
「あいつらの着てる衣はおそらくかなりに強力な魔道具だ。それにたぶん何人かは武器を隠し持ってる。こちらを油断させ挑発するよくある手だ」
「……っかよ。あの女ども、試練とか抜かしやがって本気で勝つ気満々じゃねぇか」
 小さく舌打ちをする。フォルデはしっかり戦闘態勢に入ってくれたらしく、素早く装備を確認し武器を準備し始めた。ラグは小さく息を吐いて、いかにも不承不承という感じではあったものの斧を構え、セオも剣を抜く。ロンも杖を確かめた。
 同様に、向こうも戦闘準備を整え始めた。といっても隊列を動かしただけだが。自分たちを案内してきたエルフが自分たちから二丈ほどの距離をおいて立ち、他の三人は後方にばらばらに広がる。
「前衛が一人、後衛が三人か……」
「呪文特化の構成だな。たぶん前衛は足止めと防御に特化した戦法を取ってくるはずだ」
「防御って……武器も防具も持ってねぇのにかよ? しかも女一人だぜ?」
「言っただろう、武器を隠し持っていると。そしてここは森の中でエルフは森の妖精だ。手はいくらでもあるだろうさ」
「となると……向こうの出方にもよるけど、可能なら前衛に集中攻撃して仕留めるか、厄介な後衛をなんとか先に潰すか……に、なるかな」
「そうなるだろうな」
「勇者セオ・レイリンバートルとその仲間たちよ。準備はよろしいか」
 呼ばわる先頭のエルフに顔を見合わせてからうなずく。が、セオは一人、おずおずと手を上げた。
「なんだ、勇者よ」
「あの……戦いの前に、少し、お聞きしても、いいでしょう、か?」
 エルフはわずかに眉を寄せたが、うなずいた。
「試練に必要なことならば」
「あ、はい。あの……すいませんが、みなさんの、お名前をお聞かせ願えない、でしょうか?」
『は?』
 エルフたちが声を揃えて目を見開く。ロンも少しばかり驚いた。
「……なぜ、そのようなことを?」
「え、いえ、だって、戦う相手の方のお名前ぐらい、知っておきたい、ですし。個別認識って、大事ですし……あ、すっすいませんっ、俺なんかが偉そうにっ、ごめんなさいっ俺なんかがお名前聞くなんてご不快、でしたか……?」
「……いや。だが、我らエルフは森の妖精。すべて一本の樹から枝分かれした芽にすぎない。なので個を持たず、ひとつの精神で統御されるのが本来の在りよう。なので、我らに名はないのだ」
「え……俺、以前この白の森≠フ、異端審問官っていう方にお会いしたん、ですけど、その方は名前を……」
「――森の外に出るような特別な役職を持つ方は名を授けられることもあるが、本来我らエルフは王族以外名を持たぬ。エルフ同士ならば名で呼びあわずとも精神が感応する。なので、あなた方が我々を個別認識しようというならば、どうとでも好きなように名付け、呼ぶがいい」
 そう言われ、セオは少し困ったような顔をしたが、「もうよろしいか」と問われ慌ててうなずく。それにエルフたちはうなずきあい、先頭のエルフがさっと手を上げる。や、周囲から澄んだ少女――エルフたちだろう、の声が合唱するように響いた。
『勇者よ、我らが世界樹の試しを受けよ! いざやいざいざ、樹前にて!』
 そして朗々とした女性の声が、大きく告げる――
「では――はじめっ!」

 だっ、と真っ先にフォルデが飛び出した。フォルデの素早さはもはや人間外とすら呼ばれる段階、いかに機敏なエルフといえどそう簡単に反応できはしない。
 が、フォルデが前衛のエルフに短剣を届かせるより早く、後衛の一人の呪文は完成していた。
「――アネスディルエメルゲドースラン!=v
 どぅんっ。爆音と衝撃が空間を満たす。こちらの四人に向けて発破のように弾けたその爆発は、フォルデを含め自分たちを大きく後方へと吹き飛ばしていた。ロンは吹き飛ばされながらちっと舌打ちする。
(詠唱の速度を上げる魔道具を装備した奴が相手を跳ね飛ばす¥ユ撃のみに特化させたイオラでこちらを寄せ付けない作戦か)
 エルフの呪文は神から直接授けられた恩寵、レベルを上げて呪文を習得しさえすればそれを完璧に――それこそその呪文を研究し尽くしたかのように変化させたり強化したりすることができる。だからやろうと思えば『相手に打撃を与えない代わりにその分強烈な跳ね飛ばす衝撃を与える』なんて呪文を使うことも簡単だ。
(だがっ!)
 ロンは素早く呪文を唱えた。素早く、早口で、だが十全の威力が出せるよう集中して呪文を使う技術はしっかりサヴァンに叩き込まれているのだ。
「我、以理魔、反射魔鏡!=v
 カッ! とロンの前に光り輝く壁が生まれる。マホカンタ――どんな呪文であろうとも跳ね返してしまう魔法の壁を作る呪文だ。エルフたちは呪文で攻めてくるはず、これで攻め手をひとつ封じる!
 が、残りの二人の後衛のエルフたちが唱える呪文に、ロンは思わず目を見開いた。
『ゼディラエルメトステイホルシェクティヤ……=x
 二人がまったく同じ調子で、微塵のずれもなく唱えられる呪文。それはまず間違いなく。
(同調呪文、か……!)
 二人の呪文使いが精神と詠唱を同調させることで、本来の数倍の威力を出す秘術。人間ではどんなに近しい存在であってもまず不可能な技だが、本来個を持たずすべてが一個の精神で統御されるエルフならば。おそらくその威力はイオナズン、いやその数倍ほどになるはず。
 ロンはちっ、と舌打ちしてマホトーンの呪文を唱え始める。抵抗される、ないし無効化される確率も高いが、広場の境界線ぎりぎりまで吹き飛ばされてしまったこの状況では他に手がない。
 だが、それよりもエルフたちが詠唱を終える方が早かった。おそらくこいつらも詠唱高速化の魔道具を装備しているのだろう。エルフたちはまったくずれのない詠唱でイオラの呪文を完成させ――
『アネスディルエメルゲドースラン!=x
「我は何物をも喪失せず、また一切を失い尽くせり!=v
 放たれた大爆発は、それとほぼ同時に完成したセオの呪文に無効化された。
 ロンは硬直して前を見やる。ラグもフォルデも、セオも硬直していた。せざるをえないのだ。
 セオの唱えた呪文はアストロン。自分を含めた仲間の体を鉄のような、だがそれよりもはるかに硬い、というより『攻撃を無効化する』という呪がかけられた金属へと変えありとあらゆる攻撃を無効化する呪文だ。
 だが、無効化している間はこちらも動けない。つまり、あくまで緊急避難的な呪文で、相手に態勢を立て直す時間を与えてしまうことにもなりかねない代物なのだ。
 それを見て取ったのだろう、前衛のエルフはに、と笑んで、小さく呪文を唱えた。とたん、その背中からばっ、と枝のような、鋼線のような銀に輝くなにかが広がる。それを見て、ロンは心の中で目を見開いた。
 あれは、エルフの宝重ミスリルテインの槍。いや、おそらくはその複製品か。かつて邪なる神を殺したとされるヤドリギの槍にして剣にして矢。植物でありながら真なる銀を宿す武器であるその特性は、魔力に応じて繁茂し自在に宙に枝を伸ばすこと。
 そう検索した知識の通り、その槍は凄まじい勢いで枝を伸ばし始めた。樹が成長するのを早回しで見せられているように、その枝は見る間に自分たちの周りを取り囲み、いまだ硬い手に、足に絡みつき、こちらが動けるようになればすぐにでも突き刺そうというように、心臓、腹、顔、急所と名のつく場所すべてに鋭いその枝先をつきつける。
 ロンはまったく動かない体で、内心深く息をつきながら次の一手を考えた。

 エルフたちは勝利を確信していた。自分たちの作戦は完全に図に当たった。ミスリルテインの槍をここまで繁茂させることができたのならば、どう転んでも自分たちの負けはない。この空間を自分たちは完全に制圧できたのだから。
 エルフたちは揃って勇者たちを注視する。勇者たちが元の姿に戻るや攻撃を仕掛けられるよう、それぞれ準備を万全に整える。勇者であろうとなんであろうと、この森で戦う以上自分たちに勝てる人間はいない。
 三十秒。まだ勇者たちは動かない。
 一分。まだ勇者たちは金属の彫像のままだ。
 二分。勇者たちはいまだ硬い金属のまま。
 三分。勇者たちはまだ三分前と同じ体勢のまま動かない――
 と、エルフたちがいい加減焦れてきた頃、唐突に勇者たちの肌に生命の色が戻った。
「ω!=v
 前衛のエルフが一声叫び、ミスリルテインの槍を突き出させる。そこに同調呪文のイオラをぶつければ、勇者たちは簡単に全滅させられるはず。
 ――が、その目論見は、一瞬も経たないうちに崩れ去った。
「は……あっ!」
 戦士が動いた。体を大きく動かしたわけではない、ただ体を捌いて大きくなにかを引いただけ。
 それだけで、ただ引いただけで、前衛のエルフは大きく宙に吊り上げられた。
「――なっ!?」
 エルフたちは揃って仰天した。馬鹿な、そんなことがありえるはずが。確かに戦士の体に絡みついたミスリルテインの槍は前衛のエルフの背中に仕込んだ種≠ゥら繋がっているが、いかに自分たちエルフが非力で体重が軽いとはいえ、大きく繁茂した槍ごとこんな風に吊り上げられるなどそんなことがあるはずが。
 だが実際に前衛のエルフは吊り上げられている。ありえない光景に仰天し、思わずぽかんと口を開ける――
 そのわずかな隙が致命的だった。戦士の動きで槍を引き剥がされたのか、盗賊がしゅっと、目にも止まらぬ速さで飛び出し後衛のエルフたちに接近する。
 狙いは最初に跳ね飛ばすための呪文を唱えたエルフ。接近戦を妨害する者を倒しに来たか、とエルフたちは慌てて陣形を整え呪文を唱えだした。
 エルフたちが全員装備している詠唱高速化の魔道具をもってすれば、いかに盗賊の動きが速かろうと遅れはとらない。よしんば一撃を受けたとしても、物理攻撃に対する耐性も優れているこの防具ならばあっさりと倒されることはありえない。しかもこの防具は敵意のある呪文をかき消す、マホカンタで跳ね返された呪文も無効化できる。だから負けることは、ありえない!
 そう自分に言い聞かせながらエルフたちは呪文を唱える――が、盗賊の動きは予想以上に速かった。まだ呪文が一節残っているというのに間合いを詰められ追いつかれる。
(……だがっ!)
 この一撃に耐えさえすればこちらの勝ちだ! そう必死に呪文を唱えるエルフに、フォルデは閃光の速さで間合いを詰め――ぐい、と身を守るべく突き出した左腕を引いた。
(え?)
 一瞬目を瞬かせる。意味がわからない。刃で斬りつけるのでも鋼の鞭で薙ぎ払うのでもなく、なぜ、左腕を?
 一瞬の困惑と混乱。その間に盗賊はぐい、と左腕を引き、体を回転させ、瞬時に背後に回り、目にも止まらぬ速さでエルフの襟元に手をかけ、しゅっ、と引き――
 それだけで、そのエルフは意識を失っていた。
『!』
 残る二人のエルフに動揺が走る。馬鹿な、なぜあんなことで? ただ襟を引いただけで? 疑問が脳裏に渦巻くが、当然答えは返ってこない。
 人間に対する知識の少ないエルフたちは当然、知らない。これが武闘家の用いる締め技のひとつであることも、左腕を引いてからの流れがロンがフォルデに稽古をつけてやっていた頃何度も繰り返し用いてフォルデを負かし続けた連携だということも。
 そしてその直後に、賢者の唱えた呪文が完成した。
「我、以土行成爆発、砕!=v
 どぅんっ! と広場全体を巻き込んで爆発したそのイオラは、繁茂したミスリルテインの槍を砕き、大地を巻き込んで、もうもうと目の前が見えなくなるほどの土煙と銀砂を巻き上げる。狙いの甘い、と舌打ちをしかけ、いやもしやこれは煙幕のつもりで――と気づいた時にはもう遅かった。
「ぐ……っふ!」
 どむっ、とみぞおちに柄が叩き込まれ、エルフの一人が崩れ落ちる。残りの一人は懸命に呪文を唱え完成させる――が、もはや同調呪文の使えない、目標もまともに見えない状態では、手応えはひどく薄かった。
 もうもうと舞う煙の中、四つの気配が近寄ってきた。それぞれに油断なく武器を構えた体勢で。
「どうだ。まだやるかよ」
 自分の背後から盗賊が。
「四対一、しかもここまで接近されては、普通に考えて勝ち目は薄いと思うが?」
 いつの間にかすぐ右隣まで近付いてきている、薄い笑いを浮かべた賢者が。
「ええと、降参してくれないかな? 勝負はついてると思うんだけど」
 真正面からじたばた暴れる前衛だったエルフを余裕たっぷりに抱え込み口を塞ぎながら苦笑する戦士が。
「あの……ごめんなさい、もし続行されるということでしたら、あなたを倒さなくちゃならないんですけど……よろしい、でしょうか?」
 左隣からひどく困ったように顔を歪めた、自分のみぞおちに武器を突きつけた勇者が言ってくる――
 とたん、声が響いた。朗々と、高らかに澄んだ美しい声。――女王の声だ。
「そこまで! 勇者セオ・レイリンバートルとその仲間たちは世界樹の試しに打ち勝った! 以後、彼らは世界樹に詣でる資格を得た我らが賓客であり、害することは我らが世界樹の名において禁ずる!」
 その声について周囲の木々に隠れ試しを見ていたエルフたちが唱和する。
『勇者は試しに打ち勝った! 我らが世界樹の名において!』
 その声に、エルフたちはがっくりと頭を下げた。自分たちの、負けだ。

「しかし……アストロンという呪文をかけられたのは初めてだが。まさか体を金属化させながら仲間の間で高速で意思の伝達ができる仕組みになっているとはな」
 勝負のあと、葉を与える儀式の準備があるというので待たされる間に通された露台で、ずずっ、と香草茶(エルフたちが調合したのだろうが、よくも悪くも不思議な風味のお茶だ)を啜りながら言うと、さっさとお茶を全部飲んでしまったフォルデが椅子を揺らしながらうなずいた。
「だよな。っつか、いきなり体が鉄みたいなのになっちまったからなんなんだって思ったし、動けなくしたのがお前って時にはなにしてやがんだって思ったけどよ」
「ごっ、ごめんなさいっ、あの間合いで同調呪文を防ぐにはあれしかないって思ってっ……同調呪文って、初めて見るので、どのくらい強力なのかわからなくて……ごめんなさい……」
「いや、謝ることないよ。実際相手の手の内を見れて、きっちり対策が立てられたんだからね」
 笑顔でわずかに茶を啜り、泣きそうに顔を歪め頭を下げるセオにそう言うラグに、セオは「はい……みなさん、ありがとう、ございます」と頭を下げてへちゃ、と顔を歪めてみせた。
「しかしそれもラグのあの剛力があってこそだが。いつの間にあそこまで法外な腕力を身につけたんだ?」
「え、いつの間にって……いつの間にか、自然に。お前だって武闘家のままならあれくらいできたと思うぞ。なんていうか、毎日戦ってレベルが上がっていくうちに、なんだか当たり前みたいにとんでもない力が身に着いちゃったみたいで。フォルデだって、そうだろ?」
「……まーな……俺の場合は、体の素早さだけど。確かに、なんか、いつの間にかとんでもねー速さで動けるようにはなったな」
 フォルデがひどく面白くなさそうな顔でセオをちろりと睨む。それにセオがびくりとして見る間に泣きそうに顔を歪めるので、セオが謝り出す前にロンは笑ってみせた。
「まぁ、そうむくれるな。お前が自分よりすごいものが嫌いなのはよく知っているが、実際俺たちがセオのおかげで強くなっているのは確かなんだ、セオを自分……と俺たちだけの力で守ってやりたいお前の気持ちはわかるが、そう勇者の力を邪険にすることもなかろう」
「え」
「な……っなななななに抜かしこいてやがんだてめぇはぁっ! 勝手なことごちゃごちゃ言ってんじゃねぇっ、俺はただなぁっ、自分以外の力で強くさせられるのが気に入らねぇっつーかそんだけでだなぁっ」
「そうだな、お前はセオに頼らずにセオを守ってやりたいと思っていたからな。個人的にはそういう考え方は嫌いじゃないが、守られる側からしてみればけっこう面白くないものがあると思うぞ」
「だ、っから違……、………、……っいうもんなのかよ」
「そういうものだ。お前だって俺たちが勝手に自分のいちいちを守ろうとしたら子供扱いされているようで面白くないだろう。子供だろうが、女だろうが、愚か者だろうが、矜持というものは存在するのだということだ」
「そりゃ……確かに、そう、だな」
 仏頂面でうなずくフォルデ。それにうなずきを返してやりつつも、うんうんとうなずきながらもあからさまに他人事な顔のラグに苦笑する。ロンとしてはラグの女性観念に関しても触れたつもりだったのだが。
「……おい、ロン」
「ん? なんだ」
 フォルデがぎっとこちらを睨みつける。ロンが見返すと、その視線に全力で視線をぶつけつつ、フォルデがひどくぶっきらぼうに言った。
「確かに、意味、あったな」
「は?」
「……っでもねーよっ」
 ぷい、とこちらから顔を背けるフォルデ。なんなんだ、と軽く潜る≠竄「なや、出た答えに思わずにやぁ、と笑ってしまった。
「……てめぇ、なんだその顔」
「いや? ただなんというか、お前は本当に可愛いなと思ってな」
「なっ……」
「あの稽古の時俺がああ言ったのはもう半年以上前のことだろう? それをきちんと覚えていてわざわざ触れてくれる……お前は本当にいい子だな、フォルデ」
「っっってっめぇ上等だ喧嘩売ってんなら言い値で買ってやらぁっ!」
『――――…………!』
 フォルデがいきり立って席から立ち上がるや、奇妙な叫びのようなものが周囲を満たした。どこか女の悲鳴に似た叫び。それにはっと全員身構えるが、その悲鳴はあっという間に小さくなり掻き消えていった。
「……なんだ、今の」
「女性の、悲鳴のように聞こえたけど――」
「ああ、魔物が出ただけだよ。この周りには今けっこうな数のエルフが集まってるからね、君たち見物しに。心配しなくていいよ、もう対処はすんでる」
「――サヴァンさん!」
「はーい」
 サヴァンは手を挙げて笑顔でこちらに歩み寄ってくる。背後に、なぜか一人のホビットを連れていた。ゆっくりと近付いてくるサヴァンに、ロンは軽い口調で声をかける。
「これは、サヴァン殿。もう試練とやらはすんだのか?」
「ま、一応ね。いっくら植物相手だからって、魔的生物の走査及び回路障害の除去が試練なんて、本当に僕を落とす気あるのかなって感じだったけど」
「植物でない方がお得意か?」
「ま、僕が一番得意な術式って医療関係だから」
「意味わかんねぇぞお前ら」
「それよりもサヴァンさん、魔物が出たっていうのは?」
 ラグが真剣な顔で訊ねると、サヴァンは苦笑して肩をすくめた。
「普通に現れただけだよ。この森には結界とか張ってないから、どこだろうと魔物は現れるし襲ってもくる」
「……っはぁ!? んっだそりゃ結界張ってないってなに考えてんだエルフってのぁ!」
 人の住む街ならば必ず賢者なり僧侶なり魔法使いなりが魔物を寄せつけないための護りの結界を張る。たとえその職業の人間がいなくとも、専用の魔道具を使ってきちんと手順に従えばそれなりの強さの結界は張れる。つまり、まともに人が住む場所に結界が張られるのは、自分たちにしてみれば当然以前の思考なのだ。
 なのでロンはわずかに顔をしかめ、軽く潜る=Bエルフ関係のデータはプロテクトが厳重なのでさほど期待はしていなかったが、場所がそのど真ん中なせいか思いのほかあっさりとデータがのぞけた。
「……なるほど、な」
「なにがなるほどなんだ」
「この森のエルフたちの人口密度の問題だ、ということだ」
「は?」
「ロンくん正解!」
「わけわかんねぇっつの。とっとと説明しやがれ!」
「ううんと、つまりね。エルフのみなさんはこの森中にばーっと広がってるわけ。しかもたびたび大きく移動する。見回りとか、いろんな目的でね。定住してないようなもんだから、人間の街のように小規模だけど密度の濃い護りの結界は張っても意味がない。森全体に護りの結界をかけたところでもう森の中に魔物は入っちゃってるわけだしね。で、代わりに迷いの結界を張るわけ」
「迷いの結界って……ノアニールのエルフたちみたいな?」
「そ、青の森≠ンたいな。ていうかこっちが元祖だけど。エルフ以外の存在の方向感覚を狂わせ迷わせる結界を張ることで、追跡を封じる。で、魔物が出たらひたすら逃げ隠れするのが基本なわけ」
「んだそりゃ……ひたすら逃げ隠れって、疲れんだろうによ。フツーに森中の魔物根こそぎ倒して護りの結界張るんじゃ駄目なのかよ」
「駄目だろうねー。無理だもん」
「は? 無理って……」
 サヴァンはにこにこと笑みながら解説する。セオが静かな、だが食い入るような眼差しで自身を見ていることに気づいているのかいないのか。
「あのね、魔物っていうのは、基本的に根絶できないんだよ」
「……はぁ?」
「魔物っていうものはどうやって生まれるか知ってる?」
「そりゃ……親からだろ。卵とか、分裂とか」
「うーん、そういう生まれ方も確かにするけどね。魔物の根本的な発生原因は、『世界の構築』なんだよ」
「……はぁ?」
「エリサリって子に聞かされたでしょ? 魔物は『神が世界を創造する時に混沌を制御しきれずにできた』って。つまりね、神の御力の完全に制御できない部分、神が世界を構築する際どうしたって出てきてしまう失敗の時に、その歪みを一手に引き受けて誕生するのが魔物なんだ。魔族とは根本的に異なる存在なんだよ。専門用語でわかりやすく言えば、魔族はウイルスだけど魔物はバグなんだ」
「専門用語で言われたってわかるかよ!」
「あはは、ごめんごめん。……神は絶えず世界を構築し続けている。つまり、魔物の発生は決して止まらない。魔物を倒しても倒しても、その『歪みを消失させた』際の歪みを是正する際にまた歪みができてしまうから零に限りなく近づけることはできても零にはできない。まぁ増えすぎると消す必要はあるけどね」
「……そうなのか?」
「そ。白の森≠ルどの大きさの森だったら、エルフが総出で魔物を倒しても全域の魔物を倒しきるより前に魔物が新しく生まれちゃうよ。だったらわざわざ犠牲覚悟で頑張って護りの結界張るより逃げ隠れした方が効率いいでしょ? エルフたちはこの森の中ではどこにどう逃げるも自由自在なんだから」
「……なんだか、今ものすごく重大なことをさらりと言われた気がするんですが。魔物が根絶できないって……別に根絶させたかったわけじゃないけど、なんだかちょっと力が抜けるっていうか……」
 おのおの考えに沈む仲間たちを見やりつつ、ロンは言った。
「で、サヴァン殿。そちらのお方は俺たちにいったいどういう御用があるんだ?」
「え、デロボさん? ああ、なんでもね、セオくんと一度会って話がしたかったんだって」
「え……」
 真剣な顔で考え込んでいたセオが、はっと顔を上げた。デロボという名らしいそのホビットは、サヴァンに深々と頭を下げてから、セオの前に進み出た。
「あんたが、勇者セオ・レイリンバートルかね?」
「あの……はい、そうです、けど……」
 戸惑ったような、少し怯えたような顔でデロボを見つめるセオに、デロボはなぜか破顔した。
「おうおう、オルテガさんに聞かされとった通りじゃ。顔も雰囲気も、オルテガさんとはだいぶ、違うのぅ。だが、口元の辺りにちーとばかし面影がある」
「…………」
 セオは、一瞬目を見開いた。セオが『少し驚いた』を示す時程度の開き方で。
 それからわずかに首を傾げ、訊ねた。
「デロボさん、っておっしゃるん、ですか? あなたは、父と……?」
「おう、かつて供としてしばらく旅をさせてもらったことがある。この森にやってきた時に出会ってのぅ。さほど長く一緒にいたわけではないが……いや、正直さすが希代の英雄だと思うたわ。心身の逞しさ、力強さ、なによりその一途かつ壮大でありながら果敢な気宇。あそこまで強い心の持ち主が人にあろうとは思いもせなんだわ」
「……そう、ですか」
 セオは静かにうなずく。表情は落ち着いていて、乱れがなかった。淡々としていながらも、真摯な面持ちでデロボの話を聞いている。
 それが、逆に妙に気に入らなかった。
「そうとも。あれほどの勇者がいるならば魔王などが現れたとしても心配はいるまいと思っていたのだが……まさか、火山に落ちるとはなぁ……まこと、人の運命とは計りがたい……」
「はい」
 さも痛ましげに首を振るデロボに、セオは表情を変えずに真剣にうなずいてみせる。
「あんたもさぞ悲しかったろう? あれほど素晴らしいお父上を亡くされて。その遺志を継いでこうして旅に出るほどなのだものなぁ」
「いえ……ただ、俺は、俺にできることをやっているだけ、なので」
「ほほう、なんと謙虚な心構え。その志が三人もの仲間を作る源になっているのだろうなぁ」
「そう、なんでしょうか」
 いつもと変わらないように思えるセオの受け答え。実際ロンの目で見てみてもセオに変わったところは微塵もない。『父親』の話をしているというのに。
 セオを殺し、今だ引きずるほどの傷を負わせた相手の話をしているというのに。
「……おい、おっさ」
「デロボ殿、とおっしゃられたか。我々に、なにか頼みたいことでも?」
「ん? いや、オルテガ殿のご子息である勇者がいらしていると聞き、これはぜひ挨拶せねばと思い駆けつけただけでな」
「そうですか……そのお志、オルテガ殿もお喜びになると思います。セオの仲間として、深く感謝させていただきますよ」
「うむ、そうか、そうか」
「と、すいません、大変申し訳ないのですが女王陛下の使いがいらっしゃるまでに仲間だけで話し合っておきたいことがあるので、よろしければ……」
「おお、これはすまん、邪魔をしてしまったか。勇者セオよ、どうかオルテガ殿の遺志を継ぎ、使命を果たしてくれ」
「……はい」
「じゃ、僕は一度デロボ殿を送り届けてくるねー」
 言うやデロボに触れて呪文を唱えたサヴァンと、デロボは共に転移する。は、と思わず息を吐いてセオの方を見たが、セオの表情はやはり変わっていなかった。
 ……なんというか、ひどく、不穏なものを感じる。
「……おい、セ」
「勇者セオ・レイリンバートルとその仲間たちよ。我らが女王の準備が整った。こちらへ参られよ」
「………っ」
 ぶった切られた会話に思わずロンたちは舌打ちするが、セオは素直に立ち上がってこちらの方を見て目を見開き、おそるおそるといったように訊ねる。
「あの……なにか、気になられることが……?」
『…………』
 ふ、と息を吐き、フォルデは仏頂面で、ラグは苦笑しながら、ロンは肩をすくめて立ち上がった。
『別に』

「勇者セオ・レイリンバートルとその仲間たちよ。我、女王ヴァルヴァーラはそなたたちを世界樹へと案内しよう」
 女王とやらは少し青の森≠フ女王に似ていた。まぁどちらもエルフの王族なのだから当然といえば当然だが。
 玉座に座っていたその女王は、持っていた王錫をすい、と振り上げる。と、おそらくは生きた木でできている(先端にいきいきと色づく花が咲いているのだ)王錫の先端からふわ、と花粉のように見えるものが自分たちへと降りかかった。
 と思うや唐突に自分たちの前にエルフ――先ほど戦った奴らが現れた。足元には苗木じみたものが生えているから木を伝導体に使った転移だろう。そいつらは無言で自分たちに手を差し出す。
「……ええと?」
「その者たちは付き添いだ。世界樹の前まで案内するのには魔力の受け皿が必要だ、その者たちと手を繋ぎなさい」
「んなっ、…………、だークソッわぁったよしょーがねーなっ」
「ええと……よろしくね?」
「あ、あの、俺なんかが触って、本当に……あ、はい、わかり、ました。ごめんなさい……」
「……やれやれ」
 めいめい目の前の相手と手を繋ぐ。自分の相手は最初に自分たちを案内したエルフだった。無表情で(ロンも似たような仏頂面で)手を繋ぐと、女王が言う。
「では、いざ参ろう」
 言ってこちらに背を向け、王錫を振り上げ呪文を唱える。とたん、ずずずず、と大地を揺るがす音がした――かと思うと、自分たちの足元にごごっ、と巨大な木の根がいくつも上ってきた。その木の根は目の前のエルフと、そいつと手を繋いでいる自分たちをめいめい持ち上げ、載せたままぎゅんっ、と高速で移動を始める。
「わ、わわっ、んだこりゃっ」
 別の木の根でフォルデが叫んでいる。なるほど、これがエルフの秘術の植物を使った高速移動法か、とロンは一人うなずいていた。本来エルフでなければできない代物だから女王の力と監督役が必要なわけだ。
 景色はそれこそ馬が早駆けするよりはるかに速く後方にすっ飛んでいくのに、乗っているロンたちには空気は吹きつけてこない。快適なもんだな、と感心しつつ、こちらを見ようとせず無表情な案内役に徹しようとしている(が、耳がわずかに震えていたりする)エルフに、ふ、と息をついてからまぁ世界樹に着くまで暇だし、と声をかけた。
「おい」
「……なにか」
「聞いておくが、俺たちに負けたのを自分たちがエルフだから、とか人間にとって女と呼ばれる存在だから、とか阿呆なことは考えていないだろうな」
「っ、馬鹿馬鹿しい。そのようなこと、考えているはずがない」
「そうか、ならいい。……ラグは、うちの戦士だが、最愛の人が女なのでな。その人に対する信仰心の強さのあまり、女と呼ばれるもの全般に対して崇敬の念を抱いてしまっているわけだ。そしてそれが『当然』正しいことだと認識してしまっている。気に障ったことだろうが、そう恨みに思わん方がいいぞ。向こうにまるで通じんからな」
「……通じているならば思っていいようなことを言う」
「まぁ、あいつが認識を変えてくれるならそれに越したことはないからな。俺としても気が楽になるし。実力行使に出ようとするならば俺がきっちり排除させてもらうが……っ!」
 ロンは思わず顔を上げる。なんだ、この気配は。
「どうした?」
「いや……」
 笑みを含んだエルフの声に、ロンは半ば呆然と答える。この気配。心身が厳かなものに浸されていくこの気配。圧倒的な浄い力に体中が満たされ、清められていく。
 神域。そう言うにふさわしい力を感じる場所。これは、おそらく。
『…………!』
 ロンは、おそらく仲間たちも絶句した。彼方に、まだ相当に距離があるはずなのに目の前のように感じられる、天を衝くほどの、自分たちが何人集まっても抱え込めそうにないほどの巨大な樹が見えたのだ。
「あれが、世界樹……か」
「そうだ。我らが祖、ありとあらゆる植物の素となる存在。内に世界と運命を内包する樹。世界樹、ユグドラシルだ」
「…………」
 ロンは小さく息をつく。自分は神という存在を実感したことはない――だが、確かにあの樹には神威と呼ぶべきものがある。存在するだけでこちらを圧倒する、厳かな力。それを耐えず間近に見続けているこの森のエルフたちにとっては、神は当然のように身近にあるものなのだろう。
 自分が神というものを知らないという事実に変わりがあったとは思わない、が――この力を無視したり軽んずるようなことはしたくない、というようには思った。
 世界樹の少し前で木の根から降り、世界樹の眼前へと歩いて到達する。目の前にまでやってきて、また誰からともなくため息が漏れる。これだけのものを間近に見るという経験は、そうそうできるものではない。
 女王が呪文を唱えると、はるか天よりはらはらと一枚の葉が落ちてくる。それはゆらゆらと揺らぎながら、セオの手元に落ちていく。セオは驚いた顔をしておろおろと周囲を見回したが、「お受け取りなさい」と小さく女王に言われてはっとしたように葉をつかんだ。
「その葉にはありとあらゆる生命の輝きを取り戻す力がある。大事にお使いなさい。貴殿らが勇者とその仲間として生きようとするならば、その葉は大きな助けになるだろう」
 女王は厳かな言葉でそう言ってから、エルフたちに視線で合図をする。エルフたちはうなずき、自分たちの手を引いた。そしてさっきと同じように、世界樹から少し離れたところで木の根に乗り、移動する。
 だが今回の移動はさして時間はかからなかった。森の中の広場で、サヴァンが笑って手を振っていたのだ。
「や、みんな」
「……んだ、あんた。なんの用だよ」
「いやぁ、みんなも世界樹の葉がもらえたんでしょ? この森にはとりあえずもう用ないよね?」
「それは……まぁ」
「君たちの次の目的地はジパングだよね? だったらさ、僕がそことここの間ぐらいの場所に転移させてあげようかなって。時間の短縮になるでしょ?」
「……どっか怪しげな場所に連れてく気じゃねーだろーな」
「いかないいかない。精霊の泉って場所だよ。まぁその場所自体はジパングからちょっと離れてるけど、船がちょうどこことジパングの間ぐらいに着くからね。そこまでルーラすればいいと思うんだけど?」
「で……そのあとあなたはどうする気だ?」
「どうもこうも。君たちとはお別れすることになるだろうね」
「え……」
 目を見開いたセオに、サヴァンは微笑んだ。
「みんな、二ヶ月間本当にありがとう。久々に長期間他人と生活して、楽しかったよ。みんなも少しでも、僕との生活を楽しんでくれてたら嬉しいな」
 その言葉に、セオは泣きそうに顔を歪め、ラグは戸惑ったように眉をひそめ、フォルデはきゅっと顔をしかめる。そしてロンは言った。
「そういうことは、実際に別れる直前になってから言っていただきたい」
「あ、そりゃそうだね。ごめんごめん」
 サヴァンはあはは、と笑う。いつも通り、楽しげに。

 エルフたちに挨拶をしたのち、サヴァンはセオたちを連れて精霊の泉へとルーラで飛んだ。そこでまた挨拶をして、ルーラで転移。自分の役目はここまで、あとのことはまた別の者の仕事だ。
 まぁ、サヴァンとしてもセオたちがあの泉の精霊と出会えるかどうかはかなり気になるところではあったのだが――などと考えながら、すでに陽の落ちたノアニールへと続く道を歩いていると、その横にがらがらと音を立てながら豪奢な二頭立ての四輪馬車が止まった。すっと開いた扉に、サヴァンは苦笑しながら馬車に乗り込む。
 いつも通りに扉は自然に閉じ、馬車が走り始める。中に座していた少女の形をしたものに、サヴァンはにこにこと話しかけた。
「どーも、こんばんはー。ヴィンくんも、変わりないみたいでよかったよ」
「お久しぶりですな。あなたもお変わりないようで」
 ヴィンツェンツが御者台から答えを返す。それににこにことサヴァンは言った。
「やー、君に言われるとなんだか照れちゃうなー。だって君僕が賢者になりたての頃からずーっと変わらないんだもん」
「ほほう。それは褒めてくださっているおつもりなのですかな?」
「うーん、微妙?」
「それはよい。あなたを殺す理由がまたひとつ――」
「ヴィンツェンツ」
 静かに告げたヴィスタリアの言葉に、ヴィンツェンツが肩をすくめて口を閉じる。それにサヴァンはくすくす笑ってみせた。
「殺すって、ひどいなぁ。僕ってそんなにヴィンくんに嫌われてるの?」
「なにをおっしゃる、私はあなたのことを人間にしては相当気に入っておりますのに。目的のためならばどれだけ人を殺そうと平然としているところなど、特にね」
「それはどうも、ありがとう」
「サヴァン。――報告を」
 ヴィスタリアの声に冷気が混じるのを感じ、サヴァンは軽く会釈してから報告を始めた。
「彼らの現在のレベルはセオくんラグくんが38、フォルデくんが37、ロンくんが33ってとこです。ロンくんの同調深度は3%弱。どーやら彼、相当に全力でこっちの影響力を排除しようとしてるみたいですねー」
「対策はなにか打ったのかしら?」
「えー、そりゃこっちからハッキングして防壁ぶち壊せば簡単ですけど、そんなことやったら彼ら絶対僕を敵とみなしちゃうじゃないですか。味方と思わせなくてもいいけど敵に回ったとは思わせるなっておっしゃったの、ヴィスさまでしょ?」
「………まぁいいわ。神竜への敵意はどう?」
「なしですね。てゆーか無理じゃないですか? 抱かせるの。彼、たぶん問答無用で相手を敵とみなす、ってことができないと思うんですよ。今さくさく魔物殺してるのも、仲間殺されそうだから反射的にざくっとやってるのとそー変わんない気がしますけどね」
「そう……。……彼らの次の目的地はジパングで間違いないのね?」
「はい。パープルオーブを探しに行くつもりみたいですね。ジパングに対する知識はあんまりないみたいですけど。ロンくんはある程度は調べてるみたいですけど、たぶん防壁抜けてません」
「……たぶん?」
「はい、たぶん。実際彼相当優秀なんでね、こっちとしても気づかれないようにしつつ完全に監視するとか無理なんですよ。レベルはまだ33で、勇者の仲間じゃなくてもいなくはないレベルですけど、彼は自分の力の使い方を知ってます」
「……ふぅん。あなたにそこまで言わせるとはね……」
 とんとんとん、とヴィスタリアは組んだ手の甲を人差し指で叩く。おそらくは相当に深く考え込んでいるのだろう。こんな仕草を自分にみせるなど、ついぞなかったことだ。
「……いいわ。そちらは私がなんとかします。あなたにはしばらく休暇を与えるわ。禁忌区域以外はどこへなりと自由にお行きなさい」
「え、いーんですか? わーい嬉しいなっ♪ 久々の休暇だー」
「きちんと報告書は提出しておくように。それとあなたの誓約を忘れて無茶をしないことね。あなたは『自分のためには呪文は使えない』のだから」
「はーいっ」
 にこにこ笑顔を浮かべてみせるサヴァンにヴィスタリアはふ、と息をついてから、すい、と視線を外した。窓から馬車の外を見つめながら(この馬車は外から中はのぞけないが中から外は見えるようになっている)、小さく呟く。
「……あと、ひとつ。私が命じた個人的な調査の首尾は?」
 サヴァンはにっこりと微笑んでみせた。
「僕にできる限りは調べておきましたよ」
「そう。で、あなたの結論は?」
「はい。勇者セオの、最も重大で、強力な心的障害は――」
 ちらり、と一瞬セオの泣きそうな顔が頭に浮かんだが、サヴァンはそれを強制的にかき消して、ヴィスタリアに答えを告げた。

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