ムオル〜アリアハン――2
「あのっ!」
「なんだよっ! ……え」
 ムオルの商店街を出て少し行った先、人通りのほとんどない木陰で声をかけるや、きっ、とこちらを睨んできたポポタ少年は、ぽかん、と口と目を大きく開けた。ぱちぱちと瞬きをしつつ、まじまじとセオを見つめる。
「にーちゃん……なんで?」
「え……なんで、と、いうのは」
「なんでにーちゃん、いるの?」
「え……あの」
 セオは問いの意味がわからず困惑したが、とりあえず受け取れる意味ひとつひとつについて説明することにした。
「あの、なぜあなたを見つけられたか、というと、さほど距離が離れていなかったので、あなたの気配を追いかけたらすぐに見つかりました。なぜあなたを追いかけてきたか、というと」
 一瞬く、と唇を噛む。本当に、なぜ自分は彼を追いかけたりしているのだろう。そんな資格は自分にはないと、わかっているはずなのに。
「……放っておきたくない、なんて、偉そうで分不相応なことを思って、しまったからです。ごめん、なさい」
「…………」
「なぜ俺のような人間が存在しているか、というと……本当に、俺のような人間は存在すべきではない、とは本当に俺も思うんですけれど……」
 また一瞬小さくうつむいてしまってから、ゆっくり顔を上げて真正面から少年を見つめ小さく言う。
「俺に、生きてほしい、と思ってくれている人がいて、俺が生きたい、と思ってしまっているからだと、思います」
「…………」
 少年はぽかんと口と目を開けてそれを聞いていたが、やがてにやっと笑みを浮かべた。嬉しげな笑いだ、とセオの目には見えた。
「そっか。……にーちゃんってさー」
「はい……?」
「いー奴だなっ! 俺にーちゃんみたいな大人初めて見たっ」
 満面の笑みでそう言われ、セオは仰天して全力でかぶりを振る。
「え………! いえそんな俺は別にそういうわけじゃまったく本当にっ、俺はわがままだし身勝手だし人を四六時中不快にさせている最低としか言いようのない」
「あはは、なにもそんなにムキになって自分ダメとか言うことないじゃん」
「いえでもあの、本当に」
「なーにーちゃん、なんで俺に敬語使うの? にーちゃんの方が年上じゃん。おかしいよそれ」
「え、いえ……あの」
 確かに一般的にはおかしいと思われる事柄なのかもしれないが、自分はアリアハンでも年下の少年たちに敬語を使うよう言われていたし、自分はたぶんこの世界の誰より低劣な存在だろうからどんな人間にも敬語を使うのが常態なのだが。
 が、それを説明しようとする前に、少年はにかっと笑ってきっぱり言った。
「やめてくれよな敬語とか、そんなの使われたらこそばゆいし。そんかわし俺も使わないからさ。それでいい?」
「え……えと、はい」
 彼がそうしてくれと言うならば、断るのもかえって失礼に当たるだろう、と判断しおずおずとうなずくと、少年は笑顔でうなずいてみせる。
「うん、決まりなっ。なーにーちゃん……確か、名前セオっていうんだよな?」
「えと、はい……じゃなくて、えと。う……ん」
 一年ほども誰にも使わなかった言葉なので口が上手く回らなかったが、それでも会話語で答えうなずくと、少年はへへ、とまた笑った。よく笑う子だなぁ、とこっそり感心する。さっきは始終怒っていたような印象があるのだが。
「じゃ、セオにーちゃんな。……あのさ、セオにーちゃん」
「う……ん。なに?」
 そんな呼び方で自分の名を呼ばれたのは初めてで、戸惑いつつも首を傾げると、少年は真剣な顔になって訊ねてきた。
「あのさ。セオにーちゃんは、どうやって勇者になったの?」
「え」
 思ってもいなかった質問だった。そんなことを聞いてきた人は、今まで誰もいない。自分はほとんど物心ついたころからどんな相手にも当然のように勇者として扱われてきた。
 けれど、セオ自身は、こっそりとではあるけれど、何度も繰り返し考えてきたことだった。
「……どうやって、だろう。本当に、俺なんかがどうやって勇者になれたのか、なり続けていられるのか、俺にもわからないんだ。少しも」
 仲間のために魔物を、世界を殺すと決めた、自分がずっと厭うてきた存在の選別を行い続けている自分が、なぜ勇者でい続けられているのか。
 そんな資格などあるとは、自分には思えないのに。
 そう言うと、少年はあからさまにがっかりした顔になった。
「そっかぁ。オルテガのおじさんとおんなじかぁ」
「え」
「ん? なに?」
「……オルテガも、俺と、同じことを?」
「え? えーと……ちょっと違うかな? 『勇者とは理由があるからなれるものではない。ただ当然のようになっている≠烽フなのだ』って言ってたよ」
「………そう」
 セオは小さくうなずいた。少年ははーっ、とため息をついて道端にしゃがみこむ。
「くっそー……セオにーちゃんもわかんないってことは、やっぱり勇者にも勇者のなり方とかわかんないのかー。あーあ、どーすりゃいいんだよ、ちくしょー」
「……君は、勇者になりたいの?」
 おずおずと訊ねると、少年はにっかー、と満面の笑みになってうなずいた。
「うんっ!」
 どきり、とする。そんな風に、心の底から嬉しくて嬉しくてしょうがない、という笑顔を、セオは生まれてからこれまでほとんど見たことがなかったからだ。
 この一年、仲間と出会い、共に旅をしている間でも、そう何度もあることではなかった。セオが仲間たちを喜ばせられることはほとんどなかったからだ。ずっとセオは嬉しがらせられる側、喜びを与えられる側だった。
「……なんで、勇者になりたい、のか。聞いても、いいかな」
「え? いーけど……」
 少年はわずかに目をぱちぱちとさせてから、おもむろに背を向けたたっと小走りに走ってから足を止め、くるりと振り返って手招きをする。意味がわからず目を見開くセオに、やはり嬉しげな笑顔で告げた。
「ついてきてよ! 俺のとっておきの場所、案内したげるからさっ」
「え……あ、の、はい……じゃなくて、うん」
 セオはしどろもどろになりながらうなずく。たぶん今の自分の顔は相当に赤いだろう。
 とっておきの場所。そんな本でしか読んだことのなかったものを見させてもらうことができるなんて、思ってもみなかったからだ。

「なっ! こっからだと街全部が見下ろせるんだぜっ!」
「へぇ……」
 得意満面に案内された場所は、確かに『とっておきの場所』と呼ぶにふさわしい場所だった。街外れの、もう少し行ったら街の結界から出てしまうという箇所にある小高い丘。その天辺にある一本の林檎の木の下からは、ムオルの街が文字通り一望できる(世界のあちらこちらを見ている、経験を積んだ大人から見てみれば、かなりにちゃちな文字通り子供だましの代物にしかすぎなかっただろうが、セオの脳裏にはそういった言葉は浮かばなかった)。
「すごい、で……じゃなくて、すごいね」
「へへっ、だろー。すわろーぜっ」
「あ、うん」
 ひょい、と地面に足を投げ出す少年に習い、セオも同じように足を伸ばして座る。誰かとこんな風に昼日中の丘に並んで腰かけるというのは初めての経験だったので、また少し胸がどきどきした。
「で、さ。なんで勇者になりたいか、だったよな」
「あ……うん」
 こくりとうなずく。セオにとってもかなりに興味のあることだった。セオの周囲の、というか既知範囲の世界では、勇者というものはなる≠烽フではなく既になっている≠ニいうのが普通の認識のはずだった。
 五歳の時、ほとんど物心つくかつかないかの頃に勇者選別の儀式を受けて。勇者と認定されれば、国に保護され、最高水準の教育を受ける権利と義務を得る。それに対しセオの既知範囲の人々は、勇者に対し羨望や嫉妬、憧憬や憤懣の視線を向けることはあっても(もちろんセオに対してはほぼすべてが軽蔑と嫌悪の視線だったが)、『勇者になろう』と考える人間はまるでいなかったのだ。
「そーいうこと聞くってことはさぁ。……やっぱ勇者って、途中からはなれない、とか決まってんの? ガキの頃の試験に落ちたら、もー一生なれないとかさ」
「え……」
 うかがうような視線を向けられ、セオは戸惑いながらも思考を巡らせた。自分の聞いたことのある、あるいは読んだことのある知識を総動員して質問への答えを構築しようと試みる――が、やはり結果は思わしくなかった。
「……ごめん。現在のところ、そういうことはわからないんだ。勇者の力っていうものに対する研究は、ほとんどなにもわかってないっていう方が正確なくらい遅々として進んでなくて……今のところ、五歳の時の儀式で勇者と認められた人間以外が勇者の力を発現させた事例は報告されていない、っていうことしかいえなくて……」
 自分の情けなさに落ち込みながらのろのろと答える――が、なぜか少年は満面の笑顔になった。
「そっかっ! じゃー俺がこれから勇者になれても全然おかしくねーんだ!」
「え? う、うん。珍しい事例だから、研究者の人たちは、忙しくなる、と思うけど」
「そっかそっかー、へへっ。わーすっげーうれしー、なんかさー、みんなしてムカつくこと言うからちょっと俺めげてたんだよなー。でもすっげー気合入った!」
「え……そ、そうなんだ……おめでとう。よかったね……本当に」
「おうっ! ……って、セオにーちゃんが入れてくれたんじゃん。こーいう時はこーだろ! 俺が『ありがとう!』でセオにーちゃんはっ」
「え……あ、の、えと」
「セオにーちゃんはっ」
「……ど……どう、いたしまして……?」
 言ってからさっと顔が青くなる。なにを偉そうなことを言っているのだ、自分は!?
「ごめっ、ごめんっ、ごめんなさいっ……本当にっ、俺なんかがこんな、偉そうなっ」
「は? なに言ってんだよセオにーちゃん、それで当たりだろ? 俺が『ありがとう』でセオにーちゃんが『どういたしまして』。これがフツーじゃんっ」
「え、あ……その、はい、じゃなくて、うん……ごめん」
「よろしい!」
 そう言ってにかりん、と笑う少年に、セオもつい頬がへちゃ、と緩んだ。なんだろう、普段とは人間関係の呼吸というか、間合いが違うような気がする。やはり敬語でないというのが大きいのだろうか、なんだか少年の調子に巻き込まれているような。
「で、えーと。なんで勇者になりたいか、話すんだよな?」
「えと、うん。……そんなことを公言している人と、初めて会ったから、気になって」
 そんなセオの言葉に、少年はにっと笑った。悪戯小僧のように子供っぽく、戦士を目指す子供のように希望に満ちているのに、戦士そのもののように剽悍としているようにも見える、不思議な笑みだった。
「そんなの決まってんじゃん! 魔王を倒して世界救うんだよ!」
「……そうなんだ」
 目をぱちぱちさせてそう答えると、少年は力強くうなずく。
「そーだよ。だってさぁ、今魔王がネクロゴンドにいるんだろ? ひとつの国滅ぼしたようなやつが世界にのさばってて、そいつのせいで魔物も凶暴になってたりするっぽいんだろ? だったら倒さなきゃダメじゃんか! 今んとこはなにしてくる気配もないらしーけどさ、だからって放っとくわけにもいかねーだろ!」
「うん。そう、だね」
「だろ? 魔王が人間に本当に敵対するつもりかどうかわからないとか言う奴もいるけどさ、それならそれでひとつの国を滅ぼしたのがどーいうつもりか聞き出さなきゃじゃん。やっぱ魔王のとこまで行かなきゃどーにもなんねーだろ?」
「……うん」
「だから俺は勇者になるんだ。すっげー強くなって、どんな魔物にも負けねーくらい強くなって、魔王のとこまで行って、そいつが悪い奴だったらぶっ倒すんだ!」
「……そう、なんだ。……すごいね」
 憧憬と賛嘆の念を込めてセオは少年を見つめ、うなずいた。心の中で強く自分の愚かしさを再認識しつつ。
 自分はこの少年よりはるかに弱く、惰弱で、甘ったれている。自分は未だに、魔王バラモスが邪悪な存在だったとしても殺したくないと思っている。なのに、自分はきっと目の前に来ればバラモスも殺すのだ。仲間たちを――あの人たちを殺されたくない、という自分のわがままのために。
 少年はじっ、とセオを見つめ、それからにっ、と笑った。
「セオにーちゃんもオルテガのおじさんとおんなじだなっ!」
「……え」
「俺が勇者になりたいとか、魔王倒したいとか言っても全然笑わないんだなーってことっ」
「……え。それは、だって。どこも、おかしいとは、思わないし……」
「っっっ、だよなっ!!!」
 ぱぁっ、とまた満面の笑顔になって少年はがしっとセオの両手をつかんで上下にぶんぶんと振った。セオは戸惑いながらもされるがままになるしかない。なんだろう、本当になんなのだろう。今まで自分に対しこんな扱いをするような人は、一人もいなかったのに。
「そーだよなっ、みんなみーんな勝手なこと言ってるけど、俺が魔王倒すために勇者目指したって全然おかしくねーよなっ! わはっ、すっげーうれしー! うわーもーなんかすっげー気合入ってきたっ!」
 眩しく感じられるほど嬉しげな笑顔でぴょん、と立ち上がり、ぐるぐるぐると腕を振り回してから、少年はぐりんとこちらの方を向いた。目から口元から手足から、体中を希望できらめかせて、間近からセオの瞳をのぞきこんでがっしと肩をつかむ。
「なぁっ、セオにーちゃんっ。俺のこと、一緒に旅に連れてってくんねーかなっ?」
「え……えぇっ!?」
 突然の言葉に、セオは仰天し後ずさった。さっきもそんなようなことを言っていたが、意味がさっぱりわからない。旅に連れていってくれ、だなんてなぜ、なんでわざわざ自分に≠サんなことを?
「なぁっ、頼むよっ! 俺、足手まといになんないよーに一生懸命稽古するからっ! あ、あと使いっぱしりとかもやるし、いつか勇者になってすっげー強くなって恩返しするからっ」
「え、いや、あの、えっと」
 驚きうろたえながら、セオは間近の少年の瞳を見る。きらきらと煌く翠玉の瞳。それに確かな意思と、気合と気迫が篭もっているのは感じられるけれども――
「あの……なんで、俺に、そんなことを?」
「へ? なんでって、セオにーちゃん勇者じゃん。勇者と一緒に旅してたら、こー、伝わってくるものとかあるかもしんねーだろ? それに強い人と一緒に戦うだけでも勉強になるっていうしさ、やっぱ勇者を目指す旅なら勇者に弟子入りすんのが手っ取り早いかなって」
「…………」
 セオは目をぱちぱちとさせてから、きゅうっと眉根を寄せ、どうしようどうしようどう言えばいいんだろう、とうろたえつつ、おずおずと口を開いた。
「あの……ね。それ、は……やめた方が、いい、と思う」
「へ!? なんでだよーっ」
 むぅっと唇の先を尖らせて言ってくる少年に、ぎゅっと唇を噛み、決死の思いでセオは向き合った。ちゃんと言わなければ。ちゃんと伝えなければ。軽蔑されるかもしれないけれど、このままでは彼を損なうことになってしまう。
「俺……は、勇者としては本当に、問題外っていうくらい駄目な勇者、だから。能力、とかもだけど……心構えが、本当に、なっちゃいない、っていうか。俺は本当になにもできないけど、それでも世界中の命を……『助けてほしい』って思っている存在を、助けたいっていう気持ち、だけは誇れるつもりでいたくせに、俺は……もう、世界中の命を殺しかねないような存在に、堕してしまっているから。魔物を、敵を、危険な存在を……仲間の人たちを傷つける可能性がある、というだけで殺しかねない、醜く、身勝手な存在の選別を……あの、どうし、たの?」
「セオにーちゃんがなに言ってんのか意味わかんねー……」
「え!? え、え、ごめん、あの」
 頭を抱え込んで呻く少年に慌てる。これまで自分はいつも自分より賢い人間と話してばかりだったので、自分の言っていることが理解できない、と言われることなどまったくの想定外だったのだ。
 が、なんとかよりわかりやすく説明しなおそうとするセオに少年はぷるぷると首を振った。
「いーよ、説明しなくて。セオにーちゃんがそっちの方がいい、ってほんとに思ってるのはわかったから」
「そ、う……」
 申し訳なさに、思わずうつむく。自分がもっとまともな勇者であれば、少なくともこの少年をしばらく導くくらいはできただろうに。
 自分がもっと、強くあれば。強くなくとも、正しくあれば。正しくなかったとしても、敵を殺しても心を揺らさないだけの覚悟が胸にあったなら。
「もー、なんでセオにーちゃんが落ち込むんだよー。気にしなくていーって、セオにーちゃんの助けがなくても、俺はぜってーすっごい勇者になって、魔王倒してやるんだから」
「……うん。頑張って」
 真剣な顔でうなずくと、少年は頭をかきながら顔を赤くした。それからわずかに顔を逸らしつつぶつぶつと言う。
「なんだよ、セオにーちゃんってばさ。ちょーはつしよーと思って言ったのにさ。そんなに真面目な顔して頑張ってとか言われたらさ、なんかこっちが悪いみたいな気がしちゃうじゃん」
「え? あの、なんて」
「なーんでもないっ! 話してくれてありがとなっ、じゃー俺稽古があるからっ!」
「あ、のっ!」
「へ、なに?」
「あ」
 駆け出そうとするポポタ少年に、声をかけてからはっとした。なにを声をかけているんだろう。自分は彼に対してできることはなにもない。彼は自分の意思を示す力を、顔を上げて道を進む力を持っている。自分などが彼を導くことはできないし、そもそも血迷って旅に連れて行こうものなら戦いの巻き添えにしてしまう可能性が高いというのに。
 ――でも彼は助けを求めていた。
 ムオルの長老たちと話していた時、彼はずっと泣きそうだった。必死に顔を上げて相手に向き合っていたけれど、自分が間違っているんじゃないか、自分にはこんなことを言う資格がないんじゃないかという思いに打ち負かされそうだった。
 彼にはきっと、味方がいない。どんな時も自分の味方になってくれると確信できる相手がいない。そうでなければ自分などの言葉でああもやすやすと元気づけられはしない。だからずっと一人で、自分の意志を貫けない可能性に怯え、世界に何度も打ち負かされながら必死に自分を力づけて歩いていこうとしている。誰かが、物語の中で助けに来る勇者のように、自分を助けてくれないか、と心のどこかで思いながら。
 だからといってなんだ、自分には彼を助ける力はない。その力がないのに中途半端に手を出して放り出すことは決してやってはいけないことだ。なによりも自分はすでに仲間を常に優先する存在になってしまっている。彼を助けられるようなものではない。
 でも彼は。なにをいまさら。目の前で。未練がましい。誓ったのに。お前は負けたんだ。負けたのに。
 駆け出しかけたままの格好でこちらの様子をうかがっていた少年の顔が、怪訝そうなものに変わった。改めてこちらを向き、気遣うように顔をのぞきこむ。
「どーしたんだよセオにーちゃん、固まっちゃって。なんか、俺に言いたいこと、あるんだろ?」
「っ……あ―――」
 言いたいこと。自分などには言えない、できない。なにひとつ。役に立てない。
「あ………の」
 それはわかっているくせに、自分は。
「剣……」
「剣?」
「剣……教え、ようか?」
 なにを、言ってしまっているんだろう。
「え……ホントにっ!?」
 ぱぁっと少年の顔が輝く。がっしとセオの服の裾をつかんで、ぐいぐい引っ張り体を揺すりながら眩しいという言葉ですら足りないほど希望にきらめいた顔で問う。
「なぁっ、ホントにっ!? 嘘じゃねーよなっ!? ホントのホントなんだよなっ!?」
「う、ん……俺なんかで、いいと、思うなら、だけど」
 いいわけはない、本当は少しもいいわけはない。自分のやろうとしているのはこの上なく中途半端な惰弱の押しつけだ。
 ――それなのに。
「なに言ってんだよいいに決まってんじゃん、わっはーすっげーうれしー! 実はさー俺さーオルテガのおじさんの時に習った基礎復習するだけで、ずっと稽古相手とかいなかったんだよなー、道場とかに通う金出せる当てなかったから。だからさー、教えてくれる人がいるとか、もーほんとにすっげーうれしーよ!」
 ポポタ少年は満面の笑顔でセオに言う。心の底から嬉しげに。自分がどれだけ醜く身勝手な行為を行おうとしているか知らないままに。
 駄目だ、なにを、なにをしようとしているんだ自分は、こんなことをしても自分はきっと、仲間たちの前に立ち塞がったらこの少年も殺すのに。
 なのに、この少年は。
「ホントに俺に、剣教えてくれるんだよなっ!?」
 と希望に満ちた顔で自分の顔をのぞきこむので。
「……君が、嫌じゃ、なかったら」
 駄目だとわかっているのに、そう答えてしまっていた。
「嫌なわけねーっつってんじゃん! なぁなぁセオにーちゃんいつまでこの街にいんの? 四月一日まで? わーあと一週間もねーじゃん! じゃあさじゃあさっ、今から剣持ってくるから待っててよ! つってもさ、木刀なんだけどさー、じーちゃんとか買ってくれるわけねーから自分で作ったんだっ。なぁっ、この街にいる間はずっと俺の相手しててくれよっ、俺これまでずーっと稽古相手いなかったんだぜ、ちょっとぐらいいいじゃんかぁ」
 楽しげに、嬉しげに、時にまくしたて時にねだるように見上げる少年。その勢いに気圧されて、流されて、セオは何度もうなずかされていた。それが、間違いだということは、わかっているのに。

「でやぁっ!」
「っ」
「わっ! てぇっ……」
 ポポタ少年の振り下ろしてきた木刀を一太刀で弾き、そのまま頭をぴしりと打つ。少年は体勢を崩してひっくり返り、地面に転がったまま頭を押さえた。
「ったぁ……ちっくしょうっ、もう一回っ」
「うん」
 顔を真っ赤にして木刀を拾い、飛びかかってくるのをまた一打ちで倒す。また飛びかかってくるのをまた一打ちで。また飛びかかってくるのをまた一打ちで。
 そういうことを何百回と繰り返し、少年が息を荒げて寝転んだまま立てなくなったのを見てから、す、と剣を構えてみせた。
 ひゅっ、ひゅっ、と何度も型をなぞる。少年がこちらを凝視しているのは言われないでもわかった。この数日で何度も繰り返して、ようやく呑み込めた少年への教授法だ。
「……っ、セオ、にーちゃん、さ。なんで、そんなに、強い、の」
「俺は、強くなんて、ないよ」
「俺より、強いじゃん」
「それは、たまたま俺が君より、少し経験を積んでいるから。君と比べれば、俺の剣の素質は、はるかに低いだろうけど。でも、基本の型をなぞって、強い相手と稽古をして、っていう時間が数年もあれば、相手より素質が低かろうとも、そうそう負けないぐらいにはなるのは、当たり前だよ」
「………っ、ふぅっ」
 荒い息を吐きながら少年は立ち上がる。少々足がふらついてはいたが、なんとかきちんと木刀を構えた。最初に稽古をつけた日には胃液も涸れるほど吐いていたものだが、日に日に吐いたり気絶したりする回数は少なくなってきている。
 こちらを睨みながら型をなぞる少年の、腕、足、腰、頭、とにかくよくないと思うところをぴしりと鞘で打ち、「腕の返しが遅い」「足捌きが悪い」などと指導する。そのたびに少年はぐっと奥歯を噛み締め顔を真っ赤にするが、必死に直そうと懸命になるので、うまくやるコツなども含めさらに細かく指導していく。
 誰かにものを教える、というのはこれが初めての経験だった。もちろん、自分の知っていたことを知らない人に話すことはあるが、教える≠ニいうのはそういうこととはまったく違う。
 効果的な指導方法をすぐに考えつく自信がなかったので、自分に本格的に剣を教えてくれた師であるセーガのやり方を自分なりに変えただけのやり方なのだが、そのおかげでさほど見当はずれな教え方はせずにすんでいるようだった。ポポタ少年の剣さばきが日に日に上達していっているのは、セオでもわかる。
 型の稽古、打ち込み稽古、それを指導しながら終えたあとは乱取り稽古をひたすらに。この時もいちいち指導してやる時もあるが、基本的にはなにも言わない時の方が多かった。『戦いというのは自力で創意工夫しなければ意味がない、自分の戦いなのだから、自分の意思で他者の命を奪う責任を果たさなくてはならないのだ』。セーガに言われたことを自分なりに翻訳した言葉は、すでに少年に伝えてある。
 乱取り稽古で少年が動けなくなったら、型を見せるところからやり直し。少年の気力が尽きるまでそれをひたすら繰り返す。最初の日は半刻もしないうちに気絶したが(活を入れて稽古を再開した)、今日はもう昼過ぎにもなろうというのにまだ動く気力があるようで、何度叩き伏せられても目を血走らせて飛びかかってくる。
 なので、そろそろかもしれない、と思い、セオはすい、と間合いを外して剣(稽古用に残しておいた鋼の剣だ)を鞘から抜いた。
「っ!」
 少年がわずかに目を見開くのに、セオは告げる。
「次は、殺す気できて。俺も、本気で、相手をするから」
「っ……」
 す、と少年に向けて構えを取る。ごく一般的な正眼の構え。これが少しでもあの時のセーガのように迫力を持って見られていたらいいのだが。
 ごくり、と少年が唾を呑んだ。一瞬大きく体を震わせたが、ぎっとこちらを睨んで木刀を構える。
 すい、と少年に向けて歩を進める。一瞬少年は退がりかけたが、ぶんぶんっと首を振り、気合の声を上げて打ちかかってきた。
 即座にセオは剣を振るう。打ち込む少年の木刀に交差するように剣を打ち込み、すぱっと木刀を断ち斬る。少年は大きく目を見開いたが、ぎっとこちらを睨み、「……っのぉ!」と手に持っていた残りの部分をこちらに投げつけてきた。
 構えたまますいとそれを避けるセオに、少年は怒りの形相のまま喚いた。
「なんで俺の木刀斬っちゃうんだよっ、あれ俺が作った奴で一本しか持ってなくてすっげー大切にしてることセオにーちゃんだって知ってるくせにっ! なんであんな」
「終わり?」
「へ?」
「それで、終わり? やること」
「へ、やること、って……終わりって」
「そう」
 小さくうなずくと、セオはずんっ、と本気≠フ速度で踏み込んだ。一足で少年を間合いに捉え、剣を振るう。
 呆然とする少年の首から、ぱっと血が飛び散った。皮だけでなく、肉もごくわずかではあるが斬っているのでかなりの痛みが走ったはずだ。
 たらたらと首から血を垂らしながら呆然とする少年に、セオは油断なく構えつつ告げる。
「言った、よね。殺す気できて、って」
「…………」
「君は、俺を殺そうとする時に、ただ真正面から木刀を持って打ちかかってくることしか、しないの? これまでの戦いの中で、何度も叩きのめされてるのに」
「なっ、んな、でも」
 さらに踏み込み、今度は腕に傷をつける。この少年は半袖の肌着と膝丈より短いズボンしか身につけていないので服を斬らずにすんだ。
「っつぅっ!」
「誰かと戦うことになった時、相手は本当に君を殺すつもりでかかってくる。本当に=B負けたら、本当に℃ぬんだ」
「わ、かってるよ、そんなのっ」
「わかってるのに、なんで、ただ′浮振り回すしか、しないの?」
 びゅっ。素早く剣を振るい、逆の腕に傷をつける。足に。服の裾からのぞいた腹に。こめかみに。足首に。ごくわずかに皮を断ち、肉を斬り裂いて。
「た、だって」
「普通に戦ったら負ける、それがわかっている状態でも、君はただ剣を振るうだけなの? 自分にできること、思いつくことを、試してみもしないで? それでも駄目なら逃げることだってできるのに?」
「だ、だって、これ、稽古」
「稽古の時に、『これは稽古だ』っていう、油断で殺されることもあるのに? 暗殺者は人の油断した瞬間を、狙う。剣を振るうっていうことは、人の恨みを買うってことでもある。日常の中で命を狙われる危険も、ゼロじゃないよ?」
「っ、けどっ……!」
 ずばん! と音を立てて踏み込み、全力で少年の頭を断ち割る勢いで剣を振り下ろす。少年がひ、と悲鳴を上げる――より早く、セオは少年の頭から一寸より短い距離で剣を止めていた。
「………、………」
 呆けたように少年は口を開ける。ぽたぽた、と股間から水が滴り、ぷうん、と尿の匂いが漂ってくる。すい、とセオは剣を引き、数歩そのまま後ろに退がり、告げた。
「戦う≠ニいうのは、そういうことだよ。どんな時でも命を狙われるのも当然だし、相手がどんな手段を使うのも当たり前のこと。なぜなら、戦いというのは命が懸かっているから。負けたら死ぬ。ゼロになる。消滅する。どんな想いも誓いも約束も、果たされないまま終わる。だから、どんな人間も必死で、持っている手を全力で使おうとするんだ」
「………、…………」
「戦い≠ニいうのは、そういう体と心を泥にまみれさせることでもある。その上当然斬られれば痛いし、下手をすれば体のあちらこちらが動かなくなるような怪我も負う。歩けなくなる可能性もあるし――全力を尽くしてどれだけ間違いのない行動をとっても、運が悪ければ死ぬ。そして勝った時は、ほとんどの場合相手の命を奪い、自分が殺された時の思いを相手に味わわせることになるんだ」
 すい、とさらに数歩退いて、剣を鞘に収め、告げる。
「戦うというのなら、その重みを知り、背負うのは義務だ。戦いには、本当に、命≠ェ懸かっているんだから。――よく覚えて、考えておいてね」
 言って少年に背を向け歩き出す。いきなり襲いかかられる可能性も考えていたが、とりあえず少年にその気配はなかった。
 すたすたと歩いて稽古を行っていた丘から下り、ふぅ、と息をつく。とりあえずセーガのやっていたことや言っていたことを自分なりに翻訳してやってみたのだが、ちゃんとできていただろうか。自分がセーガにこれをやられた時は本当に強烈な衝撃を受けた、それが少しでも伝わっていればいいのだが。
 稽古時間の終わりを見計らって行ったので(一応正午頃に稽古を終えると決めている。体にきっちり覚え込ませるのも大切だが、疲労しすぎては逆に覚えが遅くなるし、負荷をかけすぎると体に悪い)、太陽はちょうど南中した頃だ。とりあえず別の場所で自分の稽古をしよう、とうなずいて歩き出した時、声がかかった。
「なかなか堂に入った先生ぶりだったじゃないか、セオ」
「っ!?」
 ばっと脇に向き直る。その数丈先にはラグが手を振っていた。その言葉、もしかして見られてた!? と思うと思わずかーっと顔が熱くなる。
「ご、ごらんに、なってた、んで、すか」
「うん……まぁね。一応邪魔にならないようにと思って気配を殺してたんだけど……その様子だと、本当に気付いてなかった、かな? 俺の隠行術も捨てたもんじゃないな」
 ラグは笑顔を浮かべながらすたすたとこちらに歩み寄ってくる。ひどく恥ずかしくいたたまれない気分でうつむくセオに、ラグは笑った。
「なんだ、さっきまではあんなに格好よく演説してたじゃないか。俺たちにもああいう風に話してくれていいんだよ?」
「い、え、あの。あれは、ただ、ちゃんと教えなきゃ、って思って、やってた、だけで。本当に、俺なんかが、偉そうに言うのとか、すごく、よくないって思う、んです、けど」
「でもちゃんと話してたじゃないか。立派に」
「いっいえ本当に、立派とかじゃ、全然、ないですけどっ! でも、あの……人にものを教える時には、たとえ嘘でも、心の底から自信を持っている顔でやらないと駄目だ、と思った、ので」
「確かに。そういう風に自分で考えついたのかい?」
「えと、あの、はい。あの、それが……?」
「いや。ただ、やっぱり君は頭がいいな、と思っただけ」
「いっいえっ全然本当にあの俺は馬鹿で呑み込みが悪くて低能としか言いようがないくらいっ」
「君が自分の言うような馬鹿な奴だったら、あの子にあんな風にちゃんと『あのこと』を教えることはできないと思うけど」
「えっいえっ、あのっ……あの、俺、ちょっとでも、ちゃんと、あれ、教えられて、ましたか……?」
 もちろん本来あるべきであろうほどにはきちんとできていなかっただろうけれど、少しでも、認識しておくべき千分万分の一ほどでもあのことを伝えておくことができたなら。
 そう痺れるほど緊張しながらも訊ねた声に、ラグはにこりと笑ってくれた。
「ああ。俺でも、あんなにきちんとは伝えられなかっただろうと思うよ」
「っ……」
「とりあえず、歩こうか。あの子が我に返った時に、近くにいたら気まずいだろう」
「は、い……」
 ゆっくりと歩くラグの後ろについてのろのろと歩く。もちろんラグがその優しさでもって自分を持ち上げてくれただけだとは思うけれども、心臓はばくばくと破裂しそうな勢いで拍動し、それから少しずつ鼓動をゆるやかに変えていっていた。ラグがどんなに優しくとも、いや優しいからこそ自分が本当に駄目な教え方しかできなかったならばきちんと指摘してくれるだろうから。そう認識して、その場に崩れ落ちそうなほど安堵した。
 なぜ、ラグがこんなところにいるのだろう、とセオはぼんやり考える。ラグたちにも、自分がポポタ少年に稽古をつけることになったことはもちろんすでに報告している。告げた時、ラグたちはみんな揃って眉を寄せたものの、誰も咎めることも自分の行動理由を問いただすこともしなかった。
 それは、もちろん自分などに興味がないせい、という理由も考えたのだが。ラグや、ロンや、フォルデの表情を見て、感じていることなどを必死に想像してみて、もしかしたら、気を遣ってくれているんじゃないかな、なんてことも思ってしまった。自分のことを気遣ってなにも聞かないでいてくれるのではないか、なんて思い上がったことを。
 そう考えてしまった時はいろんな意味で申し訳なさに首をかき切りたくなったが、かといって自分からなにか言ったところでラグたちも困るだろうとしか思えず、なにも言えないままずるずるここまでやってきてしまっているのだが。
 ラグは無言でゆっくりと歩く。大きな体に重い鎧を着込んでいるせいだろう、のっしのっし、どころかずしっずしっ、という感じの足音がする。ロンもフォルデも普段からほとんど足音がしないし、セオもどちらかというとそうなので(鎧を外している時はだが)、ラグの気配は普段から一番早くわかった。
 どうして気づかなかったんだろう。自分にとって、なによりも誰よりも大切で、優先する人たちのことなのに。なんで自分はこんなところで、分不相応もはなはだしい教師の真似事なんてしているんだろう。本当に、どうして。
「あのさ、セオ」
「はいぃっ!?」
 がちん、と直立不動になるセオに、ラグはこちらを見るような見ないような位置に視線を据え、苦笑しながら頭をかく。
「そんなに固くならなくていいよ。大したことじゃないんだ。ただ……あー……」
「は、いっ」
「いや……あのさ。……誕生会のこと、覚えてる、かな?」
「え?」
 セオは思わずきょとん、としてしまった。なんでそんなこと聞くんだろう。
「えと、はい。覚えてます……けど……?」
「そう、か。……プレゼント、もう決まった?」
「え、あの、はい、でもあのすいません俺まだ全部準備できてなくてっ、気合入れすぎるなってフォルデさんが言ってくださったのに本当になんてのろいんだろうって自分でも思うんですけど本当に」
「ああ、いや気にしなくていいから! ……覚えてるなら、いいんだよ」
 言ってラグは、にこり、と笑った。こちらを見るような見ないような方向を向いたままで。いつも通りの、優しい笑顔で。
「楽しい誕生会に、しようね。俺も、頑張るからさ」
「……はい」
 こくん、と小さくうつむく。口元が緩むのが、自分でもわかった。
 ラグはいつも、こうだった。いつも優しくて、穏やかで。人を刺激しない口調で、柔らかく包み込むような物言いで、自分などにもすごく気を遣って接してくれる。
 自分はそんなラグといると、もちろんそんな優しい人に迷惑をかけてしまう心苦しさに泣きたくもなったけれど、いつも、少し体の力を抜くことができた。自分などに優しくしたいと思ってくれている。そんな人がそばにいる。そんな自分に訪れるなど考えたこともなかった奇跡は、確かに自分に安心≠与えてくれたのだ。
 だから、自分は、最初からずっと、ラグに少しでも恩返しができたらと、思ってきた。
「ああ、そういえばさ。あの子に言ってたあの話、君はいつ頃形になった?」
「え? と、あの、すいません……俺、あの話、教えてもらった、んです……セーガさまに。アリアハン王国軍将軍で、俺の剣の師の……」
「ああ、あの人。なるほどね、あの人がああいう風に。まぁ、確かに、ああいう……『戦いの怖さ』ってやつは命の奪い合いを何度も経験しないと言えないよな。傭兵だってきっちりと自覚しちゃいない奴多いし」
「あの、ラグさんは、いつ頃、ああいうことを……?」
「そうだな……ヒュダ母さんに、少し似たようなことを言われたことはあったけど。それをきちんと理解したのは……せいぜいが数年前だよ。俺は本当に頭が悪いからな」
「いえっ、そんなことないですっ、ラグさんは、ちゃんと」
「でも、君は、その年でもう戦うことの怖さをちゃんと骨身に沁みて理解してる」
「え、あの」
「すごいと、思うよ。本当に、尊敬する」
 こちらにわずかに顔を向けて、そう言ったラグの優しい笑顔に、顔が茹蛸のように真っ赤になるのが自分でわかった。脳が芯まで熱されて、燃えてしまいそうだ。
 本当に、なんと言えばいいのだろう、自分はどうすればいいのだろう。この人にもらったものは多すぎて大きすぎて、とても返せる気がしない、とセオは小さくうつむいた。

 夜。セオは、自室で誕生日のプレゼントの準備をしていた。
 ムオルではセオたちは一室ずつ宿を取って泊まっている。魔船まで戻って眠ってもいいと言えばいいのだが、たまの地面なんだから揺れない寝床で眠りたいというフォルデの主張と、プレゼントの準備をする時魔船まで戻れば鉢合わせする可能性がほぼなくなるだろうというロンの提案が合わさってこうなった。
 一室ずつ宿を取るというのは贅沢すぎるのでは、とも思うのだが、これまでの魔物との戦いでゴールドも相当に貯まっているし、武装も世界でもそうないほど強力なものをオクタビアにもらっているためその金の使い道が今のところ見つからないので、たまにはいいだろうということになった。なので、セオは払った代金を有効活用すべく、部屋にプレゼントのための道具を持ちこんで作業をしている。
「………、…………」
 肩に力を入れる必要はない。いるのは布と針を注意深く見詰め、指先の微細な感覚を感じ、指を素早くかつ的確に動かし続ける集中力。
 全神経を集中させて針を動かし布を縫いつけていく。セルティック、コテージ・チューリップ、ダイヤモンド&スター、カテドラル・ウィンドウ。海の嵐、転がる星、ヘキサゴン・ビューティー。何枚も重ねられ縫いつけられた布で織りなされる、いくつもの図形――
 つまり、セオが今取り組んでいる、すなわち仲間たちの誕生日プレゼントにしようとしているのは手作りのパッチワークキルトだった。季節も春、これから南下していけばどんどん暑く、寝苦しくなってくるだろう。そういう時に気軽に肌掛けとして使えるものがあったらいいのではないかと思ったのだ。
 一応全員分の、五十個ほどの図形を組み合わせてそれぞれに似合った大図形を成す、という品は完成した。もう少し手を加えるべきかとも思ったのだが、パッチワークに過剰な装飾はかえって見苦しい。
 だがついどうしてもこれでは足りないんじゃないか仲間たちに嫌な思いをさせてしまうのではないかという気持ちが拭い去れず、プレゼントとして出せるかどうかわからないのに(フォルデに過剰に気合を入れるなと言われているので)ついついミトンやらタペストリーやらピンクッションやらポーチやらブックカバーやら作ってしまっているのだが、どうにもこう、いまひとつぱっとしない感があるというか、そもそもパッチワークという発想自体が間違っていた気がしてくるというか――
 などと思い悩みつつ全力で針を進め、作品を完成させていく。考えながら手ぐらい動かさないと、本当に時間の無駄になる。
 いやでもそういう風に中途半端なところが……でもやっぱり……でもでも。そんな風にうんうん考えていると、ふいにコンコン、と部屋の扉がノックされた。
「っ! は、はいっ!?」
「セオ、まだ起きていたか。少し話がしたいんだが、いいか?」
 ロンの声だ。慌てて「はいっ、ちょっと待ってくださいっ!」と叫んで素早く作業の痕跡を隠し(手早く道具や材料をまとめる準備はしてある)、全速力で扉のところまで行って「どうぞっ」とロンを中へ迎え入れた。
「おお、すまんな。忙しいところを」
「え? あの、別に忙しかったわけじゃ、ないです、けど……」
「おや、そうか、残念だな。君が俺たちのプレゼントを用意しようと大わらわだったら嬉しかったのに」
「っ!? ぇ、ぁ、ぇ、の」
 セオはわたわたと手を上下させた。がっかりさせてしまっただろうか、なんとか満足してもらえるようなプレゼントを用意しようと必死だったのは確かなんだし、でも忙しいと言い切ってしまうのはやっぱり違う気が、でもだけど。そう慌てるセオに、ロンは笑った。
「気にするな、セオ。君が懸命になって俺たちにいい贈り物をしようとしているのは言わなくてもちゃんとわかっている」
「え、あ、う、の」
「それより、少し話があるんだ。明日には他の奴らにも言おうと思っているが、先に少し君の意見を聞いてみたくてな」
「え、と……はい。どんなお話でしょう?」
 真剣な面持ちになって言うロンに、セオも心身を即座にしゃっきりとさせて返す。ロンがこういう言い方をする時は、本当にとても重要な話をする時だ。
 じっと見上げるセオに、ロンはふむ、と鼻を鳴らし、部屋のベッドに座るとセオに向かいのベッドに座るよううながした。セオがおずおずと腰を下ろすと、じっとこちらの目をのぞきこむようにして言ってくる。
「俺がこの一ヶ月というもの、ジパングとそこにあるパープルオーブについて調べていたのは、もう話したな?」
「はい。賢者の力で、調べてらっしゃる、んですよね」
「ああ。が、その成果があまりはかばかしくないのは話したか?」
「え? いえ……そう、なんですか?」
「ああ。そうだな……セオ。君はジパングという国についてどんなことを知っている?」
「ダーマの南東に位置する、鎖国政策を取っている小さな島国、ということぐらい、です。ジパングについては、アリアハン王城の書庫をさらっても、ろくに記述が存在してなくて」
「そう。それが問題だ」
「え……」
 身を反らして天井を見上げつつ、ロンはぽつぽつと言う。
「俺もジパングという国には行ったことがないから、できるだけ念入りに前調査をするつもりでいた。で、実際にやった。ジパングについて『知られている情報』を詳しく調べるのはもちろんだが、ジパングについての噂話、裏話、もちろん実際のジパング内の情報についてもいろいろな」
「えと、はい」
「少しわかりにくいかもしれんが……賢者の職業特性による情報収集というのはな、世界中に撒かれた極小の魔道具によって収集された情報を調べるものなんだ。で、その収集された情報は、あちらこちらのライブラリ――書庫のようなものにしまわれる。基本的にすぐに分類されたりはしないが、俺もネットワーク――情報がどこにあるかということを調べる網の張り方はそれなりに修行したからな、普通の情報なら問題なくほぼ瞬時に調べられる」
「はい」
「が、ジパングはそうやって調べられる情報が存在しなかった」
「え……と、それはつまり、ジパングには世界中に撒かれているはずの情報収集用魔道具が、存在しない……?」
「それ以上だ。魔道具は世界中のありとあらゆる五感による情報をむやみやたらと収集する。主婦の噂話から政治家の裏取引までな。が、俺の調べられる範囲にはジパングの情報が存在しない。つまりは」
「……ジパングにたどり着いた人間自体が、ロンさんが調査可能な範囲ほどの長い期間、存在していない、ということですか」
「そういうことだ。なのにジパングという国の存在自体は広く知られている。国の話をされること自体がまったくと言っていいほどないのにもかかわらずだ。どう思う?」
 セオは数秒考えて、口にする。
「きわめて大規模な魔法的工作、ないしは賢者、すなわち……悟りしすてむ自体に工作が行われている可能性が高いと、思います」
 ロンも重々しくうなずく。
「俺も同意見だ。だが、Satori-System≠ヘ少なくともこれまでは問題なく動いてくれた。となると、どちらの場合でも普通に考えて、ジパングという土地にその工作を行うだけのなにかがある、というのは変わらんと思う」
「はい」
「誰がやったのかは知らんがな……まったく、面倒なことだ。そういうわけだから、覚悟しておいてほしい。なにが出てくるかしれたものじゃないからな」
「はい……ラグさんとフォルデさんには、明日?」
「ああ、話す。まぁ、こうすいすいと理解してはくれんだろうが……というか、理解しようという気になってくれる気がせんが」
「え、そ、そうです、か……?」
「あぁそうだ、セオ。あの子の稽古は順調か?」
「え! あ、の、えと、はい……」
 セオは思わずぴきーんと硬直してから、おずおずと目の前のロンの顔を見上げた。なぜそんなことを急に訊ねるのだろう、これまで自分があの子に行ってきた稽古に興味を示されたことはなかったのに。
 ロンはいつもの剽悍な笑顔になって、セオをどこか楽しげに見下ろしている。なにが楽しいのかはよくわからなかったが(いつもと同じように)、聞かれたからには答えなければと口を開いた。
「えと、あの、えと。本当に、俺なんかが教師役なんて、思い上がりもはなはだしいと思う、んですけど」
「そう謙遜することはないだろう。堂に入った教師っぷりだったとラグが褒めていたぞ」
「え、いえあのっそんなことは全然、なんとかやっているというのもおこがましいくらいで」
「なぁセオ。君はなんであの子に稽古をつけてやろうなんて思いついたんだ?」
「……え」
「一応言っておくが気まぐれに思いついた質問ではないぞ。はっきり言って最初に君が話を出した時から非常に気になっていたんだが、気を遣って言い出さないでいたのさ」
「え! すっすいませんあの」
「だが、もう別に聞いてもよさそうだと思ったんでな。少なくとも君を傷つけることはなさそうだ、と。どうだ、よかったら話してくれないか?」
「え、と、はい……あの、別に、大した理由じゃない、というか、正しい理由じゃない、んですけど……」
 セオはおずおずと言う。本当に、思い上がりもはなはだしい理由なのだが、聞かれたからにはきちんと答えなければ。
「あ、の……彼が、助けてほしいって、思ってると、思ったから。です」
「………それだけか?」
「え? あの、はい。本当に、俺なんかが、中途半端に、こんな気持ちを押しつけるなんて、殺されても殺されてもまだ足りない罪悪だと、思うんですけど……本当に情けない、んですけど声を、かけてしまって。だから、引き受けた以上は本気で、きちんとやらないと、って思って」
「……ふむ。なんだ、てっきりあの少年に惚れでもしたのかと思ったのに」
 小さく肩をすくめるロンに、セオはきょとんと首を傾げた。
「どうして、ですか?」
「自分を必死に律している君が、気軽にあの少年に声をかけるわけはないと思ったからな。惚れた腫れたは思案の外、君の強固な自律心を吹っ飛ばす一番わかりやすい理由だろう?」
「……そうなん、でしょうか?」
 恋愛感情がそこまであっさりと思考を阻害するということがいまひとつ実感できず首を傾げるセオに、ロンは苦笑してぽんぽんとセオの頭を叩き、「まぁ、俺としてはいい傾向だと思っているが、無理はするなよ」と言ったので、思わずかぁっと顔を熱くしながらこくこくとうなずいた。

 翌朝。セオはいつも通り、ポポタ少年のお気に入りの場所で陽が昇る前から少年を待っていた。稽古はいつもここで行うのだ。
 東の空がどんどんと白み始めている。このくらいの時間まで少年が来なかったのは初めてだったが、セオは特に『来ないかもしれない』というような心配はしていなかった。
 昨日、きちんと『殺される』と思わせることができたら衝撃は受けただろうと思うが、だからといってあの子が稽古をさぼったりするわけがない。自分でもセーガにあの教えを受けた翌日にはきちんと稽古に赴くことができたのだ。あんなに強い子が、あの程度のことで負けるわけがない。
 陽が昇りきっても、セオは気にせず待った。待っている間も自分の剣の稽古をしていれば時間を無駄にしたりすることはない。待って、待って、待って……中天の二刻ほど前だろう、というくらいにまで太陽が昇った頃、街の方からだだだだだとすごい勢いで少年が走ってくるのが見えた。
「おはよう」
 間近まで来て急に歩をゆるめ、こちらの様子をうかがいながらのろのろと近づいてくる少年に声をかける。少年はびくり、としてから「おはよ……」と小さな声で返し、きっと顔を上げてセオを睨んだ。
「セオにーちゃん、なんで、いるの?」
「え……」
 その問いは二度目だ。前回と同じように、受け取れる意味ひとつひとつについて説明する。
「ええと……俺なんかがこの世に存在している理由は、前回も言ったけれど、俺なんかに生きてほしいと思ってくれている人がいて、俺自身も生きたいと思ってしまっているから。この場所にいる理由は、君との稽古をここでやるという約束だったから。稽古の時間を過ぎても待っている理由は、君は遅れても絶対やってくると思ったから、時間が過ぎたからといって帰るのは約束を破ることだと、思って」
「約束の時間、とっくに過ぎてんじゃん。一刻以上待ったんだろ。俺が来ないかもしんない、とか思わなかったわけ?」
 思わず目をぱちぱちとさせた。なぜそんなことを聞くんだろう。
「なんで、思ったりすると、思うの?」
「だってっ……俺、昨日すっげーカッコ悪かったしっ。セオにーちゃんにこてんぱんにやられちまったしっ。しょ、ションベンもらしたりとか、しちまったしっ! 落ち込んで、もうこねーかもとか、思わなかったのかよっ」
「思わなかった、けど。だって、君が、衝撃を受けて、負けたような形になったまま、稽古を放り出したりするわけ、ないし」
「……なんで、そんな、当たり前みたいに……」
「だって、当たり前、じゃないの?」
 きょとんと首を傾げるセオをポポタはしばしどこか呆然としていた顔で見つめていたが、やがてぽぉっとその頬が赤くなり、にっかーっと満面の笑みを浮かべて勢いよく何度もうなずいた。
「そーだよなっ、負けたまんま放りっぱなしじゃムカつくもんなっ! うんっ、俺負けっぱなしじゃいねーからなっ、セオにーちゃん覚悟しとけよっ」
「え? う、うん」
 なにを覚悟するのかよくわからなかったが、とりあえずこっくりとうなずく。
「よーし、じゃー稽古するかぁ! ……っつっても、一日じゃ木刀がちゃんとできなかったから木の枝なんだけどさ、あはは」
「え……と、あの、じゃあ……これ……使う?」
 おそるおそるセオは持っていたものを差し出す。ポポタ少年の目が大きく見開かれた。
「使うって……これ、木刀じゃん! セオにーちゃん、買ってたの?」
「え、ううん。昨日の稽古のあと、作ったんだけど……もちろん、急場の間に合わせくらいにしかならないだろうけど、中に鉄芯通して、それなりに頑丈に作ってあるから、たぶんそんなに簡単には、壊れないんじゃ、って……」
「……くれるの?」
「えと、うん。君が嫌じゃ、なかったら……」
「っっっ〜〜〜っっっ………」
 ポポタ少年が体をぎゅうっと縮めた、と思ったらぽーんと大きく跳ねさせた。そしてそのままの勢いでぴょーんとセオに抱きついてくる。
「っ!」
「嫌なわけないじゃんっ、セオにーちゃんすっげーありがとうっ! 俺、もーもーもー、すっげーうれしーっ!」
「え、えと、あのそのえと、別に、そんな、その」
「セオにーちゃんには大したことなくても俺にはすっげー大したことだよ! 俺、誰かに贈り物もらうのとかこれが初めてだからさ! うわーもーもー、すっげーもーもー……ありがとーっ!」
「え、えとあの、その、あの、えと………うん」
 セオは顔をかぁっと熱くしながらおずおずとうなずく。こんな反応が返ってこようとは思ってもいなかった。そもそもポポタ少年の木刀を使えなくしてしまったのは自分だし、怒鳴られ罵られ不承不承受け取られるのが当たり前だと思っていたのだ。
 なのに、こんなに、体全体で『ありがとう』と言われるなんて。そんな言葉が仲間以外から自分に向けられるなんて。自分が誰かを喜ばせることがあるなんて。本当に、まったく、考えたことも。
「よーっし、じゃー稽古しよーぜっ! 今日こそはセオにーちゃんこてんぱんに叩きのめしてやるんだからなっ」
「えと、うん。そうだね」
 満面の笑顔の少年と向き合い、セオは剣を構えた。
 それから稽古すること一刻と少し。セオは地面に仰向けになってはぁはぁと荒い息をつくポポタ少年に向け油断なく構えを取っていたが、ふいに気配を感じ頭を巡らせた。丘の麓から誰かが歩いてくる。陽の光を跳ね返して輝く白い銀髪に白い肌の、自分よりわずかに背の高いすらりとした軽装の自分のよく知っている顔貌の――
 目をぱちくりとさせる。フォルデがなぜ、こんなところに?
 フォルデはすたすたとこちらに歩み寄り、「よぉ」と小さく手を上げた。セオはどきどきと心臓を高鳴らせつつも、「こんにちは」と頭を下げる。その声が聞こえたのか、ポポタ少年がむっくり起き上がりフォルデを見て目を見開き、むぅっと唇を尖らせた。
「なんだよ、なんでお前がこんなとこまで来てんだよ? ここは、俺のとっておきの場所なんだぞっ」
「阿呆かてめぇ、こんなどっからも丸見えの場所とっておきにしとけるわけねーだろが。っつか、てめーのとっておきだからってなんで俺が遠慮しなけりゃなんねーんだよ」
 ふん、と鼻を鳴らすフォルデに、ポポタ少年は鼻の頭に皺を寄せると跳ね起きて顎を突き出す。
「今は俺がセオにーちゃんと稽古してんだかんなっ、邪魔すんなとっとと帰れよっ」
「へっ、てめーが邪魔されるほどまともに稽古してるたぁ思えねーけどなぁ?」
「なんだとぉっ」
「つか、別に邪魔しに来たわけじゃねーよ。稽古してーんなら勝手にやってろ、見ててやるから」
「え……」
 言ってその場にあぐらをかくフォルデにわずかに目を見開いてから、少年はこちらをうかがうように見上げた。
「セオにーちゃん……どうする?」
「? どうする、って?」
「こいつのこと、放っとくの?」
「え……放って、おくっていうか。一人見てる人がいるとかくらいで、困る稽古とか、してない、よね?」
「あ……そっそーだよなっ、俺らすっげー一生懸命稽古してるもんなっ! よーっし、やるぞーっ!」
 セオはえ、と手を上げかけ、一生懸命というか見ている人間がいるだけで命を落とす危険性があるほど命を懸けた稽古はしていない、という意味だと説明しようかと思ったのだが、少年が木刀を嬉しげに構えたので言いそびれ、自分も剣を構えて少年が打ち込んでくるのに備えた。
 打ち込んでくる木刀の軌跡を、少年が目で捉えられるようにある程度ゆっくりといなし、時には剣を返して打ち据える。
「一振り一振り、集中して! 相手がいつ刃を返してくるかわからないから!」
「うんっ!」
 突きから払いへの変化を、手首を打ち据えて妨害する。
「もっと速く! 突きは隙が大きい、相手に反応される前に打ち込むつもりで!」
「うんっ!」
 指導、指導、指導、指導。ひたすらに何度も繰り返し、体の芯まで教えが染み付くようしっかりと。
 そう懸命にひたすら教授を行っていると、ポポタ少年がまた地面に寝転んで息をついている時に、フォルデがぼそりと呟いた。
「フツーにやってんじゃねーか」
「え……?」
「お前、フツーに教師役やってんじゃねーか。ラグが言った時は嘘だろと思ったけどよ」
「え……あの、そう……でしょうか?」
 自分が満足に教師役を勤められているとは思えないセオは首を傾げたが、フォルデは仏頂面でうなずく。
「ああ。驚いた」
「そう、でしょうか……」
「……そーいう風に話せるっつーんならなんで他の時もそーいうしゃきしゃきした話し方しねーんだよ」
「え……」
 ぼそり、と告げられた言葉に、セオはまたおずおずと首を傾げた。
「あの……教えてた時、そんな、しゃきしゃきした話し方とか、してましたか……?」
「してたじゃねーか。当たり前みてーな顔してよ」
「あ、の……もしそうだったら、たぶん。俺が、セーガさまの真似をしてるからだと、思います」
「セーガ……? セーガ、セーガ……ああ、あの人か。お前の剣の師匠とかいう」
「はい。とても身に着く教え方を、してくださって。そういうお手本があるから、俺の普段みたいな、情けない話し方とは、違うんだと思います……」
「……てっめぇ、なぁ」
「セオにーちゃん情けない話し方とかしてねーじゃんっ!」
 ぴょこん、と飛び起きて叫んだポポタ少年に、セオは目をぱちぱちとさせる。
「そ、う……? そんなことは、ないと思うんだ、けど」
「そんなことあるよー。セオにーちゃんって、そりゃ普段は剣教えてる時よりゆっくり喋るけどさ、すっげー優しい喋り方すんじゃん。柔らかいっつーか、可愛いっつーか、なんかほっとするもん。俺セオにーちゃんの喋り方好きだぜっ」
「え、あ、え、の、そ、う……え、と。あり、がとう……」
「おうっ」
 にっかー、と笑ってみせるポポタ少年に、セオもおずおずと頬を緩める。本当に、この子はなんでこんなことを言ってくれるのだろう。自分などにそんな価値はない、と強く思うのだけれど、他者に好意を、こんなにもあからさまに示されるというのは初めてなので、いたたまれなくもあるけれども、やはりちょっと泣きたくなる時もあるくらい、ありがたい。
「……バッカバカしい。やってられっか」
 吐き捨てるようにフォルデが言って立ち上がる。え、と思わず見つめる先で、フォルデはふんと鼻を鳴らしながらこちらに背を向けた。
「せーぜー頑張ってセンセーやってろ。一度引き受けたっつーんならな」
「あ、はいっ、ありがとう、ございますっ」
「……言っとくけど、出発の日伸ばしたりとかしねーかんな。その日になって『もうちょっと……』とかぬるい寝言ほざくんじゃねーぞ」
「……はい」
「クソ……あークソっ、クソムカつくっ……この、クソッタレ野郎がっ、あークソッ」
 ぶつぶつ呻くように言いながらフォルデは立ち去っていく。それを数瞬見つめてから、セオはポポタ少年に向き直る。
 少年は地面から上体を起こし、じっとこちらを見つめていた。どこかで見た覚えのある目だ。誰かを見つめる目。助けを求める目。物語のように勇者が自分のどうにもならない状況を助けに駆けつけてくることを期待する目。
 そして、そんなことがありえないことを、諦めるしかないことをわきまえた、わきまえざるをえないほど思い知らされている目だ。
 だが、自分が見つめ返すとすぐに少年はにかっと笑った。
「稽古の続きしよーぜっ。時間もったいねーよっ」
「……うん。そうだね」
 言って、立ち上がり木刀を構えるポポタ少年に、セオも剣を構えた。そう、時間は、もう残りわずかしか残っていないのだ。

 三月三十一日。誕生会は、明日だ。仲間たちの誕生日を全力で祝う、その日はもう明日。体が震えるほどの緊張が全身を包んでいる――なのに。
「………どうしよう」
 はあぁぁ、と深い深いため息をつく。プレゼントが決まっていないのだ。
 いや、最初にプレゼントとして考えていたパッチワークキルトは全員分完成している。自分のできる限りの技術をもって全力を尽くし作り上げた品ではある。
 だが、時間に余裕ができたせいなのだろうか、改めて考えてみるとどうにも物足りない気がしてしまう。仲間たちに対しひどく失礼なプレゼントであると思えてしょうがない。なのでパッチワーク製品を山のように作り上げたりもしてしまったが、それでもどうにも足りないという気持ちが拭えない。
 はあぁぁ、とまた深くため息をつく。どうすればいいのだろう。自分は、どうしてこんなにも足りないのだろう。能力が足りない、力も技術も足りない(今サドンデスと戦っても勝てる気がまったくしない)――想いも、覚悟も足りない。
 こんな風に、仲間のことを最優先にすると決めて行動しながらも、なぜ、こんなにも揺れてしまうのか。自分が一人を助けたところで、世界にはまだ数えきれないほどの救われない存在がある。それらすべてを背負う覚悟がなければ、一人の人間の一生を背負う覚悟がなければ、おそろしく中途半端な惰弱の押しつけにしかならないというのに。
 そして、そんなことにかまけている間に、仲間たちになにもできないまま、返せないまま、すべては終わってしまうかもしれないというのに――それを理解しながら、なぜ、自分はこんなにもだらしなく揺れてしまうのか。
 はぁぁ、とまた息をつく。今度はできるだけ軽く息をつくよう心がけてみたが心はどうにも軽くならない。本当に、まったく、どうして自分は、こんなにも――
 カンカンカンカンカンカンカンカン!
 けたたましく鳴る鐘の音に、セオははっとして武器を取り部屋から飛び出した。これはおそらく、街の入り口に設置されている鐘の音。あれは街中に音を響き渡らせることができる魔道具で、街中に警報を通達する時に使われるものだったはずだ。
 こうしてひたすらに連続して叩かれる、それが意味する内容は、確か。
「勇者さんっ、勇者さんっ! 魔物だ、魔物が出たっ! 船着場と街を移動する間の道に、山ほどの魔物がっ!」
 予想通りの言葉に、セオはぎゅっと唇を噛み締めた。襲われたあと真っ先にこの宿屋に駆けつけてきたのだろう、真っ青になって宿屋の主人に介抱されながらひぃはぁと荒い息をつく男に、「教えてくださってありがとうございます」と言いながら駆け出す。
 この一週間でムオルの街中の道についてはそれなりに知った。全速力で街の外に飛び出して周囲の状況を確認し、船着場と街の中間地点辺りに相当な数の荷馬車を操る人と、魔物の群れが混在しているのが見えた。
 ぐ、と奥歯を噛み締めて、全速力で飛び出す。船着場と街の間の距離はせいぜいが一里、本気で走れば百数える間もなく通り抜けられる。それこそあっという間に中間地点にたどり着き、素早く呪文を唱えた。
「まるめろの匂いの空に、新しい星雲を燃やせ!=v
 どおぉぉん、と湧き起こる大爆発。これまでの旅の間に何度も使ってきた呪文であるイオラは、その場にいる魔物のほぼ全てを爆発に巻き込める。
 十匹ほどいたデッドペッカーはそれですべて吹き飛ばせたが、呪文の効きにくいスライムつむりは全員まだぴんぴんしていた。副武器である鋼の鞭に持ち替えよう、とするより早く、銀色の流星がそれに向かって飛び出す。
「っせぇっ!」
 宙を舞い、一振りで残りのスライムつむり全員を薙ぎ払うドラゴンテイル。世界樹の森を去るときにここまで来たならついでだからと連れられてきたすごろく場で手に入れたその武器は、パーティ一の素早さを誇るフォルデの手によって疾風の速度で振るわれた。
「シッ!」
 そのあと即座に鋼の鞭で追撃を行うロン。見る間に次々スライムつむりが消えていく。ならばあとすべきことは、とおそらくはいるだろうこの襲撃を指揮していた者を探して周囲の気配を確認する――より早く武器が振るわれていた。
「ふっ……!」
 パーティ一の剛力で振るわれたバトルアックスが、魔族の中では最弱の部類ではあるが油断のならない相手のベビーサタンを一撃で両断する。悲鳴すら上げられずにベビーサタンが消えるのを確認し、周囲をの気配を探ってこれ以上魔物がいない、と確信できたので、セオはふ、と息を吐いた。
 本当に、自分はいたらない。人々が魔物に襲われていたというのに、自分は今、魔物の死を。
 ふい、と首を振って、荷馬車のそばの人々へと駆け寄った。予想通り仲間たちもちょうどいい機にやってきてくれたし、あとは被害者が出ていなければ。
「怪我を、なさった方は、いらっしゃいませんか?」
「た、助かったぁぁ……いや、ありがとうございます勇者さま! さすがあなたは俺たちのポカパマズだ!」
「ありがとう、ありがとう! いや、やはり我々は血を分けた兄弟同然ですな! なにも損得を考えず助けに来てくださるとは!」
「あ、の……怪我をなさった、方は」
「かまわん、セオ。こんな奴らと話しても時間の無駄だ」
「あの、でも、怪我をなさった方がいたら、治してさしあげない、と」
「……ふむ。我、知命理、癒多傷=v
 ロンが呪文を唱えると、ふわ、と周囲の空間が優しく輝いた。すうっと体の疲れが取れ、細かい傷が癒えていく。以前にも使われたことがあるので、ベホマラーだ、とわかった。
「……これで全員傷は癒えただろう。ああ、心配するな、きっちり報酬は請求する。こういったことはきちんとしなければな、親しき仲にも礼儀ありだ。まぁもちろん、そちらが頼んでもいないのにとか言い出して断固として拒否した場合は、こちらもそういう∴オいをさせてもらうが、まぁそんなことはないよな?」
『う……』
 これで全員の傷は癒えただろう、とほっと息をつく。あとは荷馬車を運ぶのを手伝って――
 と、思った瞬間。神経の端に、なにかがぴりっと引っかかった。
「……? どうかしたかい、セオ?」
「いえ……あの。なにか聞こえたような、気がして」
「は? なにがだよ」
「えと、あの。声……みたい、な」
「誰の?」
「わかりません、けど……たぶん、人、の」
「……ふむ。おい、あんたたち。あんたたちの他に、どこかに逃げ出して戻ってきていない人間はいないか?」
「え? そんな奴は別に……あ!」
「どうした」
「い、いや、逃げ出したってわけじゃないんだけど……あのポポタが、なんだか端っこの方で暴れてたなぁ、と。こっちもそっちにかまう暇なかったから放っておいたけど、なんだか弱そうな銀色の魔物とじゃれあいながら向こうの方へ走っていった気がする。いや、でももう街に戻ってるだろ? あんな弱そうな魔物相手なんだし」
『………っ!』
「こ……んのッ、クソボケカス野郎がッ! 弱そうだろうが魔物は魔物だろうがっ、あんなガキと魔物一緒にさせて放っておいたってのかこのド低脳タマなし野郎……!」
「そんなことはあとでいい、フォルデ。セオを追うぞ!」
「っ……早ぇっ……!」
 だだだだだだだっ、と全速力でセオは走っていた。本気で、死ぬ気で。今走らなければ世界が終わる、という勢いで。
 助けなければ。絶対に、助けなければ。自分は本当に力がなく、今助けたところで彼の一生を背負うこともできず、その覚悟すら足りず、中途半端で、情けなくて、まだ魔物を殺したくないと心の底では泣きたくなるほどの切実さで思う、けれども。
「……っ!」
 それでも、今、自分は、矛盾していようが罪悪であろうが、あの子を助けなければ生きていられない!
 全神経を駆使して気配を察知し、居場所を認識する。その方向に筋肉が千切れるほどの速さで走り目標を目視で確認。銀色に輝く、バブルスライムのように液体じみた魔物三体にじゃれつかれるようにして、傷だらけになりながらも必死に木刀を構えるポポタ少年が、はっとこちらを見て叫んだ。
「セオにーちゃんっ……!」
「退がって!」
 叫びながら腰に下げていた鋼の剣を一挙動で引き抜き投げつける。本来投げつけるようにはできていないそれは、ひゅおんひゅおんといびつな音を立てながら空気を割り裂いて飛び、魔物たちの目の前に突き刺さった。
『※#<И!』
 悲鳴を上げながら退く魔物たち。全力で走りつつ、ぎゅっと奥歯を噛み締めながら右腕のゾンビキラーを構え、全速の踏み込みをもって魔物のうちの一匹、その体の中心に突き立てた。
 ぼしゅっ、と音を立てて魔物が消滅する。ぐ、と奥歯を噛み締めながらも、「ごめんなさい」と口が呟くのを止めることはできなかった。
 魔物がざざっと身構える――より早く、他の一匹に飛んできた短剣が突き立った。フォルデのアサシンダガーだ。うまく急所を突けばほとんどの魔物を一撃で倒せるというその武器は、見事に突き立った魔物を一撃で葬る。
『ΓΛΠ‡凵I』
 魔物が呻いて素早く逃げ出そうとする。向こうから逃げてくれるならば、と足を緩めかけた瞬間、予想もしなかった人間が動いた。
「でぇ……りゃぁっ!」
 びゅっ! と苛烈な勢いと力をもって魔物に叩きつけられる木刀。それは確かに見事な業だった。魔物が悲鳴を上げて退き――攻撃した相手である、ポポタ少年を見て威嚇する声を上げる。
「………っ!」
 まずい、位置が離れている、このまま動いても間に合わない、鋼の剣はさっき使った、鋼の鞭を使うにはわずかに遠い、呪文なんて遅すぎる、駄目だ、この、ままじゃ―――!!!
「セィヤッ!」
 ずんっ、と彼方から飛んできた杖と体が、魔物に突き刺さった。魔物がぼしゅっ、と音を立てて消え去る。え、とぽかんとするセオの前で、飛んできた相手――ロンはひょいと杖の上から飛び降りた。
「ふむ、修行は積んでおくものだな。武闘家の経験も案外無駄にはなっていないかもしれん」
「な……おま、なにやってんだよ、いきなりすっ飛んできやがって」
「ああ、このままでは届かないと思ったんで、ラグに杖を投げつけてもらっただけだ、俺ごとな。飛びかかって杖で突く、という技は以前修行したことがあったんで」
「お前な……ったく、あっぶねぇなぁ。そりゃラグならそんくらいの力はあるだろーけどよ……ひとつ間違えたら大惨事だぞ」
「それくらいしかこの少年を助ける方法がなかったんだからしょうがない。危険は冒すべきときには冒すものだ」
「ええと、君、大丈夫かい? 怪我は……してるな。セオかロン、悪いんだけどちょっと癒してやってくれるかい?」
「あ……はいっ!」
 慌ててだっと駆け寄り、呪文を唱えてポポタ少年の傷を癒す。自分に負けず劣らずぽかんとしていた少年はされるがままになっていたが、やがてのろのろとセオに顔を向ける。
「セオ……にーちゃん。俺……」
「まだ、痛いところとか、ある?」
「ううん、それはないけど、俺……」
「おい、そこのガキ。馬鹿かてめぇ、ガキのくせに魔物の前にしゃしゃり出てくんじゃねーよ、殺されてーのかっ!」
「……っ」
「落ち着け、フォルデ。……だけど、言っていることはその通りだと俺も思うよ。君が人を助けようとするその心意気は大したものだと思うけど、だからって自分を危険に晒しちゃ意味がない。人を助ける資格があるのは、その人を助けても自分を助ける余裕のある人間だけなんだからね」
「………」
「ふむ。ついでだから尻馬に乗るか。危地に赴いて人を救う、これはまぁ立派なことではあるな。が、危地から無事生還する命は、他者のであろうがお前さんのであろうが数量的な価値としては同じだ。で、他の人間は自分の命を必死に守るだろうから、自分の命は自分で必死に守るのが筋というものだと思うが? 自分の尻を拭けない人間は、戦いに出る資格はない、ということだな」
「っ……っ」
 ぼた、とポポタ少年の瞳から涙がこぼれ落ちた。ぼたぼたぼた、と音を立て、次から次へと。ひっく、うっく、と喉の奥が鳴り、堪えようとはしているのだろうが涙と鼻水でどんどん顔がぐしゃぐしゃになっていく。
 セオは、ごくり、と唾を呑んだ。
 こんなことを、していいのだろうか。本当に自分に、そんな資格があるのだろうか。そう思わずにはいられないし、自信なんてかけらもない。それなのにこんなことをしようなんて、身勝手この上ない、子供を虐待するとすらいっていい所業かもしれないと思う。
 でも、あの時、自分はそれでも、この子を助けたいと思った。助けずにはいられないと体が勝手に動いた。それが正しいとはとても思えない、だけど、目の前のこの子を助けなければ、自分はたぶん、死んでしまう。
 そして、今はまだ、自分は死ぬわけにはいかない。すべきことをなし終えていない、責任を果たしていない。なにより――仲間たちを裏切るわけには、絶対に絶対に、いかない。
 なので、セオは、少年の前に膝をついた。懐から手巾を取り出し、少年の顔をできるだけそっと拭く。
 少年がまだ涙をこぼしながらこちらを見る。それにセオは、少しでも安心できる表情になっていたらいいと、唇の両端を小さく吊り上げて、言った。
「大丈夫」
「…………」
 少年がずっ、と鼻を啜ってごしごしと涙を拭う。それにうなずいて、セオは立ち上がり、少年の背中に回って仲間たちの方を向いた。
「あの、みなさん」
「……なんだよ」
 なぜかひどく不機嫌なフォルデの声に少し怯えながらも、できるだけ背筋をしゃんと伸ばし、訊ねる。
「あの……ここにいる、全員で、旅をする、というわけには、いきません……か?」
「……は? なに言ってんだお前、いまさら」
「全員でって、元から俺たち一緒に旅を……って、え。セオ。君、まさか……」
「……その少年を旅に連れていきたい、と言いたいわけか? 君は」
「えと、あの、はい。彼がよければ、ですけど」
『………っはあぁあ!?』
「なに抜かしてんだ阿呆か脳味噌腐ってんじゃねぇのかてめぇはあぁぁ!!! そんなガキ一緒に連れてってなにやろうってんだ、小間使いにでもするつもりか、んな余裕のある旅じゃねーってことくらいわかってんだろーがああっ!?」
「あの……はい。本来なら、そんな余裕はない、のは、わかってるつもり、です」
「わかってるっつーならなんでんなこと抜かしやがんだてめぇ頭に蛆虫でも湧いてんのかこのボケ勇者がぁっ!!!」
「……はい。本当に、愚かしい、間違ったことだと、思い、ます」
 そう思う、のだけれども。
「でも、彼は。一緒に来たい、と言ったんです」
「だからってなんでほいほいっ」
「勇者になりたい、と言ったんです。そして、本当に勇者になろうと、行動を起こしたんです」
「な……」
「死ぬことになるかもしれない。死ぬ以上の恐怖を味わうことになるかもしれないとわかっていても、街の人々を助けに飛び出したんです」
「だからなんだ実際には救えてねーだろーがっ」
「でも、魔物を三体、荷馬車から引き離すことには成功しました」
「そ……んななぁ、たまたま」
「たまたまでも、彼には魔物に痛めつけられ、死が眼前に迫っても、剣を振るう勇気があります。覚悟が、あります。本当に、彼は勇者になりたい、と思ってるんです」
「だからって……そんなもん、ほいほいなれるわけでもねーし。俺たちだってそいつの面倒見れる余裕なんてねーだろーが」
「魔船の部屋には空きがありますし、子供一人分の食費、衣料費を用意する程度の資金なら、俺の小遣いで充分足ります」
「そーいう問題じゃっ……!」
「魔物に襲われた時に、完全に守りきれるかどうかはわかりません。そんな状態で旅に連れ出すのは無責任この上ないと思いますけど、でも、彼には覚悟がある。命を、人生を懸けて勇者になろうとする覚悟が。だから」
「っ……んな、なぁ、ガキにんな覚悟とかあったところで、周りの大人がそれ当てにしてどうこうとかやっちゃなんねーだろーがよっ」
「そうかもしれません。でも、彼は本当に勇者として行動したいと思ってるんです。それこそ魔物の前に飛び出していくほど。そのための助けを切実に求めてるんです。そして、この街では、彼のいる場所では、それは手に入らない。……俺は、その人たちよりは、その助けになれます」
「っっっ……だっからなぁ、なんでてめーがんなことしなくちゃなんねーんだよっつってんだ!」
 その問いに、数度深呼吸し、セオは答えた。
「俺が、それをしなければ死んでしまうというくらい、この子の助けになりたいと思っているからです」
 自分にそんな資格はない。価値もきっとないだろう。けれど。
 そんな御託を並べている暇もないほど、あの時の感情は切実だった。あの時。自分が殺されたあの時。誰か助けてと全身全霊で祈った自分のように、助けを求めている人が目の前にいるその瞬間。
 もういてもたってもいられなかった、死ぬ気で助けずにはいられなかった。自分にできる全力で助力にならずにはいられなかった。そうしなければ自分≠ェ死んでしまう。殺されてしまう。
 自分など死ねばいい、と思う時ばかりであろうとも、それはやはり心底嫌だったし、こんなところで死んで、仲間たちにも世界にも、なにもできないまま終わりたくない、という想いは、掛け値なしに真実だったのだ。
 口を開けて呆然とこちらを見るフォルデ。ぐ、と顔をしかめたまま動かないラグ。無表情を保ってこちらを見つめるロン。
 そんな空気の中、ふいに、おずおずとした声がした。
「セオ……にーちゃん」
 セオは少年と真正面から向き合い、訊ねた。
「なに?」
「さっき言ってたの……ほんと?」
 うなずく。
「本当だよ」
「ホントに、俺のこと、旅に連れてってくれるの?」
「君が俺たちと行きたいと思うなら、頑張る」
「足手まといになっちゃうかもしれないのに? さっきみたいに、戦うのの邪魔になるかもしれないのに?」
「始終連れ歩くわけには、いかないかもしれない。どこかで待っていてもらうことも、多いかもしれない。でも、君がもう俺たちと別れたい、と思うまでは、一緒に連れていけるよう、頑張る」
「……ずーっと、思わなかったら……?」
「旅が終わるまで一緒に連れていけるよう、頑張る」
 身勝手極まりない感情。自分勝手な感情。けれどそれでも、自分はなんとしてもこの子の助けになりたい。たぶん、他の助けを求めている人に対しても、そう思うだろう。
 存在の選別を行って命を殺しているのに、助けたいと思う自分の弱さには、死ぬほど吐き気がするけれども。
 そんな悲痛な想いで少年を見つめていると、少年の表情が変わった。ぱぁっと。何度も見た、満面の、それよりもっと強烈な魂すべてが沸き立っているような、嬉しくて嬉しくてしょうがないという笑顔に。
「セオにーちゃんセオにーちゃんセオにーちゃんーっ! わーもーわーもーもーわーくそーもーっ、ありがとっほんとにありがとっすっげーうれしーっ、セオにーちゃんセオにーちゃんもうもうもう大好きーっ!!」
 抱きつかれて叫ばれセオは目をぱちぱちとさせた。なんでこの子がこんなに喜ぶのだろう。自分はこんなに身勝手なことをしようとしているのに。助けようとしているのは確かだけれど、それは自分の身勝手この上ない感情からで、しかも自分は、この子が仲間たちの前に立ち塞がるなら、きっと、この子も、殺してしまうのに。
 なぜ、こんなに、本当に嬉しそうに、自分なんかに。
「っっっ……ちょっと、待てよっ! んっだよそりゃなんでてめーがんな命懸けの真似までしてこのガキ助けなきゃなんねーんだっ、んな義理も理由もなんにもねーだろーがっ! んっでこんな、ガキを、どっかでおっ死んだらぜってー死ぬほど落ち込みやがるくせに、てめぇは」
「……セオ。君は……。……そんなことをする理由がないだろう。この子の保護者の意見とかもあるだろうし……」
「……はい。本当に、ごめんなさい」
「謝りゃすむと思ってんじゃ」
「でも、お願いです。どうか、お願いです。この子を俺が連れて行くことを、許してください」
 セオはその場に正座し、深々と頭を下げた。つまりは、土下座だ。
「俺にできることならなんでもします。俺の持っているものなら命でも差し上げます、労働力が必要なら死ぬまで働きます、お金が必要なら俺の持っている分はもちろん、それ以上のものもなんとか手に入れる方法を考えます。だから、どうか、お願いします。どうか……」
「っっっ……てめぇ、はぁっ……!」
「……あー。ちょっといいか」
 ロンがいかにも渋々、という顔つきで手を上げる。セオはわずかに驚く。ロンがそんな顔をしているところは、ほとんど見たことがない。
「んっだよっ、今どーいう状況か」
「わかってるから、一応言っておこうと思ってな。少なくとも、揉めている理由のいくぶんかは解決できてしまうことだ」
「へ……なんだよ、そりゃ」
 ロンはちろり、と少年を見る。怪訝そうに見返す少年に、は、と息を吐いてからそっけなく告げた。
「この子は勇者だ」
 一瞬、空気の流れが絶えた。
『……は?』
「は? もなにも、言ったままだ。この子は勇者だ。魔物を、敵を倒してレベルを上げる能力を有している。対象人数は一人、つまり自分だけだが……こういう風に別々の勇者が一緒に戦った場合には、全員を一まとまりとして考えるらしいな。俺たちが倒したはぐれメタルの分経験値が加算されているから……もうレベル17になっているな。ふむ、つまりこの場合は五人割りになるわけか」
「……え」
『ええええぇえぇぇぇえええ!?』
 声を揃えて叫ぶラグ、フォルデ、少年。セオも目をぱちぱちとさせた。それは、確かに勇者の能力というのは普通は最低でも五歳の時には身についているわけだから、この少年が敵を倒してレベルを上げる能力を得ていたとしてもまったく不思議はないわけだけれど。
「ま……まままっ、マジ………かよ」
「大マジだ。つまり、この少年が足手まといだから連れていかない、という理由は存在しなくなってしまうわけだな。この少年もレベルが上げられる、立派に戦力になるわけだ」
「け、けどっ、ガキだぞ!? まだ十歳かそこらのっ! そんなガキがいっくらレベル上げたって」
「俺もこういう事例は初めて見たが、どうやら年が幼かろうがレベルが上がった際の能力の上昇幅は別に変わらんらしい。基本となる能力値が低いだけでな。今のこの子には、並の大人、どころかそれなりに経験を積んだ戦士でも片手で殴り倒せる力があるし、動きの早さも耐久力もそんじょそこらのレベル17に負けないくらいにまで上がっている。呪文も使えるようになってるな」
「け……けど、けどっ」
「………っっっマジ、なんだよなっ、おっさんっ」
 目を全力できらきらと輝かせつつ問う少年に、はぁ、とため息をついてからロンは答える。
「マジだ」
「っっっっ……すっげぇぇぇぇぇえ!!!」
 腹の底からの大声で少年は叫び、またセオに抱きついてくる。慌てて抱きとめそっと地面に降ろすが、少年はこちらを抱き上げ振り回しそうな勢いではしゃぎ回った。
「すっげーすっげーすっげーよ! 俺、勇者だったんだ! 実は勇者だったんだ! うれしー、うれしー、うれしーよっ」
「え、と、あの。よか、ったね」
 自力で勇者になるという目標が断たれてがっかりする気持ちもあるかも、とおずおずと言うセオに、少年は満面の笑顔でうなずく。
「うんっ、すっげーよかった! これでもうセオにーちゃんたちの足手まといになったりしねーよなっ」
「えと、あの、足手まといっていうなら、俺が一番足手まといだと、思うし……」
「なに言ってんだよセオにーちゃんっ、さっきだってあんなにすっげくカッコよかったのにさっ! もーいっちゃんカッコよかったもん! 俺もこれからは負けないくらい頑張って、いつかセオにーちゃんを守れるくらい強くなるんだからなっ」
「え? あ、え、あの。えと。その、えと。が、がんば、って……」
 自分を守る、って。そんな、空耳ではないだろうか。聞き間違えでは。それに自分がカッコいいなんて言われること、あるわけがないし。自分は本当に、そんなこと言われるような奴では。
 それでもどうしてもついつい顔を真っ赤にしてしどろもどろになってしまいながらの答えだったが、少年はにっこーっと笑ってうなずいた。
「うんっ! すっげー頑張るっ!」
「…………」
 ふ、とラグが息をついた。こちらに歩み寄り、ひょい、と自分と少年の肩に手を乗せ、ぽんぽん、と優しく叩く。
「じゃあ、君の旅に必要な道具や荷物をきちんと準備しないとね」
「うんっ! えっとー……」
「ラグディオ・ミルトス。ラグでいい」
「わかった! じゃ、ラグ兄なっ」
「……やれやれ、まったく。こういうことになるんじゃないかと思ってはいたが。少年、俺はジンロンだ。ロンと呼んでくれ、ジンロンと呼ばれても返事はせんからな」
「おしっ! よろしくなっ、ロンっ」
「それと、さっきからずっと仏頂面でこちらを睨んでいるあそこの盗賊はフォルデだ。自称銀星のフォルデ」
「なっ……自称とか言うんじゃねーよっ! つか、別に銀星つけなくていーんだよっ!」
「お、さすがに恥ずかしくなってきたか? そうだろうなぁ、自分の二つ名を自称するというのは正直若気の至りにしてもかなり痛い部類に」
「そーいうこと言ってんじゃねぇぇぇ!!!」
「そっかー! よろしくなっ、フォルデっ」
「……おい。お前、なに勝手に人の名前呼び捨ててんだ」
「へ? だって、名前、フォルデなんだろ?」
「呼び捨てんなっつってんだ! 俺とお前いくつ違うと思ってんだ、名前呼ぶ時はさん付けで呼びやがれっ」
「へ? なんでだよー」
「年長者には敬意払えっつってんだよ!」
「えー……けどなー。フォルデってガキっぽいし、俺より年上だなぁとは思うけどさー、あんまけーいとか払う気しないっつーか……」
「……上等だこのクソガキ……脳天から吊り下げて血反吐吐かすぞゴラァッ!」
 セオはまだ驚きから抜けきれず、仲間たちと少年をぽかんと見つめていたが、はっと気づいて思わず叫んだ。
「名前っ!」
「へ?」
「名前、って……」
「君の、名前。まだ聞いて、なかった、よね。ポポタっていうわけじゃ、ないんだろうし。あの……教えて、くれない?」
 じっ、と真剣に少年を見つめて訊ねる。これまではついつい聞きそびれてしまっていたが、本当に一緒に旅をすることになるのなら、きちんと知っておかなければ。呼びかけのときにも困るし、仲間の名前ぐらいちゃんと知っておきたい。
 そんなセオの視線に気づいているのかいないのか、少年は「あー、そーいや言ってなかったっけ」とぽりぽりと頭をかき、にこっと笑ってあっさりと言った。
「俺、レウっていうんだ」
「え……姓は?」
「え、苗字も? 俺の苗字ってやたら長いからさー、普段使わないし全部覚えてないんだよな」
「あ……そう、なの?」
「うん。えっとー、一応これに書いてあるんだけどー……」
 言いながら懐から木彫りのメダルを取り出して、顔を輝かせる。
「あった、これだこれだ。えっとねー、言うよ。俺の全部の名前はねー……レウ・シルヴ・ウォラ・ヴォタニカ・メイロデンノグサ・アルゴレギヴーハミンジャ・サドンデス!」
 そう言ってポポタ少年――だったレウは、にっこりと笑った。――硬直する自分たちに、気づかずに。

戻る   次へ
『君の物語を聞かせて』topへ