ムオル〜アリアハン――3
「ぷわーっ、あーもーつっかれたーっ!」
 レウは叫ぶや、まだ野営の準備をしてもいない地面の上にごろんと寝転がった。ラグが苦笑して、レウを持ち上げその場に立たせる。
「レウ、寝転ぶのはいいけど、ちゃんと野営の準備をしてからにしなさい。もうすぐ陽も暮れるだろう? 暗くなってからじゃ火をつけるのも天幕を張るのも面倒だぞ」
「はぁーい……けどさー、ムオルの辺りじゃ春のこんな時間に地面の上に寝転ぶなんてできねーんだもん、ちょっとくらいもやっちゃだめ?」
「野営の準備が先。しなきゃならないことをきちんと先にすませる習慣つけておかないと、ろくな大人になれないぞ」
「フォルデみたいに?」
「てめぇなに勝手なこと抜かしてんだ、またシメられてーのか、あぁ!?」
「むっ、今度は絶対俺が勝つっ。俺だってこの一ヶ月いっぱい稽古したんだからなっ」
「はっ、ざけんな俺はそれ以上にやってんだ。てめぇみてぇなガキが追いつこうなんぞ百年早ぇんだよ」
「おい、お前らくっちゃべってる暇があるなら天幕を張れ。セオ一人にやらせる気か?」
「あ、ごめんっ!」
 レウはたたっとこちらに走り寄り、嬉しさ全開の笑顔で笑いかけてくる。
「セオにーちゃんっ、俺そっち持つよ。いっせーのせ、で持ち上げなっ」
「え、と……あの、うん」
 セオは顔を赤らめながらうなずいた。レウと一緒に旅をするようになってからもう一ヶ月近くが経つが、まだ彼のこの笑顔には慣れない。自分などになんでこんなに嬉しそうな顔をするのかさっぱり理由がわからないし、それになんというか、いつ見てもすごく眩しいものを見ている気分になって気恥ずかしくなってしまうのだ。
 そんないつも通りの感情を抱くと、これもまたいつも通りに、「なにガキ相手に顔赤くしてやがんだ阿呆かてめぇは」とフォルデにすさまじく不機嫌な顔で睨まれ、小さくなって謝って、レウに「セオにーちゃんいじめんな馬鹿フォルデ!」と庇われ、ラグに「まぁ二人ともとりあえず落ち着け」と仲裁されて、ロンに「やれやれ、よくまぁ飽きもせず」と肩をすくめられるという流れをこなしてしまったのだが。

 自分たちは今、ムオルから南下し、ラヴィン地方南部のジパング近海近くにまでやってきている。
 ちなみに徒歩で。レウと一緒に旅立つ際に、ラグとロンが言った言葉のためだ。
「まだ旅というものをしたことがないんだろう? だったらまずは徒歩で、靴≠ノ足を慣らしておいた方がいい」
「それをやっているうちに体の中に旅の調子というものができてくるからな。靴≠ヘ慣れないと相当体に負担がかかる、余裕のあるうちに慣れておくべきだろう」
靴≠ニいうのは旅をする人間のほとんどが持っている、高速歩行用の魔道具だ。今使われているものの正式名称はヘルマの靴78-50≠ニいうのだが(長い時間をかけて何度も改良されているので型が違うごとに番号が違う。ちなみにヘルマというのは神々の伝令を勤めたとされる神の名前だ)、普通は靴≠ニしか呼ばれない。
 この靴は履いた者の足を高速で、かつ効率よく動かし、山の中だろうと砂浜だろうと通常ならばありえない距離をありえない速度で踏破することができる。これまでもこの靴≠フおかげで難所を越え、長距離を踏破することができた。なのでこれからもこれに頼ることは多いだろうから、とラグとロンの言葉にうなずき、詳しく説明することでレウも納得したのだ。
「俺、まだわかんないこといっぱいあるけど頑張るから、いろいろ教えてくれよなっ」
 元気! と顔に書いてあるような顔でそうレウは言ったが、旅を始めた当日の夜は、「足、痛い……」と泣きそうな顔で足をさすっていたりした。
「どれどれ、見せてみな。……あー、マメできてるな。けっこうでかいのがいくつか」
「それと足の筋肉も張っているな。あとで軽く揉んでやるから、先にマメを潰してしまえ」
「え、潰すって……これ、潰すの? どうやって?」
「焼いて消毒した針で縫うようにして。それから薬草を揉んで貼って包帯で止める」
「え! 針って、あの、布縫う時とかに使う、あの針? あれ、刺すの? ほんとに?」
「嘘を言ってどうする。ほれ、とっとと足を出せ」
「やり方教えてやるから、次からは自分でやるんだぞ」
「え、嘘、やだちょっと待って、ほんとに刺すの? わーっやだやだちょっと待ってよーっ」
 そんな風に叫んで騒いで「セオにーちゃん助けてーっ」と呼ばれたりして、フォルデに「はっ、そんくれーの覚悟もねーのに旅に連れてけとか抜かしたのかよ、これだからガキは」と吐き捨てるように言ってもらって、ようやくむっと唇を尖らせて「……やる」と言ってくれたのだ。
 また別の日には、「今日の料理当番お前だからな」と言われてきょとんとした顔をしたりしていた。
「料理当番……って、俺が? 今日? なんで?」
「阿呆か。ガキだからって免除になると思ってんじゃねーだろーな、メシ当番は日替わり制なんだ、てめぇにも回ってくるに決まってんだろ」
「え、け、けど俺料理の仕方なんてわかんないし」
「はぁ? 脳味噌沸いてんのか、んなことが言い訳になると本気で思ってんのかよ。材料はあるんだ、てめぇの分の仕事はきっちりやりやがれ!」
 う、と口ごもり「やってやろうじゃん!」と胸を張ったものの、今日狩った(旅というものにレウを慣れさせるための道程なので食料はできるだけ狩や採集などで手に入れるようにしていた)分の材料を目の前にどうしていいかわからず呆然とするレウに、「あの、料理の仕方、教えよう、か……?」とおずおず申し出るや「セオにーちゃーんっ!」と目を潤ませながら抱きつかれ、フォルデに「遊んでんじゃねぇボケどもが!」と怒鳴られ、結局レウが食事当番の時は持ち回りで料理を教える、ということになったのだ。
 また別の時。夜の見張り当番の時に、「まっかせといてよ!」と胸を叩いたものの、当番の時間が始まるやすぐに舟を漕ぎ始め、フォルデに怒鳴られるということがあったりした。
「見張りもまともにできねーのかよっ、だったら端っから任せとけなんて抜かすんじゃねぇこのボケナス野郎!」
「そっ、そりゃ悪かったけどさっ、最初はほんとにできるって思ったんだもんっ!」
「はぁ? できると思っただぁ? んで結局できなくて他の奴に迷惑かけてんだろーがっ! 自分になにができてなにができねーかも把握してねーくせに偉そうな口叩くんじゃねぇ!」
「う、うー、うーっ……うるさいフォルデのバカフォルデだってめちゃくちゃ偉そうじゃないかーっ!」
「っ、と! へっ面白ぇ、やるかこのガキっ!」
 そんな風にして夜中に大喧嘩を始め、揃ってラグに拳骨を落とされてお説教をされ、しばらく一緒に夜の見張りをすることになったりしたこともあったのだ。
 それでもレウは、毎日が楽しくてしょうがないというように、瞳をきらきらさせながら必死に自分たちについてくる。ムオル近辺では見かけない動植物に「あれなに? あれなに?」と訊ねてきたり、雪が残っている丘で手早くそりを作って見せ、「ひゃっほー!」と言いながら滑ってみたり(セオも一緒に何度か滑ることになってフォルデに怒鳴られた)。
 空が晴れているといっては目を輝かせ、風が心地いいといっては嬉しげに笑い、レベルが上がったといっては歓声を上げ、稽古がうまくいったといっては泣きそうになるほどはしゃぎ。
 セオはそんなレウに圧倒されつつ、ものすごく眩しいものを見ているような気分になりつつ、自身もその勢いに巻き込まれる、という今までにしたことのない経験を何度もすることになった。
「わっは、このスープうめーなっ! ロンが作ったの?」
「ああ、思う存分褒めてくれて構わんぞ。この辺りとダーマはそう離れていないからな、植生が近いから料理も近いものができる」
「しょくせー? って、なに?」
「え、と。その地域に、生えている木々や草なんかの、植物の種類のこと、だよ」
「へー、そーなんだっ! セオにーちゃんって物知りだなっ」
「てっめぇセオにだけは無駄に尻尾振りやがって……うぜぇんだよちったぁ恥ってもん知ったらどうだこの脳足りんガキが!」
「フォルデに言われたくねーやいっ。やったらめったらセオにーちゃんに絡んじゃってさっ、ガキみてぇ! 恥ずかしくねーの?」
「なっ……」
「お、言われたな、フォルデ。まぁ実際、普通思春期の七歳差というものは大きいもんだが会話の調子が変わらん辺り、同レベルと言って差し支え」
「やかましい黙ってろクソ賢者っ!」
「はは……ほら、レウ。口からスープこぼしてるぞ。ものを食べる時は喋らないこと、っていつも言ってるだろ」
「っぷ、はーい」
「セオ、おかわりがほしかったら言うんだよ? 遠慮してあとでお腹を空かせることにならないようにね」
「っは、はいっ!」
 火を囲みながらそんな会話をする。この一ヶ月何度も繰り返されてきた会話だ。レウがパーティに加入する前とは明らかに違うにぎやかさ。レウってすごいな、とそう思ったことを口にした時は、レウがすごいというか、子供の力だね、とラグに苦笑されたが。
 子供というのは、みんなこんなにすごい力を持っているのだろうか。少なくとも自分が子供の時は、こんなに雰囲気を明るくすることはできなかったと思うけれど。
「もうすぐ目的地なんだよな?」
「ああ、地図上で設定した地点に確実に近づいていっている。そこまで行ったら、ロンが結界を張るから……」
「アリアハンまでルーラして、アリアハンの中見て回っていーんだよなっ!?」
 目を輝かせるレウに、ラグは苦笑してうなずく。レウはよほどそれを楽しみにしているのだろう、ことあるごとにこうして確認を取ることが多かった。
 レウにアリアハン、ことにルイーダの店を見せておいた方がいい、と言ったのはラグだった。迷子になった時のために、きちんと集合場所を決めておくべきだ、と。
「子供っていうのは迷子になりやすいものだからね。別れ別れになってしまった時に、ここに行けば迎えに来てくれる、っていう場所を作っておいた方がいい」
「むっ、俺そんな簡単に迷子になんてなんねーよっ!」
「いや、だがそういう集合場所を作っておくにこしたことはないと思うぞ。魔物の中にはバシルーラ――相手をはるか遠くへ吹っ飛ばす呪文を使える奴もいる、そういう時のためにも集合場所を決めておけば離れ離れになってしまうことは避けられるだろう?」
「うー……それは、そーかもしんないけど……」
「それにアリアハンは俺たちが出会った場所だからな、せっかく仲間になったんだ、思い出の場所を共有しておくのも悪くないと思わんか?」
「んー……そう、かも……」
「それにさ、レウ。アリアハンはけっこう大きな街だからな、少なくともムオルの十倍はある。見物してみたら、いろいろ面白いものも見れるんじゃないか?」
「ほんとにっ!? じゃあ、行くっ!」
 そんな風に、ラグとロン二人がかりの説得で、自分たちはレウをアリアハンへと案内することになったのだった。徒歩でラヴィン地方最南端のもっともジパングに近い場所に向かい、ロンがルーラの基点として使えるような簡易的な結界を張る。そこからアリアハンへルーラし、アリアハンの発着場をレウに覚えさせて、はぐれた時のためにルイーダの店へと案内する。それからレウにアリアハンを見物させてから、まだムオルの船着場へ預けている魔船へと飛び、そこからロンの張った結界へと魔船ごと飛ぶ。
 ルーラの誘導魔法陣――人やら船やらが飛んできても問題のないよう空間処理を行う魔法陣はある程度のレベルを持つ僧侶や魔法使いや賢者なら誰にでも敷けるとわかってはいたが、こうも簡単に敷いたり消したりできるのはロンならではだろう。普通はそれなりに時間と費用がかかるものなのだ。だからこそ現在のところ、誘導魔法陣を敷いている街は世界でも数えるほどしかない、というということになっているのだから。
 誰がレウと一緒にアリアハンへ行くか、ということだが、レウは「セオにーちゃんと一緒に回りたい!」と主張し、フォルデは「アリアハンに戻るっつーならちっと済ましときたい用事があんな」と同行の意を示し、ロンは結界を張るのに必要だから残らざるをえず、ラグはセオたちだけでアリアハンに生かせるのも心配だけれどロンを一人で残すのも、と迷っている風だったのでセオがロンと一緒に残ることを勧めた。
「アリアハンを案内、するくらいなら、俺一人で、なんとか、できます」
「……大丈夫かい? 無理をする必要はないんだよ?」
「実際、セオがトヘロスを使ってくれれば俺一人でもまったく問題はないだろうしな。トヘロスを結界に組み込めば魔物と遭うこともないわけだし」
「いえ、あの。たぶん……大丈夫、だと思います。今、なら。アリアハンのこと、考えても、怖くなったり、しませんから」
「……そうか。ご実家へは?」
「顔を出すつもりは、今のところは、ない、です」
「そうか……」
「あ、の……気を遣って、くださって……ありがとう、ございます」
「いや……気にすることはないよ」
「まったくだ。俺たちはただせっかくのセオを可愛がる機会だからと積極的に接近を試みただけなんだしな」
「え……え!?」
「俺の行動までお前流に解釈するのはやめてくれ……」
「お、なんだラグ? お前はセオを可愛がる気はないというのか? 新しい子ができた時は前の子を寂しい思いをしないようにより積極的に可愛がるのが正しい子育て法だろうに」
「だからな……言いたいことはわかるが、表現をもう少しこう」
「ぐだぐだくだんねーこと言ってんじゃねーよ、たかだかちっと生まれたとこに戻るだけだろーが。こいつが大丈夫だっつってんだ、任すのが筋だろーがよ」
『…………』
「いや……なんというか、ちょっと感動だな。負うた子に教えられるとはこのことか。いつまでも俺の手の中で遊んでいる可愛い子と思っていたのが成長して……嬉しいような、いつまでも俺の手の中にいてほしかったような……」
「なに言ってやがんだキショいんだよしょーもねぇこと真顔で言ってんじゃねぇぇぇ!!」
「なーなーセオにーちゃん、ロン結局なにが言いたいの? フォルデがガキってこと? フォルデって別に可愛くないよな?」
「え、えと、あの、あのね……」
 などとしばし場がにぎやかになったりもしたが、ともかくアリアハンへはレウとフォルデとセオが向かい、フォルデは基本的に別行動、という結論が出たのだが。その話をされてから、レウはそれまでにも増して元気に旅路を歩んでいる。
「ぷぅ……お腹、いっぱい」
 鍋を空にして、レウは少しばかりほんわりと言った。腹いっぱい食べたら眠くなってきたのだろう、とろんとした目を何度も擦りながら、舟を漕いでははっと顔を上げる、ということを繰り返す。
「……じゃあ、見張り当番を決めようか。俺は昨日最後だったから、二番目か三番目でいいよ」
「じゃあ、俺が一番目をもらうぞ。セオはどうする? 昨日三番目だったが」
「え、と……俺は、どこでも」
「くだらねー遠慮してんじゃねーっつの。じゃ……俺昨日一番目だったから、三番目な」
「あ、じゃ、俺が最後で……レウと一緒にします。レウ、昨日二番目だったから」
「よし、それでいこう。……おいレウ、そういうことだから、歯を磨いたらもう天幕の中で眠っていいぞ」
「う、ぷ……はぁい……」
 明らかに半ば眠っている声で答え、レウはのろのろと洗顔用にとっておいた水を使って(セオの用意しておいた歯ブラシで)歯を磨き、ふらふらと天幕の中に入る。しばし毛布やらなにやらを取り出すごそごそとした音がしたあと、あっという間に寝息が聞こえてきた。
 くす、とラグが小さく笑う。ロンが笑顔で肩をすくめ、フォルデがふんと鼻を鳴らす。セオはほうっと息をつき、レウが安らかに眠れるよう、いつものようにこっそりと祈った。
「もう寝ちゃったか。まぁ、今日は特に魔物が多かったからなぁ。起伏もそれなりに多かったし」
「子供というものは限界を越えるとぱたっと眠ってしまうものだからな。健康でけっこうなことだ」
「くっだらねーこと言ってんじゃねーよ。ガキが眠るののなにが珍しいってんだ」
 笑みを含んだラグとロンの声に対し、フォルデの声はあからさまに不機嫌だ。セオはびくびくとしながら、できるだけ邪魔にならないように小さく椀の中の最後のスープをすすった。
「まぁ、別に珍しくはないけどな。子供が幸せそうに眠る姿は嫌いじゃないし……それに、あの子が本当に頑張ってるんだ、っていうのが伝わってきてちょっとほのぼのとした気持ちになるというか」
「幼い子供の健気な姿や幸せそうな姿というのはある程度年を食った男の心を和ませるものだ、ということだ。女の場合はたいてい子供とみると反射的に可愛がる態勢に入ってしまうから、問題外だがな」
「……くっだらねー。あのクソガキのどこが頑張ってんだよ。稽古きっちりやんねーこと多いわ作る飯は食えたもんじゃねぇわ、まともに見張りもできねーわすぐ泣き言言うわ戦闘でも大して役立たねぇわ、そのくせ態度だけは一人前にでけぇし、うぜぇったらねーだろーがよ」
「フォルデ、お父さんやお母さんや弟を取られたようで嫉妬の炎を燃やさざるをえんのはわかるが、認めるところはきちんと認めておいた方があとあと恥ずかしい思いをせずにすむぞ?」
「……っはぁ!? ざっけんなんっだそのお父さんだのお母さんだの……っ、誰のことだよ勝手なこと言ってんじゃねぇっ!」
「おや、解説が必要なのか? お父さんがお」
「るっせぇ黙れクソ賢者っ、しょーもねぇこと言ってんじゃねぇざけんな誰が嫉妬してるってんだ今度んなこと言ったらぜってー殺すからなっ!」
 はぁはぁと息を荒げるまで怒鳴ってから、「寝る!」とぎっとこちらを睨んで宣言し、フォルデは天幕へと入った。その姿にロンはくつくつくつと噛み殺した笑いを漏らし、ラグは顔に苦笑を浮かべる。
「ロン……あんまりからかうなよ。あいつはあいつで、たぶん必死なんだ」
「おお、すまんな。あまりに可愛いものだから、ついつい……ここまで見事に反応してくれるとちょっかいをかけずにはいられんというか」
「……まったく。お前だってレウが俺たちの間に入ってきた頃はけっこう拒否反応示してたくせに」
「お、ばれていたか」
「ばれいでか。もう一年以上ずっと一緒にいるんだ、そのくらいわかるよ」
「確かに。だがそういうお前もちょっぴり面白くない想いはあったりしただろう? お前らしく見事に隠してはいたがな」
「う……それは」
「え……そう、なんですか?」
 ついセオは口を挟んでしまった。意外、というか想像もしたことがないことだったので。ラグとロンがレウと旅を始めた頃あまり機嫌がよくなかったのはわかっていたが、それがレウのためだとは思っていなかったのだ。
 ラグは苦笑し、肩をすくめて見やるロンに肩をすくめ返して説明する。
「あー……なんていうかな。その……単純な反射、というか。これまで自分たちなりにうまくやってた仲間の間に、新しい人間が加わるっていうのは、人間関係的に重圧を感じるものがあるんだよ。少なくとも、俺は」
「そう、なんですか?」
「俺はそういう質ではないと思っていたんだが、君たちのことだからな。ついつい警戒してしまうところはあった。新しく入れた奴がつまらん奴だったらどうしよう、とかな」
「そうなん、ですか……」
「ただ、まぁ、その新しく入ってきた、レウがいい子だったからね。子供だけど、頑張り屋だし。いつも明るいし」
「なのでまぁ、とりあえず仲間として認めてやってもよかろう、と判断したわけだ。他の仲間と同様とはいかずとも、一緒に旅をするに足る相手としてな」
「そう、なんですか……」
「セオは、レウがそういう子だってわかってたのかい? 普通に暮らしてた子だったら、毎日朝から陽が暮れるまで魔物と戦いながら歩いて、当番もこなして、稽古もして、ってそうそうやれることじゃないだろう」
「え、と。あの、わかってたわけじゃ、ないです、けど……」
 ちらりと天幕の方を見る。すうすう、と健やかな寝息が伝わってくる幕の向こう。保護すべき相手が眠っている場所を。
「あの子なら、それくらいはする、って思ったんです。あの子は本当に、本当に本当に、真剣に、言ったから」
 勇者になりたい、と。魔王を倒して、世界を救いたいと。
 その自分とは違う、はっきりと未来へ向かう輝きを、自分は確かに眩しいと、そして美しいと思ったのだ。

「でぇいっ!」
 レウが気合と共にデッドペッカーを一刀のもとに斬り捨てる。武器はダーマであつらえたごく一般的な鋼の剣なのに(レウの体でも扱えるようにやや小さめのものだ)、その斬撃は確かに一撃必殺といっていいほどのものだった。
 どんどん腕が上がってきているな、と一人うなずきつつ、セオは目の前のベビーサタンを斬り倒す。毎度お馴染みの胸を突き刺されたような痛みを、なんとかやり過ごしてさらに次の敵へとゾンビキラーを振るった。
 ほどなくして襲ってきた魔物の群れは全滅した。「よっしゃぁっ!」と歓声を上げて鋼の剣を振り回すレウに「うっせーんだよいちいちっ、つか剣振り回すな危ねーだろ!」と怒鳴ってから顔をしかめてフォルデが言う。
「……っとに、この一ヶ月に襲ってくる魔物の数って異常だよな。数数えながら歩いてたら、三百いくかいかないかってくらいで襲ってくるんだぜ。歩いてる時間より魔物と戦ってる時間の方が長いんじゃねーのってくらいだぜ」
「さすがにそこまではいかんだろう。せいぜいが3:2というところだ」
「それでもじゅーぶんおかしいっつの」
「へ? 俺が仲間に入る前までは、こんなんじゃなかったの?」
「まぁ、しょっちゅう魔物が出てはきたんだけど……せいぜいが小半刻に一度、ってところだったかな。船に乗ってたからかもしれないけど」
「おそらくは二人の勇者の力の相乗効果というところだろうな。勇者が複数共に行動した時は、勇者の力が相乗されるというのはわりと昔から知られていることだ。セオが三人仲間を作れる勇者だから、魔物を引き寄せる力もとんでもないことになってるんだろう」
「へー……それっていいことだよな? レベルいっぱい上がるし、魔物が他の奴のとこ行かなくなるし。なのになんで、勇者が他の勇者と一緒に旅するってあんまり聞かないんだろう」
「ひとつには、勇者が基本的にそれぞれの国に属するものだからだろうな。国の偉いさんに、自分の国の戦力が他の国の戦力と仲良くしたら面白くないと思うような奴が多かったんだろう」
「あー、いるよなーそーいう親。あそこんちの子とは遊んじゃいけません! ってやつ。みっともねーよなー」
「もうひとつには単純に、勇者同士で気が合う奴らが少なかったんだろうさ。勇者は一世代にせいぜいが数人、そんな中で一緒に旅をしてもいい、したいと思うくらい気が合う奴がいる確率は、けっこう低いと思うぞ」
「そっかー……じゃー俺すっげー運よかったんだな! セオにーちゃん、俺勇者だってことがわかる前から一緒に旅してもいいっつってくれたもん!」
 にっこー、と笑いかけるレウに、セオは赤くなりながら「う……ん」と小さくうなずいた。こういう時、どういう顔をすればいいのか、どういう顔をすればおかしくないのか、未だにセオはよくわからない。
「お……ようやくだな。見えたぞ、あの丘の上が目的地点だ。そこに俺が結界を張る。あそこを越えれば海が見えるからな」
「え、ホント!? ひゃっほーよっしゃーやっと着いたぁっ!」
 叫んでレウが勢いよく走り出す――や魔物が襲いかかってきて二度ほど戦闘になったが、自分たちは無事目的地点へと到達した。さっそく天幕を張り、ロンが結界を張るための呪具などを並べる。
「なにか手伝うことはあるか?」
「なに、すぐにすむ。……我、知空理、建場所安移身=v
 ぶわっ、と一瞬魔力の波のようなものが吹きつけてきた、と思うや、ロンはうむとうなずいた。
「よし、終わったぞ」
「……本気ですぐだな。そんなにあっさり張った結界で大丈夫なのかよ?」
「いやいや、この簡易結界は俺ほどのレベルの持ち主だからこそできる力技だぞ。逆に言えば、俺ぐらいのレベルならば問題なく簡易的な結界と誘導陣を作れる、ということだ」
「俺ほどのレベルって、どんくらい?」
「42。ちなみにセオとフォルデは47、ラグは46、レウは40だ」
「…………」
「おーっ、前聞いた時よりずいぶん上がってるっ! よーしっ、あともーちょっとでセオにーちゃんたちに追いつくぞーっ」
「へっ、ざけんな俺らのが経験積んでんだ最初が違うんだからどーやったって追いつけるわきゃねーだろが。……へっ……ふん。ふーん」
「あー、とうとうフォルデに追い抜かれたかぁ。盗賊はレベル上がるの早いって聞いてたけど……けっこう悔しいな、これって」
「嬉しそうだな、フォルデ。それはレベルが上がって強くなったからか? それともセオに追いつけたからか?」
「なっ、ざっけんな別にんなん関係ねーっつか、どーでもいーだろんなこたぁ!」
「さて。とりあえず結界は張れたわけだが、どうする? もう行くか? それとも少し休むか?」
「てっめぇ人に話振っといてへーぜんと関係ねぇ話続けやがって……」
「あ、俺もう行きたい! 早くアリアハンって街見てーもん!」
「え、と……俺も、できれば、その方が。たぶん、今から行けば、湯屋で汗を流して、軽く街を見て回って、ルイーダの酒場に着いた頃に、ちょうど昼食が取れると、思うので」
「……チッ、わーったよしゃーねぇな、俺もそれでいい」
「なるほど。なら、行ってこい。気をつけてな」
「レウ、セオの言うことをちゃんと聞くんだよ。セオ、レウの面倒をちゃんと見てやってくれな。あとフォルデは厄介事を起こさないように」
「はーいっ!」
「おいラグ、てめぇなんだその俺の扱い」
「単純に俺たちのいないところで厄介事を起こさないようにしてくれってだけだよ。具体的に言うと、できるだけ盗賊行為は控えてほしいってこと」
「チッ……へーへー、わぁったよ」
「……セオ? どうかしたかい?」
「え、あ、いえっ、あの、すいません。なんでも、ないです。あ、の……はい、わかり、ました」
 セオは心臓をどきどきと高鳴らせながら小さくうなずいた。『誰かの面倒を見てくれ』などと、『頼まれる』なんて、セオには今まで経験のなかったことだったからだ。
「そう? ……じゃあ、気をつけて行っておいで」
「えと、はい。……天路を翔けさる鳥のように、ひとつの架橋を越えて跳躍しよう=v
 セオが呪を紡ぐと、いつも通りに、世界は一瞬断絶した。

「………うわ………うっわ――――っ、すっげ――――っ!!!」
 レウは目を思いきりきらきらさせながら、だーっと街を走った。さっきからずっとこの調子で、道を進んではいるものの、目に入ったものすべてにすごいすごいと顔を輝かせて突撃するので、さっきからあまり道のりがはかどっていない。
 セオはゆっくりと歩を進めながら(レウはいったりきたりすること自体も楽しそうだったので、追いかけるのは控えたのだ)、レウと、その周囲を観察する。フォルデはアリアハンに着くや『じゃ、夕方にここでな』と告げていなくなったので、今はセオとレウ二人だけだ。
「セオにーちゃんっ、すげーすっげーよここすごい人がいっぱいいるっ! 店も知らないのがいっぱいあるっ! なぁなぁあれなに? あのなんかキラキラしてんの!」
「あれは宝飾店、だね。宝石や金銀を細工して、飾りにしたものを売っている、んだ」
「へー、なんかすっげーな! あ! あれ見てあれっ、なんか花がいっぱい並んでるっ、なんで!?」
「あれは、花屋さんだよ。切り花や、鉢植えの花を売っているんだ」
「え! 花なんて売れんの!? っていうか、どこに咲いてんのあんなの!?」
「アリアハンは、気候が温暖だから……四季を通して、いろんな場所に花は咲くけれど、ああいうところの花は普通、花を作っている農家の人から買う、んだ」
「えぇ!? マジで!? ほんとに!? 花みたいな食えないもん作る奴いるんだ!」
「うん……あ、あそこの角を曲がると、湯屋があるんだ。あそこで、汗を流していく……っていうことで、いい?」
「えー……ほんとに風呂入んの? いーじゃん風呂なんてさ、俺別に平気だよ入んなくて」
「レウは……入りたくないの?」
 じっ、と見つめると、レウは唇を尖らせ顔を赤くし、身をよじりながらぶつぶつと言う。
「入りたくないっていうかさぁ、面倒っていうか……だってさ、入ったって意味ないじゃん、またすぐ汚れるんだから」
「向こうに戻ったら、しばらくは、魔船で旅をすることになるから。基本的に、毎日、お風呂には入ることになると思うけど……」
「えー!? んな、そんな、こんな暖かいのに!? 薪とかいろいろもったいないじゃんか!」
「魔船のお風呂は、魔道具で沸かすものだから、水も薪も用意する必要はない、んだけど……嫌?」
「えー、うー、嫌っていうかぁ……」
 しばらくもじもじしていたが、やがてはーっ、とため息をついてうなずく。
「わかったよ、入るってば。セオにーちゃんって時々、すごいけどずるいよなー」
「え!? 俺は別にそんな、すごいとかそんなこと言われるようなこと」
「あははっ、セオにーちゃんってあれだよなぁ、えっとほらあれ、そーだ、ケンキョ!」
「そ、そういうわけじゃなくて、本当に俺はすごいなんて言われるようなこと全然」
「なに言ってんだよ、すごいよー、いろんなこと知ってるし、聞いたらなんでも答えてくれるしさ、強いし、優しいし、カッコいいし!」
「そ! んなこと本当に全然、本当に」
「……ねー、セオにーちゃん。俺に、すごいって言われるの、イヤ?」
 立ち止まり上目遣いで訊ねられ、セオは言葉に詰まった。
「い、や……では、ない、けど。申し訳ない、っていう、か」
「もーしわけないって、誰に?」
「世界の、あらゆるものに。俺は自分を、世界のどんなものよりも醜悪で愚劣だ、って思うのに、世界の誰より俺に甘い存在がそう思うのに、そんな存在が、分不相応にも、誰かに褒められるようなことがあるなんて、本当に自分のことを何様だと思っているんだと、思えてくるって、いうか」
「……なんか、よくわかんないけど。セオにーちゃんが嫌なんだったら、言わないよーにする……」
 しゅーん、としおたれてしまったレウに、セオは慌てて説得を試みた。
「い、やなわけじゃ、ないから! ただ、俺の実像が、レウの言うようなものと、あまりにかけ離れているから、自分の未熟さや愚かさが本当に、申し訳ないっていうだけで」
「……じゃあ、俺がセオにーちゃんのこと、すごいって言ったら、嬉しいの?」
「え? あ……」
 セオは一瞬言葉に詰まった。レウはじっと黙ってこちらを見上げている。どうしようどう答えよう、と恐慌状態になりながら頭を回転させて、なんとかできるだけ正直な気持ちを、極力レウを悲しませないような形にして述べた。
「レウが、俺を大切にしてくれよう、とする気持ちは、すごく、嬉しいよ」
 できるだけ柔らかな表情でそう言うと、レウはじっとこちらを見上げて首を傾げる。
「ほんとに?」
「本当、に」
「俺がセオにーちゃん褒めるの、イヤじゃないんだよね?」
「う? ん、嫌では、ないよ」
 そう言うと、とたんレウの顔がぱぁっと輝いた。
「そっか! じゃーこれからもいっぱい言うなっ!」
「う……ん」
 一瞬固まったが、のろのろとうなずく。確かに、嫌というわけではないのも、嬉しい気持ちがあるのも確かなのだから。
「よーし、じゃーとっとと湯屋行こうぜっ! やなことさっさとすませて、もっと街いっぱい回ろーなっ!」
「えと、うん」
 自分の手を握り、前に立って引っ張るレウに、なんだかひどく恥ずかしい気分になりながらついていく。恥ずかしいけれど、嫌というわけではないのも、嬉しい気持ちがあるのも、確かだったから。

 湯屋で「お湯がいっぱいある!」と仰天した(予想はしていたが、レウの中の認識では風呂というのはすなわちサウナのことだった。背中を流したり頭を洗ったり一緒に湯船に浸かったり、とやっているとこの風呂を気に入ったらしく「また一緒に入ろーなっ」と笑顔になった)のち、真新しい衣服(ムオルからずっとほとんど着たきり雀だったのだ)を身につけて街に出ると、レウはさらにご機嫌になったようだった。ふんふん鼻歌を歌いながら、あちらこちらのものに目を輝かせながら一緒にルイーダの酒場に入る。
 とたん、レウの興奮は頂点に達した。「うおおー!」と叫んで周囲を見回し、さらにまた大声を上げる。
「なーセオにーちゃんセオにーちゃんっ、ここすっげーな! なんつーかもー、すっげー冒険者ー! って感じがするっ! いろんな奴いるしさ、なんか怪しーしさ、なんかもー……もー、ほんとすっげー!」
「そう、だね……」
 レウの興奮は、セオとしても、セオなりにだが理解できる。自分も前回、初めてここに来た時は似たような感想を抱いたのだ。
 歓声を上げつつ辺りを走り回るレウを伴いつつ少しずつ奥へ進んでいく――と、ふいにのっそりと近くに座っていた大男が立ち上がり、笑顔をレウに向けた。
「坊主……ずいぶんはしゃいでるなぁ」
「うんっ! だってここすっげーもん、怪しーっつーかいかがわしーっつーかさっ、すっげー面白そう!」
「そうかそうか。で……」
 ここで男は急に囁き声になった。
「お前、勇者セオとどういう関係だ」
「へ? 仲間だよ、決まってんじゃん」
『仲間ぁっ!?』
 なぜかその声は方々から聞こえた。まさか、自分たちの会話を聞いていたのだろうか。そんなような気配はしていたけれど、セオとしてはそれは当然レウの稚い言葉を楽しんでいるのだろうと思っていたのだが。
 だがなぜか方々の人々が勢いよく立ち上がり、ずかずかとこちらに歩み寄ってくる。きょとんとするレウに、なぜかすさまじい勢いで詰め寄った。
「おい! お前、本気で言ってんだろうな! 冗談ごとじゃねぇぞこりゃあ!」
「はぁ? 本気に決まってんじゃん、なんで冗談なんて言わなきゃなんないんだよ」
「貴様……ふざけるなよ! お前のようなガキがなんで勇者の仲間なんだ! お前が仲間でいいというんなら、僕の方がよっぽど……!」
「はぁ? なに言って……ったいな! なにすんだよっ」
「ガキの分際で、勇者の仲間、だぁ? こっちゃ今日も疲れた体に鞭打って小銭稼ぎしてるってのに、てめぇ……!」
 一瞬呆然としてしまったが、すぐにはっとしてレウを見る。レウが困っている、仲間として、アリアハンの案内役として、自分がきちんと対処しなければ!
「あ、あのっ」
「ああっ、もうっ! るっさいなっ」
 が、セオが気合を入れて上げた声より、レウの腹立ちに満ちた怒声の方が大きかった。レウはぱんっ、と慣れた仕草で一挙動のうちに背中に背負った剣を体に固定する帯を解いて柄を取り、鞘ごと持ち上げてひゅっ、と迫ってきた人々に突きつける。
「よーするに! お前らは俺がセオにーちゃんの仲間なのが気に食わないんだろ!?」
 一瞬周りの人々は気圧されたが、すぐに前にも増した勢いで迫ってくる。
「あたりめぇだ! てめぇみてぇなガキが勇者の仲間になってるなんぞ、納得できるか!」
「僕は魔王を倒すためにこの職業を選んだんだぞ! それなのに試験に落ちて、仲間になれず、必死になんとかその事実を飲み下してきたというのに……お前なんかが……!」
「てめぇみてぇなガキになにができるってんだ、どうせお情けで仲間にしてもらったんだろうが、だったらそれが俺だって同じだろうが!」
 レウはふん、と鼻を鳴らしてみせた。今までに何度も自分に見せたのと同じ、裂帛の気合をもって相手に告げる。
「なら、俺がお前らより強い、って証明できればいーんだなっ」
『…………』
 ぷっ、と一人が噴き出したかと思うと、笑声があっという間に連鎖しわははははっ、と周囲に響き渡るほどの大音声になった。腹を押さえ、膝を叩き、それぞれがおかしくておかしくてしょうがない、と態度で示す。
「わはっ、わはははっ、馬鹿か、お前本当に馬鹿かそんななりで! お前が俺たちより強いって証明するって、こりゃ傑作だぜ!」
「わはははっ、ふざけるなよこのガキ、そんなちびっこい手じゃ剣もまともに振れねぇだろうに!」
 笑い転げる相手に、レウはあくまで強気に、また鼻を鳴らしてみせる。
「俺に負けるの、怖いのかよ」
『………!』
 周囲の笑い声がさぁっと引き、相手の人々が全員一気に殺気立つ。めいめい目を血走らせてレウに詰め寄ってきた。
「ふざけるなよ、このガキ。てめぇ、自分が俺らより強いと、本気で思ってやがるのか」
「思ってるに決まってんじゃん。腰つきやら足さばきやらでそのくらいわかるよ」
 対するレウはあくまで強気だ。だがその態度によけいに頭に血が昇るのだろう、相手の人々は胸ぐらをつかみかねない勢いでレウに顔を近づける。
「てめぇ……そんなに泣かされてぇのか、あぁ!?」
「お前らなんかに泣かされるほど俺弱くねーもん。俺がセオにーちゃんの仲間なのが気に食わないんだろ、だったら勝負だ! 俺が勝ったら、二度といちゃもんつけんなよっ」
「上等だ……このガキ、再起不能にしてやる!」
「こっちの台詞! あ、でも俺はちゃんと手加減するからな、心配すんなよ」
「こ……の、ガキ、泣いたぐらいですむと思うなよ……!」
 勇んで相手の人々とともに外に出て行くレウを、セオは慌てて追いかけて耳打ちした。
「あの、レウ。あの……あの人たちと、本当に、勝負するの?」
「うん! ダメ?」
「あの、駄目っていうか、お互いがしたいって思うんなら、俺なんかには、口出しできないけど……」
「じゃあいい?」
「あの、いいっていうか……レウは、それでいいの? 大丈、夫……?」
 おずおずと訊ねると、レウはにっこーっと笑ってうなずいた。
「うんっ! 俺、セオにーちゃんの仲間だってこと、ちゃんと証明するからねっ!」
「そ、う……」
 セオはまたおずおずとうなずいて、レウのあとに続く。本人がいい、と言っていることをどうこう言えるほど自分は偉くはないのだから、見守るのが一番いい対処法なのだろう、と自分で納得しつつ。

「はっ!」
 レウの振るった剣(鞘つき)が素早く振るわれ、一撃のもとに相手の戦士を気絶させた。周囲の見物人たちがわぁっと歓声を上げ、相手の人々が一瞬固まる。
 当然、レウは勝負相手のまともな反応を待つほど酔狂ではなかった。一瞬の隙に素早く相手の懐に飛び込み、柄頭を鳩尾に叩きこんで、その反動で背後のあたりにいた相手を鞘をつけた剣先で突く。
 残る相手が勢いこんで襲いかかるのを十分余裕をもって身を退いてかわし、すいとその背後に回り込んでがつっ、と頭を叩く。返す刀でその隣の相手を。後ろから襲いかかってくる相手の攻撃をすいと避けて、突っ込んできた相手の鼻先に剣の峰を叩きつける。
 勝負が始まってから十数えるか数えないかのうちに、勝敗は決した。レウと争った人々は、それぞれ気絶するか、打ちこまれた体の痛みに悶絶している。
「よっしゃあ、勝ちぃ!」
 嬉しげな笑顔を眩しいほど輝かせて、レウは鼻の下を擦る――とたんがづん、と後頭部に叩きつけられた盆に、後頭部を押さえて呻いた。角の所で叩かれたのだから相当痛いだろう。艶やかなドレスの裾をひるがえし、盆を振りおろした格好のままふんと鼻を鳴らす白髪の老婦人に、セオは思わず目を見開いた。
「マダム・ルイーダ……」
「覚えてくれてたようでなによりだね、勇者セオ」
「ったたぁ……なにすんだよっ、いったいなっ!」
「痛くしたんだから痛いのは当然だね」
 顔を上げ、目の端に涙を浮かべて言うレウも、ルイーダはあくまで高飛車に見下ろす。
「そ、そりゃそーだけどっ、なんで痛くするんだよっ! 俺、悪いことなにもやってねーじゃんっ」
「ほう、それ、本気で言ってるのかい?」
「そ、そーだよ? なにかおかしいのかよっ、ばーちゃんっ」
 がづん。
「あだぁっ! だから角のとこで叩かないでよっ!」
「あたしはアリアハンの、というより世界唯一の冒険者ギルド、ルイーダの酒場の主人、ルイーダ・セネカ・ジオニス。あんたみたいな小僧っ子に婆ちゃん呼ばわりされる覚えはないよ。あたしを呼ぶ時はきちんとマダム・ルイーダとお呼び」
「ま、まだむ・るいーだ……?」
「なんだい」
「え、えとさ、あのさ、だからさっ、そーだよなんでぶつんだよっ、盆の角でっ! 俺、別に悪いことして」
「あんたの流儀じゃ弱い者いじめは悪いことじゃないのかい」
「え?」
 一瞬きょとんとしてから、レウははっとした。自分の倒した相手を見て、うつむく。
「そっか……俺と、このくらいの強さの大人が戦ったら、もう弱い者いじめになっちゃうんだ……」
「勇者の仲間ってのはね、戦うだけでずんずん強くなっちまう分、他の奴らから見たら強そうに見られないことも多い。それで割を食うこともあるだろう。けどね、だからって馬鹿にした奴ら全員にいちいち喧嘩売ってちゃあ、男を下げるし仲間の勇者まで安く見られる。そういう奴ら相手に振るう拳は、ここぞって時まで取っておきな。いいね」
「はい……ごめんなさい……」
 しゅーん、と萎れてしまったレウにずきりと胸が痛む――が、そんな余裕もあらばこそ、ルイーダが今度はこちらを向いた。
「あ、の……」
「勇者セオ、あんたも! こんな子供を仲間にするってのがそもそもどうかとは思うけど、しちまったらしちまったできっちり面倒見てやんなきゃ駄目だろう! しちゃいけないことをしたらきちっと叱る! 馬鹿なことしそうになったら止める! そのくらいのことはわきまえなっ」
「え……え?」
「ば……じゃないっ、マダム・ルイーダっ、セオにーちゃんのこと怒んないで! 悪いの俺なんだからっ」
「そうだね、あんたが悪い。けど、子供がなんかしでかした時は、たいていの大人はその子の面倒見てる大人を悪く言うんだ」
「そ、んなのっ」
「嫌だって思うなら、そういう奴らにつけこまれないように、厄介事はできるだけ起こさないようにすること! 起こしちまった時は、自分一人で解決しようとしないで、仲間の大人に相談すること! あと、起こしちまった厄介事の責任はきちんと取ること! いいねっ」
「はいっ!」
 顔を上げて真摯な瞳でそう声を張り上げるレウに、ルイーダはふっと笑った。「よし」と小さくうなずいてぽんとレウの頭を叩く。レウがほっとしたように笑い、周囲の見物人の間から拍手が湧き起こる。それでもまだセオは言われた言葉を処理するのに必死だった。
「さて……それじゃ、勇者セオ。こいつらの怪我、治してくれるかい。子供相手の喧嘩を買ったこいつらも悪いけど、遺恨を残さないにこしたことはないだろ」
「あ、俺が治すよ。この前ベホマラー覚えたし……ちゃんとせきにん、取らないとだし」
「……ふぅん? なら、頼んだよ」
「うんっ! ……癒しよ=v
 レウが短い呪文を呟くと、ぱぁっ、とレウの周囲が白く輝いた。と思うが早いか輝きがしゅぱぱっ、と呻く男たちへと飛び、傷を癒す。
「う……うぅ。こ、んのガキっ……」
「子供に因縁つけて殴り倒されておいて、まだああだこうだ絡むつもりかい、みっともない」
「げ! マダム・ルイーダ……」
「あたしをカウンターから出させたんだ。あんたら、覚悟はできてるんだろうね?」
「へ、覚悟……?」
「ルイーダの酒場で乱闘騒ぎを起こした奴をどうするかは決まってるだろ。罰掃除、きっちりやってもらうよ? 酒場もあちこちしつこい汚れがあるからねぇ、たまには大掃除ってのも悪くない」
「え、ま、マジですかっ!?」
「当たり前だろう。世界のために戦う勇者の仲間に喧嘩売っといてそんくらいですむんだ、ありがたく思いなっ」
「ううう……」
「あ、マダム・ルイーダ、ちょっと待って。その前に」
「ん、なんだい」
 レウは自分が殴り倒した相手たちに向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「殴って、ごめんなさい!」
『…………』
 相手たちはぽかん、と口を開けてから、気まずげに頭をかき、顔をしかめた。それぞれなりに『困った』という表情を作り、ぼそぼそと言う。
「いや、別に、そんなことを謝ってほしいわけじゃ……」
「別に俺たちゃその、そういうつもりでやったわけじゃねぇし……」
「くだらないこと言ってるんじゃないよ。こんな子供相手に因縁つけて、ごめんなさいと謝られてそんなことしか言えないのかい。あんたら、それでも男かい!?」
「はっ、はいぃっ、すんませんっ」
「謝る相手が違うだろう、えっ!?」
「う……その……わ、悪かったよ、坊主」
「僕たちが、大人気なかった……」
「ガキ相手に喧嘩吹っかけて、それで負けてちゃ世話ねぇよな……すまねぇ、悪かった」
「うんっ! じゃー、これで仲直りっ!」
 にっかー、と笑顔になって手を差し出すレウに、相手たちはそれぞれ照れくさそうに、あるいは申し訳なさそうにそれに応え手を差し出す。レウらしい、と感嘆せずにはいられない、爽やかな仲直りだ。
 だがセオはそれを見ながらこっそり戦慄していた。ようやく、ルイーダの言葉を自分なりに理解したのだ。
 ルイーダの言葉によれば、まだ価値観が固まっていない子供に物事の可否善悪を教えるのは周囲の人間の役目、ということになる。つまりそれはある意味で自分の価値観を押しつけているということになるわけで、この場合ならばこの輝かしい少年の魂に自分≠刻まなければならないということで。
 だって、自分などがレウを教育≠キるなんて、そんなおこがましいにもほどが――とそこまで考えて、恐怖のあまり硬直した。子供と共に生活する、というのはそういうことだ、ということに気づいたのだ。
 自分の価値観を否応なしに幼い存在に押しつけること。稚いひとつの魂の輝きを不注意ひとつで消し去ってしまうかもしれないということ。ひとつの命を活かすも殺すも、本当に自分の態度ひとつにかかっているということ。
 ぞっ、とした。怖いとか重圧がのしかかるとかいう段階ではなかった、周りのすべてがこちらに迫ってきて直接首を絞められているような恐怖だった。責任。そう、責任だ。もはや自分の行動は、自分ひとりの命でどうにかなるものではない。自分は、石にかじりついても全存在を懸けても、レウをなんとか導かなければならないのだ。
 ――と、唐突にぐい、と手を引かれて、セオは我に返った。レウがにこにこ笑ってこちらの腕を引っ張っている。
「セオにーちゃん、早くっ! 俺たちも一緒に掃除したら、昼飯おごってくれるんだって、マダム・ルイーダがっ」
「……うん」
 自分の声の固さに気づいたのだろう、レウは一瞬目を瞬かせたが、すぐにこくんとうなずいて、またぐいぐいとセオを引っ張った。

 レウがにぎやかに喋るのに懸命に受け答えをしつつ、ルイーダが用意してくれた昼食を方々から飛んでくる質問に答えながら取り、自分たちはまた街の見物に向かった。レウが「お城が見たい!」と楽しげに言ったので、決死の思いでうなずいて城への道を歩き始める。
 体中が痛い。緊張でこわばった筋肉を無理やり動かしているからだ。心臓もばくばくとすさまじい勢いで鼓動しているせいで痛かった。というか、緊張と恐怖で胸が締めつけられてしょうがなかった。
(ちゃんとしなきゃ)
 心臓がひどく痛い。
(きちんとしなきゃ。きちんと、間違ってない行動を取らなくちゃ)
 自分の一挙手一投足を、一瞬ごとに全身全霊で検証する。道徳的倫理的行動的能力的に正しいか、水準を超えているか。きちんと教育≠行えているか。行えていなければ自分は、首を落とされても償いきれない罪を負うのだから。
 恐怖に震えそうになる声を必死に張り、元気にあれこれと話しかけてくるレウに応える。
「お城ってそんなにでっかいの? ほんとに? そんなでっかいのどうやって建てたの?」
「そうだね、ところどころで魔法を使ってはいるけれど、基本的にはひとつひとつ石を積み上げて」
「えーっ、マジで!? そんなのすっごい時間かかるじゃんっ」
「大人数を動員すればぐっと効率はよくなる。人力っていうのは意外に侮れないんだよ、特に充分な道具のある時は――」
「おい、アホセオっ!」
 突然かけられた声。反射的にそちらの方を向き、驚いた。そこに立ってこちらを睨んでいたのは、自分がアリアハンにいた頃、しょっちゅう自分をいじめていた少年たちだったからだ。
「あの……なん、でしょう、か?」
 おずおずと訊ねると、少年たちはふん、と満足げに鼻を鳴らして、見下すように胸を張り言う。
「お前、アリアハンに来てんのに、俺たちに挨拶もなしってどういうことだよ」
「え?」
 思わずセオは目を瞬かせた。挨拶もなし、とはどういうことだろう。彼らは挨拶をしてほしかったのだろうか? 自分を心底嫌っているであろう彼らが? 普通なら顔を見せられる方が不愉快な思いをすると思っていたのだが。
 だが、彼らはそれが当然間違いである、と思っているように言ってくる。
「セオのくせによー。俺らの街に来たんだったらきっちり挨拶すんのが筋だろ」
「王冠取り返したからロマリアの勇者になるとか、眠ってる街元に戻したスゴイとかさー、セオのくせに生意気なんだよ」
「そーだそーだ、弱虫のくせによっ。また素っ裸にされたいのかよっ」
「あ、の……」
 なぜ彼らがこんなことを言うのかいまひとつわからなかったが、とにかく彼らは不快な思いをしているらしい。ならばそのことについて謝らなければ、と口を開きかけ、セオは固まった。
 それは、レウにとって、正しいことなのか?
 セオは硬直して必死に脳を回転させる。自分の場合は当然正しい、当たり前のことだ。自分はこの世の誰より価値のない存在なのだから、いじめられるのも蔑まれるのも当然のことだし、誰かに不快な思いをさせでもしたら必死に謝らずにはいられない。
 だが、もし、それをレウが学習してしまったら? レウの場合ではまったく異なるということを認識せずに、その行動が正しいのだと記憶してしまったら?
 いやレウは賢い子だ、自分とセオの違いなど当然理解しているだろう、いやこれまでに見せた言動では明らかにレウはセオを過大評価している、そう誤解してしまう可能性はある、ではどうするのが正しいのだ、レウを教育≠オなければ、不快な思いをさせてしまったことを謝らなければ、そうしなければ自分は、申し訳ない、謝らなければ、レウに間違ったことを教えてしまったら、きちんとしなければ、死んでも償いきれない、どうすれば――
「おい、お前ら」
 と、低く、唸るような声がした。セオの隣から。
「セオにーちゃんに、なに偉そうな口利いてんだよっ!」
 ぎっ、と凄絶な眼光と共に、怒声が叩きつけられる。――目の前の少年たちに。
 予想外の事態に硬直するセオをよそに、レウは怒涛の勢いで少年たちを怒鳴りつける。
「お前らみたいなしょーもないいじめっ子がセオにーちゃんに偉そうなこと言うな! セオにーちゃんがどんだけ強くて、カッコよくて、優しいかも知らない奴が勝手なこと言うなっ、バカヤロー!」
「へ……へっ! なに言ってんだよ、バッカじゃねーの!? セオなんていっつも弱虫で、駄目勇者で、いっつも俺たちにいじめられてたんだぜぇ!?」
「すぐ泣くしさっ、情けないしさっ。いっつも俺たちの言うこと聞くしかできねー弱虫なんだぜっ、それ知らねーで」
「セオにーちゃんが弱虫なわけないだろっ! もしお前らの言うことが本当でもなぁ、それはセオにーちゃんが優しーからお前らがバカすぎるから可哀想になって言うこと聞いてやってたんだっ!」
『なっ……!』
「お、お前なに言ってんの!? セオのことよく知りもしねーくせに勝手なこと言ってんじゃねーよっ」
「セオにーちゃんのことよく知らないのはお前らの方だろっ! 俺この一ヶ月ずーっとセオにーちゃんと一緒に旅してるもん、セオにーちゃんがどんだけ強くて優しくてカッコいいかよく知ってる!」
「ばーかっ、俺たちなんかガキの頃からセオのこと知ってるもんね! ずっと遊んでやってたんだからなっ」
 と、レウはその言葉を聞きわずかに目を見開き、ふふん、と笑ってみせた。
「なーんだ、お前ら、ほんとはすっげーセオにーちゃんのこと好きなんだ」
『なっ……!?』
「セオにーちゃんのこと好きだけど、素直に好きって言えねーからいじめてたんだろ。バッカじゃねーの、ガキかよ」
「なっ……んなわけねーだろっ!?」
「好きって言えねーなら言えねーで俺らの見えないとこに引っ込んでろよ。どーせ俺が一緒にいたからやきもち焼いてちょっかいかけにきたんだろ。言っとくけどなっ、お前らがどんだけセオにーちゃんのこと知ってても、俺の方がセオにーちゃんと仲いーもんね。俺はもうセオにーちゃんの仲間なんだからなっ」
『え……』
「セオにーちゃんは優しーからお前らの相手してやってたけどなぁ、もーお前らと話したり遊んだりする暇ねーんだよっ。仲良くなりたかったんなら最初っから好きって言っときゃいいのに、ガキみてーにいじめたりするバカはなっ、いっしょーセオにーちゃんの仲間になんかなれねーよ、ばーか!」
『う……』
 少年たちが顔を歪める。その一瞬、セオの脳内で思考が高速回転した。
 教育、申し訳ない、自分などが、でもしなければ、本当に自分を刻んで、彼を殺してしまう、少年たちが、本当に間違いなのか、決断していいのか、でもすべきではないと、本当に、そんな権利はどこにも――
「レ、ウっ」
 震えた、力のない声。調子外れなみっともない声。
 そんな声で名前を呼ばれたというのに、レウはきょとんとこちらを振り向いてくれた。
「え、なに、セオにーちゃん?」
「……それ、は、よく、ない、と、おもう」
「へ?」
「弱いものいじめは、よく、ないと、思う……」
 今にも消えそうな声でそう言うと、レウは一瞬ぽかんとして、それから勢い込んで反論してきた。
「だって! こいつらセオにーちゃんに意地悪なこと言ったじゃんっ。そんな奴らにほんとのこと言って、なにが悪いんだよっ」
「で、も。自分が、相手より、力がある、っていうことを、楽しむのは、よく、ないと」
「殴ったりはしてねーじゃんっ。悪い奴らにそれは悪いっつっただけじゃんっ」
「だけ、ど、今、レウ、自分が、相手より優位にある、っていうことを、楽しんだ……よね? それは、間違ってる、と」
「う……そ、そりゃそーかもしんないけどっ。セオにーちゃんだって間違ったことしてたじゃんっ」
「……え?」
「セオにーちゃん、こいつらに自分のこといじめさせてたんだろっ」
「えと、させてた、というか、俺みたいな奴は、いじめられるのが、当然、だって」
「だからっ! そーいう風に、こいつらに弱いものいじめさせとくのって、よくないことじゃんっ。今セオにーちゃんだって俺のこと止めたみたいにさっ」
「え……?」
 セオは一瞬きょとん、とした。そんなことは考えてみたこともなかった。自分はこの世でもっとも低劣で、愚劣で、惰弱で、本当になにをされても文句を言える筋合いではないし、それこそいじめられて当然の存在なのだから。
 が、一瞬ののち、眉を寄せた。レウの主張に、確かな理を認めたからだ。
 眉間に皺を寄せて数瞬高速で思考を回転させる。自分はこの世でもっとも価値のない存在であるからいじめられても当然。だが、誰かをいじめるという行為は、行為自体が行為者を損なう、価値を下げる類の行動だ。ならばたとえ自分であろうとも、いじめるという行為を行っている人間は止めるべきである。
 自分のような極端に価値のない存在は例外ではないのか? 自分のような世界に害しか及ぼさないような存在は、疎外されいじめられるのが当然ではないのか? いや、今自分はレウを止めた。それはレウが間違ったことをするのが耐えられなかったからだ。対象の善悪はさておくとして、行為そのものが間違っていると感じたからだ。
 いじめるという行為によって正しいと思える結果を導こうとした場合は? もちろん状況によるが、他に手段があるならば避けるべきと考えられる。行為を行うことそのものが行為者の心を損ない、傷つけるからだ。もしいじめるという行為を正しいと思ってやっているならば、その思考を正すべきである。
 結論。たとえ自分のようなこの世でもっとも価値のない存在であろうとも、いじめるという行為を見過ごすべきではない。
「………そう、だね」
 思ってもみなかった結論に、セオは目を見開き口を開けた。まさか、こんな考え方があるなんて思ってもみなかった。
「そーだろっ。俺間違ってな……いわけじゃないかもしんねーけどっ、そんなには間違ってねー……こともないかもじゃんっ」
「そうだね……間違ってないわけじゃないけど、完全に間違ってるわけでも、ない……」
「……うん……。えと、さ、セオにーちゃん」
 こちらを上目遣いで見上げてくるレウに、セオがまだ半ば呆然としながら視線を合わせ、「なに?」と答えると、レウはもじもじとしつつも、まっすぐこちらを見て訊ねる。
「あのさ、セオにーちゃん。ルイーダの酒場で、なんかあった?」
「え……」
「だってさ、セオにーちゃん、ルイーダの酒場からちょっと変じゃん。だから、なんかあったのかなーって」
「え……と」
 言っていいのだろうか、と一瞬考えたが、言って悪いことも特にないだろう、と説明すると、レウは目を見開いて訊ねてきた。
「なんでセオにーちゃんがそんなことすんの?」
「え……あ、の」
「きょーいくってあれだろ、じーちゃんやおばさんみたいにいろいろ言われることだろ。俺そんなのやだよ? なんでわざわざ無理してそんなことすんの?」
「え、と……ルイーダさんの、言葉から、そうしなくちゃいけない、のかなぁって」
「えー……んー……えー……やだなーそんなの……」
「ご、ごめん……俺なんかじゃ、嫌だよね、そんなの……」
「うん。だって俺セオにーちゃんすっごいすっごい好きのまんまでいたいもん。じーちゃんみたいにさ、偉そうにいろいろ言われて嫌な思いすんのやじゃん」
「え……え、と、あ、え、の、えと、あの、えと」
 セオはかぁっと顔を熱くしつつうろたえた。おそらく自分の顔は今真っ赤だろう。本当に、どうしてこの子はこんなにも、自分のような存在にはっきりと好意を示してくれるのだろう。
「セオにーちゃん、そんなにそーいう風に、俺にいろいろ言いたいの?」
「えと……あの、言いたいわけじゃ、全然、ないんだけど。曲がりなりにも、年上の人間として、レウを導くのが、義務なのかな、って……」
「んー……」
 おそるおそる言った言葉にレウは考え込む。セオはおろおろとうろたえた。やはり自分のような存在がレウを導くなど身の程知らずにもほどがあるに違いない、きちんと謝らなければ、と口を開く。
 が、それより早く、レウがぽん、と手を叩いてにかっと笑った。
「よっし、じゃーこーしよーよ。セオにーちゃんと俺、二人ともお互いをきょーいくすんの」
「……え?」
「相手の、悪いな、とか駄目だな、とか思ったことはちゃんと言って、そんかわし相手が言うのもちゃんと聞くの。それだったらいいよ」
「え……」
 ぽかんとするセオに、レウは少し悲しそうに眉を寄せて首を傾げた。
「……ダメ?」
「え、いやあのそのあのそういうんじゃないんだけどあの、レウの方が俺なんかに言われたら嫌じゃないかってあの」
 レウは一瞬目をぱちぱちとさせてから、すぐににっかーっとあの眩しいほどに輝く笑顔で笑う。
「んーんっ、セオにーちゃんだったらいーよっ。俺にもちゃんと、セオにーちゃんのこと育てさせてくれんならっ」
「え……あの。いい、の? 俺、なんかで」
「うんっ! 一緒だったらいーよっ!」
「……あ」
 レウの気持ちが、ようやくなんとなくわかった、気がした。
 セオは口元をへちゃ、とだらしなく緩めながらうなずく。引き締めなければと思いつつも、体中ににじんでくる嬉しさに口が勝手に緩んでしまう。
 レウは、この少年は、自分などと対等になろうとしてくれるのだ。一緒に育っていこうと。同じ目線になろうと。そうしたい、と、希望に満ちた顔で願ってくれるのだ。
 自分などにそんな想いは不相応だと思う、けれど。でも、この想いを損なうことは、したくない。
「うん……じゃあ、一緒、で……いい?」
「うんっ! 約束っ!」
 そう言ってすっ、と小指を差し出してくる。一瞬きょとんとして、それが『指きり』というものだと理解し、かぁっと赤くなりながらもセオも小指を差し出す。
 そうして一緒に小指を絡め、約束の言葉を言う。
『ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼんのーますっ、ゆーびきった』
「……えへへ」
「……あは……」
「………セオのばっかやろーっ!」
「え」
「あ」
 ふと気がつくと、さっきまで自分たちの前にいた少年たちは、泣きじゃくりながら道の彼方へ駆けていっていた。セオはなぜそんなことをするのかわからずぽかんとして、レウはなぜかにやりと笑ってそれを見送る。
「へっ。勝ったねっ」
「えと……なにが?」
「えへへー、ひーみつっ」

 それから、セオとレウはアリアハンのあちらこちらを見物した。一応十六歳まで育った場所なので、アリアハンの名所の類は一通り覚えている。
 王城を外から見て回り、ルビス像の置かれた教会に案内し、大きな噴水のある市民公園を歩き。レウはそのひとつひとつに感心したり声を上げて笑ったりと楽しげに反応したが、喫茶店で三時のお茶を終えた時に、「セオにーちゃんの住んでた家が見たい!」と顔を輝かせて言ってきた。
「え……俺の、家を?」
「うん! セオにーちゃんとオルテガのおじさんの家! どーいうとこなのか見てみたいよ、セオにーちゃんとこのおばさんとかにも会いたいしさ!」
「え……と。それは、やめてくれない、かな」
「へ? なんで?」
 きょとんとした顔で言ってくるレウに、セオは一瞬迷ったが正確なところを告げた。
「俺の母親は、俺を憎んでるから。顔を合わせると、動けなくなるまで、殴りつけずには、いられないくらい。わざわざそんなことをさせるのは、やめた方がいい、と思うから」
「え……」
 レウはぽかん、と口を開けた。セオは、その顔をただじっと見つめる。
 目も口も開け、呆けたような顔をしてから、レウはおずおずと訊ねてきた。
「あの……なんで?」
「……俺が、間違ったことをしたから」
「ま、間違ったこと、って……?」
 言うべきか言わざるべきか、一瞬迷った。これを告白したら、レウは自分を蔑み、共に旅をするのを拒否するようになるかもしれない。
 だが、すぐに首を振って話し出す。今のレウのレベルなら一人旅をしてもさして危険はないし、なにより、お互いを正しあうと約束した言葉を違えるような真似は絶対にしたくない。
「俺が、人を殺したから」
 ぽかん、と口を開けるレウに、セオは淡々と続けた。
「俺は、オルテガの息子として生まれて、強い勇者になることを期待されたけど、少しもその期待に応えられなかったんだ。剣でも、魔法でも、学問でも。どうしてもっときちんとやれないのか、やるべきことができないのか、いつも叱られてばっかりだった」
「…………」
「だから、ってわけじゃないんだろうけど。俺は、ゼーマに物心ついた頃から、いつも嫌がらせをされてきたんだ。ゼーマっていうのは、八歳年上の従兄なんだけど……こっそり服を破かれたり、遠くに置いてこられたり、稽古の時に、立てなくなるまで殴りつけられたり。ゼーマは両親と仲がよかったから、そういう嫌がらせも、いつも全部、俺のせいっていうことで叱られてきた」
「…………」
「それで、俺は、毎日が苦しくて。ノートに、こうなりたい自分、っていうのを小説仕立てにして書くようになったんだ」
「あ……あのノート? セオにーちゃんが旅の途中で書いてた」
 目を見開くレウに、セオは(気づかれているとは思っていなかったので)一瞬目を見開いてからうなずく。
「うん。それは、昔の俺にとっては、それこそ幸せのすべてだったんだ。……それを、ゼーマに焼かれた」
「!」
「燃やしながら、楽しそうに笑われた。そして、『思い上がるな』って言われたんだ。『お前なんかの人生に少しでも楽しいことがあると思ってるのか。お前は一生オルテガの息子にふさわしくない人間って言われながら不幸に生きていくしかできないんだよ』――って」
「…………」
「それで、俺はカッとなってしまった。そしてそのまま、ゼーマを殴り殺してしまったんだ」
 人生二度目の、自分が犯した罪の告白。だが感情的には、どちらかといえば平静なままやり終えることができた。
 ひとつには相手がレウだからで、もうひとつにはレウが自分を憎み嫌ったとしても、自分にはラグやロンやフォルデがいる、という姑息な安心感があったせいだろう。自分の醜さには、本当に吐き気をもよおすけれども。
「ゼーマは、俺の仲間に一時的に入ることでちゃんと蘇生できた。でも、それから道を踏み外して、荒れたあげくに家を出てしまったんだ。俺の母は、ゼーマを俺よりずっと可愛がっていたから、それもあって、本当に俺が許せないんだろうな、って。だから、顔を合わせるたびに、心底からの怒りと嫌悪を込めて、俺を殴ってくるんだと思う」
 また一瞬迷ったが、オルテガが自分を殺したことは話さないでおくことにした。レウはオルテガに懐いていたようだったから、嫌な思いをするだろうと思ったので。
 レウはセオの言葉を半ば呆然とした顔で聞いていたが、その言葉を聞くと、きゅっと口を引き結びながらきっとセオを睨んできた。
「なんだよ、それ」
「……言葉のままだよ。俺は、してはいけないことを」
「そーじゃないよ! そーじゃなくて……そーいうの、よくないじゃん! 絶対だめだよ!」
「そうだね……本当に」
「そーだよ! そんなの……だめだよ! かわいそーだよっ」
 ぼたぼたっ、とレウが涙をこぼすのに、思わず仰天する。慌てて懐から手巾を取り出し、ぼろぼろとこぼれる涙を必死に拭く。だがレウはあくまできっとこちらを睨みながら、ひっく、ひっくと喉を鳴らしながら必死の顔で言葉を紡いだ。
「そんなのさっ、そんなのってさっ、セオにーちゃん、痛いし、気持ちも、痛いしさっ。その、母親って人だってさっ、自分の子供、殴るなんてさっ」
「あ、の、レウ」
「そんなの、セオにーちゃんが、そんなの、やだ、よぉっ。かわいそー、だよぉっ……!」
 うつむいて泣きじゃくり始めるレウに、セオはどうしようどうしよう、と心底慌てておろおろとし、椅子から立ち上がった姿勢で立ち尽くす――
 と、ぽすん、とレウの頭に、大きく白い掌が置かれた。
「え……」
「う?」
「ぴぃぴぃ泣いてんじゃねーよ、クソガキ。いつものクソ生意気な面はどーした、情けねぇったらありゃしねーぜ」
「え……あ、の」
「フォルデっ!? なんで、ひっく、こんなとこに、わぷ」
「ったく、みっともねーな。こんなとこで大泣きしてんなっての、あんまり見苦しーんでつい出てきちまったぜ」
 それはまさしくフォルデだった。どこからともなく現れ、がしがしと手巾でレウの顔を拭きながらさらりと言った言葉に、思わずレウと揃ってぽかんと目と口を開ける。
「出て、きた、って……」
「まさか、ずっとあとつけてたのかよ!?」
「たりめーだろが。ボケがガキのお守してんだ、フツーの神経持ってりゃ放っとくわけにもいかねーだろーがよ」
「け、けどっ、フォルデアリアハンに来てからすぐ用事済ませるってどっかに」
「だから、即行で用事すませて戻ってきたんだよ。井戸までけっこう距離あったけど、今の俺なら余裕だ。んで、お前らの姿探して気づかれないように後つけた。尾行、追跡、人探し、どれも盗賊の必須技能だぜ」
「……っなんだよーっばかーっつけてんだったら早く言えばかーっ!」
「はっ、気づかなかった奴がなに言おうと負け犬の遠吠えにしかなんねーんだよ!」
 いつものように喧嘩騒ぎになりかけたところを、必死に頼んで清算を終え、喫茶店の外へ出る。この辺りは繁華街のせいか、陽が落ちてくるにつれ少しずつ人が増え始めていた。
「……んで? お前らまだどっか見に行くとこあんのか?」
「え、えと、あとは……」
「……セオにーちゃん。聞いても、いい?」
 真剣な顔でこちらを見上げ言ってきたレウに、セオはきょとんとしながらもうなずく。
「いい、けど?」
「ありがと。あのさ、セオにーちゃん、さ……ハハオヤと、いいの? 喧嘩した、まんまで」
 思わず目を瞬かせる。思ってもみなかった質問だった。
「お前なー……」
「セオにーちゃん、寂しくない? 俺だったら、喧嘩したまんまっていうの、寂しいし、つまんないと思うし。セオにーちゃんがやじゃなかったら、俺頑張って仲直り」
「阿呆かお前。家族だなんだって個人的なことに他人が首突っ込んだってろくなことにゃなんねーんだよ。てめぇのことはてめぇでなんとかさせろっつーの」
「だってさ! 俺だったら絶対そんなのやだもん、喧嘩しっぱなしってなんか、なんかさっ」
「だったら本人に聞いてみろ。仲直りさせてほしいかどーか」
「聞いてたのフォルデが邪魔したんじゃんか! ……セオにーちゃん、どう?」
 心底からこちらを気遣う表情で訊ねてくるレウ。その気持ちを無にするのは気が進まなかったが、結局セオはゆっくりと首を振った。
「俺は、いいよ。レウ」
「……なんで?」
「俺はたぶん、あの人の望むような息子には、なれないと思うから」
 そう告げた言葉をレウはいまひとつ納得がいかない、という顔で聞いていたが、やがてこくん、とうなずいて言う。
「ん……わかった。じゃあ、セオにーちゃんに、任せる……」
「……うん。ありがとう」
「……おうっ」
 気を取り直したような元気な笑顔で笑うレウを見つめながら、セオは一ヶ月前のことを思い出していた。誕生会の時に、レウが言った時のことだ。

 ずらり、と並んだ料理に、レウは目を輝かせた。眩しいくらいきらめいた、それこそよだれを垂らしそうな顔で料理を見つめてから、わくわくとした顔で訊ねてくる。
「なぁなぁっ、これってさ、全部食っていーんだよなっ?」
「言っとくけど俺たちも食うんだからな。他の奴のこと考えねーで食ったらぶっ殺すぞ」
「そりゃわかってるけどさっ、俺も最初からここで、みんなと一緒に食っていーんだよなっ!?」
「ほう。長老の家では土間で余りものを食わせられたりでもしてたのか?」
「んー、余りものっつーか、一品料理俺の分だけなかったりとか、俺だけおかわり禁止だったりとかって感じかなぁ」
 セオは胸がひどくぎゅうっと痛むのを感じた。以前にもレウに対して感じた痛み。この一人で生きてきた少年に少しでもいいものを与えてやりたい、幸福をあげたいと思う感情。自分などがそんなことを思うのは分不相応だと知りながらも。
 誕生会をしたことがないというこの少年を、自分たちの誕生会に招待したように。
「え……セオにーちゃんの、誕生会? 俺も、行っていーの? ほんとに?」
「うん……もし、よければ、だけど」
 昨日から今日にかけて話し合っただけで、レウの保護者たちはレウをセオについていかせることを承知していた。というか、レウが勇者だという事実を聞くや恐慌状態になり、ほとんど伏し拝まんばかりにしてセオたちにレウの面倒を見ることを頼んできたのだ。
「どうやら、あからさまに虐待というわけではないが、家の中でかなりにレウを冷遇してきたらしいな。どうかレウに自分たちのことをとりなしてほしい、なんぞと頼んできたぞ」
「……ふざけんな、クソボケどもが。いまさらなに抜かしやがってんだ」
「レウは流れ者のスー族の女性が産んだ、っていうことだけど……まぁ、さして豊かでもない街で、親のいない子供を養うとなれば、そりゃあ自分の子供と変わらず育てようなんて人はほとんどいないだろうな。勇者の試しを受けられなかったのも、そういう嫌がらせじみた気持ちがあったようだし。まぁ、実は勇者でした、なんて可能性は考えてなかったからなんだろうけど」
「確かにな。ヒュダ殿のような人はごくごく少数派だ」
「いや、別にヒュダ母さんがどうこうっていうことではないけどさ」
「無理に否定するとドツボにはまるぞ」
「………とにかく。少なくともあの子の所有権を主張するような保護者はいない、ということでいいみたいだよ」
 ラグが笑顔で告げたこと――レウはこの街で、本当にずっと一人だったのだという事実を、セオは苦痛とともに理解した。自分などが感じていい筋合いの感情ではないけれど、ついついどうしてもこっそりと、『可哀想だ』などということを考えてしまう。
「可哀想、といえば確かにそうだけど……どこにでもある話といえばいえる話だよ」
「親がいねぇガキなんぞ、今時珍しくもねぇだろーが。一応でもメシ食う場所と寝るとこがあるだけマシってもんだぜ」
「というか、そういう哀れさの水準でいうなら、セオ、君の方がよほど哀れとたいていの人は判断すると思うが?」
 仲間たちの言葉に、セオは唇を噛み締めるしかできなかった。そうだ、自分などにそんなことを思う資格はない。思われたレウの方も不快この上ないだろう。
 ただ、それでも、頭が心が勝手に考えてしまう。レウがこれまでの人生で味わった寂しいという感情、辛いという感情を、すべて自分が引き受けることができたら。少しでもその人生に、幸いを与えられたなら。そんな傲慢なことを考えてしまうのだ。
 なぜなのだろう、と考えてもいまひとつぴんとくる結論が出ないが、それでも自分の中にこの少年への、明らかな保護欲と奉仕欲があるのは疑いようのないことだった。なので、おそるおそるラグたちに許可を願い、許されてから訊ねたのだ。これから一緒に旅をするのだし、親睦を深めるためにも、一緒に誕生会に参加しないか、と。
「俺の誕生会、っていうか、他の人たちの分も一緒にした誕生会、なんだけど……他の人たちみんな、祝ってもらえるような誕生日を、覚えていないっていうことだから、その日を誕生日に、しようって。俺の誕生日って、他の人たちと会って、一緒に旅を始めた日だったから、全員の記念になる、っていうことで。だから、これから旅する、レウも、よかったら、って……」
 おずおずと口ごもりながら言った言葉に、レウは瞳をきらきらと輝かせてこくこくこくと勢いよくうなずいた。
「行くっ! 行く行く行くっ! 絶対行くっ!」
「そ……そう?」
「うんっ! 俺誕生会に呼ばれるのなんて初めてだよーっ! だからもーなんかすっげー嬉しい!」
「そ……そう」
「……あの……さ。実はさっ、俺も自分の誕生日よく知らないんだっ、春生まれってことは聞いてるけど、みんな詳しい日付覚えてなくて! だからさっ、あの……俺もセオにーちゃんと同じ日、誕生日にして、いい、かな」
 上目遣いでおずおずと訊ねられ、セオはしばし間を置いてからうなずいた。
「……え、と。……うん。君がしたい、と思うなら」
 他の人たちに許可を得るべきか、とも考えたのだが、これは個人的な記録の範疇だろうから、レウがその日を誕生日にしたい、と思うなら他人が口出しできることではないだろう。それにレウが本当に『そうしたい』と思っているのは、表情や瞳の輝きでありありと伝わってきたので、どうしても『この子の願いを聞いてやりたい』という自分の押しつけがましい想いを制御できないというか、制御する意味がないように思えてしまうのだ。
 その言葉に予想通りレウは「やったーっ!」と満面の笑顔で喜び、(予想外にも)自分に抱きついてきたりもしたが、ともかくレウは今日――四月一日、セオの誕生日である一日の間に、ムオルで買ったりダーマに飛んだりして慌しく準備をした旅装姿で、誕生会の準備の整った魔船へとやってきたのだった。
「じゃ……みんな。俺たちの誕生日に、乾杯」
「乾杯」
「……乾杯」
「かん、ぱい」
「かんっぱーい!」
 グラスを打ちつけあい、あるいはワインを、あるいは果汁を口の中に流し込む。それから顔を見合わせてから、ラグは照れたように笑った。
「なんていうか……こういうのって、改めてやると気恥ずかしいな」
「いまさらなこと抜かしてんじゃねーよ、ったく。やるっつっちまった以上黙って最後までやりやがれ」
「おお、男だな、フォルデ。楽しそうにふんふん鼻歌を歌いながら料理をしていたり贈り物を選んでいたりしたとは思えん亭主関白っぷりだぞ」
「なっ……てっめぇふざけたこと抜かしてんじゃねぇ誰がんな……っつか誰が亭主関白だっ!」
「え? この料理フォルデも作ったの?」
 はぐはぐと相当な勢いで料理を食べていたレウが、ぱっと顔を上げて訊ねてくる。ロンはわずかに肩をすくめ、ごくあっさりと答えた。
「ああ。ここに並べられてる料理は俺たちが全員で作った。俺たちは全員がそれなりに家事堪能なんでな、こういう時は全員が台所に立つ」
「へー! フォルデすっげーな! こんなうまい料理作れるんだ!」
「お……おう。まぁな……っておいちょっと待て、なんで俺だけ名指しして褒めんだよ」
「へ? んー、なんでかっつわれるとよくわかんないけど……びっくりしたから?」
「おい待ててめぇお前自分と俺が同レベルだと思ってんじゃねーだろーな曲がりなりにも旅についてくるっつーんなら先輩格にゃ礼儀払いやがれ!」
「え、なんで?」
「な……んでじゃねぇだろてめぇこのっ」
「だってさー、せっかく一緒に旅するんなら仲いい方がいいじゃん。なんでわざわざれいぎさほーとかやんなきゃなんないわけ?」
「っ……そりゃ、だなぁ」
「ま、そこらへんは塩梅だな。親しい口の聞き方をされて嬉しい、と思うぐらいの仲になるのに時間がかかる奴もいれば出会った瞬間からなれる奴もいる。人によって好みはいろいろだ。ただ礼儀正しい素振りってのはだいたいの場所においてそこそこ無難だというだけさ」
「へー、そーなんだっ。ロン頭いいなっ」
「おかげさまでな。伊達に長く生きてきたわけじゃない……さほどは」
「なんだよさほどはって……あのさ、レウ。聞いてもいいかな」
「ん? なにラグ兄」
「ロンの台詞じゃないけど、俺はわりとちゃんと仲よくなるのに時間がかかる奴なんだよ。だから、君がどういう人間なのか、ちゃんと聞いておきたいんだ。俺はまだ、君のことを全然知らないから。いいかな?」
「んー……わかった、いーよっ。なんでも聞いてっ」
 くるり、とラグの方に向き直るレウに、ラグは苦笑した。
「いや、食べながらでいいよ。そんなにややこしい話じゃない……君のお母さんは、もう亡くなっているんだよね?」
「うん。っていうか、俺が生まれてすぐ死んじゃったらしーから顔も覚えてないんだ。どーいう人かも全然知らない」
「そうか……でも君の風貌で人種はわかるよ。君のご両親は、間違いなくスー族の人間だと思う。君の養家の人たちも、そう言っていたしね」
「スー族? って、なに?」
「ここから海を越えて、ずっと東に行った先にあるガディスカ大陸に住んでいる人たちのことだよ。そこの人たちは、君のように褐色の肌で彫りの深い顔立ちをしているんだ」
「へー、そーなんだ」
 レウはあっけらかんと料理を食べながらうなずく。自分の向かいで、ロンがじっとその表情を観察しているのがセオにも感じ取れた。
 レウの素性。姓名の最後につけられた名は、自分たちにとっては衝撃だった。
「……調べてみたんだがな。あの少年が名乗った名は、スー族の一部族の正式な名乗りだ。スー族の名前というのはたいていの場合個人名、両親それぞれの名、始祖名、部族名、守護精霊名、から成り立つ。つまり彼でいうならレウが個人名、シルヴが父の名、ウォラが母の名、ヴォタニカが始祖の名、メイロデンノグサが部族名、アルゴレギヴーハミンジャが守護精霊名、となるな」
 レウの養家の人々に事情を話してから、きちんと話し合ってくるように、とレウに(ラグが)いいつけて別れたのち、街角で顔をつき合わせた自分たちにロンが重々しく説明した。
「妙ちくりんな名前だな……っつか、そんなこたぁどーでもいいんだよ」
「……サドンデス、という名前は、どういう意味を持つんだい」
 そう、サドンデス。かつて自分を倒し、仲間たちを惨殺した墜ちた@E者。神竜≠フ二つ名を持つ恐るべき強者。彼女の名は未だに自分たちに強烈な衝撃を残している。
 それが仲間にしようとした少年の姓名につけられている。偶然だということも当然ありえる、だがなにかの符号だという可能性も確かに捨てきれないのだ。
 その問いに、ロンはは、と息を吐いて言った。
「わからん」
「わか……らんだぁっ!? んっだそ」
「メイロデンノグサというのはすでに滅びた部族だ。それにスー族は文字による記録を残さんからな、すべてが親が子に伝える口伝えでは正確性はどんどん失われる。だからどんなに情報を収集しても、正確性の高い情報とはとても言えん」
「正確じゃなくてもいい、なにか手がかりはないのか」
「……スー族の発祥からの情報をさらってみたが、メイロデンノグサ部族の、アルゴレギヴーハミンジャを守護精霊に持つ人間には、何人か、サドンデスの名を冠された人間がいる」
「っ! マジか!?」
「だが、だからといってその人間が特殊な能力を持つわけでも、特別な生を送ったわけでもない。その名の選出基準を部族の誰かが知っているわけでもない。だが確かに、二、三世代に一人出るか出ないかというくらいでしかないが、サドンデスの名を冠される人間はいて、それを誰も不思議に思っていない」
『…………』
 ロンは珍しくも、しばし迷うような表情を見せたが、すぐに続ける。
「俺は賢者の能力を得た時に、サドンデス――神竜≠ニいう存在について徹底的に調べた。奴の情報もそれなりに入ってはきた。だが……スー族についてもざっとではあるがさらったはずなのに、こんな情報は認識できなかった」
「……んっだそりゃ……」
「なにかの、情報工作が?」
「かもしれん。もしかしたら、単に防護壁が、俺には気づけないほどの技術で張られていただけなのかもしれん」
「じゃあ……もしかしてサドンデスってスー族なのか? 彼女もたまたまその名を冠されただけっていう可能性は」
「それはない。明らかに人種が違う。スー族は褐色の肌に地味な色味の髪をしているが、あの女は金髪に白い肌だった。顔立ちもまるで違う、レウはスー系だがあの女の風貌はロマリア系だった」
「あ、そうか……」
「なんにせよ……あの子とサドンデスにはなにかの関係があって、それを隠したい奴がいる、というのは確かなことだと思う」
『…………』
 そういう話があったので、自分たちは少しでも情報を得るべく、この誕生会でレウから話を聞くことにしたのだが。
 セオは小さく、聞こえない程度にため息をついた。やはりこういうように、相手から本来の目的を隠しながら話をする、というのはひどく申し訳ない気分になってしまう。
 特に、レウのような、まだ稚い少年に対しては。本来なら保護されるべき相手に対して、警戒心をもって接しようとしている自分が、心底醜く、情けない存在だと再認識させられてしまうのだ。
 と、ラグと話していたレウがふいに自分の方を向いた。とたん、なぜかひどく真剣な顔になって言ってくる。
「どしたの、セオにーちゃん。なんか、すっげー暗い顔してるけど」
「……え?」
 セオは思わず顔を撫でた。自分はそんな顔をしているのだろうか。
 自分の顔というのは、鏡を使わないと見れないので、表情やらなにやらまで詳しく知っているわけではないが。鏡の中に見えた自分の顔は、いつも醜く顔を歪め、泣きそうなというか、辛気くさいというか、いつもひどく暗い、と言っていいような顔をしていた。
 レウと相対する時も、たぶんそんなような顔をしていただろうに、なぜ急にそんなことを言うのだろう。
「俺……そんな顔、してる、かな……?」
「してるよっ。なんか、すっげー悲しくて辛くてどーしよーもない、って感じの顔してたっ」
 言われて改めて暗い顔だと言われた時の自分の心境を思い返してみる。自分の醜さ、情けなさを再認識してはいたが、そんなことはいうなればいつものことだ。レウがそんなに真剣になるようなことはないのではないだろうか。そもそもセオのような奴のことなどを、レウが気にする必要などこれっぽっちもないのだし。
「別に、そんな気はなかった、んだけど……えと、ごめん」
「……そーなの?」
「うん、全然、まったく。本当に、ごめん」
「んー……」
 レウはしばらくきゅっと唇を尖らせていたが、やがてなにを納得したのかにぱっと笑った。
「そっかっ、セオにーちゃんがそー言うんならいーや! でもさっ、なんかあったらちゃんと言ってくれよなっ。俺、セオにーちゃんのことすっげーすっげー守ってやりたいんだから!」
「………―――」
 セオは目を見開いて、一瞬絶句した。自分などを、この少年が守りたい?
 きゅうっと、胸が疼く。なんなのだろう、この痛いような、痺れるような感覚は。ラグたちが自分を大切だと示してくれた時のような、ただただありがたく、申し訳なく、泣けそうに嬉しく幸せな感覚とは、なにかが違う。
 自分などにこんなことを言うレウを、たまらなく健気だ、と思ってしまうような。哀れ、というのとも可愛らしい、というのとも似ているけれど確かに違って、こんなことを言うこの少年を、自分の全身全霊をかけて守ってやらねばならない、と思ってしまうような。
 そんな今まで感じたことのない、というか感じてしまう自分の思い上がりにひどく申し訳なくなるような感情に思わず胸の辺りを押さえながら、セオは小さく。
「あ………の。……あり、がとう………」
 と、やっとのことで口にした。
 それを聞くや、レウはにっかーっと顔全体体全体から嬉しい! という気持ちがあふれ出てくるような、眩しい笑顔で。
「おうっ!」
 と言ったので、セオはひどく恥ずかしくなって、顔を熱くしながらうつむいてしまった。
「……さて、宴もたけなわとなってきたことだし、贈り物の交換でもしようか」
「そうだな、せっかく一ヶ月前から計画していたことだし、セオも頑張って贈り物を用意してくれていたんだろうしな」
「………………ケッ………………なんだってんだ。馬鹿馬鹿しい」
 その一瞬、ラグたちの方からなにか強烈な感情――不機嫌さを感じ、セオは真っ青になってすさまじい勢いで頭を下げた。
「ごめんなさい……!」
『……は?』
「ごめんなさい、本当にごめんなさい、俺なんかが分不相応なことを考えてっ、目障りな行動を取って、本当にごめんなさい、ごめんなさい……!」
「いや……あの、セオ。どうしたんだい? 突然……」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい。俺なんかがこんな場所で、分不相応な気持ちを抱いたりしちゃったから、みなさん、嫌な気持ちになっちゃった、んですよね……」
『…………』
 場に沈黙が下りた。その瞬間、セオの顔から一気に血の気が引く。しまった、また。自分は。やってしまった、こんなことはしないようにと、死に物狂いに努力していたというのに、また自分は、場の空気を。
 ごめんなさいと謝ることもできずセオは恐怖の表情で固まる――や、ふいにラグがくすっと笑った。ロンもふっと笑みを浮かべ、フォルデが口元に笑みを佩いてふん、と鼻を鳴らす。え、とこの状況で出てくるとは思えない反応にセオが目を見開くと、レウがにかっと笑って言ってきた。
「許してくれるってさっ。なんか、よくわかんないけど」
「……んっでてめぇが締めんだざけんなてめぇ横入りしてんじゃねぇぇぇ!!!」
 それから改めて贈り物交換をした。セオは結局パッチワークキルトにしたのだが、これで本当にいいのか、大丈夫なのかとおそるおそる渡したそれの反応はやはり微妙なものだった。嬉しいような嬉しくないような顔で沈黙するラグたちに泣きたくなりながら謝りかけるや、なぜか慌てたようにラグに慰められロンに笑顔で礼を言われフォルデに怒られた。
 レウの分も全力を傾注して一日で作り上げ、一緒に渡したのだが、レウはラグたちの横で一人ひどく嬉しそうだった。満面の笑顔で最初に礼を言われ、一瞬顔をだらしなく緩めてしまった。即座にラグたちの反応に気づき、謝りかけたのだが。
 ラグは全員に服を贈ってくれた。それも、旅装としては最高級の類のものを。思わず申し訳なさとありがたさに泣きそうになりながら、「ありがとう、ございます……」と礼を言うと、いつもの優しい笑顔で、「どういたしまして」と答えてくれた。
 ロンは装飾品だった。セオには耳飾り、ラグには額冠、フォルデには腕輪。どれもひどくきれいな品で、自分たちにそんなものを贈ってくれるロンの優しい気持ちが泣きそうに嬉しく、「ありがとうございます……」と頭を下げると、「なに、君たちを俺の色に染める喜びを味わいたかっただけさ」と微笑まれた。なぜかフォルデは「キショいこと言ってんじゃねぇぇ!」と怒鳴っていたのだが。
 フォルデは懐炉だった。金属を織り込んだ布でできた、懐中に抱いて体を温もらせる暖房器具。その中でも一番の高級品であろうものだ。春とはいえまだ風は凍えそうに冷たいこの地方のことを考えて贈ってくれたフォルデに、たまらなくありがたい気持ちで泣きそうになりながら「ありがとう、ござ、います……」と頭を下げると、フォルデはふん、と真っ赤な顔で鼻を鳴らしてそっぽを向かれた。
 ラグはレウの分も用意していたが、ロンとフォルデは用意していなかった。レウはそのことも、自分が贈り物を用意できなかったことも不満のようで、むぅっと唇を尖らせていたが、すぐににっと笑って宣言した。
「よーしっ、来年にはぜったいすっげープレゼント贈っちゃうから、覚悟しといてよっ!」
「……うん。ありがとう」
「おうっ」
 顔をゆるめて頭を下げると、笑顔で返される。この少年は、本当に、この小さな体で、自分たちを守ろうと、幸せを与えようとしてくれるのだ。それがなんとも、嬉しく、胸を疼かせた。
 とたん、なぜかまたラグたちの方から感じられる不機嫌な感情に、さっきと同じ一幕を繰り返してしまったのだが。

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