ジパング〜ヤマタノオロチ――1
「あっ、見えてきたっ!」
 思わず叫び声を上げてレウは甲板を走り、目を輝かせて舳先に立った。フォルデがちっと舌打ちし、ずかずかとこっちを追ってくる。
「おい、クソガキ、てめぇ人のこと稽古に付き合わせといてよそ見してんじゃねーよっ」
「だってさぁ! 陸が見えてきたんだぞー!? もう海じゃなくてまた陸なんだっ、俺ら船に乗ってただけなのに! すっげぇじゃん!」
「阿呆か出航から一日も経ってねーだろーがそのくらいでいちいちはしゃいでんじゃねぇ!」
 フォルデの怒鳴り声など気にもせず、レウは飽かず紺碧の向こうに広がる山並みに見入った(だってフォルデが怒鳴るのなんていつものことだし)。確かに見える限りでは一日前、昨晩船に乗るまで、自分たちが旅してきた陸地とあまり変わりがあるようには見えないけれど、レウはなんだかすごくすごいことのような気がしたのだ。
 だって、自分たちは歩いても泳いでもないのに、違う陸地が目の前に来ているのだ。まだ冷たい海をいつの間にか通り抜けて陸なのだ。海があって、陸で、それが繋がってて、世界で――なんていうかもう、すごいじゃないか。
「おいこらてめぇ、まだ陸地に着くまで時間あんだぞ、てめぇの仕事きっちり――」
「なぁなぁフォルデっ! あのさぁ、この船って陸に着く時、なんかそれ用の仕事とかねーの?」
「……はぁ?」
「ほらっ、船ってさっ、嵐の時のぞけば出港の時と港に着く時が一番忙しいらしいじゃん! やっぱこの船もさっ、それ用に錨下ろすとかうまく接岸するとかねーのっ?」
「は……? なに言ってんだ、馬鹿かお前。この船はどこ行くのだって全自動なんだから、接岸だって全自動に決まってんだろ」
「えー、そーなの? なんかそれってつまんねーなー」
「……っの、勝手なことばっか抜かしやがってこのガキ……」
「あ、見ろよ! 砂浜見えてきたっ、あれ砂浜だろ!? すっげーこんなに早く近づいちゃうんだー!」
「てめぇ人の話聞いてねーだろ、あぁ!?」
 レウはなんだかもう、嬉しくて嬉しくてついついこぼれてしまうって感じの笑顔になって、じっと近づいてくる陸地を見つめた。――世界は本当に、広い。

 ムオルで仲間にしてもらってから、一ヶ月弱。セオたちとの旅は、レウにとっては本当に、今までの人生ではありえないくらい楽しくてしょうがないものだった。
 毎日毎日陽が暮れるまで歩いて足は痛くなるけど、靴≠フおかげですごい速さで歩けるのは面白いし、景色が毎日変わっていくのを見れるのはすごく楽しい。野営の準備は大変だし、食前の稽古もきついけど、思いっきり体を動かしたあとのご飯はすごくおいしいし、どんどん強くなる自分の力の使い方を学べるのはすごくどきどきする。
 それに、歩いているとすぐに巻き起こる魔物との戦いにも、自分の力を試せる! とものすごくわくわくしていた。悪い魔物を倒せるのは嬉しいし、敵を死力を振り絞って倒すのは面白い。その上戦えば戦うほど強くなれるというのだから、危険だろうがちょっとくらい痛い思いをしようが、これはもうがんがん戦わなきゃ嘘だ。
 セオが魔物との戦いを好きじゃないらしい、というのはなんとなーく感じていた。が、なんでだろーなーと思ってはいたが、だったらその分自分が頑張ればいいことだし、とレウはさして気にしていなかった。
 戦いが嫌いでも、セオにーちゃんは背中を預けさせてくれる。だったら俺がやんなくちゃなんないのはセオにーちゃんを信じて、その背中を守って思いっきり戦うことだ、と思っていた。
 とにかく、レウとしては、セオたちとの旅はどんなことも、楽しくて楽しくてしょうがなかったのだ。
ジパング≠ニセオたちが言っていた陸地に「いっちばーん!」と叫びながら飛び降りる。フォルデが「一人で勝手に行くんじゃねぇよ馬鹿かてめぇ!」と怒鳴りながら追いかけてくる。そのあとにセオとラグが続いたのだが、最後に飛び降りたロンはふむ、と面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「予想通り、か」
「へ? なにが?」
「賢者の使う調査用の魔道具だ。まったく存在が感じられん。つまり、これから先なにか調べたいことがあったりしても、俺はいつものようには役に立てん、ということだな」
「へー」
 どういう意味なのかわかったわけではなかったが、まぁたぶん大事なことなんだろうとレウはこっくりうなずいた。ロンはいつもよくわからないことを言う奴だが、なにかを任せるとたいていうまくやってくれるので、レウとしてはすごい奴だなーと信頼しているのだ。変な奴だから尊敬はできないけど。
 周囲を眺めてみる。周囲に広がる砂浜は、どこまでも白く輝いていた。その向こうに岩が小さく切り立っていて、その向こうには木立や森が広がり、それが西の海から投げつけられる橙の輝きで金色に染め上げられている。
「きれーなとこだな、ここって!」
「……そうかぁ? 単にお前が眺めのいいとこ他に知らねーだけじゃねぇの?」
「むっ、んなことねーもん! フォルデなんでいっつもそんなふーに意地悪言うんだよっ」
「なっ……ざけんなてめぇの方こそガキっぽいこと言ってんじゃねーよこのクソガキ!」
「はいはい、二人ともそのへんにしておけ。とりあえず今後の行動を決めるぞ」
「あ、はーいっ!」
「このクソガキいつもながらてめぇで話振っといてしれっと……」
 フォルデが後ろで騒いでいたが、レウは特に気にせず世界地図を広げているラグのところへと向かった。ラグはたいてい(ときおり困ったような顔にもなるけれども)穏やかな笑顔を浮かべている優しい奴だ。戦いでもいつも地味ながらも頼りになる働きをしてくれるし、レウとしてはちょっと尊敬もしていた。
 その隣で真剣な顔で地図を見ているセオには、かなわなかったけれども。
 ふと視線が合った。とたん、なぜかわたわたと慌てたような顔になるセオに、レウは満面の笑みでにかっと笑う。するとセオは一瞬固まって、素早く周囲を見回したりする時もけっこうあるけれども、それでも最後にはいつもへちゃっ、という感じに笑顔を返してくれるのだ。
 崩れた笑顔といったらそうかもしれないけれども、レウとしては全然気にならなかった。というか、その笑顔が好きだった。カッコよくて、優しくて、すっごくすっごく大好きなセオにーちゃんが、こういう風に笑うところを見ると、なんか可愛いっていうか、胸が熱くなるっていうか、セオを自分にできる全力で守ってやらなきゃ、と強く強く思うのだ。
 ……今はいっつも守られてばっかりだけど、でも、いつかは。
 そう誓った自分の気持ちにうん、とうなずいて、自然に笑顔になってセオに駆け寄る。
「なーなーセオにーちゃん、こっから俺たちどこ行くの?」
「え、と。それは、まずはフォルデさんに、聞かないと」
「……は?」
「は? じゃないだろう、フォルデ。お前の職業はなんだ?」
「へ……、……、っ、馬鹿かなに言ってんだそんくれーハナっからわかってんだよっ!」
 怒鳴るように言って一度目を閉じてからカッと開く。その瞳はなぜか、どきりとするような色を放っていた。蛇みたいな、鳥みたいな、人じゃないものの目の光。
「……南にざっと六十里程あたりに、なんか見えるな。でかい山のふもと……これ火山か? なんか煙出してる山のふもとを切り開いた、村っぽいのが……」
「村? 街のようなのはないんだな?」
「ああ、村にしちゃでかい方だけど、街ってほどじゃねぇ。このあたりにゃ、そんぐらいしか気になるもんはねぇな」
 言ってからふっとフォルデの瞳に人の光が戻る。レウは目をぱちぱちさせながらそれを見た。
「今……なにしたの?」
「ああ? てめぇ、っとにもの知らねーな。盗賊魔法使ったんだよ。鷹の目っつって、ざっと数千里程までの周囲にある目立つもんを見つけられんだ」
「へー……」
 ひたすら目をぱちぱちさせていると、フォルデにぎろりと睨まれた。
「んっだよ、なんか文句あんのか」
「んーん、そーじゃなくてさ、フォルデも旅の役に立つことがあるんだなーって思って」
「……ざっけんなこのクソガキーっ!」
「はいはい、落ち着けフォルデ。相手はまだ十二歳の子供だぞ」
「ガキだからってなに言っても許してもらえるなんぞ思わせてたまっかーっ!」
「え、なんで怒んだよ? せっかく褒めたのに」
「てめぇ……舐めてんのかこのタコガキっ、いっぺんマジ泣かすぞ、あぁ!?」
 ラグに抑えられながらもこちらに手を伸ばそうとするフォルデに首を傾げつつも、小さく唇を尖らせる。なんとなく自分と同格ぐらいと思ってきたフォルデにこんな風に見事に役に立たれるというのは、すごいなーと思うし褒めた気持ちに嘘はなかったが、ちょっと悔しいような気もしてしまう。
 よーし、だったら俺は今度の冒険でフォルデより思いっきり役に立っちゃうぞっ、と気合を入れ、レウはセオに笑いかけた。
「そこにパープルオーブがあるんだよなっ」
「えと……そう、だね。山彦の笛の音の反応も、だいたいそこぐらいから、だし。たぶん、そこにある、んじゃないか、と思う」
 にかっ、と笑いかけるとセオは(ちょっと慌ててから)へちゃっ、と笑い返してくれる。それが嬉しくて思いきりこくこくとうなずいた。
 オーブがなにか、それを手に入れたらなにが起こるのか、レウはあまりよくわかっていなかったのだが、セオたちがそれを手に入れようとするなら自分もそのために全力で頑張るつもりでいたし、勇者の旅というのは手に入れられるものはなんでも手に入れるのが相場なので、あまり気にしてはいなかった。
靴≠履いて歩くこと数刻、なんとか日暮れ前にその村の煙が見えてきたので、近くで野営をし、翌朝早々に村に向かう。さすがに小さな村を夜訪れたところで、相手が警戒して入れてくれないだろう、というラグの言葉はレウにもしっかり納得できたのだ。
 が、レウも村に近づくにつれ、あれ? と思い始めた。なんというか、これは普通の村じゃないぞ、というか。レウの知っている村はムオルの周囲の村ぐらいのものだが、それでもこの村は格段に変だった。
 周囲を生け垣で囲っているのはわかる。獣避けにしてはやけに低いけど。でもその先に見える家々が変すぎる。なんというか、地べたにそのまま萱の天幕を張ったような感じ。一応家っぽくはなっているけど、家が天幕っていうのは変だし、あれじゃ冬は寒すぎるだろうに。
 しかも生け垣があるのに見張りがいない。ムオルだってそこそこでかい外壁に、見張りをつけて魔物の襲撃を警戒していたのに。年に一度くらいは大きいのがあるのだから、いつも警戒していなくちゃいけないと、口を酸っぱくして言われていたことを、大人が守っていない。
 印象としては、昔々のそのまた昔、という一番古い昔話に出てくるような、国がまだできていない頃のちっちゃな世界、という感じだった。
「……結界がないな」
 生け垣に歩み寄りつつ、ロンがぼそりと言う。
「わかんのか?」
「まぁな、これでも賢者だ、魔力の気配ぐらいわかるさ。この村には魔術だろうが法力だろうが結界の類はまったく張られていない」
「へー……」
「……だけどそのわりには戦いのあとがまるでないな。普通なら、結界のない村なんて普段から魔物との戦いであっという間にぼろぼろになってしまうだろうに」
「そうだな。さすが神域というところか……」
「しんいき?」
「神の領域。みだりに入ってはならない、そこで起きたことをよそで話してはならない、外の穢れを持ち込むことなどもってのほか、というほど尊い神の御座のことだな。話だけは聞くのに入った人間のいないジパングには似つかわしい言葉だろう」
「へー……」
 よくわからないがなんだかすごそうだ。
「えっと……それって入っていいってこと? よくないってこと?」
 その問いにロンは小さく声を立てて笑った。
「駄目でも入ってみる、見つかって怒られたらその時謝ればいいや、ということだな」
「そっか!」
 そういうのはレウは大得意だ。ムオルで似たようなことをするのは日常茶飯事だったし。
「ふん……上等じゃねぇか。とっとと押し入ってパープルオーブっての分捕ってやら」
「お前な……それじゃ悪党だぞ」
「問題ねーだろ、俺はもともと盗賊だ」
「あ、の、でも、パープルオーブを、誰かが持っていたら、最初は、交渉から……ごっごめんなさいごめんなさいっ俺なんかが偉そうなことをっ」
「あーっ、なにセオにーちゃんに謝らせてんだよっ、フォルデってば悪いことばっか考えんなよなっ」
「……っなんでてめぇにんなこと言われなきゃなんねーんだこのクソガキがーっ!」
 そんなことをわいわい喋りながら生け垣の間の道を通り抜ける。そうして村の中に入っても、結界の気配らしきものは確かになにも感じなかった。もっともこれまで通った街にある結界というのにも、レウは特になにも感じなかったのだから当然だろうが。
「……お? ガキがいるぜ」
「あ、ほんとだ。けどなんか、変なかっこだな」
 集落入り口の広場に集まっていた子供たちに目をやって言うフォルデに、レウもうなずきつつ目を瞬かせた。その子供たちはせいぜいが自分より一、二歳下というくらいだったが、みんな普通とはなんだか違う格好をしている。
 伸ばした髪を後ろで結んでいるのはまぁ普通だが、着ている服がなんだか妙だ。赤に染めた簡素な麻の服の上に、真っ白い同じく簡素な麻の前を左胸で止める形の上下を着ているようなのだが、それぞれの色がやたらに鮮やかだ。あんな服じゃ汚れが目立つからろくに遊ぶこともできないだろうに。
 というか、なんで全員揃って同じ色の同じ形の服なんだろう。子供なんだから制服ってわけでもないだろうし。それに髪と目の色も全員揃って真っ黒だし、肌の色も揃って琥珀、顔貌も細面で目が細く凹凸の少ない顔つき、と似た感じなので、全員の印象が似通って感じられる。
 それになんで麻だけなんだろう。それじゃ冬はいくらなんでも寒くないだろうか。さっきの家々といい、もしかしてジパングってすごく貧乏なところなのかもしれない。
「こら、レウ、そういうことを言わない。……まぁ、珍しい格好なのは確かだけど」
「巫女装束を思わせる格好だな。穢れを嫌う、清らなる始源への回帰というやつか」
「賢者によりもたらされた、文明というもの、を拒否してる、んでしょうか。服装とかは、原始的な宗教装束に、似ていますし、後ろにある家々とかは、ダーマに、神殿ができる前の、人の手を介した文明が、与えられる前のものに、似てる、っていうか……」
「なるほどな……確かに」
「だっから意味わかんねーってんだよてめーら」
「いーじゃんんなのどっちでも。セオにーちゃんたちがちゃんとわかってんのは確かなんだからさ」
「そういう問題か、これ?」
 などと足を止めて話していると、こちらに気づいたのか、子供たちがこちらを向いて揃って叫んだ。
『ガイジンだ!』
「……は?」
「わぁっ、ガイジンだガイジンだ!」
「目を合わせたらとって食われるぞ!」
「目の色変だよぉ、髪の色変だよぉ」
「逃げろ逃げろ、捕まったら肝を取られるぞ!」
 そんなことを口々に叫びながら、一目散に子供たちは駆け去ってしまう。レウたちはしばしぽかんとしていたが、やがておのおの眉を寄せたり目をぱちぱちさせたりしながら話し出した。
「なんだあのガキども、勝手なことわめいて勝手に逃げ出しやがって」
「ガイジンって言ってたよな。なんだろうガイジンって」
「外の国の人、という意味だな。今ではほとんど使われていない言葉というか、概念だが」
「なんだ、その概念って」
「外人というのはすなわち異邦人、よそ者、自分たちとは世界を異とする者のことだ。ルーラによる連絡網で緊密に繋がりあい、行こうと思えば五秒でたいていの国に行ける現代で、違う国の人間だから即理解しあえない存在と思う奴はあまりいないだろう?」
「そりゃ、まー……そーだけどよ」
「あ、ってことはさ、ここってよその国の奴とか全然来ないのかな?」
「そういうことだな。よくわかったな、偉いぞ、レウ」
「えへへー」
 ほめられた、とついにへらっと笑ってしまうレウに、フォルデが舌打ちする。
「っの、またこのガキ甘やかしやがって……」
「お、どうしたフォルデ、甘やかしてほしいのなら俺がこの広い胸と海より深い愛をもって腕によりをかけてこってりたっぷりねっとりと甘やかしてやるぞ?」
「ざけんな阿呆かてめぇんなもん死んでもいるか俺は甘やかしてほしいなんぞと思ったこたぁ金輪際ねぇってんだよ!」
「……ごめん、なさい」
「なんでそこで謝んだてめぇなに考えてんだまさかてめぇ俺のこと甘やかすつもりだったとか抜かすんじゃねぇだろうなぁぁっ!!!」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいーっ」
「だからセオにーちゃんいじめんなってば!」
「よしよし、セオ、大丈夫だから。……まぁそれはともかく、これからどうする? 向こうがこっちを異世界人かなにかのように思ってるなら、まともに話をすることとかできないんじゃないか?」
「ふむ」
「あ、の……え、と……俺は、このままこの場所で待つのが、いいんじゃないかな、と思います、けど」
「ほう。なんでだ?」
「えと。ジパングが、神域のようなものじゃないかっていう、ロンさんの考えは、正しいと、思うんです。だけど、ジパング以外の人間が、まったく入れないという、ほど、強固に守られても、いない」
「は? なんでだよ。違う国の奴来ないんだろ?」
「それなら、あの子供たちの反応が、もっと激しく、あるいはまったくの無反応に、なっている、はずじゃ、ないかなって。人間は、まったく理解できない、ものには、反応することが、できません、から。あの子たちの、反応には、ある程度、ガイジン≠ニいうものを、見慣れた雰囲気が、ありました。それに……少なくとも、俺たちは、すんなり、入れた、わけですし」
「……そりゃ、そうか」
「ここにいればあの子たちがガイジン≠フ対処に慣れた奴を呼んできてくれる。ならば悪印象を与えないためにも、村にずかずか入りこむのは控えた方がいい、と……なるほどな、確かに道理だ」
「えと、はい。あの子たちの言葉からして、あまり好意的な反応じゃ、ないだろう、とは思う、んですけど……」
「いーじゃねーか、無反応よりずっとマシだぜ。面白ぇ、向こうがどう出るか見てやろうじゃねぇか」
「だな。郷に入っては郷に従え、まずは向こうの作法に従っておくのが筋だろう」
「そうだな、俺も賛成。レウは?」
「え? っ、とー」
 レウはわたわたと慌てた。実は途中からセオの言うことが理解できなくなってきていたのだが、どうやらフォルデすら理解できているらしいのにそんなことを正直に言うのはちょっとカッコ悪い。
 どうしようどうしよう、と頭をぐるぐるさせる――と、唐突にセオが決意を込めた顔で口を開いた。
「あ、の、レウっ」
「へ、え? な、なに、セオにーちゃん?」
「あ……の」
 そこでしばらく言いよどんでから、小さく。
「俺、詳しく説明しよう、か……?」
 レウはその言葉をしばらくぽかんとして聞き、それから顔をかーっと赤くして怒鳴った。
「いらないっ!」
「あ、そ……そう」
 セオにーちゃんのばかセオにーちゃんのばか、とレウは顔を真っ赤にしながらそっぽを向いて心の中でくり返す。セオが悪いわけじゃないけど、ほんとは自分が悪いんだけど、でもやっぱりくり返さずにはいられなかった。
 でもやっぱり気になって、ちらっとだけセオの様子をうかがう。セオはしゅーんとした顔になって、ラグとロンに慰められていた。う、と胸のあたりがしくしく痛む。なんだか悪いことをしちゃった気がする。どうしよう、謝ろうかな、でもでも。
 と、フォルデがちろりとこちらを見て、はっ、と鼻を鳴らした。その感じが今までで最大限にこっちを馬鹿にした感じに思えて、レウはかぁっと顔をさらに赤くして怒鳴る。
「なんだよっ」
「いや、別に?」
「うそつけっ、こっち見てたじゃないかっ、なんだよっ」
「別にっつってんだろーが、自意識過剰じゃねーの」
「へ、じい……?」
「あー悪ぃ悪ぃ、難しい言葉使っちまったか。わかりやすく言い直してやろうか?」
「〜〜〜〜っ、いらないっ!!」
「ふーん、あっそ」
 とにかく恥ずかしくて頭がカッカきて、そんな風にぎゃんぎゃん喚いていると、ふと「シッ」とラグが低く言った。
「え、なに……?」
「どうやら当てにしていた相手が現れたようだぞ」
 言ってロンが指差した向こうからやってくる人々に、レウははっとして身構えた。最初は武器を構えているのかと思って剣を抜きかけたのだが、ラグに素早く制される。
 向こうからやってきた男たちは、縦に一列に並んで、なにやら金属のついた棒を差し上げていた。それを最初は武器かと思ったのだが、よく見ると尖った部分がないし、やたら丸くて鈍器としても使えそうにない。
 男たちはみんなさっきの子供たちと同じように、細く黒い瞳と黒い髪をしていた。服も子供たちと同じような赤と白の簡素な麻だ。違うのは、髪を顔の両脇でひょうたんのような奇妙な形に結っていることと、首に丸にしっぽがついたような、これまた奇妙な形の赤い首飾りを下げていることだ。
 そいつらはきっとこちらを睨みながらしずしずと歩み寄ってくる。レウもきっと睨み返してやっていると、そいつらはこちらから十歩ほど離れた場所で止まり、詠うような奇妙な節回しで奇妙な言葉を投げかけてきた。
「とよあしはらのみずほのくにのちょくしのいちがとつくにのものたちにのたまう! ひみこさまのやにもうで、おしらべのごたくせんをうけよ!」
「……は?」
「え、なに、なんつったの? あいつら?」
「そうだな……要は、お前らヒミコさまのとこに来て話聞け、ということらしいな。察するに、そのヒミコというのは巫女かなにかか……場合によってはここの王も兼ねているかもしれんな」
『……もし嫌(やだ)っつったらどうする(なんの)?』
 声が揃ってしまった。驚いてフォルデの方を見ると、フォルデはすさまじく嫌そうな顔をしてそっぽを向いてしまう。
 相手の返事は、やっぱり不思議な響きだったが、わかりやすかった。
「ひみこさまのご神罰が下されるであろう」
 しんばつ。神様の罰、ってことだ。
「はぁ? なに抜かしてんだ、何様だてめぇら、てめぇらのためにカミサマがわざわざ罰下してくれると思ってんのか、あぁ!?」
「え、ここの人たちって、ていうかそのヒミコって神様なの?」
「……ま、そこらへんのことはどうあれ、向こうが話をしてくれるというならこっちとしては願ったりだがな」
「だな。フォルデ、あとレウも、むやみに失礼なことを言ったりしたりするんじゃないぞ」
「しないってば! 俺フォルデじゃねーもんっ」
「……は? なに抜かしてんだざけんな俺こそてめぇと一緒にされたかねーっつーんだよっ!」
「とくかえせ!」
『……なんて?』
「とっとと答えろ、とさ。どうする、セオ?」
「え、と……みなさん、ヒミコという人のところに連れていってもらう、ということでいい、でしょうか……?」
 おずおずと自分たちを見てくるセオに、レウたちが力いっぱいうなずくと、セオはほっとした顔になって、男たちに「では、ご雑作おかけします」と答え(レウはやっぱりどういう意味かわからなかったのだが)、男たちは重々しくうなずき先導して歩き出した。
 建物(と言っていいかどうかためらうほど質素な、近くで見たら茅葺きだった、小屋と天幕の間ぐらいの大きさの代物)の間を通り抜け、村の奥へと進む。男や女や子供や、いろんな人間(でもみんな黒髪黒瞳で似たような顔立ちの似たような服を着ている)に遠巻きに見つめられながら、山の麓へとやってきた。
 赤く塗られた、木を組み合わせただけの簡素な、やっぱり妙な形の門をいくつもくぐりながら白い砂の敷かれた坂を上る。セオがその門を眺めながら、真剣な顔で呟いた。
「材質は木……この赤い塗料は、たぶん丹砂を使ったもの、ですよね。でも、この建築様式は、今まで見てきたどんな文化にもないような、気が……」
「……単に田舎なんじゃねーの? さっきあった家からしてそーじゃねぇか、掘っ立て小屋っつーのもはばかられるくれーしょぼい代物だっただろ」
「フォルデ」
「へいへい」
 坂を上りきったところに(でもそこからさらに山は続いているのだが)あったのは、一軒の屋敷だった。平屋で、やっぱり茅葺きなのだが、やけに横に広く、これだけは一応文句なく家と言えるだけの体裁を整えている。木でできた扉も格子を組み合わせたものがそこここにあったりして、やたらめったら風通しのよさそうな家ではあったが。
 男たちは入り口前の階段のところで履物を脱いだ。レウたちがついて上がろうとすると咳払いをして靴に視線をやるので、仕方なく靴を脱いで袋の中に入れる。そこで男たちは持っていた金属の棒を待ち構えていた女に預け、女たちの行き交う中を奥へ、奥へと進んだ。
「……武器を取られないな」
「へ、なに?」
「いや、普通貴人と会う時ってのは武器を預けなきゃいけないもんじゃないか。なのにそういう雰囲気もないっていうのは、どういうことなんだろうなってさ」
「は……? あ、そーいやそっか。ロマリアでもアリアハンでもそーだったよな」
「あぁ、勇者のパーティというこの上ない信頼度の高い称号を持つ相手だろうとそうなんだ。なら、そういうことも関係ないらしいこの人たちにしてみれば、ますますもってそうだろうと思うんだが……」
「へー、そーなんだ。ラグ兄ってけっこーいろんなこと知ってんだなっ」
「まぁね……一応、大人なりに」
「いちいち態度がでけぇってんだよこのボケガキ」
「むっ、なんだよフォルデだってすっげーえらそーなくせにっ」
「だからてめぇと俺を同列に扱うなっつーんだよっ!」
「ほらお前ら、少し黙れ。御大のお出ましが近づいてきたようだぞ」
 ロンが言うや、先導の男たちが足を止めた。ひときわ大きな扉の前でさっと左右に分かれ、正座して背筋をぴんと伸ばし、こちらを睨むように見て言う。
「ひざをつきひたいをつかれよ。とをあけたのち、ひみこさまよりおこえがかかる。ゆるしがあったのちおんまえにいざりでよ」
 言われて顔を見合わせたが、とりあえず向こうがやっている通りに正座する。が、それでもまだ終わりではなかった。
「頭が高い!」
「へ? ずが、ってなに?」
「向こうは叩頭しろ、と言っているんだ。要は土下座しろってことだな」
「はぁ!? なに抜かしやがってんだ、あいつら!」
「ほう、できんのか?」
 にやりと笑って言うロンに、フォルデはぐっと言葉につまる。
「できねぇ……っつか、なんでんな馬鹿馬鹿しーことしなくちゃなんねーんだ、っつってんだ!」
「そんなものは誰にでもわかるだろう。相手の信を得るために頭を下げてみせるだけのことだ」
「う……」
「フォルデ、俺たちはできないことを無理にしろとは言わない。本当にできないというなら、ここを出てどこかに隠れていろ」
「っ……!」
 ラグの言葉にカッと顔を赤くして、フォルデがガツンと頭を床に叩きつける。ラグとロンもゆっくりとではあったが、頭を下げた。
 と、セオが小さく囁いてきた。
「レウは、大丈夫?」
「へ? ああ、だいじょぶだいじょぶ。だってただ頭下げるだけのことだろ? うるさいじーちゃんとかにするのとおんなじじゃん。へでもないって!」
 にっかりかん、と笑うと、セオはなぜかひどく驚いた顔をした。え、なんで? と思ってから、はっと忘れていたことを思い出す。そうだ、これ言わなくちゃ、さっきから言わなくちゃと思ってたんだから。
「あのさ、セオにーちゃん……」
「え……な、に?」
「さっきごめんな。セオにーちゃんは親切で言ってくれたのに、怒鳴ったりしてさ。言いそびれちゃってて……ほんとごめん」
 少しばつの悪い気持ちでそう言うと、セオはますます驚いた顔をした。仰天、というのも生易しいってくらいの顔だ。どーしたんだろ、と首を傾げていると、男たちが咳払いをしたので、慌ててレウも頭を下げ、セオも一瞬の間を置いて続く。
 それを確認したのだろう、小さくうなずく気配がしたのち、しずしずと扉が開かれる音がした。もういいのかな、と頭を上げようとするとすかさず咳払いが飛んできたので、慌ててまた頭を下げる。
 と、声がした。男たちと同じような妙な節回しの、きれいといえばそうなんだろうけどどこか変というか、楽器みたいというか、あんまり人っぽい感じのしない声だ。
「おもてを上げよ」
「へ?」
「顔を上げていいとさ」
 ロンに言われてほっとして顔を上げ――レウは驚きに目を見張った。
「すっげーブス……」
「こら!」
 ラグにつつかれて慌てて口を閉じる。でもだけど、そんなこと言っちゃいけないのはもちろんわかってるけど、目の前の部屋の奥に仰臥していたおばさんは本当にものすごいブスだったのだ。
 顔も体もぶくぶく太って、目がほとんど肉に埋もれてしまっている。肉がつきすぎているせいで顔立ちはよくわからないが、鼻はだらんとして唇もやたらぶくぶくっとして、頬なんかつきすぎた餅みたいで、異常なくらい真っ白い肌もあいまって、なんだかものすごくだらしない、気持ち悪い生き物のようにレウには思えたのだ。
 たぶんこれがヒミコなんだろう、とは思うが――神域の女王(たぶん白粉の匂いや装飾品から女だろう、とレウは思った)とはとても思えない。
 レウの発言にその場は凍ったが、ヒミコがふいにくぐもった声を漏らした。く、く、く、と、喉の奥から押し出すような声を漏らす。
「このジパングを治めるわらわにそのようなくちをきくとは、元気のよい童よの」
「え、えと、ごめんなさい……」
「よいよい、わらわはただ神のみことばにしたがい異国よりのまろうどを裁くのみ。――そこの女どものようにな」
 やっぱりぶくぶくした指で差されて、ようやくレウはその薄暗い部屋の中に他にも人がいることに気づいた。後ろ手に縛られた女が一人、男が二人、部屋の隅に転がされている。
 え、誰だろ、そんな気配なんて全然しなかったのに、と目をぱちぱちさせていると、フォルデがどこか呆然とした顔で呟いた。
「……なんで、あんたがここに」
 その声に、縛られていた女は弱々しい動きでフォルデの方を振り向いて、目を見開き、それから安堵をその細い顔にそっと浮かべて小さく微笑んだ。
「また、お会いできましたね、フォルデさん」
「……ヴィス……タリア」
 そう答えるフォルデの声は、ひどく苦しそうにレウには聞こえた。

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