ジパング〜ヤマタノオロチ――3
「……つまり、このジパングに生まれた娘は、十六の年になるまでずっと……なんていうか、乙女でいなくちゃならなくて」
「十六になった乙女どもの中から、一年に一度、ヒミコの崇める神であるヤマタノオロチという蛇神に対する生贄を選んで、ヤマタノオロチに喰わせるのがジパングのならわしであると」
「そんで、それをジパングという国が生まれた頃からずっとくり返している――って」
『なんっだ(よ)、そりゃ(れ)!!』
 またもレウと声を揃えてしまったことに苛立って一瞬ぎろりとレウを睨みつけたが、すぐに壷の中に入っていた娘(ヤヨイというそうだ)に視線を戻す。こんな馬鹿馬鹿しい話、正気で話してるとは思えない。
「おい、お前それ本気で言ってんのか」
「も、もちろんですとも。ヤマタノオロチさまは、我らジパングの民のみならず、この天が下の人界すべてをお守りくださる偉大なる蛇神さま。そのような御方の血となり肉となれることは、我らジパングの民の誇りです」
 震えながらも胸を張ってみせるヤヨイに、フォルデは半ば憎悪すら込めた視線をぶつける。
「誇りだぁ? 笑わせてくれんな、おい。だったらなんで逃げ出した。てめぇの境遇に納得がいってねーからだろーがよ」
「な、納得していないなど、そのような! 私はただ、今少しのご猶予をお与えいただけたらとお願い申し上げただけです! ジパングの美しい翠を、花々を、少しでもこの目に」
「だったらなんでこんな小屋の壷の中に入ってんだよ。見つかりたくなかったんだろうが、逃げ出してぇと思ってたんだろ、あぁ!?」
「そ、そのような! 私はそのような不遜なことは決して! ただ、私は、今ひとたびのご猶予をいただければと……!」
 チッ、と舌打ちしてフォルデはそっぽを向いた。蛇神だかなんだか知らないが、得体の知れないものに生贄を捧げようなんぞとするヒミコをはじめとしたジパング上層部には吐き気がするほど腹が立つが、それを唯々諾々と受け入れているジパングの民にも反吐が出そうなほど腹が立つ。しかも受け入れるなら受け入れるで潔く喰われればいいものを、逃げ出したあげくに苦しい言い訳をくり返すなんぞ最低というのもおこがましい。
「……で、どうだ。この女の言うこと、マジなのか」
 話を聞き始めた時から呪文を使ってヤヨイの心を探っていたロンに問うと、ロンはこっくりうなずいた。
「どうやら本当のようだな。少なくともこの女にとっては、ジパングというのは神の血を引く尊い民の末裔で、それが生贄となることによって世界の歪みを是正しているのだ、ということになっているらしい。ジパングの民ならばみな、生贄の制度を粛々として受け入れ、誇りをもっておろちさまに喰われるべきだとな」
「……笑わせてくれんじゃねぇか」
 にぃ、と獰猛な笑みを浮かべ、フォルデはぎろりとヤヨイを睨む。
「おい。お前がどういうつもりかは知らねぇしどうでもいい。けど俺らは俺らで勝手に動くからな。あとこの小屋の中に何人か隠れさせるから邪魔するんじゃねぇぞ」
「……は? あなたは、なにをっ」
「そう言っておくだけで済ませるのか? なんらかの対策を打っておくべきだと思うが」
「は? 縛り上げとけって? 人手無駄に使うだろ」
「いや、こういう時にこそ呪文は使うものだ。心を縛る呪文くらい俺にも心得はある」
「……んー」
 フォルデは少し考えた。確かにそういった呪文を使うのが、一番効率的で安全ではあるのだろう。
 だが、なんとはなしに気が進まなかった。別に大した理由があるわけではないが、ただ、なんとなく、こう――
「駄目だよそんなの! そんなことしたら俺たち悪い奴じゃん!」
 と、そこに横入りしてきたレウにきっぱり言い切られて、フォルデの感情は一気に逆撫でされた。人が考えてる時に横から勝手な台詞抜かしてくんじゃねぇボケガキ!
「ほう、悪い奴とはなぜだ? 俺は別にこの女をどうこうしようと思って呪文を使うわけではないんだが? ただここで俺たちが動くなら、目的の邪魔にならないようにと」
「そんでも駄目! だって、そんなことしたら、ヤヨイさんが俺たちのことやな奴って思うじゃん!」
「はぁ!? てめぇ阿呆か、そんなに誰からも彼からもいい人に思われてぇんだったら教会にでも行きやがれ! こっちは慈善事業してんじゃねーんだぞっ!」
「そうか? 今から俺たちがやろうとしていることはかなりな勢いで慈善事業だと思うが」
「はぁ!? なに言ってやがんだ、俺らは……少なくとも、俺は別に、ただ借りを返そうとしてるだけで慈善事業するつもりはねぇっ!」
 そうだ、別にジパングやたまたまこの地を訪れた人間のためにヒミコをぶっ殺そうとしているのではないのだ。ヒミコの方から先に売ってきた喧嘩を買って、買ったからには勝つまでやろうとしているだけのこと。
「そーいうんじゃなくてっ! この人……ヤヨイさんさ、別に俺ら倒そうとしてるわけでもなくて、ただ普通に一般人やってるだけじゃん。そーいう、ちゃんと説得できたら言うこと聞いてくれそうな人に、ただそっちのが簡単だからっていうんで呪文とか使ったら、おーちゃくじゃんか!」
「……ふむ。まぁ、そう言われると返す言葉はないが。だがそうなるとレウ、お前はこの女を説得できるのか? 俺としては正直自信がないんだが」
 肩をすくめてみせるロンに、少し気圧されたような表情をしつつも、「できるよっ」と胸を張り、レウはヤヨイに向き直った。フォルデはとりあえず静観する。このバカガキがどれだけのことができるのか、見せてもらおうじゃないかというところだ。
「あのさ、ヤヨイさん。俺たち、別にジパングの人たちに悪いことしよーとしてるわけじゃないんだぜ?」
「……では、なぜこの清らなるジパングの地に入り込まれたのですか」
「えっと、最初の目的はオーブってのがここにあるらしーから、なんだけど……とにかく、今はヒミコたちが」
「ヒミコさま、とお呼びなさいっ! ガイジンなどがヒミコさまの名を呼ぶだけでもヒミコさまの名の穢れだというのに……!」
「えー、なんでだよ? ヒミコが外の国から来た人殺したり、女の人生いけにえにしたりしてるのの元凶なんだろ?」
「なにを、無礼な……! 我々ジパングの民はみな命を贄として神に捧げることでこの世を護っているのですよ、その重みを、力を知らぬガイジンが偉そうなことを言うなど身の程知らずにもほどがあります!」
「だっからさー、なんでいけにえになるのが世界護ることになるわけ? 別にそれがそーだってしょーこあるわけでもないんだろ?」
「証拠……!? なんと恐れ多いことを、ヒミコさまのお言葉に疑いを差し挟むなど身の程知らずというも愚かしい醜劣な所業ではないですか!」
「えぇ……? だってさぁ……」
「ヒミコさまは全世界を支え守護してらっしゃる巫女なのですよ!? そのお方に対して、なんという……! これだからガイジンというものは信用ならないのです!」
「だっからさぁ、そのヒミコが俺ら殺したりいけにえ差し出したりするのはさぁ、ヤヨイさんにとっていいことなわけ!? ちゃんとしたことなのかよ、そーいうのっ」
 ヤヨイは一瞬、ごくわずかに気圧された風を見せたが、すぐに胸を張る。
「当然です。我らの血肉で世界を購うのがジパングの民の使命。それを穢さんとして外より入ってくるガイジンたちを殺すのも当然のことです」
「う〜〜〜っ………」
「どうだ。これでもまだ説得する自信があるか?」
 訊ねてみせるロンを、レウは眉を寄せながら涙目で振り返る。
「なんか、全然話が通じねぇよ〜……」
「だろうな。そもそもの道徳や倫理といったものそのものが俺たちと違うようにできているんだ。これを穏便に説得するにはだいぶ手間がかかるぞ」
「だってさぁ、変じゃん! フツーやっちゃいけないことはやっちゃいけないことだろ!? なんもやってない人縛ったり、殺したりとかさ、やっちゃ駄目じゃん!」
 その言葉に、フォルデはぎゅっと眉を寄せた。今一瞬、自分は猛烈に苛ついた。普段のレウに対するものの、比ではないほどに。
 と思うより先に、口が動いていた。
「黙ってろ、馬鹿ガキ」
「むっ、なんだよフォルデっ、急に喧嘩売ってっ」
「喧嘩売ってんじゃねぇ、鬱陶しいっつってんだ。てめぇの世界の狭さも知らねーくせして偉そうに喚くな」
「なんだよっ! それが喧嘩売ってるってんじゃんっ、急に悪口言ってさっ」
「悪口じゃねぇ、本当のことを言ってやってんだ。てめぇがどんだけ世間知らずなのかも知らねぇ奴がぴぃぴぃ喚くな。聞いてるだけで苛々する」
 フォルデの苛烈な口調に、さすがに普段と違うものを感じたのか、レウは一瞬気圧されたように黙る――が、すぐにカッと顔を赤くして勢いよく言い返してきた。フォルデがますます険しい顔になるのも気にせずに。
「世間知らずってなんだよ! フォルデだって大して変わんないだろっ」
「うるせぇ。正義の味方ぶりてぇんだったら一人でやってろ。やっちゃ駄目だなんだときれいなところから言ってのけるようなクソ野郎はな、俺は死ぬほど嫌ぇなんだよ、馬鹿ガキが」
「………っ! きれいなところってなんだよ! やっちゃ駄目なことは、どんなところだってやっちゃ駄目なことだろっ」
「……は。上等だ。そんなに喧嘩売りてぇんだったら買ってやるよ」
 ゆら、と立ち上がろうとするフォルデの体を、ラグが後ろから思いきり押さえつける。
「やめろ、フォルデ」
「放せ、ラグ」
「放すか。……いいか、フォルデ、お前の言いたいことはわかるつもりだけどな、それを子供に押しつけたってなんの意味もないんだぞ」
「ざけんな、世の中ってもんはそうできてんだ、思い知らせてやってどんな悪ぃことがある」
「だから、それはお前の理屈だ。自分の理屈を子供に押しつけられるほど、お前は偉いのか」
「っ……てめぇはっ」
「なにより。今この状況で本気の喧嘩してどうする気だ、上にはヴィスタリアさんたちもいるんだぞ」
「っ………わぁった、よ」
 フォルデはどすん、とまたその場に腰を下ろした。ラグが無言でうなずいて、隣に座る。
 ラグも気づいているのだろう。フォルデがまだ、相当に全力で腹を立て、それを相手にぶつけるのに微塵もためらいを感じていないのに。

 レウはぐっ、と奥歯を噛みしめてこちらを睨みつけるフォルデを睨み返していた。フォルデの雰囲気が今までと明らかに違うのはわかる。本気で怒っているんだろう、というのもわかる。
 だがなんでそれを自分がぶつけられねばならないのか、納得はまるでいっていない。自分はまったく間違ったことは言っていないのに、一方的に怒られてたまるもんか。
 セオがひどく気遣わしげな顔で、おろおろと自分とフォルデを見比べている。セオにーちゃんに心配かけるのやだ、とは思ったが、それでも筋の通らないことをしてきた相手に、自分が悪うございましたと頭を下げるのは嫌なのだ。
 と、セオがふいに、決意の表情ですっと前に進み出た。
「……あの、ヤヨイ、さん。少し、お話させていただいても、いいでしょうか」
 え、とレウは思わず首を傾げる。ここでいきなりヤヨイの方に話を振るとは思っていなかったのだ。
 ヤヨイも明らかに戸惑った顔をしたが、「ええ……どうぞ」とうなずく。セオは真剣な表情でうなずき、問うた。
「ヤヨイ、さん。今の、その、二人の喧嘩、見て、どう思いました?」
 レウは思わず目をぱちぱちとさせる。そんなこと聞いてどうするんだろう。ヤヨイも明らかに訝しげな顔だ。
「どう、とは……?」
「単純に、どんな感想を抱かれたのかな、と」
「え……どんな、と言われても……なんでそんなことで喧嘩をしなくてはならないのか、とは、思いましたが」
 そんなごく当たり前の感想に、なぜかセオはこっくんとうなずく。
「はい。ヤヨイさんには、意味のない――喧嘩するほどでもない、ことです、よね?」
「ええ……」
「でも、二人にとっては、絶対に譲れない、ものすごく大切なこと、なんです。この、価値観のズレは。わかって、いただけます?」
「……ええ。それはわかります、けれど」
「つまり……あなたの言われる、ガイジンたちの中でも、これだけ価値観の違いがある、っていうことなんです。ジパングの方と、ガイジン≠ニの間に価値観のズレがあるのは、ある意味当たり前、ですよね」
「……ええ……」
「ジパングの、外の、世界では、何度も何度も戦争が、ありました。それは、利権を争うものも、ありましたけど、それだけ人と人の間に、価値観の相違があった、っていうことも、示してるんじゃないかと、思う、んです」
「それは……わかりますけど。あなたはなにをおっしゃりたいんですか?」
 レウもさっぱり理解できずセオの顔色をうかがうが、セオはごく落ち着いた表情で淡々と、心に沁み入るような声で告げた。
「俺は、ジパングと外の世界との間に、争いを起こさせるような――これまで外の世界で何度も繰り返されてきたようなこと、したくない、って思うん、です。ヤヨイさんは、そう思われ、ませんか?」
「………っ」
 ヤヨイは一瞬絶句した。セオの言葉は、確かにヤヨイの深いところに一撃を加えたのだ、とわかる。
「そ、れは……確かに、思いますが」
「そう、ですよね」
「……だからといって! 我らの国ジパングが清き地であり、あなた方ガイジンが無神経な慮外者であることには変わりがありませんよ!? あなたは私に、いったいなにをさせたいのです!」
「教えて、いただきたい、んです」
 セオのその声には、恐ろしく真剣な響きがあった。
「ジパングの人たちの、気持ち。なにを考え、なにを感じて、いるか。生贄という行為を、本当にどんな人も、当たり前だと、当然だと思っているのか。ヒミコという人の、ヤマタノオロチという神に対するいろんな人の気持ち。それらはみんな同じなのか、違うならどこがどう違うのか。それを、知りたい、んです」
「知って……どうしようと、いうのです」
「自分の行動を、決めます」
「その決めた行動が、ジパングの害にならないという保証がどこにあると?」
「はい、あるかないかで言われたら、ない、です。でも、俺なんかの言葉、信じられないと思うのは当たり前、ですけど」
 じ、とヤヨイを見つめ、どこまでも真摯な瞳で。
「俺は、ジパングの人たちも、やってきたガイジンにとっても、一番いい結末を探したい、と思っています。どうか、お力を貸して、いただけないでしょうか」
 そう言って頭を下げるセオは、やっぱりすごくカッコいいとレウの目に映った。

 ヤヨイはセオの言葉に気圧され、困惑しながらも、セオの質問に次々と答え語った。
「ジパングの民は、みな幼き頃より世界のありようを教わります。息子は父に、娘は母に。ジパングはその外に広がる世界すべてを支える清らなる地であり、我らジパングの民は常に身を清らかに保ち、おろちさまの贄となることで世界を支える礎とならねばならぬ、と」
「身を清らかに保つ、というのは、具体的には?」
「まず、生贄となりうる女は生まれてより十六の年を数えるまで破瓜の血を流すことは許されません。そも、血は穢れに通じますゆえ、月のもの以外で血を流すことも慎まねばなりません。むやみに血を流した者はヒミコさまに罰せられます」
「罰というと、どのような?」
「……私が生まれてよりそのような罰を受けた者はおりませんが、針の山を歩くような、あるいは炎の谷を流されるような、死よりも苦しい幻を見せられるとか……実際に血を流すことはありませぬが」
「それじゃあ、料理するのも、大変ですね」
「いいえ、そこまで穢れを慎まねばならぬのは、贄となる十六までの乙女ゆえ、家内のことはそれより年かさの女の仕事となっているのです。もっとも重い罪となるのは、贄の託宣が行われるより先に男と交わることで、そうした時はその男ともどもおろちさまのおられる不死の山の炎の中へ生きたまま投げ入れられます」
「…………。男の人は、身を清らかにする必要は、ないんですか?」
「むろん穢れは忌まねばなりませぬが、贄とはなれぬ者たちゆえ……外向きの仕事はすべて男に任せることとなっておりますし。禽獣の血を集落に持ち込まぬようにすること、禊をきちんと行うことといった則を守っていさえすれば罰を受けるようなことはありませぬ」
「……俺たち、ガイジン≠ニ接するような、役目の、男の人たちがいますよね? あの人たちはどういう人たち、なんですか?」
「ヒミコさまの宣託に従い、その御言葉を実行すべく手足となって働く方たちです。時によって名は変わりますが、今はおさめのつかさと呼ばれております。男たちの中でも特に知恵も力も優れた者が選ばれます」
「ガイジン≠ノ対する、ジパングの方たちの心証は、どういうものなんでしょう」
「どう……と申されましても、普段ほとんど関わることのない輩ですし、ただ清らなるジパングの民にとっては遠ざけるべき者どもとしか」
「滅ぼすべき、とか、そういうことは、思われて、ないんですか?」
「え!? いいえ、まさか! いかに穢れ醜く愚かな我らの犠牲の上にあぐらをかいて生を謳歌する者どもであろうとも、命は命、世をかたちづくるもののひとつです。滅びを願うは穢れを招くこと、ジパングの民にそのようなことを考える者は一人もおりません」
「とことん上から目線だな。どーしててめぇらがそこまでてめぇのこと偉ぇと思えるのか教えてもらいてーもんだ」
 フォルデが低く言うと、ヤヨイはカッと顔を赤くして怒鳴ってきた。
「あなたはジパングの民が天地のためにどれほどの犠牲を払っているかわかっていないのですか! 娘を、姉を、妹を、恋うる者を、たとえ世のためとはいえ贄として捧げて喜ぶ者がいるとでも!? 神が世界を創ってのちより千五百年、毎年欠かさず命を捧げてきたジパングの民に……!」
「ふざけんな。喜んでねぇんだったらとっととんなことやめりゃよかっただろうがよ。偉ぇ奴にそう言われたからだのそれが正しいことになってるからだの、そういう決まりだからだのってくっだらねぇ理由で納得いかねぇことをはいはいって受け入れてる奴ぁな、俺はただの馬鹿としか言わねぇんだよっ!」
「な……!」
「フォルデ」
 ラグに低く言われ、ふんと鼻を鳴らして視線を逸らす。ラグの言いたいことはよくわかっていた。フォルデにも、今ならば。
 実際に命を捧げてきた人たちにとって自分の言ったことはそれこそ凶器を刺されたような激痛を伴う代物だろう。よくわかっている。だが、それでも自分は言わずにはいられない――いや、言いたかったのだ。意味のないことで、ただ災難に耐えているだけで、自分たちは偉いと、特別だと考えるような輩は、フォルデにとっては軽蔑の対象なのだと。
 レウがこちらを見て、なにか言いたげに口を開いては閉じる、ということを何度かくり返していたが、フォルデは無視した。こんなガキにわざわざ自分から関わりに行ってやるほどフォルデは優しくない。
 なにより、自分は、このガキに対する怒りをまだ少しも捨てていない。
「……ヤヨイさん。ガイジン≠ニ出会ったら、殺す。これはジパングの、みなさんにとって、正しいこと、なんですよね?」
「……ジパングの民に、穢れを移すことを避けねばならない、のです。贄となるものにとつくにの穢れを移されては、おろちさまに、ひいては天地に穢れを移すことになりかねません。死をもたらすことは忌まねばなりませんが、世に穢れを満たすよりは」
「へ? 今俺らと普通に喋ってるのはいいの?」
「は! い、いけません、これでは私が贄の資格を失ってしまう……! ああ、そんな、どうすれば、ヒミコさまに申し訳が……!」
 急に取り乱し始めたヤヨイに目をぱちぱちとさせるレウに、フォルデは忌々しげに「間抜け」と囁いてからヤヨイに向き直ったが、なにか言うよりも早くセオがじっとヤヨイを見つめて告げた。
「ヤヨイさん。あなたにとっての、穢れ≠チて、なんですか?」
「は?」
 不意を衝かれたように目をぱちくりとさせるヤヨイに、セオは静かに訊ねる。
「あなたにとって、穢れ≠驍ニいうことが、ものすごく忌避感のあるものだっていうのは、わかっているつもり、です。でも、あなたにとって、穢れ≠ニいうのは、ただそれだけで語れる、ものでもない、ですよね?」
「そ……れは」
「それを、教えていただけないでしょうか。あなたにとって生贄とは、ジパングとは、ヒミコという方は、いったいなんなのか。どういう気持ちを抱くものなのか。あなたの中でどういう存在なのか。――それが、知りたいんです」
 セオは静かに、淡々として聞こえるような口調で、だがその底に確かな熱意を込めて告げた。

「……とりあえず、探れるだけのことは探ってきたぞ」
 陽も暮れようとする頃、ロンが――見かけの印象は普段のロンとは程遠いものだったが、とにかく小屋に戻ってきて告げた。袋の中から取り出した保存食で(火を使うと集落の人間に知られるかもしれないので)夕食にしていたレウたちは、勇んでロンを取り囲み問いかける。
「な、どうだった、どうだった?」
「騒ぎにはなっていなかったか?」
「あのヒミコとかいうババァ、なんか妙なことやってなかったか?」
「ま、少し待て。このままじゃ落ち着いて話もできん。……解=v
 言いながらぱちん、と指を鳴らすと、さっきまでロンを取り巻いていた妙に気安いというか、親しみのあるというか、そのくせ(自分たちは相手がロンだとわかっているのに)誰だったかうまく認識できない、という奇妙な雰囲気が霧散した。ジパングの人間に聞き込み調査をするため、ロンがかけていた呪文の効果だ。
 マヌチケローマ、というらしい。相手のにんしきのうりょくを狂わせるとかなんとか、要は相手に自分のことをごく親しい人間と思わせる(そのくせ誰だったかはっきりしたことは思い出せず、別れるとすぐに会ったことすら忘れてしまう)呪文で、ジパングの人間たちには当然ジパングの住人であるかのように見えているのだそうだ。
 これに加え心や記憶を読む呪文、姿を消す呪文、過去の情景を見る呪文なんかを駆使して情報を集めてきてくれる、と言った時はレウは驚きつつも(まさかロンがそこまで便利な奴だとは思っていなかった)、ロンに負担がかかりすぎるような気がして(相当強い呪文も大量に使うわけだから、魔法力もきついだろうし)「大丈夫?」と気遣ったのだが、ロンはごくあっさりと「千五百年も引きこもっていた奴らに捕まるほど間抜けなヘマを何度もやるつもりはない」と言って集落へと向かったのだが。
「ロン、大丈夫だったのかよ? 大変なこととかなかったか?」
 真剣にそう訊ねると、ロンはちょっと笑ってくしゃくしゃとレウの髪をかき回した。
「わ! な、なんだよー!」
「心配することはない、俺は大人の中でも相当に有能な方だ。目端も利くし頭も回ると自負している」
「そ、それはわかるけどさ。でも大変になる時はなるじゃん。そーいう時誰か仲間いたら助けに入れるけど、一人だったら駄目だろ?」
 ロンはくすっと笑い、ぽんぽんとレウの頭を叩く。
「ま、それはそうだがな。こういうのは得意な奴が一人でやった方が効率がいいことが多いのさ。二人だったら、慣れてない奴が下手を打った時そっちを助けるのに手を取られなきゃならなかったりするからな」
「う……それは、そうだけど」
「だが、お前がそうして気を遣ってくれるのはそれはそれで嬉しいぞ。ありがとう」
「……うんっ!」
 笑顔になるレウにうなずきを返してから、ロンは自分たち全員を眺めまわして訊ねる。
「セオは?」
「まだ下であの女と話してるよ。あんなボケ女となにをああも話すことがあるんだか」
 吐き捨てるように言うフォルデに肩をすくめたが、さして気にもしていない口調で言う。
「なら上がってくるまで待つとするか。……さて、ヴィスタリア嬢、ヴィンツェンツ殿、ヒューゴー殿。なにかご不自由なことはないかな?」
「……なんでてめぇがんなこと聞くんだよ」
「ん? 高レベルの人間として事件に巻き込まれた人間を気遣っただけだが、気に入らなかったか?」
「……別に、んなんじゃねぇよ」
 仏頂面でそっぽを向くフォルデにむぅっと頬を膨らませる。フォルデの奴、なんでいっつもこんな風に突っかかるんだろう。喧嘩するより仲良くした方がいいに決まってるのに。
 それにさっきから自分と目が合うたびにぎろって睨んでくるし。もちろんぎって睨み返してるけど、なんでこんな風に喧嘩売ってくるのか本当に、全然わからない。
 自分は、旅の仲間なんだし、フォルデとだって仲良くしたいって思うのに。
「ご心配なさらないでください。私たちは、大丈夫ですわ。もう戒めも解いていただきましたし、屋根のあるところで休めますし……」
「ハーイ! 私たちとても元気でーすねー!」
「ですが、お嬢様は本来最上級の寝室しか知らぬ方です。このような場所で寝泊りすることがお体にどのような悪影響を及ぼすことか……」
「ヴィンツェンツ!」
 か細い声で、執事のじいちゃんをきっと見て言うヴィスタリアに、ロンはごく軽く言う。
「そう怒ることはない、ヴィスタリア嬢。あなたのお体が弱いというのは事実なのだろう? 実際こんな小屋で寝泊りして、あなたの体に悪影響がないとは言い切れないわけだからな」
「……申し訳ありません……けれど、私、あなたたちの邪魔になりたくないんです。ただでさえあなた方の足手まといになってしまっているのに、これ以上足を引っ張っては……」
「……チッ。あのな……ヴィ、ヴィス、ヴィスタリ……」
「ヴィスねーちゃんさー、んなこと気にすることねーって! だって俺ら友達になったじゃん? 友達が困ってる時助けるのとか普通だって! 今度俺らが困ってる時に、ヴィスねーちゃんが助けてくれればいーんだしさー」
「……そう、ですね。ありがとう……レウくん」
「気にすんなって」
「……てめぇいい加減にしろよこのクソガキ……!」
「わっ! なんだよフォルデっ、放せよ、放せってばーっ」
 後ろから首を極められ絞められて、レウはじたばたと暴れた。全力で振り解いてやっと逃れられたが、理不尽な攻撃には納得がいかず唇を尖らせてフォルデを睨む。当然睨み返されるが、こっちも負けじと睨み続けた。
 ……別に喧嘩したいわけじゃないのになー、と心の中でこっそり思う。
 レウとしてはフォルデとだって仲良くしたいのだ。だって一緒に旅をする仲間なんだから。仲いい方が一緒にいて楽しいに決まってる。
 なのにどうしてかこっちに突っかかってくるので、仕方なくこっちも戦闘態勢に入ってしまう。あーあ、やだなー、と心の中でこっそり嘆息した。
 と、階段の下からゆっくりとセオが上がってきた。ヤヨイはまだ地下にいるらしく、姿が見えない。
「お、セオ……どうだった? 話は進んだかい?」
「えと……はい。ある、程度は……」
 そう言ってふ、と息をつく。セオは普段からそうだが、ひどく考え深げに目を伏せていた。
「どうした、セオ。あの女になにか妙なことでも言われたのか?」
「え……いえ。ただ、ヤヨイさんの思考が、ジパングの平均的な、女性のものだとすると、単純な、説得でジパングの方たちに、生贄行為やガイジン≠フ殺害を、やめてもらうのは、難しい、かもしれません」
「え!? なんでなんでーっ」
 思わず詰め寄るレウに、セオは落ち着いた表情で、困ったように首を傾げながら答える。
「ジパングの人たちの、思考の枠組み、っていうものが少しずつ、わかってきたんだ、けど……その人たちにとって、今の状況っていうのは、ある意味、受け容れて当たり前、のようなものなんだ、って思えて、きて……」
「えー!? なんだよそれ、わけわかんねーよ! 女の子が生贄とか、よくねーじゃんどー考えたって!」
「うん……でも、それは、俺たちが生贄のない世界で育ってきたから、そう思えることかもしれない、って思ったんだ。生まれた時から、十六歳の女の子の中から生贄が選ばれる、のが当たり前っていう世界で育ってきた人たちは、それについて疑問を覚えることが、そもそも、できない」
「え、だ、だって……生贄にされんのなんて、誰だってやだろ!?」
「たとえば……だけど。街や、国や、人を守るために、命を懸けて戦うっていうのは、俺たちの価値観の中でも、悪いことじゃない、よね?」
「え? う、うん……」
「そのせいで、命を失ってしまったと、しても。その人の行為は、英雄的行為と、讃えられることが、多い。ジパングの人たちにとっては、生贄っていう行為も、それと同じだと思うんだ」
「えー……? だ、だってさ、生贄とそういうのとは違うじゃん」
「どういう風に、違うか、わかる?」
「え……だ、だってさ、それってさ、そういうのは助かるかもしれないけど、生贄は絶対に助からないじゃん。なんていうかさ……そういう、なんかのために人が犠牲になるとか、だめだよ、絶対」
 必死に考え考え紡いだ言葉に、セオは真剣な顔で小さくうなずく。
「うん……そう、だね。でも、ジパングの人たちは、子供の頃から、そういうことが正しいって、教えられて育って、るんだ。清らかであること、穢れを避けること、生贄になること。それが正しくて、当たり前な世界で、俺たちの理屈で、話をしても、たぶん、相手の人たちには届かない」
「う、え、うー……」
 レウは頭を押さえた。セオがどういうことを言っているのか、難しくてよくわからない。難しいけれどもセオが真剣に言っているのはわかるので、たぶん大事なことなんだろうとは思うんだけど。
「……んなガキに説明してやったって意味ねぇだろ」
 ぼそり、と言ったフォルデに、レウはむっとしてぎっと睨み気味の視線を飛ばした。
「なんだよ、フォルデっ。いい加減にしろよなっ、いちいち喧嘩売ってきてっ」
「てめぇなんぞに喧嘩売るほどの価値ぁねぇよ。ただ心底ムカついてるだけだ」
「むっ、だからなんでムカついてるのか言えって言ってるんだろっ」
「言ってわかるんなら言ってやってもいいがな。てめぇにゃどうせ一生わかんねぇだろうよ」
「っ……! そーいう風に一人で勝手に決めてどうこう言うのやめろよっ。俺だっていろいろ考えてるんだぞっ」
「考えてる奴があんな馬鹿馬鹿しいこと言うか。てめぇの考えってのは要はただの反射だ。言われてることにただ反応してるだけだろうがよ」
「なっ……!」
 思わず立ち上がったレウの腕を、セオがきゅっと軽く握った。
「……セオにーちゃん」
 おそらく反射的に握ってしまったのだろう、セオはひどく困った顔でレウとフォルデを見比べていた。おろおろとした表情で二人の顔を見比べ、必死になにか言おうとしては口を閉じる、という行為をくり返すセオに、レウはむぅっと唇を尖らせながらも、また座り込んだ。
 セオにーちゃんに、やな思いさせるのは、嫌だ。そんな単純な理由で。
「……俺の方もジパングの生き字引やら歴史的名所なんかを探して探ってきたんだがな。実際ジパングの奴らを説得するのは難しいと思うぞ。このジパングって国は、千五百年の間本気で鎖国――人間を純粋培養してきたわけだからな。その純粋≠フ範囲から逸脱するものには、すべて拒否反応を示すだろうさ」
「じゅんすいばい……?」
「この場合は社会的に悪とされるものから隔離されて育てられることだな。ジパングの悪というのは知っての通り、穢れとガイジン≠ニ生贄から逃げることだ。普通の国にいればいろんな人間と出会っていろんな価値観を知って、少しは多様性のある人間が生まれてくるもんだが、この国の場合千五百年の間に本気で純粋≠ネ人間しか生まれないようにしてきてるから始末が悪い」
「鎖国、ね……けど実際どうやって鎖国なんてしてるんだ。俺たちだってこうして入ってこれたんだ、いくら資源らしい資源がなくたって侵攻の手が伸びたりすることもあっただろうに」
「結界が張ってあるらしい。ジパングに渡ろうとすると方向感覚を狂わされ、そもそもジパングに渡ろうとしていたことすら忘れ、ジパングの存在にすら気づかせない、そういう結界がな。だからこそこれだけ大陸の近くにありながら、ほとんど誰も渡ったことがない国であり続けられたんだ」
「……ふん。けど、俺たちは渡ったぜ? 他にも渡った奴らはいねぇわけじゃねぇんだろ」
「ああ。この手の結界はその強度にもよるが、ごくごくまれな確率でやってきた者を素通ししてしまうことがあるのさ。我々はその確率を引き当てた……か、誰かさんの恣意で通されたか。どちらかまでは知らんがな」
「誰かさん……って、誰だよー」
「さぁな。ジパングの結界を張った誰かなんだろうが。千五百年も保つほど強力、かつ島国とはいえひとつの国を覆うほど広範囲な結界だ。普通の存在じゃあないのは確かなんだろうがな」
「ふぅん……」
「……ま、ジパングという国の存在が広く知れ渡っているところから考えると、だいたい想像はつかないでもないが」
「へ? なに、なんつったんだよ、ロン?」
「いや、なんでも」

 それから少し話し合って、ヒミコへの対抗策が手に入る可能性を鑑みて、明日はヒミコの屋敷にフォルデが忍び込む、という計画を立てて、セオたちは眠りについた。もちろん、四交代制で見張りを立てながら。
 セオの見張り番は三番目だったので、最初は他の人たちと一緒に最初に眠りにつく。灯りもない室内という好条件、毛布に包まれて目を閉じればあっという間に眠りに落ちることができるくらいにはセオも旅というものに慣れている。
 ――そして意識を手放すや、セオは森の中に立っていた。
 驚きつつも周囲を見渡す。そこは森の中の広場だった。周囲はほとんどがみっしりと木々によって埋もれており、まともに通れる道がまるでない。暗い影に支配されている世界の中で、光が差しているのは後方の、木々がわずかに空いた小道のみだ。
 それを知り、セオは再び目を見開く。自分は、これを知っている。この光景を。見たことがある。以前、まだ旅に出てもいない頃に。
 思わずごくりと唾を呑み込み、ゆっくりと振り返り、光の差す小道を進む。道はすぐに開けた場所に出ていたが、そこにあるのは清水の流れ落ちる滝と星空、そしてそこに向け張り出したわずかな岩場のみだった。
 だが、セオは戸惑いもせず、ゆっくりと足を進めた。これからどうなるか、なにが起こるのか、なんとなくセオは理解していたからだ。
 はたして、すぐに声が響いた。
『勇者セオ……勇者セオ。私の声が聞こえますか』
「……はい」
 緊張しつつも答えると、うなずくような気配があって、それからまた声が響く。
『私はすべてを司る者。私はあなたに教えなければならないことがあるのです』
「教えなければ、ならない、こと……ですか?」
 セオのおずおずとした声にかまわず、その声は――旅に出る前夜、夢の中、ここと同じ場所で聞いたのと同じ声は、自分の性格を診断した時のようにきっぱりと告げた。
『ジパングの、ヤマタノオロチに生贄を捧げる行為は、本当に$「界を救っているのです』
 セオは大きく目を見開いて、硬直した。

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