ジパング〜ヤマタノオロチ――4
『……この世界にはいくつかの中心点と呼べる地がありますが、今あなたのいるジパングはそのひとつです。世界が世界として成り立つための、人体で言うならば急所となる場所。重要な働きをするがゆえに、幾重にも保護し護らねばならぬ場所なのです』
すべてを司る者≠フ声はあくまで淡々と、だがきっぱりとした声音で続けられた。
 おそらくは女性の声だが、ロンが使っていたような個体識別を阻害する術を使っているのだろう、どういう声と言えるような特徴は感じられない。
 だが、これはわかる。少なくともこの声の主は、自分が真実だと信じることを言っている。
『ヤマタノオロチは魔物ではありません。しかしジパングの民が言っているような、神≠ニもまた違う存在です。世界という機構を正しく運営するための安全装置のひとつ、というのが一番正しい表現でしょう』
「……世界というものが、まるでからくり仕掛けの品物のように言われている、気がする、んですが」
 小さく息を呑みこみながらの言葉に、声はごくあっさりとうなずくような気配を返してきた。
『そういった見方をすることも可能です。世界というものは創り出された法則にのっとり動くひとつの機構です。監督者のもと自らを効率よく動かすための機構をいくつも創り出しています――ヤマタノオロチもそのひとつ、ということです』
 その監督者≠ェ神と呼ばれるものなのか、とセオはちらりと考えるが、その言葉はあえて意識下に押し込め口を開いた。今はそれよりも先に聞かねばならないことがある。
「ヤマタノオロチに……生贄≠捧げることが、世界を効率よく動かすために必要だ、と?」
『そうです。むしろ、『世界を護るために必要だ』と言った方がより正確でしょう。ヤマタノオロチは生贄の儀式の日、ヒドラ族の魔物の変種という形で世界に表出します。そしてその際にジパングの十六歳の処女の血肉を生きたまま喰らう≠ニいう行為によって自らの機構の微調整を行い、同時に一年間作動するための力を蓄えるのです』
「……なぜ、微調整と一年作動するための力を得るための代償が処女の血肉でなくてはならないのですか」
『ひとつには、清らかな処女の血肉というものは呪術的にきわめて強力な代価≠ニみなされるからです。それこそ国ひとつ、世界ひとつを購うに足るほどに。いわば、きわめて効率のいい栄養源≠セと言えるでしょう』
「…………」
『もうひとつには、太古のジパング人たちの選択です』
「……選択?」
『ええ。かつて神々が世界を再構築した際、ジパングは最初に人間たちを降ろした土地でした。世界の歪みの中心点のひとつであるジパングには、管理者と、オロチに栄養源≠補給するための存在が早急に必要でしたゆえ。そしてその際、神々はジパングの人々に選択させたのです。いくつかの、彼らに苦痛を伴う選択肢の中から』
「……他には、どんな選択肢があったのか、お聞きしてもいいですか」
『清浄に育てられた牛百頭と清浄に育てた米で創った酒百樽。ジパング人全員が貧血を起こす程度の生き血。ジパング人全員の健康=Bジパング人がみな一生の中で必ず一度は片腕を喰らわれる――そんな選択肢の中から太古のジパング人たちは、一年に一人、十六歳の清らかな処女の血肉を捧げる、という方法を選んだのです。効率でいうなら実際、これ以上のものはなかったでしょうね』
「―――………」
 セオは一瞬目を閉じ、深く深呼吸をしてから、ゆっくり目を開けて問う。
「ヤマタノオロチがもし働くことができなくなったならば、どのようなことが起きるのか、お聞きしてもいいですか」
『世界の滅びが始まります。……いえ、むしろ滅びはとうに始まっていると言った方がいいでしょうが、その滅びへの歩みの速さを倍加させることは確かです。ヤマタノオロチの存在が消滅したならば、世界の時空断層間の連結が狂い……正確な時期を予測することは現時点では困難ですが、数年後か数百年後か、数千年後かもしれませんが、ジパングの地は海に沈み、その跡に時空陥没穴が生まれるでしょう。世界はその歪みを押さえきれなくなり、陥没穴へ向けて落ちて≠「くことになるはずです』
「……この世界は、すでに滅びに瀕している、ということですか」
『いつ滅びるかわからない、という意味においては、確かにそういうことです。世界という機構は自己の消滅を少しでも先にするべく、ありとあらゆる手段を用いて自己の存在を引き延ばしているのです。ヤマタノオロチもその手段のひとつ』
「………。この、俺たちが生きている世界≠サのものに、意思があるということ、でしょうか」
『実際に意思があるのかどうか、それを証明した存在はいません。ですが、世界にはヤマタノオロチのように、世界の存在を継続させるための機構がいくつも存在しているのは確かです』
「それは……魔王とは、なんらかの関係が、あるんでしょうか」
 その質問に声は数瞬沈黙したが、やがてゆっくりと答えた。
『無関係とは考えにくいでしょう。魔王の最終的な目的は世界の消滅です。のみならず、魔族というものは存在そのものが世界を混沌へ――消滅へと向かわせる存在。強大な魔族の存在に対抗するために、ヤマタノオロチが呪術的な栄養を蓄えるべくこれまでに処女を喰っていたとしてもなんの不思議もありません。……ただ、その因果関係を完全に証明した者は、いまだ存在していませんが』
「……そう、ですか」
 セオはゆっくりと深呼吸をして、じっと滝の前の中空を見つめた。声の主がどこに存在しているのかはわからないが、少なくとも相手の方を見ているということを改めて表すために。
「あなたは、なぜ、それを俺に教えてくれた、んですか?」
『なぜそのようなことを聞きたがるのですか?』
「ただ、知りたいと思う、だけです。答えたくなかったり、答えられなかったりっていうことでしたら、答えないでくださって、ぜんぜん、かまいません。――それでも、できるなら、知りたいんです。あなたが誰なのか。あなたはなぜ、なんのために、俺にそんなことを教えてくれるのか」
 そう言うと、声はまた沈黙した。今度の沈黙はさっきのものより少し長かったが、やがて静かに声が返ってくる。
『あなたに、希望を託せる可能性を考えたのです』
「え……きぼ、う?」
『ええ。勇者セオ・レイリンバートル。あなたは今、この世界において最も強い力を持つ勇者。あなたがもし、その力を正しく揮うことができたなら。真の勇者として世界を救うことができたなら。魔王を、世界に絡みつく幾重もの桎梏を断ち切ることができたなら。私たちは――』
「おいっ、いつまで寝てやがんだ、起きろセオっ!!」
 唐突に響いた声に、セオはばんっ、と床を叩いて跳ね起きた。
 ばばっと周囲を見渡す。そこに見えるのはジパングでは珍しい木造の小屋だった。おそらくは山で狩った獲物の血抜きなどをするための小屋で、ヤヨイを見張るための人間と、人が来るのを確認するための見張り以外は(ヴィスタリアたちも含め)、土の上に直接毛布を敷いてその上に寝ている(ジパングの小屋には予想通り床らしいものがなかった)。
 一瞬呆然として周囲を見やる。あれは、夢? ただの、自分しか見えない幻?
 いいや、と首を振る。あれは、違う。ただの夢とは明らかに違う。旅に出る前に見たものと同じ、普段の夢とは比べ物にならないほどの現実感をもって記憶に刻まれた、誰かの意思を感じる――
「セオにーちゃん、どーしたの? なんか、すごい顔してるけど」
 レウが近寄ってきて小首を傾げる。その仕草にようやく自分に周りの視線が集中していることに気づき、思わずカッと顔を熱くする。
 だが、首を振る。もし、あの夢が本当に誰かの意思によってもたらされたものだとするのなら。
「みなさん……お話、聞いていただいてもいいですか」
「ほう。セオがわざわざお話≠してくれるとは珍しいな。もちろん喜んで聞かせてもらうぞ」
「ニヤけてんじゃねぇよ気色悪ぃな! ……まぁ、確かに珍しいけどよ」
「なになに、セオにーちゃん、どーしたの? なんでも言ってよ、聞いちゃうからさっ」
「聞く前から安請け合いをしちゃだめだぞ、レウ。……それで、セオ。どうしたんだい?」
 ラグたちに笑顔(や、しかめっ面)を向けられて、セオは小さく奥歯を噛み締め力を入れてから、口を開いた。
「実は、さっきまで、夢を、見ていたんですけど……」

 話を聞き終わるや、フォルデはぽかんとしていた顔を大きく歪め、「……なんだ、そりゃ」と呻いた。
「……もしかしたら、ただの、俺の夢、かもしれません。でも、俺の、ものすごく当てにならないものですけど、感覚を信じるとするならば、ですけど、あれは、ただの夢じゃ、ありません。たぶん、誰かが、俺に、夢を見せた、んだと思い、ます」
「誰かって、誰だよ」
「それは、わかりません、けど」
「じゃあそんなもん普通の夢かどうかなんてわかんねーだろが! そんな話が、マジにあるわけ」
「いや……他者に自分の意図した夢を見せるという術は確かにある。俺も使おうと思えば使える。ただそれには、少なくとも直接会って、顔と名前を見知った相手でなければならんという制約がつくが……」
「っ、だからって! そんな馬鹿馬鹿しい話がマジにあるわけねーだろ!? 生贄捧げなきゃ世界が滅びるなんざ……それこそ、ヒミコだのなんだのそこらへんがお前騙くらかそうと思ってやったこっちゃねーのかよ!?」
「……もちろん、そうかも、しれません。嘘なのかも、しれません。でも、俺は、少なくとも、俺に夢を見せた人は、自分が、真実だと思うことを言っている、と思い、ました。こちらを騙そうと、いうのじゃなく。本当に、ただ、真実を……」
「冗談じゃねぇっ、んなこと信じられるかよッ!!」
 大声で叫んでだんっ、とフォルデは地面を蹴る。それをぎゅっと眉を寄せて眺めていたラグが、険しい声で呟いた。
「もし、それがセオに夢を見せた相手の思い込みというわけじゃなく、本当のことなんだとしたら……俺たちにはもう、どうしようもない事態ってことになるぞ」
「つまり、世界の滅亡と、少女一人の命と世界ひとつと、どちらを選ぶかという話になるわけだからな。答えは自明、というわけか……ふん、なかなか笑わせてくれる結論だな」
 ロンは嘲るような口調で言う――だが、その声の背後には、確かにこちらを焼き尽くさんばかりの怒りが満ちていた。当然だろう、なぜならこの話は、自分たちの、ジパング以外の世界の倫理を、それこそ嘲笑うような代物だからだ。
 ――レウは、話を聞いてからずっと、ぽかんと口を開けていた。セオの言っていることが、まるで理解できないとでもいうように。
 だが、仲間たちが全員沈黙した頃、おそるおそる、という感じで小さく訊ねてくる。
「セオにーちゃん……それ、ほんと?」
「俺が、そういう夢を見たのは、本当だよ」
「ただの夢とかなんじゃないの? ほら、セオにーちゃんがうっかり勘違いしたとか、あと夢見せた人が嘘ついてるとかさっ」
「もちろん、そういう可能性も、あるけど。俺の、感覚だと……もちろん俺の、感覚なんて、当てにならないものでは、あるけど、この話は事実だと、思う。たぶん、生贄を捧げなければ、本当に、いずれジパングは、海に沈むんだって」
「―――………」
 レウはしばし絶句し、それから叫んだ。
「なんで!?」
「……それは」
「なんでそんなのになってんの!? おかしいじゃん! 別にジパングの人たちが悪いことしたとかでもないんだろっ? なのになんで、生贄捧げなきゃなんて話になっちゃうんだよ!?」
「レウ、それは」
「変だよ、おかしいよ? 普通そんな話になるの、おかしいじゃんっ。普通なら、ヒミコとか、ヤマタノオロチとか倒せば、ジパングが救われたとか、世界が平和になったとか、そういうのになんなきゃおかしいじゃんっ。なのに、なんでっ」
「……やかましいクソガキッ! てめぇの甘っちょろい文句聞いてると苛々すんだよ、黙ってろ!」
 だん! とフォルデが小屋の壁を叩き、怒鳴る。その仕草にも、声にも、心底からの憎悪に近いほどの怒りが込められていたが、レウは一歩も引かずフォルデに向き直り怒鳴り返した。
「だって! じゃあ俺たち、生贄の人見捨てなきゃなんないのかよ!? そんなのおかしいだろ、違うだろ!? 俺はそんなの絶対にやだっ、だからこれまでなんとかしようって頑張ってたんじゃないのかよ!?」
「ハッ、まともに役に立つようなことひとつできなかったくせしてよく言うぜ! 結局てめぇはてめぇが大好きな『強くてカッコいい正義の勇者さま』ってのができねぇのが嫌で喚いてるだけじゃねぇのかよっ!」
「! そんなのっ……」
「世界がどんだけ汚ぇ反吐の出るようなもんかも知らねぇくせして、おきれいなとこから正論吐くのは楽しいよな。自分が正しいって思えることだけやってられるから、『ああ自分はなんて正しい人間なんだろう』なんぞとくっだらねぇ思い込み楽しめるもんな! けどな、世の中にゃあな、そんな風に自分がきれいだなんぞと思い込むことすらできねぇとこで生きてる奴らが山ほどいんだよ! んなこともわかってねぇくせして、正しいだけで生きられねぇことも知らねぇくせして、偉そうな口叩いてんじゃねぇっ!!!」
「………っ!!」
 ぐ、とレウは言葉に詰まった。顔が歪み、瞳が潤み、ぐうっとなにかを堪えるように奥歯が噛みしめられる。
 泣くのかと思ったのだろう、フォルデは一瞬怯んだような顔を見せたが、すぐにふんと鼻を鳴らしてレウを見下ろしてみせる。
「おら、どうした。泣くのかよ。さんざ偉そうな口叩いといて結局泣きゃあすむと思ってんのかよ」
「っ……」
「フォルデ」
「ガキはいっつもそうだよな、いっちょまえの口利きやがるくせして最後には大人に泣きつきゃあすむと思ってやがる。なんにも知らねぇ上に責任取る気もねぇくせしてぎゃあぎゃあ喚きゃことが済むってな! 結局最後は人頼みなくせして偉そうに喚くだけ喚いて――」
「フォルデ!」
「るっせぇ黙れこのクソガキにちったぁ思い知らせてやんなきゃ」
「苦しんでいる相手を上から感情的に責め立てるのが一人前の大人のやることか」
 ぐ、とフォルデは言葉に詰まった。ぎゅっと唇を噛みしめてそっぽを向く。その顔は険しく、わずかに頬が震えていて、フォルデ自身もセオが告げた事実に傷ついているのだと知れた。
 レウは涙目でうつむき、必死に感情の奔流を堪え抑えている――が、すぐにぎっと前を睨み上げ、叫んだ。
「なんとかしよう!」
「……は?」
「……なんとかってなんだ。なにをどうしようってんだ、具体的に言ってみろ」
「だからっ、ジパングの人たちが生贄を捧げなくてすむような、そんで世界も滅びないですむようなほーほー考えるんだよ! そうじゃなきゃダメだ!」
「てめぇ……いい加減にしろよ?」
「なにがいい加減なんだよっ!」
 ぎろり、とフォルデがレウを睨みつける。だが、レウも一歩も引かず睨み返した。
「なにが駄目だ偉そうなこと抜かしてんじゃねぇだったらてめぇはそんな具体案出せるのかよ! 実際に役に立つ案のひとつも出せねぇくせに喚くんじゃねぇ!」
「ぐ、ぐたいあんとか、ないけどっ……でもダメだ! なんか考えなきゃダメだ! このまま、ヤヨイさん見捨てて、ジパングの人たちにこれから先もずーっと生贄捧げ続けさせるなんて絶対ダメだ! そんなのおかしいし、ずるい!」
「なにがずるいってんだこの世間知らずの」
「だって! 生贄に捧げられる人は、世界終わっちゃうんだぞ!?」
「……は?」
 意味がうまく通じなかったのだろう、ぽかんと口を開けるフォルデに、レウはぎっと前を睨み据え、叫ぶ。
「生贄になった人、死んじゃうんだぞ!? その人には世界はもうおしまいで、たとえその人が世界助けてもその人の世界はもう、なくなっちゃって。そんなのダメだ、絶対にダメだ、おかしい! その人だけに世界終わらせて他の奴らは平気な顔して生きてるなんて、ずるい! だからっ、生贄の人も、世界も、どっちも救わなきゃ、俺たち勇者やってる意味がないっ!」
「なっ……」
 目を潤ませながらも、顔を赤くしながらも、真正面から言い切ったその姿に、フォルデは一瞬絶句し、それからぎっとレウを睨みつけて何事かまくしたてようとする――その前に、セオは手を挙げた。
「あの……すいません。ちょっと、よろしい、でしょうか」
「……っ、んっだよ」
「どうした、セオ。なにか気がついたことでも?」
「いえ、あの、気がついた、っていうか。……ジパングの人たちに、もう一度、問いかけてみたらどう、でしょうか」
「は?」
「乙女の血肉以外の方法で、ヤマタノオロチに、栄養を与える方法、取らないか、って」

 森の中を進んでいくと、以前見たのと同じ、茅葺きの竪穴式住居が立ち並ぶ集落が見えてきた。すでに隊列は組んでいたが、改めて並びを確認する。
 ラグが先頭を固め、セオが続き、ロンが中央で睨みを利かせ、レウがしんがりを務める。フォルデは小屋で、ヴィスタリアたちの護衛だ(この人選はラグの提言だ。『ジパングの人たちと喧嘩をするわけにはいかないからな』だそうなのだが、セオとしてはなぜフォルデが来ると喧嘩になるのかはよくわからなかった)。
 ほぼ完全に戦闘時の隊列と同様だが、実際セオは戦闘を仕掛けられる可能性はそう低くはないと判断していた。いわばジパング人たちの存在意義(と彼らが信じるもの)と真っ向から対立する提案をするわけだから、怒られない方がおかしい。
 普通の人間が喧嘩を仕掛けてもあしらえる程度の実力はつけたつもりでいるが、ヤヨイがおさめのつかさ≠ニ呼んでいた者たちは、なんでもヒミコの力と似た術を使えるらしい。ヒミコが力を分け与えるからだそうなのだが、どれだけ強い力なのかはわからないながらも厄介な相手には違いない。
 だが、それでも真正面から集落に向かわないわけにはいかなかったのだ。自分たちは、ジパングの人々とちゃんと話し合いをしなければならないのだから。
 集落の境界線になっている垣根を超える。周囲に見張りはいなかったが、ヤヨイから聞いていた集落の真ん中の広場に向かっていくと、何人もの男女と行き会った。その人々は一様に顔をひきつらせ、逃げ出していく。
 だが、集落の外、というかヒミコの屋敷へ向かう道の先へは進めないはずだった。あらかじめロンが防壁結界を張っておいたからだ。さらに言うならばそちらへは集落の中でどれだけ大きな音を出しても聞こえないよう遮音結界も張っている。まずはヒミコとではなく、ジパングを形作る一般の人々に話をすべきだと思ったからだ。
 会うたびに逃げ散る人々をあえて追わず、誰もいなくなった広場で、拡声と集音、声が重なっても聞き取れるように音声制御の呪文をかけたのち、セオは数度深呼吸してから、できるだけ落ち着いた声で告げた。
「ジパングのみなさん。俺は、先日、ジパングを訪れたガイジン≠フ、一人です」
 村の方々から悲鳴のような声が次々上がる。呪文を知らない人々にとっては、村中に声が響いたりヒミコの屋敷へと向かう道を進めなかったりというのはガイジン≠フ使う妖術にしか思えないのかもしれない。
 ジパングの人々に嫌な思いをさせてしまうことは唇を噛み破りたくなるほど申し訳なかったが、今はそれでも話さなければならないことがあるのだ。奥歯を噛み締めて続ける。
「俺は、今朝、誰にかは、わかりませんが、もしかしたらそれこそ、ジパングの神霊の方、かもしれませんが、夢で、告げられました。ヤマタノオロチは、世界を護るための機構のひとつ、だと。生贄の少女を、貪り食らうことで、世界の滅亡を、防いでいるのだ、と」
 ジパングの人々の悲鳴が止んだ。代わりに驚愕と困惑の呻きが聞こえる。ガイジン≠ェジパングの神霊から夢のお告げを受けたことか、改めて生贄制度が必要なことを思い知らされたせいかはわからなかったけれども。
「そして、同時に、こんなことを、聞きました。十六歳の、乙女を、生贄に捧げることは、太古のジパング人の方々が、決めたことであり、他の方法でヤマタノオロチに、栄養を与えることも、できる、と」
 一瞬の沈黙ののち、一気に村中がどよめく。ヒミコに注進しようとして集まってきたのだろうヒミコの屋敷へ向かう道の前(そして結界に阻まれて果たせず狂乱状態に陥った人々が集まっている場所)からは、「なにを言っているのだ」「我々を騙そうとしているのでは」と半ば喚くようにして言い合っているのが聞き取れた。
「俺が、聞いた限りでの、その方法を、お伝えします。『清浄に育てられた牛百頭と清浄に育てた米で創った酒百樽。ジパング人全員が貧血を起こす程度の生き血。ジパング人全員の健康=Bジパング人がみな一生の中で必ず一度は片腕を喰らわれる』――他にもあるのかもしれませんが、俺の聞いた選択肢は、以上です。これらの中から、神が世界を再構築した際、最初にこの地に降り立ったジパング人の祖である方々は、乙女の血肉を捧げることを、選択なされたのだそうです」
 どよめきがさらに大きくなる。いかにも呆然としたような吐息を漏らす人間が何人もいた。それはそうだろう、ジパングの人々はこれまで『十六歳の乙女を生贄に捧げる』という行為を絶対避けえぬものと思っていたのだ。天災と同じ、あって当然の、避けることのできないものと。
 今、そこにセオは、選択肢を提示したのだ。
「もちろん、これが事実だという、証拠はありません。けれども、事実でないという、証拠もありません」
 ジパングの人々はみな喚き、どよめき、呻き、叫んでいるが、それでもセオの声は耳に届く。そうなるように呪文をかけておいたのだ。
 これはセオの押しつけにすぎないのではないかと煩悶もしたが、それでもセオは言ってしまった。だから否応なしに、ジパングの人々はセオの言葉について考えなければならない。
「もしかしたら、巫女である方にお伺いを立てれば、改めて他の方法を提示されることも、あるかもしれません。そこで、どうか、お聞きしたいのです。『十六歳の乙女を生贄に捧げる』以外の方法で、ヤマタノオロチに栄養を与えることを選択されるおつもりはありますか。おありでしたら、今、俺に告げてください。俺は広場にいます。そこまでいかずとも、呟いてくれれば聞き取ることはできます」
 ここで言うべきことを言い終えて、セオは口を閉じた。耳にはジパングの人々の声が次々飛び込んでくる。
「なにを言ってるんだ、あのガイジンは」
「嘘に決まってる、ヒミコさまはそんなこと」
「でももし本当だったら」
「いやだからといって他の選択肢なんて」
「ヒミコさまにお伺いを立てなければ」
「だからそのヒミコさまにお伺いを立てるかと言ってるんだろう」
「もしご機嫌を損ねれば」
「このようなことを話していること自体ヒミコさまのご神罰を」
 困惑、混乱、憤激、希望、恐怖、不安、絶望。ジパングの人々からさまざまな声が発される。セオはその言葉をあまさず聞き取り記憶し、考えながら、待った。
「……セオ。大丈夫かい」
 ラグが小さな声で訊ねてくる。セオは思わず目を見開き、こくこくとうなずいた。
「は、はいっ、あの、大丈夫ですっ、本当にっ」
「……なら、いいんだけど。無理は、しないようにね」
「はい……」
 無理は、していない。というより、無理などできるはずがない。
 自分はまだなにも始めていない。すべきことをしていない。なにをどうするのが本当に正しいのか、決めることすらできていないのだから。
「……なかなかこねーなー、ジパングの人。セオにーちゃんが話してから何分も経ってるのに」
「まぁ、絶対だと思っていた常識に亀裂を入れられたら、数分やそこらで復活することはなかなかできなかろうよ。今もぎゃあぎゃあ喚きながら喧々諤々しているか、狂乱恐慌状態に陥っているかしているようだし」
「え、なんでロンがんなことわかんの?」
「俺だって集音と音声制御の呪文くらい使える。……長くかかりそうだな」
 ロンの言葉通り、ジパングの人々の議論は長くかかった。ガイジン≠フ言葉など信じるに値しないという人間、乙女を生贄に捧げることはヒミコさまがお決めになったことなのだから疑いを差し挟むこと自体不遜だという人間。
 そして、本当に他に選択肢があるならばヒミコさまにお伺いを立ててみるべきではないかという人間も確かにいた。おそらくは娘を持っているか、想い交わした娘がいるであろう年頃の人間が多く、強い口調で他の人間を説得にかかっている。
 けれど、それに対しさらに強い口調で反発する人間も多かった。おそらくは生贄として家族を、想い人を捧げたであろう人々が、目を血走らせ憤怒の表情を浮かべているのが見えるような口調で、生贄を捧げるのはジパングの人間の義務であり、それから逃げることは許されない、そんなことを考えること自体ジパングの者の恥だ、と叫ぶ。
 そして何人かがおずおずと、「他の選択肢もろくなものではない」というようなことをこっそり口にしている。それだけのものを奪われるのであれば、いっそこのまま乙女を生贄として捧げ続けた方がいいのではないか、と。
 そんな喧々諤々の議論を聞きながら、セオはラグたちと共に小半刻ほど広場に立ち尽くしていたが、やがてロンが呟いた。
「あちらさん、動いたぞ」
 さっと空気が緊張する。あちらさん、というのは普段はヒミコの屋敷に詰めているらしいおさめのつかさたちだと言わずともしれているからだろう、聞き返しもせずラグが口早に訊ねた。
「数は?」
「せいぜいが二、三人というところだ。おそらくまだ怪しまれてはいない。単なる見回りかなにかだろう――が、あいつらがこちらに来れば、ヒミコが動くのは確実だぞ」
「…………」
 レウが眉を寄せ、ううぅと唸りつつ考え込む。なんとか現状を維持しつつヒミコに気づかれないようにする方法を考えているのだろう。
 だがセオは、そんなレウに申し訳ない気持ちを抱きながらも、告げた。
「それじゃ、予定通りに」
「ああ」
「わかった」
「……うん」
 うなずく仲間たちにこちらもうなずきを返して、セオは拡声の呪文をかけ直して告げた。
「みなさんの結論は、まだ出てらっしゃらないようなのに、大変、申し訳ないのですが、刻限が来てしまいました。我々は、これから、この場所を、退きます」
 安堵とも困惑ともとれる声が響く中、セオは続ける。
「我々は、ヤマタノオロチのところに向かいます。ヤマタノオロチと、できるならば、話を、するために。それが許せないと、いうことならば、止めにきてください。けれど、その時は、自分がなんのために、俺たちを止めるのか、きちんと、自覚して、胸を張れるだけの理由を、考えてやってきて、ください」
 一瞬の沈黙ののち驚愕と混乱の叫びが響いたが、セオは集音の呪文を切って踵を返した。ラグたちがそのあとを追ってくるが、ラグがすぐ後ろを歩きながら、また小さな声で訊ねてくる。
「……本当に、大丈夫かい、セオ」
「……はい、大丈夫、です」
 自分などのできることは本当にわずかだとわかってはいるけれど、やってみなければと――そのくらいしか自分にはできないのだからと、そう誓ったのだから。

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