ジパング〜ヤマタノオロチ――5
 ずばっ、という音を立てて豪傑熊を斬り倒し、周囲の様子を確認して、とりあえず敵はいないということを確信してから、レウは大声で叫んだ。
「あっちぃーっ! この洞窟ん中、なんかもうめっちゃくちゃ暑ぃよぉーっ」
「愚痴ってんじゃねぇ、クソガキ。暑い暑い言ってたら余計に暑くなるだろが」
 ぱたぱた必死に喉元に風を送るレウの横で、フォルデもあからさまに暑そうな顔でぼそりと言う。レウの装備は革の鎧の上に鋼の鎧で要所要所を補強したというものなのだが、それでも相当暑いのだから、黒装束を身にまとったフォルデも相当暑いのだろう。
 だがそれを言うなら魔法の法衣を身に着けたロンも暑いはずだし、魔法の鎧をしっかり着込んだセオとラグなんて気絶するほど暑いはずだ。確かにぐちってちゃダメだよな、と気合いを入れてセオたちの様子をうかがうが、セオたちは特に暑そうな顔すらしていない。うわぁ、と感心すると同時に気を遣ってしまい、余計なお世話かと思ったが訊ねてしまった。
「セオにーちゃんたち、そんな鎧着てて、暑くないの……?」
「……えと、うん。俺たちは、ヒャドチルっていう、弱冷気の呪文を、かけてるから」
「え! そんな呪文あるのっ、じゃー俺たちにもかけてくれよっ、ロンっ」
「いや、それは無理だな」
「なんでー」
「俺たちの装備は素材の段階から魔法がかけてあるからな。こういった呪文の効きがいいし、効果時間も長くなる。お前らの装備だとすぐ冷気が逃げてってしまうから、何度も何度もかけ直す羽目になる。さすがにそれだと魔法力の無駄だ」
「そっかー……それじゃーしょーがないかー、くそー」
「心配せんでもいよいよという時になったらきっちり気合を入れてかけてやるさ。今はまだ熱さの元からはわりと離れてるからな」
「……どこがだよ。ほとんど目の前に溶岩がぐつぐつ煮えたぎってんじゃねぇか」
 フォルデがぼそり、と呟いた言葉だったが、こればっかりはレウも同感だった。レウたちの歩いている道はヤマタノオロチの住む(ジパングの人たちが言うには)聖なる山――不死山の中腹から山の内部へと向かうものだったのだが(弥生にあらかじめ聞いておいた道をフォルデが鷹の目で見つけたのだ)、螺旋状に山内部を下っていく道の広さは変わりなくても、底の方近くになってくると、今のように溶岩が歩く道の横に普通に湧いているのだ。
 溶岩というものをレウは初めて知ったのだが、火山やそれに連なる山並みの底にはこれが人の体でいうなら血のようにすみずみまで張り巡らされており、いつ何時山から吹き出てもおかしくないという。そんな物騒なものが村の近くにあってよくジパング人たちは平気だな、と思ったが、ロンがいうにはそんなことは別に珍しくないらしい。
「めったに起こらない脅威に対処するより、日常生活の中で些事を片付けてそれで足れりとするなぞ、どこにでもある考え方さ。山賊が村の近くにいることを知りながらこちらにはこれまで手を出してこなかったからと無視したり、国の上層部が腐敗していることを知ってもとりあえず自分たちの生活には関係ないと酒を飲んで愚痴るだけで済ませたりな」
「ふーん……」
 よくわからなかったが、とりあえずこの不死山という山が噴火する様子はない、ということだったので気にしないことにした。この暑さには難渋していたが、その程度で足を止める気などさらさらない。
 だって、自分たちはヤマタノオロチを倒しにこの洞窟に潜っているのだから。
「俺たちが、投げかけた問いに、ジパングの方たちが、時間内に反応、できなかったら。俺は、ヤマタノオロチの住む、洞窟へ向かいたいと、思っています」
「……ヤマタノオロチを倒すためかい?」
「それは、わかり、ません。できれば、ヤマタノオロチと、話をして……俺に、夢を見せた、人が言っていたことが正しいか、確かめたいと、思います」
「確かめて……それから、どうする? もし本当にヤマタノオロチが生贄を食う行為が、世界を利しているとしたら」
「……まず、それを決める権利は、誰よりもジパングの人たちにある、と思います。これまでずっと、ジパングの人たちの言葉が正しいならば、千五百年間、ヤマタノオロチに家族を、あるいは友人を、恋人を捧げてきたわけです、から」
「……は。お前それ本気で言ってんのか。ジパングの奴らってなぁみんなあのアマみてーな性格してんだろ? 急にヤマタノオロチどうこうしようって話持ちかけたって断られるに決まってんだろーがよ」
「……はい。ですから、俺は……まず、ヤマタノオロチに訊ねたいと、思います。自分の境遇をどう、思っているのか。なにを考え、なにを求め、なにを為したいと考えて存在しているのか」
「えー、けどさー、ヤマタノオロチって、魔物なんだろ? 話しかけようとしても襲ってくんじゃないの? その時はどーすんの?」
「その時は――」
 ヤマタノオロチ倒す、って言ってくれたもんな、とレウはこっそり腕に力を込める。なんかいろいろ難しいこと言ってたけど、そういうりかいで問題ないってロンが言ってたから間違いないはずだ。
 絶対倒してやるからな、ヤマタノオロチ、と進む道の先を睨みつけて気合を入れる。神様っぽい奴だろうがなんだろうが、イケニエ要求するような奴はぶっ倒すのが当たり前だ。なにせ神様っぽい奴なんだから強いだろうけど、そんな奴らに勝つためにこれまで俺は頑張ってレベル上げしてきたんだから。
「こら、レウ。いつまでも突っ立ってないで、早く先に進むぞ。いくらすぐそばじゃないからって、ここまで溶岩が続いてるんだ、のんびり歩いてたら輻射熱でぶっ倒れちまう」
「あ、はーい! ……ふくしゃねつ、ってなに?」
「辞書的に言うなら、ある物体から放出され他の物体に吸収されてその温度上昇に使われる熱。わかりやすく言うなら熱いものの近くにいたら暑くなってくる、ってことだな」
「あそっか、なるほど、そーだよな。ラグ兄もロンも頭いいなー」
「……てめぇの頭が悪ぃんだよ。そんくれーどんな奴でもフツーわかる」
 レウはむぅっ、と唇を尖らせる。唯一の不安要因というか、自分たちパーティの弱点のように思っているのはフォルデとの関係だ。フォルデはなんだか知らないがずっと自分を敵視してきているし、何度も何度も喧嘩を売ってくる。自分としては仲良くしたいのにだ。これがいつまでも続いたら、戦いの最中でも喧嘩になっちゃいそうで頭を悩ませずにはいられない。
 ったく、大人ぶってるくせにしょーがない奴だぜ、と内心こっそりため息をつきつつ歩を進める。豪傑熊、大王蝦蟇、溶岩魔人と暑苦しい敵が次々出てきたが、はっきり言って自分たちの敵ではない、こちらも次から次へと斬り倒して進んだ。
 洞窟を深く、深くへと進んでいき、奥に祭壇らしき場所を見つけた。そこが生贄を捧げる場所なのだろう、大きく広がる溶岩の海を背景に、人一人がちょうど乗るくらいの大きさの台があり、その側面から鎖が伸びていて、先端に手と足を繋ぐものだろう青銅の輪がついている。
 思わずぐ、と奥歯を噛みしめる。怒りで目の奥がちかちかした。ジパングの奴らの言ってたことが正しいなら、ここで千五百人もの人間が殺されたのだ。そんなの、絶対許されることじゃない。
 セオも痛ましげに顔を歪めたが、小さく祈りを捧げてから祭壇をあれこれ調べ始めた。ロンも同様になにやら唱えたりじろじろ見たり探ったりと妙な行動を取り始める。なにやってんだろ、とラグに(直接聞いたら邪魔になるかと思ったので)訊ねる。
「ねーねーラグ兄、セオにーちゃんたちなにやってんの?」
「……お前、ここに来る前の作戦会議、ちゃんと聞いてたか? ヤマタノオロチは生贄の儀式の日に出てくるっていう話だっただろ?」
「えっと……そーだっけ?」
「そうなんだよ。で、生贄の儀式の日っていうのは明後日で、今日じゃない。まぁ、だからこそ今俺たちがこうして動いてるわけでもあるんだけど」
「? ? ? ……どーいうこと?」
「だから、セオとしてはヤマタノオロチを降霊の儀式みたいな形で呼び出して話を聞きたいんだって言ってたじゃないか。ヤマタノオロチがどういう仕組みで動いてるかっていうのを調べれば、もっとジパングの人たちに対する負荷を軽減させることができるかもしれない、って」
「え……え? そんなこと言ってたっけ?」
 正直、ヤマタノオロチを倒すという話が出てきてから、そっちの方に気合が入りまくって他の話が頭に入ってなかった。
「笑わせてくれるぜ。まともに作戦会議の内容も覚えてねぇで、よくまぁパーティの一員だなんぞと言えたもんだ」
 フォルデにこちらを見もせずに言われむぐっ、と言葉に詰まる。腹は立ったしなにか言い返してやりたくもあったが、実際全然覚えていなかったわけだからさすがにここは言い返せない。
「で、ヤマタノオロチをうまく呼び出せたにしろできなかったにしろ、ここで情報を得つつ、追ってくる奴らを待つ、って」
「え? 追ってくる奴らって……誰?」
「阿呆かお前。ジパングの奴らにゃ天地が引っくり返るような話ぶっちゃけといて、もうすぐヒミコの手下どもが来るって時にジパングの奴らに堂々とヤマタノオロチの洞窟に行くっつったんだぜ。普通に考えりゃ追ってくるだろうがよ、手下どもがよ」
「あ……そっか。えっと、それじゃそいつら倒すの?」
「だから、即座に物騒な方向にいかない。……まぁ、最終的には倒すことになるかもしれないけど、極力傷つけないように、もちろん殺すなんて厳禁だからな」
「えっと……なんで? っていうか、なんでわざわざ待つの? 手下の奴ら」
「まずは話し合って、相互理解を試みる。それを向こうが拒んで攻撃してきたら、倒して捕まえてそれをジパングの集落へ連れて帰って、ジパングの人たちの常識を覆す一助にする。そうして、生贄を捧げるっていうのが絶対にしなければならない行為じゃないんだ、とジパングの人たちに理解させて、とりあえず生贄の儀式がうまく進まないくらい集落の状態を揺らがせる」
「………え、えと、なんで?」
「……あー、なるほどな。こいつの頭じゃセオの話が理解できねーわけか。理解できねー話は頭に入らねー、納得いったぜ」
「フォルデ。……セオはとにかく、ジパングの人たちの常識を、それが本当に正しいことなのかどうか考えてもらおうとしてるんだよ。今後ジパングって国をどう動かしていくか決めるのは、やっぱりジパング人たちなんだから」
「で、考えるだけの時間を稼げるよう、ヤマタノオロチという存在を抑える役目を俺たちがやろう、ということだったんだが、な」
「……ロン。どうかしたのか?」
 祭壇を調べるのをやめ、こちらに歩み寄ってきたロンにラグが訊ねると、ロンは疲れたような顔で首を振った。
「駄目だ。歯が立たん。一応そういう機構がこの火山の底の場≠ノ存在することはわかったが、俺程度のレベルではそれをどうこうすることはとてもできん。護りが固すぎる上に構造が複雑すぎる」
「え! そーなのかっ、それじゃーえっと……それって、まずくねぇの?」
 いまひとつ自信のない声で問いかけると、ロンは渋い顔でうなずいた。
「まぁ、まずいな。一応予測していたことではあったんだが……これまで俺の探査網に引っかかりもしなかった代物を場≠ワで来たからといってすぐにどうこうできるわけがない、と。だがこうも歯が立たないとなると……情報を引き出すことすらできなさそうだ」
「……セオはどうなんだよ。まだなんか調べてるけど」
「セオの使う魔法は勇者の魔法だ。勇者の魔法は法則を創り出してしまう代物だからプロテクトだなんだって話は無視できるだろうが……その分継続的な魔法の構築はおっそろしく大変だからな。ひとつのシステムを創り出すだけの労力がかかるわけだから。無理やりシステムに介入したらシステム自体を……この場合はヤマタノオロチとその働きを、すべて再起不能にしかねん。思い通りに動かすのは難しいと思うぞ」
「うー……難しい……えと、じゃー、どーすんの?」
「まぁこの結果も予想の範囲内ではあったからな、追っ手を捕まえて、やりたくはないが集落まで行って民人の前でヒミコに直談判だな。ヒミコが法則を変える力を使えないように俺たちの全力で押さえ込むしかない」
「そっか! ヒミコをぶっ倒せばいいんだよなっ!」
「違うから。ぶっ倒したらジパングの人たちが狂乱状態になるだろ? 俺たちの目的に相反する結果を呼び込んでどうするんだ」
「え……目的、違うの?」
「うーん……なんていうか、セオはジパングの人たちが自分で考えて結論を出してほしいと考えてて、そしてそれはそれとして生贄制度を放っておきたくはなくて、だからできればジパングの人たち自身に生贄制度を放棄してほしいと思ってるけれどもそれが果たせなければヤマタノオロチを生み出す法則自体を――」
 ラグがそこまで説明した時、セオがばっと自分たちの方を振り向いた。それより一刹那遅れてレウたちも自分たちの後方になにか≠ェ生まれたことを悟り素早く振り向いて武器を構える。
 最初に聞こえてきたのは、巨大な獣のような大きく荒い息遣いだった。これまで聞いてきたどんな魔物のそれよりも大きくゆっくりとして、そのくせこちらを圧する迫力のあるその呼吸は、ゆっくりとこちらに近づいてきて周囲の気温を上げる。
 その吐息は、そこにあるだけで炎の熱気を生み出すのだ、とレウはなんとなく感じた。熱気に満たされた火山の火口の中だというのに、それとは比べ物にならない業火の熱さがはっきりと感じ取れる。
 そしてずしん、ずしんと大地を揺らす足音。これまで見たことのないような巨大なものが近づいてくるのだと嫌でもわかった。それ≠ヘゆっくりと洞窟の奥からこちらへとやってきて、視線を遮っていた岩壁からのっそりと姿を現す。
 とたん、確信した。
「……ヤマタノオロチ」
 ムオルで一番大きな家よりもまだでかい、見上げれば首が痛くなるほどの巨体を鱗に包んだ姿。四足と尻尾を持ちながら、通常の生物にはありえない八本もの長い首にはすべて炎をぽっぽと吐き出す巨大な頭がついている。鋭い牙、巨体を悠々支える手足と爪。それは明らかに普通の生物ではなく、それどころか普通の魔物ですらなかった。
 格が違う存在。桁が違う存在。そういうものが今、目の前にいる―――
「〜〜〜〜っ」
 レウはたんたんたん、と小さく跳んでから、しゃりん、と剣をヤマタノオロチに突きつけた。
「セオにーちゃんっ! こいつ、みんなで頑張ってやっつけよーぜっ!」
 思いきり気合が入ってきた。今までに見たことのないような強い敵。そんな相手に自分の力を試せると思ったら、わくわくどきどきしてしょうがない。
「あんまり調子に乗るんじゃない。こいつはこれまでの魔物とは明らかに違う――慎重になった方がいいぞ。それに第一本来なら明後日にしか現れない相手が現れたってことは、なにかの突発事故が起きたってことなわけだし」
「まぁそれには同感だが、調子に乗っている相手に横から忠告しても意味はないと――」
 そこまで喋って、ロンは唐突に切迫感のこもった声で叫んだ。
「散れっ!」
 その言葉に反射的に全員ばらばらに散らばるより早く、巨大な鞭のように伸びた炎がレウたちのいる場所を薙ぎ払った。いや違う、炎ではない、熱閃だ。今までに何度も見たことがある、ギラ系呪文の中でも明らかに違う、ロンが戯れに試射してみせたのと同じ、いやそれ以上の威力のあるこの熱閃は――
「ベギラゴンっ!?」
 熱閃が肌を焼く激痛に耐えつつ散開しながらも叫んで五感のすべてを使って発射元を探る。ベギラゴンが撃ち込まれたのはヤマタノオロチのすぐ隣から、そちらを探れば誰が撃ったかすぐ分かる。
 ――はずなのに。
「………!? 誰も……いねぇ!?」
 フォルデが叫ぶ。レウも目を大きく見開いて固まってしまった。レウの感覚は間違いなくそちらから撃ってきたと感じているのに、そこには誰も、影すらも存在していない。そう見えるというだけでなく、音、匂い、空気の流れ、気配、そんな感覚すべてを使って探ってもなにもいないようにしか感じられないのだ。
「っ……まさか、これは……っ」
「心当たりがあるのか、ロン!?」
「……結界障壁の向こうから攻撃呪文を撃ちこんだ、だと? なんだそれは、どれだけの技術があればそんなことができるんだ、人間業じゃない……ということはまさか、人間じゃない、のか?」
「! また……っ」
 またもベギラゴンが撃ち込まれる。こちらは散開していたというのに、一人一人を舐めるように熱閃が追いかけてきて焼き焦がす。レウはぐっと奥歯を噛みしめてから、「癒しよ……!=vとベホマラーを唱えた。
「くそ……まずいぞ、これは。向こうに、桁外れの呪文使いがいる」
「呪文使い!? なんだよそりゃっ、なんで誰もいねぇのに呪文だけ飛んでくるんだ!?」
「自分の周りに気配すら完璧に封じる封鎖結界障壁を張って、その向こうから呪文を使ってるんだ。本来なら絶対できるこっちゃない、鉄の箱の中から外の人間を殴り倒すみたいなもんだ。少なくとも俺よりは数段上のレベルにいる、そんな奴がこっちに攻撃呪文使ってるんだよ!」
「なんとか居場所探れねぇのか、お前賢者だろ!?」
「やれるならやってるが探れる自信はまったくない! しかも気配すら遮断してるってことは物理的にもほぼ完全にこちらと断絶してるってことだ、武器だろうが呪文だろうが普通の攻撃は届かない!」
「……っ……なんか方法ねーのかよ!?」
「今必死に考えてるところ……!」
 ずぅぅんっ、ごばぁぁあっ!
 ゆっくりと近づいてきていたヤマタノオロチが、深く息を吸い込んだと思うとその八つの首から一斉に炎を吐き出した。散開していたにもかかわらず、上方八方向から放たれた炎は自分たちをの体を存分に焼く。
 さらにヤマタノオロチはゆっくりとこちらに近づき、八本の鎌首を持ち上げて攻撃体勢らしきものを見せた。どうやらヤマタノオロチの方も、こちらに対する敵意は満点らしい。
「チッ……どこのどいつだか知らねぇが、ヤマタノオロチとつるんで攻撃かよ……面倒なことしやがって」
「どうする。撤退するか」
「あのでかぶつが戻る道を塞いでいる以上難しいと思うがな……つっ!」
 そんなことを話している間もベギラゴンは何回も飛んでくる。レウはベホマラーを何度も唱えて傷を癒すが、腹の中はそれこそ溶岩のように煮えくりたっていた。
 この野郎、なに考えてやがんだ隠れて呪文攻撃してくるなんて卑怯者め。しかもヤマタノオロチとつるむなんて卑怯すぎる。目の前に出てくるんだったら絶対全力で叩きのめしてやるのに。絶対、こんな奴には、負けたくないのに――
 と、すっ、とセオが前に出た。ごく静かな、一瞬気配を感じそこねてしまうくらいの落ち着いた足取りで。
「……セオ? 君は」
「ヤマタノオロチは、俺が、なんとかします」
 その言葉に、思わず全員目を見開く。
「な、なんとかって……お前、なにする気だよっ、まさかまた妙なこと考えてんじゃ」
「神経系からヤマタノオロチの脳髄に接触して、読み≠ワす」
『は……?』
「って、セオ。まさか君、この状況でヤマタノオロチと対話しようとかいうんじゃ――」
 ラグの唖然としたような声に、セオは目を伏せながらも小さくうなずいた。
「今しか、ないと思うんです。ヤマタノオロチが、どういう存在なのか、知るには。身勝手で……本当に、自分勝手だと、わかっていますけど……現在の状況を、少しでも、改善するための手は、それしか」
「……姿どころか気配も消してベギラゴン連打してくる奴はどーすんだよ。ぶっちゃけ、命も危ねぇ状況だろうが、今っ」
 そんなフォルデの言葉に、セオはきょとんとした顔になった。なんでそんなわかりきったことを聞くんだろうというような、不思議そうな。
「だって、それは。みなさんが、そちらに集中して戦えば、簡単に対処できるでしょう?」
『…………』
 思わず全員、一瞬ぽかんとしたような顔になった、と思う。
 が、すぐにラグは苦笑した。
「まぁ……そこまで信頼されちゃったら、こちらも信頼して送り出さないわけにはいかないか」
 ロンは飄々と肩をすくめる。
「まぁ、ヤマタノオロチの魔物としての力は今の俺たちなら楽に勝てる程度のものだしな。問題はなかろう」
 フォルデがにやり、と笑んで。
「そこまで言うんだったら、てめぇの仕事きっちりやんねぇと承知しねぇぞ。――行ってこい!」
 ぱぁん、と背中を叩くのに、飛び上がるようにセオは駆け出していく。レウはどうしようどうしようと(セオにーちゃん抜きで大丈夫なのかとかセオにーちゃん一人で大丈夫なのかとかこういう時なんて言えばいいんだろうとか)迷ったが、ええい! と気合いを入れて(だって自分だけなんにも言えないんじゃあまりにみっともない)、駆け出すセオの背中に自分の語彙の中で一番マシなものを叫んだ。
「セオにーちゃん! 頑張れーっ!」
 一瞬セオが小さくうなずくのが、後ろから見えた気がした。

 セオは走りながらヤマタノオロチを観た。体長約十丈、それも以前に見た竜種のように細長いのではなく、どっしりとした四足の体と八本もの長い首を持っているのだから、体積と重量は相当なものがあるだろう。
 だがそんなものはまったく問題ではない。やろうと思えば――欠落≠オ、心と体の枷を外せば十数秒で相手を消滅させるくらいならばできただろう。
 けれど、今そんなことをする意味はないし、なによりも許されていない。
 自分の背中を見ている人がいる。こんなにも愚かで、間違いだらけの、潔さのかけらもない自分を『正しい存在だ』と信頼を込めて見つめる視線がある。
 ならば自分は全力で、体の血がすべて流れ出ようとも、少しでも自分の正しいと思うことを、死力を振り絞って行うのみ!
「――あの遠い空の雷鳴をあなたは聴くか=v
 走りながら呪文を唱え、ガッガッガッ、と加減しつつヤマタノオロチを蹴りつけてこちらに注意を引きつける。万が一にも仲間たちのいる方に向かわせてはならないのだ。
「かしこの空にひるがえる――=v
 ヤマタノオロチを誘導しながら観察する。もっとももろい場所はどこか。薄い場所はどこか。体の中ともっとも繋がりやすい¥齒鰍ヘどこか。
 そして同時に線を引く。魔力で、見えない力で。気がつかれないよう薄くしたせいか、それとも運がよかったのか、ヤマタノオロチは気づいた様子もなく自分の誘導した先へとついてきた。
 そして、ヤマタノオロチが所定の位置についた、と思うや、剣を高々と上げ、同時にだんっと踏み込んでヤマタノオロチの首の根元に触れ、呪文の最後の言葉を唱える。
「波浪の響にも耳を傾けたまうか!=v
 その叫びと同時に、中空からぴしゃあんっ! と空を斬り裂いて雷がセオの剣へと落ちてきた。本来なら敵を焼くものだったはずの雷は、セオの剣と体内を通すことでセオの手足の一部となり、セオの左手からヤマタノオロチの中へと侵入する。
 雷は、それこそ光の速さでヤマタノオロチの体内を駆け巡り、こういった実体のある魔物ならまず持っている脊髄や脳の中を走り、がちっ、とセオの掌の中につかみ取る。ヤマタノオロチが小さく呻き声を上げるのを聞き、ふ、と小さく息を吐いた。
 ――掌握、完了。

「――さて。こちらはこちらでどうするか、というところだが」
 小さく呟きながら、ロンは思考を回転させた。敵は完全に世界と隔絶する結界の向こうから呪文を撃ってくる人間外の技術の持ち主。まぁ当然人間ではないのだろうが。
 ヤマタノオロチの方はセオが引きつけてくれているが、こちらはそれもおかまいなしにどんどんとベギラゴンを撃ってくる。しかも散開しているというのに地面を舐めるように這わせて全員を効果範囲に無理やり巻き込むなんてことまでしてくるような奴だ。
 イオナズンを使わないのは余裕の表れか、それともあえてそうしているのか。どちらにしろろくでもない相手には違いない。
 そして自分は、少なくとも現段階ではそのろくでもない相手に圧倒的に及ばない。
「癒しよ……!=v
 レウが叫んでまたベホマラーの癒しの光が自分たちを包む。だがレウの魔法力はさほど豊富な方ではない、そしてベホマラーは相当に魔法力を食う呪文だ。そろそろ残りが怪しくなってきているはず。
「クソッタレがっ……! ひょいひょいあちこち移動しやがって……!」
「移動しなかったからって武器の間合いに捉えられるかっていうと相当心もとないけどな……っ!」
 フォルデとラグは(レウも)必死に動いて呪文を放ってくる相手に近づいて攻撃しようとするが、呪文が撃たれる方向は次々変わる上に、そもそも呪文が撃たれる場所のそばに相手がいるとは限らない。それは承知の上でのことなのだろうが、分の悪い賭けには違いない。
(となれば、ここは呪文使いであり、知恵袋であり、人間外の技術の専門家である賢者の出番、ということなのだろう、が)
 ぐ、と唇を噛む。はっきり言って、対策案がまるで思い浮かばない。
 そもそも封鎖結界の向こうから呪文をかけてくるような技術が今の自分たちとはあまりに隔絶した代物なのだ、それこそ考えたこともなかったほどの。それを目の前にしてすぐ完璧な対策を考えろ、というのははっきり言ってあまりに無茶だ。
 セオに任された以上、意地でもそんなことを認めたくはないが――
(このままだと、本気で全滅するぞ……)
 冗談ではない、と燃えるような怒りとともにそう思う。だがではどんな手がある? 敵の技術と自分では、あまりに圧倒的に桁が違いすぎる。このままでは、本当に。本当に――
 必死にぐるぐる頭を回転させる。ぐるぐる。ぐるぐる。回転。回る。回る――
「!」
 はっと思いついた瞬間、ロンは印を切り始めた。こんな無茶な術式を行うのだ、補助する力はいくらあっても足りない。
「全員こっちに集まれ! 今から十数えた後きっかりにだ!」
 仲間たちが困惑した顔になるのをよそに、ロンは素早く足で方陣を描き、手でいくつもの印を素早く切る。もう片方の手で手持ちの中で術式に必要なものを探し、無理やり鋼の鞭を取り出す。
 忙しく術式を組み立てながら、頭の片隅で数を数える。敵が呪文を撃ってくる間合いはいつもほとんど変わらない、ほぼ十を数えたのちに一発。これのみ。ならば機はすこぶる合わせやすい。
 仲間たちが近づいてくる。その気配を感じつつ、頭の中で必死に理論を構築し、形作る。無茶を承知で、形を成すように捏ね上げる。
 ――魔法の研究とは、新しい魔法を生み出すための研究と、魔法を道具のような形で日常生活に役立てるための研究。そして、魔法そのものの性質を弄り回すためのものが在る。
「我、知者五行也。言木火土金水五行也=v
 呪文を唱えて、体内外の魔力回路を回す。『これまで存在しなかった』魔法技術にロンの体が、空間が軋む。
 新しい魔法などというのはそうそう生み出せるものではない。魔法の発達していた古代帝国でさえ、呪文の数自体は今とほとんど変わらないという。魔法を生活に役立てるための研究は臨床実験と調整の繰り返しからなる。そして魔法そのものの性質を弄るもの――魔法というものに新たな法則を見出し性質を、形態を変化させるものに必要なのは、研究者の勘と閃きだ。
「木生火、火生土、土生金、金生水、水生目、是言五行相生也。水剋火、火剋金、金剋木、木剋土、土剋水、是言五行相剋也=v
 魔法というものは、『こういうものだ』と理論立てられ説明づけられるとそのようになっていこうという性質を含んでいる。使用者の意志に使用物が引きずられるのだ。それは世界そのものを操作する賢者魔法でも変わりない。
 もちろん現段階においてこういうものである≠ニ論理づけられ体系づけられたものはそうそう変わりはしないが。それにある理論で――まったく物的証拠の裏付けがないながらも少なくとも千五百年程度存在し磨かれてきた理論でならば、楔を打ち込むことくらいは――!
「我、知金気。我、以金行、剋木行、散!=v
 大きく鋼の鞭を振り下ろし、同時にバギクロスの呪文を発動させ、同じ間合いで襲ってきた熱閃に絡みつかせ、方陣を発動させるべくだんっ、と地面を足の裏で叩く――
 と同時に、周囲の空間が一瞬で大爆発した。

「……っ、つぅっ……」
 ぐわんぐわんと鳴る頭を振りながら、ラグは立ち上がった。なんだ、今のは。ロンが呪文を唱えたと思ったらいきなりすさまじい爆発が起こった、としか思えなかったんだが。
 それも、普通のイオ系呪文というのではない。体に深刻な打撃を与えるものというよりは、以前世界樹の森で戦ったエルフたちが使ったような、こっちを跳ね飛ばす衝撃に特化した呪文に似ている……『そこにあるものすべてを吹っ飛ばして頭をくわんくわんさせる』という特性でも付与されてるんじゃないかと思うような、肉体というよりは体の芯に与えられた衝撃。
 正直まともに立つのもかなり辛いのだが、相手がどこにいるかもわからないというのに、ごろごろ寝転がってなんていられるわけが――
 と、周囲を見回して、はっとした。数歩先に、セオが吹き飛ばされて倒れている。
 しかも場所はヤマタノオロチにしてみればほんの数歩先。さっきの爆発はヤマタノオロチにも衝撃を与えたのだろう、いまだ呻きながらようやく首を起こそうとしている状態だが、セオが倒れたままの状態では――まずい!
 だっと駆け寄り、必死に揺り起こす。頭を揺らしてはまずいか、とちらりと思ったが、とにかく目を覚まさせなくてはどうしようもなく、そして無骨な戦士であるラグの知っている目の覚まさせ方というものは、揺り起こすか叩き起こすくらいしか覚えがなかった。
「セオ! 起きて! しっかりするんだ、セオ!」
「…………、………っ、…………」
「セオ! 大丈夫かい!?」
 セオの口が動いているのを見て顔を寄せる。うっすらとまぶたが開いているのも見えた。ならばなんとか正気づかせれば、と言っていることの内容を聞き取ろうとしたのだが。
「……んでそんな。なんでそんな。なんでそんな。なんでそんな」
「……セオ?」
「なんでそんな。なんでそんな。なんでそんな。本当に、なんで、そんな、ことが―――」
「セオ! しっか――」
 がぎぃんっ!
 いつの間にやら後方から襲いかかってきたヤマタノオロチの頭のひとつを、ラグは右手のバトルアックスで打ち払う。相手は頭だけでラグ数人分の大きさはありそうな巨体だったが、力そのものならばすでに人間外の力を得ているラグの方が強い。
「……言葉がわかるかどうか知らないが、言っておく」
 次々と四方八方から迫る首を、バトルアックスとドラゴンシールドを駆使して右に左にと打ち払い、跳ね上げる。しぶとく何度も突進する頭蓋と牙を、それと同じ回数だけ受け流して、武器を突きつけ睨みつけた。
「セオはお前と対話しようとしていた。たとえ時期になれば自動的に生まれ、生贄を貪って消えるだけの魔物であろうと、話し合い、意志を、命を尊重し、ジパングの人たちや――世界のためだけでなく、お前のためにすらいい結果に落ち着くように全力を尽くそうとしていたんだ」
 当然のことながら耳を貸しもせずに突っ込んでくる頭に、ぎらっ、と瞳を光らせ――ずぅんっ、と全力で斧を振るう。空気を斬り裂き吹き飛ばしたその一撃は、一撃で突っ込んできたヤマタノオロチの頭蓋を割り脳髄を消し飛ばし軟口蓋硬口蓋をまとめて引き裂き、頭をぐしゃぐしゃに割り砕いていた。
「俺はそんなこの子の気持ちを尊重したい、とは思ってるけど――この子の気持ちを無視してこの子を傷つけようとする奴を許す気は」
 一瞬怯むも、懲りずに口を開け突っ込んでくるヤマタノオロチの首を、次々割り、砕き、叩き斬る。
「まるっきり、ない!」
 ずばっ、ぐぶしゃっ、びげちょっ。血が、脳漿が飛び散り骨が砕ける。ラグの体にも返り血がかかったが、まったく気にせず斧を振るった。
 背中にいるのは護るべき存在。自分の命を懸けて護るに足る相手。ならばその盾となり襲いくる敵を倒すのに、不安も躊躇も持つ必要はない!
 半数もの頭をずたずたに引き裂かれ、さすがに怯んだがヤマタノオロチはすぅっと首を引いた。炎の息吹か、と直感して舌打ちする。こればっかりはただの戦士であるラグには防ぎようがない。放つ前に倒せるほどひ弱い相手でもない。頭をひとつひとつ潰すには間合いが遠いし、自分にはそんな神速の身のこなしの持ち合わせはない。
 せめて少しでも盾に! と盾を構え、セオの前にどんっと大地を踏みしめて立つ。はたしてヤマタノオロチは深々と息を吸い、喉の奥から炎を吐き出す――
 その一瞬前に、「精霊よ!=vというレウの声が聞こえた気がした、と認識するより早く、ずばっ、と何か≠ェ飛んだ。
「……これ、は」
 放たれた炎の息吹は、思ったよりはるかに与えられる痛みは少なかった。自分たちの周りに炎を和らげるような光の幕が張られたこともあるだろうが、ヤマタノオロチの頭のひとつがぶしゅーっ、と血を噴き出しながら斬り落とされたせいもあるだろう。
 ロンと、フォルデとレウは向こうで戦っている。つまり、これは。
「セオ!?」
 さすがに敵を前にしながら後ろは向けなかったが、セオはすっ、と音もしないような静かな足取りでラグの隣へ立った。同じくおそろしく静かな表情で、「ありがとう、ございます」と小さく頭を下げてくる。
 つまり、今のは(今のは『護ってくれてありがとうございます』だろうけど否定の言葉が出てきていないから)間違いなくセオがやったんだろうけど、今セオは自分の後ろから歩いてきたのにどうやって俺の前にいる敵の首を落としたんだろう。セオは武器を持っているし、第一セオの現在の武器は手甲と一体化した形になっているゾンビキラーなのに――と考えて、気づいた。
 まさか……剣閃を、飛ばした!?
 つまりそれは剣を振るった風圧と気当たりだけで敵の首を落としたということで。え、ていうか魔法? 魔法なのか? いやでも呪文なんかは全然。勇者だからできるのか? できていいのか?
 などと考えているラグを、セオは小さく見上げた。その表情を目の端で見て、思わず息を呑む。――久々に見た、セオの、たまらなく悲しげな表情だった。
「ラグ、さん。俺……ヤマタノオロチを、殺そうと、思います。……身勝手も、はなはだしい、話ですけど……」
 一度うつむき、ゆっくりと顔を上げ、かすれた声で問う。
「手伝って、くれますか」
 その声に、ここ数年でも有数、というくらい優しく微笑むことができたことを、自分で褒めてやりたいと思いつつうなずく。
「もちろん。……じゃ、いこうか」
「はい――」
 告げるや、迅雷の速度で駆け出したセオを、ラグは追った。

「……あ……?」
 フォルデはぽかん、と目を開けて、一瞬気を失っていたことに気づき、はっとして瞬時に周囲の状況を思い出し飛び上がった。
「っ! おいボケ賢者てめぇなにしやがっ――」
 叫びかけて、さらに気づく。ロンも自分から少し離れた場所に倒れている。レウも(これは頭を振りながら立ち上がりかけていたが)。ラグ……はすでにもう立ち上がって――
 セオをヤマタノオロチから守って戦っている!?
 慌てて飛び出しかけ、さらには、と気づく。これは。空気が、先刻までとはなにかが違う。
 もしやロンはこれが目的であんな呪文を唱えたのか。この場の空気が、溶岩がすぐそばでぐつぐつ煮えたぎっているにもかかわらず(もちろん念入りに呪文をかけてもらって暑さは感じなくなっているが)、さっきまで神殿のように呑み込まれそうなほどしんとしていたのに、今はなにか――乱れている。
 なんだこれは。普通じゃない。普通あるような空気の乱れ方じゃない。見える風景はまるで変わらないのに、なにかが――
「!」
 フォルデはばっと飛び出しドラゴンテイルを振るった。空を斬り裂き舞い跳ぶ数条の金属鞭は、予想した通りの場所でがん! ぎぃん! ぎんっ! と音を立てて跳ね返る。――そこは、他の場所と同様、なにもない空間に見えるのに。
「……捉えた≠コぇ……」
 にやり、と口元が笑むのがわかる。左手にアサシンダガーを構え、だんっと地を蹴りそこ≠ノ向かい駆けた。
「えんえんこそこそ隠れやがってこのドクソ野郎がぁっ!」
 じゃじゃじゃんっ! とドラゴンテイルが空を裂き、そこ≠ノいる奴の動ける空間を制圧する。そして、そこ≠ノいる奴が動きが取れなくなったところを狙ってアサシンダガーを振るう!
 やはりがぃん! と金属音がして、アサシンダガーが跳ね返される。ち、と小さく舌打ちをするが、フォルデはもうある程度の余裕を取り戻していた。わかる。ロンの使った、呪文だかなんだかわからないものは、この場≠フ空気を乱した。さっきとは明らかに違う風の流れは、人がいればさらに乱れ、動けば荒れ、それを離れた場所にも伝える。すなわち。
「今ならお前がどんだけ隠れようが逃げようが、こっちにゃ全部伝わってくんだよこのボケカス……!」
 ぎゅんっ、とさらにドラゴンテイルを振るおうと右手を動かす――より早く、隠れているなにかのいるそこ≠ノ向けて閃光のような速さで飛び出したものに、フォルデは目をみはった。
「クソガキ……!?」
 名前がレウだというのはわかっているが、どうにも名前で呼んでやるのは業腹だ。ちっとまた舌打ちし、フォルデも飛び出してレウに当たらない別の角度からドラゴンテイルを振るった。
「おいクソガキっ、てめぇ邪魔だ引っ込んでろっ!?」
「はぁ!? なに言ってんだよ馬鹿フォルデっ、敵がこっちにいるのわかんないのかよっ!」
 がぃん、がぁん、ぎぃん! レウが鋼の剣を閃かせるごとに金属音が響く。こいつもしっかり向こうの気配捉えてやがる、と思わず舌打ちしたくなるのを抑え、右手を振った。ドラゴンテイルが舞い、相手の動きを封じる――そこ≠ノフォルデがアサシンダガーを振るおうとする前に、レウが全速力で突撃して剣を振るうのだ。
「……っの、クソガキっ! てめぇ横から首突っ込んできて人の獲物横取りすんじゃねぇ、すっこんでろ!」
「もーっ、なにバカなこと言ってんだよフォルデのバカ! 獲物とか横取りとか言ってる場合じゃないだろっ、みんなで協力して敵倒さなきゃいけない時だろ、今はっ」
「っ、なこたなぁっ、わかってんだよっ……!」
 そう、わかっている。当然のこととして了解してはいるのだ。
 それでもレウに言われるとひどく腹立たしいし納得いかない。なんでお前に俺が見つけた獲物を横取りされた上にそんなことを言われなけりゃならないんだ、という気になるのだ。
 だがもちろん今は協力しなければならない時だ。協力して戦わなければならない。でも気に入らない。ムカつく。苛つく。こいつに偉そうなことを言われると殴りたい。だって自分は、こいつを『仲間』だと認めていないんだから。でも今は。
「〜〜〜〜っ、ドチクショウがっ!!」
 ダンッ、とフォルデは地面を蹴った。蹴りながら空中でドラゴンテイルを振るい、一気に狭まった空間に肉薄してアサシンダガーでそこ≠突く。
 ぎぃん! とまた金属音。そこにばばばばっ! と破裂音の聞こえるほどの速度で、フォルデの横からレウがそこ≠ヨと攻撃を加えていく。
「てめぇすっこんでろっつってんだろ、邪魔なんだよ俺が攻撃してんだろが!」
「俺だって攻撃してるんだよ、フォルデだってけっこー邪魔だぞっ」
「はぁ!? ふざけんな俺の初撃がどんだけ相手捉えるのに役に立ってると――がっ……!」
 がづぅんっ! と頭に真正面から重い物体がとんでもない速さで突っ込んできて、フォルデは呻いた。頭の真芯をぐらぁんと揺らす衝撃。これは、蹴りだ。それも、達人級の、ロンがあのまま武闘家を続けていたらこうなっていただろうってくらいの威力を持った、強烈な。
「だいじょぶかよフォルデなにやって――い、ぎっ!」
 喋りながら剣を繰り出すレウも連撃を喰らったようで、一瞬体がふらついた。どうやら、ずっと姿を消したままこちらの攻撃を防いでいた素性のわからない敵は、姿の見えないままにこちらに反撃してくる気になったらしい。
「……は……ふ、ざけんなこのクソカスが……っ!」
 頭を振る時間も惜しみ、さらにだんっと踏み込んでそこ≠ノ攻撃する。ふざけるな。唐突に現れた敵が、姿を隠しながら動機もなにもさっぱりわからないままに呪文でこちらを攻撃してきて、なんとか気配を見つけられるようになったと思ったら今度は白兵戦? こっちをおちょくるにもほどがある。まるで力を小出しにしているようじゃないか。こちらを試すか、弄んででもいるように。
 そんな奴の思い通りになんて――
「なってたまるかぁっ!」
 一瞬わずかに身を震わせる。自分の声か、と思うほど自分の思考に沿った声だったが、違う。これは、自分の隣にいる、勇者の力を持ってるっていうバカなクソガキが叫んだ声だ。
 レウははっきりとした怒りを表情に乗せ、右から左から剣を振るう。感情むき出しの未熟な剣。だが――自分でも認めざるをえないほど、迅かった。
「お前らがなに考えて俺たち攻撃してんのか知らないけどっ、俺たちはどんな奴がどんな理由で襲ってきても、ぜってー負けねー! 負けるもんか!」
 心の底から真剣な、気迫に満ち溢れた顔で気配を発するそこ≠ヨ剣を振り下ろしながら叫ぶ。
「俺たちは、世界を、みんなを、セオにーちゃんを背中に護ってんだかんなっ!」
 ………………
 ビシィ! と自分の眉間に皺が寄ったのがわかった。理性はなに腹を立ててるんだそんな場合じゃないだろ、と全力で主張してはいたが、腹の底から湧き上がる圧倒的な怒りはそれらをすべて吹っ飛ばして体の奥から飛び出す。
「だっからてめぇにんなこと偉そうに言われたくねーってんだよこのクソガキーっ!」
 叫びながら振るったドラゴンテイルは、我ながら見事なほどの鋭い軌跡でそこ≠薙ぎ払った。
「わっ! 戦いながらでかい声で叫ぶなよじょーしきない奴だな!」
 驚いたような声を出しながらも、フォルデの攻撃でさらに移動できる空間を狭められたそこ≠ノいる敵に向けられた剣筋は乱れどころか感情が力を加えてでもいるようにますます鋭さを増していく。
「常識ねぇとかそれこそてめぇに言われたかねぇって何度いったらわかんだ! てめぇは最初っから気に食わなかったんだよぽっと出の分際でいちいち態度でけぇ真似しやがって!」
 がぎぎががが!
「別に態度でかくなんてしてないだろ、フォルデのほーこそやったら喧嘩ふっかけてくるくせにっ!」
 ぎぎんぎん、ぎんっ!
「は? ふっざけんなこのクソガキ、自覚ねーのもいい加減にしろ! てめぇがいちいち生意気だからこっちも言いたくもねーこと言わなきゃなんねーんじゃねーか、てめぇみてーなガキのことなんざ考えたくもねーってのに!」
 ぎぎっ、ぎぃん、ざじゃっ!
「フォルデはどーしていっつもそー意地悪いうんだよっ、新人いじめなんておとなげねーぞっ!」
 ばしゅっ、ぎぃんがっ、ぎぃんっ!
「しんじ……! っ、てめぇみてぇな自分を顧みよーともしねー奴に言われたかねーんだよ……!」
 ぎぎっがっ、ぎっ!
 二人揃って全力でそこ≠ノいる敵に打ちかかり、蹴られようが殴られようが踏ん張って堪えて攻撃し続ける。結果、フォルデたちの攻撃は連携のような形になってしまっていた。レウに対する怒りをぶつけているせいか、レウがどう動くか、レウがどんなことを考え、感じているかという気配がなんとなく伝わってくるのだ。
 その感情の流れに従い体を動かす。このクソガキにはムカついてムカついてしょうがないけれども――こいつを殴るには目の前の敵が、邪魔だ!
「オラァッ!」
「でぇいっ!」
 二人揃って絶妙の間合いでそこ≠ノ攻撃をしかける――と。
 ドゴォォオゥォンッ!! ガガガガッ!
「ぐ……!」
「かは……ぁ」
 唐突に目の前の空間から湧き出した爆発に、体中を打ちのめされフォルデたちの勢いはわずかに鈍った。その瞬間にがずっ、どずっ、と急所に一撃を受け、一瞬気が遠くなってよろめいた。
 肺から広がる激痛にげほっ、げほっ、と咳をする。その拍子に喉の奥から血がばっと飛び出したのに、今の一撃は自分たちにかなりの打撃を与えたのだと理解した。
 チッ、と舌打ちして目の前のなにもいないように見える空間を睨みつける。さっきからずっと気配を察するのとあとは勘だけで白兵戦をしているが、とりあえず不自由はなかった。相手の気配はしっかりと感じ取れるし――だからこそ、それに対する敵意も容易に湧いてくる。
「――フォルデ」
 レウが小さく囁いてくる。またチッ、と舌打ちするも、聞かないわけにはいかないので聞き返す。
「なんだよ」
「相手、二人だよな」
「ああ。気づいてなかったのかよ、てめぇは」
「なんとなくはわかってたけど……とにかく、今度また殴り合い担当の奴が危なくなったら呪文担当の奴がでかいのかましてくるってことだよな」
「だろうな」
「今度そういう状況になったら、俺が隙を作る」
「……は?」
 フォルデはぽかんとした。隙を作る、って……いったい、どうやって?
「そのあとなんとかするのはフォルデとロンに任せた。セオにーちゃんたちの方はそろそろ決着つきそうだからそっちに手伝ってもらうのもありかもしんないけど。じゃ、いくぞっ!」
「ちょ、てめ……クソッ」
 飛び出すレウに、仕方なくフォルデも飛び出す。勢いよく攻撃を繰り出すレウの隙間を縫うように、死角を突くように、ドラゴンテイルとアサシンダガーで攻めていく。
 ぽうっ、と癒しの光が飛んできて傷を癒す。ロンの回復呪文、おそらくはベホマラーは確かな効力を発揮し、踏み込む足にますます力が入った。
 いや、それはさっきからずっとかもしれない。ロンは空気を乱してからはひたすらに援護呪文を唱えまくっていたから身体には力が満ち、動く足は軽やかだ。それになにより――今、自分の隣にはレウがいて、一緒に戦っているのだ。
(こんなクソガキに、舐められるなんぞ冗談じゃねぇ!)
「だからてめぇはとっとと消えろっ!」
 ぎゅんっ、と神速(と言ってやらざるをえなくもないかなというぐらいの鋭さ)の踏み込みで斬りかかったレウの一撃に合わせるように、相手の動きを妨害し死角から一撃を加える。こんなクソガキとの連携というのが気に入らないが、必殺と言っていい勢いはあった。
 と、思った刹那、ぼ、と空間が燃える音が聞こえた。呪文だ、と頭の一部が一瞬で判断する。おそらくはさっきと同じイオナズン。これでまたこちらの間合いを外して前衛が一撃を入れてくる気か――
 そう判断してから一刹那の間もなく、レウが叫んだ。
「時空よ!=v
「! 反魔!=v
 きんきんきんきぃんっ!
 一瞬の半分にも満たない間、フォルデは状況を見失った。イオナズンが炸裂する、と思った瞬間、なにかわけのわからない力で、空間が歪んだのだ。その空間すべてに広がるはずのイオナズンの爆発は、なぜか、レウとの間の空間だけが世界のすべてであるようにレウに殺到し、レウの体を粉々に砕く――と思うや、レウの前にマホカンタの光の壁が生まれてそれをすべて跳ね返した――というのが今目の前で起きたことなのだが、なんでそんなことが起きたのかさっぱりわからず混乱した。
 だが、本当にそれは一刹那にも満たない間のことだ。まったく状況はつかめないながらも、レウにあんなことを言われて――頼られて=A応えられないなんぞ死んでもごめんだ!
「死、ん、ど、け!!」
 ドラゴンテイルを振るって敵の後方から鞭を繰り出し、ざんっと踏み出してダガーを突き出し、それが防がれたならばドラゴンテイルを微妙に動かして退路を塞ぎつつだんっとさらに踏み出して敵の懐に入り袖口の仕込み短剣を食らわせ、即座に魔法で強化された速度を全力で駆使して背後に回り込みアサシンダガーを急所と思しき場所に突き刺す。
 自分でもやれるというか、そんなことをやろうとしたことすらなかった攻撃だが、その時は体が勝手に動いた。アサシンダガーにぎんっ、と金属に防がれながらも確かな手ごたえを感じた――そしてすぐになにかが倒れる音がして、ものの動く気配が絶えた。
 とりあえず――勝った。そう確信し、ふ、と息を吐き出しセオの方を見やる。そちらの方も、もう決着がつこうとしているところだった。

「でりゃあっ!」
 ラグの苛烈な一撃がヤマタノオロチの胴体を斬り裂く。ギギャオア、とヤマタノオロチが残ったひとつだけの頭で絶叫した。
 ヤマタノオロチはまさに満身創痍というべき状態だった。頭はひとつを残してあるいは落とされあるいは砕かれ、体にも深い傷が幾重にも刻まれている。その中にはセオがつけたものも相当数あった。
 ――なのに、セオはいまだ、迷っている。
 いや、迷っているというのではない。ただためらい、怯え、怖がっているだけだ。取り返しのつかないことを、してはならないことを、かつて自分がしないでほしいと思ったことを行ってしまうことに対する惰弱な逡巡。
 なにより、今自分が行っていることの倫理的根拠は、自分の愚かな頭で判断しただけのはなはだ当てにならないものでしかないのだ。そんなもので、命持つ者を――たとえ『人に非ざるほど』長い生を生きた者であっても、殺していいわけがない。
『――でも』
 それは、他ならぬセオが、誰よりよくわかってはいたけれども。
「ごめんなさい――」
 セオはひゅんっ、と相手の懐に飛び込み、体の上を駆け、頭の上で小さく跳躍し、空を蹴り、頭から胴体までを大きく斬り裂いて。
「俺、それでも、あなたを放っておくことは、できません」
 ヤマタノオロチの巨体を、ずずぅん、とその場に倒させた。

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