ジパング〜ヤマタノオロチ――6
「よっしゃあっ、勝ったぜっ!」
 姿なき敵が倒れた音に、思わず歓声を上げて握り拳を突き出したレウの脳天に、ごつっと拳が落とされた。
「ってぇっ! なにすんだよ、フォルデっ」
 振り向いてがなると、予想通りに顔を思いきりしかめながら自分に拳を落としてきたフォルデは、チッと舌打ちして偉そうに言ってくる。
「なぁにが『勝ったぜっ!』だよ。別にてめぇが倒したわけでもねぇだろうによ」
「はぁ? 細かいこと気にすんなよ、仲間みんなで協力して倒したんだから勝ったの喜ぶのは当たり前だろ」
「…………。お前、さっき、なにやった」
「は?」
「さっき、てめぇがなんか叫んだあと、イオナズンがいきなりてめぇだけに向けて殺到しただろうがよ。なにやった」
 険しい顔で詰め寄られ、レウは少しばかり眉根を寄せて首を傾げた。
「なにって……」
「まさかてめぇがやったんじゃねぇ、とか抜かすんじゃねぇだろーな」
「あ、ううん、それは俺がやったんだけど。んー、なんていうか、説明難しいんだよな……」
 腕を組んで考え考え、説明しようと試みる。
「えっとさ、なんつーか……歪めるんだよ。辺りを。気合で」
「……は?」
「だっからさ、辺りの……なんていうか、ものとか力とかが動く道筋を歪めて、敵の攻撃が全部俺だけに集中するようにしたんだよ。さっき。そんでロンがうまく機を合わせてマホカンタかけてくれたから……」
「な……んな、歪めるって、んなの、どうやって」
「だから、気合で」
「……てめぇ、ふざけんのもいい加減にしねーとマジいっぺん殺すぞ」
「ふざけてねーって! だから、なんつーかなー……」
 自分にとっては自明なことをどうすればうまく伝えられるのかわからずレウはまだ傷の残る手で髪をかき回してうんうん悩んだが、悩み終えるより早く落ち着いた声が背後から響いた。
「レウは魔法を使ったんだ。勇者魔法をな」
「へ……」
「ロン!」
 ゆっくりと歩いてくる法衣姿に、二人揃って駆け寄る。ロン自身は自分を巻き込んでベホマラーを唱えまくっていたせいか、傷の類はほとんど治っているようだった。
「フォルデ、お前はもう忘れたか? アリアハンの、岬の洞窟を攻略する時だったか、セオが魔法について概略を述べてくれたろう」
「ああ……っと、そう、だった、か?」
「そうだったな。魔法は魔法使い魔法、僧侶魔法、賢者魔法、その他魔法、勇者魔法に分かれ――これは通称なんだが、学名よりはるかにわかりやすいからな――魔法使い魔法は混沌を制御することで、僧侶は世界の律に信仰によって従うことで、賢者は世界の理を知ることで、その他の職業は職業の熟練により世界の法則の近道を行くことで、勇者は天に選ばれた才能により新しい法則を創り出して魔法を使う」
「あ……そういや、んなこと、言ってたな」
「で、レウは勇者だ。自身の才能により新しく法則を創り出してしまうということは、今まで存在していなかった、本来ありえるはずのない魔法も創り出すことができてしまうということになる。さっきの、あれはまさにそういう代物だな。周囲の時空間を自己の意志で歪めることで、敵の攻撃をすべて自分のもとへと集中させてしまう。全員分の攻撃を一人で受けるわけだから、本来ならイオナズンなんぞを喰らえばまず即死だっただろうが、今回は運よく俺のマホカンタが間に合って、敵の呪文をすべて跳ね返すことができたわけだ」
「そー! そーいうこと言いたかったんだよ! ありがとなっ、ロンっ! 説明も、呪文もっ」
「……おい。それって、一歩間違えれば、死んでたんじゃねぇか……?」
「一歩間違えなくとも死んでただろうさ。今回俺の呪文が間に合ったのは僥倖もいいところだ。なんの説明もなしに、いきなりなにかの呪文が発動した、という状況で勘だけでマホカンタをかけたんだからな、勘が大外れする可能性も大いにあったわけだし」
「…………」
 がつっ。またも、しかも今度はさっきよりも強く、レウの頭に拳が落とされた。
「ってぇっ! なにすんだよフォルデっ、お前いー加減にしないと怒るぞっ!」
「っざけんな怒りてーのはこっちだっつーんだよっ! 考えなしに動くんじゃねぇって何度言やあわかる! てめぇの脳味噌がいくら小さかろうがなぁっ……勢いだけで、ほいほい命捨てていいかどうかくらい、わかんだろうがっ……!」
 またも振り上げられる拳に身構える――が、フォルデは拳を振り下ろすことはなく、ふんっとこちらに背中を向けた。そしてずかずかとセオたちのいるところへ歩いていく。
 なんだよ、人のこと殴るだけ殴っといて、と思いつつも、レウはそのあとに続いた。ロンも後ろからついてくる。
 セオたちが戦っていたヤマタノオロチは、その巨体をだらしなく地面に横たえさせていた。その前に血まみれの(セオたち自身の血もあったろうが、ほとんどは返り血だとレウは判断した)セオとラグがたたずみ、じっと動かなくなった八つ首の竜をじっと見下ろしている。
「……セオにーちゃんたち、なにしてんの? そいつ、もう死んでんだろ?」
「ああ。確かに死んでる……ように見えるんだが」
「? 実は死んでないとか?」
「いや、そうじゃなく。ヤマタノオロチってのは、ジパングの生贄制度を形にしたようなものだろう? そんな奴を、倒したはいいものの、これからどう扱えばいいのか悩むというか」
「あ……」
 そうだ。忘れていたわけではなかったが(いやちょっとくらいは忘れていたかもしれないが)、自分たちの目的はジパングの人たちにもう生贄なんてことをさせないようにすることなのだ。そのためにいろいろ調べたり、なんか難しいことをしたりするためにここにやってきたら、ヤマタノオロチとか謎の敵とかに襲われたのでぶっ倒したのだった。
 ただ、話によると、ヤマタノオロチに生贄を捧げないと、本当に世界が滅んじゃう、なんてふざけた事実があったと思ったのだが――
「そっか! 生贄とか、どーしようっ」
「……てめぇ、本気で今頃んなこと抜かしてやがんのか……?」
「まぁ若い頃は目の前のことに突っ込んでいくくらいの勢いがある方が可愛らしいものだが、これはどちらかというと年齢より本人の資質のせいだという気がするな」
「二人とも……気持ちはわかるけど。……で、どうしようかってセオと話したら、もう少し様子を見ようってことになって」
「様子を見るぅ? んなことして、なんか意味あんのか?」
「フォルデ。お前もう少し脊髄反射で会話を進めるのを改める気はないか? このままいくとレウの同類項になりかねんぞ」
「なっ……」
「あっ、なんだよロンっ、お前今俺らのこと馬鹿にしただろ! っとにもーっ、俺とフォルデを一緒にすんなよな!」
「なんでてめぇがそういう方向に腹立ててんだマジ殺すぞこのクソガキ……!」
「……たぶん、もう少しで、動きがあると思うので」
『へっ?』
 思わずフォルデと声を揃えてしまった。セオのぽつんと呟いた言葉は、そうならざるをえないくらいには自分たちの不意を突いたのだ。
「おいお前、なんか知ってんならとっとと……」
「動き? って、なに? セオにーちゃん、なんでそんなことわかんの?」
「……っからこのクソガキ横から入ってくんのやめろって何度言やあ……!」
「はいはい、お前ら、少し黙って集中しろ」
「へ?」
「しゅうちゅう、って?」
「ヤマタノオロチの様子を観察しろ、ってことだよ。セオはなにかわかってることがあるけど、それを説明してると状況の変化に対応しきれなくなる可能性が高いんだ。……そういうことだろ?」
「……はい」
 セオは短く答えて、じっとヤマタノオロチの様子をうかがっている。こんなセオの様子は初めて見るが、どうやらラグの言っていることは正しいらしい。ラグ兄すげーなー、よくなんにも言われてないのにわかるなー、と思いつつも、レウも素直にヤマタノオロチを見つめた。
 しばらく見ていても、ヤマタノオロチはただの死体のまま、動く様子はない、と思えた――が。
「!」
 ぎゅるるんっ、とヤマタノオロチの体が動いた。なにかに吸い込まれるように歪みながら、先細りになりながら、洞窟の奥へとすっ飛んでいく。
「追います!」
 セオは宣言するより早く走り出す。レウたちも慌ててあとを追った。動きの遅いラグは苦労しているようだが、レウはなんとかセオについていく――フォルデはセオすら追い抜いてぶっちぎりで先頭を走っているのがちょっと悔しかったが。
 ヤマタノオロチの体は洞窟の奥へ、奥へとすっ飛び、ついには最奥の溶岩の海に囲まれた岩場――をも通り抜け、溶岩の海の中へと突っ込んで、その姿を消した。思わず唖然となるレウたちをよそに、セオはだだっと溶岩のヤマタノオロチを吸い込んだ場所まで走り、こちらを振り向く間すら惜しんで宣言した。
「ここに擬似的な旅の扉が造られました! 俺はあとを追います!」
「えぇ!? ちょっ……」
 セオは答えを待たず、溶岩の海の中へ飛び込んでいく。とたん、セオの体はしゅんっ、と溶けるように掻き消えた。
 一瞬本当に溶けちゃったのか、と愕然としたが、すぐに気づく。これは、たぶん、違う。さっきセオは旅の扉がどうとか言っていたが、たぶんこの溶岩の中に道が造られているのだ。ヤマタノオロチを吸い込んで、手元に呼び戻す道が。おそらくは、黒幕とか、首謀者とか、そういう悪い奴が造った。
 つまりそれは、その道を通っていけばそいつらの元へたどり着けるということだ――と理解するが早いか、レウはだっと地面を蹴って溶岩の中へと飛び込んだ。
「なっ……おい待ちやがれクソガ――」
 フォルデの呼ぶ声は途中で消える。感じられるのは、強烈な熱気と、胃がでんぐり返るような惑乱する感覚だけ。
 それでもレウにためらいはなかった。ここまできて黒幕を逃がすなんて絶対ごめんだし、なにより自分はセオの仲間だ。
『セオにーちゃんを、絶対絶対護らなきゃ!』
 気合を込めて剣を握り直し、レウはそう改めて自分に言い聞かせた。

 通常の空間に戻るや中空に放り出され、セオはすたり、と床に降り立った。予想した通り、場所はかつてヒミコと会見した、王城だったならば謁見の間と呼ばれただろう場所だった。そこにヒミコが脇息にもたれかかるようにして倒れ、それを侍女であろう女性や配下の者たちが必死に介抱している。
 それも当然だろう、ヒミコは体中血まみれで、体中に深い傷を負っているのだ。仕える相手が突然そんな惨状に追い込まれたならば、誰でも必死に介抱しようとするはず。それを確認してから、セオは数語、口の中で言葉を紡いだ。
 と、セオに気づいた者たちが、口々に非難の言葉を浴びせてきた。
「さがりおろう、けがれたガイジンめが! きさまなぞがヒミコさまのごぜんをけがすこと、まかりならぬ!」
「ちまみれのけがれしそのからだで、ヒミコさまにもうでることがかなうとおもうてか! さがれ!」
 そんな言葉を投げつけてくる者たちの視線には、憤りはあっても恐怖はない――だが、血まみれで、息を荒げながらこちらを見つめてくるヒミコの視線には、セオに対する恐怖が感じられた。
「ヒミコさん。ジパングの方に、聞きました。あなたは、ジパングという国ができた時から――千五百年の長きにわたって、この国を治め続けているそうですね」
 セオは静かに、言葉を紡ぐ。ヒミコがびくっ、と大きく震えてこちらから逃げ出すように後ずさる。お付きの人間が必死に声をかけるが、聞こえてすらいないようだった。
「俺はそれを聞いた時、最初、単に国を治める巫女王を神格化するため、代替わりしているのを隠しているんだと思っていました。でも、違ったんですね。――あなたは本当に、千五百年の長きにわたってこの国を治め続けていた」
 お付きの者たちが驚いたように息を呑み、自分とヒミコとを見比べる。知らなかったのか、それともそんなことをガイジンである自分が知っていることに驚いたのか、セオにとっては気にする意味のないことではあったが。
「もともとここ、ジパングは強力な結界が、それこそ神がこの世界を創った頃から張られ、何度も強化・補修されているので魔物が出ない。その上、悪天候や火山の噴火のような自然災害は、あなたの世界改変能力でなかったことにすることができる。この集落のような、いうなれば原始的な農耕・狩猟採集を主産業とする社会形態であろうとも、生活に特に不便はなかったでしょう」
 セオはできるだけ淡々と口にする。言葉に感情を載せないように。口調に乱れがないように。――心を乱れさせて、対話を打ち切らざるをえなくなるようなことがないように。
「それは、ここジパングの、ヤマタノオロチと生贄の機構を創った神≠ェ、あなたに与えた特権だった。機構の管理者として――ジパングの人間に、生贄を捧げ続けさせる役割を負う者として」
「………っ―――」
「あなたは千五百年間、その役割を怠けることなく行ってきた。それが神≠ェ見込んだあなたの素質だった、ということなのだと思います。……千五百年の長きにわたり、自らの治めるジパングの民を、心からの歓喜をもって喰らい、命を永らえ続けることが」
『――――!?』
 絶句するお付きたちにかまわず、セオはヒミコを真正面から見て宣言する。
「あなたが千五百年間生き続けることができたのは、喰らった生贄の呪術的な力を世界の存在する力に変換する、ヤマタノオロチという機構と同一化しているためですね。あなたは自分の望んだ時にヤマタノオロチに変ずることができるし、逆もまたしかり。そうして二重生活を送りながら、あなたはそれに心理的な負担をまるで抱かなかった。心からそれを楽しんできた」
 一歩。二歩。ゆっくりと、床をみしみしと軋ませながら、セオはヒミコに近づいていく。ヒミコがそのたびに怯え、わたわたと後ろに退がるのを、ゆっくりと追う。
「ガイジンを軽蔑し、自らの地位を脅かす者として排斥し、ジパングの民を食糧兼下僕と認識し、自らのいいように使い、仕えさせながら、自らの命を永らえさせるため生贄として喰らう。それをあなたは当然のことと、自らの権利と考え、そして心の底から楽しんできた。自らが特権を持つ階級であると自覚して優越感を感じ、他のジパングの民よりはるかに豊かな生活を実質的にはなにもせずに享受できることを喜び。――そして、若く、美しく、清らかな乙女を喰らうことに、嗜虐的な快感を覚えてきた」
「ひ……ひっ」
「そしてそのことをジパングの民たちから当然のように隠し、清らかで偉大な女王として崇められてきた。……俺は、それは間違っている、と思います」
「ひいぃっ!」
 どたばたと、脇息をひっくり返しつつ、ぜひぜひと息を荒げながらセオから逃げ出すヒミコ。呆然として手出しもできないお付きの者たちの間を通り抜け、セオはそれを追った。
「その過ちを、正してください。ジパングの民の方々に、釈明をしてください。今、ここで」
「い……今、ここで……じゃと?」
 ずりずりと後ろにいざり這いながらの言葉に、セオはうなずきを返す。
「ええ。ここでの会話は、すべてこの館、そして下の集落すべてに聞こえるよう、俺がさっき、拡声の呪文を使っておきましたから」
「――――」
 一瞬、ヒミコの顔から表情が消えた。と思うや、絶叫が轟く。
「フシャ――――――――ッ!!!」
 ヒミコの顔が、身体が歪み、さっき見たのと同じ巨大な魔竜へと変じていく。ヒミコの屋敷の、屋根を突き破り、根太を砕き、柱を薙ぎ払って打ち壊しながら。
 セオは小さく、息を吐いた。こんな方法しか選べなかった自分の愚かしさ、醜さに身体が震える。嫌悪感に耐えきれず、手が勝手に握り拳を作って、爪が皮膚を突き破り血を流す。
 たぶんこうなるだろうと、セオはわかっていた。わかっていたのに、この方法を選んだのだ。――ヒミコの命よりも、ジパングの人たちの未来と、失われる可能性のある命の方を、選択≠オてしまったのだ。

 フォルデは淡々と述べられるセオの言葉に思わず口をぽかんと開けてしまっていた。セオがいきなり溶岩の中に突っ込んで、あのクソガキもそれに続いて、それに遅れたことが、一瞬びくついたことが心底悔しくて自分を奮い立たせて溶岩の中へと飛び込んで。
 そうしたら出てきたのはヒミコの屋敷で(旅の扉のような感覚はあったが、幸い本物の旅の扉ほど酔いはしなかった)、血まみれのヒミコにセオが淡々と、だがきっぱりはっきりと言葉を投げかけていて。
 お前いつそんなこと調べたんだとかこのババァ本気で千五百年も生きてんのかよとか、そんな驚きもあったが、それ以上にセオの態度に驚いた。セオがこんな風に、淡々と、しかも乱れなく話すなんていうのは、旅に出てこの方初めて聞いた気がしたからだ。
 なにかを解説する時やなんかにはすらすらと話すこともあったが、普段は、最近になってすら、どもりながらつっかえながらぽそぽそと話すのがセオの話し方だったはずだ。それが、こんな風に淡々と、はっきりと――まるで、セオが切れた℃桙フように。
 だが切れたのと今の口調は明らかに違う。今のセオの口調には感情が乗っていない。感情が麻痺しているとか、そういうのではなく――感情を制御している。そういう感じがする。
 あのセオに、そんなことができるのか。できたのか? とひたすら驚いてぽかんとしてしまっていたが、ヒミコがヤマタノオロチに変化して、屋敷を壊しながら暴れるに至り、ぼやっとしてる場合じゃねぇと慌てて武器を構えた。
「俺は一般人を避難させる! お前らはそのでかぶつをできるだけ暴れさせずに仕留めろ!」
「了解!」
「おうっ!」
「ちっ、面倒な注文つけやがって!」
 飛び出す後ろから聞こえるロンの言葉に舌打ちしつつ、フォルデはドラゴンテイルを振るった。ここまでのデカブツだと鞭を絡めることはできそうにないが(どう考えても引っ張り合いで負ける)、身体を斬り裂いて逃げる方向を誘導することならできるはずだ。
 しゅぱぱぱっ、と空間を斬り裂きながら竜の牙が飛ぶ。空間を制圧してヤマタノオロチを逆方向に逃がす。そしてそこには当然。
「ふぅっ……はぁっ!」
 ラグが待ち構えていて、ヤマタノオロチの突進に負けない勢いで斧を振り下ろしていた。
 ヤマタノオロチの鱗が、血肉が弾け飛び、斬り潰される。ラグの剛力と耐久力は、仲間の目から見ても大したものだった。いかにでかかろうが、この程度の魔物のならば、突進を真正面から受け止めても心配ない、と断言できる。
「でいっ、たぁっ、やぁっ!」
 そしてその横をこまこま走り回りながら斬りかかっているのが、あのクソガキだった。ムカつくことにこのクソガキは、自分には当然及ばないにしろそこそこ動きが速く、それなりに力もあるので、遊撃手の役目を割り振るとそこそこ敵に痛撃を与えていやがるようなのだ。苛つくことに。
 もちろんクソガキ自身は役目だなんだということをちゃんと考えてなどいないだろうが、自分の得意な、一番役に立てる戦い方はなにか、ということはわかっている、というのは(まったく腹の立つ話ではあったが)認めざるをえない、かもしれない。感情的には冗談じゃねぇときっぱり言ってやりたいのだが、こうして誘導役として戦場全体を冷静な視点で見ようとすると、フォルデの理性が勝手に客観的な判断を下してしまう。
 ……わかってはいる。あくまであのクソガキがたまたま勇者だったからで、自分たちについて効率よくレベル上げができたせいで高レベルになったから強くなった、というだけの理由だったとしても、確かに今では、あいつもそれなりの戦力ではあるのだ。
 ただ、それでもあいつが、あいつの基本の心根が、どこまでもガキなので、自分はあいつをクソガキとしか考えたくないのだけれども。
 たとえあいつが勇者の力を持っていても、自分が勇者と一応でも認めるのは、ただ一人で――
 ズヒュンッ!
 セオの振るったゾンビキラーが、ヤマタノオロチの首をまたひとつ斬り落とした。
 速い。そして、強い。動き自体の敏捷性という点ではレウにも及ばなかったろうが、踏み込みの鋭さ、攻撃の迅さという点では、フォルデ自身ですら勝てる自信はない。
 セオが切れた時はいつもそうだった。それこそ目にも止まらぬ速さで致命の一打を次々と放ち、容赦なく、かつ的確に敵を殲滅する。
 ――だが、今は、それとは少し違う。
(……あいつ、大丈夫か?)
 ドラゴンテイルを振るいながらも、フォルデは眉を寄せた。セオの様子に、ひどく不安なものを感じたのだ。
 不安定さを感じる、ということではない。セオの動きは迅く、強かったが、理性をきちんと有した動きなのははっきりわかった。セオは、感情を、本能をきっちり制御して戦っている。
だからこそ=A不安を感じた。
あの<Zオが、感情を制御して、理性を有したまま、戦っている。『敵の命を奪う』行為を、『冷静に』行っている。それがどれだけおかしなことかというのを、フォルデは理解していた。
 なにがあった、あいつに。あいつ、なにを考えているんだ?
 眉を寄せながらもフォルデはドラゴンテイルを振るい、ヤマタノオロチの動きを封じながら傷を増やしていく――と、はっ、と思わず目をみはった。
 セオがずんっ、とヤマタノオロチの首の付け根にゾンビキラーを突き刺したまま、動きを止めたのだ。
 なにやってやがる、と叫びかけて、ざわっと肌に走った悪寒に思わず震え、はっとする。これは――この辺り一帯の空間すべてを満たす苛烈な力は、間違いない、セオの――
「――罪咎のしるし天に顕れ、降り積む雪の上に顕れ=v
 呪文を口ずさみ始めたセオに、いっせいに雪崩れるように襲いかかったヤマタノオロチの首たちが、ばちっ、と走る放電に弾き返される。なんだ、これは。呪文を唱えている時にこんなことが起きるなんて、見たことがないのに。
「木々の梢に輝き出で、真冬を越えて光がに=v
 辺りを照らしていた陽が唐突に陰ってくるのを感じて思わず壊された天井の間から空を見上げ、また目をみはる。さっきまで雲一つない晴天だったのに、今は見渡す限りの空が黒い曇天に覆われている。見る限りでは嵐や大雨の時にしか出てこないような真っ黒い雲が連なっているのに、雨が降ってくるどころか空気の湿った気配すらしない。
 セオが一瞬、天を見上げた。透明感のある、静かな瞳――だがそれを見て、フォルデは背筋がぞくっとした。殺意も、動揺も、怒りも、悲しみも、嘆きも――感情というものをすべて打ち消したその瞳。人間というものの、生きているものの匂いが感じられない瞳。それは、まるで。
「犯せる罪のしるしよもに現れぬ―――!=v
 セオが呪文を唱え終わるや、世界が爆発した。
 轟音、閃光、空気を切り裂き渡る力の流れ。それが、落雷だと――天から降り注ぐ無限とも思えるほどの轟雷だと気づくのに、数瞬かかった。
 その爆雷は、ヤマタノオロチだけでなく、セオの体にも降り注いでいるのに、セオには微塵も傷ついた様子がなく、ただ淡々とヤマタノオロチを見つめている。一瞬混乱してから、雷はセオの体から剣を通じてヤマタノオロチの体内に叩き込まれているのだ、と理解した。
 十数えるよりもまだ短い、普通の人間ならあっという間、と言う程度の時間で果てのないほどの雷がヤマタノオロチの体に、体内に撃ち込まれ――それが終わったあと、雲が晴れた。
 穏やか、とすら言っていいような春の日差しが降り注ぐ中、どこもかしこも黒焦げになり、動かなくなったヤマタノオロチは、ぼしゅっ、と一瞬で塵に返る。他の魔物と同じように。
 それをじっと、淡々と、静かな瞳で見つめていたセオの唇が、ゆっくりと動いた。
「―――ごめんなさい」
 何百回、何千回と聞いたその言葉――なのに、フォルデの体はびくり、と震えた。
 なにか、まるで――死人か、幽霊が口にした言葉のように、温度がなく感じられたからだ。

「――勇者セオが、ヤマタノオロチを倒したようね」
 ヴィスタリアは呪文で創り出した異空間に腰を据えながら、同様に呪文で映し出した映像を眺めつつ呟いた。側に控えるヴィンツェンツが、いかにも忌々しげな顔で呟く。
「よろしかったのですか、マスター」
「なにがかしら?」
「オロチシステムは世界保持システムの中でも最上位に位置するシステムのひとつ。壊されてしまっては問題がありましょう?」
「そうね」
「――お許しさえいただければ、私が奴らを完膚なきまでに殺し尽くして差し上げましたのに」
 ヴィンツェンツの口調の中に一瞬だが熱意が漏れたのを感じ、ヴィスタリアは冷然とした視線でヴィンツェンツを見上げた。
「ヴィンツェンツ、私は言ったはずね? 殺しを楽しむのは別にかまわない、けれど楽しみのために殺すのは許さない。人格プログラムを消去されたくなければ、無駄な殺害行為の要求など二度と口にしないことね」
「……承知いたしました」
 口を閉じたヴィンツェンツに、小さく肩をすくめ視線を映像の中へと戻す。空間を固定して作った肘掛けに肘をつき、頭を支えながら呟いた。
「まぁ、思ったより力をつけていたのは確かね……勇者レウの存在は計算外だったわ。勇者レウのあの不意討ちには正直驚かされたし」
「勇者とは理不尽なものですな……存在しない、というよりありえない呪文をあっさり創り出してしまうとは」
「保険をかけておかなければ本当に一度存在を消滅させられかねないところだったしね」
「……あの賢者の妙な術はなんだったのですかな。マスターの創られた封鎖結界障壁を、部分的にとはいえ崩壊させるとは」
「あれは……そうね。勇者の創り出すものとはまた違う、創り出される可能性のある賢者の新しい呪文――の、失敗作かしらね」
「失敗作……ですと?」
「ええ。賢者ロンは、ダーマの一部地域に伝わる民間信仰、道=\―特にその中の陰陽五行説を使って私の呪文に干渉しようとしたの。五行とは木火土金水の五つの元素によって世界を分類しようとする概念。その中には様々な要素が含まれるけれど、呪文で言うならば木はギラ系、火はメラ系、土はイオ系、金はバギ系、水はヒャド系にあたるの。そして五行には相剋相生という概念があって、対立ではなくそれぞれがひとつの属性を生み出し、あるいは打ち消すことができるとされている。生み出したものが自分を打ち消すものを打ち消すことができるために、これを形にすると見事な五芒星になって、道の他の概念とも組み合わさって数学的にも見事な形を創る、面白い考え方なのだけれど……」
「……は」
「賢者の呪文というのは世界の理を知り、それを操作する術の一つ。本来なら呪を唱えることで、自在に世界を操作することを可能とするもの。けれど、彼程度のレベルでは、処理能力の関係上すでに完成した呪文という形――いわば定型文を使わなければ世界を動かすことはできない。そこで彼は、定型文である呪文に、新しい性質・法則を見出すことで存在の形態を変化させようとしたの。陰陽五行説を利用してね。いうなれば、プログラムを走らせる時、通常とは違うコードを使うことで働きを変える、ということをしようとしたわけ」
「……つまり?」
「五行相剋のうち、金剋木≠フ性質を利用して、バギ系呪文でギラ系呪文を打ち消す、ということをしようとしたの。そして、失敗した」
「失敗した――のですか」
「ええ。確かに彼はなかなか有能な賢者ではあるけれど、一瞬でコードを完璧に構築できるほど呪文に秀でているわけじゃない。呪文の働きにバグが生じて、急激に魔法的な反応を起こし、大爆発が起きた。――その結果、彼らにとっては運よく、私たちの周囲の封鎖結界障壁を部分的に破壊したわけ」
「……なるほど。まったく、運のいい奴らですな。我々が奴らに本気を出せない理由があるとも知らず」
 ヴィンツェンツの口調は苦々しげだ。彼の矜持が、あの程度のレベルの相手に白兵戦で後れを取った形になっていることに強い憤懣を覚えさせているのだろう。
「けれど、彼らの力が加速度的に高まっているのも確かなことよ。手加減していたとはいえ、我々に一度退却を余儀なくさせたことも。勇者が二人協力して戦うことの強さを見せつけられた気がするわね……勇者セオのただでさえ規格外な勇者の力が、もう一人の勇者の力と共振することでそれこそ桁外れな代物になっている。彼らが完全に勇者の力を同調させれば、勇者セオの力は本当に、勇者としてすら考えられない高レベルに達するでしょう」
「……上にはどう言い訳を?」
「事実をそのまま話すわ」
「しかしそれでは」
「別に問題はないでしょう? 目的は果たせた。仕掛け≠ヘ済んだ。勇者セオたちの力も確かめられたし、彼らに敵対存在を印象づけることもできた。彼らにより強い相手となる存在に対する敵愾心、すなわち強い向上心を植えつけることもできた。彼らと『我々』の心理的距離もある程度近づけることができた。他に目的はなかったはずだけれど?」
「しかし、オロチシステムが――」
「オロチシステム自体には微塵も影響はないわ」
「……ほう?」
 目をみはってみせるヴィンツェンツに、ヴィスタリアはごく平然とした口調で説明する。
「オロチシステムはあなたの言った通り最上位のシステムだわ。だからこそセイフティは何重にもかけてある。表層世界に出てくるオロチはあくまでプログラムの表層部、トカゲの尻尾に過ぎないのよ。それをいくら消滅させたところで無駄なこと、いくらでもオロチは蘇るわ。表出する形は少々違うにしても、ね」
「ふむ、つまりアプリケーションをデリートしても物理的にシステムが無事ならば簡単に元通りにできるのと同じようなものですな?」
「まぁ、単純に言ってしまえばね。ほとぼりが冷めた頃に新しいヒミコを選んで元通り生贄を捧げさせればいい。ジパングの民たちも今までどおり受け容れるでしょう。生贄を捧げなければジパングが滅びると知った、その重圧に耐えきれる人間はそういないわ」
「ふむ、しかし上はなぜジパングの民に最初から生贄を捧げなければジパング、というより世界が滅びることを告げなかったのでしょうな?」
「告げたはずよ。ただ忘れただけ。代を重ねれば人間というのは簡単に昔のことを忘れてしまう生き物ですものね。伝承を伝えるごとに言葉の印象が薄まって、『生贄を捧げることがジパングの安寧に繋がる』という程度の話になったのよ」
「ふむ」
 ヴィンツェンツは納得したように肩をすくめる。しばし空間の中に沈黙が下りた。
 が、しばしののち、ヴィンツェンツはとぼけた口調で話しだす。
「しかし珍しいですな、ヴィスタリアさま」
「――なにが?」
「機密事項をそう簡単に漏らすなど。いかに勇者、いかに最重要プロジェクトの中心人物とはいえ、人間に機密事項を教えるというのは、正直あなたらしくないような気がするのですが?」
「………」
 少しの沈黙の後、ヴィスタリアは口を開いた。
「別に、大した理由があったわけではないわ。ただ……」
「ただ?」
「……ただの、気まぐれよ。かまわないでしょう? 彼らには目的に沿ったレベルでの機密事項の伝達が許可されている」
「まぁ……それは、そうですが」
「勇者セオの心理的葛藤が彼らをより目的に近づけると判断しただけ。わかっているでしょう? 彼らには神殺しを――Ω-3を殺してもらわなければならないのだから」
 そう冷然と告げた言葉に、ヴィンツェンツはとぼけた顔で肩をすくめてみせた。

 夜。
 レウはヒミコの屋敷の庭石に腰かけて、ぱたぱたとゆっくり足を揺らしていた。退屈を少しでも紛らわしたかったし、退屈なんて言ってる場合じゃない、という気持ちもあったし、それ以上にこういう時に役に立てない自分が悔しかったのだけれども、でも自分にはああいう仕事はまったくもって向いていないというのもよくわかっていたので、そのくらいしかやることが思いつかなかったのだ。
 ヒミコたちを倒したあと、ジパングの人々は最初はおそるおそる、次第に怒涛の勢いでヒミコの屋敷に押し寄せてきた。狂乱状態で騒ぎ立てる人々に、セオは真正面から向き合った。
『お互いに、お話したいことがあると思うのですが』と言うセオに、ジパングの人々はなぜか恐怖の形相を浮かべて逃げ出しかけるほどの勢いで怯えたが、彼らをじっと見つめるセオから逃げ出すことはできなかったようで、何人かの代表者(ジパング人の中から出てきた人たちに加え、セオが指名した人たちもいた)と話をすることになったのだ。
 レウたちもそれについていたのだが(フォルデはヴィスタリアたちを迎えに行っていた)、その話というのがさっぱりわけがわからないというか、しゅけんがどーたらとかせいじけいたいがどーたらとか、レウにしてみれば意味不明なことばかり話していたので、目をぐるぐるさせているとラグに『長くかかると思うから、レウは外で遊んでおいで』と言われ、逃げ出すようで面白くなかったけれどもここにいても意味がなさそうだ、と外に出てきたのだった。
 セオにーちゃんたちなに話してんだろーなー、とレウはむぅっと唇を尖らせる。なんのかんのあったけど、ヤマタノオロチがヒミコだったってことがわかって、イケニエを要求していた悪い奴は倒せたんだから、めでたしめでたしということになるのが普通じゃないかと思うのだが。
「なんか、実は他にくろまくとかいたりすんのかな……」
「……てめーの脳味噌はとことんガキっぽくできてやがんな」
「え……あ、フォルデ!」
 すたすたと音もなくこちらに歩み寄ってきたフォルデの言葉に、レウはむっと頬を膨らませて腕をぶんぶん振り回した。闇夜をひそやかに歩いてくるフォルデは、銀の髪に月の光がきらめいてきれいだったが、それはそれとして馬鹿にされるのは腹が立つ。
「なんだよ、じゃーフォルデはセオにーちゃんたちがなんの話してんのかわかんのかよっ」
「たりめーだろーが」
「え! そ、そうなの?」
「てめぇ、人のこと舐めんのもいい加減にしろよ? ……要は、これからのことを話してんだよ。曲がりなりにも、国の頭がいなくなっちまったわけだしな」
「え? それって、なんか問題あんの? 頭やりたい新しい奴とか、どこにでもいるじゃん」
「……まぁな。けど、だからって誰にでもやらせられる仕事でもねーだろ。セオがどこにでもいる頭やりたいだけの奴にほいほい権力与えると思うか?」
「あ、そっか。けどさ、それってジパングの人が決めることじゃねーの? なんでセオにーちゃんが話してんの?」
「てめぇもう忘れたのかよ。ヤマタノオロチぶっ倒したからってな、この国の生贄問題の根っこは変わらねーだろーが」
「へ、なんで……あ!」
 ようやく思い出して目をみはるレウに、フォルデは面白くなさそうにうなずいた。
「そーいうこった。セオに夢を見せた奴の言い草が本当なら、生贄がいねーと世界の崩壊が始まっちまう。それも含めて、話し合おうってんでセオがジパングの代表者どもと話してんだよ。生贄制度の反対派やら賛成派やら、いちいちいろんな立場や意見持ってる奴選んでな」
「話し合うって……どんな風に?」
「さーな。ちっと聞いた限りじゃまともな話し合いにゃなっちゃいなかったけど。ジパングの奴ら、どいつもこいつも動揺しまくってやがったからな。ま、国の頭が生贄喰ってた張本人、ってだけならまだしも、千五百年もそれを心の底から喜んで¢アけてたとなれば反感を抱くのが当たり前だ。けど、それをぶつける前にヒミコの奴をぶっ殺しちまったからな、感情の持ってきどころがねぇってこったろーよ」
「そっか……」
 レウはうつむいて、少し考える。レウには難しすぎて、どうすればいいやら見当のつかない問題だ。イケニエは絶対ダメだと思うけど、だからって他にどうすればいいのかとか見当がつかないし。
 うんうん考えて、それでもやっぱりまともな考えが浮かばなかったので、顔を上げて別のことを聞いてみた。
「ヴィスねーちゃんたちは、どーしたの?」
「……ヒミコが取り上げてた馬車に戻って、休んでる。あの馬車、なんでも特殊な魔道具らしくてな、普通に居心地いいってだけじゃなくて、あの中にいるだけでこれ以上ないってくらい健康的な環境が与えられるようになってるんだとよ。だから体の弱いあいつが、世界中を旅して回れるんだとさ」
「そっか……」
「あと……あのヒューゴーってやつは、なんかセオたちの話し合いに参加したいとかマジな顔して抜かしてたけどな」
「へ? ヒューゴーって、あの変な話し方する神父さん? なんで?」
「ジパングのこれからの体制を創るのに、外の政治的な視点も必要だろう、とか言ってたぜ。ま、実際はこの機会にちっとでも布教して勢力を広げようって考えてんだろーけどな」
「ふぅん……」
 レウにはそういう感覚はよくわからなかった。自分が強くなれるわけでもないのに、自分の属する組織の勢力を広めてなんの得があるというのだろう? 自分の属する組織がなにかを得るのと、自分がなにかを得るのとはまったく違う話のはずだ。
「……フォルデは、なんかいい考えとかある? イケニエやめさせて、世界も救えるような」
 聞いてみると、フォルデは一瞬大きく目を見開いた。え、なんで? と首を傾げると、ぷいっとこちらから顔をそむけて、ぼそぼそと呟くように言う。
「……なんでてめぇがそんなこと聞くんだ」
「え、なんでって、なんかいい考えないと、ここの問題うまくおさまんないわけだし。俺たちもこころおきなく旅続けるとかできないし、世界も滅びちゃうかもしれないし、困るじゃん」
「……そーいうこっちゃねぇよ。お前、俺のこと嫌ってんだろーが。俺にんな、頭下げるみてーなやり方で話聞くの、嫌じゃねーのかよ」
「はぁ?」
 レウは目をぱちぱちとさせた。フォルデ、なに言ってんだろ。
「世界が滅びるかどーかって時に、頭下げるのが嫌とかどうとか言ってる場合じゃないじゃん。それに、俺フォルデのこと嫌いじゃないよ」
「……は? あれだけ偉そうなこと抜かして………あれだけ言われて、少しも嫌な気持ちになりませんでした、とか抜かすのかよ」
「そりゃちょっとは腹立ったけどさ。そんくらい別に生きてればよくあることじゃん。わざわざ相手のこと嫌いになるほどのことでもないし……それにさ、フォルデは偉そーだし態度でかいし意地悪だし俺のことしょっちゅういじめるけどさ」
「てめぇにだけは偉そうだなんだと言われる筋合いねぇぞ」
「でも、いい奴じゃん。なんのかんの言うけど、優しいし、困ってる人放っとかないしさ。仲間のこと、命懸けで助けるのが当たり前とか、そこらへんのことちゃんとわかってるしさ。守んなきゃなんないとこ、ちゃんと守るし。俺、フォルデのこと、わりと好きだよ」
 正直に思うところを言うと、フォルデはぱかっと口を開けてから、ぐるっとこちらに背中を向けた。なんだろ? と首を傾げていると、フォルデはひどくぶっきらぼうな口調で、苛立たしげに言ってくる。
「俺は微塵もてめぇを好きじゃねぇし、これからも未来永劫好きになる予定はねーぞ」
「あ、やっぱそーなんだ。ちぇっ」
「……なんだその軽さは。俺がどう思ってようが関係ねぇってか」
「関係ないっていうかさ、フォルデが俺のことどう思ってるかと、俺がフォルデのことどう思ってるかっていうの、全然別のことじゃん。そりゃ、嫌われてるって思うのは嬉しくないし、はっきり言われたらがっかりするけどさ。でも、これから好きになってってもらえばいいんだから、いちいち落ち込むことないだろ?」
「てめぇ人の話聞いてんのか。俺は未来永劫好きになる予定はねーって」
「フォルデはそう言うけどさ、先のことなんてわかんないじゃん。俺だって二ヶ月前までは、セオにーちゃんに会って、すっげー好きになるなんて全然わかんなかったし、こんなに楽しく旅ができるとか、全然思ってなかったわけだし」
「……それとこれとは」
「っていうかさ、人のこと好きになったり嫌いになったりするのって、そうなろうと思ってなるわけじゃないじゃんか。気持ちの成り行きみたいなもんだろ? だったらさ、いちいち好かれよう嫌われようとかって頑張っても意味ないし、自分でカッコいいって思える自分でいられるよう頑張って、それを好きになるか嫌いになるかは相手に任すっていうんで、いいんじゃねーの?」
「………………」
 フォルデはこちらに背を向けたまま、がりがりがりと頭を掻き、苛々と地面を踏みにじり、何度も舌打ちを繰り返す。なにやってんだろ? と首を傾げつつなんとなくその様子を見ていると、フォルデは小さく深呼吸をしてから、ぶっきらぼうな口調で言ってきた。
「言っとくけどな、俺はてめぇを勇者だとも、仲間だともまだ認めちゃいねーからな」
「なんだとぉ。じゃーこれから絶対認めさせてやるからなっ」
「……ああ、そうかよ。言っとくけど、これから認める予定もまったくねーからな。……けど」
「へ? けど?」
「…………ヤマタノオロチと戦った時の働きは、認める。………まぁ、よくやった」
 レウは目を少しぱちぱちとさせてから、満面の笑顔になって大きくうなずく。
「うんっ!」
「……ケッ」

「……結局それにはなんの保証もないということではないか!」
 ばん、と床を叩くジパングの男に、セオが静かにうなずく。
「はい。ありません」
「それで我々を納得させられるとお思いか! 我々はあなた方と違い、これからもここジパングの地で暮らしていかねばならぬのですぞ!」
「はい。ですが、俺としては、一番うまくいく可能性がある、考えだと思っています」
「しかし!」
「ヒミコは、ヤマタノオロチと共に、俺が殺しました。だから、責任を取るのは、当然です。けれど、俺は、できるだけお互いに、効率のいい方法で、責任を取りたいと、思っています。ジパングだけに全力を傾注して、その間に魔王に世界を平らげられるようなことは、避けたいんです。そして、ここジパングの、機構を壊してしまった以上、一番効率がいい方法は、俺が機構を新しく創り出す、ことなんです」
 男は悔しげに黙り込む。反論したいが効果的な反論が思いつかないのだろう。魔王が世界を支配するというのは、ジパング人たちにとっても同様に確かな危機だ。それを救えるのは勇者のみ、そちらにより力を裂きたいと言われれば反論のしようはない。
 明晰な理屈だ。セオは落ち着いた表情で、理路整然とジパング人たちに今後の行動と、その理由を説いている。――しかし。
 ラグは眉間に寄せた皺を、解く気にはなれなかった。この状況、どう考えても、普通じゃない。
 セオが理路整然と、ほぼ見知らぬ人と話しているのはいいとしよう。それはこれまでもなかったことではない――ほぼ非常時限定ではあったが。
 だが、そうして説いている言葉は、これまでのセオならば決して口にしなかった言葉だった。
「もちろん、それが失敗して、とんでもないことになる可能性は、あります。でも、少なくとも俺は、他にいい方法が、思いつきません。あなた方が、よりいい方法を思いついてくだされば、喜んで、それを実行させていただきますが」
『…………』
「もし、他に方法がないのなら、俺は、あなた方がどう言おうとも、今言ったことを、実行します」
「な!」
「ジパングは我らが住まう地であるというに、その我らの言を聞き入れぬというか!」
 ジパング人たちからいっせいに上がる非難の声。それでも表情を変えずに、淡々とセオは告げる。
「俺の得た情報が正しければ、この地の生贄問題に関わるのは、ジパング人だけではありません。世界中の人間も、同様に当事者です。つまり、俺たちの命にも、関わってくるんです。あなた方が、これまで千五百年間生贄を捧げ続けてきた一番の当事者、なのは承知していますし、考えられたことを考慮もしますが、あなた方がなんの考えもなくただ現状を維持しようとするならば、俺はなによりも自分たちの身を護るために、行動を起こします。それについて、非難をするのはあなた方のご自由ですが、それが意味がある行為だとは、俺には思えませんが」
『…………』
 しん、と場が静まり返る。ラグはますます眉間に刻んだ皺を深くした。本当に、これは普通じゃない。
 セオが、冷静に*スの選択を行っている。
 事態を放置した際に失われる命、行動を起こして失われる命、それらを比較して、事態を放置した時失われる方を――行動を起こした時に救われる方を選んでいる。誰に非難されようとも、当然のことと受け容れて心を乱しすらせず、ひたすらに目的に邁進している。
 それは、成長というべき変化なのだろうか。――ラグには、どうにも、そうは思えなかった。
「……民の中から、生贄を捧げずにすむというのは……」
「……しかし、それではジパングの民の誇りが……」
「……ならば、いっそ任せてみるのも……」
 議論を繰り返すジパング人たちを見つめるセオの瞳には、カンダタを斬った時のように、アッサラームで暴走した時のように、サドンデスと対峙した時のように、底の方に沈んで目立たなくなってはいるけれども、零下の凍気が感じられたからだ。

「聞け、ジパングの民よ! かつて我らの長だったヒミコさまは、彼ら、とつくにの勇者によって倒された!」
 集落の人々が集まる広場で、ロンたちは揃って少し高くなった舞台の上に並べられていた。その前で、とりあえず昨夜の会議で決められた、暫定的な代表が大声を張り上げている。
 要するに、ジパングの民人たちに説明を行おうということだ。昨日セオが説明を行った相手は、集落の各派閥の有力者に加え、集落の中では孤立していてもしっかりした考えを持つ人間や、集落の中での弱者を代表する人間たちが何人もいた。そういう人々からの説明がすでに広まっているのか、自分たちが出て行ったところで民人が大きく動揺する様子はない。
 ただ、ほとんどの人間がそれぞれ微妙に目を逸らし、こそこそちらちらとこちらを見ながら、何事かを囁き交わしていた。これまで会う端から殺してきたガイジンと向き合う拒否感、嫌悪感。そしてそのガイジンがこれまで自分たちが崇めてきたヒミコという頭首を殺したという憤懣。それに加えてそのヒミコが自分たちを騙し、生贄を楽しみながら喰らってきたという衝撃と、それに対し反応するより先にガイジンが怒りの向ける先を消してしまったことに対する困惑。どう反応すればいいか、千五百年間純粋培養されてきた人間たちではさっぱりわからないというのが正直なところだろう。
 だが、自分たちはそれにいちいちつきあってやる気はなかった。……それを真っ先に主張したのがセオ、というのが、ロンとしても正直困惑するところではあったが。
「その是非はどうあれ、我々はこれより自らの手で秩序を創ってゆかねばならぬ! これより先は、長となる者、それを支える若長二人を、それぞれ民人全員が協議して――長たらんとする者に票を投じることで、選んでゆくこととなった!」
 ざわざわとジパング人たちがざわめく。この仕組み――民主主義という長を民自身の手で選んでいく、という考え方は、ダーマとバハラタの一部地域でようやく生まれ始めたばかりの代物なのだ、ジパング人たちが理解できないのも当たり前だろう。
 だが、さすがと言うべきか、その考え方を知り、よく理解していたセオは、これからジパングという国をどう運営していくかにあたり、真っ先にそれを提唱したのだ。
「そして、生贄についてだが……このとつくにの勇者が儀式を行い、その分の責をこの世すべての民人の命から少しずつ吸い取ることで、その代償とすることと決まった! ゆえ、これより生贄が捧げられることはない!」
 どよっ、と広場中の人々がどよめく。そしてそのどよめきはどんどんと大きくなっていく。
 まぁこれまで当然のこととして考えていた生贄を、もう二度と捧げなくてもよくなるとなれば驚くのが普通だろう。だが、実際にはこれはかなり危険な賭けだ、とロンは思っていた。
 要するにセオは、すでにあったヤマタノオロチというシステムを、自分の創った世界中の人々から少しずつ命を吸い取る≠ニいうシステムで上書きしようとしているのだ。ぶっつけ本番、練習なしで。
 というかセオ自身は世界というシステムをいじること自体やったことがない、というかこれまでそんなこと考えたこともなかったというのだから、普通なら無謀としか言いようがない行為だ。おまけにヤマタノオロチというシステムが他のシステムと絡み合ってバランスを取っていた場合、そのバランスを根こそぎ破壊してしまうことにもなりかねない。
 だが、セオは断固としてそれをやると主張し、自分たちはその主張に逆らわなかった。他に代案がなかったというのもあるが、普段のセオなら考えられないことをきっぱり主張され、困惑しつつも、成り行きを見守ってみたかったというのがロンの理由だ。
 なぜそんなことを実行する、と主張したのか。これまで、話の仕組みを誰よりも深く理解しながらも、自分の主張を全力で後回しにし、自信がないことを体中で訴えて、詫び、謝り、頭を地面に擦りつけて選択に伴う行動を避けてきたセオが、自分から、自分の意志で――
「……では、勇者よ」
「はい」
 静かに答え、一歩進み出、ジパングの代表者より舞台の前に立つ。天を見上げ、右掌を天に、左掌を地に向ける。静かながらも、力強く、なのにひどくひそやかな声で、セオは詠い始めた。
「たかまのはらにかむずまりますすめらがむつかむろぎかむろみのみことをもちて――=v
 不思議な響きの呪文だった。セオが普段唱える呪文の詩は、セオの心の中から生まれてくる詩をそのまま詠っているのだそうだが、これはセオがあらかじめ考えてきた呪文だ。ヒミコが唱えていたという呪文を下敷きにして(実際には呪文自体にはなんの力もなかったそうだが)、ジパングの宗教観、世界観を呑み込んで、要素を書き換える仕組みを持った呪文を考え出す。普通ならできることではないが、セオは『たぶん、大丈夫です』ときっぱり明言した――これもまた、セオらしくないことに。
「やおよろずのかみたちをかむつどえにつどいたまいかむはかりにはかりたまいてあがすめみまのみことは――=v
 それでも呪文は身体に染み入るような音階を移動しながら、舞台に立つセオから周囲へ、世界へと響き渡る。ロンは思わずぞくりと身を震わせた。とてつもない魔力――いや、魔力という概念自体をぶち壊すような、世界に包まれているような、世界そのものを目の前に差し出されているような、恐ろしく広く大きい、なにか。それがセオから周囲に伝わっているのがはっきりわかった。
「やすくにとたいらけくしろしめせとことよきしまつりきかくよさしまつりしくぬちにあらぶるかみたちをば――=v
 ヒミコで慣れているせいか体質のせいか、ジパング人たちはセオの呪文から伝わるなにかを確かに感じているようだった。ある者は伏し拝むようにして、ある者は地面に頭を擦りつけるようにして畏怖を表す。
 仲間たちはそこまではしなかったが、セオがなにかとんでもないことをしているのは伝わっているようだった。あるいは驚嘆の、あるいは憤激の、あるいは困惑の視線をもってセオを眺める。
 ロン自身、圧倒的な力の流れに気圧されずにはいられなかった。ここまで強力な力は、少なくとも今のセオ一人では出せるものではない。おそらくはこのジパングという世界そのものを感じ取って、その力の流れに乗りながら力の方向そのものを変えているのだろうが――普通なら自分たち程度のレベルでそんなことができるわけはない。
 なぜ、そんなことができるのか。勇者だから、という理由だけで済ませられることではない。これは、たぶん。
「かむとわしにとましたまいかむはらいにはらいたまいてことといしいわねきねたちくさのかきはをもことやめて――=v
「世界の流れを読んだ、ということか――」
 思わず口から洩れた言葉にはっと口を押さえる。幸い誰も聞いていなかったようだが、ロンはふ、と息をついた。
 セオの現段階での最強の能力は、雷を呼ぶ力。それは精緻に制御すれば、システムを読み取ることができる力でもある。ということはつまり、システムをどう動かせばどんな反応があるか知ることができる力で、最小限の力で世界を動かすことができる力だ。
 ――本来なら、危険視されて、粛清されてもおかしくはない力だ。
 そんな思考が一瞬走ったことに、ロンは小さく舌打ちした。自分の思考が自分だけのものではないというのは、苛つくものだ。
「あめのやえぐもをいつのちわきにちわきてあまくだしよさしまつりてかくよさしまつりしよものくになかと――=v
 セオの声が、耳に届き、体内に反響して、神経系を走っていく。その感覚にしばし身をゆだねようと、ロンは目を閉じた。

 儀式は、無事に終わった。
 ジパングにおける『生贄によって世界≠フ存在する力を補充する』という機構は、『世界中の人間から少しずつ存在する力を奪い取って補充する』という機構に書き換えられた。書き換えられて、しまったのだ。
 ジパングの人々はそれを受け容れ、複雑な心境を露わにしながらも自分たちを咎めるのをやめた。まだ警戒心を保ちながらも、自分たちを敵性存在と考えるのを、やめはしないまでもためらいを覚える程度には心を許してくれたと思う。……ガイジンという存在に対する拒絶感と嫌悪感は、一朝一夕には消えないだろうが。
 長の選挙は一ヶ月後に行われることになり、それまでは暫定的な代表が各派閥の代表と協議の上国を、というか集落を運営していくこととなり、自分たちパーティは、儀式のあとすぐにこの地を離れることになった。宴席でもどうかという話もあったのだが、ジパングの人たちも生贄を捧げることがなくなって嬉しいというより、困惑の気持ちの方が大きいようだったし、お気持ちだけで、ということで遠慮させてもらったのだ。
 この国に来た目的だった、パープルオーブも無事に手に入れることができた。ヒミコの屋敷の宝物庫の中に、他の宝物と一緒になって転がっていたのをフォルデが見つけたのだ。この国の宝物とはあきらかに技術の桁が違う精緻な細工のほどこされた、竜の台座の上に置かれた紫色の宝玉。きわめて強力な魔力が付与されているのはおのずと知れたし、まず十中十、間違いはないだろうとロンもお墨付きをくれた。
 できるだけの代価は払うので、これをいただけないか、と話してみたところ、代表者たちは協議ののち、宝物庫にあるものはなんでも好きに持っていっていい、と許可をくれた。おそらくはこれで貸し借りなしだということにしたかったんだろうな、というのはロンの言だ。安い礼だぜ、とフォルデは吐き捨て、レウはそんなのなんで気にすんの? と首を傾げ、ラグは無言で肩をすくめたけれども。
 せっかくなのでなにか旅の役に立つものがないか探してみたところ、一振りの剣が見つかった。芸術的な細工のほどこされた、かなり強力な魔力が付与されていることがわかる剣で、草薙の剣、と銘が彫られていたものだ。それを見るやレウが目を輝かせて「俺、それほしい!」と主張し、その主張は無事通って(戦力的にもそれが一番パーティ全体の攻撃力は上昇するし、剣の大きさもレウにちょうど合っていたし)、レウの武器は鋼の剣から草薙の剣になった。
 ヴィスタリアたちだが、安全な場所まで自分たちが送り届けようか、と提案すると(とたんフォルデがなぜか自分がぎっと見つめてきた)、転移ができる場所まで送っていってもらえれば、ヴィンツェンツの呪文で(ヴィンツェンツは魔法使いから執事に転職したのだそうだ。ヴィスタリアの護衛役も兼ねているのだとか)移動できるのでそこまででいい、と言われたので、結界はいくぶん変質して転移はジパング内からでも可能になっているはずだ、と告げると、数度の実験ののち馬車ごと転移していった。
「このたびは、本当に、ありがとうございました……みなさんは命の恩人です。もし、私でお役に立てることがありましたら、どうぞなんでもおっしゃってください。魔術師ギルドに伝言を残していただければ、数日で届くと思いますので……」
 ヴィスタリアは、穏やかで儚げな笑顔でそう告げたのち、フォルデに向き直って続けた。
「フォルデさんも。本当にいろいろと、私たちのことを気遣ってくださって……ありがとうございました。とても、助かりました」
「……別に」
「できれば、でいいのですけれど……どうか、私にも、フォルデさんにお礼をさせていただきたいです。今度お会いする時までに、なにか……お返しできることを考えておきますね」
「……いらねーよ、んなん。あんたは、それより先に、自分のこと心配してろ」
「ふふ……はい、ありがとうございます」
「べ、っつに、礼なんて……」
「それではみなさん、またいつか。……レウくん、私と友達になってくれて、ありがとうね」
「うんっ! ヴィスねーちゃん、またなー!」
 ぶんぶんと手を振るレウの前で、ヴィスタリアたちは転移していった。そのあと、なぜか少しフォルデとレウが言い合いになったりはしたが。
 ヒューゴーはここに残る、と宣言し自分たちを驚かせた。神の教えを布教するためにも、外の考え方をジパングに導入するためにも、自分はここに残ってジパングをよりよく導く手伝いがしたい、と。
 いざという時のためキメラの翼は持っているから、と強い決意を見せたヒューゴーの言葉に、自分たちは逆らうわけにもいかず、ヒューゴーをその場に残して集落を後にすることにした。
 去り際に、自分たちを遠巻きに見送るジパングの人々の中から、ヤヨイが飛び出して伏し拝むようにして声をかけてきた。
「とつくにの勇者さま! これまでのご無礼をお許しください! あなたさまのおかげで――ジパングは、救われました!」
「………いえ。俺なんかのおかげじゃ、ないですよ」
 そうだ、セオなどのおかげではまったくない。ヤマタノオロチを倒すことができたのは仲間たちのおかげだし、ジパングの政治的な立て直しはジパングの人々が自助努力をしたせいだ。セオがやったことといえば、ジパングの人々に唐突に、おそらくは反応できないだろうことを承知の上で選択を突きつけ、生贄を捧げる仕組みを止めることもできずに、一人の生きたいと願う女性を殺しただけ。
 それでもひたすらに頭を下げるヤヨイに(ジパングの人々の自分に対する心境は複雑だろうから、そんな態度を取れば集落での立場が悪くなるだろうと)、許しを請おうとするより早く、レウが笑顔で「どーいたしましてっ!」と叫ぶと、ヤヨイは笑顔になって走り去る。ヤヨイに申し訳なさを感じながらも、レウに「ありがとう。レウはやっぱり、すごいね」と感謝と共に再認識した事実を告げると、「え、なにが?」と首を傾げられ、フォルデに後頭部を殴られた。
 ルーラを使うかという話も出たが、ついでだからジパング内の様子を見ていこう、と靴≠使って魔船まで移動する。自動昇降魔法具を使って魔船に搭乗し、久しぶりに海上に出る。
「……まぁ、どうなることかとは思ったけど。とりあえず、目的は果たせたわけだよな。パープルオーブも手に入れられたし、生贄も止められたし」
「そーだよなっ! なんとかなってよかったー! なっ、セオにーちゃん!」
「てめぇいちいちセオに声かけなきゃなんもできね――」
 言葉に反応しようと、顔を歪める――こともできず、セオはどさっ、と膝から崩れ落ちた。
「―――え?」
 げ、ぼっ。口から大量の血が漏れ出る。内臓が傷ついたのか、病にかかったのか。それとも単純に体中を巡る生命の源のひとつである血液を体内から排出しようと力が働いたのかもしれない。
「な……セ……セオ!?」
「え……? え!? え、な、セオにーちゃん、なんで!?」
「うるせぇボケぐだぐだ言ってねぇで回復呪文かけろ! おいセオてめぇなにやってんだしっかりしろっ……くそっ、なんだってんだ、こりゃあ……!!」
 大丈夫だ、心配いらない。回復呪文は必要ない。そう答えようとしたが、声を出そうとするや喉の奥からさらに血液がせり上がってくる。舌の上に大量の血の味を感じながら、セオはまた大量に血を吐いた。胃の腑がねじれるほどの吐き気を覚えるが、口内は血で満たされて他のものが入る余地はない。
「………なるほど。そういうことか」
 ロンが低く、抑えた声で言うと、バン! と魔船の甲板にあおむけになったセオの顔の横に手を突いた。ロンにはひどく珍しいあからさまな怒りの形相で、セオを睨むように見つめ低く、だが大きな声で言う。
「セオ。君は、生贄の代償となる命に、自分の生命力を最優先で捧げるよう道を創ったな!?」
「……え」
「なに……言ってんだ?」
「セオは生贄のシステムを確かに書き換えた。世界中の人々から少しずつ命を吸い取って、生贄に変えるようにな。だがその書き換える時に、他の何百万、何千万、何億という人間から少しずつ吸い取るはずだった命の何割かと引き換えに、自分の命を限界ぎりぎりまで捧げるように書き換えたんだ!」
「だ……だって、さっきまで普通だったじゃん! それなのに、なんで!?」
「ジパングの結界を抜けたからだ! ジパングの結界内では生贄に命を求める力が限界まで効率よく働いて奪い取る命を軽くしていた、だがジパングの外に出ればこうなる――セオ、それを君は知っていたはずだ。その上で君は自分から大量の生命力を奪うように道を創った。そうだな!」
 ごぼっ、ごほっ、ごほっ。返事をしようとして口から漏れたのは、血液と咳だけだった。情けない、申し訳ない、と体が焼けつきそうなほど思いながらも、せめて返事をしなければ、と思って力の入らない頭を必死に動かして小さくうなずく。
「――なぜそんなことをした。頭の中で思うだけでいい、答えてみろ」
「……れは」
 ごほっげほっごほっ! 口を動かそうとするだけで咳が止まらず、そしてそのたびに喉の奥から血が吐き出されてくる。もちろんそのたびに胃が、頭が、体中が痛むが、それよりもなによりも答えなければ、と読心の術を使ってくれているであろうロンのため、脳内の考えを整理して言葉にして思い浮かべる。
 当然の、ことだからです。
 俺は、ヒミコを殺した。まだ生きたいと思っている人間の、命を奪った。ヒミコの命よりも、生贄として捧げられる命を選んだ。
 そしてなにより、世界中の人々が死の危険にさらされるのを承知で、機構を書き換えた。
「死の危険……だと? 世界中から奪われる命はごく微量だろうが!」
 ごく微量といっても、生きるか死ぬかの状態では、その微量の命がそれこそ生死を分けることもあると、俺はよくわかっていました。
 世界中の人々を、俺は少しずつ死にやすくすることを選んだ。ジパングの人間、一人の命と引き換えに。
 選択には、責任が伴います。失われる命が少しでも少なくなるよう、俺からできる限りの命を奪うのは、ごく当然のことです。
「それで、それから先はどうするつもりだ! 君が命を奪われ、死んだそのあとは! 勇者がいなくなったあと、魔王とどうやって戦えと!?」
 この生命力の減少は、俺にとっては外敵の攻撃と同じですから、死んでも生き返らせることはできます。勇者が生き返らせられる状態ならば、仲間たちに勇者の力は働き続けます。魔王征伐に際して、特に問題はありません。みなさんが無事ならば、旅も魔王征伐も、無事に
 ガンッ!
 今度は拳がセオの顔のすぐ横に打ち込まれ、セオの思考は一瞬止まった。ロンの殺気すら感じさせる視線がこちらに向けられ、ロンの珍しくも荒げられた息がかかる。
「そうか。そうくるか。ならばいい」
 言ってずしん、とその場にあぐらをかき、低く告げる。
「少し真面目な話をしなくてはならないようだな。――せずにいようと思っていた、告白を」

 ――ピッ。
「はい。はい、問題ありません。確かに勇者セオの書き換えたプログラムは初めて世界の書き換えを行った人間とは思えないほど精緻で強制力も強いですが、精緻だからこそ逆に利用できる部分もあります。生命エネルギーのローテーションのルート自体はジパングという地の特殊性に拠っていることは確かなのですから、生命力を奪取する範囲を結界内――ジパングの人間たちだけに限るように設定すればよろしい。その方が生命エネルギーをより効率よく使える。ジパング人たちに変化に気づくような能力はありませんからね。宗教観自体に変化はないのですから、感覚がより純化されるまでは結界を少しいじって迷い込む者から自動的に生命エネルギーを奪取するようにしておけばよいかと。はい、そちらの方に関しましては『巫女』という職業を提案することにしようかと。ヒミコ一人に支えられてきたこの地の宗教的感情を職能に委託させるわけです。幸い感度の高い少女がおりましたので、その子を巫女に仕立て、洗脳が完了したのちに世界改変能力を与え、影からジパングを護る、という立場を取らせようと思うのですが。ところで、勇者セオの生命力に関してはこちらで手を打つ必要は……? なるほど、そちらで。はい。はい、ではそのように。『世界に平穏と、神の恵みを』」
 ピッ。
「……ぷさまー、神父さまー。どこにいらっしゃるのですかー?」
「オー! イヨさーん、ワタシこちらでーすね!」

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