海〜ルザミ――2
「は……? なに言ってんだ、お前」
 フォルデはエリサリの答えに眉をひそめた。ノアニールで出会った、自分のことを異端審問官だと名乗ったエルフ、エリサリ・フリクリ。彼女のだいたいの氏素性は知っていたが、それがなぜこんなところで、こんな時に、しかも『あなた方の勇者を救う』なんて台詞つきで自分たちを待っているのか、正直わけがわからなかった。
「な、フォルデ……」
「ん?」
 くいくい、と服の背中部分を引っ張られて振り向くと、レウは背伸びをして、それに合わせて体を傾けてやったフォルデの耳元に囁いてきた。
「この人、知ってるの?」
「ん? ああ、お前聞いてなかったか? ノアニールの話は知ってるだろ、その時エルフの郷から行方不明になった奴探すのに同行したエルフってのがこいつ」
「へぇ……」
 レウはフォルデの背中から、じろじろとエリサリを眺め回す。話しかけずに見るだけとは、このガキにしちゃずいぶん内気だな、とフォルデはわずかに首を傾げた。それだけでなく相手によっては失礼と受け取りかねない仕草でもあるだろうが、エリサリは黙ってレウに深々と礼をしてきただけで、特に目くじらを立てる様子はない。
 その反応に違和感を感じ、またも首を傾げる。もう十ヶ月も前のことだから一から十まで完全に覚えているわけではないが、このエリサリという女はあれこれ変わったところはあるものの基本にぎやかでおしゃべり好きな質だったような気がする。それが初対面の子供に対して、深々と礼をしただけでなにも言わずに済ませるというのはなんとなく妙な気がした。
 だが、そのことについて考えを巡らせるよりも早く、エリサリは自分たちの方を見てきっぱりと告げた。
「確認します。あなた方の勇者、セオ・レイリンバートルは現在、自身の行った世界改変によって生命力を極限まで削られ、瀕死の状態ですね?」
「な……お前、それをどこで」
「この島、ルザミでならば、その状態を解消することが可能です」
『!』
「なんだとっ!? おい、お前それマジで言ってんだろうなっ!?」
「お姉さんっ、それほんとっ!?」
 フォルデとレウに揃って詰め寄られながらも、エリサリは硬い表情でうなずく。
「はい。この島の特性と、我らエルフに伝わる秘術を利用すれば勇者セオの生命力を補充することが可能です。無事に儀式が完了すれば、勇者セオは以前と同様、充分な生命力を取り戻し支障なく行動することができるようになるでしょう」
「マジかよ……」
「それ、やってっ! お願い、それやってっ!」
「はい。ですが、それにはあなた方の協力が必要なのです」
「俺たちの?」
「なんでもやるよ! なっ、フォルデっ」
「……ああ。どういう協力か知らねぇが、あいつの命を取り戻せるっつぅんなら」
「おい」
「え」
 ロンは唐突に会話に口をはさむと、エリサリの手をつかんでぐいぐいと引っ張った。そして半ば引きずるようにしながら一緒に木立の中へとずかずか歩いていく。
「おい、ロン! なんなんだよっ」
「フォルデ、レウ。俺はこの女と少し話がある。終わるまでそこで待ってろ」
「は!? ちょ……」
 フォルデが答えるよりも早く、ロンたちの姿は木立の陰に隠れて見えなくなった。顔をしかめるフォルデの隣で、レウも怪訝そうに眉を寄せる。
「どうしたんだろ、ロン。なんか、怒ってたみたいだけど」
「ああ……ったく、なんだってんだ。まー、あいつがおかしいのはいつものことっちゃそうだけど」
「いつものおかしさとぜんぜん違うよ。なんか……ほんとに、ちょっと……変っていうか……おかしなくらい怒ってるっていうか、不機嫌っていうか……そりゃ、最近はみんなそういうとこあったけど、それより、もっと」
「……まぁ、な」
「……どうしよっか。俺たちも話聞きたいって、追っかけてっていいのかな」
「……いや、やめとけ。あいつがああいう顔で待ってろ≠ネんぞと言ったんだ、本気で待っててほしいってことなんだろ」
「フォルデ、わかんの?」
「ああ……前にも、似たようなこと、あったからな」
 かつて、イシスで、女王に幻影を見せられた時。あの時も、あいつはあんな顔をしていた。
 あの時にはわからなかったが、今ならわかる。今、あいつは、心の底から怒り狂っているのだ。

 ロンはエリサリを叩きつけるように木の幹に向け放り出し、ばん、と両手をついて逃げ場をなくした。エリサリの顔はあからさまにこわばっていたが、かまわずに問いかける。
「どこの指示だ」
「…………」
「どこの指示だと聞いている」
「……我々異端審問官は、勇者の動向を監視すると同時に、世界の異変に対し対応する責も負っています。きわめて強い力を持つ勇者が一人失われるのを防ごうとするのは、職責の」
「寝言を抜かすな、それでごまかしているつもりか。どの系列の神の指示かと聞いている」
「っ……」
 エリサリは一瞬息をつめたが、ロンはかまわずずけずけと訊ねた。少なくとも異端審問官に対し、ロンが遠慮する義理は微塵もない。
「お前ら異端審問官が個人的な理由で動くわけがない。そして今の状態のセオを神々が放っておくわけもない。逆らう力もない勇者を、自分たちのシステム≠ノ組み込もうと色気を出す神なんぞ一山いくらで見つかるだろう。勇者の力を解明し、手に入れることさえできればもう恐れるものはないなんぞと勘違いしている奴らもな」
「ロンさんっ! 世界の安寧のために尽力している神々に対し、そんな言い方はっ」
「世界と、自分たちの安寧のためだろうが。自分たちの力によってどうとでもできる世界を、何億という人間の生きる世界を手の中で転がせるという快感を失いたくない。そんな感情を永続的に抱けるがゆえに神上がった%zがどれだけいるか、俺が知らないとでも?」
「違います! そんな方々ばかりじゃありませんっ! ほとんどの神々はみんな、世界が少しでも長く存在するためにって、本当に頑張って」
「そのために何千万という人間を不幸にし、殺し、見捨てているんだろうが。いや、通算で言うなら数億じゃきかん。世界の生存のためにとはご立派なお題目だが、そのために見捨てられた奴らからすれば噴飯ものの言い草だろうな」
「違います! 違う……神々はみんな、本当に、一生懸命、頑張って……!」
 目を潤ませながら必死に言い返すエリサリ。その姿は一般的な男性の視点から見れば保護欲をそそられるものだっただろうが、ロンにしてみれば苛立ちを誘うものにしかならない。
「もう一度だけ聞くぞ。どの系列の神の指示だ」
「っ………」
 ぎ、と殺気を込めて睨みつけながら告げると、エリサリはう、と喉の奥を鳴らしながら力なくうつむいて、ぽそりと告げた。
「知りません……」
「……なんだと?」
「私が指示を受けるのは……ほとんどが、異端審問官の上司からなんです。神々から直接お声がかかるような恐れ多いことは、私のような下っ端じゃ普通、ありえません……上司の人は、神々のお声を直接聞く機会もあるみたいですけど……私は、天界でも下辺部にあたる、城塞部分にしか入ることも許されていませんし……」
 チッ、とロンは大きく舌打ちをする。異端審問官の指揮系統を調べることまでは、さすがに手が回らなかった。まさか向こうがこんな手に出てくるとは、正直思っていなかったのだ。
「なるほどな、それでお前か。こちらと面識があって気を許されやすい上に、下っ端でそもそも情報自体をろくに流されていないからなにをされてもこちらに情報を入手させずにすむ。その上こちらとしてはセオの命を元に戻す話となれば、眉唾だろうがなんだろうが聞かざるをえない。……うまい手だ、腹が立つほどにな」
「…………」
「確かに、こちらとしては今は踊らせられている以外の選択肢がないがな。お前の上司とやらに伝えておけ」
 ぐ、と顔を近づけて、敵意と殺気を全力でぶつけながら言い放つ。
「人の人生を操ったツケは、誰だろうと自身の生で払ってもらう、とな」
「……っ……なんで、あなたは、そんな風にっ……」
「なにがだ」
 うつむいていたエリサリは、意を決したように顔を上げて必死の形相で言い返してきた。
「あなただって、賢者でしょう!? 神のご意志に触れた人間でしょう!? だったらわかってるはずじゃないですか、この世界は、神の御力によって生き延びているって! 神の存在がなければ、とうに混沌の波間に消えてしまっていただろうって! なのに、そんな風に、神々や、私たちに敵意を抱いて、ムキになって、反発してっ……」
 懸命に言ってくるエリサリを、は、とロンは鼻で笑った。
「それは確かにありがたいことじゃあるんだろうがな。俺は、かつても、今も、敵を殺すことで生をあがなう仕事をしているんだ」
「だから、殺してもいいっていうんですか!?」
「いいや――俺は、命は命でしかあがなえんと知っているだけだ」
「え……?」
 わけがわからない、という顔をするエリサリに、ふん、と鼻を鳴らしてからわかりやすく言い換える。
「安全圏から命をああだこうだといじくっていいと勘違いしている輩には、それなりの落とし前をつけさせてもらう主義だ、ということさ」

 相変わらずひどく不機嫌なロンと一緒に戻ってきたエリサリは(どこか蒼い顔をしていて、ロンになにか言われたな、と思わず見るなり顔をしかめてしまった)、フォルデたちをルザミの村へと案内する、と言った。
「村? ルザミって、この島の名前じゃないの?」
「ルザミの島に流された人々が集まって作った村があるのです。誰も名前をつける人もいなかったので、その村もルザミと呼ばれています」
「え……こんな海のど真ん中のちっちゃな島に流されたのっ!? 大丈夫だったのかな、その人たち」
「いえ……この島は、そもそも……世界の果てに神々が創った、罪人を流すための島なのです」
「え……かみがみって……神さまが?」
 ぽかん、と口を開けるレウに、エリサリは真剣な顔でうなずいて続けた。
「この島に流される者たちは、もっとも重い罪を背負う者たち。自ら望んで世界の異端となり、世界を歪める意志を持つ者。私たちが最優先で狩らなくてはならない異端。ここはその者たちを永遠に閉じこめる牢獄なのです」
「え、と……え?」
「どういう意味だ。もっとわかりやすく言え」
「……これ以上は……村を直接見てもらった方がいい、と思います」
 その言葉にフォルデとレウは顔を見合わせたものの、ロンも肩をすくめはしたが反対はしなかったし、なによりセオの命を救うために必要となれば否やはない。揃ってエリサリの後について歩き出し、十分もしないうちにその村にたどり着いた。
 が、その村というのは、フォルデの目から見ても首を傾げざるをえないようなものだった。海の中の小さな島の村だというのに、わざわざ湖から連なる川の上に切り立った小島の上に建物を建て、小島同士を橋で連結して集落じみたものにしている。
 というかそもそも建物の数が少なすぎる。せいぜいが二、三戸というところだ。そのくせその建物自体はかなりに立派なもので、それなのに柵もないし、畑の類もまるでない。それになにより人気がほとんどない。橋を渡って乗りこんだ最初の小島には、バハラタ辺りにあったような屋根のない神殿に似た柱と石畳が広がっていたのだが、そこには女が――ひどく豊満で、こんな島にいるのに色っぽい美人と言っていい顔立ちをしていながら、ひどく生命力――というか、存在感の薄い女が一人たたずんでいるだけだ。
 エリサリは一礼しただけでその女の横を通り過ぎていく。女もそれにかまう様子もなく、ぼうっと空を見上げている。ロンは眉を寄せたが無言で後に続き、フォルデはレウと顔を見合わせたが、どうしようもなかったので一礼してそれを追った。
 だが、レウはそれだけでは申し訳ないと思ったのかなんなのか、その女の隣を通りすぎていく時に元気にあいさつをした。
「おばさん、こんにちは!」
「っ、こらてめっ……!」
 確かにたぶん三十代だろうからレウから見ればおばさんだろうが、その年頃の女は年齢について言及するとすぐ頭に血が昇るということをまるでわかっていない発言にフォルデは慌てたが、女は怒りもしなかった。ゆっくりとレウの方に視線を向け、薄く、淡い笑みを浮かべる。
「あら……こんな忘れられた島に、またずいぶんと可愛らしいお客さんがやってきたこと」
「へ? 忘れられた……島?」
「そう。ここルザミは誰からも忘れられた者たちの牢獄。あなた方の前に旅人が訪れたのは……もう何年前のことになるかしら。もしかしたら、もう何十年も前のことになるかもしれないわ」
「へ……? だって、おばさん、そんな何十年も前のこと覚えてるような年には見えないけど……」
「あら」
 そこで初めて女はわずかに顔に喜色を浮かべた。はっきりとした感情を浮かべると、その美貌がぱっと華が咲いたように輝く。
「私、そんなに若く見えるかしら?」
「へ? うん。だって、肌の張りとか、顔つきとか、普通に見て……」
「ふふ……嬉しいことを言ってくれるのね」
 すい、と女がレウに向けて近づく。レウが一瞬びく、と身を震わせた。なにを震えることが――とフォルデの理性は思ったのだが、その一瞬後に自分の身体も震えていたことに気づきはっとした。
 なんだ。この気配。なんなのかはわからない、だけどなにか、この女は、この女の底に見えるものはなにかが、やばい。
「ふふふ……本当に可愛い、子」
 すう、と女の手がレウに伸ばされ――
「罪を負う者よ、咎を受けし者よ、その手を縛る茨を思い出せ!=v
「ひ!」
 エリサリがなにか意味の分からない言葉を叫んだ、と思うや女の表情が硬直した。のみならず、泣き喚くような悲鳴を上げながらその場に土下座し何度も地面に頭を擦りつける。
「あああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お許しくださいお許しください、私はもうけして他の人を誘惑したりしません! 男を咥え込みもしません、嫉妬心をあおって他の男を殺させたりもしません、他の女を殺させも虐めさせもしません、だからもうどうか罰だけは、もう等価の罰≠セけはぁ―――っ!!!」
「え……なに……?」
 ぽかんとしているレウの前にエリサリがやってきて、腰を落とし、耳元に小さく囁いた。
「申し訳ありません。先にこれは言っておくべきでした。――この村の人間には、けして話しかけないでください」
「え? な、なんで?」
「……この村の人間は、みな、世界を歪める力を持っているからです。詳しくは歩きながら」
 さぁ、と手を引かれ、レウは戸惑いながらもうなずいた。とりあえずいつでも割って入れるようにしながら状況を見守っていたフォルデも、顔をしかめながらこちらを見ていたロンも、それについて歩き出す。
 エリサリは、自身の言葉通りに橋を渡って(これもこんな村とも呼べない村にあるにしては驚くほどしっかりした橋だった)新しい小島へと渡りながら、抑えた口調で説明した。
「すでに申し上げたことですが、この島は罪人を――異端を流し、永遠に閉じこめるための牢獄です。ゆえにこそ世界の果てに在り、通常存在する世界とは幾重もの幕で隔絶させられている。本来ならば、世界に在ってはならないものを閉じこめるための場所だからです」
「……さっきも言ってたけどよ。その異端ってなんなんだよ。わざわざこんなとこに閉じこめなきゃなんねーほどのもんなのか」
「フォルデさん。先ほどの女性を見て、なにか、妙な感じはしませんでしたか」
 言われて、一瞬言葉に詰まる。
「……した……けどよ」
「それは、あの女性の力の名残です。魂に枷を着け、世界と隔絶させ、無限の孤独を味わわせることで、本来の数百倍以上に希釈されてはいますが」
「は?」
「あの女性はかつて魔女≠ニ呼ばれていました。視線ひとつでどんな男であろうと虜にし、自身の妻さえ殺害するまでに隷属させることができる、そういう能力を持っていたからです」
「……本気で言ってんのか」
「もちろんです。そして彼女はその力を自身の思うがままに揮いました。そしてその結果、西ユーレリアン大陸は乱れに乱れ、いくつもの国が滅び、彼女の巻き添えを喰って何万人という女性が惨殺されました。新暦八百年代後半から起こった俗にいう魔女狩り≠ヘ彼女が原因です。それよりのち、女性の魔法使いを魔女と呼ぶことは禁忌とされるようになった」
「…………」
「我々が異端審問官と呼ばれているのは、まずその者が真に異端か否か――世界に敵する意志があるか否かを問うのが本来の職務だからです。まずなによりも調査を重要視し、処罰に踏み切るには時間をかける。その結果、そのような事態を招いてしまった――と聞いています」
 呟くように言いながら、新しい橋を渡る。
「世界にはそういった敵≠ニなる者が確かに存在しているのです。通常在りえざる能力、存在すべからざる力を持ち、世界の律を歪める者が確かに。それが彼らであり――魔王なのです」
『魔王?』
 思わずレウと声を揃えてしまった。人間の特殊能力者(頭から信じたわけではないが、そういうことを言っているのだろうとフォルデは判断した)の話から、なんで世界を征服しようとしている自分たちの征伐目標の話になるのだ。
 だがエリサリはあくまで真剣な顔で話を続ける。
「魔王というものは本来ありえない力を持った魔族なのです。魔族というものは大なり小なり魔物を自由に操る能力を持ちますが、全世界の魔物の活動を活発化させるような規模の力は持っていない。本来ならばありえない、世界の律に反する者。それを我々は異端と呼び、中でも特に自覚的に悪意をもって世界を歪めようとする者を厳重に罰します。ここにいる者たちのように」
 言って、すっと向かっている島の左側に位置する小さな石造りの家を指差す。
「たとえば、あそこにいる者はかつて世界を大混乱に陥れた商人です。彼は経済を壊す力を持っていた。経済というものの仕組みと働きを知り、どこをどう弄れば状態を悪化させられるか本能的に理解できるのみならず、その商業活動ならばどんな相手でも自分の思い通りに動かせる能力を使い、全力で自分が肥え太るためだけに相場を利用し、何千万という人間を飢餓状態に陥れた」
 さらに先の島の、庵じみた建物を指差す。
「あそこにいる者は預言の能力を持ちました。出会った相手の未来を識ることができた――それが本当にその相手が本来向かうべき未来だったのか、それともただの幻想だったのかはわかりませんが、少なくとも相手がどんな未来を迎えたくないと思っているかは判った。そして最大限の悪意をもって、その未来に向かうように相手に言葉を投げかけた。彼のせいで絶望の中で死んでいった、ないしは自ら命を絶った者は万の数に上ると聞いています」
 それからくるりと右後方を向いて、そちらの奥にある大きな島に建つ奇妙な二階建ての建物を指差す。
「ただ、あそこにいる者は悪意というよりも、その能力が異常なまでに害悪を垂れ流すものだったそうです。本人の認識が世界を書き換えていってしまう、世界を崩壊させかねない能力だったと。本人が狂信的な……というより、半ば以上狂人であったために、放置することは世界を崩壊させかねないと判断し、世界と断絶されたこの場所に送り込まれた、と」
 小島から、もう少し大きな島へ。また橋を渡りながら、エリサリはさらに続けた。
「この島は世界と断絶させられています。ここには時間がなく、快楽がなく、なにより終焉がない。……具体的に言えば、ここでは人間が死ぬことはありません。老化もしなければ飢えや渇きを感じることもありません。ただひたすら、無為な、孤独な時間を永遠に過ごすこと。それが彼らに与えられた罰であり、彼らの力を削ぎ取る手段でもあるのです。世界に在りえざる力を世界に在るべきものに変える、そういう呪がここにはかけられていますので」
「……さっきの人、なんか、とーかの罰、とか言ってたけど」
「等価の罰≠ニいうのは、ここに落とす前に与えられる洗礼です。『犯した罪と等価の罰』を省略して等価の罰、と呼ぶのですが……その者がこれまでの人生で犯してきた罪、つまりは他者に与えた苦痛をすべてその者に味わわせる、という罰のことです」
「……なんだそりゃ。まぁそんなことができんなら、罰としちゃ一番上等なのかもしんねーけど……できんのか、そんなこと」
「はい。あまりに過酷な罰なので、ここに落とされる者以外に与えられることはほとんどないそうですが」
「は? 過酷ってなんでだよ。そいつがやった分の落とし前つけさせるってことだろ? それのどこが」
「与えられた者がほとんど狂ってしまうからです」
「……は?」
「他者に与えた苦痛、というのは、直接間接問わず、その者の存在が他者に与えた肉体的、精神的苦痛のすべてを指します。つまり、その者が誰かを少しでも飢えさせればその分の、傷つければその分の、殺したならばその分の――肉体的苦痛も、精神的苦痛もすべて味わわされるのですよ。喉の渇きも、傷つけられた憎悪も、死への恐怖も悲嘆も絶望も、それに向かってゆく肉体の苦しみも。ここに落とされる者は万を越える者を死に追いやった者がほとんど。そのすべての苦痛に、通常の人間の精神は耐えられません。ほとんどが狂い、まともに人と話す力も失われます。こうして与えられた村で生活ができるのは、ほとんどが時間をかけて狂気から回復していった者たちで、この島の住人のほとんどは、今も村の外でまたあの苦痛を与えられる恐怖と狂気に振り回されています」
「…………」
「そうした罰を与えるのは、反骨の感情を砕くため、というのも大きいのですが、犯した罪の重さを思い知らせる、ということがもっとも重要とされています。ここに落とされた者の魂には枷がかけられ、異端審問官ならばいつでも同様の罰を与えられます。よほど重い罪を犯した者には倍化の罰=\―犯した罪の倍の罰を与えるということもあったそうですが、それを与えられた者はすでに存在していません」
「存在、してない……?」
「恐怖と狂気に耐えられず、神に自らの存在を消滅させてくれるよう願うのです。この島は外よりもはるかに早く時間が流れるのですが、ここで長くを過ごした者の多くは同じように消滅を願い出ると聞いています。無為に、孤独に、永遠に、人の心は耐えられるようにはできていないということでしょう」
「……お前さっきからいろいろ言ってっけどよ」
 フォルデはがりがりと頭を掻きながら、苛立たしげに言ってやる。
「それとセオを助けるのが、どう繋がんだよ」
「……世界に在りえざるものを在るべきものに変える、とさっき言いましたよね」
「あ? ああ」
「それはつまり、世界に在るべきものに対し強い祝福が授けられるということでもあります」
「……だから、なんだよ」
「そして、私たちに伝わる秘術には、周囲で死んだ者を生贄とみなし、対象者に生命力を与える、というものがあります。その捧げられる生命力は、本来この世に在ってはならない命――魔物でもかまいません。いえ、むしろそれが本来の使用方法なのです」
「は……?」
 エリサリは、最初から数えて三つ目の、少し大きな小島に広がる花畑の前に立った。中心に墓らしきものが備えられているその花畑を真剣な目で見つめてから、くるりとこちらを向いて言う。
「この場所はこの島に落とされた者たちが終焉を迎える場所。世界の祝福のもっとも強い場所。ここでその秘術を勇者セオに施し、勇者セオと勇者レウ、あなたの力を共振させて魔物を呼びます。勇者の力は天の祝福、私たちの世界に属する力のもっとも強められるこの場所ならば、最大限に効率よく魔物を呼ぶことができるはず。そして寄ってきた魔物たちをすべて倒し、勇者セオの生命力に換えるのです。この場所は、その変換効率がもっとも高くなる場所ですから」
『…………!』

 ラグはできる限りそっとセオを抱き上げ、万が一にも落としたりしないように注意深く歩を進めた。扉やらなにやらの障害物は、ロンたちがきちんとどかしてくれている。
 開かれた扉を通り抜け、甲板に上がり、自動昇降魔法具を使ってゆっくりと、少しでもセオの体に対する負担を軽減できるように柔らかく抱きながら降りる。本来なら降りる場所は岩がちな浜辺だったそうだが、そこにはすでにロンの呪力で土を隆起させた道が創られていた。
 わずかに身じろぎするセオに、柔らかい口調で言う。
「ごめんね、セオ。本当なら担架かなにかを使いたかったんだけど……この船の中じゃそういうの、見つからなくてさ。一応向こうには、予備のベッドが用意してあるはずだから、もうちょっとだけ待ってくれないかな」
「……ぁ、ぅ」
 ひゅー、ひゅー、と喉を苦しげに鳴らしながら、必死にセオはこちらになにかを訴えようとしている。なにを言っているのかわかるわけじゃないが、なにを言いたいのかはだいたい想像がついていた。
『俺なんかのために、無理しないでください』
『俺は本当なら、死んでいて当然の人間なんです』
『俺なんかを、大切にしたり、労わったり、優しくしたりしないでください』
『俺は本当に、そんな価値のない人間なんです』
 そんな言葉はいくらでも思いつく。一年以上セオとずっとつきあってきたのだ、そのくらいなんとでも想像がつく。
 腹の底から湧き上がる感情を、一瞬奥歯を全力で噛み締めることでごまかして、仲間たちとともにルザミの中心――セオを横たえることができる場所へと歩を進めた。そこにはすでに(簡易的なものではあるが)寝台が用意してあり、周囲の優しく香る花の匂いと相まって、居心地のいい空間を創り出している。
「……最後に、もう一度確認させていただきます」
 セオを寝台に横たえてから、エリサリがきっとこちらを睨むように見つめながら言う。睨むように、とは言ってもその視線に険やら怒りやらは感じない。心の底から真剣なあまりだと否が応でもわかった。
 それはそうだろう。今回の作戦では、彼女もそれこそ命を懸ける必要があるのだから。
「みなさんには、私が呪をかける前に島の四方に散って待機していただきます。私はまず勇者セオと勇者レウの心を繋ぎますので、勇者レウが勇者セオを説得し、勇者の力を共振させてください」
「うんっ!」
 本来なら、レウの説得というはなはだ頼りないやり方でセオに力を振るわせるという博打は正直したくなかったのだが、実際問題として現在のセオに言葉で説得しても通じそうにないし、なにより心と心の会話ならばセオの身体には負担がまるでかからない、というのだからやむを得ない、とラグは考えていた。勇者の力の共振、というのがどんなものかはまるでわからないが、エリサリがあそこまで真剣な顔で『魔物寄せの呪とは効率が桁違いです』と言うのだから必要なことではあるのだろう。
「それからあらかじめ敷いておいた魔法陣を励起させ、この島周辺の空間で失われた命を勇者セオのために吸い上げる、集魔命陣の呪を発動させます。これにより寄ってきた魔物を倒すことで勇者セオに生命力が充填されるようになります。呪式には目標を魔物のみにするよう書き込んでいるので、あなた方が亡くなられても命が吸い上げられることはありませんが、遺体のことを考えれば、完全なる死を避けるためにも死なない方がいいのは言うまでもありません」
「チッ……わかってんだよ、んなこたぁ」
 フォルデが小さく舌打ちをするが、その目は希望と熱意に燃え上っている。セオの命を元に戻すため、なにかやることができた、というのが嬉しいのだろう。その気持ちは正直、ラグにもよくわかる。
 と、ロンが挙手をした。
「それなんだが、俺は基本的に島の中央辺りに陣取って、傷ついた仲間に回復呪文をかける役に徹しようと思う」
「……魔物の迎撃には出ないのか? お前の攻撃呪文があるとないとじゃ、正直かなり戦いやすさが違うんだが」
「ああ、特に今回は敵はひたすら数で押してくるだろうからな――だが、忘れるなよ、敵は島の四方八方からセオを目指してやってくるんだ。俺が一方の護りに集中してしまったら、違う方向からくる敵の迎撃がきつくなる。それに、俺はまだサヴァン殿のように、見渡す限りの敵すべてを攻撃しながら他の対象には損害を与えない、というほどの呪文制御能力は持っていない。だが、仲間と魔法的に繋がり≠つけて、離れた場所にいる仲間を回復するぐらいのことはできるからな。正直、それが一番効率よく魔法力を使えるやり方だと思うんだが」
「こうりつよく……って?」
「攻撃呪文に魔法力を使っちまったら、回復呪文に回す分が足りなくなって誰かを死なせちまうかもしれないってことさ。セオに生命力を補充するのに、どれだけの魔物が必要になるかなんてさっぱりわからないんだからな」
『…………』
 思わず揃って沈黙し、寝台に横たえられたセオを見つめる。セオはは、は、と荒い息をつきながら、それでも必死にこちらに訴えかけるような視線を向けていた。その中には謝罪と、遠慮と、命を奪うことに対する恐怖がめいっぱい詰まっているのは嫌でもわかる。
 ラグはその視線を見つめ返し、小さくうなずいて、ロンに視線を戻してきっぱりと言った。
「わかった、それでいこう。――みんな、死ぬなよ。命に代えても」
「……お前、それ言葉的におかしくねーか」
「おかしくないさ。死ぬ気で戦って、敵を全員倒して、生き残ろうってだけだ。単純だろ?」
 一瞬あっけにとられたように全員が沈黙したが、すぐにフォルデとロンが吹き出した。
「お前、それマジで言ってんのかよ?」
「冗談を言う必要がどこにあるんだ?」
「くくっ……いや、そんな台詞をまさかお前が言おうとは、正直予想外だった。……まぁ、どんな理由で言った台詞にしろ、その言葉をむげにする必要はみじんもない、な」
「まーな。上等だ、やってやろうじゃねぇか。ロンのとこに行く前に一匹残らずぶっ倒しゃあいいんだろ」
「……うんっ! わかった、がんばるっ! いのちにかえても、死なないっ!」
「……お前、なに目ぇ潤ませてんだよ」
「え、だって……なんか。なんか、かんどーしちゃったっていうか。すごい……そうだなって思って。いのちにかえても、魔物全部ぶっ倒して、そんで死なないっ!」
「その意気やよし、というところだな。頑張れ、こちらもできるだけ援護はするからな」
「うんっ! ……あ、でも、大丈夫なのかな? 村の人たち。下手したら、まきぞえとかになっちゃわない?」
「その点については心配無用です。ここに落とされた者たちに与えられた罰の性質上、自ら願い出て消滅する以外の方法で命を失うことはありませんから。どんなにひどい怪我をしようが、すぐに治ってしまうはずです」
「あ、そーなんだ。だったら、もう、準備していいのかな?」
「はい。……お気をつけて」
「うんっ!」
「よし、それなら俺が北側を担当する。フォルデは南西、レウは南東。頼めるか」
「おう」
「うんっ!」
 ここ最近では見なかったくらい力強くうなずいてから、レウはそっとセオに歩み寄り、囁いた。
「セオにーちゃん、待っててくれよな。俺、ぜったい、魔物全部ぶっ倒して、生きて戻ってくるからなっ」
「……ぅ」
 必死になにか答えようとして、すぐにげほげほっ、と咳き込む。口からは血が混じった痰が吐かれたが、フォルデはまるで気にせずそれを懐紙で拭い、じろりとセオを睨んで言う。
「言っとくけどな、てめぇがどんなつもりでいようと無駄だぞ。俺らは魔物どもを全部ぶっ殺して、てめぇの命に換える。てめぇがどんなに嫌がってようがな」
「……ぁ」
「どうして、だぁ? んなの決まってんだろーが。てめぇのそんなザマぁ、ムカつくったらねーからだよ」
「…………」
「てめぇがどんなに嫌がろうが、俺はてめぇを元気にさせて、そんで一発ぶん殴る。……てめぇの言いてぇこたぁ、そのあとにでも聞いてやるさ」
「………、………?」
 セオが困惑げに眉を寄せる。おそらくはフォルデの言葉の意味がよくわからなかったのだろう。実際、フォルデがセオの言うことを聞こうとするだなんて――そこまで真っ向から譲歩しようだなんて、これまででは考えられなかったことだろうから。
 だが、普段なら真っ先に突っ込んでいたであろうロンは、その言葉に反応するでもなくじ、とセオを見つめ、斬りつけるような真剣さを込めた声で告げた。
「セオ。まず言っておくがな、俺はとても怒っている」
「……ぅ」
「君がどんなつもりでやったことだろうが、俺は君の命が、生がそんな風に損なわれるのは我慢がならないし、許さない。たとえ君自身の意志によるものだろうとだ。――だから」
 き、とセオを睨みながら、きっぱりと言う。
「俺は君を死なせはしない。君がどんなつもりだろうが、十全な形で人生をまっとうさせてやる。船が揺れただけで命が奪われるような状態を放置するなんぞ、絶対にごめんだからな」
「………ぁ、っ、ぅ」
「……セオ」
 次は自分の番だろう、とラグは口を開いたが、今の自分の感情をどんな風に表せばいいのかわからず、数瞬口ごもった。もともと自分はそう弁の立つ方でもない、とラグは自覚している。
 なので、いつも通りににこっと笑って、告げた。
「セオ。ちょっとだけ我慢しててくれ。俺たちは、絶対に、君を助けて戻ってくるからな」
「………ぅ」
 セオの表情が歪むのを無視し、くるりと背を向けて全員に言う。
「行こう。あらかじめ配置についておいた方がいいだろう」
「うんっ!」
「おう!」
「だな」
 力強くうなずきを返してくる仲間たちに、自分もうなずいて、目的地へと身を翻し、走り出した。

 セオは少しでも感情を揺らせばすぐに襲ってくる絶息と死を、懸命に呼吸を調整して馴らしながら考えていた。仲間の――かつて自分のことを仲間と呼んでくれた人たちの告げた言葉を。
 エリサリは呪式を発動させるための儀式ということで、セオの横たわっている寝台から一時離れていた。なのでむせ返るような花の香の中で、いくらでも考え事に集中できた。
 仲間たちの言葉――ひどく真剣な表情で言われた言葉。
『ぜったい、魔物全部ぶっ倒して、生きて戻ってくるからなっ』
『てめぇがどんなに嫌がろうが、俺はてめぇを元気にさせて、そんで一発ぶん殴る』
『俺は君を死なせはしない。君がどんなつもりだろうが』
『俺たちは、絶対に、君を助けて戻ってくるからな』
 自分の考えがどうであろうと、なんとしてでも自分に生命力を取り戻させる、という強烈な意志。それにセオは、正直困惑していた。
 なぜ? なぜそんなことを言うのだろう? 自分の命は、こんなちっぽけな命は、自分のものでしかないのに、なぜそれをわざわざ助けようとするのだろう?
 自分は払うべき代価を払ったにすぎないというのに。当然の義務であり債務であるものを清算しただけだというのに。本来ならこんなものでは自分の行いの償いにはまるで足りないほどなのに。それをなぜ、あの人たちはあんな風に、熱意を、怒りを、誠意をもって取り戻そうとするのだろう?
 困惑したし、それ以上に止めたかった。自分は払うべきものを払っただけなのに、そのために他者の、魔物たちの命を山のように奪うことはさせたくなかった。自分などの命のために、他の命を犠牲にするようなことは死んでもしたくなかったのだ。
 だから、止めなければと必死に思い、お願いだからやめてくれ、と必死に訴えようとしたのだが、自分の体はろくに動かず、声もまともに出すことができない。視線でなんとか思うところを伝えようとしても、自分の能力ではそんなことができるはずもなく、仲間たちはそれぞれの担当の場所へと走っていってしまった。
 だから、セオとしては、ひたすらに困惑し、反芻し、思考することしかできない。仲間たちの言葉を、告げられたことを、なぜそんなことをしようとしたのかと考えることしか。彼らの行動を止められなかった以上、彼らの意図を妨害するようなことは、けしてしてはならないだろうから。
 ――と、セオは自分の横たえられた寝台の隣に、人が立っているのに気がついた。
「………ぁ」
 驚いて、なにか声をかけようとしたが、声を出そうとするやげほげほげほっ! と肺が、喉が、身体が軋み、口から血が漏れる。今の自分は、まともに声を出すことすらできないのだ。
 せめて謝罪を伝えようと頭を下げようとしても、激痛のせいでろくに体を動かすこともできない。申し訳なさのあまり身体が震えたが、寝台の隣に立っている相手は――どこかこの世ならぬ存在感を持った女性だった――それを気にする様子もなくぼそりと告げた。
「あなたは、なぜ、生きられるの」
「………ぁ」
「そんな風に苦しみながら、なぜ生きられるの。それこそ死にそうな痛みを、苦しみを、しじゅう味わっているくせに。この一ヶ月、助けが来る希望もまるでない状態で、どうして生き続けていられたの」
「ぅ………」
 この女性が誰なのか、なぜこんなことを訊ねるのか、セオにはまるでわからなかったが、それでも必死に答えようと口を動かした。そのたびに体中の骨が砕けるような激痛と、まともに息ができない苦しみを味わい、まともに声を出すこともできなかったが、それでも必死に。
 女性はじっとセオを見つめていたが、ふいにさっと顔を蒼くした。
「『それが当然のことだから』……? あなた、それ、本気で言ってるの」
「………ぅ」
 心を読まれたことに驚きながらも、残った力を振り絞って小さくうなずく。と言ってもせいぜいがかすかに顎を動かす程度のことしかできなかったが。
 この世に生を受けたならば、命が失われるまで死力を振り絞って生きるのは当然の義務だ。少なくとも、セオにとってはそうだった。
 物心ついた時から虐待を受けていようが、誰からも労わられた経験がなかろうが、本を読み、自身の物語を書くこと以外喜びを感じたことがなかろうが、それを台無しにされて狂乱し、罪を犯し、そのためにそれからずっと苦しもうが。セオはこの世界に生を受け、生きてきたのだ。何千何万という命を喰らい、自らの命に換えながら、生きてきてしまったのだ。
 ならば、生まれてきただけのことを為すのは当然の義務だ。そうでなければ、自分のために殺された山ほどの命に申し訳が立たない。
 そして自分には、勇者として為すべきことを為すということ以外、勇者としての義務以外、奪ってきた命に償いができるだけのことが思いつかなかった。それだから、他にできることがないから、死にもの狂いでやろうとした。どれだけ失敗しようと、罪を犯そうと。自分には、それ以外にできることがなかったから。それは、自分の行為に代価を払うこととは、まったく関係なく存在する義務だ。
 そんな自分の感情をどう感じ取ったのか、その女性は愕然とした顔で数歩後ずさった。その顔色は真っ青で、強い衝撃を受けたのが伝わってくる。
「なんで……そんな。そんな風に……当たり前みたいに。痛いのに、苦しいのに、そんな風に、義務だけで――」
「………ぁ」
「いや! 私は、そんな風に生きたくなんてない! 楽しいのがいいの、気持ちいいのがいいの、苦しいとか辛いとか思いたくないの! なんにもないのにただ生きていなくちゃならないなんて思いたくないの! なんで……なんで、そんな……あぁぁっ!」
 女性は叫び、狂ったように髪を振り乱し、その場を走り去る。セオは彼女がなにを言いたいのかはわからなかったが、彼女がひどく辛そうだったので、困惑すると同時にひどく胸が痛くなった。彼女の苦しみを少しでも和らげることができたら、痛みから少しでも彼女の心を護ることができたなら――
「おやまぁ、まさか、正気でそんなことを考えておられるのですかな?」
「っ……」
 さっきの女性のように、いつの間にか隣に立っていた男に、セオは驚いて息をつめ、すぐにげほげほっ、と呼吸を乱して血を吐いた。激痛を堪えながら必死に呼吸を整えるセオに対し、商人風の恰幅のいい、ただしやはりどこかこの世ならぬ存在感を持つ男は淡々と言う。
「あの女性は、あなたのせいであのように苦しむことになったというのに」
「!」
「気づいておられなかったのですか? 彼女は永遠に続く無為に、苦痛しか存在しない生に抜け道を求めてやってきた。あなたが自分の心を慰めることを言ってくれるのではないかと思ってね。だが、あなたはそれとは真逆の台詞で彼女を追いつめた。どんなに苦しかろうが、辛かろうが死ぬまで死力を振り絞って生きるのが当然の義務だ、とね。これからも消滅を願い出るまで永遠に続く無為に耐えなければならない彼女にとっては、さぞ残酷に響いたことでしょうな」
「っ………っ……」
 セオは震え、力の入らない指先で、ぐっと寝台をつかんだ。とたんに体中の骨に砕けたような痛みが走るが、それを無視して必死に体を起こそうとする。
 わずかに体を寝台から起こそうとしただけで体に走る神経を引き裂かれたような痛みに耐えきれず、セオは体を震わせて血を吐いた。げほっ、げはっ、げほっげほっげぇっ、と力なく咳き込むたびに喉と胃と肺が軋んで、針を突き刺されたように痛む――が、それを無視し、セオはゆっくりと、ごくわずかずつではあったが、気を抜けば崩れ落ちそうな体を必死に持ち上げていく。
「……まさか、彼女を追う気ですか? その体で?」
「……ぅ」
「正直正気を疑いますな。たとえ相手が女だろうが、その状態で健康な相手と追いかけっこをして勝てるとでも? その前に儀式が始まってしまうでしょうよ。あなたはまさか、お仲間たちが決死の思いであなたに命を与えようとしているのをむげにするつもりですか?」
「……っ、……っ!」
 力のまるで入らない奥歯を体中の力を集めて噛み締め、それに耐えきれず喉の奥から血が噴き出る。同時にげほっげはっげほっげ、げ、げはっ、と咳も噴き出す。音からして、これ以上体に無理をさせれば自分は死ぬだろう、というのが否が応でも感じ取れた。
 けれど、それでも、自分は。
 懸命に立ち上がろうとする(といっても実際には寝台から体を起こすこともまともにできていないのだが)自分を見て、商人はわずかに眉を寄せた。
「まさか……そんなことを本気で考えてらっしゃるのですか?」
「………っ」
「狂乱状態に陥った彼女が、自らの命を奪いかねないから? 自分と違って彼女の命は取り返しがつかないから? 自分の犯した罪の責任は自分が取らねばならない、と? そんなことでお仲間の意志を無駄にするつもりですか? いやはや、見上げたお志ですな」
「っ………」
 けほっ、けはっ、と再びセオの体は血を吐き出す。もうあとほんの一押しで自分の体から命が失われるだろう、というのはわかっていた。
 ぞっ、と体中の血が凍る。痛みや苦痛のせいだけでなく、恐怖のために指先が震える。死ぬ時はいつもそうだった。消滅に、消失に、もう戻れないかもしれない道を往く恐怖に、体中が震え、心が凍りつき、指先一本、感情すらもまるで、動かすことができなくなる。
 ――だからこそ。
「……死ぬのは、怖いですか」
「………ぅ」
「なのに自分の命を使って人を救うのですか? 自分が死ぬのが怖いから? 他の人間もそうだろうと? そんな感情を他者に味わわせたくない、と?」
「…………」
「……いやはや。勇者というものは本当に、度し難い代物ですな」
 男は肩をすくめ、セオの耳に口を寄せ、囁いた。
「心配せずとも、彼女のことは私が面倒を見ましょう」
「……っ」
「彼女のことなら少しは知っています。どれだけ怯えようが、命を絶つことなどできる女ではない――だが、あなたがそこまで心配するのなら、彼女が落ち着くまでそばにいましょう」
「………!」
「では、あなたはその代わりに、私になにをくださいます? 私は商人、お代をいただかなくては動くこともできない人種でしてね」
「…………っ」
 セオは、男を見つめ、必死に口を動かした。それでも声はまともに喉から出ず、けほ、けは、と代わりに血と咳が出るばかり。だが、商人は肩をすくめ、笑った。
「『自分にできることなら、どんなことでも』? そんな安請け合いをしていいのですか。私はあなたに、ここから出せ、商人として働かせろ、というような無茶を言うかもしれませんよ?」
「…………」
「……なるほど。それは自分に許されたことではない、と。自分の責任において許されたこと以外は、本当に申し訳ないが自分の一存で与えることはできない、と……ある意味、一貫した考え方ではありますな」
 男は苦笑しつつ体を起こし、くるりとセオに背を向けながら、ぽんと手を打って告げる。
「そうそう、ついでです、私が昔聞いた噂もついでにお売りしましょう。ガイアの剣はサイモンという男が持っているそうです」
「………?」
「意味がわかりませんか? そうでしょうな、私にもはっきり意味がわかっているわけではないのです。あとは預言者のじいさんに聞かれるのがよろしいでしょう」
「…………」
「……お代? いりませんよ。こんなもの、私が売りつけるほど価値のあるものじゃない」
 言って商人は走り出す。それを体を寝台にきちんと横たえさせて見つめながら、息を吐いた。寝台の周りはすでに血まみれになっている。申し訳なさに胸をかきむしりたくなった。寝台を汚し、女性を傷つけ、それを慰めるのも人に任せ――なにより、自分に再び命を与えようと仲間たちが戦うのを、止めることもできない、なんて。
「わしは預言者」
 唐突に寝台脇から発された言葉に、セオは驚いたが、体を反応させはしなかった。これまでの人たち同様にまるで気配は感じられなかったが(というか、こうして相対していても存在感そのものが人間とは違っているようにしか思えないのだが)、そんな相手にいちいち絶息するほど驚いていては、また死んで仲間たちに迷惑をかけてしまうことになる。
 自らを預言者と称する禿頭の老人は、こちらを睨むように見下ろしながら、ひどくきっぱりと言い放つ。
「そなたの未来のすべてを、わしは見通すことができる」
「…………」
「さぁ、なにが聞きたい。どのような質問にも答えてやろう。そなたの未来のすべてをわしは知っているのだからな」
「…………」
「ほう、知る必要はない、と? それはなぜじゃ?」
 喜びに瞳を輝かせながら老人はセオの顔をのぞきこむ――が、すぐに怯えたように後ずさりをした。
「まさか……貴様、そんなことを本気で思っているのか?」
「…………」
「『知ってそれに囚われれば、いざことが起こった時、仲間を救うことが難しくなるから』……? 自分の未来には――自分がどうなるかには興味がないと、そんなことを、本気で………?」
「…………」
「……貴様、まこと、恐ろしい奴じゃな。お前のような奴がもっと多ければ……いや、わしに言えたことではないな」
 老人は姿勢を正し、朗々とした声で託宣のように言葉を告げる。
「魔王の神殿はネクロゴンドの山奥! やがてそなたらは火山の火口にガイアの剣を投げ入れ、自らの道を開くであろう!」
 そう言ってから、ふっと表情を緩め、くるりとセオに背を向けた。
「確かに伝えたぞ。これがわしの最後の――そしておそらくはもっともマシな、預言じゃ」
 言ってすたすたと歩いていく。セオが困惑しつつも(ガイアの剣という剣の存在は一応知ってはいるが、それが火山の火口や自分の道とどう繋がるのかわからない)その背中を見つめていると、またもふいに、逆方向から声をかけられる。
「地面は本当は丸くてぐるぐる回っているのです」
 そちらに体を振り向かせると、急な運動に体が耐えきれず何度も咳き込む羽目になった。だが声をかけてきた男は(学者風の、眼鏡をかけた男だった)、それにかまわず狂ったようにまくしたてる。
「地面が回っているからお星さまやお日さまが動いているように見えます。でも、誰も信じてくれず私はこの島に流されました。しかし、それでも地面は回っているのです! そして丸いのです!」
「…………」
 セオは思わずきょとんとした。セオの理解では、地面というものは平らなものだった。平らな地面の北の極みと南の極み、東の極みと西の極みが繋がっており、太陽は天から大地を照らし、夜になれば姿を消す。
 というか、そうでなければおかしなことがいくつもあるのだ。太陽はどんな土地でも東から昇り西へと沈むが、それは見せかけにすぎない。太陽は世界の魔力が創り出した輝きの塊、世界の果てから昇るわけではなく、世界のありとあらゆる場所で東の果てから昇り西の果てに沈むように見えているだけで、その場その場の大地に恵みをもたらす光がほとばしる便宜的な出入口なのだ。そうでなければどんな場所でも(季節や南北の違いなどにより多少の差異はあるが)日の出や日の入りが似たような時間になるわけがないし、ルーラで転移した時にどんな場所でも同じ時刻に転移できるわけがない。
 星も同じだ。場所によって天に輝く星の位置は違うが、それは星が動いているのではなく、大地から発される魔力が天に星を投影しているのがそのように見えているにすぎない。そうでなければ北の果てと南の果てで、同じ場所に同じ輝きを持つ星が存在するわけがないのだ。
 かつては世界は球状だとか、輪状だとかいろいろ言われていたそうだが、新暦四百年頃には天文観測によりそれは間違っていると証明されている。その証明はセオとしても論理的に納得のいくものだったし、そもそもそんな常識に疑いをさしはさむ必要性を感じたことなどまるでなかった。
 だが、この人にはなにか、そう言い張るだけの妥当性のある情報や、論理があるのかもしれない。問うような気持ちでじっと男を見つめると、男は一瞬ぽかんとして、それからぶわ、と唐突に涙を流し出した。
 驚く(といっても、死なないように心身を制御していたせいでわずかな揺らぎ程度のものでしかなかったが)セオにかまわず、男は涙を拭いもせず喉に絡んだ声で叫びだした。
「あぁ……ああ! あなたは頭から馬鹿にしないのですね。最初から疑いはしないのですね。私の話を聞いてくれるのですね!」
「…………」
「ああ……ずっと! ずっとあなたのような人を待っていました! 無視するのでも、盲従するのでもなく、私の話を聞いて、理解しようとしてくれる人を!」
「………、……」
 男の言葉を理解しようと反芻して、はっとした。『話を聞いて、理解しようとしてくれる』。その言葉には、セオをひどく、はっとさせるものがあったのだ。
「私がなにを見て、なにを感じて、なにを考えているか! それをすべて理解してくれなんて無茶なことは言わないし言いたくない! けれど、どうか! この世で一人でもいいから! 普通なら誰も見向きもしない、まるで価値を認めない私の言葉に、考えに! まともに向き合ってくれる人がほしかった! 向き合って、理解しようと、本来ならまるで理解できない私の考えに、つきあって、一緒に考えてくれる人がほしかったんだ!」
「…………」
「その結果最終的な結論が否定でもかまわない! 私が真実だと思ったことを、その考えのもとに行動した論理を、頭から否定せず、理解しようと努力してくれる人がほしかった! 少しでもいいから……自分にはその価値があると、放り捨てにしないで大切にしようとしてくれる人がいると、そう思える相手が、ほしかったんだ……!」
「…………」
「……ありがとう。あなたのおかげで、私は……生まれてきてよかったと、思うことができた………!」
「…………」
 なにも言えず男を見守るセオの手をぎゅっと握り、男は背を向け走り出す。それをじっと見つめながら、セオは一人考えていた。
 彼の言った言葉と、自分の今おかれている状況を。

 レウは予定の配置につき、草薙の剣を抜いて構えた。いつ魔物が襲ってくるのかはっきりわからない以上、万全の備えをしていて悪いということはない。
 まぁレウの場合備えと言っても武器を構え心構えをしゃんとしておくくらいのものだが、それでも気構えがあるかないかではまるで違う。不意討ちされて攻撃を喰らいでもしたら洒落にならない。万一の時のため薬草の類は準備してあるが、レウの魔法力はけして高い方ではないのだ。
 と、耳ではなく、脳裏に直接声が響いた。
『勇者レウ。準備はできていますか』
「あ、はいっ!」
 エリサリの声に慌てて姿勢を正す。エルフで、いたんしんもんかんやらいう妙な役職についているせいかどうかは知らないが、彼女はひどく真面目な女性のようにレウには思えた。ムオルの学校にも女の先生がいたが、彼女の前ではどんな悪戯坊主も大人しくなるくらい迫力がある人だった。それを思い出すくらいの威厳と、強い意志が感じられたのだ。
 果たして、レウの脳裏――と言うべきなのか心の中と言うべきなのかレウ自身にもよくわからないが、とにかくレウの中にふうっとセオの気配が浮かび上がった。自分の中に他人の気配があるというのは不思議な感覚だったが、そんなものにはまるでかまわずレウは勇んでセオに話しかける。
「セオにーちゃんっ! 大丈夫っ? 元気? 痛いとことかないっ?」
『……大丈夫、だよ。痛いところとかも、さほど増えたりは、してないし。寝転がっていれば充分生きていられるくらいには、元気だよ』
「そっか! ……え、それって、体が痛いところは前と変わらずあって、立ったり動いたりしたら死にかねない、ってことじゃねーの……?」
『それは……そう、だけど。そんなことは、当たり前の、ことだから』
「はぁ!? 当たり前ってなんだよ、意味わかんねー! セオにーちゃんが死にそうなの、俺やだよ!」
『……ごめんね。本当に、ごめ』
 とたん、体中の骨をぐしゃぐしゃに砕かれるような激痛が襲いかかってきた。立っていられなくなり、体が勝手に膝をつき、倒れてしまうくらい、体中に力が入らない。息がつまり、全身が神経を直接触られたように痛む。同時に心にセオのひどく咳き込む音が伝わってきて、セオが今ひどく苦しんでいるのだと否が応でも伝わってきた。
「っ………っ、セオ、にーちゃんっ……だい、じょう、ぶ……?」
『! もしかして、痛みが……!?』
「……うん、伝わって、きたよ。セオにーちゃんが、今、どのくらい苦しくて、体中が痛い、かって」
『………!』
 とたんセオの気配がすぅっと薄れていく。壁を作ろうとしてるんだ、と反射的に見抜き、慌てて叫んだ。
「待ってよ、セオにーちゃんっ! 逃げないでよっ! 俺、話、あるんだからっ」
『…………』
 セオの気配が消える前ぎりぎり、というくらいの状態で留まる。それでも幾重にもレウとの間に心の壁を挟んでいるのが感じ取れて、レウは思わずむっと唇を尖らせた。
「セオにーちゃん、なんで壁作んだよ。俺、セオにーちゃんと思いっきり話、したいのにっ」
『……だって、レウに……無駄な痛みを、味わわせるわけには、いかないから』
「無駄じゃないもん! セオにーちゃんの痛みだろっ、セオにーちゃんの感じてること、俺だって感じたいよっ」
『なん……で』
「だって、そうしないとセオにーちゃんの気持ちとか、わかんないじゃん」
 幾重にも壁を挟んで、セオの気持ちや感じていることはいまひとつ伝わりにくいのだが、それでも息を呑む気配が伝わってくる。そちらに向け、レウは懸命に訴えた。
「俺さ、セオにーちゃんに、聞かなきゃなんないことあったんだ」
『……な、に』
「あのさ……なんで、あんなことしたの?」
『あんなこと……って』
「えっと、なんで、自分が死にかけるような、それもこれからずーっと死にかけの状態でいなきゃならないような、仕組み作ったの?」
『……あれは、俺の、当然払うべき、代価だから。本来なら、あんなものじゃ全然足りない、できるなら、自分の命の、何千倍って生命力を支払わなきゃならなかったのに、俺がだらしないせいで、あの程度に』
「そーじゃなくって! そんなことしたら、セオにーちゃん、なんにもできなくなっちゃうじゃん! 戦うどころか、まともに暮らすこともさっ。なのに、なんで? あんな風に……さっき俺が感じたくらいに、まともに立つこともできないくらい痛くて苦しいの、ずっと味わわなきゃいけないのに、なんでそんな風にしたの?」
『だってそれは、俺が、当然、払うべき代価で』
「だいかってなんだよ! なんでセオにーちゃんがそんなことしなきゃなんねーわけ!?」
『俺は、選択をして、しまったから』
「せんたく……って」
『勇者と、いうのは……少なくとも、俺は、世界のすべてを背負って戦うのが、当然の、存在だから。命の取捨選択を、してはならない存在で、それが俺のただひとつの、存在をかろうじて許されるところでもあったのに――なのに俺は、選んだんだ。魔物の、命を奪って、自分たちの、経験値にすることで仲間たちを護ることを。世界中の人から、少しずつ命を奪い、ジパングの人々から生贄を出させなくすることを。選択には、責任が伴う。特に、世界中の人々に、関わることを、自分の一方的な考えで決めてしまったことは、いくら命を捧げたところで、許されるものじゃ、ない』
「許されるものじゃ、ないって……」
 困惑し、混乱し、それでも口を開こうとするレウに、セオはきっぱり、はっきりと告げる。
『だから、俺の、今の状態は、当然の結果、なんだよ。支払うべき代価を、支払っているだけ。選択の責任を、取っているだけ。本当なら、こんなものじゃまるで足りないのに、申し訳ないと、思っているけれど……他に、少しでも責任を取る方法が、見つから、なくて』
「〜〜〜っ………そーいう問題じゃ、ねーよっ!」
 レウは必死に叫んだ。喉を震わせ、腹の底から。振り絞るように声を出して。
「だって、セオにーちゃん、頑張ってたじゃん! いっぱい考えて考えて考えて、ジパングの人たちにもいいように、世界のためにもいいようにって考えて、そんでやったことじゃん! なのになんでセオにーちゃんばっかが責任取らなきゃなんないわけ!?」
『世界の、人たちの命を、勝手に削り取る仕組みを作った。それは、本当なら、こんなものじゃ』
「じゃあ、俺たちは!?」
『……え?』
「俺たちだって一緒じゃん! 俺たちだってセオにーちゃんと一緒に選択したんじゃん! なのになんで俺たちからは生命力取らないわけ!?」
 セオからは一瞬ぽかん、とした気配が伝わってきた。呆然、と言ってもいいくらいあっけにとられた気配が伝わってくる。自分の言ったことは、セオにはそれくらい予想外の台詞だったのだと嫌でも理解できた。
『だ、って……こんなことを、考えついたのは、俺、だし……』
「俺たちだってそれにしようって言ったじゃん! 責任、おんなじくらいあるだろっ」
『実際に、実行したのは、俺だし……やってはならないことを、やってしまった張本人は、俺以外いない、わけだし……』
「実行したのが誰かなんてたいして関係ないだろっ! 案出したのはセオにーちゃんだけど、俺らみんなそれでいこうって決めたじゃん! なのに、なんでセオにーちゃん一人のせいにしちゃうんだよっ」
『そ、れは。だっ、て。みんなから生命力、奪ったら、戦う人間が、いなくなるし……』
「その理屈でいくんならセオにーちゃんだって元気でいいじゃん! 戦える人間は多い方がいいに決まってんだから!」
『だ……けど』
「……セオにーちゃん、さぁ。俺らのこと、嫌いなの?」
『!』
 その言葉に対する反応はとんでもなく激しいものだった。壁を抜いてこちらにも苦痛が伝わってくるくらい息を荒げながら、必死に懸命に訴えてくる。
『違う! 俺は、そんなこと、全然、少しも! 思って、ない! 俺に、とって、みんなは! 世界で、一番って、くらい! 大切で、護りたくて! 生きていて、ほしい、相手で! だからっ』
「……へへ、そっか。よかったぁ……」
 思わず深々と息をつき、それから満面の笑顔になってセオに語りかける。自然にそんな顔になってしまうくらい、ほっとした、嬉しい気分だった。
「あのさ、セオにーちゃん。俺たちさぁ、セオにーちゃんが倒れて、すっごいすっごい心配したよ」
『!』
「そりゃ、死んでも生き返れるのかもしんないけどさ。セオにーちゃんが苦しんでるとことか、見るの、辛かったし。生き返れるんでも、セオにーちゃんが死ぬとことか見るの、すっごい嫌だった。元気になってほしいって、普通に生活できるようになってほしいって、すっごくすっごく思ったよ」
『……レ、ウ』
 返ってくる声がひどくか細いのも気にせず、レウは自分の気持ちを訴える。この一ヶ月ずっと溜めてきた気持ちをセオに投げかけたかったし、わかってほしかったし、それと同様にセオの気持ちをわかりたかった。自分じゃ力不足かもしれない、とは思ったけれども、セオが自分たちの気持ちをわかってくれないのも、それで寂しい思いをするのも、同じようにセオの気持ちがわからなくてセオに寂しい思いをさせるのも嫌だったのだ。
「セオにーちゃんは、さぁ。俺らがさ、セオにーちゃんのこと元気にさせようって、いろいろ考えて、なんかするのとかって、めーわく、なの?」
『そんなこと……ない、けど。だけど……』
「だけど?」
『……俺なんかの命のために、魔物の命を、奪うのは、間違ってる、と思う。俺は、自分の選択の、責任を取っている、だけなんだから。それを、他の存在の、命で埋めるのは……そんな理不尽な理由で、命を、奪われるのは、魔物たちが、あんまり、可哀想すぎ』
『……い、い、加減にしやがれ、このクソボケタコ野郎――――っ!!!!』
『っ!』
 脳裏にわんわんと響くような強烈な声に、レウは思わずわひゃ、と耳を塞ぐ。もちろん心の声なのだから耳を塞いだところでどうなるわけでもないのだが、反射的にそうせずにはいられないくらいの大きさだった。
「……って、フォルデ!? 聞いてたの?」
『最初っから聞こえるようにはしてたんだよ、エリサリがな。そんで今俺にも話させろっつったら素直に言うこと聞いた』
「……なら最初っからみんなで話せるようにしとけばよかったのに」
『なんか最初はお前に話させるのが一番警戒心解かれやすいとか言ってたぜ。まぁ、こいつ俺らだとすぐ萎縮しまくるから、そうかもなって黙ってたけど』
「でも今話しかけてるってことは……なんか、言いたいことあるんだよね?」
『あんなたわごと聞いたまんまで黙ってられるか。……おい、セオ!』
『は、い……』
『てめぇふざけたこと抜かすのもいい加減にしろよ。可哀想だぁ? 阿呆かてめぇは! 責任もクソも、俺らがやろうとしてんのはてめぇを元気にさせるために寄ってくる魔物をぶっ殺す、ってこたぁてめぇが生きるために動物だのなんだのをぶっ殺すのと同じだろうが! 肉のためにぶっ殺すのと同じなんだぞ、それでどうして可哀想だなんだって話になる!?』
『……ええ。わかってる、つもりです』
『わかってんならなんでてめぇは』
『だから、すごく、思うんです。山ほどの命を奪って、生きながらえてしまっている俺が、ただでさえ何千何万という命を喰らっている俺が、これ以上無駄に命を喰らうべきじゃ、ないんじゃ、ないかって。それだけの命を喰らって、俺は、それだけの、価値のあることが――これから先の人生で、奪った命に報いるだけの価値のあることが、できるのか、って。魔王に、人間社会の征服を断念させるだけで、足りると思っていたわけじゃ、ないですけど。本当に……こうして、かろうじて払っている代償でさえ、本来の責任の重みからすれば、何十分の一にも、ならないのに、それからこんな風に、みなさんの手で、俺はなんにもしていないのに、簡単に逃れるなんてことが、許されるのか、って……』
『……てめっ……え、なぁっ……』
『悪いが、俺たち……いや、他の奴はどうか知らんが、俺からしてみればそんなことはどうでもいいことだな』
 唐突に割って入ってきた声に、レウは思わず名を呼んでしまう。
「ロン!」
『ああ。……さっきから聞いていたが、君の言いたいことはそれで全部か、セオ?』
『……は、い』
『なら、今度は俺の言いたいことを言わせてもらおう。君がどんなつもりだろうが俺は魔物を殺し、君の命のために吸い上げさせる。君の命のためというのはつまり、君のため≠ナはないということだ。より正確に言うなら、俺自身の行動目的は俺のためだ。俺が、君が死にそうになっているのが我慢がならないからだ。だから、俺は俺の勝手で魔物を殺し、君の命に引き換える。君がどんなに嫌がろうがだ』
『で、も……あの』
『わがままなのは承知しているが、君もずいぶん自分勝手なことをしてくれてるんだからこのくらい許容範囲内だろう。少なくともこの一ヶ月、俺は、たぶん他の奴も相当苦しまされたわけだしな』
『え……』
『……ま、予想はしていたが。君は本気で、俺たちが、死にそうになっている君を目の前にして、心配しなかったと思っているのか?』
『………!!! ごめんなさい………! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ、ごめんなさいごめんなさいごめ』
 心の声は途中で途切れた。幾重にも張られた壁の向こうから、喉が裂けるような、腹が、肺が貫かれるような、体中の骨が、筋肉がぐしゃぐしゃに潰されるような痛みが伝わってくる。きっとセオはこの何倍も苦しんでいるのだろう、レウは必死に叫んだ。
「セオにーちゃんっ! セオにーちゃん、大丈夫っ?」
『……大丈夫、だよ。少し、咳き込んだ、だけ、だから』
「セオにーちゃんっ……」
『……ま、こういう風にな。ちょっと衝撃を与える言葉を使っただけで君の命に危険が訪れるような状態は、正直ごめんなわけだ。君にはとっとと、死ぬほど落ち込もうが土下座しようが死ぬことがない程度には体力を回復させてもらいたい』
「ロンっ! おまえ、セオにーちゃんいじめんなよっ」
『俺にしてみればこの程度のいじめは挨拶のようなもんだぞ。それに、それを言うなら俺たちも充分いじめられている。なんの相談もなく自身の命を捧げるシステムなんぞ創られて、それから一ヶ月半死半生でどうすれば元に戻るかもわからない不安な状態を過ごさされて。しかもセオはそういうことをまるで考えていない、というか自身が死にかけているのが俺たちにとってどれだけ衝撃で、旅をする意欲を削ぐか想像しようともしていない。一緒に旅をしている仲間である俺たちの苦しみや痛みを、想像することも、その想像を行動に反映することもしてはいないというのは、それは俺にしてみれば充分怒りを抱くに値することなんだが、お前は違うのか』
「っ、そーいうことじゃ、なくてっ……!」
『やめとけ。ロン』
 そう低く、けれどひどく鋭く言い放ったのはフォルデだった。驚くレウにかまわず、きっぱりした口調で言い放つ。
『俺らがこいつを心配したのは俺らの勝手だ。こいつが俺らに心配してくれだなんだと言ったわけでもなんでもない。こいつだって俺らを心配する時、心配しただなんだと恩着せがましいことは言わなかった。だったら俺らもその流儀で返すのが筋なんじゃねぇのか』
『……お前にそう言われると返す言葉がないな。わかった、この辺でやめておこう――だが、セオ。これは言っておくぞ。俺は心の底から怒っているし、納得がいっていないし、君に山ほど文句を言いたい気持ちを抱えているし――』
 そこで一度言葉を切って、声の調子を静めて言う。
『寂しい』
『……え?』
『君と話せないのが寂しいし、辛い。君が苦しんでいるのが悲しいし、自分が苦しんでいるのと同様に苦しい。この一ヶ月、君に元に戻ってほしいと、せめて生きるのが辛くない状態に戻ってくれたらと思わない時はなかった。君に幸せになってほしいとか、幸せを与えてやりたいとか、そういう気持ちとはまた別にな。元気になってほしい、そしてまた一緒に旅がしたい、そうできたらどんなに幸せだろう。俺の勝手な感情の押しつけで申し訳ないが、俺がそう思っているのは間違いのない事実だ』
『…………』
 セオからあっけにとられたような感情が伝わってくる。そのせいで、セオにとっては本当に思ってもいなかったことなのだろうというのはよくわかった。
 けれどロンの心からは、しっかりと言葉通りの感情が伝わってくる。理性やらなにやらでいくつも壁を作ってはいるけれども、そこに開いている扉やら窓やらから抑えようもなく感情がはっきり漏れ出てくる。
『ではな。どうか、レウに力を貸してくれるよう祈っているぞ』
 それだけ言ってロンの気配は消える。エリサリに頼んで心の繋がりを切ってもらったのだろうというのはなんとなく想像がついた。
 数瞬場に沈黙が下りる。その中で一番舌打ちしてみせたのは(たぶん体の方はがりがりと頭を掻いたりしているのだろう)、フォルデだった。
『チッ……あのクソ賢者、言いてぇことだけ言ってとっとと消えやがって』
『あ……の、ごめん、なさい……』
『だっから、なんでてめぇが謝んだよ、ここで』
『あの、ロンさんが、接続を切ったのは、俺と、これ以上話していたくないって思われたからだと、思う、ので……』
『……てめぇ、それ本気で言ってんのか』
 すぅ、と低くなるフォルデの声に、セオの声もやはり低く答える。
『……そういうことしか、考えつかない、んです。俺は、本当に、どうしようもなく情けない、力の足りない、だらしない勇者です』
『それがなんでロンがてめぇと話したくねぇってことになんだ』
『俺が、自分の足りなさを知っているから……自分の未熟さを知っているから、思うんです。『どんな人も、これでは俺を情けないと、力不足だと、軽蔑し、憎悪するだろう』って』
『…………』
『ロンさんが、今……俺に、すごく優しい言葉をかけてくれたのは、わかっています。信じられないくらい、優しい……みなさんが俺のことを大切だと思ってくださっているだろう、っていうことは、わかっている、つもり、でしたけど……そういうの、だけじゃなくて……』
『なくて?』
『っ……俺にも、ロンさんに……なにか、与えられるものがあるんだって……そういう、思い上がったことは、考えたこともなかった……いえ、与えられるものがあったらって夢想したことはありましたけど……本当に、あるなんて、そんな偉そうなこと、思い上がりだとしか……』
「……なんで?」
 レウは眉を寄せ、会話に割って入った。セオがなぜこんなことを言うのか、さっぱりわからなかった。
『な、んで、って。だって、俺は、いつもみなさんに失礼なことばかりしているし、力も決意も潔さも足りなさすぎるし、今回もみなさんに相談もなく自分勝手なことをしたし……』
「んー、そりゃ、セオにーちゃんが死ぬような目に遭うのは嫌だし、もうこんなのやめてほしいって思ったけどさ。でも、セオにーちゃん、すっげー勇者じゃん」
『っ、え』
「すっげー強いしさ、すっげーカッコいいし、すっげー優しいし。それにすげー自分にキビしくてさ、もっと強くなろう強くなろうって頑張ってるじゃん。強くなって、ちょっとでも失われる命減らそうってしてんだよね? それって、俺、すっげー偉いと思うんだけど」
『え、あ、の、そ、んな、ことは、な』
「そんなことあるよ。セオにーちゃんは自分に厳しいからそう思わないのかもしんないけどさ、俺はほんとのほんとにそう思うよ。セオにーちゃんは、ほんとのほんとにすっげー勇者だって」
 きっぱり言い放つと、壁の向こうからでもセオの感情が大きくうねり、揺れ動くのが伝わってきた。圧倒的な恥ずかしさと、押し潰されんばかりの申し訳なさと、その底からかすかにのぞくすさまじく強烈な嬉しさ。いろいろややこしい気持ちはあるけど、セオにーちゃん、俺に褒められて嬉しいんだ、と思うと、レウもなんだか嬉しくなってきて自然に顔が笑んだ。
「だからさ。ロンだってほんとにそう思ったんだって思うよ。なんていうか、気持ちも伝わってきたし。セオにーちゃんと話せなくて寂しかったし、セオにーちゃんが苦しいのが辛かったし、元気になってくれたらってずっとずっと思ってたんだって思う」
『……っ………』
「セオにーちゃんはさ。俺らがそーいう風に思うの、やなの?」
『そ! んなことはない、ぜった』
 そして数瞬の断絶と、その向こうから伝わってくる苦痛。またセオにーちゃん苦しいんだ、と思うと胸の辺りがぎゅうっとしたが、それでもセオの気配が戻ってくるやありったけの真剣な気持ちを込めて言う。
「じゃさ。俺らの言ってること、信じてくれる気持ちとか、ある?」
『……え。あ、の……?』
「どんなこと言ってもさ、言ってるだけじゃ結局言葉だけなわけだし。セオにーちゃんが信じられないっつったら、もうそれでおしまいだし。けどさ。俺は……たぶん、みんなも、セオにーちゃんに信じてもらいたいし、信じてもらうために、なんつーか、行動で示す? みたいなのもやるつもりだしさ。だから、っつーのもなんか変な気もするけど……」
 じっと前を見つめ、セオに自分の声が届くようにと顔を上げ、できる限りしっかりした声で。
「俺らが、セオにーちゃんにほんとのほんとに元気になってほしいって思ってるの、信じてほしいんだ」
『――――…………』
「……そういうの、いや?」
『そ……んなことない、けど……っ』
『……チッ。このクソガキは、っとにあとから出てきておいしいとこだけ持ってきやがるな』
 舌打ちして、聞えよがしに言ってくるフォルデに、レウはむっとして口を尖らせた。
「なんだよー、フォルデだって言いたいことがあんなら言えばいいじゃん。セオにーちゃん、そんくらいで怒ったりしないぜ? フトコロ深いもん」
『んなこたぁわかってんだよ。ただ……あーちくしょ、クソッタレが、この状況でぐだぐだ言ってもどーしようもねーか……』
 ひどく面白くなさそうに呟いてから、フォルデはセオに向け、静かに告げた。
『おい、セオ』
『は………い』
『てめぇがどんなつもりでいようがな、俺らは魔物どもを山ほどぶっ殺してお前の命に換えるぞ』
『っ……』
『これはてめぇのつもりとは関係ねぇ。俺らがそうしたいからだ。俺らが勝手にやるんだ。お前の責任じゃなく、俺らの責任でだ。俺らにとっては魔物どもの命より、お前の命の方が値打があるからだ』
『っ、フォ』
『お前がどうするかはお前の勝手だ。けどな、申し訳ないだの、許されないだの、んなしょーもねぇ逃げ口上でごまかしたらぶっ殺すぞ』
『に……』
『てめぇのケツはてめぇで拭けってこった。誰のせいでもねぇてめぇの腹でこうしたんだ、って胸張れる道選びやがれ。本気でその道選んで満足できるっつーんなら、俺ぁてめぇがどんな道選ぼうがケチはつけねぇ。腹ぁ立てるし文句は言うだろーけどな』
「それ、ケチつけんのとどっか違うの?」
『うっせクソガキ、微妙なようで思いっきり違ぇんだよ。……ただ、ま……』
 数瞬口ごもり、逡巡する気配があってから、思いきったように早口で、大声でフォルデは叫んだ。
『俺もてめぇに元気になってほしいってのは同じだけどなっ! ……そんだけだっ!!』
 そう言うやフォルデの気配も消える。ったく、照れちゃって、ガキなんだからしょーがーなー、と広い心で見守りつつ、セオに最後の一言を告げようとした時、レウの心に繋がっている心の中に、セオのものではない気配を持つものがあることに気づいた。
 やっぱり、なにか言いたいのかな? と思って待っていると、果たしてその気配は、落ち着いた柔らかい声で、静かに告げた。
『……迎えに行くから』
『………―――』
『その時までに、君に元気を届けておくよ。俺のできる、めいっぱいで』
『――――…………』
 その言葉に対する答えは、返るまでにかなり時間がかかったが、それでも最後には(小さく小さくではあったけれど)、『………はい』とはっきり返答が戻ってきたので、レウはうん、とうなずき、満足して神経を敵が出てくるだろう海へと集中させたのだった。

「……最後に確認しとくが。エリサリの言ってるこたぁ、嘘じゃねぇんだな?」
『俺の調査能力が奴らの隠蔽能力であっさりごまかされるほど低くなければな』
 返ってくるそっけない返答に、フォルデはふん、と鼻を鳴らす。台詞の内容自体は普段、というかフォルデの知っているロンにしては頼りないことはなはだしいものではあるが。
「てめぇがそんだけさらっと言ってるってこたぁ、それなりに自信があんだな」
『少なくとも、この件に関してはな。もちろん俺の賢者としての能力はまだまだ未熟なレベルでしかないが、この程度の機密に挟み込んだ偽情報に気づかないほど鈍感ではないつもりだ。この手の秘術に関する防壁は、機密度が高くなればなるほど強力になる。逆に言えば、機密度の低い秘術についてはレベルの低い防御しか敷いていない。それをいじれば、いじった者の腕が高ければ高いほど不自然な痕跡が残る』
『玄人が素人の真似をするのには限界がある、ってことか』
『そういうことだ。……レウ、お前の方はどうだ? 勇者の力は共振できているか?』
 魔物迎撃要員の四人の心を繋いでいるのだから(このコヨーワとかいう念話の呪文は本来は制御が難しいらしいが、ロンくらいのレベルになれば数人の心を一度に繋げつつ他の呪文を使うくらいのことはちょろい、らしい)当たり前だが、レウともきっちり心が繋がれている。別にそれが不満なわけではないが、『おうっ!』と答えるレウのきゃんきゃらした声は(心の声なのに)耳元で叫ばれているようにやかましく、少しばかり閉口した。
 魔物の力は夜の方が強くなる、すなわち生命力も攻撃欲も強くなるのだから今回の作戦は夜に行うことになっている。降り注ぐ月の光が、波に砕けて白い輝きを散らした。
『……けど、俺、勇者の力がどんなもんかとか、ちゃんとわかってるわけじゃないし、どんな風になったら共振してんのかとかもいまいちよくわかんないんだけど……ほんとに、俺の感じだけでいいの?』
『ああ。それが一番正確だ。勇者の力なんぞ、人間が生まれてこの方誰も原理を解明できなかった代物なんだぞ。勇者の主観的な感想が一番信用できる』
『んー……けどさぁ、ぜんぜん魔物、来ないよ?』
『セオと自分の魂が一緒に響いている感じはあるんだろう?』
『ん、うん……なんか、それっぽい感じはある、ってくらいだけど』
『なら、それでいい。いまさら横からああだこうだ言う方がかえってまずい』
『……けど、魔物、全然来なかったら、さぁ……』
「……おい、クソガキ。よかったな、お前らの力、きっちり働いてるみてーだぞ」
『え? ……あ』
 レウが小さく声を漏らすのに笑みを浮かべながら、フォルデはドラゴンテイルを構えた。マリンスライム、マーマンダイン、ガニラスにヘルコンドルと、海から魔物がうじゃうじゃと上陸してくる。
 やるべきことは決まっている。したいことも決まっている。なら、全力でそれをやるだけだ。こういう時自分は思いきり全力を出せると、フォルデは自分でわかっている。
 一匹も背後に通せないという状況の厳しさを理解しながらも、笑みすら浮かべながらフォルデは駆けた。
「ずっと全力ぶつけてぇって思ってたんだ……今日は死ぬまでつきあってもらうぜ!」

「ふっ! らぁっ! でぇあっ!」
 ラグはバトルアックスを右に左にと振り回し、次々魔物たちを薙ぎ払った。出てくる魔物たちの強さはほとんどが海の魔物の平均程度、ラグの一撃であっさり沈む――のだが、なにせ数が半端ではない。あとからあとから息つく間もなく、それこそ怒涛のような数がやってくるので、ラグは走り回りながら必死にバトルアックスを振るわなければならなかった。
「ぐっ! っ、はっ! が、で、ぇいっ!」
 当然そこまでの数になれば、動き自体は冒険者となる職業の中では鈍重とすら言っていい戦士職であるラグは、さばききれず次々体に傷を負う。だがラグはそれを無視して湧いてくる魔物たちを全力で倒して回った。傷を負うのには慣れている、この程度の魔物から受けた傷で動けなくなるほどやわではない。
『ギキギキキキ!』
「引っ込んで、いろっ!」
 ぶぉん! と風を逆巻かせて斧を振り下ろし、鋭い爪を生やした腕を振り回してくるマーマンダインの頭を叩き割る。腕を振り回しているところに突っ込んで攻撃したので鋭い爪が鎧の上から体に叩きつけられたが、その程度の痛みも傷も、今のラグを押し留める役には立たない。
「……迎えに行くと言ったのに、こんなところでやられるわけにはいかないんで、な!」
『ゲキャッ! ゲゲガゲェ!』
 ガニラスに反応される前に突っ込み、殻を砕き割っては振り回して放り出し、次の敵へと向かう。普通の傭兵、というか普段のラグならばそんな無駄に体力を使う動きはしなかっただろうが、今はそんなことを言っている場合ではない。
 なにせ魔物の数が多すぎる。本当にあとからあとから山のように、最初の敵を倒しきる前に突撃してくるのだ。少しでも対処が遅れれば、自分の後ろに魔物が通り抜けてしまう。
 そんなことを許すわけにはいかない。絶対に行かせはしない。自分の後ろには、護りたいと――少なくとも今は絶対に護ってやると誓える相手がいるのだから。
「なにがあろうと――退いてたまるか!」
 ばぎん、とマリンスライムの一体を中身ごと叩き割ると、群れていたマリンスライムたちは素早く跳び退ってラグと数十歩の間合いを取った。そして甲高い声で流れるように、奇妙な響きの呪文を唱え始める。
『И☆ДЮ¶▽ÅΘ』
「ち!」
 おそらくはスクルトを唱えて守備力を上げようというのだろう。これだけの数になれば上がる守備力も桁外れになるはず。その前に少しでも数を減らそうと突っ込んだが、その前に後ろからマーマンダインが何匹も這い出てきて壁を作った。そしていっせいにマリンスライム同様に、魔物特有の奇妙な響きの呪文を唱え始める。
『※ш▲Γξψ‡∇』
 発される殺気、漏れ出る凍気からヒャドの一斉詠唱だと嫌でもわかったが、ラグはそれを無視して突撃する。ヒャドを撃たれるよりも守備力を上げられるのがなによりまずい。マーマンダインはべホイミを使えるし、なによりこの数だ、長期戦になれば押し負けるしかない。
 ビュ! と南の果てらしい冷たい空気を斬り裂いて、氷の矢が何十本もラグめがけ突撃する。魔力で練られた凍気は魔法の鎧の装甲を通り抜けて肉体に直接突き刺さったが、ラグは傷も痛みも無視してバトルアックスを敵の頭蓋めがけ振り下ろした。ここで一瞬でも遅れれば、文字通り命取りになる。
 五匹まではかろうじて一撃で殺ることができたが、六匹目の頭を叩き割ろうとしたところでマリンスライムの呪文が完成した。もちろん敵のすべてに呪文がかけられたわけではないだろうが、これだけの数に呪文を唱えられればやはり守備力は爆発的に高まるようで、六匹目のマーマンダインの頭はぎぢぢっ、と音を立ててラグの斧を滑らせる。
「ち……!」
 面倒なことになった。全員一緒にいる時ならばロンやセオや、(頼るには心もとない代物ではあるが)レウの呪文で薙ぎ払えただろうが、物理攻撃しか能のないラグにはスクルトの呪文は天敵。しかも前衛役の魔物が壁を作ってマリンスライムが後ろでひたすらスクルトを唱える態勢を作られると、一人一人殴り倒していくしかできないラグとしてはほとんど詰んだも同然だ。
「……けど、そう簡単にあきらめる気は、ないからな……!」
 いいや、正確には、どれだけ困難であろうとあきらめる気はない。自分が倒れれば、後ろに敵が行けば、セオに、今も半死半生の状態のセオに魔物が襲いかかることになる。それは、絶対に、なにがあろうと、なにがなんでも――
「やらせるわけに、いくか………!」
 がづぃん! と奇妙な響きを立ててラグの攻撃を弾こうとする皮膚に、裂帛の気合を込めて刃を振り下ろす。鍛えぬかれ、磨き上げられたバトルアックスの戦刃は、ラグの気合に応えて硬化した敵の肉体を斬り裂いてくれた。
 と、群れ集まる敵の向こうから、巨大な影がのぞき、鳴き声が響いた。
『コ、ゴォアァァラアァァ!!』
「……大王イカに、テンタクルスか」
 大物のお出まし、というわけだ。本来なら水から上がらない種ではあるが、その巨体を生かして海中から触手攻撃をしかけてくる気らしい。おまけに横にはマリンスライムのお供も見える、正直ラグ一人では勝ち目のまるで見えない戦いだ。
 ――それでも。
「俺は言ったぞ――退いてたまるか、と!」
 叫んでバトルアックスを振り回し、突撃する。戻れるか否かの分水嶺は、とうの昔に越えてしまっているのだ。

「我、知命理、癒全傷!=@我、知命理、癒全傷!=@……くそ……!」
 ロンは大きく舌打ちをした。戦況が芳しくない――というより、はっきりとまずい。押されている、いやむしろ追い込まれている。ラグも、フォルデも、レウもはっきり言ってこのままではじり貧だ。
 基本的に自分たちのパーティの編成は、物理攻撃に大きく偏っている。それでもセオやレウがいるので普段は困ることはないが、今回のように雑魚敵が多数押し寄せてくるという状況では一気に分が悪くなってしまうのだ。
 それでも普段現れる程度の数ならばどうとでもできただろうが、今回の数ははっきり言ってこれまでとは桁が違う。一方に現れる数と限定してすら、一度に普段の数十倍は湧いている。ここまでの数ならばたとえ下級だったとしても防御が不可能な攻撃呪文では脅威になるし(回復呪文をかけることを考えるとマホカンタはかけられない)、後方に援護呪文をかける魔物たちを配置するような態勢を作られるとはっきり言ってどうしようもない。
 自分がそこにいれば広範囲攻撃呪文で殲滅できただろうが、今の自分ではこの島ほどの広さまで攻撃呪文の範囲を広げると制御が難しくなるというのは掛け値なしに本当なのだ。制御をしくじって仲間に攻撃する、というのでも充分にまずいが、セオを巻き込みでもしたらもう目も当てられない。
 だが、このままでは、確実に魔物たちに押し切られる。広範囲攻撃呪文を使うなら今しかない。しかし、制御できる保証はどこにもない。けれど、このまま放置すれば確実に。
 精神的に接続しておくことで相手の状態を察知できるようにしておいたので、仲間たちの傷の具合は感じ取れる。全員、絶え間なく回復呪文を唱えなければ死ぬ、というほどではないが確実に傷を累積させられている。
 ひとつの機にすべてを賭けるか、押し切られかねない堅実な手を取るか。
「く……、む!?」
 呪文を唱える機を測りながら懸命に考えていたロンは、爆発的に高まる魔力に思わず目をみはった。これは。島そのものを呑み込んで広がる、この圧倒的な力は。それだけの力を持つ可能性は考えていたが、今この時に出てくるとは考えていなかった相手から発される、この魔力は。
「レウ――お前、これは………!」

 すぅ、とレウは息を吸い込んで目の前に広がる敵を見つめた。斬り捨てても斬り捨てても次から次へとやってくる魔物の群れは、すでに千に届こうとしている。
 草薙の剣はその見事な切れ味を発揮して、レウの思う通りに敵を屠ってくれたが、それでも押し寄せる数が圧倒的すぎる。スクルトを唱えてくるマリンスライムや、べホイミやヒャドを使うマーマンダインのせいもあり相手の耐久力は上がっているし、マーマンの唱えるルカナンのせいもあって与えられる傷も深くなっている。のみならず、うかつに攻撃を受ければ麻痺してしまう痺れくらげや、バシルーラを唱えてくるヘルコンドルなど、出てくれば優先して倒さなくてはならない敵も数多い。大王イカやテンタクルスも、水中の海に飛び込まなければ剣の届かない場所からちくちくと触手攻撃を加えてくる。
 このままでは、負ける。おそらくは、フォルデやラグの方も同様の状態だろう。ロンは的確に呪文を唱えて、遠距離にまで回復や援護の手を伸ばしてくれているが、それでもこのままでは押し負ける。これまでセオたちと共に旅をしてきた二ヶ月で、そのくらいのことは嫌でもわかった。
 この状況をどうにかするには、強力な攻撃呪文で雑魚をすべて薙ぎ払うのが一番有効だ。が、ロンは島すべてを効果範囲に入れると制御しきれない、と自分で言っていた。セオには当然、今はそんな力はない。
 ならば、自分がやるのが当然だ。
 無理も気負いもなく、レウはごく当たり前のようにそう思っていた。自分はこのパーティの一員だ。他にできる人がいなくて、自分にできる可能性があることがある。だから、自分がやる。レウにしてみれば当たり前の思考だった。
 失敗の可能性など考えてもいなかった。想像することさえしなかった。だって、自分は仲間を、セオの命を背中に負っているのだから。すべきことをしようとしているのに、そのためにこれまで自分を鍛え力をつけてきたというのに、不可能なことなどあるわけがない。
 じ、と前を見つめる。剣を掲げた。自分の肌がぴりぴりと痺れ、空気中にある粒子のひとつひとつまで感じ取れるほど鋭敏になっているのがわかる。
 世界が自分たちの目の前にある。そしてその中に敵がいる。ならば、その敵たちのいる世界を壊す。他の世界に巻き添えを出さずに。
 難しいだのやれるかどうかだの、そんな心配は脳裏に浮かぶことすらなかった。自分はやれると当たり前のように確信、というよりこれはできることだと理解していた。こんなことできないわけがない。だって世界は、自分たちの味方だ!
「――――始源よ――――!!!=v
 腹の底に溜めた声を、気合を、自分たちの周りの世界すべてに響かせる。世界はそれに反応して、レウの周囲から大爆発を起こしていった。レウにはそんな知識はなかったが、水素爆発もかくやというほどのその反応は、連鎖的に、爆発的に周囲に広がっていく。
 イオナズンではない。それよりもさらに強力な、物体の粒子そのものを打ち砕くほどの強烈な魔力の爆発。それはレウの周りの世界すべてを呑み込み、レウの敵すべてを消滅させて、そして一瞬で消え去った。
「………………」
 じ、と前を見て、気配を探り、見渡す限りに押し寄せてきた魔物が一匹もいなくなっているのを知覚して、ふぅっ、と息をついた。とりあえず、自分にできることはやった。また魔物が押し寄せてくるかもしれないが、その時はその時だ。自分たちが全力で頑張れば、勝てない魔物なんて絶対にいない。
 うん、とうなずいて、少し楽な姿勢を取りながらも、油断なく目の前に広がる暗い海を見つめた。
 
「…………、…………」
 耳をつんざく爆発音と、それこそ爆発的な魔力の高まりを感じ、セオはは、と目を開けた。これは、たぶん、レウの力だ。イオナズンよりも強烈で、魔物以外は髪の毛一筋たりとも傷つけないほど見事に制御された圧倒的な魔力。
 これまでには見たことのないほどの力ではあったが、セオは特に驚きはしなかった。レウならば、このくらいは当たり前のようにやるだろう。彼は本当に、いつも前を向いている勇者らしい勇者だから。
 それから、は、とさらに大きく目を見開く。体が軽い。この一ヶ月ずっと体を支配していた、痛みや重みが消え去っている。もはやはるか昔のことのようにしか、思い出せないほど前のことのようにしか思えなかった、苦痛なく動かすことができる健康な体が、セオの手の中に戻っている。
 数瞬呆然として、それからわずかな安堵と、その数十倍の罪悪感が一度にやってきた。健康な体、息をするたびに体中がねじ切られるような苦痛を感じずにすむ体が戻ってきたことに対し喜びを感じる気持ちもあったが、その感情にも、健康な体を手にしてしまったことにも震えるほどの罪悪感を抱く。
 この体は、何千、下手をすれば何万という魔物の命を吸って得た体だ。それがたまらなく申し訳なかったし、自分に与えられた罰から勝手に逃れ出てしまったような気分が拭えなかった。自分に与えられていた苦痛は、確かに相当に強烈な苦しみをセオに与えるものではあったけれども、同時にある程度責務を果たしているという安堵をもセオに与えていたのだ。
 それが奪われて。体が潰れそうなほど申し訳なくて。息ができなくなりそうなほど苦しくて。
 ――それなのに。
「セオ、さん」
 寝台の横からかけられた声に、は、と体を起こそうとして、脳を強烈なめまいに支配され、寝台に再び倒れかかる。慌てたように助け起こされ、手をついてなんとか上体を起こした格好を保ったが、相手にひどく心配そうな顔をさせてしまった。
「……エリサリ、さん。すい、ません」
 ひどく嗄れた声だったが、エリサリはひどくほっとした顔になり首を振った。
「いえ……セオさんが、ちょっとでも元気になって、よかったです。セオさんが……死にそうになってる状態を見た時は、本当に……どうなるのかって思ったから」
「……すい、ません。……あと、ありがとう、ございます」
「いえ、本当に、いいんです、そんなの。セオさんが元気になって……普通に生きていけるようになったんなら、それで。あ、そもそも私ここによこしたのも異端審問官の上司の人ですし、私本当に大したことやってないですから、そんな偉そうなこと言えないんですけどね、実は」
 あは、と恥ずかしそうに笑ってみせてから、エリサリはふっと真剣な顔になった。
「セオさん。私がほどこした呪術式は、基本的にこれから半永久的にあなたの体に働きます。具体的に言うと、あなたがこれから倒した魔物の命はすべて、あなたの生命力を充填するように働きます。もしあなたに働いている機構がなにかの理由でさらに生命力を削り取るようになっても、魔物を倒し続けるのならば健康状態が悪化するようなことはないでしょう」
「………それ、は」
「これは、私の上司から直接受けた命令によるものですから、セオさんが私のことを心配する必要はないですし、あと魔物の命についてどうこう考える必要もない、と思います。セオさんはこれからもどんどん魔物を倒されるんでしょうから、その命を有効活用してるんだっていう風に考えればいいんじゃないかって。……この考え方、間違ってますか」
「………いえ。ありがとう、ございます」
「……あの。ひとつ、お聞きしてもいいでしょうか」
 じっ、と真剣な顔で見つめられ、セオは小さく「はい」とうなずいた。彼女の聞きたいことは、だいたい想像がついたからだ。
「なんで……ヤマタノオロチを倒そうって……オロチシステムを崩壊させようって、思ったんですか」
 まさに真剣、と言うにふさわしい斬りつけるような口調だった。けれど、これは敵意ではない、とセオはなんとなくわかっていた。彼女にとって、これ以上ないほど重要な話だから真剣にならざるを得ないのだ。
 だから、セオもできる限り真摯に答えた。
「俺が、誰かが生贄に捧げられるのが、我慢ならなかったからです」
 それに対し、エリサリは即座に、そしてはっきりとした口調で言葉を返してくる。
「それが世界にとって不可避な犠牲だったとしてもですか」
「はい」
「あなたの創り出した機構は、確かに一人に犠牲を強いることはないかもしれませんけど、ものすごく効率の悪いやり方です。ジパングの人一人の代わりに世界中の人々に苦しみを強いることになる。あなたが考えていたように、生きるか死ぬかという状態の人を、死に向けて押し出すことも多いでしょう。最終的な犠牲者は、間違いなくオロチシステムを存続させるよりはるかに多くなります。それでもですか」
「はい」
「……確かに、神々の御心は人にとっては理不尽に感じられることが多いかもしれません。でも、神々はすべての力をかけて、考えて考えて考えた上で、一番犠牲の少ない方法を取っているんです。この世界は、決して多くの人が思っているような安定したものじゃない。どこかに犠牲を出さなければ、一部分を斬り落とさなければ、存続できないようにできているんです。それを理解した上で、おっしゃってるんですか」
「はい」
 きっとセオの瞳をのぞきこんでくる眼差しに、真っ向から向き合いながらそう答え、静かに付け加えた。
「俺が、その犠牲にされる、人だったら。絶対に、絶対に、『自分が犠牲になるのが当然だ』って、思えないと、思いますから」
「――――」
 エリサリは目を見開く。それを、セオはじっと見つめた。少しでも、自分の考えたことが、自分の感じたことが伝わればいいと思いながら。
 死は。消滅は。本来不可逆な黄泉路を往くことは。本当に本当にたまらないほど、恐ろしいことだ、と。
 エリサリは目を見開いたまま、十数えるよりも長くセオと見つめ合い、それからのろのろと肩を落とした。ひどく重く、苦しげな動作で。
「……私は、一足先にここから転移させていただきます。みなさんとの再会に私がいたら、お邪魔でしょうから」
「え。あ、の」
「私は……セオさん。やっぱり、私は……」
 ひどく苦しげになにか言いかけて、ふっと動きを止め、ゆるゆると首を振る。
「……いえ。私がこんなことを言っても、意味、ないですよね」
「……なんで、ですか?」
「え、なんでって」
「俺、できるなら、エリサリさんの言葉……考えてること、お聞き、したい、です」
「っ」
 カッ、とエリサリの顔が赤くなった。え、なんで、と首を傾げる間もなく、エリサリは早口でまくしたてる。
「え、あの、いえっ、なんていうか、私まだまだ未熟っていうか、言える資格ないっていうか、あのそのなんていうか考えてることまだまとまってないので、今度! 今度お会いできた時にお話ししますんで! それじゃあっ!」
 そして素早く呪文を唱え、ひゅっ、と音を立てて転移するのを、セオはちょっとぽかんとして見ていたが、やがてはっとした。足音が、聞こえる。
 間違えようもない、この足音。何度も何度も聞いた音。自分のところに駆けてくる、四つの気配。これは。
 だだだだっ、と南東からすさまじい勢いで駆けてくる、年齢を表して軽い足音。
「セオにーちゃんっ、元気になったってほんとっ!? さっきエリサリのねーちゃんがねんわ送ってきたんだけどっ!」
 盗賊としての習い性か、走っているのにほとんど音がしない、けれどはっきりと存在感を伝えてくる足音。
「おいっ、セオっ! てめぇ、まだ死にかけとか抜かすんじゃねぇだろーなっ!」
 装備の重さを反映してどすどすと大きい、なのに不思議に安心を与える安定感のある足音。
「……セオ。体力、戻ったのかい」
 足音がしない、というよりいつの間にか音もなくそばに立っている、気配のないひそやかな、でも優しく柔らかい足音。
「どうやら、儀式は成功、らしいな。……やれやれ」
 四人の仲間たちに囲まれ、じっと見つめられ、セオは思わずびくっとして、ひどく身の置き所のない気分になったが、せめてもの謝意を込めて深く、深く頭を下げた。
「あ、の、体力は、元に、戻り、ました。本当に、あの……ごめんな」
「じゃあセオ、君はもうちょっとやそっとじゃ死なない状態にまで回復したんだね?」
 ラグに言葉を遮るように言われて、少し驚きながらもセオはうなずく。
「あの、はい。少なくとも、メラゾーマ数発分ほどの傷を負わなければ、死には、しないと、思います」
「そうか。それはよかった」
 言ってからラグはひょい、とセオの胸をつかんだ。そしてぐいと宙に持ち上げ、右手を引いた――
 と思うや、ばぎぎぃっ! と音がするほどの勢いでセオの顔に拳を叩き込んだ。
「! ラグ……」
「ちょ……ラグ兄、なにすんだよっ! セオにーちゃん、病み上が」
 仲間たちの声が遠くに聞こえる。肉体の衝撃のせいか、精神の衝撃のせいか。混乱し、惑乱し、申し訳なさと恐怖に体が震える――暇もなく、ふいに体が温かいものに包まれた。
 鎧を通してすら伝わってくる、熱いほどの体温。大きく逞しい鍛え上げられた戦士の体。それが、自分を、セオを、包み込むように、けれど痛いほど強く抱きしめ、耳元で囁く。
「元気になってくれて、よかった」
「…………――――」
 囁かれた声は、震えていた。セオは一瞬呆然として、それからぐ、と奥歯を噛みしめる。目が、体が、焼けそうなほど熱くなってくるのに、そうしなければ耐えられなかったからだ。
 なんだろう。なんなのだろう、この感覚は。衝撃、混乱、苦痛、苦悩、苦悶、それだけじゃない、それよりもっと痛いなにか。胸をかきむしっても、引き裂いてもまるで足りない、なのにたまらなく心臓が熱い。
「……ごめんなさい……」
 自分の声も震えていた。こんなに震えているのは初めてではないかと思うほどに。
「ごめんなさい……ありがとう……ごめんなさい……」
 礼を言うことが許されているのかどうかはわからなかったが、口が勝手に動いて止まらなかった。震える声で、震える体で、目と胸を熱くしながらひたすらにくり返す。
 レウが目をぱちぱちさせてから、にこっとひどく嬉しそうに笑う。フォルデが面白くなさそうに肩をすくめ、こちらに背を向けた。その体はひどく震えている。ロンは自分たちを見つめ深々と息をつき、それから小さく苦笑してみせた。
 そして、セオは、震えながらそろそろと腕を上げ、こんなことが許されるのか、やっていいのかと何百回も自問自答しながらも、胸の、瞳の焼けそうな熱さに耐えきれず、ぎゅっとラグの背中に腕を回し、抱きしめ返した。
「……ごめんなさい……」
 その言葉が、今までの謝罪とは違うものだと、自分はこの人を、この人たちを本当に傷つけてしまったのだという、自覚と自省から発せられた言葉だということに気づいた者は、本人を含めても、本当にごくごくわずかしかいなかった。

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