スー〜エジンベア〜最後の鍵――4
 だが、フォルデのその反応よりもさらに早く、大きく響いたのは、嬌声と言っていいほどにぎやかな女性たちの声だった。
「きゃあ〜っ! キャルヴィンさま〜っ!」
「おみごとなご口上ですわ! さすがランクスドール公でいらっしゃること!」
「なんて素敵なお振舞い……マントをひるがえす仕草だけでわたくし、もう、もう……!」
「………は?」
 フォルデがぽかん、と口を開ける前で、キャルヴィンと――エジンベアの勇者だと名乗ったその男は、優雅な挙措で女性たち――さっきまでなにもなかった場所にいつの間にか現れた馬車に乗った、いかにも貴族令嬢といった様子の人々に振り向いて、笑顔を向けた。
「あなた方のお心、このキャルヴィンしかと受け取りました。まさに万の味方を得た思いです。あなた方のご声援がある限り、私は一本の薔薇で地を埋め尽くす魔物とも戦ってみせましょう!」
『きゃあ〜っ!』
「では、参るぞ、堕ちし勇者よ……今の私はエジンベアを護る一振りの降魔の利剣! いかにお前が多くの悪しき仲間たちを従えようと、背負いし命を救うため、受けし誉れに恥じぬため、身命を賭してお前を打ち砕いてみせる!!」
「……あ、の」
「………い、い、加減にしやがれこの脳天クソ腐れど阿呆がぁぁぁぁっ!!!」
 なんと答えるべきか一瞬迷ったセオより先に、フォルデが吠えた。びしっ、とセオに向けて剣を向けているキャルヴィンに素早く歩み寄り、ぐいっと胸倉をつかみ上げる。
「あ、の、フォルデさ……」
「抜けたことほざくのもいいかげんにしやがれよこのクソ間抜け。人が話してる時にいきなり出てきてなに抜かしてやがんだ! 喧嘩売るならもっとマシな時が……っつーかっ……ざけてんじゃねぇっつってんだよっ! 女連れで気障ったらしい台詞吐きながら喧嘩売るとか脳味噌湧いてやがんのかっ!」
「ふ……愚かな。エジンベアの勇者たる者、いついかなる時も女性を護りぬくのは当然の心得! そして女性の声援はいついかなる時も戦う男に大きな力を与えてくれる……堕ちし勇者の一味とはいえ、それを知らずして戦おうとは、その愚劣、愚昧、無知無作法無神経、すべて万死に値する! 我が剣の錆となり、自らの所業を悔やむがいい!」
「ハッ……上等だ。てめぇがどんだけ強くなってんのか知らねぇが――」
「あー、すいません。ちょっとお聞きしたいんですが」
 セオに剣をつきつけた格好のまま胸倉をつかまれているキャルヴィンに、ラグがすたすたと歩み寄り話しかけた。フォルデが動こうとする半瞬前に声をかけたあたり、おそらくラグはフォルデの気勢をくじくため気をうかがっていたのだろう。
「むっ、新手か。よかろう、ランクスドール公の名を受け継ぐ者として――」
「いえ、新手というか。キャルヴィン殿、あなたはエジンベアの勇者なんですよね?」
「むろん。いかに田舎者、堕ちし勇者の一味とはいえ、我が名を知らぬとは言わせぬぞ」
「ああ、はい。それでお聞きしたいんですが、なんで俺たちが堕ちし勇者の一味ってことになってるんですか? 少なくともダーマでそうはっきり認定されたわけじゃないと思うんですが」
「ふっ、愚かな。曲がりなりにも勇者の名を冠されし者が、堕ちし勇者の疑いを受けるなぞ言語道断! その時点で充分罰を受けるに値する! 貴様らも一度は勇者のパーティと呼ばれた身ならば、我が剣にかかる誉れを受け容れるがいい! 抵抗を諦めるならば、苦痛を与えることなく一撃で天に送ってやろう」
「てめぇ……くっだらねぇことべちゃくちゃさえずってんじゃ」
「つまり、これはあなたの独断による行動ということか? 正式にダーマから堕ちし勇者と認められたわけでもない勇者に、一国の勇者ともあろうものが独断で処刑を敢行しよう、というのが? これはまたふざけた話もあったものだな。少なくともダーマの不興を買うことは確実だぞ?」
「ふっ……重ね重ね愚かな田舎者たちだな。勇者たる者が、法や規に盲従することはあってはならない! 我々は法の手の届かぬ場所にある救われぬ者たちを救う天の長き手! いかに周囲に咎められようとも、断断固として正義を敢行せずして、勇者を名乗る資格はない!」
 大仰というか感情を込めているというか、とにかく大きな仕草で首を振り、頭を押さえびしっと剣を突きつけるキャルヴィンを、セオはついじっと見つめてしまう。その動作や言っている言葉もだが、なによりキャルヴィン自身がすさまじく楽しそうに見える、というのがセオとしてはなんだかすごく珍しく思えたのだ。
 珍しいという言い方がおかしいならば、興味深いと言ってもいい。これまで出会った人々の中で、こんな風に楽しげに戦いに臨む者はいなかった。
 戦いというものは、要は相手の存在を消し去るための殺し合い。相手の命を消滅させる≠ニいう傲慢この上ない行為を、他に方法を創り出すことができないがために行う最低の交渉方法。レウのように世界を守るために奮い立つというのでもなく、魔族のように蹂躙することが快感であるというわけでもなく、曲がりなりにも同じ陣営の戦力となりえる相手に対し、そんな手段をとることを楽しいことこの上ないことのように告げるその心がどういうものなのか、セオとしてはどうにも気になってしょうがなかった。
 なので、楽しげに宣戦布告してくるキャルヴィンに、セオはおずおずと声をかけた。
「あの……ランクスドール公。えと、キャルヴィンさん、ってお呼びした方が、いいですか?」
 む、とキャルヴィンは眉を寄せたが、すぐに大きく胸を反らして答える。
「好きに呼ぶがいい。堕ちし勇者であろうとも、我が名を呼ぶ誉れは万民にあまねく与えられるものなのだからな!」
「えと、その、じゃあ、ランクスドール公。少し、お聞きしたいことが、あるんですけど。聞いても、よろしい、ですか?」
「むぐっ……ま、まぁよかろう。許す」
「ありがとう、ございます。あの、あなたは、なぜ、俺と戦いたい、というか、倒したい、って思うんですか?」
 キャルヴィンはちょっときょとんとした顔をしたが、すぐにまた胸を反らし直して答えてくれた。
「それが勇者の使命であるがゆえ! 堕ちし勇者を倒す力は、真の勇者にしか持ち得ぬもの! 無辜の民の安寧のため、祖国の誇りに応うため、なにより我が愛しきご婦人方の慈愛に負けぬため、私は断断固として貴様を倒してみせる!」
『きゃあ〜っ!』
「てめぇ……マジいい加減にしねぇとその首ぶち落としてむぐっ」
「お前は少し黙ってろ、今はセオが話してるんだから」
 フォルデとラグがなにやら小声でやり取りをしているのに気づきながらも、歯を食いしばってキャルヴィンを見つめる。今はこちらに集中しなければ。ラグたちはたぶん、自分を――こんな言い方をするのはおこがましいにもほどがあると思いはするものの、きっとラグたちはこの言葉を使うだろうから――信頼≠オてこの場を任せてくれているのだと思うから。
「あの、つまり、ご自分の護るべき人たちに被害が出ないように、危害を加える危険性が高い相手を、あらかじめ倒しておこう、っていうことですよね?」
「……む? ま、まあ、そうとも言えるな!」
「ランクスドール公は、俺がどのような悪事を働いてきたと、考えられているのでしょうか?」
「………い、言ったはずだ、堕ちし勇者の疑いを受けた時点で罰を受けるに値すると!」
「……ええと、つまり、俺が具体的に悪事を行った、という情報は得られていない、ということですか?」
「…………そ、そうとも、言えるな! あくまで言いようによってはだが!」
「あの……まず、申し上げたいのですが。俺たちは、もちろん力が足らずに命を助けられなかったことは数えきれないほどありますが、他者を楽しみのためにいたぶったり、持っているものを奪ったりしたことは、ありません。俺も、本当にどうしようもなく無力で愚かだと自分でも思いますけれど、世界を救うために、俺なりにできることをしている、つもりです」
「……………む、むむ、だ、だが」
「もちろん、言葉ではどうとでも言えますから、俺が言ったことを信じろ、と言うことはできません。ですが、あなたと同じように、失われる命を減らすために戦っている、と言う人間を、理由なく疑うのは、あなたにとってもたぶん、辛いことだと思います。味方だと言っている人間を疑い続けるというのは、きっと苦しいことだと思いますし、味方の陣営に疑心暗鬼を生じさせないためにも、はっきりした根拠のない疑念をあからさまに示して行動に移すのはよくない、と思うんです。――それに」
 一瞬言葉を切って、息を吸い込んでから改めて告げる。
「俺も、仲間たちと、俺を傷つけようとして向かってくる相手には、全力で抵抗しますから。あなたがどれだけ強くて、俺を倒したいと心の底から思っていたとしても、俺を殺し尽くすことはきっとできない、と思います」
「むぐぐぐっ……わ、私が貴様より弱いと!?」
「それは、わかりません。戦ったことがありませんから。でも、あなたが俺よりずっとずっと強かったとしても、俺を殺し尽くすことはできない、と思うんです。俺が、それを防ぐために、全力を揮うから」
「むぐぐぐぐぐぐっ……!!!」
 キャルヴィンは顔を真っ赤にしてこちらを睨みつける。その目が心なしか涙目になっているような気がして、セオは内心首を傾げた。なぜ彼が泣くことがあるのだろう。もしかして彼はどこか具合が悪いのだろうか、とつい体調を探ってしまう。
「――ならば、試してみませんこと?」
 がらららっ、と後方から進み出てきた馬車に乗っていた女性たちが、馬車の窓から顔を出してそう微笑みかけてきた。顔を優雅に扇で隠しながら、めいめい違う馬車からにぎやかに喋りかけてくる。
「キャルヴィンさまにそこまで言われるんですもの、アリアハンの勇者殿も相当にご自身のお強さに自信があるのでしょうけれど……キャルヴィンさまもお考えがあってのことでしょうに、一方的にそう悪しざまに言われてしまってはわたくしたち、エジンベアの者としても納得がいきませんわ」
「ですから、ここは正面から雌雄を決して、どちらがよりお強いのか試してみませんこと? どちらの勇者が勝ち残られるのか、わたくしたちとても興味がありますの」
「幸い、我らがエジンベアには古くよりこういった場合の試しの方法がいくつも伝わっていますの。互いの力と、知恵と、勇気を比べ合う方法が……ね?」
「いかがかしら、キャルヴィンさま。せっかくの機会ですもの、アリアハンの勇者殿と腕比べをなさっては?」
「わたくしたち、キャルヴィンさまがアリアハンの勇者殿に勝つところをぜひとも見せていただきたいですわ」
「ね、キャルヴィンさま。わたくしたちのお願い、聞いていただけませんこと?」
 キャルヴィンは最初あっけにとられていたようだったが、すぐにさっき同様自信満々、という顔に戻ってばさあっとマントをひるがえした。
「あなた方にそこまで頼まれては、勇者として、この国の紳士としてお断りするわけにもいきますまい。ランクスドール公の名に恥じぬ戦いをお見せすると、あなた方に対する私の愛に誓いましょう!」
『きゃあ〜っ!』
「アリアハンの勇者殿はいかがかしら? わたくしたちのお願い、聞いてはいただけません?」
「ね、セオ殿。せっかく勇者がお二人もいらっしゃるのですから、わたくしたちに勇者のお力というものを見せてはいただけませんこと?」
「アリアハンの勇者殿のお手並み、ぜひとも拝見させていただきたいわ。セオ殿、お願いですからわたくしたちのわがまま、聞いてくださいな」
 微笑みながら楽しげに、口々にそう言ってくる女性たちにセオは数瞬目をぱちぱちとさせたが、すぐにうなずいた。
「わかりました。ランクスドール公が、それでいいと、思っていただけるなら」
「まあ、嬉しい!」
「セオ殿も、とってもお優しい方なのね」
「勇者という方々は、やっぱり人格者でいらっしゃるのかしら。お礼を申し上げますわ」
「ただ、あの。できれば、その報酬として、いただきたいものがあるんですけど」
『――――』
「と、おっしゃいますと?」
「はい。その試しを俺が受ける報酬として、エジンベアの宝物、渇きの壺を賜りたいんです」

「あーっ、ったく! なんだってんだ、あの女ども。横から首突っ込んできてぴーちくぱーちくさえずりやがって」
 部屋の中に入るや、フォルデはそう苛立たしげに言う。宿を取って部屋の中に入るまで文句を言うのを控えてくれた(いかに監視している目があることをロンが教えたとはいえ)ことに感謝を込めて、セオはこっそりと小さく頭を下げた。
「っつーかあのキザクソ野郎、言いたいことだけ言ったらとっとと帰っちまいやがって! 脳味噌とろけてんじゃねぇのかあいつ、大した腕してるわけでもなさそうだってのにでかい口叩くことだけは一人前なんざ最低っつーのも生ぬりぃクソクズ野郎じゃねぇかっ」
 そう、あのあとキャルヴィンは腕比べの時間と場所を告げるや(明日正午より、エジンベアの王城バルトゥクルギヌス宮殿で、ということだった)、あっという間にルーラで転移していってしまったのだ。女性たちの乗った馬車と一緒に。ある程度予想してはいたが、やってきた時もルーラで転移してきたのだろう。
 街中の移動に気軽にルーラを使う、ということはつまり、転移する先の空間を精緻に探査し、巻き添えを出さないよう転移した瞬間にそこにあったものを安全に押しのけるだけの圧倒的な空間制御能力を持っているということだ。もしかすると、キャルヴィンはそちらに高い才能を持っているのかもしれない。
「だがまぁ、好都合ではあるよな。セオの言った報酬の条件も、あっさり『かまいませんわ』って呑んでくれたし」
「……まぁ、そうだけどよ。っつか、あのクズキザ野郎、なに考えて生きてんだ。女どもが勝手に交渉進めたってのにほいほいうなずきやがって」
「なんだフォルデ、お前わかってなかったのか?」
 ロンがからかうような視線を向けると、フォルデはぐっ、と言葉に詰まったが、反論をしようとしたのか口を開ける――より一瞬早くレウが手を上げて朗らかに宣言する。
「俺もなにがなんだかさっぱりわかんなかった! っていうか、あのキャルヴィンって兄ちゃんなんで女あんなうじゃうじゃ連れてんの? っつーか、最初なにしにきたの?」
「っ、馬鹿かてめぇはっ、んなもん俺らに喧嘩売りにに決まってんだろーがっ」
「えー、そうかなー。だってさ、喧嘩売るのにあんな阿呆みたいなやり方する? 俺最初あの人芸人かなんかかって思ったぜ? あんなふざけたやり方で、本気で喧嘩売ってきてたわけ?」
「う……そりゃ、そうかも、しんねーけどよ」
「フォルデ……気の毒にな。とうとう洞察力がレウに追い抜かれてしまったか……まぁ自業自得だが。だから脊髄反射でものを考えるのはほどほどにしろと忠告しただろうに」
「は……」
「え! 俺どーさつりょくでフォルデに勝ってるっ!? やったぁ、フォルデ抜いたぁ!」
「〜〜〜っ!! おいてめぇふざけんないつ俺がこいつに負けたよっ!? っつーかなっ、そ、そりゃ今ちっとばかし言い負かされたっぽくはなったけどなっ、結局こいつだって成り行きがきっちりわかってるわけじゃ」
「フォルデ……落ち着け。本気で十二の子供と洞察力で張り合うつもりか? なんというか……見てて本気で悲しくなるから、せめてもう少し目標は高く持ってくれ」
「〜〜〜〜っ!!! べっ……別にそういう、わけ、じゃ……うぐ、う……がーっ!!!」
「わっ、フォルデ部屋狭いんだから暴れんなよっ! ていうかラグ兄、そりゃ俺まだ十二だけどなんもわかんねーガキじゃねーんだからなっ、なめんなよっ」
「いや、舐めてるわけじゃなく……人として、大人としてあまりに切なかったというか……」
「まぁ、なんにせよ。勇者同士の勝負に勝てば、無事渇きの壺を手に入れられるわけだ。すまんがここは、セオに少し頑張ってもらうしかないが……」
 話を一言でまとめて、こちらに視線を向けるロンに、セオは大きくうなずいた。
「はい、全力で、勝ちます。――ラゴス族の方々に、渇きの壺をお渡ししないと、イエローオーブが手に入れられない、わけですから」

「――というわけで、ワランカは、我らの祖にして万物の素であるのです」
「そう、ですか………」
 セオはどう答えるべきか迷い、結局それだけしか言えずに唇を噛み締めた。
 エドから話はできるだけ聞き出した、と思う。ワランカが彼らにとってどういう存在であり、ワランカと彼らがどのように関わっているか。少なくともセオの目には、嘘もごまかしもなく、スー族――少なくともラゴス族のワランカに対する心象と、下された託宣から読み取れる事実をできる限り話してもらったように感じられた。
 だが、その中に目新しい話は一言も出てこなかった。あくまで宗教の信者が信仰対象を語る時の視線によるものでしかなく、神学を少しでもかじった者ならば常識と言える程度の情報でしかない。
 彼らにとってのワランカは、世界を創った偉大なる存在であり、自分たちを生み出した祖先。他の神の存在は認識しながらも、自分たちの世界の中に入ってくるとは思っていないほど、生活の基となっている民族宗教にして土着宗教にして自然宗教。それ以外の何物でもない。ゆえに、ワランカの託宣を受け取ることを、ワランカの導き、神の恵みと考え、その内容を疑ったり、どういう意図で与えられたのか勘ぐったりすることなど考えてもいない。
 そして実際、彼らが受けた神託自体、強烈な神威をのぞけば端的な文章で表されてしまう類のもので、そこからワランカがどういう存在なのかを知ることはできない、ということもわかったのだ。
 もちろん、その可能性を考えなかったわけではない。信仰が生活の基となっている人間が、どういう風に考えるかは知っていたつもりだ。
 だが、神≠ニ呼ばれる者に対し自分が強い猜疑心を抱いてしまったせいで、他の人間もそのように考えるだろう、という傲慢な思考が無意識に働いていたことは否めない。セオはぐ、と拳を握りしめて、深々と頭を下げた。自分の愚かさと傲慢さに、心底嫌悪と怒りを感じながらも。
「話してくださり、ありがとうございました。心から、お礼を申し上げます」
「いえ。お役に立てなかったようで」
「いいえ。俺の、愚かさと、傲慢さを教えていただけましたから」
「…………。さて、それでは改めてお聞きしたいのですが。あなた方は、我々の願いを聞き届けてくださるのでしょうか」
 一瞬ちらりとラグたちと視線を交わしてから、小さく頭を下げてうなずく。
「わかりました。俺たちにできる限りのことは、させていただきたいと思います」
 おお、とラゴス族の人々がざわめく。そこに続けてセオは告げた。
「ただ、できればもうひとつお聞かせいただけないでしょうか。イエローオーブについての、ことなんですけど」
「………イエローオーブ?」
 心底怪訝そうな声で、エドはわずかに身を揺らした。族長やその側近たちも、それぞれ困惑したように眉根を寄せている。
 あれ、この反応は、と思いつつ、袋からパープルオーブを出して見せてみる。ヒミコの屋敷で見つけ出した、驚くほど深みのある色合いに輝く宝玉と金銀宝石で形作られた精緻な細工の台座から成るその宝物は、今日も濃紫の光を周囲に投げかけている。
「こういった形のものだと、思うのですが。見覚えては、いらっしゃいませんでしょうか」
 それでも全員困惑した顔で首を傾げていたが、やがて側近の一人がはっとした顔になって族長に耳打ちをした。族長も納得したように大きくうなずいて、セオに向き直り答える。
「それと同じ、けれど黄色に輝く宝玉、我ら、持っている。今より季節が四つ巡る前、やってきた東の民より、我ら奪った」
「ああ、あの時の。……そうでした、彼らは我々の土地で、我々の耕した畑や、育てている家畜から恵みを奪おうとしたのです。よって、我々は彼らを敵とみなし、皆殺しにして持ち物を奪いました。その時手に入れた物のひとつだった……と思います」
 その軽い口調に、セオはわずかに奥歯を噛みしめた。彼らにとって危害を加えてくるよそ者≠ゥら略奪することも、よそ者≠皆殺しにすることもまったく特別なことではない、という理解してはいたつもりの事実を目の前に突きつけられたこともそうだが、あれほど美しい宝玉を持っていたかどうかも忘れてしまうほど、そうして手に入れたものはどうでもいい代物なのだという、その徹底的なよそ者≠ニ断絶している感覚に、身勝手は承知だがやるせなさを覚えてしまったのだ。
 けれど、少なくとも今自分がそれに対してなにかできるというわけではない。今の自分は、ワランカから託宣を受けた対象というだけで、彼らから信頼を受けているわけでもなんでもない、一人のよそ者≠ノすぎないのだから。
「……ぶしつけなお願いで恐縮なのですが、我々はそのイエローオーブを探していたので……どうか、譲ってはいただけませんでしょうか。俺たちなりに、できる限りの対価をお渡ししたい、と思っているのですが」
『…………』
 しばし無言で視線を交わしたのち、それまでと同じようにエドが進み出て口を開く。
「対価をお支払いくださる、と?」
「はい。俺たちに、できる限り。俺の力は本当にわずかで、できることなんてろくにないとわかってはいますけれど……」
「それでは、エジンベアから得た渇きの壺を、我々にお返し願えますか」
「え。……それで、いいんですか?」
 実際、対価としては異常なまでに安い代物だ。そもそも自分たちは、ワランカの考えを知るためにも、これから『渇きの壺を得て西の海≠ナ使う』ために行動する、ととうに決めていたのだ。だというのにその使ったあとの代物を渡せば代価を支払えるというのは、事実上支払う対価がないも同然と言える。
「我々はあなた方を礼を尽くして迎えました。その心がどこにあるか、あなたは理解してくださった。その上ワランカより敬意を受けるような方相手に欲をかいては、それこそワランカの不興を買うことになりましょう。そも、我らラゴス族には広大な大地と豊かな天の恵みが与えられている。これ以上ないほど満たされているというのに、あなたに労を取らせても意味がありません。渇きの壺を渡す折に、ことの顛末をお聞かせ願えればそれで充分です」
 この言葉に(フォルデやロンは『なんでお前らに上からものを言われねばならんのか』と思ったそうなのだが)セオはほっとして、深々と頭を下げて了解の意を示した。少なくとも、もう一度正面から対話する機会が与えられたというのは、嬉しかったのだ。

 翌朝、セオたちは揃ってバルトゥクルギヌス宮殿に向かった。しばらくぶりに揺れないベッドでぐっすりと眠り(もちろん魔船のベッドは普通の船よりずっと揺れが少ないのだが)、気力体力ともに充分に回復している。ただ、レウは『宿の朝食がまずかった』と少しばかり元気がなかったが。
「ぜーたくなこと抜かしてんじゃねぇよ。貧しい暮らししてりゃあ、ああいうまずいもんしか食うもんがねぇ時なんざいくらだってあんだぞ」
「うー、そりゃそーだけどさー、なんていうかさ、あの宿の料理、素材がまずいんじゃなくて料理の仕方がまずいっていうか……食べ物をすごくまずまずしく料理してるって感じなんだもん。あれだったら俺の方がまだうまいんじゃねーのってくらい」
「……そりゃ、まぁ、そうだけどよ」
「エジンベア人は、基本的に料理にあまり情熱を注がないからな。料理に対する優先順位が低いというか、食べられれば何でもいいと思いがちだ。なので、料理文化自体があまり発達していない。野菜をむやみやたらに茹でたり、料理の種類や分野が極端に少なかったりする」
「だからエジンベア人のコックに料理を任せるより、自分で料理した方がうまいってことがよくあるんだよな。素材自体は他の国に負けないくらいおいしいのもあるんだけど、素材をそのまま食べた方がうまいものも、極端にまずくしたりするコックも多いしな。まぁ、エジンベアで暮らす時には、事前に自分の食べるものくらいは作れるようになっておけ、ってことだ」
「うー、そうだよなー……やっぱ、料理作れるようになっとかないと駄目だよな。うん、今度からは料理の練習も頑張るっ」
「なんだよお前、これまでは頑張ってなかったのかよ?」
「う、頑張ってなかったわけじゃないけどさ、剣の稽古に比べたらいまいち熱が入んないっていうか……」
 そんなことを喋りながら、王城に向かい歩を進める。と、ふいにロンがこちらを向いて小さく笑った。
「落ち着いてるな、セオ。対人戦だというのに」
「え……そう、見えます?」
「ああ、見える。少なくとも俺には、君はひどく余裕たっぷりに見えるぞ」
「ったりめーじゃん、そんなの。セオにーちゃんがあんな奴に負けるわけないし!」
「まぁ、実際……今のセオならほとんど負ける要素はない、と思うよ。レベル的にも、精神的にも。お前もそう思ってるんじゃないのか?」
「さぁ、どうだろうな。セオが精神的にずいぶん安定して見えるのは確かだが、だからといって揺らがないわけでも戦うのが平気になったわけでもなさそうだしな」
「……そうなのかよ」
 すっと近寄ってきたフォルデに小さく囁かれて、セオは一瞬固まったものの、すぐに小さくうなずいた。
「……そうなんだと、思います。情けなくて、愚かしくて、偉そうだと自分でも思うんですけど……命を絶つ時、ほとんどいつも、体が勝手に、震えているので……」
 震えたところで、相手の命を救えるわけでもない。失われる命を減らせるわけでもない。だというのに体が震えるのは、いまだに自分が命を奪うことに対する矛盾も残酷さも呑み込んで戦う覚悟を持てていないせいなのだろう。その惰弱、愚昧、傲慢には心底吐き気を催す――けれど力のない自分には、体を意志で統御して、全力で敵を倒すことしかできていない。
 そんな身勝手な話を聞いて、フォルデはさぞ怒るだろう――そう一瞬思考が閃いたが、フォルデはふん、と鼻を鳴らしてこう言った。
「そんで? お前は勝つ自信があんのかよ」
「え……、いえ、向こうの実力もわからないわけですから、勝つ自信は、持てません」
「んっだと?」
「でも、勝ちます。なんとしても」
「――――」
 セオの言葉に、一瞬フォルデは沈黙し、にやっと笑う。セオは思わず、目を見開いてしまった。
「えらい自信じゃねぇか」
「え、いえあのっ、自信とかじゃ、ないん、ですけど。……なんとしても、勝たなきゃいけないから。おこがましい言い方に、なりますけど……ラグさんも、ロンさんも、レウも……フォルデ、さんも。たぶん、俺が勝つ、と……信頼≠ウれているから、俺とあの女性たちとの交渉に口を出されなかったのだと、思うので。だからなんとしても、なにをしようが勝たなくちゃいけない、勝つ、と、そう……」
「ふん。……言うようになったじゃねぇか、マジで」
 鼻を鳴らしてから、フォルデは足を早める。もしかして気に障ったのか、とセオはおろおろとその後を追った。
「え……あ、の」
「なんでいきなりそうなりやがったのか聞こうかと思ったけどな。やめた。――お前が自分でそうなるって決めたのはわかったからな」
「え……」
「ま、せいぜい頑張りやがれ。……お前が失敗したら、俺が城に忍び込んできっちり盗み出してやっから、無駄に気合入れんじゃねぇぞ」
 セオは数瞬絶句して、フォルデを見た。フォルデの言った言葉は、こちらに背を向けて早口に告げた言葉は、淡々とした調子だったけれども、優しくて、ひどく力強くて、まるで自分のことを認めてくれたかのように、励ましてくれたかのように感じられて――
 だからセオは、それがおこがましい勘違いだったとしてもしなければならないように、「はい」と力を込めて応え、うなずいたのだ。

「ここは由緒正しきエジンベアの城だぞ! 田舎者は帰れ、帰れ!」
「だっからさぁーっ、俺らはエジンベアの勇者の人に呼ばれてきたんだって言ってんじゃん! 聞いてみてくれよっ、勇者の人にっ」
「なにを馬鹿馬鹿しいことを言っているのだ、この田舎者がっ! 貴様らのような田舎者に、我らが勇者ランクスドール公が目をかけるはずがなかろうが! 帰れ、帰れ!」
「人の話聞けよ、おじさんーっ!」
 城門の前で、セオたちは立ち往生してしまっていた。門番の男たちが、なんと言っても自分たちを城の中に入れてくれようとしないのだ。
 誰かの紹介があるわけでもない田舎者を由緒正しいエジンベアの王城に入れるわけにはいかない、の一点張りで、御免状を見せようともセオの勇者のサークレットを見せようともロンの賢者のサークレットを見せようともまったく反応が変わらなかった。
 一度城門の前から離れ、並木道の木陰でこれからどうするか作戦会議をする。
「なんだってんだよもーっ、あのおっさんたち頑固すぎ! 俺たちが呼ばれたのは本当なんだから、素直に聞いてくればいいのにさっ」
「うぜぇったらねぇぜ、クソどもが。エジンベア人がどいつもこいつもクソ野郎だってのが、嫌ってほど納得いったぜ」
「だから別にそういうわけじゃないんだがな……。ただ、あの門番たちの異常なほどの頑なさは気になるな。もしかして……わざとやってるんじゃないか?」
『は?』
「ありうるな。まぁ、本人たちにはたぶんなにも知らされてないだろうが。普段から紹介のない人間はどいつもお断りしてるのは確かなんだろう。実際、王城の警備のためにはそれも間違った姿勢じゃないしな」
「……んっだよ、そりゃ。どーいう意味だ?」
「あ、もしかして……勇者の人に、わざと入れるな! とか言われてるってこと?」
「と、いうか……こちらを試してるつもりなんじゃないか、って思うんだよ。勇者というか、あの門番に指令を出してる人たちは」
「門番たちで一度相手を撥ねつけて、そのまま帰るようならその程度の要求だと考える。それをなんとか……誰かの紹介を取り付けるなり、他の方法なりで入ってきた者だけを交渉相手として認める、って具合にな。ずいぶんと奢った、何様だと言いたくなるような考え方ではあるが、やってくる相手を選別する役には立ちうる考え方ではある」
「え……えー? だって、俺たちは向こうがここに招待したのに?」
「これで勝負を投げたら、勇者なんだからそのくらいなんとかできて当然だ、そもそも勝負に対する心得がなってない、だなんだといちゃもんをつけられるだろう。まぁ、俺たちがやろうと思えばここを押し通れるぐらいのことはわかってるだろうから、向こうにとってはこうして相手を選別するのも礼儀の一環、ぐらいに思ってるんじゃないか? なんならそこの辺り、賢者の力で調べてもいいが」
「……いらねーよ。チッ……マジ鬱陶しいな、ここの奴ら。いちいち偉ぶりやがって、何様のつもりだ」
「えー、いいじゃんそんなの! 向こうが無理に入っていいっていうんだったらやり方いっぱいあるし! こっちより向こうの方があっとーてきに弱いんだから、偉ぶってみせるくらいどってことないじゃん、ちょっとは心を広く持とうぜ!」
「ぐっ……てめぇにんなこと、言われたく……っ、ぐぐぐぅっ………!」
「わ、びっくりした、フォルデなに木に頭突きしてんの?」
「まぁ放っておいてやれ。年下、というかお前に諭されるというのはフォルデの性格からしてけっこうな打撃だろうからな」
「はは……で、どうする? 無理やり押し通ってみるか? 俺としてはあんまりお勧めしないけど」
「え、なんで?」
「体力を消耗するのがもったいない。セオはこれから勇者と勝負なんだから、できるだけ体調は万全にしておかないと」
「……なら俺が行ってくる。見たとこ大した警備してるわけでもねぇ、俺一人で充分国王のいるとこまで潜入できるぜ」
「俺がレムオルの呪文をかけた方がよくないか。全員一度に入れるならそっちの方がいいだろう。まぁあれは大した距離を移動できるわけでもないが……いや、そうだな、まずはフォルデ、偵察を頼めるか? キャルヴィンたちが王城のどの辺りにいるか、探ってきてくれ」
「中にいないって可能性は?」
「ほぼ、ない。あの男は間違いなく勇者だった、そんな奴が切羽詰まった事情もないのに約束を破るわけがないし、破ったなら破ったで約束した相手に詫びの一つも入れていくだろう。周りの連中に騙されて動かされる可能性はそれなりにあるが……周りの奴らにも、俺たちに無意味に喧嘩を売る理由があるとは思えんからな。別に賢者の力で探ってもいいんだが……」
「ざけんな。切羽詰まってるわけでもねぇってのに、そんないつこっちに牙剥いてくるかもわかんねぇもんの力なんざ頼れるか」
「……と、お前らは言ってくれるだろうからな。すまんが、頼めるか」
「ああ。……で、あのボケ野郎の居場所を見つけたら、そこに向かって全員で侵入、だな?」
「ああ。幻覚系呪文を活用しつつな。とりあえず今日は俺の魔法力はそれくらいしか使う当てがないし」
「了解。てめぇら、下手打つんじゃねぇぞ」
 言うやフォルデはしゅっ、と姿を消した。いや、きちんと感覚を研ぎ澄ませれば、フォルデが一瞬で気配を殺しつつ樹上へと飛び上がり、枝をまるで揺らすことなく木から木へと飛び移って、最後に人の死角から死角へと入りながら大きく跳躍して城壁を越えていった、とわかるのだが、ぼんやりと見ていれば一瞬で消えたとしか思えない早業だ。たとえ王城の兵士といえども、本気になったフォルデを見つけだすことはまずできないだろう。
「ふわー……フォルデ、すげー……なんか、一瞬で消えて、城の中入ってっちゃった……」
「高レベル盗賊の面目躍如、というところだな。まぁ俺も、あいつの潜入能力がここまで高くなっているとは思っていなかったが」
「盗賊の本領は本来、戦闘じゃなくてこういう仕事だもんな。頼もしい限り、と思っておこう」
「……はい。フォルデさんなら、絶対、大丈夫ですから」
 力を込めてうなずくと、ラグはちょっと意表を衝かれた顔をしてから、「そうだな」と笑ってセオの髪をくしゃくしゃにした。

「よくぞ来た! 待っていたぞ、堕ちし勇者よ!」
 満座の聴衆の中で、キャルヴィンは昨日と同様、びしっ、とセオに剣を突きつけた。
「堕ちし勇者と勇者の力を競うなど酔狂な話ではあるが、我が愛しき女性たちが貴様との試し合いを望む以上、応えるが勇者としての務め! 逃げずに来たことは褒めてやろう、だがお前が勝てるとは思わぬことだ! エジンベアの栄光を、名誉を、誇りを背負いし私が、誇りを知らぬ者の後塵を拝することはない! さあかかってくるがよい堕ちし勇者よ、私は逃げも隠れもせぬ、貴様がどのような手を使おうと、それらすべてを跳ね返し打ち勝ってやろう!」
『きゃあ〜っ! キャルヴィンさま〜っ!』
 先触れも気配もなく、唐突に内庭に現れた自分たちに、微塵も動揺せず対応するキャルヴィン。その姿に、やはり最初から門番の人の対応は織り込み済みだったのか、と思いつつセオは周囲を改めて見回す。
 どうやらこの王城の内庭は、一種の闘技場のような役目を果たしているらしかった。建築段階からその使い方を想定していたのが見て取れる。
 エジンベアの建築の基礎は、主としてこの地を侵略したシャンパーニ貴族から伝わったものが多いのだが、その古きを尊ぶ性質のせいか、エジンベア人たちはその技術を気候に合わせ、より過ごしやすいよう発展させた。主として居住性、防御性に重きを置いており、王城バルトゥクルギヌスもその例に漏れない。
 俗に集中様式と呼ばれる、同心円状に創られた二つの城壁で護られた城。城壁には側塔が組み込まれているので防御壁を敷きやすく、外壁を突破されても対処がしやすい。それだけ内側は鉄壁の守りを敷かれていることになるわけだ。――フォルデのように、人の歩き回る通廊を誰にも気づかれず通り抜けられるような、常識外の潜入能力を持つ者がいなければ。
 自分たちは要所要所でレムオルをロンに使ってもらいつつ、フォルデの調べてきてくれた侵入経路でここまでやってきたが、実際この城の守りは強固と言っていいものだった。そうして護られた内庭は、有事の際の兵力の展開場所であると同時に、場内の人々の目を楽しませるものとしても重きを置かれているらしく、世界に冠たるエジンベアの造園技術で美しく象られると同時に、中央に部隊と部隊がぶつかり合っても充分余裕があるだけの空間が用意されている。
 周囲に並ぶ、こちらに張り出している窓には観覧席がしつらえられているらしく、鈴なりに人が群がっているのが見えた。おそらくは、登城してきたエジンベア貴族たちだろう――場合によっては、王族も観戦しているのかもしれない。なんであれ、自分たちの試し合いがこの国の人々に観戦の価値があるもの、と考えられているのは確かなようだった。――よく根回しがされている、と見るべきなのかもしれないが。
 ともあれ、キャルヴィンは広場の中央に陣取り、内庭の入り口に現れた(レムオルを使いつつ番兵の視線が逸れる機をフォルデが計ってくれたのだ)セオたちにに剣を突きつけている。一度仲間たちと視線を交わしてから、セオは一歩前に進み出て、声を上げた。
「あの、ランクスドール公。俺は、どのような試しを受ければよいのでしょうか?」
「ふっ、堕ちし勇者よ。その愚昧なる脳に叩き込んでおくがいい! 勇者は世界を救うために在る者。その力を試すとはすなわち、世界を救う力を試すこと! 試し合いは三本勝負として行うが、まず一本目は、一定時間内でどちらがより多くの魔物を倒すことができるか――」
「ごめんなさい。どうか、それは、やめてくださいませんか」
「なにっ?」
 キャルヴィンが顔をしかめる。回廊で観戦している人々からもどよめきが上がった。
 セオももちろん反発を受けるだろうことを自覚してはいた――が、それでも、これはセオにとっては、言わずに黙っているべきとは思えないことだったのだ。
「どういうことだ。曲がりなりにも勇者である者が、魔物の命を惜しむというのか」
「はい。少なくとも、遊びで奪っていい命だとは、思えません」
「遊びだと!? 貴様、我らが名誉を賭けた試し合いを遊びだというのか!」
「……俺には、こうして、試し合いをするのは、他に交渉する方法があるのを理解した上で、そちらの方が……なんていうか、面白いからやっていることだと、思えます。他に方法があるのに、あえて命を奪うことで点数を競うのは、遊びで命を奪う、ということだとは言えるんじゃ、ないか、って……」
「ぐ、だ、だがなっ」
「もちろん、魔物が人を襲うから、少しでも魔物の数を減らすのはいいことだ、っていう考え方も、あると思います。でも、俺、サヴァンさん……蒼天の聖者≠ゥら、聞いたんですけど、魔物を絶滅させることは、絶対に、できない、って。魔物は、神が世界を構築する際にできた、ばぐ……構築の失敗の歪みだから、その歪みの消失を是正する時に、どうしたってまた生まれてきてしまうものだ、って」
「……ど、どういうことだ?」
「……俺は、殺せば、殺すだけ、魔物はまた生まれてくるものだ、って解釈しました。魔物をどれだけ殺しても、世界的な規模で見てみると、魔物の数を減らすことは、できない……つまり、ただ魔物を殺すだけでは、人の命を救う役には立たない、って」
「しっ、しかし……」
「俺は、これまで、いっぱい魔物を殺してきましたし、これからも、いっぱい殺すと思います。身を護るためにも殺しますし、仲間を護るためにも殺しますし、目の前で失われそうになっている相手の命を護るためにも殺すでしょうし、経験値を得るためにも殺すと思います。だから、こんな偉そうなこと、言える筋合いじゃないのは、重々承知しているつもり、なんですけど……」
 深々と頭を下げる。相手に礼儀を守っていると思ってもらえる範囲で、できるだけ深く。本当なら地に頭を伏せても少しも足りないだろうけれど、そうしたらきっと仲間たちは嫌な思いをするだろうし、たぶんキャルヴィンたちも嬉しくない気持ちになると思う。――その理性的な判断で、血に頭を擦りつけて許しを請いたいという感情を、思いきり唇を噛み締めてねじ伏せる。
「俺は、命を遊びで……点数を稼ぐために奪う、というのは、どうしても、嫌、なんです。俺は……」
 愚かで弱虫で意気地なしなせいで、と次々口から飛び出そうになる自分への罵り言葉を全力で腹の底へ押し込んで。
「どうしても、それは、我慢できないんです。その一本は俺の負けでかまいませんから、どうか、別の試を用意してはもらえませんでしょうか」
『…………』
 しーん、と内庭中に沈黙が下りる。ああ、やはり嫌な思いをさせてしまった、と申し訳なさが体中を駆け巡るが、奥歯を食いしばって耐えた。ここでその申し訳なさを表せば、きっと仲間たちは悲しく、嫌な思いをするだろう。傷つけられたような気持ちになるだろう。それは絶対に嫌だ、と思う――だから、ここでは退けない。絶対に、退いてはならないのだ。
 しばしの静寂を破ったのは、キャルヴィンのこんな一言だった。
「……そうか。お前はそこまで、自らの戦いに誇りを持っているのか」
「え?」
 思わず顔を上げると、キャルヴィンはなにやら納得したように――というか、見ようによっては感じ入ったようにうんうんとうなずいている。
「お前はこの試しに報酬を要求していた。なんとしても勝ちたいところだろうに、それでも命を遊びで奪うのは耐えられぬと、自らの刃が汚された気分になると言わずにはいられぬほど、自身の戦いに、行いに誇りを抱いている、というわけか……堕ちし勇者といえど……その心意気や、よし!」
「え……あ、の」
「ご観覧いただいている方々よ! 由緒正しき勇者の試しを穢すとの非難は甘んじてお受けしよう、しかし! どうか私もこの堕ちし勇者同様、最初の試しを受けぬことを許していただきたい! 我らと志は違えども、この者も勇気をもって自らの道を往く者! それに応えずしてエジンベアの勇者と名乗れようか、いいや名乗れるはずはない! 我が勇者の願い、どうか聞き届けたまえ!」
 大きく腕を振り回しつつ、キャルヴィンは叫ぶ――その声に、一瞬の沈黙ののち、観覧席の人々は歓呼の声で応えた。
『きゃ〜っ、キャルヴィンさま〜っ!!』
『すてきですわ〜っ』
『さすがエジンベアの誇る勇者さま〜っ』
 そんな女性たちの声にも笑顔で手を上げて応えてから、キャルヴィンはくるりとセオの方に向き直った。
「よし、ならば残りの二つの試しを説明しよう。この二つを連取した者が、この試しに勝った者となる!」
 セオはなんと答えるべきなのかわからず、一瞬口ごもる――が、キャルヴィンがあまりに、心の底から嬉しげにこちらを見つめているので、せめて少しでもその気持ちに応えたいと思ってしまい、じっとキャルヴィンを見つめて、「――はい」と、ゆっくりと、感謝を込めて、うなずきを返したのだ。

『二本目――知の試し。アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートル!』
「ぬぐぅっ! くぅ……負けた、か………!!」
 心底悔しげに、岩を支えたままがっくりとうなだれるキャルヴィン。セオはどんな顔をしていいかわからず、困った顔をしたままキャルヴィンを見つめた。
 二本目、と言われた最初の試しは、内庭の一角を使った実物大の判じ物の一種だった。自分の側にある三つの岩を、それがやっと通るような曲がりくねった通路を通り抜けさせて正しい順番で奥の紋様の上に運ぶ、というもので、全体図さえ頭に入ればたやすいものではある。だがこれは当然試し合いなので、キャルヴィンより早く終わらせなければならないわけで、セオなりに全力を揮って急いで終わらせた。
 するとキャルヴィンはこちらを侮っていたのかまだろくに岩を動かしておらず(どうやら動かす順路を間違えてはやり直しというのをくり返していたらしい)、セオとしてはつい申し訳ないような気分になってしまっていたのだが、謝るのはキャルヴィンにひどく嫌な思いをさせてしまう気がしてできず、ただひたすら困った顔をするしかできなかったのだ。
 が、キャルヴィンはセオの顔を気にした様子もなく、数瞬悔しげにうなだれたのちばっと顔を上げた。これまでと同じように、びしっと剣を突きつけてくる。
「いいだろう……ならば最後の勝負だ! 剣を取るがいい。互いに打ち合い、存分に試合おうぞ。此度の試しは勇気の試し。相手を打ち負かさんとする中で、より勇気を示せた者が勝つのだ!」
「……わかりました」
 言われてセオも武器を構えた。といってもいつものゾンビキラーなので形としては手甲を装着したようなものだが、これも勇者の力の一環で、自分たちは武器ならばどんなに着脱が面倒な代物でも即座に装備し直すことができる。
 キャルヴィンと向き合って、じっと相手の様子を見る。キャルヴィンは剣と盾を(武器の構えにこんな表現は不適切かとも思うが)優雅な挙措で構えていた。その構えには隙らしいものがない。セオとしても、どう攻めるのが一番いいのか迷うところだった。しかも、ただ相手を打ち倒すのではなく、勇気を示した、と審判に(そういうものがいると教えてもらったわけではないのだが、そうでなければ決着のつけようがない)認めてもらわねばならないのだから。
『はじめっ!』
 そう声がかかるや、キャルヴィンは「はぁっ!」と気合を発しながらこちらに襲いかかってくる。セオはそれまでになんとか頭の中でどう勝つか考え終えて、だらり、と武器と盾を下ろした。
「むっ……!」
 キャルヴィンは一瞬目を見開くが、足を止めずに突っ込んでくる。いい判断だ。相手がどんな奇策を用いようと、正攻法で全力で攻めていけばもっとも安定してその策ごと相手を打ち破りやすい。
 セオは武器と盾を下ろしたまま、キャルヴィンの攻撃をかろうじてかわす。レベルが上がった恩恵で、見切る能力もそれなりに伸びてはいるが、武闘家だった時のロンのように相手の攻撃から一分の間合いまで近づいてかわす、というのはまだできそうにない。だが、今のセオにはこれくらいしか勝ち筋が見えなかったのだ。勇気を示して相手に打ち勝つ試しで、自分が勝てる方法が。
「ぬぅっ……!」
 キャルヴィンは全力でセオに打ちかかってくる。それを体捌きだけでなんとかかわしながら、じっとキャルヴィンを見つめ、待つ。相手の動きが、警戒心が、一瞬途切れるその時を。
「く……ならば、これを喰らうがいい! 第四楽章第七音、『セレネのための交響曲』!=v
 雅、とすら言ってよさそうな優美な声で紡がれたその言葉は、キャルヴィンの呪文のようだった。周囲の水分が一瞬で凍りつき、セオを包み込もうと襲いかかってくる――
 ――セオとしては、それこそが待っていた一瞬だった。
 だんっ、と大地を蹴って駆け進む。呪文――おそらくはヒャダルコだろうが――が生み出した氷雪は次々と飛んできてセオの身体を傷つけるが、無視をする。死に至らない痛みなどなにほどのこともない、それより自分がすべきなのは、魔力を解き放ったあとにできる一瞬の隙を衝くことだ!
 キャルヴィンはセオが突っ込んでくるのを見て、はっとしたように剣と盾を構え直そうとする――が、呪文を唱えたことでこちらと間合いを取り直せると思っていたのだろう、その動きはセオの予想したものより数瞬遅かった。ならば、その間に間合いを詰め、首にゾンビキラーを突きつける程度のことならば、セオであろうともできる。
「っ………!」
「あの……これは、俺の勝ち、ということで……よろしい、でしょうか?」
 ざわっ、と観覧席にいた人々がざわめく。実際、自分などに自国の勇者が負けるとならば納得がいかないのが当たり前だろう。だが、セオは微動だにせずに武器を突きつけ続けた。ここでうろたえて下手を打つようなことをすれば、ラグの、ロンの、フォルデの、レウの、信頼を裏切ることになるのだから。
「ふっ……なるほど。それが貴様の力というわけか」
「えと、あの……はい。この程度で力というのは、恐縮、ですけど」
「だがっ! 私はエジンベアの民の名誉を、期待を背負う者! どんな状況であろうと負けるわけにはいかぬ! 首を落としたいならば落としてみるがいい、その一瞬の間に私はお前に食らいついてみせよう!」
「え、あの……なんで、ですか?」
 セオは思わずきょとんとして首を傾げる。キャルヴィンは眉根を寄せて、セオを睨んだ。
「なにを言う。お前もわかっているであろう、勇者というのは人類の希望。それが負けるようなことがあっては断じてならぬ、と」
「いえ、あの……そういう考え方は、一応、わかっていると思う、んですけど……でも、これって、試し、でしょう?」
「……ぬ?」
「本当の殺し合いでもないのに、そんな風に死力を振り絞ったら、もしこのあとすぐ魔物の大群が押し寄せてきたりしたら、対応できないと、思うんですけど……勇者としては、助けてくれる十分な戦力がないなら、どんな時もある程度の体力は残しておいた方がいいんじゃ、って……あっ、す、すいません、偉そうなこと言って……!」
 キャルヴィンを(いつこちらに反撃してくるかわからないので)できる限り注意深く見つめながらも、申し訳なさに身悶えしそうになっているセオをキャルヴィンは見つめ、やがて深くうなずいた。
「なるほど、な……それがお前の往く道、か。私の進む道とは違うが、それもまた勇者の道には違いない」
「え? あの………?」
 キャルヴィンはす、とセオに向けて手を上げ、高らかに宣言した。
「この試し合い、私の負けだ! 我、ランクスドール公キャルヴィン・ブランドナーは、アリアハンの勇者セオ・レイリンバートルを、勇者であると認める!」
「え……えぇっ!?」
 どよどよっ、と人々がどよめく。セオも当然ながらひどく驚いた――が、キャルヴィンはあくまで堂々とこちらを見て、微笑む。
「セオ・レイリンバートルよ。私はお前をセオと呼ぶ。お前も私のことをキャルヴィン、と呼んでもらおうか――朋友ならば、互いのことを名で呼ぶのはしごく当たり前のことだからな」
「え、あ、え………?」
「お前を堕ちし勇者と決めつけたこと、ここに詫びよう。すまなかった」
 頭を下げようとするキャルヴィンに、慌てて武器を引く。キャルヴィンは深々と頭を下げてから、こちらに向けて手を伸ばしてきた。セオはしばしきょとんとするが、キャルヴィンに「我が国では和解の際には握手をするものだ」と言われ、おそるおそる手を伸ばし――
 セオとキャルヴィンは、満座の観衆の中で、しっかりと握手をすることになったのだ。

「つまり、あの勇者殿はあの女どもに乗せられていた、というわけさ」
 エジンベアとアリアハンの勇者の懇親のため、と銘打たれた宴の会場で、ロンはセオたちにそう説明した。あのあとキャルヴィンに、ぜひにも参加してくれと願われたのだ。
 無礼講ということで、全員ことさらに特別な格好をしているわけではない。中庭に立食形式の宴席が設けられ、そこで貴族らしき人々や、兵士らしき人々が集まって、普段着で宴を楽しんでいるだけだ。
 自分たちは遠巻きにされてあまり話しかけてくる人がいなかったので、とりあえず仲間たちで集まって話し合っている。そこでロンが、宴が開かれる前に調べておいた情報を自分たちに教えてくれているのだ(他の人にはやくたいもないことを話しているように見える呪文をかけた上で)。
「……どういうことだよ」
「俺も詳しくは知らなかったんだがな。侍女連中に探りを入れたところ、エジンベアの外交を事実上動かしているのは貴族の女たちらしい」
「へ? 貴族の女の人たちが、がいこーってのやってるの?」
「いや、そういうわけじゃない。外交を担当する貴族たちや、王たちを、おだてたり煽ったりして思い通りに操っているんだそうだ。貴族や大商人の、基本的には女たち以外には知られていないことらしいがな」
「ふぅん……?」
「だからなんだっつーんだよ。だからってエジンベアの奴らのやることになんか変化があるわけでも」
「あるんだ、明確にな。……前に言っただろう、エジンベアの奴らの精神構造を。個人でつきあうならそう悪くはない性質ではあるが、国家と国家のやり取りをするにはいささか向いていない性格だとは思わないか」
「うーん……? そう、なの?」
「普通に考えてどんな国も田舎者扱いするような国は村八分にされるし、国と国というのは基本的に隙あらば約束を破ったり裏をかいたりしようとする関係だからな、誠実なだけでは国が成り立たないだろう。で、そこらへんの不足を補っているのが女たちなんだそうだ」
「ああ……つまり、女性たちは多くのエジンベア人の男たちと違って、普通の女性なのか。確かにその視点から見たらエジンベアの男たちのやり方はいささか野蛮だろうな……それで女性として、あくまでか弱いふりをしながら、男たちをおだてたり、煽ったり、色仕掛けで言うことを聞かせたりして、思い通りに動かしているわけか。……それって、外交面でだけなのか?」
「基本的には国内の政治は男たちの論理で行っているらしいが、争いがこじれた場合は女たちが交渉を行った結果に従って男たちを動かすんだそうだ。まぁ俺としては面白くない話ではあるが、それでうまくいっているというならよそ者が口を出す筋合いでもないしな」
「あーあー、そんであの姉ちゃんたちがあのキャルヴィンって人を煽って、セオにーちゃんに喧嘩売らせたわけか……え、なんで? セオにーちゃんに喧嘩売って、なんかいいことあるわけ?」
「いや。どうやら奴らは、むしろセオとあの勇者殿に誼を通じさせようと考えていたらしい」
『……へ?』
「つまり、仲良くさせようと考えたわけだ。セオに喧嘩を売らせれば、こちらが反発しても流してもあの勇者殿は全力でこちらに食らいついてくるだろう。そこにうまく介入すれば、勇者殿がセオに懐く……というか、友情関係を結ぼうとするだろう、と考えたようだな。事実、そうなったわけだし」
「そりゃま、そうだけどよ。初っ端に喧嘩売ってくるような相手と、俺らが仲良くしようと思うとか、マジで考えてたのか? 最初っから本気でやり合う羽目になったらどうしてたんだよ。っつかそもそもよ、なんでその女どもは、あいつとセオを仲良くさせようなんて考えたんだよ?」
「本気でやり合うようなことになったら、女の一人が身をもって刃の前に飛び出してでもセオを庇うつもりだったらしい」
「……マジかよ」
「ああ。そこらへんはその女どももエジンベア人らしい思考回路の持ち主だと言えるかもしれんが……そこからお涙頂戴の話で盛り上げて、無理やりにでも仲良くさせる気だったようだぞ。基本的に単純なあの勇者殿は、話が盛り上がればあっさりと心の底からセオと仲良くする気になってくれる、と……今も実際そうなっているだろう? で、向こうが心の底から仲良くしようとしてくるなら、聞き知ったセオの性格から、応えずにはいられないだろうと考えていたようだな」
「彼女たちは、セオの情報を得ていたのか?」
「ああ。ダーマからの噂話として、セオが堕ちし勇者だという話は広められている。アリアハンもそれを否定しようと積極的に働きかけることはしていない――だが、ダーマで直接本気で情報を得ようとするならば、セオがどういう性格をしていてどれほどの強さを持つどんな勇者なのか、は簡単にわかるようにもなっている。そんな風にして、国家が直接俺たちに危害を加えようとすることを防いでもいるんだろうな。で、エジンベアとしては、セオとの関係性において、ダーマは別格としても、ロマリア、ポルトガ、イシス、アリアハンと比べ、後れを取っていることに危機感を覚えたらしい」
「危機感……です、か?」
「ああ。俺たちは少し前までダーマと頻繁に行き来をしていただろう? その時のレベルの情報も当然ダーマにはある。で、自国の勇者と比べても段違いのそのレベルを知ったこの国の女どもは、バラモスを倒す可能性のもっとも高い勇者であるセオと、自国の勇者に誼を通じさせておくことで、バラモス打倒後の国際情勢に一定の有利さを確保しておきたい、と思ったんだそうだ。勇者同士がある程度の友好関係を結んでいるというのは、この上ない信頼関係に繋がりうるだろう? その上、あくまで勇者同士の関係であるとすれば、国家として公的にセオのことを認めたわけではないと万一の時にも言い抜けができる。この宴が無礼講なのも、そこらへんが関係してるんだろうな。城内ならば外には情報が漏れない上に、ランクスドール公としての権限である程度自由に使用できる」
『…………』
 その場にいた全員が、しばし沈黙する。バラモスを倒した後の国際情勢――どの国もすでに、それを見据えて動き出している。バラモスに対処する前にそんなことを考えて相争うのは、攻めてくる敵を前に敵の所有する領地の配分で争うのと同じことのようにセオには思えるのだが、国という巨大なものを背負う立場というのは、そういう思考回路の持ち主でなければやっていけないところはあるのかもしれない。
「……くっだらねぇ。んなしょうもねぇことでわざわざこっちに喧嘩売らせやがったのかよ。自分の手ぇ汚しもしねぇで人動かして高みの見物決め込むってかよ、鬱陶しいたらありゃしねぇぜ」
「うーん、そうだよなー。なんにもできないふりして人操るとか、よくない感じがするよな。なー、そのこと、キャルヴィンさんとかにバラしちゃった方がいいんじゃねーかな? 黙ったまんまじゃ、キャルヴィンさんたちがかわいそーだよ」
「いや、それは……男には騙される幸せっていうのもあるわけだし」
「え? なんでだまされんのが幸せなの?」
「うーん、なんて説明したらいいかな……男としては、たとえ実際にはそうでなかろうとも、相手の女性や自分の力に夢を見ることができる方がずっと幸せっていうか……」
「えー!? なんでそーなんだよ、納得いかねー!」
「ふむ。セオ、君はどう思う?」
「俺は……黙っていた方がいい、んじゃないかと、思います」
「え?」
 ラグが戸惑ったような声を上げる。レウが「えー、なんでー!?」と唇を尖らせる。フォルデが小さく眉根を寄せる。そんな中ロンは口の端に笑みを上らせ、セオに訊ねた。
「ほう。それはなぜだ?」
「えと、その……言っても意味がないのに、不快な思いをさせる必要はないんじゃないか、って思う、ので」
「……どういうこと?」
「その、なんていうか。たぶん、キャルヴィンさんは……エジンベアの男の人たちがどのくらい気づいているのかはわからないけど、その中でも幾分かの人たちも、自分たちが女性たちに動かされているのを知っている、と思うんだ」
「え……えー!? そうなのっ!?」
「うん。だって、そうじゃなかったら、俺と、あの女性たちが、渇きの壺を報酬として与えるかどうか、っていう交渉をしてる時に、口を出すよね? だって、俺と、キャルヴィンさんが勇者としての力を試し合う、っていうんだったら、主役も、責任者も、キャルヴィンさんなんだから。それを横から、キャルヴィンさんたちの表向きの価値観では、あくまで庇護対象である女性たちに口を出させて、交渉をまとめさせていいはずが、ない。責任を問われた時に、迷惑を被るのは、その女性たちなんだから」
「あっ……」
「だから、俺はたぶん、キャルヴィンさんたちはそれを承知で、女性たちに自分たちを動かさせている、と思うんだ。男たちの論理では、名誉やなんやかやでがんじがらめになって動けない時でも、女性たちが間に入れば、『女性たちのために』っていう理屈で効率よく動くことが、できるし……女性たちの交渉感覚に信を置いている、っていうのもあるだろうし……それにたぶん、お互い、その方が心地よく動くことが、できるから」
「心地よく?」
「うん。女性たちは、男性たちを動かしているという優越感を得つつ、交渉の潤滑油として、働ける。男性たちは、女性たちを護っているという達成感や、自分たちを動かしているつもりの女性たちに動かされてやっている、という優越感を得つつ、働ける。たぶん、お互いに、相手がどんなことを考えているのか、なんとなくわかっていて、でもそれを明らかにしない方が、お互い心地いいと思うから、どちらも黙って自分の役割を果たしてるんだと、思う。そんな人たちに、横から、もう自分たちでわかっていることをうるさく言い立てられても、不快な気持ちになるだけだと、思うんだ」
「………そっかぁ………。やっぱセオにーちゃんって、すっげーな。そんなことまでぱぱってわかっちゃうんだー」
「す、すごいってほどじゃ、ぜんぜん、ないけど。ロンさんたちも、とっくにわかってたことだと、思うし」
「いや、俺はあんまりわかってなかったよ。フォルデは?」
「んー……あんまはっきりとはわかってなかったな。セオが言うからにはなんかあるんだろうとは思ったけどよ。ロンはどうなんだよ」
「俺はそんなことだろうと思ってはいたが。面倒くさかったので説明できるほど明文化して考えてはいない、そういう男女の騙し合いなんぞ俺としてはこの世でもっともどうでもいいことのひとつだしな」
「ね? 少なくとも、俺たちよりずっと君は事態を深く理解してたんだ。実際大したもんだと思うよ、セオの洞察力は」
「あ、あ、あの、あの、あのっ………」
 顔が熱くなる。脳に血が上る。今にも倒れそうなほど、心臓の鼓動が早くなる――
 が、たぶん体中が真っ赤になっているだろうと思いながらも、セオは必死に激情に耐えて、ゆっくりと頭を下げた。
「……あり、がとう、ございます………」
 ずっと受け容れることが、うまく受け止めることができなかった自分を褒めてくれる言葉。仲間たちの気持ちが詰まった、優しい言葉。
 それも自分は、受け止めなくてはいけない。自分にできる限界まで、死力を振り絞ってでも受け止めたい。そうでなければ、きっと、相手は傷つくと――寂しい思いをすると、思うから。
「あ、のっ……お、俺……う、れ、しい、です………」
 そう言いながらもう一度、深々と頭を下げる――と、その頭にぽん、と掌が、たぶんラグの大きな掌が乗せられた。
「え、う?」
「いや……その。なんていうか……」
「……ったく。この程度のことでいちいち気ぃ遣ってんじゃねぇよ、馬鹿馬鹿しい」
 そう言いながらフォルデが腹にずむっ、と拳を当ててくる。そこにロンがくすくすと笑いながら、楽しげに肩を叩いてきた。
「いやいや、けっこうなことだろう。セオの心が花開いていく様を、これからつぶさに見て取ることができるんだからな。まだまだセオの心は完全に花開いたわけではないと知れたんだ、嬉しいことじゃないか」
「てめーと一緒にすんな、変態賢者っ。っつか、そもそも女どもがどーしたこーしたなんて話どうやって仕入れやがったんだ、普通に考えて極秘だろうが、賢者の妙な力使ったんじゃねぇだろうなっ」
「まさか。賢者の力を使わずとも、人の心を読む呪文くらいならば俺の手持ちにはいくつもある」
「へーっ、いくつもあるんだ! ……おんなじ効果の呪文がそんなにたくさんあって、なんか意味あんの?」
「原理が違うから、特定の呪文を封じる力が働いている時に別の呪文を使えるというのもあるが……そもそも用途が違うからな、時と場合によって使い分けて……」
「セオ!」
 そう高らかに叫んで歩み寄ってきたのは、キャルヴィンだった。満面の笑みを浮かべ、手には酒杯を持ち、どかどかと地面を踏みしめながら近寄ってくる。
「あ、の……キャルヴィン、さん」
「呼び捨てにしろと言っただろうに。私とお前は朋友なのだからな」
「いえ、あの、やっぱり目上の方、ですし……」
「まったく、万事につけて控えめな奴だ。そこがお前らしいといえばそうなのだろうがな。さ、ついてくるがいい。我らがエジンベアの友に、お前を紹介しよう! 仲間の方々も、ぜひご一緒に参られよ。勇者の仲間の話をお聞きしたいという者たちが山ほどいるのだ!」
「え、あ、の……みなさん、いい、ですか?」
 おずおずと振り返り訊ねると、ラグは苦笑し、ロンは肩をすくめ、フォルデはふんと鼻を鳴らして、レウは笑顔で大きくうなずいて、それぞれに了解の意を示してくれた。セオがほっとして、「それじゃ、ご一緒させていただきます」とキャルヴィンに向き直り告げると、キャルヴィンは「うむ!」と大きくうなずいて、セオを引っ張って宴席へと連れていく。
 どうやら自分たちを遠巻きにしていたのは、キャルヴィンから紹介されるのを待っていたせいらしく、周囲の人々に次から次へと押し寄せてこられたが、セオはなんとか退かずに、できるだけ胸を張りその人々に対応した。――ここで逃げ出せば、きっと、嫌な思いをする人がいると思ったから。

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