サマンオサ〜アリアハン――2
 人気のないサマンオサの街を、セオたちは足早に進んだ。まれに見かけるぼろをまとった人々は、関わり合いを避けるためか、自分たちと目を合わさぬよう、近づかぬようさっと道の端へとよける。
 セオとしては、特にそれは気にならなかった。自身の命しか財産の残っていない人間が、全力で命を惜しむのは当然のことだからだ。
「……セオ。一応、理由を聞いていいかい」
 サマンオサの街中に広がっている墓場の前で、サマンオサの国王に直談判すると告げた自分に、仲間たちは慌てずにそう訊ねてきた。
「俺は、さっき、ザオローを使いました」
「ザオロー……? なんだそりゃ」
「召霊の、呪文です。呪文を唱えた場所付近で、死んだ人の、残留思念を呼び出す、って言った方が正確、でしょうけど」
「ざんりゅう……?」
「数瞬のことで、すべて聞き取れたわけでは、ないですけど。俺は、サマンオサで、殺された人たちの声を聞きました。それは、本当に、ものすごい数で……ざっとですけど、数万はいたと思います。この街で、この数年の間に殺された人、っていうだけ、でも」
「数万……!?」
「……そのくらいにはなるだろうな。こんな街中に、こんな非常識な広さの墓場ができるくらいだ。たぶん元からあった家々を取っ払って無理やり墓場を作ったんだろう。それだけでも充分異常だが、そうしてもその人々が住む場所を失わないくらい、あるいはそもそも家々の中に住んでいる人間がいなくなるくらいすさまじい勢いで人が減っていったのだとしたら、困ったことに説明がついてしまう」
 淡々と告げるロンの言葉に、ラグはきゅっと眉を寄せ、フォルデは思いきり顔をしかめレウはぽかん、と口を開ける。サヴァンは一人落ち着いた表情でにこにこと笑みを浮かべていた。
「はい。そして、その残留思念は、口を揃えて言ったんです。このサマンオサの、国王に殺された、って」
『…………!』
 ラグが素早く周囲を見回す。少なくともセオの声が聞こえる範囲には人の気配がないことを確認したのだろう、小さく息をついて、それから改めてセオに向き直り訊ねてくる。
「本気で言ってるのかい」
「はい」
「……なるほど。わかったよ、君が言いたいこと」
「……はい。……あの」
「謝罪ならいらないよ。俺としても、そんな話を放っておく気にはならないし」
「? ? え、えと、どーいうこと?」
「どうやらサマンオサの国王がやたらめったら国民を虐殺しているようだから、勇者の名声を遣って直談判しようと思うのだが、一国の国王を敵に回すことによる不都合に仲間を巻き込んでしまうことに対し感じている申し訳なさを言葉にするべきか、と悩んだセオに、ラグがそんなことはしないでいい、と言ったのさ」
「お前……そーいうこと説明するとこかよ、ここ」
「俺としてはかなりわかりやすく答えたつもりなんだが。サヴァン殿たちの狙いも、ある程度見えてきたことでもあるしな」
「……なんだよ、その狙いってなぁ」
「サマンオサの国民総数はせいぜいが五十万人。首都サマンオサの人口に至っては十万人がやっとだ。そこで数万人、国民の一割が国王に殺されてるんだぞ。サマンオサが現在鎖国しているのは確かだが、そんな話がまったく外に漏れないというのはおかしすぎると思わないか?」
「……確かにな。それで?」
「それは、ひとつにはサマンオサから出国しようとする国民は皆殺しにされているという可能性の傍証でもあるが、俺たちがサマンオサに入ってきた時に通った教会のことを思い出すと、だ」
「なるほど……あの教会、別に隠されてる風じゃなかったからな。道もきちんとできてたし、国外への通路として普通に使われてる感じだった。詰めてた神父さんも、ごく当たり前って顔して俺たちを迎えてくれた……つまりは」
「……つまりは?」
「サヴァン殿が個人的にか、神どもの命令でそう動いてるのかは知らないが。サヴァン殿はこの国の内部に喰い込んでいる。体制側か、強い影響力を持ってる反体制側かは知らないがな。その両方、というのが一番ありそうだが――どちらにしろ、サヴァン殿はこの国の惨状を知っていた。その上で、この国の組織に喰い込みながら傍観してきた。そうして今、俺たちにこの国の問題を解決させようとしている」
「え、ど、どーいうことだよそれ!? だって、この人すっげー強いんだろ!? なんでこれまでそんな、いっぱい人が死ぬのほっぽっといたんだよ!?」
「さて。そこらへんについて答える気はおありか、サヴァン殿?」
 サヴァンはちろりと流し見てくるロンの視線に、無言のまま穏やかな笑顔を浮かべることで応えた。少なくとも、今は自分たちの問いに答えてくれる気はないらしい。
「……だんまりかよ。お前、ふざけんのもいい加減にしとけ。てめぇがどんなつもりで俺たちを操ろうとしてんのかは知らねぇけどな、俺たちがそんな腹積もりにはいはいって応えると思ってんのか」
「いや、思ってないよ。少なくとも、僕としては君たちを操ろうって気は全然ないんだから。君たちなら、この街にやってくれば、この街の状況を知れば、国王陛下を止めるべく動いてくれる、っていうのはわかってたけどね」
 フォルデの低く、鋭い、たいていの人間は震え上がるだろう程の殺気を込めた声にも、サヴァンはにこやかな笑顔で応えた。そしてまるで気負った様子もなく、くるりと背を向けてみせる。
「……おい。なんのつもりだ」
「僕としては、これで目的は達成したっていうこと。少なくとも、最初の目的はね。だから、次に向かう。まだ僕にはするべきことがいっぱい残ってるからね」
「逃がすかよ」
 ちっ、と舌打ちしてフォルデは素早く間合いを詰める――が、サヴァンの姿はこちらに背を向けたまま、すぅ、と周囲の空気に溶け消えた。
「なっ……こりゃ……」
「マヌチーロ……いや、違う。レムオーラス……いや、それも違うな。まさか、レム系呪文で気配を持ち、かつ自律思考可能な幻を創り出したのか? くそ……百年の経験は伊達ではないな、どれだけ引き出しがあるんだ、あの人は」
 珍しく悔しげにロンが唸るが、レウは小さく首を振ってそれを止めた。
「サヴァンのことはとりあえず今はいーじゃん。どうせまたなんか用あったら出てくるんだろうしさ。それよりも、今はサマンオサの王さまのことだろ」
「……まぁ、確かにな。セオ、君は国王に、直接問い質すつもりなんだね? なぜ国民を殺すのか、と」
「はい。見たところと、ザオローの呪文から得た情報では、普通の人々からそれ以上の情報を得るのは、難しそうですから」
「盗賊ギルドの方で探ってきてもいいぜ。金次第だが、あらかたの情報は揃うだろうし」
「やめとけ。この国のありさまはほとんど終末期だ、そんな場所で盗賊がどうやって稼ぐか、お前が一番わかってるだろ?」
 ラグの静かな問いかけに、フォルデは一瞬不意を衝かれたような顔になってから、また小さく舌打ちをした。その表情は忌々しげに歪んでいる。
「そういうことかよ。……確かに、今んとこわかってるこの国の状況で金稼ごうとしたら、国王だのなんだのにすり寄って犬として飼われるのが一番手っ取り早いってたいていの奴は考えるだろうな」
「市民の間に金が回っていないわけだからな、一般的な盗賊の活動は不可能だ、非合法とはいえ営利組織である盗賊ギルドが生き延びる方法は、普通に考えて金と権力を持ってる奴にすり寄るしかない。そういった体制に反発する盗賊もいるだろうが、そういう奴は本気で反体制勢力を築くために地下深くに潜るだろうしな。普通の盗賊ギルドを探すくらいの時間じゃとても見つからんだろう」
 淡々と解説するロンに、フォルデが舌打ちし、レウが首を傾げつつもこっくんとうなずく。そしてラグがセオに向き直り、真剣な顔で問いかけた。
「暴政を布いている国王に話を聞きに行くっていうことは、どう考えても強行突破をせざるを得ないわけだけど。それでもいいのかい?」
「はい。今の俺たちの状況では、それが一番わかりやすいと思います」
「わかりやすい……のは、確かだろうけど」
「人を殺す可能性については、考えていないのか?」
 ロンに問われて、セオは思わずきょとんとした。小さく首を傾げながら、全員に訊ねる。
「え、あの、俺、みなさんが全力を揮ったら、この国の軍隊くらいなら、充分手加減した上で無力化できる、って思った、んですけど……計算、間違ってた、でしょうか?」
 そうだとしたらこの上ない侮辱をしてしまったことになる。何度伏して謝っても足りないところだが、セオとしては自分の計算が間違っているとはとても思えないからこそ言い出したことなので、ついうかがうような表情になってしまう。セオはこれまで、自分たちの戦力を人間相手に揮った場合の模擬実験については、何十度、何百度という単位ではなく、それこそ数えきれないほどくり返してきたのだから。
 そんなセオの感情に気づいたのか、ラグは目を見開いて、ロンは目を瞬かせ、フォルデは一瞬息を呑んだが、すぐに全員笑みを浮かべてくれた。ラグは苦笑気味に、ロンは面白がるように、フォルデは獰猛に、という違いはあったけれども。
 そしてレウは、いつものように満面の笑みで、力を込めて言い放ってくれる。
「よーし! じゃーセオにーちゃんっ、みんなでいっしょにサマンオサのこくおーのとこ、行こうぜっ!」
 そんな風にパーティ全員の意思を統一し、自分たちはサマンオサの王城へと走っているのだ。
「で? どういう風に城に入るつもりだよ」
「まずは尋常に、正面から謁見を、申し出ます。謁見を断られたなら、エジンベアと同じように、フォルデさんに頼るのが一番いいと、思います」
「は? なんでわざわざ正面から申し込まなきゃなんねぇんだよ。最初っから無断で侵入した方が手っ取り早いだろうが」
「いえ、あの、まずは、向こうがどういう立場を取っているのか、知りたくて。謁見を断るのか、引き入れて対処するのか。そのどちらかで、向こうがなぜ、こんなことをしているのか、ある程度わかると、思うので」
「ふん……ま、そういうことなら最初は任せてやってもいいけどな」
 そんな風にこれから先の段取りを話しながら足早に歩を進め、街の中央にある王城にたどり着いた。その間、王都の大通りを通ったというのに、すれ違った人々は数えられるほどしかいない。サマンオサの今の状況を改めて、いちいち思い知らされる。
 自然の川を流用した王城の周りの堀。そこにかかった橋を越え、城門を固めている兵士たちに近づいて声をかける。一個小隊ほどと明らかに城門の警備にしては多すぎる数の兵士たちは、ほとんどがうつむいて、周囲を警戒もせずただ棒立ちして立ち並んでいた。
「申し訳ありません。少し、よろしいでしょうか」
「……なんだ、貴様らは。ここをどこだと思っている、由緒正しいサマンオサの、国王陛下の住まわれる王城だぞ。お前たちのような薄汚い旅人が近寄れる場所ではない、とっとと帰れ」
 放つ言葉自体は罵るようではあったが、声の勢いはあまりに軽かった。見たところ、大半の兵士の顔は、あからさまに面やつれしている。つまり、国府の兵士であろうとも、現在の状況は極めて厳しいものなのだ、と自然と知れた。
「はい。こんな薄汚れた姿で登城する無礼は承知の上ですが、どうしてもお聞きせねばならないことができてしまいましたので。――アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートルがやってきた、と陛下にお伝え願えませんでしょうか」
『…………!』
 セオが名乗った途端、兵士たちの間の空気が凍った。兵士たちの表情も、恐怖、あるいは悲嘆を凝集させたようにひきつり、固まっている。
「……承知いたしました。では、どうぞこちらへ。陛下のところへご案内します」
 隊長らしき、一番しゃんと立っている兵士がそう言って顎をしゃくる。慌てて門のそばにいた兵士が何人も動き、城門の向こうと連携を取って固い門扉を開ける。そうして見えた城内へと、隊長らしき兵士は足を踏み出した。
「どうぞ、こちらへ。急ぎ、陛下のところへお連れしますゆえ」
 セオは仲間たちと軽く目を見交わす。疑念、困惑、表情はそれぞれだったが、全員警戒を強めているのは見て取れた。
 当然だ。セオが名乗るやすぐに国王陛下のところへ案内するということは、すでに勇者、あるいはセオがこの城を訪れてきた場合どうすればいいかが警備の兵士に通達されているということなのだから。そうでなければ紹介状や御免状を確認もせず、上司に知らせることもなしに、城門の警備兵がいきなり他国の勇者を城内に招き入れるなんてことをするはずがない。
 それがどういう理由にしろ、向こうは自分たちを警戒しているのは確かだ。セオは(もう季節も十月になった上、サマンオサは山の上の国なので低くなった気温に合わせて身に着けた)外套の下で、小さく拳を握りしめた。
 案内の兵士に続いて城内を歩く。サマンオサの建築技術は、ほとんどがアリアハン帝国からの流入によるもので、特有のものはほとんどない――と聞いていたが、少なくともぱっと見たところではそれを裏切るような要素はなかった。――が、それ以前に、ここを一国の王城と言ってしまうのは抵抗があった。
 汚いのだ。掃除が行き届いていない。土足で場内を歩き回るのはアリアハンもさして変わらないが、それでも掃除をさせるための女性を何人も雇い、少なくとも見えるところは眩しいほどに磨き上げていた。だが、ここにはそういったことがまるでなく、足跡が残り放題に残っていた。
 しかも、それだけではなく、というかそれ以上に、この場内は臭かった。むせ返るような匂いが、城内を満たしている。――おそらくは、血臭だ。
 案内される時間はさして長くはなかった。通路をいくつか通り抜けただけで、自分たちは謁見の間へたどり着く。
 ――が、そこに広がっていた光景は、国主が来訪者を出迎える場とは、とても思えないものだった。
 いくつもの料理――それもおそらくは蝙蝠やミミズなど、普通は人間の食事には使わない食材を調理したものを乗せた皿が並んでいる。食卓ではなく、敷かれた絨毯の上に直接。
 最奥の玉座に腰かけた老年の男に見える者――おそらくは国王だろう相手の周囲を、薄絹を纏った女性たちが取り巻き、あるいは舞い踊り、あるいは国王にしなだれかかっている。さらにその周りをあるいは道化が、あるいは兵士が囲み、手を叩き、囃し、と宴会のように場を盛り上げている。
 だが、その顔に浮かべられる表情はどれも引きつり、顔色は今にも倒れるのではないかと思うほど悪かった。それも当然だろう――部屋の隅には、ほんのついさっき殺されたのではないかと思われる死体が、いくつも積み重なっていたのだから。
 あるいは女性の、あるいは男の、あるいは踊り子のあるいは兵士の、と姿はいろいろではあったが、どれも顔に苦痛と悲嘆に歪んだ表情が刻まれていることでは共通している。憎悪と憤怒、怨嗟と悲痛、そんな負の感情を煮詰めたような代物が、首を落とされ、あるいは胴を斬られ、腕を足を切断されながら死んだ者たちの体中に残されているのがわかる。
 それを数瞬見つめてから、セオは玉座に座っている男性に向き直った。玉座の上には豪奢な衣服をまとい、頭に王冠を乗せた初老の男性が座している。
 黄金で造られている上に宝石をいくつもちりばめた、世界でも例のないだろうと思われるほどの贅沢な玉座の上から、おそらくはサマンオサの国王となっているであろう男はにやにやと、嘲るような、嗜虐的な、いうなれば虫の足を引き千切りたくてたまらない子供をさらに悪辣かつ残虐にしたような顔でこちらを見ている。それをじっと見返しながら、セオは一歩前に踏み出して口を開いた。
「サマンオサ国王、グスタヴォ・カリージョ・トゥピナムバー陛下とお見受けします。俺は、アリアハンの勇者セオ・レイリンバートル。是非にも伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
 名前を呼ばれた国王は、にたり、と唇の両端を持ち上げてこちらを見て、答える。
「アリアハンの勇者のお訊ねとあらば、答えぬわけにもいくまい――なァんて言うと、思ったかァァァァ?」
 国王はずぅい、と顔を突き出してこちらを見下ろす。こちらをすくい上げるように見るその目はぎょろぎょろと激しく動き、口元は裂けたように大きく開かれて嘲笑の形を作っていた。その顔からは明らかに、自分たちに対する敵意――いや、殺意が直截なまでに感じられた。自分たちをどういたぶり、どう虐殺するのも自由だと思っている存在ならではの、傲慢な殺意が。
「お前らはわしを殺す気で来たんだろうがよォ、悪いがこっちも最初っからお前らを殺す気で待ってたんだよォ。世界を救うついでにサマンオサも救ってやろう、なんぞとおせっかいなことを考えやがったんだろォ? 考えが甘すぎんだよクソどもがァ!」
 目をぎらぎらと輝かせ、舌なめずりさえしながら国王は玉座から一歩下へと下りた。国王にしなだれかかっていた踊り子らしき女性たちが、必死の形相で一歩退く。国王はそれが目にも入っていない様子で、腰から引き抜いた剣を振り回した。剣術もへったくれもない乱暴な振り回し方だったが、一般人ならばいともたやすく首を落とされるだろうほどの速さと力強さを持っているのは嫌でもわかる。
「さァ、まずは牢獄に入ってもらおうかァ。お前らの装備全部引っぺがして売り飛ばしてやるからよォ、とっとと全部装備外しやがれ!」
「……なに抜かしてやがるてめぇ、んなふざけた話俺たちが聞くとでも」
「あァ〜? ふざけてんのか、はこっちの台詞だぜェ。てめェらを出迎えるのに、俺らがなんの準備もしてねェとでも思ったのかァ?」
「なに……?」
 国王がぐわっ、と大仰な動きで右腕を振り上げる――や、国王の後ろに控えていた老年の魔法使いが必死の形相で早口に呪文を唱え始めた。ロンが小さく目を見開くのとほぼ同時に、呪文が発動し、世界が変容する。
 ――次の瞬間目の前に映し出された光景に、自分たちは一瞬、息を呑んだ。魔法使いが創り出した幻影それ自体は、酸鼻を極めているというわけでもなく、囚人が全員絶望に満ちた顔をしていることをのぞけばごく当たり前な牢獄の光景と言えただろう。狭い牢の中に何人も貧民層の人間を詰め込んでいるという劣悪極まる環境ではあったが、一般的な牢獄像からそう外れてはいない。
 鉄格子の前に、抜身の剣を持ち、青ざめた顔をした兵士たちがずらずらと並んでいることをのぞけば。
「そっちの賢者ならわかんだろォ? さっきこいつが唱えた呪文はレムバーム、あらかじめ陣を敷いておいた場所の幻影を創り出す呪文だ。つまりィ、この光景は間違いなく、今この瞬間どっかに広がってる光景なわけよォ。で、だァ。俺がなにを言いたいか、わかるよなァァ?」
「…………」
 じ、とセオはサマンオサ国王の目を見つめた。国王はぎらぎらと光る目でセオを見返し、ヒャハハハッ、と笑い声を立てる。
「勇者の動きを封じるにゃ、肉の牢獄がイイってなァ本当だったらしいなァ。さァて、とっとと装備を外してもらおうかァ。そのあと全員牢獄行きだァ。逆らやァ一人ずつあの牢に入ってる奴らの首を落とす。こっから遠く離れた場所にある牢だが、連絡用の魔道具があるからなァ、合図ひとつで総勢三百十二人、あっさり皆殺しにできるぜェ。どうするよ勇者さま、三百十二人見捨てて俺をここで斬り殺してみるかァ? その瞬間てめェは王殺しの大罪人の上三百十二人を無駄死にさせたクソ勇者だけどなァ、ギャハハハハハッ!」
「…………」
「ッの、やろォ……!」
「こいつっ……卑怯だぞっ!」
「卑怯だァ? くくくッ、さすが勇者、笑わせてくれるなァ? どんな手段だろうが負けたらそれで終わり、ならどんな手を使ってでも勝とうとすんのが当然だろうがよ。なんにも考えねェで突っ込んできて、作戦にあっさり引っかかって負けた奴が卑怯だなんだと喚くなんざ、負け犬の遠吠え以外の何物でもねェぜェ?」
「っ、このっ……だからって!」
「さァさァいつまでお喋りしてんだァ? 装備を外すのか外さねェのか、とっとと決めてもらおうじゃねェかよ?」
 セオは無言で、手に装備していたゾンビキラーを外し、床に落とす。続いて腰の後ろに装備していた鋼の鞭と、腰の横に下げていた刃のブーメランも置いた。
「セオ……」
 驚いたような声を上げるラグに、セオは振り向く。無言のままただ振り向いただけだったが、ラグはそんな自分になにを見たのか、ふ、と小さくため息をついてバトルアックスを同様に床に置いた。他の仲間たちも、あるいは渋々と、あるいは怒りに顔を歪めながらと違いはあったが、おのおの武器を床に下ろす。
「くはッ、はッははははッ! こいつら本気で阿呆だなッ、たかだか三百人の人質で本気で武器を捨てやがった! そのせいでこれからどうなるかくらいわかんだろうによォ!」
「…………」
「んン〜? なァに睨んでんだ、いくら睨もうが見ただけじゃ俺は殺せねェぞォ〜? 俺が何万人ってくらい国民を殺して殺して殺しまくって、山ほどの恨みを買っていようが、ただ恨んでるだけじゃ俺につま先ほどの傷をつけることもできねェのと一緒でなァッ!」
 セオとしては、特に睨んだつもりはなかった。ただ、見ただけだ。今この国王を敵意を持って睨みつけたところで、そんなことにはまるで意味がないのだから。
 ただ、この何万という国民を殺したとごく当たり前のように言いながら、心底楽しげに笑う相手のことを、できるだけ観察して、その言動、様子、顔貌もろもろをできるだけきちんと覚えておきたかっただけで。
「お聞きしても、いいですか」
「はァン? なんだ、お前もしかしてアレか? 他の連中と同じみてェに、俺にも『なんでそんなことをするのか』『なにか理由があるのか』『もしそうならできるだけ協力するからどうかそんなことはやめてくれないか』……なァんて聞くつもりかよ?」
「はい」
 セオがうなずくと、国王は口を裂けたのではないかと思うほど大きく開けて、大笑した。
「ギャハハハハハハハハハハッ!!! バ〜カ、マジでバカだなお前ッ! ボケ勇者だってなァ聞いちゃいたが、本気で脳味噌とろけてんじゃねェのォ? おめでたいッつーより頭ン中なんも入ってねェって感じだなァ〜!!」
「…………」
「……てめ、ェッ……!」
「お〜ッと、それ以上近づいてくれんなよ? あと指一本でも動かしたら即、牢獄に合図を送って三百十二人全員あの世行きだぜェ?」
「ッ、のッ………!」
 フォルデは苛烈な、気の弱い相手だったら気絶するのではないかと思うほどの覇気と殺気を込めて国王を睨んだが、国王は平然と、そして嘲るように笑ってみせた。フォルデの殺意も、敵意も、この国王にとっては涼風よりも身近にある娯楽対象なのだと、その満面の笑顔が雄弁に伝えてくる。
「で……国民を殺す理由、だっけかァ? 俺が国民殺したのにァ理由なんざねェよ。強いて言うなら、楽しいからさ」
「……楽しい、ですか?」
「そうともよ、当たり前だろォ? 俺は人殺しがだァ〜い好きなのよォ! 自分の手で捻り潰すのも、配下に銘じて首を落とさせるのも、ついでに言うなら指の一本一本に釘打って死ぬほど苦しめ殺すのも、飢えさせてから自分の子供の肉を喰わせてそれをバラして狂わせ殺すのもだァ〜い好きだねェ! だから俺ァもっともっと人を殺して殺して殺しまくりてェんだ、そのために面倒な国王なんてやってんのさァ!」
「…………」
「んン? なんでそんな奴がまだ反乱起こされてねェのか疑問かァ? そりゃ簡単だ、俺ァこう見えても人を見る目があってなァ、人間のどこを押さえれば逆らえなくなるか、なんてなァすぐわかっちまうのさ。反乱の旗頭になりそうな奴らや、人をまとめ上げる能力のありそうな奴らには片っ端から人質取るなりなんなりして逆らえなくしたし、ここは逆らってもらっちゃ困るって部署にゃあ俺に逆らう気のない奴らをあてがった。権力に従う奴らや金がもらえりゃなんでもいい奴ら、俺と同じように人殺しがだァ〜い好きな奴らとかなァ? そこらへんをきっちり見分けてやりゃあ、逆らえねェように手綱を取ってやるなんざさして難しいことでもねェのさ」
 にやにやと笑いながらそう言ってから、国王は大きく腕を広げた。
「さァ部下ども、勇者さまどもを全員くっせェ牢獄にぶち込む時間だぜェ!? おきれいな顔を腐れた木偶どもの反吐まみれにしてやりやがれ!」

 明かりといえばせいぜいが獣脂を使った蝋燭ぐらいしかない地下への道を、国王の側近らしき兵士たちに囲まれながら進む。
 血臭はどんどん強くなり、今では吐き気を催させるほどになっていた。それだけではない、腐臭、死臭、人の体が死に、腐っていったせいであろう匂いが、はっきりと感じ取れるようになってきたのだ。
 この先の場所で、どれだけの人が殺され、そして弔われることもないまま死んでいったか――それが、否が応でも想像できる匂いだった。
「……ここだ。下りろ」
 兵士たちが、突き飛ばすようにして階段の下へと自分たちを下ろす。地下の小部屋に待機していた兵士が、立ち上がり自分たちを出迎える。
 それから、ぎぃ、と音を立てて、背後の重く錆びた鉄の扉を開けた。その奥に見えるのは、ただひたすらに暗黒。死臭と腐臭と血臭が、目が回りそうなほど強く匂ってくる。
「さぁ、奥だ」
 武装解除された自分たちを、また突き飛ばすようにしながら、兵士たちはランタンの明かりを頼りに暗黒の中へと踏み込む。そこはなんの物音もしない、静寂そのものの空間でありながら、人の気配に満ちていた。いや、正しくは、人だったものの気配、と言うべきか。
 自分の足元も見えないほどの暗闇の中で、まともに食事も与えられないまま放置されているのだろう。やたらめったら広い牢獄の中に、そんな人だったものと、ごくわずかに存在するまだ人であるものの気配が充満していた。
「ここだ。入れ」
 言われて開けられた鉄格子の中は、比較的清潔なように思えた。死体も、血の跡も残っておらず、自分たちの他に入っている人間もいない。
「おとなしくしていろよ」
 そう力のない声で言って、兵士たちは遠ざかっていく。その気配と、持っている明かりが消えて、三分ほど経ってからロンが口を開いた。
「フォルデ。監視は?」
「今んとこなし。仕掛けの類もねぇと思うぜ。そっちはどうなんだよ。きっちり調べ終わってんだろうな?」
「当然だろうが。魔法系のちょっかいも今のところない。あれだけのことをほざいてくれたからには、こちらを魔道具かなにかで徹底的に監視してくるつもりかと思ったが……拍子抜けだな」
「はっ……笑わせてくれんよな、っとによ。……これから、どう動くつもりだよ、セオ」
 セオはさっきから吐き気を必死に堪えているレウの介抱をしていたのだが(まだ十二歳の幼い体には、この異様なほどの死臭と腐臭は強烈すぎるのだろう、袋の中の布で覆面をさせても辛そうだった)、意見を求められたからには答えなければならない。静かに、淡々とした声でフォルデに向かい答えた。
「はい。予定通りで、問題ないと思います。まずはあの人質になっていた人たちを、助ける、ということで。他の場所に囚われている人たちがいないか、という調査も、必要になるでしょうけれど」
「ふん……方法も予定通りってことでいいんだな?」
「はい。ただ、できれば、それと同時に、こちらの牢に囚われた人たちを、助け出したいと思います。ここにいる人たちは、ほとんどが、ひどく体が弱っているようなので、先に少しでも体力を回復させる必要は、あると思いますけど」
「ふん……ま、そうなるか。とにかくまずは、定石通り情報優先ってこったな」
 フォルデは鼻を鳴らして、準備体操のように軽く手足をしならせてから、音もなく牢獄の扉に近づいた。襟元から鋼の細く小さな棒を取り出し、ほとんど音を立てずに鍵穴へ差し込む。
「最後の鍵かなにか持っていくか? 侵入探索には便利だろ」
「いらねーよ。この程度の鍵だったら楽に開けられる、てめぇらの方がずっと必要だろうが」
「いや、こっちにもアバカムがあるからな。お前じゃ魔法で閉ざされた扉はどうにもならんだろう?」
「……チッ。わぁったよ、とっととよこしやがれ」
「お、珍しく素直だな。……ほら」
「るっせぇな、こんな状況で意地張ったとこでなんにもなんねーだろうが。……万が一にもしくじれねぇ仕事なんだからな」
 最後の方だけは小さく呟きながらもフォルデは最後の鍵を受け取るが、その時にはもう扉の鍵は開いていた。素早く油を差して軋む扉を音もなく開け、フォルデは真っ暗な闇の中へと滑り出る。
「気をつけろよ」
「誰に言ってんだ。この程度の城なら目ぇつぶってても隅から隅まで探ってこれるっての」
 そうなんの気負いもなく答えて、フォルデの気配は消えた。実際、最近のフォルデの隠密技術は、本気で駆使したならば自分たちも相当に集中しなければ気配を感じ取れないほど高くなっている。その自覚を持ち、技術を使いこなすだけの精神力も有しているフォルデにしてみれば、事実を言っただけにすぎないのだろう。
「ぅ……ぅ、う」
「……レウ。大丈夫?」
「だい、じょぶ。ちょっと、気持ち、悪いけど……このくらいで、めげて、らんないし」
「……うん。でも、無理はしないでね。辛いと思ったら、いつでも言って」
「うん……うー、悔しいなー。なんで俺、レベルはあんまり変わんないのに、ロンやフォルデみたいにちゃんと頑張れないんだろ……」
 心底悔しげに呟くレウに、ラグは苦笑し、ロンは小さく笑い声を立てた。
「まぁ、俺もフォルデも、それなりに修羅場はくぐっているからな」
「俺としては、レウの年頃でそこまでの度胸と根性を持ち合わせてるっていうのは充分とんでもないと思うけどな。普通の子供だったら、こんな場所に入れられたら狂乱状態になってるよ」
「まぁ、そこらへんはレウの元来の資質もあるだろうが、レベル上げの効果もあるんだろうな。実際、俺たちもそれなりに、レベル上げしただけで自分の心身が磨かれていっている自覚はあるし」
「え、そーなの……? っていうか、レベル上げって強くなるだけのもんじゃないの……?」
「そうだな……そもそもレベルっていうのは、職業に対する熟達の目安を表したものだからな。職業ってのは人間の心身をある役割に最適化……専門化、って言い方でわかるか? したものだ。だから職業に熟達すればするほど、その役割に見合った能力が上がる」
「う……? うん」
「で、勇者の力でレベル上げをするっていうのは、その職業に魔物を倒して経験値を得るだけでどんどんと熟達させていく、ということになる。だからその職業の持つ技術、精神性、そういった部分もどんどん熟練した人間、あるいはそれを超えた存在のものになってくる、ということになるわけだ。そうでなければここのところずっと魔物を倒すことしかしていないフォルデが、隠密技術の超達人になれるわけがないだろう?」
「うん……うん? うん、そうだよな……」
「で、レウ。お前やセオのような勇者の場合は、職業という枷が存在しない。それは利点でもあるが弱点でもある。職業に縛られていない分お前たちはどんな能力も自由に成長させることができるが、それは裏を返せば自分で訓練した技術以外は使えない、ということだ。まぁ、それが当たり前ではあるんだが、こういう風に、土壇場や修羅場に陥った時の精神力も、お前は自分で鍛えなくちゃならない、ってことでもある。今のフォルデは超熟練の盗賊だ。つまり、こういう状況でそういうレベルの盗賊が発揮できるだけの精神力も発揮できるってわけさ」
「ふーん……でも、フォルデって今でも、なんかあったらすぐに腹立てるぜ……?」
「個人的な性格には職業の熟練は関係しないからな。そもそも、勇者のレベル上げによる技術の向上も、精神力の向上も、使いこなせなければ意味がない。だからこそたとえレベル上げで能力が上がったとしても訓練は必要だし、経験を積んで心身の能力を完全に発揮させるだけの心の力を得る必要がある。で、今のあいつは、いろいろあった末に、レベル上げで上がった力を問題なく使いこなせるだけの心の力を持っている、というわけさ」
「そっかぁ……」
 浅い呼吸をしながらなんとか吐き気に慣れようとしているレウと会話しながらも、ロンは牢の中にいる人々の様子を見て回っていた。セオもレウをラグに任せて、それに参加している。少しでもこの人たちの体力を回復させて、ルーラに耐えられるようにしておかなければならない。
 だが、暗闇の中気配を頼りに探っただけでも、状況は芳しくないことが分かった。生き残っている人々がもともとごくわずかなのはわかっていたが、そのわずかな人々の生命力も今にも消えそうになっていて、自分たちが体を探るのに反応することもほとんどできていない。まったくの暗闇の中、食べ物も与えられずに放置され、生きる力が極限まで削ぎ取られてしまっているのだ。
『…………』
 ロンと顔を見合わせ、考える(真っ暗闇の中なので、気配を頼りに向き合ったにすぎないが)。この人たちを生き延びさせる方法はなにかないか。
 回復呪文ならば足しにはなるだろうが、たとえベホマをかけたところでこの人たちには気休めにしかならない。この人たちには栄養と、安全で快適な場所での心を尽くした介護がなんとしても必要なのだ。
 目を閉じ、考える。牢獄の中には死臭が満ち、鼠や虫が入ってきているのか、ときおり足元に這い回る者の気配が感じられたが、音も光もないので考え事には悪くない環境だ。そもそも、セオは自分がそんなことで贅沢を言えるほど偉い人間だとは思っていない。
 深く、深く、考える。自分の奥深くへ潜っていく。ダーマにいた時に教わった、今の自分に考えつくことは自分の知識を下敷きにしたものでしかないのだから、最終的な考えは結局は自分の中を探るしかない、という理屈による思考法だったが、セオには自分に合っていると思えるものだった。
 深く、深く。天から地の底へ、地中から底を通り抜けた星空へ―――。
 と、そんな風に考えに沈んでいたせいか、気配に最初に気づいたのはセオだった。
「……人が、やってきます」
「なに?」
「本当かい? どこから……いや、これは、もしかして。隠し通路か? あるかもしれない、とは思っていたけど」
「壁になりましょう。たぶん、この人たちは、明かりを持っているでしょうから」
「え……あ、そっか、ここの人たちに強い光浴びせちゃったらよくないもんな」
 レウも声を抑えながらうなずいて、立ち上がる。そっと牢の扉を開けて、牢獄の中を進み、壁の向こうから近付いてくる気配の前で四人並ぶ。
『……ったく、勇者だなんだって抜かすんだったら、せめてこっちに面倒かけねぇようになってからにしてもらいたいね。街に乗り込むや悪の根城に突っ込むとか、どんだけ脳味噌あったかくできてんだっつーの』
『騒ぐな、ウッズ。城の奴らに聞こえたらどうする』
『なーんだよ、ガルファン。お前だってそー思ってんじゃねーのぉ? 外じゃ勇者扱いされてんのかもしんねーけど、勇者オルテガの息子なんざ英雄サイモンの足元にも及ばねぇって』
『……いまさらもういない勇者のことなんぞ言っても仕方ないだろうが』
『へーいへい、ったくうちの若様は相変わらず勇者と見るとひねくれ曲がった感性を発揮なさることで。これじゃアリアハンの勇者と対面した時どうなることやらねぇ……っと、はいはいお仕事いたしますよぉーっと』
 壁の向こうでかちゃりかちゃりと鍵らしきものを回し、仕掛けに使われている煉瓦や石をず、ずぅっと押し滑らせる音がして、壁が開き、光が漏れてきた。セオは小さく遮光の呪文を唱え、光が牢の中へ溢れ出さないようにする。
「さーって、囚われの勇者さまとやらはどこかねぇ……って、うわ!? な、なんだあんたら、なんでこんなとむぐっ」
「お静かに。たとえ牢番の兵士たちがはなはだしく職務不熱心とはいえ、明らかに不審な物音を聞き逃したら罰せられる可能性が高いでしょうからね」
 ランタンを持っていた盗賊に、滑るように近づいて口を塞いだラグが、自分たちが今まで話していたように、小さく、けれど相手にはしっかりと聞こえる声で言うと、相手はなぜか固まってこくこくと勢いよくうなずいた。
 相手の人数は全員で五人。四人が屈強な戦士らしき男で、残りの一人が明かりを持っている盗賊だ(これも男だ)。軽く見回して、さっき盗賊の人と話していたとおぼしき先頭の戦士が隊長格らしい、と思いできるだけ静かに話しかける。
「申し訳ありませんが、できるだけ、発する音と光の量を落としてください。ここにいる、まだ生き残っている人たちには、それだけで強すぎる刺激ですから」
『…………』
「……なんなんだ、あんた」
「え……俺の名前は、セオ・レイリンバートル、です、けど……?」
「真正面から王城に乗り込んであっさり愚王に捕まった馬鹿勇者の名前じゃねぇかっ! お前、なんで牢から出て」
「どうか、お静かに。……ロンさん、ありがとう、ございます」
「気にするな、遮音の呪文くらい大して手間でもない」
「は、はぁ………?」
 それぞれ疑惑と不信の目で自分たちを見ている男たちに、セオたちは静かに、そしてできるだけ手早く説明した。
「確認、したいんですが。あなた方は、サマンオサの、政府組織に抵抗している組織の方々ですか?」
「なっ……なぜそれをっ!」
「え、いえ、あの、普通に考えて、見当をつけただけなんですけど。もし俺たちを牢から逃がして、抵抗組織の拠点に案内してくださる、ということでしたら、ちょっと待っていただけませんでしょうか。今、俺たちの仲間の、盗賊のフォルデさんが、城内を探索しているところですので」
『はぁっ………!?』
「あ、あ、あんたなに言ってんだ! 仲間って、盗賊って、探索って……あんな警戒厳重な城の中を!? どうやって!?」
「だ、第一そのあんたの仲間の盗賊ってのはあんたと一緒に捕えられたはずだろう! そいつがどうやって城の中を……そもそもあんたたちはどうやって牢から出たんだ!」
「そ、それになんで俺たちが抵抗組織の人間だってことを……ま、まさか、愚王と通じていたのか………!?」
「いえ、あの……」
 セオは少しばかり戸惑った。相手の者たちがそれぞれ驚愕し、混乱しているのはわかったが、その理由がさっぱりわからなかったからだ。
 なにか、自分の見落としている驚くべき要素があったのだろうか、と頭の中で再検討しつつ、とりあえず静かにしてもらうために(ロンが遮音の呪文を使ってくれているとしても静かなのにこしたことはない)、手早く説明する。
「あの、まず、俺たちの仲間のフォルデさんは、すごくレベルの高い盗賊なので、この程度の牢屋の鍵は障害にはなりませんし、城内の警戒も、しかりです。牢番の人の注意の隙をついて外に出るくらいのことは、フォルデさんならさして、難しくありません。あなた方が抵抗組織ではないか、と訊ねたのは、もし抵抗組織というものがあるのだとしたら、たぶん俺たちが捕らわれたということを知ったらなんとか助けようとするだろう、というのは、予測していたのと、壁際であなた方が話している声が聞こえたので、その内容から推測した、だけです」
『は……?』
「ん、んな馬鹿な! いっくらレベルの高い盗賊ったって、一国の王城の中を……そ、それに壁越しに俺たちの声を聞くなんて、そんなことできるわけが……!」
『言ってくれんじゃねぇか、ヘボ盗賊。どんな奴でもてめぇの物差しで測れると思ってる奴は長生きできねぇぞ』
『うわぁぁっ!?』
「どうした、フォルデ。なにか見つけたか?」
『見つけたか、じゃねぇよ。ここの国王脳味噌どころか心臓まで腐れきってやがんな。とりあえず城の中は全部調べきったけどよ、さっきんとこみてぇな牢獄が他に三つ、俺たちが見せられたみてぇな牢獄が五つ、拷問部屋だの処刑部屋だの、どうしようもねぇくっだらねぇ部屋がごろごろありやがる』
「徴はつけてきたか?」
『たりめーだろうが』
「よし。……しかしとんでもなく手早い仕事だな。さっき牢から出て行ってからまだ一時間も経ってないだろう?」
『大したこっちゃねーよ、あくまで城ん中だけだ。他の場所に人質取ってるかとかの書類調査はまだ手ぇつけてねぇからな』
「いや、それでも上出来だ。……と、なると、だ」
「あとはどうやって体の弱りきってる人を運ぶか、っていうことになるわけだよな?」
「そっかー、やっぱそこにくるんだよなー。うーん、どーしよー……」
「ちょ、ちょ、ちょ……」
「待て! あんたら、なんの話をしてるむぐぅっ」
 大声で叫ぼうとした男の口をまた素早く塞いでくれたラグに感謝を込めて一礼してから、セオは戸惑いながらも男たちに向き直った。この人たちがどうしてこんなに狂乱状態になっているのか、正直セオにはよくわからなかったのだが。
「あの、俺たちは、ただどうやって人質を助けようか、っていうことを話し合ってる、だけ、ですけど……」
『はぁ……?』
「……おい。その人質ってのは、城内に囚われている民たちのことか」
 そう低く、不穏な響きに満ちた声を出したのは、隊長格らしい、とセオが考えたガルファンと呼ばれていた男だった。セオはその鋭い視線を静かに見返し、うなずく。
「はい。城内に囚われている人の中で、どれだけが今の状況から抜け出したがっているのか、わからないですけど。できる限りは、そういう人に、手を貸そう、って」
「ふざけるなよ、小僧」
 ぐい、とガルファンがセオの胸倉をつかむ。抵抗はせずに、睨みつけてくるガルファンの視線を見返す。
「ちょっ……あんた、なにするんだよっ!」
「レウ。声」
「あっ、ごめ……じゃなくてっ! セオにーちゃんがいじめられてんのになんでラグ兄たち」
「セオの顔を見ろ。あれがいじめられている顔か?」
「え? ………あ」
 そんな背後の会話など聞こえていないかのように、ガルファンはセオを殺意すら込めて睨みつけながら、低く押し出すように言葉をぶつけてくる。
「貴様、神さまにでもなったつもりか。勇者ってのがどれだけ大したもんだろうがな、世界は太古の昔から死と悲劇で溢れてるんだ。これまでも人はばかすか無駄に死んでいったし、これからもそうだろう。そいつら全部を救えるとでも言うのか、何様だお前は!」
「俺は、全然偉い人間じゃない、と思いますけど。自分に助けられるだけの人たちは、助けたい、と思います」
「はっ! ほとんど厳戒態勢の警備の中、城のあちらこちらにばらばらに囚われている何百人、何千人って奴らをお前らだけで助けられるってのか!?」
「はい」
「―――は?」
 ぽかん、と口を開けて固まったガルファンをよそに、ロンが面白がるような声音で話しかけてきた。
「ほう、どうやってだ? 俺としても、なにか方法はあるだろうと思いながらもなかなか思いつかなかったところなんだが」
「えと、思いついた、というよりは、思い出した、んですけど。ラリホローマを使ったらどうかな、って思ったんです」
「! 仮死状態にする呪文か! そうだな、言われてみればあれはこういう時に使う呪文だ! うかつだった……! さすがだなセオ、俺はまだまだ呪文使いとしては君に遠く及ばないと改めて思い知らされたよ」
「いっ、いえあのっ、俺もさっきまで思い出せなかったわけですしっ! 本当にその、大したことじゃないのでっ……えと、それで、その。まずは囚われている人たちに、ラリホローマをかけて、それからルーラッヒュでこちら側に引き寄せたらどうかな、って」
「……ここにか? 数千人を収容するには少々手狭だと思うが」
「いえ、あの。道具袋の、中に」
「……道具袋の中に人を!? 入るのか!?」
「えと、本来なら、想定されてなかった使い方だと、思うんですけど。この前、ちょっと調べてみて、道具袋の本質は、無限の貯蔵庫と呼ぶべきもので、99個という限界は、あくまで使い手のための制限にすぎない、とわかったので。道具袋の機構に働きかけて、その数千人をひとつの存在として扱うことは、問題なく可能だと、思うので。もちろん、それはその数千人が完全な仮死状態だからこそ、なんですけど」
「ほう……。道具袋というのはそこまで強力な魔道具だったのか」
「種類にもよると、思いますけど。俺が持っているのは、古代帝国時代のものだということも、あるんじゃないかと……」
「おい……ふざけるなよ。そんな、馬鹿みたいな……神様かなにかみたいなことが、本当にできるとでもいうのか、あぁ!? できるっていうなら実際にやってみせろ、実際にできもしないことを当然のような顔をして喚くクソ野郎にはもううんざりなんだよ!」
「はい、わかりました」
「………は?」
 セオがうなずくと、ガルファンはぽかん、とさっきよりも大きく口を開けてまた固まった。セオはロンに向き直り、素早く言葉を交わす。
「それじゃ、まずはラリホローマから、ですけど。ロンさん、一緒にやってもらえ、ますか?」
「わかった。魔力隠匿の方は任せてくれ」
「はい、お願い、します。……では……」
 すぅ、と小さく息を吸い込んで、呪文を口ずさむ。
「因果の、宿命の、定法の、みじめなる絶望の凍りついた風景の乾板から蒼ざめた影を逃走しろ……=v
「我、知魔理、隠蔽術……即、知心身理、止命時……=v
「お、おい、なにを……」
「しっ、ちょっと黙ってろよ、にーちゃんたち」
「セオたちの集中の邪魔になる。悪いが少し……」
「な、な……け、けどなんか変だろ! こんな……こんな、なんにもねぇのに、こんな……なんか、すげぇでけぇ生き物がすぐ目の前にいるみたいな……」
「……ああ、それは単にあんたたちが魔力を感じ取ってうろたえてるだけだよ」
「は!? なに言ってんだ、俺たちは戦士だぞ、魔力なんてもん感じ取れるわけ……」
「俺もそう思ってたんだけどな。強力な魔力ってのは、熟練の戦士の殺気同様、隠さなければ素人にでもその圧力は感じ取れる。精度的にはお話にならないにしろな。そして、今、セオたちは俺たちには魔力を隠してない。城の中の他の連中から隠す方に神経を使ってるからな」
「っ……そんな、そんな魔力を使ってなにをしようって……」
「だから言っただろ? この城の中の人質に取られてる人たちを、全員仮死状態にしてから回収するんだよ」
『はぁっ……!?』
「ば、馬鹿なこと言うなよ。馬鹿げてる! そんなことができるわけ……」
「それなりに修練を積んだ呪文使いならできる、そうだぞ。俺も素人だから詳しいことはわからないけどな」
「でもセオにーちゃんができるって言ったんだし! できないわけねーよ!」
「だ、だってそんな、見てもいないのに!」
「そのためにフォルデが偵察に出たんだ。城中を探し回って、あらかじめ用意しておいた魔道具を設置して、その場所を魔法的に感知できるようにし、こちらとの魔力の通り道も創る。それから転移呪文で人質を回収する、っていうのがもともとの予定だったんだよ。動かすこともできないような人たちがここまでいるっていうのが予想外だったから、考える時間は必要だったみたいだけど。ああ、ちなみにフォルデと普通に会話してたのも魔道具の力だけど、向こうには騒音は絶対に漏れないようになってるから聞かれる心配はないぞ」
「っ……け、けど! たとえそんなことができるとしたって、あんたらの盗賊が見落としてたらなんの意味も」
「俺たちの盗賊はそれなりに腕利きで、かつ自分にできないことをできると言うような奴じゃない。あいつが『この程度の大きさの城ならどれだけ隠し部屋があろうが全部探り当てるのに大した時間はかからない』って言ったからには、全部探り当ててきたんだろう。あいつには門外漢の魔法の結界やらなにやらがあったとしても、どんな結界も自動的に解除するって魔道具を渡してるからな、問題はないはずだ」
「あそっか、最後の鍵ってそーいうののためにも渡してたのか」
「……まぁ、あいつにもあんまり大したことだとは思わせたくなかったからな。ロンが一通り調べたとはいえ、やっぱりまだ疑念持ってるだろうし」
「……っ! だから! なんでそんなに当然みたいに……お前ら、いったいどれだけのレベルだってんだよ!?」
「え? ……どんだけだっけ? この前調べたのけっこー前のことだったみたいな……」
「いや、サマンオサに入る前に一回調べただろ。戦力の確認のために」
「あそっか! えっと、あの時はー……そーだ、フォルデが79で、ラグ兄が77。俺が71で、ロンが62。そんでセオにーちゃんが78、だったよな?」
「うん、合ってる」
『…………はぁっ!!!?』
「なっ……そっ……そんな、馬鹿な! そんな馬鹿馬鹿しいレベル、聞いたこともねぇぞっ!」
「え? だってサヴァンだってレベルこんくらいだとか言ってなかったっけ?」
「そっ……そうだ、蒼天の聖者さまだってレベルは確か62だって聞いた、あんたたちのレベルはそれ以上だってのか!?」
「え、だって職業ごとでレベル上がる経験値って違うじゃん。賢者ってなんかばかみたいに経験値必要みたいで、ロンだって俺たちがもう全員レベル70超えてんのにまだ62だし。だから経験値の量はおんなじくらいなんじゃないの?」
「そういうことを言ってるんじゃないっ! あんたらは、そんな、生きた伝説と、そんなガキだっているのにっ……」
「……そこらへんは俺としても思うところはあるけどな。だけど、わかってるか。勇者っていうのは、そういう≠烽フなんだ。戦うことで、魔物を倒すことで、自分と仲間を人間の領分を越えた代物に変えていくことができる存在なんだ。しかもセオは史上最多の三人も仲間を連れていける勇者だ、それと子供ではあるけれど勇者なレウが心を揃えて協力して、勇者の力を全力で発揮すれば、ここまで強くなるほどの戦いを招きよせ、それらすべてを俺たちの力に変えることができる」
『……………!!!』
「―――その風光は遠くひらいて=v
『!』
 視線がはっとしたように自分たちに集まるのを感じたが、セオにはそれに意識を払っている余裕はなかった。万が一にも失敗のないように、安全に安全を重ねて、全身全霊でこの城に囚われている人々を安全な場所に届けなくてはならない。
 ふわ、と薄蒼に、あるいは薄碧に輝く光が浮き上がった。魔力が漏れ出して勝手に光を創っているんだ、と自覚して歯を食いしばる。だが、ロンは『魔力隠匿の方は任せてくれ』と言った。それを疑うような真似は絶対にしてはならないししたくない。自分にできる、許される、すべきことは、全力を振り絞って人々の安全と安寧を確保すること――
「さびしく憂鬱な笛の音を吹き鳴らす―――!=v
 最後の一言を告げると共に、呪文を一気に発動させる。魔力が噴き出し、牢の中に蛍のような光の玉が溢れかえる。ロンの呪に護られながら、セオの魔力は世界を変容させ――
 ――手応えがあった。この城の中に囚われている人々、苦しんでいる人々は全員、仮死状態になって道具袋の中に安全に保管されているはずだ。
「……えと、やりました、けど。なにか、俺たちの気づかない、問題点とか、ありましたでしょうか?」
 ガルファンに向き直り訊ねると、ガルファンは口を開いたまま硬直していた。愕然、呆然と言うのも生易しいような、驚愕と恐怖を混ぜたような表情で、人形になったかのように動こうとしない。
 その代わりというわけではないだろうが、周囲の男たちはそれぞれ、呆然とした表情を見合わせながらも、おずおずと自分たちに訊ねてきた。
「なぁ……さっき、この牢の中がぱぁって光った、と思ったんだが……」
「光ったよ? おっさんたち、見てなかったの?」
「そんで、牢のあちらこちらが見えて、牢獄中に倒れてるやつらがいて……そんな奴らが、みんな、光が消えたと同時にしゅって、消えちまったんだが……」
「だからさっき言っただろうが。ルーラッヒュ――魔法的に徴をつけたものを自分の手元に招きよせる呪文だ。城の中の囚人は全員、その道具袋の中に仮死状態になって納まっている」
『…………!』
「亡くなられた方も、いるようでしたけど。そのまま放置しておくのは、あんまり申し訳ないですから。ご遺体も一時的に、道具袋の中に入れてあります。……できるだけ早くお弔いするのが、筋だとは思いますけど、今の状況下で埋葬すると、またすぐお墓が移動することになってしまうかもしれませんし、今はとりあえずこの中で」
「は……は? 墓が移動……って、なんで?」
「……やっぱり、街中にお墓を造るのはまだしも、あんな風にひとつの場所に何人ものご遺体を詰め込むのはあまりにひどすぎると思うので。もちろんどうするかはこの国の方が決めることでしょうけれど、国王を倒せばいろいろと変わってくることもあるでしょうし、急いで埋葬してまた場所を移すようなことになってはあんまりあわただしいと……」
『国王を倒す!?』
 男たちに声を揃えられ、セオはきょとんとした。彼らはサマンオサの反政府組織――国王を弑逆することを目的とした組織の人間ではないのだろうか?
「あ、あ……あんた、国王陛下を殺すつもりなのか?」
「……そうですね。話してみて、彼が人殺しを心の底から楽しんでいる、というのは事実だと俺は思いました。なにかの理由でそうしなければならないからではなく、本当にただ楽しいから何万人もの人々を苦しめ、殺しているのだと。彼がこれからもずっと人を楽しみのために殺し続けるというのなら、俺は、彼を殺します。俺の都合で、わがままで――彼の、命を」
 震えながら告げられた言葉にそう答えながらじっと相手を見返すと、相手の男たちはなぜかほとんど恐慌状態という顔になって硬直した。ただ一人、ガルファンだけは思いきり奥歯を噛みしめて、ぎっとこちらを睨み返してくる。
「サマンオサの国王を、よその国の勇者が、殺す、ってわけか」
「―――はい」
「は………なるほど、それが、お前の本音か。人間など、自分の力でどうとでも好きにできる人間など、人間が寄り集まって作った国など、法など、どうでもいいと―――」
「阿呆か、お前」
『!』
 吐き捨てるような声にその場にいた全員が振り向いた。いつの間にかそこに立っていたフォルデは、面倒くさそうな顔をしながらずかずかとこちらに歩み寄り、鬱陶しげに鼻を鳴らす。
「手前ぇ勝手に決め込んでいちゃもんつけてんじゃねぇよ、鬱陶しい。手前ぇの思い込みたいように思い込むのは勝手だけどな、それを他人に押しつけんな。うぜぇったらねーんだよ」
「な……お前、いつの間に……」
「魔道具はもともとそのままにしておく予定だったしな、セオとロンが呪文唱え始めたんでとっとと戻ってきただけだ。っつーかな、お前。殺す時に人間の法がなんだかんだと抜かすのは、相手が人間の時にしときやがれってんだよ」
『は………?』
 ぽかんとする男たちに、フォルデはうんざりした表情になって肩をすくめる。
「やっぱ気づいてなかったのかよ、てめぇら。ったく……わかってねぇんなら教えてやるけどな。今サマンオサの国王って呼ばれて玉座にふんぞり返ってる奴は、魔物だぜ?」
『―――はぁっ!!?』

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