サマンオサ〜アリアハン――3
「なぁ……おい。ガルファン」
「なんだ」
 ガルファンは低い声で自分の後ろから近寄ってきたルガーに応える。今、ガルファンたちはサマンオサ城の牢獄から続く隠し通路を、出口に向けて歩いていた。この隠し通路はサマンオサ解放軍(ガルファンはいつもこの名を聞くたびになにが"軍"だと失笑を覚えるのだが)の中でも極秘事項、幹部かそれ直属の実行部隊にしかその存在すら教えられていない。当然、部外者の侵入などありえないはずだったし、もしそんな輩がいれば殺してでも秘密を守らなければならないはずだった。
 ――今現在、五人もの部外者の侵入を許してしまっているが。
「なんだじゃねぇよ、わかってんだろ? あのアリアハンの勇者様のことだよ」
「――それが」
 ガルファンはやはり低く答えながら、ウッズの後について先頭を歩く五人の部外者――アリアハンの勇者ご一行を見つめた。
 見かけからして屈強な戦士であることがうかがえるラグディオ・ミルトス。一見法衣をまとった呪文使いながら、元武闘家らしくその体つきや俊敏な身のこなしから厳しく鍛え上げられた肉体を持っていることがわかる賢者のジンロン。もし言っていたことが本当ならば、猫の子一匹入れないほど警戒厳重なサマンオサ城にあっさりと、しかも最奥の牢獄にまで入り込んでみせたとんでもない盗賊である銀星のフォルデ。
 そして――あの子供がなんなのかはいまださっぱりわからないのだが――愚かな勇者を救ってやるためにやって来たはずの自分たちに、サマンオサ城に囚われ、死にゆこうとしている人々をすべて救うと宣言し、実際に目の前の衰弱した人々をあっさりと手の中に抱え込んでしまったアリアハンの勇者、セオ・レイリンバートル―――
「それがじゃねぇって、決まってんだろ。あのよ……あいつらよ、俺らに協力してくれんだよな?」
「さあな」
「さあなじゃねぇだろ! 勇者だったら普通こんな惨状放っとかねぇだろ! だからよ……つまりよ。あいつらが助けてくれんなら……サマンオサを、本気であっさり助けてくれんじゃねぇか?」
「だよな! 国王陛下をぶっ倒すって、さっき言ってたもんな!」
「レベル78とか、とんでもねぇ数字言ってたしよ、もしかしたらマジで、俺らがなんもしなくても――」
 がづっ。壁に叩きつけかねない勢いで、ガルファンはルガーの胸ぐらをつかみあげた。
「――ふざけるなよ。よその勇者なんぞに俺たちの国を助けられてたまるか」
 渾身の力を込めて言い放ち、殺気すら込めて睨みつける。硬直して必死の形相でこくこくとうなずくルガーを放り捨てるように解放し、ガルファンは前へと向き直って歩みを再開した。
 ――助けられてたまるか。俺たちの、俺の世界を。
 よその勇者なんぞに――勇者なんて、くそったれな連中に。

「――とでも言っていたか?」
 まるで聞いていたように言ってのけるロンに、フォルデはちっと舌打ちした。
「聞いてたのかよ、てめぇ」
「いや別に。聞いていなくてもあいつらがどんなことを話しているかくらい見当はつくさ。だいたいの気配は感じ取っていたし、それにさっき話してあいつらのだいたいの性格は読み取れたしな」
「偉そうなこと抜かしてんじゃねぇタコ賢者」
 そう言いながらも、フォルデも実際あいつらがわかりやすい反応をしていることくらいはわかっていたのだが。実際、あいつらがなにを話しているのかと聞き耳を立ててみて、あまりの想像との違わなさに内心呆れていたところなのだ。
「えーっ、あいつらそんなこと話してたの!? なんだよー、なんで俺たちが助けちゃいけないわけ!?」
「レウ。それはある意味当たり前のことだぞ?」
「え、えー!? なんで?」
「だって自分の国だの家だの、自分たちの内輪の問題によそから口を出されたらお前だって嫌だろう。自分のことは自分で解決するっていうのはどこの世界でも当たり前のことだし、自分自身にそれなりにでも恃むところのある奴なら、自分が解決しなけりゃならないことを他人におんぶにだっこで面倒を見てもらうなんてのは面子を潰された気分になって当たり前だ」
「んー? んんん……でもさー、自分たちが大変な時に、他の人に助けてー、って言うのっておかしい? 別に全然悪いことじゃないと思うんだけど」
 レウの率直というか単純というかな言葉に、ラグは小さく苦笑した。
「まぁ、それはそうなんだけどな……自分の面子がなにより大事っていう人はそれなりにいるし、そういう人に言われもしないのに助けの手を差し伸べるのは面子を潰されたって恨みに思われるのが普通だ。なのに助けてもらったから表面上は感謝しなくちゃいけないし、っていうんで面倒くさい恨みつらみをしょい込むことになりかねないんだよ」
「んー……でもさぁ、それっていちいち気にするようなこと?」
「お、言うな」
「だってさー、俺たち別にそーいう人の面子のために困ってる人助けるわけじゃないだろ? 人が死ぬのやだし、人がひどいことされるのもやだし、そういう人が助かったら嬉しいから助けるんだろ? なのにいちいちそんな人のこと気遣って人助けられなくなっちゃうのって、ほんまつてんとーってやつじゃねーの?」
「……まぁ、そうなんだけどな。そういう風に簡単に言い切れない人がいるってことは、ちゃんと覚えておいた方がいい。差し出した手が、刃物で斬りつけられるかもしれないってことはな」
 レウを気遣ったゆえだろうラグの言葉に、レウはにっかりと笑って答えた。
「うん! だいじょぶだよ、そんなん全然気にしねーからっ!」
「……個人的には軋轢を避けるためにもある程度気にしてくれた方がありがたいんだが……まぁ、いちいち気にして落ち込むよりはいいか」
 後半はセオを気にしてだろう(実際一瞬ちらりと視線を投げかけもしたし)、口の中だけで呟いていたが、フォルデの耳はしっかり最後まで聞き取った。いかにもラグらしい気の遣い方だ。
 まぁ、セオならば気にしない、というよりは言われたことを自分の身に引き比べて落ち込んだりはしないだろうが。セオは自分と他人をかっちりと分ける性格だし(それにフォルデが気づいたのはかなり最近のことになるが)、なにより自分がなにをすべきか、したいか、ということについてはあれですさまじく頑固なので斬りかかられてもいちいち気にしたりはしない気がする。相手に嫌な気持ちを味わわせてしまった、と落ち込みはするかもしれないが。
 まぁ、そんなことはフォルデにとってはどうでもいいことだった。フォルデにしてみれば、セオがどう感じるかということをいちいち斟酌してやる気はまるっきりないのだ。あいつの面倒くさい思考にいちいちつきあってやるのはもうとうに飽きているのだから。
 ただ、自分はセオが悪口を言われたり傷つけられたり軽んじられたりするのが我慢ならない。だから、そんなことをする奴は全力で締める。それだけの、単純な話だった。
「――で、もうすぐ出口なんですよ、今は墓地の外れに出ちまうんですが、昔は街外れっつぅか外壁の外に出る場所だったらしいんですよ、まあ今は俺たち解放軍の手で人目につかないように隠されてますけどね! 見張りのための人員もばっちり確保してますんで、勇者さまの安全もばっちり保証させていただきますんで! まぁ勇者さまほどのお人でしたらどんな奴らに見とがめられてもあっさり倒しちまえるんでしょうが、ここは俺たち解放軍の顔を立ててどうか護らせてやってくださいよ!」
「それは……どうも、ありがとう、ございます」
 先頭をちらりと、厳しい目で見やる。一方的に喋りかけてくる盗賊らしき男に、セオは戸惑った顔つきでぽつぽつと答えている。セオにしてみれば、向こうがなぜこんなに自分を持ち上げるのかよくわからないのだろう。
 ある意味相手の思考やらなにやらは読み切っているかもしれないが、少なくとも相手が自分を利用しようとしている、ということは理解していないに違いない。そうでなけりゃあんな風に戸惑った顔はしないだろう、セオは自分を利用しようとする奴らに『自分なんかでよければどうぞ利用してください』と当たり前のように抜かす奴だ。
 だが、フォルデは当然ながらそんなクソどもにセオを利用させてやる気はない。
「おっと……着きましたね。ここの階段を上ると出口です。自分が先に上って見張り連中との連絡済ませてきますんで、すいませんがもーちょっとここでお待ちいただけますか、いやもう本当すぐに終わりますんで」
「いえ、あの、どうぞ、ごゆっくり……」
 へらへらと頭を下げる盗賊と困ったような顔のセオを見やる。たぶん、セオはこの連中がどういうわけで自分たちに接触してきたか、意識はしていないだろう。
 だが当然ながらフォルデは(むろん顔を見る限りラグもロンも)きっちり意識していた。自分たちをサマンオサ解放軍の一員だと名乗ったこいつらは、もともと国王の暴虐に耐えかねて革命を起こすつもりで集まった連中だ。その戦力として利用するために、城に乗り込んで捕まった馬鹿な他国の勇者を助けに来た。恩を着せれば他国の勇者に援助を要求しても、引け目を作らすにすむと踏んでいたのだろう。
 だが助けに来てみれば勇者たちはまったく困った様子もなく、それどころか城の中の囚われた人々をあっさり助けてみせた。強力な力の片鱗も見せた。のみならず国王が魔物の変身した姿だとも指摘した。ならば伏して頼んででもそいつらを動かせば国王を倒させて自分たちは安全に国を救った英雄になれる、なんぞと皮算用する奴ははっきり言ってどこにでもいるだろうし、こいつらもさして違わないというのはさっきの会話を聞いただけでもだいたいわかった。
 ――だが、そんなものにつきあってやる気はフォルデにはまったくない。
 サマンオサを救ってやる、なんぞと意気込む気持ちは毛頭ない。そもそも国だの政府だのはフォルデにしてみれば忌々しいという感想しか思いつかない代物だ。滅ぼうがどうしようがフォルデの知ったことではない。
 だがセオはできる限り助けたいと言うだろうし、レウも絶対に助けると喚きやがるだろう。仕事としてならラグもロンも受けそうだ。ならフォルデが一人で反対してもしょうがない、せいぜい協力してやるしかない。
「いや、お待たせしました! きちーんと連絡すませてきましたんで! ちょっとお待ちくださいね、すぐ俺らの拠点のひとつにご案内しますんで!」
「いえ、あの、どうぞお気遣いなく……」
 しかし、それはこんな奴ら――ぺこぺことセオに頭を下げながらも、少しでもおこぼれを奪い取ろうとぎらぎらと目を光らせる盗賊だの、自分たちの背後でなんとか勇者≠ニやらを利用してやろうとこそこそ皮算用する戦士どもだのの言うことに唯々諾々と従ってやる、ということではない。
 自分は自分のやりたいようにやる。気に入らない奴はどんなに偉い奴だろうと叩きのめすし、殺して当然な奴は殺す。それが悪いなんぞとは少しも思わない。
 だから、セオを――仲間を利用しようなんぞと考える奴らは、自分にとってまるっきり敵である奴らは、情け容赦なくその根性を叩き直してやると、もうとうに決めているのだ。

「解放軍一番隊、ただ今帰投しました」
 この拠点――サマンオサの街中にいくつも創られた解放軍の拠点の中でも、最大の人員収容数を誇る場所(まだ生き残っている貴族の別邸が使われている)の責任者たちが居並ぶ部屋に入り、ガルファンはそう告げた。
 サマンオサ解放軍といっても、基本的には街の人々の駆け込み寺に近いものだ。国外に逃げようとする者をキメラの翼やらルーラやらで逃がしたり(キメラの翼で戻ってくることができないのでそう頻々に送り出すことはできない)、国王陛下率いる国軍衛視に目をつけられた人々を保護したりするのがやっとのところで、実行部隊の総数はたった三部隊、最大の戦力は元傭兵だった自分たち四人と、自分の家の子飼いの密偵の一人だったウッズの五人で結成された一番隊というのだから、サマンオサ国軍とまともにぶつかって勝てるわけがない。
 組織を結成した幹部級の人間は退役軍人か引退した傭兵がほとんどではあるものの、構成員のほとんどはごく普通の町民で、せいぜいが情報収集や追われている構成員をかくまうぐらいの役にしか立たないのだから、当然といえば当然だが。
「……アリアハンの勇者を、無事連れ返ってきたそうだが」
「はい」
 ここは貴族の屋敷としてもそれなりに大きな部類だが、別邸ということもありほぼすべてを解放軍が使えるようになっている。そのせいもあり、この部屋――幹部たちが普段から詰めて作戦会議を行っている会議室もそれなりに広い。
 だが、机の向こうで話し込んでいた幹部たちは、ガルファンが顔を見せるや立ち上がり、ほとんど取り囲むようにして言葉を投げかけてきた。表情や仕草では冷静な素振りを装っているが、内心では勇者という代物に対する期待感が見え見えだ。
「で? どうだった、ガルファン。アリアハンの勇者は」
「戦闘能力は? それと、このサマンオサを救おうという気概を持てるほどの人物だったか?」
「蒼天の聖者%aがわざわざ推薦するような人材だ、少なくとも無能な人間ではないと思うが」
 幹部たちの言葉に、わずかに眉を寄せる。確かに蒼天の聖者<Tヴァン――解放軍を組織するのに大いに貢献し、それ以降もあれこれと手を貸してくれている大賢者は、しばらく顔を出せないという謝罪と共に、自分の代わりの人材としてあの勇者を推薦した。今王城へと真正面から乗り込んだので、おそらくは牢獄――それも、主に貴人などを収容する第一牢獄に囚われているだろう、という予測も添えて。
 大賢者の代わりになるなら、と幹部たちは自分たち最強の実行部隊を動かして勇者を救出しようとした。その裏には、皮算用を大幅に含んだ政治的思惑があるだろうことはガルファンも承知していたが、それでも命令とあれば聞かないわけにはいかない。
 たとえ、ガルファンが内心、勇者なんて代物は全員死に絶えてしまえばいい、と思っていたとしても。
「……彼らは、自分たちは全員聖者さまに匹敵する人材だ、というようなことを言ってはいましたよ。一番レベルの低い賢者でも聖者さまと同じレベルだとか、一番高い盗賊のレベルは80近い、とかね」
『…………!』
 会議室の空気がざわめく。幹部連中は顔色を変え、小声で話し合いだした。当然と言えば当然だ、そんなレベルになることができるなんて話はまるで聞いたことがない。生きた伝説と言うべき蒼天の聖者≠ナも62なのだ、そのレベルをあっさり超えてみせるなぞ、法螺を吹いているか気が触れているかのどちらかとしか思えないだろう。
 だが、幹部連中にしてみれば――いや、解放軍の人間なら全員、信じたいと思わずにはいられないだろう。それこそ明日の命も知れない閉塞した状況下、自分たちの力が(あんな残虐非道な行為をしてのける愚王だというのに)国王には通用しないということを思い知らされる毎日の中で、勇者が、かつて追放された英雄サイモンのような圧倒的な力を持つ勇者が、自分たちを助けてすべての問題を解決してくれれば、と思わない人間はごく少数派のはずだ。
 だが、ガルファンは――自分は、絶対にそんなものを唯々諾々と受け容れはしない。
「本当にそこまでの力を? サイモンのレベルすら越えているではないか」
「サイモンのやったように国軍全てを相手取れるというのか? いや、まさかさすがにそんなことは……」
「だが、もし本当にそれだけの力を持っていたとしたら……我々の活動にどれだけ助けになることか。国軍の圧倒的な戦力にある程度対抗できる力が……」
「ですが、本当にそれだけの力を持っているかどうかはわかりません」
 ガルファンの言葉に、幹部たちが一瞬しん、とする。
 そうだ――たとえ奇妙な魔法を使って牢獄に囚われた人々を袋の中に吸い込んでみせたとしても、そんなものはなんの目安にもならない。こちらが圧倒されるような雰囲気を持っていたのは事実だが、だからといって奴らが本当に強いかどうかなんて知れたものではない。
「俺に確かめさせてもらえませんか」
「……お前に?」
「少なくとも、俺がこの解放軍で一番レベルの高い戦士なのは確かでしょう。奴らの化けの皮を剥いでみせますよ――あいつらが、俺たちを騙していたなら、それ相応の報いを与えてやらなきゃならないですからね」
 そう言って渾身の気迫を込めて睨みつけると、幹部連中は揃って眉を寄せながらも、自分の気迫に気圧されるものがあったのだろう、最後にはうなずいた。――そう、自分はそれだけの、人を圧倒するだけのレベルをもう手に入れているのだ。
 英雄サイモン、黄金闘士<Tイモン――そう呼ばれる人でなしには、遠く及ばなかったとしても。

「みなさん、申し訳ありません。ちょっとよろしいですかね?」
 サマンオサ解放軍という大仰な名前のついた抵抗組織の本拠地(といっても拠点はここひとつではないらしいのだが)にやってきて、とりあえず応接間に通されお茶とお茶菓子を出されて数分。さっそくお茶菓子を食べ始めようとするレウを叱りつけたり(一応毒の類を調べてからでないとまずいだろう)、お茶やお茶菓子をロンに調べてもらったりしているとすぐに、あのウッズとやらいう盗賊らしき男が現れた。
「……なにか、御用でも?」
「ええ、はい、まぁ。実はですね、うちの上の人たちがですね、せっかく異国の勇者の方々がいらしてくださったんだから、我が解放軍でも最強の戦士に接待させるべきだ、って言ったんですがね、そいつが頑固で、自分より強い相手以外にかしずくのはごめんだ、なんぞと言ってましてね……お手数かけて申し訳ないんですが、ちょっと実力を見せてくださいませんでしょうかね? 他の身体の空いてる面子も観客になりますんで、もしそこで実力を示していただければこれから実力を疑われるなんぞということはなくなると思いますんで、失礼なことは重々承知ですが、どうかここはばーんと勇者としてのお力を示していただけると助かるんですが……いかがなもんでしょう?」
「要するに俺たちがレベル詐称をしているんじゃないかと疑っているわけか。そうでなくとも言うほどのことはないんじゃないか、と思っているわけだな」
「いや、そういうわけじゃないんですが、うちの連中は本当に頑固でして。それに、まぁ戦士の国サマンオサとしての矜持もあるんでしょうが、強いところを見せてくれないとレベルがどれだけ高いと言われてもぴんとこない連中が多いんですな。なんで、本当にお手数おかけして申し訳ないんですが、どうかお運び願えないかと思うんですが……駄目でしょうかね?」
 へらへらと笑ってみせるウッズという盗賊に、ラグは内心やれやれと肩をすくめる。なんとかしてうまく利用してやろうという向こうの思惑はひどくあけすけなものだったが、実際力を示してみせた方がこれからやりやすくなるのは確かだろう。フォルデやロンとしては面白くないことだろうが、自分たちの行動指針はもう決まっている。
『抵抗組織が接触してきた際には、それに協力しながら、自分たちの力を最大限に発揮する』。組織には組織にしかできないことがある。情報収集もそうだし、助けた人々の介護にもどうしたって人手がいる。体力を回復させたり病を治す呪文はあるが、それでも衰弱した人間を健康体にするには間近で面倒を看る相手が絶対に必要なのだ。
 セオとしてはできるだけ早く袋の中の人々を解放したいらしいのだが(仮死状態にしたとはいえ大量の人間を持ち運びしてその安否を気遣わないほどセオは鈍感ではない)、見たところこの組織は、解放軍と名前はついているが人員はさほど豊富ではないようだった。ほとんどの人間は情報収集役として働いているそうで、この拠点に詰めている人間が数えられるほどしかいない。
 自分たちにあまり内情を知られないようにしているにしても、屋敷からあまり人の気配が感じられないこと、屋敷のあちらこちらに手入れが行き届いていない様子が見受けられることから、少なくとも余剰人員はあまりいなさそうだ。そんな状況で死にかけている人間を解放しても悪い結果になるだけなのは明白なので、助けた人々にはもうしばらく袋の中にいてもらうしかないと結論付けざるをえなかったのだが、どちらにせよあとあとのことを考えても、抵抗組織の人間と喧嘩をしてもなんの益にもならないのは確かだ。
 サマンオサを救うのは、サマンオサの人間であるにこしたことはない。自分たちはあくまでそれに力を貸す、という程度の距離感なのがちょうどいい。ラグは自身の母国にそんな愛着は持っていないが、自分の家族に置き換えて考えてみればよくわかる。
 自分の家のことは、たとえどんなに有能でも、常識外れの能力を持っていても、そして心から自分たちのことを気遣い、あくまで厚意で自分たちの手助けをしようとしてくれている人でも、他人には任せたくないと思うものだ。自分たちの手でなんとかしたいと思うはずだ。自分の家族――つまり、自分の属する、所有する、自分のもの≠ノ関しては。自分自身に恃むところのある、一人前の男なら誰でもそうであるように。
 なので、ラグはあっさりと答えた。
「俺としてはかまいません。なんなら、俺がお相手してもいいですよ」
「ラグ……」
「おい、お前、本気で言ってんのかよ? こいつら、俺たちを舐めてる、って自分からはっきり言ってんだぞ」
「いやいや、そんなつもりはないんですがね、あくまでその方がみなさんもやりやすかろうと……」
「もちろん本気さ。第一、俺はもともと傭兵だったからな。戦場じゃ、新入りがどれだけの力を持ってるか、戦場慣れしてるかってのを把握してなきゃ自分たちの死に繋がりかねない。みんなの前でどれだけの腕なのか示すっていうのは当たり前の通過儀礼だ」
 ウッズの言葉を気にせずに答えると、フォルデは眉根を寄せて苛立ちを示しながらも自分の言い分に納得したようで口をわずかに尖らせ(怒っている時の唇の歪め方とは微妙に違うので内心ほっとした。この微妙な違いが見分けられるのは自分たちパーティぐらいだろうが)、ロンも肩をすくめる。セオはもとより人に上の立場でものを言われるのをまるで気にしない性格だし(正直、ラグはそれに痛ましさを覚えてしまうのでそれを再確認させられるのはあまり嬉しくないのだが)、この件に関してはラグの理屈が正しいと考えていたのだろう、当たり前の顔でこっくりとうなずいた。
「それじゃあ……ラグさんが、みなさんに、腕前を見せる、ってことで」
「ちょっと待った!」
 レウが勢いよく手を上げる。セオがきょとんとした顔で首を傾げた。
「レウ……どうか、したの?」
「腕前見せるの、俺がやるよっ!」
「……え? なんで?」
 セオはきょとんとした顔のまままた首を傾げるが、ラグは内心困ったことになったな、と思っていた。できるなら、レウにだけはこの役目を任せたくはなかったのだが。
「だってさ、こーいう、ねぶみ? されてる相手にこっちの強さを見せる役って、一番下っ端がやるもんだろ? こん中で一番の下っ端が誰かっつったら、俺じゃん」
「え……俺は、レウが下っ端だとは、思ったこと、ないけど……」
「つーか、お前自分が下っ端だって自覚あったのかよ」
「あったりまえじゃん。稽古やってもこん中の誰にもかなわないし、作戦立てる時だってやっぱ俺が一番足手まといだしさ。今はまだ下っ端だな、ってくらい俺だってわかるよ」
「じゃーなんであんだけ態度でけぇんだよ。毎日毎日生意気な口叩きやがって」
「? フォルデ、それ、嫌なのか?」
「……別に嫌、ってんじゃねぇけどな。いまさらお前に殊勝な口聞かれたら気色悪ぃし。ま、ムカついたら速攻躾してやるけどな」
「だよな! それに、フォルデって俺の次に下っ端じゃん? とりあえず一番手近な乗り越える相手だしさ、そーいう相手にけいい? はらうのってなんか変な感じだし!」
「ざけんなてめぇ誰が手近だてめぇなんぞにんな偉そうな口叩かれる覚えねぇぞコラァ!」
「わひゃっ! だって、フォルデ、怒ったら、すぐこーいうことするしっ……ぐぬぬっ、負けるかぁっ」
「はっ、ガキの分際で格闘戦で俺に勝てると思ってんのかよ。俺も本職じゃねぇが伊達に……」
「こらこら、お前ら。他人の前でいきなり取っ組み合いを始めるな、さすがに失礼だぞ」
「う……はーい」
「……ちっ」
「まぁ、個人的にはフォルデが『伊達に……』のあとになんと言うのか聞いてみたかった気はするが」
「っ……ざけんなてめぇ人の言うことにいちいち聞き耳立ててんのかマジ締めんぞ!」
「まぁ、このように断じて口にはしないだろうからおいておくとして。レウ、お前はフォルデと喧嘩するのが嫌なのか?」
「? なんで?」
「『フォルデが怒ったらすぐ喧嘩を売ってくる』と言っていたが」
「うん、言ったけど? だってフォルデってそういう奴だろ?」
「……てめぇ。マジ舐めんのもいい加減に」
「そういうフォルデと一緒に旅して、仲良くなったんだもん。俺、今はそういうフォルデが好きなんだけど……なんか、変?」
「っ………」
「いやいや、まったく変だなどということはないぞ。むしろ大変けっこうなことだ。これからもぜひフォルデと仲良しでいてやってくれ」
「てめぇ寝ぼけたこと抜かすんじゃねぇ、てめぇはいつから俺の親に」
「うんっ! フォルデ、これからも仲良くしよーなっ!」
「っ………だっからてめぇはっ……っのっ……ロンっ、てめぇなにふざけたこと……がーっ!」
「はいはい、お前ら一度落ち着け! よそさまの前で内輪の話をするな、失礼だろう!」
 とりあえず割って入ってフォルデを落ち着かせてから(慎重に考えている間にどんどん話が先に進んでしまった)、レウに向き直る。
「レウ。お前、腕前を見せるというが、どういうことをするのかわかってるのか?」
「うんっ! 相手の人に勝てばいいんだろ? ……そーだよな、お兄さん?」
 あっけにとられていたウッズは、突然話を振られて慌ててうなずく。
「え、ええまぁ、うちの若様……うちでは最強の戦士と戦っていただく、というのが腕試しの内容なんですが……あの、本当に、こちらのお子さんが……?」
「いや……正直、俺としてはやめておいた方がいいと思うんですがね」
「えーっ!? なんでだよー!」
 不満顔になるレウに、ラグはなんと言うべきか迷いながら改めて向き直った。
「レウ……こういうのは、ただ単に勝てばいいってものじゃないんだぞ?」
「そーなの?」
 きょとんと首を傾げるレウに苦笑しつつも、そばによって小声で説明してやる。
「まず、お前は少なくとも、見かけはほぼ普通の子供だろう? そんな相手と戦え、っていうことになったら、間違いなく相手の矜持を傷つけることになるだろうし」
「きょーじ? って、なんだっけ」
「誇り、というかなんというか……自分自身に持っている、自信みたいなものかな。お前だって自分よりあからさまに弱い相手に叩きのめされたら、そういうものが傷つくだろう?」
「? それだとなんかまずいの?」
「いやだから……こういうのはただ勝てばいいってものじゃないって言ったろ? できるだけ相手にも花を持たせてやれるように、うまく勝たなきゃいけないんだよ。相手とこれからもうまくやっていかなきゃならないんだから」
 できるだけ小さく、ウッズに聞こえないようにぽそぽそと喋る。こんなことを言っていることが相手に知られれば、まず間違いなく面倒なことになるからだ。
 ――が、そんな配慮は結果的に、まったくの無駄だった。
「……ほう。つまり、あんたらは、俺がそこの子供に負ける、と思っているわけか」
「っ!?」
 慌てて振り向くと、扉の前に、若様と呼ばれていた戦士(確かガルファンという名前だった)が立っている。烈火のごとくに怒りが満ちた顔で、苛烈な殺意を込めてこちらを睨みつけてきていた。
 しまった、と内心舌打ちする。戦士だと聞いていたから、まさか隠行術や聞き耳の訓練を積んでいるとは思わなかった。自分が思っていた通り、自分の矜持を傷つけられた男特有の、今にも爆発しそうな感情がこちらに向けられて――
 と、ラグはあれ、と首を傾げた。てっきり自分に怒りを向けていると思ったのだが、ガルファンはこちらを見向きもしていない。その燃えるような敵意のこもった視線は、すべてセオに集中している。
「なかなか笑わせてくれるな、勇者セオ・レイリンバートル。お前は俺をそこまで虚仮にしていい相手だと思っているわけか」
「え……あ、の」
「ふざけるなよ――勇者。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。俺と勝負してもらうぞ。お前の持っている力がどれだけのものかは知らんが、そんなものはしょせん人間に扱える程度のものでしかないと俺が証明してやる………!」
「あ……の」
「失礼。あなたがなにを考えているかは知らないが」
「お前なんかとセオにーちゃんが戦うわけないだろっ!」
 勢い込んで割って入ってきたレウに、ガルファンはぎゅっと顔をしかめた。苛立ちに満ちた視線でレウを睨みつける。
「どけ、小僧。お前と話している暇はない」
「それだったらセオにーちゃんだってお前と話してる暇なんかないよっ! お前みたいに自分勝手な理由でセオにーちゃんをいじめる奴は、俺は絶対に許さないんだからなっ!」
「……自分勝手、だと?」
「そーだろっ。セオにーちゃんと仲良くなったわけでもないのに、評判とかみんなが言ってるとか、そんな勝手な理由でセオにーちゃんのこと嫌いになったんだろっ。そんなのアリアハンのいじめっ子とおんなじだ、そんな奴にセオにーちゃんと勝負する資格なんてないっ!」
「貴様……!」
 ぎっ、とレウを見つめる視線に殺気がこもるが、レウはそれと堂々と向き合って跳ね返す。視線が混じり合い、火花を散らし合った結果、先に退いたのはガルファンだった。
「――いいだろう。そこまで吠えるなら、勇者の前にお前を叩きのめしてやる。ここまで自分を慕う子供を叩きのめされたら、勇者なら出てこずにはいられないはずだからな」
「俺はお前なんかに叩きのめされないぞっ」
「喚くな、小僧。お前の相手は他の連中の前でたっぷりとしてやる。――ついてこい!」
 言って身をひるがえすガルファンに、レウも鼻息を荒くしながら続く。それを慌ててセオが追った。
 あっけにとられていたラグは、慌ててそれを追う。だが追いながらも、後ろからついてくるロンとフォルデに小声で相談していた。
「なんというか……これは少し、まずいことになるかもしれないな」
「いいんじゃないか、別に? 子供に叩きのめされて一人の男の矜持がぼろぼろになった程度で、貴重な戦力を放り捨てるほどここの連中も馬鹿じゃないだろう」
「だな。っつーか、別に俺はなにがなんでもここの連中に手を貸してほしいってわけでもねーからな。ここの奴らが気に入らなかったらとっとと出て行きゃあいいだろ」
「おい……お前も、組織力のある相手に手を貸してもらえることがどれだけ役に立つかはわかってるだろうに」
「はっ、俺は別にこの国だの国民だのを救いてーわけじゃねぇからな。単に気に入らない奴に喧嘩を売ってるだけだ。第一……俺たちとここの連中が一緒に行動して、どれだけ意味があるかっつったら、疑問だし」
「……どういう意味だ?」
「なに、フォルデは単に『自分のことは自分でなんとかする』という自身の信条と目の前の困っている相手を助けたいという心情の折り合いをそういう風につけている、というだけさ」
「なっ、に勝手なこと抜かしてやがんだクソ賢者、人のことを勝手に偉そうにどうこう抜かしてんじゃねぇよ」
「うむ、ある程度反応をごまかせるようになったのはある意味進歩だな。俺としては、フォルデもここまで大人になってしまったかと寂しがるべきか、これでごまかしているつもりなのかと呆れるべきか迷うところだが」
「人のこと勝手に偉そうにどうこう抜かすなっつってんだろーが人の話聞いてんのかいいかげん上から目線やめやがれってんだよこのボケ賢者っ!!」
「まぁ、それはともかく。お前はなにをそんなに心配しているんだ? 俺は別に、どう転んでもそう悪いことにはならんだろうと思うが。あのガルファンとかいう戦士の矜持がぼろぼろになったところで、若いうちならそれも身になるものだろう? いい男が叩きのめされるというのは見ていてなかなか楽しいものだし」
「……いい男がうんぬんはともかく。レウはまだほんの子供なんだぞ? しかも人間同士の戦いには慣れてない」
「そうだな。だから?」
「だから……まだほんの子供なのに、戦いにまつわる人間同士のしがらみなんてものを経験する必要はないんじゃないかと思っただけだ」
 そう言うと、フォルデは呆れた顔になり、ロンはにやりと笑って肩をすくめた。
「相変わらず子供には過保護だな、母さん」
「だから母さんはやめろ」

 この屋敷は周囲に壁を巡らせており、外から中に視線が通らないようになっている。だが万が一にも密告屋に見つかることのないよう、勝負は中庭で行うと決めていた。
 サマンオサでも大貴族の部類に入る者の別邸だけあって中庭だけでも充分な広さがあるが、念のため観衆役となる解放軍の面々は中庭の外、つまり屋敷の中から勝負を見守ることになっている。一階の窓にも二階の窓にも、人が鈴なりになって、ざわざわと小さく囁き交わしながら自分たちに視線を集中させているのはある意味壮観だった。
 普段は屋敷の外で情報収集している連中もうじゃうじゃと集まってきている。つまりそれだけアリアハンの勇者がどれだけの強さを持っているのか、みんな気になっているということだろう。
 ――だというのに、最初の相手が子供だというのは、締まらないにもほどがあるが。
 ガルファンは苛立ちを込めて、数間の間合いを空けて対峙している子供を見た。見事な細工が施された剣を鞘から抜き、軽く振っている姿はそれなりに様になってはいるが、だからといってなぜ自分がこんな子供の相手をしなくてはならないのか。
 中庭の外ぎりぎりで、子供に心配げな視線を向けている勇者を睨みつける。この勇者がさっさと勝負を受けていれば、こんな無駄なことをせずともよかったものを。噂には聞いていたが、まるで男らしさの感じられない、惰弱な勇者だ。ただ勇者の力を持っているというだけの、たまたまそう生まれついただけのことで力と栄光を手にした卑怯者。
 負けてたまるか、そんな奴に。負けてたまるか――勇者なんて、人でなしに。
「では、双方、準備はいいかな?」
 中央に進み出て杖を掲げる勇者の仲間の賢者に、怒りを押し隠してうなずく。
「こちらはいつでも」
「こっちもいいよっ!」
「それでは、最後に確認だ。これは、勝負というよりもサマンオサ解放軍の方々の出した試験だ。我々パーティの力がどれほどのものか、パーティ内で一番下っ端のレウを解放軍一の戦士であるガルファン殿に試してもらうことで示すためのもの。よって、剣を落としたり気絶させられたりしたら負け、というような代物ではなく、解放軍の方々が我々の力を認めていただくまで続けられることになる。よって、当然ながらどちらかが死ぬような結果になるのは厳禁だ。俺たちもそうなる前に止めに入るが、もしそんな真似をすればどちらも戦士として手加減する程度の技量もない、とこの場の全員に示すことになる。双方、よろしいか?」
「ああ」
「わかったっ!」
「それでは――はじめっ!」
 賢者が勢いよく杖を振り下ろし、即座に素早く飛び退く。ガルファンは同時に剣を抜き、構えた。苛ついている自覚はあるが、かといって子供に八つ当たりをするほどガルファンも大人げなくはない。本番はこのあとの勇者だ、できるだけ痛めつけないようにさっさと勝負をつけてしまわなくては。
 と、ざざっ、という音が背後で聞こえた。
 なんだ、今の音は。まるでなにかが芝生の上を滑ったような――と反射的に考えて、それからガルファンは目を見開いた。
 手の中に、剣がない。手には剣が抜けた感触などまるで伝わらなかったのに。
 体を子供の方に向かせながらも後方に視線をやると、確かに剣が芝生の上に落ちている。なにをやっているんだ、と自分自身に舌打ちしつつ、手を挙げて告げた。
「すまん。剣がいつの間にかすっぽ抜けたようだ。悪いが一度中断させてもらえるとありがたい」
 観衆がざわめく。ガルファン自身なにもこんな時に剣がすっぽ抜けなくてもいいだろう、と苦虫を噛み潰したような表情になった。賢者は肩をすくめ、子供の方を見やる。
「だ、そうだが?」
「え……中断すんのは、別にいいんだけどさ……」
 子供はなぜか、ひどく困惑した顔をしている。それはそうだろう、勝負する時に剣がすっぽ抜けるなど、普通ならありえないことで――
「あんた、見えなかったの?」
「は?」
 今度はガルファンが困惑の声を上げる。賢者はまたも肩をすくめた。
「じゃないのか?」
「えー……じゃあどうやって力示したりすればいいの?」
「ま、せいぜいいい考えが思いつくことを祈っていろ。お前にその経験が役に立つかどうかは疑問だが」
「うー……」
 子供は困ったような顔になる。なにを言っているんだ、と顔をしかめつつもガルファンは剣を拾ってきて子供に対峙した。さぁ、どうやってとっとと勝負をつけてやろうか――
 とたん、ガルファンは硬直した。――どこから打ち込めばいいのか、わからない。
 一見この子供は無造作に構えているように見える。だが、それなのに、隙らしきものがまるで見当たらないのだ。どこからどう打ち込んでも、返される像しか浮かんでこない。
 馬鹿な、こんな子供だというのに、そんなことがあるわけが――と必死に子供を凝視する。だが、それでも、子供の構えには隙がまるで感じられない。ごく普通に立っているだけなのに、右、上、左、下、正面からの突き、どちらから斬りかかっても返せるような体勢を自然のうちに取っている、ように思えてしまう。馬鹿な、こんな子供が、自分がこんな風に感じたのは親父と対峙した時だけなのに――
 そう頭の中によぎった、親父≠フ一言がガルファンの枷を外した。ふざけるな、認めてたまるか、あんな、あんな最低のクソ親父に、この目の前の子供が匹敵するなどと、自分があいつに負けて当たり前だと感じていることなんて!
「うおぉぉおぉっ!」
 咆哮と共に突撃し、全力で真正面から斬り下ろす。訓練用の刃引きした剣を使っているとはいえ、この勢いで振り下ろせば子供の頭蓋を砕きかねない。そう思ったのか一瞬観衆がざわめき――それはすぐにどよめきに変わった。
 子供が自分の剣を、ごくあっさりと受け止めたのだ。真正面から、当たり前のように。自分の半分程度しかないように思える体つきで。
 愕然とするガルファンの前で、子供はなぜか困ったような顔のままなにやら唸っている。全身の力を振り絞っているというわけではない。自分の剣圧などまるで感じないかのように、軽々と自分の攻撃を受け止めながら、まったく別のことを考えている顔でなにやら悩んでいるのだ。
 馬鹿にされている、と感じて頭がカッと熱くなった。また咆哮を上げながら、右、左、下、上と次々連続攻撃を放つ。
 だがそれも子供はあっさりと受け止めてみせた。さして必死になっているという様子もなく、淡々と、というよりうんうん考えている片手間に、きんきんきん、とすべてあっさり弾き返してみせるのだ。
 なんだ、これは。馬鹿な。こんなことがあるはずが。頭の中で絶叫しながら、渾身の力を込めて突きを放つ。もし当たっていれば、間違いなく心臓を貫く勢いで。
 だが、その子供は、それすらもあっさり受けた。いや、真正面から受けたのではなく、ガルファンの勢いを利用するように右へと攻撃を逸らし、ガルファンの体を泳がせた。
 そして内心しまった! と叫んだガルファンが体勢を戻すより早く、一歩踏み込んで足を払い、転んだところに流れるような動作で剣を突きつけてきた。――うんうんと、なにやら別のことを考えているような顔のままで。
 呆然と子供を見上げるガルファンの耳に、観衆のどよめきが飛び込んできた。驚嘆と驚愕、混乱と畏怖の声が中庭に響き渡っているのが遠くに聞こえる。
「いや、お見事! よもやそのような幼子までもがここまでの腕前を備えていようとは!」
「さすがはアリアハンの勇者、さすがはオルテガのご子息のパーティ! まさかここまでとは思いもしませんでしたぞ!」
「ここまで見事に実力を示されては、まさか皆様の実力を疑うような者もおりますまい! いや、まっこと感服仕りましたぞ!」
 中庭出口から勢いよく手を叩きながら幹部連中が寄ってきて、勇者のパーティの肩を叩き背を叩き、と歓迎の意を示している。その光景をも呆然と見守る――と、ガルファンの耳に、驚いたような声が聞こえた。
「……なんだー、力を示すって、こんなんでよかったのかぁ」
「っ!」
 いかにも拍子抜けした、という調子の子供の声。それを聞き、ガルファンは思わず跳ね起きた。子供が慌てて剣を引き、鞘の中に収める。
「わっ、なんだよ、急に飛び起きるなよなー、剣突きつけられてんだから」
「今のはどういう意味だ」
「へ? どーいう意味、って?」
「力を示すのが、『こんなものでよかった』とはどういう意味だ」
「え? だって、最初に剣弾き飛ばすのじゃ駄目だったみたいだからさ、どういう風にすればいいんだろーってずっと悩んでたんだよ」
「……!? 最初に、剣を、弾き飛ばした、だと!?」
「うん。最初に勝負始めた時、俺がすぐあんたの剣弾き飛ばしただろ? それが見えなかったみたいだったからさ」
「見え、なかった……?」
「うん。俺、頑張って剣弾き飛ばしてから、あんたがどう動いてもいいように間合い離したんだぜ? なのにさ、あんたも、周りの人たちも、それ全然見えてないみたいだったんだもん」
「…………――――」
 数秒かけて、ガルファンは子供の言っていることを把握した。
 この子供は、勝負が始まるや、一瞬で――それこそ自分にも、観衆たちにも目にも止まらぬほどの速さで動き、自分の剣を弾き飛ばした、と言っているのだ。自分にはそれができる、と。本気で動けば、ガルファンにも、他の奴らにも、この子供の姿を捉えることすらできない、と。
 愕然――それこそ世界が崩れていくようなこの衝撃をそんな言葉で表していいのかはわからない。だが、この圧倒的な衝撃に、自分がただひたすら愕然とし、呆然とすることしかできていないのはわかる。
 半ば忘我しながらガルファンが見上げた目の前の子供の顔は、普通の子供となにも変わらないような、きょとんとした顔だった。

「いや、まったく驚いた! 君のような子供があそこまでの剣技を振るうことができるとは!」
「まさかその年で達人と言ってもよい域に達しているとは……さすが勇者のパーティの一員となっているだけのことはある!」
「はぁ……」
 左右から満面の笑みで話しかけられてまたも盃に果汁を注がれ、レウは困惑げな声で応えてからごくごくと杯を乾す。サマンオサの果物なのだろうか、赤と黄色を混ぜたような鮮やかな色の果汁は果汁だというのにねっとりと甘く、レウにしてみれば目新しい味ではあったのだが、さっきから十杯以上飲んでいるのでさすがに味に飽きてきた。
 そんな風にひたすら盃を乾しているのは、周囲を中年のおっさんや頭の白いおじいちゃんたちに取り囲まれて、さっきからえんえんちやほやされたり果汁を注がれたりしているせいなのだが。
 解放軍という奴らに実力を示してみせたあと、宴を開くとかなんとか言って、自分たちは広い食堂の上座に座らされた。それから何人もの人に取り巻かれ、こんな風にちやほやされたり果汁や酒を注がれたりしているのだが、レウにはこの人たちがなにを言いたいのかいまひとつピンとこなかった。さっきからレウがすごいと言ったりさすが勇者の仲間だとかそういうことばかり言われているのだが、そんなことわざわざ何度も何度も言うことじゃないような気がするのだが。
 この人たちがなにを言いたいのかセオやラグに聞いてみたいな、とも思ったのだが、セオやラグ、ロンやフォルデも自分同様にちやほやされていて、内緒話はできそうにない。この人たちなにがしたいんだろーなー、とレウはこっそり首を傾げた。
「さ、料理が参りましたぞ! ろくなお構いもできませんが、どうぞ大いに食べて飲んでください!」
「これから勇者様方には大いに力を振るっていただくわけですからな、力をつけていただきませんと!」
 料理、と聞いてレウは一瞬目を輝かせた。実際次々運ばれてくる魚介類を玉葱やレモン汁で和えたものや、魚介類やジャガイモ、牛肉や豆、さらには米や卵等さまざまな食材を使った多種多様な煮込み、スープ、加えて鶏肉の炭火焼きやら牛肉と野菜を炒めたものに揚げたジャガイモをからめたもの等々、豪華でおいしそうな料理はレウとしても相当心を惹かれたのだが、いやいやその前に聞くべきことを聞いておかねば、と我に返り、料理から気合で目を逸らせて周りの人々に訊ねかける。
「あのさー、おじさんたち。俺たちが見てきたサマンオサの街って、なんかすごくさびれてたっていうか、あんまり人がいなかったんだけど……こんなにたくさん料理作る材料とか、どこにあったの?」
 レウが訊ねると、一瞬その場の空気がしんとしたが、またすぐに周りの人々はにぎやかに喋り立てる。
「いやいや、確かに内情は潤沢とは言えんが、他国の勇者殿をお迎えする時くらいはな」
「我々のせめてものもてなしと思って、受けていただけんかな?」
「……それって、つまり、あんまり余裕ないけど、無理していっぱい料理作った、ってことだよな?」
『…………』
 今度は完全に空気がしんとする。レウはちょっと困って頭を掻いてから、周りの人々に言った。
「そんなのやだよ、俺。ご飯はみんなで食べた方がおいしいじゃん。俺たちだけ食べるのとか寂しいもん、食べられるのちょっとになってもいいからさ、みんなで一緒に食べようぜ。部屋の外にいる人たちも誘ってさ」
「! ……気づかれていたか」
「勇者様方に気を遣わせることのないよう、野次馬は部屋の外にいるよう言っておいたのだが……」
「? 野次馬って、俺たちここの人たちに協力するんだろ? だったら仲間みたいなもんじゃねーの? なのになんでいちいちそんな気ぃ遣うの?」
 またも一瞬空気がしんとしてから、周りのおじさんやおじいちゃんたちは、揃って大声でわっはっは! と笑いだした。
「いや、お見事! 勇者様のお仲間にそこまで言われては、我々も従わぬわけにはいくまい!」
「その年で大した剣士だと思ってはいたが、ここまでの器をお持ちとは! まさに感服仕りましたぞ!」
「へ? えーと……」
「勇者の仲間、という言い方は正確じゃないですね。レウはセオのパーティの一員というより、自分が勇者なわけですから」
 レウはやっぱりなにが言いたいのかわからず困惑したが、ラグは落ち着いた声で周りの人々に声をかける。その声に反応してか、部屋中が大きくどよめいた。
「なんと、まさか勇者様であらせられたとは! セオ殿と共にバラモス討伐の旅に出られたのですか?」
「いや、旅の途中で偶然出会って、勇者の素質を持っているってことがわかって、レウが年若いこともあって一緒に旅することになったんですが。懸命に努力して、レベルを上げて、勇者と誇れるだけの強さを手に入れたわけです」
「なんと……これは、もはやその年でうんぬんと若輩者扱いするわけにも参りませぬな! レウ殿、貴殿はさすが勇者と誇るだけのお力とお志をお持ちだ! まっこと敬服いたしましたぞ!」
「え、へ……? ん、えっと」
「さ、外の連中、入ってこい! 勇者レウ殿が宴に招き入れてくださったぞ! レウ殿に感謝しつつ、押し戴くように!」
「えぇ……?」
 困惑するレウにかまわず、外にいた人々はどやどやと中に入ってきた。そして次々とレウのところに寄ってきて、「勇者様、ありがとうございます!」「勇者様に太陽神のお恵みを!」などと頭を下げたり平伏したり拝んだり、と思ってもみなかったようなことをやってくる。
 レウはただもうぽかんとするしかなかったのだが、それはそれとして宴会(のようなもの)は始まった。何本か酒が運ばれてきて、食堂中の人がそれぞれ騒ぎながら飲んだり食べたりしつつ(やはり食材には限界があるようで好きなだけ、とはいかなかったが)、レウやセオのところに来てはこちらを伏し拝んだり口々に褒めたりと持ち上げてくる。
 正直、レウとしてはなにがなんだかさっぱりわからなかったのだが、宴が終わってからラグたちがこっそり教えてくれた。
「要するに、向こうはこちらを接待しようとしてたんだよ」
「せったい……?」
「もてなして、いい気分にさせる、ということだ。まぁサマンオサは元から戦士に対して敬意を払う風習があるし、数年前に姿を消した英雄サイモンの記憶も鮮やかだろうしな、勇者ならばできる限り接待するのは当たり前だと考えたんだろう。レウの力を実際に見て、ぜひとも仲間に引き入れたいと思ったのももちろんだろうが」
「? っていうか、俺たちここの人たちに協力するんだろ? 最初っからそうするって言ったじゃん、俺ら」
「だからこそ、絶対にもう機嫌を損ねるわけにはいかん、と思ったんだろうさ」
「全力でこちらを持ち上げて、もてなして。他国の勇者に舐められるわけにはいかない、っていう見栄もあっただろうけど……レウのおかげで、ここの人たちはわりと素直に協力を受け容れてくれそうだな」
「へ? 俺のおかげって、なんで?」
 その言葉にラグは苦笑し、ロンは肩をすくめただけで答えてはくれなかったが、まぁそれは別にいい。自分が仲間たちの役に立てたんだとしたら、嬉しいのは間違いないし。
 ただ、それよりも、レウには個人的に気になることがあったのだ。宴の間中、あのガルファンという自分の相手をしてくれた戦士が、まるっきり姿を見せなかった、というのが。

 ガルファンは一人、中庭の、人気のない闇の中で座って自身の剣を見つめていた。ここ数年、自分の命を預けてきた愛剣。それと向かい合い、自身を奮い立たせていたのだ。
(――そうでもしなければ、戦う気力が萎えてしまうから)
 ぎりっ、とガルファンは血が出るほどに自分の唇を噛み締めた。なにを考えている、自分は。いまさらそんなことが起こるわけがない。
 立ち止まれない。今さら。足を止めればそれは自分にとっては死も同じだ。
 ――あの父親と別れた時から、ずっとそうして生きてきたのだから。
「あ、いた!」
 つい反射的にびくり、と体を震わせる。またぎりっと奥歯を噛みしめながら、ゆっくりと立ち上がって声のした方を振り向いた。
「こんなとこにいたのかよー、探しちゃったよ」
 そう言って近づいてくるのは、勇者の仲間の子供――そして自分を圧倒的な実力差を持って負かした子供、レウ。ぎっ、と体中の力を込めて睨みつけようとし、その背後に立っている姿に気づいて一瞬硬直した。
 そこにどこかおずおずとした風情で立っていたのはセオ・レイリンバートル――ひどく情けない顔をした、アリアハンの勇者だった。
「……なんの用だ、勇者」
 お前にまで届かなかった俺を、笑いに来たのか。自分の身の程を知らず、勇者を打ち破れるなどと真剣に考えていた自分を。
「あ、の……お邪魔か、とも思ったんですけれど……」
「食事の時にあんたがいないから心配になって探しにきたんだよ」
 当たり前のように言う子供に、思わずぎりっ、と奥歯を噛み締める。打ち沈んでいた心身が、怒りで大きく波立った。
「貴様に心配されるいわれはない」
「? いわれって、どーいう意味?」
「っ……理由とか、そういう意味だ!」
「? なんで心配すんのに理由とかがいるわけ? 心配って別に理由がなくてもしちゃうもんじゃん」
「っ……」
 子供との単純な会話に苛立って、ガルファンは勇者セオを睨みつけた。こんな子供を相手にしてはいられない。目の前に勇者が――ずっと倒したいと願っていた相手がいるのだから。
「抜け、勇者」
「え……?」
「真剣勝負だ。本気で殺すつもりでやり合って、どちらが勝つか示してみろ!」
「ちょっ、なに言ってんだよあんた、さっき俺との勝負に負けたくせになんでセオにーちゃんが」
「っ……黙っていろっ!」
「黙ってられるわけねーだろ、勝負に負けたくせにご褒美くださいとかあつかましーと思わねーのかよっ」
「黙っていろと、言っているだろうっ! 俺は勇者と……この男と話をしているんだっ!」
「黙ってられるわけねーだろっ、俺は」
「レウ」
 ふいに、勇者セオが声を発した。とたん、勢い込んで喋っていたレウが勢いを失う。
「いいよ」
「えー……でも、負けたくせにこんな偉そうなこと言う奴に、優しくしてやることないって思うんだけど……」
「だけど、…………」
 身をかがめて、勇者セオはレウになにやら囁きかける。レウはうんうんとうなずきを返し、最後に大きくうなずいてみせた。
「そっか。うん、わかった」
 そう言ってとことこと、自分たちと距離を取る。さっきまでとはうって変わって素直に、声援まで送ってきた。
「セオにーちゃん、頑張れーっ!」
「……うん。ありがとう」
 言って勇者セオは手甲と一体になった刃のような武器を身に着ける。ガルファンも、大きく深呼吸してから剣を抜いた。
 勇者だ――今度こそ、勇者と戦える。自分の力を、存分に勇者にぶつけられる。自分の手で勇者を叩き潰せる、勇者より自分の方が上だと確信できる、勇者であろうとしょせんは人間でしかないのだと宣言できる!
 手の震え、体の震え、すべてを無視して心の中でそう吠える。ようやく巡ってきた機会なのだ、もうこんな状況な望めないかもしれないのだ。ようやく父の影を振り払う時がやってきたのだ………!
「うおぉぉおっ!」
 吠えて全力で勇者セオへと斬りかかる。勢い込んで、というよりは祈るような感情の方が大きかっただろう。
 もう、どうか、頼むから勝たせてくれ。頼むからもう俺を解放してくれ。もう俺は、父の影から解き放たれたい。だから、お願いだから、頼むから―――
 そんな決死の一撃は、勇者セオにごくあっさりと受け止められた。
 いや、受け止めるというよりは跳ね返されたという方が正しいだろう。ふっ、と勇者セオの姿が消えたと思ったら、とんでもない力で剣が大きく弾かれて、ガルファンは大きく吹き飛んだ。よく剣を落とさずにすんだものだという思考がちらりと頭をよぎる――が、もしかするとあえて剣を落とさずにすむ程度の力で弾かれたのかもしれない。勇者セオならばそのくらいはしてのけるだろう。
 なにしろ、吹き飛ばされて大きく体勢を崩した一瞬に、ガルファンは首の後ろに衝撃を受けて、一瞬の間に背後まで回り込んだのか、と思う暇もなく、意識を失ってしまったのだから。

「さて……それでは、会議を始めてよろしいか?」
 議長役をするつもりらしい解放軍の幹部の一人に、自分たちはうなずきを返した。宴から明けて翌朝早くからの会議だったが、さして量があるわけでもない酒を全員で分け合ったせいか、酒が残っている顔は一つもない。
「昨日報告を受けたお話ですが……今現在玉座に座っている国王陛下が偽物だという件についてなのですが」
「偽物っつーか……あの時は魔物だ、っつっただけだけどな」
 フォルデの言葉に、会議室に集まった解放軍の面々がざわめいた。これまで自分たちが倒そうとしてきた相手が人間ではないという、自分たちの意識をひっくり返す情報を信じていいものか戸惑っているのと、何人かはその言葉の裏の意味を読み取って驚いているのだろう。
「そのお話には、なにか根拠がおありか? ことがことだ、さすがに証拠もなしでは」
「え、だって、気配でわかるじゃん。あの王さま、見るからに魔物の気配ぷんぷんさせてただろ?」
「……申し訳ないが、我々にはそのような気配は読めん。現国王は在位三十年を超える。それがいつから魔物と入れ替わっていた、と?」
「いつからか……なんてのは知らねぇけどな。けど、今玉座で国王だとふんぞり返ってやがる奴が、魔物だってのは確かだぜ。魔物の妙な力使って化けてるんじゃねぇの」
「証拠、と言われると難しいですが……化けの皮を剥がす、ということでしたらやれなくもないか、と思います」
 またざわり、と会議室の空気が揺らぐ。その件についてはあらかじめ、自分たちの間でも相談してあったのだ。もし国王が魔族の類だった場合はどうするか、ということで。
「この国には、ラーの鏡と呼ばれる神具があるだろう」
 ロンが告げた言葉に、会議室のざわめきはますます大きくなった。もはやどよめきと言ってもいいだろう。
「なぜそれを……ラーの鏡はサマンオサの国宝、存在すらも不出であるはずなのに」
「これでも俺は賢者だしな。それにラー信仰の本家であるイシスの文書には、特に隠されもせずその存在が記されてるんだよ」
『生贄の少年少女の心臓を捧げるような偽の太陽神の教えを駆逐するため』という名目でアリアハンがイシスから徴発した、ラーの鏡――太陽神の神具、神の恵みの証と謳われた代物はサマンオサに渡り、国民の信仰を捧げる象徴として扱われた。イシス側にしてみればアリアハンの暴虐の一環であっただろうその行為は、その実本当に『偽の太陽神の教えを駆逐するため』にサマンオサへと運ばれたのだろう、と賢者の間でも意見が一致している。アリアハンが、ダーマに認められないであろう神をサマンオサの国民が信仰していることに、相当の危機感を覚えていたのは間違いないのだから。
 そしてこの世界に存在する数少ない神の祝福を受けた道具――神具としてダーマにも認められている代物、ラーの鏡の力は、『鏡に映った者のありとあらゆる虚飾を剥ぎ取り、真の姿を映し出す』というものなのだ。
「ここにおられる方々の方がよく知っておられることとは思うが、現在サマンオサは国家の存亡の危機にあると言っていい。国宝であるラーの鏡を持ち出しても、咎められる筋合いではないと思うが」
「それは……そうやも、しれませぬが」
「しかし……ならば、本物の国王陛下はいったいどこに……? もはや、すでに……」
「俺たちとしても、そう思っていたんだがな……」
「昨晩一応、もう一度探りを入れてみたんだけどよ……」
 またも会議室がどよめく。まぁ、解放軍の人々にとってみれば、王城に軽く探りを入れるだけでも命懸けなのだろうからそう反応するのもわからないでもない。
「探りを入れた、とは……宴のあとに、ですか!?」
「なんと……電光石火の早業。いつの間に……」
「俺はもともと歓待の宴会なんぞには興味ねぇからな。早目に抜け出して探ってきたんだよ。囚人たちがいなくなったせいで、看守連中が罰されることになった時、死罪でも言い渡されたらこっちもとっとと動く必要があるからな」
 それもあらかじめ、最初に相談して決めておいたことだ。
「なるほど……さすが、お見事な気配りですな」
「して、結果は?」
「どういうわけか、偽国王は看守どもを罰しちゃいなかったみたいだぜ。報告はされたみてぇだが、なぜかそれを聞いてむしろ上機嫌だったんだとよ」
「上機嫌!? それは奇怪な……」
「いったい、偽王はなにを考えて……」
「あらかじめ予想していたことだったか、それとも単に精神構造が狂ってるのか……まぁ、魔物なんだから当たり前かもしれんが。両方というのが一番ありそうだが……とにかく、居場所を伝える類の魔道具や呪術がかかっていないかは最初に確認した。その心配はしなくていいと思うぞ」
「おお……それは、ありがたいですが」
 と、ロンの服の裾をくいくいとレウが引っ張る。レウはロンの左隣にいたのだが(長い会議机の右端に、フォルデ-ラグ-セオ-ロン-レウの順番で座っていたのだ)、全員に聞こえるような大きな声で聞いてきた。
「なーなー、なんで魔物だと狂ってるのが当たり前なの?」
 ロンも気にせず(たぶん他にも知りたい人間がいると思ったので)、普通の声で答える。
「別に狂ってるのが当たり前なんじゃない。精神構造が狂ってるのが当たり前なんだ」
「? どう違うわけ?」
「そうだな……それを説明するには、まず魔物というものがどういうものか、知っておく必要があるな」
 他の仲間たちも、解放軍の面々も黙ってこちらに注目している。自分の話を聞く気らしい、と肩をすくめて(たぶんセオは知っている話だろうが)話し始めた。
「魔物というのはな、そもそも、世界のバグ――失敗作だ。この世界は崩壊を防ぐために絶えず創り直しをくり返している。その時にどうしても出てきてしまう、創り直しに失敗した際の塵だ。つまり、そもそもが失敗作なんだから、この世界の一般的な生命の形や決まりに左右されない。分裂しようが合体しようが炎を吐こうが呪文が効かなかろうが、魔物なんだから当たり前≠ニ言えてしまうわけだな」
「うん……? うん」
「で、失敗作にも型というものがあって、それが魔物の種類になる。あまりに数の多い種類だと、スライム族のようにこの世界に馴染んでひとつの生物の種として確立されてしまうこともある。そういう風に世界の一部となった魔物は、それぞれの種族で繁殖して増えていく――つまり動物の一種ともいえる存在になるわけだ。そういう種族にはそれなりの精神性が生まれ、自我が確立される。場合によっては、こちらと対話し、友好的な交流を持つことが可能になったりもする……まぁ、普通の生き物になるから、いろんな奴が生まれるようになるわけだな。肉体の構造で、知性には限界というものがあるにしろ」
「ううん……うーん……うん」
「が、普通の魔物というのは、こちらと意思を疎通させることができない。この世界と基本的に相容れない……というか、世界の歪みを凝縮させた存在だから、この世界の存在と精神構造がまるっきり異なってるんだ。言葉が通じないどころか、思考の形態が基本的に異なるから、直接精神を繋げようものならこちらの精神がやられてしまったりもする」
「やられるって?」
「まぁ、一般的には狂うな。場合によっては魔物側の精神と同一化することもあるらしいが」
「ふーん……え、でもさ、あの国王は違ったじゃん。すごーく魔物っぽかったけどさ、一応話通じたぜ。あ、それとも、魔族ってやつなのか?」
「いや、あの気配は魔物だった、それは間違いない。たぶんあいつは、魔物の中の変異体なんだろう」
「へんいたい?」
「ああ。俺たちの中にたまに普通なら生まれないような奴が生まれるように、魔物の中にも変わった奴が生まれることがある。人間のように話したり、魔族による命令を受けつけなかったり、っていう奴がな。そういう魔物には魔物よけの結界も効かないことが多い。人間の姿を取って国王として振る舞い続けるなんてのは、その中でもとんでもなく変わった奴じゃなけりゃ無理だろうが……そういう魔物も生まれることがないわけじゃないのさ」
「ふーん……」
「……それで、ですな。話を戻しますが……銀星のフォルデ殿は、いったいなにを探り当ててくださったと?」
「…………。俺たちが使った脱出路のことだ。最初に出てきた時は気配を探るのが優先で、きっちり調べられなかったからな。一応道の途中になにかないか、調べ直したんだよ」
「ふむ……それで、なにを見つけたと?」
「本物の国王」
 一瞬、会議室が針の落ちる音も聞こえるほどに、しんと静まった。
「……今、なんと?」
「聞こえてただろうが、本物の国王だよ。俺が見た国王と同じ顔と体……っつっても、だいぶやつれちゃいたけどな。そいつが隠し部屋の中に囚われてるのを見つけたんだ」
「な……!」
 ざわっ、と大きく会議室の空気が波立って、見る間にどよめきに変わっていく。当然と言えば当然だ、これから国王殺しをしようと意気込んでいた連中にしてみれば、本物の、まともな国王が生きているという事実は、正負どちらの効果にしろ、精神を揺さぶるものだろう。
「そ、その男が本物の国王だという証拠は!」
「んなもんあるかよ、俺は本物の国王陛下ってのを見たことがあるわけじゃねーんだからな。ただ、そのじいさんが、『自分が本物のサマンオサの国王だ』っつってたのは確かだ。五年前からずっとこの部屋に囚われてる、ってな」
「五年前……!」
「陛下がご乱心めされたのもちょうどその頃……!」
「なんでもな、寝て目が覚めたらもう隠し部屋で足に鎖がついてたんだとよ。実際、俺が見た時もそのじいさんの足には鉄球つきの鎖がついてたぜ。もうベッドから起き上がる体力もろくに残ってなさそうだったってのにな」
「なんと……」
「陛下……まさか、そのような辱めを受けておられたとは……! なんとおいたわしい……!」
「しかし……その魔物は、おそらくバラモス配下の魔物であろうが、なぜ陛下を生かしておいたのですかな? 我々にとってはめでたい話だが、サマンオサを崩壊させようと目論む輩が陛下と入れ替わったならば、真っ先に陛下を弑するのが当たり前なのでは?」
「そんなもん俺が知るわけねぇだろ。……まぁ、そのじいさんは、『自分を苦しめるためだ』って言ってたけどな。『自分を苦しめ、辱めるのが、あの魔物にとってなによりの楽しみのようだ』ってな」
「く……おのれ、魔物め、我らを苦しめるのみならず陛下までも!」
「しかし、本物の……賢王グスタヴォ陛下がご存命でいらっしゃるとするならば、これはこの上ない福音ですぞ……」
「ああ、姫殿下もお喜びになるに違いない……」
 口々に(かつ、内緒話のように身をかがめながらも興奮しているのかかなりの大声で)喋る男たちに、ロンは小さく肩をすくめた。フォルデが言ったのは、嘘ではないが真実ではない。
 なんでもフォルデが国王を見つけた時、国王は足を鉄球つきの鎖で縛されながら、ベッドの上で、素っ裸でさめざめと泣いていたのだそうだ。仰天してフォルデがなにがあったのか聞いてみると、なんでも自分に化けている魔物――国王の知識によると、肥満体の巨人、トロルの系譜であろう魔物らしいのだが、そいつにここに囚われて以来ずっと慰み者にされているのだという。
 慰み者といっても素っ裸にされて体中を魔物の姿になった相手に舐められたり、胸の谷間に体を挟まれたりぐらいらしいのだが、それでもあのじいさんは心が折れかかっているようだった、とフォルデはなんとも言い難い顔で言っていた。
「しかし……それならばなぜ、陛下を助けてはいただけなかったのですか」
「………。助けようか、とは言ったけどな。あのじいさん、運んだら命に関わるってほど衰弱しちゃいなかったし。けど断られたんだよ。魔物は毎日自分のところを訪れている、もし自分がいなくなれば全力で自分を狩り出そうとするだろう、今は自分は囚われたままの方がいい、ってな」
「陛下……そこまでご覚悟なされているとは……」
「ご自分をあえて犠牲にしてまで我らを助けてくださるとは……なんという……」
 というか、ロンが推察するに、逃げなかったのは心が折れかかっているのが一番の原因のように思える。もし逃げて捕まったら今よりもっとひどい仕打ちをされるのではないか、という恐怖に打ち震えているのではないだろうか。フォルデが助けを申し出た時、一瞬目を輝かせたものの、すぐに全身をぞっと震わせて泣きそうな顔で首を振ったらしいので。
 まったく、魔物とはいえ、これだから女というものは度し難い、とロンは小さく顔をしかめた。最初に見た時に見かけは男なのに妙に女の匂いがするからおかしいとは思ったのだが、まさかもはや老境に差し掛かっている(確かサマンオサの現国王は六十近かったはずだ)男を慰み者にするほど性根の腐った女だったとは。もちろん捕虜を慰み者にしようなぞという考えは老若の区別なく下衆の極みには違いないが、老体にはことに心身を打ちのめされる仕打ちだろうに、それを気遣うこともしないのか。
 そう仲間たちに言った時は、まずあの偽王が女だということに仰天されてから(フォルデがそういえば国王の口ぶりからして……と渋い顔でロンの直観を補足してくれたので全員一応納得はしてくれた)、ラグには『そういう問題じゃないだろう』と叱られ、フォルデには『てめぇが言うな』と顔をしかめられたが(レウの反応は(ラグの主張により)この話の間セオに部屋の外に連れ出されていたせいで聞けなかった)。
 ……まぁ、あの偽国王の姿に成熟した男の精神が入っているのだとしたら、気持ちはわからなくもないし悪くない趣味をしているとも思うのだが、ロンにしてみれば相手に受け容れられないのに性行為を押しつけるような奴と一緒にしてもらいたくはない。ロンは生まれてこの方、相手に性癖を押しつけたことはないのだ。反応を確かめるために誘ってみたり、脈のない相手をからかったりすることはあっても。
「ですが、これはもはや一気にことを進めるべきではないですか? 本物の陛下がご存命ならば、まさに正義はこちらにあり。近衛軍も領主たちも、説得する必要もなく味方についてくれるはず」
「いや、今玉座に座っている陛下が偽物だということを承知で仕えている輩もいるだろう。むしろ我が国の膿を出すためにもしばらく様子をうかがうのも」
「なにをおっしゃるのだ、今この時も偽王に虐げられている人々がいるのだぞ、我々のすべきことは全戦力をもって偽王を討ち取ることのはずで――」
「失礼しますっ!」
 と、唐突に勢いよく扉を開けて一人の若い男が入ってきた。「何事だ」「会議中だぞ」という声を受けながらも、確か入り口の見張り役をしていたその男は小走りに卓の前まで駆け寄り叫ぶ。
「姫様が……マイーラ・ニムエンダジュ・トゥピナムバー姫殿下がお越しですっ! 勇者殿に、セオ・レイリンバートル殿にぜひお会いしたい、とのことでっ……」
『……なんだと!?』
 会議室の中が一気にどよめく。ロンも思わず顔をしかめ、小さく呟いてしまった。
「姫殿下だと? そんなものがなぜ今こんなところにやってくる。一応は受け容れられている辺り、少なくともすでにこの組織と誼を通じてはいるんだろうが」
「なんでセオを名指しで……。確かマイーラ姫というのは、なかなか子供に恵まれなかったグスタヴォ王の一粒種だったんじゃなかったか? 偽王がどういう扱いをしているかは知らないが、そうそう王城の外に出てこれるような人じゃないだろうに」
「……っつか、なんでセオがここにいること知ってんだよ? 誰から情報流されたんだ? 周りにここの連中と通じてる奴らがいるにしても……」
 と、話し合う暇もあらばこそ、「姫殿下、どうか落ち着いてくださいませ」「なにとぞ、ご慈悲をくださいますよう」と口々に叫ぶような声が聞こえてきたかと思うと、ばんっ、と会議室の扉が勢いよく押し開けられる。そこに立っていたのは、これがサマンオサの姫殿下マイーラなのだろう、気丈……というか相当鼻っ柱の強そうな蒼い髪の少女だった。年の頃は十代後半というところだろう、顔立ちは庶民がお姫様に憧れることができる程度には整っている。
 その女は、つかつかとこちらに――というか、セオの前に歩み寄ってきた。そしてセオの前でぎっ、とセオを睨むと、突然のことに目をぱちぱちさせているセオの頬を、ぱんっ! と高い音を立てて引っぱたく。
「なっ!」
「なにすんだよっ、ねーちゃんっ!」
 フォルデとレウのみならず、会議室中がざわめく――が、マイーラ姫は気圧されもせず、立ち上がったレウにぴしゃりと言い放つ。
「お黙りなさい! あなたたちには反論する資格などないわ!」
「なっ、なんだよそのはんろんするしかくってっ!」
 マイーラ姫は突っかかってくるレウにもう視線を向けさえせずに、きっとセオを睨んだ。じっと視線を向けてくるセオにしばし苛烈な視線を向け、突然ぼろり、と瞳から涙をこぼす。
「やってくることが、できるなら……当たり前のようにこの国に来ることができるなら! どうして、もっと、早く!」
「…………」
「あなたがこんなに遅れたせいで……やって来るのをここまで遅らせたせいで! 何人の民の命が失われたと………!」
 叫んでから、うっ、と顔を押さえてうつむく。しん、と静まった会議室の中で、セオは一人、ひどく静かな瞳でマイーラ姫を見つめ、言った。
「――ごめんなさい」
「っ………!」
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい………」
 言って深々と頭を下げるその姿に、マイーラ姫はかっと顔を朱に染めて怒鳴りかける。
「謝れば……っ、謝れば、すむと………!」
「失礼、マイーラ姫。あなたはその服、誰に用意してもらった?」
「え?」
 鋭い声で訊ねたロンに、マイーラ姫は一瞬ぽかんとしてからきっとこちらを睨みつけてくる。
「なにを、突然。今私たちがなんの話をしているのか――」
「――いいから答えろ。あんたの今着ているその服を用意したのは、誰だ」
 抑えていた殺気を解放して問う。マイーラ姫には唐突に自分がすさまじい殺気を込めて自分を睨みつけてきたように思えるだろう。実際には押さえつけていたものを解放したにすぎないのだが。
 気圧されたか、マイーラ姫の喉が小さくひゅっと鳴り、ごくりと唾を呑み込んでから、小さく答えを返してくる。
「……いつも通りに、私付きの侍女の、レチーシアが……」
「セオがここにいることを教えたのも――解放軍との繋ぎを取っているのもその女だな?」
「ええ……それが、なんだと」
 ロンは小さく舌打ちをする。女を相手に喋っていると、どうしても神経がささくれ立ってしまう。
「その女、間諜だぞ」
「……え? なっ、なにを急に! 人の侍女を根拠もなしに疑うなど」
「根拠があるから言ってるんだろうが。……あんたの着ているその服には位置情報を発信する魔道具が仕込んである。それだけじゃなく、おそらくは強制転移呪文の類も……こちらの戦力を分断する気らしいな」
「え……あ、あなたは、なにを」
 言い終わる前に、マイーラ姫の着ているドレスが白く輝き始めた。もう時間切れか、と小さく舌打ちする。喋りながら懸命に魔法的にこの仕掛けを解体しようとしていたのだが、間に合わなかったらしい。
「な、なに、これ、いったい、なに―――」
「姫様!」
「マイーラ姫! くっ……」
「姫様をお助けしろ!」
 解放軍の連中が騒ぎ始めるのをよそに、ロンはとりあえず自分たちパーティだけでも護ろうと呪文を唱え始める――が、それより早くマイーラ姫に突撃した人影があった。不意を衝かれて、思わず一瞬詠唱が止まる。
「セ――」
 ラグの驚いたような声を遮るように、マイーラ姫のドレスは爆発的に輝きを増し――すべてを呑み込んで、消し去った。

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