サマンオサ〜アリアハン――4
「っ………」
 一瞬浮遊感と酩酊が混ざった不快な感覚が体を通り抜けたのち、ロンが立っていたのは、おそらくは王都サマンオサの街の一角だった。おそらくは中流家庭が居を構えているであろう、(サマンオサの建築技術を鑑みた限りでは)一般的な住宅街。
 マイーラ姫のドレスから放たれた白い光はまだ目の奥に残っていたが、周囲の様相は見事に変わっていた。さっきまで自分の周りにいた人々は一人残らず消え失せている。おそらくはマイーラ姫のドレスに仕込まれてあった魔道具はバシルーラを付与した強制転移、それもその場にいた人間一人一人を別の場所に転移させるものだったのだろう。別の場所に転移した自分たちを各個撃破するつもりか、それとも単にそろそろ解放軍を消す時期に来たと判断したのか。
 もともと自分たちパーティは、抵抗組織の中に間諜が混じっている可能性についてそれなりに検討していた。だがそれでも接触しないというのは悪手だと判断したので、もし怪しい動きを見せる奴がいたらできる限り早く対処する、と取り決めた上で抵抗組織の中に入り込んだのだが。外部で手を打たれては、さすがになんともやりようがない。
 まぁ世間知らずのお姫様の周囲というのは間諜を潜り込ませやすい位置ではあっただろうが。お姫様というのはもちろん情報やら資金やらを手に入れやすい地位ではあるのだが、それを十全に活用するにはお姫様自身にそれなりの才覚と技術がいる。そして普通のお姫様というのは、その手の才覚やら技術やらを身に着けようがない育ち方をしているのだ、解放軍の連中としても敬して遠ざけるぐらいしかやりようがなかったのだろう。
 というか、次期王位継承者に(サマンオサは基本的に男子が王位を継ぐと決まっているが、国王の嫡子に女子しかいないのならばその原則を無視できるのだ)支持を受けているというのは、抵抗組織にしてみれば錦の御旗を得たも同然なのだ、生き延びて王位を継いでくれなければ組織の正当性は一気に失われる。下手に動かないで国王に目をつけられないようにしていてくれるのが一番ありがたかったはず。ただロンが見た限りのあのお姫様の気性からして、民を救うという理想を優先した結果派手に動き回っていたに違いない。そして目をつけられ、今のような時に使うためにあえて泳がせていた、ということなのだろう。
 まぁ、たいていの女がろくなことをしないのはいつものことだから気にはならないが(こういうことを言うとラグに叱られるのでロンもできる限り控えるようにはしているのだが、長年積み重なった女という性に対する反感はどうにも拭い去りがたいのだ)。実際、こんなことをされる可能性についても、自分たちはとうに考えていたわけだし。
 す、と杖を掲げ、唱える。
「我、知空理、探所居人=v
 自分たちパーティの仲間には、全員居場所を発信する魔道具を持たせてある。そうでなくともこれだけ一緒にいる面子だ、同じ街にいるなら探知の呪文を使えば居場所くらいはすぐに突き止められる。バシルーラの呪文を直接かけられたならともかく、遠隔操作型であれ時限型であれ、そばにいる者が使ったわけでもない魔道具ならば強制転移させられる距離はせいぜいが数里。ならば問題なく――
「―――な!?」
 ロンは一瞬絶句した。居場所がわからない。というか、見えない。なにか膜がかかっているようにロンの探知呪文が妨害されている。これは、おそらく。
「妨害結界だと……!? そんなもの、ついさっきまでは間違いなく」
 存在しなかったはずだ。ロンは定期的に、それこそほんの数十分ごとに街の様子を探っていた。街に魔法的な仕掛けがされていたらすぐにわかるように。だが、今は、ほんのついさっきまでは存在しなかった妨害結界が張られている。それも、入念に準備を行っていたであろう強固な代物が。
 これを破壊するのは骨だ。力業で壊そうとするなら、少なくとも十数時間集中できる環境が必要になるだろう。そして、もしこれが偽王の仕業だとするならば、自分にそんな真似をさせるような余裕は、絶対に与えられない。
「……読まれていた、と、いうわけか………!」
 どんな真似をされても対処できるつもりでいた。その自信を以って、油断なく身構えていたはずだった。だが、その隙を見事に衝かれ、自分たちがどう反応するかも読まれた上で、機を見事とすら言いたくなるほど適切に見計らって、自分たちを分断し、結界を張ってきた。この類の妨害結界は、ルーラすらも妨害する。誘導魔法陣はもともと封印されているが、個人で移動するだけならば誘導魔法陣は必ずしも必要ない。しかし、この手の結界を張られると、別の場所にルーラするのはともかく、転移後の位置情報がつかめないのでやってくることができないのだ。つまり、これからサマンオサで起きることを防ごうとするならば、別の場所で合流することもできないというわけで――
「……くそ………」
 くそ。くそ。忌々しいが、腹立たしいが。悔しいと思ってしまうことすら気に入らないが。
 どうしたって認めざるをえない。自分たちは、サマンオサの偽王を、舐めすぎていたようだ。

「……さて。どうするか……」
 反省を一通り終えたのち、ラグは小さく眉を寄せて考えた。ここまで見事に分断された以上、向こうはこちらの位置を特定していると考えた方がいいだろう。魔法的なものだったとしたら、ラグには対処のしようはない。つまり、このままでは大軍に押し包まれることになりかねないわけだが。
「サマンオサで身を寄せられる場所は、ない。解放軍の拠点に行けば、そこに残っている人たちを巻き込みかねない、と、なると……」
 身の安全だけを優先するならば、別の場所に転移してほとぼりが冷めるのを待つのが無難ではあるのだが。そうすると、サマンオサで起きていることの解決にはどうしたって手の貸しようがなくなる。もちろん、捕まって完全に殺されることを考えればそんなことを言っている場合ではない、とも言えるが。
「……他の手が、なくもなさそうなんだよな」
 たとえば、有力貴族に庇護を求めるとか。これだけ虐殺をくり返している王ならば、反感を抱いている大貴族は一人や二人ではないはずだ。そういった相手に戦力を売り込んで、組織力を貸してもらうというのは悪くない手だと思う。
 他にも、ダーマに転移して協力を求めるという手もある。鎖国した上でこれだけのことをやっているのだ、ダーマの理念からすれば明らかに内政に介入してしかるべき段階のはず。ダーマにいた頃は自分たちに対し悪印象を持っていた相手も多いだろうが、セオが倒れた時に何度も何度も伏し拝まんばかりの勢いで協力を求めたので、少なくとも顔見知りの人間は増えているはずだ。
 ただ、その手を取ると、どうしたって問題解決には一手遅れるのが難点ではあるのだが――
「っと……考えている暇はない、か」
 ラグの耳に、明らかに鎧等で武装した人間の足音が聞こえてきた。おそらくは複数、というか一部隊に相当するほどの人数だろう。ラグは戦士なので聞き耳の技術など持ってはいないが、さして離れてもいない場所から聞こえてくる武装した人間の立てる音くらいさすがにわかる。
 どうするか、とちょっと考えて、ラグはその場にとどまることにした。逃げ足の遅い自分では追撃者たちから完璧に逃げおおせるのは難しいだろう。ならば残って追撃者と向き合う方がいい。やろうと思えばそいつらを全滅させることくらいできなくもないだろうし、武力を背景にした交渉でうまく情報が引き出せればこれから自分が動く指針を見つけられるかもしれない。
 待つこと数十秒、現れた者たちは統制のとれた動きでさっと自分を取り囲んだ。後方に隊長らしき人物が居座り、指令を発する型の部隊運営らしいが、自分を囲む層はさほど厚くない。これならば問題なく隊長らしき上質な武器防具を装備している者のところまで突撃できる――
「え、えーっ!? ラ、ラグぅっ!? なんでラグがこんなところにいるのっ!?」
 ――という思考は、唐突に聞こえてきた聞き慣れた少女の声に見事にぶった切られた。
「そ、の、声……」
 思わず声を震わせながら、冷や汗を流しながら、ぶるぶる震える指を叫び声を上げた戦士に突きつける。改めて見てみれば明らかに少女――というか、女性の体形をしたその戦士は、迷わず兜を脱いで満面の笑みを浮かべた。
「うわぁ……ラグだ、ラグだラグだ! 嘘ぉ、もう、ほんっと久しぶりぃっ! まさかこんなとこで会えるなんて、もう、うわぁ、やだもうっ、すっごい嬉しい………!」
「エ……エ、エ、エ………エヴァっ!!?」
「うんっ、そうだよラグっv うわぁ……もう、どうしようっ……ほんとに……ほんとに、こんなとこで会えるなんて、思わなかったぁ……v」
 指を突きつける自分に笑顔で瞳を潤ませてみせる自分の義妹――エヴァ・マッケンロイエルに、ラグは思わず全身からざーっと血の気を引かせた。

「……それしか、ねぇか」
 フォルデは小さく舌打ちすると、隠れていた木の枝を軽く蹴り、ひょいっと隣の家屋の天井へと移った。周囲の気配を探りつつ、常に人の視線の死角から死角へ、できる限り素早く移動する。
 目的地はサマンオサの王城。今までのように浅く早くではなく、できる限り精緻に情報を収集するのが目的だ。
 呪文で分断されてしまいはしたが、セオやロンがいるのだからおそらくはすぐにこちらの居場所は突き止めてくれるだろう。だがそれをただ待っているほどフォルデは間抜けではない。
 今回は確かに(腹の立つことに)自分(たち)は出し抜かれてしまったが、次からも簡単に出し抜けるなんぞと舐められてたまるか。そのためにも、王城に比較的楽に出入りできるフォルデは、自力でできる限りの情報を収集する必要があった。
 なので、とりあえずの目的は王城だ。他の拠点もありそうな気はするが、少なくとも王城になんの手がかりもないということはないだろう。隅から隅まで完璧に調べ上げて、こっちの手持ちの札を増やしてやる。
 幸い――と言っていいのかは知らないが、最後の鍵もまだ手元にある。魔法の結界やらなにやらが張られていても大丈夫なはずだ。王城の警備は厳重ではあるが、ほとんどの兵士どもにまるでやる気が見られないのだ、やろうと思えば白昼堂々とでも忍び込める。
 素早く屋根の上を駆け抜けて王城に近寄り、さてどうやって中に入るか、と考える。壁を乗り越えて進むこともできるが、まだ時刻は朝だ、陽の光の中でそんな風に侵入するのはさすがに目立つ。白昼堂々忍び込むのは確かにやってやれないことはないが(注意を別の方向に引きつけた瞬間に全力で壁を乗り越えるなりなんなり、やりようはいくらでもある)、それは簡単にできるということでもないので、気力体力の消耗を防ぐためにも、もう少し楽な方法で入りたかった。
 軽く周囲を見回す。と、折よくかなり大きな馬車がいくつも近づいてくるのに気づき、にやりと笑った。
 サマンオサの王城は街の中心の高台にある。つまりどの道もまっすぐ進めば王城にたどり着くわけだが、今のこの街の状況下で大きな馬車――それも食料を大量に積んだ馬車がいくつも並んで走っているとなれば、城に向かうものとしか考えられない。
 フォルデは気配を消してゆっくり進む馬車に近づき、ひゅっと一気に屋根から下りて、馬車の下に潜り込んだ。一瞬で小さな鉤を床下にひっかけ、手がかり足がかりを作る。それがあれば、王城の人が少ない場所に入るまで、床下に張りついているなんぞはっきり言って楽勝だ。
 果たして馬車は王城へと入り、食糧貯蔵庫へと向かった。何人もの人が次々集まってくるが、フォルデは気配を消したまま床下で耐える。
 が、荷運びを終えれば少しくらい休むだろう、という常識的な考えに反して、食料を運んできた人々は仕事を終えるとさっさと退出するつもりのようだった。あわただしく馬車に乗り込んで汗を拭き終えたばかりの馬をなだめ始めたので、口の中だけで舌打ちしてから人の気配が離れた一瞬を見計らって素早く馬車の外に出る。
 幸い、食糧貯蔵庫に残っていたのは馬車に乗ってきた連中ばかりのようだった。視界に入らないようにしながら、警戒しつつもすいすいと部屋の外に出て、本格的に探索を始める。
 サマンオサの王城には幸いと言うべきかなんというか、隠し部屋や隠し通路が多かった。誰が作ったのかは知らないが、いくつもの部屋を隠し通路から監視できるように作っているのだ。まずはそこから、とフォルデは衛兵たちの目を盗んで隠し通路に入り込み、まだきちんと調べていなかった部屋から総当たりで調べていく。
 厨房、湯殿、洗濯洗い場。衛兵詰め所、武器庫、訓練場。無駄口も懲罰の対象になるのか、喋っている人間がほとんどいない。そしてざっと調べてみた限りでは、書類等を隠しているところもない。衛兵詰め所には当然書類を集める場所はあったが、誰でも見られる場所に機密書類をしまうほど偽王の一味も馬鹿ではないだろう。夜に一度調べてみてもいいかもしれないが――
 と、考えながら忍び足で進んでいたフォルデは、思わず硬直した。声が聞こえたのだ。知っている――といっても、会ったことがあるのは数える程度、はっきり言って他人と言っていい、旅先で会った何百人という人間の中の一人でしかない――けれど、確かに知っている女の声が。
『ヴィンツェンツ……大丈夫? やっぱり、癒し手の方を呼んでいただいた方がよかったのではないかしら』
『お嬢さま、どうかおっしゃいますな。今は無理に動かず、機をうかがうことが肝要かと』
『ヴィンツェンツ……お願いだから、どうか無理はしないで。私のことは気にしないでいいのよ、本当に、私はもう自分でも驚くくらい長いこと生きることができたのだもの。もう充分、たとえいつ剣が私の心臓を貫いても、私はきっと満足して死んでいくことができるわ』
『なにをおっしゃいます。どうか……無事にここを出られることをお考えになってください』
『……ええ。ありがとう――』
 びっくりするほどか細く、鈴を振るようにきれいな声。きゃしゃで、脆く、今にも消えてしまいそうなのに妙に耳に響く澄んだ声。フォルデは思わずごくりと唾を呑み込み、そろそろと声の聞こえてきた部屋をのぞきこみ、知っている二人の他に誰も人がいないのを確認してから、そっと部屋の中へと入った。
「! あなたは――」
 目を見開いて驚きを表す銀髪の、驚くくらいに白い肌の少女に、フォルデは静かにするように、と合図をしてから小さく息をつき、言った。
「なんでお前がこんなとこにいんだよ。――ヴィスタリア」
 会うたびに自分に奇妙な印象を残す病弱な少女は、驚きながらも、いつものようににっこりと品よく微笑んで答えた。
「お会いできて嬉しいです、フォルデさん」

「……わっ!」
 飛び起きるような勢いで身を起こし、レウはばっばっ、と周囲をうかがう――だが目に入ってきたのは、サマンオサ(だと思う、たぶん)の街並みと足早に行き交う何人もの人影だけだった。さっきまで自分がいたはずの、解放軍の屋敷も、周りの人たちも、お姫様も、なによりセオやラグやロンやフォルデ――仲間たちも、一人も周りにはいない。
 思わず目を大きく見開いて、もう一度慎重に周りを見回すが、やはり見えるものは変わらない。恐怖と混乱でざーっと全身から血が引いていくのがわかったが、慌ててぶるぶると頭を振って自分に気合を入れた。
 なにうろたえてるんだ、バシルーラって呪文があるんだからこういうことがあるかもってとっくに教わってたじゃないか。こんなとこで負けてたら、セオにーちゃんたちが俺に教えてくれたことが無意味になっちゃんだぞ。
 そんなのは嫌だ。冗談じゃない。レウは基本的に負けるのは嫌いだが、それ以上に、なにより、絶対に、セオをはじめとした仲間たちが自分に与えてくれたものを活かせないなんていうのは、死んでも償えない不名誉だ、と感じていた(言語化して考えたわけではないが)。
 自分に広い世界と、命を懸けて護るに値する仲間を与えてくれたセオや、ラグや、ロンや、フォルデに恥じるような真似は絶対にできない。ちゃんとやれることやらないと、と気合を入れて、とりあえず歩き出した。
 基本的にバシルーラを受けた時はルイーダの酒場で待っているように、と教わっていたのだが、レウはなんとなく、今はそれはまずそうだと思っていた。なんだか、街の気配が前より少し騒がしくなっている。嵐の前と同じだ。たぶんこの街で、もうすぐなにか大変なことが起こる。少しでも離れたらそれを逃しかねない、と感じたのだ。
 だが、となるとこれからどうすればいいのか。歩きながらうんうん考えたが、正直あまりいい考えが思いつかない。仲間たちはどこにいるかわからないし、解放軍の人たちも同じだ。人を集められたらいいのだが、レウは人を集めるやり方も、街で大人の人からうまく情報を聞き出すやり方も知らない。
 うんうん唸って考える。それでもやっぱりいい考えは思いつかない。偽王を倒せばいいということだったら簡単だったのだが、セオはできればサマンオサの人々に偽王を倒させた方がいいと言っていた。となると、自分にできることは――
 あっ、とレウは思いついて手を打つ。そうだ、ラーの鏡を手に入れたらいいんじゃないだろうか。
 サマンオサの偽王が魔物の類だった時にはラーの鏡という道具を使う、と自分たちはあらかじめ決めていた。それがあればどんな魔法で化けていようと、あっさり正体をさらけ出させることができる、と。
 ならば今真っ先に手に入れるべきなのはラーの鏡だ。すでにラーの鏡が安置されていると思われる洞窟の場所は教えられている。もしかしたら、その途中で仲間たちと再会できるかもしれない。
 街中でも持ち歩くのが習慣になっている、背負い袋の中を確認する。燻製肉、乾燥させた野菜や果物などの保存食は用意してある。困った時のために袋内に忍ばせているゴールドもちゃんとある。野外で生きるために必要な火縄壺にランタンに油に薬草等々、洞窟を攻略する際に必要なロープやフック等々もちゃんと入っている。
 ラーの鏡の洞窟まで靴≠使えば徒歩で三日弱。水はゴールド金貨数枚で往復分が買えるはず。きちんと自分一人でも洞窟まで行って、戻ってこれるはずだ。
 よし、と気合を入れて、とりあえず水を手に入れようとレウは歩き出した。

 サマンオサ第一姫、マイーラ・ニムエンダジュ・トゥピナムバーははっと顔を上げた。さっき、自分の視界は、真っ白な光で埋め尽くされた、ような。
 だが今自分に見えているのは、広い青空だ。サマンオサの秋の空は、ひたすらに高く、蒼い。その鮮やかな蒼がマイーラの視界を埋め尽くし、胸の内にすぅっと風を通してくれる。
 いや、だが、おかしい。自分はさっき、サマンオサ解放軍の会議室までやってきて、勇者を平手打ちして、それから――
 そこまで思考が至った時に、今の自分の状況に気づき、マイーラは仰天した。自分は今、横抱きにされている。力強い腕で。おそらくは男に。
 おそるおそる視線をずらし、自分を抱いている男の顔を見る。そこにあったのは、黒い髪に蒼い瞳の、琥珀色の肌をしたまだ少年とすら呼べそうな顔――アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートルの顔だった。
「きゃあっ!」
 仰天して悲鳴を上げながら平手打ちを放ってしまったが、勇者セオはすいと首を動かしてあっさりと避けた。そして静かな口調で告げてくる。
「大丈夫ですか。マイーラ姫殿下」
「な、な、な、なにを……あなたは、いったい、私になにをしているの!」
「強制転移の魔道具が発動したので、なんとかその力を減衰できないかと直接御衣に触れて魔力結界を張ろうとしてみたんです。まるで役には立ちませんでしたが、ならば少なくともマイーラ姫と一緒に転移できるようにした方がいい、と思って。バシルーラの類は、強制転移の瞬間に体が密着していれば、同じ場所に転移させられることが多いですから」
「っ……」
 理路整然と説明されて、マイーラはぐっと言葉に詰まった。が、少なくとも、彼が自分を護ろうとしてくれたのは確かだろう、とこっそり唇を噛みながら威厳を保ちつつ告げる。
「それは礼を言っておきます。ですが、そろそろ下ろしていただけませんか。私は殿方に軽々しく抱き上げられるのをよしとするような育ちをしてはおりませんので」
「……はい。ごめんなさい」
 セオはそっとマイーラを地面に下ろす。地面? と一瞬混乱し、周囲を見渡して仰天した。自分たちが立っていたのは、王都サマンオサの中でも外れに位置する、貧民窟のような場所だったのだ。
 ただ、貧民と呼ばれるような人々は国王――この勇者たちが主張するには偽王なのだそうだが、とにかくその男がやった人狩りで真っ先に狩られたので、貧民窟にはほとんど人が残っていない。なので、本来なら吐瀉物などですえた臭いを発しているだろうこの場所は、人の匂いがほとんどしないほど生気が涸れていた。
「ここ、は……」
「貧民窟、だと思います。人はほとんどいませんけれど。あの強制転移呪文は俺たちを分断する意図があったのか、俺たち以外にここに転移させられた人はいないようです」
「……そう」
 唇を噛みながら考える。これから、自分はどうすればいいのだろう。少なくとも近くに解放軍の人々がいないのは確かなようだが。
 自分のドレスに仕掛けられた強制転移呪文というのがどれほど強力なものだったかはわからないが、解放軍の人々にもかけられたのだとしたらこれは大変なことだ。解放軍には賞金が懸けられている人材がごろごろいる、下手をすれば解放軍そのものが崩壊しかねない。
 それが自分の行動のせいだ、と思うと焦燥感でいてもたってもいられない気分になるが、今はそんなことを言っている場合ではない。行動しなければ。
 もしレチーシアが本当に間諜なのだとすれば、城に戻るわけにはいかない。それともむしろ戻って少しでも情報を引き出すべきだろうか。いやだめだ、ここまでした以上おそらく向こうはもう本格的に解放軍を討伐するつもりのはず。自分が戻ればこれ幸いと人質に取るなり見せしめとして殺すなりするだろう。命を惜しむわけではないが、サマンオサの王位を継ぐべく育てられた者として、無駄死には許されないことをマイーラは誰よりよく知っているつもりだった。
 と、なれば、街中でばらばらになった解放軍の面々を集めるのが一番いいだろうと思う、のだが。今のマイーラの格好でははっきり言って目立ちすぎる。解放軍の拠点へは目立たない馬車(これもレチーシアが手配してくれたのだ)を使ってこっそりやってきたので、街中を歩きはしなかったものの、それでも今のサマンオサで、(普段着として使っているごく簡素なものとはいえ)ドレスを着た女が街中を歩いていれば目立つというのはマイーラにもわかる。
 それにマイーラの顔を知っている者もいるだろう。マイーラの情報を城に知らせ、明日のパンを買う金を得ようとする者も、悲しいことではあるがいないと断言はできない。
 つまり、自分は、アリアハンの勇者セオ・レイリンバートルに頼り、願い、なんとか自分の安全確保と解放軍の人々の救助を行ってもらわなければならない、というわけだ。
 思わずまた唇を噛み締める。こんな状況であろうとも、アリアハンの勇者に頼るのは正直、屈辱感すら覚えた。
 だが、自分に選択の余地はない。マイーラはサマンオサの国民のためにできることを全力でやると誓った身だ、自分の感情などは後回しにしなければならない。おそらくは勇者セオは自分に相当反感を持っているだろうが(突然やってきて平手打ちをするような女なのだから当然だ。だがマイーラはそれでも、勇者セオの怠慢のせいで死んでいった人々がいたことを知らせずにはいられなかった)、それこそ頭を地面に擦りつけてでも勇者セオを動かさなければならない、と決意して、勇者セオに向き直る。
「勇者殿。ぶしつけですが、お願いしたいことが――………、なにをなさっているのですか?」
 勇者セオは、袋から(どう見てもそんなものが入りそうな大きさはしていないのに)木材と、大工道具を取り出していたのだ。そして木材を素早く、手馴れた仕草で割り裂き、組み合わせ、大工道具で打ち止める。それはどう見ても、背負子を作っているようにしか見えなかった。
「背負子を、作っています」
「それは……見れば、わかります。私はなぜ、こんな時に背負子を作っているのか、とお聞きしているのです」
「あった方がいい、と思ったので。マイーラ姫殿下は俺に触れられるのはお嫌でしょうし、戦う時も両手が自由だった方が、選択肢が増えるので」
「は……?」
 マイーラは勇者セオの言ったことをしばし考えて、仰天した。
「私をその背負子に乗せていく、というのですか!?」
「はい。それが一番安全だと思うので」
「なにを馬鹿な……! 私は赤ん坊ではありません、一人で歩けます!」
「それはそうだと思いますけれど、マイーラ姫殿下は靴≠ヘお持ちでないでしょう?」
「靴=c…?」
「今の正式名称は、ヘルマの靴79-23≠ニ言ったと思います。履いた者の足を高速で、かつ効率よく動かす魔道具です。これがあれば相当離れた場所にある洞窟でも、数日もかからず往復できると思います」
「……あなたはどこに行くつもりなのですか。解放軍がこのような状況の時に、逃げ出すと!?」
「逃げ出す、というか。ラーの鏡を取ってこようと思うので」
「!? なぜあなたがサマンオサの国宝の名前を!」
「ロンさん――俺の仲間の、賢者の方から教わりました。安置されている祠の場所も。どんな虚飾も剥がし、映った者の真の姿を表す神具なのだということも」
「……あなた方は今玉座に就いている国王が、偽物だと言ったそうですが。それを示そう、というのですか?」
「はい」
「解放軍はどうするのです! 別々に転移させられてしまったのだとしたら、一刻も早く構成員の方々を集め、一人でも多く救わなければ」
「それも考えましたが、それでは全員を救うのは難しいと思ったので」
「……は?」
 勇者セオはてきぱきと、手馴れた動作で背負子を作りながら淡々と言う。
「マイーラ姫殿下のお召し物に魔道具を仕込んできた以上、偽王は本格的に解放軍を潰そうとしてくるのは確かだと思います。強制転移呪文の強度からして街の外まで転移させることはできないでしょうが、少なくとも街中に兵士を巡回させて見つけた人を捕えるぐらいのことはするはず。捕えられた人たちは、その場で斬り殺される可能性もそれなりにありますが、王城での処置を見る限り、偽王はできるだけ苦しみや恐怖を長引かせるために、一度は牢に捕える可能性が高い、と考えられます」
「そ、れは……そうかも、しれませんが」
「牢に捕えるだけならまだ時間の余裕はありますが、偽王の性格を鑑みるに、解放軍でも中枢に近い何人か、または末端の人間の何人かは早晩に見せしめとして処刑される可能性が高いと思われます。偽王にとっては折よく、三日後には当代の陛下の即位記念日がありますから」
「! それに合わせて処刑をする、と!?」
「偽王の性格からしてそうしたがるのではないか、と考えただけですが。ならば、俺のできることはその時までに偽王の正体を暴き、無力化することぐらいしかないと思うので。街中での情報収集能力がさして高いわけでもない俺には、その程度しかお役に立てることが思いつかなくて。申し訳ありません」
「っ……」
 淡々とした顔で頭を下げられて、マイーラはぐっと唇を噛んだ。この扱い、子供扱いどころか、ひどく馬鹿にされているとしか思えない。
 だが、勇者セオの言っていることは、確かに間違ってはいない。街を駆けまわって解放軍の面々を一人一人助けるよりも、それが一番問題を早く解決する方法だろう。
 もちろん実行できればの話だが、彼は勇者なのだからそのくらいはできるのだろう。英雄サイモンも『勇者のもっとも効率のよい力の使い方は、敵陣に乗り込み敵の頭を押さえることです』と言っていた。
 だが、しかしだ。
「なぜそれに私が同行する必要があるのですか。私はこの街で一人でも多くの民を救うべく尽力したいと考えているのです。あなたに同行する必要も意味もありません」
「はい。もちろん無理強いはできないですけど、俺はマイーラ姫殿下も俺に同行してくださった方が効率がいい、と考えています」
「効率? なぜ」
「ラーの鏡を安置した場所について、俺たちは場所くらいのことしか知りません。イシスでの文献調査でしか情報が得られなかったので、そこにどんな魔法的、あるいは機械的な仕掛けがあるかといったことはまるで知らないんです。この国の第一王位継承者であるマイーラ姫殿下ならば、そういった情報をご存じではないか、と思ったので」
「……それは、そうですが」
 ラーの鏡の祠について、マイーラもすでに大半のことは教わっている。ラーの鏡に触れることができるのはサマンオサの王家の人間だけだ、ということもだ。ならばマイーラが行った方が簡単にラーの鏡が手に入るのは確かだとは思うが、しかし。
「そして、マイーラ姫殿下の安全のためにも、そちらの方がいいと思ったので」
「私の安全?」
「はい。マイーラ姫殿下の御衣に魔道具を仕込んだということは、マイーラ姫殿下の安全に配慮する必要性を偽王が認めなくなったということに他なりません。つまり、マイーラ姫殿下にとって、サマンオサは安全な場所ではなくなったということになります。護衛する人間がいればともかく、マイーラ姫殿下をここで一人残していくのは、それこそ命の危険が伴います。なので、俺と一緒に来ていただくのが一番いいのではないかと思ったので、来ていただける時のために背負子を作っていました」
「……それは、わかりましたが、だからといって」
 背負子、とは。まるで自分が子供か老婆になったようではないか。
 そう思いつつもその気持ちをそのまま口に出してはそれこそ子供のわがままのようなので逡巡していると、勇者セオは手を休めずに背負子を作り続けながらまったく揺るがない淡々とした口調で告げた。
「マイーラ姫殿下は、どうなさいますか?」
「……は?」
 マイーラは思わずぽかん、とした。さっきまでの長広舌は、なんだったのだ?
「……あの。あなたはさっき、私があなたについていくのが一番効率がいい、と言っていませんでしたか?」
「はい。一番効率がいいと考えている、と言いました」
「では、なぜそんなことを言うのです。私があなたについていかなければ、あなたは困ったことになるのではありませんか?」
「はい。多分、なると思います。でも、それとマイーラ姫殿下がどう行動なさりたいかは、別のことですから」
「……私がどう行動するかに関しては、私の意志を優先すると?」
「はい。俺がどう考えているかと、マイーラ姫殿下がどう行動なさるかは、まったく別のことですから」
「……では、なぜ背負子を作っているのです。無駄になるかもしれないというのに」
「俺はどんなものも九十九個までは収められる袋の魔道具を持っているので、荷物にはなりません。木材の類はこういうことがあった時のために用意しておいたものですから、使っても無駄ということにはならないと思います。俺は、背負子に使う木材と釘の無駄よりも、マイーラ姫殿下がお考えになっている間の時間を無駄にする方が、今の場合よほど悪い、と思ったので」
「…………」
 マイーラは困惑して勇者セオを見つめた。なんなのだろう、この勇者は。
 英雄サイモンとは、あの力強く凛として常に前を見つめていたまさに英雄と呼ぶべき勇者とは、まったく違う。なにか根本的なところが違っている。それを自国の勇者の素晴らしいがゆえと考えて、ただ誇らしい気持ちに浸れるほど、次期王位継承者として受けた教育は単純なものではなかった。
 なんなのだろう、本当になんなのだろう――と考えながらじっと見つめていると、勇者セオがくるりとこちらを向いた。背負子を作り終えたのだろう、大工道具はもうしまい終えている。
「マイーラ姫殿下は、どうなさいますか?」
 もう一度くり返される言葉にどう答えるか。まるで自身の魂すら試されているような気になって、マイーラは一瞬、深く息を吸い込んだ。

「………ッ!」
 ガルファンははっと跳ね起きて、目を見開いた。さっきまで屋敷の隅に座していたはずなのに、今自分が立っているのは、サマンオサ南街門前の大通りだ。
 仰天し、混乱して周囲を見回す。が、当然ながら手がかりらしきものはなにもない。なんなんだこれはいったい、とどれだけ周囲を見回しても、見えるのはいつもと同じ、大通りだというのに人のほとんどいない、開いている店もほとんどない、閑散とした光景だけだ。
 これは、いったい。自分はいったいどうしてしまったと――
「あ! あんた!」
 と、唐突に声がかけられた。高く澄んでいるが女の声とは明らかに違う、幼さすら感じられる少年の声。
 あの勇者の仲間の子供の声だ、と気づいて仰天し、ばっと声のした方を向く。とたん、自分の目の前まであっという間にあのレウとか名乗っていた子供が目にも止まらぬ速さですっ飛んできて、驚きに目を見開いた顔で立ち止まる。
「あんた、確かガルファンとか言ったよな!? ここにいるってことは、あんたも飛ばされたのか!?」
「……なに? 飛ばされた?」
「え、知らないの? お姫さまが来た時にさ、なんか着てた服にバシルーラみたいな呪文使う魔道具が仕込まれてたみたいで、ばーって光ったら俺みんなと別の場所に飛ばされちゃってたんだ。あんたも飛ばされたの?」
「……そうなる、ようだな」
「そっかー、じゃあやっぱりあの屋敷に戻ってもなんにもなんないよな。会議室にいなかったあんたも別の場所に飛ばされちゃってんだから、残ってる人たちとか、たぶんいないもんな」
「……他の連中と連絡を取る方法はないのか、お前は」
「うん。連絡用の魔道具って固定型じゃないとすぐ壊れるしちゃんと動かないっていうから買ってないんだ、俺たち。同じ街中ならロンとかセオにーちゃんなら探知呪文ですぐ見つけられるし、もしバシルーラとかでとんでもない場所に飛ばされたらアリアハンのルイーダの酒場に集合すること、って決まってるし」
「……なら、じっとしてればいいんじゃないのか。勇者さまとその仲間なら、簡単に見つけてくれるんだろう」
「んー、普段ならそうなんだけど……なんか、そうもいかなそうな感じなんだよな。空気がちょっと、変な感じっていうか……たぶんだけど、そういう呪文がちゃんと働かないような、結界みたいなのが張られてるみたいなんだ」
「……つまり、勇者さまたちに会うためには、人力で探すなり見つけられるなりしなきゃならない、ってわけか」
「うん。だから、俺これからラーの鏡探しに行くところなんだ」
「なに……ラーの鏡?」
 思わず顔をしかめるガルファンに気づきもせず(それとも気づいても気にしていないのか)、レウは元気よくうなずく。
「うん! 国王が魔物だったら、俺たち最初からラーの鏡を取りに行くつもりだったから、途中で合流できるかも、って!」
 ガルファンは思わず息を吐く。こんな場所でそんなことをこんな大声で口にするなんぞ、なにを考えているのか、こいつは。
 いや、なにも考えてはいないのだろう。なにせ、考える必要などないほど、こいつは強いのだから。勇者の仲間として、人をはるかに超える力をとうに手に入れているのだから。
「……そうか。じゃあな」
 あっさり言って背を向けると、レウはきょとんとした声で訊ねてくる。
「? どこ行くの?」
「どこでもいいだろう」
「よくねーよ、運よく一緒になったんだからさ、他の人たちと合流するまで一緒にいるのが普通だろ?」
「……お前と一緒にいるのはごめんだ、と言っているんだ」
 苛立ちを込めてはっきり言うと、レウはますますきょとんとした声で問い返してくる。
「えぇ? なんで? 俺あんたになんかした?」
「………っ」
 ぐ、と奥歯を噛みしめて、レウを無視して歩を進める。だがレウは自分のすぐ後ろにぴったりついてきて、心底不思議そうな声をかけてくる。
「なぁなぁ、なんかしたなら言えって、謝るからさー。言ってくんないとわかんないってば。もう大人なんだから、思ってることはちゃんと口に出して言えよなー」
「…………っ! ついてくるな!」
「んなこと言われたって、そんな風に言われたら気になっちゃうじゃん。ガキじゃねーんだから、言うだけ言ってあと無視、みたいなことやめろよ。相手にしつれーだろー?」
「っ……貴様にそんなことを言われる筋合いはない!」
「そんなことって?」
「……っ、失礼だのなんだの、だ! どう考えても貴様の方がはるかに失礼だろう!」
「だから、どこがだよ。そういうこと言うならどこが嫌だ、ってちゃんと言えって。駄々っ子じゃねーんだからさー」
「…………………っ!」
 耐えきれず、ガルファンは足を止めて振り向き、その勢いのまま腹の底にわだかまる激情をぶつけた。こんな子供に、しかもこんな風に挑発された末に言うなどみっともないとわかってはいたのだが、どうしても耐えられなかったのだ。
「貴様は俺を負かしただろう! 剣の勝負で、容赦なく! そんな相手にどうやって接しろというんだ! へらへらと笑いながらお仲間に加えてくださいと頭を下げろというのか!?」
「へ? ……えっと、それってさ。つまり、俺があんたに勝ったのがムカつくから、一緒にいるのいやだ、ってこと?」
 きょとんとした顔で真正面から言われ、ガルファンはぐっと奥歯を噛み締める。確かに、その通りだ。言ってしまえばそれだけのことだ。
 理屈から言えば間違っているのは自分の方だ。あの勝負は勝負自体は公平なものだった。だというのに勝手に恨みを抱いて、こんな子供とまともに接することもできないなど、大人げないとしか言いようのないことになるのだろう。
 だが、それでも。絶対にガルファンはあの結果を受け容れるわけにはいかない。受け容れてたまるか。自分がなにを感じ、なにを考えてこれまで必死に鍛錬を積み重ねてきたのかも知らず、なんの苦労もなく勇者の仲間として力を与えられたというだけの理由で、あっさりと、簡単に人を超える力を手に入れた相手なぞ、死んでも受け容れてたまるものか。
 そんな腹の底に渦巻く感情を載せ、ぎっ、と渾身の力を込めてレウを睨みつける――が、レウはそんな自分の気迫など気づいてもいません、という顔で首を傾げ、言ってのけた。
「じゃあさ、あんたはどうやったら俺と一緒にいてもよくなる?」
「………は?」
「は? じゃなくてさ。どうなったら俺と一緒にいてもいいかな、って思えるようになるか教えてくれよ」
「……なんでお前がそんなことを気にする。お前はこれからラーの鏡を取りに行くんだろう、俺は俺でやることがあるんだ、お前と一緒にいる必然性なんぞかけらもないんだぞ」
 苛立ちと共に言い放つ。勇者の仲間だからといって、自分までが勇者として扱われるなぞと思ったら大間違いだ。勇者というのは圧倒的な威をもって世界を救う者、お前のような子供などが及ぶところじゃない、と憎悪すら込めて。
 が、レウはあくまで平然とした顔で、少し首を傾げて言ってきた。
「だって、あんたすごく苦しそうじゃんか。放っとくわけにもいかねーだろ?」
「………ッ!!」
 ギッ、と今度は殺意すら込めてレウを睨みつける。ふざけるな。ふざけるなよ、貴様。
 貴様のようなガキが。苦労知らずのガキが。たまたま勇者の仲間になれただけの運のいいガキが。たったそれだけで人でなしの力を手に入れたくそったれな化け物が。
 俺を助けてくださる、というのか。上の立場から俺にお恵みを下さる、と。弱い立場の人間は黙ってそれを受け取っていればいい、と。
 冗談じゃない――そんなもの、死んでも絶対に、受け取ってたまるものか………!
「きさ」
「そこの二人! ちょっとこっちに来い!」
「!」
 かけられた声に、ガルファンはばっと振り向いて舌打ちする。自分たちの周囲を、武器を構え揃いの軍服を着た男たち――憲兵隊が囲んでいた。
 憲兵隊は以前からあった組織ではあるが、三年ほど前から極端にその数と行使できる権力が増加してきた組織でもあった。当然ながら自分たち解放軍からすれば不倶戴天の敵であり、同時に真正面から戦っては勝ち目がない、と認められている組織でもあったのだ。その厳しい訓練で鍛えられた統制のとれた行動と、国家の圧倒的な資金力による強力な装備は、さして訓練を積んでいるわけでもない解放軍の面々などあっさり一網打尽にしてしまう。
 むろんガルファンはそんな連中と十把一絡げにされるほど弱いわけではないが、今自分たちを取り囲んでいる連中は二隊以上、最低でも十二人はいる。さすがにそれほどの人数を全員斬り倒せるほど、人間離れした実力を持っているわけではない。なので、小さく舌打ちしてレウに囁いた。
「おい。俺は逃げるぞ」
 だからお前は勝手にしろ、と言うつもりだった。少なくともこの後一緒に行動する必然性など、この子供との間にはひとつも存在していない、と思っていたからだ。
 が、レウはこっくりと、真剣な顔でうなずいて答えた。
「うん、わかった!」
「………そうか、なら、ぁ? ぁあ? ぁあぁぁああ!?」
 レウはうなずいた後、ひょいと自分を担ぎ上げた。どこからどう見ても大の男、それも平均より相当逞しいであろう自分を、自分より一尺以上背の低い、体重もはるかに軽いだろう少年が、自分をまるで軽い荷物かなにかでもあるかのようにあっさりと持ち上げたのだ。
「ちょ、おい、待、ま、まあぁぁああぁあ!?」
「喋ってると舌噛むぜっ!」
 そしてそのまま走り出す。普通に考えて自分の体が邪魔をしてろくに前など見えないだろうに、自分の体などまるで障害にならないかのように、すさまじい速さで。
 のみならず憲兵隊の振り下ろす武器と、体を張って作った壁をひょいひょいと避け、場合によってはたんたんと軽く地面を蹴って民家の屋根まで飛び上がり、囲みをごくあっさりと突破し――そしてそのまま、南門の外へととんでもない早さで走り出したのだ。
「………っ、………ッ、…………っ!!」
「ちょっと待っててくれよな、あいつらが追ってこないようにちょっと距離稼ぐから!」
 そう言ってレウは――このくそったれなクソガキは、自分をまるでごくごく軽い荷物のように捧げ持ちながら、街の外――ラーの鏡を奉納した祠へ向かう道を、煙すら立ち昇るだろう勢いで走り出したのだ。

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