サマンオサ〜アリアハン――8
「ジンロン殿はまだお戻りにならぬのか!?」
「せめて連絡方法ぐらいは確保してから別れてくださればよいものを……!」
「いや、それは結界が張られている以上どうしようもないことであろうが……結界の基点がどこの誰かということくらいは教えておいていただくべきであろうに!」
「シンフォンインミン殿、これはあなたのしくじりですぞ!」
「………はい」
 激しく言葉が飛び交う会議室(といっても、自分たちが寝起きしている屋敷の一室をそう使っているだけにすぎないのだが)で、インミンは言葉少なに叱責を受け容れ、頭を下げた。自分がロンの見つけた基点の所在や人相を聞いておくことを思いつかなかったのが事実である以上、それを責められれば反論はできない。
 ただ、それはロンがなにも言わなかった以上、自分たちがその件についてできることはないということだと理解していたがゆえのことではあったが。自分たちが動いてどうにかなることならば、ロンは絶対に自分たちにあれこれと指示を出していただろう。そちらへの対処を任せられるならばそれだけ他の事案へ対処できる時間が増える。結界の破壊はロンの目論みからすればごく初期段階の一手だ、大切なもののためにはなりふり構わないあの人は、自分たちが役立つのならば、遠慮なしにこき使ったに違いない。
 だからといって、こちらに対して気遣いを見せてはくれなかっただろうが。あの人は好きな相手のためには苦労も苦難も自ら買って出るが、嫌いな相手には指一本動かすのも厭う人だ。自分がこの一行にいる以上、できる限りこちらには不親切に対応しようとするに違いない。
 それは、自分が嫌いなせいで、というよりは、こちらにロンを嫌わせるために、という方が大きいのだろうが。
「どうします。サマンオサ国府からの伝令はもはや街中に行きわたっておりますぞ。衛兵に追い立てられて、首都サマンオサ中の市民が王城前広場に集められている。これは明らかにただごとではありません」
「然り。これまでに国民を苦しめてきた総決算に似つかわしきことが行われると考えるのが妥当でありましょう」
「それを放っておくわけにはまいりますまい。して、どう動くか………」
 議場の者たちの視線が首座――この調査隊の頭という立場にある賢者に向けられた(首座というのは本来修行僧の中の第一席、という意味なのだが、こういったダーマの使節隊では、一行の取りまとめ役となる主任者を首座と呼ぶ慣例がある)。こういった国家の威信に関わる事例の調査には、少なくとも一人賢者が付くのが慣例だ。ダーマの豊富な人的資源の基である賢者という職に就いている人間は現在百五十を超す。そのくらいは可能であったし、しなければならないことでもあった。
 賢者となってからすでに四十年を越える、御年八十五歳の賢者サゴンオハクは、視線を浴びながらもしばし瞑目していたが、やがてゆっくりと目を見開いて告げる。
「ジンロンが戻らなかったとしても、我らの為すべきことは変わらぬ。そも、曲がりなりにも勇者の仲間が結界の基点を排除してくると宣言して未だそれが果たせておらぬということは、予想以上の障害が在ったがゆえと考えて、まず間違いなかろう。何人かが付き従っていったところでさして意味もなかったであろうよ。ならばそちらはジンロンに任せ、我らは本来の責務を果たすにしくはあるまい」
「本来の責務……と、申されますと?」
「むろん、無辜の民の命を、一人でも多く救うことよ」
 は、と何人かが目を見開くが、オハクは気に留めた風もなく続けた。
「我ら調査隊一隊で、国軍と真正面から争うことはできぬ。ならばここは、堕ちかけたとはいえ勇者の一行が運よく同じ都市にいるのだ、働きに期待させてもらうのが筋であろうよ。偽王に率いられたサマンオサ国府が残虐無類の斧を振るうならば、傷つけられた者たちに癒しの手を施すのがダーマの役目。――第二班、第四班、第五班はこの館で治療と看護の準備をしつつ待機。第一斑と第三班は集められるサマンオサ国民に追走し、結界が解除され次第傷ついた者にバシルーラ、ないしルーラをかけてこの館まで飛ばせ。結界が解除された機はこちらから告げる」
『……………!』
 神官たちの何割かが、声にならない悲鳴を上げる。それはそうだろう、神官といっても実戦部隊である三応寮の人間以外はまともに魔物と戦ったこともない神官が大半なのだから。そもそも神官というのは戦うための職業ではない。命の危険を犯せと言われて、はいそうですかと受け容れられる神官の方が少数派だ。
 そんなことを他人事のように考えながら、インミンは手を挙げた。
「サゴンオハク師。私も追走する班に加わってもよろしいでしょうか」
 ざわり、と周囲の人々がざわめく。
「……シンフォンインミン。なにゆえその道を望む」
「私は三応寮に属する人間ゆえ、ある程度の実戦経験があります。そしてバシルーラの呪文も使用できる。バシルーラの呪文が使える神官はけして多くはありません、一人でもそちらに加わった方がより多くの民を助けられると考えたがゆえです」
「なるほど……道理だ」
 ゆっくりとオハクはうなずいて、淡々とした声で告げた。
「許す。シンフォンインミンよ、救出部隊に加わって一人でも多くの民を助ける救い手となるがよい」
「はい、ありがとうございます」
 深々と頭を下げるインミンに、議場の者たちがどよめくのがわかった。インミンは大神官シンフォンウェイビの孫だ、できるだけ危険な目に遭わせるべきではないと考える権力主義から抜け出せていない神官はそれなりにいるし、まだ若い女であるインミンは安全な場所に隠れているべきと考える男権誇示主義の影響から抜け出せていない者もやはりそれなりにいるからだ。
 だが、インミンにとってはそんなことはどうでもいいことだった。『もうやめた』と言い出す機会はこれまでに何度もあった。あの人がダーマを去った時、あの人が勇者の仲間になったと知った時、あの人が賢者になった時。
 それでも自分はやめなかった。あの人に振り向いてほしい。あの人に好かれないまでも、嫌われたくない、軽蔑されたくない。ただそれだけの想いを胸に、あの人に胸を張って相対できる人間になるべく、走り続けてきた。
 そして、それが習い性となるほどずっと、走り、戦い続けてきた今、自分はそれだけのことをしてきた自分が好きだと、必死に頑張り続けることが楽しいと、腹の底から言える。
 たとえ悟りの道に未だ遠かろうとも、その想いに、自分のこれまでの人生に嘘はない。そう素直に思えるから、インミンは、周囲の視線など歯牙にもかけず、毅然と顔を上げて歩み始めた。

「おい! なにをのろのろ歩いている!」
「っ……」
 自分に向けられた鋭い声に、エヴァは一瞬びくりとして、しぶしぶ、のろのろと声の方を向く。声の主である自分の隊の隊長らしい戦士は、鋭く厳しい声で自分を怒鳴りつけた。
「とっとと自分に割り当てられた場所に急げ。この程度の仕事もこなせないようなら、お前の分の俸給は払われんと思えよ!」
「………はぁい………」
 エヴァはしぶしぶ、嫌そうに、心底鬱陶しげに返事をして、形ばかり歩みを早める。それに隊長は大きく舌打ちして苛立たしげに別の場所へと走っていった。
 はぁ、とエヴァはため息をつき、また歩みの早さをのろのろとしたものに変える。今自分たちが命じられているのは監視任務だった。現在、サマンオサの衛兵たちは、王都中の国民を王城前広場に狩りたて、集めている。これはただごとではない、と上の方の人が考えて、自分たち下っ端にそれを見張るように言いつけたというわけだ。
 だが、エヴァは、正直そんなことなどどうでもよかった。自分に関係のあることだとはとても思えなかった。よしんば関係があったとしても、今自分がこの上なく不幸で辛い感情に押し潰されそうになっているのに、どうして他の人を助けなくてはならないのか。自分が今誰より助けを欲しているのに、どうして誰かを助けようと思えるのか。
 そう思うことが悪いことだとは、エヴァにはまるで思えなかった。自分はこれまで、ずっとずっと必死に頑張ってきた。やりたくもない戦士の修業を懸命になってこなして、傭兵ギルドから与えられる血生臭い任務を必死に果たし、ほとんどが暑苦しく汗臭い傭兵たちの中で必死になって生き抜いてきて――それはすべて、好きな男に振り向いてもらうためなのに。
 それなのに自分は、まるでなにも報われていない。自分の好きな男は、まるで一緒にいてくれないし、少しも優しくしてくれない。助けてくれない、甘えさせてくれない。自分が、まだ年若い乙女の自分が、これだけ必死に頑張って気を惹こうとしているのに。
 そんな不公平を何度も何度も味わわされている、この世で一番と言いたくなるくらい不幸な自分が、なぜ他の人間を助けるために死にもの狂いにならなくてはならないのか。そんなのあまりにひどすぎる。これだけ頑張った自分には、もっとご褒美が与えられていいはずなのに。そんなのは、絶対に許されないことのはずなのに。
 なんで、ラグは、あたしのことを。
 ――と、不意にがづっ、とエヴァの後頭部に衝撃が走った。
「…………!!?」
「女一人か。他には?」
「とりあえず周りにはいそうもねぇな。さっさと集会所へ連れていこうぜ」
 強い衝撃でまともに立つこともできない自分を無視して、自分を取り囲んだ衛兵たちは二言三言話すと、「ほら立て!」と無理やり自分を引きずる。離して、と口に出すこともできずに必死に暴れようとするが、舌打ちをされて槍を振り上げられたのに仰天して思わず硬直した。
 エヴァはこれまで、人間相手の仕事を請け負ったことがなかった。今は魔王の出現のせいで魔物相手の仕事が圧倒的に多かったからだ。山賊だの盗賊だのはよほど実力がなければやりようがない割りが悪すぎる仕事だ。なにしろ街の外に一歩出ればいつ魔物が出てもおかしくない状況なのだから。
 なので、もう数年傭兵の仕事をしているのに、エヴァは人間と真剣勝負をしたことが一度もなかった。自分に、人間の女に、当然のように武器を振るえる人間がいる。痛みよりも先に、そんな相手が目の前にいるという事実に、底知れない恐怖を覚えて体が固まった。
 衛兵たちはまともに立つこともできない自分に舌打ちし、腕を引っ張って自分を引きずろうとする。その痛みに声を上げれば、また舌打ちして武器を振るおうとする。ひ、と思わず声を上げて、後頭部への衝撃もあり、まともに立つこともできない体を必死に動かして、自分を引きずる衛兵の後に続いた。
 なんで。なんで、なんでなんで、こんなことに。自分はただ、好きな人に振り向いてほしいだけなのに。自分を助けてくれた王子さまに、ただ一人のお姫さまとして扱ってほしかっただけなのに。
 助けて、ラグ。助けて。お願い。助けてくれるでしょう。助けてくれなければおかしいでしょう。自分はこれまであなたのために、あんなに、あんなに頑張ったのに。爪を割り、手にタコを作り、時には血を吐き、体に傷を作りながらも、必死に振り向いてもらえるよう努力したのに。
 それなのになんで、まるでなにひとつ報われずに、こんなところで殺されなくちゃならないの。そんなのひどいでしょう。おかしいと思うでしょう。だったら私を助けて、救い出して、優しくして、お姫さまみたいに甘やかして!
 そうじゃなくちゃおかしいでしょう、私はラグが好きなんだから!
 必死に祈りながらも、口元から自然に嗚咽が漏れる。それが、空しい祈りだと知っていたからだ。
 助けが来ることなんてないと――自分があの時ラグに救われたのは、たまたまの幸運だったのだと、これまでの傭兵生活で、嫌になるほど思い知らされてしまっていたからだ。

 将軍の執務室から中庭――将軍旗下の兵士たちが揃って整列している場所へと、数人の側近を従えながら堂々とした足取りで進むヴィトール将軍へと、ムーサは小走りになって後ろから近付いた。一瞬側近が反応しかかるが、ヴィトール将軍はそれを抑え、歩みを止めないままにこちらに視線を向ける。
「どうした」
「は。エヴァが国軍の兵士に囚われました」
 その言葉に、ヴィトール将軍は忌々しげに眉を寄せた。
「どういうことだ。あの小娘に関してはお前が面倒を見るということではなかったのか」
「はい。ですがどうやら国軍の兵士の巡回路が予想よりずれていたらしく、班がエヴァを任せていた分動きが遅れ気味になっていたところに加え、エヴァ自身が班から遅れがちになっていたようで、はぐれたところに出くわしてしまったということで。私もラグディオの見張りをするのに手を取られ、そちらにまで手が回りませんでした。申し訳ありません」
「ちっ……戦士たる気概の持ち合わせもない小娘が、足を引っ張りおって。……ラグディオにはこのことは?」
「伝えておりません。知る機会もありません。エヴァの班とはもともと今日は移動路が異なっていますし、戻ってきてからは個室で待機をさせていますので。……自分としては、今はむしろ知られた方がいいのではないかと思うのですが」
「馬鹿を言うな。我々が今よりやろうとしているのは教育だ、殲滅ではない。勇者の仲間に張りきられて目立たれても困る、奴に期待しているのはあくまで勇者に対する説得だ」
「ですが、目撃情報によれば、勇者セオは王女と共に三日前に王都を出たということですし」
「まぁ、情報通り、ラーの鏡を安置した洞窟に向かったというのなら今から戻ってくるのは難しかろうが、勇者の力でなにか反則技をされんとも限らん。偽王が先に動いてくれたとはいえ、最大の問題への対策は用意しておくのが当然だ。お前はラグディオのそばにつき、情報封鎖を行え」
「はっ」
 一礼して引き下がるムーサにもはや目も向けず、ヴィトール将軍は歩み去った。堂々と、勇ましく、誇り高く、いわゆる戦士らしい¢f振りで。
 ムーサはそれを眺めやり、ふん、と小さく鼻を鳴らす。ヴィトール将軍は、雇い主としては上等な部類だろう。有能さを示せばそれだけ権利を与え、報酬を約束してくれる。決断力もあるし判断力も優秀と言っていいだろう。部下に対するカリスマ性もあり、部隊の練度を保つことにも熱心で、彼の旗下に弱卒は少ない。指揮官としては最上の部類とすら言える。どんな馬鹿馬鹿しい思想を持っていようとも、雇い主の思想にいちいち文句がつけられるほど傭兵というのは上等な仕事ではない。
 だが、甘い。彼は自身の有する戦力で国軍に対抗しうると思っている。確かに国軍が全員人間だったならば、指揮系統と士気の関係上こちらがまず勝てただろう。彼が収集した情報から予想している通り、その半ばが魔物であったとしても、彼の立てた『魔物たちを惹きつける香によって敵の魔物を集められた国民に向かわせる』という策を実行すれば、勝利できる可能性は高い。
 彼はその策を実行しながら国民たちが殺されそうになった時にさっそうと現れ、集められた国民たちに選択を迫るつもりらしい。戦士に救われたくば、救われるだけの価値を見せよ、と。戦士の戦いを助けるため。命懸けで働く者を助けようと。普通クーデターかなにかとしか思われないようなやり口だが、当人は『これはクーデターではない』と主張している。軍人堅気の人間の心をつかむための方便かと思いきや、本人はどうやら本気でそう思っているようだった。クーデターのようなやり口なのを承知の上で。……自分が正しいと心の底から思い込める、狂人としては最高に面倒な資質の持ち主なわけだ。
 だが、それでも、彼は知らない。この世界には、本当に、人間ではどうやっても抗しえない強者というものが存在することを。通常存在する者とは桁の違う魔物や、それを当然のように倒してのける人を超えたものが存在することを。
 勇者と、勇者の仲間というものはそういうものだということを、自分は、知ったのだ。
 ――だからこそ。
 踵を返し、ムーサはラグの待つ部屋へと向かった。予定通りに、ラグにエヴァが捕らわれたことを話し、暴走させるために。
 そのために自分は、ヴィトール将軍の一派に雇われ、エヴァの情報を流し、蒼天の聖者≠フ協力の下エヴァを探し出し雇い入れさせたのだ。今この時、エヴァを『わざと』自分が捕らわれさせたことを告げ、怒り狂うラグと、真正面から向き合うために。
 アッサラームでの別れから一年と少し。その間に、ラグと自分の間には、決定的なまでに断絶ができた。――それまでの『弟分でありながらいつも自分の上に立つ優秀な戦士』という、『心底腹立たしい』『悔しい』『超えたい』と感じていた存在の時とは、桁が違う断絶が。
 それまでのラグは、自分より上ではあったとしても、あくまで人間≠セった。目障りだだの叩き落としたいだのとすら思うことができるほどに。勇者の仲間という地位を手に入れたとしても、それは自分にとってはただの付加価値でしかなかったのだ。
 だが、ラグは、すでに、人を超えた。真に勇者の仲間に――人でなしに、なったのだ。
 今でもはっきり脳裏に焼き付いている。あの襲いくる巨大な大蛇の頭蓋を、一撃で割り砕いたラグの姿。
 次から次に、まるで人間など一飲みにできるのではないかと思うほどの大蛇をまるでそこらの森にいる蛇かなにかのように軽々と割り裂いておきながら、ごく平然と戦い続ける。それは確かに、もはや人間の姿ではなかった。人間のできることでは、絶対にないのだ。
 今のラグは、自分などとは桁が違う存在だ。格だのなんだの言うことすらおこまがしい、絶対的な強者。彼がその気になれば、自分など指先ひとつで命を奪うことができるだろう。――彼は、人ではないのだから。
 そんな人でなしに今の自分ができることは、ひとつしかない。彼の人生にへばりついた木端のような存在でしかない自分などができることは、せいぜいが。
「――ありったけ無様に、殺される程度だ」
 ふん、とまた小さく鼻を鳴らし、ムーサはラグの待つ部屋へと歩みを進めた。

「―――ようやく、見つけた」
 ロンは目標に向き合い、小さくそう告げた。
「正直、ここまで手こずるとは思わなかったぞ。結界自体から調べる方向が手詰まりになっていたとはいえ、な。俺としてはさっさと君を片付けて結界を解除しておきたかったんだが……結界で探査を封じられたところに、スラムを熟知した人間に逃げ回られるとなると、さすがに探すのに手間がかかる」
「…………」
 目標は応えず、ただ荒い息を整えながら自分を見つめる。その目に映る力強さに、ロンは内心嘆息した。相手はどうやら、まだ逃げる気力を――生きるために戦う気力を残しているらしい。
「まず言っておく。君の命を維持するための術式は潰した」
「……っ」
「最初に呪をかけた時点で接点はできたからな。通常の探査術と違い、成立した繋がりをたぐっていく術を無効化するのは難しい。逆に言えばそこまでしか繋がりをたぐれなかったということだが――なんにせよ、君のために生贄に捧げられた人々の魂魄はすべて解放したし、術をかけていた魔族も殺した。……あとは、君をどうにかすれば、結界を解ける、というわけだ」
「っ……」
 ぎっ、と気迫を込めてこちらを睨みつけてくるその顔に、ロンは再び内心で深く、深く嘆息する。強い意志と、覚悟の感じられる顔――男の顔だ。ロンの目の前で荒い息をついている、まだ年若く、幼いとすら言ってよいだろう年頃の、痩せこけた少年。まだせいぜいが七、八歳というところだろう。それがそんな顔になるまでの過程を思うと、不憫に思うと同時に、心底感嘆する。一見しただけでわかる彼の人生に課せられた不幸を、死にもの狂いで乗り越えてきた意志と強さに。
 だからこそ、惜しまずにはいられない。それが敵の思う壺だったとしても。
「ここで、聞いておきたいんだが。君はここで負けておいてくれるつもりはないか?」
「…………」
「君がここで降伏し、俺の手に身をゆだねてくれるつもりがあるなら、君が結界の基点となっている今の状況をなんとかできるかもしれん。厄介この上ない術式ではあるが、解除がまったく不可能というわけではない。時空操作等々面倒な手を使う必要はあるが、死に物狂いでやれば君の命を損なうことなく結界を」
「――無駄だ」
 痩せこけた少年は、吐き捨てるように告げた。
「俺は、もう、人じゃ、ない」
 言うや、少年の姿が崩れた。人を模していた形が、もう保てぬと言わんばかりにぽろぽろと表面から崩れ、影へと、影そのもので構成されながら魔で満たされた形へと変わってゆく。
 変わりながら少年だったものは、影の魔族の形をした口で告げてきた。
『俺は、もう、人じゃない……母さんを、守ってくれる代わりに、魂と、体を、魔族に、売ったんだ』
『その通りィィィィ! もうこのガキの心も、体も、俺と同一化しちまってるってわけよオォォォォ! 古式ゆかしい魔族との、ちゃんとした契約方法で契約したんだぜエェェェ? こいつの母親の命と身体を守る代わりに、魂と身体を売り渡すってなアァァ!』
 少年と同じ口から、違う声が放たれる。魔族の声だ。これまでにも何度か戦いの中で聞いたことのある、人ならざる、この世界に受け容れられぬ者のどこか狂った声。
 それに深々と嘆息する。そうではないか、とは内心思っていた。気配からもわずかに人ならざる者の気配が感じ取れたし、敵からすれば基点を守るためにも魔族を常にそばに付かせた方が都合がいいと考えるだろうからだ。
 だが、この状況を創り出した者が真に最悪なところは。
『……だが、このガキは、まだ人≠ネんだゼェ?』
『え――』
『お前だってわかってんだろ、賢者さまよォォ? お前が最初にかけた呪は人を目標にしたものだった。それが通ったってことはそういうことだってよォォォ? それに魔族との契約が真に成立するのはほとんどの場合三回魔族としての力を振るってからだ。このガキが魔族としての力を振るうのはこれが最初。まだ引き返せる可能性は0じゃねェゼェェェ?』
『………!』
『どうするどうする勇者の仲間さんよォォ? 勇者は世界を救うんだろォォ? このガキ救うために命懸けてみるかよォォォ?』
 影が一瞬、大きく揺らめく。少年の心の動揺が魔族の体に影響したのだろう。影の口が動き、震えた声を発した。
『助けて……くれるのか?』
「…………」
『俺、母さんのために、母さんを守るために頑張ったんだ。母さんを守るためにやったんだ。みんなどんどん殺されてって、助けてくれる人誰もいなくて、他にどうしようもなくて。そりゃ、いけないことだったかもしれないけど、助かるために、母さんを守るために、俺にできることを……』
「…………」
『なぁ……助けてくれよ。あんた、勇者の仲間なんだろ? 世界を救う奴らなんだろ!? だったら、俺のことも助けてくれよおぉぉっ!!!』
 震えた声での絶叫。少年の心底からの必死の願いだっただろう言葉。それを聞きながら、ロンは――首を、横に振った。
「――無理だ」
『…………!』
「確かに君は、まだ人だ。魔族と分離するのも無理ではないかもしれん。だが、それは、魔族がなにもしなければ、の話だ」
『……ククックック……』
「魂魄に関する術式は複雑極まりない上に、ひとつ間違えば命を損なう危険なものだ。当然ながら被験者は行動不能に、できれば意識不明になっていてもらわねばならん。だが魔族には通常の薬も効かず、呪文も効きにくい。今の俺の手持ちの呪文と道具では、どうしても魔族を長時間意識不明にしておくのは無理だ。そして魔族の意識がある以上、君に対し術式を行使するのは不可能だ。契約の関係上、魔族はいつでも君を魔族の姿に変えることができる。つまり、いつでも人間でいられる限界の三回を使いきれる、ということになる。――君は、どうしたところで、助からない』
『――――』
『クハーッハッハァァァァア!! 聞いたか聞いたかァ!? 勇者のお仲間さんが無理だとさァァ! 助けられないとさァァ! どうやったって駄目だとさァァ! 残念だったなァおガキさまよォォ、世界を救う勇者のお仲間さんが、いたいけな子供一人助けるのも無理なんだとさァァ!』
 魔族が心底楽しげに哄笑する。それを聞きながら、ロンは、小さく息を吐き、武器を構えた。
 もしここにセオがいたら、どうにかなったかもしれない。勇者の世界を組み替える力を振るい、この少年を助けることができたかもしれない。
 だがそれはセオの命を削るのと引き換えだ。セオは今でもジパングで世界を組み替えた時の、自らの生命力を限界まで削る術式を自身に課している。魔物を倒すことで代替しているとはいえ、魔族との契約を無効化するほどの力を振るえば、その平衡がいつ何時崩れるとも限らない。
 つまり、自分は、選択したということだ。目の前の、心底助けを求める、稚くも強い少年の命よりも、セオの命を。
 一度痺れるほどに全力で奥歯を噛み締めて、それから少年に向き直る。一人の将来有望な少年の命を奪う不条理に対するもろもろの感情を、それだけでどうにかやり過ごして。
「悪いが、俺は君を殺す。身勝手を承知でな。苦しまないようにしてやりたいが、今の俺の腕じゃそれも難しい」
『…………』
「謝っても腹が立つだけだろうが、言っておく。――すまん」
 影が絶叫し、それと同時に哄笑し、二つの意志を混じり合わせてロンに向かい飛びかかってくる。それを大きく跳び退ってかわしながら、ロンは呪文を唱えた。

「ぐふふふっ。やれやれ、フュメーナ家のご息女にあるまじき短慮ですな、ヴィスタリア殿。あなたはこれまでわしの追及をしぶとくごまかしてこられたが、これはもはや言い訳のしようもないのではありませんかな? あなた自らが牢へと足を運び、わしの捕えた囚人を解放する。これは明らかにサマンオサの法規に反した行いだと、重々ご承知のことと存じますが?」
「………………」
 ヴィスタリアは返答を返すことなく、目を閉じたまま、ただ荒い息をついた。今の彼女の体調は、会話などできる状況ではないのだと、言われなくとも自明に知れる。
「まったく、少しばかり歩いて呪文を唱えただけで青息吐息とは、面倒なお体をお持ちですなぁ、ぐふふふっ。それも僧侶呪文としては初歩の破邪の呪文と、杖から癒しの力を引き出しただけで、とは。あまりに脆弱、あまりに貧弱。わしのように魔≠ネる者と一体化すれば、人としての域を超えた力と寿命と姿をすぐにでも手に入れられるというに。さてはて、あなたはこの期に及んでも、わしの誘いに否を言えるのでしょうかな?」
「………………」
「――おい。そこの豚」
 す、と前に出て豚貴族――ギリェルメからヴィスタリアに向ける視線を遮りつつ口を開く。ギリェルメは笑みを深めつつ、フォルデに心底楽しげな視線を向けた。
「おうおう、犬っころが吠えておるのぅ。自身の力を過信し増長し、わしの玩具にあっさりと捕えられた若造が。わしに二昼夜いたぶられてもまだ生きておったというところは、さすが勇者の仲間と言ってやってもよいがのう」
「一応聞いておく。てめぇはどこからその魔≠ネる者とやらを手に入れやがった?」
 静かに問いかけた自分に、ギリェルメはぐふくくっ、と喉の奥で笑いながら両手を広げてみせた。
「そのようなことを聞いたところで、盗賊でしかないお前にはどうしようもないというのに健気なことだなぁ? 勇者さまのために少しでも情報を仕入れようというわけか? まぁかまわん、教えてやろう。もちろん我が敬愛するサマンオサの偽王陛下からだとも、ぐふっくっくくっ! 陛下はわしが心底あの方に仕え働いた褒美として、高位魔族の一体をわしに与えてくださったのだ」
「……偽王陛下と呼ぶってことは、今玉座に座ってる奴が偽物だってことは知ってるわけか」
「当たり前であろう? 本当は魔物だということも知っておるとも! あの方はまったく、人間でもないのに人間の心の仕組みをよくご存じな方だとは思わんか、なぁ? 人間というものは、どんなに恵まれた環境にいようとも、人を憎み、妬み、呪い、周囲の全てを蹴落とし、引きずりおろしたいと願っているものだとあの方はよぉくご存じなのだよ!」
「で、お前はその憎んだり妬んだりしてる奴らを蹴落とし引きずり下ろさせてもらえたってんで、偽王に心底仕えるようになったわけか」
「そうだとも。それのなにが悪い? あの方はこの世のすべての悪徳を従えていらっしゃる。わしらの心の中の悪徳を解き放ち、高める術を心得ていらっしゃる! あの方の下ならばわしらはどのような悪徳を心の中で育てようとも、解き放とうとも許される! 忠誠を誓うに値するお方であろう? あの方は人間の本来生きるべき姿を教えてくださっているのだ、ぐふっくっくっく、わしがこれこのように、人としての域を超えた力を、寿命を、姿を手に入れたようになあぁぁぁ!」
 ギリェルメはそう心底嬉しげな表情で両腕を振り回しそう語る。こいつはたぶん、ずっと周囲を妬み、憎んできた奴なのだろう。サマンオサの現国王は名君だそうだから、無能のためか捩れ曲がった心の故か、周囲からは蔑まれ、遠ざけられてきた奴なのだろう。だからこの状況下で水を得た魚のように生き生きしている、というわけだ。
 ――それを理解したからこそ、フォルデは鬱陶しげな、いかにも面倒くさげな表情で吐き捨てた。
「器ちっせぇ奴」
 ギリェルメは動きを止め、こちらに視線を向ける。口元には笑みが残っていたが、ぎろぎろとした瞳にはフォルデへの殺意が燃え始めていた。
「ほぉう、言うものだなぁ? わしにあっさり捕えられ、思うさまいたぶられてきた若造が」
「だから言ってんだろうが。憎むにも物足りねぇ雑魚に引っかかっちまって、面倒くせぇったらねぇなってな」
「ほぉう、雑魚、と? 自らの力を過信しあっさり捕えられた小僧が」
「何回同じこと言やあ気が済むんだよ蛆豚野郎が。てめぇの手柄でもねぇことをぐだぐだと」
「……ほぉう、蛆豚、と?」
「豚にたかる蝿程度の根性もねぇ奴には上等すぎる呼び名だろうが。――クソ野郎の振る舞いをするにしても、てめぇ一人の腹でやる根性もねぇのか。どこにでもいるよな、てめぇみてぇな奴は。どっかの誰かの決めたことに従って、どっかの誰かについて回って自分がでかくなったつもりでいやがる。うざってぇったらねぇんだよ蛆豚野郎が。一山いくらの雑魚なら雑魚らしく、とっととかかってきてとっとと消えろ」
 心底どうでもよさそうな、鬱陶しげな、面倒くさげな口調でそう告げる――や、ギリェルメは「ぐふっくっく……」と笑声を漏らした。
「ほう、雑魚、と。雑魚とな。わしに一方的にいたぶられておった小童が、わしを雑魚、と? ――そのようなことが、言える立場だ、と思うておるのか、貴様は?」
 言うや、ギリェルメの腕はざわっ、と網のように大きく広がった。肉でできた生々しいその網は、構成する肉糸の一本一本から、肉を鋭い針と化して突き出し、ヴィンツェンツに抱かれたヴィスタリアへと襲いかかる――
 その瞬間、フォルデは自身の瞳がぎらっと光るのがわかった。
「――捕えた」
 ひゅんっ。
 そんな小さな風切音ののち、ギリェルメは硬直し、「あが……」と情けない悲鳴を漏らしながら、両腕を肉網と化したままばたり、と倒れる。振るったドラゴンテイルを構えたままそれに歩み寄り、手早く状態を確認していると、ギリェルメは信じられないというような顔をして問うてきた。
「馬鹿な……なぜ……なぜ……」
「なぜお前の核≠ェ捕えられたか、ってか? んなもんこっちははなっからそれを見つけるつもりで挑発してたんだから当たり前だろーが」
 心底鬱陶しげに、面倒くさそうに言ってやる。実際こいつは自分にとっても小物でしかないのだから、苦労はない。
 さっきまでは、内心の怒りを抑えてしれっとした顔で挑発するのは、それなりに精神力が必要だったが。こいつが魔族の生命の源であるという核≠、さっきまで自分を捕えていた肉に護らせているだろうことは予想がついた。ただ攻撃を繰り出しても無効化される以上、向こうが核を護らせている肉まで総動員してこちらに攻撃を仕掛けよう、という気持ちにさせるしかない、と判断したのだ。
 そのために、相手をあからさまに小物とみなした格好で挑発した。一歩間違えば肉の飽和攻撃にヴィスタリアを殺される羽目になったかもしれないが、肉の動き自体はフォルデにしてみればのろくさい以外の何物でもない。どんな攻撃をしてこようともいざとなればヴィンツェンツごとかついで退避できる、と確信していたからこその挑発だ。
 ――そうして早期決戦を挑まなければ、ヴィスタリアに命の危険があっただろう。この体の弱いお嬢さまは、長時間戦いの空気にさらしただけでも命にかかわると、自分は知っていたのだから。
 頭をよぎったそんな思考を、心の中で小さく舌打ちして放り出す。今自分には、そんなどうでもいい……とは言えないかもしれないが、しょうもない……とも言い難いかもしれないが、とにかくヴィスタリアのことを考えている余裕などないのだ。
「そんな……馬鹿な……なぜ……どうやって……」
「うるせぇ。てめぇのつもりなんざ、俺にはどうだっていいんだよ。――てめぇがなにを考えてようが、てめぇは殺す」
「そんな……そんな……馬鹿な……そんな……」
「それが嫌ならはなっから人の前に出てくんじゃねぇよ。言っただろうが――俺は、自分が受けた借りは、死んでも返すってな」
 言ってアサシンダガーを振るい、核に突き刺してとどめを刺す。ぼすっ、という鈍い音と共に、ギリェルメは黒い塵になって消滅した。
 ふん、と鼻を鳴らして肩をすくめ、ヴィンツェンツの方に向き直る。
「おい。お前ら、どうやってここまで入ってきたんだ?」
「は……私の呪文で牢番たちを遠ざけるつもりでいたのですが……」
「……つもり? どういう意味だ」
「は。それが、その……牢番の類はどこを探しても見当たらなかったのです。というより、お嬢さまがフォルデさまを助けることをご決意され、部屋の外に出た時にはすでに、どこを探しても人っ子一人おらず……」
「……なんだそりゃ。一体全体、どういう……」
「………フォルデ、さま」
「っ! おい、ヴィスタリア、話して大丈夫なのかっ!」
「お嬢さま、どうかお静まりを! お体に障ります!」
 自分とヴィンツェンツが揃って止めに入ったが、ヴィスタリアは震える体で首を振り、擦れる声で懸命に自分に伝えた。
「フォルデ、さま……どうやら、偽王が、動いた、ようなのです……。兵を、動かして、王都の民たちを全員、王城前、広場に……集めて、なにか……恐ろしい、ことを……どうか、フォルデさま、惨劇を、止め、て……」
「だぁっ! わかった、わかったから黙って大人しくしてろってんだよっ!」
 フォルデが怒鳴るように言うと、ヴィスタリアはなぜか安心したように微笑んで、かくり、と意識を失った。それに安堵か憂いか自分でもわからないながらに、深く息をついてから、ヴィンツェンツに向き直る。
「……おい。お前、一人でもこいつを護れるか」
「――無論。これでもお嬢さまの護衛役を任された身です、馬車のある場所までたどり着けば、ルーラで安全な場所まで逃げることは容易です」
「よし。なら、任せた」
「……どうか、ご無事で。ご武運をお祈りしております」
 その言葉には小さく鼻を鳴らしただけで応え、フォルデは走り出した。別にセオのように、『少しでも命を救わなければ!』なんてことを考えているわけではない。ただ今の自分はサヴァンから『サマンオサを救う』という仕事を請けている身だし、その過程で必要だというのならば、ヴィスタリアが気を失いながらも懸命に訴えたように、惨劇を止めるなんてこともやってのけるのが当然、というだけの話だ。
 それに、もしセオがこの事態を知っていたならば、それこそ惨劇を止めるのにやっきになるだろう。命に代えてもという勢いで、全力を振り絞って人を、命を救おうとするだろう。
 それを止めようとムキになるよりは、手伝ってやった方が労力も時間の無駄も少なくて済む、という、経験からくる予測というだけの、ただそれだけの――
 そこまで考えて、フォルデはふん、と小さく鼻を鳴らし、走ることに集中した。なんであれ、今自分がセオを助けようとしているのは確かなのだから、そんな馬鹿馬鹿しいことは考えるだけ無駄だ。

「………ぐふっ。ぐふっくっく。ぐふーっくっくっくっくっ、ぐふはははははははぁ――――ッ!!!」
 フォルデが姿を消すや、全力で黒い塵を集め、形を成したギリェルメは、もはや人の形をしていない口を大きく震わせて哄笑した。勝利の歓喜と快感に、心底浸っているのだ。勇者の仲間の挑発に乗って一撃で倒されるという、この上なくみっともない姿をさらしたのにもかかわらず。
「ぐふはははははァッ!!! やった、やったぞ! わしの勝ちだ! あいつは、勇者の仲間は! わしの擬態にまるで気づきもせず、自分では勝ったつもりで去っていったぞ! ぐふはははハはッ、愚か者ガァッ! あっさり騙されオッて、みっとモなイにもほどがアるわッ! 勇者の仲間なドと偉ソウな口ヲ叩いテおきなガら、所詮ハ下賤の民、こノ程度よッ!」
「――まぁ、やっぱり復活なさったのですね?」
 背後からそう声をかけたヴィスタリアに、ギリェルメはすでに半ば異形と化した姿でゆっくりと振り向いた。
「おォヤおや。ヴぃすタリあ嬢、まダこんなとコロにいらシたとハ。よホどわシニ喰われタカったようでスなァ?」
「理解力が低下なさっているのですか? それとも記憶の欠損かしら。たとえ呼吸する殺戮≠フ一部となり、存在を事象化させようとも、本体からしてみれば分体の一部でしかない以上、人格を一部でも残したまま復活させるには、それ相応のコストが必要になるでしょうから、仕方のないことなのでしょうね……」
「ウぅダうだと。せっカくだ、行きガけの駄賃にその柔ラカな肌身を存分二味わッテやルとしヨうか!」
 ぐぶぶぶっ、と虫のような形に変わった喉を鳴らし、ギリェルメは全身から先刻と同じような肉の針を放った。一本でも人間ならば簡単に急所を貫き殺せる、のみならず当たった者の肉を内部から喰らい、自身の一部としてしまう魔族の力で造られた致命の槍が数十本。ヴィスタリアの周囲を取り巻くように、人間ならどうやっても回避が不可能な間合いと速さで放たれた肉の針は、瞬きをする余裕もなくヴィスタリアの肌に迫り――
「―――当たらない=v
 ヴィスタリアの言葉通り、一本たりとも肌に当たることなく逸れた。
「………ナっ………?」
「あなたの理解力ではとても理解できないのでしょうね。申し訳ないとは思うのだけれど、憐れみを覚えずにはいられないわ。愚かでか弱い人間に許された特権のひとつ、思い考える力を、あなたは売り渡してしまったのですもの」
 ヴィスタリアの表情は変わらない。か弱い令嬢に似つかわしい、憐憫と哀惜に満ちた、相手を心の底から哀れんでいるという表情だ。ただ声は、言葉では憐憫の情を表しながらも、零下の響きを有していた。目の前の相手はただいたぶられるためだけに存在する生贄であり、いつでも消し去れる存在なのだ、とでもいうように。
「ぐフゥッ………!」
 ギリェルメは次々と肉の針を放つ。何十本、何百本と。だが一発たりとも、死角から撃った針も同時に四方を取り囲んで撃った針も、まったく、一発も、当たらない。
 そんな風に次々と致命の槍を放たれながら、ヴィスタリアは憐れみに満ちた表情のまま、冷たい声で告げる。
「知っているかしら? 賢者というものは誰しも大なり小なりシステムに――世界に干渉する能力を持つの」
「黙レ黙れ黙レェェッ!」
「ごく普通の人間の賢者ならば、呪文という形を取らなければ不可能なことだけれどね。だから魔法使いや僧侶の魔法と賢者の魔法は同じものだと考えている者すらいる。けれど本来賢者の力は、システムを書き換えるために存在するのよ。システムをより高次のものに変えるために、あるいはあなたのような異端に対抗するために」
「黙れトいうノが聞こエんのかァッ!」
「――そして私は、賢者として最高の能力を持ち、かつシステム管理者からマスターキーを授与された最高クラスの異端審問官。因果律の変更くらいたやすいことよ。だから、私にどんな攻撃をしてもすべて逸れる。どんな攻撃をしても当てることができない。私に攻撃を与えることができるのは、因果を超える存在、勇者だけ―――」
 その言葉と同時に、ばさぁっ、という音が響いた。――ヴィスタリアの背中から、人一人を覆い隠せるほどの大きな翼が生えたのだ。
 純白の、神々しさすら感じるような、美しく、力強く、光り輝く神威に満ちた翼。それを見るや、放っていた肉の針ごとギリェルメは硬直し、思わずといったように口から声を漏らした。
「ま……マさカ、お前、天使………!」
「そうね――そう呼ぶ者もいるわね」
 ヴィスタリアの表情は、もはや令嬢を装っていた時とはまるで違っていた。筆頭異端審問官に――最高位の天使にふさわしい、威厳に満ちながら冷たく感情のない、冷厳を絵に描いたような表情。それを見るやギリェルメは震え出し、半ば泣き叫びながら伏して命乞いをした。
「オ許しを! どウかゴ慈悲を! 悔い改メマす、もウ人を殺しマセん、いたブりまセん、お許シイたダけるナら陛下ノ、偽王の命も奪っテミせマす! だカら、どうカッ」
 だがヴィスタリアは、あくまで冷厳とした表情のまま、淡々とした口調であっさりと告げる。
「いいことを教えてあげる。私、あなたのような醜く太った口の臭い品性下劣な男に口説かれるのが、この世で三本の指に入れてもいいくらい嫌いなの」
「な……ナっ……」
「だからというわけではないけれど。あなたには生存する価値を認めないわ。――アクセス・コード嘆きの川=v
 ヴィスタリアがそう告げた瞬間、周囲の気温が一気に零下まで下がった。気温はそこで止まらず、どんどんと、空気中の水分が霧になり、固体になるまで下がり続ける。
 それを追うように、ギリェルメの身体が見る間に氷に包まれていく。ただの冷たい氷というわけではないのは、足までしか包まれていなくともギリェルメの体が完全に硬直していることからでもわかるだろう。
「この氷はあなたの体と魂を外部から遮断する。もちろん、システム――世界との繋がりもね。だから、この氷に包まれればあなたは二度と復活できない。呼吸する殺戮≠ニの接続が途絶えてしまうのですもの、当然ね」
「助ケ――助けテ………」
「お断り。あなたにこれ以上無駄な時間を与えるつもりはないの。神に祈りを捧げる時間すらね」
 その会話を最後に、ギリェルメの体は完全に氷に包まれた。ギリェルメのかろうじて人がましい部分だった顔が、絶望の表情のまま凍りつく。それをなんの感慨も、感情もない表情で見やり、ヴィスタリアは端的に告げた。
「そういうわけだから――死になさい」
 言って小さく指を鳴らすや、氷はギリェルメごと粉々に砕け散った。ギリェルメは体を氷に包まれたまま、黒い塵になることもできずに、氷の中で消滅する。
 ふ、とヴィスタリアが小さく息を吐くと、ぱちぱちぱち、と小さく拍手の音が鳴った。
「……ヴィンツェンツ」
「さすが、お見事な腕前ですな。久方ぶりに拝見しましたが、鈍ってはおられないようで安心いたしました。砕く前に精神の感覚を弄り、永劫の絶望と苦痛を味わわせるという小技もぬかりなく発揮されているようですし」
「このコードがそういった効果も含んだ代物だったというだけよ。コードを変える必要性も見出せなかったし」
「いやいや、さすが筆頭審問官であらせられると感服仕りました。あの複雑なコードを一言で成立させるとは、いやはやまったく」
「追従はけっこう。――他は滞りなく済んでいるのかしら?」
「はい、おおむね。……ですが、少々厄介なことが起きましてな。第一目標の動きが、予定より少々早いようでして」
「……それはまた、面倒ね。彼女の場合、行動を操作するのはほぼ不可能、担当者が無事逃げ帰れるかも怪しいくらいだもの。対処できる方法は、こちらをできる限り早手回しにすることぐらい、か……」
 ヴィスタリアは数瞬考え込んで、ヴィンツェンツに向き直り、告げた。
「行きなさい、ヴィンツェンツ」
「――よろしいのですか?」
「この状況では力を隠したところで意味がないわ。あなたに頼るのが一番時間を短縮できる。私が許します、存分にお暴れなさい。――『コマンド、対人間限定完全解除』」
「……ほう!」
 大きく目を見開き、唇の両端を吊り上げるヴィンツェンツに、ヴィスタリアは淡々と告げた。
「三度は言わないわよ、ヴィンツェンツ。あなたの力を、存分にお振るいなさい」
「御意。――その前に一応お聞きしておきますが、ヴィスさまはこれからどうなさいます?」
「予定通り、状況の経過を観察しながら第二目標の帰還を待つわ。第三目標を無事始末してもらうためにも、私が自身を隠匿しながら経過を見るのが一番無駄が少ない」
「なるほど。ならばよいのです。もし万一あの小僧に心揺らされるようなことがあれば、忠実な下僕としてご忠言申し上げねばならぬと思っただけですのでな」
「――ヴィンツェンツ。それは私に対する侮辱であることを、理解しているのかしら?」
「これはしたり。あなたがこうしてわざわざ御自ら雑魚に手を下したということは、どんな形であれあの小僧や勇者に心を幾分たりとも動かされたがゆえ、とご自身理解されていると思いましたが?」
「…………」
「では、私はこれにて。久方ぶりの狩り、存分に楽しませていただくとしましょう」
 薄い笑いを残して、ヴィンツェンツはその場を駆け去る。残されたヴィスタリアは、は、と小さく息をついて翼をはためかせ、物理平面から精神平面へと移りつつ、物理平面でこちらを取り囲む建築物を無視して大きく宙に舞った。
 否定はしない。自分が、ある意味において彼らに心を動かされていることは確かだ。だが、それは。
 一瞬ちらりと走ったそんな思考を抑え、ヴィスタリアは任務形態を観察任務へと移行した。筆頭審問官として、最高位の天使としてそうあるべき通りに、神々に忠実に任務を果たすべく。

「おい、いたか」
「いや。どうやら連中、しぶとく逃げ回るつもりのようだぜ。いまさら逃げたところで、陛下に逆らえるわけでもなかろうによ」
「だがルーラで国外に逃亡されると少々面倒なことになるからな。国内の魔法使いは全員手元に集めたとはいえ、探し漏れが出ていないとも限らん」
「けっ、自らの手を汚す勇気もねぇ糞どもが。今まで俺たちに渡してきた奴らと同じように、自分も狩られる時が来ただけだってのに、往生際の悪い」
「まったくだな。いと偉大なるサマンオサ国王陛下に逆らう資格のある奴などこの世にはいない」
「俺たちに逆らう資格のある者も、だろ?」
「むろんだ。我らは陛下の一部となり、人を超えた存在なのだからな」
 そんなことを話しながら、愚か者どもはにやぁ、と楽しげな笑みを交わし合った。彼らはサマンオサの偽王に従い仕事を果たしていた兵士の中で、その行為に楽しみを覚え、人間の良識よりも偽王の理屈の方に共感を覚えるようになった者たちだ。事象化した偽王――呼吸する殺戮≠ノ事象特性を伝播され、通常の人間ではありえない身体能力と魔力を得ている。
 だがギリェルメのように、呼吸する殺戮≠フ肉体自体をそのまま埋め込まれるほどの処置は施されていない。偽王にしてみれば、奴はいずれ殺す相手、回収する当てがあるからこそこの兵隊どものようにコストを惜しむ必要を感じなかったのだろう。
 そう、偽王は元から、王城に住まわせていた、自身に共感する貴族たちは皆殺しにするつもりだったのだ。理由はもちろん、貴族たちは戦力にならないから。性質を伝播されるだけで人間の軍隊ならば苦もなく蹴散らせるまでになるサマンオサの戦士たち以外は、最初から国民全員を殺すつもりだったのだと自分たちにはわかりきっていた。貴族たちが今日まで生かされたのは、『自分たちは助かる』と思っている連中が殺される時の、絶望と怨嗟の声を聴きたいからというだけにすぎない。
 それが呼吸する殺戮≠ニ呼ばれる異端。存在すべてを殺戮のために使う魔物ならざる魔物の性質。その性質は伝播し、周囲の生きとし生けるものを殺戮へと駆り立てることができる。どこまでもひたすらに殺し続け、最終的には世界そのものを殺さんと欲する存在、それが呼吸する殺戮=B
 ――まぁ、異端審問官がそれを異端と認め、殲滅すべく行動を起こしたのは、勇者セオ・レイリンバートルを動かす理由になりえるから、というのが一番大きかったのだろうが。神々にとってはそれなりに大きいとはいえたかだか一国の興亡よりも、現在の作戦におけるところの第一目標の方がはるかに重大な問題なのだから。
 混沌を召喚しようという儀式はさっさと止める必要があるだろうが(実際、現在もいつでも止められるように異端審問官が神具を所持した上で何十人も待機している)、それは発案も実行も偽王の存在に惹かれた魔族によるものでまず間違いないと結論されている。混沌を召喚して世界そのものを消滅させるという方法では、おそらく呼吸する殺戮≠ヘ満足できない。彼女は自らの、あるいは自らの一部の手で、肉体を砕き、割り裂き、引き千切り、血と肉を飛び散らせて、殺す者にこの上ない苦痛と絶望をたっぷり味わわせるやり方でなければ満ち足りることができない性質を持っているのだ。
 その点においては、自分も、非常に共感できる相手だと思っている。
「……しかし、ペドロたちはどこまで行ったんだ? 目標が見当たらなかったら一度集合する予定だってのに、遅すぎないか?」
「それを言うならファビオたちもだぜ。見張り役だってのに、いっくらばらばらに配置してたからってどこにも見当たらないってのは妙だ」
「おい……まさか、敵が……」
「まさか。俺たちは人間を超えたんだぜ? どんな奴が出てこようとそうそう倒されるわけが」
 どんっ。ぎゅるるるるるるっ。
 ………ぃぃぃぁぁ―――――。
「っ……なんだ、今の音」
「ひ、悲鳴みたいに聞こえなかったか?」
「ま、まさか。悲鳴ってんなら離宮にいる貴族どもだろ。他の奴らが先走って殺したに決まってる」
「そうだな。貴族どもに俺たちを殺せるような力があるわけがない。……そういえば、離宮には貴族以外にも住んでる奴がいたな? エジンベアの商家の娘だったか?」
「あぁ、あのがりがりのギリェルメの囲われ者か。ギリェルメも趣味が悪ぃよな、そりゃ面はそこそこ整ってたが、あんな胸も尻も薄い女、抱こうったって勃ちゃあしねぇだろうに」
「おいおい、そこまで言うこたぁねぇだろう。あの女病とかで、普通に抱いただけで途中で死んじまうくらい体が弱いんだって話だからな」
「げぇ、気色悪ぃな。そんな女ますます抱く気しねぇよ。……お、もしかしてお前、その気なのか?」
「くくくっ、まぁな。俺のブツぶち込まれながら死ぬ女なんてオツじゃねぇか。俺ぁ、一度自分のブツで女を殺してみたかったんだよ」
「ぎゃははっ、変態だなお前! まぁ今ならあの女じゃなくても、ちぃっと身体を歪めれば普通の女なら殺せるくらいのブツにはなっちまうだろうがよ!」
「けけけっ、どうせ殺すんならもっと色気のある女にす」
 どんっ。ぎゅるるるるるるるっ。
 ………ぃゃぎぁぁぁ、ぐぎぃぃぃ―――――。
「……あれ。マリオの奴、どこ行った?」
「さっきまでそこにいたよな?」
「話してる途中に、急に声が途切れて……」
「な、なんか……その後、悲鳴が聞こえなかったか?」
「おい、馬鹿言うな、聞き間違いだろ」
「いや、確かに聞こえたって! 間違いなくあいつの声だった!」
「こりゃ……おい、マノエル」
「ちっ……全員隊列を組め! 敵襲だ! 索敵しながらいったん外へ出るぞ!」
「いやいや、そういうわけにはいきませんなぁ」
 そう楽しげに、笑みを含んだ声で言いながら、ヴィンツェンツは男たちの前に出た。男たちはそれぞれ仰天した顔で、自分に向けて武器を構える。
「なんだぁ……? おいジジイ! まさか、てめぇが俺らの仲間をやった奴だって言うんじゃねぇだろうな!?」
「いやいや、まさか、そのようなことは。――なにせ、あなた方のような蛆虫どもに、仲間などという上等な存在ができるわけがありませんからな。あなた方のような肥溜を飛び回る糞尿にも劣る害虫どもの集まりは、『群れをなしている』と言うべきでしょう? 言葉は正確に使っていただきませんと」
「………っ! てめぇ、このクソジジイ―――!」
 先頭の男たちがいきり立って襲いかかってくる。ヴィンツェンツは楽しげに笑いながら、大きく跳び退って離宮の角の向こうへと姿を消した。
「ちっ! 追え、追えぇっ! 全員あのジジイを」
 どんっ。ぎゅるるるるるるるっ。
 ………ぃぐひぁぁぁ、うぎぉぉぉ―――――。
「っ………また……あの音だ」
「おいっ! ジョルジがいねぇぞ!」
「まさか……まさか、本当に、あのジジイが」
『鉄の処女、という拷問器具をご存知ですかな?』
『っ!?』
 慌てふためく男たちのいる場所に響いた声に、男たちは硬直してから、必死の形相で周囲を見回した。
「どこだっ! ジジイ、出てこいっ!」
『新暦九百年前後、ノアニールとカザーブ地方を中心に苛烈な異端狩り――ダーマに認められた以外の神を信ずる者たちを狩り立て、殺害する行為が流行しました。このような行為が起きた理由には様々な説があり、当時の記憶や記録を調べてみても実際に数多の理由があってそのような動きが起こったと思われるのですが、現在のダーマではアリアハンという新興の帝国、そしてそこから流れ込む様々な技術に対する民衆の恐怖と不安が権力者の感情と結びつき起こったというのが一応の定説になっています。まぁ、我々はより直接的な理由として、その直前に起きた魔女狩り、そしてそれを起こした一人の魔女≠ニいう名の異端が在ったがゆえ、という事実を挙げますがね』
「ジジイっ、とっとと出てこねぇと本当に殺し」
 どんっ。ぎゅるるるるるるるっ。
 ………ぅがぃぃぃ、げがぁぁぁ―――――。
「こ、今度はライムンドが!」
「どこだっ、ジジイ、出てこいっ、とっとと出てこいっ!」
『まぁそれはともかく、その際彼らは異端か否かを確かめるべく実に苛烈な熱情を持ってさまざまな拷問器具を開発しました。拷問することで自らを異端だと認めさせようとしたのですな。鉄の処女はその中のひとつ』
 どんっ。ぎゅるるるるるるるっ。
 ………ぎひぃぃぃ、うげぁぉぉ―――――。
「ま、また……また! ちょっと目を逸らした間に! 隊列を組んでるのに! 気づかねぇうちに………!」
「く、くそっ、退却だ! 退却だっ!」
『といっても、鉄の処女は正確には拷問器具ではありません。なにしろ木や金属で作られた人を象った外殻の内側に大量の釘が植えつけられており、その中に人を放り込んで扉を閉めて使うわけですから、中の人間は間違いなく末梢血液循環不全死、ないし失血死します。まぁ、拷問する相手に見せて、これを使われたくなかったら認めろ、と言うためのものなわけですな。実際の用途で使われたことはほとんどありません……が、我が主、ヴィスタリアさまはその品物に興味を示されました』
 どんっ。ぎゅるるるるるるるっ。
 ………ぐがぁぃぃ、ごぉぁぁぁ―――――。
「逃げろ……逃げろ、逃げろ、逃げろ!」
「離宮を出れば……離宮さえ出れば、味方が………!」
『あの方はなかなかのニヒリストでしてな、常にどこか自らを嘲笑っていらっしゃるようなところがある。ですので異端審問官という自らのお役目に、その鉄の処女が常にそばにあれば面白かろうと思われたのです。当時魔法技術のさらなる発展のため、技術の粋を尽くした自動稼動人形を作ろうという動きに、あの方は手を加えられました』
 びしゅっ! どんっ。ざくっ。ぎゅるるるるるっ。
 ……ぅぎぁ、ぎひぃっ、がひぃぃぃっ………!
「――工学技術と魔法技術の粋を尽くした、Vプロジェクトの集大成。異端を狩るため造られた殺人人形――」
 そう締めの言葉を楽しげに告げながら、ヴィンツェンツはゆっくりと男の目の前に立った。くっくっく、と抑えようとしても漏れる愉悦の笑声に、最後の目標は絶望に満ちた顔になって後ずさる。
 その眼前で、ヴィンツェンツはぱかっ、と身体を開いた。人の、老人の形をしていた身体が本来の用途に見合った姿へと変わる。変性というほど大きく変わるわけではない、単に人間の形をしていた身体が、鉄の処女のごとく中心から開き、中身を見せるだけだ。付与された空間制御呪文によってぐちゃぐちゃになりながらもヴィンツェンツの体内に収まっている、数十人という数の人間の肉体と、体内に突き出した無数の釘を。
「それが私、V1-nt-8。ヴィンツェンツ、というわけです」
 びしゅっ! どんっ。ざくっ。
 ヴィンツェンツの体内からミスリルの太い矢が飛び出し、男に突き刺さる。同時に矢の中から棘が飛び出し、男の肉をずたずたに引き裂きながら固定する。
 これは呪術的な仕掛けに則った相手を捕えるための術式だ。矢をかわせない限り、相手はヴィンツェンツの手から絶対に逃れることはできない。そしてヴィンツェンツの放つ矢は、天界の工学技術と魔法技術によって音速に近い速度で宙を飛ぶ。その気になれば矢を半魔法化して光速まで速度を高めることもできるのだ。避けることは、たとえ魔王であろうとも、絶対に不可能。
 ぎゅるるるるっ。男が激痛で悲鳴を上げるよりも早く、歯車が回転して刺さった矢に繋がった金属糸を引っ張る。ヴィンツェンツの体内から放つ矢はすべて、どんな呪文や攻撃にも耐える、ミスリルとブルーメタルの合金でできたほとんど縄のような金属糸がついている。そしてその金属糸は、すべて最低でも人間の数億倍の出力が可能な歯車に連結している。つまり、どんな相手であろうと、ヴィンツェンツの体内への招待からは逃げ出すことができないというわけだ――長く鋭い、触れた者に地獄の激痛を味わわせる呪のかけらえた釘を無数に打ち付けられた、血と、呪いと、怨嗟の声で満ちたヴィンツェンツの中≠ゥらは。
「心配することはありません。我が裁きを受ければ、肉体は死しても魂は救われ無事天へと上ることでしょう――嘘ですが」
 男は喉も裂けよと絶叫しながら必死に暴れる。だがどう転んだところで、ヴィンツェンツの死の抱擁からは逃れられるわけがない。それを承知しながらも抵抗せずにはいられない絶望の表情を、ヴィンツェンツは思う存分堪能しながらずっ、ずっ、と男の体を体内へと引き寄せていく。
 この瞬間をなにより愛するからこそ、ヴィンツェンツは隠密行動から一人ずつ敵を仕留めていくことを好んだ。ヴィンツェンツはやろうと思えば一瞬で万に達するほどの矢を放つことができる。そもそも人間外の出力を持つ身体と、Satori-System≠ノよって集積され、最適化された人間よりも常に高度な戦闘技術を持つヴィンツェンツは、わざわざこのような凝った殺し方をする必要はないのだ。
 だが、ヴィンツェンツは、敵の苦痛を、絶望を、怨嗟を、なによりも愛する殺人人形。だからこそ、普段はヴィスタリアによって行動にいくつもの呪術的な枷が課せられている。ゆえに、このような、めったにない殺戮を楽しめる機会を無駄にする気は、一片たりともなかった。恐怖とたっぷりと味わわせて、苦痛をたっぷりその身に刻み込んで、絶望にたっぷり身を浸した者の、儚い抵抗を容赦なく打ち砕いて殺す。それ以上の快楽がこの世にあるだろうか。
「少々長く喋りすぎましたな。では、そろそろ殺しますか」
 ずっずっずっずずずずずずっ。力を増した歯車がどんどんと男をヴィンツェンツの体内へと運んでいく。今にも王城にいた貴族とそれを殺しに来た兵士、すべての肉のたっぷり詰まった体内に引き入れられるという瞬間、男は絶望に満ちた顔で、必死に懇願する。
「たすけ――」
 くくく、ふふふ、あはははは。思わず漏れる笑い声を高らかに響かせてから、ヴィンツェンツは答えた。
「嫌ですなぁ!」
 ぐしゅっ。

 ラグはムーサの言葉を数度反芻して、考えた。ムーサの言葉と、表情は、ラグがずっと考えていたことに大きな材料を与えてくれるものだったからだ。
「おいおい、聞こえてるかぁ? 脳味噌ちゃんと動いてんのかぁ? 俺は、エヴァをわざと捕まえさせた、って言ってんだぜぇ?」
「……最初からそのつもりだったのか?」
「ん〜? 最初からってのはどういう意味だ?」
「エヴァをヴィトール将軍に雇わせたのも。俺をヴィトール将軍と引き合わせたのも。……そもそもヴィトール将軍に、あなたが雇われたこと自体、そのためだったんじゃないか、って聞いてるんだが?」
 ムーサはくくっ、と心底楽しげな表情になって笑いながら、ラグに高らかに宣言する。
「そうさ、当たり前だろう? 言ったよな、これからたっぷり苦しんでもらう、借りを百倍にして返してやるって? 今の俺はな、お前を苦しめるために生きてんだよ。お前を苦しめるためなら何でもするぜぇ? それこそ、ヒュダ母さんを殺すこと、だってなぁぁ?」
 べろぉり、と舌を出して下衆な雰囲気たっぷりに言った言葉に、一瞬ラグは頭をかぁっと熱くする――だが、その熱はすぐに薄れて消えた。
「そうか。――ちょうどいいかもしれないな」
「……なに?」
「そこをどいてくれ。言うことと、行くところが決まったんだ」
 言って立ち上がるラグに、ムーサは一瞬驚きの表情を表してから、にやぁと嫌味に笑って扉の前に立ちふさがる。剣も抜かず、隙だらけの格好で、どうぞ斬ってくださいとでも言うように。
「おいおい破壁≠ウんよぉ。わかってんのかお前? 今、お前は俺の部下なんだぜぇ? どんなに不本意だろうが、俺に従って、俺に苦しめられ続けるしか道はねぇんだ。まぁ、ヴィトール将軍も敵に回す気があるってんなら話は別かもしれねぇけどなぁ」
「………」
 ラグはじっ、とムーサを見つめた。ムーサはにやにやと楽しげな笑みを浮かべながらこちらを見返す。それに小さく息を吐いてから、ラグは告げた。
「ムーサ兄さん。あなたが俺になにを求めてるのかは、正直、全部わかっているとは言えない。想像はそれなりにできるけどな。だが、どちらにせよ、俺のやることが明確に決まった以上、あなたが俺の邪魔をするというなら、悪いが、押し通らせてもらう」
 その言葉に、ムーサはにぃっ、と笑みを浮かべて、一瞬ぎらりと瞳を輝かせながら、剣を抜いた。
「やれるもんならやってみ」
 最後まで台詞を言い放つ前に、ラグは一歩進んでムーサの腹を指で突いた。もともと狭い部屋の中で話していたのだ、間合いは至近、動きの鈍い戦士のラグでも楽に間合いを詰められる。そして、ムーサは鎧を纏ってはいるものの、今のラグの力ならば鎧の上から意識を刈り取る一撃を放つのもたやすい。
 本来こういうのは武闘家の技術だが、ロンがまだ武闘家だった頃に少し教わったことはあるし、それを技として発展させるだけの時間も能力もあった。戦士というのは、戦うための職業なのだから。
 あっさりと気絶して倒れるムーサを置き去りにして、ラグは足早に歩を進めた。部屋の外へ出るや、ヴィトールの胴間声が反響しながら響いてくるのが耳に届く。聞こえてくる内容から、拡声の魔道具で演説をしているのだろうとラグは足を早めて中庭へと向かう。
『――今こそ、我らの正しさを愚民どもに知らしめる時なのだ! 戦士に対する尊敬を、崇敬を、感謝を忘れた者どもに、自らの分際をわきまえさせる正しき教育を施さねばならん! それこそが我らの義務であり、責務なのだ! 戦士たちよ、立ち上がり、力を振るう時がようやくやってきた! 愚民どもの目の前で敵どもを思う存分討ち取る時が! それこそが愚民どもに自らの分を教える、唯一無二の機会なのだ――!』
「申し訳ないですが、それは止めさせてもらいます」
 特に声を張り上げることもなく告げた自分の声は、なぜか中庭全体にはっきりと響いた。
 それをちらりと不思議に思いながらも、ヴィトール将軍たちの背後側から中庭に出てきたラグは、台に立ち演説するヴィトール将軍の前へと進み出る。側近たちがすぐさま剣を突きつけてくるが、気にせずにヴィトール将軍と正面から顔を合わせた。
『……戦士ラグディオ。貴様、我々の敵に回るか』
「そうですね。そうなります。申し訳ないとは思いますが、あなたたちの行動は止めさせてもらう。……いやまぁ、申し訳ないっていうのは言葉のあやで、集められた国民を魔物の好む香を使って囮にする、なんて作戦を止めるのに、良心の呵責は全然感じないですが」
 中庭に集められた兵士たちがざわめく。まだ兵士全員にこの作戦が周知されていたわけではなかったらしい。自分はついさっきムーサから教えられたばかりなのだが、ムーサは意外とヴィトールに重用されていたようだ。
『戦士でありながら、愚民どもの道を正さんと立ち上がった我らの前に立ちはだかるか。それが自らの進む道を穢さんとする行いだと承知してのことか?』
「いや、すいませんけどあなたの進みたい道と俺の進みたい道はまるで違いますから。俺にとって、あなたの進みたい道は、正直まるで価値のないものなんで」
『ほう……我らの道を侮辱するか。貴様を一流の戦士と見込んだ我が眼は、よほどに曇っていたとみえる』
「侮辱というか……そうですね……」
 ラグは数瞬考える。自分の感じ取った理屈をどう伝えれば、相手の理屈を打ち負かせるか。
 ヴィトールは将軍だ。将軍はただの戦士と異なりそれなりに弁が立たなければ勤まらない。ただ言い争ったところで負けるのはこちらだろう。それを理解しているラグは、考えた末、直截にぶちまけてしまうのが一番マシだろうと決めた。
「……端的に言えば、あなたの世界にはありがとう、という言葉がないからです」
『なに……?』
 兵士たちがまた少しざわめく。ラグは気にせずに、言葉を重ねた。
「もう少しちゃんと言うなら……感謝の念を持つことは当然です。だが、それを言葉に出して表すということには、お互いに少しの甘えが必要だ。言う方には感謝と同時にこれでこっちの義務は済んだと考える狡猾な心、言われる方には喜びと同時にもっと言えもっと感謝しろという貪欲な心。あなたの世界にはそれがない。甘えがないんですよ」
『それが間違っている、と? 要するに気高き戦士からかけ離れた、下衆な心根ということだろうが』
「ええ、間違っています。あなたは確かに気高い戦士と呼ばれるような存在ではあると思う。あなたの積み重ねてきた努力、命を懸けて戦ってきた勇気。それを俺は人として尊敬し、褒め称えられるべきだと心から思いますけど……ただ、あなたがそう生きてこれたのには、あなたがたまたまそういう生き方に向いて生まれついただけ、という理由も確かにあるんですよ。肉体や精神の頑健さ、そういうのに加えて……あなたがたまたま、簡単に命のやり取りをできるくらい無神経だったから」
 ざわっ、とまた周囲がざわめく。ヴィトールが烈火のごとき怒りをたたえた双眸でこちらを睨んでくる。だが、ラグは気にせず続けた。言うべきことをきっちり言うのが、今の自分の仕事だからだ。
「俺は甘えの、余裕のない世界は性質的に間違っていると思う。俺は命を懸けて戦う、それはたまたま俺がそういうのに向いているからだ。その行為を軽んじられたら腹が立つし、自分は安穏と生きながら文句を言われたらぶん殴ってやりたいと思うだろう。たまには実際にやるかもしれない。だけど、だからといってそういう人たちに命懸けで頑張られても困るんですよ。俺は命を懸けて戦っているという優越感を、その人たちには劣等感と、その劣等感をなくすために俺たちに尽くそうとする気持ちがなくなるから」
『…………』
「俺は頑張ったら甘えたい。いつもいつも命懸けで戦うなんてのはごめんだ。本来は世界が命懸けで戦わなければ勝ち取れないものだとわかってはいるけれど、その甘えを、少なくとも愛する人には許してほしいと思う。お互いに対するある程度の甘えと、だからこそのお互いに対する許容。それがなければ――甘えがなければ、余裕がなければ遊びがなければ、いつも心はかさついてせきたてられる気持ちのままだ。あなたが思い通りの世界を創ったとしても、その世界は長くは持ちませんよ。たぶんすぐに崩壊してしまう。人間は常に命懸けでいることはできない。余裕が、遊びが、甘えがなくてはうまく社会は回らないんですから」
『…………』
「戦場には戦場の理屈があるし、平時には平時の理屈がある。戦場に慈善家を連れてこられても困るけれども、平時にはたとえ敵であろうとも命を惜しみ、哀しむ子供を許すだけの余裕が、安らぎがあってほしいと俺は思う。あなたが戦いを愛し、世界すべてを戦場の理屈で覆い尽くそうと思うのは勝手だけれど、世界の人間すべてがその理屈で生きることができるというのは思い違いで、思い上がりだ。あなたの理屈はあなたと、あなたに近しい人間にしか通用しない。あなたのように、強く、頑健で、無神経な人間にしかね。そして、俺はどちらかといえば無神経な部類だけれど、敵であろうとも命が失われることを心から悼み、哀しむ、そんな相手の健気さを愛おしいと想う心は持っている。――だから、あなたのこれからやろうとすることを、放っておくわけにはいかないんです」
 そう言って口を閉じると、ヴィトールは低い声で言う。
『言いたいことは、それで終わりか?』
「そうですね。終わりです」
『そうか……ならば、貴様のその戯言が貫き通せるものかどうか、戦いの中で試させてもらおうか!』
 言いながらヴィトールは剣を抜き、壇上からラグに向け突きつけて叫ぶ。
『さぁ戦士たちよ、前哨戦だ! この愚かな男を贄として、我らの戦の凱歌を上げようぞ!』
 うおぉぉ、と中庭に集められた兵士たちが叫び、怒涛の勢いでラグに向かい押し寄せる。半ば城塞と言いたくなるほど大きなヴィトール邸の中庭にぎっしりと詰められた兵士たちは総勢で軽く千を超えるだろう。いかに腕の立つ戦士であろうと、なすすべもなく殺されるのが当然だ――普通≠ネら。
 ラグは愛用の斧を構え、全力で大きく振った。
 ズゴォッ!
 強烈な破裂音より早く、猛烈な大風が巻き起こった。いや、これはもはや竜巻と呼ぶべきだろう。周囲すべてを巻き込んで、舞い上げ、逆巻く烈風は、ラグに襲いかかった者たちを次々巻き込み、数十人単位で空へと吹き飛ばしていく。
「………………!!!」
 かろうじて吹き飛ばされなかった者たちが必死に大地に伏せ、あるいは武器を収めあるいは武器を手放しているのを確認し、またラグは斧を振るう。細心の力加減を意識しながら振るった一撃で巻き起こる風は、竜巻を打ち消しながら竜巻に巻き上げられた者たちを支える風となり、落下速度を緩めて大地に落とす。
 それを確認して肩をすくめ、ラグは襲いかかってきた兵士たちに向き直り、告げた。
「まだ、やるかい?」
『……………!!!!』
 兵士たちはあるいは絶句しあるいはあからさまに怯え硬直する。それにもう一度肩をすくめ、ラグはヴィトールに向き直った。
 ヴィトールは顔面蒼白になり息を荒げながらも、激しい憎悪を込めてラグを睨みつけてくる。
「……それが、勇者の仲間の力か。人間を飼いならし、自らの力で自らの運命を切り開く戦士から、ただ餌を与えられるだけの家畜へと変える力か」
「そうですね。まぁ、実際本来人が持つ力じゃないのは確かだと思いますよ。戦士として力や技を極めようとする人が、馬鹿馬鹿しくなって投げ出すような弊害を招きかねないとも思いますし」
 実際、こんなことができるようになってしまった時には、自分のことながらおいおいと思ったものだ。人間ではありえない膂力のみならず、どうすれば世界を従えられるかわかってしまう人間外の技の冴えと感覚。恵まれた体格と膂力に任せて生き延びてきた戦士である自分には存在しなかった、異常な技術に対する勘。人でなしと呼ばれても文句が言えないのではないか、そう思えてしまう圧倒的な力。
 だが、自分は幸いにして、それに押し潰されずにすんでいる。
「だけど、人ではどうにもならない理不尽に対抗できる、世界の優しさがくれた力だ。……俺にひょいとなんの理由もなく与えられた力じゃなくて、世界の理不尽すべてに、どうしようもないとみんなが当然のように諦めることすべてに、全身全霊で嘆き悲しんできた優しい子に、世界が与えてくれたひとつの可能性。俺にとっては、そんな、あの子を支えるために必要な力なんです」
「なにを……っ、ふざけたことを……!」
「そうだな……あなたにわかるように言えば。本当に強い魔物や魔族というのは、人間の力じゃまず間違いなくかなわない。たとえ倒せたとしても、それは山のような犠牲と引き換えだ。勇者というのは、そういうどうしようもない敵に対するため、人間に世界がくれた恩寵、というようなことかもしれない」
「認めんっ……認めんぞ……たとえ人間が魔族や魔王にかなわなかろうと、人間は人間だけの力で戦うのが当然だ! かなわなかったとしても、それは人間の限界がそこまでだったというだけのこと! 限界までやりきったという誇りを胸に死んでいくのが人間のあるべき姿……!」
「……だからそういう、『こうであるべき』、『こうでなくてはならない』、あと『こうするのが当然』みたいな言葉を、ただ唯々諾々と受け容れて戦って死んでいけるような、強くて誇り高くて、単純で無神経な人間は、そんなにたくさんいないんですよ。ほとんどの人間は甘えん坊で、わがままで、自分だけは楽をしたいと思うような、醜くて傲慢な性質の持ち主なんです。……そして、自分の分を知っている人間は、だからこそ他人の甘えを許せる。自分の醜さ、情けなさを自らが許容するように、他人の醜さを仕方ないと受け容れられるようになるんです」
「だからどうした! そのような惰弱な性質の持ち主など、鍛え直すより他に道はなし! 耐えられぬのなら死ね、それが人間の本来あるべき……!」
 やれやれ、と肩をすくめて、ラグは端的に告げた。
「あなたがどうだろうと、俺には関係ない。あなたが自分の正しいと思うことのために無理を通すなら、俺だって同じことをする。そして、あなたは俺には勝てない。あなたが『こうであるべき』と思うことの、それが限界だってことです」
「―――…………」
 もはや茫然自失を絵に描いたような顔で剣を取り落とすヴィトールに肩をすくめ、ラグは踵を返した。とっとと王城前へと向かい、できる限り人の命を救う。不器用な自分にできることは少ないだろうが、それでも、助けられる命はできる限り助けたい。
 そうでなければ、セオが――あの優しい少年が、また悲しむことになるだろうから。
「待……てっ……!」
 中庭から立ち去りかけたラグの前に、よろよろと頼りない足取りで、剣で体を支えながら男が立ちふさがる。――ムーサだ。
「ムーサ兄さん……気がついたのか」
 まぁ元から気絶させるにしても短時間のつもりでやったことだから、別におかしくはないが。
「まだ邪魔する気かい? さっき俺がやったことを知ってるならわかると思うけど、普通どうやっても勝てないと思うぞ?」
 気絶していて知らない可能性を承知しながら言うと、ムーサは息を荒げながら首を振った。暗い情熱に満ちた目でこちらをひたと見据え、ねめ上げるようにすがりつくようにこちらに気迫を飛ばしてくる。
「知ってるさ……お前の強さはな。俺じゃあどうやったって勝てないことも。人とは違う、人でなしにお前が成り上がったことも」
「人でなしに成り上がる、っていうのも奇妙な言い方だけどな……」
「そんなお前にどうやったって勝てない俺でもな……お前の大事なものを壊すことはできるんだぜぇ?」
「…………」
「それが嫌なら俺を殺せ! 殺してみろ! その圧倒的な力で、虫けらみたいに俺を殺してみろよ! お前の圧倒的な力で殺した人間の一人に、俺を加えてみろよォッ!」
「……『それ以外に俺がお前に届く道はないんだから』とか、『俺に傷のひとつとしてでも刻みつけられたい』とか思ってるのか?」
「っ………!!!」
 仰天、という顔で硬直するムーサに、は、と呆れを込めて息を吐いてみせる。
「図星か。子供か、あんたは。気になるからいじめてやろう、自分じゃ相手にならないから嫌がらせしてやろう、って子供の発想以外のなにものでもないぞ」
「なん、で……」
「単にあんたの性格と反応から想像しただけだ。別に確信があったわけじゃないから言わなかったんだが、あんまりあからさまだったんでつい、な。……はっきり言うが、俺はそんな子供の相手なんてしてる暇はない。ほとんどエヴァと同じじゃないか。いくつだあんたは」
「っ………っ」
「……ま、ことが終わったら一緒に呑もう。その時は喧嘩くらいは買ってやるから、その時まで」
「はっ!?」
 大声で叫ばれて、思わず眉をひそめる。だがムーサは気づきもしない様子で絶叫するように言い募ってきた。
「なに言ってるんだお前は!? 俺と一緒に呑む、だと!? 俺はお前の大事な大事なヒュダ母さんを殺すって言ってるんだぞ!? なぜ殺さない! なぜ怒らない! 俺にはその程度の価値もないってわけか!」
「あのな……本当にいちいち面倒くさいことを考えるな。三十路の男がそんな思春期みたいな言動して恥ずかしくないのか?」
「っ………」
「……別に大した理由があるわけじゃないさ。ヴィトール将軍と戦ったのと同じことだ」
「なに……を」
「俺は自分の甘えを許してもらいたい。だから同じように、他人の甘えもある程度許す、ってだけだ。……こんな風に結論が出たのはついさっきだから、エヴァと向き合うのもずいぶん遅れちゃったけどな……」
「な………」
「まぁ、あんたのけしからん台詞については、あとできっちり清算させてもらうつもりだ。そういうわけだから――ちょっと寝てろ」
 言って間合いを詰め、今度は少しだけ力を入れて首の急所を抑える。うまい具合に気を失ってくれたのを確認してから、ラグは走り出した。
 ……本当に、ムーサに言われるまで、自分の中にこんな想いが眠っていようとは思ってもいなかったのだが。それでも、これは自分の正直な感情だった。
 自分が甘えを許してもらったように。自分が甘えを許したように。世界を、少しだけ自分の中に受け容れる。
 こんな風に思えるようになったのは、唯一無二の存在の他に、大切に思う存在がいるがゆえなのだろうけれど。まぁ三十路男が想うにはちょっと気恥ずかしい話だよな、と小さく苦笑して、ラグは目的地へと走り出した。

 とすん、と背負子を地面に下ろされて、手早く縄を解かれる。よろよろと頼りない足取りでマイーラが立ち上がってから、エリサリも続いて素早く地面の上に両足で立った。
 昨夜わずかに休憩は取ったものの、ほぼ休みなしで一昼夜と半分駆け続けてきたので(実際に走ったのはレウで、自分とマイーラはほとんど運ばれてきただけではあるのだが)さすがに肉体に疲労がたまっている。だが休んでいる暇などない。今この時も、セオは死力を尽くして混沌と戦い続けているのだ。一刻も早く、こちらを片付けてセオのところへ戻らなくては――
「レウさん、体力は大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと疲れてるけど、平気。とっとと敵やっつけちゃおーぜ!」
「あな、たたちは、なにを、暢気なことを……っ、偽王を倒し、サマンオサを救わんとしているこの状況下で、そんな余裕のある台詞を吐いている場合ですか……っ!」
 ふらふらとまともに立つこともできなさそうな体でマイーラが文句をつけてくるのに、エリサリはふぅ、とため息をついた。これまでエリサリには人間との交流の経験自体ほとんどなかったが(もちろん勇者であるセオや仲間たちとの交流はまた別だ)、こうも愚かな姿を見せつけられると、正直諸先輩方の言う人間不要論にも一分の理はあるのではないか、と思えてきてしまう。
 まぁ彼女が特別に愚かな人間であるのかもしれないが、どちらにせよ彼女にかまっている暇は自分たちには残されていない。
「セオさんが言っていたことですけど、今日が偽王が動くと思われる即位記念日なんですよね。偽王が人を集めるとしたらどこだと思います?」
「んー……そーいうのは、俺じゃよくわかんないけど……そーいうのはマイーラ姉ちゃんの方がわかるんじゃねーかな。どう?」
「っ、なにをおまけかなにかのようにっ……」
「そういう無駄な矜持はいいですから。心当たりがあるなら教えてもらえませんか? あなただって、サマンオサの国民が殺されていくのを肯んじているわけではないでしょう?」
「っ……わかりました、いいでしょう。もし偽王が人を集めるとしたら、王城前広場が妥当でしょう。あそこは基本的に国民に向けて国王が語りかけるための場所、王都の民の大半を収容できるように造られています。それに、今はただでさえ王都の民の数が減っていますし……わざわざあそこ以外に人を集める場所を造るとは思えません」
「そうですか……。一応聞いておきますが、城内に民人を引き入れる可能性は?」
「なにを馬鹿な! 城というのは本来外敵から身を護るための」
「それをあなたの言う偽王が考慮すると思いますか? あれは少しでも多く人を殺し、苦しめるために存在しているものなんですよ?」
「……っ……集める民人の数が少ないのなら、中庭ということもある、かもしれませんが……国としての体裁を整えようとするならむやみに民人を城内に入れるようなことをするわけがないでしょう」
 不服そうな顔のマイーラをよそに、エリサリはどう動くか、と考える。セオの予測が間違っているとは思わないが、偽王が動くと確定したわけではない。できるなら現在の状況の情報をもう少し手に入れたいところだ。
 だがその方法が、と思いつつも半ば身体に習慣づけられたままに、街全体を探査術で探索し、情報を入手しようと試みる――
 や、エリサリは思わず目を見開いた。
「結界が、解けている……?」
「え……?」
「え、結界って……ルーラできないようにしたりしてた、あれのこと?」
「はい。正直、私の独力では解くのが難しいほどの強力な結界だったのですが……もしかすると、セオさんの仲間の方々のうちどなたかが解除してくださったのかもしれません。もちろん、他の誰かが解いた可能性もありますが……」
 誰が解いたにせよ、こちらには吉報だ。エリサリは勇んで数語の呪文でまた探査術を発動し、街全体をすみずみまで精査する。生命を持つ者の存在位置、魔物や魔族の存在位置、魔力を有するものの存在位置。それらの情報を瞬時に入手し、脳内で整然と組み立てる。
 結果、エリサリは王城前広場に大量の人間と、目標たる呼吸する殺戮=A加えて山ほどの魔族や魔物たちが集まっているのを感知した。同時にその周辺の位置情報も入手し、脳内で同時進行で整理する。
「どうやら……確かに王城前広場に呼吸する殺戮≠ニ配下たちが集まっているようです。王都の民人らしき人々も。……ここは、目標の付近に転移して、隙をついてラーの鏡を使用するのがいいのではないかと思いますが、いかがですか?」
「うんっ、わかった! 急ごう、でないと偽物の王様、サマンオサの人たち殺し始めちゃうかもしれないし!」
「目標の付近に転移……!? 馬鹿な、そんなことができるわけがないでしょう。できたところですぐに見つかるに決まって」
 マイーラが最後まで言い終える前に、エリサリは呪文を詠唱する。自分たち三人の体が瞬時に透明になり、同時に衣擦れの音すら聞こえなくなる。
「…………!?」
『レムオシーンマ。透明化と消音を同時に行う呪文です。大声を立てると呪文が解けてしまうので、なにが起きても声を立てないようにしてくださいね』
「………っ………」
 念話でそう告げてから、エリサリは素早くルーラの呪文を詠唱した。今はとにかく一刻を争う、少しでも早く目標を倒し、セオのところに向かわねば。
 そんな決意を胸に呪文を唱え終え、転移する――や、耳をつんざくような胴間声が響き渡るのが聞こえてきた。
「聞こえるかぁぁぁっ、糞虫どもぉぉぉっ!」
 広場中に轟々と響くその声は、エリサリには闇を凝集した塊のように感じられた。触れるだけで力を、生きるために必要な精神力そのものを削られるような、憎悪や悪意や嫌悪を凝集したような、暗く、黒く――それでいて悦楽に満ちた、たとえようもなく醜い声。
 悪業を成すために存在するような――いや、『ような』ではなく、この声の主は、その根本の存在意義から殺戮のために存在しているのだ。人を、生ある者を、殺し、苦しめ、痛めつけ、絶望させる。それを自身の存在するための糧とすることができるまでに歪んだ、事象化した魔物。呼吸する殺戮=\―サマンオサの、偽王。
「このわし、サマンオサの国王の意思のもと、今日この時、サマンオサ王都の全国民には死んでもらぁぁぁうっ!! 抵抗しようが抗議しようが無駄だ、泣き喚きながらわしによってもたらされる暴虐を享受しろぉぉぉ!!」
『…………!!!』
 自分たちが転移したのは王城、兵士たちに囲まれた民人がぎっしりと詰められた、王城前広場上のバルコニーの影。呼吸する殺戮≠フすぐ後ろだった。呼吸する殺戮≠ノ魔力を感知・操作する技術がほとんどないと知っているがゆえに飛び込めた懐だ。配下の魔族たちにはもちろんそちら関係の能力を持つ者もいるのだろうが、結界が破壊された以上そちらの復旧に手を取られ、監視網は薄くなっているはずとエリサリは読んだ。そして、あらかじめ探知網を準備していたり、よほど大勢で絶えず監視していたりというのでもない限り、今のエリサリの技術ならば、十把一絡げの魔族ごときに魔力を察知されるようなことはない。
 どよめく民衆、哄笑する呼吸する殺戮=Bエリサリは袋の中からラーの鏡を取り出し、機を計る。万が一にでも失敗のないように、レウとも連携を取って、ラーの鏡を使うと同時に一気呵成に攻めねば――
 などと考えながら小さく念話の呪文を口ずさもうとするより早く、バルコニーの中に甲高い声が響いた。
「なにを言っているのです、あなたは………! そのようなことが許されると思っているのですか!」
 絶叫と共にエリサリたちのまとっていた魔力偽装が剥がれ、透明だった身体が目に見えるものへと変わる。注意したにもかかわらずの予測だにしなかった行動に、エリサリは一瞬ぽかんとしてマイーラを見つめる――が、マイーラはエリサリの視線に頓着することすらなく、偽王に詰め寄った。自分の行動はごく当たり前で、正当なものだと信じて疑っていない表情で。

「そのようなことを、神も、国も、法も、いずれも許すわけがありません! そして私も断じてそのような行いを許しはしません、サマンオサ第一王女、マイーラ・ニムエンダジュ・トゥピナムバーの名において――あなたを断罪します!」
 言ってマイーラはびしりと偽王に指を突きつける。今こそが断罪の時。耐えに耐えてきた不遇と、無念の感情を叩きつける時。
 今の自分たちには勇者が味方している。ならば、この偽王がどれだけ抵抗しようと、無駄なあがきでしかない。結界が解除されたというなら、セオもすぐにこちらにルーラで戻ってこれるはず。マイーラは確信を持って、偽王に堂々と怒気をぶつけた。
 それに対し、偽王は特に表情を動かしはしなかった。怒りも、慄きも、怯えることもなく――唐突に、なんの予備動作もなく、足元に転がしていた巨大な斧を投げつけてきたのだ。
「――――!!」
「アルヴェロフィシスカ!=v
 不思議な響きの声が響いた、と思いきやマイーラの視界が一瞬途切れ、数歩後退した場所へと移り変わる。転移したのか、と思う間もなく、すぐ目の前にまで迫っていた巨大な斧を、数歩先でレウが剣で叩き落としている姿が見えた。
「…………!」
「レイログアーシスソルヴェルドア……=v
 自分はなぜか、袋を探りながら呪文らしきものを詠唱するエリサリの後ろに立っている。もしや先刻の転移はエリサリの手によるものか、と気づき、一瞬腹立ちと悔しさを覚え――それから、『今自分は殺されようとしていたのではないか』ということに気づき、体中からどっと血の気が引いた。
「おうおうおう、我が愛しの糞小娘が、ちょうどの時間に戻ってきやがったなァ。俺としても、お前を殺す時期には気を遣ってたんだぜェ? サマンオサの現在ただ一人の王女、第一王位継承者。俺を倒そうとする奴らにしてみりゃ最後の希望。その希望が、全力でぶち壊れる時に殺してやりたいじゃねぇかよォォォ?」
「………っ」
「集めたこいつらの目の前でぶっ殺して、血と臓物を上からばら撒いてやろうとか、こいつらに自分で手を下させてやろうとか、どうせなら犯させて殺してやろうとか、いろいろよォ。勇者どもにくっついてラーの鏡を取りに行かせちまったから、この時に殺すのは無理かって諦めかけてたんだけどなァ、魔族どもが混沌を呼ぶ儀式の関係上、王都の連中を殺す時期を遅らせるのは駄目だなんだとやかましいしよォ。うまい具合に戻って来てくれて助かるぜェェ、糞虫どもをもっともっと絶望させられるんだからなぁァァ!」
「馬鹿、なっ……そのようなことっ……そのようなこと許されると思っているのですかっ! そのような真似、サマンオサの領主たちのみならず、ダーマも、他の国々もっ………」
「馬鹿なのはてめぇだろぅがよ。まったく、本気で脳味噌の足りねぇ女だな」
 一瞬偽王の眼差しが零下の冷たさを帯び、自分に向けて心底の軽蔑の意を示した。マイーラの頭がカッと熱くなるが、それとは真逆に身体が勝手にぞっと冷たくなる。
「『許されない』から、どうしたよ? それが俺を止める理由になるとでも? 人間の理屈で、俺が止まると、本気で思っていやがるのか? 本気で救いようのねぇ低能だな」
「なっ……」
「俺をなんだと思ってんだ? 俺は――」
「レグロムミディシエンリィグニト――ラー!=v
 エリサリがそう叫ぶと同時に、ばっと掲げたラーの鏡から眩しい光が放射された。その光は、熱はまるで感じられないのに、まるで火にあぶられた蝋人形のように、父王の姿を成していた偽王の体を溶かし崩していく。
 そして、溶けているように見えるのに、偽王の体はぐんぐんと巨大になっていった。バルコニーの屋根を突き破り、壁を巨体で打ち崩し、体重に耐えきれなくなったバルコニーの床を柱や壁ごと崩壊させ――ぞっとするような生々しい緑の肌と肉で巨体を覆った、城よりも背の高い巨大なトロル族の魔物へと変じて大地に降り立ち、にたぁ、とマイーラに向かい笑いかけたのだ。
「魔物なんだぜぇェェ?」
「………っ!!」
『――――っ!!!』
「ひ、ひぃぃぃっ!」
「きゃあぁぁぁっ!」
 国王が魔物に変じる姿を目の当たりにした民人たちは、一瞬の硬直のあと、絶叫して脱兎の勢いで逃げ出そうとする――が、その行く手をにたにたとした笑いを顔に張りつけた兵士たちが阻んだ。半分以上は魔物へと姿を変え、そうでなくとも狂人の笑みをたたえながら剣を抜き放っている兵士たちから、間近の民人たちは必死に離れようとするのだが、後方から押しつけられる圧倒的な人の圧力に耐えかね、あるいは押し倒されあるいは押し潰されている。
 どちらにしても、広場から逃れることのできた民人は一人もいなかった。万を軽く超す人々の力すらも、兵士たちは平然と跳ね返して広場の中に留め置く。
「おおっとォ、逃がすなよォ? 我が愛しの糞虫ども、てめぇらにはまだ仕事が残ってるんだから、よォォッ!!」
 言いながら偽王(だった魔物)は、手にしていた巨大な棍棒を全力で振りかぶって振り下ろす。――とたん、地面が崩れた。
「…………!!!」
 巨大な魔物の一撃で、広場を成していた地面が崩れ、巨大な穴ぼこと化した。民人たちは悲鳴を上げながら穴の中へと滑り落ちる。
 穴の底は黒く重い泥で満たされた沼だった。足に、時には体にもまとわりついて民人たちを捕え動きを封じる。仕込まれていたのだ、と気づき愕然とするマイーラをよそに、巨大な魔物は大笑した。
「ぎゃあっはっはっはァァ!! さぁて、こいつらをどう殺すか―――」
「――レウさん! もう大丈夫です!」
「おぉっしゃあっ!!!」
 エリサリの叫び声が響く――や、疾風が奔った。バルコニーの崩れ落ちた部分から相当離れているマイーラのところまで衝撃が伝わってくるほどに、迅く、力強い疾風が。
 それと同時にぶしゅぅっ、と音が立ち、血がしぶく。偽王だった巨大な魔物の腹が大きく斬り裂かれたのだ、と数瞬遅れて理解した。
「が――――」
 巨大な魔物は愕然とした表情になり、巨大な棍棒を振り上げる――だが、疾風は止まることなく幾度も幾度も奔り、魔物の腕を、足を、首筋を、胸を次々強く、深く斬り裂いていく。魔物の攻撃など当たりようもない、圧倒的な速さで。
「ぐ、お、ぉぉぉっ!」
 それでも魔物はぶんぶんと棍棒を振り回すが、それでもまったく掠りすらしないまま、疾風は大きく跳んで剣を振るい魔物の首を貫く。そして、小さく、けれど力強く、数語呪文を詠唱した。
「―――始源よ=v
 とたん、目の前の空間が爆発した。
 どこまで爆発したのか認識すらできないほど強烈な、圧倒的なまでの破壊する力。それはマイーラの視界を数瞬占めて、消える。――その後には、魔物たちは、見渡す限り一体も残っていなかった。
「…………!!」
「………え?」
「た……助かった、のか?」
「ま、まさか………あの子が!?」
 うおおぉぉぉっ、と数万の民人がどよめき、自らを救った者に感謝と感服の視線を浴びせる。数万の人間の注目を一身に集めながらも、疾風は――レウは、ふぅ、とどうということもなさそうに息をついてから、こちらに向き直った。
「エリサリねーちゃん、もう、敵残ってないよね?」
「そうですね……軽く探査したところでは、魔物はすべて倒し、人間の敵兵は意識を失わせられているようですけれど……念のため、きちんと時間をかけて精査したいと思いますので、少し時間をいただけますか?」
「ん、わかった」
 言ってしゃっ、と血刀を振るい、拭って鞘に納める、まだ成人にはほど遠いだろう子供。その姿を呆然と見やってから、マイーラはエリサリにしがみついた。
「ちょっと!」
「きゃっ! ……なんですか、あなたは……話聞いてなかったんですか? 私、今調査をしてるんですけど」
「あの子供はいったいなんなのです!? あんな、あっさりと、当たり前のように……あんな巨大な魔物を……しかも、広場中の敵を、巻き添え一人出さず……」
 動転し平常心を失いながらも必死に訴えるマイーラに、エリサリははぁ、とため息をついて答える。
「レウさんにそれができる実力が備わっているからに決まっているでしょう? レウさんは、勇者なんですから」
「ゆ……勇者? あの子供が?」
「勇者の力は年齢に影響されるものではありませんからね。そしてレウさんは、セオさんと勇者の力を同調させ、山のように魔物を倒してレベルを大きく上げています。あのくらいはレウさんにとってみれば児戯に等しい、とまでは言いませんが無理難題というわけでもありません」
「…………」
 呆然とするマイーラに、エリサリは顔をしかめ、ため息をついて言葉を続けた。
「ちゃんと聞いてます、あなた? そもそも、さっき、注意したにもかかわらず突然声を上げて術を解いた詫びも私たちは聞いてないんですけど? 助けたお礼を強要するわけじゃありませんけど、足手まといになったことを詫びる心くらいはいくらなんでも持っていてしかるべき」
「エリサリねーちゃんっ! 敵が……!」
「っ!?」
「…………!!!」
「ギャハハハハハハッ……よくもまぁ、好きにやってくれたなァァ、おい?」
 起こってはならないことが、起こっていた。
 レウの指差す先で、偽王だった魔物が復活しようとしていたのだ。肉片も残さず消滅したはずなのに、緑色の肉がうぞ、ぞぞ、と量を増やしながら形を成そうとしている。どんどんと増殖していく肉塊は、口を造り喉を造り、さっきの魔物と同じ声を響かせ始めていた。
 鋭く警告したのち、レウはまた剣を構え呪文を唱えかかる――だがその動きを、魔物は楽しげに笑いながら制止した。
「おーっとォ、ちょっと待った。俺を殺す前に、ちょっとこの映像を見てもらおうかァ?」
「え、なに……、…………!!?」
「っ………!」
 レウとエリサリが絶句する。マイーラは、魔物が(ついさっき造り出した指で)指した先に浮かんだ映像に、ぽかんと口を開けた。
 それは一見、花壇を思わせた。地面に深く植わったものが、地面の上にいくつも頭を突き出している。――その頭が、人間の頭であることを除けば。
「馬鹿な……まだ人質が残っていたと!? 探査術には反応しなかったのに………!」
「あア、さすが異端審問官、なかなかお見事な腕前だったよなァ? けど、対処できねェわけじゃねェ。あらかじめ魔族どもが準備して、探査術にも引っかからねェような異空間を創っておきゃあ、気づかれねェようにはできるのさ。……ちなみにこいつらは、ただの人質ってわけじゃあねェんだぜェ?」
「なにを……、!! まさか……あなたの、種を植えた、と……!?」
「その通りィィィ! ラーの鏡の対策くらいはこっちもやってるんだよォボケナスどもがァッ! 確かにラーの鏡を使えば『お前らの目の前の』俺は事象化を解かれて殺せる魔物になる。だが俺はもう存在を並列化し、無限の試行の繰り返しをそのものとして『存在』させることができるようになってるのさァ! ……話が分からねェ糞どもにわかりやすく言ってやるとだ、俺はこの映像の中にいる人質共の中に、自分の分身の種を植えている。目の前の俺を殺しても、人質どもに植えた種から復活させることができる、ってことだァ!」
「っ、それじゃ、どうやって倒せば――」
「言うと思うかァクソボケガキがァッ! ……まァ、人間にできるのは、せいぜいが人質どもを一瞬で皆殺しにすることくれェだろォが、この映像に映っている場所は異空間、普通の人間に出入りはできねェんだよなァァ? 異端審問官にしたところで一人や二人じゃ無理だ。そして現在異端審問官はほとんどが混沌に対処するためラーの鏡の洞窟の周辺に待機している! どうしようもねェよなァァ、オイ?」
「っ…………」
「そんな……この異端がそこまで力を強めているなんて……進行速度が速すぎる……!」
「幸いにして、もう一人の勇者は混沌に対処するのにかかりきりでこちらには来れない。ほぼ詰みだよなァ? ……だがまァ、懸案事項がないわけじゃねェ。勇者の仲間が結界を解除しやがったからな、混沌の対処を異端審問官どもに任せればすぐにこちらに飛んでこれる。今自力で対処してんのは……異端審問官どもに任せたら、あの周辺が封印指定地になるせいかァ? まァ勇者らしい、甘ったれた考えだがなァ」
「セオにーちゃんの悪口言ったら許さないぞっ!」
 レウが烈火のごとき怒りの表情で鋭く言い放つ。もはや元の体を取り戻しかけていた偽王だった魔物は、「ふゥん?」と楽しげに笑って、べろぉりと舌なめずりをした。
「まァ、だからこっちも、その万一の場合に備えなけりゃならねェわけよ。勇者の仲間どももどこで動き回ってやがるかわからねェしなァ。だからよォ……」
 ぐい、と魔物は、道具だというのに体の一部のように復活した大棍棒を振りかざし、心底楽しげに言う。
「ガキィ。お前、俺に殺されやがれ」
『………は?』
「なに言ってんだお前……なんで俺がお前に殺されなきゃなんないんだよっ」
「そりゃァ、お前が抵抗するなら、映像の中の人質どもを一人ずつ殺してくからさ」
『――――!』
「もちろんただ殺すんじゃないぜェ? たっぷりたっぷり苦しめながら殺してやんなきゃ楽しくねェもんなァ? 指を一本ずつ切り取ったり、傷跡を焼けた鉄でふさいでやったり、自分の臓物を切り取って食わせたり、腕やら足やらを鉄鑢にかけてやったり、楽しく殺せる方法はいろいろあるしなァ? もちろん目の前の穴に落ちてる連中も人質だぜェ? さっきはお前の動きが早すぎて対処できなかったけどよォ、今度はお前が動く前に何人殺せるか……ククッ、楽しみだなァァ?」
 巨大な魔物が楽しげに話すうちに、さっきまでレウの呪文で消え去っていた兵士たちが、魔物そっくりの楽しげな表情を浮かびながら、魔物同様に膨れ上がるようにして復活する。もはやこの魔物の分身に成り下がってしまったのか、とマイーラはただでさえ血の気を引かせていた顔をさらに蒼くするが、レウはぎりっと奥歯を噛み締めてから、あくまで強気な表情で魔物に問う。
「……なんで、俺を殺すのが、セオにーちゃんたちへのたいさくになるんだ」
「まァ、ひとつには誘いの手だなァ? お前みてェなガキをいたぶって殺されてるところを見れば、勇者の仲間みてェなクソボケどもは勇んで飛び出てくる可能性高そうだし? それに、お前を殺せば、今の俺なら勇者の力を身に取り込める。そうでなくともお前の死体をしもべにするくらいはできるさ。勇者どもに対抗できる有効な手段になる、ってわけでなァ?」
「…………」
「それに、実際よォ。全員を救うためには、これしか方法はねェんだぜェ? たとえお前が逃げ出したとしても、ちょっとでも抵抗したとしても、俺は人質どもをどんどん殺していく。なにせサマンオサ王都で生きてる人間は全員人質なわけだからなァ、気軽にほいほい殺せるわけさァ。ただ、お前が無抵抗で殺すような攻撃を受けながら、それでも耐えて生き延びることができたら――人質を殺さずにすむ、可能性はあるよなァァ?」
 見るからに下衆な舌なめずりをしながら、魔物は地面に立つレウに顔を近づける。その表情だけで、この魔物の言っている内容は当てにできないと誰にでもわかっただろう。こいつは気まぐれでいつでも、いくらでも人を殺す。そういう存在だと知れただろう。
 ――だが、レウは、きっと魔物を睨みつけながらも、剣を鞘に収め、小さくうなずいて言った。
「……わかった。やれよ」
「―――ハ」
 ばぎしゃっ!
 大棍棒がすさまじい勢いで振り下ろされ、大地が大きく揺れる。それほどの剛力を小さな子供にぶつけながら、魔物はいかにも楽しげに笑った。
「なんだァその口の利き方ァ? やってくださいご主人様、ぐらいのこと言えねェのかァ? まァ、口の利き方なんてどうだっていいけどなァ? すぐにそんなモン気にしてられる余裕なんざなくなるんだからよォ」
「……っ、ふ、っ……」
 重みだけで城すら砕く魔物の一撃を受けながら、レウはまだ立っていた。だが、立ってはいるものの、すでに満身創痍という状態に見えた。額は割れ、体中の皮膚が弾けたようにだらだらと血を垂れ流し、足や腕の骨がすでに何本か折れているのが明らかにわかる。
 そんなレウを見下ろしながら、魔物は心底楽しげに嗤った。
「くははッ、お前まだ目が死んでねェなァ。希望を持ってるわけだ。お兄ちゃんなら絶対助けに来てくれるってかァ? 俺ァな、そういう奴を殺すのがだぁ〜〜〜〜い好きなのよォッ!」
 がしゅっ! ばぎゅっ! ぐしゃぎっ! ごじゅっ!
 大棍棒が振るわれるたびに、鮮血が飛び散り、レウの体が壊れていく。普通なら人間など風圧だけで消し飛ぶような攻撃を何発も、何十発も受けながら、レウは必死に立ち続ける――だが、もはやその身体は満身創痍を通り越し、瀕死よりさらに死に近いものに見えた。腕の骨はとうにぐしゃぐしゃになり、足からも割れた骨が飛び出、体にも深く裂傷が入って血が噴き出している。
 それでも、明らかに死に瀕した人のように激しく呼吸しながら、レウは立ち続け、渾身の力を込めて魔物を睨み続ける。それが当然と言わんばかりに。
「やめて……もうやめて!」
 たまらずにマイーラは絶叫する――や、魔物は大棍棒を何度も振り下ろしながらも、楽しげにマイーラに声をかけた。
「おォいおいどうした、我が娘よ。お前は勇者の噂を聞くたびに勇者を呪っていただろう? 憎んでいただろう? どうして助けてくれないのか、ってな。他の困っているところなんか見捨てて、こいつらの都合なんか無視して、自分たちをどうして助けてくれないのかと思っていたんだろうがよォ!?」
「っ………! 違う、それは………!」
 それは。
 ――まったく、違いはしない。自分はずっとそう思っていた。力があるなら、なぜ他の国の勇者は自分たちを助けてくれないのかと思っていた。
 それが当然なのに、と。自分たちは助けられて当たり前なのに、と。こんなに苦しんでいるのだから、他より優先されるべきなのに、と。
「ひゃはははッ、楽しめよォ!? 呪い、憎んでた奴が、こぉんなに苦しんでるぜぇ! ……そうだなァ、なんならお前に、こいつを殺させてやってもいいぜェ?」
「な……!」
「もしお前がこいつを殺せたなら、その褒美に、お前だけは生き延びさせてやる。殺さねェで、勇者どもをぶち殺した後も大事に大事に生き永らえさせてやるよォ。どうだァ? こいつ殺したくなってきただろォ?」
「…………!」
 その言葉に。倫理的に考えるなら唾棄すべきとしか言いようのないその言葉に。
 マイーラの気持ちは、確かに動いた。自分たちの身を、体を張って護ってくれた勇者を、我が身と引き換えに殺したいと、一瞬確かに思ってしまったのだ。
「そォだ、なんなら他の奴らでもいいぜェ? 糞虫ども、お前らの中でこのガキを殺してェ奴はいるかァ? こいつの命の代わりに、殺した奴の命だけは助けてやるぜェ?」
『……………!!』
 一瞬、広場の中はしん、と静まり返り――それから盥をひっくり返したような喧騒に包まれた。
「俺だ! 俺がやる!」
「殺します、殺しますから私だけは……!」
「助けてくれぇっ、なんでもやる、なんでもやるからぁっ!」
「あんた! あたしたちを捨てて一人だけ助かろうってのかい!」
「うるせぇっ、汗水たらして働いても稼ぎをみんな持ってかれる生活にはもううんざりだっ!」
「ぎゃははははッ! いいねェいいねェ、せいぜいもっと喚きやがれよォ? これだから俺はお前らを愛してるんだぜェ? おお我が愛しの人間どもよ、その弱さ脆さ情けなさ、どうしようもないクズっぷりを我は愛する! たっぷり苦しめて殺す時は特になァァ!」
 民人たちの、どうしようもなく醜い争い合う声を背景に、魔物は幾度も幾度もレウを打ち据える。必死に耐えるレウの心ごと砕けよとばかりに。命懸けで自分たちを護っている勇者を、自分一人の命のために殺さんとする人間たちの醜悪さを、思い知らせようとでもいうように。
「―――助けて………」
 耐えきれず、声が漏れる。
「助けて……助けて、助けて………」
 必死に、心の底から、願い、求める。助けてくれと。このどうしようもない惨状から、自分を、すべてを助けてくれと、死ぬほど都合のいい願いを、どこかの誰かに。
「助けて、助けて、助けて、助けて………!」
 繰り返し願いながら、気づいた。ああ、そうか。自分は結局、殺される人々を、処刑されていく民人たちを、対岸の火事としか見ていなかったのだ。
 本当に自分が、親兄弟が殺されそうになっているなら、力を持たない弱い人間ならば、名声だのなんだのそんなものを気にしている余裕はない。頼むから、なんでもするから、お願いだから誰か助けてくれと願うしかない。
 ――そして、勇者はその誰か≠ネのだ。心の底から助けを求める人間に差し伸べられる救いの手なのだ。そんな相手に、これこれが足りないだの、これこれが不満だだの、本当なら考えることすらできるわけがない。
 そして、世界には、勇者にすら立ち向かうのが難しい相手が存在するのだ。魔王のように。目の前の魔物のように。
 なのに、自分は勇者なら当然、自分たちを助けてくれるものと思い込んでいた。他にも助けを求める人はいるだろうに、それよりも自分たちが優先されるのが当然だと思い込んでいた。優先してくれない相手に怒りをぶつけていいと、傲慢にも思い込んでいた。
 ――ごめんなさい。ごめんなさい。謝るから、自分が悪かったと本当に思うから、だから、誰か、誰か――
「助けて、勇者さま…………!!」
 心の底から、喉も裂けよと、マイーラは叫んだ。

「夢見たものはひとつの幸福、願ったものはひとつの愛、山並みのあちらにも静かな村がある、明るい日曜日の青い空がある――=v
 詠いながらセオはもはや残り少なくなっている床を、土を蹴り、空を舞う。四方を囲み、押し潰さんとする圧倒的な闇を、人間とは思えない強固な意志と力と技で、戦い続けている。
 ガルファンは、半ば意識を失いながら、セオに担がれたままで、なにもできずにその光景をただ見ていた。自分にはなにもできないのだと、頭より体で理解していたのだ。あの闇は――混沌と呼ばれていたものは、人の力ではどうしたところで抗しえないものだと。
 だがセオは、どんどんと周囲を万色の闇に呑み込まれながらも、詠いながらひたすらに武器を振るう。その威力にか、魔力にか、闇は確かに退き、勢いを減じていたのだ。
 しかし、それでも、闇はひたすらに圧倒的だった。セオがどれだけ武器を振るい、闇を払おうとも、次から次へと湧き出てくる。――それに対し、セオは一瞬たりとも休むことなく戦い続けていた。もう、何刻か――あるいは何日か、ガルファンが気づけなくなるほど長い間。
「日傘を差した田舎の娘らが、着飾って唄をうたっている、大きな丸い輪を描いて、田舎の娘らが踊りをおどっている――=v
 一瞬休めば食い尽くされてしまうだろう圧倒的な力に、超人的な勘と技術で立ち向かっているのだ。その集中力、本当に、もはや人間を超えているとしか思えない。――それでも、闇を消し去ることも、追い返すこともできていない事実に、ガルファンは今にも消え去ってしまいそうな意識の中で歯噛みした。
「告げてうたっているのは青い翼の一羽の小鳥、低い枝でうたっている――=v
 そして、セオも、超人的な体力と精神力で耐えながらも、少しずつ心身の力が削られていっている、とこれだけ近くにいるガルファンにはわかっていた。この闇は存在するだけで自分たちの存在する力≠ニでも言うべきものを削っていく。セオもそれは同じだ。ただ担がれているだけの自分ですらこれだけ息も絶え絶えになっているのだ、一瞬も休まず戦い続けているセオは、それとは比べ物にならないほど心身を削られているはず。
「夢見たものはひとつの愛、願ったものはひとつの幸福、それらはすべてここにある、と――=v
 詠いながら、荒く息をつきながら、自分を抱えてセオは駆ける。一瞬たりとも休むことなく。片腕を塞がれたのみならず、鋼の鎧をまとった筋骨たくましい男である自分はセオの動きを減じる厄介な錘になっているだろうに、自分を放り出そうとする素振りなど一度も見せず。
 自分がセオにとってとんでもない足手まといになっていることを心底理解し、ガルファンの総身からは血の気が失せていた。自分は、なにを思いあがっていたのだろう。本当に、あのエルフの言っていたように、自分はセオにとって邪魔にしかならないというのに。それも、命に係わりかねない邪魔に。
 自分なら自分の身くらい護れると思っていた。助けになれるとすら考えていた。それがどれだけの思い上がりだったのか、ようやく理解した。
 この世の中には、勇者にすらどうにもできないことがある。それを、ようやく実感した。
 死からの蘇生も決して万能ではない。無限にやり直せるわけでは決してないし、やり直せたとしてもその間に被害が大きくなる可能性は高い。
 それを知りながら、セオは自分のわがままを受け容れたのだ。邪魔にしかならないことを承知で。自分とは引き換えようもないほど価値の低い、ただの勇者の息子の戦士でしかない自分の一方的な言い分を、素直に聞いて――
「っ…………!」
 ガルファンはセオの手を払おうとした。だが、がっしりと自分の体の要所を押さえて担ぎ上げているセオの手は、微動だにしない。駆けながら、武器を振るいながら、しっかりと自分の体を固定している。
 それでもなんとかセオの手を引きはがそうと暴れる自分に、セオは低く、小さな声で告げた。
「ガルファンさん。すいません、できるだけ、暴れないように、していただけないでしょうか」
「それなら俺を放り出せばいいだろう!? いや、頼むから、俺のことなんか放り出してくれ!」
 絶叫する声に、セオは闇との戦いを続けながら、低く小さく応える。
「ごめんなさい。できません」
「なんでっ………! あんたの命は俺よりも価値がある! あんたの力は世界を救える力だ! それがこんな、俺なんかのせいで失われるなんて、あっちゃならないことだろう!?」
「ごめんなさい。俺には、そうは、思えません」
「なにを、馬鹿な………!」
「俺が、こんなに、弱いのが、力が足りないのが、努力が足りないのが、いけないだけ、なんです。ガルファンさんは、本当に、大事なことのために、あえて残るって言った、んでしょう? だから、俺にできることは、全力を振るうことだけ、なんです」
「なんで……なんで、そんな………!」
 当たり前のように。これから世界を救わなくてはならない命を、なんの価値もない自分のために放り出そうとする、心。
 それが勇者の心だというのか――そんな、そんなものが、父の、サイモンの心だと?
 違う、ありえない、そんなわけはない。あの最低の父親の心がこの当然のように自分の命を投げ出す勇者の心と同じわけがない。
 同じだったとしても――自分には、それが正しいとは、思えない………!
「おいっ! 頼むから、もう、いい加減に………!」
 必死に怒鳴りかける――その一瞬、セオの表情はわずかに揺れた。なにかに気づいたように、ふっと後ろを振り向く。
 そのごく日常的な仕草にガルファンは一瞬呆けるが、それはずっと混沌と戦ってきたセオの初めて見せた、致命的な隙だった。四方八方から、上下左右から、万色の闇がセオと自分を包み込み、食い荒らそうと襲いかかってくる。
「…………!」
 ガルファンは声にならない声で悲鳴を上げた。自分の人生の意味、世界を救える勇者をここで自分のせいで死なせてしまう悔恨、父に対する怨念、怒り、憎しみ、そんなものが一気に頭の中を走り抜け――
 光が、輝いた。

「がぁ……ぁっ!!」
 ぐしゃっ、という音を立てて、レウの腕がぐしゃぐしゃに潰された。もはや立ってもいられなくなったレウの体を、兵士の使う槍で城の壁に縫い止めて造られた磔台の上で、もはや身じろぎ程度しかできることのないレウの体は、偽王の手で、徹底的に壊されていく。
「おォうおう、この期に及んでまだ泣き喚くのを我慢するような根性がありやがるのかァ、勇者のしぶとさってなァゴキブリ以上だなァ? ……さァて、次は足かァ?」
「ぎっ! が……あ、ぁ、あぁっ………!」
 骨が肉の中から飛び出るほどに砕かれたレウの足を、偽王は掴む。偽王からすれば人形程度の大きさだろうレウの足を、乱暴に、強引に、ぐいぐいと引く。レウの絶叫など気にも留めずに、というよりむしろ楽しげに。
「ぎ、ぁ、ぐ、あ、ぁ、ぁ、ぁがぁぁ――っ!」
 ぶちぶちぶちぶちっ。死ぬほど気色の悪い、聞いただけでも総身に悪寒が走るような感覚が全身を駆け抜けると同時に、その感覚と同じ音を立ててレウの足が付け根からちぎれた。激痛、激痛、激痛。今日この時まで味わったことのなかった、力で体を壊される圧倒的な激痛。どばっ、とばかりに足から血が噴き出る――それを、奥歯が砕けるほど思いきり歯を噛み締め、ずたずたになった筋肉に思いきり力を入れて、少しでも漏らさぬようにと引き締め耐える。
「ふゥん。頑張るなァ? 足ぶっちぎられて、もう今にも死ぬだろうって状態だってェのに、まだ生きよう生きようって踏ん張るたァ、よッ」
「が、ぎ、あぁぁっ! ぎゃっ、ぐぎあぁぁ――っ!」
 足の傷口にじゅうっ、と赤く焼けた鉄棒が押しつけられ、傷跡が焼き塞がれる。自分の肉の焼ける匂い、という吐きそうな匂いを嗅がされながら、レウは痛みにのたうち回った。激痛、激痛、激痛。これまでに何度も押しつけられながらも、まるで慣れることのできない傷口を焼き塞がれる激痛。全身に針を刺されたような絶叫せずにはいられない悪寒、苛烈なまでの痛みをさらに上から塗りつぶされる苦痛、いつまでも痛みが終わらない心に幾度も打ち込まれる絶望。
 ――それに体中を翻弄されながらも、レウは、鉄棒を離されてしばらく後、また顔を上げた。
「……しぶてェなァ? ガキのくせしてよォ、これだけ痛めつけてまだ心が死んでねェとか普通ありえねェだろォ?」
 偽王が呆れたように巨体で肩をすくめてみせる。その言葉もほとんどがレウの耳には入らなかった。
 耐えれば、みんなが助かる。レウの頭の中にあるのはただそれだけだった。だから、自分がどれだけ痛めつけられようとも、殺されかけたとしても、全力で耐える。そうすれば、仲間が――セオにーちゃんが、ラグ兄が、ロンが、フォルデが、絶対に助けに来てくれるのだから。
 体中を支配する痛みを必死に振り払い、全身の力を込めて偽王を睨みつける。偽王は面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らし――それからにやぁ、と笑った。
「ま、しょうがねェか。ここまで耐えられちゃァ、ここに集まった国民どもを殺すしかねェよなァ」
「え―――」
『……………!!!』
 人々の絶叫する声が聞こえる。もはやろくに顔も見られない人々の声に、レウは必死に震える声を上げた。
「おい……っ、そんなの、俺が、許さない、ぞ………!」
「許さなかったらどうするってェ? これだけズタボロに痛めつけられて、腕はぐしゃぐしゃ足もずたぼろ、おまけに一本だけだってのによォ?」
「そんな……!」
「約束が、約束が違うぞ!」
「そいつが耐えてたら俺たちは殺さないでくれるって……!」
「あァ? 馬鹿か、てめェら? てめェらを殺さない、なんて選択そもそも最初っからありえねェんだよ。なんのためにこれまでえんえんサマンオサの王の皮かぶってたと思うんだ? サマンオサに生きてる人間全員、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺しまくるために決まってんだろうがよォォォ?」
『…………!!!』
「クックックッ、いい声だなァ。その声に免じて、一人だけ生かしてやってもいいぜェェ? このガキ勇者のとどめを刺した奴一人だけを生き延びさせてやる。さァ、立候補はいるかァ?」
『――――』
「俺が! 俺がやる!」
「頼む、頼むから俺に!」
「殺すから、いくらでも殺すから!」
「命だけは、お願い、私の命だけはぁっ!」
「クックック……聞こえるかァ、勇者さまよォ。お前の助けようとした奴らの声がよォ? お前がそれだけぼろぼろになって助けようとしてるってのに、あいつらはあっさりお前を見捨てたぜェ? お前を殺してでも助かればそれでいいってなァ。よォ、どう思うよ、勇者さまよォ?」
「………そんなの、どうだって、いい………」
「……あァン?」
 体が震えて舌も口もまともに回らない。前もまともに見えない、体もろくに動かない。――それでも、レウは必死に顔を上げて告げた。それが今の自分にできることだから。それしかできないなら、全力でやるのが当たり前だから。
「助けたい、から、俺は、全力で、助けるし、護、る……その手を、振り払われるか、どうか、なんて……いちいち、考えて、どうすんだ、よっ……」
「……ふゥん? つまり、お前は、こいつらがどうしようと知ったこっちゃなくて、ただ自分のために人助けしてるだけだから、なんとも思わないってかァ?」
「―――っ、かな、しいよっ………! そんなの、当たり前、だろぉっ………!」
 必死に押さえ込んできたものが溢れそうになるのを、ぼろぼろの体中の力を込めて押し留める。苦しい、辛い、そんな感情が一気に暴れ出しそうになる。
 ――それでも、負けたくない。
「くる、しいし、くやしい、し、なきたく、なるよっ………! でも、俺は、自分で、たすけようって、きめたんだ。それ、うらぎられたって……たすけようとしたひとたちうらぎるのは、ぜったい、いやだ………!」
 ムオルでたった一人だった自分は、セオたちに会って、ここまで来ることができた。それは自分の意志で、自分の決定だ。ちょっと辛いからってその責任を他者に押しつけるのは、かっこ悪い。
 セオの苦しみは、たぶん、こんなものじゃなかった。一月半の間、ずっとずっと、体中を瀕死の苦しみに支配されていたセオは、きっともっとずっと苦しかった。
 それでも、セオは一言も、愚痴も言わず文句も言わず、ごめんなさい、ごめんなさいと自分を責め続けていた。自分自身の想いと意志で、それに耐え抜いたのだ。
 それがいいことなのかどうか、レウにはまだよくわからない。セオが苦しんでいたのは悲しいし、辛かった。今さら蒸し返すのは嫌だけど、思い出しただけでちょっと苦しくなる。
 でも。自分は、セオと一緒に戦おうとしてるんだ。あの大好きな人に、偽王を倒してくれと託されたんだ。なのに、これくらいの苦しさに負けて、たまるもんか―――!
「………ふゥん。そうかいそうかい。んじゃ、お前がそういう奴だからってことで、こいつらは全員死刑に決定だなァ?」
『――――!!!』
「さァぶち殺せ。痛めつけ苦しめて絶望させろ! 必死に命乞いする奴らの首、全部落として踏み砕け! 殺して殺して殺しまくれ、それが俺の喜びだァッ!!!」
「やめろおぉぉっ………!!」
 必死に叫ぶ。けれど体に力が入らなくて、ろくに声も出ない。体も動かない。目もまともに見えない。
 だめだ、いやだ、こんなの、だめだ。いやだ、そんなの、かなしい、くるしい。どうしよう、どうすれば、なにをすれば。
 誰か、助けて。
「……セオにー、ちゃんっ………!」
『罪咎のしるし天に顕れ、降り積む雪の上に顕れ=x
 え、と思った。聞き間違いかとすら一瞬思った。けれど、その声は、ひそやかに、けれどひどくはっきりと、自分たちに向けて届けられる。
『木々の梢に輝き出で、真冬を越えて光がに=x
「……なんだァ? この声……」
 集まった人々も、それを殺そうとする奴らも、一瞬動きを止めたのが感じられる。偽王すらも動きを止めて怪訝そうに周囲を見回している。体はぼろぼろなのに、なぜかはっきりと感じ取ることができた。
 それは、この声が――大好きな人の声が、自分に届けられたから。
「――セオにーちゃんの声だっ!!!!」
『犯せる罪のしるしよもに現れぬ―――!=x
 カッ!
 世界が光に包まれた。何百、何千、何万を数えるほどの圧倒的な輝きを持った光条が、世界を打ちのめす力を伴った雷となり、天からすべてを砕かんと降り注ぐ。
 レウにも打ち下ろされたその裁きの雷は、けれどレウにはひどく優しい温もりを持って、体中をそっと包んでくれる。
『――どうかこれが兜率の天の食に変わって、やがてはお前と皆とに、聖い資糧をもたらすことを、わたくしの全ての幸いをかけて願う!=x
 打ち下ろされた雷が、ほわ、と優しい光球になって宙を舞う。レウを包んだ光も、同様に。なにもかもを一瞬見えなくするほど、圧倒的な光ですべてを包んで――それが消えた瞬間、レウは体中の傷がすべて消えていることに気づいた。腹に突き刺さった槍も、体から弾かれて地面に落ちる。
 すたっと地面に着地し、ばばっと周囲を見回す。集まった人々の周りに群がっていた兵士たちは、すべて消滅していた。今思うと声の間合いと気配からして、兵士たちはすでに集まった人々に襲いかかり始めていたと思うのだが、見渡す限り人々には傷一つなくこわごわと周囲を見回している。
 残っている敵は、体を幾筋もの雷に打たれながらも、まだ生き延びている偽王一体。
「―――遅れて、ごめんね。レウ」
「………っ、セオにーちゃんっ!」
 ありったけの歓喜を込めてそう叫んだ声に、ふわりと宙から舞い降りたセオは、自分の方を向き、一瞬ぎゅっと眉を寄せてから、静かな表情で小さくうなずいた。そしてゆっくりと偽王の方を向き、静かに――けれどレウの肌が痺れるほどの、裂帛の闘志を込めて武器を構える。
 偽王は体中を焼かれ、呻き、苦しみながら、信じられないとでも言いたげに自分の傷を見渡す。
「馬鹿なァ……なぜ、なぜ傷が治らないィ!? 人質の映像は変わらず映ってるってのに――」
「阿呆が。なんのために俺たちがレウが苦しんでいるのをみすみす放置していたと思っている? お前の蘇生を防ぎ、かつ他に犠牲を出すこともできないように、あらかじめ対処していたからに決まっているだろうが」
「ロンっ!」
 すたり、と舞い降りたロンはにやっ、と楽しげな笑みを自分に送ってみせる。その横に、ずんっ、と重々しく頼もしい足音が進み出た。
「お前の小細工を、ロンはしっかり見抜いていたんだよ。結界を解除した時に、既にな。だから結界を解除するや俺たちを集めて、異界に入り込んでお前の従える魔族たちを倒しつつ映像やらなんやらには影響の出ないよう細工してあった。そしてセオの到着を待って、人質から一気に、種を抜いた。セオの勇者の力を使ってな。そしてこれ以上増殖できないよう、気づかれないようにこの地に結界を張って、急いでここまで転移したわけだ。気分的にはもっと早くこっちに来たかったけどな……。レウ、よく頑張ったな。ここから先は、任せておけ」
「ラグ兄っ!」
 そして、軽々と体を操って、高いところからレウの隣にほとんど音を立てずにしなやかな体が着地する。
「ったく……ガキのくせして、泣きもしねぇし助けも求めねぇなんぞと、意地張りやがってよ。そのせいでセオがぎりぎりまでお前信頼して被害が出ねぇように処理する、とか意地張ってたんだぜ。今すぐ助けたがってんの見え見えのくせしてよ、ったく面倒くせぇったらねぇっつーの」
「フォルデっ!」
「面倒くさいということではお前も負けてはいないと思うが?」
「うるせぇ。こっちはこれからしこたま借り返してやるって気分で満々なんだ、水差すんじゃねぇよ」
「……まぁ、それは同感かな。サマンオサの偽王。君の、種、だったか? それはまだ全部潰せていないよ」
「………、なにィ?」
「できるなら潰すところまでやりたかったんだけどね、絶対に逃げも隠れも増えもできないように、っていうんで結界の方に注力してたから。だから、その種は今、全部セオの手の中にある」
「ク……ククッ、てめェら、脳味噌ねェのか? そんなもん言ったら、俺がその種全部発芽させることもたやすいってことも」
「脳味噌ねぇのかはこっちの台詞だってんだよクソカス猿が。てめぇがその程度の数増えたところで、きっちりしっかり他に被害出す暇もなく殺しきれるからわざわざ出てきて長話してんだろーが」
「なッ……」
「まぁ、ここまで俺たちの仲間を弄んでくれた分、お前にも死ぬほどの屈辱くらいは味わわせてやりたかったしな?」
「手加減はしない。まぁ、数が増えた分苦痛もその分増えることになるわけだけど、俺たちも正直かなり怒ってるんでな」
「さぁて、よくもまぁさんざんクソッタレな我慢させてくれやがったよなぁクソハゲ猿が……うちのクソガキをいたぶりやがった礼、のしつけて億倍にして反吐吐くまで返しまくってやるから覚悟しやがれ!」
「てッ、てッ、てめェらァッ………!」
 セオがす、と一歩前に進み出る。そしてゆっくりと掌を開いた。その中から強烈な存在感が溢れ、周囲に数えきれないほどの巨大な魔物――偽王が現れていく。
 だがセオは静かに、そして淡々とした哀しみをもって、穏やかな声で告げた。
「―――ごめんなさい。俺、あなたを、殺します」
 その瞬間、世界は閃光に満たされた。
 さっきまで自分をいたぶっていた魔物が一瞬で数えきれないほどの数姿を表し、大棍棒を振り上げる。がそれより早く、ドラゴンテイルが幾十、幾百に感じられるほどの速度で軌跡を描き、偽王たちの目を、腕を、体を斬り裂き、悲鳴を上げさせる。そしていつの間にか呪文を唱え終えていたロンがとん、と杖を突くや、大爆発が湧き出て偽王たちを次々打ち砕く。そしてラグがすさまじい気迫と力を持って一撃を振るい、偽王たちを一気に薙ぎ払う。そして、セオが、駆ける。迅雷の速度で空を駆け、剣を振るい、偽王の体に突き立てる。
 一瞬のうちにその攻防を何百回も繰り返し、セオたちは武器を下ろす。――それを最後に、偽王たちはすべて、肉片ひとつ残さず消滅した。
 それをレウは思わず見守ってしまい、一瞬しまった出遅れた、と思う――けれど、それ以上に、胸の奥から湧き上がってくる感情に突き動かされ、セオたちめがけて全速力で走った。
 こちらに向き直るセオに、ラグにロンにフォルデに、全身の力と想いを込めて思いきり突撃し、抱きつく。
「ぷわっ! こらてめっ」
「おっと、これはまた熱烈だな」
「はは、っと。もう傷は大丈夫なのか?」
「………レ、ウ。あ、の………」
「みんなっ、セオにーちゃんっ………」
 泣きそうなくらいの嬉しさで、満面の笑みを浮かべながら。
「ありがとーっ!!!」

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