サマンオサ〜アリアハン――9
「我らがサマンオサに乾杯!」
「アリアハンの勇者たちに乾杯だ!」
「我らに恵みを授けたもうた太陽神ラーに乾杯!」
 サマンオサの街は、街中が宴の真っ最中のような雰囲気に包まれていた。道いっぱいに積み重ねられた酒樽から、人々は次々酒を汲み、呷る。隣の人々と杯を交わし、肩を抱き合って喜びを分かち合う。三年という不遇の時は、誰にとってもそれだけ重いものだったのだろう。
 偽王を圧倒的な力によって倒したのち、セオたちはサマンオサ城に乗り込んで国王グスタヴォ・カリージョ・トゥピナムバーを囚われの身から救い出した。グスタヴォは勇者に感謝を捧げるとともに自らの力の不足を詫び、国民たちに対しても公式に謝罪することを決定。その政策の一環として、偽王からサマンオサが解放された今夜は、城の食糧庫を解放し、街中の人々に酒と料理を振る舞うことに決めたのだ。
 城に集められた料理人たちを総動員して作った料理が次々王城前広場に運ばれ、王城の酒蔵をひっくり返して集めた酒樽も王城前広場に並べられる。国民はそこに集っては散り、乾杯の叫びをくり返す。
 そんな中、マイーラは、一人街を歩いていた。王女であるマイーラが一人で城下町を歩くなど本来あってはならないことだが、今日ばかりは無礼講ということか、さすがに囚われていた父王は王城で休んでいるが、本来そうそう街中を出歩くなど許されない大貴族や令嬢たちまでもが何人も街で国民たちと杯を交わしているということを聞き、自分もできれば街を一人で歩きたいと願い出たところ、幸いにして許されたのだ。さすがにサマンオサが解放された宴の最中に、サマンオサ王女を害するほどの慮外者はいないだろうと考えたのだと思う。
 マイーラ自身も、そう確信していた。サマンオサの民はみな勤勉にして実直。サマンオサ王家に対する忠誠心も深く、偽王のような邪悪な意志に強制されることのない限り王女を害する輩など現れようはずがない。
 ――いや、『確信できていた』のだ。偽王にいたぶられ、苦しみながらも必死に耐えるレウを見ておきながら、『こいつを殺せば命を助けてやる』という偽王の誘惑に勇んで応じた民人たちを見るまでは。
「偽王を打ち倒した勇者たちに乾杯!」
「ついでに勇者さまの生まれたアリアハンにも乾杯だ!」
 そんな風に民人たちは、満面の笑顔で杯を打ち合わせる。その中に、偽王の誘惑に勢い込んで諾と応えた者たちがいることをマイーラは知っている。
 それだけではない、自分の中にもそういった感情があった――いいや、今も存在していることをマイーラは知っていた。自分たちは助けられて当然だという傲慢、そのためなら相手の都合など無視していいという思い上がり、のみならず自分たちのために血を流し、骨を砕かれながらも必死に立ち上がり自分たちの敵に立ち向かってくれた少年を、『自分のためならば殺していい』などと考える怖気を振るうほどの独善が、自分の中には確かに在る。
 それに心の底から嫌悪感と拒否感を覚えながらも、その感情を打ち消すことができない。こんなことを感じ、考える自分など消えてしまえばいい、とすら時に激しく思いながらも、『自分だけは助かりたい、助けてほしい、助けられるべきだ』と感じてしまう自分がいることを否定できない。
 自分がこれほど醜い存在だったということに、マイーラは心底吐き気を催し、苦しんでいた。正直サマンオサが救われたという喜びすら、凌駕してしまうほどに。
 だがそれと同時に、それ以上にと言っていいかもしれないほどに、勇者たちのことが気になっていた。
 勇者たちはサマンオサを救ってくれた。自分が願った通りに、圧倒的な力をもってすべてを解決してくれた。
 だが、彼らの言葉を聞いた限りでは、彼らは知っているはずなのだ。サマンオサの民人たちが偽王の誘惑に屈した、というよりむしろ自ら便乗したこと、そして自分があのレウという少年を殺して自分が助かりたいと思ってしまったことを。
 父王を助け出した後、勇者たちは全員王宮に客として迎え入れられたが、用事があるとかで、それぞれ一時宮殿から退出した。晩餐までには戻って来てくれるよう頼んではあるのだが、マイーラには彼らが戻って来てくれるかどうか、心もとないように思えてしまったのだ。彼らにとって、サマンオサから与えられるいかなる栄誉も価値のないものなのではないかと思えてしょうがなかった。自分たちは、あの時、それだけの醜態を見せつけたのだから。
 それを知りながら当然のようにアリアハンの勇者に乾杯を叫べる民人たちの心根はマイーラにとってこの上なく汚らわしいものに思えたし、サマンオサという国そのものにすら幻滅の念を抱かざるを得なかった。それを承知しているがゆえに、父王に対してなにも抗議することなく宮殿を出て行った勇者たちを、矢も盾もたまらず追いかけずにはいられなかったのだ。会って、彼らになにを言えばいいのかもわからないまま。
「………、…………」
 目深にフードをかぶって変装し、王女と看破されることのないよう備えながら城下町を歩くこと数刻。もはや、陽は落ちかけかがり火が焚かれるようになってきた。おそらくは民人たちは夜を徹して偽王の暴政から解放されたことを祝うつもりなのだろう。
 だがマイーラはいくらなんでも晩餐までには王宮に戻らねばならない。おそらくは床から起き上がることのできない父王の代わりに、客人たちをもてなす責務が自分にはある。
 だが、それはよくわかっているけれど、ここで勇者たちを見つけられないまま宮殿に戻ってしまっては、もう二度と勇者たちに会えないのではないかと、そんな想いがどうしても抑えられなくて――
「おぉ、そこのお嬢ちゃん! あんたも一緒に呑まねぇか!」
「サマンオサの解放記念日だ、一緒に呑んでぱぁっとやるとしようぜ!」
 道端に座り込み酒を乾していた男たちが、ふいに声をかけてくる。本来王女であるマイーラにそんな無礼な声をかけてくる者など居てはならない、即刻無礼討ちにもなりかねない話だ。なのでそんな声をどうかわせばよいのか知識が全くなく、一瞬その下品さに気圧されて硬直する。
「なんだよねえちゃん、んなつれなくするなって。せっかくの宴だろぉ?」
「いつも渋ちんの国王陛下様が珍しく振る舞い酒出してくれてんだ、嫌ってほど酔っぱらわなけりゃ申し訳ねぇってもんだろうがよ」
 男たちは笑顔でマイーラに近寄ってくる。おそらくは下層階級に位置する者たちだろう。その身体からはもはや染みついているのだろう、酒と汗の入り混じった吐き気を催すような臭いがぷぅんと匂ってきた。
 敵意のあるなしに関わらず、自分の人生にこれまでほとんど存在していなかった下賤と呼ばれる相手に反射的に恐怖を覚え、「無礼者!」と思わず叫んでしまいそうになった瞬間、ふいに視界が覆われた。『巨体』と言いたくなるほど背の高くがっしりとした体つきの男性が、マイーラと男たちの間に割って入ったのだ。
「おっと、悪いな。こちらは俺のお客なんでね。悪いが、女が欲しいなら他を当たってくれ」
「ちっ、なんでぇ、男つきかよ」
「男買えるほど金ある奴がここらに来てんじゃねぇよ、ったく」
 そんな忌々しげな声をかけて去っていく男たちの姿は、目の前の男の背中に遮られてまるで見えなかった。男たちの足音が消えてしばらくののち、目の前の男はくるりと振り返り、こちらに顔を見せてため息をつく。
「王女殿下。こんな場所になにをしに来られたんですか? いくら街中が宴会してるようなもんだろうが、そんな上等な服を着て下町に来るもんじゃないですよ」
「あなたは……戦士、ラグディオ?」
 ややうろ覚えの名を呼ばわると、戦士ラグディオは「ラグでいいです。王女殿下にいちいちきっちり呼ばれるほど上等な名前じゃないですからね」と肩をすくめてから、表情を厳しくして改めてマイーラに向き直る。
「それで。本当に、なにをしにこんなところへ? ここらはあなたのような人が来るべきところじゃないですよ。あなたにとっても、ここの住人にとってもね。さっきの奴らも、あなたの服やらなにやらに気がついていたら、ああも好意的に声をかけるなんてまずなかったでしょうし」
 言われて初めて周囲をある程度冷静な目で見まわし、この辺りがどうやら貧民窟と下町の中間あたりに位置する場所らしいと見当をつけた。貧民窟ほど人が涸れてはいないが、下町より街の雰囲気は厳しい。気がつかないままいつの間にこんなところまで歩いてきたのか、と驚きながらも、マイーラはきっと戦士ラグを見上げた。自分がここに来たのは、彼を含めた勇者たち≠ノ話を聞くためなのだから。
「……私は、あなた方勇者のパーティに、聞きたいことがあって探していたのです」
「俺たちに? 話なら晩餐の時でよかったでしょうに」
「それは……そうなのですが」
 晩餐のような改まった席ではあなたたちはなにも話してくれないのではないか、と考えたと正直に話すのもためらわれて、一度うつむく。だがすぐに顔を上げ、毅然とした話し方を心がけながら訊ねた。
「私は、あなた方の正直な気持ちをお聞きするためにこうして参ったのです」
「正直な気持ち……ですか?」
「ええ。ここには衆目はありません。盗み聞きをする輩もいないでしょう。だからこそ、私はあなたに正直な感情をお聞きしたい」
「正直な感情、といいますと?」
「……あなたたちは、我々を、恨んでいないのですか?」
 そう問う時は、毅然とした振る舞いをと思っていながらも、耐えられずにどうしても視線が下に流れた。第一王位継承者としての至らなさを叱責された経験は何度もある。だが、マイーラ自身本当に恥ずべきことをした、と自覚しながら自身の是非を問うことはこれが初めてで、どうしても心が怖けてしまったのだ。
 戦士ラグはしばしの沈黙ののち、落ち着いた声で問い返す。
「王女殿下が訊ねられているのは、あなたとサマンオサの国民の方々の何割かが、自分たちを護って戦っているレウが死にそうなくらいに痛めつけられた時に、レウを殺せば命を助けてやる、と言われて、勇んで応じた件についてでいいんですか?」
「………はい」
「そうですね……俺は、別に恨んではいませんよ。当たり前のことだと思いますし。たとえ自分を助けてくれている相手だろうが、自分たちのためにぼろぼろに傷ついている幼子だろうが、自分が助かるためなら犠牲にしていい、って考えるのは人なら当たり前のことだと思いますから」
「っそんな!」
 ばっと顔を上げるマイーラを、戦士ラグはあくまで落ち着いた表情で見返す。
「そんな?」
「……だって、そんな、ことは……本当は許されるべきでは、ないでしょう? 自分たちを護ってくれている、勇者たちに……自分たちのために今まさに血を流し、痛みに耐え、必死に敵に立ち向かっている戦士たちに……しかもあんな幼い少年に、自分のために殺されろ、それが当然だ、と思うなど……外道としか言いようのない所業ではありませんか!」
「いや、普通人間っていうのは外道なものでしょう? 自分のためならば、自分以外のものはいくらでも犠牲になっていい、それが当然だと心のどこかで考えている。そうでなければこの世から戦が絶えもしなければ、貧困が解消されもせず、喧嘩だの奪い合いだのしょうもない争いがなくならないわけがないですし」
「ですが! それをよしとしてしまっては、人が人である理由もないではありませんか! どんなに今愚かであろうとも、少しでもよき道を選び、進んでいかなければ人が人として生まれた甲斐もなくなってしまうでしょう!?」
「まぁ、そうですね。……でも、人はそれが正しい≠チていう理由だけで、いつもいつも真っ当な道を選べるわけでもありませんからね。そっちの方が楽だからとか、そっちの方が心地いいからとか、あとは迷った挙句に錯乱してとかその場の勢いでなんて理由でも、あっさり道を外れるし間違ったことだっていくらでもしでかすもんです」
「あなたはそれでいいと思うのですか!」
「いい∞悪い≠カゃなく、人間っていうのはそういうもんだ、っていうだけですよ。どんなに偉い人がこちらを選ぶべきだ、って力説しても、それはきれいな場所から、上の視点からこちらを見下ろして言っているようにしか聞こえない。たとえその人がどれだけ苦しみ努力していようとも、自分が苦しいと感じていることの方が重要なことに感じられてしまう。……あなたにも心当たりがあるんじゃないですか?」
「っ………」
 マイーラは言葉に詰まり、うつむく。そうだ。確かにそうだ。反論のしようがない。自分の中にはそういう感情がある、と自覚してしまった今のマイーラには。
 だが。けれど。それでは、あまりに。
「……あなた方は、そんな人々のために、命を懸けて戦うというのですか。そんな、醜く、浅ましい、傲慢な人間たちのために………」
 そう絞り出すようにマイーラが問うと、戦士ラグは、なぜか「え?」ときょとんとした声を上げた。
「……ああ、俺たちが勇者のパーティだからですか。世界を護って魔王と戦うから。……俺は、はっきり言ってそんなこと考えたこともないですよ」
「え!?」
 勢いよく顔を上げたマイーラを、戦士ラグはまたも落ち着いた表情で見返す。だが、その表情の下に、刃のような鋭さがあることにマイーラは気づき、思わず身を震わせた。
「人間が外道なのは当たり前です。だけど、だからといって仲間を傷つけられて、当たり前だからって許せるわけじゃない。別に恨んじゃいませんが、少なくとも俺はレウの命を奪って生き永らえようとした連中を許しはしませんし、それを忘れてよかったよかった、これですべてめでたしだと喜んでいる奴らには心底腹が立つ。まぁ、偽王の支配下にあった以上、レウのことだけじゃなく、そこかしこで似たようなことは起こってるんでしょうけどね」
「…………」
「ただ、俺自身にもそういう面はある。俺の中にも自分のためなら他人を犠牲にしてもいい、って考えてしまうような外道な部分っていうのは間違いなく存在する。だから仕方ないか、ととりあえず気にしない振りができるだけです。あの時レウを犠牲にしようとした奴が俺たちにすり寄ってきても、ふざけるなと叩き出すくらいのことはするでしょうけどね」
 マイーラは思わず目を瞠る。
「あなたにも……そういう、面が?」
「ええ。俺たちは勇者の仲間ではあるけど、勇者じゃない。ロンも、フォルデも、きっと似たように考えてると思いますよ。世界を護って戦うっていうのも、俺たちは別に世界の人々のために戦おうって思ってるわけじゃない。その世界の人々≠チていうのが、護られている時はちやほやしておきながら、いざ自分が損なわれそうになったらあっさり掌を返して口を極めて罵るような連中だっていうのはよくわかってますからね。そいつらが自分のために生きてるのと同じように、俺たちも自分たちのために生きる。それだけです」
「……では……あなたは、なんのために戦うというのですか」
 震える声で問うたマイーラに、戦士ラグは苦笑して肩をすくめた。
「まぁ、一言でこれだ、って言いきれるほど単純な人生を送ってるわけじゃないですが……俺が世界を護るために戦う一番きれいな理由は、セオのため、ですかね」
「勇者……セオ、のため?」
「ええ。俺が人でなしの力を授かったのはセオのおかげですから、その力はセオのために、セオの想いのために使うのが当たり前でしょう。そしてたぶん、セオにはこれからも、俺たちの力が必要だと思いますから」
「勇者、セオは……世界を護るために戦う、と?」
「ええ」
 戦士ラグはまた苦笑し、遠くを見るように目を眇める。
「セオは……レウを見ていても、勇者っていうものにはそういうところがあるんだろうな、とは思うんですが……本当に、いい子でね。あの子は本当に、心の底から真剣に、世界のすべてを護りたい、なんてことを考えている。世界の人々が自分を護るためにどんなに醜い真似をしようが、自分がどれだけそのせいで傷つけられようが、世界を護るために全力を尽くそうとする。あなたが以前言った『なんでもっと早く来れなかったのか』という言葉にも、あの子は心の底から大真面目に受け止めて、申し訳ない、自分が至らなかったと傷ついて、そしてますます力の最後の一欠片まで振り絞って、命を、世界を救おうとするんです。それまでも、自分の命を犠牲にしてでも世界の助けになろうなんてことをしてきたのに」
「…………っ」
「俺は、そんな、世界がこの上なくきれいなものだとでもいうように、世界のために全力を尽くすあの子の力になってやりたい。あの子を傷つけるものから護り、あの子がやろうとしていることの手助けをしてやりたい。あの優しい子が世界に、人生に押し潰されるようなことのないようにしてやりたい。だから、あの子のそばで戦う。それがたぶん、俺の一番上等な戦う理由、ってやつなんでしょうね」
 そう言って、また戦士ラグは苦笑した。

「……それでわざわざ俺を探していた、と? それはまたご苦労なことだな、お前にもなにか用事があったんじゃなかったのか」
「まぁな。けど、まぁ俺の方も、とりあえずの話はつけられたから。今日はもうこれ以上話しても意味がなさそうだったし、王女殿下を放っておくのもなんだったからな。護衛くらいはした方がいいと思っただけさ。……お前はどうなんだ? まぁ、お前の場合どんな時でも女性と話をするってだけで嫌がりそうだけど」
「ふん……まぁ、もともとやっておかなくてはまずいことがある、というわけでもなかったからな。単に俺の心情的に、やっておきたいことがあっただけだ」
「……邪魔だったか?」
「まぁ、な……だがまぁ、こうして会ってしまった以上は仕方がない。とっとと話を済ませてお引き取り願うとするさ」
 自分の頭の上で繰り広げられるそんな会話に、マイーラは小さくなりながら声をかけられるのを待った。一国の王女に対してこのような無礼な言い草など、本来なら許しておけない、許すべきではないことだろう。だが今自分が(自分たちが、と言うべきか)どれだけ勇者たちのパーティの不興を買っているか知っていながら、あえて話を聞こうとしている自分には、大上段にものを言う資格はない、とひたすら小さくなるしかなかったのだ。
 戦士ラグがさして時間もかからず探し出した賢者ジンロンは、一人酒杯を片手に、貧民窟近くの道端の瓦礫の上に腰かけ、なにをするでもなく物思いにふけっているように見えた。だがそれでも彼らの仲間に対し、命を懸けて護らんとする誠意に泥を撒き散らすような行為をしたことを考えれば、おつりがくるどころか比べ物にすらならない。なにを言われても従容と受け容れるつもりでうつむいていると、賢者ジンロンははぁ、と息をつき、冷たく棘を持った声音で吐き捨てた。
「黙って言われるままになっておけば罪を免れられるとでも思っているんじゃないだろうな」
「………っ」
「お前らがどんな下衆な考えを持っていようが自由だがな、お前らは俺の仲間が、それもあんな年若い子供が文字通り命懸けで自分たちを護るために戦っているというのに、その想いに応えないどころか堂々と踏みにじって放り捨てたんだぞ。そしてこれまで誰一人として自身の、あるいは自国民の行為を詫びようとする者がいなかったという時点で、俺がお前らに好意的に接してやる義理などこれっぱかりもなくなっていると思わんか?」
「………それは、わかっています」
「ほう?」
 マイーラはきっと顔を上げ、賢者ジンロンを睨み据え口を開く。煮えたぎる感情が、必死に抑えようとする理性を無視して暴発するように口を動かす。
「私も自分たちの行為がいかに醜く、身勝手なものかはわかっています。ええ、あなたなどに言われなくてもよくわかっています。あなたに責められなくとも嫌というほど!」
「ふん、居直りか? 見苦しい」
「っ………! あなたなどに偉そうに言われる筋合いはないと言っているのです! 私たちが、いえ、少なくとも私が、どれだけ重い罪悪感に苦しめられているかも知らずに……!」
「罪悪感に苦しめば自分の罪はすべて許されると? ほう、これはまた都合のいい法規もあったものだ。自分が王女だから法はすべて自分の思うままにできると? 醜悪にもほどがある思い上がりだな」
「私はそんなことを思ってはいません! 私はただ、自身の過ちを認めたからこそ、聞くべきことを聞こうとして……」
「それになぜ俺たちがつきあう必要がある? 自分の言うことはすべて正しく考えることはすべてかなえられるべきであるというありふれた王侯貴族の思い上がりは通用せんぞ。まぁ、そうでなくともそのような反吐が出る正当化につきあってやるようなお人好しはそうそういないだろうがな」
「…………っ! あなた、あなたなどに、そのようなことを言われる筋合いは――」
「王女殿下。そこまでです。ロンもいい加減にしろ。王女殿下の本音を引き出したいのはわかるが、むやみに攻撃する必要はないだろう」
 自分と賢者ジンロンの間に割って入った戦士ラグに、マイーラは一瞬ぽかんと口を開いた。
「本音……?」
「正確には少し違う、王女殿下。俺は単に、あなたが抱える自身の罪とやらの深刻度が知りたかったのさ」
 先ほどまでの悪意に満ちた口調とは打って変わって冷静な声音での言葉に、またも一瞬口を開いてしまう。
「深刻度……? とは、どういう」
「つまり、俺はあなたが抱いている罪悪感は、ちょっと外からつつかれればムキになって正当化しようとできてしまう程度のものなんじゃないかと思って、実際につついてみせたわけさ。そして思った通りの結果が出て大変納得がいった」
「………!」
 さっと顔を青ざめさせるマイーラに、賢者ジンロンはさして怒りも苛立ちも嘲りも、得意そうな素振りさえ見せずにごく落ち着いた表情で肩をすくめる。
「まぁ王女殿下、これは客観的な事実として申し上げるが、人間が他者に攻撃された時自己防衛のため自己の弱点を無視し相手を攻撃し返そうとするのはごく当たり前のことだ。誠実さや謙虚さのかけらもない振る舞いなのは確かだが、そういった美徳を持ち合わせている人間は世界でもごく一部だからな、気にする必要はない。俺自身分類するならそちら側だろうしな。だからあなたの犯した罪とやらを責めるつもりもないし、罪悪感を抱く必要があるとも思っていない。さっきのように居直って、正当化して、無視して忘れてしまうのが一番普通のやり方だと思うが?」
「っ………でも、私は……っ」
 自分の心が自分でも醜いと感じられるものだと知ったとしても。自分の器が小さいと思い知らされたとしても。自分などどこにでもいる弱く醜い人間にすぎないと理解したとしても。
 心の中に、まだ納得していない部分があるのだ。知って納得したいと叫ぶ心が在るのだ。自分でも驚くほど確かに感じられるそれを無視して、忘れるなんてことは、できないだろうし、絶対にしたくない。
「……まぁ、いい。セオにとって王女殿下の話が福音となる可能性もないとはいえんしな」
「え……」
「この道を五十丈ほどまっすぐ行って、リディセ通りの方に曲がって二十丈、それからヘロニモ通りの方に十丈ほど行った辺りに、フォルデがいる。セオの居場所はあいつに聞くのが一番早いだろう。そこまでの護衛役は、俺が用立てる。失言した詫び、というわけではまったくないが。俺としては失言した覚えはないのでな」
 そう言って肩をすくめる賢者ジンロンの顔は、さっきとまるで変わらぬ落ち着いた、というより飄々としたものだった。

 首都の地理は一通り頭に入っているつもりだったとはいえ、もう陽も暮れかけている中で、普段は馬車ですら近寄りもしない辺りを歩くのはやや手間のかかることだった。自分が今どこにいるか、たえず頭の中の地図と照らし合わせなければ動けないし、その地図と目の前の光景を結びつけるのはどうしてもそれなりに時間がかかる。
 だがマイーラはできるならば一対一でセオたち一人一人と話したかったので、これ以上戦士ラグに案内されずにすむがゆえに賢者ジンロンの用立ててくれた護衛≠受け容れた。たとえそれが浮遊する人魂にしか見えない、不気味なことはなはだしい代物だったとしても。
 賢者ジンロンの心得ている呪文のひとつによって創り出されたこの人魂は、護衛する対象と設定した者を害する相手に自動的に攻撃呪文を放つという代物らしい。賢者の言葉に疑いを差し挟む気はないが、自分の隣をふよふよと人魂がついてくるというのは、あまり嬉しくない状況ではある。
 だがそれでも、マイーラはセオたちと話し合いたかったのだ。一対一、対等な人間同士としての公平な状況下で。
「………あ」
 マイーラは足を止め、小さく目を見開いた。角を曲がるや、勇者の仲間の一人である盗賊、確かフォルデといったと思うが、その姿が目に入ってきたのだ。
 フォルデは崩れかけた煉瓦塀の上に腰かけて、今にも落ちそうな場所で平然と闇を見据えている。その眼差しはどこか遠くを見つめているようにも、落ち込んでただ茫然と目の前に視線を向けているようにも見え、しばし逡巡したが、結局できるだけ静かに声をかけた。
「――もし。アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートル殿の仲間の盗賊、フォルデ殿でよろしかったでしょうか」
「……ああ?」
 ぎろり、と鋭く睨みつけられ思わず体が震えたが、意外にもフォルデはすぐに視線をゆるめ、目を瞬かせた。
「あんた……確かサマンオサの王女かなんかだったか? 俺らを転送する罠を仕掛けられてた」
「……はい。その節はご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫びいたします」
 深々と頭を下げると、フォルデは居心地悪げに身をすくめる。
「別に、んなこたいまさら謝られても、どうでもいいっちゃどうでもいい話だけどよ……なんか俺に用でもあんのか?」
「はい。お邪魔でなければ少し聞かせていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「…………」
 フォルデは眉を寄せ、ひょいと少なくとも二丈以上は高さのある壁から、ごく気軽な動作で飛び降りた。そして一瞬驚きに硬直したマイーラを気にも留めずごくあっさりと着地し、マイーラに向き直る。
「なんだよ。聞きたいことって」
「………、ご不興を買うことも、その無礼も承知でお訊ねいたします。あなたは、我々、サマンオサの民を恨んではいらっしゃらないのですか?」
「は?」
 フォルデはきょとん、と思ってもいなかったことを言われた、という顔になった。そんな顔をすると意外なほど幼い顔立ちがあらわになる。
「なんだよ、恨むって」
「……我々、サマンオサの民は、少なくともその何割かは、あなた方の仲間である勇者レウが、自分たちの命を護るために、自身の身命を犠牲にし、敵の攻撃に耐え続けている中、自らの命のためならば勇者レウを殺してもいい、殺させてくれと叫びました。勇者レウの心を斟酌することもなく、自らのために周り全ての命を犠牲にせんとした。そのことを、あなた方は恨んではいないのですか」
「あー……? ああ、あれか」
 少し考えてから、フォルデは忌々しげな表情になって舌打ちした。眉間に深い皺が刻まれ、おそらくは浮かべ慣れているのであろう見るも不機嫌な顔になる。
「恨むもくそもあるかよ、馬鹿馬鹿しい。要するにどこにでもいる奴らがどこにでもあるようなこと考えてごく当たり前の反応したってだけだろーが」
「……ごく当たり前、ですか」
「ああ。てめぇの命のために他の奴らを犠牲にするなんざ、それこそ当たり前のことだろーがよ。それが当たり前って考えてねぇ奴らは、単に馬鹿みてぇに恵まれた場所にいたってだけだ。そんな奴らはちょいとつつかれればすぐ地金が出る。自分のためならどんな奴だってどうにだってしていいっていう、そいつらが普段は蔑んでるような考え方がな。そんで締め上げられてたのから解放されりゃあ、すぐに口を拭ってそんなこと言わなかった、考えなかったふりだ。馬鹿じゃねぇのか、要は『自分は正しい』なんぞと思い込めるおめでたい頭しか持ってねぇだけだろうが」
「…………」
 ぐ、とマイーラは唇を噛む。反論のしようがない、ある意味においての正論だった。自分は単に恵まれた、甘やかされた環境にいただけ。少しその環境が脅かされれば、身勝手で醜い感情があらわになる。その通りだ、言い返しようはない。
 だが。それでも。
「………勇者セオも、同じように思っているのですか」
「あん?」
「勇者レウは、我々の言葉に傷つき苦しみながらも、我々を裏切らない、と言いました。同じ勇者であるセオは、いったい、どのように……」
 マイーラの言葉に、フォルデはびしびしっ、とさらに深く眉間に皺を刻んだ。さっきまでの不機嫌な顔などは彼にとっては平素の表情のうちだったのではないかと思うほど、心底腹立たしげで忌々しげな、『不機嫌』を凝縮したような顔だ。
「っ……あ、の」
「あいつはそんなこと、考えてすらいねぇだろうさ」
「え……」
「あいつはこういう時な、いつもこう考える。『自分のせいだ』ってな」
「……え………?」
 意味がわからずぽかんとするマイーラに、フォルデは腹立ちと苛立ちと忌々しさを凝縮したような声音で、一言一言呪詛を積み重ねるように語る。それが事実だと、なによりもその言葉の重みが雄弁に告げていた。
「あいつは他人が醜さを、至らなさを、身勝手さを見せつけた時、『自分のせいだ』って考えるんだよ。『自分のせいでこの人たちはこんなことをしてしまっているのだ』『自分が至らなかったからこの人たちをこんな状況に陥らせてしまっているのだ』ってな。自分がそいつらをちゃんと護れなかったから、護る力が足りなかったからそいつらにそんなことをさせてしまった、言わせてしまった。そういう考え方がどんだけ思い上がった傲慢な考え方か承知の上で、そのことでまた自分を責めながら、そういう風に考える」
「な……そんな、馬鹿な話!」
「馬鹿だと思うだろ。当たり前だ、誰だってそう思う。なんでそいつらが馬鹿な真似したのがあいつのせいになるんだ、意味わかんねぇよな。――けど、あいつはそう考えるんだ。あいつは世界で起こるありとあらゆる嫌なこと≠、自分のせいだって感じちまうような、意味わかんねぇ脳味噌持ってんだよ。自分がもっと頑張れば、もっとやるべきことができていれば、もっとちゃんと勇者をやってれば、それは防げたんじゃないか、ってな。――あいつが今、なにやってるか知ってるか?」
「え……いえ、存じませんけれど」
「あいつはな、今街中を回って、この街にいる彷徨える霊魂ってやつらと一人一人、話し合って回ってんだよ。そいつらが怨念から解放されて無事天に昇れるように、ってな。正確には残留思念だかなんだかって話だけど……とにかく、自分が救われなかったこと、殺されたことの恨みつらみを周囲に撒き散らして、救われた奴らを恨んで呪いまくってるような連中の、恨みつらみのぶつけどころになって、ごめんなさいごめんなさいってひたすら謝りながら解放してく、そういうことをやってんだ」
「―――そんな!」
 マイーラは仰天して叫んだ。そんな、馬鹿なことが。サマンオサが解放され、街中が喜びに沸いている宴の中で、あの人は殺された人々の恨みと向き合っている、と?
 それは正しいと言えばそうなのかもしれない、犠牲になった人々の御霊が無事昇天できるのは喜ばしいことには違いない。だが、これまでずっと八面六臂の活躍をし、心身をすり減らして戦ってきた勇者が。サマンオサを救った最大の功労者が。民人から感謝の言葉を受け取ることも、王侯貴族から褒章を与えられることもせず、ひたすらに、救えなかった人々に謝罪をし続けなければならないなんて。そんな、そんな理不尽なことがあっていいのか?
「そんな……そんなのは、おかしいです! 間違っています! 誰よりも報われるべき人が、そんなひたすらに、報われない仕事を続けていくなんて――」
「まーな。けどあいつは、こう考える。『自分がもっと早くサマンオサにたどり着いて、もっと的確に行動していれば、この人たちは死なずにすんだのに』『自分のせいでこの人たちは死んだんだ』『この人たちを殺したのは自分であるも同然だ』ってな。これまでの旅のことを考えて、どうあがいても俺たちには救いようがなかった奴らがいるって合理的な判断ってやつとか、俺たちなりにここの奴らの命を相当な数助けてきた、みてぇな救われる考えとか完無視でな」
「そんな――そんなのは―――」
 マイーラは心の中の煮えたぎるような想いを言葉にできず奥歯を噛んだ。そんなのは間違っている。どう考えてもおかしい。そんな理不尽な話があっていいわけがない。
 けれど自分はそうやって彼を責めた。彼がどれだけ必死に、全力で自分たちの命を救おうとしているか考えようともせず。自分たちの苦しみだけを見て、自分たちは辛いのだから他者を責めてもいいのだ、と傲慢に考えて。
 そういうことすべてが、たまらなく悔しく、憤ろしく、泣きたくなるほど哀しく――
「……ま、俺としちゃ、別にいいけどな。あいつがそういう奴だってのは、わかってんだから」
「………え?」
 マイーラは仰天してフォルデに向き直る。フォルデの眉間に深く刻まれた皺が薄くなっていた。表情もさっきまでとは打って変わって軽く、あえて表現するならばしょうもなげなものに変わっている。
「あ、あなたはなにを言っているのです、あなたもさっきまではあんなに怒っていたではないですか!」
「別に怒っちゃいねぇよ。ムカついてたし、イラついてたけどな。あいつがどういう奴か、わかっちゃいるけどムカつくはムカつくからよ」
「え……な……?」
「俺も、これまであいつと一緒に旅して、だんだんわかってきた。あいつはああいう奴≠ネんだ。世界のどんだけを救ったとしても、いつだって救われない、救われなかった奴らの方が気になる。道理とかより感情で、それが自分のせいだ、って感じちまう」
 フォルデはふい、と空を見上げて、半ば呟くように言葉を連ねた。その姿にはなんとも言い難い哀歓のようなものが感じられて、マイーラは思わず言葉を失う。
「そういうのが最初は、つーか相当長いことムカついてムカついてしょうがなかったけどな。何様だ、みてぇなことも面と向かって言ったし。けど、なんつーか、それがあいつなんだ、みてーに感じるようになってからは、仕方ねぇか、みてーに思うようにもなった。要するに、あいつは『そういう性格』ってだけの話だからな。俺が恵まれた環境にあぐら掻いてる奴らにムカついてしょうがねぇのとおんなじ。ムカつくしイラつくし文句も言うけど、『それは間違ってる』だなんだと偉そうに言えることでもねーだろうからな」
「…………」
「あいつがああいう奴≠セって知ってて。ムカつくしイラつく奴だってわかってて。――それでも、ま、仲間だって思っちまえる以上、やることは決まってっからな。最後まで、きっちりてめぇのやることをやる。俺にとっちゃ、それだけってことだ」
 そう空を見上げながらうそぶくフォルデの表情は、なんというか、うまく言葉で言い表せないのだが――さまざまな感情が渦巻いているのに、不思議に澄んで見えた。

 マイーラは小さく息を呑んで、歩を進めた。詩≠ヘ、もうすぐ近くから聞こえてくる。
 角を二、三度曲がると――そこにその風景は在った。
 もはや陽も暮れ、周囲は闇に沈んでいる。そこに、勇者が――セオが立っていた。澄んだ声で、清らかな韻律の詩≠詠いながら、月光の差す周囲にぼんやりと浮かぶ蒼い灯火の中、時に深く頭を下げ、時に大きくのけぞりながら。巫覡が祈りを捧げるようにも、舞い手が舞台で舞っているようにも映る姿で。
 その姿は、周囲の灯火が彷徨える霊魂だとわかっていても、荘厳さすら感じさせるほど美しく見えた。絵画のように、神話のように、それこそ詩に詠われる光景のように。
 数瞬見惚れ、しばし圧倒され、どうするか迷って口ごもったが、相当に長い逡巡ののち、意を決して声を上げた。自分は彼と話すために、王族の義務を半ば放棄してまでここまでやってきたのだ。
「あの……! 勇者、セオ・レイリンバートルさま!」
「っ!」
 セオは仰天した面持ちでこちらを振り向いた。とたん、周囲の灯火がさっと消え去り、月光が世界をひそやかに照らし出すごく当たり前の光景に戻る。
「あ、の………、マイーラ、姫殿下……?」
「……、お邪魔をして、申し訳ありません。ご迷惑は承知なのですが……どうか、私の話を聞いていただけませんでしょうか」
「………はい。どんな、お話でしょう……?」
「……、私は………」
 一瞬、この言葉をぶつけることが彼を傷つけてしまうのではないかという危惧が口の動きを止めた。だが、それでも自分の中に在る真実を確かめたいという想いが背中を押し、再び口を開く。
「私は、どうしても、気になったことがあるんです。あなたの仲間の方々の話も聞きました。でも、だからこそ、あなたにどうしても聞きたいと思ったんです」
「……はい」
「――セオさま。あなたは……我々を、恨んでいないのですか?」
 フォルデの言葉である程度予測してはいたが、セオはきょとんとした表情になった。
「なんで、ですか?」
「我々サマンオサの民は、少なくともその何割かは、あなたのお仲間である勇者レウの命を損なおうとしました。偽王であった魔物にそそのかされて、自分たちの命を護って戦っている勇者を、自分たちの命を拾わんがために殺させてくれと叫んだのです。それは、恨みに思うに値する振る舞いではないですか?」
「そう、でしょうか。俺には、そうは、思えないんです、けど」
「なぜですか?」
「……俺は、レウを、一時、見捨てました」
「え――?」
「この世でなによりもまず護らなくてはならない仲間が死に瀕するほど、痛めつけられ、苦しめられていることを知っていたのに、助けなかったんです。それは、本当に――本当に、許されない、許されてはならないことです」
「……セオ、さま」
 思わずマイーラは息を呑んだ。セオの表情は一見すると、落ち着いていた。だがそれは、慙愧の念と呼ぶのもふさわしくないほど重く、自責の念と呼ぶのも足りないほど激しい、苛烈なまでの自己否定を真正面から受け止め、自身を責め続けている者の、闘病者にも似た静謐さだと気がついたのだ。
「誰よりも、レウを救えなかったことを、責められるべきなのは俺です。俺は、他の人たちの命を護るための時間を稼ぐために、レウが痛めつけられ苦しめられ続けることをよしとしました。今にも飛び出しそうだった他のみなさんを説得して、無理やりに俺を手伝ってもらいました。それが、許されていいはずはありません」
「で、でも……それは、囚われていた者たちの命を救うため、勇者レウを信じて任せたと、そういうことではないのですか?」
「そうも言えると思います。レウならば耐えられると、よしんば殺されても死体を消滅させる前に回収できると、そう判断して俺はレウを見捨てました。――でも、それは、本当は、とても――とても傲慢な考え方だと、思うんです」
「傲慢……?」
「世界には、殺されていく命や、失われていく命が、数えきれないほど存在します。苦しめられ、痛めつけられ、死に近づけられていく魂も同様に。そして、それを『どれを救って、どれを救わない』と決めていく――優先順位をつけるのは、この上なく傲慢だと思うんです。だって、決めたところで、その命を、魂を、救える保証なんて、どこの誰にも与えられないんですから」
「え……すいません、意味が、よく……」
「俺は、サマンオサが苛政に苦しめられていることを知り、俺なんかが、偉そうだとは思うんですけど、少しでも命を、魂を救いたいと思いました。これまで助けられずに、失われていくことに気づきもしなかった命に対する罪の償いなどにはならないとわかっていましたけれど、俺の手の届く範囲の命と魂は、できる限りすべて救いたいと、そう、思って。実際に、そう行動してきたつもりで、いました」
「………はい」
 マイーラはすでに聞いていた。セオたちは偽王を倒しサマンオサを解放したのみならず、王城に囚われ、顧みられることもなく見捨てられ死にゆこうとしていた人々も、その圧倒的な力と業であまさず救ったのだと。そして、今日王城前広場に集められた人々にも一人も被害は出ていない。勇者たちの圧倒的な魔力は、偽王配下の兵の一撃が市民に与えられる前に、すべての兵を一人の巻き添えも出さずに吹き飛ばしたのだ。
「でも、救えなかった命があった。俺の力は及ばなかったんです。死力を尽くして考え、行動したつもりでも、それでも少しも足らなかったんです」
「っ……それは、でも……!」
 確かにセオがラーの鏡を取りに行っていた間に、人狩りやらなにやらでいくばくかの犠牲は出たかもしれない。けれど、それはどうしようもないことではないか。ラーの鏡は偽王を倒すのにどうしても必要だったのだ、セオはできる限りのことを、全力でやったではないか。
「俺の力は、世界を救うには、少しも、まったく、微塵も、どうしようもないほどに足りていないんです。考えも足りていない、愚かで遅鈍な頭しか持っていないんです。どれだけ全力を尽くしても、目の前の人一人すら完全に救えるかどうか、まったく保障はできない。俺よりはるかに強い存在が現れて、俺を倒して俺の護る人の命を奪うという可能性は、いつだってあるんですから」
「そんな……いくらなんでも、あなたより強い存在なんてそうそういるはず」
「います。一度俺を倒した、おそらくは今の俺よりもはるかに強いだろう相手は、実際にいますから」
「………! そんな……でも、それはあくまで例外でしょう?」
「その例外が、俺の前に現れないという保証はどこにもありません。俺のような、無力な存在にできることは、本来『助けたい』と思う相手を全力で助ける、それのみなんです。なのに、俺はあの時欲張った。神さまでもないくせに、少しでも多く命を助けるために、傲慢にもレウに犠牲を強いた。それは、本当に、どれだけ……どれだけ謝っても足りないほど、不遜で、偉そうで、思い上がった行為なんです」
「…………」
「そんなことをした俺が、レウに罵声を発した方々を、裁ける権利など持ち合わせていようはずもありません。レウが傷ついて、苦しんだことは、本当に悲しいし、苦しいです。その苦しみを癒すためなら、心臓を差し出してもかまわないと思ってしまうくらい。でも、それは、レウの苦しみは、結局のところ俺のせい≠ネんです。その状況にレウを、サマンオサの方々を追いこんでしまった俺の罪科なんです。だから」
「だから……その罪を償うために、こうして人々の御霊を鎮めて回っているというのですか?」
 マイーラの抑えた声を聞くと、セオはまたもきょとんとした顔をした。まるでマイーラが思いもしなかったことでも言ったように。
「いえ、別にそういうわけじゃ。だって、俺のしてることなんて、ごく当たり前の事でしょう?」
「――そんなわけないでしょう!!!」
 思わず叫んだマイーラに、セオは目を瞬かせる。マイーラは弾けた想いを抑えることができず、感情のままにまくしたてた。
「命懸けで休みもせずにサマンオサを救うために戦ってきて、実際にサマンオサを救ってみせて! だというのにサマンオサの民に感謝の言葉も求めないまま、死した者たちのことを考えて! 実際に休みもせずに身を削って死した者たちの御霊を慰めるような人が、あなた以外にいるわけがないじゃないですか!!」
「え、あ、あの、マイーラ、姫殿下……?」
「私はあなたが来てくれた時に、『なにをいまさら』と思ったのに! 後からやってきて手柄だけ持っていくなんて許せないなどと、救われる者にあるまじきことを考えたのに! 他のサマンオサの者たちも、あなたの仲間の誠意に応えるどころか踏みにじるような真似をした! なのにあなたはそれを気にもせず、自分のせいだと当然のように考えたあげくに、自分のやったことは誰にでもできる当たり前なことだと言うのですか!」
「え……あの、でも、俺のやっていることなんて本当に、誰でもやるようなごく当たり前のことで」
「私にはできません。そんなことは。私はサマンオサの王女で、誰よりもサマンオサのことを考えていなければならない身のはずです。だというのに、あなたのように、救われたすぐあとに民人を救うことを考えることなんてできませんでした。本来なら私は王族としての義務を果たすために、王城で父王の助けとなり代わりとなって采配を振るわねばならない身です。それでも、私は、自分が納得できないことを放っておけず、ここまで出てきてしまった。他者を救うことよりも、自分のことを考えたんです」
「それは、マイーラ姫殿下のお悩みが、それだけ深いから、なんでしょうし」
「あなたは自分を褒めることができないんですか!!!」
 どうしようもなく爆発する感情を抑えきれずにそう叫んで、マイーラは思わずばっと顔を覆った。なにを子供のようにと思っても、どうしようもなく溢れ出る、泣きたいような腹立たしいような寂しいような形容しがたい感情に、そうでもしなければ涙をこぼしてしまいそうだったからだ。
「………、あ、の………?」
「なんでわからないんですか! あなたはサマンオサを救ってくれたんですよ!? 一歩間違えればサマンオサという国が滅びていたのかもしれない! それをあなた方が止めてくださったんです! サマンオサの人間はそれに値することをできてもいないのに! この国の民でもない、魔王を倒すという目的のために旅をしているあなたが、全力を尽くして国を、民の命を救ってくださったんですよ!? それがどれだけすごいことか、私たちにとってどれだけありがたいことか!」
「……マイーラ、姫殿下。でも、あの、俺は、弱くて、馬鹿で、思いきれなくて、覚悟がなくて、本当ならもっと犠牲を少なく済ませる方法があるんだろうと思うのに、仲間や、いろんな人たちに無理を強いて――」
「馬鹿なんですかあなたは!? あなたみたいに優れた人、私は今まで見たことがありません! 智謀武勇どちらにも、人とは思えないほどの能力を持っているじゃないですかあなたは! それだけじゃなくて……優しすぎるほど、優しくて……私は、あなたに、失礼なことばかりしていたのに、あんな状況でも、私のことを護ってくれて、本当に、心から気遣ってくれて……」
 自分がひどい涙声になっているのがはっきり分かった。喉がうっくうっくと勝手にしゃくりあげて言葉を途切れさせる。それでも、マイーラの中から溢れ出る感情は言葉になって途切れがちに喉から漏れ出た。
「あなたは、本当に、すごいんです……。世界、一のっ、勇者、なんです……」
「マイーラ、姫殿下……」
「私は、ただ……ただ、ただ……あなたに、お礼が……ありがとう、と、それだけ……」
 そうだ。王族の義務を放り出して、慣れない徒歩で王都を歩き回り、よく知っているわけでもない相手に頭を下げてここまできたのは。この人に、この人たちに。その感情を伝えたくて。自分には伝えることが許されるのかと知りたくて。本当はそんな、子供のような単純なことで。
 う、う、としゃくりあげ続ける自分を、セオはしばし黙って見ていた。それから、静かに問う。
「……俺、少しでも、お役に立て、ました?」
「当たり前じゃないですか!」
「俺、お手伝い、ちゃんと、できました?」
「あなたがいなければどうにもなりませんでした!」
「俺、少しでも、命を救えました?」
 思わずばっと顔を上げると、セオの少し驚いたような顔と目が合う。そのどこか稚ささえ感じる仕草に、思わずかっと顔を赤くして目を背けながらも、必死に言うべきと思うことを告げた。
「サマンオサの、国中の命を、あなたは、救ったんです。私も、含めて」
 その言葉に、セオはにこり、とひどく優しく、静かに笑んで、応える。天使のような、精霊のような、もしかしたら神様のような、人間が持ち得るとは思えないような優しい顔で。
「嬉しいです。ありがとうございます、マイーラ姫殿下」
 ――その笑顔を、マイーラは、きっと一生忘れないと思った。

 サマンオサ王城は偽王だった魔物の力によって、王城前広場に面する部分の何割かが破壊された。むろんすべてというわけではないし、離宮や本宮の奥棟にかけての辺りはまったくの無傷だが、本来国王が賓客を出迎えるべき場所である謁見の間は屋根の半ば近くを壊されてしまったのだ。
 瓦礫の類は勇者とその仲間たちが片付けてくれたものの(他の場所の瓦礫ともども、行きがけの駄賃とばかりにあっという間に集めてくれたのだ)、秋の日差しが眩しく差し込み、空模様によっては雨も吹き込むその部屋は、サマンオサを救った英雄を出迎えるにふさわしい部屋とは言えない。かといって勇者の栄誉をたたえる場所というのも見つからず、官僚たちはどうするべきかとてんやわんやだったのだが、国王グスタヴォ・カリージョ・トゥピナムバーは、まず自身が勇者たちを個人的に部屋に招くという意志を示した。国王として為すべきことよりも先に、まずサマンオサに住まう一個人として勇者たちに礼が言いたい、と。
 官僚たちも(本来宮中を切り回すはずだった人員の半ば以上が偽王の誘いに乗り、魔物と化して勇者に(呪文で鎧袖一触に)倒されたため、ただでさえおそろしく人手不足なのだ)、まだまだ残っている事後処理を少しでも進めるためにも国王の時間稼ぎを受け容れた。サマンオサ復興のために為すべきことは山のようにあるのに、まだ宮中で働く人間の誰が生き残って働ける状態か、ということすら把握できていない状態なのだ、おそらくは勇者たちに対する褒章やらなにやらを考えている時間も惜しいというのが官僚たちの本音だろう。
 だがもちろん、曲がりなりにも大国の一角として、魔物によって乗っ取られかけたサマンオサを救ってくれた勇者に対しては充分な誠意と感謝を形にして表さないわけにはいかない。アリアハンにもこちらから使者を送り、礼節を尽くして感謝の意を表すのが筋だろう。
 今地方に引っ込んでいる領主たちに伝令を出して人を出してもらえるよう要請しているが(王都に残っていた貴族のほとんどは偽王に与して魔物と化していた)、彼らから返事が来るにはまだ時間がかかる。ダーマからやってきた使節団たちとはすでに官僚たちが会合を重ねているが、ダーマからの人材の援助を受け容れる方向で話が進んでいた。とにかく、現状のサマンオサは、国がまともに回らないほどの人手不足なのだ。
 だが、現在の段階でもせめて勇者たちにはきちんと感謝の意を伝えなければ、国の面目が丸潰れだし他国からの介入を招くきっかけにもなりかねない(賢者たちの治めるダーマならばとにかくそれ以外の国の介入というものはほぼ侵略と同義だ)。勇者というのはそれだけ、人間社会で重んじられる存在なのだから。
 ――そう理性では考えるものの、第一王位継承者として当然父王に付き添い勇者たち――セオとその仲間たちとの会合に臨むマイーラの内心は、ひどく乱れていた。
 昨夜、セオに王城まで送り届けられ、少し遅れて始まった晩餐に、セオと仲間たちは全員参加しはしたが言葉少なだった。マイーラと曲がりなりにも個人的に言葉を交わし、マイーラの出方をうかがうためのやり取りが必要なくなったせいもあったのだろうが(レウは単純に眠そうでまともに口を開かなかった)、マイーラ自身に彼らの意図が伝わったことを彼らが知っていたのがなにより大きな理由だろう。
 つまり、彼らはサマンオサという国のためにサマンオサを救ったわけではない。サマンオサという国から与えられる名誉や褒章は、彼らにとってはまったく意味も価値もないものでしかない。それをマイーラが知っていた以上、第一王位継承者として催す歓迎の宴も、感謝の言葉も、空虚なものにならざるを得なかった。彼らが言葉少なに手早く食事を終え、女官たちのしつらえた離宮の部屋へさっさと引き上げてしまっても、マイーラはそれを引き留めることもできなかったのだ。
 今回もまた同じことになるのだろう、と小さく息をつくと、寝台に横たわっている父王グスタヴォ・カリージョ・トゥピナムバーはこほ、と小さく咳をしてからひそやかな声で問うてきた。
「どうした、マイーラ。なにか、気がかりなことでも、あるのか……?」
「……いえ、大したことでは。それより父上、あまりお喋りにならない方が。父上はずっと囚われの身の上でいらしたのですもの、今は少しでも体を休めて元気になっていただくべき時です。いかに勇者殿に感謝を伝えるのが重大事とはいえ、勇者殿も父上がお体を損なわれるのは厭われるはず」
 淑女らしく静やかに応えながらも、心の中で『かつて殺そうとした相手の体をこんな風に気遣うなんて』と自嘲する。マイーラはセオたちがこの国を訪れ、父王の姿をしていた男が偽物だと言うまで、マイーラは民人を家畜を屠殺するように殺し続けていたあの魔物を、父王その人だと思って疑わなかったのだ。父が狂ったのだと思った。だから謀反人の汚名を着せられたとしても、父王を倒しサマンオサを平定しなければ、と、組織され始めた解放軍と接触し資金や情報を流した。
 それはしょせん裏切り者だったマイーラ付きの侍女、レチーシアに誘導されてのことではあったが、マイーラが当然のように父王を殺すつもりだったのには違いはない。もちろんサマンオサの姫としてそれが当然の行いであるからではあるのだが、自分に父王に対する情の持ち合わせが少ないがゆえ、という面もあるとマイーラ自身自覚していた。
 年が離れているためか、母である王妃が産後の肥立ちが悪くマイーラを産んでほどなく亡くなったためか、そもそも父自身にマイーラに対する関心がなかったためなのか。マイーラは幼いころから父王に愛情を強く示されたという記憶がなく、自然とマイーラの父王に対する感情も薄っぺらなものにならざるを得なかった。それでもマイーラなりに父王に対する労わりの心はあるつもりではあるが、娘として父親を心配する、というよりは王女として国王の身を心配する、という方が近いのは否めない。
 そんなマイーラの心を知ってか知らずか、父王はゆるゆると首を振った。
「いや……これは、わしが、勇者セオと、仲間たちに……そして、なにより、英雄サイモンの息子ガルファンに、なんとしても伝えねばならぬ、ことなのだ。サマンオサの国王としてではなく、わしという、一人の人間が……」
「え……?」
 思ってもみなかった名前に、マイーラは思わず目を見開く。ガルファン。英雄サイモンの息子。そういえば確かにそんな男もいたが。そういえば彼は勇者セオと一緒にラーの鏡の祠に残ったのだが、あれからいったいどうしたのだろうか。そういえばあのエリサリというエルフの女も偽王との対峙中にいつの間にか姿を消していたが――
 などとつらつらと考えている間に、父王グスタヴォの寝室の部屋の扉が叩かれた。
「陛下、マイーラさま。アリアハンの勇者ご一行と、ガルファン・オリヴェイラ・ダ・シウヴァ殿をお連れいたしました」
「入っていただけ」
 父王が低く言うと、控えていた女官たちがしとやかに動き回り、寝室の扉を開けてセオたちを部屋の中へと導く。しつらえた席をさりげなく示しもしたが、セオたちは小さく首を振って父王の横たわっている寝台のそばへと歩み寄る。おそらくはまだ立てもしないほど弱っているため、体を起こす労苦を取らせないようにと思ったのだろう。
 だが当然ながら一国の王に呼ばれもしないのに近寄るというのは、たとえ王が寝台に横たわっていても(いや、むしろよけいに)、相当な無礼にあたる。女官たちが如才なくしずしずと勇者たちの前に進み出て穏やかに諌めようとする、がそれより先に父王が口を開いた。
「マイーラ以外の者は、下がれ」
「しかし、陛下……」
「これは、わしがなんとしてもせねばならぬことなのだ。サマンオサを救った、勇者どのたちが、おられるのに、わしが害されることなど、ありようもない。下がれ……」
 女官たちは数瞬困惑気味に視線を交わしたが、すぐに頭を下げて全員退室した。扉が閉められ、父王の寝室が誰からも見られることのない密室になる。
 と、ふはっ、とセオたちの後ろに着いて歩いていたレウが息を吐き出した。
「はーっ、びっくりしたっ! なんかさっきのおばちゃんたちすっげーこえーんだもん! いなくなってほっとしたっ、ありがとなっ国王のおじさん!」
「レウ……お前な」
「………勇者レウ、私の口から言うのも失礼かとは思いますが、一般常識として考えても……」
「え、え? なに、なんか俺変なこと言った?」
 仲間にため息をつかれ、マイーラに小さく叱責を受けて、レウは戸惑ったように周囲を見回す。それを重ねられた枕に身を預けて上体を起こした父王はわずかに目を見開いて驚いたように眺め、それから小さく噴き出した。
「……父上」
「いや、すまない、小さな勇者殿。君が、我がサマンオサを、救うために、戦ってくれた、すでに人外の強さを持つ、勇者だと、いうことは、聞き知っているのだが……そのように、いとけない、子供としての、姿を見せてくれて、正直、心安くなってしまった、ようだ。無礼を、お詫びする、だが、わしとしては、君には、そのままの、君らしく、振る舞ってくれた方が、嬉しい」
「? んー、よくわかんないけど、おじさんが嬉しいなら俺も嬉しいよ!」
「はは、そうか、それは、ありがたい」
 楽しげに笑い声を立てる父王に、マイーラは意外の念を持った視線を送らざるを得なかった。父王がこのように楽しげに笑うところは初めて見たかもしれない。マイーラにとって父親というのは、謁見の間で重々しい表情で臣下たちを見下ろす姿の印象と、サマンオサの経済を活性化させて国を富ませた賢王という一般的な評価ばかりが心に残っている。
 だが国王というのはそういうものだと当然のようにマイーラは思っていたし、周りからもずっとそう言われてきた。なので、子供に対する愛情を見せるなどということが、ありえようとは思っていなかったのだ。
 だが父王はやがて笑い止め、真剣な面持ちになってセオに向き直った。そして、大国の国王たる威厳と品格をもって、ゆっくりと頭を下げる。
「アリアハンの勇者、セオ殿。まず、礼を言わせて、いただきたい。サマンオサを、そしてわし自身をも、救っていただき、のみならず人命についても、サマンオサという国家についても、遺漏なく気を配っていただいたことも併せ、心から感謝させていただく」
「………いえ。俺は、当たり前のことしか、してないですし。お礼を言うなら、俺の仲間の人たちに、してください」
「むろん、仲間の方々についても、感謝を申し上げるが、まず誰よりも、あなたに、礼を言わせていただきたいのだよ。心から、お礼申し上げる」
「いえ、そんな、あの、俺は、本当に……」
「つーか、ただ礼を言いたかったってわけじゃねーんだろ? あんたは、俺らになんか用があるんじゃねーのかよ」
 盗賊フォルデのぶっきらぼうな声に、父王は小さく息をつき、枕に上体を預けながらも居住まいを正した。それだけ重要なことを話そうとしているのだろう。マイーラも(そんな話少しも聞かされていなかったので驚きつつも)自然と背筋が伸びる。
「わしが話さなければならないのは、英雄サイモンのことだ」
「……英雄、サイモン……」
「そう。サマンオサが誇る勇者。黄金闘士≠ニ謳われた、英雄サイモンのことなのだよ」
「っ……」
 マイーラは思わず息を呑む。サイモンのことは、マイーラも当然ながらずっと気になっていたことだった。
 英雄サイモンは五年近く前、ある日突然姿を消した。サイモンがいたならば父王の暴政に従わされることもなかっただろう、と誰もが認めるほどの英雄である、正善にして公明正大なる勇者。彼がいなくなってのちより、父王の皮をかぶった偽王の暴虐は始まったのだ。
 彼が今どこでどうしているか、それを知る者は城内にも一人もいなかった。おそらくはあの偽王が手を尽くし、サイモンに魔物だと気づかれぬままに遠方の牢獄へ収監させたのだろうとマイーラは考えていた。サマンオサには特に非道な罪人のために、行き来することすら難しいような場所に建てられた牢獄がいくつかある。おそらくはそのような場所に捕えられているのだろう、とは考えていたが、マイーラもそのすべてを知っているわけではないし、ひとつひとつしらみつぶしにできるほどの人材も持ち合わせていなかったため、サイモンを探し出すこともできなかったのだ。
 そんな状況で父王がサイモンについて話すということは、彼がサイモンの行方をつかんでいるということに他ならないのだろうが、一体どこでそんな情報を得たのか、と戸惑うマイーラをよそに、父王はゆっくりとした口調で話し始めた。
「セオ殿。サイモンという、勇者について、どれほど知っていらっしゃる?」
「あまり、大したことは。サマンオサにおいて、もっとも価値のある金属である黄金に例えられるほど、いついかなる時も公明正大で誠実な、偉大な勇者である、という噂くらい、しか」
 マイーラは違和感を覚え、眉をひそめる。確かセオの父である勇者オルテガは英雄サイモンと旧知の間柄だったはず。オルテガの息子としてサイモンと顔を合わせる機会もあったはずだろうに、そんな気配をまるで見せない口ぶりに、小さな違和感を覚えたのだ。
 だが父王はそれにまるで気づかない様子で、小さくうなずき話を続けた。
「そう、サイモンはその誠実さ、いついかなる時も、法に則って、自身の義務を果たし戦い続けるその強さから、黄金に例えられた。黄金と同じく、変わらぬ輝きを持って、戦い続ける、黄金闘士≠ニな……」
「……なぁ。ちょっと聞きたいんだけどよ。その黄金闘士≠チての、あれだよな?」
 ふいに口を挟んできた盗賊フォルデに、父王は目を瞬かせて彼の方を向く。
「あれ、というと?」
「前に何度か聞いたことあんな、って思ってたんだけどよ。前に勇者がどうとかいう話聞く時に、何度か話に出たんだよ、その黄金闘士≠チての。――堕ちた勇者≠チてのの中に、数えられてた名前じゃなかったか、それ」
『な……!』
 思わずガルファンと口をそろえて反駁の声を上げる。堕ちた勇者=\―ダーマの認定する、勇者の力を持ちながら勇者の資格を失った勇者。人でなしの力を人の我欲によってほしいままに振るう汚らわしき人外。存在を確認されると同時に、各国の勇者たちの力を結集させて討ち果たさねばならぬこの世に在らざるべきモノ。
 そんなものと英雄サイモンを同一視するなど、さすがに黙ってはいられない。口を開き詰め寄ろうとする――より前に、父王がすっと手を挙げて自分たちを制した。
「その通り。――他ならぬこのわしが、ダーマに働きかけて、堕ちた勇者≠ニ認めさせた」
『!?』
 仰天して、思わず絶句する。視線が父王に集中する中、父王はどこかとつとつと語り始めた。
「わしはサイモンを、国家反逆の罪で、投獄した。それから即座にダーマに働きかけ、堕ちた勇者≠ニ認めさせ、各国の首脳陣に、周知させた。そしてそのことをサマンオサの国民には知らせぬよう徹底し、他国との交易、交流の中でも、情報が漏れることのなきよう、情報統制を行った。……偽王の、行った鎖国は、それを利用してのものでも、あったようだな」
「………そう、ですか」
「父上っ……」
「――陛下。なぜ、そんなことをなさったのですか」
 ガルファンが低く、呻くように問う。それに父王は、目を潤ませながら、悲しげに、苦しげに告げた。
「サイモンの息子、ガルファンよ。そなたにとって、わしは父の仇とも呼べる相手で、あろうな。わかっておる。わかっておるとも。権力を用いて、理不尽な行いをする愚王、まさにそのものであろうとも。サイモンは、罪を犯したわけではない。法はなにひとつとして、破っておらぬ。サイモンは、黄金闘士≠ヘ、けして間違ったことをせぬからこそ、この地で最も価値ある金属に例えられたのだからな」
「なぜ、そんなことをなさったのですか」
 再度、低くくり返すガルファンに、父王は深く嘆息し、呻くように応える。
「わしは……わしは、ただ……あの男が許せず……それ以上に、怖かったのだ」
「…………」
「ことの起こりは、五年ほども、前になる。わしがサマンオサ南部に、行幸に出た時の、ことだ。行幸と言っても、どちらかといえば、探索行と言った方が、いいものだった。護衛としてサイモンと、少数の兵のみを連れ、南部の密林を探索し、その資産的な価値を見極める、ためのものだ。サイモンが、サマンオサに戻っていたからこそ可能な、国王であるわしが、直接密林地帯をこれから、どう開発していくかを、見極めることができる行幸だった」
「…………」
「密林地帯を歩くこと、一週間近く。わしたちは、驚くべき相手と出会った。……アリアハンが、この地を征服するより前に、この地を席巻していた原始宗教――ダーマに認められぬ、いとけない少年少女を生贄に捧げる太陽神を、奉じる原住民の集落が、そこにはあったのだ」
「………!」
「確か……サマンオサは、アリアハンに征服されて、それ以前の宗教とか文化とかが全部消滅したんだよな?」
「ああ。もう五百年近く前のことになるな。その後の教化≠逃れて、今日まで生き延びてきた集落とは……確かに驚くべき相手ではある」
「然り。わしは当然のことながら、驚き慌て、戸惑った。どうするべきか考え、迷った。その集落の人々を、我が国に受け入れるとしても、生贄を、当然のことと考えるような、宗教を奉じる者たちを、そのまま受け入れても、揉め事の種にしかならぬだろうと、思ったからだ。だが――そのような迷いは、すぐに、意味が、なくなった」
「……というと?」
「……サイモンが、皆殺しにしたのだ」
『………え?』
「英雄サイモンが、その古来の宗教を奉じる民を、皆殺しにしたのだ。生贄を捧げる、邪悪な宗教を肯んじていた、という理由で」
『――――』
 絶句する自分たちをよそに、父王は半ば呪いの言葉を吐き出すように呻き続けた。
「サイモンは、わしの目の前で、まだ十歳にも満たないであろう、子供を殺した。表情を動かしもせず、それでいながら、明らかな熱意を持って。それが正しいことだと信じて、当然のように……いや、全力で、命を懸けて。数百人にも、上るだろう人間を、圧倒的な力で、虐殺した。逃げ惑い、命乞いをされながらも、微塵も、心を揺らがさずに。そして、集落を全滅させたあとで、茫然とする、わしの前へと戻り、ひざまずいて、こう、言った。『陛下、お目汚しなものを除けるのに時間をかけてしまい、申し訳ございません』と」
『……………』
「なんだ、そりゃ……そんなんでそいつ、勇者だなんぞと呼ばれてやがったってのか!?」
「そ、そのサイモンって人、ほんとに、そんなにたくさん人、殺しちゃったの……?」
「それで勇者、だって……? それは確かに、堕ちた勇者≠ニ判断するのも無理はないな……」
「ち――違います! サイモンはそのようなことをする人間ではありません!」
 勇者の仲間たちから漏れ出る声に耐えられず、思わずマイーラは叫んだ。そんなはずがない。父王の言葉とはいえ、信じられない。あの英雄サイモンは、そのようなことをする勇者では絶対にないのだ。
「私は今でも覚えています――サマンオサに攻め寄せた地を埋め尽くすほどの魔物の群れを一掃したサイモンの姿を! サイモンは体中を引き裂かれ、傷だらけになりながらも、国民を一人も見殺しにはしませんでした! 逃げ遅れた兵を救うために我が身を犠牲にして敵中に飛び込み、街の外に出た子供を護るために体に魔物たちの攻撃を幾十と浴びながらも囮になってくれたのです! そしてそれを当然のことだとでもいうように、毅然とした態度で我々に忠を尽くしてくれました! のみならず、恐怖に震える私を力強く励まし、元気づけてくれたのです! サイモンのあの姿が嘘なはずはありません!」
『…………』
 それぞれの表情を浮かべながらその場にいる人間が沈黙する中、賢者ロンが少し眉を寄せてから、考え考えという顔で口を開いた。
「もしかすると……どちらも、サイモンという勇者にとっては嘘ではなかったんじゃないか?」
「え……」
「どういうことだ?」
「これは勇者という存在の定義というか、勇者の力がどこから来るかという説にも依るところではあるんだが……勇者という存在は、世界を護って戦う者だ。世界に在る者を一人も見捨てず、自身の全存在を懸けて戦う心に、世界が祝福を与えたのが勇者だ、というのが現代の勇者研究の代表となる学説になる」
「回りくどい言い方すんじゃねーよ。お前はどう思ってるってんだ」
「俺も一応そうだろうなと考えてはいるが、俺も、たぶんこの説を提唱している者も、絶対の自信があるわけじゃないから、奥歯に物が挟まったような言い方にならざるを得ないんだよ。……で、だ。それを論拠にすると、勇者は自身の世界に存在しない者については、どれだけ無碍にも扱いうる、ということになるだろう?」
「………? あなたの言っている意味が、よくわからないのですが」
「まぁ、簡単に言うと、だ。世界のすべてを護るのが勇者なんだから、勇者が当たり前のように倒せる敵は、そもそもその勇者にとって世界のうちに数えられていないってことになる、ということだ。セオのように、本当に世界のすべてを救いたいと願う勇者は歴史を顧みてもほぼ存在しない。普通の、勇者に対して普通のという言い方は妙だろうが、まぁたいていの勇者は魔物を敵として認め、自身の世界を護るために当然のように倒していく。つまり、魔物たちはたいていの勇者にとっては、救いたいと願う世界の外に在るものなわけだ」
「それは……そう、なるでしょうが」
「端的に言うなら、こういうことだ。『勇者サイモンにとって、その集落の人間たちは魔物と同じ存在だったんだろう』、とな」
「……………!」
 マイーラは思わず絶句したが、父王は嘆くようにゆっくりと首を振り、うなずいた。そしてまた呻くように、咽ぶように言葉を連ねる。
「然り。サイモンには、あの集落の者たちは、魔物同然に、思えたのだろう。間違った℃ミ会を肯んじていた、ただその一事のみで、サイモンには彼らは、人間とは見えなかったのだろう。……それは、勇者としては、正しい姿なのかもしれん。世界を護るに、ふさわしい考え方なのかもしれん。だが、実際に、目の前で生きている人間を、子供たちを、当然のように、眉も動かさず皆殺しにし、それに罪悪感も抱かぬ、サイモンの姿は……わしには、化け物にしか、見えなかった………」
『……………』
「わしは、サイモンを、口を極めて、罵った。化け物、狂人とまで言った。だがサイモンは、それを聞きながらも、眉を動かしすらしなかった。まるで、わしの言葉など、気にかける価値もないとすらいうように。そして、最後にわしが、投獄する、と……勇者としての名誉も、栄光も、すべてを奪い、オリビアの祠の牢獄に閉じこめる、と言った時すらも……当然のように『承知いたしました』と、受け容れたのだ………」
『………オリビアの祠の牢獄!?』
 思わず声を合わせるマイーラとガルファンに、きょとんとレウが訊ねる。
「どこ、それ?」
「……サマンオサ北東に遺された旅の扉から転移できる場所に、オリビアの岬という場所がある。そこは位置的には北ベーラシア地方の先端、ネクトラレ中海に面する岬で、そこから小舟で行き来できる場所にオリビアの祠という場所があり、そこは古来よりサマンオサでも一部の者しか存在を知らない牢獄になっている。サマンオサでも最大の重罪を犯した者のみが囚われることになっている、な……」
「なぜなら、その祠はかの有名なオリビアの呪いによって、外界とは行き来が不可能になっている場所だからです。ネクトラレ中海と北極海を結ぶ、ネウリュアロ河はオリビアの呪いによって岩礁だらけでとてもまともに船を進められる河ではなく、ネアルデュカ河は河をさかのぼること自体は不可能でないにしろ、祠のある西ネクトラレ中海へと続く辺りはもっともオリビアの呪いが強い場所。たとえポルトガの国宝魔船であったとしても、潮の流れと風が絶対に侵入を許しません。岬からですら小舟で祠に向かうことはできても、戻ってくることはできないのです。罪人を送ったのちは、随伴する魔法使いによるルーラで戻ってくることを定められています」
「おりびあ……の呪い、って?」
「それは話が長くなるからあとで説明してやる。要するに、英雄サイモンはどうやっても抜け出せない難攻不落の牢獄に囚われた、ということだ。……そうだな?」
「……はい。オリビアの祠の牢獄は古代帝国の遺跡を利用したもので、一度そこに囚われた者は魔法を使うことも強い力で自身を捕える鎖を引き千切ることもできなくなります。たとえサイモンといえど、そこに囚われれば、抜け出すことはほぼ不可能……」
「なぁ、その牢獄って、看守とかいんのか?」
「いえ……そもそも使われることがほとんどない牢獄ですから」
「じゃあ、捕まってる奴の飯とかどうすんだよ」
「祠に捕えられている者がいる時のみ、定期的に食料を運搬することになっていたはずです。古代帝国の遺跡の施設を利用して、食物の保存等はできたはずですから……」
「だが、祠に、食物を運ぶ者がいなければ、そこに囚われた者は、飢えて、死ぬ。元来、あの牢獄は、この地で処刑することがかなわぬような身分の者を、合法的に、死に至らしめるために、使われていた、場所、なのだ……」
「……まさか――父上。あなた、あなたは………」
 まさか、そんなことはありえない。そんなことがあるはずはない、あってはならない。そんな想いを込めて父王を見据えたマイーラの願いは、あっさりと裏切られた。父王はう、と小さく呻き、首を振りながら、ぼたり、ぼたりと幾粒も涙をこぼしたのだ。
「わかっている。わしが間違っているのだろう、わかっているとも。だが、わしは、恐ろしかった。恐ろしくて、恐ろしくて、ならなかったのだ。それまで、疑念や、疑問を持つこともなかった、勇者という存在が、恐ろしくてならなかった。勇者は、世界を救う力を持つ。つまり、その気になれば、世界を相手取って戦うことができる。そして、その振るう先を決めるのは、勇者一人の、心次第。それだけの力が、個人の意思のままに振るわれるということが、どれだけ恐ろしいことか、ようやくわしは気づいたのだ」
『…………』
「むろん、勇者は、力を間違ったことには使わぬ。あくまで世界を救うために、正しく振るう。だが、その、正しさ≠フ基準を定めるのは、勇者それぞれの、勝手な考えに拠るものでしかない。わしは、それが、恐ろしくて、ならなかった。勇者の力で、国を救ってもらって、おきながら。わし自身の命を、何度も助けてもらって、おきながら。恐ろしくて、恐ろしくて……本当に恐ろしくて、ならなかったのだよ………」
 しばし、その場にしん、と沈黙が下りた。それからガルファンが口を開け、震える声で問い詰める。
「だから、殺したのか。あなたは」
「…………」
「英雄サイモンを。勇者サイモンを。俺の親父を、殺したのか」
「殺したかった、わけではない。ただ、目の前から、いなくなって、ほしかった。サイモンのことを知る、数少ない者たちにも、食料を運ぶことを、禁じはしなかった……」
「国王の不興を買った者に、自腹を切って命懸けで食料を運ぶ奴がどこにいる。あなたは、サイモンが死ぬことを承知で、その命を下した。そうだな」
「………わしは………わしには、それ以外、どうしようも……わしは本当にただ、怖かっただけなのだ……サイモンを投獄したこと、わしが苦しまなかったわけではない……」
「苦しめば許されるのか。自分の恐怖に負けて、自分の命に従う相手を殺すことが許されると本当に思っているのか」
「………っ」
 父王は体を震わせて、顔を覆い、ひたすらに呻く。その姿には、これまでマイーラが父王に見てきた威厳も、品位も、貫録もなかった。ただ過ちを犯した、愚かで身勝手な老人がいただけで。
「許せ……許してくれ。わしにはそれ以外……どうしようも……」
「ふざけるな……ふざけるなよ。勇者が、恐ろしい? なにをいまさら。勇者が力を持ったただの人間でしかないことなぞ、とうの昔にわかっていたことだろうが。いくらでも道を踏み外しうるし、人を傷つけうると、当たり前のように知っておかなけりゃならなかったことだろうが。それを……一国の王が……勇者から忠誠を捧げられる相手が……自分の恐怖に負けて、死を命じて……そんなことがなければ、サイモンがこの国に残っていたならば、あの偽王にこの国が支配されることも、山ほどの民が殺されることもなかったのに……!」
 ぎらついた目で父王を睨みながらまくしたてるガルファンの手が剣に伸び、マイーラはざっと体中から血の気を引かせる。反射的に父王とガルファンの間に体を割り込ませかけたが、ガルファンは剣を握りながら、がらん、と床に落としてくずおれた。
「なんだ……なんだそれ、馬鹿馬鹿しい………! 馬鹿みたいじゃないか、本当に! 突然いなくなって……どこにいるかもわからなくて……恨んで、憎んで、人生から消し去りたいと思い続けて……! それが、本当に、もう死んでただって!? 自国の国王に、身勝手な理由で殺されてたって!? そんな馬鹿馬鹿しいことで、もうとっくに、どこにもいなくなってたって……そんな、そんな馬鹿な話、あっていいのかよ………!」
 がん、と床に拳を叩きつける。咽ぶような泣き声を漏らしながら、何度も何度も。その悲痛な姿をマイーラは呆然と見つめることしかできなかったが、ふ、とその拳に、静かに優しい掌が触れた。
「ガルファン、さん」
 セオだった。悲痛に顔を歪め、心底嘆き悲しんでいると感じられるのに、ガルファンの傷ついた拳に触れる手は、眠る赤子の頭を撫でる母のように、静かで、優しく、柔らかく見えた。
「いなくなっているかどうかは、まだわかりません」
『……え!?』
 満座の視線が集中する中、セオは真摯な表情で語りかける。
「普通なら、確かに、死んでいると考えるのが、普通です。でも、サイモンさんが、あなたのことを、思っているなら。護りたい人がいて、戻りたい場所が、あったなら。なんとしても、生き延びようと、するはずです。そして、高いレベルの勇者には、死刑を命ぜられたとしても、生き延びる方法は、いくらでも創り出しうる」
「………勇者セオ………」
「嘆き悲しむ、前に……一度、確かめ、ませんか? サイモンさんが、本当に、亡くなられたのか。オリビアの祠の牢獄に、本当に囚われた、のか。囚われて、本当に、亡くなったのか。……亡くなったとしても、遺されたものは、本当になにも、ないのか。……あなたは、まだ、父君と話ができる機会が、残っている、と思うんです」
「……………」
 こくん、とガルファンはうつむきながらも小さくうなずき、セオはわずかに表情を緩めた。と、そこにロンが気難しげな表情で告げる。
「だが、セオ。悪いが、今すぐに、というわけにはいかなそうだぞ?」
「……と、いうと?」
「この前ダーマに戻った時聞いたんだが、オリビアの呪いは最近どんどん強くなっているらしい。ネクトラレ中海はこれまで近隣の者が漁に出ることくらいはできたんだが、それも難しいほど連日大荒れに荒れているとか。少なくとも、岬から祠まで小舟で無事にたどり着く、というのは少々無謀な試みだと言わざるをえん」
「……それじゃあ、オリビアの呪いを、解きましょう」
『は!?』
 思わず仰天した声を出すマイーラたちにかまわず、ロンは小さく首を傾げて問う。
「当てはあるのか?」
「はい、一応。旅に出る前に、調べておいたこと、なんですけど……機会があれば、試してみたいな、と思って、いたので」
「なるほど、なら俺たちに反対する理由はないな。時間の方はどれくらいかかる?」
「一ヶ月も、かからない、と思います。あくまで、予想、ですけど。ある強力な魔道具を持っている人と、交渉する必要があるので、場合によっては、もっとかかる可能性も、ありますけど……」
「まぁ、そこらへんは俺たちも協力させてもらうさ。……となると、ガルファン。お前はどちらを選ぶ?」
「……どちらを選ぶ、とは?」
「俺たちがオリビアの呪いを解いて祠の牢獄への道を開くまでサマンオサで待つか。それとも、俺たちのいつ死ぬかもわからない危険な旅路に同行するか」
 ロンの言葉に、ガルファンは目を見開き、ラグとレウは目を瞬かせ、フォルデは顔をしかめた。
「こいつを一緒に連れてくって? なんでだよ。んなことする必要あんのか?」
「必要というか、曲がりなりにも彼のために俺たちが手間をかけるのに、彼がなにもしないまま俺たちに任せきりにしていいというのも妙な話だと思ってな。少しでも彼に役に立ってもらおうと思っただけのことだが?」
「役に立ってもらうって、なにさせんの?」
「……おい。まさかたぁ思うがてめぇ、俺たちのいる船で妙なことしようなんぞと考えてやがったら――」
「ほほう、妙なこととはどういうことだ? ぜひ今ここでしっかりはっきり説明してもらいたいものだな」
「よしてめぇ今すぐ殺してやるからこっち来い」
「はいはい、お前ら、曲がりなりにも人様のいる前で喧嘩するな。……まぁ、俺たちの財布には魔物を倒した分の金が有り余ってるし、コネ的なものから考えても彼に特別なものがあるとは思えないし……雑事を手伝ってもらうくらいしかしてもらうことがないんだから、連れて行ってこき使うのが筋、という気はするな。もちろんいつ何時命を失うかもしれない旅に対する覚悟があれば、だけど」
「……っつか、わざわざそいつのために俺らが手間かけてやる必要なんぞねーだろーが。こいつが親父と話したいってんならてめぇの力でなんとかさせんのが当たり前だろ」
「いえ……この話については、俺たちにとっても、得るものがあるんじゃないか、と思うんです」
「え、そーなの?」
「ほぅ……得るもの、とは?」
「ルザミで得た、情報なんですけど……英雄サイモンの持っている、ガイアの剣が、魔王の住まう場所にたどり着くまでに、必要になる可能性がある、らしいんです」
『……ルザミで?』
「なんだそりゃ……あんなところでどんな情報が手に入ったってんだよ」
「あの島の、住人の一人の、預言者という方が言って、いたんですけど。ルザミの力で、薄められていたとはいえ、あの人に、預言の力が、あったのは確かなことだと、思うんです。そして、あの人の口ぶりからして、それが本当に&K要になる可能性は、高そうでした。神に捕えられるほどの、預言者の、言葉ですから、無視はできない、と思うんです」
「それは……そう、かもしれないけど……」
「……お前は本気で、『必要になる』って考えたんだな?」
「はい。ネクロゴンドの、魔王についての、言葉も、預言の中には、ありました。魔王と対峙する際に関わってくる、ことなのだとしたら、できる準備は、万全の上にも万全に、しておかなくてはならないと、思うので」
「ふん……なら、いいぜ。どっちにしろそのサイモンって奴のとこに行かなきゃならねーんなら、息子連れてった方が受けがいいのも確かだろうしな」
「ていうかさー、フォルデってなんでこういう時、自分でも半分以上やる気になってるくせにいちいち嫌がってるみてーなふりすんの?」
「………っ!! なっ、てめっ、なに勝手なこと抜かしてっ……」
「こらこらレウ、そんなことを直接相手に言ってはいかん。もう齢十九を数えるというのにこうも可愛らしく突っ張っている奴は貴重なのだから、しっかりこっそり微笑ましく愛でてやらなくては」
「てめぇマジ殺すぞクソ賢者ぁぁぁぁっ!!」
「だからお前ら、人前で、しかも国家元首の前で恥を晒すな!」
 じゃれ合う勇者の仲間たちを半ば以上呆然と見つめてしまってから、マイーラははっと我に返った。いくらなんでもここまでの振る舞いは無礼に過ぎる――だが、こちらは国を助けてもらった恩があるのみならず、サマンオサの国王その人が英雄である勇者サイモンを殺したと明かしてしまったのだ。この状況で大上段に物を言えるほど、自分たちの立場は強くない。
 なにより、マイーラ自身が、『自分には彼らに文句を言える資格はない』と感じてしまっていた。自分は過ちを犯した、許されざることをした、それを棚に上げて彼らのことを非難することなどできない、と。
 つまり、マイーラはこう感じてしまったのだ。『サマンオサという国に、誇りを持つ資格はない』と。他者の侮辱に憤り、自身の名誉に胸を張る資格を、自分たちは自ら放棄してしまったのだと。
 目に涙がにじむ。ぐ、とこみ上げる嗚咽を堪える。自身の生も、行いも、すべてが無意味に、無駄になってしまった。もはや、自分たちに、生きる意味も、価値も、なにもかもがなくなってしまった絶望。それは自分を打ちのめし、立つこともできなくなりそうなほど苛烈に意志を奪い取る。
 もう、自分たちには、本当に、なにも。
「――陛下。あなたが、なさったことについて、俺には、どうこう言える資格はありません」
 と。マイーラの耳に、そんな声が響いた。静かで、優しく、柔らかい――それこそ、幼子を抱く母の腕のような。
「あなたが抱かれている、罪悪感も、苦しみも、俺には、どうこうできるような力はありませんし、そんなことをしていいほど、偉くも、ありません」
 セオがじっと父王を見つめ、語りかけている。母のような、聖者のような、神さまのような、底知れない豊かさを秘めた瞳で。
「でも――あなたが、過ちを、犯したとしても。あなたには、誰かを、救える手が、あると思うんです。あなたにしか、できないことが。あなたにしか、救えない人が。……あなたは、サマンオサの国王陛下で、マイーラ姫殿下の、父君だから」
 ずっとうつむいていた父王が、顔を上げた。おずおずと。赦しを与えられた子供のように。冤罪を取り消された罪人のように。怯えと戸惑いと嘆きに満ちた世界に、希望を与えられたような、頑是ない仕草で。
「あなたが、これから、どうするか、それを言えるほど、俺は偉くはありません。でも――どうか。あなたが苦しくて苦しくて、世界中に拒絶されているような気持ちになって仕方ない時でも、どうか、忘れないで、ほしいんです。あなたには、できることがある。救える人がいて、護れる場所があって、優しくできる相手がいる。それは、もう本当になにもかもなくしてしまうよりは、ずっと、ずっと、いいことだと、思うから」
 それから、セオは、震えて涙をぼたぼたとこぼす父王に、昨夜マイーラに見せたのと同じ、死ぬほど優しい笑顔で笑いかけ、告げた。
「それでも。もし、あなたができることをしても、受け容れられなくて、辛くて、寂しくて仕方ない時は――どうか、俺に、助けを求めてください。俺にできることなんて、本当にわずかだけれど――それでも、あなたと一緒に、悩んで、苦しんで、泣いて、どうしようもない気持ちのぶつけどころになるくらいなら、きっとできると、思うから」
 その、本当に人ではないように思えるほど優しい言葉に、父王は、また何粒も涙をこぼし、うっ、うっ、と嗚咽を漏らしながらと泣き伏した。子供のように、罪人のように。この五年間、体同様に心を縛っていた鎖から、たとえ一時であれ、ようやく解き放たれたのだと、その表情が雄弁に告げていた。

「………っつかよ。よかったのか? あんなあっさり許しちまってよ」
 父王の部屋から退室し、勇者たちとガルファンを勇者たちの寝泊まりしている離宮まで連れ戻り、女官たちが下がるや、フォルデはおもむろにそう口を開いた。マイーラは自分がここにいてはまずい話をするのではないかと勘繰り、早く退室すべきなのかと慌てたが、フォルデは視線でマイーラを制し、そのまま話を続ける。
「あのおっさんがその、英雄サイモンって奴を殺したのは間違いねーんだろ。だったらそう簡単に許しちゃ納得いかねー奴がいるんじゃねーの? どうなんだオイ」
 じろり、とガルファンを見やるが、ガルファンはびくりとしてから、ゆっくりと首を振る。
「いや……俺は……。……俺なりに考えるところはあるが、勇者セオの言ったことに文句をつけるつもりはない。俺も、俺なりに、英雄サイモンには思うところがある。……国王陛下の気持ちも、まったく理解できないわけじゃない」
「………ふーん。ま、いいけどな」
 マイーラは驚きと共にガルファンの言葉を聞いていた。サマンオサの救い手、英雄サイモンに思うところがある。それも、英雄サイモンの息子が。思ってもみなかった、というよりマイーラには信じられない話だった。マイーラの知る限り、サイモンの犯した過ちなどさっきの父王の話以外には存在しなかったはずなのだから。
「んー……サイモンって、どーいう奴だったんだろーな」
「どういう意味だ、レウ」
「なんていうかさー。村の人を皆殺しにしたっていうのは、間違いなく悪いことだよな? それに、サイモンって……あ、ガルファン、俺に話してくれたこと言っちゃってもいい?」
「……かまわない」
「ありがと。えっと、サイモンって、ガルファンのことずっとほっぽってたんだって。ガルファンのお母さんも。ぜんぜん家に帰ってこなくて、ガルファンと初めて会ったのも五歳になってからくらいだったんだって。それってさ、なんていうか、すっげーひどいことじゃない?」
『…………』
「確かにな。普通に考えれば人の親として失格だ」
「……そういう親は、どこにでもいるけどな。子供を持つ資格のない親っていうのは、本当に、どこにでもいる。だからって存在が許されるわけじゃないけどな」
「…………。チッ」
 マイーラはごくり、と唾を呑み込む。サイモンが大量殺戮を行ったという話に引き続いての衝撃的な情報だ。サマンオサの誇る英雄が、と感じる気持ちはまだマイーラの中にもあるが、さすがにもはやサイモンに対する幻想の失せているマイーラの心は、さして幻滅を感じすらせずその情報を受け容れた。
「でも、サマンオサを助けて、いっぱい頑張ったんだよな? 英雄って呼ばれるくらい、みんなに好かれることいっぱいしたんだよな? それに、王さまの目の前で村の人皆殺しにしても平気で、怒られても平気で、そのままだったら死んじゃうような場所に捕まるって聞いても平気でうなずいちゃうし。なんか、どういう人なのか、頭の中でうまく固まんなくって」
「そうだな……」
「……人間じゃなかった」
 ガルファンはそう、ぼそりと口にする。レウは目を瞬かせて問うた。
「人間じゃなかった、って。狼男とかそういうのだったの?」
「阿呆かお前は」
「むっ、あほってなんだよー。だってガルファンが人間じゃないって」
「いや、そういう意味ではなく。……人間の心なんて、持ち合わせていなかった、ってことだ」
「……どういうこと?」
「あいつにとっては、大事なものは世界の安寧≠ニいうお題目だけだったんだろう。目の前の人間の命や、幸せなんてどうでもよかったんだろう。だからいくらでも人を殺せるし、家族を顧みることすらせずに見捨てられる。それが正しいと心の底から思い込んでいたから、罪悪感も抱かないし、陛下の目の前で人を殺しても平然としていられる。そして、あいつの中で、世界の安寧≠ニいうお題目を達成するためには、『国王陛下の命に逆らうべからず』という規則に従う必要があったから、自分の命が失われるような命令にすらも唯々諾々と従ったんだろう。お題目をすべてに優先させる秩序の化け物。それが英雄サイモンってやつだ」
『…………』
「そんな奴だったのかなぁ……じゃあ、なんで、オルテガのおじさんと仲良くなったんだろ……」
 ぽそり、と漏らしたレウの言葉に、なぜか一瞬自分の周りの空気が凍るような強烈な寒気を感じたが、それはすぐに掻き消える。ガルファンも同じ気配を感じたようでわずかに眉を寄せたが、ぶっきらぼうに告げた。
「外面はいい、というか、世界の安寧≠ニいうお題目のためになら理想の勇者をやれる奴なんだから、よほど深く付き合わなきゃあいつの本性なんて見えてこなかったんだろ。曲がりなりにもサマンオサ中に英雄と慕われてた奴なんだしな」
「そうなのかなぁ……」
「……それ以上は、本人に会ってからにした方が、いいんじゃないでしょうか。本人のいないところで、あれこれ言っても、なにも反応は、ないわけですし」
「………。そうだな……わかった」
「うん、そーだなっ! ……でもさ、エリサリのねーちゃん、なんか遅いね? 三時頃にこの部屋に来るって言ってたのにさ」
「え……」
「三時頃って、お前時間いちいち数えてんのかよ。時計持ってるわけでもねーのによ」
「え、だって時間ってだいたい何時ぐらい、って時計なくてもわかんない? なんとなくさ」
「わかんねーよ、どーいう頭してんだお前」
「世の中には時々いるらしいぞ、異様なくらいはっきりした体内時計を持ってる奴が」
 わいわいと喋る勇者たちをよそに、マイーラは慌てて(だが、できる限りの品位を保った所作で)立ち上がる。エリサリが来るというのなら(マイーラの理性としては一国の王城に無断で出入りするなど言語道断だと言いたいのだが、今のマイーラはそれを言う気にはなれないので)、自分は退室した方がいいだろう。
「それでは、私は退席させていただきます。なにかご用がありましたら女官に」
「ああ、すいませんちょっと待ってください王女殿下。エリサリさんはあなたにも話したいことがある、と言っていたので」
「私に……ですか?」
「まぁ、たぶんセオが鎮めた混沌について、この国の責任者に話しておきたいことがあるんだろう」
「……ごめんなさい。俺、慌てて、大急ぎでやってしまったので……もしかしたら、なにか、とてもよくないことを引き起こす可能性も」
「いや、勇者セオ、あなたはできる限りのことをした。あんなとんでもない代物相手に、俺という足手まといを庇いながら……それに、あのエリサリというエルフも少し調べたところでは問題ないようだ、と言っていたじゃないか」
 どんどん進んでいく話にマイーラは内心戸惑いながら考えて、ようやく思い出す。混沌。そういえばあのエリサリはなにかそんなことを言っていたような。そんな、とんでもない代物≠ニ言われるほどのものだったというのだろうか。
 だがまぁ、父王の話ほどのとんでもない爆弾ではあるまい、と自嘲と共にため息を漏らす。あのようなサマンオサという国が、マイーラの人生がひっくり返るほどのとんでもない事態には――
 と。マイーラの呼吸が、止まった。
 なんだ。なんだこれは。息ができない。なんで? 体が動かない声も出ない指一本も動かせない瞬きすらできない。なんで、なんで? 体が完全に硬直して頭も凍ってしまっている。なんでなんでなんで? そうか、思い出した。これは、恐怖だ。偽王と相対した時の、自分が殺されると感じた時の、それを何千倍にもして濃縮したような、圧倒的で、絶対的な、恐怖―――
「ほう、認識したうえで俺と真正面から向き合うか。カスよりは少しはマシになったようじゃねぇか」
「―――サドンデス、さん」
 その言葉を最後に、マイーラは意識を失った。

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