グリンラッド〜幽霊船〜オリビアの岬――2
 ポルトガの国王から貸与されたという魔船は、秋も終わりに近づき、渡る風が日々冷え込んでいく海を、波を蹴立ててひた進む。修業時代に船には何度も乗っているガルファンには、この魔船がどれだけとんでもないものかはよくわかった。風向きが逆だろうが波の流れが反対だろうが、まったく歯牙にもかけずに変わらぬ速度で進んでいく。
 ただ、ロンが言うには、これは動き回る目標を追うために魔力を余分に消費して波や風を無視できる出力を出しているだけで、普段は普通に波や風の流れを利用しているのだそうだが。そういったこまごまとした帆や舵の調整を基本全自動で行えるというのだから実際技術の水準がどうかしているとしか思えない。
 今は動く目標に向かい、船乗りの骨の指示通りに細かく舵を動かしているのだそうだが(基本舵、というよりは方向指示器を動かした方向にそのまま船が動くのだそうだ。普通の船と比べるまでもなく、正直製作者の頭を疑いたくなるようなとんでもない技術だと思う)、それでも幽霊船にはまだ追いつけていなかった。
 着実に近づいているのは確かなそうなのだが、この幽霊船というのはどうやら、オリビアの呪いとはまた違う呪いのかかった代物らしく――
「どいてろガルファンっ!」
「っ!」
 フォルデの声が響くと同時にガルファンは後ろに飛び退る。考えに耽っていたガルファンに死角から急降下してきたヘルコンドルが、ドラゴンテイルの爪に引っかけられて進路を変えられ、甲板に叩きつけられた。呻き声を上げながらなおも暴れようとする魔物に、叩きつけた張本人であるフォルデが素早くアサシンダガーを急所に突き立てとどめを刺す。
「っ、すまん、気づかなかった!」
「いいから下がってろっ、また団体さんがお見えだぜ!」
「っ、わかった……」
 ガルファンは襲撃時いつもそうしているように、剣を抜きつつ船内へと続く扉まで駆け、開けた扉の向こう側で出入り口に立ちふさがる。これで自分を倒さなければここは通れない――というより、山のようにやってくる魔物たちと一対多数で戦うことにならないため、というのが大きいのだが。
 甲板で稽古をしていたセオとラグ、見張りをしていたフォルデが次々魔物を薙ぎ払っている最中、今回は自分の前にも一、二体は魔物がやってきた。それを傷つきながらも無理をせず着実に仕留めていく。自分に無茶をして、他の面々に迷惑をかける資格などはない。
 その間に、舵を預かっていたロンとその指導を受けていたレウが自分の横を走り抜けて甲板に出て行き、数十体の魔物の群れはほどなく片付けられた。ガルファンはまだ相手をしていた魔物を倒しきれてはいなかったのだが、そいつも奔り寄ってきたレウが一刀のもとに片付ける。
「よーっし、終わったーっ! みんなお疲れー! ガルファンもなっ!」
「……俺は疲れるほどの魔物を倒したわけじゃない」
「? だって、戦ってたんだろ?」
「それはそうだが……」
 曲がりなりにも一人前の戦士の役をかろうじて果たせているかどうか、という程度のことだ。五十を超えていようかという空飛ぶ魔物の不意討ちを受けて、ごくあっさりとそれを撃退してみせる勇者のパーティとは比べ物にならないことしかしていない。
 そういった、自分とレウたちではあらゆる意味で格が違うのだということを、説明してもこの少年に理解してもらえるとは思えず、ガルファンはしばし口ごもった。
「あの……すいません、ガルファンさん。お怪我、なさっていませんか? レウ、話の邪魔を、して申し訳ない、けど、先にこれは確認、させてもらっていい、かな?」
 おずおず、を絵に描いたような口調と仕草で問いかけてきたセオに、レウは「あそっか、それ一番先にやんなくちゃだよな! ごめんセオにーちゃん!」と頭を下げて後ろに下がる。こちらはこちらでどう対処すればいいかわからない相手に、ガルファンは一瞬頭を抱えたくなったが、すぐにいつものように首を振る。
「いや、君たちのおかげですぐに魔物は倒されたからな。癒してもらうほどの怪我はしていない」
「そう、ですか………?」
 じ、と上目遣いに、本当に本当にあなたのことが心配でたまりません、という顔で見つめてくるセオに、内心ため息をつきつつうなずいてみせる。
「ああ。だから自分の持ち場に戻ってくれ。俺なんかのことを心配している時間は、君にはないはずだろう?」
 そう言うと、セオはきょとん、とした顔になった。それから、ゆるゆると首を傾げた。そののち、じっ、とガルファンを見つめ、口を開いた。
「なぜ、ですか?」
「なぜ、って……」
 そんな当たり前のことを、と眉を寄せ口を開きかけ――ガルファンは、固まった。なんだ、これは。なんなんだこれは。セオは別におかしなことはしていない。ただわずかに首を傾げて、真剣な顔でこちらを見ているだけだ。睨まれているわけでも身構えられているわけでもない。なのに、なぜ、こんなに。
 セオからは威圧感はまるで感じない。だが、ガルファンの戦士としての勘が、全身全霊で危険信号を発していた。体中が総毛立ち、空気の重さに押し潰されそうになる。セオがこちらを見つめ、口を開いた、ただそれだけのことで。
 喘ぎ、口をむやみにぱくぱくと開閉し、噴き出した汗を拭うこともできないほどに圧倒されて、ひたすらにセオを見返す――
 と、そこにレウが唐突に割り込んできた。
「なーなー、セオにーちゃん、なんで、ってさ、つまりなんでセオにーちゃんがガルファンのこと心配しちゃだめなのか、って聞いてんの?」
「え? う、うん。そう、だけど」
「そーだよなー、人のこと心配するのって好きで心配してんだからさ、心配しなくていいって言われたってしちゃうよなー。もー、ガルファンってばそこらへんのキビってやつがぜんぜんわかってねーんだからなー」
 明るい笑顔でそんなことを言いながら、レウはばんばんとガルファンの背を叩く。低い位置から元気に背中を叩く少年の挙動にしばし微妙な空気が漂ったが、ガルファンの感じていた緊迫した空気はふっと緩む。
 思わず安堵にふぅっと息を吐くガルファンに、いつの間にかすぐそばにまで歩み寄ってきたロンが声をかけてきた。
「ま、いい機会だ。俺の教えた鍛錬法は続けてるんだろう? 怪我の様子を見るついでに、筋肉の付き具合やらなにやらを検分するから、ちょっと俺と密室に閉じこもってもらおうか。――そういうわけなのでセオ、とりあえずガルファンの怪我は心配しなくていいぞ。レウ、すまんが舵の取り方を教えるまで、もう少し待ってくれるか」
「あ、はい……」
「ん、わかった。じゃーセオにーちゃんとラグ兄と一緒に甲板で稽古してるなっ」
「……おい、ロン。一応言っとくけどな、この船の中でことに及ぼうもんならマジでその変態成分の源切り落とすかんな」
「ほほう、お前が手ずから触って、つかんで、握りしめて、切り落としてくれるわけか。それはなかなか、ムラッとくる話だな」
「っっってめぇ本気で頭沸いてんのか脳味噌桃色菌に漬かってんのかちったぁ正気でもの言いやがれクソ気色悪ぃこと抜かしてんじゃねぇぇぇ!」
「はっはっは。まぁ俺の興奮するツボはともかくとして、ガルファンに二人きりで話しておきたいことがあったのは確かだからな。少なくともその話が終わるまでは妙なことはせんさ」
「お前……いちいちそういう不信感をあおる言い方するなよ。まぁいいけどな、じゃあいったん停泊して俺たちはしばらく稽古するとしようか」
「あ、えと、はい……」
「はーいっ。……なーなーセオにーちゃん、さっきロンが言ってたことどーいう意味かわかった?」
「え? えっと……それはたぶん」
「阿呆かてめぇちったぁ考えやがれガキに変態発言の解説なんざすんじゃねぇぇぇっ!」
 などとにぎやかに話す勇者一行を尻目に、自分とロンはロンの自室へと向かった。基本的に現在、この魔船は敵の襲撃があると即座に停船する設定になっている(魔法の力で大海原のど真ん中でもいつでも停船できるのだそうだ)。なのでこういう時しばし船を停めるのにいちいち船を動かす必要はない、と便利な構造になっていた。
 よく整理された、というよりあまり物の置いていないロンの部屋に招じ入れられ、ガルファンはしばし居心地の悪い思いをしたが、ロンに「さて、ではとりあえず脱いでもらおうか」と言われてぽかんと口を開けた。
「え……? 脱ぐって、え……なにを……?」
「怪我の具合を見るのにも筋肉の付き具合を見るのにも服を脱いでもらった方が簡単だろうが。ほれ、さっさと脱げ脱げ」
 思わず安堵と自意識過剰な自分に対する羞恥のこもった吐息を漏らしつつ、ガルファンは首を振る。
「いや、勇者セオにも言ったが、本当に怪我というほどの怪我はしていない。薬草で十分治せる程度の」
「少なくともセオに見せれば心底心配されて大丈夫か大丈夫かと聞かれる程度の怪我ではあるんだろう?」
「っ……」
「いいからとっとと脱げ。嫌だと言うなら寝ている間に衣服を脱がされ準備万端にされているという初心者の男にはなかなか恥ずかしい体験をしてもらうことになるが?」
「…………」
 いちいちいかがわしい言い方を、気にするなからかわれているだけだ、と何度も自分に言い聞かせて聞き流そうとしつつ、ガルファンは素直に下着姿になった。実際このままでは本当に眠らされている間に脱がされてしまいそうだったし、ここまで確信を持たれているのではいまさらしらばっくれても意味がない、と思えたからだ。
 服を脱ぐ時に身をよじる動きで身体に走る痛みに耐えながら、傷を眼前にさらす。魔物たちの爪や牙がたまたま鎧の隙間に襲いかかった時にできた切り傷が二つ。攻撃をうまく鎧に当てた時の衝撃を殺しきれなかったせいでできた打撲傷がその十倍近く。正直、歩きながらも(子供の頃から傷をつけられる訓練までしてきた自分が)傷の痛みで声を漏らしてしまいそうだったくらいには痛い。
 ロンはそんな自分を見て、ふん、と小さく鼻を鳴らし、小さく呪文を唱えてあっさりと傷を癒してくれた。が、ガルファンとしてはそれをされたくないがゆえに意地を張っていたのだ、思わず眉を寄せて文句を言う。
「あんたなら、俺が傷を負ったことを隠していた理由もわかってるんじゃないのか」
「わかってるからこそだ。きっぱりはっきり言ってやると、お前の理由は俺たちにとってははっきり言ってどうでもいいことでしかないからな」
「…………」
「『旅の役に立ってない自分が他の人間の負担になるわけにはいかない』なんぞという青くさい理屈は……まぁ俺個人としては嫌いではないが、一緒に旅をしている側としては迷惑でしかないぞ。いい年こいて、しかも戦士として高レベルの人間のすることか。お前はよほど周りに甘やかされながら修業してきたとみえるな」
「なんだと……」
「そうでなかったらなんで、『他の人に迷惑をかけないように』と自分が傷ついているのを隠すなんぞという発想に至れるんだ。そんな真似をすれば破綻しようがしまいが他の面子に普通以上に迷惑をかけることになるとわかりきってるだろうが、戦士として誰かと一緒に旅をしたことのある人間なら。このご時世で一人で旅をしていたにしろ、誰かと一緒に旅をしていたにしろ、周りにさんざん心配をかけ倒して、それに気づかずあるいは無視して、自分勝手な行動ばかり取っていた人間、と思われても仕方ないところだと思うが?」
「…………」
 湧き上がりかけた怒りは、ロンの穏やかな表情で淡々と紡がれる叱責の言葉に水をかけられた。
 おそらくは、ロンはガルファンの感情を正確に理解しているのだろう。ガルファンの戦士としてのこれまで積み上げてきた修練と、自分の腕に対する誇り。それでも圧倒的に及ばない相手に対する敬意と、同時に抱かざるを得ない隔意。国を助けてくれた勇者に対する感謝と、強いと同時に他者を心より労わる心を持つ勇者に対する尊敬、そして自分よりあらゆる面で優れていると否が応でも認めざるを得ない相手に対する嫉妬。
 自分よりなにもかもが優れた相手に、素直に心服できるほどガルファンは若くはなかった。負けたくない、悔しい、追い抜きたいと感じてしまうほどにはガルファンはこれまでさまざまなものと戦い続けてきた自分の生に誇りを持っている。男というものは普通はそういうものだ。戦士の誇りを重んじる国サマンオサで生まれ育ったガルファンにとって、それは当たり前の常識だった。
 もちろん、その隔意や嫉妬をセオにそのままぶつけるほどガルファンは愚かではない。自国の危機を救ってもらい、今も厚意でさして役にも立たない自分を旅に同道させてくれている相手にそんなことをする人間はただの恥知らずだ。
 だからガルファンは自分の分をわきまえるべきだ、と自分に常に言い聞かせていたし、そのことで自分の感情を強く律そうともしていた。少なくともそれで、そんな自分の感情を相手に気づかせないくらいに抑えることはできていたのだ。
 そして、お情けで同行させてもらっているのだから、と他の面々に断じて迷惑をかけないように振る舞うのは、ガルファンなりの誇りを少しでも保つための手段だったのだ。徹頭徹尾セオたちに甘えるしかないこの旅で、自分のことを自分でやるというのは当然の道理であるだろうし、同時に少しでもガルファンの誇りを満足させるための手段だった。というより、そうやって意地を張ることしかガルファンが『自分はできること、すべきことをやっている』と思うことができる方法がなかったのだ。
 もちろんそれがただの自己満足にすぎないのは承知している。そんな意地などセオたちにしてみればささいなことでしかないのだろう。おそらくは自分を旅に同道させ、山と押し寄せる魔物から護ることなどさして負担にもなっていないことで、別に大したことをしているつもりもないから、ガルファンに対してなにがしかを期待することすらしていないのだろう。
 だが、それでも。ガルファンにはガルファンなりの誇りがある。セオたちにははるかに及ばないにせよ、積み上げてきたと自負するものがあるのだ。期待されないこと、圧倒的に上位の存在から向こうにしてみれば大したことをしていないつもりで大恩を受けること、だというのに勇者本人からまるで向こうが目下であるかのような態度でこちらを気遣われること――それにただへらへら笑って耐えることは、絶対にできない。
 セオを憎むことはできない。あのような清廉な勇者を憎むことは、すなわち自らの愚かさ、醜さをセオに仮託することだ。けれど正直憎んでしまいたいと思ってしまうほど、ガルファンは、今の自分が悔しかった。
 それがどれだけ、卑小な子供じみた意地でも、自分の責務を果たして、あの眩しい勇者に胸を張りたかったのだ。
 うつむき奥歯を噛み締めるガルファンに、ロンが淡々とした口調のまま告げる。
「とりあえず、服を着ろ。お前のようないい男が下着姿で筋肉を露出しているところを見るとムラムラするからな」
「……すまないが、そういう冗談はやめてくれないか」
「単なる事実を言ったんだが……まぁ、真面目な話をする時に言うことでもなかったな。悪かった、だからとりあえず服を着てくれ」
 真面目な話を続けるつもりらしいと知り、ガルファンは無言で素直に服を着た。ロンが男色家だということは旅の初めに教わっていたが、こういうことを当たり前のように言われると、なんというか、どうにも返事のしようがなくなる。
 服を着終えたガルファンに、ロンはあくまで淡々と言葉を重ねた。
「お前の誇りは理解できるつもりだ。俺も男だからな。だがそれのために他人に迷惑をかけるのはよろしくなかろう。それも迷惑をかけたくないと思っている相手にな。ま、俺だけならお前のそういう若者らしい葛藤をニヤニヤ笑いながら眺めて楽しむというのもアリだっただろうが、セオが懸命にお前の役に立とうとしている以上、な。放っておくわけにはいかんのさ」
「…………」
「それにお前がセオを誤解しているようだしな。目の前でそういう不幸な行き違いを見せられては、さすがの俺も口出ししたくなる」
「誤解、だと?」
「ああ。お前は、セオがまるで自分がお前の目下であるかのように振る舞うのが、苛つくし鬱陶しくてたまらんのだろう?」
「……別に、勇者セオに対して苛ついていたわけじゃない。それに鬱陶しいなどと失礼なことまではさすがに思いはしない」
「俺には正直に言ってくれて構わんのだがな。ま、なんにせよだ。そういう見方であの子と接していると、お互いにとってろくなことにならんぞ」
「どういう意味だ」
「単純に、セオがああいう風に振る舞うのはセオの性格というか、価値観によるところが大きい、ということだ。……セオは、基本的に、世界の誰より自分は価値のない人間だ、と考えている」
「…………はっ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げるガルファンに、驚きもせずロンは淡々と続ける。
「お前にとっては勇者という称号……というか勇者らしい行動を取る勇者であることは、誇るべきことなのかもしれんが、セオはそういう風に考えてはいない。セオにとって世界を救うことは、『自分にはそれくらいしかできることがないから』行う、生きるために行う最低限必要な義務でしかないのさ」
「なっ……」
「セオがいやいややっている、という意味じゃないぞ。彼は冗談抜きで世界を、あらゆる命を護ろうとし、それに必要な努力を怠らない。全身全霊で鍛錬を積み重ね、歯を食いしばって魔物を倒して経験値を稼ぎ、いざ命が失われそうな時には当然のように命を懸けてそれを護ろうとする。――だが、そんなそれこそ血のにじむような努力を、あの子はごく当たり前のこと、と考えている。自分と同じ立場の人間なら誰だってするだろう最低限の責務と。むしろ他の人間ならもっと苛烈に鍛錬を積み重ねすばらしい結果を残してくれたに違いない、などと、限界ぎりぎりまでできることをやっておきながら理不尽にもそう思いこんでしまうのさ」
「……馬鹿な! 勇者セオがどれだけ努力を積み重ねているかは、一月程度しか一緒にいない俺にだってわかる! あんな……あんな全力を振り絞って、時間を限界まで有効に使った鍛錬なんぞ、いくら勇者の力があったって普通の人間にできるもんか!」
「ま、そうなんだがな。あの子はそれでもそう考えてしまう。あれでもまだマシになった方だぞ、少なくとも今のあの子は自分の命を他人のためなら犠牲にするのが当然のものとは考えていないからな」
「な………」
 思わず呆然とするガルファンに、ロンはあくまで淡々と言葉を重ねた。
「セオがそういう性格になったのは、生い立ちをはじめとして、いろいろ理由があるんだがな。ま、それをお前に今ここで事細かに説明するつもりはない。セオの個人的な……それも、相当に深刻な問題に関わってくるからな」
「…………」
「なんにせよ。セオの自身を軽んずる考え方は、そうそう修正できるものでもないし、そもそも気軽にしていいものでもない。セオ自身の人格そのものを成立させている根幹に近い事柄だからな。だからセオはこれからもお前の目下であるかのような振る舞いを止めないだろうし、全力でお前を気遣い助けようとするだろう。セオにとっては、本当にお前の方がはるかに意義のあることをしている偉い人間であるように『感じられて』しまうんだからな」
「っ……いくら深刻な問題だからってっ……そのままにしていい話でもないだろ! あれだけ死にもの狂いになって戦っている勇者が……自分を世界で一番価値がないと思ってるなんて、放っておいちゃいけないことだ!」
「そうだな。だがそれはたぶん、お前が旅に同道している間にどうこうできる問題ではない」
「っ……」
「俺たちとしても放置するつもりはない。俺の場合は一緒に旅をする中でセオの心を少しずつ和らげていくつもりだし、一緒にいる間にセオに自身の誤謬に気づいてもらうつもりではあるが、それは少なくとも一ヶ月やそこらでどうこうなることではない、おそらくな。だからセオがお前の前で、少なくとも一緒に旅をしている間には、お前の目下からものを言うのをやめることはない」
「……っ……、だがっ……俺は、彼をそのまま放っておくことはできない! 俺にとっては、彼は………!」
「放っておけとは言っていない」
 一瞬、ガルファンはぽかんと口を開けてしまった。
「……いや、あんたはさっき、勇者セオがどうこうなることはない、と……」
「俺はそう確信しているが、だからといって別にお前の行動に口出しできるわけでもないしな。そもそも俺の推測が当たっている保証などどこにもないんだ、お前が動いた結果セオの心が動かされることがないとは言えない」
「…………」
「お前は鍛え上げられた優秀な戦士だ。そしてそれに満足せず精進を重ねる努力家でもあるのは、俺の教えた鍛錬法をしっかり実践しただろう筋肉を見ればわかる。それに……お前のように、勇者という存在そのものを尊敬している奴は俺たちの中にはいなかったからな。お前の行動がセオの心を動かす可能性だって、ないとはいえない」
「あんたは……結局、俺になにを言いたかったんだ?」
「さっき言っただろうが。セオがどういう理由でお前の受け容れられない振る舞いをするのか、しっかり知りもせずにお前の価値観をセオに押しつけてもろくなことにはならんと思ったから、教えるべきことを教えたのさ」
「それは……」
 ガルファンは思わず眉を寄せる。相手の思う通りに転がされているような不快感も感じるが、確かにロンのしてくれたことは自分の助けになることだった。
「ま、お前がこれからどうするかは知らんが、お前の価値観を当然のように正しいものと考えて、セオに押しつけるのはやめておけよ。お前にとって勇者≠ニいうものは尊敬すべき、ことによっては神聖なものかもしれんが、セオにとっては人間の数多ある属性のひとつにすぎない。レウにとってもそうだ。基本的に、勇者というのは力があろうがなかろうが全身全霊で世界を護ろうとする奴らだからな、勇者か否かなんてことは本人たちにすれば大して意味のないことなのさ」
 ロンが肩をすくめつつも淡々と告げた言葉に、ガルファンは思わず息を呑む。そうか――それが、本来の勇者の姿なのか。勇者であろうとなかろうと、命懸けで世界のために戦う者。――勇者としての力にこだわり嫉妬した自分などではとうてい及ばない理由が、否が応でもわかる。
「……礼を言う。俺がこれからどう振る舞うべきかはまだわからないが、少なくとも今のままではよくないというのは、よくわかった」
「気にすることはない、俺は単に仲間を助けるため口を出しただけだ。……ま、お前のようないい男に恩を売ったり感謝されたりしたい、という気持ちも皆無ではないが?」
 一転して笑みを含んだ口調で言ってくるロンに、ガルファンは「はは……」と力ない笑みで反応をごまかした。

「目的の幽霊船が近づいているから、改めて聞いておくが。お前ら、幽霊船というのがどういうものかは覚えているな?」
 夜に全員揃って晩餐を終えたのち、ロンがそう口を開くと、フォルデは怪訝そうに眉を寄せて問い返した。
「お前らが前に並べ立ててた、幽霊ってのがああだのこうだのってやつか? 一応覚えてるけど、それがなんだってんだ」
「フォルデ……お前、その発言の時点で、しっかり覚えているわけじゃないと白状したようなものだぞ」
「なっ」
「この世の『幽霊』というやつにはいくつか種類があるが、どれも対処を誤ると相当厄介なことになる。だから幽霊の分類と対処法を覚えておいて、出会った幽霊がどういうものかってのをきちんと把握しなけりゃならない、と船乗りの骨を手に入れてすぐしっかり説明しただろうが。本当に覚えてないのか?」
「だっ、だから覚えてるっつってんだろーが! 単に一瞬なんでそんなこと聞くかわかんなかっただけだっつの!」
「それはそれでちょっと恥ずかしい話だと思うけど……まぁ、俺も一通り覚えているつもりではあるけど、どこか忘れているところがあったらことだしな。悪いが、もう一度説明してくれるか、セオ、ロン?」
「うんうん! 俺もその話後で帳面に書いといたけど、書き忘れてることあるかもしんないし!」
「……おい、レウ。お前わざわざ聞いた話帳面に書いてんのか?」
「え? うん。俺話覚えんの苦手だからさ。ちゃんと覚えとくにはどーしたらいいかなってセオにーちゃんに聞いたら、帳面に書いといたら覚えやすいって教えてくれたから」
「…………」
「おやおやどうするフォルデ? お前の後輩がいつの間にやらお前より賢くなってしまっているぞ? 後輩であるのみならず七つも年下だというのにな、どうする年上の威厳が台無しだぞ?」
「だあぁぁっ、やっかましいっつーんだよっ! 俺はっ……っの……ぐぐっ……」
「あんまりからかうな、ロン。それより早く説明の方を頼む」
「ふむ。では、今回は最初はセオに説明してもらえるか? 俺はそれを補足する形で話を進めたいんだが」
「あ、はい。わかり、ました……」
 言われてセオは、小さくうなずいて仲間たちに向き直った。たぶんロンは自分が前回から新しく知りえたことがあるか知りたいのだろう。他の面々にできるだけ簡潔に説明しつつも、ロンにそれをわかりやすく伝えねばならない。
「ええ、と……まず、俗に『幽霊』と呼ばれるものの分類について、からですね。基本的に『幽霊』と呼ばれるもの……つまりかつて生きていた人間の一部分が、死してのちも、生前とは違った形でこの世に存在しているものは、大まかに四つに分類されます。魔物化したもの、魔法によるもの、残留思念、それ以外、という分類になりますね。これらはすべて存在理由からして異なっているので、対処方法はそれぞれ根本的に異なったものにならざるをえません」
「うんうん、そうだった、そんな話だった!」
「……そんくれぇ俺だって覚えてんだよ、別に説明されねぇでも……」
「ほら、拗ねてないでちゃんと話を聞け、フォルデ」
「魔物化したものはさらに二つに分けられます。まず、一般的な魔物。これは魔物が生まれる際に、世界にいくぶんか存在している『死せる者≠フ魔物を創る』という選択肢が選ばれた際に誕生します」
「………は?」
「ええと、選択肢というより、割合、確率と言うべきかもしれません。この世界には、場所によってそれぞれどんな魔物が生まれるかということがあらかじめ定められている、という仮説があるんです。ここではスライムが生まれる確率が何割、大烏が生まれる確率が何割、というように。その中に、腐った死体やリビングデッド、マミーといった魔物が生まれてくる確率も存在するんです。また、この事例はさらに人や獣の死体がそういった世界選択に選ばれてしまうことで魔物となってしまう場合と、誰かの死体というわけではないけれど死せる者≠ナある魔物として生まれてくる場合に分けられますね。後者は墓所や古戦場といった、生物が多く死んだり死の臭いの色濃い場所に生まれてくることが多いようです」
「……要するに普通の魔物、ってこったな?」
「はい、そう、です……ごめんなさい、説明、回りくどい、ですよね……」
「いいからとっとと話進めろ。で? もうひとつは?」
「えと、はい。人間をはじめとした生物の死体に、魔法等で細工をすることで、術者が自由に操ることのできる下僕とすべく創り出された魔物。これは現代においては失伝したとされている古代帝国の技術で、素材となる死体に魔法をかけ、同時に魔物を産み出す世界法則に働きかけて、強制的に魔物化しつつ半永久的に術者の命令に従って動き続ける下僕と化す技術なんですけど」
「チッ……死んだ後まで思うようにこき使おうってか。鬱陶しい奴もいたもんだぜ」
「うんうん、なんていうか、すっげー偉そうだよなー」
「はい……実際、古代帝国においても、そういった批判は、あったみたい、です。そういった技術を、白眼視することも多かった、みたいで……だから、失伝した、のかもしれませんけど。……とにかく、そういった技術によって生み出された下僕たる魔物は、遺跡などに今も一定数存在すると考えられています。代表的なのは、イシスのピラミッドに配置されたミイラ男やマミーの類ですね。どちらにせよ、魔物と化した生物に対処する方法は、基本的に他の魔物と変わりません。武器や魔法で攻撃して存在する力を削り取り、消滅させるのが一番一般的でしょう」
「………ふん」
「浄化の呪文も効果的ですが、浄化しなければ魔物と化した魂は救われないというわけではありません。そもそも魔物化した生物に、生者だった頃の魂は残っていないと考えられています。彼らの存在と思考の核となるのは、魔物としての生命。死せる者≠ニ呼ばれ、共通して生者への強い憎悪に似た感情を抱き、実際死体と同じ反応を示すところもありますが、基本的には他の魔物と同じ、魔物という形の生物なんです」
「へー、死んでるけど生きてるのかー、そいつら」
「そうだね、奇妙な表現になるけれど。……そして次に、魔法によるもの。これは魔法によって魔物化されたということではなく、魔法によって多くは人格のいくぶんかを死してなお残しているもの、ということになります。心魂の幽体化による幽霊化や、ミイラ化した体にできる限り人格を残しておくことで疑似的な不死性を得た者がこれに当てはまります」
「えっと、確か俺たちが今探してる幽霊船もここに入るんだよな?」
「うん、そう推測できるんだ。……幽霊船というものは、乗っていた人々ごと船が沈んだりした際に船ごと魔物化してしまったものや、強力な魔法や呪いなどによって水死体を操って船を動かしているものなどがあるんだけれど。今俺たちが探している幽霊船は、おそらく後者――強力な魔法によって沈んだ船に乗っていた人々の身魂を支配している型であることに加え、おそらくは死せる者≠ナある魔物を生み出しやすい場≠ニなっているんだと思う」
「うんうん」
「なぜかというと、船乗りの骨の反応がある地点と、魔船や人力による魔力探査に大きな反応がある場所が一致しているから。古代帝国時代には、不死を求めて強力な魔法の場≠創り、その中で疑似的な不死性を得ようとした魔法使いが何人もいたんだ。そういった試みのほとんどは失敗に終わり、魔法使いたちは人格の一部だけを残した狂える死体と化すか、人格さえ残らず魔力の凝集体となってしまったそうなんだけれど、そういった場≠ノ多くの死した身魂が流入した場合、不死≠ノ目標を合わせて調整された場≠ヘ、その身魂を死せる者≠ニ化したり、幽霊と化してこの世に留めるのみならず、多くの身魂から魔力と生命力を受け取ることで力を得て、身魂かなんらかの物体を核とした魔力結界としてこの世に現出してしまうことが多い。そしてその核となるものの性質によっては、死せる者≠引き寄せ生み出す場≠周囲に展開しながら世界を彷徨する、移動結界となることもあるんだ」
「うん……えっと、よくわかんないとこもあるけど、つまり昔の人が創った魔法の家に船が沈んできてたくさんの人が死んじゃったから、その魔法の家ごと幽霊船になっちゃった、ってことだよな。うん、ちゃんと覚えてるぜ」
「そう……レウは、やっぱり、すごいね。……こういった『幽霊』に対処する方法は二つ。魔力の源を断ち切るか、核となっているものを破壊するか、です。おそらく今回の場合は船そのものが核となっていると思われるので、船ごと破壊するのが一番早いでしょうね。ただ、俺たちはエリックさんの魂なり思念なりを連れてこなくてはならないわけですから、まず船に乗り込んでエリックさんの遺骸なり思念の染み付いた事物なりを探さなくてはならないわけですけど」
「ふーん……っつか、本当にできんのかそんなこと? もう何百年も前に死んだ奴なんだろ? 普通に考えてとっくに昇天してんじゃねぇの?」
「はい、その可能性も高いですが、基本的に死霊系呪文――死した者の魂にまつわる呪文は、世界に刻み込まれた死した者の思念を媒介としています。遺骸や思念の染み付いた事物があれば、もはやこの世界に存在しない魂であろうとも、会話するのは不可能ではありません」
「ふーん………? まぁいい、できるってんなら納得しといてやる。で、そのエリックって奴をオリビアに会わせることはできるんだな? それでオリビアが昇天してくれるって確信してる、と」
「はい。ネクトラレ中海に呪いをかけているオリビアさんは、三番目、残留思念であると考えてまず間違いありません。ダーマの賢者たちが調査した文献の中にもそう書かれていましたし、一人の魔法の素養がまったくない女性が、死したのちひとつの中海そのものに呪いをかけられるほどの力を得たとなると、まずそれしか考えられないんです」
「え、なんでなんで? セオにーちゃんそれはまだ言ってなかったよな?」
「あ、うん。えぇと……まず念頭に置いておいてもらいたいのは、世界における法則のひとつに、『強い未練を抱きながら死んだ者の思念は、世界に焼きついてしまう可能性がある』というものがあるんだ。それは死者の魂というのとは少し違う。あくまで想いや、心の一部が世界に残ってしまっているだけなんだ。未練が強いほど世界に強く焼きつく傾向はあるけれど、これもあくまで確率の問題にすぎないから、未練が弱くても『幽霊』と化す可能性はそれなりにある。一般的に考えられる幽霊というのは、普通ここに属していると思う。カザーブの武闘家の幽霊さんとかも、これになるね」
「あー、前に話してくれたあの人な! 俺まだ会えてないんだよなー、今度一緒に会いに行こーなっ!」
「あ……う、うん。それで、だけど。こういった残留思念は、生きていた頃よりも世界に対する直接的な影響力を増す場合が多いんだ。特になにかを呪うことに関してはね。思念しか存在しないがゆえに、想いが純化されて強化、集中されるんだろうと推測されているけれど。呪いというものは、技術化されていないもののほとんどが、なんらかの強烈な想いによって世界が直接的に書き換えられる、というものだから、相性がいいんだと考えられている。特にオリビアさんは歌姫だったそうだから、海に嵐を呼んだり船を沈めたり船乗りを海に誘ったりといった海にまつわる原始呪術との相性も良かったんだと考えられるんだ。そういった原始呪術は、多くが歌によるものだったそうだから」
「なるほどー。よくわかった!」
「そう……よかった。……こういった残留思念である『幽霊』に対処する方法は、基本的にひとつです。未練を解き放つ――世界に焼きついた思念に、存在し続けなくてもいいのだと納得させること。基本的に向こうは想い、感情、心の一部分でしかないわけですから、それを解放するには存在し続けたいと願う根本、未練を消滅させるしかありません。呪文、魔法によってそういった思念を強制的に消去する方法もないではないですが、どうしても力業になりますし、効率は非常に悪いです。強く世界に焼きついた思念を消滅させるには、それこそ人間外の魔力や技術が必要になるでしょう」
「ふん………」
「逆に言えば、未練が消えたと納得さえしてくれるならごくあっさりとこの種の『幽霊』は消滅します。なので、オリビアさんに対処するにはエリックさんと対話してもらうのが一番いい、と思ったんです」
「なるほど、な……っつか、幽霊船に対処する方法ってなぁなんなんだよ。なんか特別な方法があるってわけでもなさそうだったじゃねーか」
「単純だ。要するに、エリックの思念を連れ出す算段が付くまでは、船を壊すなということさ。エリックの身魂なり、思念なりを現世に留めているのは、幽霊船の核たる魔力的な場≠ネんだろうからな。ことが済むまで俺たちは場≠乱さないよう、できる限り大人しくしていなけりゃならん。が、幽霊船には死せる者≠中心として魔物がうじゃうじゃ出るだろう。船を壊さず、場≠乱さず、魔物を素早く的確に倒していけ、というのが基本方針になるわけだ。浄化の呪文もおおいに活躍できるだろうが、死に満ちた場≠一時的に浄化することはかえって場≠フ混乱に繋がる。エリックの思念を連れ出すまでは、控えた方が無難だろうな」
「ふーん……けどさ、お前確かこの前、幽霊船ぐらいに世界を歪めてたら、魔法も歪むから普通に魔法使ったら巻き添え出しちまうとか言ってなかったか? 魔物の数多い時どうすんだよ」
「おお、よく覚えていたな。ちなみに俺たちはこの前その対処法についても教えていたからな? ちょっと面倒なことをするつもりなんだが……ま、詳しくはレウに教えてもらえ」
「ぬぐっ……」
「おー、任せろよフォルデ、俺ちゃんと教えるし! ……でもさ、確か、エリックって人を連れていけるようになったら、思いっきり船ぶっ壊していいんだよな? 魔物とかぱかぱか創っちゃう船とか、普通に海うろつかれてても困るし!」
「そうなるな」
 レウに小さくうなずくロンに、セオは一瞬幽霊船の核となった場≠創り出した魔法使いのことを考えた。おそらくは永遠の命を――目の前に現れた死≠ゥら少しでも遠ざかるため、容赦のない現実から逃げるため、必死に自分だけの世界を創り出した一人の人間のことを。
 その恐怖、その悲嘆、その苦痛、その焦燥、その絶望――追い込まれた人間が死にもの狂いで抗ったものと、その末に辿り着いた場所。それはたとえ周囲にとっては迷惑でしかなかったとしても、消滅させるべきと考えるのが当然だったとしても、決してどうでもいい、軽んじてしかるべきものではない。たとえ結果的にどうしようもない代物にしかならなかったとしても、それはその人間の魂を懸けた挑戦なのだから。
 けれども、自分は、それを殺す。仲間の邪魔だから、経験値になるから、自分にとって都合が悪いから。そんな己の欲望の、我儘のために。
 そんなわかりきった、これまで何度も繰り返し確認した事実を、再度見つめ直す。いつもと同じ、自分の罪過の再確認だ。自分がどれだけ幸福でも、もう死んでもいいとすら思えるほど嬉しいことが何度あっても、決して忘れてはならないことを思い出す。自分の犯した罪の償いを怠らないため、立ち止まってしまわないために。
 そんな日々くり返している確認を一瞬で心の奥底まで染み通らせた際に、ふと視線に気づいた。反射的に視線の主に顔を向けて、驚いて思わず目をぱちくりと瞬かせる。
 自分に苛烈な、けれどどこか気遣わしげな視線を向けてきたのはガルファンだった。オルテガの親友だったという、サマンオサの勇者、英雄サイモンの息子。
 彼がそんな視線を向けてくるとは予想外で、思わずじっと見返してしまった。自分はこれまで、一緒に旅をしてきたこの一ヶ月の間も、彼に気遣われるほど大したことをしてきたわけでもないのに。
 けれど、ガルファンは視線を逸らさず、じっと自分を見つめ続ける。戸惑い、迷いながらも、視線を逸らすことができずセオはガルファンを見つめ続けた。こちらを見ている人から唐突に視線を逸らすのは礼を失した振る舞いだし、それに彼は、たぶんではあるが、自分の心を――自分がなにを考えなにを求めているのかということを知りたいのではないかと思えたのだ。視線の感触からして。
 食堂で会話の最中に二人で見つめ合い始めた自分たちに、周囲の仲間たちが怪訝そうな視線を向ける。フォルデは眉を寄せなにかを言おうと口を開くが、すぐに肩をすくめて閉じた。レウは不思議そうな顔でただ自分たちを見つめ、ラグは苦笑してフォルデ同様肩をすくめ、ロンはじっと静かな視線で自分たちを見定めている。
 仲間たちに注目されてしまっていることが、さして大したことを考えているわけでもない自分にはひどく気恥ずかしく、いつまで見つめ合っているべきなのかもよくわからなかったが、とにかく一度ガルファンに確認すべく口を開く――
 のと、ほぼ同時にフォルデが立ち上がった。それから数瞬遅れてロンが小さく舌打ちをし、同様に立ち上がる。セオもその時にはさすがに立ち上がり、感じ取ったものを確認していた。
「……なにがあった」
 低く訊ねたラグに、自分たちは目を見交わしてうなずきあい、仲間たちに向き直って告げる。来るべき時がやってきた――と言うには、状況が自分たちの想定からいくぶん外れているが。
「幽霊船だ。場所を確認した。……しかもどうやら向こうは、こっちを獲物と認定したらしいな。こっちに向かって突っ込んでくるぞ」

 ひゅおんっ、と風切音を立ててフォルデのドラゴンテイルが空を斬り裂く。ヘルコンドルの群れは次々首の付け根を斬り裂かれ、血を噴き出して海へと落下していった。
「うじゃうじゃうじゃうじゃと……いっちいち鬱陶しいったらありゃしねぇな!」
 魔船にしがみつき、甲板へとよじ登ってくるマーマンダインの首を片っ端から落としながら、レウが困り顔で叫ぶ。
「なーロンっ、幽霊船じゃ最初は大人しくって言ってたけどさ、これ大人しくしよーがなくねー!? 船の回り魔物だらけでこのままじゃ船の中にも入れねーよ! 呪文で全部吹っ飛ばしていいなら別だけど!」
 ロンは独特の歩法で陣を描きつつ、襲いくる魔物たちをスーで(渇きの壺を手に入れてくれた感謝の証として)手に入れた雷の杖を駆使して捌きながら答える。
「あともう少し待て。セオと俺で船の周りにまとわりついている奴らをなんとかする。その後一気に突入だ」
 ラグもバトルアックスを右に左にと振り回して魔物たちを的確に打ち払いつつ、ロンの言葉を補足した。
「幽霊船に乗り込んだら自動操縦で魔船を遠くまで引き離すからな、遅れたらガルファンと一緒に留守番だぞ」
「はーいっ!」
「チッ、いっちいち細けぇな、面倒くせぇ……」
「魔船を沈めるわけにはいかないんだからできる限り安全策を取るべきだろ。ポルトガの国王陛下に対してうんぬんっていうよりも、魔船がないと俺たちの旅はにっちもさっちもいかないんだから」
「だーもうっ、わかってんだよそんなこたぁっ、んな注釈なんぞつけねぇでいいっ!」
 そんな会話を交わす仲間たちの中で、セオは必死に集中していた。この呪法はセオも実際に行うのは初めてなので、正直完全に成功できる自信はないのだ。ロンが十全に支援をしてくれてはいるが、一般的な学説ではまだ理論段階ですらない構想段階程度の代物だ、不安は尽きない。
 だがそれでも、なんとしても自分の役目は果たす。それが自分のなんとしても果たさなくてはならない義務であり、仲間たちのために絶対に果たしたい自分に託された役目なのだから。
「よしセオ、機を合わせるぞ!」
「………はい!」
「3、2、1―――!」
「―――全てが私の中の皆であるように、皆の各々の中の全てですから!=v
 セオは全身の魔力を集中し、同時に魔力の相を拡散させ、世界に浸透させる。本来人の持てる力ではないと評された効果を顕すべく、一瞬だけ世の層をずらし、相を書き換え、界を回し階を弾く。それを遅滞なく行うのはロンの敷いた陣がやってくれる。セオの役目は、放つべき力を、放つべき時に、放つべき形で放てばいいだけ――
 刹那を数度重ねたほどの全神経を集中させて魔力を放出し続ける時間が過ぎた、と思うや、ぽんと肩を叩かれた。
「よくやったな。セオ」
 そう言ってにやり、と笑いかけるロンの後ろには、目を輝かせて周りを見回すレウや、困惑げなラグや、目をぱちぱちさせているフォルデなどが見えた。
「すっげー、すっげー、すっげー! 魔物たち消したわけでもねーのにっ、全部さーっていなくなっちゃった!」
「話には聞いていたけど、劇的すぎてなんというか、気が抜けるな……まぁ、普段からこのくらいの魔物たちをぱっぱか吹き飛ばしているんだから、このくらいのことは当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけど……」
「けどこんな風に生きてんのにいなくなる、なんてのは初めてだぜ。まぁ、言ってた通りっちゃ言ってた通りなんだけどよ」
 無事役目を果たせた、とほっと息をつく――や、一瞬膝が崩れた。ロンがさっと支えてくれて、ラグたちも「セオ!」「大丈夫か!?」などと駆け寄って来てくれるが、セオも慌てて体に力を入れ直し、できる限りしゃんと両の足で立つ。
「あっ、あの、だ、大丈夫、です、から。ちょっと、魔力を使い、果たして、力が抜け、ちゃっただけで」
『は………?』
 唖然とする三人に、セオも思わずきょとんとして首を傾げる。すぐに自分が言い忘れていたのかもしれない、と気づき慌てて説明しようとするも、ロンがそれを制して声をかけた。
「ほらお前たち、説明は歩きながらしてやるからとっとと幽霊船の中に入るぞ。何度もできることじゃないんだ、とっとと仕事を済ませて戻らんとまた面倒なことになる」
「お、おう」
「そうだな、急ごう。……セオ、本当に大丈夫かい?」
 ラグに気遣わしげな視線を向けられて、思わずセオは慌てて首を振る。
「はっ、はいっ、全然、大丈夫です、からっ。気を抜いちゃって本当に、ごめんなさい……あと、その……気遣って、くださって、ありが……」
「セ……」
「いいからとっとと急げと言うとるだろうが。殴るぞお前ら」
「はっはいっごめんなさいっ!」
「わっ、わかってるっ!」

「えーっと、つまり、さっきの……『魔法の力を消す魔法』っていうのは、魔法力全部使っちゃうくらい、すっごい魔法だったってこと?」
 幽霊船の階段を下りて行く間にも、次々出てくる腐った死体をてきぱきと斬り倒しながら訊ねるレウに、ロンはときおり後ろから襲ってくる敵を捌きつつ肩をすくめた。
「ま、あれは魔法というわけじゃないがな。おおむねそういうことだ。そもそも呪文としてはおろか、魔法としても呪法としても成立していない、研究者の妄想かさもなければ伝説や神話の中にしか存在しない代物を引き出してきたんだからな、そのくらいの消耗はするさ。一時的に魔力そのものをかき消す――この現象を研究している連中の間では凍てつく波動≠ネんぞと呼ばれている、神が古代帝国を滅ぼした際に使ったとされる力。魔法によって自己に有利な場≠創り出している幽霊船にはこれ以上ない鬼札になる上、神どもの技術を検証する役にも立つ。だからそれほどの消耗と、失敗する可能性を考慮した上で、やる価値はあると俺たちは判断したんだがな」
「お前んなこと一言も言ってなかったじゃねーかよ」
「……セオは本当に大丈夫なんだろうな?」
 一番前に立って罠や不意討ちを警戒しつつ現れる魔物を斬り裂くフォルデと、フォルデの後ろで魔物たちを薙ぎ倒していくラグも眉を寄せるが、ロンはやれやれといった様子で眉を寄せつつ肩をすくめる。
「最初の説明の時に、セオが『かなり魔法力を消耗してしまうと思うので、その後の戦闘ではあまりお役に立てないかもしれません』と言って、俺が『まぁ命を削ることはないだろうさ』と補足したぞ。まぁ俺たちの説明の仕方も悪かったのかもしれんが、お前ら今心配するなら魔法関係の理屈を話している時にももう少しちゃんと聞け」
「う……」
「いや、一応聞いてはいたんだが、その説明とはずいぶん趣が違うというか……」
「……はい。本当に、本当に、ごめんなさい………」
「えー!? なんでセオにーちゃんが謝んのー!? だって今回悪いの俺らじゃん! ちゃんと話聞いてなかったんだしさっ」
「でも、本当に、俺の説明はわかり、にくかった、と思うから……ラグさんも、フォルデさんも、レウも、本当にごめ……」
「だーっ、お前のそーいう面倒くせぇとこっとに変わってねーなっ! ガルファンの奴がクソ面倒くせぇこと考えやがるわけだぜったくっ!」
「え? ガルファンさん、が……?」
「……ぁーっ……」
「シッ。そろそろお喋りは止めておけ。……目的地に出るぞ」
「はっ、はいっ!」
「……ああ。悪い」
 フォルデがぴたりと足を止め、軽く周囲の気配を探ってから、小さくうなずいて自分たちに『前進』の合図を送る。自分たちはうなずきを返し、隊列を崩さずに幽霊船の漕ぎ手座のある階層――奴隷たちが櫂を漕ぐ、自分たちの目的地へと侵入した。
 幸い、無限に生まれてくる魔物たちは、自分たちの凍てつく波動≠ナ一時的にその大半を幽霊船の呪縛から解放できている。今のうちにエリックの残留思念を呼び出した上で、急ぎ退散し幽霊船に対処しなくてはならない。
 幽霊船はおそらくここ一ヶ月ずっと自分たちが追ってきていたのに気づいている。そして自分たちをこの上なく警戒しているからこそ、もう逃げられないと悟るや魔力を振り絞ってありったけの魔物を生み出しながら突貫してきたのだ。
 正直、あそこまで大量の魔物を呼び出されては、自分とレウでは巻き添えを出さずに魔物たちを倒すのは難しいだろう。もちろんロンは賢者魔法の対象指定によって巻き添えを出す可能性を零に等しくできるだろうが、おそらく向こうは大量の魔物たちで魔力を擾乱した上で持てる魔力によって呪文を偏向させようとしていた。マホカンタを使おうとしていた可能性が高い。何体かの魔物にマホカンタをかけて範囲呪文を反射させれば、強力な呪文なら人間などごくあっさりと吹き飛んでしまう。
 となれば仕方がない、とあらかじめ想定していた作戦の通り、失敗する可能性も覚悟しつつ凍てつく波動≠発動させたのだが。幸い図に当たったようで、たぶん幽霊船の核は一時的に思考すら停止してしまっている。回復する前に目的を果たさなくてはならなかった。
 漕ぎ手座には、幽霊船の核によってこの世に繋ぎ止められているだろう、多くは骸骨の姿で無理やり動かされている幽霊たちがみっしりと詰まっていた。あるいは口の中でぶつぶつと、あるいは大声で呻くように、それぞれの苦痛や未練を訴える幽霊たちを、ぐ、と奥歯を噛み締めながら素通りする。
「助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ、俺は悪いことなんてしてない、本当だ、だから助けてくれ、救いを、幸せを……」
「死ねばいい、死ねばいい、死ねばいい、みんなみんな死ねばいい、俺が死んだんだから生きてる奴全部死ねば……」
「……、なんか、やだな。こういうの、ほっとくの」
 ぽつりと言うレウに、フォルデが仏頂面で返す。
「ほっとくのがやだったらなにができるってんだよ。結局最後には船ごと吹っ飛ばすんだろ、魂だのなんだのってのも解放はされるだろうが」
「……うん。そうなんだけど……」
 小さく答えて、周りの幽霊たちを見つめるレウに、セオはぐ、と胸の前で拳を握りしめた。
 自分は知っている。理解している。この幽霊たちは、死んだ船の乗組員たちの残留思念を魔力で死骸の中に固定化させたものだ。本人の魂と呼ばれる類のものは、ここにはひとつたりとも存在していない。
 ――だから、幽霊船を消滅させれば、この思念たちは魔力から解き放たれ、消滅するしかないのだ。救われない想いを抱いたまま。どこにも行けぬまま、幸せを得られないまま。奴隷としてひたすらに櫂を漕がされる、苦痛と憎悪と絶望に満ちた記憶に満たされたまま、消えるしか。
 それを承知で、自分は先を急いでいる。急がなければ幽霊船が力を取り戻し、魔物がまた溢れてきてしまうから。自分の目的にそれでは不都合だから。仲間たちの命と幸福の方が、彼らよりも大事だから。そんな自分の都合で、彼らを見捨てるのだ。
 それを深く、心に刻む。それが最低限の自分の義務だ。自分の意志で見捨てた人々を、永遠に覚えておくことが。もはや償いようもない罪を犯してしまった相手に対し、その苦しみを少しでも受け継ぐのは、ごく当たり前のことだとセオには思えた。もちろんセオのそんな想いなど、相手にとってはどうでもいいことだと理解しながらも。
 と、ふいにフォルデが足を止め、周囲に鋭い視線を向ける。聞き耳を立てているのだ、と理解して自分たちは動きを止め、息も抑えた。波の音と風の音とかすかな幽霊たちの呻きで満たされた、レミーラによる灯り以外に光源のない暗い世界で、フォルデは鋭い視線をふいにある場所に向け、足早に歩き出す。自分たちもすぐその後を追った。
 フォルデが足を止めたのは、珍しく一見したところ人間――若い男の姿をしているように見える幽霊だった。服装からして数百年前に死んだ人間だとわかる。もしかすると強い未練を抱いていたせいもあり、幽霊船の核に支配される前から幽霊化してしまっており、死骸を使う必要がなかったのかもしれない。あるいは死骸そのものが消失してしまったか。ともあれ男の幽霊は目の前に立った自分たちに目もくれず、櫂を漕ぎながらぶつぶつと小声でなにやら呟いている。
「ああ、オリビア……船が沈んでしまう……もう君とは永遠に会えなくなるんだね……でも僕は……」
「オリビアって! なーなー兄ちゃん、あんたの名前ってなに!?」
 勢い込んで訊ねるレウに目もくれず、男はぶつぶつと呟き続ける。
「永遠に忘れないよ……君との愛の思い出を……せめて君だけは……幸せに生きて……」
「……ぜんぜん話聞いてくんない……」
「たりめーだろ、幽霊なんだからよ。人の話素直に聞くような奴ならとっとと昇天してら」
「そうだな。……そういえばフォルデ、お前幽霊大丈夫になったのか?」
「……なんの話だ」
「いやいやフォルデ、この期に及んでごまかす必要はないだろう。カザーブのあの人と会った時どれだけ恐れおののいていたか忘れたというわけでは」
「だぁぁっ、うっせーなっ! 旅の間に死人だのなんだの見たくもねぇようなもんしこたま見てんだ、いまさら幽霊ぐらいにビビるような根性してるわけねぇだろ誰だと思ってんだ俺をっ!」
「それはもちろん強気なわりに弱点の多いたいへん愛らしい俺たちの盗賊だと思っているわけだが……」
「殺すぞ」
「まぁ落ち着け。実際だ、これから先何度か幽霊と接触する機会はあるだろうし、本当に幽霊が苦手じゃなくなったのかどうかというのははっきりさせておいた方がいいだろう。幽霊の類は、もうどれだけ会おうが深く関わろうがまるで平気になったのか?」
「……まるで平気、ってわけじゃねぇけど。我慢するくらいはできる。これまでいろんなもん見てきたしな」
「なるほど。……チッ、つまらん」
「あァん!? 今なんつったお前」
「はいはい、お前ら喧嘩するな。ロン、しょうもないからかいもいい加減にしておけよ」
「承知……したくはないが、まぁ了解した」
「てめぇマジでいい加減にしとけよ……」
「そういえば、レウは幽霊とかその類の代物は平気なんだな。幽霊船の話を聞いた時から少しも怖がる様子を見せなかったし」
「? だって幽霊って、死んだ人たちの名残みたいなのなんだろ? なんか怖がることあるわけ?」
「……だ、そうだぞ?」
「やっかましいっつーんだよっ!」
 にぎやかに喋っている仲間たちの中で、セオは一人考えていた。この男性――おそらくはエリックの思念をオリビアと引き合わせるには、遺骸なり思念の染み付いた事物なりを手に入れなければならないわけだが、遺骸の類が見当たらない以上、彼が強く思念を染み付かせた事物を探さねばならない。幽霊船に奴隷として捕われていた以上、そういった類のものはおそらく奴隷頭のようなものがひとところにまとめているだろうが――
 ただ、なにかが引っかかる。なにかを自分は忘れている気がする。なにかすべきことを失念している気がする――確かそれは、一月ほど前、サマンオサを発つ前後に聞いたことの中に関連している気がするのだが――
「……セオ。どうかしたかい?」
 ラグに声をかけられ、セオははっと我に返る。仲間たちがそれぞれ、自分に視線を向けている。それに滲む真剣さの度合いから、自分を気遣うと同時に、おそらくは自分がなにか考えついたことがあるのかと思ったのだろう。慌てて首を振りつつ、口を開いた。
「いえ、大したことでは。ただ、その、なにか忘れてしまっていることがある気がして……」
「あー、あるよなーそーいうこと! 忘れてんのはわかんのに思い出せないっての!」
「……珍しいな。お前がんなこと言うのって」
「ふむ。気にはなるが、とりあえず先にエリックの思い出の品を探すとしよう。凍てつく波動の効果時間にまだ余裕はあるが、のんびりしていられるわけでもない。普通その手の物は奴隷頭がひとところにまとめているだろう」
 ロンの言葉にうなずいて、全員歩き出す。しばしの探索の後、船尾に小さな船室を見つけ、ロンが死霊系呪文で感触を探り、それらしき物品を見つけた。中に華やかな装いの女性の絵姿の入ったロケットだが、まったく腐食している様子がない。おそらくは強い思念を幽霊船の魔力が増幅し、状態の変化を凍結させているのだろう。
「さて、あとはエリックの思念をこれに寄りつかせた後は、幽霊船ごと全て吹っ飛ばせば終わりだな」
「普通に呪文で吹っ飛ばしちゃっていいの?」
「ん? なんだ、物理的に吹っ飛ばしたいのか?」
「あー、サマンオサでラグがやったみたいな。んー、今はまだ俺この船吹っ飛ばせるくらいの力出せる自信ないなー」
「そういう問題かよ」
「……ま、核が吹っ飛べば強制的に幽霊化されている思念も解放されるだろうし、場≠熾壊するから新たに死体が魔物化されることもなくなるだろう。それが一番まともなやり方だと思うが?」
「んー、そっか。いいならいいんだけど」
 言ってレウはぽりぽりと頭を掻く。その仕草からは、レウの心の中に疑問と呼ぶべきものが揺蕩っているのが感じられた。
死せる者≠スちの生は苦痛で満たされている。それは間違いない。セオとて戦いの中で、相手の感情や感覚の波長を感じ取る術くらい感得しているのだ、その感覚も、浄化すること、消滅させられることで苦痛から解放される瞬間の感覚も確かに感じ取った。
 ただ、幽霊たち――かつて生きていた者たちの思念の残滓は、もはや生きているとは言えない状態となり、感情も理性も大きく歪みながらも、多くは何かを求めている。あるいは救いを、あるいは幸福を、あるいは――失ってしまった大切なものを。
 それを丸ごとすべて、この世に繋ぎ止めているものごと消滅させてしまうことは、素直によしとできるものではない。それはやはり、ひとつの生の終焉ではあるのだから。
 けれど、この世に残った想いすべてを、十全に開放することは、自分たちの力ではあまりに足りない。幽霊船の中の幽霊たちは、核の力に囚われている以上想いを解放するだけではこの世から去ることはできない。そして一人一人の想いを解放して回れるだけの時間もない。
 つまり、今回も、同じようにまた自分は見捨てるのだ。自分の都合で、感情で。いくつもの生を、命を。こうして身勝手に、無情に、無慈悲なやり方で――
 と、その瞬間、セオの脳裏に言葉が閃いた。そう、一ヶ月前、ある人に大切なものを渡された時にかけられた言葉だ。あれは、つまり。
「………セオ? どうかしたかい?」
「いえ、あの………すいません、少しだけ、待ってください―――」
 そうか、つまりあれは――そういうことなのか? そうかならば可能性はある、確かに。方法は問題ないはずだ、あとは自分の精神がもつかどうか、それだけ。
 ――ならば、躊躇する必要はない。
 自分は自分の勝手な都合で死した人々の思念を利用している。なのだから行き会った思念にできるだけのことをするのは最低限の義務だ。精神障害や精神崩壊が起こる可能性があろうとも、それは決してできない≠アとを意味してはいない。ならば全力を振り絞って、やるべきことをやるだけだ。真っ当に生きている者なら、誰もがそうしているように。
 だから、セオは怪訝そうに自分の方を見ている仲間たちに向け、口を開いた。
「あの、すいません。ひとつ、思いついたことがあるんですけど――」

 ガルファンは魔船の甲板で、歯を食いしばりながら幽霊船のある方向を見つめた。夜の海で、月も出ていない以上、ある程度距離を空けた幽霊船をまともに見ることはできなかったが、正直そうでもしないといてもたってもいられない気分だったのだ。
 もちろんセオたちが幽霊船の魔物たちに負けるとは思っていない。いざとなれば幽霊船そのものを吹っ飛ばせるほどの力を持つ彼らに、そんな心配はむしろ無礼だろう。
 だが、それでも、なにも気にせずに待っていることはできなかった。自分の力でできることでは彼らにとってなんの助けにもならないだろうことはよくわかっていたが、それでも、ただ、なんというか――気になって、大丈夫だろうかと身を案じずにはいられなかったのだ。
 暗闇の中、じりじりと神経を焦燥の火で焦がされながら、ひたすらにセオたちが戻ってくるのを待つ――
 と、唐突に、視界が光で満たされた。最初の瞬間、暗闇の中立っていたせいか瞳が焼かれたように感じられて反射的に目を覆ったものの、すぐにその光が柔らかく優しいものであることを悟り、慌てて目で光源を確かめる。
 光源は、魔船からある程度離れた海から立ち昇っている巨大な光の柱だった。暗い海の中から、天まで届くかのように太く力強い光の柱が、夜の闇を照らしている。
 ガルファンは思わず、呆然とその柱を見つめた。あんな、人の手によるものとは思えないほど強大なのに、春の陽射しのように優しい代物、たいていの人間は神の手によるものを思うだろう。
 だが、わかる。あれは勇者の手によるものだ。勇者セオが、幽霊船を浄化しているのだ。
 ――どたっ。
「って! おいロン、てめぇ着地くらいまともにしやがれ! 呪文使った本人だろーがっ」
「無茶を言うな、セオの後援のため状況を必死に観察しつつ、幽霊船が崩れ始めるや転移したんだぞ? 呪文の制御で手いっぱいだ、着地の姿勢まで気が回るか」
「だから俺がルーラ担当しようか、って言ったじゃん」
「いや、レウ。お前にはセオの直接的な支援という仕事があっただろう。それはお前にしかできないことだし、ルーラの方を気にしてそっちをおろそかにされたらそれこそ本末転倒だ。やむを得ない分担だったと思うぞ」
「そっかー……」
「……つーかよ、セオ。お前大丈夫なのかよ。自分でやるっつっときながら、実際にやったらヘタれたとか一発殴るだけじゃすまねぇぞ」
「っ……っ……、っ………、大丈夫、です。レウと、ロンさんが、助けてくれた、ので……もう、問題ない、と思います」
「………ふーん。で、幽霊船の幽霊は無事昇天したのかよ」
「え? ええと、昇天、というか、解放は、もちろんされた、と思いますけど。問題ない、って言いません、でしたっけ?」
「チッ……あーそーかよよかったなこのクソボケ勇者っ」
「ふぇ!? ふぉ、ふぉふぇんははい、ふぉるふぇはん、ほへ、はひはほひひははるほふはほほほはっひゃひはひはは……?」
「なに言ってんだかさっぱりわかんねーっつのあーったくお前マジ面倒くせーなっ!」
「いやいや、面倒くささではお前もなかなかいい線いっているぞ? これだけ近しい相手でも『そうじゃなくてお前の体が大丈夫なのかって聞いたんだ』と聞けないというのは一般的にはそうそう……まぁお前はそういうところこそが魅力的だと思うわけだが心底」
「どやかましいわこのクソ賢者てめぇんなに俺にぶっ殺されてぇのかマジその腐れ舌引っこ抜くぞてめぇっ!」
「なんかよくわかんないけどセオにーちゃんいじめんなフォルデ!」
「お前もお前で鬱陶しいんだよクソガキっ!」
「気分の方はどうだい、セオ。気持ちが悪いとか、嫌な感じがするとか、そういうこともないかい?」
「あ……そっちも、大丈夫、です。あの……ラグ、さん。ありがとう、ございます……」
「いや。気にしなくていいよ」
「…………」
「いいところを持って行かれてしまったな?」
「ぶっ殺……!」
「レウも、ロンさんも、フォルデさんも、ありがとうござい、ます。皆さんのおかげで、なんとか、無事にことが済みました。本当に」
「……俺は別になんもしてねーだろ。勘違いしたこと抜かしてんじゃねぇ」
「え? いえ、だって。フォルデさんが、励ましてくださってたから、俺、最後までやり通せた、わけですし……」
「…………そーかよ」
「えへへっ、どーいたしましてっ」
「ま、君の助けになるのは俺の生き甲斐のひとつだからな。気にすることはない」
「………、あんたたち……」
 唐突に現れてにぎやかに喋っている勇者たちに、ガルファンはわずかに震える声で声をかけた。
「お、ガルファン! こっちの方はだいじょーぶだった? 魔物とか出たりしなかった?」
「まぁ、勇者の力がまともに働いていれば同行者に危険が及ぶような魔物の異常発生はしないだろうから、あまり心配はしていなかったが」
「……なにか聞きたいことがあるのかい? どうぞ、俺たちとしては隠すようなことはなにもないよ」
「なら、お聞きしたいことがある。勇者セオ。あなたはさっき、幽霊船の浄化をしたんだな?」
「え? いえ、浄化というほど、では。単に、船乗りの骨の力、を借りて……」
「幽霊どもを自分の中に入れたんだとよ。あの幽霊船の中にいた幽霊ども、まるごとみんな」
 鼻を鳴らしてぶっきらぼうに言うフォルデに、ガルファンは半ば呆然としながら反復する。
「幽霊を、自分の中に、入れた……?」
「船乗りの骨には、もともとそういう力があったよう、なんです。海で死んだ人々、の思念を人に依り憑かせる力、が。俺の調べた文献には、載っていなかった、んですけど……」
「俺がセオに頼まれて改めて調べた結果、そう判明してな。文献の類には残っていなかったから、グリンラッドの隠者殿が自分で個人的に研究して見つけた力なんだろう。できればはっきり教えておいてほしかったという気もしないでもないが」
「教えられても、こっちとしては嬉しくねーけどな。フツーは幽霊憑かせりゃ下手すりゃ狂うってのに、素直に幽霊船の幽霊全部自分の中に引き入れるよーな馬鹿がいんだから余計、な」
「狂う……?」
「……普通、幽霊、それも幽霊船になるような不慮の死を迎えた幽霊は、未練と憎悪の感情で満ちているんだそうだ。だから普通の人間がなんの対策もせず幽霊を憑かせれば少なくとも精神に変調をきたすんだそうだよ」
「でもセオにーちゃんは大丈夫だったけどな! ロンとかに心護る呪文かけてもらったり、俺がニフラムちょっと変えて使って幽霊たちのココロ? 鎮めたりはしたけど、幽霊船にいた幽霊まるごと全部憑かせてもいつものセオにーちゃんだった!」
「まるごと、全部……」
「えと、それは、船乗りの骨、が効果範囲内の海で、死んだ人々の思念をすべて、取り込んでしまうもの、だったっていうのがある、んですけど」
「けどそういう力だから使うことにしたんだろーが、お前。魔物散らしてる間に全員幽霊昇天させられるからってんで。最後にレウのニフラム全力でかけて場の浄化ってやつやるとか言ってたけど、その前に幽霊ども全部昇天してたじゃねーか。ったく、バッカじゃねーのかっとによ」
「……はい。あり」
「なんだ、それは」
「え?」
 セオが驚いたような顔をこちらに向ける。それに向け、ガルファンは震える声を叩きつけた。
「なんだ、それは……狂うかもしれない方法で、幽霊たちを昇天させただと? 幽霊船を丸ごと消し飛ばして、幽霊たちを消滅させることもできるのに? あなたが本当に狂いでもしたら……どうなるかわかっていて、やったのか?」
「………はい。わかっている、つもりです」
「あなたは勇者だ。それも少なくとも今は、世界最強の。魔王を倒すのみならず、世界中の苦難を排し、救われない命に手を差し伸べ、数多の不幸を消し飛ばせる力の持ち主だ。あなたの命は、今世界中の誰より重い。それがわかっていて、やったのか?」
「ぇ……いえ、あの。そんなことは、ないと思」
「ふざけるな!」
 腹の底から怒鳴る。以前セオにぶつけたのとは違う、義憤と悔しさの入り混じった強烈な怒りが体中を満たしていた。
「あなたは世界を救える人なんだぞ。世界の誰より強い、誰より価値のある力の持ち主なんだ。それを自覚せずに、軽はずみに自分を損なうような真似――俺は許しちゃおけない!」
「……おい。てめぇ黙って聞いてりゃ」
「フォルデ。最後まで言わせてやれ」
「俺と勝負しろ、勇者セオ!」
「え……」
 きょとんとした表情になったセオに、怒りのこもった声をぶつける。
「俺はあんたよりはるかに弱いが、あんたのその自分自身と、自身の命の重みを軽んずる心得違いを放っておくことはできない。あんたのその心を、叩き直してやる!」
 そう決意を込めた怒鳴り声を、セオはじっとこちらを見つめながら聞き、やがて静かにうなずいて答えた。
「はい。いつでも、かかってきてください。全力で、お相手させていただきます」
 その声音と表情に、ガルファンは思わず一瞬口を開けた。今自分の目に映っているのは、サマンオサで自分を圧倒的な身魂の強さで心身ともに叩きのめした、あの明敏な勇者のものだったからだ。

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