海賊のアジト〜レッドオーブ――1
 さんさんと眩しい陽光が降り注ぐ海を眺めながら、レウは見張り台の上で一人考え込んでいた。
「うーん………んー………んんんんんー………」
 季節は十二月、あとひと月もすれば年が明けようという頃合い。レウの暮らしていたムオルではぼつぼつ吹雪が吹き荒れ、秋から続けていた冬籠りの備えを頼りに家に閉じこもり始める時期だったが、サマンオサまで転移して、その港(王都のある平野から険しい山を越えなければたどり着けない港なので、あまり頻繁に荷が行き交うこともない、国の力に比して小さな港であるらしい)から南下している最中である自分たちの周りの空気は、初夏に近いほど暑かった。日差しもじっとしていても汗が流れるほど厳しく、自分たちは揃って薄着になって船上の仕事を片付けている。
 そしてレウは今、見張り台で魔物が出ないか、なにか奇妙なものが見えないか、と監視する役を務めているのだが――それよりもなによりもどっしり心にのしかかる懸案事項に、どうしてもレウの心はふらふらと遊んでしまう。もちろん目や肌や耳は絶えず周囲の状況を確認し続けているのだが、一心不乱に見張りをしている、とは正直ちょっと言えなかった。
 そういうのは本来はいけないことだというのはわかっている――が、レウにはそれでもどうしても気になることがあったのだ。見張りよりも先に、きちんと考え終えておかなければいけないことが。
 見張り台にはもちろん日よけ屋根があり、船全体に張られている温度変化を防ぐ結界の範囲内でもあるのだが、それでも眩しい日差しを浴びていれば汗は流れるし肌もちりちりと焦げる。一年の四分の三近くが雪と氷に閉ざされる街であるムオル育ちのレウは、暑さを得意にしているというわけではない――のだが、それでもレウには、そういったもろもろをすべて無視してでも、考えねばならないことがあったのだ。
「うーん………うーん………うううう、うーん………」
「なに唸ってんだてめぇは、ガキの分際で難しい顔しやがって」
「あ、フォルデっ!」
 見張り台の梯子を軽々と登りきり、ひょいと自分の後ろ側に立ったフォルデに、レウは目を瞬かせた。
「交代の時間だぞ。次は操舵訓練の時間だろうが、とっとと下りて操舵室行ってこい」
「あ、うん……んー……あのさっ、フォルデっ」
「あん? なんだよ」
「フォルデはさ、その、サドンデスさんと神さまからの依頼、どうするか決めた?」
 じっとレウの気合のこもった視線と共に投げかけられた問いに、フォルデは軽く眉を寄せるも、すぐにうなずく。
「ああ」
「そっかぁ……」
 しゅん、とうなだれるレウに、フォルデはいかにも鬱陶しげに乱暴な言葉を投げつけた。
「お前、まだ決めてねぇのかよ。面倒くせぇな、あんなクソどうでもいい奴らのことなんざいつまでもうじうじ考えてんじゃねぇよ」
「ど、どーでもいいって、そうかなぁ? 俺にはすげー一大事っていうか、すごい大変なことだって思ったんだけど……」
「大変だろうがなんだろうが、俺にとっちゃどうでもいい奴らだってのは変わりねぇ。神だなんだってふんぞり返ってやがるクソどもと、それをぶっ殺そうと周りの迷惑無視して突っ走る阿呆なんぞ、俺としちゃあ関わるっつーより考えただけで時間の無駄だって類の連中だからな。そんなんどうでもいいとしか言いようねぇだろ」
「んー……フォルデにとっちゃ、そういうことなのかもしんないけど……」
「ふん……なら他の奴らにも相談すりゃいいだろ。そろそろ全員の意見のすり合わせ始めようって頃合いなんだ、てめぇがどうしたいかってくらいはしっかり決めときやがれ」
「うん……そーだよな。わかった、ありがとフォルデ。俺、他のみんなにも相談してくる」
「おう」
 言って見張り台からレウは飛び下り、フォルデに軽く手を振って操舵室へと向かう。フォルデはそれに面倒くさげに手を振り返し肩をすくめ――ながら、口の中で小さく、レウには聞かせようのない、聞かせたくない一言を呟いた。
「てめぇがどんな結論出そうがこっちはそれなりに助けてやる気でいるんだ、妙な気なんぞ使ったらぶっ殺すぞクソガキが」

 操舵室の扉を開けると、そこには予定通りロンが控えていた。
「遅かったな、レウ。さっさと始めるぞ、舵輪の前に立て」
「あ、うん、ごめん」
 言われた通り舵輪の前に立つレウに、ロンはあれこれと操船方法について指示してくる。それをいちいちうなずきながら達成していく。実際のところ、レウが初めて海に出てから半年以上も経つのだ、レウでも事故がなければ一人で魔船を操れるぐらいの技術は身に着けられていた。それなのにまだ一人で操舵室に入ることを許されていないのは、ちょっと年下だからって差別だ、と普段のレウならば文句を言いたくなっているところだが、今日は素直に大人の言うことを聞きたい気分だったので黙ってロンの言葉に従った。
 しばし時間が経ったのち、ロンは小さく肩をすくめて訊ねてくる。
「今日はやけに素直だな。なにか相談したいことでもあるのか」
 うー、見透かされてるなー、と思いながらも、レウとしてもそう言ってくれた方が話しやすい。舵輪を握り前を見ながらも、素直に問うた。
「ロンはさ、サドンデスさんと神さまからの依頼、どうするか決めた?」
「まぁ、ひとまずはな。……決められていないのか?」
「んー、まぁ」
「ふむ。確かに、お前にとっては他人事ではない話だからな、そうあっさり決めるわけにもいかんか」
「んー……うん、まぁ、そうなんだけど」
 サドンデスは、サマンオサではっきり告げていた。もし自身が死ぬことがあれば、その身に宿した神竜の力はレウに受け継がれると。サドンデスの名を与えられたメイロデンノグサの人間には、神竜の力を扱う資質が受け継がれている。サドンデスによって飼いならされた神竜の力は、解放されれば人に扱われることを求めてレウに襲いかかるだろうと。
 それは確かに、レウには他人事ではない話ではあるのだが。
「俺は別に、そっちはそこまで気にしてねーんだけどなー。変な力が来ても来なくてもさ、俺別にサドンデスさん殺すつもりとかないし。セオにーちゃんもたぶんそうだろうし。サドンデスさんが俺たちの知らないとこで死んじゃうとかいう時はさ、俺が気にしてもしなくても結果変わんないと思うし。どっちにしろそーいう変な力が来た時には、なんとかなるように俺いっしょーけんめー頑張るし」
「……なるほど。確かにそういう考え方の方が、お前らしいと言えばお前らしいが」
 ロンは珍しく、ちょっと苦笑に似た笑い声を立ててから、改めて問うてくる。
「となると、お前が悩んでいるのは、純粋にどちらが正しいのかわからない、ということか」
「うん」
 レウはこっくりうなずいて、舵輪を握りながら小さくため息をつく。正味な話、レウとしてはどれだけ頭を悩ませても結論が出ない大問題だったのだ。
「神さまがさ、ジパングでやってたみたいに、人の命使って世界護ろう、みたいなことしてるんだったら俺ほっとけねーって思うんだよ。ぶん殴ってでも、そんなの間違ってるってわからせなきゃいけねーって思う。でもさ、サドンデスさんみたいに、神さまが気に入らないことしてるから全員ぶっ殺しちゃえ、みたいのも間違ってるって思うんだよな。どっちか選べって言われても、なんていうか、どっちも選びたくないっていうか……」
「当たり前だ。俺だって神とサドンデスどちらかを選べと言われたら閉口する」
「え、でもさっきもう決めたって言ってたじゃん」
「レウ。お前、頭を使うことに関しては、本当にまだまだ幼児同然だな」
 くすくす、といつも通りのからかうような笑い声を立てるロンに、レウは前を向きながらも憤慨する。
「なんだよー、俺がすっげー馬鹿みたいにさー」
「すさまじい馬鹿とまでは思っていないさ。単に頭をまともに働かせることがへたくそな奴なんだなぁ、と思っているだけで」
「んー、ならいいけど。じゃあ聞かしてよ、ロンはどーいう風に結論出したんだよ」
 ロンが自分の後ろで肩をすくめる気配が伝わってくる。『ならいい、なんぞと本気で言ってしまえる辺り、真剣にこのまま放置するのはまずいと思い知らされるな……』とかなんとかよくわからないことを口の中でむにゃむにゃ呟いてから、軽い口調で答えてくれた。
「単純な話だ。選択肢がどちらも気に入らないというなら、問題自体がそもそも間違っているのさ」
「? どーいう意味?」
「たとえば、『大事な人が二人崖から落ちそうになっています、先に助けた人以外は崖から落ちてしまいます、どちらを助けますか』みたいな問題だな。そんなもんどちらも助かるように全力を尽くすに決まっているだろう? それと同じように、そもそも今回の問題も、選択肢を出す前提がそもそも間違っているのさ」
「んー……それはそうだと思うけどさ。でも、神さまもサドンデスさんも、どっちか選ばないと納得しないんじゃないの?」
「なら、お前はあいつらを納得させるために生きているのか?」
「うーん……そりゃ、違うけど」
「なら話は簡単だ。望まない選択肢を押しつけてくるあいつらに、そっちが勝手にやるならこっちも勝手にさせてもらう、と絶縁状を叩きつけてやればいいのさ」
「え、俺らあの人たちと縁持ってるくらい仲良かったっけ?」
 きょとんとして訊ねると、ロンは楽しげに、「世の中には、こっちのことを好きなわけでもないのに縁を結んでこようという輩がいるものだ」と笑ってみせた。

 夕食の準備をするために厨房に入ると、そこではすでにラグが準備を始めていた。「遅れてごめーん!」と頭を下げると、ラグはちょっと笑ってもう出してある包丁を指し示す。
「まださっき始めたばっかりだよ。レウ、とりあえず芋の皮を剥いてくれ」
「はーいっ」
 ラグに言われた通りに、さっさと手を洗い芋の皮むきを始める。……ものの、レウとしては正直、料理の手伝いは苦手としか言いようのない仕事だった。こればっかりはどれだけ年月が経とうと、手伝いから昇格できる気がしない。
 言われた通りにやっていると思うのだが、セオたちが美味く作れる料理を、自分はどうにもまずまずしくしか作れないのだ。味付けのやり方も、野菜の切り方も火の扱い方も、自分はどうにもへたくそらしい。
 そしてレウ自身にもそれを改善する熱意がどうにも湧かないのだから、これはもうあきらめた方がいいのでは、という気さえする。まぁセオたちの手伝いをするのは嫌いじゃないので、仕事はちゃんと頑張るつもりではあるが。
 ラグと並んで包丁を動かし野菜を洗いと忙しく働きながら、レウはラグの状況を見計らって声をかけた。
「あのさー、ラグ兄。ラグ兄は、サドンデスさんと神さまからの依頼、どうするか決めた?」
「ああ、まぁ……レウは決められてないのか? それで俺たちに相談して回ってるとか」
「うん、そーなんだ。できれば、決めた理由とか、決め手とか、教えてもらえないかなーって」
「いや、別に決め手とか言うほど大したものじゃないけどな……」
 ラグは手を動かしながら苦笑して、一瞬だけちらりとレウに視線をやった。
「まぁ、もちろん教えるのはかまわないけど。……本当に大した理由じゃないぞ」
「それでぜんぜんいいって。俺、みんなの理由ちゃんと知っときたいし」
「そうか……じゃあ、言うけど。俺は単純に、俺が昔から慣れ親しんでる、傭兵の……あるいは冒険者の基準で決めただけさ」
「? それ、どういう基準?」
「簡単だ。依頼主が信用できるか。報酬が労働に見合っているか。その仕事に命を懸けるだけの価値があるか。それだけさ」
「……んん? ごめん、もーちょい詳しく言ってくれる?」
「はいはい。まず、依頼主が信用できるか否かっていうのは、大前提だな。この依頼人はきちんと依頼人としての仕事を果たしてくれる、契約をきちんと履行してくれる、そういう風に信じることができない相手の依頼は、どうしたって腰が据わらなくなる。向こうがいつ自分を裏切るか、そもそも自分を罠に嵌めるために依頼してきたんじゃないか、そういうことを絶えず疑ってなきゃならないからな。そんな状態でいい仕事ができるわけはないし、俺は曲がりなりにもこの道の玄人として、やるならきっちりいい仕事をしたい」
「………うん」
「報酬が労働に見合っているかっていうのは、まぁそのまんまだな。信用できる相手かどうかっていうのとはまた別に、商人の中には雇う相手に払う報酬を一ゴールドでも切り詰めることが商人としての正義だ、とか思っている奴らがいるから。仕事ってのは基本的に、金をもらえるからやるものなんだ。もちろんそれ以外にも本職としての誇りや矜持のようなものはあるけれど、そういうものがあるからこそ、自負のある仕事にはきちんとそれに見合うだけの報酬を払ってもらいたいと思う。報酬が銭金じゃない場合でもね。それだけの支払いをしようとしない、あるいはできない依頼人は、俺は基本的に避ける」
「……うん……」
「その仕事に命を懸けるだけの価値があるか、っていうのは、そういうのとはまた別の話だな。傭兵や冒険者の仕事っていうのは、基本的には暴力で命を購う商売だ。自分の、あるいは仲間や依頼人の命をね。生きるか死ぬかって話にしかならないってのが普通の商売――だからどうせなら、命を張るだけの価値がある仕事の方がありがたい。自分が命を懸けることで、誰かが救われるような、そういう仕事の方がやった甲斐があると思える……まぁそういうこだわりの類なんだけどね。長くこういう仕事をやってる経験からすると、そこらへんにこだわれる時はこだわった方がいい。こだわりで命を捨てるのは馬鹿げてると個人的には思うけど、こだわりが心を救う時もあるってのも間違いのない事実だ――っていう話さ」
「………ううん………」
 レウは包丁を動かしながら眉を寄せて考え込む。ラグが苦笑して、「芋の皮剥きはもういいぞ」と言うのにも、肩を叩かれるまで気づかないくらい真剣に考え込んでいた。
「っわ! ご、ごめん、なんか言ってた!?」
「いや、だから、芋の皮剥きはもういいから、次は豆の皮を剥いてくれ。……俺の言った言葉、そんなにわかりにくかったか?」
「え、うーん、わかりにくいっていうか……今度の依頼に当てはめると、どーいう話になんのかなって考えてたんだよ。なんていうかその、ラグ兄の考え方わりと俺に合ってるかもって思うから、ちゃんとどういうことか考えようって思ってさ」
「別に考えるほど大した話じゃないけどな」
「ううん、俺にとっては大した話だよ。もしかしたら、俺の人生に関わってくるかもしんない話なんだから」
 真剣にラグを見返して言うと、ラグはちょっと困ったように眉を寄せながらも、口元に笑みを乗せてしっかりとうなずく。
「そうだな。俺の話が役に立つかどうかは心もとないけど、少しでも考える材料になるんなら、しっかり考えておくにこしたことはないとは、俺も思うよ。お前の場合は、特にな」
「うん」
 こっくりとうなずいて、豆の皮剥きに取り掛かる。レウは考えるのは苦手だが、今回の一件は、本当にちゃんと考えなくてはならない話だと思うのだ。

「セオにーちゃんっ! 俺も皿洗い、一緒にしていい?」
「え……」
 セオがそのくるんとした目を瞬かせて眉を寄せ、わずかに首を傾げる。困っているのか不思議がっているのかわからない表情だが、レウはたぶん不思議がっているんだろうと思った。セオはいつも、自分に優しくしてくれるから――そんなにしなくたっていいのにってくらい優しくしてくれるから、レウがちょっとでも嫌がるようなことを、たとえ表情に浮かべるというだけでもしたならば、それこそ今にも泣きそうな顔になるんじゃないかと思うのだ。
「あの……レウ。レウは、今日の皿洗い当番じゃ、ない、よね………?」
「うん。けど、セオにーちゃんとちょっと話したいことあるからさ。ちょっとでもセオにーちゃんの仕事が早く終わるようにしよーって。今の時間、俺、仕事ないし」
「そ、う……わかった。じゃあ、悪い、けれど、お願いする、ね?」
「うん」
 こっくりうなずいて、セオの隣に立って一緒に皿を洗い始める。といっても、セオはすさまじく手が早いので、こういう単純作業でも手伝う暇がないくらいあっという間に、しかも見事に終わらせてしまうのが常なのだが、それでもただセオが仕事を終えるのを待っているというのはつまらないし坐りが悪い。
 並んでしばらく汚れた皿を水と石鹸で洗っては(こういう風に船の上で水が大量に使え、かつ汚れた水をきれいにして再利用できるというのはポルトガ国宝の魔船ならではだそうなのだが)ふきんで拭く、という仕事を続けたのち、レウはセオに率直に切り出した。
「なー、セオにーちゃん。セオにーちゃんは、サドンデスさんと神さまからの依頼、どうするか決めた?」
「え……」
 少し戸惑ったような沈黙。それからしばしの間をおいて、静かな声で、「うん」という返事とうなずく気配があった。
「そっかー……。あのさ、もしよかったら、どーいうわけで、どんな気持ちで、どういう話に決めたのかって教えてくんないかな? なんていうかその、厚かましーかなとも思ったんだけど、できればセオにーちゃんがこの話について考えてることとか、知っときたいなって思うんだ」
「それは、全然かまわ、ないけれど。……俺の、自分勝手で、身の程知らず、な考え方、によるもの、だから必ずしもレウ、の役には立たない、かもしれない、けど……いい、の?」
「うん、全然いいよー。俺の勝手な都合で教えてもらうわけだし」
「そう……」
 しばし考え深げに目を伏せながら目にもとまらぬ速さで皿を洗って拭き上げ、というのを繰り返し、セオは小さくうなずいてレウに向き直った。
「それじゃあ……大した理由、ではないけれど、説明する、ね」
「えっ? ……あ、セオにーちゃん、もう皿洗い終わっちゃったんだ。さすが!」
「さ、さすがというわけ、じゃないけれど。……レウにとって、も大切な、ことだと思う、から」
「うん」
 こちらをじっと、真剣に、真正面から見つめながら、セオはゆっくりと口を開いた。
「俺、は……結局のところ俺がどうしたいか、っていう理由で選んだんだ」
「え、そーなんだ。セオにーちゃんってすっげー周りに気ぃ使うから、そーいうのってわりと珍しいよね」
「そ、そう? ……俺は、いつも身勝手、な理由で動いている、と思うけれど。自分が耐えられない、からっていう理由で、仲間が死なないよう、に魔物を山のように殺している、っていうことからしてそう、だし。それと同じ、ように今回も、自分がどうしたいか、っていう身勝手な理由、で決めたんだ」
「ふぅん……」
「俺は……それしか、できることがない、からって理由で魔王征伐、することを決めた。命を、世界を、少しでも助ける、ために俺にできるのが、それくらい、だから。俺にできること、をしたい、って思ったから。それと、同じで……サドンデスさんと、サヴァンさんから言い渡された依頼についても、俺にできる、一番マシなことはなにか、って考えて……答えを出した、んだ」
「え、それってセオにーちゃんのしたいことなの?」
「………? うん……俺には、できることが、もともとすごく少ない、から……少しでもまともにできること、をしようって、したいって考えてる、んだけど……?」
「んー……」
 なんとなくセオの言葉と自分の言葉、それぞれに込められた気持ちの間にズレがあるとレウは感じたのだが、あえてそれ以上は突っ込まずに話を先に進めた。そんなことをいちいち聞きほじるのは、なんだかセオに意地悪をしているようで嫌だったのだ。
「うん、じゃさ、セオにーちゃんは、言われた依頼をどうしたいって思ったの?」
「俺は……少しでも、命を、そして可能、であれば誰かを、救える選択、をしたいって思った、んだ」
「うん……?」
「サドンデスさんと、サヴァンさん。どちら、から言い渡された依頼、にしても俺には、今生きている人――今この時死に、恐怖に、絶望に、不条理に懸命に、抗っている命、とは基本的に関係の、ないところ、から生まれた依頼、だと思った。自分の趣味、や自分の安全……というよりは現在、の安穏とした状態、を守るため、に出されたある意味、あくまでも自分の都合、に則った依頼だ、って」
「……神さまを殺したら世界が滅んだりしちゃうんじゃないの?」
「それなんだけれど……サドンデスさんはこう言ってたよね? 『クソカスどもに俺の世界をどうこうされるのが気に入らんから殺す』って。それは言い換えると、『相手が自分にとってよし≠ニ感じられる相手であれば世界をどうこうされても殺さない』っていうことになるよね?」
 急に立て板に水のごとき口調になって喋り始めるセオに、レウは目を白黒させながらもなんとか懸命にセオの言葉を理解しようとして、うなずく。
「えっと……うん、そう、なのかな?」
「俺はそう考えた。つまり神々がサドンデスさんにとってよし≠ニ思える存在であるように、心の在りようを変えるならば殺されることはない、っていうことになるよね?」
「そう……なる、のかな? うん、たぶんそうなる……よな」
「うん。自分たちの命がかかっているのに自身の在りようを変える気も起こさない、っていうのはつまり神々にとっては、現在の状況はまだ危険ということにはならない、ということだと思うんだ。もしかしたら、サドンデスさんのやり方で殺されても、神々は死ぬということにはならないのかもしれない」
「え、そーなの!?」
「俺が、そういう可能性がある、って考えてるだけ、だけれど。でも、もしそうならば、神々の存在の有無が世界に及ぼす影響の正負についての考えはとりあえず置いておいて……現在の俺、の目的、を優先してもいい、のかもしれないな、って思った、んだよ」
 ぽつぽつとした喋り方と流暢な語り口調が入り混じりながら、レウに想いを伝えてくる。正直、こういう風に、ぽつぽつぽそぽそとした喋り方と流れるように喋りまくる喋り方が話していて唐突に切り替わる、というセオの話し方を、変わった話し方だよなー、と思わないでもないのだが、レウとしては別に気にならなかった。
 その変化にはセオなりのきちんとした主義というか、自然のうちに生まれた規律があるのはなんとなくわかっていたし、どちらの喋り方もレウは好きだと思うからだ。流れるような喋り方は理知的というか大人っぽくてきれいで、ぽつぽつとした喋り方は懸命に自分の想いを言い表そうとしているのがわかるようで、子供っぽいけれどとても優しい。
「サドンデスさんが、俺と関わりのないところで神々を殺してしまう可能性についても考えたんだけれど。たぶんサドンデスさんも神々も、あとしばらくは……そのしばらくというのが数年のことなのか、人間の尺度から言うと『長年』という段階になるのかは特定できないんだけれど……少なくとも、今日明日という程度の時間で決着がつくとは思っていないと思うんだ」
「え、そうなの?」
「うん。もしそう思っていたんだとしたら、あんな悠長な勧誘だけで済ませる理由がないからね。サドンデスさんは俺たちの助けがあれば神々に相当近づける、神々は俺たちの助けがあれば危機をある程度先延ばしできる、そういう次元の話でなければ、あれほど俺たちに考える時間を与えて、しかもどちらも相手に隠れて交渉しようともしない、なんてのんびりとしたやり方で依頼するわけがない。だから、俺たちがどちらの依頼を受けたとしても、どちらにとってもそれは致命傷ではないのは、たぶん間違いないと思う」
「へぇぇ……そーなのかー、俺そんなん全然考えたことなかった。やっぱセオにーちゃんってすっげーよなっ!」
 満面の笑みを向けると、セオはわたわたと慌てながら必死な顔でレウと向き合いつつ首を振る。
「す、すごいわけじゃ全然、ないけど。ただ、そうなんじゃないかな、って勝手に思って、るだけで……間違ってる可能性、だって当たり前みたいにある、わけだし」
「えー、でも自信あるんだろ? たぶん間違いないっつってたし。やっぱすげーよー。で、セオにーちゃんの優先したい目的って、なに?」
「……それは。ものすごく小さな、俺にはこの程度、しかできないっていう、ぐらいの話、なんだけど―――」
 おずおずとした顔で、戸惑いながら。それでもセオは、レウに自身の想いをきちんと説明してくれた。優しい声と、優しい言葉で――だからレウも、勢いよくうなずいて、「そっかぁっ!」と理解の声を上げることができたのだ。

「……じゃあ、とりあえず。一応の結論は出たかな?」
 ラグが挙手して言うと、仲間たちはそれぞれうなずいた。
「いいんじゃないか。全員もともと、それほど指針に差はなかったみたいだし」
「ま、俺としても文句はねぇよ。それなりに納得できる話だし……先に受けた仕事を先に果たすってのは当たり前のこったろ」
「……はい。今回の依頼については、それで問題はないと思います」
 セオたちが言う言葉に、レウも大きくうなずく。
「うんっ、俺もいーと思うよ! 助けが必要な人を先に助けた方がいいに決まってるし!」
「よし、ならこれで決まりだな。まぁ大して揉めずに終わってよかった」
「お前何気に仲間内の揉め事嫌いだよな。別にいいけどよ」
 無事仲間会議を終えて、それぞれ立ち上がる。夕食後片付けをした後に、全員で食堂に集まって始めた会議なのだが、思いのほかさくさくと話が進んで、ほとんど時間が経たないうちに終わってしまった。
 二ヶ月も時間をかけて悩んできたのに、話し合ってみるとこんなもんなのかー、などと一人納得していると、ふいにロンがこちらを向いて問うた。
「ああ、一応言っておくが。今回はお前のことについて大して話し合ってはいないが。お前がなにかきっぱり決着をつけたいと思うなら、変な遠慮はするなよ」
「へ? 決着って?」
「お前が今のところは現状維持で問題を感じていなくても、これからもずっとそうだとは限らないからな。サドンデスをなんとかするなりサドンデスの力を消滅させるなり、こちらからなんらかの行動を起こそうと思うなら、俺たちとしてもできる限りは力になってやるからさっさと言っておけ、ということだ」
「あー……あぁ。え、でもそんなん別に今さら言うことじゃない気もするけど……うん、でもまぁいいや。たまには口に出してそーいうこと言ってくれても、俺たち仲良しだなーって感じで気合入るもんな!」
 レウが思わず笑顔になってそう答えると、ロンはなぜか楽しげな笑顔になって仲間たちの方を振り向く。
「――だ、そうだぞ?」
「うるせぇクソ賢者っ、俺ぁ別になんもひっとことも言ってねーだろーがよっ!」
「はは……まぁ、とにかく。レウ、会議も終わったことだし、夜の見張り頼んだぞ。今日最初の当番はお前だったよな?」
「あ、そーだなっ! じゃあ行ってくるっ!」
 元気にうなずいて、レウは食堂を飛び出す。やることが決まって心も軽かった。今なら魔物数日分が一気に闇討ちしてきても、あっという間に薙ぎ払える気分だ。
 ……まぁ、やろうと思えば実際そのくらいのこともできないわけではないのだが。

「……行った、か」
「ああ。……んじゃ、とっとと次の話始めるか。おい、セオ」
「……はい。あの、本当なら、こういう話、は一人で解決すべきだ思う、んですけど……」
「こら。何度も言っているだろう、変な遠慮はするなって。俺たちは基本的に運命共同体なんだからな」
「っつーかな、お前が一人でこの手のこと考えてると本っ気でろくなことにならねぇって何度も言ってんだろが。後になって面倒くせぇことになるよかさっさと相談してもらった方がマシだ」
「やれやれ、いつもながら……」
「……おい、ロン。なんだそのやれやれって顔といかにもお手上げって感じの身振りは」
「いやなに、いつものことだ。面倒くさいことになるなどと言っている本人が一番面倒くさい性格をしているなぁとか、この期に及んでそんな言い方ができるこいつはこれからもきちんと愛でてやらんとなぁとかそういう想いを込めて」
「きっしょいこと言ってんじゃねぇクソ賢者てめぇなんぞに可愛がられる筋合い微塵もねーってんだよっ!」
「はいはい、お前らじゃれ合うのはその変にしとけ、これから大事な話するんだから。……セオ、話してみてくれないか」
「………はい」
 セオはさっき立ったついでに淹れたお茶を全員に配りながら、改めて席に着き全員に向き直る。正直、セオとしてはまだ本当にこんなことを相談していいのかどうかわからない、という気はしていた。旅の行く末にかかわることでもなんでもない――もはや死んだ、自分の父親についての話なのだから。
 セオにとって父というのはもう死んだ人間で、彼について考えるべきことはもう終わっているし、いまさらそれを蒸し返す必要も感じていない。ただ、少し前――オリビアの祠の牢獄で、死したサイモンの魂を呼び返した時に聞いたオルテガについての話が、なんというかどうにも納得がいかず、こっそり思い悩んでいるところを見咎められて、今日サドンデスたちの依頼について相談した後、レウが席を外した際に話し合うことにしようと約束をすることになったのだ。
「……本来なら、レウを仲間外れにするのは、申し訳ないな、とも思うんですけど」
「やめとけ馬鹿。あいつにこんなこと話してもろくなことになんねぇよ」
「同感だな。レウはやっぱりどうしてもまだ子供だから、他人を思いやることはできても他人の感情を慮るのは苦手だし、難しいことを考えるのにも慣れてない。話したらそれこそ旅を続ける負担にすらなると思うよ」
「そうだな。それにだ、セオ。レウはオルテガとかつて出会って、懐いていたようなのは覚えているだろう。以前君に対する振る舞いを聞いてから、それがどう変化したのかはわからんが、まだあいつの中でオルテガという存在がそれなりに大きいのは確かだと思う。それを壊すのも乱すのも子供にはそれなりに負担になる、ここは子供の制約と権利を優先した方が無難だと思うぞ」
「……そう、ですね」
 セオは小さくうなずく。レウは、かつて自分を助けてくれた、オルテガという勇者を心から慕っているように見えた。だから、自分も、オルテガが自分にやったことを、あえて話そうとはしなかった。その必要もなかったし、しようという気にもなれなかったのだ。今回と、同じように。
「……で、だ。お前はなにが納得いかねぇってんだ。まずそこから聞こうじゃねぇか」
「そうだね。サイモンの魂が告げた言葉の、なにがそんなに引っかかっているんだい?」
「はい―――それは………」
 セオは口を開き、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。サイモンがあの時、自分たちの前から去る間際に、当たり前のように告げた言葉を。

『……オルテガ殿のご子息……セオ殿。このたびは、まことにご厄介をおかけした。正直、なんと申し上げてよいやら……もはや言葉もない、とはこのことだ』
「いえ、サイモンさん。俺も決して、サイモンさんたちのためだけにあなたを彼岸の彼方からお呼び立てしたわけではありません。俺自身も、なによりも自分自身のために、あなたの心と、いかに生きいかに死んだのかということを知りたいと思ったからなんです」
 深々と頭を下げるサイモンに、セオはそう言って首を振る。その言葉は掛け値なしの本音だった。人として生を受けたのだ、自分もいつかは終わりを、死を迎えるだろう。その際少しでも自分なりに納得のできる終わりを得るために、同じ勇者の生き様、死に様をできる限り知りたいと願うのは、自分にとっては当たり前のことだった。
 だがサイモンは、それに完全にうなずきはしなかった。
『ご自身のために私たちにご助力くださったと言っていただけるのはありがたいが、私も曲がりなりにも誇り高き戦士の国サマンオサで勇者として生きていた身、そのようなお言葉を諾々と受け容れてなにも返せぬまま常世へ戻ってゆくわけにはいかぬ。とうに死した私がお渡しできるものなどろくにないが……せめて、私の遺体が持っている、ガイアの剣を持って行ってはいただけぬか』
「……あなたが思念として残るほど強固に案じてらっしゃった剣ですね」
『うむ。ガイアの剣は大地と炎の神ガイアにより鍛えられた無二の重宝、死蔵してよいものではない。これを正しく振るわば、大地を裂き溶岩を呼び、火山に投ぜばそれこそ山を平地に変えることもたやすいであろう。大地に返せばガイアによりて手元に戻され、ガイアに認められた英雄に渡るべく運命を授かっただろうが、このような人の手による屋の中にあってはどうしようもない。私を獄舎に繋いだ人々にこれを大地に返すよう懇願したのだが、彼らは私と口も利きたくないという様子で、私の言葉に耳を貸してはくれなかったのだ』
「それは……おそらく、英雄と呼ばれた方を事実上の死刑に処する罪悪感に、耐えられなかったのでしょうね」
『うむ……そうかもしれぬな。ともあれ、ガイアの剣は正しく用いられれば数多の人を救うことができる宝剣だ。なにとぞ受け取っていただきたい』
「……はい」
『む。……だが、しかし、これではあなたに返すべきものを返したとは言えぬ。身を削って尽くしてくれた相手には、同様に身を削って尽くすことでのみ恩を返すことになるのが戦士の習い。このまま貴殿を放念しては、サマンオサの戦士たちの誇りに泥を塗ることになろう。せめて、なにか私に聞きたいと思われたことはないだろうか。全身全霊をもって正しくお答えするとお約束しよう』
「え、いえ、あの、そこまで大した、ことをしたわけじゃ、ないんです、けど……」
 だがサイモンは心の底から真剣にこちらを見ている。これを無視すればかえって失礼になるだろう、というのはセオでもわかる。断っても気を悪くすることはないだろうが、だからといってそれをいいことに相手の気持ちを無視するわけにもいかないし――
 しばし考えたのち、セオは小さく口を開いた。
「では……サイモンさんから見た、俺の父であるオルテガについてお話してくださいますか?」
『む……もちろん、それはかまわんが。私などよりもあなたの方がはるかに、オルテガ殿についてはお詳しいと思うのだが』
「いえ、俺が知っているオルテガは、父としての面と、アリアハンの勇者としての面だけなんです。それ以外の場所でどう振る舞っていたのか、俺は少しも知りません。勇者としても、オルテガの子としても、彼の為したことをいろんな面から知るのは決して悪いことにはならないのでは、と思いまして」
『ふむ……そう言われると、確かにそうかもしれぬな。相分かった、役に立てることを話せるかは心許ないが、お話いたそう』
 うなずいて、サイモンは少し考えるように目を閉じた。セオは、沈黙したまま待つ。サイモンが話してくれると言うならば、自分がああだこうだとくだくだしく注文をつけることはできないからだ。
 しばしののち小さくうなずいて目を開き、サイモンは話し始めた。
『オルテガ殿は……まっこと、すばらしい方だった』
「そう……ですか」
『うむ。明朗闊達、温厚篤実を絵に描いたような方でな。誰とでもこだわりなく、笑顔で話ができる方だった。その上、不思議な茶目っ気を兼ね備えておられてな……王侯貴族であろうと、苦界に喘ぐ貧民であろうと、彼と話していると自然に心が浮き立ち、笑顔になる。私のような無骨者とは比べ物にならぬ、これぞまことの勇者と誰にでも思われるような方だった』
「なるほど」
『そして剣をとっても、まさに無敵と言いたくなるような強さをお持ちでもあったな。魔法の使い方も達者で、まさに世界最強の名を冠されるべくして冠された方だった。私も、剣と剣で立ち会うならば後れを取るつもりはないとはいえ、魔法に関しては正直相手にもならなんだ。それでも、オルテガ殿は私と親しくしてくださり、幾度も背中を預けてくださった。正直、そのたびに戦士としてこの上なく奮い立ったものだ』
「そうなのですか……」
『昔な、まだ互いに家庭を持ってもいない頃、戯れに話し合ったことがある。もし魔王のようなものが現れたなら、二人で一緒に旅立ち魔王を倒そうと。私が死んだ二年後に、魔王が出現したのだったな? その時もはや私は死んでいたので後悔のしようもないが、オルテガ殿を一人で行かせてしまったことには忸怩たるものを感じずにはいられぬ。約束を破ってしまったとも、私のような者でも少しは役に立てただろうにとも、オルテガ殿にただただ申し訳なくも思うのだよ』
「…………」
 それは、セオにとっては、既知の情報だった。
 オルテガは誰より強く、逞しく、誰より愛された理想の勇者。アリアハンでもそれは当然の認識だった。オルテガがいなくなっても、その存在の圧倒的な力が、自分を常に取り巻いて息をつくこともできなくさせたほどに。
 そう、あの頃、自分はオルテガが死んでいると考えることすらできなかったのだ。今では、目撃者がいるのだから普通に考えてオルテガは死んでいるだろう、と考えることができるけれど。あの頃は、たとえオルテガが本当に火山に落ちたのだとしても、死んでいると思うことすらできなかった。
『ただ……このようなことをご子息である君に言うのもどうかとは思うが、彼には清廉潔白だとは言い難い部分があった』
「………え?」
 思ってもいなかったことを言われ、思わず目をぱちくりとさせる。サイモンはそんな自分に小さくうなずいて、話を続けた。
『オルテガ殿は、おそろしく女好きであられたのだ。私としばし共に旅をした際も、街にたどり着くたびに娼館に通わずにはいられない人だった』
「え………」
『その道の玄人のみならず、素人の女性に対しても、きっかけがあれば口説きあれやこれやとかまい時には尻を触るような破廉恥な真似までしてのけた。美人とみればきっかけなどなくとも無理やり作って話しかけた。私からすると、なにゆえそこまで情熱を持って女性を追いかけられるのか、と疑問に思ってしまうほどの女好きだったのだよ』
「あ………の」
『なにかな』
「あ、の………。本当、ですか?」
 サイモンが信用できないなどとは言うつもりはないが、これまで自分が見てきたオルテガについてとは思えない話に、つい反射的に失礼なことを言ってしまう。慌てて「ご、ごめんなさ、あの、あのっ」と慌てる自分に微笑んで、サイモンは穏やかにうなずいた。
『信じられないのも無理はない。普段のオルテガ殿からは考えられぬ話だからな。私とオルテガ殿が共に旅をしたことは何度かあったが、その半ば以上はもはや君のご母堂と婚儀を上げた後だったのにも関わらず、私と旅をしている間はそういった振る舞いを改めることはなかった。私も何度も諫めたのだがな、いつものごとく明朗な口調で、ひょうひょうと逃げられてしまうのだよ』
「…………」
『君が生まれてからも、その振る舞いに変わりはなかった。間違いなく血を分けた息子が生まれたというのに、そのような真似をしていてよいのかと言っても『それはそれ、これはこれ』と言ってきかなかった。その代わりのように、旅に出てたどり着いた街ごとに君への土産を買ったりもしていたがな……それでも、感心できぬことには変わりない』
「…………」
『だが、それでも……オルテガ殿が、君を、誰より大切に思っていたのは間違いない。彼がご子息について語る表情は、いつもこの上なく愛しげなものだった。……私が息子を、ガルファンを大事に思っているように……彼も君の成長を、心より楽しみにしていたのだ、と思う』
 言ってサイモンは自分たちの後ろに控えているガルファンと一瞬視線を交わして、また自分に向き直った。穏やかな口調で、言葉を重ねる。
『オルテガ殿は、そういった方で、そういった勇者だった。自分の周りの人間を、大切な人々を心より愛し、その者たちに幸福な世界をもたらしたいという願いがために勇者の力を得た方だった。人として在るべくして在り、その結果強くなった、そういう人間だったのだ。セオ殿。あなたはその父君の強さを、心根を、志を、心より誇ってよいと私は思う。あの方の強さの理由のひとつは、紛れもなく君だったのだから』
「――――――」
 サイモンは、それからしばらくガルファンと話をしたのち、この世から去った。セオの心に、強く波紋を投げかけたまま。

「……一応聞いとくが、お前はあのおっさんの話のどこがそんなに気に入らねぇってんだ。女好きってところか、お前をどう思ってたかってところか」
 フォルデがぶっきらぼうな口調で言った言葉に、ロンが軽い口調で言葉を添える。
「まぁ、確かに意外な話ではあったがな。セオの話からは、勇者オルテガがセオを好いていた印象は受けなかったし」
「そうだな。……少なくとも君にとっては、いい父親ではなかったんだろう、セオ?」
 ラグに問われ、セオは静かにかぶりを振った。
「いえ……勇者オルテガが間違ったことをした、とは今も俺は思っていません。俺は殺されるだけの罪を犯した、それは間違いのない事実ですから」
『…………』
「だから、勇者オルテガになにか文句をつけたい、というわけではなくて……単純に、疑問に思ったんです」
「疑問?」
「勇者オルテガには、俺のほかに子供がいるんじゃないかって」
『………………』
『はぁ!?』
「ああ……なるほどな」
 ラグとフォルデは声を揃えて仰天した顔になったが、ロンは納得したような表情になって小さくうなずく。セオはそれに小さくうなずきを返し、説明を始めた。
「まず単純に、サイモンさんが説明してくださったほど勇者オルテガが女性との交友を好んでいたのなら、俺の育ったのとは別の家庭を築いていてもおかしくないと思ったんです。俺の母親は、それこそ俺が物心ついた時から非常に情緒不安定な癇癪持ちでした。勇者オルテガとレイリンバートル家の婚姻は、アリアハン王家からの勅命……と言うほどのものではないですけど王家の提案で行われたものですから、勇者オルテガとしても断りにくかったとは思うんですけれど、それならよけいに別の場所で別の家庭を築いている可能性は高いんじゃないかな、と思ったんです」
「はぁ!? なんで王家なんぞに結婚だなんだって話に嘴突っ込まれなきゃなんねーんだよっ」
「気になるところはそこなのか、フォルデ」
「ええと、勇者オルテガと婚姻を結びたいという名家良家があまりに多すぎて、深刻な抗争状態になりかかっていたので、国王陛下が名はあるけれども権勢の衰えた、引いては権力から離れた家であるレイリンバートル家を薦めたんだそうです。国王陛下御自らのお達しということでしたら誰も口を挟めませんし、レイリンバートル家は権力を争う敵手にはなり得ないほど落魄した家でしたから、深刻な争いに繋がらないという意味ではお見事な裁定だ、と国民からも評判だったらしい、です」
「チッ、クッソくだらねぇ……その挙句にあんな阿呆女を孕ませる羽目になったってのかよ。あんな女を母親にしようなんざそれこそ阿呆のやるこっちゃねーか」
「……まぁ、セオの母親が、子供の親になるには向いていない女性だと思ったのは、俺もだけれど。正直、それでもセオを産んでくれたというだけで、俺としては感謝したくなるな」
「えっ……」
「あ……ごめん、気に障ったかな」
「あ、い、ぃえっ! えと、その、ただ、その。なんていう、か、その。う……嬉しい、なって、思え、たという、か……」
「あ……そう、かい? それなら、いいんだけれど……」
『…………』
「はいはいお前ら、まったく微塵もそういう関係ではないのに出来上がりたてのような雰囲気を醸し出すのは後にしろ、まぁ俺としては見ていて楽しいが」
「いやお前な! そういう妙な目でごく当たり前の人間関係を勘ぐるのはよくないぞ!」
「だからまったく微塵もそういう関係ではないと言ってるだろうが。事実その通りだと俺はこの世の誰より知っている。いいから話を進めるぞ、時間が山ほどあるというわけでもないんだし。……で、セオ。勇者オルテガがよそに子供を作っていたかもしれないと考えた理由は、それだけじゃないんだろう?」
「あ……はい。えと、サイモンさんがおっしゃってましたよね? 勇者オルテガが子供について愛しげに語っていた、と。俺は勇者オルテガに、そんな風に思われていたとは思えません。俺は勇者オルテガにとっては不出来な息子で、常にゼーマより下の立場にいる存在でした。ゼーマの足手まといで、そしてゼーマを殺した生きる価値のない醜い存在でした。それを勇者オルテガが少しでも良感情を持って見ていたと考えるより、他に子供がいたと考える方がずっとしっくりくると思うんです」
『………………』
 ごく当たり前に語ったセオの顔を、ラグとロンとフォルデは揃ってじっと見つめた。その苛烈さすら感じる意志でもってセオの中を探るような視線に、セオは戸惑い慌てて問いかける。
「え、えと……なに、か?」
「……いや、別に」
 ラグはそう言って首を振り、フォルデは小さく舌打ちする。そしてロンは肩をすくめ、さらに問いを重ねた。
「君の考えた理由はそれで終わりか?」
「いえ。なにより強固な理由としては、俺は少なくとも物心ついた時からは、一度も勇者オルテガに土産をもらった覚えがないんです。もちろんサイモンさんに対する見栄で渡しもしない土産を買った、という可能性もなくはないとは思いますが、勇者オルテガと謳われた人間がそこまで馬鹿馬鹿しい真似をするとも思えません。となると、勇者オルテガが別の家庭を築き別の子供を作り、その子供に土産を買っていった、と考えるのが一番自然だと思うんです」
『…………』
「まぁ、そーかもしんねぇけどよ。だったらお前、どーすんだよ? なにかすんのか、そいつらに? ていうかそもそもどこにいるかも、っつーかいるかどうかもわかんねーんだろ? そんなあやふやな奴らをわざわざ探すのか?」
「え、あの、いえ。探そうと思うんだったら、見つけるだけなら簡単ですよね? ロンさんに、お手数をおかけすることを許していただけるなら」
「は?」
「ええと……賢者の方が使用できる、悟りしすてむは、使用そのものが賢者に負担をかけるわけではない、と証立てられましたよね? それなら便利に使っても問題はないと思った、んですけど……」
「……そういや、そんなもん使えたんだったな、お前」
「忘れていたわけか。まぁお前らしい話だな。……まぁ、そういうものがいるかどうか探るくらいはしてもかまわんが……探し当てられたとして、そいつらをどうするつもりなんだ? オルテガのいない今、そいつらをどうこうしたところであまり意味はないと思うが?」
「ええと……大したこと、ではない、と思うん、ですけれど。単純に、話が聞きたいと思った、だけです」
「話?」
「はい。勇者オルテガが、いい父親、として生きる、ことができて、いたのかどうか。知りたいと思っただけ、なんです」
「………なるほど、な」
 ロンは肩をすくめ、仲間たちを見回す。仲間たちはあるいは眉を寄せ、あるいは忌々しげな表情を返した。
「そんなことがそんなに気になるのかよ。もう死んだ奴だろ。どこにもいねぇ奴のことをああだこうだ探ったところでどうにもなんねーだろ」
「………はい。それはもちろん、です」
「君の父親がどういう父親だったかはおいておくとして。ろくでもない親っていうのは本当に、どこにでもいる。そんな連中と必要以上にかかわろうとするのは、人生の無駄遣いだと思うよ?」
「……はい。ただ、俺は……」
「ただ?」
「勇者オルテガ、と告別する、のなら、彼の業績、も犯した罪、もいいところも悪い、ところもきちんと、すべて知った上、で告別したいと思った、んです」
『…………』
 セオの言葉に、仲間たちはなぜか黙り込んだ。それぞれなにかもの言いたげに口を開いてから、結局なにも言わずに口を閉じる。自分はなにか変なことを言っただろうか、と思わず首を傾げていると、ロンが小さく首を振って肩をすくめる。
「わかった、いいだろう。それは確かに道理だ。さっさと調べて、もしその近くを通るようなことがあれば立ち寄って話を聞いてみればいいさ」
「ロン、さん……本当に、お世話をおかけ、します」
「いいさ、君に力を貸してやるのは楽しいからな。どれ……」
 ロンが目を閉じ、口元が何事かを呟く。これまでに何度も見た、Satori-System≠発動させた状態だ。世界のどんな情報も知り得る神の機構。勇者オルテガの家族についてもすぐに知れるだろう――
 と思考を巡らすより早く、ロンはきゅっと眉を寄せた。顔をしかめたまま、目を閉じながら眼球を動かし、ぶつぶつと何語ともしれぬ言葉を呟き、懸命に精神を集中させた様子でしばし沈黙し、最後に心底忌々しげな様子で目を開ける。
「駄目だ。失敗した」
「え……」
「勇者オルテガについての情報には、思いきり念入りに防壁が巡らせてある。俺も相当レベルを上げたつもりではあるが、それでも届かないほどの強固かつ堅牢な壁だ。正直ここまでの防壁は他に見たことがない」
「はぁ? なんでだよ、お前のその、なんとかいう賢者のやつは、神どもの創った代物なんだよな? それがなんでたかだかアリアハンの勇者でしかねぇオルテガの情報、わざわざそんなにやっきになって隠すんだ?」
「俺も正直わからん。セオからの繋がりかとも一瞬思ったが、それにしたところで強固に過ぎる。しかもこれは封じているのではなく物理的に遮断しているようなものだ、最後の鍵を使おうが情報を得ることができないが、神々にとっても情報を自由には扱えない。Satori-System≠フ意義どころか、世界を従わせられないことに反発する神々の根本的な性質から考えても、これはおかしい」
「それって……つまり、どういうことなんだ?」
「……普通に考えると、勇者オルテガが神連中にとって、とんでもなく――それこそ神竜を倒す勇者であると期待されているセオよりも重要な存在だということになる」
『…………!』
 場に緊張の電光が奔った。オルテガが神竜を倒す第一候補である自分たちより――つまり、神たちが生き残れるか否かより重要な存在だと? それはいくらなんでもおかしな話だ――そして、警戒すべき話だ。どう考えても、そんな話に裏がないわけはない。
 つまりそれは、神たちはまだ、自分たちに重要なことを隠しているということだ。それが自分たちに関係しているかどうかはわからないが、否が応でも神たちにかかわらざるを得ない現在の状況下で、まったく関係していないと考えるのも不自然だ――
 全員が揃って沈黙することしばし。ラグが顔をしかめながら、考え考え口を開く。
「……正直、怪しいことこの上ないけど。とりあえず、もうすぐ神竜と会うことになるわけだから、そっちから情報を引っ張れないかやってみることにしよう。ほとんど情報のない状況で、そのことについてこれ以上考えてもしょうがない」
「まぁ……そうなる、わな」
「確かに、それ以外にとりあえずできることはないか……」
「セオ。君も……それでいいかい?」
 問われて、セオは一瞬小さく目を瞬かせ、それからあっさりとうなずいた。
「はい。もちろんです」
 それは、ごくごく自然な結論だ。オルテガという存在にどのような秘密が隠されていようと、どれだけ世界にとって重要な存在だろうと、自分たちの人生に関わってくるような存在では、まったくないのだから。

「あ! セオにーちゃんセオにーちゃんっ、あれじゃねっ!? 海賊の本拠地ってやつ!」
「あ……うん、そうだね。たぶんあれ、だと思う」
 煌めく蒼穹を映して輝く海原と黒々とした森に飲み込まれているような陸地、その狭間にその屋はあった。屋というよりは街、少なくとも郷と呼ぶ方が近かっただろう。サライジャ海の支配者の本拠地にふさわしい巨大な港にいくつかの建物が付随している、言ってしまえばそれだけの集落ではあるのだが、その建物がどれもまだ二十里程ほども離れた場所からでもはっきり見えるほど大きく、そのすべてが(遠目で見た中でのだいたいの印象ではあるが)きちんと手入れされており、人の息づく気配が感じられた。
 一緒に稽古していた甲板を駆け、舳先ぎりぎりまで近づいて楽しげにその郷を見つめるレウの後ろで、セオもじっとその郷を見つめる。これまで見てきた港の中でも、ポルトガやエジンベアのような海洋国家に次ぐだろう規模の港には大小様々な船がひしめき、活発に人が行き来している気配がうかがえた。
 バルボーザ一家――サライジャ海を支配する冒険商人にして大海賊。基本的には交易で財を成していると聞いてはいるが(ウーワゾフ大密林をはじめ、人類種がほとんど入植していない南スリッカー大陸にはよそでは手に入らない貴重な産物がいくつもあるのだ)、国という権威に頼らず危険な海を行き交って富を手にしているのだ、簒奪者たちには暴力でもって対抗し、自分たちの掟を破った者は容赦なく私刑にかける、一般的には無法者と呼ばれる存在であるとも聞いている。
 そういった恐怖の対象であるからこそ、この地域の集落が彼らの支配を受け容れ、平和を保っているのだとも聞いているが。
「なーなーっ、海賊ってどんな奴らなんだろーなっ! 強いのかな、弱いのかな?」
「え、と、うーん……どう、だろう。弱い人ばかり、だとは思わないけれど……レウくらい強い人、はたぶんそうそういない、と思う、かな」
 港へ向けて突き進む船の舳先でそんな会話を交わしつつ、二人並んで近づいてくる陸地を眺める――と、ふいに見ている景色が動いた。港に並んでいた船が、突然いくつも揃って動き出したのだ。
「あ、船が動いた! どーしたんだろ?」
「どうしたん、だろうね……? ずいぶんたくさん、の船が動いている、というか……ほとんどの船、が動き出して、いる……?」
 港にひしめいていた船のほとんどが、それこそ流水のようにしなやかな速さで次々と蒼海へと滑り出てきた。そしてその速さを保ったままこちらに近づき、鮮やかさすら感じる操船技術で巧みに船を踊らせ、セオたちの乗る魔船を取り囲んだのだ。
 その頃には、すでに見張りのロンから伝達が行ったのだろう、フォルデも甲板に上がって周囲を睥睨していた。ロンも見張り台から飛び降り、自分たちの隣に立ってフォルデに声をかける。
「フォルデ。周りの船は、どんな様子だ?」
「……ごっつい野郎どもが武器構えて舌なめずりしてやがるな。火矢だの油だのも準備してやがる。魔船ってのがどんだけ火に耐えられるのかは知らねぇけど、正直撃たせたかぁねぇぜ、あんなもん」
「それはそうだ。……まぁ、戦術的に言うなら、先に一発ぶちかませば大半の船は沈められるだろうし楽な展開になるだろうとは思うが……」
「………?」
 ちらりと顔を見られ、セオは小さく小首を傾げた。ロンがなぜそんなことを言うのか、よくわからなかったのだ。
 確かに火矢や油の準備をした、自分たちよりはるかに海戦の経験を積んでいるだろう人々の操る船に周りを取り囲まれている、というのは困った話ではあるだろうが、だからといって、そんなことはまったく脅威にはならない≠フに。
 なにか自分から画期的な案が出るのを期待しているのだろうか? だが自分としても今持っている手札だけで十分対処できる以上、それを上回る画期的な案と言われると――とうんうん考えていると、ロンは小さく肩をすくめて言う。
「ま、別に喧嘩する必然性もない、平和的にお話合いといこう。向こうの頭の位置を探れるか」
「もうやってる。一時の方向の赤地に黒髑髏が染め抜かれた帆の船の甲板で腕組みしてる奴だと思うぜ。……っつか、なんか不満そうだな? んなにでかい呪文ぶっ放したいのか? 別に俺はいいけどよ」
「うむ、いや、そういうわけではないんだが、なんというか妙に鬱陶しい感じがするというか、海賊どもから嫌な気配が感じられるというか……まぁいい、さっさと話を進めよう」
 そう言ってロンは数語呪文を唱え、トダーワとトオーミの呪文を発動させた。遠距離会話をする際には遠見・遠聴の呪文であるトオーミと遠話の呪文であるトオーワを組み合わせるのが普通だが、海賊たちに会話を聞かせるために拡声の呪文であるトダーワも同時に発動させたのだろう。軽く咳払いしてから、海賊たちに向け言葉を発する。
『バルボーザ一家の方々とお見受けする。なにやら物騒な準備をしてらっしゃるようだが、我々が勇者セオ・レイリンバートルの一行と知っての狼藉と受け取ってよろしいか。こちらにはあなた方と争うつもりはないが、剣でもって我々と相対するならば、こちらも相応の扱いをさせていただくことになるが?』
「……なんか、ロン普段より喧嘩腰じゃない? 別に今喧嘩しなくちゃならないとこでもないのに」
「だよな、やっぱり。まぁ俺としては別にどっちでもいいんだけどよ」
 ぽそぽそと囁き合うレウとフォルデをよそに、海賊の頭らしき人物から答えが返ってくる。豊かな声量と堂々とした威風、そして蠱惑的な深みを感じさせる声音を併せ持った力強い女性の声だった。
『はっ、言ってくれるじゃないかい、勇者さまご一行さんよ。こちとら腕っぷしでサライジャの海を渡ってるんだ、そこまで舐めた口を利かれちゃあ相手が誰だろうと黙ってるわけにはいかないねぇ』
「あー………そっかぁ、これかぁ………」
「っとにこいつ、女とみると即戦闘態勢に入るよな……」
 呟きながら深々とため息をつくレウとフォルデに、話の意味がよくわからずに首を傾げている後ろで、ロンは相手の声に負けないほど堂々と声を張って言葉を返す。
『………ほぅ。ならばどうする。面子にこだわって命を無駄に捨てようとでも? 部下の命を山と失い、支配下の人々に無能の誹りを受け、所詮は低能な海賊よと周囲の国人に蔑まれたいと言うならあえて止めはせんがな』
「いや待てやおい! だからお前相手が女だからって喧嘩腰になるのやめろってんだよ!」
「そーだよロンっ、俺らと向こうの船に乗ってる人たちが喧嘩したら弱い者いじめになっちゃうじゃんっ!」
 雷光の動きで身体に取りつき、直接的に(口をふさいで)言葉を止めにかかったレウとフォルデに、ロンは忌々しげに顔をしかめた。まず一度呪文を切ったのち、二人に合図して口をふさぐ手を外してもらってから、小さな声で言い返す。
「俺だって好きで喧嘩腰になっているわけじゃない。ただ相手が女だと思うと警戒心が跳ね上がって、相手との友好関係を築くことを断念しても、こちらを舐められたり陥れられたりされないよう全力を尽くしてしまうだけだ」
「お前それで反論してるつもりかよ。要するに女と喧嘩したいだけだとしか聞こえねーぞ」
「そーだよ、大人気ねーなー。ガキじゃねーんだしさー、ちっとは成長しろよ」
「………お前たちに言われると非常に忸怩たるものがあるが、これは俺の経験に基づく人生訓なんだからなかなか矯正は難しいんだよ。俺のこれまでの人生で女に下手に出ていい結果に終わったことがほぼ皆無なんだからな」
「それ、単にロンが女の人嫌いだからどんな結果になっても悪く受け止めちゃうってだけじゃないの?」
「違う。悪い結果になった場合の相手の女が全員俺の嫌いな人格の持ち主だっただけだ」
「嫌いだからなんでもかんでも悪く見てるっつーことには変わりねぇだろ。……あーったくもー面倒くせぇな、向こうの親玉が女だとは思わなかったかんな、しくじったぜ。しゃーねぇ、俺がラグと操舵手代わってくっから……」
「残念だがそんな時間はなさそうだ。向こうの船が動き始めたぞ」
 ロンが肩をすくめて見せたのとほぼ同時に、周囲の船がじわじわと包囲網を縮めてきた。おそらく砲撃ののちに接舷して船員たちが斬り込んでくる手筈なのだろう。フォルデとレウが面倒くさげに、あるいは困ったように眉根を寄せた。
「げ……」
「えー! どーしよ、戦いになっちゃったら向こうの人に悪いよな? 喧嘩売ったのこっちみたいなもんだし」
「別に売っていないぞ。俺の正直な気持ちを丁寧に伝えただけだ」
「それが言い訳になると思ってんのかてめーは」
「思ってはいないが、実際問題ならず者相手の交渉なんぞ一回叩きのめした方が円滑に進むだろう。適度に手加減してやれば船や人員にひどい被害が出るというわけでもないだろうし、そっちの方が話が早く済むぞ?」
『…………』
「そりゃまぁ、そうなんだけどよ……」
 フォルデが鬱陶しげにがりがりと頭を?く。ロンの言葉に反論するのが難しいと認めたのだろう。
 確かに、今の自分たちには合計数十を数える武装商船に取り囲まれたところで、危険はほとんどない。通常の船舶に配備している武装は巨大弩弓、投石器(時に油壷を飛ばし火矢と組み合わせた火攻めにも使う)、あまり普及していない火薬を潤沢に使えるならば大砲といったところだろうが、そういった武装は撃たれてからでも対処が間に合ってしまうのだ。サマンオサからもずっと戦い続けてきた自分たちのレベルはさらに上がっている、反応速度も一般的な人間よりは速い。撃ったものを見てから剣圧で、あるいは呪文で、それらを吹き飛ばすのもたやすいだろう。
 そして相手の船団を屈服させるのもそう難しくはない。ロンならば呪文を的確に制御し船舶に最低限の、かつ致命的な部分に対する破壊を行うのも難しい作業ではないだろうし、自分でも(集中の時間稼ぎは必要になるが)ラリホーの範囲を拡大すれば船団の人間を全員眠らせる程度のことはできる。物理的な戦闘力を用いても、相手を全員気絶させて回ることも船を壊すことも、可能な話ではあった。
 ――だが。
「あの……ロン、さん。本当に、そう思ってらっしゃい、ます?」
 眉を寄せ小首を傾げながらそう問うと、ロンは面白がるように肩をすくめてみせる。
「嘘を言う理由があるか? 俺が世の中の女の大半、というより九分九厘までの有する性質を心底厭うているのは、旅を始めてから何度も言ってきた誰はばかることない事実だが?」
「はい、それは。でも、ロンさんは別に、女性の方が嫌い、というわけではない、ですよね?」
「本気で言ってんのかよ、おい」
「あ、えと、はい。ロンさんは、少なくとも俺の、見ている範囲、内ではずっと、女性の方、がロンさんの、嫌うようなことをしてから喧嘩、してました、よね? 女性だから、という理由で喧嘩、したわけではない、でしょう? だからえと、その……今回みたい、に別にロンさん、の嫌いなことをした、わけでもないのに喧嘩、しようとするのはなにか、おかしいか、なって……」
 ぽそぽそと呟くように、けれどきちんと聞き取れるように真正面から言うと、ロンはふっと小さく苦笑した。
「人格を信頼されているというのは嬉しいものだが、時に厄介なものだな。相手を騙くらかすことが難しくなる」
「え、と……」
「……なんだお前、さっきまでの言い草振りかよ。お前だったら普通に言いそうなセリフだから気がつかなかったぜ」
「うんうん、俺も! ってーかロンっ、仲間騙そーとすんなよっ!」
「すまんな。俺としても一応考えがあってやったことなんだが……しかしセオ、俺の言い草が原因だというのにこういう言い方をするのは不本意ではあるが、向こうはもう喧嘩を仕掛ける気満々のようだがどうする? もちろん責任を取れと言うならきっちり俺が相手を全員無力化してくるが」
 真面目な顔で問いかけるように見つめられて、セオはこっくりとうなずきを返す。もちろんセオも、自分の言葉から責任逃れするつもりはない。
「俺なんかがでしゃばる、ようで恐縮、ですけど。俺が向こうの頭目、の方とお話をしてみたい、と思って、ます」
「そーなんだ!」
『………………』
 レウは笑顔になってうなずいたが、ロンとフォルデは揃って懐疑的な表情になって自分を見つめてきた。それも当然だろう、自分は人に好かれるような人間ではないし、交渉術も稚拙この上ない。交渉役としてふさわしい人間だとはとても言えない。
「あの、俺にできる、かどうかはわかり、ませんけど……きちんと責任は、取ります、から。いざとなった、ら俺が相手の方々、を無力化します、から……どうかやらせて、ほしいん、です」
「……別にお前がやりてぇっつうならいいけどよ。なに考えてんだ、お前? また妙な風に思い込んでんじゃねぇだろうな?」
「『〜のためにこうしなければ』だの『少しでも自身を成長させるために』だの、そういった思い込みは悪いとは言わんが思いつめる方向に向かうとろくなことにならんぞ?」
「あ、の……はい。単純に、俺でもできる、かなと思って言ってみただけ、なんです、けど……」
「ふぅん……珍しく自信ありげじゃねぇか」
「なら、ここは任せるか。俺の尻拭いをさせてしまうようで申し訳なくはあるが、それはまた別途に詫びを入れさせてもらおう」
「やめろ馬鹿、お前がそういう言い方するとマジうっさんくせぇんだよ」
「ま、それも俺の売りのひとつというやつだ。心を込めた衷心からの言葉なのは確かなのだから問題あるまい。……さて、ではセオ。準備はいいか?」
「あ………はい」
「では――」
 ロンが二、三語呪文を唱えるや、自分の周囲に魔力が纏いつく。ロンの拡声の呪文が効力を発揮したのを確認し、セオは小さく息を吸って声を上げた。
『あ、のっ、すい、ませんっ! いきなり、話しかける、ような真似をして、ぶしつけだとは、思うんですけどっ! できれば、話を、聞いていただけないで、しょうかっ!』
『………なんだい、あんたは。もしかしてあんたが例のアリアハンの勇者さまご本人ってやつかい?』
 いかにも不審そうな女性の声が響く。自分の声も間違いなく向こうに届いてはいるのだろうが、彼女はわざわざ船を止めるほどの価値を見出さなかったらしく、周囲の船団はどんどんと自分たちの乗る魔船に近づいてくる。
『あ、その、はい、そう、ですっ。あのっ……俺なんかが、偉そうにどうこう、言わなくても、皆さんは、ご自身の罪過も、法を犯した重みも、ご存知、だと思います。それと向き合って、それを理解した上で、海賊行為を、人の稼いだ積み荷、を奪って糧にする、という道を選ばれた、わけですから』
「……なんか、覚えがあんぞ、この流れ」
「とりあえず最後まで言い分を聞こう。俺も激しく既知感を刺激させられる台詞だとは思うが」
『なにが言いたいんだい? さっさと言いな!』
『あ………はい。……あの、皆さん。だから、俺なんかが、横から偉そうにこんなこと、言えた義理じゃない、のは承知の上ですけれど……海賊行為を、他人の船を襲って、糧にする、という行為を、やめてもらう、わけにはいきませんか?』
『…………』
 数瞬、向こう側の船が沈黙したのが伝わってきた気がした。セオはそこに、懸命に言葉を重ねる。
『力を示さなければ、強い暴力をいつでも振るえる、ことを見せつけなければ、いわば無法地帯である、南スリッカー大陸において、威勢を保つことができない、というのは当然の考え方、だと思います。どんな国も、暴力によって、民人を統制し、同時に護っているのだから、そして暴力が、他のどんな力よりも、効率よく人を、黙らせることができる以上、奪う力を振るうことで、利潤と防衛力を、同時に生み出そうと考えるのは、ごく自然なことだと、思います。でも――』
『でも? あたしらが海賊稼業で飯を食うのが間違ってると、そう言いたいわけかい?』
 静かに、そして険しく凄味に満ちた声がセオの周囲に響く。セオは慌てて口を開くも、相手はかまわずに言葉を続けた。
『違います、そうじゃ、なくて――』
『笑わせてくれるじゃないか。世界を護るだなんだと抜かす勇者さまが、あたしらが生きるための道に文句をつけるってかい? いかにも国だの世界だの、ご大層なお題目を背負って戦う奴に似合いの台詞だ。そんな輩に上からああだこうだと抜かされてはいそうですかと従えるほど、あたしらの稼業は安くはなくてねぇ』
『あのっ、どうか、話を』
『ふざけんじゃないよ! おかの理屈で言い負かされるような船乗りなんぞいやしない。船乗りってのはいつでも板子一枚下は地獄、命張りながら船動かしてるんだ。たかだか世界しか救えないような若造に口出しされる覚えはないね、あんたら全員身ぐるみはがして叩き売ってやるから覚悟しな!』
 女性の声が威勢よく啖呵を切り、自分たちの話を聞いていた船乗りたちが高らかにそれに応える歓声と笑声、そして時の声を上げる。しばし足を止めていた周囲の船団が、再び獲物を仕留めんとする肉食獣のように統制のとれた動きで魔船を押し包んできた。
「………てっめぇカンダタの時と言ってることが変わってねーじゃねーか! 進歩ってもんがねぇのかてめぇはっ、っつーか言われっぱなしでも文句も出ねぇ、反論のしようもねぇような間抜けなこと抜かしてんじゃねぇっ!」
「セオにーちゃんのこと間抜けとか言うな! まー相手の……ねーちゃん? おばさん? の切った啖呵はカッコよかったけどさ」
「レウ、老婆心ながら忠告してやるが、たとえどんなに見苦しい姿をしていようと、女の年齢をああだこうだ詮索して呼びかけるよりは、自己紹介して名前を訊ね、それ以後名前で呼びかける方が面倒ごとは少なくなるぞ? ……さて、ではセオ。向こうさんはこっちと戦う気満々のようだが、どうするんだ?」
「あ、はい。とりあえず、一回全員叩きのめします」
「………は?」
「それじゃ、行ってきます、ね」
 仲間たちに小さく頭を下げてから、セオはだんっ、と魔船の甲板を蹴った。できる限り平衡を取ったつもりでもやはり魔船を少し揺らしてしまったが、その甲斐あって全力で空を駆け、一番近いバルボーザ一家の船舶に無事飛び移れた。
「なっ!?」
「なっなんだてめぇっ」
 小さく頭を下げながら、セオは甲板の上を駆ける。きちんと挨拶しないのは申し訳ないとは思うが、正直船の数が多すぎてさっさと処理していかないと全部処理し終える前に船団が魔船にたどり着いてしまうのだ。
 甲板にいる人数計八十七人。武装認識。位置特定。最適攻撃軌道把握。所要時間認識。――実行。
 剣を閃かせ、機動と反射を使いながら一閃で五人の急所を打つ。それを十八度繰り返しながら最適化した移動経路を駆け抜け、二秒で甲板上にいる全員を気絶させて次の船へ飛び移るべく甲板を蹴る。
 飛び込みながらその次の船の上にいる人数を測定、位置と武装を認知。相手の反撃と移動によるブレを計算しながら最適の移動経路と攻撃方法、剣閃の方向、速度、それらすべてを算出し、それによって得た所要時間から次の船にかけられる時間と最適な機動を考えながら全力で甲板を駆け、剣を振るう。
 それを繰り返すこと二分――セオはバルボーザ一家の船団全員の意識を、一時間は回復しないように、そして万が一にも深刻な損害を与えることのないように刈り取って、フォルデが頭だと言っていた船上の女性の前に立った。
「っ……やってくれるじゃ、ないかい。なるほど、勇者と言われるわけだ……あたしら全員をたった一人で、しかもあっという間に叩きのめす、か……まさに人でなし、ってやつだね」
「あ、えと、はい。……それでは、もう一度お話をして、よろしいでしょうか?」
「………は?」
 女性にしては、というより男性としても高いだろう身長に鍛え上げられた筋肉で鎧った、それでいて胸元を大胆に露出し外衣の下には体にぴったりした服をまとい、と女性であることもしっかり主張している海賊の頭目は、きょとんとした表情を見せた。年の頃は二十代後半の、方向性は珍しい部類ではあるが大人の女性と言うにふさわしい姿に、可愛らしい気配が混じる。
「えと、あの。改めて、お話をしたいな、と思ったんですけど。ご迷惑、かとも思うんですけど、せっかく機会が作れた、わけですし……それに、ある程度、説得力も生まれた、と思うので」
「説得力……?」
 怪訝そうな表情になる女性に、セオはこっくりとうなずく。
「暴力によって他者を威圧、支配するという方法は、とても効率がいい、ですけど。より強い暴力を相手にした時に、容易に支配を覆されうる、ということをはっきり見せられた、わけですし」
「……馬鹿馬鹿しい。強い奴は欲しいものを総取りできる、ただそれだけの話じゃないか」
「いえ。俺が人間社会に、属する存在である以上、俺の行動が正当性を欠いているならば、掣肘する方法はいくらでも、あります。ダーマに報告する、各国家に情報を流して社会から疎外する、現在俺が属しているアリアハンに賠償を請求する、というように。手を尽くして、情報を入手し、各方面と交渉して、自分たちを護る。あなたたちが、これまで何度もやってきたこと、だと思います」
「…………」
「暴力というのは、本当に、効率がよく、強力な武器です。でも、それを振るうことを十全によしとできる、というものでもない。どれだけ効率化しようとも、無駄な犠牲が出る危険は避けられないし、振るい方によっては、敵に回さなくてもいい相手を、敵に回してしまうことも、ある。それは、あなた方も、よく理解されていると、思います」
「ふん……圧倒的な暴力であたしたちを叩きのめしたあんたがよく言えたもんだね」
 皮肉げに口の端を吊り上げて言われた言葉に、セオはちょっときょとんとして首を傾げる。
「え、でも。俺が人でなし、だと理解されて、いるんですよね?」
「……それが?」
「俺は、人間じゃないんです。力を人の枠内に収めさせることも、力を人の基準で測ることも、すべきではない。人に与えられた、世界を救うための力。そういう存在、なんです」
「…………」
「人として生きることは、すべきではないけれど、そんな俺でも、人のためにできることは、あるんです。……たとえば、世界各国に、南スリッカー大陸に対する侵略を、禁ずるよう内々に約定を結ばせる、とかのように」
「なっ」
 女性は大きく目を見開き、わずかに口を開ける。驚かせてしまったのなら申し訳ないとは思うが、セオとしては最初からこのことについて話をしているつもりだったのだから仕方がない。
「あんた……まさか、最初からその申し出をするつもりだったのかい……? 断られるのが当たり前の申し出をして、そこから力で相手を平らげて、あんたの力を思い知らせた上で、人でなしとして……人に使われるやり方で、この大陸を、護ろうと……」
「もちろん、みなさんは、ご自身の在り方に誇りを持たれているでしょうから、こんな風に、横から手出しをされるのは、お気に召さないだろうことは承知しています。でも、今なら、命やお金を浪費することなく、少なくとも俺が力を失うまでの時間を稼げる。もちろん、俺が死んだり、力を失ったりした後まで、各国がその約定を守ってくれるとは限りませんけど、それでも、それに備えるだけの時間は得られる、と思うんです。あなた方が望むのならば、ダーマに新しく国を開くことを認めさせることも、不可能じゃない」
「…………」
「どうか、俺の人でなしの力を、できる限りあなた方のいいように、使ってはいただけないでしょうか。その代わりに、少しでも、暴力のみによって平穏や繁栄を得ようとする考え方を、変えてもらえないか、と思うんです。暴力は本当に効率的な力、ですけど……それのみに頼っていては、そこから先に進めません、から」
「そこから先……?」
「暴力によって失われる命を、少しでも少なくしたり。戦いによって、争いによって、事物が失われることを少しでも少なくしたり。そういう方向に進むことも、できなくなってしまうんです。俺たちは、自分のわがままで、他者の命を奪っている存在、ですけど……失われる命や、事物を、そのまま受け入れてしまうのは、その、思い上がっていないかな、って。山ほどの命を奪った上に自分の命がある以上、それに値するだけのことをせずに、ただより強い暴力に、より強いわがままに、倒されるのを待っているというのは、奪った命にあんまり失礼すぎないかな、って思うん、です」
「…………」
「どうか、お願いです。俺の力で、あなたたちの未来を、買ってもらえませんか。それが俺にできる、せめてもの、償いなんです」
 女性は厳しい顔のまま一瞬目を閉じて、ゆっくりと開き――ぎろり、と自分を睨み据えた。
「女のあたしが海賊の御頭で、おかしいと思うかい?」
「え?」
 思わず目をぱちぱちとさせるセオを、さらに問い詰める勢いで女性は迫る。
「はっきり言ってもらおうじゃないか。女が海賊の頭をやっているのがおかしいと思うか、どうか」
「………あの、なんで、ですか?」
 困惑に眉を寄せてそう問い返すと、女性の表情はさらに険しくなった。
「女でもなんでも関係ない、ってかい? あたしはお世辞を言う奴は大嫌いだね」
「いえ、あの、なんていうか、おっしゃっている意味が、よく……女性が海賊の頭目を務めていたら、なにかおかしいことがあるんですか? 正直、意味というか、理由がわからない、んですけれど……」
「はぁ?」
 女性も困惑したように眉根を寄せ、それでもセオを睨み据える。おそらくはこの女性にとってはそれだけ意味のある問いなのだろう――が、それでもセオは正直さっぱり意味が分からなかった。
「あの、俺はもの知らずなので、面倒をおかけして申し訳ないんですけれど……女性が海賊の頭目を務めるっていうことに、なにか、不都合なことがあるのか、教えてくださいますか? 俺の思いつく範囲内じゃ、納得いく理由が見つからなくて……」
「……あんた、本気で言ってんのかい?」
「え、はい。海賊の頭目に必要な能力というのは、俺が思いつく限りでは、ざっと分けると統率力、操船術、航海術、戦闘能力、交渉技術、戦術・戦略眼ぐらいなんですけど、そのどれも男女どちらがより向いている、というものはないですよね? 勝負したとしても、個人差とか、修練の質次第でどちらにも勝利の可能性があるものばかり、だと思うんですけど……」
「…………」
「たとえば、女性に命令されることに男性が拒否感を覚える心理的傾向についても、女性であることを特別視することによる崇拝の感情によって男性の統率者より高い士気を容易に保つ、という技術はすでに周知されていますし。戦闘能力についても向き不向きはもちろんあるにせよ、傾向として女性は男性よりも身のこなしが素早いですから、重装備のできない海戦においては優位に立つのが容易ですし。性別より重要視すべきなのは、個々人の資質と職業に対する意欲……だと思うんですけど、すいません、俺の気づかなかったり知らない事由が、なにかあるんでしょうか?」
 職業関連の研究論文については一通り目を通していたつもりだったのだが、見落としがあったのだとしたら大いに反省しなくてはならない。真剣な想いを込めてそう問いかけると、女性はちょっとぽかんとした顔になって、それからぷっと噴き出した。
「ぷっ、ははっ、あははっ、まいったね、こりゃ。試したつもりが試されていたのはあたしの方、ってわけかい。確かに、結局のところ重要なのはそいつ自身のやる気と向き不向きだね、違いない」
「? あの……?」
「ああ、気にするこたぁないよ、アリアハンの勇者殿。いや、セオ・レイリンバートル。あたしたちバルボーザ一家は、あんたたちを歓迎する。あたしは一家の頭を務める、ヴァレンチーナ・バルボーザだ。よろしく頼むよ、できれば末永くね」
 そう言ってヴァレンチーナはにやりと笑う。豹や虎を思わせる、肉食獣の力強さと獰猛さを併せ持った――彼女にとてもよく似合う笑顔だった。

 先導する船団の後について、巨大とすら言ってもいい規模の港へと入港する。数十を数える船舶は、どれも順序よく滞りなく滑るように海を奔り、見る見るうちに港の定位置へと収まっていく。自分たちの魔船は、指示された大きく開いた空間に、なにも考えずに船を進めればよかった。
「……なるほど、さすがに本職だな。俺たちとは船の動きの滑らかさからして大違いだ。風と波に従って動く帆船だというのにな」
「まぁな……っつか、そんなこたぁどうでもいいんだよ。向こうは俺たちが今日ここに来ることを知ってたっつーんだよな?」
「あ、はい。なぜ知っていたかとか、そういうことは、港について全員が揃ってから詳しく話す、と」
「ふん……話がどう転がるにせよ、気ぃ抜ける余裕はなさそうだな」
「あ、でもさ、セオにーちゃん。そーいう話がすんだ後に、俺たち歓迎して宴開いてくれるんだよな?」
「あ……うん。ヴァレンチーナさんは、そう言ってたよ」
「へっへー、どんな料理出てくるかなー。この辺の料理なんて食べたことないし、ちょっと楽しみ!」
「呑気なこと抜かしてんじゃねぇ、阿呆。俺たちの動きを知ってるってこたぁ、ろくでもねぇ連中とつるんでるってこったぞ。いきなり戦いになってもおかしくねぇんだからな」
「んー、それはわかるけどさ。セオにーちゃんは、海賊の頭の……えっと、ヴァレンチーナさんに、敵意は感じなかったんだよね?」
「……うん。気を抜けば喰らいついてやろう、っていう意気込みは感じたんだけど……殺してやろうとか、陥れてやろうとか、なにかを俺たちから奪ってやろう、みたいな悪意や敵意は感じなかった。……あっ、もちろん俺、の見立て、なんてまるで本当、に役に立た、ないって思う、んですけどっ……!」
「いきなりうろたえてんじゃねぇよ、ったくてめぇは。……それでも油断していいってこっちゃねーぞ。盗賊だの海賊だのって仕事してる奴らの間じゃ、うかつに気ぃ抜いて隙見せようもんなら奪えるだけ奪い取られるなんぞ当たり前なんだ。隙見せた方が悪いって理屈で生きてんだからな。まーお前が気ぃ張ったところであんま意味ねぇ気もすっけどよ」
「うんっ、まーかしといてって! ……ん? あれ、もしかして俺、さっき悪口言われた?」
「ま、それはさておきだ。なかなか大した港だな」
「……はい。そうですね」
 港に停泊し、魔船から降りて改めて思い知る。バルボーザ一家の本拠地たるこの港は、それこそそんじょそこらの港町とは規模も施された技術も比べ物にならなかった。
 行儀よく数十もの船を並べられるだけの敷地面積の広さのみならず、それらの船一つ一つに対し十全に整備や積み荷の上げ下ろしができるだけの空間と設備が割り振られている。何十人もの船大工が道具を持って行き来し、先刻自分たちを襲うべく海へ漕ぎだした船舶のひとつひとつに状態の確認を行っている。そしてその傍らで船荷の積み込み、積み下ろしが活発に行われ、合間に値付けと値引き交渉をする罵声が飛び交う。
 ポルトガやエジンベアに匹敵するほどの、巨大軍港にして商業港。南スリッカー大陸の支配者と呼ばれるにふさわしい、多大な軍事力と経済力をうかがわせる港だった。
 と、そんな風に周囲を見回しているさなか、どすどす、と大勢の人間の足が地面を叩く音を聞きつけ、セオはそちらに視線を向ける。そちらからまっすぐ近づいてくるのは、何十人もの部下を引き連れ、マントを颯爽と翻して顔には雌虎の笑みを浮かべた、バルボーザ一家の頭目、ヴァレンチーナ・バルボーザだった。
「お待たせしたかい、お客人」
「あ、いえ……。港を見て、いたので。見事な、港……ですね」
「それはどうも。さて、あんたたちにはまず会ってもらいたい方がいる。あんたたちとしてもなぜあたしたちがあんたたちを襲おうとしたか知りたかろうしね。そこらへんの事情をお話しするためにも、その方と会ってもらった方が話が早いんだが、どうだい?」
「えと……かまいません、よね?」
 仲間たちを見回しそう確認すると、仲間たちはそれぞれの表情でうなずいた。
「さっさと会わせてもらおうじゃねぇか。お前らの思惑はだいたいわかってるけどな」
「へー、フォルデすげー! なんかそんなことわかるよーなこととか言ったの、この……人?」
「はっきり言ったわけじゃねーよ、半分以上当てずっぽだ」
「ま、とにかくその会わせたい相手とやらにはいろいろと話すこともありそうだしな」
「よし。ならついてきとくれ。その方はあたしの屋敷の客間で待っているはずだからね。ま、気まぐれな人だからどこかに行ってる可能性もあるけど、あんたたちに会うつもりなのは確からしいから」
 そう言って何十人という男たちを従えながら、ヴァレンチーナは踵を返す。長身で筋肉質とはいえ豊かな胸部と臀部を持ち、中性的な雰囲気の中にも女性的な気配を巧みに漂わせている彼女に、世の人々が荒くれと呼ぶだろう男たちが静々と、というよりむしろ嬉々とした様子で随従している様子は、ヴァレンチーナの統率力、求心力の高さを否応なしにうかがわせた。
「……いかにも筋者って奴らが、よく懐いてやがんな。やっぱこれ、女の色香ってやつが関係してんのか?」
 フォルデが自分たちだけに聞こえる程度の声でそう囁くと、ラグとロンは揃って首を振る。
「フォルデ、女性が束ね役をしてるからといって、すぐそういう風に考えるのは不見識もいいところだぞ。確かに男よりも大変なことは多いだろうし男とまったく同じようにもいかないだろうけれど、人間を取りまとめる優れた才能を持つ女性はいっぱいいるんだ、なまなかな男じゃ、いやよっぽど有能な男ですら上回るほどの才幹を示している女性だっている」
「それにきちんと観察してみろ。ヴァレンチーナ氏の姿が色香を売りにしているように見えるか? 確かにそこここに女性的な雰囲気は認められるが、基本的に見せつけられているのは船乗りとして、代表者としての実力だ。まぁそういう抑えられた色気というやつに惹かれる男がいることも確かだが、従っている奴らの顔を見てみろ。どいつも男に惚れている男の顔しかしていない。彼女は完全に男であろうとはしていないが、それはそれで『女でありながら男以上の力を持つ頭目』という存在に対する崇敬の念になるんだろうな。それだけでも、彼女が優れた束ね役であるのは明白だ」
「お、おう……っつか、お前ら二人の意見が女関係で一致すんのって珍しいな」
「そーだよなー、ラグはいつものことだけど、ロンなんかめっずらしくあのヴァレンチーナ? って人のこと認めてるみたいじゃん」
「だからいつも言ってるだろう、俺は女の中の嫌いな性格をしている奴が嫌いなだけだと。女性が優れた実力を持っているのがわかっているのに『女であるから』とひとしなみに蔑むような阿呆どもと一緒にするな」
「いやお前さっき思いっきり喧嘩売ってたじゃねーか、ろくに相手知らねー状態で」
「別に相手が女だから喧嘩を売ったわけじゃない。俺なりにその方が効率的だと思ったから売っただけだ」
「……どーいうこと?」
「お前らも気づいているだろう。こちらの素性を見て取ることもろくにできないような状態で、いきなり港に並べられた船の大半を持ち出して小さな船ひとつを押し包んだんだぞ。向こうがあらかじめこちらの素性を知っていたのは明白だ。そして現在の状況下とも考え合わせれば、一番妥当な結論は」
「あんたたち! 念のため言っておくけど、ここの女に手ぇ出そうものなら、その股についてるもん斬り落とすからね!」
 ふいにこちらを振り向いて怒鳴ったヴァレンチーナに、フォルデは顔をしかめ、レウは驚いたように目を瞬かせ、ロンは肩をすくめ、ラグは気遣わしげに眉根を寄せる。各々の表情にそれぞれの感情を感じ取りながら、セオは気になったことを素直に問うた。
「えと、なんで……ですか?」
「ふぅん? 手を出す気になるような気に入った子でもいたのかい? あんたみたいな顔の男に口説かれてその気になれるような世間知らずはうちにはいないと思うけどね」
「えと、この地方とか、バルボーザ一家の方々に、特有の掟、かなにかがあるのかな、って気になったんです。できれば、詳しくお聞きしたい、と思って」
 確かに港の奥へと進み、居住区画に入っていくにつれ、ちらほらと女性の姿も見えるようにはなっていたが、それでもやはり山といる、というわけではない。自分たちよそ者を警戒しているのかもしれないが、それも含めて、これからの話し合いで失礼がないよう特有の決まりがあるなら知っておきたかったし、単純に気にもなったのだ。
「ま、うち特有と言えばそうなのかもしれないが、自分たち一家の港を持っている船乗りならどこでもそうなるだろうさ。船乗りはどれだけ稼いだっていつも板子一枚下は地獄、だからほとんどの男どもはおかにいる時は女に甘えたがる。当然自分たちの女をよその男に見せるのは嫌がるし、よそ者の男に女を取られようものならどう転んだって血を見ずには収まらないからね」
「なるほど……ありがとう、ございます」
「頭ぁ、それじゃ俺らがまるで女連中に尻に敷かれてるみてぇじゃねぇですか」
「俺らぁバルボーザ一家の面子にかけて、うちの女どもを死ぬ気で守ってるだけですぜ?」
「はっ、当たり前だろうそんなのは。男が自分の女と子供を守らないでなにを守るってのさ? その上、うちの仕事は海賊だし船乗りなんだよ? 血の気がなくっちゃあ務まらない仕事なんだ、女を捕られて黙ってるような腰抜けは、あたしが手ずから斬り捨ててやるから安心しな」
「ははっ、さっすが頭、俺らのことをわかってらっしゃる!」
 引き連れる男たちと、威勢よく楽しげに声を交わすヴァレンチーナ。その姿はいかにも堂々としていて楽しげで、彼女に海賊の頭目という仕事がなにより似合ったものなのだ、と知れた。
「あ……えーっと、ヴァレンチーナ、さん? ちょっと聞いてもいい? なんでセオにーちゃんみたいな顔の男の人が、えっと、口説いたら? 駄目なの? この辺の女の人って趣味悪いの?」
「あぁ!? なんだとこのガキぃ」
「うちの女にケチつける気か!?」
 手を挙げてレウが訊ねると、男たちが一気にいきり立つも、ヴァレンチーナがすっと手を挙げただけで一気に静まり返る。そのわずかに張り詰めた空気の中、彼女はじろりとレウを見るも、すぐに小さく苦笑した。
「ま、子供相手に突っ張らかったところでしょうがないか。――この港で男っていったら船乗りだし、船乗りってのはむくつけき男なのが普通だからそういう男が趣味なのは間違いないだろうが、あたしが言ったのは単純に、こんな女よりも整った顔した男に口説かれても、よっぽど世間知らずな女でなけりゃ、遊びで声をかけたかさもなきゃ詐欺を仕掛ける気じゃないか、って疑うだろうって話さ」
「あ、そーなんだ! ならわかるや、セオにーちゃんカッコいいもんな!」
 心底納得した顔になって大きくうなずくレウに(セオは思わず頬を紅く染めうつむいた)、ヴァレンチーナは小さく笑う。
「あんたにとってはセオ殿が理想の男ってわけかい。また懐いたもんだ」
「? だってセオにーちゃん優しいしカッコいいじゃん。すっげー強いのに全然偉ぶらないし。すっげーって思うの、なんか変?」
 小首をかしげるレウに、ヴァレンチーナは軽くふっと笑う。これまでこの女性が浮かべた中で、一番優しく柔らかい微笑だった。
「いや。初めての時の衝撃ってのは、どんな奴でも大きいもんだなって改めて思っただけさ」
「? どーいうこと?」
「気にしないでいい。……さ、あたしの屋敷はあれだ。誰か、客人に一応報告しときな。まぁ当然気づいちゃいるだろうけどね」
「へいっ」
 命を下されて男たちの中から一人が伝令に走る。ヴァレンチーナの屋敷というのは港から続く道の彼方にでんとそびえる、港の船渠を超えるほど大きなもので、まだそこにたどり着くにはいくつもの屋敷を通り越して道を歩いていかねばならないにも関わらず、その全景を眺めることができるほどの代物だった。
「……でけぇ家だな。海賊の頭目ってなぁよっぽど儲かるみてぇだな」
「当たり前だろうが、サライジャ海を支配するバルボーザ一家の頭だぜ?」
「しょぼい屋敷なんぞ俺らの面子にかけても作るわきゃねぇだろ!」
「それに、あたしの屋敷は陸から魔物がやってきた時の砦にも使われるからね。それなりの大きさはどうしたって要るのさ」
「……ふぅん」
「まぁ、その分居住区画が少ないんで、家政の面倒見てもらってる女連中にはありがたがられてるよ。仕事が少ないから、隅々まで注意が行き届く、ってね」
「お客人にも文句言われねぇで済んでるくれぇっすからねぇ」
「あのお方ぁ、もてなしに手ぇ抜かれてるとか思ったら、本気で剣抜きかねねぇですし」
「……、なるほどな」
 見張りのいる門の通用口を通り抜け、屋敷に入って大階段を上る。砦と屋敷が入り混じる不思議な構造の建築物だったが、効率と居心地の良さについてはよく考えられているのが言われなくともわかった。
 廊下を進み、扉を開け、客間に入り――身構える自分たちをよそに、ヴァレンチーナは客間の一番目立つところで酒杯をくゆらせていた女性に声をかける。
「お客人。セオ・レイリンバートルと仲間たちをお連れしたよ」
「ご苦労」
 言って自分たちに視線を向け、にやりと苛烈な――それこそ一瞬のうちに何百という死を想起させるほどの殺意に満ちた笑みを浮かべ、その女性――サドンデスは告げた。
「さて、ボケども。返答を聞きに来てやったぜ」

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