海賊のアジト〜レッドオーブ――2
『…………』
 自分たちは真正面からサドンデスに対峙し、お互いに素早く視線だけで相談する。そしてあらかじめ決めていた通り、セオが正面に立って話をし、それを他の面々が状況に応じて補佐する、というように話を進めようと結論付け、セオはサドンデスの正面に立って話を始めた。
「この話は、バルボーザ一家の方々に聞かせても、かまわないんですか?」
「ふん。――お前ら、席をはずせ」
 人の住処に招かれた客人なのだろうに、サドンデスはあくまで上位者としての態度を崩さない。だがヴァレンチーナは小さく苦笑してうなずき、引き連れた男たちも神妙な顔でうなずいて、客間から出て行く。
「この部屋にはしばらく人を近づけないようにしときますよ。それでいいんですね?」
「ああ」
 小さくうなずいて、あとは出て行くヴァレンチーナたちのことなど忘れたかのように自分たちに向き直る。だが、それでもセオは、内心驚きを感じていた。ヴァレンチーナたちの言う客人とはおそらくはサドンデスなのだろう、と考えてはいたものの、彼女が人間と友好的な関係を築く能力があるらしきところをセオたちはこれまで一度も見ていなかったため、理屈で考えるならそれ以外の答えがなかったとしても、『本当に彼女が人間の客人として振る舞えているのか』と懐疑の念も感じていたのだ。
 だがサドンデスに言われるままに部屋を出て行くヴァレンチーナには、屈辱も苦痛も羞恥も感じられない、ごくごく自然な、むしろ楽しげな表情が浮かんでいる。少なくとも彼女たちの前では、サドンデスは暴虐な振る舞いをしてはいない、ということなのだろうが、その事実も含めて訝しい想いを禁じえなかった。
「ふん。ここの連中と俺の関係が気になるらしいな」
 サドンデスは卓子にどんと足を載せときおり酒杯を傾けるという、礼儀正しいとは言い難い振る舞いの合間にじろり、とこちらを睨みつけ問うた。セオは素直にうなずく。
「はい。あなたがなぜこのバルボーザ一家の方々に、ここまで慕われているのか、少し不思議に思えてしまって」
「っ………! ばっ、………!」
 背後でフォルデが百面相をしているのをラグがなだめ、抑えている気配を感じつつも、セオはサドンデスを真正面から見据え言葉を続ける。
「俺がこれまで見てきた、あなたの行動から、あなたという人格を推察すると、あなたは対人関係で我慢する、ということをしようとしないために、少しでも不快なことがあれば、即座に相手に斬りかかる人だ、ということは確かであるように思えました。関係を持つ相手からすれば、それは『この人はいつ自分に斬りかかってくるかもしれない』と思いながら付き合いを続ける、ということになります。そういうことができる人間も、いなくはないでしょうけれど、少なくともバルボーザ一家の方々が全員そういう人だとは、俺には思えなかったので」
「はっ。言うじゃねぇか、クソボケガキが。いつ俺に斬りかかられるかもしれないと警戒しながら話してるわりにゃいっぱしの口を叩きやがる」
「あなたに、まともに相手をしてもらうためには、斬りかかられても生き延びられるだけの力を身に着けた上で、『こちらも我慢をしないこと』が必要なのかな、と思ったんです」
「ほう? つまり、今のお前は俺に斬りかかられても大丈夫だ、と抜かしてるわけか?」
「それは、わかりません。でも、力がまだ身に着いていなかったとしても、今の俺にできる一番ましな対応は、退かずに向き合うことしか、思いつかなかったので」
「はっ……笑わせてくれやがる」
 事実、サドンデスの顔には笑みが浮かんでいた。どこか獣じみた、それこそいつ襲いかかられてもおかしくないと感じさせる、獰猛な笑みだ。
 ――だが、実際に襲いかかってこない、その上彼女がいつも振りまいていた圧倒的な殺気が普通の人間が振りまきうる程度にまで抑えられている以上、彼女はまだ話を続けてもいいと思っているのだとわかった。
「俺とここの連中がどう関わってるかってことについちゃ、後でここの連中に聞きやがれ、俺もいちいち説明してやるほど暇じゃねぇ。それよりも――そろそろ教えてもらおうか。二ヶ月前に俺と神どもの依頼した仕事の、どちらを選ぶのか、をな」
 一瞬、ざっと周囲の空気が硬質化した。それが針と化して肌を刺したような、いつ針が剣と化して自分の心臓を貫いてもおかしくないと思えてしまうような、人からいともたやすく生殺与奪の権を奪い取ってしまうほどの圧倒的な殺気が脳の真芯まで突き通る。
 だが、それでもその殺気は一瞬で霧散した。少なくとも依頼を受諾するか否かを聞くまでは、こちらに襲いかかってくるつもりはないらしい。
 そしてたぶん、自分たちが彼女の殺気に慣れてきているということもあるし、彼女にバルボーザ一家の住居内で必要以上に殺気を振りまくのを厭う気持ちもあるのだろう。彼女にも、人でなしを超えた人ならざる存在にも、人間としての部分――たとえば無駄を嫌ったり、仲のいい相手を気遣ったりといった部分が存在していることを、セオは改めて受け容れた。
 ――ならば、自分たちの出した答えを伝えることに、価値が生まれる可能性があるはずだ。
 セオは小さくうなずいて、サドンデスに改めて向き合い、告げた。
「サドンデスさん。俺たちは、どちらも選びません」
「………ほう?」
「少なくとも魔王に対処するまでは、その依頼受諾に対する判断を保留します」
「……なに?」
 サドンデスがわずかに眉を寄せる。だがその表情からは、彼女の激烈な殺気が感じられなかった。ならば話を続けられる、とセオは言葉を続ける。
「まず、この判断を下したのは、あなた方――サドンデスさんと神々の、どちらにとっても、依頼に緊急性が感じられなかったということがあります。二ヶ月もの判断の余裕を与え、その間どちらもまったく俺たちに接触してこないことからも、そもそも強制ではなくあくまで、依頼という形をとっていることからも、あなた方がどちらも、心底切羽詰まっているわけではないと、俺たちは考えました」
「………ほう」
「ならば、わざわざ俺たちに競うような形で、依頼をしてきた理由はなにか。もちろん、サドンデスさんの場合は本当に単なる、俺たちをちょっと試してみる程度の気持ちだったのだろう、とも思いましたけど、それなら二ヶ月の猶予を俺たちに与えるのが少し不自然だ、と。初対面の時、俺たちがちょっと気に入らないという理由で全員を惨殺してのけた、あなたがわざわざ俺たちを勧誘し、おまけに猶予まで与えてくれる。ちょっとした気まぐれにしては、優しすぎる気がしたんです。できる限り俺たちから答えをもぎ取ろう、という意思を、俺たちはそこに感じました」
「ふん……」
「そして、神々の依頼について、ですけど。俺たちに、サドンデスさんに従って世界を破滅させるか、神々に従って世界を護るかという二者択一を迫って、俺たちを自分たちの陣営に引き込む、という筋立ては納得できなくもないんです。ただ、本気でそれをやろうとしているなら、あまりに打つ手に無駄がありすぎる。そもそもその話をそのまま俺たちに話してしまう、サヴァンさんのような人間を、いかに都合よく使える相手であろうとも、使者に選ぶとは思えない。エリサリさんのような、まだ神の僕としての仕事について間のない、情報を引き出そうと手を尽くせば、たとえ真実を話すことができなくとも相当に情報を引っ張れる、そういう方も使者に選ぶのは無理がある。神々にとっては本当に、自身の生き死にに関わることであると同時に、世界の滅亡を引き起こしかねない事態を防ぐための依頼だというのに、です」
「…………」
「それに加えてサドンデスさんが、相談もなく一方的に告げた二ヶ月の依頼への返答の猶予に、なにも文句を言っていないこと。さらに今この時、神々からの使者が依頼への返答を求めてきていない、つまり積極的に依頼を受諾するか否かという答えを得ようとしていないこと。総合して、依頼を受けさせるつもりなら、あまりに打つ手が下手すぎる、そう判断せざるをえませんでした」
「………それで?」
 サドンデスは自分を底光りのする目で見つめ、問うてくる。その輝きからはやはりサドンデスの息をするように人を殺しうる暴虐である気配を感じ取ることができたが、それでも今彼女はこちらと会話しようとしている。この機会を、なんとしても逃すわけにはいかない。
「俺たちは、この依頼はどちらも、次の一手のための布石である、と結論付けました。サドンデスさんも神々も、どちらの依頼を受けるにしろ断るにしろ、その答え自体は重要なものではない。神々は目的のために、単純な依頼とはまた違う手段で俺たちを動かそうとしていて、どの選択肢を選んだとしても、たぶん自分たちの思うように、俺たちを動かす手段を整えている。依頼は俺たちから、一定の反応を引き出すための一手段でしかない。……もちろん、サヴァンさんの言った、俺たちを陰から動かすことに限界を、感じたというのも嘘ではないでしょうけれど、それは俺たちの気づかないところで暗躍しない、という意味ではない、と」
「ふん………」
「サドンデスさんは、たぶんこの依頼をなんらかの試金石にしたい、と考えられているのではないか、と。そして俺たちの想像になりますが、単純に受ける断るという、それ自体はたぶん、重要ではない。そこから導き出される行動に、サドンデスさんにとって重要な、あるいは都合の悪いものがあるのではないか。だからあえて神々と一緒に依頼をし、俺たちがどう動くか試しているのではないか、と想像しました。……当然ながら、これらは俺たちの想像です。当たっているという、保証はない。でももしその想像が、当たっていたら。当たっていなくとも、この依頼に不自然な点が、なんらかの裏があると考えるのは、たぶん間違ってはいないと俺たちは考えました。――だから、俺たちとしては、依頼を受諾するか否かを告げるよりも先に、魔王に対処することを選んだんです」
「ほう?」
 サドンデスの目がわずかに光を増す。セオはそのいつ殺意に満ちるかも知れぬ瞳に真正面から対峙しながら答えを告げた。
「おそらくは、魔王≠ノついて、あなた方が俺たちに告げていない、なにかがある。それも、少なくとも神々には相当に、重要ななにかが」
「…………」
「それを絶対に隠したい、と神々が思っているのかは、わかりません。ただ、少なくとも今すぐ、俺たちに知られたくはない、とは思っているのではないか、と。これまで、神々が魔王≠ノついてどう考えているか、についてはほとんど話題に上らなかった。エリサリさんは『魔王は世界の敵、罰するべき異端である』と言ったのに、サヴァンさんは『現在のところ魔王は放置する方針である』と告げました。その二つの言葉は明らかに矛盾しているし、神々の魔王に対する意思も見えてこない。曲がりなりにも世界を支配すると主張し、実際に支配してしまったら神々の護る結界を弱めてしまう可能性が高い存在に対し、そのあまりに軽々しい、存在そのものを軽んずる姿勢は、あまりに不自然だ、と俺たちには思えました」
 セオがそう結論付けることができたのは、オルテガの存在が神々にとってこれ以上ないほど全力で情報を秘匿するに値する存在だ、という事実を知ったからだった。自分がこれまでの人生で接してきた限りでは、オルテガはそこまでの重要性がある存在だ、とは思えなかった。ならば、現在――魔王軍に殺されたのちに重要な存在となったのではないか、と単純に考えたのだ。
 ――もちろん、ことによると、まだ彼は生き続けているのかもしれないと、そういう可能性も考慮して、だが。
「切羽詰まった依頼だというならともかく、その依頼の受諾の是非に依頼人自身さして関心がなく、他に被害が波及することもないのなら、そして依頼人の方々を、『この依頼を受けても問題はない』と信用することができないのなら、依頼の本質を知る可能性に賭けるためにも、少しでも依頼人たちの情報を引き出すためにも、俺たちは魔王に、世界を征服すると主張し、出現前よりも格段に、魔物を荒れ狂わせる原因となったとおぼしき相手に、対処することを優先します。依頼としては、形としてはこちらが先ですし……そして、神々にも、サドンデスさんにも、無視してかまわない代物だと思われている、魔王の存在によって出た被害も、俺たちは軽くは見ていません」
「…………」
「以上です。なにかおかしなところがあれば、どうぞご指摘ください」
 そう告げてセオが口を閉じると、サドンデスはセオを見つめながら、くっ、と小さく笑声を立てた。
 そのとたん、世界が凍る。心臓を突き刺し、引き裂き、脳天から足元まで割り破る、こちらを塵と化すまでに圧する激烈な殺気殺気殺気。相対しているだけで脳裏に数百の死の光景が浮かぶ、苛烈で鮮烈な死≠サのもの。サドンデスはその本性を明確に表し、自分たちなどいかようにも扱える、自身の力を明示してみせる。
 ――そしてそれに自分たちは正面から相対し、見つめ返す。
 恐ろしくないとは言わない。以前に与えられた死≠忘れたわけでもない。ただ、知っているだけだ。自分たちは、それに抗うことができる、と。これまでに積み重ねた生の重みは、圧倒的な死に抗うに値する、と。
 視線をぶつけあうことしばし――サドンデスはふん、と鼻を鳴らし、椅子の背もたれに深く身を預けた。
「抗うだけの力は持ってやがるか。ふん、なるほど。無駄足を踏んだってことにはならなくてすみそうだ」
「…………」
「いいだろう。お前の言う通り、先に魔王に対処してみせるがいい」
「……ありがとう、ございます」
「礼を言われる筋合いはねぇな――お前の言う通り、お前たちがこれからどう動くかによって、俺は重要なものを得られる可能性がある。もちろん逆に都合の悪いことになる可能性もあるがな。だが、どちらにせよ、『神々に関わるより先に魔王に対処する』ってのは、俺としてもそれなりに利のある選択だ。神どもについちゃあどうか知らねぇが――せいぜい用心深く、いいように操られねぇよう気をつけておくんだな」
 言うやサドンデスは一挙動で立ち上がり、部屋を出て行く。それを注意深く身構えつつ見送っていると、扉を開けた時にサドンデスがふと気がついたようにこちらに顔を向け告げた。
「ああ、そうだ。おい、そこのチビガキ」
 視線を向けられたレウが目を瞬かせる。レウはサドンデスに対しても、実際に殺される(ないし殺されかける)ということがなかったせいか、普段の彼とさして変わることなく自然体で相対していた。
「えっ……俺?」
「そうだ、そこのお前だ」
 サドンデスがうなずく一瞬の間に、自分たちは静かに体勢と陣形を変える。いつサドンデスがレウに斬りかかっても対処できるよう、間合いと気配を整えていく。
 それをサドンデスはふん、と鼻で笑って続けた。
「後で稽古をつけてやる。宴で酔い潰れたりしたらぶち殺すからな」
「えっ、ほんとにっ!?」
「ああ。ここの連中は、宴の時は特に押しつけがましいが、無駄に飲まされることのねぇように、せいぜい保護者に目配りしてもらうことだ」
 言いながら目を輝かせるレウを観察するように上から下まで眺めまわして、ふいと視線を逸らし今度こそ本当にサドンデスは部屋を出て行く。それに誰からともなくため息をつく音が、部屋の中に響いた。
「……なんとか、しのいだ、か。だが少なくとも、俺たちの……というか、実質セオのだけど、考えは見当外れじゃなかったみたいだな」
「一応俺もSatori-System≠あれこれ使ったり考えをまとめるのを手伝ったりしたんだがな。まぁとにかく、これからの行動方針を変える必要はなさそうでなによりだ」
「ふん……チッ、クソが。……つーかなっ、おいレウッ! お前本気であいつと稽古するつもりかよ!」
「え? うん。そーだけど、なんで?」
「……向こうがどれだけ当然のように人を殺せる相手か、っていうことをわかった上で言っているんだな?」
「うん、もちろん。まー、難しいことはよくわかんないけどさ……あの人、どういう人なのかってことも俺よくわかんないけど。それでも、セオにーちゃんたちをもう九割五分殺しくらいにしちゃった人だってことはわかるし、そんなのぜんぜんどうでもいい、みたいにあの人が考えてるのもわかってるよ」
「ほぅ……つまり、お前にとってはそんなことよりも重要なことがあの女との稽古の中にはある、と考えているわけか」
「んー、っていうかさ、セオにーちゃんたちを九割五分殺しにしたっていうのはやっぱり嫌だし、腹立つんだけどさ。なんていうか……あの人はそーいう人なんだ、ってなんか納得しちゃってるっていうか……」
「………ふむ」
「それにあの人がすっげー強いってのはわかるし。いつか戦う相手かもしんないんだから、稽古できるのは楽しみなんだけど。それって変?」
「……変ではない、けどな。少し意外だっただけだ。まぁ、お前が稽古したいっていうなら、それを止める気はないよ」
「そう? ありがと!」
「いや。まぁ、お前がもし殺されそうになったら割って入ってやるから、安心して稽古をつけてもらいなさい」
「うんっ!」
「………チッ」
「あー、フォルデなーに拗ねてんだよー。そんなに俺がサドンデスさんと稽古すんのムカつくの?」
「そーいうわけじゃねぇよ! ただ、単にだなぁ……、…………。だーっ、クソッ、なんでもねぇよ! てめぇは俺のこと気にするより自分が殺されねぇかってことだけ心配してやがれ!」
「そっか! ありがとなっ!」
「礼言われる筋合いなんかどっこにもねぇってんだよこのクソガキっ!」
「えぇ? なに怒ってんだよー、俺なんかフォルデが腹立てるよーなこと言った?」
「……いや、まぁ、気にしなくてもいいと思うぞ、うん」
「とりあえず、レウの稽古に関してはこれでいいとして。俺としては、あの女が唐突に抜かした宴って言葉も気になってるんだがな」
『は?』
 ラグとフォルデとレウが、全員声を揃えて首を傾げる。宴。サドンデスの口ぶりからすると、バルボーザ一家の方々が設けてくれるという話のようだったが。海賊であるバルボーザ一家の人々が客を迎え入れた時に宴を設けるというのは別段おかしなことではないように思うが、ロンはなにを気にしているのか。
 そう全員の視線が集まった中で、ロンは肩をすくめて告げる。
「海賊の宴となると、酒が出てこないわけはない。いくら固辞しても相手が若くとも、無理やりにでも酒を飲ませようとする連中が多いだろうことも想像に難くない。そして、レウはまぁ見るからに子供なので逃げられないことはないにしても、形式上は成人しているセオは、絶対に潰れるまで酒を飲まされることはほぼ間違いない」
「え………」
「は? そりゃそうだろうけどよ、なんでそれがそこまで……ってオイ。こいつの酒癖って、確か……」
「……ああ、そういうことか。別にそこまで気にする必要はないと思うけどな、悪い酒癖ってわけでもないんだし」
「なにを言っている、セオの理性が吹っ飛んで俺たちを慕う気持ちが駄々洩れになっている緩みきった顔を、別にセオになにかをしてやったわけでもない十把一絡げの連中に公開してやるなぞ、もったいないにもほどがあるだろうが?」
「だからお前はそういう言い方をするなと」
 進んでいく会話をよそに、セオは青ざめていた。そうだ、自分は普段まったく酒の類は口にしないが、以前山賊に襲われていたところを救った村での宴の時に勧められたものを断れず、それこそ酔い潰れるまで飲まされたことがあった。そしてその時自分は見るも無様な醜態をさらし、この世から消え入りたいような気持ちになったのだ。
 ラグとロンは気にせずに、むしろまた飲もうと言ってくれたのだが、やはり何度も醜態をさらしたいとは思えず、これまではお付き合い程度の量を口にするだけだった。だが、普通に考えて、ロンの言う通り、海賊の宴席で酔うまで飲まされないことなど、どう転んでもありえない。
 ううう、どうしようどうしよう、いや俺に逆らう権利なんてない、いやそもそもそういう考え方が、でもバルボーザ一家の人たちと友好的な関係を結ぼうとしてるのに宴席でそう頑なになっているのも間違ってるんじゃ、と煩悶していると、レウがきょとんと首を傾げた。
「なんかよくわかんないけどさー、どっちにしても今から考えてもどーにもなんないことなんだろ? それなら別に悩まなくても、その時になってみてから考えればよくね?」
『…………』
「……まぁ、その通りと言えばその通りなんだけどな……」
「お前に言われっとなんかイラっとくんな、いっちいちよ」
「えー、なんでだよー。フォルデのほーこそ俺のこといっちいちガキ扱いすんのやめろよなっ」
「ガキだろーが紛うことなく」
「そりゃ、俺の年まだ子供だけど、そんなにガキ扱いされるほど心も体も子供じゃねーっつってんの!」
「阿呆か、年なんざどうでもいいんだよ。お前の言うことやることがいっちいちガキ臭くてでけぇ面されんのムカつくってだけの話だ」
「むー! なんだよっ、勝負すっかっ」
「ほー、面白ぇじゃねぇか。また海に叩き落としてやろうか、あぁ?」
「はいはいお前ら、楽しく喧嘩してるところ悪いけど一応ヴァレンチーナさんに話聞くのが先だから後にしような。っていうかフォルデ、お前レウのこと海に叩き落としたりとかしてたのか」
「っ、言っとくけど船が停泊してる時に安全見極めた上でやったんだからな。ガキ相手に本気でブチ切れたりなんぞしてねーよっ」
「いまいち信用できない感はあるが……まぁ、お前がレウをどう教育するかってことについちゃ、いちいち細かく口出ししたりはしないよ。俺たちみんな、教育ってものへの取り組み方はそれぞれ違って当たり前だし……そもそも偉そうにああだこうだ言えるほど子供の育て方に詳しいわけでもないしな」
「少なくとも俺たちの中では一番子供の教育に詳しいのはお前だと思うがな、子供時代ヒュダ殿のそばであの人が何人もの子を育てるところを見ていたんだから。一応俺もそれなりにあれこれ調べたりはしてみたが……ま、どちらにせよ重要なのは、知識よりもちゃんとその子供に向き合えるかどうかということだからな」
 いつものようににぎやかに交わされる仲間たちの会話を聞きながら、セオは小さく息をつく。レウの言う通り、今から考えてもどうにもならない。宴の作法にうとい自分としてはバルボーザ一家の人々が宴でどんな真似をしようとも、ただ従容と受け容れるしかないのだ――自分などがどんな無様な姿をさらそうと、たぶん向こうも気にも留めないことだろうし。

 ぐっ、ぐっ、ぐっ、とジョッキになみなみと注がれた糖蜜酒を呷る。喉がかっと焼かれ、胃の腑が熱くなる。同時に一瞬くらぁ、と気が遠くなり、頭がくらくらして刹那目の前にあるものが見えなくなる――
 が、自分はふぅ、と息をついて、すっと中身を飲み干したジョッキを差し出す。
「次の一杯、お願いします」
『うおおぉぉぉ!』
 宴会場に歓声が満ちる。自分たち――セオと相対するいかにも海の男という感じの筋骨隆々な大男の周りで、海賊たちが盛んに声を交わすのが聞こえた。
「おいおいやるじゃねぇかこの勇者さま、五人抜きなんぞやらかしといてまだ調子が落ちねぇぜ!」
「酒に弱いだなんぞと法螺吹きやがって、いい根性してやがるな畜生め!」
「どうするよおい、ガンツまでやられたら次はもう……」
 大騒ぎをする周囲を一顧だにすることなく、審判である酒注ぎ役の男がまたなみなみとジョッキに糖蜜酒を注ぐ。自分はそれをまたぐっぐっぐっと呑み下し、とん、とジョッキを置く――が、相手の男はその一杯を飲み干す途中で、ぐらりと体を揺らしてその場に倒れてしまった。自分は慌てて落ちたジョッキを拾いつつその男を支えようとするが、自分が手を出す前にふわりとその男の身体は優しい手で軽く床に下ろされた。
「ヴァレンチーナさん……」
「ふん。やるじゃないかい、勇者殿」
 倒れた男たちを休ませるよう指示を出しつつ、ヴァレンチーナはにやりと自分に向けて笑ってみせる。
「このまま返しちゃあそれこそバルボーザ一家の名折れってもんだ。こりゃあどうあってもあたしと勝負してもらわなきゃ収まらないねぇ」
「…………」
「――待ちやがれ」
 さして大きくもない声が響く。その瞬間、宴会場の喧騒は一瞬で静まり、針一本落ちる音さえ響きそうな静寂へと変わる。
 その中を悠々とこちらに向かい歩いてきたのは、サドンデスだった。いつもの肌が物理的に痛みを感じるほどの冴え冴えとした殺気は大きく抑えられ、苛烈なまでの眼差しもある程度鎮められてはいるものの、その圧倒的なまでの威圧感は完全になくなることはなく、歩みに連れて周囲の男たちは潮が引くように場所を開けて彼女を通す。
「お客人……」
 ヴァレンチーナが目を大きく見開いて言葉を漏らすのに、サドンデスは獲物を狙う猫のように口の端を吊り上げ言ってのける。
「お前よりも俺の方が先約だ。順番を譲ってもらうぞ、いいな」
「…………」
 ヴァレンチーナは無言で小さく目を伏せ場所を譲る。サドンデスは自分の前の席にどすっと座り、口の端を吊り上げたまま審判役の男に声をかけた。
「で、こいつは何杯ほど飲んでる? 樽一杯に足りない程度? よし、じゃあ樽ごと持って来い。急げよ」
「は、はいぃっ!」
 男が飛び上がってその場を駆け去っていく間にも、サドンデスは表情を変えず、一見したところ楽しげにすら見える顔で悠々と自分を見る。そのなんということもない視線にも、こちらを見下す――というか、『同じものとして見ていない』感触が当然のように満ちていた。彼女はたとえ殺気を抑え、人を殺さずにいようとも、その存在そのものがすでに人でなし≠ネのだ。自分たちとは違う存在なのだとはっきりわかってしまう、その存在に圧されるのは当然だろう、さっきまで大騒ぎしていた海賊たちが静まり返って声も出ない。
 その中でただ一人、ヴァレンチーナだけが違った。目を伏せ、凝視するようなことはまるでしていないのに、ひそやかに向けられる視線の中には強烈な熱が感じられるのだ。どこかすがるような、あるいは掻き口説いているかのような、切なげな熱情がセオにも伝わってくる。
 セオは一瞬そちらに視線を向けてから、サドンデスに向き直る。こういう状況は、自分がぐびぐび酒を飲み始めてよりのちには、当然予測できていた。
 なので、わざわざ覚悟する必要もない――そもそも自分たちは、ここバルボーザ一家にサドンデスがいると知れた以上、いつ唐突にサドンデスに斬りかかってこられても対処できるよう全力で警戒していたのだから。
「ふん……なかなか面白い顔をするじゃねぇか」
「そう、でしょうか」
「ああ。てめぇ、俺を誘い出すつもりでああもがばがば飲み続けていやがったんだろう?」
「……基本的には、一家の方々に、差し出された酒を断るなど、宴席では最大級の、無礼だと諭されたので、それに反しないよう心掛けていたら、この状況に陥った、のですが……あなたが出てきてくれたら嬉しいな、とこっそり思っては、いました」
「ほう、抜かしてくれる。俺を誘い出して、血を見ずに収められると?」
「というか、唯一血を見ずに収められる、誘い方だと思ったんです。これは、単純に、俺の、ちょっとした個人的な感情での、呼び出しというか、お誘いでしたから……他の方に、迷惑は絶対に、おかけしたくなかったので」
「ふん、個人的な、ね。……その顔からすると、どうやら本気で大した話じゃねぇらしい」
 くっ、と喉の奥で笑声を立てると、椅子の背もたれに身を預け、こちらを睥睨する。その視線にはいつ斬られるかもしれないと否応なしに感じさせる威圧感が満ちていたが、セオはなんとなく、『彼女は面白がっているのかもしれない』という気がした。
 審判役の男がこけつまろびつ持ってきた酒樽を受け取り、何の気なしにという仕草で口をつける。そしてそのまま彼女はぐびぐびぐび、とそれこそ清水を飲むのですらこうはいかないだろうという勢いで一気に酒樽を乾し、がらんという音を立てて床に放り捨ててみせる。
 その明らかに異常な人でなしっぷりに、それでもおおぉぉ、と観衆の男たちはどよめいた。酒の飲み比べというそれぞれ一家言ある、かつ平和的な分野の勝負で成したことだ。それがどれだけ異常なことであろうとも、見事と讃嘆する心は湧き上がってしまうものらしい。
「さぁて、勝負といくか。俺を誘い出したからには、まともな頭でいられると思うんじゃねぇぞ?」
 にぃ、と口の端を吊り上げてみせるサドンデスは、セオの目からは楽しげに見え――そしてやはり、どれだけ抑えていようとも、全身くまなく殺気に満ちていた。

「……っ、どっちとも九樽目いったぁっ!」
「おいおいどうすんだこりゃあ、次で十樽だぞ!?」
「この調子じゃ本気で酒蔵を空にしても勝負つかねぇんじゃねぇか!?」
 周囲で騒ぐ声が遠い。頭がくらくらし、世界が揺れる。ようやくセオにも酔いが回ってきたらしい。
 自分が酒類に対する耐性をも獲得している、というのは宴席で勧められた酒を口にしてからのことだ。自分がどんなに酔おうとも大した問題にはならないだろうと思いながらも、やはり見苦しい姿をさらすのは気恥ずかしく、ちびちびと糖蜜酒を口にする自分をバルボーザ一家の人々は「なんだ勇者さんよ、女みてぇな飲み方してんじゃねぇよ」「男だったらぐっといけぐっと」とはやし立ててきた。
 それ自体は別にかまわなかったのだが、「うちの開く宴だってのに客人にその程度しか飲ませられねぇなんて、それこそ一家の恥ってもんだぜ」「宴の作法ってやつがわかってねぇよ勇者さんよ。勧められた酒はきっちり飲み干さねぇとなぁ」とまで言われ、自分の恥を理由に人に迷惑をかけるわけにはいかないと勧められるままにぐいぐい酒を飲み――それでもさっぱり酔いが回らないということがわかったのだ。
 これも勇者としてのレベル上げの成果なのかどうかはわからないが、面白がったバルボーザ一家の人々に酒をどれだけ飲めるかという勝負を挑まれても、自分はさして酔わないまますべての酒を飲み干してしまった。個人的には酒はどうしても喉と胃の腑を痛めつけるので、やはりあまり好きにはなれず、自分などが酒を無駄に消費するのはよくないことじゃないかなと思うのだが、勢い込んで勝負を挑んでくる相手を無下にするのもよくなかろうと考えたのだ。
 そしてそんな風に何杯も酒を乾していく中で、もしかしたら、この方法でならサドンデスと平和的に勝負ができるのではないかと思った。
 サドンデスに勝てると思っているわけではない。自分の得た酒類への耐性が勇者の力によるものなのだとしたら、今の自分が真正面から挑んで勝てる道理はない。
 だが、自分は、それでもちょっとサドンデスと戦って――というか、競ってみたかった。
 本当に個人的な動機で、戦う必然性や理由なんてものはまるでない。単純に、自分とサドンデスの間にどれだけ差があるのかということを実感してみたかったのだ。勝てなかろうとも、挑みうる相手としてサドンデスのことを見てみたかった。
 それは単純に、サドンデスの出方によってはこの先彼女と戦うことになりうる可能性があったからでもあるが、どちらかというと、個人的に――
「お前、あのチビガキのことを意外に気にかけてやがるみてぇだな」
 新しい樽が運ばれてくるまでの合間にかけられた声に、セオは心を乱さずうなずく。普段の彼女のものよりははるかに軽いにしろ、それでも気の弱い相手ならば硬直するほどの威圧感が込められてはいたが、彼女の殺気の受け流し方にも慣れてはきたし、それにセオは彼女なら自分の考えを見抜けてしまうだろうと、なんとなく予測していたのだ。
「はい。この世のなにより、大切な、仲間の一人です、から」
「他の連中より付き合ってる時間は一年短いんだろうが。他の連中と同じようにはいかねぇだろう」
「それは、もちろん。ラグさんも、ロンさんも、フォルデさんも、皆さんそれぞれ、に違う存在です、から接し方、もそれぞれ違い、ます。だから、レウも、他の方々とは違う存在、で仲間、でかけがえのない相手、なん、です」
「ふん……」
「おおっ、十樽目来たぜ!」
「これを飲み干したら本気で人間じゃねぇなこの人ら!」
 目の前に置かれた酒樽を、持ち上げ、割られた部分を口に当て、こぼさないようにぐっ、ぐっ、ぐっと乾していく。単純に水分としても人の身体に注ぎ込むには多すぎるし、糖蜜酒は(醸造・蒸留の方法にもよるが)本来ぐいぐいと飲めるような類の酒ではない。酒として売買される際のように水で割って薄められていたとしても相当に度数の高い蒸留酒で、これほど一気に大量に飲めば酒精によって中毒症状を起こし、命の危険さえ引き起こしかねないだろう。
 だが、サドンデスも、おそらくは自分も、もはやほとんど人ではない。
 ぐっ、ぐっ、ぐっ。倦まず弛まず飲み干して、サドンデスからわずかに遅れながら空の酒樽をとん、と床に置く。周囲の男たちがさらなる歓声を上げ、新たな酒樽を持って来いと騒ぐ。
 だが、セオは今、サドンデスにしか注意を払う余裕はなかった。
「……レウは、他の仲間、の皆さんとは本当に、違う相手、で………俺は、レウ、みたいに、護るべき相手っていう、だけじゃなくて、なんと、いうか………自分、より目下の、存在というか後輩、というか導くべき、相手というのはあの子が、初めてだった、ので。もともと俺、は人とどういう風、に関わっていけばいいか、ってこと、について全然わかって、ないんです、けど……それまでの一年、で仲間の方々と接して、きた経験ともまた、違う経験だった、のは確か、で」
「それでことさらに可愛がってるってか?」
「え? いえ、あの……可愛がる、というのはやり方が、よくわから、なくて俺が、できてる、とは思わない、んですけど……なんていう、か……レウはものすごく、俺を、その、慕って、くれて、いて。まるで、俺がすごい人間、みたいな目で、見てくれて、言葉に出して、もすごく、たくさん、いろいろ、褒めてくれる、から。俺なりに……それに、応えられるだけ、の相手、にならなくちゃ……なりたい、と思った、ので」
「それで俺に勝負を吹っかけてきたわけか」
 ふん、と鼻で笑うサドンデスに、セオはこっくりとうなずいてみせた。
「はい。圧倒的な強者、であるあなた、の強さのほど、を少しでも、今の自分と比較、してみたかった、ので。叩きのめされて、思い知って……それからの勝つ、方法を考える、方がいくらか、難易度は低くなる、と思って」
「ほう……いずれは俺に勝つ、というつもりでいるわけだ」
「え、はい。サドンデスさんと戦う、ことになる、ならですけど」
 当然のことを聞かれ小首を傾げてそう答えると、サドンデスはなぜか、くっ、と喉の奥で笑声を立て――それと同時に宴会場の空気が一気に凍りつくほどの殺気を放った。ついさっきまでにぎやかにざわめいていた宴会場の中が、一瞬でしーん、としわぶきひとつ聞こえないほどに静まり返る。
「なかなか抜かしてくれるじゃねぇか。前に言ったな? たかだかその程度の人間のやめ方で、この俺が倒せるか、と。今なら倒せる――なんぞと、甘い夢を見てやがるんだったら、今すぐそれがどれだけ思い上がりか思い知らせてやってもいいが?」
「え……? なんで、今倒せるって、思ってること、になるんですか?」
 セオはきょとんとまた首を傾げる。無言でこちらを見つめるサドンデスに、だんだん回らなくなってきた呂律でできる限り説明した。
「今は勝てない、んじゃないかなって思った、からお酒で勝負、って形でサドンデスさん、の強さを思い知りたい、って思った、んですけど。レウが、あなたと、もっと関わり、たいって思ってるから、あなたがレウ、を殺そうとした、時に少しでも立ち向かえる、ように。勝率、を上げられる、ように。レウを護って、あなたと戦う、なら絶対、に負け、は許されない、ですから。できることは全部、やり尽くして、無理やりでも、紙一重でも、卑怯な手を使って、も勝って、レウの、命も他の人たち、の命も、自分の命も、護れる、ように………」
 明らかに酔いが回ってきている自分の説明に、サドンデスはまたくっと笑い、ふっと殺気をかき消した。ふんと鼻を鳴らして、口の端を吊り上げる。
「なるほどな。小癪だが、お前は確かに頭がよく回るらしい」
「え、なん、でです、か?」
「思いっきり酔っぱらった顔と口調で当たり前みてぇに聞いてきやがるそのクソ度胸に免じて答えてやる。俺はお前があのチビガキから自分に目を向けさせるために勝負を吹っかけてきたのかと思っていた。だがお前は、それも少しはあるんだろうが、この俺と戦うために俺を知ろうとしてきやがった。俺の怒りを買って殺される可能性もそれなりに計算に入れながら、『今は』戦わず殺されずに済むように、俺に喧嘩を買う気にさせねぇように、機を合わせて理性が吹っ飛ぶくらい酔っぱらう、なんぞという阿呆くさい手口を使ってな」
「え、あ、はい」
 こっくん、と大きくうなずくと、サドンデスはまたふん、と鼻を鳴らした。それがどこか苦笑じみて聞こえたのは、セオの思い過ごしか、どうか。
「この場所でそんな顔でうなずかれりゃ、殺す気も失せる。――お前、本気で仲間どもを大切にしてやがるらしいな」
 言われてセオは、ぐるん、と周囲を見回した。こっそり酒を舐めて酔っぱらうも、部屋に行くのを嫌がって宴会場で介抱されていたレウ。それをぶつくさ言いながら片手間に介抱しつつ、こちらの様子を鋭い目でずっと見張ってくれていたフォルデ。宴会場のあちらこちらを飛び回り、情報を仕入れながらいつでも逃げられるように丹念に呪文を準備してくれていたロン。レウを介抱し、酔っ払いたちから守りながら、いつでも自分を護りに来れる距離で自分を気にかけてくれていたラグ。
 こんなに優しい、自分などを大切にしてくれる――そして自分にも大切にされることを許してくれる、この人たちが。
「はいっ! 俺、みなさんのこと、だーい好きですからっ!」
 満面の笑みでそう言って――それから夜が明けるまでのことは、セオの記憶には残っていない。

 顔に光を感じてセオはゆっくりと目を開ける――や、自分の顔をのぞき込んでいたラグと目が合った。
「ああ、セオ、起きたのか。大丈夫かい、頭は痛くないかい」
「え……はい、大丈夫、です、けど……」
 ゆっくりと起き上がり周囲を見回す。そこは調度の雰囲気からして、ヴァレンチーナの屋敷の寝室のひとつのようだった。あれ、自分は意識を失う前なにをしていたっけ、と一瞬状況を自失して首を傾げる自分に、ラグは笑って水差しから注いだ水をセオに差し出す。
「とりあえず、飲んでおきなよ。少なくとも、喉は渇いているだろう?」
「え、あ、はい……」
 確かに自分の喉は塩を大量に舐めた後のように渇ききっていた。素直に差し出された水をごっくごっくと飲んで――いるうちに、状況を思い出して顔からさーっと血の気が引く。ラグはそんな自分にまた小さく笑って、水のお代わりを差し出してくれた。
「眠る前のこと、思い出してきたかな? だいたいどのくらいまで覚えてる?」
「あ、の……サドンデスさんと、飲み比べ、して……どっちも、十樽目、を飲んで……」
「飲んで?」
「……俺、が、みなさんのこと、大、好き、ですから、って言った時まで、です」
 顔を熱くし、同時に血の気を引かせながら、しゅうんと小さくなる。醜態をさらした恥ずかしさもあったし、仲間たちに迷惑をかけた申し訳なさもあった。あのあとサドンデスがどんな行動に出たのかはわからないが、少なくとも仲間たちに後始末をすべて任せっきりにしてしまったのは間違いない。
 ただそれよりもなによりも、自分の正直な心の内を、恥じるつもりも否定するつもりもないけれども、大勢見知らぬ人がいる前で大声で言い散らしてしまったのが、きっと仲間たちに嫌な思いをさせてしまっただろうと思うと、それこそ自分の首を絞めたくなるほどに申し訳なく、いたたまれなかった。
 うつむいてひたすらに罪悪感の責め苦を受け止め、いやこんなことをしている場合ではないちゃんとラグさんたちに謝らなくちゃと気づき、決死の勢いで顔を上げようとし――たところに、頭をぽん、と叩かれた。ラグの優しく大きな掌で、ぽん、ぽんと、柔らかく。
「言っただろ? 悪い酒癖じゃないって。俺たちは別に、誰も怒っちゃいないよ」
「あ、の……で、も」
「まぁ、バルボーザ一家の人たちには相当からかわれたけどな……」
「っ」
「だからって、別にごまかすことでも、後ろめたく思うことでもないだろ? サドンデスに対してだろうと、バルボーザ一家の海賊さんたちに対してだろうとさ。セオが俺たちのことを、その、大切に思ってくれてることも……俺たちがセオのことを大切に思ってることも、さ。普段から言いふらすようなことじゃないけど……別に隠すことでもない」
「…………ラグ、さん」
 そうっと顔を上げて、自然と潤む瞳で懸命にラグを見上げると、ラグはいつもと同じ優しい笑顔で自分に笑いかけ、またぽんぽんと頭を叩いてくれた。その感触に、眼差しに、自然と心臓が震える。
「だから、大丈夫。君は君の思うように、思っていることを言っていいんだよ」
「ラグ、さん………ありがとう、ございます………」
 深々と下げた頭を、大きな手がそっと撫でてくれる。その感触、その優しさは当たり前のように自分の心を安らがせてくれる。こんな小さなことでも、自分を本当に大切に思ってくれていると感じさせてくれる――セオの人生に旅に出るまでまるで存在していなかった、おそらくは幸福≠ニ呼ばれるものであろう想いの形に、セオの心も体も、たまらなくじん、と痺れた。
 そのまま撫でられることしばし、ラグはすっと手を外し、「ええと、もう少し水、いらないかい?」と少し上ずった声で問うてくる。セオはそろそろと顔を上げ、まだ潤んでいる瞳でラグを見上げながら、ふるふると首を振って答えた。
「えと、大丈夫、です。もう朝、みたいですけど……二日酔い、にもなって、ないみたい、ですし」
「へ、ぇ……あれだけ飲んで二日酔いにならないってのはすごいな。勇者の力で酒への耐性もある程度得たみたいだと聞いた時は本気かと思ったが……あそこまでサドンデスととんでもない飲み比べをしてみせてくれたからには、信じるしかないよなぁ」
「あ、の……勝負の、結果は?」
「勝負なし。どっちも二十五樽を飲み干したところで、ヴァレンチーナさんから止められた。これ以上飲まれたらさすがに自分たちの飲む分がなくなっちまうってさ。まぁ、その頃にはセオはもうかなりふわふわした顔してたけど、サドンデスはしれっとした顔してたからな……勝負なしってことで助かったかもしれないけど、まぁ別に飲み比べで負けてもどうってことないし、関係ないかな?」
 苦笑するラグに、セオはまたふるふる、と首を振る。
「あ……い、え。……なんて、いうか、俺なりにあの、勝負をした、意義はあった、と思い、ます」
「え、そうなのか?」
「はい。……サドンデスさんがどんな、人かっていうのが、少し、わかった、っていうか……あの人はたぶん、ものすごく、人の強さみたいな、ものを重んじて、るんじゃないかな、って気がした、んです」
「人の強さ……と、いうと?」
「なんて、いうか……自分の行く道とか、未来みたい、なものを自分で、決定づける意志、とか勇気、というか。選択の重み、とか外的要因、に負けないで、自分の道、を選び取る力、とかそういうものを、なにより重視、してるのかもって……言葉にする、となんだかすごく、軽い感じ、になっちゃうんですけど……」
「ああ、いや、わかるよ。……ええとつまり、こういうことかい? あの人は、どんなものにも負けずに自分の意志と選択を貫く人間が好きだから、人の運命を知らないところで左右してる神々が許せなくて、どん底から人に頼ってでもなりふり構わず必死に変わろうとしたサヴァンさんを見捨てないで、自分と交渉する時逃げ腰になった俺たちは惨殺したけど真正面から勝負しながら自分の考える落としどころに導こうとしたセオは殺さなかった……みたいな?」
「はい……」
「……なんというか、理屈はわかるけど、それでもやっぱり理不尽極まりない人だな」
 苦笑するラグに、セオはどう答えていいかわからず小首を傾げた。ラグの言葉を否定する気にはなれないが、サドンデスを否定しきる気にもやはりなれないのだ。
 彼女はかつて勇者であり、神竜の力を押しつけられることで人の力と命と魂を奪われた。勇者はみなつまるところ人でなしではあるが、それでもそのように一方的に、かつ突然に人の形を奪われたのはあの人だけだろう。その心も、想いも、人であった頃とはかけ離れたものにならざるをえなかったことは想像に難くない。
 その中で、彼女なりに、圧倒的な力を得てすでに人間など触れただけで吹き飛ぶ虫のようにしか思えなくなっていただろうに、それでも人に重んじるべき点を見つけようとした末の落としどころが『人の強さ』なのではないかと思うのだ。人を自分と同じものだと、重んじるべきものだと感じられなくなっていた彼女の心が、震わせられるほどの重みを持つ人の力。
 自分にとっては歩くだけで踏み潰してしまうような程度の力しか持たない人間を、その中にも重んじるに値するものはあるのだと、人であった頃と同様に触れ合うに値するだけのものを人の中に見つけ出すことはできるのだと、そう自分の中で納得させるためには、相対する人の中にそれだけの強さを見出さなければやっていられなかったのではないかと、そんな風に思えるのだ。――もちろん、こんなことはすべて自分の勝手な想像にすぎないのだが。
 しばしの沈黙ののち、ラグはふいにセオの方に向き直った。どこか改まった真剣な声と表情で、正面からセオに問いかける。
「セオ。君は、もしかして――」
「おいてめぇらいつまでも寝てんじゃねぇぞっ、とっとと起きてこいっ!」
 ふいに勢いよく部屋の扉が開き、フォルデが飛び込んでくる。セオは当然気配を察していたので、フォルデに向き直り「フォルデさん、おはようございます」と頭を下げたのだが、ラグはなぜか硬直してまったく反応しなかった。
「………? ラグ、さん、どうか、したんです、か?」
「………ああ、いや。なんでもないよ。で、なんの用だ、フォルデ。なにか用事があってわざわざ俺たちを起こしに来たんだろう?」
 どこか不穏な気配をまとってフォルデに問いかけるラグに、フォルデは気配に気づいた風もなく勢い込んで答える。
「ったり前だろーがっ、とっとと来いっ! あのクソ女――サドンデスとレウが稽古始めるとか抜かしてやがんだよっ!」

「……来たか。待ってたぞ、万一間に合わなかったらどうしようかと思った」
 そう肩をすくめるロンに、セオたちは剣を構え向き合うレウとサドンデスの様子を窺いつつうなずいた。先導していたフォルデも素早く自分たちの横に陣取り、きっと二人を睨みつける。
「状況の変化は?」
「とりあえず、稽古を始めてから今まで特に変わりはない。二人で向き合って気を探っている段階だ。……まぁ、サドンデスが普通に稽古をつける人間らしく『気を探る』なんてことをしてる段階で尋常じゃないとも言えるがな」
「ふん……」
 フォルデが二人を睨みつけながら小さく鼻を鳴らし、いつでも飛び出せるよう重心を落とす。ここまで駆け続けてきたラグは小さく息をついて、武器と盾を構えいつでも割って入れる体勢になった。ロンは杖を握り、呪文をいつでも唱えられるようにだろう、呼吸を整えながら気を巡らせている。
 セオはそんな仲間たちの横で、軽く頭を巡らせて改めて状況を俯瞰する。まだ朝早く、太陽が昇って間もない時刻、昨晩は宴だったせいかバルボーザ一家の人々はまだ誰も起きてきておらず、レウとサドンデスが向かい合っている、ヴァレンチーナの館から森に抜けてしばらく行ったところにある空き地には、サドンデスと自分たち以外誰もいない。
 だがその空き地の中には苛烈とすら言っていいほどの気迫と魔力が満ち、強力な結界が張られている。レウはその手の技術はあまり得意ではなかったし、魔力の感触からいってもこれはサドンデスの張ったものだろう。たぶん彼女としてもレウとの稽古で周囲に巻き添えを出したくはないのだろうな、とちらりと思う。
 レウの表情は真剣だ。レウはいつも稽古する時は真剣に全力を尽くしているが、いつもとはまた違う、命懸けとすら言いたくなるほどの気迫を感じる。サドンデスとまた稽古する機会はそうそうないだろうせいもあるだろうが、それ以上に、サドンデスが全身から噴出する、圧倒的なまでの殺気――いや、死≠フ質量がなによりの理由なのだろう。
 彼女はいつものように盾を持たず、片手に大剣を構えている。その姿勢はごく自然体で、口元には笑みを浮かべていたが、彼女を見ているだけで、近くに存在しているだけで、刃を心臓に突き入れられ首を落とされ眼窩から脳髄を引きずり出され、と無数の死≠フ情景が脳裏に尽きることなく湧き出すのだ。初めて彼女と出会った時と同じ、こちらを圧する数えきれないほどの死=\―彼女が自分たちとは力どころか存在の桁からして違う、自分たちとすら隔絶しているほどの人でなし≠セと思い知らされる。
 ――だが、それでも。
 レウがすっと息を吸い、「らあぁっ!!」と気を吐いた。サドンデスは微動だにせずそれを受け止めたが、レウは正面からサドンデスを睨みながら、にっ、と笑ってみせる。そしてだんっ、と地面を蹴り、全力でサドンデスの懐へと踏み込んだ。
 サドンデスは至近距離からの斬撃をあっさりと大剣で受け、その剣戟の勢いのまま剛力でレウの身体を吹き飛ばし、同時にレウの首を落とそうと剣を奔らせる。しかし、レウも足の踏ん張りの利かない空中でそれを受け、後方に吹き飛びながらも体勢を整えて着地し、即座にまた地面を蹴ってサドンデスへ突っ込む。
 サドンデスはその跳躍に合わせて首を刈らんと大剣を振るう。その速さはレウの突撃の速さをはるかに上回っていたが、レウは全力で飛び込みながらその剣戟を受け、地面に叩きつけられたその反動も利用して全力で跳躍し、サドンデスめがけ身体全体で剣を突き込む。
 サドンデスはその目にもとまらぬ速さの突きをごくあっさりとかわし、即座にレウの首めがけ追撃するが、レウは先んじて地面を蹴ってサドンデスに向き直り、その勢いを利用して大剣を受け流しながら懐に飛び込もうとする。それをサドンデスは蹴りで迎撃しつつ、大剣と足でレウの頭を挟み撃ちにしようとするが、レウはそれを察知して身を沈め、攻撃の下から剣を届かせようとする――
 目にも止まらぬという言葉がふさわしい、刹那の間に交わされる幾多の攻防。瞬きする間に数えきれないほどの剣戟が飛び交い、相手の命を奪おうと必殺の一撃が数多繰り出される。そして、それだけの数剣を振るいながら、まだどちらもろくに傷を負わず、両の足で立っていた。
「……案外普通に稽古つけてやがる」
 二人を睨み据えつつ低くそう呟いたフォルデに、ロンは同じく二人から目を逸らさぬまま小さくうなずく。
「そうだな。あの女がレウに『稽古をつける』なんぞと言い出した時にはなにを企んでいるのかと思ったが、少なくとも『稽古をつける』つもりもあったのは確からしい」
「少しでも隙を見せれば命を取りに来る、くらいの稽古ではあるがな。……正直、レウがここまで彼女に食い下がれるとは思っていなかった。俺たちが彼女にやられた時とレベルが違うのはわかるが、それでも彼女の圧力に気圧されずに正面切ってあそこまでやり合えるというのは大したもんだ。俺たちはまともに抵抗すらできなかったのにな」
 ラグが静かにそう言葉を添えると、フォルデはむっと眉を寄せ、ロンは肩をすくめたもののそれぞれうなずきを返した。
「あのクソガキも成長してやがるってこったろーな」
「サドンデスと名付けられているがゆえの共振、あるいは共感のようなものがあるのかどうかはわからんが。少なくとも、あの子とあの女は、剣を合わせた時の相性がいいんだろうな。俺には、あの女がさして手加減しているようには見えん。実力を読み取ろうとすればまだまるで底が知れんのが肌でわかるというのに、だ」
「そうだな……レウはもちろんだけど。彼女も、楽しそうに稽古しているように見える」
 刹那の間に交わされる数多の剣戟を見守りながら、ラグも重々しくうなずく。いつでも割って入れるよう気を張りながらも、ラグもロンもフォルデも、レウとサドンデスの稽古にそれぞれ感じるものがあるようだった。
 セオも同様に稽古を見守りながら、心密かに沈思する。サドンデスがなぜ突然レウに稽古などを申し入れたのか、セオももちろんあれこれと考えていた。基本的には自分と同じ名を持つ、自身が死したのち神竜の力を受け継ぐことになるだろうレウへの、興味というか、その強さのほどを確かめたい気持ちからだろうと思っていたのだ。もし自分と同じ名を持ちながら弱かったりしたら気に食わないので即座に潰す、というような物騒な人物判定法だろうと。
 その考えにはレウを含めた仲間たちも異論がなかったようなので、それを前提にして作戦を立てていたのだが。『もしかしたら』と仮説を立てていることも、あるにはあった。サドンデスがレウに対し、好意――あるいは同情心、ある種同病相憐れむの心地といったものを抱いているのではないか、と。
 サドンデスから人であることを強制的に奪った神竜の力。それは、サドンデスが死ぬことがあればおそらくはレウに襲いかかる。因果な力を受け継がせてしまうかもしれない唯一の相手。同時に、かつての自分と同じ、まだ完成されていない、大きく開けた未来を持つ年若い勇者である少年。そんなこの世で唯一自分の存在を受け継ぐ可能性のある、言うなれば同属種に対する、親心めいた想いがあるのかもしれない、とも考えていた。彼女がそんな感傷を自分たちに示す可能性は低いと考えていたので、口にはしなかったが。
 だが、こうしてレウと剣を交える彼女を見るに、そのどちらも正しいようで正確ではないのではないか、という気がした。たぶん彼女は、自分を受け継ぐ可能性のある存在を、全力で試してみたかったのだ。好奇心と言うには重く、試練を与えると言うには対等な視線に基づく、そんな感情によって。
 セオは当初、同じサドンデスの名を持つとはいえ、レウという存在は彼女にとってさして重要性の高くない相手なのではないか、と思っていた。レウに対してまともに話しかけたのが今回が初めてというところから考えても、サドンデスの名の持つ性質を話した時の軽さから考えても、そして彼女がこれまで自分たちに見せた性情から考えてもそのように思えたのだ。
 ただそれでもこれまで他者にまともに関心を示す姿を見せてこなかった彼女がレウにわざわざ稽古を申し入れるということは、少なくともある程度意識はしているのだろうと彼女の思考や感情をあれこれ想像していたのだが、彼女と酒の席でとはいえ向かい合って勝負をし、こうして二人の稽古も間近に見て、ある程度理解ができた気がする。
 ――彼女にとって、他者というのは基本的に軽いものなのだ。ラグと話した時考えたように、完璧なまでに人でなし≠ナある彼女に、人間とは歩くだけで当たり前のように何匹も踏み潰すことになる羽虫のようなものでしかない。人の域を絶対的に超えた力、人の持てるものとは形を違えた魂、人の尺度には収まらない命――寿命。それを強制的に突然に与えられた彼女の心も、人のものと同じ形で在り続けることは難しかっただろう。
 例えて言うなら彼女にとって『人を労われ』という人間の社会常識は、作物に害を与えたり人から栄養を奪おうと群れを成して襲ってくる害虫や、地面に数えきれないほどうじゃうじゃと蠢く羽虫も含めた、『命あるものをすべて労わり重んじよ』という言葉のように聞こえるのだろう。間違ってはいなくとも、それを真正直に実行に移そうとすれば、過大な心労と疲労を背負い込むことになる。セオもできる限りそれを実行しようとしているからある程度理解できるのだ。大切な、直截に言えば『なにより優先したい相手』がいなければ、人生すべてをそのために費やすことにもなりうることだと。
 そんな心境の中でも、彼女はかつて人であった時のように、人を重んじる――重んじるべきものを人の中に見出すために、人の強さを――どんなものにも負けずに自分の意志と選択を貫く心と力を常に人に求めるようになったのだと思う。圧倒的な暴威として、あらゆる人間に向けて荒れ狂いながら、人の強さを探しているのだと。
 そして、レウにも――世界でただ一人の同属種となりうる少年にも、それを求めているのだ。
 いずれ自分と同じ場所に立ちうる存在。けれど現在は儚くか弱い力しか持たない存在。それに向けいつものごとく暴威として荒れ狂いながら、全力で彼の人としての強さを探している。しょせん今は数多いる人間の一人にすぎない、だから存在自体を重んじているわけでは決してない。けれどやはりいつも人に対して求めるように、不羈の魂を持ってはいないかと試したがっている。自分と同じ場所に立ちうる、今現在の世界では唯一の存在として、自然と普段人に対するよりも高まる熱意と注意力でもって。
 だから『稽古をつけてやる』なのだろう。彼女にとって、たとえ今はただの人間の一人だったとしても、世界で唯一強く在ってくれと願いうる――重んじていなくとも労わりの心を持ちうる相手なのだから。
 ……もちろんこんな考えは単なる自分の想像で、サドンデスの内心を言い当てられている確証などまるでないわけだけれども。
 自分たちの視線の先で、飛び交う剣戟はますます激しさと速さを増す。二人は口元に笑みを浮かばせながらも、互いに互いの挙動に全身の神経を集中しているのが分かった。レウは身体能力までも限界まで振り絞りながら、サドンデスの圧倒的な速さと力に全力でついていっている。サドンデスは動きの端々からまだまだ底知れぬ実力を窺わせながらも、レウを思いきり振り回すのを楽しんでいるように見えた。
 自分たちも全神経を集中して二人の一挙手一投足までも観察しながら、いつでも動けるよう身構えている――と、ふいに背後でかさり、と草の揺れる音がした。
『!』
 ざっとその場の全員の視線がそちらに集中する。完全に二人の稽古に集中して気配を感じ取れなかった。自分の手落ちに対する叱咤と警戒信号を心中にとめどなく響かせながら、敵対者であるか否かを探るべく全力で闘気を向ける――
 や、セオは(他の仲間たちも)目を瞬かせた。そこに立っていたのは、顔を引きつらせ、体を硬直させたヴァレンチーナだったのだ。
「………あの……ヴァレンチーナ、さん? どうし、たんです、か?」
「…………どうした、って。あんた………」
「なんだよ、あんたか。てっきり敵かと思ったぜ。よっぽど必死に気配殺してでもいたのか?」
「いや、単に俺たちが稽古の方に集中していて気づかなかっただけだろう。それこそ全身全霊ってくらいの勢いで集中してたからな」
「………お客人。邪魔を……しちまい、ましたかね」
「まぁな。興が削がれた」
 自分たち同様動きを止めて音のした方に意識を向けていたサドンデスは、大剣を背の鞘に納めて軽く鼻を鳴らした。
「ま、いい機会だったと思うことにするか。一応、このチビガキの実力のほども知れたことだしな」
「……ふぅっ、なんだよ、サドンデスさんっ。もう……っ、終わり、なのかよ」
 荒い息をつきながらサドンデスを睨み据える――というには敵意の含まれていない表情で、だが強い熱情を持って視線をぶつけるレウに、サドンデスはわずかに口の端を吊り上げてみせる。
「まぁな。ここでお前を潰すのは、俺にとっても面白くない。昨日も似たようなことを言ったが――お前たちにはもう少し、生き延びていてもらった方が都合がいいのさ」
『…………』
「じゃあな、ボケども。せいぜい気張って魔王退治に励むことだ――ああ、そうだ。ひとつ言い忘れていたことがある」
 言って肩をすくめ、サドンデスはセオに向き直った。それをできる限り真正面から見返すセオに、淡々とした口調で告げる。
「勇者ってもんにはいろいろあるが、基本が人間だからな、いくつかの典型に分類することはできる。そのひとつに、『その人間を勇者たらしめている根源の感情』ってもんがある」
「根源の、感情……ですか?」
「ああ。大雑把に分けるなら、喜怒哀楽。例えばセオ・レイリンバートル、お前は哀≠フ感情の極まった勇者だ。お前は全身全霊で世界を憐れみ、自身をその世界の本来あるべき姿から損なう過ちを贖うための生贄のひとつとみなしている。自分の苦痛、苦難を度外視するほどの世界に対する強烈な哀憫の情、それがお前の根源だ」
「っ………」
 初めてサドンデスに名前を呼ばれたことによるわずかな驚きと緊張を感じながらも、セオはサドンデスの言葉に真剣に耳を傾けていた。人を超えた者、人でなしの究極から語られる勇者の定義だ、無視できるわけがない。
「型としては、サイモンも似たような部類だな。世界に対する救済欲の強い勇者というのは、だいたいこの型になりやすい。それによって勇者になりうるほどの救済欲はたいていとんでもなく熱烈なことが多いから、勇者としての力は強くなりやすい――が、同時に一番破滅しやすいのがこの型だ。ちょっとしたことで平衡を崩し、世界を救うというお題目に文字通り身を捧げることが多い。堕ちた勇者≠ニやらにも比較的なりやすい型でもあるな」
「…………」
「俺は――正確にはかつての俺は、怒≠フ感情に基づく勇者だ。世界のあらゆる理不尽、あらゆる欺瞞、あらゆる悲嘆に強烈な怒りを感じ、そのすべてを叩き潰さずにはいられない型。これも暴走しやすく、破滅しやすい。堕ちた勇者≠ノは一番なりやすいと言っていいだろう。力の強弱はその勇者の器次第というところだな。逆に、一番安定しているのが楽≠フ感情に基づく勇者だろう。こいつはある意味特殊な型でな、なにも考えてない奴、とすら評することのできる勇者だ。天然自然のうちに世界を受け容れ、そのことごとくを愛することができる奴。お前たちの会った勇者の中だと、カルロスに相当するな。そんな感情で勇者にまでなれる奴というのは普通、人の範疇ではありえないほどに器がでかいからな、力も強くなりやすい傾向がある」
「…………」
「で、一番勇者の中で多いのが、喜≠フ感情に基づく勇者だ。人間的な喜びの感情が極まったあげくに勇者とまでなった連中だな。いうなれば、こいつらにとって世界ってのは自分の愛する者たちの延長線上にあるものだ。自分の周りの奴らを愛し、そいつらが属するから世界を愛し、護ろうとする奴ら。一番人間くさい勇者と言えるだろう――だからこそ、勇者に至れる奴の数は一番多いし暴走することもそこまで多くはないが、力が人の枠を大きくはみ出すまでに強くなることは少なく――勇者としての力を失うことも多い」
「え……」
「お前らもイシスで聞いただろうが。『選んでしまっては勇者ではない』と。勇者の中で最も正しく人間であるがゆえに、喜≠フ勇者は世界に打ち負かされやすい。自分の愛する者と世界を天秤にかけられて、人間としてごく当たり前の選択をしやすいのさ。つまり――人でなしの資格を失い、ただの人間になりやすいということだ」
「……それが……悪い、ってのかよ」
 低く唸ったフォルデを鼻を鳴らすだけで無視し、サドンデスは続ける。
「お前たちがこれまで出会った勇者も、大方はこの型になる。エラーニアもそうだったし、キャルヴィンもそうだ。そして――そこのチビガキもな」
 指し示されて、レウは「えっ、俺っ?」と頓狂な声を上げたが、サドンデスはこれも無視し、あくまでセオに向かい言葉を投げつけた。
「こいつがここまでの力を身に着けたのはお前の影響がでかい。お前と心を通じ合わせ、影響を与え合い、感情を補い合って力を増している。つまり、お前が下手を打てば、こいつは力を失ってただのガキになる可能性が高いのさ」
「それは――」
 上げかけたセオの反論の声もやはり無視し、サドンデスは続ける。
「こいつにあっさり力を失われると、俺としては少々面白くねぇ。ついでに言うなら、もし俺が死んだとしたら、余計な面倒が生まれる可能性が高いだろう」
「っ―――」
「せいぜい面倒を見てやることだ。こいつの愛する世界のためにもな」
 言い捨てて、サドンデスは「γ-14=vと呪文を唱え、その場から一瞬で姿を消した。普通のものより姿を消すのが早いが、ルーラの呪文だろう。
 それを見送って、ふぅ、と揃ってため息をつき、自分たちは顔を見合わせた。それぞれサドンデスに与えられた印象から抜け出しきっていない表情で、めいめい感想を言い合う。
「あのクソアマ、言いたいことだけ言ってさっさと消えやがって。ま、あいつがそういう奴だってのは最初っからわかってたけどよ」
「まぁ確かに好き勝手なことを好きなように喋っていったが、それでもかなりの情報が得られたぞ。とりあえず、神々どもとあの女がつるんでいるという可能性はほぼ考えなくてよさそうだとわかったしな」
「えー! はぁっ、ロン、そんなこと考えてたのかよっ! ふぅっ、あの人に聞かれたらすげぇ、はーっ、怒られんじゃねぇのっ? ふーっ」
「レウ、息を整えている時に会話に入っていこうとするのはやめた方がいいぞ、相手によっては失礼だと受け取られるし、体にもよくない。……まぁともあれ、とりあえずの面倒ごとは片付いたかな。あとは魔王征伐に集中できるか」
「ふん、俺は魔王ぶっ殺したら当然次は神どもをぶっ殺すつもりだけどな。あの女に協力するつもりもねぇけどよ」
「その話はとりあえず魔王征伐が終わった後っていうことになっただろ、向こうの連中がなにを考えてるかも知らなきゃならないし」
「まぁ、ここしばらくずっとついて回っていた、神々と名乗る輩と少しでも距離を置けるというのは俺としてはありがたい限りではあるな。気の置けない仲間と楽しく旅をしている最中なんだ、心配事は少ないに越したことはない」
「……ロン、お前なぁ、いっつも言ってっけどよ、いっちいちそういう……」
「そーだよなっ、みんなで楽しくしてる時に、面倒なこととか考えたくねーよなっ! ふーっ……」
「レウ……お前はもう少し、面倒なことを考えるってことに慣れた方がいいと思うぞ?」
「えーっ! なんでんなこと言うんだよっ、俺ロンと同じことしか言ってねーのにっ」
「お前が言うと面倒なことは全部無視してもいいよな、っつってるように聞こえんだよ」
 にぎやかに言葉を交わし合う仲間たちを、ヴァレンチーナは息を整えながら見つめ、それからすっと手を上げた。なにか言うのかと注目を集めたのち、ヴァレンチーナはまだ少し震えが残った声で訊ねてくる。
「あんたたちは……その子があの人、サドンデスの稽古相手を務められるぐらい強いってことは、あんたたち全員が、それだけの強さを持ってるってことで……いいんだね?」
「お? おう。当たり前だろが」
「まー、俺もパーティの中じゃまだまだ下っ端だからなー」
「それくらいの腕もなしに、サドンデスとの稽古を見学しようとするはずもないだろう。身を挺してかばったところで、あの女にとっては斬る相手との間に丸太が挟まった、ぐらいの意味しかないだろうしな」
「全員で全力を尽くせば彼女の攻撃を防ぎきれる……とまでは言わないけど、逃がすべき相手を逃がすまでの時間くらいは稼げるだろう、ってくらいの見込みはありましたよ。命懸けで殺し合うことになる可能性は低いと思ってはいましたが、皆無だとも思ってたわけじゃないですし」
「? ラグ兄、逃がす相手って誰のこと?」
「あー……とりあえず、ヴァレンチーナさんをはじめとするバルボーザ一家の人たちとかだな。いくら結界を張っていたって、本気でやり合う時になったら人里の近くじゃ巻き添えを出さないっていうのは難しいだろ?」
「そっかー!」
「………フン」
「てっ! フォルデっ、なんで俺の額小突くんだよーっ」
「べっつにー、なんっでもねぇよ。せーぜー好き勝手に吠えてやがれクソガキが」
「? ? ? なんだよーっ」
「ま、ともかく、そういうわけで。俺たちの見込みではありますが、稽古が殺し合いになった時に、割って入れるくらいの腕は全員持ってる、と思ってます」
「そう、か………」
 小さく息をついて、ヴァレンチーナはふいにくるりと背を向けた。
「あの……ヴァレンチーナ、さん?」
「ついといで。あんたたちに渡すべきものがある」
「? なにそれ、なんかいいもの?」
「たぶん、あんたたちにとってはね――旅の目的には、大いに助けになるだろうもののひとつさ」
「え……」
「レッドオーブ、だよ。神鳥ラーミアの、魂の欠片のひとつ、さ」
 こちらに顔だけ振り向いて、笑ってみせたヴァレンチーナの顔は、少なくともセオには、ひどく寂しげに見えた。

「あれがレッドオーブだって知ったのは――というか、オーブなんてものの存在を知ったのは、あの人――サドンデスさんと会ってからなんだけどね。まだ先代が元気だった頃――あたしがまだほんの小娘だった頃さ」
 いくつもの仕掛けで隠されたバルボーザ一家の宝物庫は、地下にあるのだそうだ。ランタンを片手に梯子を下りていくヴァレンチーナに、自分たちも足を踏み外さないよう気を配りながら続く。
「あたしたちにはただの宝玉にしか見えなかったんだけどね。まぁ、やたら大きいし細工も見事だしってんで、売ろうにもまともに値段をつけられる奴はそうそういなかろう、ってことで宝物庫にとっておいてはあったんだけどさ。サドンデスさんが初めてここに来た時に、宝物庫を案内したことがあって――その時に、これはオーブだ、神鳥ラーミアの封印を解く鍵だ、って言われたわけさ。まぁ、だからって自分に渡せとも大事に保管しろとも言われなかったんだけどね」
「なんだそりゃ。いきなりんなうさんくせぇこと言われたって素直に信じる馬鹿そうそういねぇだろ」
「はは、まぁ普通ならね。神鳥ラーミアなんて伝説自体、あたしたちはろくに知らなかったわけだし」
 かつん、という足音と共にヴァレンチーナは梯子から降りた。ランタンを掲げ、火を備え付けの灯明に移す。揺らめく炎の光が、宝物庫に積み上げられた数多の黄金を照らし出して映すどこか神秘的な輝きに、自分たちはほぅ、と小さくため息をついた。
 だがヴァレンチーナはその光景も見慣れているのだろう、どこか心ここにあらずという風情で言葉を続ける。
「……その時のあたしたちは、あの人にこてんぱんにされた後だったからね。疑いをさしはさむなんぞということ自体不敬である、みたいな熱狂的な空気があったのさ。あの人が教えてくれたラーミア伝説に興奮して、それこそ他のオーブも集めてラーミアを復活させてやろうか、なんて言い出す奴までいるぐらいにね」
「へぇ……」
「なんでホントに他のオーブも探そうとしたりしなかったの?」
「簡単さ、サドンデスさんに止められたのさ。『オーブのうちいくつかは神どもが配下を遣わせて守護している、神どもによほど気に入られた相手じゃないとラーミアの封印は解けない』ってね」
「え、そんな決まりあったんだ!」
「決まりというか……まぁラーミア伝説やラーミアの神殿が実在するって話は普通に本に載ってたりするからな。ラーミアの封印を解いたって話がまるで残ってない以上、どこかで歯止めをかける奴はいるんだろうなと予想はしていたが」
「チッ……いっちいち偉そうな連中だぜ。だったらなんでわざわざ封印解くためのもんをこの世界に置いておきやがるんだ」
 舌打ちするフォルデに、ヴァレンチーナはくすり、と小さく笑う。
「まるで神々を知っている相手みたいに言うんだね?」
「っ………」
「ま、あたしたちとしてはなんでもいいさ。あんたたちが神々の敵だろうが味方だろうが、世界を滅ぼす奴らだろうが救う奴らだろうが。あんたたちは客人としてあたしたちが迎え入れるだけの器を示したし、あたしの宝物を渡すに足るだけの――渡すべきと認めざるをえないだけの力を示した。あれほどあの人に、サドンデスさんに気に入られて、真正面から向き合える奴らを、あたしらの好き勝手にできるなんぞとうぬぼれちゃいない。自分のしなけりゃならないことを、せいぜい誠実にやるだけさ」
「……なんだよしなけりゃならないことって。あんた、別にオーブを渡してくれだのなんだのって誰かに頼まれたわけでもねぇんだろ」
 思いきり顔をしかめてヴァレンチーナを睨みつけるフォルデに、ヴァレンチーナは気にしないそぶりで肩をすくめてみせた。
「ああ、サドンデスさんはもちろん、あたしらの間でそういう風に約束したとかいうわけでもない。あたしが勝手にそうするって決めただけさ」
「だっから、なんでだよ。神だのなんだのに気でも使ったのか」
 ヴァレンチーナは、フォルデの言葉に意表を突かれた顔になり、ぷっと小さく噴き出す。
「まさか! 海賊稼業で飯を食ってるあたしらが、なんで神さま方に気を使わなきゃならないんだい? 死んだら地獄行き間違いなしだってのにさ」
「……じゃあ、なんでだよ」
「さあね――なんて、別に秘密にすることでもない。……そのオーブが、あたしたちの持ってるもので、唯一あの人が気にしたものだからさ」
「――――」
「あの人がただひとつ気にしたものを、あの人と真正面からやり合える相手に渡す。筋は通ってると思うけどね」
「……あんた、なんでそんなにあいつのことを……その、なんだ……」
「恋に落ちた乙女のように、ってかい?」
「そっ、そこまでは言ってねーよっ!」
「はは。……実際、自分でもあの人に対する入れ込みようは、行き過ぎてるなとも思うよ」
 かつ、かつと音を立てながら宝物庫の奥へと進みつつ、ヴァレンチーナは落ち着いた声音で語る。
「でも、あたしにとってはそれだけあの人との出会いは衝撃だったのさ。海賊の頭目の娘として生まれ、死に物狂いで男に負けないように、頭目にしてもらえるようにって必死に努力して努力して。そんなあたしの卵の殻を、あの人はきれいに割ってくれた」
「…………」
「あたしたちがいくつも船を並べて襲いかかった船団の中に、あの人はいた。護衛の兵士どもをいつものようにさんざんにやっつけて、あとは宝物を奪うだけって時に、突然甲板に現れて、あたしたち全員を叩きのめした。男だの女だの、あたしにしがみついて離れなかった桎梏を、あの人はいともたやすくぶち破ってくれたのさ。あたしは女だから弱いんじゃない、ただの人間だから――心も体も、世界を背負うほどの強さを持っていないから弱いんだ、って思い知らせてくれた。そのおかげであたしは自然と肩の力が抜けて、男と真正面から喧嘩するよりも、あたしにできることでみんなの役に立とう、って思えるようになったのさ」
「…………」
「結果、あたしは操船術や風を読む技に卓越することができ、頭目に跡目を受け継がせてもらうことになった。ああだこうだ言う連中ももちろんいたけれど、ちょいと撫でてやれればおとなしくなったしね。あたしはいまだに、本当に強い男たちと真正面から戦える強さを持ち合わせちゃいない。でもそれでも、頭はあたしだ、っていう自負くらいはしっかり持ってるつもりだよ。あの人があたしたちに与えてくれた、慈悲と進む道に恥じないようにね」
「……なんだ、慈悲って。あの女、あんたたと真正面から戦って皆殺しにしなかったのかよ」
 吐き捨てるフォルデに、ヴァレンチーナは苦笑しながら足を止め、また手近な灯明に火をつけた。
「まぁ、正直不思議ではあるんだけどねぇ。あの人の逸話を詳しく調べてみたら、仕事を依頼してきた相手の一族郎党皆殺しにしてるとかざらだったし。まぁ噂話みたいなもんだから、正確性は当てにならないけどさ。……でも、だからよけいにあたしたちは奮い立った。この人の与えてくれた、気まぐれなのかどうかは知らないけど優しさに、顔向けできないようなことはしない、ってね」
「…………」
「だからセオ殿、あたしはあんたの勧めてきた話には乗れないよ。そんな急速な変化は、最終的にはうまくいくにしても、途中でいくつの犠牲が生まれるか知れない。それに、あたしらは海賊って仕事に誇りも持っちまってるんだ。海を渡って商売をし、がめつい外道どもとみれば海に叩き落とすか縛り首にして金品を奪う。そういう生活が、たとえ死後地獄に落とされるとわかっていても、楽しくて誇らしくてしょうがないのさ。自分たちは、自分たちにできるやり方で、自分たちの海と女たちを護っている、ってね」
「………そう、ですか………」
 自分の持ちかけた、自分の力を利用して国を創らないかという誘い。それにヴァレンチーナははっきり否≠フ感情を示した。
 それだけ自分たちの積み上げてきた道に誇りがあり――同時に、サドンデスに愛着があるということなのだろう。それこそ、サヴァンと同じように、自分にとってはただ一人の勇者、とすら感じているのかもしれない。彼女にとって、それこそサドンデスは自分の世界を創り上げてくれた人なのだろうから。
 ――自分にとって、ラグたちがそうであるように。
「さ、こいつがそのレッドオーブだよ。そうそう壊れるもんじゃない、ってあの人は言ってたけど……一応、大事にしておくれよ。あたしにとってもそれなりに大事な、思い出の品ってやつなんでね」
「……あんたは、それで……」
「フォルデ。それ以上野暮を抜かすな」
「言いたいことはわかるけど、それでもヴァレンチーナさんは俺たちにこれを渡すと決めたんだ、他人がどうこう口出しできることじゃないだろ。……さ、セオ」
「あ、はい………」
 セオは、ヴァレンチーナが両の手で、それこそ己の心臓を捧げるようにうやうやしく渡してきた紅の宝玉を、そっと受け取った。彼女の瞳は穏やかで、この別れをとうに受け容れているのだと知れる。
 彼女にとっての勇者ではないセオに、大したことができるわけではないのはわかりきっている。だから、せめてもの詫びとしてセオは深々と頭を下げた。自分と交わらぬ道を生きると宣言した強い人に、心からの感謝と敬意、そして彼女たちに不幸が訪れた時には自分なりにできる限り陰から力になろうという決意を込めて。
「―――ありがとう、ございます。本当に」
「どういたしまして」

「――セオ、ちょっといいかい?」
 バルボーザ一家に見送られながら港を出立した日の夕食を終え、後片付けの当番の仕事をするために厨房に向かっていたセオは、ふいに足早に近づいてきたラグに声をかけられた。きょとん、と振り返って首を傾げ、小さくうなずいて答える。
「ええ、もちろん、かまい、ません、けど………?」
 わざわざ俺と話すようなことがなにかあったのかな、と思いつつ向き合ったラグは、少しこめかみを掻きながら言い淀んだが、すぐにうんとうなずいて告げた。
「セオ。君は、魔王を倒した後……まぁ君の思う通りに事が運んだらうまく説得できたらってことになるわけだけど、どうするのか、もう決めているかい?」
「え?」
「まだちゃんと聞いたことがなかったな、と思ってさ。魔王征伐後の人生をどんな風に送っていくかって計画は、もう立ててるのかい?」
 小首を傾げ、予想していなかったことを問われた戸惑いに目を瞬かせながらも、セオはこくんとうなずく。
「いえ……あんまり、ちゃんと、した計画は。目の前、のこともきちん、とできていない、のにその先、のことを考え、るのって、ちょっと、思い上がってない、かって気が、してますし」
「まぁ……そうとも言えるけど。それでもざっと考えてはいるんだろう? できれば聞かせてほしいんだけど……」
「……ええと……俺としては、神々から、の依頼を知らされた、時から、俺たちの行動、に横槍を入れられない、ためにも、魔王征伐の手柄、って国家機関が考える、ようなもの、をアリアハン、という国家に利用、されるのを避け、るためにも、ダーマの『民間支援顧問』、っていう勇者、の役職を目指せない、かって考えてた、んです」
「ああ、それはサマンオサでも聞いたな」
「はい。それに、民間支援顧問、は本当に、人を救う、っていう目的のため、なら世界のどこに行く、ことも許される、みたいですし……もちろん呼び出され、たらすぐにダーマに迎える、よう準備して、なきゃならない、んですけど。勇者の力、を一番有効活用、できるかな、って……」
「…………」
 ラグは眉根を寄せ、はぁ、と小さくため息をついた。もしかしてなにか自分が間違ったことを言ってしまったのだろうか、と心臓を縮み上がらせ硬直したセオに、ラグは慌てたように首を振る。
「ああ、いやセオ、別に怒ったわけじゃないよ。ただ……もしかしたら、君がそんなようなことを言うんじゃないかって危ぶんでいたその通りのことを君が言ったもんだからつい」
「あ、の……俺は、なにか………間違った、ことを言って、しまった、んでしょうか………」
「いやいやそんな顔しなくていいから、本当に怒ってるわけじゃないし! ただその……君は、やっぱりまだ、自分にとっての幸せを追求するようにはなってないんだなぁって思っただけなんだよ」
「え?」
 またきょとんと首を傾げるセオに、ラグは苦笑して説明する。
「なんていうか、その……ううん、そうだな………そう、サドンデスについての話を、バルボーザ一家のアジトであれこれ聞いただろう?」
「はい」
「その中でね。ふと、疑問に思ったんだ。セオ、君にも、サドンデスに共感する部分がもしかしたらあるんじゃないか、って」
「え………」
「君が粗暴だとか傲慢だとか気に入らないことがあればすぐ手を出すような人間だとか言ってるんじゃないよ、もちろん。ただ、なんて言えばいいかな……サドンデスは、本当にその、人がましい部分があんまりない存在だって思ったんだ。彼女の言動だけじゃなく……彼女の大切にしているものとの触れ合い方、みたいなのを見るにつれ。人でなしの究極、なんて言われてるのに、そういう一面はあるなってうなずけちゃうくらいに」
「………はい」
「で、今回、サドンデスと向き合う君の姿を見て、思ったんだ。君の中に、サドンデスに共感する部分はないんだろうか、ってね。人であることを、人として生きていくことを捨てようとする部分はないんだろうかって」
「………はい………」
「もちろんこの人を捨てるっていうのは戦闘能力や人としての優しさについてとかじゃないよ。人としての……まぁなんていうか、我欲って言ってもいいような、自分の幸せを追求したり優先したりする気持ち、みたいなものさ。勇者には必要とされないような、ただの人の部分……そういうものを、まだ君は、持とうというところまで行っていないんじゃないかな、って危ぶんだんだよ」
「…………はい…………」
「仲間とはいえ、俺たちは他人と言ってしまえば他人に過ぎないから、こんなことを言うのは傲慢と思われるかもしれないけれど」
「そんな!」
 顔面蒼白になって勢いよく顔を上げるセオに、ラグは優しい笑顔を向けた。『大丈夫、わかっているよ』とでもいうように。
「俺たちは君が、自分の幸せを求めるようになってくれないかなって思ってるんだよ、セオ。今は勇者の力がなければそれこそ世界が滅びる可能性もある状況だから、君の人としての幸せを後回しにしろっていう声も大きいだろうけど……本来、そんなことを言う権利なんて誰にも、それこそ神々だって持ってはいない。もちろん、君自身だって、そんなことを言っちゃいけないと思う」
「……………」
「レウは、勇者ではあるけれど、そういう面ではあまり心配してないんだけどね。サドンデスの言葉で言うなら喜≠フ勇者、だっけ? 人としての気持ちと幸福の先に世界を護ろうって気持ちがあるなら、勇者であり続けたとしても幸せになっていけると思う。勇者の力を失ったとしても……俺たち大人がきちんとあの子を守り育ててやれれば、ちゃんと生きていくことはできると思うんだ。世界の危機なんてものがなければ、勇者の力は絶対必要なものってわけじゃないしね」
「……………」
「セオ。俺たちは、君に幸せになってほしいんだよ」
 ラグは、いつもの優しい笑顔で、柔らかく穏やかな口調で、そう告げた。
「人間として、まず自分で自分を助けようって考えてほしい。自分を進んで損なおうとするのは、君はやめてくれたけど……自分を幸せにしよう、とはまだ君は考えてくれてない気がしたんだ。サドンデスの言葉を聞いて、考えたんだけど」
「……………」
「まだ魔王に対処してもいないし、神だの神竜だのって輩の面倒ごとも終わっていないから、君の勇者の力が失われると困ることになるっていうのはわかってるんだけど……それでも、君が自分の幸せを捨てるなんてことは俺はごめんだし……それに早めに言っておかないと、世界を救うために君が命を捨てる、なんて結末を引き起こしかねないような気がしてさ」
「それ、は」
「だからセオ。考えてみてくれないか。魔王をなんとかした後に、神々と神竜の依頼を終えた後に、なにがしたいのか。自分が幸せになれる道はなにか。自分なりの幸福を手に入れる手段ってやつを。ゆっくりでいいから。君がどんな道を選ぶにしろ、もちろん俺たちは全力で協力させてもらうけど……君が幸せになれない道をわざわざ選ぶんだったら、力づくで捻じ曲げてやろうって気持ちでもあるんだから、さ」
 そう優しく笑って、ラグはぽんぽんとセオの頭を叩いて踵を返す。
「それだけだよ。ごめんね、時間を取らせて」
「あ、っ、ラ―――」
 なんとか言葉を発しようとしたけれども、声が出ない。ラグはそれをわかっていたかのように、こちらを振り向くことなく通路の向こうへ消えていった。
 セオは口をぱくぱくとさせ、唾を何度も呑み込み、必死に言葉を探す。けれど、答えとなる言葉はどうしても頭に浮かんでこなかった。
 自分の幸福。幸せになれる道。そんなものを求めろと言われたのは、これが初めてだった。魔王と向き合った後の自分の人生を幸せに生きる方法を考えろ、なんて今の自分には果たしようのない課題を言い渡されたのは。
 幸せになってほしい、と告げられたことならばある。他ならぬラグたち、仲間たちに。あの優しい人たちに、自分の幸福を望んでもらったことならば。
 けれど、自分で幸せを探し出せ、というのは。どうすればいいのか、どう探せばいいのかまるでわからなかった。そんな課題は、セオにしてみればあまりに、分不相応な気がしたのだ。
 自分は、今この時、例えようもなく幸せで。仲間と共に旅をしている時間が、仲間のために力になれる機会が、たまらなく嬉しくてしょうがないのに。
 その先を、それ以上を望めなどというのは――あまりに、思い上がった話ではないだろうか。
 だって、自分は殺したのに。そして今も殺しているのに。これから先も殺すのに。仲間たちのために、自分の望みのために、殺して殺して殺し続けるのに。
 自分の力で幸せになる方法などというのは、あまりに身の程知らずで、傲慢な――
 深く深呼吸をして、セオはゆっくりと首を振った。今は今果たすべきことを考えよう。ラグは、ゆっくりでいいと言ってくれたのだから。これから先、どれだけ時が経とうと見つけられる気はしないけれど――考えに沈んで時を無駄にするようなことは、それこそ今の自分には許されないのだし。
 とりあえず、夕食の後片付けをしよう、とセオは厨房に向かい歩きだした。どうしよう、どうすればいい、と頭は絶えずぐるぐると混濁していたけれど、それでも今は、体を動かすことはできるのだ。

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