ランシール〜ブルーオーブ――1
「え!? 年が明けた時も宴会すんのっ!?」
 きらきらと瞳を輝かせ、勢い込んでそう訊ねるレウに、セオは少し戸惑いながらもうなずいた。
「……うん。宴会、って言っても、みんなでちょっと、頑張って手間の、かかった料理、をいっぱい、作って食べようっていうだけ、なんだけど」
「じゅーぶんすっげー宴会じゃん! ひゃっほぅ、やったぁっ! うまい飯いっぱい食えるーっ!」
 心底嬉しそうに万歳をするレウに、隣に座っていたフォルデがぴしっと額を小突く(今のように食事をしている時も、会議の時も、自分たちの座る席は固定されていないのだ)。
「てめぇ勘違いしてんじゃねぇぞ。客扱いされるわけじゃねーんだ、てめぇもしっかり自分の食う飯の分くらいは働いてもらうからな」
「え! で、でもさ、俺うまい飯とかどー頑張ったって作れねーしさー、飯の分働くっつってもあんま役に立てねーと」
「そういう問題じゃないだろ? 客ってわけじゃない以上、自分の食べる分の面倒は自分で見るのが当たり前じゃないか」
「今は全員で食事当番を回してるが、お前は今のところ雑用担当だろう? ならこういう時も働いてもらわんとな」
 ラグとロンがあっさりと言うのに、レウはううう、と唸った。レウはこれまでずっと食事の支度の手伝いをしてくれているのだが、やはり本人が家事全般をあまり好んでいないせいか、上達進度は順調とは言いがたく、まだ一人で食卓を整えられる段階には至っていない。
 レウ自身はそれをまるで気にしていない様子だったので、うるさく口出しをするのもよくないかと思い見守る姿勢を取っていたのだが、やはりこういう時には面白くない思いをするのは当然だろう。やはり繰り返し注意して教育すべきだったか、いや本人が望まないというのに無理やりやらせても、とこれまで幾度も繰り返してきた心内論戦を再試行している横で、仲間たちの話はどんどん先に進んでいく。
「現在位置からすると、おそらく年明けはランシール滞在中に迎えることになるだろうな。試練とやらにどれだけ時間がかかるかはある程度ズレがあるが、たぶん一週間よりもかかるということはない。試練を終えて、数日休息を取れば、ちょうど年明けというところだろう」
「つかよ、その試練ってマジで今もやってんのかよ。達成すりゃ欲しいものをなんでも一つ手に入れられる、だなんぞフツーに考えて駄法螺でしかねぇだろ」
「うんうん、確かに。それにそのなんでも手に入れられる権をさ、ブルーオーブってのに使っちゃって、ホントにいいの? なんかもっとこー、すっごい武器とかにした方が魔王倒す役に立つ気がすんだけど」
「お前らな……もう何度も話し合ったことだろうに。ロンの賢者の力で、現在も試練は変わらず行われている、って調査結果が出たことはちゃんと知ってるんだろう?」
「俺はその賢者の力ってもんをそもそも信用してねーからな。普段は便利に使えてたとしても、いざって時にこっちに不都合になるような細工を神どもがしてねぇとも限らねぇ、っつーかしてると考えるのがフツーだろ」
「それはまぁ、否定はできないが。それでも今この状況で、神さまたちがそんな手を使ってくるとも思えないだろ」
「神どもの考えなんぞ俺の知ったこっちゃねぇが、それでもあいつらが無駄に面倒なもって回った手口が好きらしいのはわかるからな。俺たちの想像もしてねぇようなところで妙な罠を仕掛けてねぇとも限らねぇ」
「……まぁ、それも否定はできないが。いちいちそんな風に相手がどう動くか神経質に探ってたら、俺たち自身の動きも鈍るだろう? 相手の動きばっかり気にして動けなくなるより、罠を仕掛けてくる可能性は頭に入れておくとしても、むやみに気にしないようにしておく方が精神衛生上よくないか?」
「は? 気にしねぇようにしとく方が面倒だろ。いつどこで裏切られるかもしれねぇ相手に、ちっとでも気ぃ抜いたとこ見せるなんぞ馬鹿のするこったろーが」
「戦士と盗賊の考え方の違いだな。最終的には腕力に訴えることを前提として、自分の状態を少しでも良好にしておこうとする戦士。裏切る裏切られるといった手口を危険管理の一環として、最終的な結果に至る前に少しでも状況を有利にしておこうとする盗賊。目的意識が違えば方法論も違ってくる好例だな」
「んー、よくわかんないけど、よーするにどっちの方がいいの?」
「その人間の好み次第というところだな。本人に向いていない考え方をしようとすると、無駄に疲れるし隙も作りやすい。ま、自分の考えたいように考えればいいんじゃないか、どちらも間違ってはいないんだから」
「……そりゃそーかもしんねーが、お前に言われるとなんかイラッとくんな」
「ま、なんにせよだ。普通に考えて、まだランシールでは試練は行われてるんじゃないか? 一般的に知られてる話じゃないにしろ、俺が以前ランシールに行った時にはやっていたし。有史以前から続いてる宗教行事なんだ、たとえ呪がかけられているにしろ、廃止になったんなら少なくとも教会や神殿内では少しは噂になるはずだが、バハラタでもそんな話はまるで聞かなかったしな。試練を乗り越えた時の報酬に関しても、だ。それがランシールの大神殿が所有する宝物を一番穏便に掠め取れる方法だってことは何度も説明しただろう?」
「んー、けどさ、神さまがなんでも自分の好きなものくれるんだろ? こーいう時にしか手に入らない、なんかすげー武器とか手に入れといた方がよくねー? ブルーオーブって、普通に神殿にあるもんなんだろ?」
「馬鹿かお前。そんなもん手に入れたら、それこそ神どもに好きなだけ罠仕掛けてくれっつってるようなもんだろーが」
「まぁ、確かにな。神々がどんなことを考えてるのかわかってるわけじゃないが、だからこそ隙を作らないに越したことはない」
「そうだな。オーブに関しては完全に人間が管理している宝物だから、そういった面倒ごとは仕掛けにくい。それに、以前この話をした時セオも言っていたが、オーブと霊鳥ラーミアは、起源自体は精霊たちの国に生まれた自然物だ。精霊神ルビスとの関わりで霊鳥、神鳥と呼ばれるだけの霊格を備えたにしろ、神々の思う通りに自在に操れる、という類の代物じゃない。素直にオーブを手に入れておくのが一番面倒が少ないと思うぞ」
 そんな話を聞きながら、セオは(心内論戦を繰り返しつつ)ランシールの大神殿の試練について話した時のことを思い出していた。あの時も、レウは試練の報酬を強力な武器にしたい、と主張していたのだ。
「ランシールの大神殿では、有史以前……つまり、ダーマで現在の人類に文明が生まれる以前から、ずっと行われている試練がある。そうだな? セオ」
「はい。その試練を乗り越えた際の報酬として、ブルーオーブを請願したいと考えているんです」
 バルボーザ一家の港を出立して間もなく、セオはロンと一緒にあらかじめ話し合っておいたこと――ブルーオーブを手に入れる方法について仲間たちに説明をした。アリアハンにいた頃から一応調べていたことではあったのだが、旅に出た後あちらこちらの王宮やダーマ神殿の書庫を漁り、より詳しい情報を手に入れることができていたのだ。
「試練? って、なんの」
「あの。俗に、地球のへそ≠ニ呼ばれる、巨大な岩山に囲まれた砂漠、の中心にある洞窟、があるんですけど。そこは、古代帝国の発祥以前から存在した、神々の創り出した試練場、と言われている場所なんです。魔物も当たり前のように出てくるその洞窟を、一人で最奥まで探索することで、踏破者は、どんな物でも自分の望む物品をひとつ手に入れることができる、と」
「へー………え! どんな物でもって、ホントにどんな物でもっ?」
「試練を越えた者の想像が及ぶ限りは、どんな物でも、だそうだよ。この試練を越えて、どんな病でも治せる薬や、どんな呪いも祓える呪具を手に入れたっていう人の記録は、今も残ってる」
「……うっさんくせぇな。そんなうまい話あるわけねぇだろ、普通よ。そもそもそんな奇跡じみたことが起きる試練なんぞ、どう考えたって噂にならねぇわけがねぇのに、盗賊の俺でもそれっぽい話すら一度も聞いたことねぇぞ」
「それは、おそらくこの情報に対して、噂という形で情報が伝播するのを防ぐ呪術、のようなもの、がかけられているからだ、と思います」
「呪術だぁ?」
「はい。ランシールの大神殿と、試練のための地球のへそ≠創り上げたのは神竜らしいんです」
『…………』
「はぁ!?」
「え、なにそれ、ホントに!?」
「セオ……それは間違いのない情報なのかい? だとしたら、いったいなぜそんなことを……」
「えっと、絶対的に間違いなし、というほど確度があるわけじゃないんですけれど。アリアハンをはじめ、たいていの王宮の書庫に収められた書物では、『神々の一柱が』とか『人に試練を授けることを是とされる神が』というように、具体的な名称を書いていませんでしたから。ただ、基本的に『試練を与える→試練を果たす→褒賞を与える』という過程をよしとする神が古代帝国時代より前に創り上げた、というのは確かなようでした。どこの書庫の書物でも、そういった記述は共通しています」
「お……おう」
「そしてドラゴンという存在についてなんですけれど、ドラゴンの多くは、宝物の類を自分の住処に溜め込む習性を持っているようなんです。魔物となったドラゴン種においてもそういった習性の報告はされていますし、神話の類になってしまいますが、ノアニール地方やアッサラーム地方、エジンベアのあるブィットゥン島などに残っている邪竜の伝説でも、ほとんどの場合ドラゴンは宝物を溜め込み、それを奪わんとする者あらば目の色を変えて攻撃行動に出る習性を有する者として描かれています。これはそもそもドラゴンが神話的に言えば悪、ないし混沌に属する者であり、神や神の遣わした勇士といった正義、ないし秩序の象徴によって駆逐され、溜め込んでいた恵みを人民に還元する、という役割を負わされているから、ということもあるのでしょうけれど、サヴァンさんの言っていた『ドラゴンはこの世界において最強種と定義されている存在』という言葉を信じるのならば、そもそも種族的にそういった習性を有し、少なくともある程度の割合で周囲の存在から宝物を奪う、という行動に出る者が存在していたから『悪と混沌』という役割を課せられたと考える方がわかりやすいと思うんです。種族全体が、とは言わなくとも大半が秩序をよしとする理性を有しているならば、上位者、庇護者として描かれることの方が多くなるでしょうから」
「う、うん………」
「この神話における傾向には神竜の存在による影響もむろん無視できませんが、むしろこれはそもそも神竜自身が宝物を溜め込む習性を有していたのではないか、と考えた方がいいと思うんです。ドラゴンという存在に『悪と混沌』という烙印を押したかったにしろ、討伐されることで宝物という恵みを人々に還元する、という役割は、混沌と常に戦い世界秩序を構築することを是とするであろう神々には思いつきにくいのではないか、と。混沌という存在に少しでも正方向の印象を与えることを喜ぶ印象は、少なくともこれまで見聞きした神々の存在からは受けませんでしたから。そして、ドラゴンにまつわる伝説の中には、ドラゴンを討伐することで宝物を得るというものと同様に、ドラゴンの課した試練を乗り越えることでその宝物を授かる、というものも多いんです。ダーマ近辺からガンドル地方にかけて――そして、ランシール島全域に、そういった伝説が特に残されています。……あ、自治都市としての名前と、島としての名前が同じランシールなのは、ランシールという統治地域そのものが島全域に及んでいること、かつその上でその統治基盤そのものが大神殿に拠っているせいで、過去のランシールの人々が二つを区別する必要を認めなかったせいだろうと言われています。彼らにとって、ランシールという島は世界のすべてであり、大神殿によって治められる国家でもあったのだろう、と」
「…………」
「そういった考えを下敷きに改めてダーマ神殿の書庫を調査してみると、『ランシールの試練を創出した猛き神』『この上なき力を有する神がその力もて集めし宝物』『試練を給うがその神の習い』『試練を乗り越えし者に恵みをもたらさんとするその神の御心において』といった、神竜がランシールの試練を創り上げた傍証、そうとまでは言わなくともその示唆となりうる記述が合計百二十五箇所も見つかりました。これは無視できない数字ではないかと思うんです。ランシール大神殿の記録や口伝を精査しなくてははっきりしたことは言えませんが、少なくとも神竜の影響が存在する、というのはかなりの割合で事実なのではないか、と。それに傍証として、フォルデさんも言われたように、ランシール大神殿の試練についての噂は文明社会にほとんど広がっていない、ということが挙げられます。ですが、文献にはきちんと記述されているのに噂として周知のものとなることがない。噂がほとんど広がっていないのにも関わらず、ランシール大神殿の試練を受けようとする人間はどんな時もかならず一定数が存在し、記録にも残されている。おそらく噂として広まらないように、それでいて必要な人間には情報が届けられるように、人間の意識等を操作しているのでは、と考えられるんです。さっき呪術のようなものと言いましたが、一般的に知られる、人間の扱える呪術では、こんな世界規模の情報操作をするのは不可能と言っていいと思われます。ならば神による世界法則の改定が行われた可能性は非常に高いと言わざるを得ません。ならば、それを為した可能性が一番高いのは、この上なき力を有する猛き神、試練を乗り越えた者に溜め込んだ宝物を下賜する種族的習性を持つドラゴン、すなわち神竜。……ではないか、と思う、んです、けど………」
『………………』
 セオがおずおずと推定で話を結ぶと、ラグとフォルデは深々とため息をつき、レウは難しい顔で首を傾げた。思わずはっとして、泣きそうに顔を歪めながら必死に問いかける。
「あ、あのっ、なにか論理的な誤謬とか、ありましたかっ? なにか調べ漏らした記述があったとかっ……」
「ちげぇっつーの。……まぁお前のこーいうとこが旅立つ時から変わってねーのは知ってたしな……」
「うん、まぁ……セオらしいよ。うん」
 ラグはそう言って苦笑し、フォルデはは、と再度息を吐いて肩をすくめる。レウは難しい顔を崩さないまま、さらに首の傾げ加減をさらに深くして問うてきた。
「セオにーちゃん。あのさー、俺よくわかんないんだけど……それ帳面に書いといた方がいい? 後で詳しく教えてくれる?」
「え……」
「いや、そんな必要はまったくないな。セオは単に『神竜がランシールの試練を創ったのはたぶん本当だと思う』ということを説明していただけだ」
 ロンが笑みを含んだ声音で言うと、レウは逆方向に首を傾げて再度問う。
「え、でもさ、セオにーちゃんがそれ説明したってことは、覚えといた方がいいことなんじゃないの?」
「別に覚えておいても損はないだろうが、あんまり得もないぞ。セオに劣らないくらいには種々の学問に通じていなければ、ちゃんと理解することもできない話だからな」
「そっか! じゃー覚えなくてもだいじょぶだなっ!」
 セオがえ、そんな大した話はしていないのに、とおろおろするのをよそに、レウは明るい顔になった。ロンはそれに笑顔でうなずいて、説明を続ける。
「まぁそういうわけで、それなりにその試練という代物の信憑性は高い。ランシールの大神殿はおそらく古代帝国時代以前から存在し、明確に報酬のある神の試練というものの神威と権威によって独立性を保ってきた、らしい。つまり、ダーマ神殿を源流とする、現在の神殿や教会とは断絶している……要するにコネが使えんということなのさ」
「え、コネって?」
「ダーマに連なる場所なら、セオという勇者や、賢者である俺を優遇しようとするダーマの意をはばからないわけにはいかない。そうでなくとも、国家としてダーマに認められているならばダーマと喧嘩しないようにはするだろうし、国家に所属する勇者を粗雑に扱うことも避けるだろう。が、ランシールは国じゃない。ランシール大神殿の権威に基づく、自治都市という位置づけなのさ」
「……えーと……どーいうこと?」
「ダーマに認められることで地位を確立する普通の自治都市とは違い、『ランシールの大神殿』、すなわち神さまが試練という名の加護を与えた場所≠ニいった、『昔からなんとなくありがたがられているから喧嘩を仕掛けないようにしよう』みたいな理由で太古の昔から自治都市としての安寧を護り続けてきた場所なんだ、ランシールは。大きさのわりに砂漠部分や密林部分が多く、耕地に向く土地が少ないから、費用対効果を鑑みて侵略する魅力が少ない、という実利的な側面もあるにしろな。アリアハン大帝国も、ランシールからは恭順を引き出しただけで侵略はしなかったくらいでな。……要するにだ、ランシールとその大神殿はダーマと仲が悪いから、ダーマと仲良しの俺たちがあれこれお願いをしても、意地悪をして聞き入れてくれないんじゃないか、と思うわけさ」
「あ、なるほど! すっげーよくわかった!」
 レウは大きくうなずいて理解を示し、フォルデはふんと鼻を鳴らしながらもなぜか安堵したように息をつく。ラグも同様に息をつきながら眉尻を下げ、ロンに向けて問いかける。
「そんなにダーマと仲が悪いのか? 俺はランシールには、商船の護衛としてしか行ったことがないからあまりよく知らないんだが……」
「あからさまに喧嘩をしている、というわけではない。どちらも曲がりなりにも宗教団体だからな。が、賢者というおそろしく強力な人的資源を背景に、文明社会全体に強い影響力を持つダーマに対し、太古の昔から神の試練という名の加護≠ニいう権威だけを頼りに、十年一日のごとくごく一般的な宗教活動を、自治都市の範囲内で行っているだけのランシールが、好感情を持つ方がおかしいと思わんか?」
「……確かに」
「神だなんだって寝言抜かしてる奴ほど、実際にはくっだらねー妬みだの嫉みだのに溢れてんのがフツーだからな」
「ま、ダーマの方が宗教の原理的な部分から大きくはみ出しているというのも確かだがな。だが現代の文明はダーマから興ったのも間違いのない事実だ、それを知っているからこそランシールも面白くない想いが鬱積するんだろうよ」
「へー………あれ? なー、古代帝国時代の人間って、一人残らず死んじゃったんだよな? で、ダーマで賢者が出てきたから、文明? ってのができたんだろ? なのになんでランシールの人たちってダーマと仲悪いの?」
「文明が興る前から、現人類は世界中にいたんだぞ? 当然ランシールにもいた。そして、文明をいまだ有していない人類にとって、ランシールの大神殿はそれこそ神の住まう場所に見えたのさ。遺跡の一種ではあるんだが、おそらくは神の力でまるで風化することのない巨大建築物なんだ、当然人は集まってくるしそこに向け祈りを捧げもする。ダーマから賢者が訪れるまで、それこそ大神殿こそが世界の中心、という意識と矜持を蓄えてきたはずだ。賢者が訪れた後でさえも祈る対象はやはり神の創り出した建築物たる大神殿だったろう。それをずっと積み重ねれば、ダーマへの対抗心なんぞというものも生まれるだろうさ」
「ふーん……で、その試練で、ブルーオーブを手に入れる、んだっけ? あれ、でも、ブルーオーブって元からランシールにあるもんじゃないの? セオにーちゃん前にそう言ってなかったっけ? なのになんでわざわざ、神さまの試練で手に入れなきゃダメなの?」
「あ、うん。オーブはすべて基本的には、ランシール大神殿に宝物として所蔵されていて、だからこそ悪心を抱いた、神官や僧侶の人たちに盗まれるっていうことも、あったんだけど」
「霊鳥だか神鳥だかの鍵なんだろ、オーブってのは。そんなもんを人間に預けてほいほい盗まれるとか、神どもも間抜けなことしやがるぜ」
「ええと……その。たぶん、ですけど……神々は、ラーミアの復活についてはともかく、オーブについては、あまり重要視していない、と思います」
「へ? なんで?」
「そもそも、起源として、オーブとラーミアは、神々の手によって作られたものではありません。かつて存在した精霊たちの国に生きていた、巨鳥とそれにまつわる鉱石、なんです。代替が効かないものでもないですし、神々にとって重要な役割を果たしているというわけでもないんです。ただ、精霊神ルビスが神となった時に、自分にずっと仕えてくれた一羽のラーミアに、感謝を捧げるために、その願い事を聞いてあげた結果、卵に戻って、いずれ自分の翼を求める人が現れる時まで眠りにつくよう、そして六つのオーブが目覚めの鍵になるよう取り計らっただけで」
「え……いやでも確か、サドンデスがバルボーザ一家の人たちに、オーブは神々が護っている、みたいなことを言っていたと思うんだけど……」
「それは簡単だ。神々にとって、ラーミアというものは、自分たちにとって利益をもたらすものではないが、人間にほいほい使われるというのは嬉しくない代物だからさ。ラーミアの翼は空間を、次元を、世界を超える翼。そんなものを人間が好きに使えたら、自分たちの拠点たる天界の城や、混沌を越えた果ての異世界にも自由に行けてしまうかもしれない。そこからどんな面倒ごとが起きるか考えれば、神々としてはそうそうラーミアに目覚めてほしくはなくなるだろうと思わんか?」
「チッ……いっちいちくっだらねぇ小細工しやがるぜ。っつかよ、ならサドンデスがラーミア使ったらどうなるか、みてぇなことは考えなかったのかよ。神どもの腐れきった頭からすると、先手を打ってオーブを壊しておこう、みてぇなことを考えんのが普通じゃねぇのか」
「ま、そういう奴も山といるだろうが……」
「オーブも、ラーミアも、精霊神ルビスにしてみれば身内に当たる存在、ですから。文献が正しければ、ルビスは天界でも相当の発言力を持つ神、ですしそうそうそんなことは言い出せなかった、と思いますし……」
「そもそも、サドンデスの思考体系からして、神の身内の力を借りて神を殺しに行く、なんぞという撞着した真似はせんだろうさ。一応ラーミアには、心の正しい者しか乗れないという伝説もあることだしな」
「その伝説の真偽はわからない、ですけど、少なくとも俺たちのように、魔王と接触するための移動手段としてラーミアを使おうと考えるならば、普通に考えて神々が横槍を入れる必要は、ありません。もちろん、神々には魔王について、まだ詳らかにしていないことがあるわけですから、絶対にありえない、とも言えないですけれど……」
「まぁともあれ、だ。ブルーオーブは人様の所有物で、持ち主にはコネも金も利きそうにない。尋常な方法で手に入れることがまずできなさそうである以上、ランシール大神殿の存在意義でもある試練を乗り越えて手に入れるのが一番手っ取り早く、確実な方法だと思ったわけさ」
「ふぅん………」
 その時はとりあえず納得した顔をしてくれたのだが、後でラグもフォルデもレウも、それぞれにセオに問いをぶつけてきた。フォルデは「本気でそんな偉そうなやり口に乗っかるつもりなのかよ」「俺が盗み出しゃあ済む話だろーが」と苦虫を噛み潰したような顔をして言ってきたし、ラグは「あんまり無理はしない方がいいんじゃないか?」「洞窟を踏破するだけの試練ってわけでもないんだろう、一人で援護なしに突っ込むのは少し無鉄砲じゃ……」と眉根を寄せた。そしてレウは直截に、「セオにーちゃんが一人で試練受けるって、だいじょーぶなの? 危なくない?」と心配を言葉にして表してくれた。
 つまるところ、試練についてあれこれと仲間たちが不平を鳴らすのは、セオが「俺に試練を受けさせてください」と主張したからなのだろう。自分が言い出したわがままに、本当に一人で大丈夫なのかと心配してくれているのだ。
 心配をかけてしまったことには、もちろん胸が焼けそうに痛くなるほどの、全身の血が逆流しそうになるほどの、申し訳なさを覚えずにはいられない。でも、それでも、セオはこの試練を受けたいと思ったのだ。
 今の自分が、アリアハンにいた頃より少しでも成長できたとするならば、それはすべて仲間たちの恩恵によるものだ。仲間たちがセオを気にかけてくれて、大切にしてくれて、間違った時に道を正そうとしてくれて、自身傷つきながら想いをぶつけてきてくれたから、少しでもそれに応えようと思うことができたのだ。
 ならば、一人になった時の自分はどうなのか。むろん旅の中で一人になり、単独で厄介事を解決する羽目になったことは一再ならずあるが、わざわざ条件として『一人で洞窟を踏破する』ことを挙げている以上、この試練は一人であるがゆえの弱点を衝いてくるような試練を課してくるはずだ。
 自分は、それを乗り越えたい。少しでも仲間たちが与えてくれた想いにふさわしい自分になりたいのだ。少しでも仲間たちに、もらったものを返したい。強くなって、どんな試練も簡単に乗り越えられるようにならなければ、自分の手足で世界を支えられるようにならなければ、仲間たちは――優しいこの人たちは、きっと、どんなに自分がお返しをしたいと思っても、『まず自分の面倒を看ろ』と言ってくれてしまうと思うから。
 だから、頑張ろう。そう心の中で再度気合を入れたセオに、仲間たちはそれぞれ、いろんな意味を込めた視線をちらりとくれた。

『おらっ、お前ら甲板出てこいっ! 目的地、ランシールのお出ましだっ!』
「わぁっ!」
 ロンと室内で稽古(呪いとかをかけられた時のためのせいしんたんれんとかで、座ったまんま気迫で押し合いをする、難しくて疲れる稽古だったのだ)していたレウは、フォルデの艦内放送に勇んで飛び上がり、部屋の外に飛び出した。一気に甲板に駆け上がり、舳先に立つ。
 平面であるこの世界には、神さまの決めた視界の届く範囲というのが(視力による差はあるにしろ)きっちり定められているらしい。途中で山や建物に遮られている場合のみならず、海面のようななにもない場所でも、その範囲内にまで近づかないと、どんなに大きな陸地だったとしてもまるでなにも見えない。だから鷹の目の使える盗賊などの職業は、旅人や航海者に重宝がられているのだそうだ。
 そしてフォルデは鷹の目を使わなくてもパーティの誰よりも目がよく、注意力や集中力も高い。だからこういう風に新しい陸地を一番に見つけるのもたいていフォルデだ。そして、長い船旅の中で、なにが一番嬉しいかといえば、やはり新しい陸地を見つけた時なのだ。レウは舳先から満面の笑顔で魔船の向かう先を見つめ――あれ、と首を傾げた。自分の隣でランシールの島を見つめるセオに、思わず問いかける。
「なーなー、セオにーちゃん」
「え、えと。なに?」
「なんかさー……ここの港、すっげーちゃっちくない?」
「え、えと。それは……」
「ランシールは自治都市だ、と前に言っただろう。おまけに一つの島をまるまる収める、宗教関係の自治都市だ。普通ならここは海商の要にもなりうる場所だが、基本食料供給をはじめとした生活の環がひとつの島内で完結してしまっているからな。その上宗教都市として道徳教育だけは盛んなんだ、交易で儲けようと、がんがん攻めていく人間があまりいないのさ。おまけに、田舎の習いとしてよそ者に対する目は厳しい。商売がやりにくいことこの上ないんで、ここに来る交易船は、たいてい水と食料を入れ替えるぐらいのことしかしてないんだよ」
 自分の後についてやってきたロンがそう言うと、セオは困ったように眉を寄せながら言葉を添えた。
「……この島は、気候がどちらかというと、厳しいから、水も食料も、余っているということには、ならないし。そもそも人口が、あまり多くないから、農地を耕して、家畜を育てるだけで、仕事の手が埋まってしまうらしくて……この島特有の産物というのも……ないわけじゃないんだけれど、あんまり気軽に外に出せない代物で……」
「んーと、要するに、ここって船があんまり行き来したりしないんだ?」
 そう問うと、セオは困った顔をしながらも、こっくりとうなずく。
「俺が聞いた話では、だけれど。交易が盛ん、とは言い難い、のは確か、みたいだよ」
「ふぅん……」
 レウはまた首を傾げる。レウのこれまでの船旅の経験からすると、まぁ確かにここの港は地形的にはあんまり良港とは言えなさそうだが(見渡す限り海と陸地の境がなだらかな砂地で、船が入りにくそうだ。遠くに山脈のようなものは見えるが、港近辺には波や風を遮るようなものがない。それに見た感じでは、海底もみんなさらさらの砂地で錨をかけるのが難しそうだ)、これまで見てきた港のほとんどが交易のために必死に環境を整えようとしているところばかりだったので、少し変な感じがした。
 まぁいいや、とレウは気を取り直す。どんなところであれ新しい土地のことを知れるのは嬉しいし、面白い。それにここは試練なんていうものがあるんだから、気合を入れなければ。
 ――レウは当然のように試練を受ける気満々だったので、仲間たち全員が心配しながらもセオを試練に向かわせることを受け容れていることも、自分が試練を受けたいと言えばセオよりさらに強い反対を受けるだろうことにも、まるで気づきも考えもしていなかったのだ。

「……ちゃっちぃ街だな」
「フォルデ」
 正直な感想に短く注意をしてくるラグに、フォルデはふん、と鼻を鳴らした。単に『昔からなんとなくありがたがられている』というだけの存在理由にあぐらをかいた、怠け者と言うのも生易しいような連中の作った街に、いちいち気遣いなんぞしてやる気はない。
 実際、ランシールという街はフォルデの目からするとちゃちでちんけな街だった。波止場が二つ三つあるのがせいぜいという小さな港から、靴≠ナ二、三日ほとんどが砂漠と草原、という肥沃とは言いがたい道を歩いた先の、森に囲まれたさして大きくもない街だ。
 大神殿とやらに街が付属しているからか、森の木々と入り混じるようにして建物が建てられていて、人によっては『自然と街が調和している云々』と喜んだりするかもしれない。だが盗賊であるフォルデの視点から見るならば、並んでいる店はどれも小さく、住人はほとんどが農業林業に従事しているだろう顔つきで、誰もが十年一日と変わらぬ生活を当然のことと考えているだろうことが見て取れ、どうしても苛立ちに奥歯を噛み締めずにはいられなかったのだ。
 別の国では魔物に支配され、山ほど国民が殺されたりもしているというのに。それはこの街の人間には関係ないだろう、という言葉には反論する気はないが、いずれ自分の足元に火がつくことを考えようともせず、周囲の状況を知ろうともしない連中というのは、フォルデにしてみれば不快な相手だ。
 そんな風に苛々しながら街を歩いていると、新しい街に来た時はいつもそうであるように、顔を緩めながら、心底楽しげに笑いさざめくレウの相手をして、あれこれ街の話をしてやっているセオが、ふと足を止めた。真剣な顔になって、一軒の道具屋をじっと真剣なまなざしで見つめる。
「……なんだよ。その店になんかあんのかよ」
「え、いえ、あの………はい」
 考え深げに眉を寄せながらうなずくセオに、フォルデも眉を寄せる。こいつがこういう顔をする時は、ことの大小にかかわらず、きっちり聞いておいた方が面倒が少ない。
「なんだってんだ。聞いてやるから言ってみろ」
「いえ、あの………ここでは、ちょっと。少し、場所を変えた、方がいい、と思います」
「……そーかよ」
「え、場所変えるって、なにそれ? あの道具屋、なんか悪いことして――むぐ」
「こら、レウ。人をあからさまに指差すなっていつも言ってるだろ? お店も同じだ、店に向けてそんなことしたら、その店にいる人たちみんなが指差されてる気分になるじゃないか」
「ま、少し離れたところで盗聴防止の呪文を使うから、それまで待て。もともとの人の数がそれほど多くないんだ、往来で騒いでいたら目立ってしょうがない」
 言われるままに、全員揃って店から足早に離れたところで、ロンが一言二言呪文を唱える。いいぞ、と合図してくるのにうなずくや、レウが勢い込んで訊ねた。
「なーなーセオにーちゃんっ、さっきの道具屋ってなんだったの? なんか変なことしてるの?」
「変なこと、というか……実際に、見るのは初めて、だったから、少し気になった、だけなんだけれど。……あそこは、消え去り草を販売、しているお店、なんです」
「は? 消え去り……んっだそりゃ?」
「ランシール特産の魔法草を秘伝の製法で処理した粉末、だそうです。体にかけると、レムオルと同じ効果が……一定距離を動くまで、姿が視認できなくなる、んだそうで」
「………はぁ?」
 フォルデは呆れて口を開けた。腹が立ったわけではないが、呆れてものも言えない気分だ。
「そんなもん堂々と売ってんのかよ、ここの道具屋は。普通の街なら犯罪を助長するってんで禁薬になるのが普通だろうによ」
「そうだな。実際そういう指摘を国外から受けたことはあるらしいぞ? きちんとした身分証明のできない人間には売っていない、と突っぱねたそうだが」
「そんで裏では高値で取引されてるってか? しらじらしいにもほどがあんだろ」
「普通ならな。――フォルデ、お前、アリアハンにいた頃、消え去り草なんてものの話をちらりとでも聞いたことがあるか」
 フォルデは眉を寄せながらも記憶を掘り返し、結果出てきた事実に思いきり顔をしかめながらも首を振った。
「いいや」
「そう、消え去り草は、ほとんど、いやむしろまったくと言っていいほど外国に出回っていない。その情報すらほとんど知られていない。たぶんだが、これもおそらく神々が介入しているな。詳しく調べたわけじゃないが、まず間違いない」
「…………」
「そうでもなければ、犯罪行為以外にほとんど使い道のない代物を、何度か文句をつけられておきながら断固として販売し続ける理由がない。視覚しか騙せないし激しく動けば効果は切れるから、魔物や動物から逃げるのにも悪漢から逃走するのにもほとんど使えないんだぞ。曲がりなりにもランシールは宗教都市だ、倫理にはそれなりにやかましいし犯罪は厳しく処罰するのに、ひたすら伝統を守って、大して利益もないのにひたすら育成と販売を続けてるとくれば、それ以外に考えられん」
「……なんでそんなことをしたのか、理由はわかってるのか?」
「さっきも言っただろう、詳しく調べたわけじゃないんだ。……詳しく調べる必要がない、と思ったからな」
「というと?」
「これも神竜がらみらしい、という手応えがあったからさ。今生きて活動しているサドンデスではなく、天界において唯一の竜である神が存在していたころの話ではあるが……それでも自分の前身に関わることなんだ、気に入らない話だったらとっとと叩き潰しているだろう、あの女なら?」
「――いつでも潰せる場所なのにそうしてないってことは、あの人がこの地に在るものにそれなりに理を見出していた、ってことになるわけか」
 納得だ、とラグが肩をすくめるのに、フォルデは苛立ちを込めて舌打ちする。
「俺はあの女の頭をそこまで信用してねーぞ。単にどーでもいいから見逃してたって理由かもしれねぇじゃねぇか」
「え、なんで?」
 レウにきょとんと聞かれて、フォルデは一瞬言葉に詰まる。フォルデにしてみればごく当たり前の事実なのだが、レウにとってはあの女は、完全に心を許せる相手ではないにしろ自分の同属種で、喜んで一緒に稽古ができるくらいには仲がいいと言える相手で――別に気を使ったわけではないが、そこら辺をつつくと面倒なことになりそうだったので、顔をしかめて鼻を鳴らし、それ以上突っ込んだ話をするのはやめた。
「で、セオ。お前があの店やたら気にしてた理由ってのも、やっぱそれ関連なのかよ」
「あ……はい。ちょっと、考えていた、ことがあって。消え去り草、の現物を見れば、わかるかな、って思ったんですけど……」
「ふぅん……俺たちが聞いておいた方がいいことかい?」
「いえ、その、なんていうか。技術的、というか、学術的、な話で……」
 おずおずと答えたセオに、ラグとフォルデは揃って眉を寄せ、レウも難しい顔になって首を傾げた。ロンはくくっ、と笑い声を立てて悪戯っぽく肩をすくめてみせる。
「俺としては興味が湧かないでもないが、とりあえず今話すわけにもいかんらしいな。ことは急を要するというなら、是が非でも話してもらうところだが?」
「あ、いえ! 別にその、そこまで重要な、話じゃないですし。その、すいません……」
「いやいや」
 にやにや笑うロンにふんと鼻を鳴らしてやりながら、フォルデはすいと視線を前に向ける。別にセオに話されるのが嫌というわけではないが、別に聞きたいというわけでもないし、基本セオのややっこしい話は結論だけ聞いていれば済む場合がほとんどだったし、セオが話したいと言うなら聞いてやらないこともないが、話す気がないのを無理に聞きほじる必要はないだろう。セオがあの反応をした時は話を聞いた方がいい、なんていうのは単なる経験則だし。別に嫌っていうわけじゃないが。
 ――などと難しい話を聞きたくないという本心をごまかし、逃げ出してセオの話を聞かなかったことを、フォルデは後に心底悔やむことになる。自分を殴りたくなるほどのしくじりだった。これまでの旅の中で得た経験則はやはり正しかったのだ。
 だが、それをこの時点では、まるで気づいていなかったので。
「魔王なんとかするまで神どもの依頼は保留するっつったのに、なんのかんので行く先々で出て来やがんな、あいつら。目障りだったらありゃしねぇ」
 なんて、呑気に鼻を鳴らしていたのだ。

「おー、でっかい神殿だなー……ダーマと比べれば、やっぱ小さいけど」
 大神殿を前に、そこそこ大きな声でそう言ったレウに、ラグは思わず眉間を押さえつつ「こら」と額を弾いた。
「そういうことを人前で言うな、っていつも言ってるだろう。聞こえたら嫌な気持ちになる人がいるだろうから、って」
「あ、そっか、ごめん」
「ま、ダーマは正直ちょっと頭がおかしいと言われそうな大きさだからな。そういう伝統だから、という理由でどんどん巨大化していく神殿の各区画を無理やりひとつの堂の中に詰め込んでいる。そういう無理を通せるほど、金と技術が余ってるということなんだろうが」
「ロン……お前な、人が言ったことを……」
「心配しなくとも盗み聞き対策はしてある。……で、ランシールの大神殿は、現人類が生まれる前から、いっさい改修や補修をしていない。神によって作られし聖殿に人の手を入れるは不遜、という理由でな。それでこの状態を保っているということは、本当に神が作ったものにしろそうじゃないにしろ、強力な保存の魔法がかけられているのは確かなんだろうさ」
 ひょうひょうとそう言ってのけるロンに、ラグはやれやれ、と肩をすくめる。そういう問題じゃないという自分の言い分を知った上で、あえて堂々と裏技を実演してみせるのだから、実際こいつは質が悪い。
 まぁそういうやり方を否定できるほど、自分もお育ちがいいわけではないが、などと考えつつ、自分も大神殿を見やる。ラグがランシールにやって来た時は商船の護衛役で、商人たちも港町から先には行かなかったので、ランシール島のほぼ中央に位置するランシールの街には来たことがないし、当然大神殿を見るのもこれが初めてだ。
 見た感想としては、まぁ確かにこれなら文明が生まれる前の人々が崇めるだけの迫力はあるかな、というところだった。半ば森と入り混じるように建つ自治都市ランシールの最奥、真冬だというのに青々と茂る木々に囲まれた地に、継ぎ目のない大地からそのまま削り出されたような白石で形作られた荘厳な神殿。来訪者を歓迎するかのごとく大きく開かれた入り口にいくつもの柱が立てられ、その上を鮮やかな緑の蔦が這う。そこを粛々と神官服の人々が行き交い、定められた動きを繰り返す舞のように、しめやかに流れるような動きで訪れる人々を捌き、周囲と気を合わせつつ共に祈りを捧げている。
 その様は確かに一見の価値はあるというか、さして信仰深くもないラグですら厳粛な気持ちにさせられる代物だったが、これからセオをこの大神殿の作り手である神竜の創った試練に送り出さなければならない身としては、正直もやもやとした気分を排しきれない。
 ともあれ、まずは挨拶からだ。大神殿の入り口前まで来ると、ラグは前に進み出て、声を張り上げた。
「失礼! 我々は勇者セオ・レイリンバートルの一行です。ランシールの大神殿の試練を受けるべくこちらにまかり越しました。どうかお取次ぎをお願いします!」
 ざわっ、とその場にいた人々の間にどよめきが走る。神官たちが互いに素早く視線を交わし合い、数人がだっと奥へと走った。残った人々は小声でいくつか言葉を交わしてから、しずしずとこちらに近づき、参拝者の注目を集めながら一礼する。
「皆さま、こちらに。とりあえず、応接室においでください」

 応接室の趣味は悪くなかった。調度は神殿としての節度を崩さない程度に高級感のある、かつ上品なものでまとめられており、白亜という言葉がよく似合う内壁との調和もきちんと考えられている。
 構造としては居住区、ダーマの神殿の分類に拠れば僧舎に当たる場所なのだろうが、見たところ大神殿内は基本的に試練を受けるための場として最適化されているようだ。試練そのものがランシールの統治基盤となるものなのだからそういう扱いになるのもうなずけるが、とにかくおそらく神殿内に人は住んでいない。まぁ年月が過ぎ神殿に勤める者の数が増えれば、普通入りきらなくもなるだろう。大神殿自体には手を入れられないのだから。それに大神殿そのものを神聖視して、そこで寝起きするなど恐れ多い、と考えるのも宗教家たちの価値観で言うなら当たり前のことだ。
 そんな部屋に通され、お茶とお茶菓子を出して、ダーマで言うなら知客に当たる神官は深々と頭を下げて退室する。それを眺めやり、ロンは肩をすくめて言った。
「少し意外だな。監視の目も残さず、あっさり素直に退室するとは」
「ああ、やっぱりそうか。俺もそんな気がしてたんだよな、確信は持てなかったけど」
「? ………どーいうこと?」
「盗み聞きしてる奴や、覗き見てる奴なんかがまるでいねぇってことだよ。近くに誰もいねぇってわけじゃねぇけどな、そーいう奴らはたぶん俺らが誰か呼んだ時のためにそばに控えてる、って連中だろ」
 フォルデが忌々しげに顔をしかめつつ言うと、レウはきょとんと首を傾げて問うた。
「俺もなんかそれっぽいなー、って気はしてたけどさ。でも、それなんか変なの? どっちかっていうと盗み聞きとかされてる方が気分悪くね?」
「いや……まぁ、そうなんだけど……」
「島とはいえ、アリアハン大陸の半分近くの広さを有する領土全体を治める自治都市の、権威の基であると同時に統治に大きな影響力を持つ場所なんだ。神殿と名付けられているとはいえ、もう少し浮世の塵芥をその身に浴びている人たちで構成されているかと思ったのさ」
 だが、気配からしてもここの神官たちには、実戦の経験があるようにも、神官以外の修行をしているようにも感じられない。浮世を離れて修行に打ち込む、言ってみれば一般的な神官そのものだ。ダーマの、よくも悪くもそれなりに現実と向き合うことに慣れた神官たちを見てきた身からすると、拍子抜けした気分が否めない。
「これで都市のみならず、島全体の自治を護ってこれた、というのがある意味恐ろしい気がするな。ことによるとどこかの神が今も積極的に加護を与えているのかもしれん」
「ふーん……でもさ、それって別にどっちでもよくね? 神さまが護っててもそうじゃなくってもさ。どっちでも、悪いことしてなくて俺たちに親切にしてくれる方が嬉しいじゃん」
 あっけらかんと言うレウに、ラグは苦笑しフォルデはしかめっ面で鼻を鳴らし、ロンは肩をすくめてみせた。
「ま、そう言われるとそうなんだがな……」
「……ふん」
「そうだな。俺たち自身はそちらの方が嬉しいな」
 自分たちの気づかない場所で、この地の人々が神々からなにかを掠め取られているかもしれないという不信感や、加護が失われ魔王という脅威がなくなった時にこの地がどんな扱いを受けるかと想像した時の不快感を除けば、だが。
 セオをちらりと見ると、予想通りセオは物思わしげな顔つきで沈思黙考しており、自分になにができるかとか、この地の人々になにを与えられるかとか、自分にそんな資格があるのかとか、その手のことをあれこれ考えているようで、ロンは思わず苦笑してセオの肩をぽんぽんと叩く。
「っ、ロン、さん……」
「あんまり考えすぎるな。とりあえず、今自分のやると決めていることを先に考えた方がいい。試練の内容は君の言う通り調べていないが、あの女の前身の課す試練だからな。容易いものだとは思えんぞ」
「あ、っ、はいっ」
 慌てたようにうなずくセオに、また苦笑して肩をすくめる。試練の内容を詳しく調べていないのは、セオが『できれば、他の試練を受ける人々と同じようにまっさらな状態で試練を受けたい』と言ったからだ。神竜とやらの創った代物なのだからどんな試練であれろくでもなさそうな気はしたのだが、セオがそう言う以上横からあれこれ口出しするわけにもいかない。
 心配する気持ちもむろんあるが、ロンはあれこれ考え、最終的にはセオを信じて送り出すと決めた。その最たる理由は、『最終的に自分たちはサドンデスと戦う可能性が高いわけだから、その前身の創った試練を乗り越えておくのは予行演習としてはそれなりに有意義だ』というものだったにしろ、ロンは今のセオを、『たぶん大丈夫だろう』と信じることができたのだ。
 今のセオが十全に安定しているとはロンも思わないが、少なくとも、『自分たちがそばにいればそうそう暴走することはない』と自身の勘は言っている。
 と、応接室の扉がゆっくりと開き、年老いた神官服の老人がしずしずと入ってきた。おそらくはこの大神殿の神官長なのだろう、幾重にも皺の刻まれた顔に穏やかさと厳粛さを等分に入り交ぜた、いかにも聖職者らしいと言えるだろう風貌をしている。
 彼はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる間に、慎ましく目立たぬよう、かつ素早く隅々まで自分たちの身なりに視線を走らせた。表情にも出しはしなかったが、瞳にひそやかに納得したような色を走らせ、自分たちの前まで来て深々と低頭し、奏上するがごとき改まった口調で申し述べる。
「……勇者の方がおいでになるとは、まこと、珍しきことです。されど、ここ、ランシールの大神殿は太古より神の試練の介添えの御役目を受け継いでまいった地。たとえ今の世が魔王という名の災禍に見舞われていようとも、あなたがそれより世界を救う方であろうとも、ご配慮いたすわけにはまいりませぬ。それをご承知の上でいらした……と考えてもよろしいのですな?」
「はい」
 セオがこっくりと(そして珍しいことにあっさりと)うなずくのに、神官長らしき人はさらに深く頭を下げた。
「承知いたしました。それでは、言習わしに則り申しましょう。――ここは勇気を試すべく創られた地。たった一人でも戦う勇気が、あなたにはありますか?」
「……わかりません。でも、そうなったとしても戦い続けられるだけの心は、持っていたい、と思います」
 セオの言葉に神官長らしき人はほとんど跪かんばかりに頭を下げたが、ロンは思わず眉を寄せた。今言ったセオの言葉には、なんとなくではあるが、ロンの神経に障るものがあったのだ。危険信号というか、普段と違う、なにかちょっと厄介な気配を思い起こさせる感触があるような気がした。
 感触があるような気がする、というのもたいがい曖昧な話だが、ロンのこれまでの人生で何度も世話になってきたその感触――要は勘≠ヘ、今回も正しかったのだ。

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