「待ちやがれ、コラ」
フォルデの言葉に、勇者と男は振り向いた。勇者は泣きそうな顔で、男はいきなり入った邪魔に舌打ちしたそうな顔で。
「なんだい、君は? 俺はこれからこの子と話があるんで忙しいんだけどね?」
「そいつ置いてとっとと失せろタコ。そいつは俺の――」
言いかけてフォルデは言葉に詰まった。勇者は俺の――なんだって言やいいんだ?
友達なんかではまったくない。仲間だなんていいたくない。旅の連れと言うのが妥当だろうがこいつを自分の連れと言い切ってしまうのにも抵抗がある。
しばしいらいらと言葉を探し、結局苛立ちが先に限界に来て怒鳴った。
「いいから失せろ! 売り飛ばすんならもっとマシな奴選びやがれタコ、見る目ねぇなボケ!」
「……てめぇ、誰に口聞いてんだ」
男がすうっと冷えた視線をこちらに向けた。素早く懐からダガーを抜く。
ふふん、とフォルデは鼻を鳴らした。面白いじゃねぇか。
自分は生まれた時から盗賊ギルド――裏稼業で活計を得ている奴らの間で育てられてきたのだ。ちょっとした喧嘩で流血沙汰なんて日常茶飯事だった。
久々に喧嘩といくか。馬鹿を叩きのめすのは嫌いじゃない。
ボケ勇者は手を離されはしたものの、自分と男を見比べておろおろしている。泣きそうな顔で口を開いた。
「あの、あのっ、俺なんかがこんなこと言うのおこがましいってわかってるんですけどっ、喧嘩はやめた方がいいって、人間同士言葉が通じるんだから、話し合って解決した方が」
「すっこんでろ根性なしが。てめぇなんぞに口出しされる覚えはねぇんだよ」
「そうですけどっ、でも、でも、やっぱり喧嘩は――」
「うるっせぇな! てめぇの今まで育ってきたとこと違ってこーいうとこじゃ話が通じねぇことなんていくらだって――」
「シャッ!」
余所見をした隙に男がダガーでこちらを突いてきた。ち、と舌打ちして身をかわそうとした時――
「や―――!」
勇者がそれより早くがっしと男にしがみついた。どこがどう繋がったのか、男の体はぐるりと回転し――
頭から石畳に激突した。
「…………」
「あ……! だ、大丈夫ですか!? ごめ、ごめんなさい、俺、俺のせいで……!」
「うぅ………」
男は必死に頭を振って正気づこうとしている。フォルデは当然、男の脳天に蹴りを入れて沈めた。
「………フォルデさん………!」
「んだよクズ勇者。なんか文句あんのかよ」
「文句なんて……言えないです、けど、あの、どうして、その、そんなこと……」
「けっ」
フォルデは勇者を無視して気絶した男の身包みを手際よく剥ぎ始めた。馬鹿を叩きのめした時の当然の戦利品だ。
「フォルデさ………! あの、あのっ、どうして、そんな、そんなこと、するんですか!?」
「うっせ。てめぇは黙ってろ」
恵まれた環境で育てられたボンボンには、どうせ説明したってわからないことだ。裏の社会で生きる人間の生き方、面子。隙を見せた人間がどれだけカモられるか。
甘やかされて生きてきたこいつなんぞには、逆立ちしたってわかりゃしないのだ。
上下の服を脱がせ、ポケットに何か入っていないか確認する。と――服の下に、男が小さな輪を首飾りにしたものを下げているのが目に入った。
「お? こりゃ銀か?」
「フォルデさん……フォルデさん……!」
「うるせぇっつってんだろ! すっこんでろタコ」
いらっと苛立ちが兆すのを感じながらその首飾りを取り上げる。とりあえず価値を判断すべくためつすがめつしてみた。
なにか字が彫ってある。目を細めて小さなその字を読み取った。
「……カ……ン……ダ……」
読んでいるうちに字の並びが頭の中で文章を成し、フォルデは目をみはった。
「カンダタ一家!?」
「おい! いるかラグに腐れ武闘家!」
どかっと宿屋の扉を蹴り開けて中に飛び込む。中にいたのはロン一人だった。
「ラグは?」
「あいつ? まだ酒場を巡ってるんじゃないか。情報がないとわかっていても調べるだけは調べておく気なんだろう、要領悪いから」
「……てめぇが言うな」
「まぁそう怒るな、俺はあいつのそういうところが可愛いと思ってるんだからな」
「あのおっさんによくもまー可愛いなんつー言葉が吐けるな……」
「それはさておき。誰だそいつは」
「あぁ……」
フォルデは縛り上げたカンダタ一味の男をぽい、と床の上に放り投げた。運んでいるうちに意識を取り戻した男が猿轡の下からむむーと呻く。
「フォ、ルデさ、そんな風に固いところに放り投げたら、可哀そ……」
「あぁ? てめぇ脳味噌沸いてんのか! こいつは捕虜なんだぞ捕虜! 敵の一人だ! そんな奴の扱い気にする暇があんならてめぇの頭の蝿追いやがれ!」
「ほほう、敵……するとそいつはカンダタ一味か。よくまぁ折りよく捕まえられたな、偶然もここまでいくと大したもんだ」
「うっせーな」
「ロンさん……すごいですね、よく敵っていうだけで」
「いやただのチンピラをわざわざ縛り上げて連れて来はしないだろ。フォルデはともかくセオが確証もないのにそんなことをさせるとは思えんしな」
「んだとてめぇ……」
「お、俺じゃないですっ! フォルデさんが、気絶させたその人を起こしてカンダタの配下の人間だって確かめてくれて、ロープで縛ってロンさんたちに会わせようって言ってくれて――」
「ま、それはともかくとして、だ」
ベッドの上にあぐらをかいていたロンは、軽くあごをしゃくって言う。
「どうするんだ、そいつ」
その言葉に、フォルデはふん、と笑ってダガーを抜いた。
「決まってんだろ。――指の一本も切り取ってカンダタの居場所を吐かせる」
セオの顔からさーっと音を立てて血の気が引いた。男も顔を青くして、むーむーいいながらばたばたと暴れる。
「フォルデさん……! そんな、そんなこと、しちゃ、しちゃ……」
「うるせぇんだよてめぇは! だったらなんか代わりの考えあるってのかよ、こいつの他にカンダタの居場所の手がかりはねぇんだ、なんとしてもこいつに吐かせるよりねぇだろうが!」
「ほう、つまり盗賊ギルドの情報は外れだったわけか。意外に盗賊ギルドも……」
「うっせぇ腐れ武闘家はなっから情報集める気もねぇてめぇに言われたかねぇっ!」
フォルデは即座に噛みついた。別に盗賊ギルドに愛着があるわけではないが、こいつに言われるのはなんだか腹が立つ。
しゃっ、とダガーを抜いて、男の前に突きつけた。拷問術の心得があるわけじゃないが、こんな奴を吐かせる方法なんていくらだって考えつく。にっ、と冷たい笑いを浮かべて言ってやった。
「目と耳と鼻。どれがいい」
「…………」
「それとも指を一本一本切り取ってやろうか?」
ぐい、と縛られた手を取る。男は顔面蒼白になっていたが、それでもしぶとくそっぽを向いた。
「――よし、いい度胸だ。人差し指もらうぜ」
手首を後ろ手に縛っている縄を解き、縛り直して右手を前に持ってこさせる。男は必死の形相で暴れたが、フォルデの方が力が強く押さえ込むのは容易だった。
「……覚悟決めろよ」
ぴた、とダガーを指に当て。暴れる男の腕を押さえつけて、ぐ、と腕に力を込め――
「………………!」
その腕を、がっしと押さえつけられた。――勇者に。
当然、フォルデはぎろりと勇者を睨む。
「………放せよ。手を汚す根性もねぇ奴はベッドで毛布かぶって震えてろ」
「…………」
勇者はいやいやと首を振る。目にいっぱいに涙をためて。顔をくしゃくしゃに歪めて。
「放せっつってんだろこのボケ勇者! 他に方法思いつきもしねぇくせにやだやだばっか言ってんじゃねぇこのクソガキ! 現実より甘っちょろい夢見てぇんだったらとっととママのとこ帰りやがれクソ野郎!」
「ごめんな……ごめんなさい、でも………!」
ぼろっ、と勇者の大きな瞳から涙が零れ落ちた。長い睫毛がかすかに揺れる。
「お願いです……お願いですから、そんなこと、しないでください………!」
「うるせぇ、邪魔すんなタコ!」
「お願いです……! それは……そんなのは、よくないです。そんなのは……! お願いですから……!」
「うるせぇっつってんのがわかんねぇのか! 放せ!」
「お願いです、お願いです、お願いです……! フォルデさんだって、そんなこと、したくないはずです!」
一瞬――
胸に、ざわっと奇妙な感触が走った。生暖かいような、胸を思いきり殴られたような、奇妙な感触。
だがフォルデはぎろりと勇者を睨み、それを無視して怒鳴る。
「じゃあてめぇはこいつからカンダタの居場所聞き出せるのかよ。そんな方法があるってのかよ! やらなきゃなんねぇことから逃げて口当たりのいいことばっか言ってんじゃねぇぞクソボケ野郎!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、でも、俺っ、嫌です! フォルデさんに、そんなことさせるのもっ、この人がそんなことされるのを見るのもっ、嫌です! 俺にできることならなんでもします、この人から、カンダタの居場所を聞きだせるよう頑張りますっ、だから、お願いです、そんなこと、しないでください……!」
「………のっ………」
頭を怒りで熱くして、なのに胸は不思議に乱れ、涙をぼろぼろこぼして泣きながら頑固に喚く勇者になんと言えばいいのか思いつかなくなりフォルデは歯軋りして黙る――そこに、パンパンという音が響いた。
「はいはい、その辺で終了にしておけ。要するに、こいつに傷をつけずに、カンダタの居場所を吐かせられれば問題はないんだろう?」
「……そんな都合のいい方法があるってのかよ」
「まぁな。まぁ、任せておけ」
ロンは軽く笑うと、ひょいとベッドから飛び降り男の前に座り込んだ。怯えた顔をする男に、す、と手を突き出す。
「俺の手を見てみろ」
そしてふわふわ、ひらひらと舞うように、軽やかに手を動かし始めた。
「――そうやって手を動かしたら盗賊がカンダタの情報をぺらぺら喋りだしたっていうのかい?」
かなり驚いてラグが訊ねると、セオは顔を真っ赤にしてこくこくとうなずいた。
「そうなんです! 本当にあっという間で、すごく鮮やかでした! 魔法だってあんなに鮮やかにはいかないだろうってくらいに!」
「へぇ……」
「……あんなことできんならはなっからやりやがれってんだよ」
ぼそっと呟いたフォルデに、ロンは笑った。
「相互理解のための議論の時間を作ってやっただけだろうが。むしろ感謝されてもいいと思うがここは?」
「誰がするかボケッ!」
「まぁまぁ。……しかし、お前が瞳術を使えるとは思わなかったな。他にいくつ隠し技を持ってるんだ」
「さてなぁ。……といっても、俺のこの手の技はどれも実戦で使えるレベルじゃない。ある程度落ち着いた状況で時間をかけないと効果がなかったりするしな。達人級にはまだほど遠いってことだ」
「……なんだよ、瞳術って」
顔をしかめ聞いてくるフォルデに、苦笑しつつ説明してやる。
「お前も旅芸人の催眠術は知ってるだろう。まぁ要はあれなんだが、武闘家が使う実戦の最中に手の動きやら瞳の輝きやらだけで相手を忘我状態に陥れてしまうものを瞳術と呼ぶんだ。武闘家の中でも達人級と呼ばれる人間にしか使えないと聞いていたが」
「ま、俺の師匠がそういう搦め手が得意な達人だったからな、俺も少しは心得があるわけだ」
にやりと笑うロンに、セオが心からの尊敬の眼差しを向ける。まぁこの子は自分よりちょっとでも得意なことがある人にはすぐそういう視線を送る子ではあるが。
「で、そのカンダタの配下はどうしたんだ? カンダタから離れてなにしてたんだか知らないが。カンダタの根城はシャンパーニ領だっていうのは偽情報だったのかな」
「あ、いえ、あの。カンダタの配下の人は、もう兵士詰め所に連れて行きました。それで、あの、カンダタの根城は、その、シャンパーニの塔、みたいなんです」
「シャンパーニの塔!?」
ラグは思わず声を上げた。シャンパーニの塔といえば広大なロマリア国内でも一、二を争うほど有名な古代遺跡だ。
アリアハンのナジミの塔よりさらに広大であり、まだ探索されつくしていない隠された区画も存在しているという噂から探索行に赴く冒険者たちもいるという。だが極めて広大な荒野の中心部という人里離れた立地と当然のごとく魔物の巣窟となっていることから、戻ってこない冒険者も数多いと聞いていたが――
「……あんなところに居を構えてよく魔物に襲われずに……それとも近寄る魔物を全部倒してるのか?」
「いえ、あの、その。カンダタは、魔物に襲われない方法っていうのを知ってるんだ、そう、です。あの配下の人は、カンダタの配下になってから、魔物に襲われたことがない、って言ってました」
「魔物に襲われたことがない……? そんなことがありえるのかな?」
「いえ、あの……あの人も、よくわかっては、いないみたい、でしたけど。でもカンダタの、魔物に襲われないっていうのと、盗みをうまくいかせる能力っていうのには、絶対的な信頼を置いてた、みたいです」
「ふぅん……」
妙な話だ。カンダタは魔物を懐かせる方法でも編み出しているのだろうか? いや、盗賊という職業にそれはあまりにそぐわない。魔王と繋がりでもあるのだろうか? まさかとは思うが。
「とにかく腐れ武闘家の聞き出した限りじゃシャンパーニの塔ってとこが根城ってのは間違いないっぽいぜ。カンダタ一味の戦術思考構成人数、全部聞き出してある。……嘘ついてる様子はなかったし、行ってみるしかねーんじゃねぇの。他に手がかりもねーし」
「そうだな……しかし、よくやったな二人とも。よくカンダタ一味の一人なんて見つけてきたもんだ。お手柄だな」
「え! いえっ、そんなっ、俺なにもしてません、ただ偶然あの人に声をかけられただけでっ……」
「聞き出したのは俺だが、俺を褒める気はないのか母さん」
「母さんはやめろ。……別に褒めてもいいけど、お前俺に褒められたいのか?」
「ああ、たまにしか褒められるようなことをしないんだからこういう時くらい大いに褒めてくれ」
「お前な……」
「俺は別に褒めてほしくなんかねぇっ! ……今回のは、本当に偶然だったし」
意地を張ってからぼそぼそと言うフォルデに苦笑する。頭をくしゃくしゃしてやりたかったが、絶対怒るに決まっているのでやめた。
もう成人してる男にそんなことを思うとは、自分ももう若くないということだろう。年齢を自覚するほどの年ではないつもりだが。
「よし……それじゃあ、明日からはシャンパーニの塔目指して出発、だな。明日の午前中に食糧やらこまごましたものやらを買い込んで、昼飯を食ったらロマリアを出よう」
「いいんじゃないか?」
「……了解」
「は、はい……わかりました」
「じゃ、今日は早めに寝よう」
そう言ってラグは立ち上がった。セオも慌てた顔になって立ち上がる。こちらはフォルデとロンの部屋なのだ。
「じゃあな。お休み」
「お、おや、すみなさい……」
おずおずとしたセオの声に、ロンは軽く手を上げフォルデはぶすっとした顔で無視した。
「……セオ。もう寝たかい?」
ベッドに入って明かりを消してから数分。ラグは機を見計らってセオに聞いた。
「………いえ………」
「ちょっと話をしてもいいかな?」
「………はい、いい、ですけど……?」
戸惑ったような声。確かに話ならばわざわざベッドに入ってからしなくてもと思うのは当然だ。
だが、ラグには、セオは面と向かって話をするとまたすぐ怯えてしまうように思えたのだ。
「セオ。聞いていいかい。――君はどうしてフォルデが捕まえた男を拷問しようとするのを止めたのかな?」
「え……」
戸惑ったような声。
「あ、あの……駄目だった、ですか? でも、俺、フォルデさんに、あんなことしてほしく、なくて……」
「それはわかるよ。確かに、見ていて気持ちのいいものじゃないだろうしね、拷問なんて」
「…………」
「でも、それが必要な時もある、と俺は思ってる」
「!」
がばりと身を起こした気配があった。ラグはベッドに寝たまま続ける。
「たとえば今回、俺たちはなんとしてもカンダタの情報を聞き出さなくちゃならなかった。カンダタを捕まえるために。そうしなければまた被害が広がってしまう――一家を丸ごと惨殺するような残忍な手口の犯行が、また行われてしまうんだ」
「………はい………」
いつものごとく泣きそうな声での返事。泣かせたいわけじゃないんだけどなぁ、と内心ため息をつくが、話はまだ終わっていない。
「セオ。君が傷つけるのを忌避する気持ちは、尊いものだと思う。他のものを傷つけないですむならその方がいいに決まってるしね。――ただ、旅をしている以上君はこれから、選ばなくちゃいけない時が来ると思うんだ」
「えら、ぶ」
「うん。他者の命と自分の命、どっちを取るか。自分の命だけじゃなくて、仲間の命って時もあるだろうね」
「………………」
「それは他人が決めることじゃない。君が自分で、自分の意思で選び取らなきゃいけないことだ。他者の命を奪う覚悟ができるかどうかなんて、他人の口出しで決めていいことじゃないからね」
「…………はい…………」
消え入りそうな、泣きそうな声。自分や仲間たちに申し訳ないと思っているのだろう――だが、心から納得してはいない。
本当にこの子は手強いなぁ、と内心苦笑し、ラグは言った。
「俺の言ったこと、ちょっとずつでいいから考えてくれ。――それじゃ、おやすみ」
「お休みなさい……」
かすれた声が返ってくる。それから泣き声を必死に抑えている、しゃっくりのような音。
この子を泣かせるのはやっぱりあまりいい気分じゃないなぁ、と思いながら、ラグは目を閉じた。今彼を慰めても、よけいに泣かせるだけのような気がしたからだ。