囚われの姫君
「……あれはお父様ではありません。魔物です。魔物がお父様の姿を奪っているのです……どうか……どうか、お父様を。サマンオサを助けてください……!」
 サマンオサ王女イーディスは、そう涙ながらに訴えてきた。
 ――ゲットに。
「わかった。任せろ」
 端的にそれだけ、きっぱりと言ってゲットは真剣な顔でうなずく。イーディスは「ああ……!」と感極まったような声を出してゲットにすがりついた。
 ゲットは無言でそれを受け止め、なだめるように背中を撫で下ろす。泣きじゃくりながらすがりつく姫を、優しく抱擁する勇者。美しいシーン。麗しいシーン。久々にゲットの勇者らしいところを見れたと、喜んでも別段おかしくないところだろう。
 ――だが、なぜか。
 ユィーナの胸は、一瞬氷のように冷えた。

「………なぁ。ユィーナ、なんか、怒ってねぇ?」
「なにがですか。どこが怒っているというのです言ってみてください素早く速やかに」
「いや、なんつうか……」
「全体的に、ねぇ?」
 ディラとヴェイルはそう顔を見合わせる。ユィーナはじろりと絶対零度の視線でそんな二人を見た。
「私は冷静です。現在の目的もそれを達成する方策もすべて頭の中に入っています。怒っているというのなら私がどのように普段と異なり冷静さを欠いているか三十字以内で説明してみてください」
「いや字数制限されても……」
「できないのならば私が怒っているという証明はできませんね? 証明できない事象など公理でもなければないも同然です。速やかに歩を進めてください」
 ぎろりと睨み渡してそう言うと、二人は肩をすくめて先を歩くゲットのあとを追った。
 ユィーナは最後尾を歩きながら小さく息をつく。自分が普段とはやや異なる精神状態にあるという自覚はあった。
 だがそれはあくまでやや≠セ。冷静さを失うほど取り乱しているわけではない。
 そうでもなければこの精神状態の異常が、ゲットが王女を抱きしめた時から発動している説明がつかないのだから。
 自分はただ、ゲットの普段めったに見ない姿を見て驚いた。ただ、それだけなのだから。
 それよりも今はラーの鏡だ。ユィーナとしては本当に魔物であるか否かに関わらずあのような悪政を行う国王などとっとと王女を陣頭に立たせ弑してしまえばよいと思うのだが、その王女が魔物の正体を暴いてくれと懇願するのだから一度依頼を受けてしまった以上ここは言うことを聞いておかねばならない。
 たとえ自国の危機を他国の勇者にすがることで救ってもらおうとするような情けない王女でも。
 くだらない、本当にくだらない。どうして世界はこうも非効率的なのだろう。きちんと頭を働かせれば効率的な手段などいくらでも考えつくというのに。
 ユィーナは自らの能力を活用しない人間が嫌いだった。男に頼って問題をなんとかしてもらおうと考えるお姫様などその最たるものだ。だから本来なら、このような依頼など無視して、レジスタンスに連絡を取り、王政を打破する動きに手を貸したかったくらいなのに。
 あの愚劣愚昧の低脳勇者が、とユィーナは先頭のゲットを睨んだ。お気楽に勝手にほいほい依頼を受けるなどなにを考えているのか。
 と、ゲットは視線を感じたのか(毎度のことながら自分の視線にだけは敏感な男だ)、くるりとこちらを向いてにっと歯を輝かせて笑いビシ! と親指を立ててきた。ユィーナはその能天気な笑顔に絶対零度の視線を向けてつんとそっぽを向く。
 とたんにあからさまにしょんぼりとするゲットを見て、少し胸がすいた。
 ……直後に「ユィーナっ、俺にあえてつれなくして愛情を試そうとしてるんだな!? 大丈夫だ俺はいついかなる時もお前を愛してる!」と叫んで突撃されまた鋼の剣を振り回すことになったのだが。

「……ねぇなぁ」
「ないわねぇ……」
「すでに誰か冒険者か誰かに奪われている……にしては宝箱の中に宝があるのが解せません。これはやはり隠されている場所にラーの鏡があると考えるのが妥当でしょう」
「しょぼい宝だったから奪うの面倒になったんじゃないのー?」
「魔物と戦って洞窟の奥まで進んで、罠の危険を冒して開けた宝箱の宝をですか? そんな冒険者は道楽で冒険者をやっている者にだってまずいません」
 ラーの鏡があるという洞窟は、奇妙な洞窟だった。
 やたら宝箱が多いわりに実入りが少ない。せいぜいがいくばくかのゴールドと種類。ぐねぐねと入り組んだ道筋の中にぽつぽつと点在する宝箱は、撒き餌かなにかのようで馬鹿にされている気分になる。
 一番怪しいのは地下三階の池の真ん中の島にある祭壇のような場所なのだが。そこをマホレミ――魔法感知の呪文で見てみたところ、明らかに外からの侵入を拒む結界が張ってある。池を渡って祭壇へ向かうことはできないわけだ。
「なにか結界を解除する方法があるはずですが……できるだけ早急に調査しなければなりませんね」
 これまでの洞窟の通ってきた道筋を思い返しながらユィーナが呟くと、ゲットもうなずく。
「そうだな、早く鏡を持って帰ってやらないと、王女様も困るだろうし」
「……………………」
 ユィーナは、おもむろに杖を構えた。
「お? どうしたんだよユィーナ」
「……時間がない、ということなので。私がトベルーラで強行突入します」
『はぁ!?』
 パーティメンバーたちが仰天したような声を上げる。全員驚愕の態をあらわにしていた。
 だがユィーナはそれを無視して素早く呪文を唱え、宙へと舞い上がり結界へと突撃した。
「ユィーナ!?」
 叫び声が聞こえた。あれはヴェイルだ、彼は元盗賊なのにも関わらずお人よしだから自分を心配しているのだろう。
 それはわかっていたのだけれども。
「………っ」
 ユィーナはばぢばぢばぢっ! と迸る電光に歯を食いしばって耐えながら体を結界の内側へと進めた。この結界は通るものにダメージを与えるタイプの結界だ、それなら耐えてしまえば通り抜けは不可能ではない。
 ――だからといってもちろん強行突破が上策だとはとてもいえない。ダンジョンの中で単独行動など断じて選ぶべきではない選択だ。
 なにをやっているのだろう、自分は。
「………っ………!」
 理性ではない、かといって感情などという軽いものとも違う。電撃を受けながら、爪先から血を流しながら、それでも自分をここで突き動かすものは――

『――頑張れ。俺も頑張って、勇者になって、世界を救うから』

 ――あの時誓った、あの時築いた。
 自分の誇り――プライドだ!
「我世界の律と魔たる力を知る者なり、我が命によりて魔を持ちし光よ、鏡となりて魔を吹き返しし輝きし壁を築かん=I」
 ユィーナは素早くマホカンタの呪文を詠唱した。魔力によって築かれた結界だ、完全に術の形になってはいなくてもある程度は跳ね返せる。
 自分は負けない。なにがあっても負けない。自分の力で、他人に頼ることなく、目的を達成できる人間になるのだとあの時誓ったのだから!
「くぅっ……!」
 全力で結界を破ろうと前へ進みかけた時――
「ユィーナっ!」
 ――叫び声と同時に、体当たりされた。
 なんだ!? と思う間もなく、さっきまで自分の体があった場所を太い牙を生やした首が薙ぐ。その時初めて、ガメゴンがすぐ近くへやってきていたことに気がついた。
 こんな気配も読めなかったなんて! いや、それよりも。結界をぶち破って自分を助けてくれたのは――
「大丈夫か、ユィーナ」
 額から血を流しながらにっと笑うのは、彼女が自らの勇者と決めた男――ゲット・クランズだった。
「行くぞ」
 短くそう声をかけて、ゲットはガメゴンに斬りかかる。一瞬呆然として、それからぎゅっと唇を噛んでゲットに続いて鞭を放つ。
 ――ほどなくしてガメゴンが動かなくなると、ゲットはこちらを振り向いてにっと笑い親指を立て――そのままぱったりと倒れた。
「ゲット!」
 思わず叫んで駆け寄る。助け起こして即座にベホマを唱えた。みるみるうちに傷が治っていく――だが、呼吸は相変わらず荒かった。当たり前だ、なんの魔法的防御もなく結界を突破したのだから。この鎧を着けたままあの距離を飛んだのだからいかに人間外の筋力を有しているとはいえ相当な体力も消費したはず。
 自分を助けるために。
「……どうして」
「……ん?」
 気持ちよさそうに自分にもたれかかって荒い息をついていたゲットに、ユィーナはまくし立てる。ゲットが首を傾げるのにもかまわずに。
「どうしてあんなことをしたんですか!? 私はあの程度の攻撃で死ぬほどやわではありませんし、結界対策もしていました! なにより今回は疑う余地もなく私の先走りです! どんなことになっても自業自得だというのに、どうして生身で結界を破るなんて無茶なことをするんですか! あなたは命が惜しくないんですか!?」
「……どうして、って」
 ゲットは目をぱちくりさせて、戸惑ったようにまた小さく首を傾げた。
「危なかったら、助けるのは当たり前だろう?」

『――目の前で襲われてる奴がいたら、助けるのは当たり前だろう?』

「……………………」
「……ユィーナ? どうしたんだ、どこか痛いのか? 傷が残ったら大変だ、すぐベホマを――」
「ごめんなさい」
 うつむいたまま、ユィーナは小さくそう言った。とても顔が上げられなかった。
「………ユィーナ?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 瞳が熱かった。涙が膜を張り、零れ落ちるのがわかったが恥ずかしいと思う余裕もなかった。
 なんて愚かなことをしたのだ、自分は。誰にも負けたくないから、プライドを押し通すため、そんな理由で自分を、ひいてはパーティを危険にさらしていいはずがないだろうに。
 王女に対抗して、自分は王女と違って自分一人で問題を解決できるのだと示したがるなんて、まるっきり子供の思考じゃないか。まるでくだらない女のする嫉妬だ。自分がひどく愚かしく思えて、たまらなく情けなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
「ユィ――」
「ごめんなさい………」
「………………」
 しばしの沈黙。
 やがてぽた、ぽた、となにか液体が地面に落ちる音がして、まさか傷が開いたのではとばっとユィーナは顔を上げ――ぴしっと固まった。血は血だが、ゲットがたらしていたのは鼻血だった。鼻から血をぽたぽたたらしながら、ハァハァと荒い呼吸をしながらがっしとユィーナの両肩をつかむ。
「ユィーナーっ! たまらん辛抱たまらんなんて可愛いんだ世界の誰より愛してるーっ!」
「……あの、ちょ……」
「自分の情けなさに思わず涙するユィーナ――超レアだたまらん可愛いもー我慢できんアイラヴユーアイニージューアイウォーンチュー!」
「……きゃーっ!」
「なに盛ってんのよこのど変態がぁぁっ!!」
 ドカバキドカバキドカバキ!
 上から降ってきたディラの足が舞い、ゲットは地面に顔をめり込ませて気絶した。驚いて見ると、ヴェイルも上からふよふよと降りてきている。
「周り見てみたら上の方に穴があったからさ。たぶんこっから降りてくんだろうってことでダッシュで地下二階上って降りてきたんだよ」
「そしたら毎度のごとくあんたが襲われてたワケ。だいじょぶ? 貞操無事?」
「……ええ、まぁ……」
「よーっし、そんじゃさくっと探索始めちゃいますかー。ヴェイル、ヨロ!」
「俺かよ!?」
 ユィーナはやや呆然と探索を始めるヴェイルたちを見やった。まだ胸がドキドキしている。いつものゲットの暴走とはいえ、なにもあんな時にしなくてもよさそうなものなのに。いや、だからかえって楽な気持ちになれたのかもしれないが。
 どちらにしろ、あとでちゃんとみんなに謝らなければならない、とユィーナは拳を握り締めた。ゲットには礼も言っておくべきだろう。……どちらもあまり得意とはいえないが。
 ちらりとゲットを見て、まだ高鳴っている胸を押さえて、ユィーナは小さく「馬鹿」と呟いた。

 その後無事サマンオサ王に化けたボストロールを倒した自分たちパーティは、勲章と名声、それに報酬を得て旅を再開した。
 サマンオサ王女はこの国にとどまってくれと(ゲットに)涙ながらに訴えたが、ゲットはあっさり拒否して今は船の上である。
「……王女のことがずいぶん気になっていたようなのに、ずいぶんあっさりと断りましたね」
 そうゲットに言うと、ゲットは奇妙な顔をした。
「なんでそうなるんだ。俺はただ勇者っぽい行動を取っただけだぞ?」
「……は?」
「ユィーナのために勇者になる。ユィーナを護って世界のために戦う。そう言っただろう?」
「…………」
 なんと言えばいいかわからず沈黙するユィーナに、ゲットはだらしなく顔を緩めて飛び掛ってきた。
「ユィーナっ、嫉妬しちゃったのか!? 心配しなくても俺の愛はすべてお前のためにあるぞ!」
「そんなことは聞いていません!」
 鋼の剣で顔を殴りながら、ユィーナは心の中で吹き荒れるわけのわからない感情の嵐に、苦虫を噛み潰したような顔になった。

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