さまよえる魂
「オリビアの魂は恋人と会えぬことを悲しんで、泣き叫んでおるのじゃよ」
 サイモンの囚われているという牢獄に向かうため、オリビアの岬周辺で情報収集をしている時聞いたそんな話に、ユィーナはわずかに肩をすくめて、口の中だけで呟いた。
「くだらない……」
 その隣で、おそらくはその言葉が聞こえなかったであろうゲットはわずかに眉を寄せ、鬱陶しげに呟く。
「馬鹿馬鹿しい」
 盗賊として鍛えられた聞き耳の技術でうっかり双方の言葉を拾ってしまったヴェイルは、奇妙な気持ちで首を傾げた。
 この二人が同意見なんて、ものすごく珍しいことじゃないだろうか。

「ゲット、お前さ、オリビアの岬のこと、馬鹿馬鹿しいって思ってるのか?」
 オリビアの恋人、エリックの乗る幽霊船を探すべく船で移動している最中に、ヴェイルは稽古を終えて休んでいるゲットに聞いてみた。
 なんだか、気になったのだ。この二人がなぜ同じ意見を持つに至ったのか。
 ゲットは面倒くさそうな顔をして肩をすくめた。……いつも思うのだが、こいつは自分たちのことをちゃんと仲間と思っているのだろうか。自分とユィーナのラブラブパーティについてきたその他大勢とでも思ってるんじゃないだろうか。
 自分たちは、少なくとも自分は、ゲットもユィーナも、大切な仲間だと思ってしまうのに。
 少し切なくなったヴェイルの気持ちなど気づきもせず、ゲットはぶっきらぼうに言った。
「悪いか」
「……別に、悪かねぇけど」
 ただ、なんとなく。
「気になってさ。お前がどうしてそんなこと思うのか。……だって珍しいじゃん。ユィーナ以外のものにはめったに関心払わないお前がさ」
「……そうか?」
 ゲットは珍しく、少し戸惑ったようだった。少し考えるように眉をひそめている。
「俺は別にユィーナ以外のものに関心を払わないわけじゃないぞ」
「嘘つけ。ユィーナを好きになるまではなに聞いても『別に』『どうでもいい』くらいしか言わなかったし。まともになにかをほしいっつったのだってユィーナが初めてだろ」
「……そうだったか?」
 本当にぴんとこないようで眉をひそめたまま首をひねる。ヴェイルは大きくうなずいた。
「そうだよ。ディラだってユィーナだって絶対そう言うと思うぜ」
「……そうか。そうなのか……まぁ、そうかもな。俺はユィーナを好きになって初めて生き始めたようなものだからな」
「……そうなのか?」
「あぁ。だからオリビアの悲劇とやらは馬鹿馬鹿しいとしか思えん」
 大仰な台詞に目を見開いていたヴェイルは、ゲットのその言葉にさらに目を見開いた。
「なんで?」
「……お前はそう思わなかったのか?」
 聞かれてヴェイルはちょっと慌てた。まさかゲットが自分の意見を聞くとは思わなかったからだ。
「いや俺は……そういう状況になったことがねーからさ。なんともいえないけど……死ぬ前になんとかできなかったのか、とか思うくらいで」
「当たり前だ。俺もそう思う」
「……お前も?」
 ゲットは深くうなずき、珍しく早口で喋りだした。
「恋人同士なら、お互いの存在がなによりも大切な者同士なら、離れてなどいられないはずだ。自分たちの意思以外で引き離されるなんてことがあるなら、駆け落ちでもなんでも死ぬまでやり通して一緒にいられる状況を作る。それが当然だろう? 少なくとも俺にとってはそうだ。なのに親の言うまま引き離されてあっさりおっ死んで相手もそのあとを追う? 馬鹿としか言いようがないだろう。そんなことになる前にいくらでもできることはあっただろうに。だから馬鹿馬鹿しいし、そんな話を聞かされれば不快だというんだ」
「……オリビアたちにはオリビアたちの事情があったんじゃねぇの?」
「どんな事情があろうが、だ。恋人たちが引き離されるなどという馬鹿馬鹿しい話を従容として受け容れるなんぞ阿呆の所業だ。俺は絶対、そんなことにはならんぞ」
「そりゃお前はそういうことにはならないだろーけどさ……」
 言ってから、気がついた。
「もしかしてお前、自分と引き比べて怒ってんの? もし自分たちがそういうことになっちゃったら、とかさ。不安になっちゃったりしたわけ?」
「……………………」
 ゲットはしばし、黙り込み。
「うるさい」
 そう面倒くさそうに言って、肩をすくめた。

「っつーことらしいんだけど、どう思う?」
「私にはまったく関係のないことです」
 船の前方を確認しつつ操舵輪をゆっくり回しながらユィーナがいつも通りの冷たい声で答える。ヴェイルはむっとして反論した。
「そんなことないだろ。お前とゲットのことじゃん。どんな感想持とうが自由だけどさ、関係ないはないだろ」
「彼がどのような妄想を私に対して抱いていようと、それは私にはまったく関係のないことです。思想は自由ですが、それに相手をつき合わさせようなどというのは狂人のたわごとでしかありません」
「狂人ってなぁ……! あいつがお前好きなのわかりきってんじゃねーか。それはお前だって知ってんだろっ? そりゃあいつ馬鹿だけどさ、気持ち完無視はないんじゃねーの? お前だってなんのかんの言いつつ相手してんじゃん?」
「――していません。そんな必要はありませんから」
「あのなぁっ!」
 勝手に腹を立てながら叫びかけて、ヴェイルは黙り込んだ。ユィーナが唇を噛みながら、歯を食いしばりながらきっとひたすら前を見つめていたからだ。
「彼が恋しているのは妄想の中の私です。本当の私に恋しているわけではありません。そんなものにいちいちつきあって感情を高ぶらせる必要は認めません」
「ユィーナ、いや、それはさ――」
「――そうでなければ、あのように私に対して熱狂的な感情を抱くわけがないでしょう」
 私のような、冷たい女に対して。
 そんな言葉を、聞いた気がした。
「………ユィーナ」
 そうなのだろうか。確かに、あいつは思い込みが激しいなとは思うけれど。
 ゲットに『お前、ユィーナのどこが好きなんだ?』と聞いた時、ゲットは答えたのだ。
『ユィーナのすべてだ』
『……言うと思った……ほんっとに、どーしてそーも急に全力で恋するかね……』
『悪いか』
『悪かないけどさ……』
『俺はユィーナの全部が愛しい。ひたむきで一途なところも一見冷徹に見えるけどその実すごく人のことを大切にするところもものすごく努力家なところも可愛くてしょうがないんだ」
『……はー……』
『それにあえて人に冷たい素振りをして自分を好きになって傷つくことを避けさせようとかするところも人間関係にとてつもなく不器用なところも照れ屋でいいことをして感謝されるのが大の苦手というところも……』
 それからたっぷり十分間、ゲットはユィーナの魅力を語り続けた。
 それは、確かに思い込みも大いに入っているとは思うけど。あっさり妄想って、そんな風に切り捨てていいんだろうか。あれだけの圧倒的な愛の洪水を、思い込みと切り捨てていいんだろうか。
 あいつは本当に本当に、ユィーナのことが好きだと思うのに。
 けれどそれをどう言っていいかわからなくて、ヴェイルは困った顔をしながらユィーナを見つめ続け、やってきたゲットに「なにを見つめている貴様ユィーナに岡惚れしたのかようしいい度胸だ仲間といえど容赦せん」と因縁をつけられた。
 そのあとゲットはディラに速攻でボコられたのだが。

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