「あなたのようなお美しい方が大魔王と戦おうというのですか。これは、なんと勇ましい」
 ラダトーム王子クリストフェルの言葉に、ユィーナはぴくんと眉をひくつかせたが、その一瞬後には無表情で「お褒めいただき光栄です」と答えた。
 ギアガの大穴から闇の世界アレフガルドへと降りてきて。ラダトームという国があることを知り、ユィーナが真っ先に行ったのはアレフガルドとラダトームの現状と大魔王対策の調査だった。ラダトームが、アレフガルドが、現在どのような状況にあり大魔王ゾーマに対してどのような手を打ち、そもそもどのような打てる手があるのかを文献、伝聞、口伝までも含めて全力で。
 その成果あって一週間でユィーナは打てる手を見つけ出した。ラダトームに伝わる秘宝、太陽の石と雨雲の杖を聖なる祠の神官の儀式により組合わせることで、大魔王の居城へと乗り込める橋を作り出す虹の雫を生み出せる。
 そのためには封じられた精霊神ルビスを解放し、御力を込めたものを授からねばならない。力を組合わせるのに触媒として必要なのだ。
 そしてルビスに大魔王ゾーマが施した封印を解くためにはルビスの精霊力を強化する秘宝妖精の笛が必要で、妖精の笛はアレフガルドで最も精霊力の強い地マイラにあると思われる。
 そういった道筋を行くためには、まずラダトーム王家に伝わる秘宝である太陽の石を借り受けなければならないのだが――
 太陽の石を預かる責任者である第二王子クリストフェルは、なかなか太陽の石を渡してはくれなかった。
「あなたはお美しい。そして若い。なのになぜあたら危険に身を投じようというのですか、もったいない」
「……年齢はともかく、容姿は己の進む道を決める際障害というほどのものにはなりえないと思いますが」
「危険な仕事など他の者に任せておけばよいではないですか。あなたのような方がするべき仕事ではない」
「………私の能力を最も活かせる仕事だと思っています。なによりあなたのおっしゃることは現在人類の抱える最大の懸案事項を他人任せにする理由にはならないのではないでしょうか」
 さっきからずっとこの調子だ。まともにこちらの訴えを聞こうとしない。勇者の力で取ったアイテムは再構成されることは知っているようだし、あと考えられる理由は。
 ――そう思考を重ねた瞬間、じゃりーんっと音がした。
「……貴様、あれか? 王子という強い立場を利用してユィーナを口説こうという腹か? 面白い。この俺に挑戦しようというんだな? いいだろうやってみろ、ただし俺のユィーナに手を出そうとした以上命を失う覚悟はし――」
 ユィーナの鋼の剣による殴打とディラの必殺コンボが華麗なコンビネーションを決めた。ディラは「あたしだって若くて美しいわよどこに目ぇつけとんじゃこのボケ王子」などとさっきからぶつぶつ言っていたからちょうどいい鬱憤晴らしになっただろう、軽くうなずきあって席に戻る。
「――失礼しました。先ほどのお話に戻りましょう。太陽の石を貸与していただけないでしょうか? むろん勇者の力でアイテムは瞬時に再構成されますから、あなた並びにラダトーム王家が失うものはなにもありません」
「………失うものが、ひとつありますよ」
 ゲットにドラゴンキラーを突きつけられ、凄まじい形相で威嚇されて一時固まっていた王子はふぁさっと髪をかき上げる。意外に神経が太い、と内心舌打ちしていると、王子はにっこり笑ってテーブルの上に置かれたユィーナの手に手を重ね合わせた。
「あなたとの縁、で――」
 どすっ。王子の手の横数mmのところにドラゴンキラーが突き立った。
「貴様いい度胸をしているな。よほど命がいらないとみえる。いいか、ユィーナはすでに身も心も俺のものなんだ愛し合ってるんだ恋人同士なんだエニイタイムフォーエヴァーウィズユーなんだ。その間に割って入ろうという以上肉片も残らないほどにこの世から消滅させられたいと宣言しているもおな」
 ディラが宙に蹴り上げた体を、ユィーナは鋼の剣で三度殴打した。鼻血を出して動かなくなるゲットに、ユィーナは顔を真っ赤にしながら吐き捨てる。
「あなたと恋人同士になった覚えはありません、恥ずかしいことを公言しないでください!」
「なにを言うんだユィーナあの日あの時お前は俺の腕の中で喘ぎ声を上げてくれたじゃないか、のみならず昨日一昨日は恥らったが一昨昨日は俺の荒ぶる思いを受け止めてくれて」
「黙りなさいあなたはあれは気の迷いです私はあなたを受け容れた覚えはありませんしそれ以上に喘ぎ声なんて上げたことは一度もありません!」
 即座に復活してぴょこんと顔を上げたゲットを鋼の剣で五度殴打し、ユィーナは荒い息をつく。そうだ、自分はゲットと恋人同士なんてものになった覚えはない。
 確かに一度は自らの好意を受け容れた。ゲットの性欲も受け止めた――うっかり流されて何度か性交をしてしまったりもした、なんとか仲間の近くと野外で性交するのは拒否できたけれども。
 だが、やはり本来、自分は恋人など作れる人間ではないのだ。恋愛など不可能な人種なのだ。ゲットの想いに応える資格のある存在ではないのだ。
 だって、自分は怖いのだから。
 ゲットが自分を嫌うのではないかと思うたび、たまらなく恐ろしくてたまらなくなるのだから。
 そんな弱さを抱え込めるほど、自分は強くない。ゲットに好意を感じているのは確かだが、そんな弱々しい感情、放り捨ててしまいたい。そうしなければ大魔王と戦うどころか、一人で立つことさえできなくなってしまいそうなのだ。
 だから、自分はゲットを全力で拒否する。
 拒否しているのに。
 どうしてこうも凄まじいエネルギーをもって自分に好意を表すのか、とユィーナは動かなくなったゲットを睨んだ。そのせいで何度か流されて性交をしてしまったりしたし。
 クリストフェル王子はははは、と乾いた笑いを上げ、数度深呼吸をしてから普通話をするのとはやや違った角度からユィーナの顔をのぞきこんで笑顔を浮かべた(おそらくは『自信のある角度』というやつなのだろう、本気でそんなことを実践する人間は久しぶりに見た)。
「ユィーナ殿。よろしければ、二人きりでお話できませんか?」
「――わかりました」
 ユィーナはうなずいた。確かにこのままでは少しも話が進まない。
「なにを言うユィーナもはや身も心も魂も結ばれてあとはゴールインを待つばかりという俺たちがそう簡単に離れられるわけがないだろうっ、王子貴様最初から敵だったがもはや問答無用で情け容赦なく俺の敵に回ったなようし抹殺してや」
 ディラが首にひとつ間違えればあの世行きな関節技をかけたところにユィーナは鋼の剣で七度殴った。本当にこの男は進歩がない、とユィーナはため息をつく。
「じゃ、あたしたち外にいるから。終わったら声かけなさいよ」
「なんかあったら呼べよな。ま、お前なら大丈夫だろうけどさ」
 ディラとヴェイルは動かなくなったゲットを担いで部屋の外へ出て行く。それを見送ってから、ユィーナはクリストフェル王子の方に向き直った。
「クリストフェル王子。率直に聞きましょう。あなたは我々になにを要求していらっしゃるのですか?」
 単刀直入に聞いた。回りくどい交渉術で時間を無駄にするのはユィーナの趣味ではない。
 クリストフェル王子はふ、と微笑んでまたユィーナの手に手を載せる。
「いいえ、私は要求しているのではないのですよ――ただ、請うているのです。女神に、その慈悲を」
 触るな、とぶん殴ってやりたくなるのをユィーナは必死に堪えた。曲がりなりにもこの男は王子だ、そんな人間を殴り飛ばしてしまってはラダトーム王家との間にわだかまりが生じる。
「あなたを一目見た瞬間から、私は愛の奴隷、虜となったのです――」
 歯の浮く台詞。こみ上げる吐き気を唇を噛んで堪える。こんな台詞ユィーナにしてみれば呪詛の声も同じだ。何度も言われてきた、自分の貧弱な体を手中にし精を吐き出すためだけに手を尽くす愚かな男どもに。
 ユィーナが受け容れられた口説き文句は、呆れるほどに直截で泣きたくなるほどにひたむきな、彼の言葉だけ―――
「あなたもお寂しいのでしょう、目を見ればわかります。私に慰めさせてはいただけませんか」
「……結構です。私は他人に慰められるのは好きではないので」
「では私を慰めてはいただけませんか。闇の世界で家族にも疎まれ、私は一人孤独に震えているのです」
「私は一時感情を鎮めるためだけに誰かと個人的に交流を持つことはしない主義なのです。それが自分の感情であれ、他人の感情であれ」
「もはや言葉は不要――」
「人の話を聞いていますか」
 クリストフェル王子はユィーナの言葉を無視し――ユィーナの体を引き寄せて押し倒した。
「ユィーナ殿っ!」
「…………っ!!!」

「ユィーナ―――――――――――――ッ!!!!」
 どばごぉ! と音がして、壁に大きな穴が開いた。
「ユィーナっもう大丈夫だぞ俺が助けに来たからなっ! 不埒者がユィーナを押し倒して喘ぎ声を上げさせていいのはというか上げさせられるのは俺一人………」
「遅いです。なにをやっているのですか」
 ユィーナはぐりぐりぐり、とひんひん泣くクリストフェル王子を踏みつけながら、ビシッ! と鋼の鞭で床を叩いた。
「……あのー……ユィーナ?」
「今どういう状況なのかよくわからないんですけど……」
 ゲットの後ろからおそるおそる訊ねてきたディラとヴェイルに、冷たい表情で答える。
「この愚かな駄犬に、躾をしているところです」
 ビシッ! とユィーナは鋼の鞭をクリストフェル王子に振り下ろした。むろん厳重に手加減はしているが、それでもやはり服が裂け肉に傷がつく。
「ぐぎゃぁっ!」
「お、おいユィーナ、それは危ないんじゃ……」
「手加減はしています。女とみれば襲いかかるような盛りのついた犬には、体でしていいこといけないことを覚えさせるしかありません」
 なにより――なにより。自分に、この冷血女に。たとえ一瞬でも、『私に触れていいのはゲットだけですっ!』と、まるでゲットのようなことを思わせた罪――それこそ万死に値する。
 打ち消そう打ち消そうとしてもこみ上げてくる恥ずかしさに、ユィーナは顔を真っ赤に染めながらクリストフェル王子を蹴った。
「いだぁっ!」
「………やめてくれ、ユィーナ」
 震える声で、ゲットが言う。え? と思って見上げると、ゲットはなぜか目に涙を浮かべていた。
「ゲット? どうし―――」
「お前に躾をされていいのは俺だけだろうっ!? お前に叱られながら鞭打たれていいのも蹴られていいのも罵られていいのも俺だけじゃないのかユィーナっ! これまでに何度もお前は俺に、俺だけに躾という名の愛の調教を施してくれたじゃないかっ、それをよその男に向けるなんてひどいことはしないで」
 ゲットの声はディラのスーパーコンボとユィーナの鋼の剣による十一度の殴打で途切れた。ヴェイルがはーっと息をつき、もはや切なげとも言えそうな声で言う。
「ゲット……お前はどうして、そんなに……変態なんだ?」
 返事をする代わりにゲットは鼻血を噴き出してぱたりと倒れた。確かに、ここまで自分を高ぶらせる男は、ゲット以外にいないな、と半ば悲しみを感じながら思った。

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