旅の仲間
「――なんであんなこと言ったの?」
 ディラの問いに、ユィーナは沈黙で答えた。
 うつむいたまま黙っているユィーナに、ディラはふぅ、とため息をついて肩をすくめる。
「らしくないじゃないのよー、ユィーナ。あんたこれまでどんな時だって敵前逃亡はしなかったでしょ?」
「…………」
「だんまり? 本気でらしくないなー。あんたがなににそんなにショック受けてるのか知らないけどさ、あんたはこれまでそれこそ死ぬ気で……っつーのともちょっと違うか。どんなに苦しかろーが辛かろーが絶対勝つ、って気概で旅してきたでしょ? してないとは言わせないわよ」
「…………」
「まぁ……どうせゲット絡みなんだろうけどさ。男との惚れた腫れたで人生を左右するなんてのは、あんたが一番嫌いなパターンじゃなかったの?」
「……ええ。私はそういうくだらない感情に任せて人生の重要事を決定する人間を、心の底から軽蔑しています」
 ようやく口を開いたユィーナに、ディラはお、とわずかに眉を上げて軽い口調で言う。
「だったらなんでそんなことすんのよ」
「……そういった存在を軽蔑しているから――私はパーティを抜けなければならないんです」
「……はぁ?」
「私には、もうこのパーティで旅をする資格がないんです」
「………はぁ」
 わけがわからないという顔で首を傾げるディラから、ユィーナは情けないことに、泣きたい気持ちで視線を逸らした。
 自分は――この世で一番軽蔑している女に成り下がってしまったのだ。

「………………なぁ、ゲット」
 ずっと耐えていたヴェイルは、とうとう我慢できずに口にした。
「いい加減、その……なんつーか、落ち込むのやめたら?」
「………うるさい」
 地面の底から聞こえてくるような暗い声で、ゲットは動かないまま答えた。ヴェイルはふー、とため息をついてゲットの後頭部を見つめる。
 ここはアリアハンの宿屋。ゲットもディラもヴェイルもここに家があるのでそっちに行ってもよかったのだが、ヴェイルは家族と会うとなぜまだ旅を続けているのか質問攻めに遭う上自分に対抗心バリバリの兄姉と喧嘩になるし(妹とは会っておきたいが)、ディラは帰ればすぐお見合い攻勢だと言われたし(バラモスを倒した英雄と結婚したいといういいとこの家はけっこう多いらしい)、ゲットは……何度か会ったことのあるゲットの母親と祖父の性格からして、落ち込むゲットに『なにを男らしくないことを!』と怒るような気がしてヴェイルとディラで帰還を見合わせた。
 そして、馴染みの宿屋に二部屋用意してもらい、とりあえずディラが話を聞くのでヴェイルはゲットの方をなんとかする、ということに(ディラとヴェイルの間で)なったのだが――
 ゲットは部屋に入るなり、ベッドの隅に体育座りしてじーっと壁を見つめて動かなくなってしまったのだ。
 こういう落ち込み方は初めてな気がする。ゲットはいつも、どんなに落ち込もうとも、前に進むことを――ユィーナに近づくことをやめはしなかったのに。
 いや、似たような経験なら一度あった。バラモスを倒す直前、竜の女王の城で。ユィーナを傷つけてしまったと、ゲットの方が傷ついているみたいな顔で座っていた時だ。
 今回は、あの時よりもっと重症な気がする。
「……あのさ……こういう言い方って噴飯ものなのかもしれねぇけどさ、今のお前、らしくないよ。お前はいつだってユィーナのことばっか考えて、猪突猛進で突貫して、ユィーナのこと押し流してきたじゃん。そりゃ、今そうするのがいいとは言わないけどさ、もう少し……普段通りにしても、いいんじゃ……」
「そうして嫌われて別れをつきつけられるのか」
「………!」
 ぼそりと返したゲットに、ヴェイルは目を見張った。
「……俺は嫌だ。俺はそんなの嫌だ」
「ゲット……」
「殴られても、刺されてもいい。メラゾーマだろうがイオナズンだろうがどんとこいだ。だけど……ユィーナと、離れるのだけは……ユィーナと、一緒にいられなくなるのだけは、絶対に、嫌なんだ」
「…………」
「あの時……ユィーナは本気だった。本気でパーティから抜けようとしていた」
「…………」
「ユィーナと俺は運命で結ばれてるって確信してる。今でもそのつもりだ。だけど――それ以上に、絶対的にはっきりしてるのは。俺とあいつは、俺が勇者じゃなければ、魔王を倒す旅に出る人間じゃなければ、結ばれなかった――それどころか出会いもしなかったってことなんだ」
 ヴェイルは思わずまじまじとゲットを見つめてしまった。
 もしかして、これは――ゲットが、弱音を吐いている、のか?
「……なんで、そんな」
「あいつは――ユィーナはいつも前を向いている。俺と違って、いつもやるべきことをひたむきに、全力でやろうとしている。だから勇者が必要だった。そして俺はたまたま運よく、あいつに見出してもらった。――俺が勇者じゃなければ俺は、必要としてもらえなかった。勇者じゃない俺は、あいつには必要じゃないんだ」
「ゲ――」
「……怖いんだ」
 ゲットは搾り出すように吐露した。
「俺とあいつの間には最初から勇者≠チていう要素があった。それがなけりゃ成り立たない関係だった。だから……だから、あいつが勇者なんてもういらない、って言ったら」
 唐突に、ゲットはぼろっと、一粒だけ涙をこぼした。驚くほど、大粒の。
「俺はもう、あいつのそばにいることができないんだ………」
「…………」
 ヴェイルは小さく息を吸い込んで、きゅっと拳を握り締めた。

「……つまり、なに? あんたは、自分が恋愛感情に一瞬血迷ったから、自分にはもう旅をする資格がないって、そう言うわけ?」
「はい」
 ユィーナはこくんとうなずいた。
「大魔王を倒すためにはパーティメンバー全員が冷静な判断力を保ちつつ的確に行動しなければなりません。私は、そのどちらも、失ってしまった。ゲットへの感情に血迷って、仲間の命を危険にさらした。このまま旅をしていれば同じことが幾度も繰り返されるでしょう。――そんな人間に、勇者の――ゲットのパーティメンバーでいる資格はありません」
「………………」
 ディラははー、と深々と息を吐いた。
 そして―――
「いたっ!」
「手加減してんだからいいでしょーよ。あんたあたしが思いっきり殴ったら死にかねないからね」
 頭を殴られて涙目になりながらディラを見上げるユィーナに、ディラはいくぶん据わった目で睨むように見返しぐっと胸倉をつかんだ。
「あんた、あたしたちのこと舐めてんの?」
「え……」
「確かに今のあんたは色ボケてるわよ。仲間のこと考えてるよーでいて自分とゲットのことしか考えてないし。あんたが突然そんなこと言い出して、あたしたちがどう思うかとか全然考えてないしね」
「……っ、別にそういうわけでは――」
「考えてるんだったらハナっからこんなこと言い出さないわよ。あたしたちは曲がりなりにも、パーティメンバーとして二年間やってきたんでしょ。お互いに背中預けて、命預けて戦ってきたんでしょ。それなりに信頼関係っちゅーもんが芽生えてるでしょ、違う?」
「……違いま……せん」
「じゃあなんであんたはあたしたちに頼ろうとか考えないわけ?」
「――え?」
 思わず口を小さく開けるユィーナを、ディラは怒りを籠めた視線で睨みつける。
「色ボケるのは悪いわよ、曲がりなりにもプロの冒険者だったらプライベートと戦闘は分けてほしいわよ。だけどね、だからってどーしていきなりパーティ抜けるって話になるわけ? 言っとくけど、あたしたちはあんたが大切なの。欠かせないパーティメンバーだと思ってんの。それを失うくらいだったらあんたが始めての恋愛に慣れて恋愛と戦闘分けられるようになるまでの間のフォローぐらいするわよ」
「え……」
「あたしたちはあんたを見捨てたりしない」
 ディラはきっぱりと言い切った。
「あんたがたとえ冒険者として褒められない行動しようが、信頼できない状態になろうが、それも考えに入れてフォローしつつ行動するのがキズナで結ばれたパーティってやつでしょう、違う? 少なくともあんたのそんな状態長く続かないってわかってんだからその間くらい頼られてやるわよ」
「……なんで、そんな……そんな保証、どこにもないじゃないですか! 第一あなたたちがそこまでして、自分の命を危険にさらしてまで私のフォローをする必要どこにも」
 がつん、と再び拳が頭に落とされた。
「殴るわよ」
「もう殴ってます……」
「あんたねぇ、自分だけがこの旅で責任負わなくちゃなんないとでも思ってんの? あたしたちのことそんなに信頼してないの? あたしたちは自分の意思でこの旅についてきた以上命を危険にさらす覚悟はしてるし、死んだからってあんたに文句言う気も責任押し付ける気も全っ然ないわよ。それにねぇ、フォローをする必要=H なにそれ。じゃああんたは必要≠セけであたしたちと一緒にいたの? 魔王を倒すのに必要なコマとしてしかあたしたちのこと見てなかった?」
「ちが……」
「そうでしょ。違うでしょ。あたしたちはそりゃ、喧嘩もするけど、お互いのことをシンプルに、大切だって思ってるでしょ。そういう関係を二年かけて築いてきたはずでしょ? だったらあたしたちのことちゃんと信頼しなさい。頭脳労働あんたに任せきりだろうがなんだろうが、あたしはあんたにしばらく頼られるぐらいの甲斐性あるわよ」
「ディラ……」
「それにね。あんたの色ボケ状態が長く続かないなんて保証ないとか言ってたっけ? そりゃ保証なんてないけどね、あんたを信じる材料だったらいくらだってあんのよ」
 ユィーナは思わず目を見開いた。
「信じ……る?」
「そーよ」
 ディラは深々とうなずく。
「あたしはきっぱり断言できる。あんたはどんなことがあろうとやるべきことを途中で放り出すようなやわな女じゃない。一度やると決めたことは石にかじりついても胃から血ィ出してもやり遂げる女よ。――今まで何度もそーいうとこ見てるからね」
 呆然とディラを見上げるユィーナに、ディラはふいにふっと視線を緩めて、優しく微笑んでユィーナの背中に腕を回した。――ハグしたのだ。
「あんたは今まで自分を完全にコントロールできてたから、初めてのことに遭遇して気が動転しちゃったのね。今までができすぎてた分、反動もでかかったんだ」
「ディ……」
「だいじょーぶよ。あんたがちょっとぐらいミスしようが悪いことしようが、あたしたちはあんたを見捨てない。だって――」
 間近のディラの顔がにこっと微笑んで。
「仲間でしょ?」
 そう言われたとたん、不覚にもぶわ、と瞳から涙がこぼれおちてきてしまった。ディラは少しも驚かず、優しい笑みを浮かべたままぽんぽん、と背中を叩いてくれる。
「だいじょーぶよ。大丈夫。あんたは悪くない。むしろ偉いわよ。これまでずっと一人で責任背負い込んで耐えてきたんでしょ? ちょっとぐらい休んだって誰も責めたりしないって。つか、責める奴がいたらあたしがぶん殴る!」
 陽気に、優しくそう笑うディラ。
 ユィーナは、この時初めて、心の底から。
 仲間がいてよかったと、この仲間たちでよかったと、そう思った。

「バカヤロウッ!」
 叫んで一発素早く殴ったヴェイルに、ゲットは即座に殴り返した。
「……ってぇっ!」
「なにをする」
「殴る前に言えよそういうことはっ! てて……」
 あざになった顔をさすりながら、ヴェイルはきっとゲットを睨む。
「ゲット。お前、駄目だよ。恋愛の仕方、わかってねぇよ」
「お前はわかってるとでもいうのか」
「そりゃ俺だってちゃんとわかってるとは言いがたいけどっ、お前よりはわかってる! だってお前、ユィーナのこと全然信じてない!」
「……なに?」
 ゲットはぎろりと睨みつけたが、ヴェイルはびくりとはしたものの昂然と顔を上げてゲットに言葉を叩きつけてくる。
「俺はお前のこと尊敬してたよ! 強いとか、そういうのもあるけど、めちゃくちゃ一途に、ひたむきに、ユィーナのこと好きだっていうとこ、尊敬してた! 馬鹿みてぇって思う時もあったし迷惑こうむる時の方が多かったけど、それでも俺はお前のことすごいって思ってたんだよ!」
「…………」
 ゲットは眉をひそめた。なにが言いたいのだろうこいつは。
「だけど今のお前は最低だっ! ユィーナのこと信じてないし、それどころか自分のことも信じてない! そんなのっ……、全っ然お前らしくねぇっ!」
「…………」
 ゲットはヴェイルの表情に少し驚いていた。こいつ、泣いてるのか?
 ……なんで?
「お前はいつだってユィーナと自分のことだけは絶対的に信じてたじゃねぇか! ユィーナは自分のことが好きで、自分もユィーナのことが好きだって! お前その時勇者だからとかなんだとかそういうことまで考えてたかよっ、違うだろ!?」
「…………」
「運命で結ばれてるって思うんだったらそのまま突っ走っちまえばいいじゃないかよ! それがいつものお前だろっ! 俺は、そういうお前が……お前が……」
「……ヴェイル。泣くな」
「泣いてねぇよ……」
 涙声で言って目元を擦るヴェイルに、なんと言えばいいのかわからずゲットは沈黙した。
 なんなのだろう、この感情は。ユィーナを思うのとはまるで違う、ほんのりと胸のところが温かくなるような気持ち。
 自分のことで泣くヴェイルを見ていると、なんだかたまらなく、胸が疼く。
「泣くな。悪かった」
「………っ」
「お前は俺のことをそんなに尊敬してたのか?」
「……ああ」
 ヴェイルはぐいっと目元に最後の一擦りをしてからうなずいた。
「俺の愛にそんなに感じ入っていたわけか。全然気づかなかったぞ」
「……当たり前だろ。尊敬の気持ちとおんなじくらい呆れる気持ちもあったし……」
「変な奴だ」
「お前に言われたかねぇよ」
 ふっと笑うと、ヴェイルもつられたようにへらっと笑った。まだ瞳は潤んでいたが、声の調子は落ち着いている。
「俺の愛のどこをそんなに尊敬してたんだ?」
「……そりゃ。なんつーか……本気でユィーナしか見えてないとことか。普通ならマイナスになるようなことなんだろうけど、ああまで突き抜けられると見てる側も気持ちいいっていうか、どこまでそのままでいけるか見てみたくなるっていうか……それにお前、方向は間違ってたけどユィーナのために努力惜しまなかったし」
「たとえば?」
「ユィーナを守るためにっていうんで剣の稽古絶対に欠かさなかったし。ユィーナがしてほしいなって思ってること、先回りしてしようとするし。ユィーナに毎日毎日台詞変えた愛の言葉囁いてたし……」
「……気づいてたのか」
「当たり前だろ。いつから一緒にいると思ってんだ」
「二年前から、だな」
「だろ」
 へへっとまるで泣き笑いのような顔で笑うヴェイルに、ゲットは苦笑して肩をぽんぽんと叩いた。
「そうだな。俺はユィーナが本当に好きなんだ」
「うん……」
「だったら、いろうがいらなかろうがひたすら、愛を囁くしかないよな?」
「え……かどうかはわかんないけど……」
「よし! そうと決まればこれからユィーナに愛を囁きに行ってくるか!」
「え!? ちょ、おい待てよ! 今ユィーナディラと話して――」
「ヴェイル」
「え?」
 ゲットはなぜか、ひどく自然に微笑みながらヴェイルに言った。
「すまんな。ありがとうな、助けてくれて」
「……当たり前だろ、そんなの。仲間なんだから」
「仲間、か……そうだな」
 ゲットは口元に笑みをはきながら部屋を出た。
 旅に出てから初めて、むしろ生まれて初めて、仲間っていうのもいいもんだな、と思い始めていた。

「……私、自分が信じられなかったんです……異性に対する恋愛感情だなんてくだらないものに、自分が支配されるなんて許せませんでした。自分にはそんなの似つかわしくないって、思っていたんです……」
「まぁ、あんたの生い立ちなら無理ないかもしれないわね」
 優しく髪を梳くディラに、ユィーナはぽつぽつと心情を語り始めていた。
「怖くもありました。自分が弱くなってしまいそうで。ゲットが自分を嫌ったらと思うとたまらなく恐ろしくて、そんな自分がたまらなく嫌でした」
「うんうん」
「ゲットのことを信じられなくて――今でも信じているわけではありませんが。傷つくのが怖くて、がんじがらめになっていたんです」
「恋愛なんてそんなもんよー」
 ユィーナは思わずディラの顔を見つめてしまった。
「そうなんですか?」
「そうそう。相手のことが信じられなくて怖くて不安で苦しいもんよ。でも恋愛なんてね、乱れてナンボなのよ。心が乱れない恋なんてあたしは恋って呼ばない。それでもそれ以上に嬉しいって思えることがあるから、恋してよかったって思えるんだけどね」
「……私は嬉しいと感じたことなどないように思うのですが」
「それはゲットの甲斐性がないからよ」
「え、で、でもこれはゲットのせいではないのでは……私の情緒に障害があるのが問題かと」
 そう言うとディラはふっふーんと笑った。
「相手を庇うくらい恋心に目覚めちゃってんだー」
「……そういうわけでは」
「いいじゃない、好きなら好きで。そばにいたいなら近づけばいいし言いたいことがあるなら言えばいい。気持ちのおもむくままに、ね。もちろん相手の迷惑も考えなくちゃだけど、相手がゲットならその心配はないでしょ?」
「……そうですね」
 苦笑して、ユィーナはゆっくりと立ち上がった。
「行くの?」
「はい。ゲットと、ちゃんと話をしようと思います」
「そか。行ってらっしゃい」
 あっさりと言うディラに、苦笑しつつもうなずく。
 今にも膝が震えそうに怖いけれど、やはりこれは自分がやらねばならないことだ。
「行ってきます」
 そう言って、ユィーナは部屋を出た。

 ゲットとユィーナは部屋を出た瞬間、ぴたりと視線が合った。同じタイミングで相手も部屋を出て、相手の部屋に行こうとしていたのだ。
 双方、数瞬固まる。それぞれ驚きと相手に対するまだわずかに残っている恐怖で。
 だが双方同時にそれを克服して、口を開いた。相手に言わなければならないことがあるのだ。
『あの!』
 双方ぴったり同じタイミングで口を開き、口を閉じる。
 しばしお互い視線で譲り合って、結局また同時に口を開いた。
『話したいことが』
 そしてまた同時に口を閉ざす。
 お互い相手の顔を見つめたまま動けない。お互いいっぱいいっぱいだった。相手がいっぱいいっぱいなのには気づいていないが、それでも自分の言わなければならないことは覚えていた。
「ユィーナ」
「ゲット」
 同時に口を開いて、また閉ざす。お互い相手の顔をじっと見つめ――
 先にゲットの我慢の緒が切れた。
「ユィーナ!」
 ぐいっとユィーナの手を握り、引き寄せる。
「ゲ……ゲット……」
 ユィーナもわずかに頬を染めつつ応えた。
「ユィーナ……あのな」
「…………」
 この時ディラとヴェイルはそれぞれの部屋からこっそり様子をうかがっていたのだが、二人にはそんなもの目にも入らない。
「あのな……ユィーナ」
「………はい」
 ユィーナが潤んだ瞳で、わずかに顔を伏せつつ答える――
 と思うやゲットは叫んでいた。
「ユィーナっ、俺と結婚を前提に付き合ってくれ!」
『………………………………』
 しばしの沈黙―――
 ディラは『なにをいまさら言うとんじゃ阿呆かあの野郎はーっ!』と頭を抱えており、ヴェイルは『……いつものことながらずれてる奴……』とため息をついていたが、ユィーナは。
 小さな小さな声で、顔を真っ赤にしながら、決死の表情で。
「……はい」
 と呟いたので、ゲットは街中に響くかと思うほどの歓声を上げ、ディラとヴェイルはずっこけたのだった。

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