ひとときの休息
 むろん自分たちは初めて会った時から運命のえにしで結ばれていたけれど。このたび天下晴れて、文句なしに、問答無用で恋人同士になった。
 となればこれから自分たちを待っているのは、無敵に甘い甘い日々! 大魔王なんぞぺぺぺのぺい、でぶっ倒し、自分たちはこれから一生永久にラブラブハッピーでゴゴウゴウ!
 ……で当然だしゲットもその気持ちに変化はないのだが。
 ないのだが――

「ラブラブハッピーな恋人同士って具体的になにをすればいいんだろうっ!?」
 ゲットに相談があると呼び出され、真剣な顔でそう叫ばれたヴェイルの頭の中に、瞬間的に三つの選択肢が浮かんだ。
 1.とりあえず理解できるまで話を聞いてみる。
 2.「なんで俺にそんなこと聞くんだよバカっ!」と叫んで平手打ち。
 3.「知るかボケェ!」と叫んでメラゾーマ。
 心情的には三番を選びたいところではあるのだが、さすがにそれではゲットに悪いし、第一自分がやったら倍返しされることは確実だ。ゲットと喧嘩したら確実に自分が負けるし。
 なので1番を選択。
「どういうことだよ? お前ら、うまくいってるんじゃなかったのか?」
「ああもちろん俺とユィーナはこれ以上ないほどラブラブだともっ! 昨日もユィーナの(ピーッ)が(ピーッ)て(ピーッ)になるまで愛し合って」
「いやそこらへんはあんまり聞きたくない生々しいし。……ラブラブならいいじゃん。なんでそんなこと聞くんだよ」
 そう言うとゲットはでかい体をもじもじとさせながら(胸の前で指と指をつつき合わせている)、恥らいつつ言った。
「いや、だからな……なんていうんだ、その。まぁ、あれだ……その、つまりだな」
「恥らうなよ……そのガタイで」
「やかましい。……あのな」
 ぽそぽそと言った言葉にヴェイルはあんぐりと口を開けた。
「なにを話していいかわからないィ?」
「ああ。……なんていうか、その……俺たちが運命で結ばれた恋人同士だとせっかくユィーナも認めてくれたんだから、こう……今までとは違ったようにぐぐぐっと心の距離を縮めようと思うんだが、そう思えば思うほどなにを話せばいいか思いつかなくてな……」
 照れ照れと言うゲットに、ヴェイルはめまいを覚えながら訊ねる。
「だってお前、さっき昨日も、その、したって……」
「? ああ、したが」
「だったら話したんだろ?」
「いいや」
「……はァ!?」
「愛を交わすのに言葉はいらない。目と目で通じ合うそういう仲に俺たちはなっているんだからな!」
「……だったらそれでもーいーんじゃ」
「いやよくない。俺はユィーナともっともっといちゃいちゃしたいんだ。いろんなことを話せた方が仲がいい感じがするだろうが! それに言葉にしなきゃ通じないこともあるって以前爺ちゃんが言ってたし!」
「そりゃそうだけどさぁ……」
 ゲットがそういうことを気にするほどデリカシーがあるとは思っていなかったのだが。いつも衝動と思い込みのままに暴走する愛情特急のゲットが。
 それに、なんでそんなことを自分に聞くんだろう。
 ……まぁ、他にいなかったからなんだろうけど。なんだか、複雑な気分だ。
「で、どうなんだヴェイル。ラブラブハッピーな恋人同士って、なにをすればいいんだ?」
「……喋れねぇことが問題なんじゃねーの?」
「だから、二人で一緒になにかをすれば会話も自然と生まれてくるだろうが。それに世間の恋人同士がやっていることを俺たちができないというのは我慢ならん。俺たちは世界一ラブラブな恋人同士なんだからな!」
「…………」
 そのこだわりはよくわからないが。とりあえず、ゲットが自分になにを求めているか理解はできた。
 だが、そんなことを自分に聞かれても。ヴェイルなんてこの十九年間恋人なんていたことがないのに、どう答えろというんだろう。
「……とりあえず、デートでもしてみたらどうだ?」
 無難で一般的な答えを言うと、ゲットはきょとんとした。
「デート?」
「……お前まさかデートがなにか知らないとか言うんじゃ」
「そんなわけないだろ、恋人同士がいちゃいちゃしながら遊びに行くことをいうんだろう?」
「……間違ってはいないけど」
「ならいいだろうが。しかし……デート……デートか。……いいかもしれん!」
 ゲットの瞳がぎらりと輝いたのを見て、なにかまずいことを言ってしまったような気になったがもう遅すぎた。
「よっしゃあ待ってろよユィーナっ! 最高のデートをお前にプレゼントしてやるっ! 感謝するぞヴェイル、この礼はいつか必ずするからな!」
「いや、気にしないでいいから……」
 瞳を燃え上がらせながら宿屋に付属の『アレフガルド旅行マップ』を猛烈な勢いでめくりだすゲットに、ヴェイルは思わずため息をついた。
 また、疲れることになりそうだ。

 初めて会った時はこんなことになるなんて思ってもいなかったけれど。自分たちはとうとう、参ったことに、認めたくない気持ちもあったりするけれども本当に恋人同士になってしまった。
 となればこれから自分たちを待っているのは、さらなるゲットの暴走に違いない。ゾーマを倒すまでの間にもどんどんと激しくなるであろうゲットの猛攻を、ユィーナは覚悟していた。
 していたのに――

「……ゲットの様子がおかしいんです」
 ユィーナにうつむき加減に、けれど真剣な顔で相談されたディラの頭の中に、瞬間的に三つの選択肢が浮かんだ。
 1.親身になって話を聞く。
 2.「あいつは最初っからおかしーじゃない」と軽くボケてみる。
 3.「知るかバカップル」と鉄拳制裁。
 ユィーナに3はどうかと思うし、ユィーナが本気で真剣っぽいので2をやったら怒られそうだ。
 なのでここは1番。
「おかしいって、どこが?」
「……なんというか、妙に遠慮深いというか……今までなら猿のごとく私と性交をしたがったのに、その頻度も減ってきていますし……今までのようにすぐ私を押し倒そうとするのではなく、押し倒す直前にやめるようになっていますし……」
「いいことじゃないの」
「それは……そうかもしれませんが」
 ディラはうつむくユィーナににんまりと笑ってやった。
「あーわかった。要するにあんたはゲットに今までみたいに強く求められないのが不満なんだ?」
「なっ……!」
「飽きられたんじゃないかとかー、釣った魚に餌やらないタイプなのかとかー、私のこともう好きじゃないのかしらとかー、考えちゃってるわけでしょ?」
「ちっ、違いますっ! 私は別に、ただ、私は……」
「私は?」
 ユィーナは顔を真っ赤にして再びうつむき、ぽそぽそと言った。
「ゲットにもし、なにか重大な体調不良などがあったら、困るなと……性病を伝染されても嫌ですし、勇者に、そうでなくともパーティメンバーに体調不良があったら、戦力は低下しますし……それに……」
「それにー?」
「……彼の体調管理は、私の仕事ですし……」
「ふーん?」
 にやにやと言うディラに、ユィーナは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「私は別に! ただ仲間として彼の面倒を見ているだけで、特に私心は」
「ありまくりじゃないのよ。あんたら恋人同士になったんでしょ? だったら恋人の面倒見るのは当然ってことでいいんじゃないのー?」
「………っ!」
 顔を真っ赤にして泣きそうな顔で唇を噛んでこちらを睨みつけるユィーナ。かっわいー、とディラはにやにやしながら思った。この自分のことを冷血だと思っている女が恋に戸惑う様子を見るのは、百戦錬磨のディラとしては非常に楽しい。
「からかうだけならもうけっこうです!」
「あーはいはい悪かった悪かった。で、つまりなに? 要するにゲットにもっと積極的になってほしいってことでしょ?」
「違いますっ! 私はただ、彼になにか思うところがあるのなら、話して、ほしいって……恋人になったんだから、そのくらい要求しても、いいんじゃ、って……私、彼の気持ち、よく、わかりませんし……」
 最後の方はぼそぼそとした声になって泣きそうな顔で言葉をつむぐユィーナに、ディラはんー、と少し考えるふりをした。
「そうねー。それなら、デートにでも誘ってみたら?」
「………デ……ート?」
 きょとんとするユィーナに、ディラはからかうような顔になる。
「まっさかデートを知らないとか言うんじゃないでしょーねー?」
「し、知ってます! 恋人同士ないしそれに準ずる二人が遊びに出かけることでしょう?」
「そーそー。普段とは違うシチュエーションで自分の今までにない一面見せて、がっちり男心をつかむわけよ」
「べ、別に私は男心なんてものをつかみたいわけでは」
「ゲットの気持ちが知りたいんでしょ? だったらデートしかないわよ! 二人っきりで街に出れば相手の心もわかるはずっ!」
「そ……そうなんですか?」
「そーよ」
 ディラは自信たっぷりにうなずいた。もちろんそんな保証などどこにもないのだが、恋愛にはウブウブネンネなユィーナは疑いつつも信じようとするはずだ。
「しかし……私たちには現在重要な目的があるというのに、遊びにいくというのは……その間ディラとヴェイルを遊ばせておくのも問題ですし」
「たまには息抜きぐらいしたっていーじゃん! それにさー、ゲットとのコミュニケーションがうまくいってないんだとしたらさー、戦闘で失敗しないよーに可及的速やかに対処しておくべきじゃない?」
「………………」
 ユィーナはしばらく難しい顔をして考え込んでいたが、やがてふぅ、とため息をついてわずかに顔を赤くしつつ言った。
「わかりました……」
「おお! デートに誘うのね?」
「……っ、そう決まったわけじゃありません! ただ、その……相談に乗ってくれて、ありがとうございます……」
「どーいたしまして」
 けっこう楽しかったし、とはもちろん言わない。

「……しかし、デートの誘いというのはどうすればいいんだろうな」
 ぶつぶつ言いながらゲットは宿屋の廊下をずしずしと歩く。旅の間にますます背が伸びたゲットの体の大きさは、いまや190cmを超える。総身がほぼ筋肉なこともあって、体重もずっしりと重く歩くだけで床が揺れるのだ。
「旅の最中だというのに突然『どこかに遊びに行きませんか?』なんて言うのも不自然ですし……」
 その廊下を曲がった向こうには、ユィーナが曲がり角に向かい歩いてきていた。ユィーナも同様に口の中で独り言を呟きながら、考え事をしながら歩いている。
「しかしユィーナはどう思ってるんだろうか……俺とデートしたいと思ったりしているんだろうか。俺たちは運命で結ばれた恋人同士だからやはりぐぐっと距離を縮めたいとは思ってくれているだろうが……」
「ゲットはなにを考えているのかしら。私のことに興味をなくした……にしては、毎晩のように……(顔赤)求めて、くるのもおかしいですし……でもその求め方にがっついている感じがないというか、紳士的で拍子抜けするというか……別にがっついてほしいわけではないですが……」
 うんうん唸りながら歩みを進め――
「きゃっ」
「おっと」
 曲がり角のところでぶつかった。
 ゲットは反射的に相手を見る余裕もなくぶつかった人間の体を支える。
「すまん、大丈夫か……あ」
「ゲット………」
 この時、ようやく相手が今一番心の中で大きな居場所を占めている人間だと悟り――お互い、同時にぼっと顔を赤らめた。
「ユ、ユィーナ。大丈夫か? すまん、ぶつかったりして」
「い、いえ。私も前方不注意でしたし……」
 微妙に視線を逸らしつつ、相手に謝罪する。
『………どうしよう』
 お互いが同じことを思っていた。
(なんというか、押していいものかどうかわからん……ユィーナの恥らう表情はたまらん可愛いが、ここで速攻押し倒すのはなんとなくまずい、ような気が……)
(どう切り出すべきなのかしら……そもそも以前のゲットなら私がなにか考える間もなく問題行動を頻発させていたので、こう普通に話しかけられた時の対処法がまだ確立できては……)
(だ、だが、だがっ! 恥らって視線をそらすユィーナもたまらん可愛いが、俺としてはやはりもっとこー、いちゃらぶ〜っというのをしてみたいっ!)
(いえ、いつまでも対処法を検討していても時間の無駄です。物事はすべて効率的に。失敗を恐れているだけではなんにもならないというのは人間関係でも通用する事実のはずです、実際に話しかけてコミュニケーションをとりながら対処法を学んでいかねば!)
『あのっ!』
 二人同時に口を開き、相手の声にびくりとして慌てて譲り合う。
「あ、す、すまん、ユィーナ先に言ってくれ」
「い、いえ、私も、その、大したことではないので。ゲットが先に言ってください」
「そ、そうか? じゃ、じゃあ……え、えーとだな」
 ゲットはしばらくえーだのうーだの言っていたが、やがて心を決めたように大きく咳払いをして、ユィーナの瞳を見つめ言った。
「ユィーナ。俺と、その。デート、しないか?」
「え……」
 大きく瞳を見開いて硬直するユィーナ。ゲットは内心思わずうわー駄目なのかどっかで失敗したのか俺はぁぁぁ! とパニくったが(表情筋は緊張のあまり動かない)、ユィーナは数秒の沈黙のあと、こくん、と小さくうなずいてくれた。
(うっしゃあぁぁっ!)
 思わずガッツポーズを取るゲットからまた恥らったように視線をそらすユィーナ。ゲットはそれを見て頬を紅潮させながらも、「じゃあ、明日の九時、ロマリアのいつもの宿屋前で!」と叫ぶとその場を走り去った。
 残されて、どこか切なげな表情でそっと胸のところを握り締めるユィーナに、実は最初からこっそり見ていたディラは思わずこめかみに青筋を立てた。
「やることやっといてよくもまーあーも乙女チックできるもんだわったく」
「のぞいときながら文句言うなよ……」
 一緒にのぞいていたヴェイルはわずかに眉を寄せながら肩をすくめつつ思う。――ゲットの奴、大丈夫だろうか。

 ゲットは翌日、朝四時に起きた。当然ながら早寝早起きのゲットにしても通常よりはるかに早い。
 日課の剣の稽古を済ませて、軽くシャワーを浴びて汗を流し。そこから今日の下準備だ。
 デートの心得はヴェイルに(さんざんねだってわめいて)聞き出している。鉄則その1、なによりまず清潔な印象を与えるようにすること。体の隅々まで、匂いがしなくなるまで洗って、歯を磨き、髪を整えておろしたての服を着る。
 鉄則その2、絶対に時間には遅れないようにすること。ここまででもう六時半にはなっている。待ち合わせは九時――ゲットは当然のように宿を出た。万が一にも億が一にも、待ち合わせに遅れるわけにはいかない。
 花かなにか買っていった方がいいのか、とちらりと思ったが、昨日のヴェイルの言葉を思い出して首を振る。鉄則その3、相手の気持ち・状況を考えること。『一日歩くことになるデートの前に荷物になる花とか渡されても困るだろうから最初に花とか渡すなよ、デートの途中で買ってプレゼントしろ』とヴェイルは言っていた。
 よし、と気合を入れて歩き出す。今日のデート絶対に成功させて、ユィーナとの距離をぐぐぐっと縮めてみせる!

 ユィーナはデート当日、朝四時半に起きた。言うまでもなく早寝早起きのユィーナにしても通常よりはるかに早い。――目が冴えてしまってこれ以上眠れなかったのだ。
 日課の武器訓練・呪文練習を軽く行ってから、シャワーを浴びる。そして宿屋付属のバスローブのまま部屋に戻ってきて、途方に暮れて座り込んだ。
 服が、まだ決まっていないのだ。昨日手持ちの服やらディラが選んで買ってきてくれた服やらの中から候補は選び出したものの、ひとつを選んでしまうとどうにもおかしいような気がしてしょうがない。
 そもそもユィーナには服飾について興味も関心も持ったことがなかった。服飾の歴史やら服飾の流行の変遷に見る経済情勢などだったら一時間でも語れるが、そういうことはデートにどんな服を着ていけばいいか、ということには少しも役立たない。
 ディラも昨夜しばらくは衣装選びの相談に乗ってくれたものの、四時間でストップをかけられた。
「いーからあんたはもう寝なさい。早く寝てお肌の調子をよくするのもデート前には必要なことなの。体調がよくなきゃデートなんて楽しめないでしょ?」
「私は別に楽しみたいわけでは――」
「デートなんて楽しくなきゃやる意味ないの。義務でエッチしたって気持ちよくないでしょー? それといっしょ。いーからあんたはちょっと寝て落ち着きなさい。頭をすっきりさせて落ち着いて服選びしてみなさいよ、そしたら案外ぱぱーって決まるかもしれないんだから」
 納得するのではなかった、とユィーナは泣きそうになりながら思う。ちょっと眠ったところでこの果てしない難題が解決するとはとても思えなかったし、事実解決する見通しは全然立たない。
 現在の候補は――五月の陽気に合わせた今ロマリアで流行のふわふわレースつきシルクのワンピース。ディラは「あんたはやっぱ清純派路線よねー」と一押しだったが、ユィーナには可愛らしすぎて自分のような冷血女にはそぐわない気がしてしょうがない。
 第二候補、ちょっと大人しめに、すっきりとしたデザインの七分袖サテンのブラウスとセミフレアスカート。大人しいのはいいのだが、地味すぎるとディラには言われたし、それだけならまだしも「おばさんくさい」とまできっぱり言われてしまった。こうまで言われるとそれを選んだら本当に悪いような気がしてきてしまう。
 第三候補、涼しげなノースリーブに巻きスカート。第四候補、襟ぐりを深くあけたカットソーにフレアスカート。どちらも悪くはないのだろうが、これでいい、とするにはなにかが欠けている。
 やっぱり別の服にするべきかしら、だけど昨日のうちに用意できた服はこれで全部だし、それ以外の服は野外活動用の服ばかりでデートに着ていく服としては不適当に思えるし――
 泣きそうな思いで姿見の前で服を合わせていると、ディラが起きてきた。
「おはよぉ〜……ってあんた、まだ服決まってないの?」
「………はい………」
「だってもー八時半よ? そろそろ準備した方がいいんじゃない?」
「………!!!」
 ユィーナは硬直した。服を選ぶことばかりに神経を集中させて、時間のことをすっかり失念していた!
「…………! …………!」
 もうここがおかしいだの似合わないだの言っている場合ではない。手近にあったワンピースをばっと着込み、大急ぎでロマリアへ行こうと部屋を飛び出しかけて、ディラに腕をつかまれた。
「なにをするんです!」
「あんた髪ぼさぼさよー? そんなに慌てなくったってあいつなら一時間や二時間へーきで待つわよ」
「そういう問題ではっ……!」
「みっともない格好でデートに行くくらいなら男を待たせろ! これ女の基本よ? 女っていうのは人前ではいつだってきれいでいなくちゃいけないの」
「私はそういう性別で役割を割り当てられるのが一番嫌いなのですが」
「あはは、そー怒った顔しないでってば。そんなに固く考えなくたって、あんただってどーせならゲットにきれいなとこ見てほしいでしょ?」
「う……それは、まぁ……」
「じゃー決まり! ほら髪とかメイクとかやってあげるからこっちきなさい!」
「きゃ……!」
 それから化粧水をつけられたり髪をいじられたり白粉をはたかれたり紅をひかれたり、とさんざんいじられて、ユィーナはディラに送り出された。
「うんかわいーかわいーv そのカッコでちょっと息きらせながら『遅れて、ごめんなさい……!』とか言えばゲットならあっさりメロメロになるわよー」
「………っ、ふざけないでくださいっ!」
 もはや自分の顔を確認する余裕もなくユィーナは走った。どうしよう、もう九時だ………!

 ゲットは待ち合わせ場所ですさまじくおろおろしていた。
 待ち合わせ時間になってもユィーナが来ない。もしやなにか事故に遭ったのじゃないだろうか。いやもしかしたら魔物に教われて助けを待っているのかもしれない。助けに行かなければ、でももし行き違いになってユィーナを待たせることになってしまったらせっかくの初デートが台無しだ………!
 どうしようどうしよう、どうすればいいんだろう?
「ユィーナ……うおおおおっ、ユィィナァァァァァァッ!!!」
「なんですか」
 間近で聞こえた声に思わずびくりと体を跳ねさせる。振り向くとそこには――
 ユィーナが、立っていた。
「……………………」
 思わず呆然とするゲット。ユィーナは顔を赤くして、微妙にゲットから視線を逸らしながらまくしたてるように言う。
「遅れて申し訳ありませんでした。諸事情がありまして……いえ、こういう言い方は卑怯ですね。大変不覚ながらも今日の衣服の選択に時間がかかり、その上ディラにつかまって化粧やらなにやらを施されて時間をとってしまい……本来ならディラの言葉を無視すべきかとも思ったのですが、彼女の言葉にも一面の真実を感じたというか、不本意ながら説得されてしまい……」
「……………………」
「……あの。この格好……そんなに、変、ですか………?」
 顔を、特に目の端を赤くして、泣きたいのを必死に堪えている顔でユィーナはこちらを見上げる――その言葉すらほとんど耳に入らないまま、ゲットは呟いた。
「………いい」
「は?」
「めちゃくちゃ可愛い」
「………!」
 ユィーナの顔が真っ赤になる。ユィーナはいつだって可愛いが、今日のユィーナは特にめちゃくちゃ可愛かった。
 服はふんわりとしたレースのついた白いワンピース。蒼くサラサラの髪はきれいな髪飾りがついている他は自然に流されて、服の清楚で上品な雰囲気にぴったりの見た目を作り出している。
 ユィーナの顔もいつもと違った。ユィーナは日に焼けても赤くなるだけで黒くはならない、柔らかな白い肌をしているのだが、それがさらに強調されている気がする。普段より輪郭がくっきりとして、唇もきらめくように紅く、ユィーナの整った顔立ちがますますきれいに見えるようになっている――
 ゲットの辛抱の糸はあっさり音を立てて切れた。
「うおぉぉぉぉっ、ユィィナァァァァァ!!! 可愛いぞーっ俺のためにそんなにきれいになってくれたんだなぁぁぁぁぁっ!!??」
「…………!」
 我を忘れたゲットはぐいっとユィーナを引き寄せて押し倒しかけ――動きを止めた。
 ここが天下の往来であることを思い出したからではなく――ユィーナが、まるでなにかに耐えるように、顔を真っ赤にしながら目を伏せて、ふるふる震えながらゲットの力に身を任せているからだ。
 ユィーナが自分のことを受け容れてくれているのがわかるからこそ――ゲットはどうすればいいのかわからなくなって、固まった。
「……そろそろ、行きませんか」
 固まってから数分経って、ユィーナが遠慮がちに言った言葉に、ゲットは「ああそうだなっ!」と無意味に力強く答えるしかなかった。

「あーったくもーなーにやってんのよあのボケはー」
 双眼鏡で二人をのぞきながらぶつぶつと言うディラに、ヴェイルはため息をつく。
「あのさー……なんで俺らがこんな覗き見しなきゃいけないわけ?」
「なに言ってんのよー、あんた気にならないの? あいつらがまともにデートできるかどうか」
「そりゃ、気にならないわけじゃないけどさ……そこまであいつら二人の間のことに踏み込むのは、どうかと……」
「そーれは違うわよヴェイルくん!」
 がっし、と両肩を女とは思えない怪力で握り締め、ディラは力強く言った。
「あいつら二人はまだまだおこちゃま。恋に溺れて二人の間のトラブルを戦闘にまで引きずる可能性だってあるわ。そうならないように! あたしたちがちゃんと見守っていてあげないで、どうするっつーのよ!」
「……でも本音は野次馬したいだけなんだろ……?」
「まぁね〜」
 あっさり笑って、ディラは再び双眼鏡を覗き込む。
「まーいいでしょ、付き合いなさいよ。どーせあんただって今日は暇なんでしょ?」
「…………」
 ヴェイルはため息をついて、遠視の呪文を使いゲットとユィーナの様子をうかがった。気になっていないというわけでは、全然なかったからだ。

 ゲットとユィーナの間には、沈黙が降りていた。
『……なにを話せばいいんだろう……』
 双方その思考のスパイラルにハマっていたからだ。
(デートってなにを話せばいいんだ? そもそもデートって話をするもんなのか? デートプランは完璧に立てているがその移動の途中なにを話せばいいかまでは考えていなかった……)
(なにを言ってもくだらないことになってしまいそうでなにも話せない……デートにおける有意義な会話というのはなにかないのかしら……)
(だが……いつまでも黙りこくっているというのも……きっとユィーナだって俺に話しかけてほしいと思ってるに決まってるし!)
(とりあえず話しかけてみないことにはどうにもなりません。ここは私の学んだ会話術を活かして………!)
『あのっ!』
「な、なんだユィーナっ」
「え、いえっ、そちらこそなんですか!?」
「いや、ユィーナから先に言ってくれ!」
「いえ、あなたから……」
(ああもう、違う! このような非効率的なやり取りをしたところでなにも始まらないでしょう!?)
 ユィーナはぐいっと顔を上げて、できるだけ穏やかな表情を作りながら話しかけた。
「別に大したことではないのですが。この辺りはロマリアでも古い通りなので、歴史的価値を持つロマリア建築が当然のように並んでいたりするのですよ」
「そうなのか」
「ロマリアは石材を用いた建築の発祥の地といわれています。むろん実際には各地方で石材建築文明は独自の発展を遂げていったのですが、その中で最も古く、最も技術的に水準が高いのは間違いなくロマリアであるのは衆目の一致するところでしょう。コンクリートの開発、ドームやアーチのような技術レベルの高い建築物の量産。現在のロマリアがいくつもの国の集合体であり、ロマリア首都はそのまとめ役となった国の首都であるというのは常識ですが、それはすなわち旧ロマリアにまとめ役となるだけの力、技術的アドバンテージがあったということを示しているのです………」
 とうとうとまくしたてて、ユィーナははっとした。こんなに一方的に喋っていいのだろうか。薀蓄をむやみに語るというのは間違いなく嫌われる要因になるだろうに。
 おそるおそるゲットの様子をうかがうと、ゲットはにこにこしている。それに少しほっとして、訊ねてみた。
「ゲットはロマリア建築の中で特に注目すべき点はどこだと思いますか?」
「……は? 今、なにか聞いたか、ユィーナ?」
「え?」
 ユィーナは一瞬唖然としてゲットを見つめ、それからきゅっと柳眉を逆立てた。
「あなた、私の話を聞いていなかったんですか?」
「あ、いや、聞いてたぞ。聞いてはいたんだが」
「いたんだが、なんです」
「俺にとってユィーナの声で語られることは、みんな……なんていうんだろうな、音楽? そんな風に聞こえるんだ。声を聞いていられる幸せでいっぱいになって、なにを言っているかまで覚える余裕がない」
「な………」
 ちょっと呆然として、それから怒るべきか喜ぶべきか迷って、結局なんといえばいいかわからず黙り込んでうつむいた。顔がなんだかむやみに熱い。
「ユッ、ユィーナ? どうしたんだっ、具合が悪いのか? どこかで休むか? なにか飲むか?」
「いえ……そういうわけでは、ありません……」
 なんと言えばいいのだろう。このどこまでも自分に対する恋情を優先させる愚かな男に。
 自分とゲットとは、本当に違う。見ているところも感じるところも目指すところさえも。共通点がひとつもない。だからなにも共通の目的がないのに話が通じるはずがないのだ、この男と。
 なのに――なぜ、惹かれるのだろう。
 そして、なぜ惹かれあっているというだけで満足できないのだろう?
「ユィーナっ、なにか腹に入れるか? 店もそろそろ開き始めるぞ!」
「いえ……」
 ユィーナは顔を上げて、そっとゲットに寄り添った。
「…………!!!」
「今は……あなたとこうして、街を歩いてみたいです」
 これが相当に恥ずかしい台詞だと気づいたのは、数日後のことだった。

「………カーッ! ったくかっゆい台詞言ってんじゃないわよあいつらはーっ!」
「しょーがねーじゃん、初めてのデートなんだからさ。そりゃかゆい台詞のひとつも飛び出すよ」
「あーもーんっとにやることやりまくっといてどーしてあーもスレないでいられるのかしらねー。真剣に疑問よ」
「そりゃ、あの二人が純真だからじゃねーか。お前と違って」
「(ぐいぐい)あんた馬鹿じゃないの純真を売り物に出来るのは十代前半までよ!」
「ぐっ、くるしっ、口で言ったことに技で返すのやめろーっ!」

 二人は無言で街を歩いた。なにか話さなくちゃ、とは思うもののその思考は先刻ほど切羽詰ったものではない。
 どうした加減か、心のどこかが安らいでいた。言葉にせずとも通じ合っているものがあると確信できたせいだろうか、自分の好きな人がそばにいる、その幸福を感じる心の余裕が生まれてきていたのだ。
 喋らなくても、相手は自分の事を気にかけてくれている――
(いやいかんいかんいかんいかん!)
 ゲットはぷるぷると首を振る。
(今回のデートの目的はラブラブハッピーな恋人同士のたしなみとして世間一般の恋人どもに負けないデートをすること! その中には仲良くおしゃべりすることも含まれているっ! そもそもなにか目的があればユィーナと普通に話せるかも、というのがデートする理由のひとつでもあったわけだし……!)
「ユィーナっ!」
「なんですか、ゲット?」
 ちらりとこちらを上目遣いに見上げるユィーナにゲットは思わず欲情したが、すぐぷるぷると首を振った。今の目的はお喋りだ、お喋り。
「えー、とだな。その……」
「…………」
「……な、なにか食うか?」
 違うだろう俺――――っ! まだ昼にもなってないぞ俺――――っ!
 だが、ユィーナはきょとんとした顔をして、それから少し顔を赤くしてうつむき加減に言った。
「……そういえば、私、朝食を食べてきませんでした」
「あ……そういえば、俺もだな」
 デートのことばかり考えていてそれ以外の食事のことを忘れていた。自覚すると猛烈に腹が減ってきた。基本的にゲットは毎食きっちり大量に食う方だ。普段から激しく体を動かしているので、食わないとエネルギーが補給できない。
 今日はそれほど動いてはいないが、内蔵は活発に活動しているらしい。ぐごぎゅるるるる、と音を立てて腹が鳴った。
「…………」
「あ……す、すまん」
 珍しくちょっと恥ずかしくなって頭をかくゲットに、ユィーナはくすっと、優しく、そして(本人に言ったら殴られるだろうが)可愛らしく微笑んだ。
 思わず見とれるゲットの前で、微笑みながら言う。
「どこかお店に入りましょうか。私もいささか空腹ですし」
「え、だ、だが……」
 昼食を取る店はもう決めてあるし、そこまでの予定も決定済みだ。予定では高級住宅街にあるちょっとこじゃれたレストランが昼食の場所で、そこまでウィンドウショッピングなどしながら歩いて、住宅街に入ったら二人の将来作る家のことなんかを話して。
 食事をしたあとはちょっと美術館をのぞいたりしつつ音楽堂でコンサートが始まるまで時間を潰し(チケットはロマリア王のコネで無理やり手に入れた)、そのあとその脇の高級レストランで夕食を一緒にして二人きりの宿屋で朝までしっぽり――という予定までしっかり決まっていたのだが。
 そういうようなことを言うと、ユィーナははーっ、とため息をついた。
「計画を立てるのはけっこうですが、それならせめてもう少し穴のない計画を立てていただけませんか」
「へ?」
「美術館というのはサンテグーリエ美術館でしょう? あそこは先月展示品を入れ替えたばかりですからおそろしく混むはずです。ちょっと時間つぶしに見れる場所じゃありません」
「え?」
「音楽堂というのはフェスディナ音楽堂ですよね。あそこは王立のほとんど貴族専用の場所で、正装しなければ入れません。いくらチケットがあったからといってもチケットを確認する前に追い出されてしまいますよ」
「へ!?」
「その脇の高級レストラン――セランとかいいましたね? あなたちゃんと予約を取ったんですか? あそこは一週間前から予約を取らなければならない場所なんですが?」
「へえぇぇぇ!?」
 ゲットは思わず思いきり赤面した。それじゃ俺の立てた計画はまるっきり無駄だったわけか? いやそれはともかく、ユィーナに知らされるとはなんとみっともないっ、最高のデートにするはずが……!
 ぐおぉぉぉとのたうちまわるゲットに、ユィーナはまた小さく息をついて肩をすくめ、微笑んだ。こんなことを知っているのはユィーナも昨日必死にロマリアのデートスポット情報を調べたせいなのだ、ということにまったく気づかないゲットに、優しく。
「私は、別にあなたに最高のデートを期待していたわけではありませんよ」
「え?」
「そもそも私はデートがどういうものなのかも知りませんし……正直どんなデートをしたい、というほど明確なヴィジョンを描けませんでしたし。ただ……」
「ただ?」
 ユィーナはわずかに顔を赤らめて、うつむき加減だった顔をぐいっと上げて言った。
「私は、あなたと一緒に時間をすごして、もっとあなたを、よく知りたかったんです」
「…………」
 ゲットは目を見開いた。ユィーナは頬を赤くしながらも、真剣な顔でこちらを見て語る。
「私、正直あなたの感情が今現在どうなっているのかわかりません。私を好きと言ってくれたのは、まぁ、その……信じていますけれど、何故私に好意を持っているのか、それが揺らぐことはないのか、あなたの私と出会う前の人生――そういうことは、まだ教えてもらっていませんから」
「………そうだったか?」
「……ええ。私は、あなたを、もっとよく知りたいです」
「…………」
 ゲットはすっと腕を伸ばして、ユィーナを引き寄せる。ユィーナはさっとさらに頬を紅潮させたが、逆らわず抱き寄せられた。
「……ユィーナ。大好きだ」
「……はい。私も」

「なぁによなによ天下の公道でいい雰囲気作っちゃってー。ったくおっもしろくないわねー」
「お前な……そんなに仲間が不幸になるところを見たいのかよ?」
「そーいうわけじゃないけどー。あたしはここ二年男がいないっつーのにあーもいちゃつかれるとムカつくじゃないのよー」
「…………まぁ、な」

 それから二人は、一緒に街を歩いていろんな話をした。身の回りの品の好み(お互いそういうものに対するこだわりは微塵もないことが判明した)、魔王を倒したらなにをしたいか(アリアハンに戻って施政改革をするというユィーナに、ゲットは俺はその隣でユィーナの手伝いをする、と言ってお互い頬を染めあった)。
 そして、相手のどこが好きなのか。
「全部に決まってるだろう」
 きっぱり答えるゲットに、ユィーナは顔を赤らめつつも弱々しく言う。
「そういう言い方は卑怯です。具体的に挙げられないということは、取り立てて思いつかないのと同じじゃないですか」
「え、そ、そうか? うーん……」
 ゲットは少し考えてから、とつとつと語り始めた。低く、耳に心地よい声で、ときおり考えるように言葉を止めつつ、ゆっくりと。
「……ひたむきで、一途なところが好きだ。いつも自分の目的の、夢のために自分のすべてをかけて戦っているところが。……あと……それなのに、ちゃんと出会った人のことを、大切にするところも、好きだ。一見冷たく見えるけど、周りにもそう見せようと振舞ってるけど、誰よりも優しいところとか」
「…………」
 ユィーナは面を伏せる。耳が赤かった。ゲットは自分の中から言葉を引き出す作業に集中していて気づかない。
「ものすごく努力家で、自分に厳しいところも尊敬できて好きだ。世界を変えようなんて、まるで夢物語みたいな話なのに、それを本当に真剣に、心の底から真剣に考えて、実際に実行できるような方法を考え出す、頭がよくて純粋なところも好きだ。もちろん顔も、スタイルも、きれいな髪も白い肌もルビーみたいな瞳も好きだ。見てるだけでぽうっとなる」
「…………」
「……それと、本当はよくないことなのかもしれないけど……何事も抱えこんで必死になって自分一人で解決しようとするところとか……可愛いと思う。放っておけないって、すごく思うんだ」
「………………」
「ユィーナは、俺のどんなところが好きなんだ?」
 ユィーナの方を向き訊ねるゲットに、ユィーナは面を伏せたまま小さな、掻き消えそうな細い声で――けれど必死に言葉を伝えようとしている声で言う。
「……あなたは……私を、救ってくれました」
「…………」
「私がこの世のすべてがくだらなく思えている時に、この世に絶望している時に、ただひとつ尊敬できる……価値があると思えるだけのことをしてくれたんです。あなたは、努力を惜しまない。どんなに苦しかろうが辛かろうが、日々の鍛錬を、そして戦いの中で死力を振り絞ることを決して怠らない。その心身の強さが……私には、たまらなく眩しかったんです」
「ユィーナ……」
 ゲットはユィーナをじっと見つめる。ユィーナもゆっくりと顔を上げた。紅に染まったその顔に、そっとゲットが手をかける。
 ――すっと近づいて、唇が触れた。

「ねぇヴェイル、あたしあいつら猛烈に殴りたいんだけどいい?」
「いいわけねーだろ! つかなんで殴りたくなるんだよ!?」
「いっくら公園だからって他にも人のいるところでいちゃつくんじゃねーっつーのよバカップルがーっ! あんたらの思考回路には恥じらいっつーもんは装備されてないわけ!? だいたいなによユィーナの奴色ボケてんじゃないわよ良識どこに置き忘れてきたわけ賢者のくせに! ゲットはいまさらだけど!」
「……お前がユィーナけしかけたんだろ……? なんでいまさら」
「いまさらだけどムカつくのーっ! ちくしょうあたしにはここ二年男なんていたことねーのにー!」
「それが本音かよ……」

 そっと唇を離すと、ユィーナは顔を真っ赤にしながら、震える唇で微笑む。真剣な顔でユィーナを見つめるゲットに、そっと囁いた。
「――こんな私を好きでいてくれるのは、きっとあなただけですね」
「…………」
「……私は高飛車ですし、冷血ですし、自分では可愛いなんてとても思えないような女です。でも――そんなあなたが、ずっと私を好きだと、疑いようのないくらい激しく言い続けてくれたから、私は少し自分を好きになれました」
「…………」
「だから……私を、どうか……どんなに暴走しても、以前みたいにむちゃくちゃをしても、かまわないから、どうか……私のことを、嫌わないで、ください……」
 最後まで言い切って、ユィーナはそっ、とゲットの胸の中に顔を埋めた。逞しい胸板がユィーナの顔を受け止め、包む。そっと背中に腕が回されて、ユィーナを抱きしめる。ぽた、という音がしてなにかべっとりとしたものがゲットの胸に落ち――
 え? と思ってユィーナは上を見上げる。そこには――鼻血をだらだら垂れ流しながら目を血走らせて息を荒げた、ふるふる震えているゲットの顔があった。
「!」
「ッユィィナァァァァァァアァッ! 可愛いぞめちゃくちゃ可愛いぞ世界一可愛い好きだ大好きだ愛してるーっ!」
「ちょ……!」
「そうかお前がこれまで俺が抱き寄せた時に恥らうような素振りを見せたのは『もっとやってオッケーよv』という印だったんだなっ!? すまなかった気づかなくて恥をかかせてしまったな、でも大丈夫だこれからはもう間違わないから! 愛してる世界一愛してるさぁ今すぐ愛を交わそうラヴィンユーユィーナァァァァッァッ!!」
 ゲットはユィーナをその場に押し倒し――
 ばごぼぎどぐしゃー、と鋼の剣で全力のアッパーカットを食らって吹き飛んだ。

「……あいつバッカねー、せっかくユィーナがしおらしげな態度見せてたのに。ププー」
「……嬉しそうだな、ディラ……あーあ、あいつらせっかくまともな恋人同士になれると思ったのにな」
「あんたも心なしか嬉しそーじゃない? ……それにね、まともな恋人同士になんかなる必要ないわよ。恋愛っつーのは自分たちで作り上げてなんぼ! 少なくともあいつらは、そーいう形を作ってってるみたいだけど?」
「………そうかも、な」

「確かに私は暴走してもかまわないとは言いましたが、いまさら前言を撤回する気はありませんが! だからってその暴走をすべて受け容れるだなどと言った覚えはありません! 公衆の面前で性行為を行うというのは犯罪です! あなたは自分の行為の是非を考えたことがあるんですか!」
「なにを言うんだユィーナ俺たちの愛の力の前には法律などなんの拘束力も持たんっ! 俺たちは俺たちの力で愛というふたつとない世界を作り上げていってるんだからな!」
「寝言をほざくのは寝ている時だけにしてください! 私はそんなものに加担した覚えはありません!」
「えーだってユィーナさっき俺がここでキスしたら震えながらも受け容れてくれたじゃ」
 どぐざごぽぐしゃー。鋼の剣が一秒に五回ゲットの顔を殴った。
 ユィーナは顔を真っ赤にして、泣きそうな顔で必死にぼかぼか(鋼の剣で)ゲットを殴る。
「忘れなさい! さっきの私は心神喪失状態にあったんです責任能力はありません私はあんなこと……あんなこと……ああもうばかばかばかばかーっ!」
「おおうっ、ユィーナっ痛い痛い痛い痛い……だがこれはすべて愛の痛み! 俺はお前のくれるものすべてを受け容れるぞっ、アイラーヴユーフォーエヴァーウィズユー死が二人を分かつまで二人の魂は永遠に……!」
「黙りなさいこの脳味噌ネジ外し男ーっ!」
 周囲の生暖かい視線を浴びながら(一方的な)喧嘩をする二人を眺めて小さく肩をすくめ、ヴェイルはディラと宿に帰っていった。

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