オルテガ
「――いよいよだな」
 ゲットが低く呟く言葉に、自分たち――ユィーナとディラとヴェイルはうなずいた。
「そうですね。――当面の目的を果たす時がやってきたわけです」
「大魔王討伐が当面の目的かよ。ったく大物だよなーユィーナは」
 苦笑するヴェイルに、ユィーナはとくとくと何度も告げた言葉を言って聞かせる。
「人生に最終目的を定めてしまうことはその後の人生を棒に振るのと同じです。その目的が大きければ大きいほどその傾向は強くなります。大魔王を倒して、その後の人生数十年は単なる余生ですか? そのような思考でいては世に溢れる過去の栄光で食べているだけの老いぼれとなんら変わらない人生を送ることになりますよ」
「わかってる、わかってるって。何度も聞いたし……ただ、ちょっと感想言っただけだってば」
「そーそー、こいつあんまり深く考えない奴だからいちいち言うことに突っかかってたら馬鹿みるわよ? ゲットほどじゃないけど」
「俺を馬鹿みたいに言うなよ!」
「それは遠まわしに俺が馬鹿だと言いたいのか」
「ううん、どっちもストレートに馬鹿にしてるのv」
「……てめぇ……覚えてろよ、今度寝る直前にザメハかけてやる」
「喧嘩売ってるのなら買うぞ。ゾーマを倒したあとでな」
 ぎゃいぎゃいと言い合う仲間たちにユィーナは微笑む。全員平常心だ。大魔王を倒したあとの人生のことを、ごく当然のように話している。
 そうでなくては。それでこそ自分が選び、共に歩んできたパーティメンバーだ。自分の大切な仲間たち。ディラ、ヴェイル、そして――ゲット。これまでずっと共に戦ってきたなにより信頼する人々――
 この日のために積み上げてきたものを、思う存分発揮してやろう。この大好きな仲間たちと一緒に。
 ユィーナは仲間たちを見ながら微笑む。ディラとヴェイルがそれに気づき照れくさそうに言い争うのをやめ、ゲットがこちらを向いてにやりと笑った。
「行こう、ユィーナ。俺たちのするべきことを成そう」
 その言葉に、ユィーナは深くうなずき、言う。
「行きましょう」

「ハァッ!」
 ディラがドラゴンクロウでマントゴーアの心臓を貫く。
「せっ!」
 ヴェイルがグリンガムの鞭でアークマージをまとめて薙ぎ払う。
「邪魔だっ!」
 ゲットが王者の剣でドラゴンゾンビの胴体をぶった斬る――
 雑魚などははっきり言って腕慣らし程度にしかならなかった。今日この時のためにレベルを限界まで上げてきたのだ、あとからあとから押し寄せる魔物も一度にかかってこられる数が限られる、それならば各個撃破していけばいいだけのこと。
 消費する体力は勇者の力ですぐに回復される、多少の傷は賢者の杖を使えば魔法力を使わずに癒せる。ここまで条件が整っているのに、無策にただ魔物を送り込むしか能のないような輩に自分たちが負けるはずがない。
「どきなさいっ!」
 ユィーナはドラゴンテイルでソードイドの腰骨を破壊し、周囲を見渡して言った。
「この階層の魔物は一掃できたようですね。先に進みましょう」
「なにもいちいち敵の魔物全滅させなくてもいいんでないの?」
 ディラが肩をすくめて問う。ユィーナはじろりとディラを見つめた。
「いまだ情報の手に入らない強敵を相手にするというのに後顧に憂いを残しておくのがどれほど愚かしいことか、説明が必要ですか?」
「あーはいはい、わかったわかった。あんたに任せて信用するわよ。あんたの計画だったら間違いないって思うからさ」
「……それはどうも」
「あ、ユィーナ、照れてる〜?」
「照れてません!」
「おおぅっ、ユィーナ、相変わらずシャイなんだな、そんなところも超絶キュー……!」
 ばぎどがぐしゃ。
「敵の本拠地に来てまでなにを考えているんですかあなたは! そういうことは時と場所を考えてやれと腐るほど言っているでしょうっ!」
「そうだなっ、時と場所を選べばやってもいいんだものなっ! 俺たちは超絶ラブラブスーパーハッピーカップルだもんなっ、さっさとゾーマ倒して愛を交わそうなユィーナっ!」
「あなたは……っ!」
 ユィーナは再び殴ろうと鋼の剣を振りかざし――結局下ろしてしまった。
 恥ずかしい、なんて恥ずかしいことを言うんだろうこの人は。自分はなんでこんな人を選んでしまったんだろう。
 でも―――心の底から湧き上がる好きだと思う気持ちが、いつでもどこでも押し寄せるゲットの愛情の大波が、心地よいと思ってしまうのも確かなことなのだった。
 ゲットは真っ赤になってうつむくユィーナを、真面目な顔になってそっと抱き寄せる。ゲットの温かい体温が伝わってきて――
 ディラにぽこぽこと揃って頭を殴られた。
「いたっ!」
「痛いぞ、なにをするディラ」
「はーいはい色ボケてないで先進みましょうねーv ラブるんならゾーマ倒してから二人っきりの時にしろってのよったく」
「貴様俺の愛を色ボケだなどと……」
「べ、別に私たちはそういうつもりで――」
「じゃーどーいうつもりだってのよ。……ま、戦闘中に色ボケてないだけ進歩したって認めてあげてもいいけどね」
「……悪かったな」
「……すいません……」
 そんなやり取りを苦笑しながら見ていたヴェイルが、苦笑して言う。
「先、進もうぜ。この先ゾーマまでどのくらいあるかわかんないんだからさ」
「――そうですね。急ぎましょう」
「ああ――」
 敵の奇襲を警戒しつつ階段を降りる。そこは道幅の広い一本道の通路だった。
 魔物の気配はしない――だが、かすかに音がした。ぼうっ、ぎぃん、だんっ。そんなような音が通路の先からかすかに聞こえてくる。
「なんだ、この音……?」
「………!」
 ヴェイルがふいに、かっと目を見開いて走り出した。全員半瞬遅れてそのあとを追う。
「どうした、ヴェイル!」
「この先で人が魔物と戦ってる!」
「………!?」
 馬鹿な。そんな情報は得ていない。第一ゾーマの城に侵入したのならば虹の雫を使用したはずだが、そんな痕跡はどこにも残って――
 だが言われて気付く。さっきの音は魔物が炎を吐く時の音、剣と鱗がぶつかり合う鈍い金属音、人と魔物が地面を踏み鳴らす音。自分たちと魔物が戦う時聞き飽きるほどに立ててきた音だった。
 では、この先に、誰が―――?
 三つ目の曲がり角を曲がった瞬間、視界が開けた。そこは地底湖のように見えた。闇の中どこまでも広がる暗い色の水、そこに石造りの橋が渡され、その向こうで竜――ヒドラと一人の男が戦っている。
 ユィーナは思わず瞠目した。あの顔。あの姿。勇者の行動について研究している時に何度も見た、アリアハンの世界最強と呼ばれた勇者――
「助けるぞ!」
 ゲットが叫んで飛び出していく。その隣にはディラとヴェイルもいた。ユィーナも慌てて呪文を唱えだす。
「氷よ、凍気よ、光なき世界に満たされし熱の対なる存在よ。我その最も深きものを望むなり。奈落の虚ろなる洞より出で、輝きに最も遠き絶遠なる熱の虚無よ、いざ、我が示しし世界の律によりて吹き荒れよ!=v
 マヒャドの呪文が完成し氷雪の嵐が吹き荒れる。だがそれより早くヒドラはすべての首からの炎をその男に浴びせていた。すでに満身創痍だったのだろう、男はその炎をもろに食らって倒れる。
「ち!」
 ゲットが小さく舌打ちして一気にヒドラの前に飛び出し、全力での突きをヒドラの心臓部めがけて放つ。あやまたずその攻撃は突き刺さり、ほぼ同時にディラの爪とヴェイルの鞭がヒドラの首を切り裂いた。
 ユィーナはだっと全力で男に駆け寄り、素早くベホマを唱える。傷は見る間に塞がって――いかなかった。
「………!?」
 ユィーナは驚愕に目を見開いた。まだ生きている、息はある。なのになぜ回復呪文が効かない? 彼は勇者だというのに――
 その瞬間ユィーナの脳細胞は状況を観察し、記憶を検索して適合すると思われる事項の選び出しを行っていた。――該当件数、一件。
 額のサークレット。勇者の証。その中央の宝石の輝きがおかしい。勇者によって色は異なるがサークレットの宝石は常に澄んだ輝きを放っているはず。それが鈍く、ちかちかと点滅している――
 知っている。これは勇者能力完全失調症候群――勇者が体力・気力共に極限状況にまで追い込まれ、強力な魔力の奔流を受けた際に起こる、勇者の能力が混乱・逆転する現象のことだ。
 蘇生の儀式は必ず失敗する、どころか死んだ瞬間に完全に肉体が消滅する。魔力による怪我の治療は不可能になり、戦ってもレベルを上げることもできなくなる。
 そんな状況で――この男は戦っていたのか。たった一人で。
 そして自分は、この少なくとも戦う意欲だけは人一倍の男を、救うこともできないというのか――?
「ユィーナ! どうだ、そいつの様子は?」
 ヒドラを倒し終えてゲットたちが近寄ってくる。ユィーナは思いきり唇を噛んだ。薄い唇に血がにじむほど。
 体中を支配する目がくらむほどの怒りと悔しさ――それを全力で心の底にねじ伏せて、ユィーナはきっとゲットを見つめ言った。
「この人はすでに魔力による治療を受け付けなくなっています。火傷が全身を覆っているので、ほどなく死亡するでしょう」
「そうか……」
「え……おい、マジでなんともなんねぇのかよ?」
「――ゲット」
「なんだ?」
 じっとこちらを見返すゲットに、ユィーナは深く息をつき、静かに言った。
「この人は、あなたの父、オルテガ・クランズです」
「――――」
「え……」
「えぇぇぇ!?」
 仰天して叫ぶヴェイルとディラをよそに、ゲットは静かだった。
 わずかに眉をひそめて、わけがわからないことを言われた時のような小さな困惑顔で、ユィーナとオルテガを等分に見比べている。
「おい……マジかよ? なんでオルテガがこんなところに? そりゃ、こっちに落ちてきてるって噂は聞いてたけど……」
「虹の雫もなしにどーやって……」
「今はそんなことは、どうでもいいことです」
 ユィーナはきっとゲットを見る。ゲットは小さく困惑した表情を崩さないまま、ユィーナを見返した。
「――この人に、あなたの伝えたい言葉はありませんか」
「…………」
 ゲットは、やはり少し戸惑ったような顔でまたユィーナとオルテガを等分に見比べる。ユィーナは、ディラもヴェイルも、息詰まるような沈黙の中ゲットが言葉を口にするのを待った。
 ――と。
「誰、か………そこに……いる、のか……」
 かすかな声――全身を炎で焼かれ、腕を腹を切り裂かれ、すでに致死量をとうに超えているであろう量の血液を流しながら、オルテガは喋っていた。
「誰でも、いい……。私は……アリアハン…の……オルテガ……」
 ゲットは目を見開いて、体を固まらせながらオルテガの言葉を聞いている。その顔には表情がなかった。戸惑っているのではない、衝撃で混乱しているのとも違う。ただ固く身をこわばらせて、記憶にある限りではおそらくは初めての父の声を聞いていた。
「今……やっと……記憶が、戻った……。私には……使命が……故郷に、家族が……」
 オルテガはひゅー、ひゅー、と苦しげに息を吸い込みながら必死に話す。いよいよ声は小さくなってきたが、ゲットは身じろぎもせず声を聞く。
「……アリアハン…に……行くことが、あれば……。どうか……家族に、伝えてくれ……。戻れ…なくて…………すまない、と……」
「…………」
 ゲットはじっとオルテガを見つめている。静かな目だった。悲しみも嘆きも怒りも悔しさもそこにはない。ただ、静かな諦観と、優しさだけがあった。
「……息子の……ゲット、に……。ふがいない…父で……すま…な、い……と…………」
「―――親父」
 ゲットはすっとユィーナの隣に座り、オルテガの上体を持ち上げた。顔を近づけて、囁くような声でそっと告げる。
「もう、いい。あんたは充分戦った」
 聞こえているのか聞こえていないのか、ゲットの顔が見えているのかいないのか、オルテガは苦しげに咳き込んだ。ゲットはそっとオルテガの背中を撫で下ろし、囁く。
「あんたはふがいなくなんてない。あんたの人生は無価値なんかじゃない。あんたは俺を、この俺をこの世に送り出してくれた。そして――ユィーナに、会わせてくれたんだ」
「ゲッ……!」
「俺という一人の人間にこの上ない幸せを与えてくれたというだけで、あんたの人生には大きな意味がある。それに、俺は一応世界を救う勇者になる人間でもあるしな」
 オルテガがかすかに顔を上げた。そのすでに虚ろになりかけている瞳に、小さく涙が浮かぶ。
「あんたの遺志は、俺が継ぐ。あんたと母さんが俺にくれた命は、俺と――そしてユィーナが結婚して、子供を作って、未来に繋いでいく」
「…………!」
「だから、あんたはもう休め。あんたはやるべきことを全部終えたんだ。――もう、戦わなくていいんだ」
「―――――」
 オルテガの瞳からぽたり、と涙が零れ落ち――
「ゲット………」
 最後に一言、小さな小さな声でそう言って、オルテガの体は消滅した。
「…………」
 ゲットは小さく祈るような仕草をして、それからユィーナの方を向く。ユィーナはなんと言えばいいか考えたが、今はなにも言うべきことが思いつかずただゲットを見返した。
「ユィーナ」
「……ゲット」
「俺たち、ゾーマを倒したら、結婚しような」
 わずかにはにかみながら、けれど優しく柔らかい笑顔で。ゲットはユィーナにそう告げた。
「絶対、絶対結婚しような」
 優しく、静かで、けれど確かな決意――
 ユィーナは一瞬目を閉じ、それから開いて小さくうなずき、答えた。
「――はい」
「うん」
 ゲットもうなずく。
 父親が死んだ直後、しかも敵の本拠地での唐突なプロポーズ。
 けれど、自分にとっては唯一の、大切な約束だ。自分たちにはきっと、この時が一番ふさわしい。
 ゲットは小さく息を吸うと、立ち上がり叫んだ。
「よっしゃあ待ってろ大魔王っ、すぐぶっ倒しに行ってやるからなっ! さくっと親父の仇とって平和になった世界で結婚式だーっ!」
 もはや不謹慎だとは思わない。自分たちはずっと戦いの中で気持ちをはぐくんできたのだから。
 戦いながら、魔王を倒す旅をしながら。相手のことを見つめてきたのだから。
 彼が勇者でなければ、魔王を倒そうとしていなければ、世界を救おうとしていなければ。きっと自分たちは出会わなかった。
 大魔王が世界に仕掛けた戦、それこそが自分たちの始まり。
 だからこそ――
「行きましょう、ゲット、みんな!」
 いざ行こう、世界と戦う人々のため、そして自分たちの関係に幸せなとりあえずのゴールを迎えさせるために!

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