カンダタ
 ――苦戦というほどの苦戦はしなかった。
 ロマリアで盗まれた冠を取り返す命令を受けて、カザーブ近辺で魔物を倒しまくって経験値と金を稼ぎ。
 装備を一新してシャンパーニの塔に向かい、ユィーナの作戦にのっとってカンダタに挑んだ。その作戦というのは二手に分かれてユィーナとディラで敵を引き寄せて各個撃破、という単純ながらも効果の高いものだった。
 そして盗賊団のあらかたを撃破し、数人のとりまきをつれたカンダタ本人を襲撃し――
「はっ!」
 ゲットはカンダタの斧の柄を、見事に切り飛ばした。カンダタは剣の勢いに押され、ずってんどうと転倒する。
 すごろく場で手に入れた鋼の剣。その切れ味は驚くほどで、パンツに覆面に全身タイツの筋肉ムキムキ変態男の肉体も紙のようにやすやすと斬り裂くことができた。
 別に手加減していたわけではないが、なんとか殺さずに仕留めることができた。別に殺すのが嫌だというわけではないが、人殺しにならずにすむならその方がよさそうだ。人殺しってなんとなく気持ち悪そうだし。
 剣を突きつけて宣言する。
「俺たちの勝ちだな。大人しくお縄につけ」
「今時普通お縄はねぇだろ」
「いやあたしはアリだと思うわね。語感といいリズムといいイメージといい、やっぱお縄につけって台詞は伝統になるだけあるわよ」
 カンダタの部下たちを叩きのめしたヴェイルとディラが気楽なことを言っている。まぁ自分の仕事は充分に果たしてくれたのだから別にどうでもいいが。
 しかし、とゲットはちらりとユィーナの方に視線を投げる。やっぱりこいつはほとんど戦闘には役に立たなかったな。
 ユィーナはふらふらと床から立ち上がったところだった。彼女はカンダタとの戦闘が始まるなり、急に眠り込んでしまったのだ。
 遊び人という職業を選んだ者につきまとう制約。レベルを上げれば上げるほど、いついかなる時も遊ばなければならない。それは遊び人本人の意思や感情とは別の理屈で動く、遊び人絶対の法則だ。
 ユィーナはそれほどレベルが高いというわけではないが、もう戦闘中に遊ぶという行動は始まっていた。
 まぁ目を覚ましていたところで大した戦力になるわけでなし、ゲットは別に気にしてはいなかった。彼女は作戦の立案とおびき寄せで充分役に立ってくれたのだし。
 カンダタは血に濡れた体ではぁはぁ、と荒い息をつきながらこちらを覆面の下から睨んでいる。そろそろとその手が床を探るように這った。抵抗する気か、と眉をひそめ、さらに剣を押し進める――
 その瞬間、がごっ、と音がして自分の足元に穴が開いた。
「!」
 反射的に手を伸ばすが、剣と盾を持っていた自分につかめたのはカンダタの影ぐらいのものだった。ちっと舌打ちしながら、空中で姿勢を立て直して足から一階下の床へ着地する。
「あばよ、勇者様!」
 そんな捨て台詞が聞こえて上を見上げると、カンダタの姿は手下ともどももう消えていた。落とし穴の縁を辛うじてつかんでいたヴェイルとディラが上に上がるが、すぐ顔を出して首を振る。
「駄目だ、逃げられた。キメラの翼使われたみたいだ」
「マッチョのくせに逃げ足早いのってなんだかねって感じだけどねー」
「そうか……」
 息をついて、剣を拭って鞘に納める。まぁ金の冠は取り戻したことだし、別にいいか。ロマリア王からの依頼は『金の冠を取り戻してくれ』だったことだし。
 そういえば寝起きを落とされたユィーナは無事か、と見てみると、彼女はしゃがみこんで深く息をついているところだった。捻挫でもしたのか、と歩み寄って声をかける。
「ホイミいるか」
「……いえ、不要です。私はほとんど傷は負っていません」
「そうか? ……震えてるみたいだけど」
 事実ユィーナの手は小刻みに震えていた。ぎゅっと顔の前で握り締められ、なにかに耐えるように掌に爪が立てられている。
 ただ単に痛がっているのだろう、ぐらいの気持ちで指摘した言葉に、ユィーナはばっと顔を上げてこちらを睨んだ。
「私は………!」
 なにか言いかけて、ぐっと唇を噛んで黙りこむ。
「……いいえ、なんでもありません。別に怪我をしたわけではないですから気にしないでください」
「そうか? じゃあなんで震えてたんだ」
 その言葉に、ユィーナの眉はますますきりきりっと吊りあがり、顔つき全体も厳しくなる。
「……あなたには関係のないことでしょう」
「そういうわけにもいかないだろ。俺はこれでもこのパーティのリーダーなわけだし」
 ユィーナが少し目を見開く。ゲット本人も言いながら少し驚いていた。自分は今までリーダーがどうのっていうのは意識したことも考えたこともなかったっていうのに。
 確かに勇者の自分はこのパーティのリーダーなのだろうが、旅のここまでの指針を打ち出してきたのも細かいことを一手に引き受けてきたのもユィーナだ。自分はリーダーらしいことなどなにもしてこなかったし、これから先もやれる自信はない。自分は鈍感だし。
 だが、ユィーナが目の前で震えている以上、それをなんとかしてやらにゃいかんとは思ったし、なんだか必死な顔で震えに耐えているユィーナの心の中が気になったのも事実なのだ。
 ユィーナはきゅっと唇を噛み、睨むようにゲットを見つめて掠れた声で言った。
「……知りたいんですか」
「ああ」
「どうしても?」
「ぜひとも」
「………………っ………」
 ユィーナはぎっと凄まじい眼でゲットを睨む。少し怖かったが黙って見返していると、その顔がかーっとみるみるうちに赤くなった。
 ゲットが仰天して目を丸くするより早く、ユィーナは凄まじい早口で一気に言い切る。
「計画がうまくいって誰も人を殺さずにすんでほっとしていたんですっ!」
 それだけ言い切ってぐりんと後ろを向いてしまう。ゲットはしばし呆気に取られてから、おずおずと(ゲットがそんな態度を取ることはめったにないのだが)聞いてみた。
「……お前は、誰も人を殺さないようにって考えて計画を立ててたのか?」
「………ええ」
「でもお前、一度も俺たちに殺すななんて言わなかっただろ?」
「殺さないようにと考えて戦っていては思わぬ不覚を取ることになります。向こうはこちらを殺すつもりでやってきてるんですから。レベルを上げて比較的簡単に勝てる状況を用意して、それでも戦いに油断は絶対に禁物です。……私は、殺さなければならない場合も考えに入れていました」
「なんで殺させたくなかったんだよ。ここに来る前はカンダタは極悪人だ容赦はいらないとか言ってなかったか?」
「……! 私は、ただ、無駄に命が消費されるのが嫌いなだけです。基本的には人間は死んだらそれまでなんですから。もうどうにも使いようのない人間ならともかく、なにかを成せる可能性のある人間が死ぬのは極めて愚かな命の浪費です」
「………………」
 口調は冷静っぽいけど、とゲットは肩をすくめた。耳が真っ赤だ。
 こいつ、意外に繊細っていうか、熱いところもあるんだな。クールぶってるけど、本当はいい人≠ネのかもしれない。
「……! なに笑ってるんですか!」
「え? 俺、笑ってたか?」
 本気で意識していなかったゲットは首を傾げた。ユィーナは真っ赤な顔をしてこちらをすごい目で睨んでいる。その目は、よく見ると、少し潤んでいた。
「……………………」
 ゲットは無言で頬をかいた。……なんか……なんていうか。
 なんでなのかはさっぱりわからないが――少し、頬が熱い。
「おい、お前ら! いつまでそこにいるつもりだよ、早く上がってこい! 宝物庫に行くんだろ?」
 ヴェイルに上から声をかけられて、ゲットははっとした。ユィーナもきゅっと唇を噛み締めて冷静な顔を作って言う――それでもまだ少し頬は赤かったが。
「行きましょう。こんなところで無駄な時間を費やすのは罪悪です」
 いつも通りの冷静というか、冷徹な声。だが、その底にはどこか潤んだものが潜んでいる。
 それがなぜかよくわかってしまって、なんでなんだろうと少し考えすぐにやめた。
 別に今考えなくてもいいだろう。これから先、自分は当分ユィーナと一緒にいるのだから。

戻る   次へ
知恵の樹に愛の花咲く topへ