薬草
 ユィーナはたいてい、街に着くたびに阿呆かと言いたくなるほど薬草をしこたま買い込む。
「なにもそこまで買うことないだろ」
 そう言うといつもの冷徹な表情でこんな答えが返ってくる。
「私たちには現在回復役がいません。回復手段は薬草と、頼るには頼りなさすぎるあなたのホイミ以外ないんです。賢者を二人揃えられるまでは万一の時のため薬草はしっかり買い込んでおくべきです」
 そう言われるとそうかもな、と思うのでそれ以上反論はしない。だが、ゲットは内心、『別になくても困らないよな』と思っていたのは確かだった。他のパーティメンバーたちもそう思っていたと思う。
 だって普段の戦闘ではめったに傷を負わないほどレベル上げするまで、ユィーナは旅立とうとしないのだから。

 そんなことを考えていた時にはこんな状況のことなど考えてもみなかった。
「は!」
 ロマリアからかなり離れたというのにまだ愛用している鋼鉄の剣を振るいマミーを斬り倒す(ポルトガまでいけば鋼鉄の鞭が手に入るからとユィーナが新しい武器を買ってくれないのだ)。
「こんのッ……!」
 ヴェイルがチェーンクロスを振り回してマミーの群れにダメージを与える。そこにすかさず黄金の爪を装備したディラが突撃した。
「ふっ! はぁっ! せいっ!」
 その鋭さに一振りごとに魔物は次々倒れていき、ほどなくして敵は全員消え去った。ふぅ、と全員息をつき薬草で負った傷を治療する。
「凄いな、その黄金の爪ってやつ。すごい攻撃力だ」
 ゲットがそう褒めると、ディラは渋面でぽんぽんと爪を叩いた。
「そうでなきゃ困るわよ。ここまで苦労して持ち出そうとしてんだから」
「墓荒らししてんだから罰が下るのは当たり前じゃねーの?」
「うわ、盗賊とは思えない台詞」
「バカ、盗賊だから重みがわかるんだよ!」
 じゃれあう二人を見て、ゲットは軽く肩をすくめた。
 ピラミッド。魔法の鍵を取りに訪れたここで、自分たちは旅が始まって以来の苦戦を強いられていたのだ。
 最初の関門は人食い箱だった。何気なく開けた箱が突然襲い掛かってきた時はあ、人食い箱だな、と冷静に判断できたのだが(魔物の知識も勇者の試験には出るのだ)、その一撃でパーティ1の守備力を誇るヴェイルがいきなり半死半生にされた時には仰天した。
 ユィーナが薬草で傷を癒しながら全員で攻撃し、辛うじて誰も犠牲を出すことなく勝てたが、それは僥倖だとゲットの戦士としての勘が告げていた。
 それからピラミッドの奥へ進み、ユィーナがあっさり謎を解いて魔法の鍵と宝物を手に入れ。それからユィーナが宣言したのだ。
「これから地下に降りて黄金の爪を手に入れます」
「黄金の爪? 武闘家最強の武器と言われてるあの?」
 ヴェイルが盗賊らしくレアアイテムの話に目を輝かせると、ユィーナはうなずく。
「といっても現在の情報で真の最強の武器と言われているのはメダルおじさんの持つドラゴンクロウなのですが、それは世界中のメダルを集めても追いつかない見せ景品と言われているので実質的には黄金の爪が最強の武器と言っていいでしょう」
「へぇ! いーじゃない、あたしとしてもやっぱ攻撃力アップはありがたいわよ。わくわくしちゃうv」
 腕組みして胸を持ち上げながらディラが言うと、ヴェイルが真っ赤になって「はしたないことするな!」と怒鳴り、ディラに「なにがはしたないのよー」と言い返されて言葉に詰まる。
 そんなもう毎度おなじみになっているやり取りを無視して、ユィーナはクールに説明する。
「黄金の爪は手に入れるとピラミッド内に生息する魔物を呼び寄せる呪いを発動させます。しかもピラミッドの地下は魔力付与により呪文が使えない空間になっています。このおかげで取るのを諦めたパーティもひとつやふたつではありません――ですが、ここまでレベルを上げればここらへんの通常の戦闘で負けることはありえませんから、回復手段さえあれば無事取ってこれるはずです」
 その時はへー、ぐらいの心境だったのだが。
「……まさか、ここまでとはな……」
 ゲットはふ、とため息をつく。黄金の爪を手に入れてからというもの、数歩ごとに魔物が現れるのだ。
 傷を負う前に倒せてしまうことの方が多いとはいえ、何度も戦っていればやはりそれなりに怪我をしないわけにはいかない。ゲットの魔法力はもう尽きかけている。というかピラミッドの地下では呪文が使えない。だからあとどれくらいかわからない道のりを魔物の襲撃に耐えながら進まなければならないわけだが。
「ゲット、薬草残り三十個切った」
「そうか……」
 ヴェイルの報告にゲットはうなずく。といってもそれがどのくらいヤバいのかはさっぱりわからないのだが。
 普段はこういうことはユィーナの仕事だというのに――ユィーナは遊び人の遊びの制約により麻痺したまま動けなくなっているのだ。
 満月草も尽きたので回復手段はない。仕方がないのでゲットが背負って運んでいる。
 背負った時、その軽さに、かなり驚いた。自分の半分くらいしかないのではないかと思われるほどの軽さ、細さ。
 こいつは頭脳労働担当なんだから当然といえば当然なんだ、と自分を納得させたのだが、そうでもしなければ背負うのをディラに代わってもらわなければならないくらい、その触れたら壊れそうな脆さがゲットは怖くなってしまったのだ。
「傷治したか?」
「ああ」
「まーね」
「じゃ、行くか」
 寝転がらせていたユィーナをひょいと背負い、ゲットはヴェイルとディラのあとについて進む。この二人とは素早さが段違いなため、現段階ではゲットの方が総合的な守備力は低いのだ。
 ゲットは取り立ててそういうことを気にしない質ではあるのだが、少し面白くないのも確かだった。
「しっかし、薬草さまさまよねー。あたし薬草って回復量しょぼいから今まで馬鹿にしてたんだけどさ、患部に塗ればすぐ傷が塞がるしいっぱい持ち歩けるし、これがなかったら死んでたわね」
「だな。ユィーナがアホほど薬草買い込むの俺今までちょっと馬鹿にしてたんだけどさ、認識改めるわ」
 ゲットはなにも言わなかったが、内心では同意していた。ユィーナのこの先見の明がなければ自分たちは全滅しているところだったかもしれない。まぁ全滅しても街に転送されるだけだからいいといえばいいのだが、それでもやっぱり気分はよくない。金も半分になるし。
 黄金の爪の在り処もまともに探せば一日仕事だっただろうに、ユィーナがどこからか手に入れていた情報のおかげであっさり階段を見つけることができた。他にも謎解きやらアッサラームでの店の選び方やら、言い出せばきりがない。
 こいつって、なんか本当に大したやつかもな、と思いつつ、自分の顔のすぐ隣にある、麻痺しているユィーナの顔を見やる――
 その時。ふわ、と鼻先になにかが香った。
 いい匂いだ。そう思ってから一瞬あと、それがユィーナの髪の匂いだということに気がついた。
「………………!?」
 ゲットは硬直した。生まれて初めてと言っていいくらいの頭血上りパニック状態がゲットを襲っていた。顔には出ないが。
 汗と埃の匂いしかしないと思うのに、いい匂いなんて思ってしまう自分が変だと思うし、ユィーナの髪の匂いを嗅いでいい匂いって思うのもなんというか、なにかがまずい気がする。
 なぜかいまさらのように顔に触れるさらりとした髪の感触や、柔らかい頬の感触、こんなに間近で見るのは初めての整った顔などが実感され、なんだか、なんだか猛烈に―――
「なにぼっとしてんのよ、敵が来たわよ!」
「!」
 ディラの声にはっとして剣を抜――こうとして、ユィーナを傷つけるのが怖くなり、ゲットはそっと、傷つけないようにユィーナを地面に降ろした。
 当然の帰結として隙だらけになり、敵に集中攻撃を受けた。

 イシスに帰ってきて、宿を取り。疲れを癒そうと蒸し風呂に行ったり一杯やったりとくつろいで、世もふけてきた頃。
 ゲットは、宿の窓から、ユィーナが宿から出て行くところを見た。
 不審に思った。そりゃユィーナは自分たちよりは疲れていないかもしれないが(後半ほとんどの間麻痺してたから)、それでもさんざん歩いて戦ったあとの夜に外に出て行くというのは変だ。
 なにかあるのか、とゲットはユィーナを追ってみることにした。本人としては別につけているという意識はない。ただ単純に追いかけているだけだ。声はかけないが。
 ユィーナはイシスの中心部、公園に向かっているようだった。昼間とはうって変わって寒いほどの空気の中、脇目も振らずずんずんと歩く。
 公園に着くと、ユィーナは周囲を見渡してから、武器――チェーンクロスを振り回し始めた。もうレベルも20近くまで上がり、武器を扱う手も慣れたものだが、ゲットの目から見ればその動きは弱々しいとすら言っていいようなものだった。力が圧倒的に足りなすぎる。
 なにをしているのか、と思って見ていると、ユィーナはチェーンクロスで地面の一点を集中的に狙い始めた。真剣な顔で、必死と言っていいくらいの形相で、何度も何度も地面の一点を狙う。
 練習しているんだ、とわかった時、ゲットは思わず声をかけていた。
「ユィーナ!」
「!?」
 ユィーナはびくりとしてばっと跳び退り、その声がゲットから発されたものだと気づくとカッと顔を赤らめた。
 めったには見れない顔に驚いていると、ユィーナは即座に顔を冷徹なものに戻しててきぱきとチェーンクロスを手元に戻し冷たく言う。
「なにか用ですか」
「いや……」
 用というわけでは、ないのだが。
「……練習するなら宿に止まって疲れが取れてからの方がいいんじゃないか」
 とりあえず常識的な指摘をしてみると、ユィーナはきっとこちらを睨んだ。
「私は後半ほとんど麻痺していましたから、疲れていません。あなたの方こそ早く休んだらいかがですか」
「いや、俺は別に。剣の稽古済ませられるくらいだからな」
 イシスに戻ってきてから日課の剣の稽古を1セット済ませたことを思いだしながら言うと、ユィーナはぎっと音がしそうな視線でさらにこちらを睨む。
「あれだけ動いたあなたが剣の稽古をしているのに、休んでいた私がしないわけにはいかないでしょう」
「いや……だって、お前と俺とじゃ体力が違うだろう」
「そういう問題ではありません。現在の私には稽古をする程度の体力が残っている。だからする。それだけです。なにか問題がありますか?」
 相変わらずのつんけんした態度。ゲットは肩をすくめて言った。
「お前は頭脳労働担当なんだろう。普段は稽古なんてほとんどしたことないだろうが」
「…………」
 ユィーナは突然うつむいた。ゲットは思わずぎょっとしてユィーナの様子を窺う。いつでも態度押し出し満点のユィーナがそんな風にうつむいたりするのは、なんというか、ひどく、落ち着かなかった。
「……ユィーナ?」
「……そうですね、私は頭脳労働担当です。――だけど、だからと言って戦闘でなんの役にも立たなくていいということにはなりません」
「…………」
 思ってもみなかった台詞に驚くゲットにかまわず、ユィーナはとつとつと言葉を連ねる。
「……ピラミッドで、人食い箱に襲われた時。私は充分な余裕を持って対処できるつもりでした。この周辺の魔物と戦っても簡単に勝てるぐらいにはレベルを上げましたから」
「……ああ」
「なのに。ヴェイルが一撃で半死半生になって。一歩間違えれば誰か犠牲者が出ていてもおかしくない状態でした」
「死んでも生き返れるんだからいいんじゃないか?」
 そう言うとユィーナはぎっとこちらを苛烈なまでの瞳で睨みつける。
「勇者の魔力が働かない場合があるとしても?」
「……なに?」
「一例だけ例があるんです。勇者の仲間が死亡した際に、サークレットは壊れていなかったのに蘇生の儀式が成功しなかった例が」
「……本当か? そんな話聞いたことないけど」
「でしょうね。何千何万何億という勇者のパーティの死亡例の中で、たった一度、確率にして0.0000001%程度の確率です。おまけに原因不明でしたから、国の勇者関連書籍にはまず載ってませんからね」
「要するにめったに起こることじゃないってことだろう? なら――」
「でも0じゃありません」
 そうきっぱりと言い放つユィーナに気圧されて、ゲットは言葉を失った。
 ユィーナの表情が、ゲットはこんなことをたとえ王侯貴族に対する時でも思ったことがないのだが――たまらなく気高く見えたからだ。
「私は人の無駄な死は嫌いです。それが仲間だというなら絶対に許せません。私は私の誇りにかけて、仲間が無駄な死を迎える可能性を全力で排除しなければならないんです」
「…………」
「だから私は……稽古でも、なんでも、全力でやるんです。ありとあらゆる手を尽くして安全を確保し、目的を達成するんです。そのために私がいくらか疲労したり傷ついたりするのは、当然のリスクですから」
 表情はいつもの冷徹なものなのに、高貴ささえ感じさせるユィーナの顔に、ゲットはしばし見入った。圧倒されて体が動かなかった。畏れすら感じていた。そんなものをゲットは生まれてこの方感じたことはなかったのに。
 ようやく気づいた、ユィーナの掌は豆が潰れてタコになっているところがいくつもある。あれは散発的な戦闘だけでできるものじゃない、必死で練習しなければできない手だ。
 もしかしてみんなが寝入ったあとで、一人訓練をしていたんだろうか。夜遅くまで宿で計画の調整をしたあとに。帳簿をつけたあとに。遊び人の制約に縛られながら、必死になって。
「……どうして、そこまで………?」
 思わず口から漏れた言葉に、ユィーナはきゅっと眉をしかめてきっぱり言った。
「私がそうすると決めたからです」
「――――」
 ゲットは思わず息を吐いていた。自分で決めた。それだけで、ここまで強く在るのか。在ろうとするのか。
 その毅さ。気高さ。自分の今まで会ったことのない輝きに、ゲットは感動さえしていた。
「……お前、すごいな」
「は?」
 怪訝そうな顔をするユィーナに、笑ってこう言ってやる。
「褒めてるんだよ」
「――――」
 ユィーナは一瞬呆気にとられた顔をして、それからかぁっと真っ赤になった。
 その顔を見て、ゲットは可愛いな、と思い、また微笑む。
 ――誰かを見て可愛いと思ったのは、これが初めてだった。

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