賢者
「……ユィーナ。心配するな、いつでも俺が見守っているからな」
「あなたに見守られる必要は微塵も感じませんが」
 なんだかその掛け合いも日常の一部になってきたなー、と思いつつディラはすたすたと司祭の前に進み出るユィーナを見送った。
 ここはダーマの神殿。全世界で唯一職業を変えることのできる、転職の神殿だ。
 現在ディラたちパーティは、ヴェイルとユィーナの職業を変えようとしているところなのだ。バハラタでカンダタの起こした誘拐事件を解決したあと、自分たちはポルトガに戻らずまっすぐダーマへと向かった。まずは戦力増強が先決、というユィーナの言葉に従ったのだ。
 ガルナの塔に登って賢者になるために必要な『悟りの書』を手に入れ。おりよくヴェイルもユィーナもレベル20になったのでダーマに戻ってきた。
 これからユィーナとヴェイルは賢者に転職する。ヴェイルは盗賊から賢者というまったく畑違いの職業に転職させられることをぶちぶち言っていたが(旅の始まりからヴェイルはダーマに着けば賢者に転職させると明言されてはいたものの、やはりいざとなると怖気づくのだろう)、ユィーナにいつもの冷たい瞳で賢者を二人パーティに入れることの有用性について長々と説明を受け、もー勘弁してくれという顔で転職を受け入れた。
 ユィーナは遊び人なのでもとより悟りの書は不要、というわけで転職の儀を執り行ってもらうべくダーマ神殿に申し込んだのだが。
 なぜか驚くほどの勢いで歓迎されてしまい、手続きやなんやかやで時間をとられると思ったのに、とんとん拍子に話は進んでその日のうちに転職の儀を行ってもらえることになった。
 話を聞くと、実は最近ダーマ神殿に訪れる人間はほとんどが聖地巡礼のために来た人間ばかりで、転職をしようという人間などめったに来ないのだという。そんな転職の神殿の存在意義が薄れている状況の中で賢者という上級職へ転職する人間が一気に二人も現れ、ちょっとしたお祭り気分なのだそうだ。
「考えてみれば、職業をレベル20まで上げておきながら別の職業を一からやり直そうなんて人間は勇者のパーティメンバーしかいないでしょうからね……そして勇者は全世界で千人もいないのですから、当然と言えば当然かもしれません」
 ユィーナはそんな風にいつも通り淡々としていたが。
 それよりなにより――大変だったのはこいつだ、とディラは横のゲットを見やる。
 バハラタ〜ダーマ間の旅路で唐突に恋に目覚めたゲットは、ユィーナに対して猛烈な勢いでアタック(死語)し始めた。
 朝ユィーナが目覚めれば、
「おはようユィーナ……目覚めのキスをしよう」
 と言ってキスを迫り(しかもいつの間にか当然のようにユィーナの隣で寝ているし)、昼食事を取れば、
「ユィーナ、食べさせてやる。ほら、あーん」
 と強制的にあーんを迫り、夜寝る時になれば、
「ユィーナ、一緒に寝よう。俺とお前は未来の夫婦なんだからな」
 と輝かしいまでに爽やかな笑顔でそう言ってのけるのだ。
 ユィーナはその度に「お断りします」「遠慮させていただきます」などと常にすげなく断っているのだが、ゲットはいっこうにめげず猛攻勢……というか、ちょっとキモいぐらいユィーナにつきまとっているのだ。
 ディラがそれとなくユィーナの気持ちを聞いてみると、
「私は彼になんら特別な感情を持ってはいません」
 ときっぱりはっきり答えられてしまい。
 別にこの二人がくっついても別れても自分たちには関係ないといえば関係ないのだが。それなりに長くつきあって愛着も湧いてきたこともあり、できれば雰囲気を壊さない結果に落ち着いてほしいとは思う。
 だがこの状態では二人がくっつくのは絶望的っぽいし。ゲットがこの調子だと、振られたあともしつこくつきまといまくりそうだし。
 だいたいアプローチがキモいのだ、こいつは。毎日毎日毎日毎日、当然のような顔をしてユィーナにつきまとう。
 食事をする時も歩く時も(まぁ順番的にゲットとユィーナは並んでいるのだが)、夜寝る時も。四六時中、あっちに行け、鬱陶しい、と何度言われようともニッと不気味なくらい爽やかな笑みを浮かべて「大丈夫だ、愛してるから」とか言いやがるのだ。そりゃあんたストーカーの台詞でしょ、と何度言ってもゲットは態度を変えない。
 これまでどーいう恋愛してきたんだか、とちらりとゲットを見ると、ゲットは今にも蕩けそうな顔をしてユィーナを見ている。ユィーナの晴れ舞台に見も心も陶酔しているらしい。
 惚れ抜いてるのは惚れ抜いてるでいいのだが――この男は、なんというか、『世界のみんながユィーナを狙ってる』と考えるところがあるというか――
 ユィーナとヴェイルは揃って司祭の十mほど前にひざまずいている。ダーマのほとんどの修行僧、千人を越える人数に注視されながら、ユィーナには微塵も動揺した様子がない(ヴェイルはかなり緊張した素振りがうかがえるのに)。そこらへんはさすがだ。
 司祭が数m床から高くなっている祭壇から錫杖で二人を指し言った。
「では、古き職業の衣を捨て、身一つとなりなさい」
 ――その瞬間、ゲットの姿が消えた。
 と思ったら司祭の目の前で、剣を突きつけていた。
「貴様……ユィーナをこの公衆の面前で脱がそうっていうのか?」
 目がマジだ。というかちょっとヤバい。
「な、なにを言って……」
「ユィーナの肌を見てもいいのは未来の夫の俺だけだ! そうか貴様ユィーナに横恋慕してせめてその体だけでも垣間見ようって腹だな? ようしいい覚悟だ、即刻首を落として八つ裂きに――」
「はいはいちょっと失礼しますよ! オラなにやっとんじゃこんボケがぁぁ!」
「ぐひぇぶぎゃごぼぉっ!」
 即刻タコ殴りにして自分たちのところへ引きずってきたが、当然ながら周囲はひどくざわめいていた。転職の儀の途中に司祭が剣を突きつけられたのだ、当然だろう。
 だが結局儀をつつがなく終えることを優先したのか、司祭は進行予定通り二人に近づいてとんとん、と肩を叩いた。ヴェイルとユィーナは肩止めを外し、白の小袖一枚の姿になる(身一つといっても普通はこんなもんだ)。
 それから錫杖を高々と上げ、長々と聖句を唱え、まずユィーナに勢いよく振り下ろし――
 た次の瞬間、ゲットはまた司祭に剣を突きつけていた。
「ひっ……!」
「貴様ユィーナになにをする気だ。傷つけようものなら貴様の細胞の一片も残さないようこの世から消滅させてやるぞ? ……それともあれか、儀式にかこつけてユィーナの服を剥ぎ、その肌身を垣間見ようという腹か。貴様聖職者の分際でよくも――」
「はいはいごめんなさいごめんなさい! うらぁなに復活しとんじゃこんタコがぁぁ!」
「うぎぇぼぎぇずぎゃっ!」
 先刻と同じパターンで即刻ディラが叩きのめしたものの、さすがに二度目ともなれば周囲はひどくざわめき始めた。ったく本気でやったのになんつー復活の早い奴、と舌打ちしながら今度こそ復活しないようゲットを軽く絞め落とす。
 それでも健気な司祭はなんとか予定通りことを進めようと、ユィーナとヴェイルに聖水を振りかけ、また聖句を唱え、神への祈りを捧げ、神の創りしこの世界の理に従い二人の魂に刻まれた職業を書き換え――
 二人を無事賢者へと転職させた。
 粛々とひざまずく二人に無事終わったとほっとした顔をしながら、司祭はお約束通りの言葉を言う。
「お前たちは古き職業の衣を脱ぎ捨て、新たなる職業に生まれ変わった。これよりお前たちは賢者として生きることとなる。お前たちの装備していたものはみな外れ、新たなる衣服を――」
 じゃきっ。
「ひぃぃっ!」
 ゲットはまたも、座った目つきで司祭を睨みつつ、剣を喉元に突きつけていた。
「貴様……ユィーナの装備を剥いだのか? いつどうやってどんな風にしてやったんだ! さらに新しい服だと、ユィーナの体に触れたのか!? ユィーナの体に触れてもいいのは未来の夫にして永遠の恋人であるこの俺だけだというのが少しもわかっていないようだな……!」
「……ゲット」
「おおユィーナ! 賢者になったんだなっおめでとう! 遊び人のユィーナも可愛かったが賢者のユィーナもいいな……!」
 ニッと爽やかな笑みを浮かべつつ剣を突きつけ続けるゲットにユィーナはひどく冷たい瞳を向け。
「しばらく死んでいてください」
 とゲットの鋼鉄の剣を持ち出して思いきり頭をぶん殴った。
 ――当然ゲットはその程度では死なず、「もっと力いっぱい殴ってくれていいぞユィーナ! お前の愛ならどんなに痛くても受け止めてみせる!」と輝かしい笑顔を浮かべたので、司祭はじめダーマ神殿の修行僧たちはどっ引きした。

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