ヒミコ
『―――生贄!?』
 ディラとヴェイルが声を上げる。ジパングの老婆は泣きながらうなずいた。
「ヒミコさまのお言葉で……オロチを鎮めるにはそれしか方法がないと……」
「ヒミコ?」
「この国を治めるお方です……」
「――少しお聞きしたいのですが」
 ユィーナは静かに聞いた。激情を抑えようと思うとどうしても静かな口調になってしまうのだ。
「そのヒミコという人は、自分から生贄をすることだけを提案して、それ以上の対策はまったく打ち出さなかったわけですね?」
「は? はぁ、それは……ヒミコさまは生贄をせよとしか……」
「――で、それに誰も反対していない?」
「……ヒミコさまには、誰も逆らえませぬ……あの方は神通力をお持ちでいらっしゃるし、今までおっしゃったことは全て正しく……」
「つまりはその能力にひれ伏している、ということですね」
 言い捨ててユィーナは立ち上がった。
「行きますよ」
「わかった」
「おい、どこへだよ?」
「ヒミコの屋敷です」

 ヒミコはエキゾチックな、絶世の美女と言っていい容貌の女だった。巫女王という立場なのにも関わらず、まとっている雰囲気は妖艶と言ってよい。
 ――だが、けだるげにクッションに身を預けるその姿は、統治者と呼ぶには怠惰に過ぎた。
「なんじゃ? そなたらは?」
「アリアハン所属の勇者、ゲット・クランズのパーティです」
「遠慮するなユィーナ、俺とお前のラブラブパーティと言っていいんだぞ?」
「あたしらは無視かい!」
 ユィーナはゲットの言葉を無視して言葉を続けた。
「あなたはただ生贄を捧げるだけでヤマタノオロチに対してそれ以上の対策を考えようとはしていないというのは本当ですか」
「オロチさまは我がジパングの神。神が生贄をお望みなのじゃ、なぜ逆らわねばならぬ?」
「神? いったいどういう理由と根拠で神だというのです? あなたのいう神というのはどういう定義をされたものですか。そしてこの人口の少ないジパングという国で、国民を一年に一人失うほどの価値がその神とやらにあるという根拠は?」
「……黙りゃ! オロチさまは神! 神の御言葉に逆らう者には天罰が下るぞえ!」
「天罰が下るというなら今すぐ当ててみてください。私はどういう理由かは知りませんが人間の生贄を必要とする神になど価値を認めません。しかもそれに引き換えるだけの繁栄もジパングは手にしていないではありませんか」
「ええい、衛兵! 衛兵! こやつらをつまみ出せ!」
 ヒミコが甲高い声を上げると、衛兵が即座に飛んでくる。武器というには先が丸すぎる槍を振りかざして怒鳴った。
「ヒミコさまから離れい、南蛮が!」
「なんばん……ってなによ」
「えーとな、外国人の卑称だな、要するに」
 そんなことをのんびりと言い合うディラとヴェイルをよそに、ゲットは武器を構えていた。
「やるか? ユィーナ」
「やめておきましょう。どうせこの人たちを叩きのめしたところで彼女には話をする気がないようですから」
 クールな口調で言い放って、立ち上がりヒミコを絶対零度の――普段ゲットに向けているものに層倍するほど冷たい視線で射抜き言う。
「忠告に耳を貸さず、ただ妄信と盲信にのみ頼るあなたに為政者の資格はありません。私が、なんとしてもその地位から叩き落して差し上げます」
「――とっとと去ねい!」
 ヒミコの怒鳴り声の中、衛兵たちの敵意の視線を浴びながら、ユィーナたちはヒミコの屋敷を出た。

「これよりオロチの洞窟に向かいます」
 ジパングの集落を出てそう宣言したユィーナに、ディラはにっと笑った。
「ヤマタノオロチって化け物をぶっ殺すのね!」
「違います」
 きっぱり言うと、ディラのみならずヴェイルも見事にずっこける。
「おいおい……生贄をやめさせるためにヤマタノオロチを倒すんじゃないのかよ?」
「生贄をやめさせるかどうかはこの国の民が決めることです。私たちが首を突っ込むことではありません」
「じゃー放っとくってゆーの?」
「いいえ。我々のすべきことはヒミコの権威を失墜させることです」
「………はぁ?」
 きょとんとする二人に、ユィーナは言い聞かせるように説明した。
「いいですか、生贄を捧げること、それ自体は費用対効果自体でいいとも悪いともいえないものです。国家を維持するためにはどんなに努力しようとも血は流れますし。ですが、命を消費することを是とするべきではないのです」
「はぁ………?」
「消費される命というのはそれぞれに人生を持つ一個の人間です。為政者は消費される命を極限まで少なくするべく、命の消費効果が最大限に発揮されるべく死力を振るわねばなりません。そうでなければ国家の存在する意味がないですから」
「………はぁ」
「私はその努力を怠る為政者を許しません。無能な為政者は全て唾棄すべき存在ですが、人の命を使い捨てにして恥じない為政者など抹殺されるべきです。ヒミコもそうされて当然です」
「……って、おい、まさかマジで殺すとか言うんじゃ……」
「殺すかどうかを決めるのはジパングの民です。我々のすべきことはヒミコの権威を失墜させ、権力者の座からひきずりおろすこと。そのためにはまずヤマタノオロチと呼ばれる存在の調査から始めねばなりません、そしてそこからヒミコの神通力とやらがインチキだと証明するなりヤマタノオロチに対する対処方法が間違っていたと知らしめるなりするのです」
「はぁ……しっかし、どーしてそこまでしてヒミコを倒したいかね……」
「……すでに言ったと思いますが? 命を守る努力をしない為政者は――」
「そーいうことじゃなくてさ。あたしら別に世直しの旅に出てるわけじゃないじゃん? そりゃ世界を救う旅をしてるとはいえ、究極的には自分らのためじゃん、地位とか報酬とか名声とかのさ。自分たちの周りの世界を守ろうってのもあるけど」
「……そーいうことあんまり大声で言うなよな……」
「それなのにどーしてそこまで必死になって、効率命のクレバーなあんたが、こんなちっちゃな国ともいえないよーな国の世直しをしようとするのかってのが、あたしにはどーも腑に落ちんのよね」
「…………………」
 ユィーナは口を閉じた。ディラの発言は正しい。世界中にいる勇者たちは皆、究極的には自分のために世界を救おうとしているのだ。そのためには些事に関わっている暇はないというのはたいていの勇者のパーティで当然の意見とされるだろう。
 だが、自分はそんな意見は認めない。
 なんのために極限まで効率を高めた旅の計画を立てたのか。ひたすらにメタルスライムを狩って経験値を稼いだのか。
 それは全て―――
「うわ! ゲット、お前なに鼻血垂らしてんだよ!?」
 ヴェイルの上げた驚きの声に開こうとしていた口を閉じ、ばっとゲットの方を見る。ゲットはシリアスな顔でじっとこちらを見つめたままたらーと鼻血を流していた。
「…………」
「ちょっとなに、あんたなんか変なことでも考えてたの?」
 絶句するユィーナの隣からディラが聞くと、ゲットはふっと(鼻血を垂らしていなければ)ニヒルな笑みを浮かべていった。
「なに。ディラの言った言葉に答えようと必死になるユィーナがあまりに健気で可愛くて、もー辛抱たまらん速攻で押し倒したいと頭に血が上って鼻血が吹き出ただけのことよ」
「……そんなことを威張って言わないでください変態!」
 ユィーナは突っ込み用の鋼の剣を使ってゲットの顔をぶん殴った。

 戦闘を繰り返してオロチの洞窟を進みながらも、ユィーナは思考を続けていた。
 ヒミコの権威を失墜させるにはどのような方法が有効か? ヤマタノオロチを暴れさせてそれを制止できないところをジパングの民に見せるのがベストだろうが、それはヤマタノオロチを制御できなければまずい。
 結局ヤマタノオロチについて調査し、そこからヒミコについても調べるしかないのだが。ジパングの民はヒミコに盲従しており調査は難しかろう。ヤマタノオロチが真実神と呼ばれるほどの理性を持つ存在であればよいのだが――
「ユィーナ!」
 ふいにゲットの顔が間近に現れ、ユィーナは反射的に鋼鉄の剣を振り回してしまった。
「いきなり顔を出さないでください!」
「そうか、すまん」
「……なにか用ですか?」
 ゲットはパーティの先頭にいたはずなのになんでこんなところに顔を出すのだ。腹立たしい。思い切り驚いてしまったではないか。
「ユィーナ、キスしてくれ」
「………は?」
 絶対零度の声音で言うが、ゲットは平然とした顔で言葉を連ねる。
「ハグでもいいが尻を触らせてくれると嬉しい。胸揉ませてくれるのでもいいぞ」
「………あなた、私に喧嘩を売ってるんですか?」
「まさか! 俺が愛するユィーナに喧嘩なんか売るわけないだろう!? ただ俺はユィーナ分の補給をしたいだけだ!」
「……なんですかそのユィーナ分というのは」
「俺はここのところずっと先頭で戦ってるから、行軍中ユィーナの姿が見えないんだ。それはあまりに寂しすぎる! だから休憩時に少しでもユィーナと触れ合ってエネルギーを補給しないと戦うこともできなく――」
 鋼の剣で一発顔をぶん殴ってから氷のような声と表情で言った。
「やる気がないのならルイーダの酒場に行ってもらってもいいんですよ?」
「わかった、やる気出す。頑張るぞユィーナ」
 ゲットは(殴られたせいなのか興奮したせいなのか)鼻血を出しながらうなずく。ユィーナはふ、と息をついた。いつの間にか休憩時間になっていたとは気づかなかった、うかつすぎる。
 ゲットのことをどう思っているか、とディラに聞かれた時、ユィーナは『なんら特別な感情は持っていない』と答えた。それは間違いない。自分がずっと共に戦うことを目指してきた、勇者に対する感情を特別なものでないとするならば。
 恋愛感情のような無駄な感情は自分は持ち合わせてはいない。彼女の意図はそういうところにあるのだろうからそのように答えたのだが、ゲットに対する感情が他の人間に対するものとはまた違うというのも事実ではあった。
 別に共に戦う勇者が彼でなければいけないということはなかった。自分の智謀を買ってくれる人間なら誰でもよかったのは確かだ。
 でも、けれど、できるなら彼がいいとは思った。六年前あそこで出会った時から、彼はずっと自分の道を照らす道標だったのだから――
「お!? ユィーナ、今俺のことを考えていたな!? 好き好きオーラがぶわーっと漂ってきたぞ! よしなんにも問題ない今すぐ籍を入れようユィーナ!」
「一回死んでください」
 ばぎっ、と全力で殴ってから、ユィーナは嘆息した。けれど、これをどう判断すればいいのだろう。
 ゲットが自分に好意を抱いていることは間違いない。理由はさっぱり不明だがそれはわかる。
 だがどういう反応を求めているのか、それがさっぱり読めないのだ。あまりに時と場所をわきまえないので殴ってしまっているが、ゲットが本心から自分に求婚しているのかどうか、それが読めない。
 ふざけ半分なのではないかと考えるのが普通だと思うのだ。――こんな可愛くない女に真剣に求婚する人間がいるはずがない。
「おい、見ろよ!」
 ヴェイルがふいに小さく、けれど鋭く声を上げて、ユィーナは思考の迷路から抜け出した。彼の指す先を見ると――ヒミコが歩いているのが見えた。
 火山洞窟の中を、たった一人で、供も連れずに。
「……怪しいな」
「怪しいわね」
「……静かにあとをつけましょう。金属鎧を着ている人がいるので隠密行動には不向きですが、距離をとれば気づかれずにすむでしょう」
 というわけでヴェイルの盗賊魔法でヒミコの位置を確認しつつ、充分に距離をとって後を追うことにした。ヴェイルが先頭に立ち、目を光らせながら全員を先導する。
「ちょっとゲット、あんたもーちょい鎧の音小さくできないわけ? るっさいわよ」
「やかましい、これで精一杯だ。第一鋼の鎧着てて音が立たないわけないだろ」
「シッ!」
 ヴェイルが鋭く制する。
「ヒミコが止まった。行き止まりみたいだぜ」
「………できるだけ静かに様子を窺ってみましょう」
 全員足を忍ばせて、洞窟の影から中の様子を窺う――
 その瞬間、全員息を呑んだ。
 ヒミコの姿が変わっていく――八本の頭と尾を持つ大蛇に。ヤマタノオロチとはこのことか、とすぐにわかった。
 つまりヒミコがヤマタノオロチそのものであり、生贄を食っていたわけか……そういう展開を予想していなかったのはうかつだった。
 では、どうする? どうすれば最も被害が少なく抑えつつ、ヒミコを退陣に追い込める?
 数秒考えて、ユィーナは結論を出した。
「ここであれを倒してしまいましょう」
「へ?」
「わかった」
「了解」
 ゲットとディラが立ち上がる。ヴェイルも慌ててそのあとに続いた。
「で、でもいいのかよ? あいつヒミコなんだろ?」
「ヒミコだからこそ、です。ここで殺してしまえばその所在を知っているのは私たちだけです、独裁者のいない独裁政府などどうとでも丸め込めます」
「……なーんか、そういう言い方されるとなぁ……こっちが極悪人みてぇ……」
 ぶつぶつ言っていたが、ヴェイルも武器を構えた。
『――誰ジャ!』
 ヤマタノオロチが八つの首を持ち上げて喚く。ユィーナは舌打ちをして叫んだ。
「気づかれました、練習したパターンでやりますよ!」
「了解!」
「お、おう!」
「ああ!」

 ヤマタノオロチとは余裕をもって戦うことができた。レベル上げの成果は着実に現れている、とユィーナは内心会心の笑みを浮かべる。
 フバーハとスクルト、そしてバイキルトをゲットとディラにかけて、あとはひたすら呪文攻撃。呪文のエキスパートが二人いるというのは、やはり大きかった。
 ヒャド系が効くと見たユィーナはヴェイルにもヒャド系を使うよう指示し、二人でマヒャドを連打する。
『氷よ、凍気よ、光なき世界に満たされし熱の対なる存在よ。我その最も深きものを望むなり。奈落の虚ろなる洞より出で、輝きに最も遠き絶遠なる熱の虚無よ、いざ、我が示しし世界の律によりて吹き荒れよ!=x
 強烈な凍気が二連打で押し寄せ、氷の嵐が吹き荒れてヤマタノオロチを貫く。
『ギャォォゥッ! おのれ……おのれぇ……!』
 大声で呻くヤマタノオロチを冷たい目で眺めながら、ユィーナはさらに呪文を唱え始めた。ヤマタノオロチはかなり弱っている。このまま一気にケリをつけよう。
「氷よ―――=v
 そうユィーナが唱え始めた刹那、ヤマタノオロチはこちらに突進してきた。まさか後衛に突進されるとは思わず一瞬反応が遅れる。
 ヤマタノオロチは首を伸ばした。あれは火炎放射の予備動作だ。零距離からの強力な火炎放射でこちらを片付けるつもりか、と踏んだ。
 だがユィーナは内心せせら笑っていた。自分一人死んだところで大勢に影響はない。第一ヴェイルはもう自分同様ザオラルを使える、蘇生も簡単なはずだ。向こうが一人に集中している間に、こちらは命をもらう――
 と冷静に考えながら呪文を唱えていたのが、目の前にいきなり鎧姿の男が現れたのを見てぶっ飛んだ。
「――ユィーナッ!」
 その男は大きく跳躍し、ヤマタノオロチの今まさに火を吐こうとしている口の中に突っ込んだ。そして鋼の鞭を使ってオロチの顎を大きく切り裂く。
 だが当然ながら今にも吐かれようとしていた炎は全てゲットに当たり、ゲットは黒焦げになって崩れ落ちた。
「…………!」
 ユィーナはぎりっ、と唇を噛んだ。なにを。なにをやっているんだあの馬鹿は!
 唱えかけた呪文を速攻で放ち、それから即座にザオラルの詠唱に入る。あれだけの炎を浴びて生きていられるとは思えなかった。
「……ユィー………ナ」
「! ゲット! 生きて……!?」
 仰天したが死んでいるより生きている方がいいに決まっている。即座に呪文詠唱をベホマに切り換えた。
「ユィーナ……無事か………?」
 なにを言っているんですかあなたは、とベホマを唱えながら思う。あなたがいうことではないでしょうに。
「よかった……ユィーナの肌に火傷の跡でも残ったら……大変、だもんな……」
「あなたは一体なにを言っているんですかこの状況で! 戦いの中で傷跡が残るもへったくれもないでしょう!」
 ベホマを唱え終わるや否や速攻で怒鳴ったが、ゲットは相変わらず倒れ伏したまま笑った。
「俺は……ユィーナ、君のためなら……どんなことでもできるが……君が、傷つくのを見過ごすのだけは……どうしたって、なにがあったって、できないんだ……」
「な……なにを言っているんです、私たちは戦いをしているんですよ!?」
「それでも!」
 ゲットは声を張り上げる。
「俺は……君を守りたい。君がいなきゃ、俺の世界は意味を失うんだ。俺は今まで大切なものなんてなんにもなかった。けど、君がいるから……君がいてくれるから、俺は大切なもののために世界を守ろうって思えるんだ……」
「な―――」
 ユィーナは頭が真っ白になった。なにを言っているんだこの人は。自分が大切? そんなことを言われたって困る。自分は、自分自身の意思で、目的達成のための道具であろうとしているのに――
「………………」
 そこまで考えて、倒れ伏したゲットの手が、自分の太腿を触っているのに気がついた。
 おまけになんだか息が荒い。太腿を撫で回している手が、少しずつ尻に向かっていた。
「……………………いっぺんどころかじゅっぺんぐらい死んできなさいこの戯け者!」
 怒りにか羞恥にか、自分の顔が真っ赤になるのがわかった。

「……おーい、ヤマタノオロチ異空間作って逃げたみたいだぞー……」
「しばらくほっとこ。馬に蹴られてなんとやら、にはなりたくないもん」

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