見知らぬ国々と一人の人について
 ヒューゥイッ!
 高らかに響く、口笛の音。ローグのそれは、あたしにはいつも、力強いけれど、どこか寂しい音のように聞こえた。
 音が響いた、と思った次の瞬間、唐突に現れる魔物たちの群れ。音に引き寄せられたのじゃない、目を逸らした一瞬でそこにやってきたみたいに唐突に現れるんだ。それがダーマ神殿で転職した遊び人≠ェ習得する特技、口笛≠フ力。
「行くぞ!」
 叫ぶやローグは先手を取って真空波を放つ。あたしも使える、上級職パラディンが習得する特技。逆巻く真空の刃は、次々と敵の魔物たちを斬り裂き、ほとんど瀕死の状態にまでもっていく。実際これを習得してから、雑魚戦はほとんどこれと岩石落としだけで片付いてしまっていた。
「はぁっ!」
 続いてあたしも腕を振るい、周囲を真空の刃が渦巻く嵐の中へと叩きこむ。それでもう片はついた。現れた魔物たちは次々と倒れ、屍を大地に投げ出し、その巨体の名残も残さず消えていく。
 それを確認してから、ローグは当然のような顔でうなずいた。
「よし、ゴールドを集めるぞ。それくらいは働けよ、今回もまったく役に立たなかった某天才剣士」
「……貴様っ……」
 顔を真っ赤にしてぎっとテリーがローグを睨む。あーあ、またかーとあたしはちょっと肩をすくめていたんだけど(本当にローグってばしょっちゅうテリーをいじるし、それでテリーがまたいちいち律儀に反応するのだ)、ハッサンはその大きな体を揺らして笑い、振り返ってローグの肩をぽんぽんと叩いた。
「はは、まぁそう言うなってローグ。まだ仲間に入って日が浅いんだからしょうがねぇじゃねぇか」
「阿呆かお前、お前も今回はまったく役に立たなかったんだぞ偉そうな口叩くなボケ。お前最近戦闘でほとんど役に立たないの自覚してないのかこの脳髄までマッチョ男が」
 平然とした顔でめたくそに悪口を言うローグ。あたしも慣れているとはいえついいつもながらここまで言うー? と思ってしまうんだけど(あたしはこういう悪口言われたことはないけど。っていうかローグがこういう風に意地悪を言うのはパーティ内ではハッサンとテリーだけなんだけど)、ハッサンはははっと豪快に笑ってみせた。
「そう言うなって。ボス戦では活躍してみせるさ」
「……ふん、ならさくさくレベル上げするためにもとっととゴールドを集めろ」
「あいよ」
「人に偉そうに指示を出す前に自分で集めたらどうだ。その程度の道理もわきまえないでよくそんな偉そうな顔ができるものだな」
「は? 笑わせるな、お前自分がどんなに好きなのかは知らんが、少しは脳味噌を磨いてものの理屈というものを理解してみたらどうだ。パーティ内では全員平等、だから戦闘で働かなかった者は別のところで働くのが当然だろうが。その程度の道理もわきまえないで偉そうな口を叩くなこの某世界一の剣士」
「貴様っ……喧嘩を売っているのか、人の称号を某だのなんだの……」
「阿呆。お前ふぜいが俺に喧嘩を売ってもらえると思ってんのか。まぁお前が世界一の剣士とか呼ばれときながら俺たちにかすり傷程度しか負わせられずに負けたのは純然たる事実だし、それをお前が気にするのも当然だろうが、んなことでいちいち何度も喧嘩を売るほど俺は暇じゃない。単純にパシリとして馬鹿にしていじめてるだけだ」
「っっっ貴様ぁっっっ!!!」
「ほらほらテリー、お前もいちいちムキになるなって。あいつの言うこといちいち真に受けてたら陽が暮れるぞー」
「っしかし!」
「悔しけりゃあいつに勝てるよう強くなりゃいいだけだって。今はレベル上げ中なんだからさ、追い越すいいチャンスだろ?」
「……それは……そう、だが」
「ああ言っとくけどなテリー、基本的にこの旅が終わるまで俺と旅をしていない間はルイーダの酒場行きだから、少なくとも旅の間はお前はどうあがいても俺は追い越せないからそのつもりで」
「っっっっっっ……殺すっ!」
「だからよ、怒るだけ無駄だって」
 いつもながらの言い合いをする三人を、というかふんっとばかりに偉そうにテリーに見下すような視線を送るローグを、あたしはなんとなく見つめた。そういうのにはものすごく敏感なローグは、あたしの方を向いて、普通の顔をして言ってくる。
「どうした」
 あたしは自分の中にある気持ちをなんと言えばいいのかわからなかったので、少し困って悩んでから、「ううん、なんでもないよ」と首を振った。ローグは「そうか」とあっさりうなずいて、あたしから視線を逸らしてくれる。
 でも、あたしはついついまたローグを見つめてしまった。なんだか、あたしは最近、すごくローグのことが気になっちゃうんだ。
 ローグはなにを考えてこんなことしてるんだろう、って。

「あいつがなにを考えてるか? さぁなぁ、そんなのは俺にもわかんねぇよ」
 野営の時にハッサンに訊ねてみると、あっさりとそう言われてしまった。あたしは不満をあからさまに表した顔で、ぷーっと膨れてみせる。
「そんなに簡単に言わなくてもいーじゃない。ハッサンは一番ローグとのつきあいが長いんだからさー、ちょっとくらいわかるでしょ?」
「ま、他の奴らよりはな。けど、あいつって頑固だし、取り繕うのうまいし、自分がなに考えてるか知られるくらいなら死んだほうがマシ、みたいに考えてるとこあるからなぁ」
 そんなことを言いながらハッサンはてきぱきと野菜の皮を剥き、刻んでお鍋に入れる。旅の途中とかだとお水は貴重だから、料理とかに使う余裕はないんだけど、今レベル上げのために留まっている場所の近くにはきれいな川があったので、こういう汁物とかもできちゃうんだ。
「だから俺としちゃ、あいつがなに考えてるかなんてのはいちいち考える気しねぇなぁ。あいつがやることってのは、なんのかんのいいつつ最後にはたいていうまくいくし。俺の仕事は、いちいち聞かないで、あいつの背中を守ってやることだと思ってるぜ」
 調味料を大雑把に鍋に入れつつ言うハッサンに、あたしは小さく唇を尖らせて訊ねる。
「向こうがなに考えてるか、本当はわからないのにぃ? そんなんでいいの、寂しくない?」
 軽かったけど、でもその中にこっそり本心を隠した言葉に、ハッサンは豪快な笑い声で応えた。
「いちいちなにを考えてるか聞かなきゃ不安になっちまうような関係じゃ、相手を相棒とは呼べねぇさ」
「……そういうもの?」
「少なくとも俺はな。あいつはどうだか知らねぇけどさ」
 そのすごく自信たっぷりな横顔に、あたしは唇を尖らせたまま、「ふぅん」とものすごく納得してない感じに答えることしかできなかった。
 ――だって、あたしのほしい答えはそんなんじゃなかったから。

「ローグの考えていることがわからない、ということ?」
「うん。ミレーユは、わかる?」
 天幕の前で繕い物をしていたミレーユに訊ねてみると、くす、となぜかミレーユは笑った。
「バーバラって、本当に可愛いわね」
「え? な、なんで?」
「そんなことを言ったら、あなたがローグのことをもっとよくわかりたいって宣言してるも同然よ?」
「え? ど、どういう意味?」
「つまりね。バーバラは本当に、ローグのことが好きなんだなぁ、っていうのが伝わってくるっていうこと」
 あたしはぼんっ、と顔を赤くした。ミレーユにこんな風にからかわれるのは、これが初めてじゃなかったけど。
「べべべべべ別にそういうわけじゃっ! ていうかそういうミレーユはっ、じゃなくて話そらさないでよっ」
「うふふ。大丈夫、ちゃんとわかってるわ、心配しなくても」
「もー、そーいう風に笑わないでよー!」
 あたしが涙目になって抗議すると、ミレーユはにこにこ微笑みながらあたしの頭を撫でてきた。ミレーユの手は柔らかくて、少し冷たくて、いつも通りに撫でられるとすごく気持ちがいい。
「私がローグの考えていることでわかるのは、せいぜい半分くらいよ」
「え……そうなの?」
 ミレーユが半分しか≠からないっていうのもローグのことを半分も≠かるっていうのも、なんだかすごいと思って首を傾げたあたしにミレーユは微笑む。
「ええ。今なにをしたいのか、とか今言った言葉の本当の意味はこういうことだろう、っていうのはわかるけれど、ローグが本当になにを考えているのか……なにを考え、なにを求めて旅を続けているのか、この旅で何がしたいのか。そういうところがわかったことは一度もないの」
「え……なにがしたいって。大魔王倒して世界救うんじゃないの?」
「ええ、もちろんそうなのだけれど。彼にそういう目的意識があるのは確かなのだけれど……ローグの目は、そういうところとは違うものを見ている気がするのよ」
「違うもの……」
「ええ。それがなにかはわからないけれどね。たぶん、彼にそれを明かす気がないからでしょうけれど」
「……あたしたちのこと、信用してくれてない、ってこと?」
 そうものすごく仏頂面で言ったあたしに、ミレーユはにこり、といつも通りの優しい微笑みを浮かべて頭を撫でてくれる。
「そんなことはないわ。あなただって、それはわかっているでしょう? ローグは本当に私たちのことを仲間だと思ってくれている。信用してくれているし、信頼してくれているわ。私たちのことをすごく大切な存在だと思ってくれている。その気持ちに嘘がないのは、ちゃんと伝わっているわよね?」
「……それは、そーだけど」
 うん、ローグはあたしたちのこと、ちゃんと好きだ。ちゃんと大切な仲間だって思ってくれてる。一緒に旅をして、お互い命懸けで背中を預け合いながら戦ってるんだもの、そういう気持ちをあいつが持ってること、わかんないほどあたしは鈍感じゃない。けど。
「じゃあ……なんであいつは、あたしたちにホントはなに考えてるかとか、言ってくれないの?」
「そうね。私は単純に、照れくさいのじゃないかしら、と思っているけれど」
「えー? 照れくさいって、あいつが?」
「ええ。ローグってとても照れ屋じゃない?」
「そーかなー」
「ふふ、納得がいかないなら自分で訊ねてみたら?」
「だって……はぐらかされるし」
「あなたが本当に聞きたい、と思っているのだったら彼ははぐらかしたりしないわ」
 そうなのかもしれないけど。あたしの場合ははぐらかすかもしれない。だって、あたしが本当に聞きたいのは、ローグの目的とか、そういうんじゃないんだもん。

「ローグさんの、考えていらっしゃること、ですか……」
 薪を集めていたチャモロのところに行って「ローグがなにを考えてるかってわかる?」と質問すると、チャモロはいつものように考え深げに首を傾げた。そういう仕草を見ると、やっぱりチャモロってパーティ最年少なんだなーって可愛げがわきわきしてくる(普段はすごく頭よさそうな雰囲気だから。いや、実際すごく頭いいんだけど)。
「そうですね……私も、ローグさんの考えてらっしゃることを常に正確に拝察できるかというと、嘘になります。あの方は本当に底知れない器をお持ちですから……私の思ってもみなかったような方法で物事に決着をつけることもしばしばですし。私にとっては新たな方向性が目の前に示されるという意味で非常に有意義な体験なのですが、ローグさんにとってはただ追従するしかできない私は物足りない存在なのでしょうね……」
「え、や、そんなにたいそうな話じゃなくてさ。もっと単純に……なんていうか、ローグってなに考えてるんだろうって思うことってない?」
「と、いいますと?」
 きょとんとした顔になるチャモロに(その顔がまた子供っぽく可愛くてあたしはこっそり手をわきわきさせた)、あたしは指を振りながら言う。
「たとえばさ、ローグってすぐ寄り道するじゃない」
「ええ……はい」
「なにかっていうとすぐ世界中の街回っていろんな人に話しかけまくるし。もう潜った洞窟とか塔とかにも入ったりするし。ターニアちゃんにしょっちゅう会いに行くのは別にいいんだけどさ、大魔王早く倒しに行かなきゃならないこの状況で、すぐあっちこっちに寄り道するのって、どうかなって思わない?」
「それは……確かに、思ったこともありますが」
「それにさ、目的地が目の前なのに別の場所行ったり、引き返したりすることあるでしょ? あれもどう考えたって変だしさ」
「それは、そうですが……そういう時は、いつも理由を説明してくださってるじゃないですか」
「そうだけどー」
 もう少し戦力を増強しておくべきだとか、先にこちらを調べておいた方がいいとか、いろいろもっともらしい理由つけて。
「でもさー……なんか、そーいうのって、言い訳くさいとか、思ったりしない?」
「言い訳……ですか」
「なんていうか、ほんとは別に理由あるんだけどそれをもっともらしくごまかしてる、みたいな。なんかもっともらしいから逆にうさんくさい、っていうかさー」
 チャモロは考え深げに首を傾げ、それから聞いてきた。
「逆にお訊ねしますが、バーバラさん。それが嘘だったとして、なにか困ることがありますか?」
「え?」
 きょとんとするあたしに、チャモロは諄々と、説法する時みたいな感じに言う。
「ローグさんが私たちに嘘をついたとして、それはなぜだと思います?」
「そ、れは……ホントのこと、知られたくないからでしょ?」
「そうだとして。なぜ我々に知られたくないか、その理由を考えたことがありますか?」
「え……それ、は……」
 なんでだろう。あんまりそんなこと、考えたことなかったけど。
「もし本当にローグさんが嘘をついているのだとしたら、もちろん私もいい気持ちはしません。信頼した相手に嘘をつかれるのは悲しい気持ちになるものですし、隠し事をされれば水臭いとも思います。ですが、かといって、無理に問いただすのが必ずしも正しいとも私には思えないのです」
「……そう、なの?」
「ええ。ローグさんは、どうでもいいことで嘘をつくような方ではありませんよね?」
「……うん」
「そして、ローグさんが私たちを仲間として信頼してくださっているのも、疑う必要もないことですよね?」
「うん! それは絶対だよ」
「だとしたら、ローグさんはきっと、私たちにはどうしても言えないことがあるがために嘘をついているのでは、と思うのです。私たちを軽んずるがゆえでなく、あるいは重んずるがゆえにこそ、言えないことが。だというのに、我々が無遠慮にローグさんの隠していることを穿り出しては、ローグさんにとって非常に困ることになるのではと、私にはそう思えるのです」
「…………」
「私は、ローグさんを困らせるようなことは、けしてしたくありません」
 きっぱり言い切ってから、少し照れくさそうな、困ったような恥ずかしいような顔で続ける。
「こうは言っていますが……もしかしたら、私はただ、ローグさんに嫌われるのが怖くて、聞いてみる勇気が出ないだけなのかもしれません。神の道を志す者として、恥ずべきことなのですが……今の状態が心地よくて、それを壊す気になれない……というのが正直なところかもしれません、情けない話ですが」
「チャモロ……」
「ですからバーバラさんが心からローグさんに嘘をつく理由を訊ねたいと思うのならば、そのお気持ちのまま行動するのもけして間違ってはいないと思いますよ」
 そう言ってにこっと笑うチャモロになんだか罪悪感を感じて、あたしはちょっと困ったように笑った。あたしは……あたしの気持ちはチャモロの考えてるみたいな、立派なものじゃなかったから。

「ローグさんがなにを考えているかですか。ふむぅ……それはまた、難しい問題ですねー」
「なんでそんなことを俺に聞く」
 火の番をしていたテリーとアモスのところに行って聞いてみると、予想通りテリーは一気に不機嫌な顔になった。
「え、だって……テリーはよくローグにいじられてるからなんか通じ合うものがあったりするかもって」
「ああ、テリーさんって実はいじられキャラですしね! イケメンモテ系キャラなのに実はけっこう変人ですし! まぁ私もいい男度では負けていないと自負してますが」
「……そんなものあるか! そもそも俺よりもはるかにつきあいの長いお前らにわからないのに俺がわかるわけないだろ」
「うー……それはそーなんだけどさー……」
 あたしとしても藁をもつかむ気分で声をかけたのだ。少しでも手がかりがつかめないかと、懸命に話しかける。
「ねぇ、テリーはさ、ローグがテリーいじってる時どんなこと考えてるかとかわかる?」
「わかるか! わかりたくもない。というかあんな奴のことなんぞ一瞬たりとも考えたくないね」
「うわーテリー、そこまで言う?」
「そうですねーあんまりですよ。はっ! もしやこれが噂の嫌よ嫌よも好きのうち、というやつですか!?」
「………言われるだけのことをしてるだろうが、奴は。それにだな、そこまであいつのことを考えてるんだったら、ぐだぐだ回り道してないで正面からあいつに特攻すればいいだろ。それが一番手っ取り早いだろうが。少なくともお前を無碍にするなんてことはないだろうし」
「えっ……そ、そう、思う?」
 思わずどきっとして問い返すと、テリーは仏頂面でうなずいた。
「ああ。お前はローグに可愛がられてるからな」
「え……」
「おやテリーさん、そんな仏頂面でその発言ということは……もしや、自分はローグさんにいじられてばっかりいるのにバーバラさんばっかりずるい! という嫉妬の念がっ!?」
「…………アモスお前さっきからいちいちやかましいんだよ! ぐだぐだしょうもない茶々入れするなこの万年幼児頭!」
「ひゃーっテリーさん、そんなご無体なーっ!」
 じゃれあい始めたテリーとアモスをよそに、あたしはうつむいて、木の枝で火の中の薪をつっついた。可愛がられてる。ローグに。ほんとに? あたしが?
 そんなことを考えてると、胸のところがむずむずするような、きゅうきゅうするような、妙な気分でなにかで発散しないではいられなかったから。

 みんなでお喋りしながら夕食を取って、天幕と馬車に分かれて眠りにつく。馬車に全員入れないこともないんだけど、あたしたちは狭苦しくなるからって理由で天幕も一緒に使っていた。
 もちろん魔物に襲われたら困るから、見張りを立てる。一度に二人で、一時間ごとに一人ずつ交代、一人の割り当て時間は二時間。つまり最初に交代した人は最後の一時間の見張り役になるってパターン。
 ……で、今夜の最初の見張り役は、あたしとローグだった。
「…………」
「…………」
 ローグは見張りが始まってからなんにも言わず、ただたまに火の中に薪を放り込みながら炎を見つめている。……いや、そりゃ見張りしながらぺちゃくちゃお喋りするのも問題あると思うし、第一寝てるみんなうるさいだろうし、いいんだけど。なんか、ちょっとくらい話しかけてくれたって……いや、あたしが勝手に気まずい気分になっちゃってるだけなんだけど。
 もじもじ足を動かしながら、ローグの方をちらちらと見る。黙って火を見てるローグは、黙ってる時はいつもそうなように、なに考えてるのかさっぱりわかんない静かな顔をしていた。
 濃い蒼色に一筋紫を垂らした色の、つんつんと逆立った髪。これがセットしたんじゃなくて単なる癖毛だって知った時は驚いたっけ。
 黒檀のようなっていうんだろうか、琥珀と黒の中間ぐらいの、落ち着いた色をした瞳。ローグはいっつも偉そうな表情浮かべてるからあんまり意識したことないけど、こんな風に落ち着いた表情浮かべる時はなんか神秘的っていうか、この世ならぬものを見てるみたいっていうか、とにかくすっごく不思議な雰囲気になる。
 顔は……かなりカッコいい、と思う。すっと鼻筋が通ってて、目がパッチリしてて。テリーと違って顔立ち自体はちょっと子供っぽい感じなんだけど、それがいつもの偉そうな表情と合わさると、なんかホントに王子さまみたいな、迫力あるんだけどちょっと可愛いような気もする印象に変わるんだ。いや、ローグはホントに王子さまなんだから、別におかしくないんだけど。
 体も逞しい……っていう言葉ほどムキムキなイメージはないんだけど、テリーやチャモロみたいに細いとか小さいとかいう感じもしない。しっかり筋肉がついてて、腕とか意外に太かったり胸板厚かったりして。もしかしたら着やせするのかも。一番近い言葉で言ったら、しなやかで力強いとか、そういう感じな気がする。まるで肉食獣みたいに、無駄な肉がなくって、絞られた筋肉はしっかり役目を果たしてくれる、そんな油断ならなくて獰猛だけど、心の奥の方のよくわからないところがすごく惹かれる――
「バーバラ」
「ひゃいっ!?」
「俺がついつい見ずにはいられないほどいい男なのは確かだけどな、そうじろじろ観察するように見るな。人が見てたら痴女かと思うぞ」
「なっ……誰が痴女よぉっ!」
 叫んでから口元に人差し指を当ててるローグに気づき、しゅんと小さくなる。あたしってば、なにやってるんだろう。勝手にローグのことでぐるぐるして、じろじろ見て、そんでローグに見つかって。ほんとに、なんかすごく、みっともない――
「で? 俺がなにを考えてるか、結論は出たか?」
「ひぇっ!?」
「まさか、気づかれないとでも思ってたのか? ああもあからさまに仲間に聞いて回れば、俺が気づかないわけがないだろが」
「う、うー……」
 あたしは小さくなる。みっともないし恥ずかしい。なんかものすごく自分が駄目な子みたいな気がしてくる。
 そんなあたしを、ローグは(真面目な話をする時はいつもそうなるように)静かな目で見て言った。
「俺になにか聞きたいことがあるなら俺に聞けばいいだろう。遠回りしなくても」
「……ホントにちゃんと答えてくれるの?」
「答えられないことや、答えたくないことはある。けど、そういう時はちゃんとそう言うさ。お前が本気で聞いてくるならな」
「うー……」
 そういう風に言われると、困る。だってあたしがローグに聞きたいのは、本当ならそんな大真面目な顔で話すようなことじゃないんだから。
 けど、この状況で「やっぱいいや」って言えるほどあたしぼーじゃくぶじんじゃないし。しばらくうろうろ迷ったあと、あたしはばっと顔を上げた。
「あ、あのさっ!」
「ああ」
「あのね、あたしね、ローグがなに考えてるかって、わからなかったの」
「そうか」
「ことあるごとに寄り道したり、突然目的地とは違うところ行ってみたり。なに考えてるのかなってずっと思ってた」
「なるほど。……で、お前はその寄り道が気に入らないわけか?」
「ううんっ! 違う、違うよ。あたしはあっちこっちにふらふらするの楽しいし、みんなと、ローグと一緒にだったら別にどこ行ってもいいって思ってるし」
「…………」
「だけど……だけど、ね。もし、なにか理由があるんだったら。なんで相談してくんないのかなって。あたしたち……あたしは、ローグにとっては相談役にもなれないのかなって。なんにも、役に立てないのかなって、思って……」
 こんなのがすごく情けない言い草なのはわかってるから、おずおずとローグを上目遣いで見つめて、小さく訊ねる。
「あたし……ローグに、なにか、できること、ある? あたし、なにか、ちょっとでもいいから、ローグに、なにかしてあげたいって思うんだけど、それってローグには、迷惑なこと、なのかな……」
 言いながらどんどん情けない気分になってきて、どんどん顔をうつむけちゃったんだけど、言ってることはあたしの本音だった。あたしは、ローグに、なにかしてあげたい。ローグがなにかしてほしいって思ってなくても。役に立ちたいし力になりたい、ローグにあたしのことすごい子だとかいい子だとか優しい子だとか思ってほしい。
 そういうの、すごく厚かましくてうざったいことだってわかってるのに。
 ローグはしばらく黙ってたけど、やがて真剣な口調で言ってきた。
「バーバラ、お前、そこまで俺のことが好きだったのか……」
「………! はぁっ!?」
「相手がどう思うかはわからないが、それでも相手の役に立ちたいとか価値ある存在だと思われたいとか思うんだろ? これはもう愛としか言いようがないだろが。俺が罪な男なのは今に始まったこっちゃないが、迷うところだな。俺は一応旅が終わるまではパーティメンバーには手を出さないことに決めてたんだが……」
「も、もーっ! なに言ってんの!? そんなわけないじゃんっ、あたしはただ――」
「俺を助けたい、と思ってくれたんだろう?」
「っ……」
「その気持ちは、ありがたく受け取っておく」
 すごく静かな口調だった。あたしの気持ちをしっかり理解して、理解した上でこういう風に答えたんだ、って否が応でもわかっちゃうような、さっきまでとはまるで違う、落ち着いた。
 だからあたしは、「うん……」なんて言いながらうつむくしかなかった。あたしのこんな気持ち、ローグには迷惑……とまではいかなくても、いらないものなんだって思ったから。
 じわん、と目が潤んできて、慌ててごしごしと目元を拭った。うわ、うわ、もう、もう、なんかあたし、消えちゃいたい。
「……バーバラ。ひとつ、例え話をしよう」
 淡々とした口調でローグが告げる。あたしはうつむいたまま、無言でそれを聞いた。
「明日死ぬとしたら、お前はなにをする?」
「え?」
「お前が明日死ぬとしたら。どうあがいても明日になったら死んでしまうとしたら。お前は今日、なにをして過ごす?」
「え……え、と」
 唐突な話にあたしはうろたえちゃったんだけど、ローグは意に介さず話を続ける。
「もし俺だったとしたら、残された時間をできる限り有効に使う。楽しいことをして、無沙汰をしている人間に挨拶をし、気の合う仲間と最後の宴会をして、限られた時間を全力で味わい尽くす。そうしないと損をした気分になるからな」
「……死んじゃうのに損とか得とかあるの?」
「死ぬ前に得の方をできる限り増やしておくんだよ。良くも悪くも、俺はそういう人間だ。少しでもなにかを得ようと飢えた獣よりなお醜くがっつく。――お前はどうなんだ?」
「う……うーん」
 あたしは困った顔をしながらも真剣に考えた。唐突な話題だけど、たぶんローグにとってはこれは真剣な話だ。なにかカッコいい言い回しとかないか、とかしばらくうんうん考えたけど思いつかなくて、結局最初に思いついたことをそのまま言った。
「好きな人のそばにいる、と思う」
「……好きな人、ね」
「うん。あたしがもういなくなっちゃうんだったら――最初からそこになかったみたいに消えちゃうんだとしたら。あたしは好きな人に少しでも深く自分を刻みたい。時々でいいから、思い出してもらえるように。わがままだって、わかってるけど……」
 あたしはまたうつむく。ほんとにわがままだ、あたし。相手の都合とかおかまいなしで、ただ、あたしは相手に覚えててほしいって思ってる。好きな人の心の中に、自分が――できれば素敵な自分が住んでいてくれたらって。そうしたら、あたしも、嬉しい気持ちで消えていくことができるんじゃないかって――
 あたしはそこまで考えて、小さく震えて首を振った。なにを考えてるんだろう、あたしは。こんなのただの例え話だって、ローグがさっき自分で言ったのに。
「ご、ごめんね、変なこと言って。あたし、もしかしたらただ、なんかローグがあたしにはわかんない理由で寂しそうにしてるのとか悔しかっただけかも。あはは、あたしってお子ちゃまだね――!」
 あたしの言葉は途中で宙に消えた。ローグがぐいっ、とあたしを引き寄せ、抱きしめたからだ。力強かったけど、あたしを包み込むように、そっと。
「ロー、グ……?」
「そんな顔で泣くな。優しくしたくなるだろが」
「や、や、優しく、って」
「俺はな、海より深い優しさの持ち主だから、目の前でそんな寂しそうな顔をされると優しくしたくなるんだよ。――終わりを先延ばしにしたり、少しでも多く思い出作りしたりな」
「っ……」
 それって、なんか。意味わかんないけど。なんか、まるで。
「バーバラ」
「ひゃいっ!」
「少なくとも俺には、お前は十分以上に刻まれてるぞ」
「え」
「お前の基本頭悪くて、脳天気で、後先考えないでその場のノリで行動して、すぐドツボにはまって人に助けを求めるところとか」
「ちょ、ちょっとぉっ」
「どんなに苦しい状況でも人が助けを求めてたら助けずにはいられなくて、やたらめったら素直で、感情をすぐ表に出して、だから人を自然に和ませ、惹きつけるとことか、な」
「…………っ」
 あたしはローグの腕の中で固まった。なに、なんなの、この状況。変だよ、おかしいよ、これじゃまるでローグが、あたしのこと、く、くど、口説いてるみたいな。
「俺が考えてることなんざ単純だ。この旅に、満足できる結末を迎えさせたい。最後にはめでたしめでたしと言えるような終わりがほしい。俺にも、お前にも……他の奴らにも」
「ローグ……?」
 ひどく乾いた口調に、あたしは胸がなんだかきゅうきゅうして、ローグの顔を見ようとした。なんだろう、ローグがまるで、あたしの前から消えていなくなっちゃうような――
「……プキップ?」
「お、ルーキー、来たか。んんーっ、いつもながら可愛いなぁお前はっ! つついた時の弾力といい色艶といいぷるんぷるんと動く体の揺れといいぶっちゃけたまらんっ、ハグさせてくれハグ」
「プルッ、プルルー、プルルップルップルルンッ」
 ぽよんぽよんと体を揺らしてローグの差し出した腕を避けつつ、ルーキーがぽよんぽよんとあたしの隣にやってきた。……そっか、ローグの次の見張り番、ルーキーだっけ。
「じゃ、俺はそろそろ寝るからな。バーバラ、見張り、しくじるなよ」
「しっ、しくじらないってばっ! 馬鹿にしないでよ、もうっ」
「ならいいけどな。じゃ、おやすみ」
「うん……」
 あたしはまだ熱い頬を撫でながら、天幕の中に消えていくローグの後姿を見た。なんだろ、なんだったんだろ、さっきの――たぶん、ローグにとっては、すごく重要なことだったんだろうと思うけど……。
「プルップルルッ、プルプルルピップキプルルプピップルルプルッ」
 ルーキーは体を揺らしてなにかを必死に訴える。なに言ってるのかはさっぱりわからなかったけど、たぶん『邪魔しちゃってごめん』みたいなことを言い訳してるんだろうっていうのは雰囲気でわかった(けっこうルーキーともつきあい長いし)。
「あはは、いいんだよルーキー、別にそんな大したことしてたわけじゃないんだから」
 そう、ハグしてただけ。それでちょっとお喋りしてただけ。
 でも、ローグがあの言葉を、本気で言ってたんだっていうのはなんとなくわかった。
「……はぁ」
 ルーキーの横で、膝に顔をうずめる。ローグのことをぼんやり考えた。ローグって、ほんとになに考えてるんだろう。今回もなんのかんのではぐらかされちゃった気がする。
 でも、思い出す。ローグのあの真剣な声音。淡々とした、それこそ死ぬ前みたいな静かな表情。あたしを抱きしめる腕の、熱いほどの体温。
 あたしは何度もそれを思い出し、きっと夢にも見るだろう。あの蒼く立った髪と、黒檀の瞳と、よく陽に焼けた肌の持ち主を。
 ローグは、あたしを、夢に見てくれるだろうか。あたしがどこにもいなくなったあとも。
 ぼんやりそんなことを考えながら、あたしはことっと眠りに落ちた。

 そして見張りの間に居眠りしたことを次に起きてきたテリーに見とがめられ、結果ローグにお仕置きされてしまったことは、言うまでもない。
 ……なにも馬車待機中ずっと正座とかいう罰にしなくたっていいのに。すっごく足しびれたんだからね、ローグの意地悪。

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