びっくりするほどきれいな人
「みっ、みっ、ミレーユさんっ! すすっ、すいませんっ、あのっ、俺と、どうかっ、お話をっ………!」
 サンマリーノにて、ハッサンの両親に久々に顔を見せるべく、パーティ揃って街中を歩いていると、突然そう顔を真っ赤にした男に声をかけられた。バーバラは驚いてわたわたと慌てながらミレーユと男の顔を見比べてしまったのだが、ミレーユはあくまで優雅な微笑みを浮かべながら少し首を傾げてみせる。
「どこかで、お会いしましたかしら?」
「いやっ、そのっ、な、何度かすれ違っただけじゃあるんですがっ! 俺はずっとっ、あなたのことがっ!」
 めかしこんではいるものの、いかにも冴えない風貌のその男は、ますます顔を赤くしながら勢い込んでミレーユに迫った。うわーうわーこれってこれって、と目を輝かせながら状況を見守ってしまうバーバラをよそに、ミレーユは笑顔を絶やさず、男と向き合い優しく告げる。
「ありがとうございます……でも、ごめんなさい。私は、そのお気持ちに応えることはできないんです」
「っ……」
「やらなければならないことが……命を懸けても果たさなくてはならない使命があるんです。ですから今は、どのような方にお心をかけられても、応えることはできません」
 優しく、柔らかく、けれど毅然と男を真正面から見つめて告げたその言葉に、男はなにも言えず引き下がり、「うおぉおぉぉっ!」と泣き叫びながら走り去る。その光景をバーバラは思わず真剣に見入ってしまった。
 なんていうか、いつものことだけど、本当に、ほんっとうに。

「ミレーユってば、ほんっとーにきれいだよねぇ……!」
 サンマリーノの酒場で、しみじみ実感を込めて言った言葉に、ミレーユはいつものように苦笑してみせた。
「バーバラったら……なにを言い出すの? 突然」
「いやだって今日もさぁ、突然男の人に告白とかされてさぁ……」
 道端で突然告白されるミレーユ。そういう光景は、実のところ、旅の道すがら、何度も見た代物だった。
 ミレーユは本当に、同性の自分から見ても、輝かんばかりに美しい人だ。月光のように煌めく金の髪、翠玉よりも深い色に輝く瞳、肌は厳しい旅を続けながらも雪のように白く、顔貌は眩しさすら感じさせるほどに形よく整い、挙措や振る舞いのひとつひとつ、そこから匂い立つ雰囲気、すべてが見る者を魅了せずにはおかない。
 だからたまたま通った村や町の男性がミレーユに告白してくる、というのは実のところ珍しいことではなかった。今日のように以前ミレーユを見かけて想いを募らせていたというのはそれほど多いパターンではないのは確かだが(あの男は大工で、ハッサンの両親からミレーユの個人情報を得たらしい)、皆無というわけでもない。だからバーバラは以前たまたま見かけた人にミレーユが告白された、という事実より、ミレーユのそれに対処する手際に感心してしまったのだ。
 相手を不必要に傷つけず、真正面から向き合いながら相手の矜持を損なわず、それでいて言うべきことをきっぱり端的に告げるその手腕。相手に誤解されないよう、相手のごまかしを許さぬよう、凛とした態度と毅然とした振る舞いで圧倒してみせる。相手が自分をごまかしてしつこく付きまとうことなんて、あれではとてもできないだろう。いい女≠ニいうのはああいうものを言うのだろう、と思わせるその立ち居振る舞いに、胸がすくというか、見惚れたような気持ちになったのだ。
「いつものことだけどさ、あんな風に堂々と告白してきた男の人と渡り合えるのとか、すっごいなーって。あたしだったらきっとおろおろしちゃってまともに口も利けないと思うのにさ。ミレーユは全然動じないで。ミレーユってほんと、すっごいきれいで、格好いいよねぇ……」
 しみじみといつもの感想を並べ立てていると、ミレーユは困ったように笑ってみせる。その笑い方がまた、人にまるで威圧感を与えない、優しくて柔らかい人を包み込むような雰囲気を保っていて、すごいなぁと思ってしまうのだ。
 と、隣で飲んでいたローグが肩をすくめて言ってくる。
「そういうことを心底感心している、という顔と気持ちで言われてもミレーユも困ると思うが?」
「え? だって、本当にすっごいなー、って感心してるのに、それ以外のどんな顔すればいいの?」
「そうじゃない。単に、女性が同性にそういうことを言われる時は、妬み嫉みが込められていることが多いから、ミレーユもどう対処すべきか迷うだろうって話だ。これまでにお前のような女と接してきた経験がないんだからな」
「え? えーと………あっ! ローグ、もしかして馬鹿にしてるでしょっ! もーっ!」
「そんなわけないだろが。どちらかというと、褒めていると言えると思うが?」
「ほんとにぃ……? なんか、納得いかないなー」
 ぶーっと頬を膨らませてローグと喋っている間に、ミレーユはバーバラと反対側の隣に座っていたハッサンに話しかけられたようで、微笑みを浮かべながら会話を転がし始めていた。バーバラとしても、さっきの話題は単に『ミレーユにきれいだと思ったことを伝えたい』というだけのものだったから、気にせずにローグや他の仲間とのお喋りに移ったのだ。
 ――だから、ミレーユが後日、不調を訴え始めた時、バーバラはこの話が原因だとはまるで気づかなかった。

「え……ミレーユが、風邪!?」
「風邪というか、体調不良、ですね。気管支などに異常があるわけではないので。おそらくは疲れが溜まっているのだと思いますが……」
 ミレーユの部屋から出てくるや、待ち受けていた仲間たちに向けて告げたチャモロの説明に、バーバラは驚愕を隠せなかった。だって、最近のミレーユにそんな気配なんてまるでなかったからだ。
 魔物と戦いながらの過酷な旅をずっと続けているのだから、体調を崩しやすい環境にいるのは確かだろう。それに今はデスタムーアを倒すためレベル上げをしている真っ最中、体力を振り絞り魔物を倒しまくっては宿に泊まって翌日また朝から戦いまくる、というのを繰り返しているのだ。自分だって体調を崩したことはあるし、仲間たちもほとんどが一度は体調を崩した経験がある。
 だが、最近のミレーユには全然そんな様子がなかった。いつも通り、普段通りに見えたし、体調を崩しているのかも、と人に思わせるようなかすかなサインすらも見て取ることはできなかったのだ。それなのに、今朝普通に話している時に、突然倒れて、その理由が疲れが溜まっているだけだなんて。
 チャモロを疑うわけではないが、どうにも納得がいかなかった。ミレーユの具合が悪い理由なんて、大したことないに越したことはないのだけれど、バーバラには実はもっと大変な病気とかで、自分たちに心配をかけないように隠しているのじゃないか、と思うくらい違和感があった。そのくらい本当にミレーユは、バーバラの目にはいつも通りに、普段と少しも変わりなく見えたのだ。
 けれど、チャモロの言葉を聞いて、テリーはふん、と鼻を鳴らして言った。
「今は? 寝てるのか?」
「ええ、薬を服用していただきましたので。しばらくはお休みになったままだと思います」
「そうか……なら、ここにいても仕方ないな」
 言うやあっさりと踵を返し、すたすたとその場を去っていく。バーバラは慌てて声を張り上げた。
「ちょっ、ちょっとテリーっ! そんなあっさり……ミレーユのこと、心配じゃないのっ!?」
「チャモロが疲れが溜まっているだけっていうならそうなんだろうと考えただけだ。ちょっとの体調不良が死を招く病人ってわけでもないんだ、周りでぎゃんぎゃん喚きたてるより放っておく方が親切だろう。違うか」
「だっ……でも、だって……」
「そもそも眠ってる人間相手になんの見舞いができるっていうんだ。寝てる横で一挙一動観察して一喜一憂しろってのか? 馬鹿馬鹿しい、時間と体力の無駄遣いだろ」
「けど、でも、だって! テリーは、ミレーユの弟なのに……」
 必死の想いでそう言うと、テリーは鬱陶しげに眉を寄せ、舌打ちせんばかりの顔で言い捨てる。
「『弟』だったら家族のことを朝から晩まで見張って体調崩してないか精査しろ、って? 馬鹿馬鹿しいことを抜かすのもいい加減にしておけ」
 そしてもうこちらを振り返ることもせず、足早にその場を立ち去っていく。バーバラはおろおろとテリーの去っていった方向と、ミレーユの部屋を見比べた。こんな時なんだからミレーユだって絶対、テリーにそばにいてほしいって思ってると思うのに――
 だが、そんな風に慌てふためくバーバラの肩に、ローグはぽんと手を置いた。
「バーバラ」
「ローグぅ……」
 思わず泣きそうになって、ローグの服の袖にしがみつくバーバラに、ローグはいつもの傲岸不遜顔でぽんぽんと安心させるように肩を叩いてくる。
「心配するな。考えていることはわかるが、お前が心配するようなことはなにもない」
「えっ……そ、それってどういう……」
「さて、じゃあとりあえず解散するか。チャモロ、薬の効果はどれくらいで切れる?」
「薬といっても栄養剤と睡眠導入剤程度のものですが。三、四時間もすれば目をお覚ましになると思いますよ」
「じゃあ、その時間になったら粥でも持っていくか。ひどい具合ってわけじゃないんなら、粥くらいは食えるよな?」
「そうですね、それがいいと思います。ハッサンさんでしたら安心してお任せできますね」
「あ、チャモロさんさりげなく私を仲間外れにしてませんか!? 私も実は、男のたしなみとして料理それなりにできますからね! お粥作るのお手伝いしちゃいますよ! こういうところでさりげなく親切にできるのがポイントアップの秘訣ですし!」
「お前な、俺らに堂々とそんなこと言ってどうすんだよ。いろんな意味で」
「プルリップキップルプリッ」
 などと言いつつ、ハッサンもチャモロもアモスもルーキーも、あっさりその場を去っていく。バーバラはその背を半ば呆然としながら見送ってしまったのだが、ローグはいつもの傲岸な笑みを浮かべて、ぽんとバーバラの背中を押した。
「ちょっ、なにっ?」
「納得がいってないんだろう。解説してやるからお茶でも振る舞わせろ。食堂でいいな?」
「え……う、うん、いいけど。でもなんでお茶?」
「さして深刻でもない話をするんだ、飲み物のひとつもなければ格好がつかんだろが」
「えー、それどういう理屈……」
 唇を尖らせながらも、バーバラはローグの後をついていく。実際バーバラは仲間たちの態度にまるで納得がいっていなかったし、それにローグの淹れてくれるお茶がどんなものか、正直ちょっと気になったのだ。

「にっが!」
 ローグの淹れたお茶を飲むや、思わず正直にそう叫んでしまったバーバラに、ローグは小さく肩をすくめる。
「一応正しい淹れ方で淹れたつもりなんだがな」
「えぇ!? でもこれもっのすごく苦いよ!? コーヒーとか薬草茶とかより苦くない!?」
「まぁ、普通は角砂糖なんかを噛み砕きながら飲んだり荒く砕いてスプーンで掬い取るようにして飲んだりする代物らしいから、そうなるんじゃないか?」
「先に言ってよ!」
 むぅっと唇を尖らせてから、言われた通りに角砂糖を取って噛み砕きながら流し込んでみる。さっきよりは確かにマシだが、それでもやっぱり相当苦い、と感じられる味に自然と眉根が寄った。
「そうか……やはり俺の腕では、まだまだお前を満足させるには至らんか」
 ふ、と小さく息をついてみせるローグに、バーバラは思わずわたわたと慌てる。
「そ、そんな気にすることないよっ! あ、あたしもともと苦いの苦手だし、ローグの腕がどうこうっていうのとはあんまり関係ないし……」
「いや、無理をすることはない、正直に言ってくれ。励んではいるつもりだが、俺の料理の腕がいっこうに上達しないのは俺もよくわかっている」
「そ、そんなこと言うならあたしだって料理ぜんぜんうまくなんないしさっ! ローグは他のところでリーダーとして頑張ってくれてるし、みんなのこといっぱい考えてくれてるのあたしちゃんとわかってるしっ、そんなに気にすることないと思っ……うんだけど……」
 言っているうちになんだか恥ずかしくなって勢いを失いうつむいてしまうバーバラに、ローグはくっ、と笑い声を立てた。
「あ、ちょ、なに笑ってんのーっ!」
「いや。単に愛されていることを再認識し思わず口元が自然に緩んだだけだ」
「あ、ちょ、あいって………!」
 顔を真っ赤にするバーバラに、ローグはにっこり笑顔で言ってのける。
「なにをうろたえることがある? 仲間がリーダーに親愛の感情を持つことはごく当たり前のことだろう? 俺だって同じようにお前にもチャモロにもルーキーにも、それどころかアモスやテリーに対してさえ愛を持って接しているぞ」
「………………」
 バーバラはむすっ、と頬を膨らませる。むーっと唇が自然に尖った。別に、最初からそんなことだってわかってたけど。わかってたけど! もーっ、なんかもーっ、腹立つーっ!
「そう膨れるな、バーバラ。ミレーユについての話をするんだろう?」
「あっ、そうだったっ! えっと、ミレーユっていうか、なんかミレーユにみんな冷たいみたいな気がしたっていうか。みんななんであんな素振りしてたの? この前あたしが風邪ひいた時とか、みんながいっせいに風邪引き込んだ時とかはみんなで協力して看病してたのに!」
「ま、確かにこの前はそうだったな。だが、あの時と今とで、明確に違うことがあるのさ」
「え? ………なに?」
 ちょっとおそるおそる問いかけるバーバラに、ローグはごくあっさりと答える。
「看病される側が放っておいてほしいかどうか、ってことだ」
「え?」
 バーバラはきょとんと眼を瞬かせる。それってつまり、ローグが言っていることは。
「ミレーユは、今、放っておいてほしがってる……ってこと?」
「そうなるな」
「え、えぇーっ、だってだって、病気なのに? そういう時って寂しくなったり、誰かにそばにいてほしくなったりするんじゃないの?」
「そういう時もあるだろうが、違う時もある。ミレーユは単に今回そういう気分だったってだけだ」
「え、で、でも……なんでみんなはミレーユがそんな気分だってわかったの? 実際に聞いたわけでもないのに……」
「全員が全員、ちゃんとわかっていたというわけじゃないさ。単にテリーとチャモロのやり取りから、そんなような気配を感じ取っただけだ」
「え、えぇー!? テリーとチャモロのやり取りって、どこからっ!?」
 二人が話しているところを自分も見ていたが、そんな気配なんてまるで感じ取れなかったのに、なんでみんなだけそんなに簡単にわかってしまうのか。バーバラはまるで気づかなかったのに、そんなのちょっとずるい、というか……
 バーバラだけわからないなんて、自分がちょっと、情けない、かもしれない。
 思わずしゅんとしてしまうバーバラに、ローグは軽くぽん、と頭を叩いた。
「気にすることはない。お前がわからなかったのも無理はないのさ、男同士の無言のやり取りってのは、当然女よりも男の方が感じ取りやすいというだけだからな」
「え……な、なにそれ」
「文字通りの意味だが? 俺たちだって一から十まで完全にわかっているわけじゃない。チャモロの様子からミレーユの具合が大して悪いわけでもなさそうだと感じ取ったのと、テリーがチャモロに問いかけるような顔つきになって、チャモロがそれにうなずいたところを見て取ったのと……あとはテリーの反応だな。あいつの表情と、反応からして、『ミレーユが放っておいてほしがっている』とあいつが考えているんだろうと想像しただけだ」
「え、な、なんでそんなことまでわかるの?」
「だから想像しただけだ。ちゃんとわかってるわけじゃない。テリーが不安そうな顔をしていたのにあっさり引き下がったとか、その表情からして今はそっとしておいた方がいいだろうと考えているんだろうなとか、チャモロの顔からすると似たようなことを考えているらしいとかな。なんでそんなことができるのか、というと……ま、単純に慣れとしか言いようがないが」
「な、慣れ?」
「ああ、俺は基本的に相手がなにを考えているか、ってことを常に読み取ろうとしているからな。日常生活でも、国王と謁見する時にも、魔物と対峙する時にも。いつもやっていればそれなりに上達もする。ハッサンやアモスは、まぁ単純に、その場の空気を呼んだんだろう。あいつらもそれなりに人生経験を積んでるからな」
「そ、そうなんだ……」
 そう言われると自分が人生経験を全然積んでいないみたいな気がして、またしょんぼりしてしまうバーバラに、ローグは軽く息をついて肩をすくめた。
「別に人生経験が少ないのはお前のせいじゃないだろが。記憶をなくした状態から、ずっと旅暮らしなんだから」
「そ、それは……そうだけど。でも、それを言うならローグだって同じような感じじゃない?」
「それは単純に俺が度外れて優秀なだけだ。お前、世界に愛された主人公≠謔閧燻ゥ分が有能だと思ってたわけか? それはあまりに自分に対して無茶振りがすぎるぞ」
「う、うぅー……もー……」
 いつも通りの不遜とかいうレベルじゃない態度の大きさに、思わずため息が出てしまう。でもまぁいつものローグらしくて、力が抜けた部分もないでもなかった。はぁあ、と肩をすくめて、ついちょっと笑ってしまった。
「あーあ、もう。いいけどさぁ、ローグだし、別に」
「よくわかっているじゃないか、バーバラ。俺の傲岸さに文句をつけても詮ないことだぞ」
「あはは、はいはい。しょーがないよねー、ローグだもんねー。……でもさ、ミレーユが放っておいてほしい、ってどうしちゃったんだろ。なんか、嫌なことでもあったのかな」
 眉を寄せて心懸かりを問うと、ローグはまた肩をすくめ、あっさり言う。
「そりゃ、あっただろうな。そうでなけりゃミレーユが『放っておいてほしい』みたいな態度を俺たちに見せるわけがない。あいつはそこらへん、徹底している奴だからな」
「そうだよねぇ……って、え? 徹底って、なにが?」
「感情を慎み深く隠すこと、だな」
「えー……? ミレーユが? そうかな?」
 ミレーユが気持ちを隠しているなんて、バーバラは一度も感じたことがない。いつも優しい笑顔で自分たちを見守って、間違ったことがあったら柔らかい口調で正して。いつでもお母さんみたいに暖かい、素敵な女の人なのに。気持ちを隠すとかそんなの、ミレーユには全然似合わないのに。
 そう首を傾げると、ローグはふん、と鼻を鳴らした。
「そこらへんは考え方にもよると思うが、な。なんにせよ、ミレーユにはなにか嫌なことがあったのは確かだろう。だからミレーユは放っておいてほしがってるんだろうが……」
「え……ご、ごめん。それってどう繋がってるのかよくわかんないんだけど……?」
「ふむ」
 ローグは少し考えるような顔になって、バーバラに顎に手を当ててから、にやっ、といかにも人の悪そうな笑みを浮かべる。
「なんなら、バーバラ。自分で少し、調べてみるか?」
「え、えぇ………?」
 なんだかすごくうさんくさいなー、と思いつつ、バーバラは眉を寄せた。なんとなく、ローグの言うままに、『少し調べて』みてしまいそうな自分を知っていたからだ。

「は? なんで俺がそんな話に付き合わなきゃいけないんだ」
 テリーはいつにもまして無愛想な顔で、ぶっきらぼうに言い捨てた。
「そ、そんなこと言わないでさぁ……ちょっとくらいいいじゃない」
「断る。そんな馬鹿馬鹿しい話に付き合う義理なんぞどこにもない」
「ううう………」
 ローグに言われるまま、最初にやってきたのはテリーのところだった。
『ミレーユが今なにを考えていると思うのか、仲間たちに聞いてみるのはどうだ』というローグの言葉に従い、とりあえず一番ミレーユに近い存在だろうテリーのところにやってきたのだが、テリーはいつも通りにけんもほろろな対応だ。うう、でもローグの言ってたことももっともだし、とめげずにテリーに懇願する。
「でもさっ、ミレーユの気持ちちゃんとわかってないと、あたしがミレーユのこと傷つけちゃうことだってあるかもしれないし」
「…………」
 テリーは眉を寄せたものの、言い返さない。それに力を得てバーバラはさらに言葉を重ねた。
「今回さ、ミレーユがなんで調子悪くなったのかとか、あたし全然わかんないし。そもそもあたし、ミレーユが具合悪いなんて気づいてもいなかったし。そんなままじゃ、ミレーユになんか嫌な思いさせちゃうかもって思うし。なんか、ミレーユが調子悪くなったサインとかあるんだったら、教えてほしいなって……」
「そうじゃない」
 唐突に冷えた声を出されて、バーバラは目を瞬かせる。
「え? そうじゃないって……」
「俺と姉貴がどれだけ長い間離れてたと思ってるんだ。いちいちサインだなんだって細かいことを読み取れるほど距離が近いわけじゃない。ただ……」
「ただ?」
 テリーはさらに深く眉を寄せ、小さくかぶりを振った。
「別にお前に話すようなことじゃない」
「えぇー!? なにそれー!?」
「事実だ。……姉貴の具合が悪いことは、別にお前が気にする必要はない。お前がわからなかったっていうなら、そりゃ単に姉貴が気付かれないよう隠してたっていうだけのことだろう」
「え……?」
 思わずぽかんと口を開けたバーバラに、テリーは眉を寄せたまま鼻を鳴らし、踵を返す。
「あ、ちょっ、テリー!」
「言うべきことは言ったぞ。お前が気にすることじゃない」
 言って足早にその場を去っていくテリーに、バーバラはもうっ、と握り拳を振り回しながらも、呟いた。
「……なんで、あんなこと言ったんだろう」
 テリーがつんけんしているのはいつものことだが、今回はなんというか、ことさらかたくなだった気がする。何度聞いても同じ答えしか返ってこないっていうか、会話を拒否してるっていうか。
 なんであんな風なんだろう、と眉を寄せつつも、とりあえず次の目標を探してバーバラは歩き出した。

「え? いえ、別にそんなことはありませんが」
 チャモロにきょとんとした顔で答えられて、バーバラは思わずかくんと顎を落とした。
「え? いやでもだって、ローグがそういう風に言ってたんだけど……チャモロがテリーとわかりあってるって。テリーが問いかけるような顔したら、応えるみたいにチャモロがうなずいたって……違うの?」
「ああ、あれは単にテリーさんが不安そうだったので、励ます想いを込めてうなずいてみせただけですよ。ミレーユさんは大丈夫ですよ、心配ありませんよ、と。私もゲントで癒し手の修行をしていた身ですから、患者の方のご家族の心境というものも存じ上げていますから。テリーさんの詳しい心情まで簡単に読み取れた、というわけではまったくありませんよ。そんなことが簡単にできる人間なんて普通はいないでしょう、神ではないのですから」
「ええぇぇ……」
 バーバラは気が抜けて、思わずその場にしゃがみ込んだ。宿の通路でチャモロを見かけて話しかけたのだが、行儀が悪いとわかってはいても廊下に座り込んでしまいそうだった。
「ローグの嘘つきぃ……てきとーなことばっか言ってえぇ……」
「あ、あの、その、まったくの見当違いというわけでもないのですよ?」
 チャモロの方が慌てて、バーバラを説得するように視線を合わせて話しかけてくる。
「ミレーユさんが放っておいてもらいたいと考えていることはある程度察することができましたから、皆さんにもそのつもりでお話していましたし。テリーさんにもそのお気持ちはできるだけお伝えしようと考えていましたし。そういう感情が、無意識のうちに伝わっていたという可能性も……」
「えっ、チャモロもわかってたのっ!?」
 思わず詰め寄ると、チャモロは驚いて後ずさりながら問い返す。
「わ、わかっていた、とおっしゃいますと?」
「だからほら、ミレーユが放っておいてほしがってるってこと!」
「ああ……それは、もちろん。癒し手の修行をしていた者なら、誰でもある程度は患者の心境を慮ることができて当然ですから」
「あ、あの……なんで?」
「? なんで、とおっしゃいますと?」
「なんで、ミレーユがそんな気持ちになってること、わかったの?」
「………明確に言葉でどう、と表現できるようなことではないのですが。そうですね、表情と気配、でしょうか。ミレーユさんができるだけ、それを悟られたがっていないご様子でしたので、はっきり言葉にはせずその場を辞してみなさんにお伝えしようと思い……」
「そんなことまでわかっちゃうのっ!?」
「え、いえ、それほど大したことではありませんよ。癒し手の修行をある程度続けた人間なら、誰にでも……」
「うぅ、そっかあぁ……じゃああたしも、癒し手? の修行みたいなこと、しばらくやった方がいいのかなぁ」
「は? いや、その、バーバラさん。それはつまり……人の心を慮ることができるようになりたい、という意味でよろしいのですよね?」
「え? ええと……うん」
 おもんばかるって、わかるっていう意味でいいんだよね? と内心冷や汗を垂らしながらもうなずくと、チャモロは苦笑して首を振った。
「それならば、目指すところを間違えておられますよ。純粋に人を癒したいという気持ちなしに修行を続けられるほど、癒し手というのは甘い務めではありませんし……それに、バーバラさんはもう十分、人の心を慮ることを知っておられます」
「えっ、だってだって、今回もミレーユが放っておいてほしがってるって、全然わかんなかったのに」
「それは、直接会われたわけではないのですから……」
「でもローグ、はともかくテリーもハッサンもアモスだってわかったんでしょ? あたしは全然わかんなくて……ミレーユが最近体調が悪い、っていうことだって全然気づかなくて……あたし、ミレーユが大好きだから、できるだけ優しくしてあげたいのに、こんなんじゃ……」
 自分の想いを言い表しかねて、途中で言い淀んでうつむいてしまう。優しくしたいっていうか、みんなに、仲間に、出会う人たちすべてに、できるだけ幸せでいてほしいっていうか。あたしのできるせいいっぱいで、幸せをあげたいって思うっていうか。だって、あたしはもう
「バーバラさん。それは勘違いをしておられますよ」
「えっ……」
 チャモロの声に打ち沈んでいた思考から引き戻され、顔を上げて目を瞬かせる。チャモロは真摯な表情で、バーバラを見つめ告げてきた。
「人によって優しさの形というのは違うものです。私の優しさとバーバラさんの優しさとは、在りようがまるで違うものなのですよ。傷や病に効果のある薬がそれぞれ違うように、人の苦しみを癒すことのできる、喜びを与えることのできる優しさというのは、時と場合、そして人によってまったく違うものです」
「え………」
「私が冷静に判断して施した治療よりも、バーバラさんの天真爛漫な優しさに心を救われる、という人がどれだけいるかわかりません。ミレーユさんも、たとえ今回そうでなかったとしても、バーバラさんの優しさに救われたことが一再ならずあるはずです」
「………そうなの?」
「ええ、私はそう思います。神ならぬ人間が、常に、いかなる時も必ず、人を救えるかと問われれば否というしかありません。むしろ、それが人にできるならば神のお立場というものがなくなってしまいます。バーバラさんはバーバラさんでいればいい、そう私は思いますよ」
「………そっか。ありがとね、チャモロ!」
「いいえ、お気になさらず」
 そう笑顔で礼を言ってバーバラはチャモロと別れた。チャモロの冷静で、誠実で、客観的だけど優しい言葉は、いつもバーバラの心を癒してくれる――けれど、今この時は、それこそチャモロが言ったように、苦しみを十全に癒すとはいかなかった。
 だって今バーバラが優しくしてあげたいのはミレーユで、他の見知らぬ誰かとかじゃないずっと一緒に旅をしてきた仲間で、それにバーバラをなにより苦しい気持ちにさせるのは、『ずっと一緒に旅をしてきた大好きなミレーユの気持ちを、自分は全然わかってあげられていないのじゃないか』という、恐怖にも似た罪悪感だったからだ。

「………ふぅん。なるほどなぁ」
 ひょうたん島の地表で、型稽古をしていたハッサンは、バーバラが暗い顔で告げた言葉に、稽古の手を止めてぽりぽりと頭を掻いてみせた。
「まぁ、気持ちはわからねぇでもねぇな。大切な相手の気持ちをわかってやれてねぇかもってなぁ、確かに怖いっつーか不安だし、悪いことをしてるみてぇな気にもなるし、なによりちっと寂しいよな。自分が相手になにもしてやれてねぇんじゃねぇか、って」
「! うんうんそうなのっ! あたし、ミレーユのことなーんにもわかってあげられてないのかもって思ったら、なんかすごいいてもたってもいられなくなっちゃって……!」
 激しくうなずくバーバラに、ハッサンは苦笑する。
「だがまぁ、そういうのも生きてりゃある程度はよくあるこっちゃねぇか? しょうがねぇやって苦笑いして受け流してかねぇと体も心ももたねぇだろ。人間ってなぁ結局は、自分以外の相手の心なんてちゃんとわかってやれるわけねぇんだからな。感じ方考え方生き方、みんな違って当たり前なんだからしょうがねぇだろ、わかってやれなくても」
「っ、でもっ! ハッサンはミレーユのことも、ローグのことも、ちゃんとわかってるじゃないっ!」
「………いや、それこそ買い被りってもんだろ。俺だって結局は自分の思い込みでなんとなくこうなんだろうって見当つけて喋ってるだけで……」
「……それでも、相手を優しい気持ちにしてあげることはできるんでしょ?」
「や……だからそりゃ、数撃ちゃ当たるってことで、そういう気持ちにしてやれてることがあるかもしれねぇけどよ。それだってちゃんとわかってるわけじゃねぇし」
「うらやましいよ……あたしには、まともに見当つけることだって、できないんだもん……」
 あたしはもう、―――のに。
 みんなに幸せでいてほしいのに、―――のに。
 みんなにいっぱい優しくしたいのに、―――のに。
 それこそ、本当に、あたしなんか、生まれてこない方がよかったんじゃないかって思うくらい、悲しくて、寂しくて、それでも自分は、―――
「バーバラっ」
 ハッサンがおもむろに、ぱしん、と両掌でバーバラの両頬を叩いた。叩いたといっても本人は軽く押したぐらいの気持ちなのだろうが、どこもかしこもやたらめったら体のスケールが大きいハッサンにそんなことをされると、目が醒めるくらいの衝撃がある。思わず硬直して目を瞬かせると、ハッサンは目を合わせ顔を間近に寄せて、はっきりきっぱりした口調で告げた。
「言っとくけどな。お前は、人を嫌な気持ちにさせる十倍は、人を優しい気持ちにさせてんだぞ?」
「え……」
「そりゃお前はあんま頭がよさそうなこと言わねぇけどよ。頭がよさそうな台詞ってなぁ、たいてい頭の悪ぃ奴に厳しい言葉になっちまうからな。お前が呑気で気楽で深く考えてねぇこと喋ったおかげで、場が和むってこたぁこれまでに何度もあったんだぞ?」
「な、なんかあたし、すっごい頭が悪いって言われてそうな気がするんだけど……」
「いやそっちに重点置いてるわけじゃなくてだな。……俺だって、お前のことをうらやましいって思うことは何度もあったってことだよ」
「え!?」
 仰天して思わず叫び声を上げたバーバラに、ハッサンは小さく苦笑して、真剣な口調で続ける。
「お前は相手の気持ちをちゃんとはわかってなかったとしても、優しい言葉を口にできる。人の心と体を和ませるような、気軽で気楽な振る舞いができる。――なにより、お前は女の子だからな。いるだけで野郎の気分は上向きになるし、ミレーユにだってお前の存在がどれだけ助けになってるかわからねぇぞ? 俺たちのパーティで、唯一女同士の会話ができる相手なんだからな」
「っ……でも………」
「ぶっちゃけ言うけどな、お前にうらやましがられたらそれこそこっちは立場がねぇぜ。ローグにも、みんなにも、お前はすっげぇ大切にされてる。んで、そうされるほどみんなに優しい気持ちを届けてる。お前が相手の気持ちを詳しく察することができねぇなんてなぁ、みんなにとっちゃどうでもいいことでしかねぇんだよ。そういうこととは別のところで、お前は俺たちや、ローグの心を癒してるんだからな」
「ぇ………」
 思わず、目を見開いてしまう。ハッサンがそんなことを言うとは全然思っていなかったからだ。
 だって、ハッサンはいっつも一番ローグの近くにいたのに。ローグを一番深く理解してるって思ってたのに。
 そんなハッサンが、バーバラに、『自分よりもバーバラの方がローグの役に立ってる』みたいなことを言うなんて。そんなのありえないっていうか、考えたこともなかった。
 だけど、ハッサンの目は本当に真剣で、バーバラはなんだか、なんて言えばいいのかわからなくなってしまう。
 だって、自分は本当に、ローグにはしてもらってばっかりで。なんにも、全然、返せてなんていないのに。ミレーユにだってしてもらってばっかりで、なんの役にも立てていないのに。自分にいったい、なにができたっていうんだろう。
 自分はただ、なにをすればいいかもわからないままみんなと一緒に歩いてきただけだ。これからなにをすればいいかとか、そういうのは全部ローグたちが決めてくれて。ただ、一緒にいただけ。なにも役立てないまま、一緒に。
 なのにハッサンは、そんな自分が助けになったなんて言う。自分が自分でいるだけで、ローグやみんなの助けになっている、と。
 そんなのって、あるんだろうか。そんなのあんまり自分に都合がよすぎる。こんな自分が、自分なりに生きてきただけで、自分の好きな人たちの、幸せになってほしいと祈っている人たちの、手助けになれていた、なんて―――
「バーバラ」
「っ!」
 後ろからかけられた声に、飛び上がって慌てて振り向く。そこに立っていたのは、ローグだった。いつも通りの偉そうな顔、大きな態度。それがまっすぐにこちらに見て、声をかけてくる。当然のような顔で。バーバラの逡巡も尻込みも、当然のように承知していると言わんばかりの顔で。
「ミレーユにそろそろ粥でも届けようってことなんだが、手伝う気はないか? できればお前に持って行ってもらえると助かるんだが」
「え、えと、あたしでいいの?」
「寝込んでいる女性の部屋に入るんだ、女性の方がいいに決まってるだろう」
「あ……そーいう……」
「それに、お前はミレーユにとっても一番気安い相手だろうからな。辛い時には一番いい」
「えっ……気安い、って?」
「ま、感情を放出しやすい、ってことだな。ミレーユは基本的に外面がおっそろしく強固な奴ではあるが、お前ならまだいくらか文句や愚痴をこぼす可能性がある」
「え………」
「もちろん、文句だの愚痴だのを言われるのは嫌だ、というなら別の人選を考えるが。どうする、バーバラ?」
 ローグはにやりと笑ってみせる。ハッサンがやれやれと肩をすくめて、それにぎろりとローグが鋭い視線を飛ばす。
 もしかしたらローグも、ハッサンも、最初から全部わかってたのかもしれないけど――でも、そんなことどうでもいい。こんな自分が、未熟でなにもできない自分が、ミレーユに、仲間に、価値を認めてもらえたというのなら――
「やるっ! あたしにやらせてっ!!」

 ミレーユの部屋の扉を数度ノックすると、「どうぞ」と小さな声でいらえがあった。「バーバラだけど、お粥持ってきたから、入ってもいい?」と扉の外からできるだけ大声にならないように問いかけると、しばらく間があってから、「どうぞ、入ってきて」と優しい声が返ってくる。
 よし、と一人気合いを入れつつ、「入るよー」とできるだけ軽く言って中に入る。何度か入ったミレーユの部屋は、いつも通り整理整頓されていて乱れたところがない。ベッドに横たわるミレーユの姿さえ、普段のような活力はなくとも乱れなく美しく整えられていて、すごいなぁと一瞬いつものごとき感慨にふける。
 ともあれちゃんと任されたことを先にやらなきゃ、と粥を載せたトレイをサイドテーブルに置いて、にかっと笑いかけた。
「お粥、食べれる、ミレーユ? お薬もチャモロにもらってきたから、ちょっとでもお腹に入れてもらっといた方がいいんだって! 具合悪かったら無理しなくていいけど、栄養取った方がやっぱり早く元気になれるもんね! どう?」
「………そうね」
 ミレーユは困ったように笑った。それから優しく表情を緩めて、微笑みながら言う。
「正直、まだあまり食欲はないのだけれど……お薬のためにもなにも食べないのはよくないものね。少しもらえるかしら?」
「………あ、うん………」
 言われた通りお粥を小鉢によそって差し出す。受け取ってふぅ、ふぅ、と優雅な挙措でお粥を冷ますミレーユに、しょんぼりした口調で言った。
「ねぇ、ミレーユ……やっぱり、あたしじゃ、文句とか愚痴とか言えるほど、頼りになんないのかなぁ?」
 ミレーユは、ぴたりと動きを止めて、やはり優雅に小首を傾げてみせる。
「え?」
「あのね、ローグが言ってたの。ミレーユは、あたしになら文句や愚痴を言いやすいかもしれないって」
「………そう………」
「あたし、ミレーユが最近調子悪いのとか、全然わかんなかったし。具合悪い時に放っておいてほしい気分なのかどうかとかも、全然わかってあげられなくて。他のみんなはちゃんとわかってるみたいだったのに……だから、少しでも力になれたらなって、思ったんだけど。やっぱり、あたしじゃ、文句とか愚痴とか言えるほど、頼りになんないのかなぁ、って……」
「………………」
 ミレーユは数瞬黙ったまま動きを止めて、それからふぅ、とため息をついた。責められたような気持ちになってますますしゅんとすると、慌てたように首を振って、説明する。
「違うのよ、バーバラ、私は別にあなたに怒っているわけじゃないの。……他の誰かに怒っているというわけでもないけれど……あえて言うなら、ローグに少し腹を立てているくらいで」
「え、ローグに? なんで?」
 そもそもミレーユが誰かに腹を立てる、ということ自体あんまり想像できなかったバーバラが目を瞬かせると、ミレーユはわずかに眉を寄せ、さらにミレーユのイメージにそぐわない言葉を漏らす。
「なんというか、おせっかいをされた気持ちというか……お膳立てをきれいに整えられすぎていて納得がいかないというか……あんまり見透かされてばかりで面白くないというか……」
「? ? ? ごめん、どういうこと? えと、やっぱりあたしじゃ役に立てないとか、そういう……?」
「いえ、あの、そういうわけではないのだけれど……そうね、なんというか……」
 少し口ごもってから、ミレーユは一度ため息をつき、小さく苦笑して改まってバーバラに向き直る。
「そうね、いい機会だと思うことにして、ちゃんと話すわね。……バーバラ、私は、あなたに謝りたいな、と思っていたの」
「え……えぇっ!? な、な、なんでぇっ!?」
「……私の個人的な感傷というか、気分のせいでね。あなたの言葉を勝手に悪くとってしまったことが、何度かあったの。あなたに悪気がないのはわかっているのにね」
「わ、悪くとった、って……たとえば?」
「そうね……『ミレーユって、ほんとにきれいだねぇ』とか……『ミレーユって、ほんとにすごいよねぇ』とか。そういう言葉を勝手に悪くとって、嫌な気持ちを心の中に溜め込んでしまっていたの」
 バーバラは思わずざっと顔から血の気を引かせる。覚えがある、どころかその類の台詞はことあるごとに自分がミレーユに言っていた台詞だ、忘れるわけもない。そんな言葉が。
「あたし、ミレーユに、ずっと嫌な思いさせてきちゃった……ってこと?」
「いいえ」
 ミレーユはきっぱり首を振る。なぜか厳しいくらいの表情になって、こちらが反論する余地など残らないくらい断固とした力強さを込めて。
「バーバラはなにも悪くないわ。わたしが勝手に嫌な気持ちを溜め込んでしまっていたの。本来なら褒め言葉であるはずの言葉、相手に喜びを与えようとしてくれた気持ちから、勝手に嫌な気持ちを」
「でっ、でもっ、ミレーユをそんな風な気持ちにさせちゃったのあたしが言ったことでなんでしょ!? だったら、やっぱりどう考えたってあたしが……」
「いいえ、そうじゃないわ。バーバラは絶対悪くない。…………」
 惑乱するバーバラに決然と言葉を向けたのち、ミレーユはなにか言いかけ、一瞬逡巡し、それから小さくため息をついて、いつものように優しく笑った。
「……そうね、バーバラをそれこそこんなに嫌な気持ちにさせてしまっているのなら、もう隠す方が礼を失しているわね。バーバラ、私の打ち明け話、聞いてくれるかしら?」
「っ!! うっ、うんっ、なんでも聞くっ!!」
 勢い込んでうなずいたバーバラに、ミレーユは「ありがとう」といつもと同じく優雅に微笑んで、告げた。
「私ね、人に『きれいだ』とか『美人だ』とか、顔立ちを褒められることが、嫌で嫌で仕方なかったの」
「……………!」
 バーバラが思わずぽかんと口を開けてしまうのにかまわず、ミレーユは静かな口調で続ける。
「私はね、昔から、容姿を褒められることが何度もあったの。それこそ数えきれないほど。小さな子供の頃から。私自身、鏡をのぞき込んで自分の姿をよく見てみて、確かに自分の顔貌はきれいな方なのだろうって思ったわ。……けれど、私は褒められても正直嬉しくなかった。褒め言葉の裏には、ほとんどの場合、下卑た欲望や、焦げつくような嫉妬、そんな心に絡みついて自由に動くことを妨げる忌まわしい感情が隠されているのを感じ取っていたから」
「え………」
「昔からね、なんとなくわかってしまうのよ。相手が心に抱く気持ちが。どんなに巧みに隠されていたとしても。だから私は人と接する時、どうしても幾分か気後れしてしまうの。正直に心をぶつけあうことが、なかなかできないのね。相手の嫌な気持ち、自分に向けられたいろいろな暗い感情が、直截にぶつけられることを恐れてしまうから」
「…………」
「そして私に向けられる嫌な感情のほとんどは、私の容貌に因るものだった。私はこの顔のせいで家族と引き離され、暗い場所に閉じ込められた。ほとんどの人が美しいという私の顔は、私に不幸しかもたらさなかった。……だから、顔立ちを褒められるのが苦手だったの。私を美しいと褒めたたえた相手が、私に与えた不幸を思い出してしまうから」
「………っ」
「けれどね……あら、バーバラ」
 困ったような表情を浮かべるミレーユの顔が、歪んで見えた。瞳が熱くなり、そこから滲む涙が大きく膨らんでぼたぼたこぼれ落ちる。何度手の甲で拭っても、間断なく溢れて止まらない。
「バーバラ……あなたが泣くことはないのよ。私が言ったのは……」
「わかっ……てるけど。わかってるけどぉっ……!」
 涙はどうしても止まってくれない。悲しい、苦しい、そんな具体的な感情を感じるより先に、身体が反応してしまう。休む間もなく止まることなく、泣けて泣けてしかたがなかった。
「あたしが、泣くのとか、ミレーユに失礼って、知ってるけどっ……あたしが泣いたってミレーユの苦しいのがなくなるわけじゃないって、いうのもわかってる、けどっ……でも、でもっ……ごめんっ、ミレーユっ、あたしなんかが勝手に泣いちゃって、ごめんっ……悲しいのも、苦しいのも、ミレーユなのにっ……ほんとに、ほんとに、ごめんっ……!?」
 ふわり。暖かくて柔らかい、優しい感触がバーバラを包んだ。
 ミレーユが自分を抱きしめているのだ、と数瞬置いてバーバラは理解する。ミレーユのすべらかな肌や、ふんわり香る花に似た匂いが、バーバラを包み込んで優しく撫でる。
 自然と泣き止んでしまったバーバラに、ミレーユはいつもの柔らかく女性らしい、バーバラの大好きなミレーユの口調で言った。
「謝らないで、バーバラ。私は、これまでも、今も、ずっとあなたのそういうところに助けられてきたんだから」
「え……?」
「誰かのために……私のために泣いてくれる人がいるなんて、昔の私はとても考えられなかった。自分の気持ちだけでいっぱいになって、他の人の気持ちを感じることはできても、慮るということはできなかったの」
「…………」
「でも、今は知っている。あなたが、仲間のみんなが教えてくれた。だから、私にとって、自分の顔立ちや生い立ちによる不幸なんていうのは、もう過去のことでしかないのよ。普段は気にせずに忘れていられる、そんな昔の話でしかないの」
「ミレーユ……」
「だからね、バーバラ。私はあなたにずっと謝りたいと思っていたのよ。もうわかっていることを、気にしないでいいと知っていることを、うじうじと引きずってしまっていたことを。あなたの好意の証だと知っている言葉を、意味もなく悪く受け取って嫌な気持ちを溜め込んでしまっていたことを。あなたが優しい笑顔を向けてくれることが、どんなにありがたいことかよく知っていたのに」
 そう穏やかに告げて、ミレーユはつと体を離し、真正面からバーバラを見つめて優しく笑ってくれた。やはりバーバラの大好きな、大人になったらこんな女の人になりたいなと思わせてくれるような、暖かく柔らかい、そしてとってもきれいな笑顔で。
「そして、ずっとお礼も言いたかった。あなたみたいに素敵な女の子と一緒に旅をさせてくれて、仲間として一緒にいさせてくれてありがとうって。だって、あなたがいたから、私は昔の私を許して、もう苦しまないでいいって理解することができたんだもの。ありがとう、バーバラ。ずっと私に優しくしてくれて」
「ミレーユぅっ……」
 バーバラはもうたまらなくなって、泣きじゃくりながらミレーユに抱きついてしまった。やっぱりミレーユはすごく優しくてきれいで、やることなすことすごく優雅で憧れる、大好きな仲間だという気持ちが溢れて止まらなくなってしまったから。

 ―――バーバラがミレーユに抱きしめられたまま、眠りに落ちてのちしばし。こんこん、とミレーユの部屋の扉をノックする音が響いた。
 優しくバーバラの背中を撫でていたミレーユは、ふ、と小さく息をついてから、「どうぞ」と告げる。静かに開いた扉の向こうには、ミレーユの仲間で、この旅の主人公≠スるローグの姿があった。
「バーバラと粥の盆を回収しに来たぞ。入ってもいいか?」
「………、どうぞ」
「では、失礼する」
 ローグは足音を立てずに入ってきて、サイドテーブルに乗せていたトレイを手に取り、粥の椀をこぼれないように包んで懐の袋に入れる。そしてバーバラに手を伸ばしかけたところで、ミレーユは声をかけた。
「ローグ。聞いてもいいかしら?」
「いくらでも」
 王子にふさわしい優雅な挙措で、きれいに会釈をしてみせるローグに、ミレーユは小さく息をつきながら問う。
「あなたは、バーバラになにがしたいのかしら?」
「ふむ」
 ローグは小さく眉を上げてミレーユを見つめる。ミレーユも目を逸らさず見返した。見つめ合う形になったものの、さして時間を費やすことなくローグは肩をすくめて答える。
「単純な話だ。俺はこいつに、優しくしてやりたい」
「…………」
「こいつが幸せになれるよう、できる限りのことをしてやりたい。――だが、この旅が終わるまで俺は誰かに心を預ける気はない」
「…………」
「だから、生殺しにしている。決定的な言葉を告げず、護り甘やかしながらいろんな言葉を投げかけていろんな感情を与えて。いろんな体験をさせて経験を積ませながらな。それが非道だという非難は、甘んじて受けるつもりではあるが」
「……ローグ。本当に、それだけ?」
 視線を逸らさず、そう声をかける。できる限り力を込めて真正面から見つめる。ごまかさず曖昧にせず、本心を伝えてほしいと願いを込めて。
 ローグも視線を逸らさずに真正面からミレーユの視線を受け止め、淡々とした口調で応えた。
「それだけ、とは?」
「私には、あなたがバーバラになにか特別な想いを抱いているように見える。好意とか、そういう段階の話ではなくて……なにか、バーバラに特別な事情があって、それを知っているから、できる限り優しくしながら生殺しにしているように私には見えるの。私の個人的な感想でしかないけれど……」
「ふむ。まぁお前の勘の鋭さは、当然ながら知っているわけだが」
 ローグはこちらと真正面から向き合いながら、ふいに静かに目を光らせた。
「お前はそれほど俺に言わせたい≠フか? それが単なる確認作業にすぎなくとも?」
「……どういう、意味かしら」
「お前は本当はバーバラがどういう存在かわかっているんだろう、という意味だ。お前の真実を掴み取る力の高さは知っている。少なくとも、バーバラの抱いている事情はくみ取っているだろうと俺は思っている。それでも、お前は俺に答えを言わせたいのか?」
「…………」
「なんにせよ、俺はこのやり方を変えるつもりはない。少なくとも、今のところはな。課された使命と義務、そして自身の感情を満たすためには現時点ではこれが一番マシだと思うからだ」
「……ローグ、あなたは――あなたは、なにがしたいの? バーバラになにを求めているの?」
「ほう?」
 片眉を上げたローグに、ミレーユは静かに言葉を投げかける。
「バーバラの事情はおいておくとしても。あなたは、それとは別の部分で、バーバラを気にかけているように見える。ただの仲間とか――大切な女の子、というだけでなく。この子になにかをしようとして、懸命になっているように私には見えるの。あなたは、この子に――この子の運命に、いったいなにを与えようとしているの?」
「……さすがだな、ミレーユ。やはりお前の真実を掴み取る力は大したものだ。夢占い師の後継者にふさわしいな」
「っ―――」
「だからお前になら、頼めると思っている。すべてが終わったあと、俺を止める役割を」
「え……」
「最終的に選ぶのはお前だが。できれば、その役目を果たせるだけの力はつけさせておいてほしいと思っている」
「なに、を……」
「ま、とにかくだ。お前は絶世の美女で、いつもどこかに謎を秘めたいい女で、理知と賢明さを兼ね備えた賢女だ。世界の誰より幸せになる資格のある人間だ。頼りにしているし、大切に思っている。バーバラとは別の形でな」
「っ………」
「それじゃあ、ゆっくり休んでくれ。用があるなら鈴を鳴らしてくれれば、いつでも馳せ参じるぞ」
 言って部屋に備え付けてある呼び鈴を示し、バーバラを抱えて部屋を出て行くローグの背中を見つめ、ミレーユは深々と息をついた。
 見透かされているし、見通せない。わかっていたことではあるが。ローグの評価する自分の力というのは、しょせんその程度なのだ。夢占い師にはなれるとしても、運命を切り開くほどの、世界に愛される力は、自分はたぶん、持っていない。
 だからバーバラに持ち上げられた時に、心に嫌な気持ちを溜め込んでしまったのだろう。あなたはもう私よりもずっときれいなのに、私よりずっと大きな運命を背負っているのに、私よりずっと彼に愛されているのに、と―――
 小さく首を振り、苦笑する。子供じみたわがままだ。なんの意味もない。自分は彼に、世界を背負っているようなあの人に、愛されたいと願うほど世間知らずでも勇敢でもないのに。
 そして、なにより。今の自分が、自分でそれなりに気に入ってもいるのに、とゆっくり寝台に横たわりながら思う。パーティの面々に頼りにされ、悩んでいる人の導き手になることができて、彼に自身の去就を決するほどの役割を任せられる人間なんて、そうはいないのだから。
 といっても、彼が自分にあてがった役割がどんなものか、十全にわかっているわけではないのだけれど。
 また苦笑して、目を閉じる。できれば今日は――好きな人の夢が見たい。

戻る   次へ
DRAGON QUEST VI topへ