意地悪で優しい木馬の騎士
 とある夕暮れ、ひょうたん島で夕食を終えて全員が食堂でくつろいでいる時に、アモスがおもむろにすっくと立ち上がり、珍しくも真剣な面持ちで口を開いた。
「みなさん。私、最近気づいたことがあるんです」
「なんだよ、やぶからぼうに、んな真剣な顔してよ」
「なになに? 教えてよー。でも変なことだったら怒るからね?」
 その場でくつろいでいる仲間たちに、それぞれ気楽な口調で声をかけられながらも、アモスは人生で大事なことを話す時にふさわしい、裂帛の気迫をもって全員に想いを告げる。
「私、思うんですが―――最近バーバラさんが、すさまじく美しくなってらっしゃいませんか!?」
『……………』
「ちょ……な、なに言い出してんのっ、もーっ、アモスってばふざけないでよ!」
 バーバラは真っ赤になって立ち上がり、ぶんぶんと手を振ってアモスに怒りをアピールするが、アモスは心の底から真剣な表情を崩さぬままバーバラにきっぱり言い返す。
「いいえ、私はこの上なく真剣ですよバーバラさん。だって、本当に最近のバーバラさんの美しさは、ちょっと尋常じゃないものがあると思いませんか!? ちょっと前まではバーバラさんって普通に可愛いかな? ってくらいのレベルの女の子でしかなかったというのに」
「ちょ、それどーいう意味ーっ!」
「最近のバーバラさんは立てば芍薬うんぬんを地でいくというか、そんなレベルじゃないくらいの美少女になってきてると思うんですよ! 後光が差してるというか、なびく髪から光が飛び散るというか! そばを通っただけで不思議にいい香りがするというか! 百戦錬磨の私ですらも、にこっと笑いかけられたら顔がだるーんと緩まざるをえないくらいの美少女じゃないですか最近のバーバラさん!」
「な、ちょ……ちょっ、アモスってば、本当にいきなりなに言い出してんのっ!」
 恥ずかしさのあまり泣きそうな顔で怒鳴るバーバラに、ローグが立ち上がりこれまた真剣な顔を向けた。バーバラは思わず気圧されて身構えるが、ローグはそれにかまわず真剣な面持ちを崩さずにやはり裂帛の気迫をもって告げる。
「心配するな、バーバラ」
「え、な、なにが……?」
「俺は一ヶ月以上前からその事実に気づいていたからな!」
「なっ……ちょ、な、んなっ、だから本当にいきなりなに言い出してんのーっ!」
 バーバラが思わず絶叫しぽかぽかと自身を拳で叩いていることなど気にも留めず、ローグは心底真剣だとしか思えない表情と語調でバーバラや仲間たちに語り出した。
「お前たちは気づいていなかったのか? バーバラの美貌がぶっちゃけ洒落にならんレベルにまで高まっていることに! もはや凶悪武器だの破壊兵器だのというレベルじゃない、本気で使われたら世界が滅びかねない美貌だ! バーバラに良識がなかったらすでに歴史は大きく変わっているぞ!」
「ひ、人の顔呪いのアイテムみたいに言わないでよーっ!」
 ぽかぽか叩かれながらもローグは平然と、というより堂々と言ってのけ、仲間たちにずずい、と迫る。
「で? どうなんだ? 言ってみろ正直に、はっきりきっぱりと。バーバラの美貌に気づいていたかいないか! ハッサン!」
「え、俺ぇ!? や、まぁ、バーバラ最近美人になったよなー、ぐらいは思ってたけどよ……なんつーか、お姫さまみてーな感じするなー、っつーか……」
「その図体で恥じらうな気色悪い。まぁ言ってることには賛成だがな。ミレーユ!」
「そうね、前からそうだったけれど、バーバラが最近特に一日ごとにきれいになってるのはわかっていたわ。前は身づくろいのアドバイスとかできたけれど、今はそんなこともおこがましいって思ってしまうくらいだし。まさに美貌が花開いた、という感じね。絶世の美少女とか、傾城の美少女とかありきたりの言葉じゃとても足りないような、まさに世界を変えるほどの美貌だと思うわ」
「うむ、さすが美女だな、表現が適格だ。次、チャモロ!」
「ええ!? 私ですか!? ……そうですね、私は、というかゲント族は、そもそも人の美醜に心囚われることをよしとはしないのですが……それでも、今のバーバラさんを見て、非常に美しい、と感じるのは確かです。野に咲く美しい花を思わせる、と申しますか……見た瞬間に、ぱっと心をつかまれるような、人を惹きつけるなにかを感じると申しますか。瑞々しく咲き誇る眩しさを放っている、と私には感じられるのです。私などの言葉では当てにはならないでしょうが……」
「いやいや充分文学的で美しい表現だったぞチャモロ。さて、全員こう言っているように」
「あからさまに俺を無視するなガキか貴様はっ!」
 怒鳴ったテリーに、ローグはにっこりと笑ってずい、ずずいとテリーに近づきつつ絡んでいるとしか思えない言葉を投げつける。
「そりゃあお前の場合は言うまでもないに決まってるからだろが。以前バーバラに偶然ぶつかりそうになった時はっと目を見開いてしばらく後ろ姿を追ってやがっただろうお前」
「なっ……どこで見ていた!」
「曲がり角の向こうからばっちり見えたわ。他にもボーっとしている時に無意識に目で追ったりだの朝挨拶された時にしばらく見とれたりだの少女向け小説の主人公か貴様は、と言いたくなるようなことをやっていやがっただろが貴様」
「え……ええぇぇぇ!?」
 ええっまさかあたしテリーに好かれたりしてたの!? と心底仰天して叫ぶバーバラに、テリーは慌てたように立ち上がり大きく手を振って否定した。
「い、いや違うぞ!? 別に俺はお前のことを特別にどうこう思っていたりとかするわけじゃなくてだな……!」
「そうだな、単に若い体が美貌に反応して昂ぶっていただけだな。いかにスカした態度を取っていようがしょせんこの年頃の男はケダモノだと身を持って証明してくれたわけだ」
「えっ……」
 反射的に身を引いてしまったバーバラにテリーはカッと顔を赤らめ、ローグに怒りとか憤懣とかやるせなさとかの入り混じった怒声を投げつける。
「っ……っ、っ、自分のことを棚に上げて偉そうに言うなぁぁぁぁ!!!」
「別に俺は自分のことを棚に上げた覚えはないぞ。きっぱり言うが俺もしっかりケダモノだ! 若い美人とみれば反射的に目で追うしきわどい姿でも見せられればうぉうと思いつつ注視するわ! まぁ俺は他人に悟られるようなヘマはせんがな!」
「ちょ、な、な………!」
「いやお前悟られるどころか今はっきり宣言してんじゃねぇか……女の子の前でそういうこと言うなっての」
「ともあれ、だ。こうも簡潔明瞭に全員が述べている以上、バーバラ、お前の美貌はまさに天下無双、この世に並ぶもののない超絶美少女レベルということがはっきりしたわけだが。それを受けてどうだ? 感想なり所信なり、表明するところだぞここは?」
 にっこり笑顔になってバーバラに向き直り、涼やかにそう言い切るローグに、バーバラは顔を真っ赤にし、ぎゅぅっと顔を歪め、腹の底から。
「………ばか――――っ!!!」
 そう叫ぶと同時にメラゾーマを数発ローグに叩き込むと、ばっと身をひるがえし、その場を走り去ったのだった。

「もおおぉ………ローグのばかっ、ばかっ、ばかっ。なんなのもー、なんなのあんな風に、なんなのあんな急にーっ………」
 ひょうたん島の草陰で膝を抱え込み、まだ顔を赤くしながらバーバラはそうぶちぶちとこぼす。正直、しばらく誰とも顔を合わせられないくらい、恥ずかしく身の置き所がなかった。
「あんな風にさっ、平気な顔でさっ、あんな……あんな……び、美少女とか、もぉ、ほんとに、もぉぉぉ………」
 膝にぐりぐりと顔を押しつけながら、そう呻く。正直、バーバラにしてみれば意地悪かなにかとしか思えないような行動だった。突然すぎたし、一方的すぎる。なによりあんな風に平然とした顔で人を美少女だのなんだのと褒めちぎるなんて、褒め殺しでなければなんだというのだ。
「……あんな風に……平気な顔でさ……」
 勢いを減じた声でそう呟いて、膝に顔をうずめる。ショック、とまでは言わないが、沈んだ気分になってしまっているのは確かだった。
 ローグはさっき、いつも通りだった。少しも普段と違ったところがなかった。つまり、自分が美人だとかなんとかいうことは、ローグにしてみればなんということもない、心が動かされるほど大したことじゃないということになるではないか。
 それは、自分は仲間だし、顔立ちがどうこうなんぞということは旅の役に(ベストドレッサーコンテストのようなまれな例外を別にすれば)立たないし、ローグにとっては実際どうでもいいことなのかもしれないけど。でも、なんていうか。なんか。なんか、すごく…………。
 バーバラは、顔を膝にぐりぐりと押しつけ、そうやって少しだけ胸の中のわだかまりをごまかした。

 ハッサンはぽりぽりと頭を掻いてから、げしっ、と軽くローグの背中を蹴った。ローグはいつものように即座に蹴り返して、「なにしやがるこのモヒカンマッチョが」といつものごとき罵倒を浴びせてくる。表情にも動作にも普段と違うところは見られないが、ハッサンはやれやれ、と肩をすくめてローグを小突いた。
「お前なー、後悔すんなら最初からあんなこと言うんじゃねぇよ。いつも俺のことデリカシーがねぇだのなんだの言うくせによ」
「お前にデリカシーがないことは紛うことなき事実だろが。というか勝手に俺が後悔してるなんぞと決めつけるな脳味噌筋肉にするのもいい加減にしとけ」
 即座に小突き返していつものごとき傲岸不遜な表情で言ってのけるローグに、ハッサンはふんと鼻を鳴らしてまた小突く。
「バーバラをあんだけ怒らせといてちっとも後悔しねぇような人でなしじゃねぇだろう、お前は。さっきもミレーユやらチャモロやらにさんざん説教されてたくせに」
 基本的にミレーユもチャモロも、ローグのやることに文句をつけるということはない。だがローグがやりすぎたり人を傷つけた、と感じた時には、それぞれ懇々と(あるいは切々と)ローグを叱りつける。ローグもそういう時は悪かったなと思っているのか(そんなことを漏らすどころか素振りにも見せたことはないけれども)、神妙な顔で素直にそれを聞き入れるのが常だった。
 今回もそれは変わらなかったので、ハッサンはローグとしてもやりすぎたなー、と思っているのだろうと考えていたのだが、ローグは仏頂面でふん、と鼻を鳴らし、「俺は後悔なんぞした覚えはない。間違ったことをしたつもりはないからな」と言ってのけた。
「はぁ? バーバラあんな風に怒らせといてなんだよ、その言い草」
「ま、怒らせたのは俺のしくじりだとは思っちゃいるがな。言ったことややったことは失敗だったとは思ってない。俺は、バーバラに、自分の美貌について自覚してほしかったんだからな」
「……はぁ?」
「お前も言ってただろが。バーバラは最近美人になった、と」
「はぁ……まぁ、そうだけどよ。それが?」
「俺は、バーバラの最近の、まさに花が盛りを迎えたがごとき美しさは、もはや人間の段階を超えていると思う」
「や……人間超えてるって、お前」
「そんなとんでもない武器であると同時に呪いであるそれに、バーバラ自身が無自覚なのはいい結果をもたらさないと思った。今の自分が絶世と言っても足りないほどのとんでもない美女だって事実をしっかり認識してほしかったのさ。あの美しさはその気になって適切に用いれば本当に世界を変えうる。バーバラはそれくらいの美少女なんだ、ってはっきりとな」
「……なんでそんなことしなきゃいけねぇのかよくわかんねーんだけどよ。それってつまり、バーバラの身を護るため、ってことか?」
 女にとって美しさは時に呪いにもなりうるということを知っている(決して治安がいいとは言えない港町であるサンマリーノ育ちの)ハッサンはそう問うたが、ローグは小さく眉を寄せて首を振った。
「それもないとは言わんが。俺としてはバーバラに、本当に自分は美少女なんだ、と自覚してほしかった、というだけだ。――そうでなければ………」
「おい!」
 ばん、と部屋(ちなみにローグの部屋である)の扉を蹴り開けてテリーが姿を表した。わずかに息を弾ませたその表情に、普段ならテリーとは顔を合わせただけで皮肉やらからかいの言葉やらを数セットは投げつけているローグが、瞬時に厳しく顔を引き締めて問う。
「どうした、なにがあった」
「バーバラが突然ちょっと街歩いてくる、なんぞと言ってルーラで転移したぞ!」
「えっ……」
 最前までの話の内容が内容だけに思わずハッサンは一瞬絶句する。そして、ローグは表情こそ変えなかったが、厳しい顔のまま一度だけ、相当な鋭さと苛烈な意志を込めて舌打ちをし、小さく呟く。
「……もうすぐ夕飯だというのに、連絡も手伝いもせんで街に飛び出すとは」
「いやそこじゃねぇだろ!」

 バーバラは早足でサンマリーノの街を歩いていた。口が自然と尖り、ふんだふんだ、などと呟きを漏らしてしまうので、傍から見た自分は相当に怪しい女の子になっているだろうと想像はつく。
 だがそれでもなんというか、そのくらいのことはしてもいいよねというかしてやりたい、という気分だったのだ。ぶっちゃけバーバラが夕闇迫るサンマリーノをうろうろしているのは、半ば以上ローグへのあてつけのようなものだったのだから。
 ローグがあたしのことどうでもいいと思ってるなら、いいもんね、あたし街の盛り場をうろついて危ない目に遭ってやるんだから。もうすっごい、女の子としてのテイソウのキキとかになっちゃうんだから。そんな目に遭ってから心配しても知らないんだからね、ローグのばーか。
 そんなことを考えながらふんだふんだとバーバラは街を歩いていた。別に本当に危険な目に遭いたかったわけではない。というよりそんな可能性などバーバラは考えてもいなかった。今まで自分はそんな目に遭ったことはないし、今の自分が着ているのは地味なドラゴンローブで人目を惹くような要素は皆無だ。最近はひょうたん島で寝泊まりすることが増えてはいるが、基本旅暮らしで肌や髪の手入れも難しい自分が男に目をつけられるなんてまずない、と当たり前のように考えていたのだ。
 そして、そんなことを考えていたバーバラの肩を、唐突にがしっ、と男の手がつかんだ。
「きゃっ!?」
「お、おおっ、す、すまん!」
 バーバラの上げた悲鳴に飛び退ってぺこぺこと頭を下げたのは、いかにも港湾労働者、という感じの逞しく汗臭そうなおっさんだった。明らかに酒が入っているらしい赤ら顔で、背後には似たような風貌の男たちを二、三人引き連れている。
 刹那の間に記憶を探り、全員一度も会ったことも見たこともない顔ぶれだ、と判断するやバーバラはむ、と警戒の表情を浮かべた。旅の間に強引なナンパに遭遇したことはバーバラとてそれなりの回数に昇っている。もしこのおじさんたちがそういう輩なら、こちらも容赦なくベギラマ辺りをかましてやるつもりだった。
 が、男たちは揃ってまるで畏れるような表情で、何度も言葉を呑み込みながら口を開き、問うた。
「………あんたは、女神か?」
「は?」
 欠片も予想していなかった台詞に思わずぽかんと口を開くが、男たちは揃って畏れに満ちた表情で口々に叫ぶ。
「や、やっぱり女神様なんだな!?」
「そうでもなけりゃあんたみたいなとんでもない美人が、こんなとこに来るわけがない………!」
「女神さま教えてくれ、頼む! この世界はこれからどうなるんだ!? 最近海でも陸でも魔物に襲われただの殺されただのいう噂ばかりで、俺たちゃもうどうすりゃいいのか……!」
「女神さま頼む、俺たちを助けてくれ! 俺たちを、世界を救ってくれ……!」
「え、いや、あの、だって……」
 あっけにとられてバーバラが二、三歩後ずさるも、男たちはずい、ずいと間合いを詰めてくる。その血走った目と切羽詰まった表情、さらには自分に向けて伸ばされる何本もの手にバーバラは恐怖を覚えた。
「あ、あの、あたし、そんな、んじゃ」
「助けてくれ、頼む」
「救ってくれ」
「俺たちを、世界を、俺を……!」
「っ、ぁ、ゃぁ………!」
 恐怖と混乱とで心が惑乱し、とにかく男たちにどこかに行ってほしくて思いきりどんっ、と男を押しやる――
 や、男は宙を十メートル近く吹っ飛んで、通りの隅に積み上げてあった樽の山に頭から突っ込んだ。
「………え」
 思わずぽかん、とするバーバラに、男たちは絶叫した。さっきにも増して血走った目で、バーバラに向けて手を伸ばしてくる。
「ぁ、ゃ、や……!」
「こいつ――魔女か!」
「魔物だったのかこのアマ!」
「許さねぇ……服引っ剥いで首落としてやる! おい鉈か斧持ってこい!」
「ひ、ゃ、ぁ……!」
 男たちの手で無茶苦茶に髪が、服が引っ張られる。頭の中はなんで? なんで? という言葉でいっぱいだった。
 なんでこの人たちはあたしを女神なんて呼んだの? なんでちょっと押しただけなのにあんな風に人が宙を飛ぶの? なんでこの人たちはあたしにこんなことをしてるの?
 なんで、なんで、なんで。頭の中でぐるぐる疑問が回り、心と頭が惑乱し、体は痛くないのに瞳からぽろり、と涙がこぼれた。
「助けて……助けてよぉ、ローグぅ………!」
 ぴしゃあん! ガラガラドゴロロ!
 一瞬視界が真っ白に染まり、雷鳴が轟く。え、とバーバラが音のした方を見やると、男たちの体の隙間から、今自分が呼んだ相手が――ローグが立っているのが見えた。
 ローグはしばし無表情でこちらを見やっていたが、やがてにっこり、と優美で優雅な王子様スマイルを浮かべ――
「死ね、クソカスどもが」
 と言うや、ぶんっ、と手の中に雷撃を生み出し、そのまま横薙ぎに振るい、バーバラ以外のそこにいた者全員をバーバラの周りから吹き飛ばした。
 バーバラの視界が開け、目に映る姿がローグだけになる。とたんローグはふん、と面白くもなさそうな顔になって鼻を鳴らし、つかつかとバーバラの前まで歩み寄って手を差し出した。
「立てるか、バーバラ?」
 バーバラはしばしぽかん、とその手を見つめていたが、やがてう、と唸るとほぼ同時に立ちあがってローグに向けて突っ込んだ。ローグは怒りも驚きもせず、腕を背中に回してバーバラをそっと受け止めてくれる。
「う、うっ、ローグ、ローグぅっ………!」
「ああ」
「あたし、あたしね、あたし……うっ、ぅぁっ、ぁぁああーんっ………!」
「ああ。もう大丈夫だ、バーバラ。護ってやれなくて悪かった」
「ぅうんっ、ううんっ……う、あ、あぁーっ………!」
 わんわんと泣きじゃくるバーバラを、ローグはしっかり抱きとめ、優しく撫でてくれた。バーバラの記憶の中では、こんな手はローグしかいないというくらい、暖かく優しい手で。

「……落ち着いたか?」
「……うん……」
 ひょうたん島まで戻ってきて、自分の手を優しく引きながらローグは訪ねてきた。バーバラはそれにこくん、とうなずきを返す。
「あっ……あの男の人たち、大丈夫かな。ローグがやったのって、ギガスラッシュだよね? 普通の人にあんな特技ぶつけて大丈夫……?」
「心配しなくても手加減はしてるし、こっちにルーラする前に死なない程度には回復しておいた。ま、俺は女の子を怖がらせるような男は問答無用で死刑上等だと思ってるがな」
「そうなんだ……」
 自分はローグに抱きしめられたままでここまで飛んできたので見ていないのだが。
「……あの、さ」
「なんだ、バーバラ」
「あの……ごめん、なさい。ローグ、あたしのこと、探してくれたんだよね……?」
「俺だけじゃなく他の連中も全員探してたがな。一応、全員に礼を言っておけよ」
「う……そうだよね。あたし、みんなに心配かけちゃったよね……」
「ま、俺については気にしなくていい」
「えっ……」
「俺がお前へのアプローチを失敗したせいだからな。お前が一人であんなところを歩く羽目になったのは」
「…………」
 そっと自分の手を引きながら、ローグはひょうたん島をゆっくりと歩く。なんと言えばいいのか考え考え、もうすぐ宿屋部分というところまで近づいた頃バーバラは口を開いた。
「あ、あの、さ、ローグ。さっき……なんで、あたしに、あんなこと……」
「お前が超美人になっている、と言ったことか?」
「う、うん……そんなこと、これまで一言も言わなかったのに、なんで、あんな風に……」
 あんな風に、自分の容貌がローグにとってどうでもいいもののように。その言葉は、あまりに思い上がっているように思えて口には出せなかった。ローグが自分のことを女の子として認めているなんて、さっきみたいに暴走したあげくに助けられている自分には、自意識過剰すぎる考えのように思えてしまって。
 だが、ローグはいつものようにあっさりと、かつ堂々と、当然のように答える。
「気に障ったか? 紛うことなき事実だと思うが」
「っ……じ、じじつかどーかはおいといて! そんなこと今まで一言も言ったことなかったじゃない! なんで、突然あんな風に……」
「そりゃ、お前に自分の容貌――のみならず、自分の持ってる力≠きちんと意識してほしかったからだな」
「え……」
「お前、俺たちが今どれだけ強い力を持っているかわかってるか?」
「え……そ、そりゃ最近ずっとレベル上げしてるし攻撃力どんどん高くなってるとは思うけど」
「そういうレベルじゃない。ぶっちゃけ言うが、俺たちの力も耐久力も魔力も、人間が普通持てるだろうレベルを大きく超えている。お前もさっき一人吹っ飛ばしたみたいだからわかるだろう。きちんとコントロールしなけりゃ、今の俺たちは軽く突いただけでも人を吹っ飛ばせるし、ちょっと力を入れれば壁を壊せるし、ハッサンのような全身筋肉が全力を振るえばそれこそ山でも持ち上げられるんじゃないかってくらいの力を持ってるんだよ」
「え、そ、そう、なの……?」
「ああ。お前は基本いつも誰かと一緒にいて、あれやこれやとフォローされてたから気づかなかったんだろうな。それに最近の全力レベル上げだとダーマ以外ろくに街に立ち寄らなかったから普通の人間社会とぶつかる機会も少なかっただろうし。――そして、それは、それぞれの容色についても言える。お前の場合は、それが一番深刻だろうな」
「え……よーしょく……?」
「見た目の美人度、みたいなもんだ。ハッサンやアモスやチャモロはおいておくとして。俺もまぁ、顔貌ももちろん整っているがそれ以上にその振る舞いが人目を惹きつけてしまうタイプだからおいておくとして」
「え、なに……自慢?」
「いいから最後まで聞け。テリーも顔貌は男離れして整っているがあいつはあれでそれに惹かれた相手のあしらい方は心得ているし、ミレーユはそれ以上だ。あいつは人間の心理をよく知っているからどんな行動に出てもうまくあしらえる。ルーキーの美貌もはっきり言ってスライム離れしてるが、あそこまで行くと普通の人間なら追いかけ回すより圧倒される方が多いだろうからな。ルーキーも内気ながらにファンをあしらうのには慣れてるし、とりあえずは心配ない」
「あの……つまりなにが言いたいの?」
「要するに、だ。俺はお前が心配だった。お前は今俺たちの中でぶっちぎり一位の美しさを誇っているし、その上お前の美貌が花開いたのは最近だから寄ってくる奴らをあしらう技術もない。おまけにお前には自分の美貌に対する自覚もない、と心配な要素しかなかったわけだ」
「び、びぼー、って……」
 自分のことを言っているとはやっぱり思えない形容にむー、と(頬を赤らめながら)唇を尖らせると、ローグは肩をすくめてから真剣な表情でこちらに向き直り、懇々と言い聞かせるような口調で言う。
「いいか? バーバラ。今のお前はレベル上げを経て、それこそ世界一の、いやそれどころかまさに神レベルの美少女なんだぞ。さっきも経験したんだろが。ごく普通の一般人が普通に一人で歩いてるお前を見たら、まず畏れのあまりひれ伏すかその美貌に熱狂するかあまりの美しさに耐えきれず気絶するか、ってところなんだぞ?」
「い、いやそれはいくらなんでも……普通に考えて、ちょっときれいなくらいでそんな反応するってことはなくない?」
「だからちょっときれいなくらいじゃないと言ってるだろが。……ま、そういうお前だから少しでも警戒を促したかったのさ」
「警戒……って」
「お前の美貌は本当に尋常じゃないレベルなんだから気をつけろ、と忠告しようとは前から思っていた。だからアモスの戯言に乗っかったんだ。まぁ、うまく伝えるのを失敗してお前が暴走することになったわけだがな……本当に、悪かった」
「う、ううん、それはいいんだけどさ。どっちが悪いかって言ったら、一人で勝手に出歩いて、寄ってきた男の人たちちゃんと相手できないあたしが悪いわけだし」
「男の言葉で女が動いて女が危機に陥ったんだぞ。問答無用で男が悪いに決まってるだろが」
「もー、ローグってばなんでこーいう時だけカッコつけるのー……って、あの、それは……いいんだけどさ。つまりそれって……そういう、ことだよね?」
「指示代名詞だけじゃわからん。具体的に言え」
「あの……だからね。その……ローグにとっては、あたしがきれいになったとか、そーいうことって……どーでもいいことだから、そういう風に……あたしの安全とか、そういうことばっかり気にして、話せちゃうんだよね、って……」
 うつむき加減になってぽそぽそと言うバーバラに、ローグは真剣な表情のまま、小さく肩をすくめてあっさりと言った。
「当たり前だろが、そんなもん」
「っ……」
「俺がお前を大事に思ってるのは、お前の顔がどうこういうところなんぞとは別にあるってことくらい、お前もわかってるだろが」
「………え?」
 顔を上げたバーバラを真正面から見据え、真剣な表情を崩さずにローグは淡々と告げる。
「お前が今以上に天に比べる者がないほどの美貌を手に入れようが、逆に呪いだのなんだのでひどい御面相になろうが。お前は俺にとって、世界一大事な女の子だ」
「っ……ロ、ーグ」
「それがわかってなかっただの、信じられないだの言うんだったら、その脳味噌にしっかり刻まれるよう念入りに全力で口説いてやってもいいが?」
「っ、な、なななっ、なに言ってんの、なに言ってんのなに言ってんのもーっローグってば! ひ、ひ、人からかうのもいい加減にしないと本当に怒るよっ!?」
「これがからかってるように見えるんだとしたらお前の目は相当度が狂ってるな」
「だ、だ、だだだだっ、だからっ、そんな、そんな風に当たり前の顔でっ……」
「当たり前のことだからな。お前が俺にとって世界一大事な女の子だってのは、説明するまでもなく自明の理だと思ってたんだが?」
「〜〜〜〜〜っ……………!!」
 もうどう答えればいいのかわからずうつむいてぽかぽかローグを殴ることしかできないバーバラを、ローグは平然とした顔で受け止めてぽんぽんと背中を叩いてくる。
 本当に、当然のように自分を受け止めてくれる大きな手。もう片方の手が優しく頭を撫でる。その暖かさが、力強さが、バーバラの拳を軽く受け止める広い胸が、バーバラを包み込んで、落ち着かせると同時にどうしようもなく乱す。
「………、ローグの、ばかぁ……」
「……ま、今はとりあえずそういうことにしておいてやるか」
 そんなことを言いながら自分を撫でてくる手に、胸を叩く拳から力が抜ける。どうすればいいかわからなくなってローグに抱き寄せられてしまう。どうしようもなく熱い顔を、ローグの胸にうずめてくりくりと押しつけることしかできなくて――
「ぶわーっくしょいっ!」
 そして次の瞬間、唐突に響いたくしゃみに飛び上がった。
「は、ハッサン………!?」
「ん? おー、バーバラ、帰ってたのか! 心配したぜー、どこ行ってたんだよお前」
 そんな声を返しながらハッサンの気配が近づいてくる。え、見られてたんじゃないの? ときょとんとするバーバラに、ローグが耳元で囁いた。
「心配するな、見られるほど近くに気配はなかった。とりあえずその顔を拭いておけば、ハッサンなら気づきゃしないだろ」
 そう言って差し出してくるハンカチを、むー、とふくれっ面になりながら受け取って一応顔を拭く。なんていうか、別に嫌っていうんじゃないけど、ローグって、すんごい手馴れてる感じがしてなんか腹立つ。あたし以外にもこんなことしてあげた女の子いたのかな……じゃなくてじゃなくて!
 などと悶えている間に仲間たちは姿を表した。ハッサンだけでなく、ミレーユもチャモロもテリーやアモスまで一緒だったらしい。
「なんだ、お前ら一緒に帰ってきたのか」
「ああ、こっちに戻ってきたのがちょうど同じくらいだったからな。……おうバーバラ、無事みたいで安心したぜ。ローグに連れ戻されてきたのか?」
「う、うん、そうなんだけど……ごめんね、みんな、心配かけて……」
「気にすることはないわ、今回はローグが悪いんだから。乙女心をあんまり弄んではいけないわ、ってきちんとお説教しておいたから、安心してね?」
「お、おとめごころ、というものはともかくとして。人をからかうのにも限度というものがありますからね。ローグさんは時々その度が過ぎますから」
「でも、なんだかご自分でバーバラさんを連れて帰ってきちゃったみたいですねぇ。しっかりご自分でフォローする辺りがやはりモテる秘訣なんでしょうか」
「……フン、馬鹿馬鹿しい。おいバーバラ、お前は世間知らずなんだからな、夕暮れ時に外に出るなら誰か連れて行け。危なっかしくて放っておいたらろくなことにならないのが目に見えて……、おい。お前、泣いてたのか?」
「えっ」
 仲間たちの視線がバーバラに集中する。えっ、えっ、とバーバラはうろたえて首を振った。
「べ、別にそんな、泣いてたりしてないよっ!? そ、そりゃ、ちょっとはその、目が潤んだりはしたかもしれないけど……」
「おいおい、なんでそんなことになったんだよ。またローグがなんか言ったりしたのか?」
 ローグに向けられる仲間たちの視線が厳しくなる。あたしのせいでローグが誤解されちゃう! とバーバラはうろたえ慌てて、大声で叫んだ。
「そんなんじゃないったら! ただローグがあたしのこと世界一大事な女の子だとか言うから………!」
『……………』
「………あっ」
 返ってきた沈黙に、自分が言った言葉の意味を考えて、慌てて首をぶんぶん振って必死に主張する。
「ち、違うんだからねっ!? ただその、ローグはただ……全然違うんだからっ!」
「あー……うんうん、よくわかったぜバーバラ。もうなにも言わなくていいから」
「ち、違うんだってばっ! ほんとに……ほんとにそんなんじゃなくてっ……!」
「……馬鹿馬鹿しい。痴話喧嘩なら俺たちを巻き込まずに二人だけで好きなだけやれ」
「違うんだってばーっ!」
「ま、痴話喧嘩じゃないのは確かだな。俺は事実を言っただけだし」
「ちょ……ローグっ! そーいうこと、人前でっ……!」
「事実を述べるのに人前かどうか気にする必要なんぞないだろが。俺はお前が世界一大事な女の子だという事実も、ターニアが世界一大事な妹だという事実も、チャモロが世界一大事な男の子だという事実も誰はばかることなく大声で主張できるぞ?」
「えっ………」
 バーバラは数瞬ぽかんとしてから、ローグの言葉の意味を理解した。同時にぶる、ぶるぶる、と身体が震え出す。
「お、おい、バーバラ? ちょ、落ち着けよ? いやそりゃローグの言ってることは確かにたいがい外道だとは思うけどな!?」
「というかローグさんっ、なぜそこで私を引き合いに出すのですかっ!?」
「わかりやすい選択肢だろう? まぁ外野は気にするな、バーバラ。全力で思いっきり来ていいぞ?」
 ばっ、と大きく手を広げるローグに、バーバラは感情と魔力を全力で解放した。
「ローグの……ローグの、ばかぁぁぁぁ――――っ!!!」
 バーバラのマダンテをローグは仁王立ちで一手に引き受け、極大ダメージを集中されてあっさりと昇天する。バーバラはふんっ、と鼻を鳴らしてずかずかとローグの横を通り過ぎて宿屋の中へと入っていった。
「あーもーお腹すいたっ! ミレーユっ、一緒にご飯食べよっ! ルーキーもっ」
「プルリリップルップキップリップルリリップルッ」
「……ふふ。そうね、行きましょうか」
 怒りで顔を真っ赤にしながらバーバラはずかずかと食堂へと歩く。ローグへの怒りで自然と足音は高くなり、がづっがづっと床がへこんだ。
(もぉぉぉ……ほんとにほんとに、ローグのばかっ!!)
 そんな怒りで前もろくに見えなくなっているバーバラは、当然背後でザオリクをかけられて蘇生するローグにも、その楽しげな表情にも気づかなかった。
「……お前ね。さっきやりすぎたって説教されたとこだってのに、ほとぼりも冷めねぇうちにからかうのやめとけよな。いっくら慣れてるからって傍で見てて冷や冷やするったらねぇんだからよ」
「あの場合ああ言う以外に方法がないだろが。少なくともこの旅が終わるまでは、俺はバーバラをどうこうするつもりなんぞ欠片もないんだからな」
「どうこうって……なぁ。ったく、バーバラが本気でお前に愛想尽かしても知らねぇぞ?」
「その時はその時だ。運命に殉ずるさ。……その方がある意味、どちらにとっても幸福なこととも言えるしな」
「あーっ、っとにこのへそ曲がりが。しゃあねぇな、後でちっとフォローしといてやるから、邪魔すんなよ?」
「頼んだ覚えもお前にそんなことをされるようなことをした覚えもないが?」
「うるせぇな、俺はお前が不幸になるところを見たがるほど薄情じゃねぇんだよ」
「……ふん。勝手にしろ」
「おお、勝手にするさ」
 ローグとハッサンが、小声でそんな会話を交わしていたことにも。

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