カダヤ
 滝川はさっと目を開けた。なんだか久し振りにたっぷり寝たという感じで、すごく頭がすっきりしている。
 最初に目に入ったのは真っ白な天井だった。蛍光灯の薄い灯りが軽く目を差す。
 寮の部屋ではない。昨日自分はどこで寝たっけ?
 覚えがない。全く覚えていない。
 慌てて跳ね起きる。しまった本当に全く覚えてないぞ。一番新しい記憶は――
 ……確か、自分は戦場にいたはずではなかったか? いつものごとく三番機に乗って出撃したような記憶がうっすらとある。
 じゃあなんで自分は今ここにいるんだろう。
 そう考えた時ようやく右腕に点滴されていることに気がついた。
 うわ、俺点滴なんて初めてされた。
 なんとなく腕から伸びる管の先を追ってみる。
 右腕に刺さったぶっとい針から半透明な液体が通っている管が伸び、誰かの頭の上を通ってキャスターにつるされたパックへと……
 頭?
 誰かが自分のベッドの脇に突っ伏して寝ている。髪の長さからすると女の子みたいだが……
「わぎゃ!」
 唐突に気付き、滝川はベッドの上で奇声を上げて跳び退った。
 舞だった。舞が滝川のベッドに突っ伏していたのだ。
 ドドドドドと心臓が行進曲を奏でる。頭の中を疑問符が跳びまわる。
 しかし当然そんなことには全く頓着なく、舞は唐突にすっと体を起こした。
「起きたのか」
「う、うん……」
 じろりと寄越す視線の鋭さに、滝川はびくりとした。
 なんでかわからないが、めちゃめちゃ不機嫌だ。
 舞はおそろしくきつい目で(その目が真っ赤だったことには滝川は気づかなかった)滝川を見つめ、重々しく口を開いた。
「たわけ」
「へ? な、なにが?」
 そう言うとさらにきつい目で睨まれ、寸止めのパンチを寄越された。
「黙れ。それ以上なにか言って私をこれ以上怒らせてみよ、明日の朝日は拝めぬと思え」
「え、いやだってあのさ、俺何がどうなってここにいるのか全然……」
「……お前はよほど私を怒らせたいのか。そのようだな」
 ゆらりと舞が立ち上がるのを見て、滝川は慌てて頭を下げた。
「すいませんでした。もうしません」
「……ふん」
 舞は忌々しげに鼻を鳴らすと、座っていたパイプ椅子に座りなおす。
 しばしの沈黙の後、滝川が口を開いた。
「……ごめんな、芝村」
「きさま自分が何について謝っているのか自覚しておるのか? もしただ単に闇雲に謝っているなら首をへし折ってくれるぞ」
「いや……その、わかんないんだけどさ。とにかくごめん。俺、またなんかヘマしちゃったんだろ?」
「………」
「……ホント、ごめんな。謝ってすむことじゃねーけど……」
「全くだ。何をしても償えるような性質のものではない」
 グサッ、と滝川の心に今の言葉が突き刺さった。
「……マジ、ごめん……」
 悔しい。
 なんで自分はこんななんだろう。
 舞のことが好きで、みんなのことが好きで、自分もできることをしようと思って頑張ってるのに。
 どうしてこうもうまくいかないんだろう。
 舞は、よろしくと言った自分の言葉に、よろしく、と返してくれたのに。
「……だからなのか?」
「なにがだ」
「俺がこんな失敗するから、俺のこと避けてたのか?」
「………」
 無表情になった舞を見るに絶えず滝川はうつむいてしまったので、舞がその後すぐ真っ赤になったのには気付かなかった。
「俺、バカだからさ。お前に愛想つかされても、本当はしょーがねーのかもしれねーけど……俺、お前と離れたくないよ」
「………」
「だって……俺、おまえのこと、好きだから……」
「………」
 沈黙が降りた。
 自然に口から出るままに言葉を口にしてしまった滝川は、一瞬の後にぼっと赤くなった。
 何恥ずかしいこと言ってんだ俺は。こんなこと改まって言うことじゃないだろバカバカバカ。第一芝村がこんな気持ち迷惑だって思ったらどうすんだよ。うわ嫌だそんなことになったら俺生きてけないかも。でも芝村は俺と一緒にいるみたいなこと言ってくれたし。その気持ちが変わってるかもしれない。うわーそんなのやだよお。
 ぐるぐる回転する頭を抱えそうになった時、シュッ、と小気味いい音がして滝川は反射的に身を引いた。
 滝川の目前に、舞が寸止めパンチを放ったのだ。
「……たわけめ」
 滝川はおそるおそる顔を上げた。舞の紅に染まった顔が蛍光灯に照らされている。
 芝村も恥ずかしいんだ、と思ったらなんだかすごくホッとした。
 舞は真っ赤な顔で、こっちを睨みつけ、奥歯をギリギリと噛み締めている。
 滝川は次に何を言われるかとちょっとびくびくしながらも待ち構えた。
 舞は一旦すうっと深呼吸してから、決然とした様子で口を開いた。
「滝川。決めたぞ。私はそなたをカダヤにする」
「へ?」
 この状況下でひょいっとわけのわからない単語が出て来て、滝川は目が点になった。
「……カダヤって?」
「……まあ、なんだ。保護者のようなものだ」
「ホゴシャ……」
 どっちがどっちの?
 そんな滝川の考えに気付きもせず、舞はひどくきっぱりした口調で続ける。
「そうと決まれば明日からおまえは常に私の目の届くところにいろ。お前ははっきり言ってまだまだだ。芝村の記憶する戦術と技術のすべて、ことごとくおまえに叩き込んでやる」
 舞は真っ赤な顔で滝川の目を睨んだ。
「……嫌なら実力ではねのけろ」
「………」
 どうやら舞の方が自分を保護する立場らしい。
 それははっきり言って男としてかなり情けない。しかし今の自分が舞を守れるほど強いかというと、それはあんまり自信がない。
 数秒考えて、滝川はうなずいた。
「わかった。俺、頑張るよ」
「………」
 ほう、と小さく息をついた舞を見つめ、滝川は続ける。
「俺、強くなる。そんで、いつか俺の方がお前を、そのカダヤってやつにしてやるからな」
「………!」
 舞は顔をさらに赤くしてパクパクと口を開け閉めし、ばしばしと滝川を叩いた。
「たわけ! たわけ! たわけっ! そんなことを言うなど十年、いや百年早いっ!」
「うわ、いて、痛えよ芝村!」


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