フレンド
「……今日はこのくらいにしておくか」
「そーだな」
 滝川は舞にそう答えると、んーっと伸びをした。
 今日も舞と一緒に訓練と仕事漬けの一日だった。日付が変わってから三十分は経っている。
 少し疲れてはいたが、それ以上に充実感があった。訓練も仕事も確実に効果が上がっているということが実感できる。
 舞との訓練や仕事は戦闘に少しだけ似ている、と滝川は思う。一瞬たりとも気を抜けない、というあたりが。
「私はプログラムを組むことにしよう。そなたはどうする」
「俺はもーちょい訓練してくよ。探せば先生か誰かいるだろうし、つきあってもらう」
「そうか。ではな」
「うん……」
 軽く微笑ってその場を立ち去る舞を、滝川はなんとなく赤くなりながら見送った。
 微かな寂しさと同時に、妙に照れくさい気持ちがある。もう何度も見てるのに、なんで未だに舞に微笑まれると照れちゃうんだろう。
 ぷるぷるっと顔を振って、できるだけ思考を切り換える。誰か訓練につきあってくれる人がいないか、探しにいこう。
 ハンガーニ階左側に向かった滝川の足が、不意にぴたりと止まった。
「……滝川くんと速水くんに何があったか、あんたは知ってるんじゃないの?」
 俺の話?
 聞いちゃいけない、さっさとこの場から立ち去るべきだという思考がちらりと頭をよぎったが、足が動かなかった。
「……なんでそう思うのさ」
 茜の声だ。
 そういえばさっきのは森の声だった。姉弟で何話してるんだろう。俺と速水の話? なんで?
「あんた瀬戸口くんと速水くんがどこかに行ったこと知ってたじゃない。それに昨日も滝川くんや速水くんとほとんど同じタイミングでハンガーに駆けこんできたし」
「……仮に知っていたとして、だ。なんでそんなことを姉さんに話さなきゃならないんだ? 姉さんには関係のない話じゃないか」
「それは……!」
 腹立たしげな声がしてから、気まずい沈黙があり、再び感情を押さえた森の声が聞こえてきた。
「……関係なくもないわよ。滝川くんは私の担当機のパイロットでしょ。私は自分のパイロットが死ぬなんて絶対にイヤ。だから司令にまだ敵視されているかどうかってことを、ちゃんと知っておきたいの」
「…………ふうん」
 茜が鼻を鳴らす音。
 少し間があって、茜の声が聞こえてきた。
「……僕だってあいつらの間に何があったか、ちゃんと知っているわけじゃないさ。ただ、僕はあいつらに向き合うきっかけを作っただけだ」
「……なによ、それ」
「だから、速水と滝川に話をさせる場を作ったんだよ。そこであいつらが何を話したかまでは知らない。ただ……あんなことをやったんだ、速水は速水なりに思うところがあったんだと思う。滝川と話して」
「……そう」
 またしばらくの間。
「……あんた、あの二人もう大丈夫だと思う?」
「さあね。他人の未来なんて僕にわかるわけないだろ? あの二人の間のことはあの二人の問題だ。……けど、これだけは言える。あの二人がどうなろうと、僕はあの二人を見捨てない。あの二人が助けを求めている時には、絶対助けに行く」
「……そう。……わかったわ、ありがとう」
 そう言うと、森はその場を立ち去ったようだった。階段を降りていく音が微かに聞こえる。
 思わずほっと息をつくと、鋭い声がかかってきた。
「誰だ!」
 びくっとして、おずおずと茜の前に姿を現す。
 茜は驚いたような表情をしていた。
「……お前」
「ゴ、ゴメンな。立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど……つい」
 茜はブスッとした顔になって、また鼻を鳴らした。
「ついもつもりもあるか。結局立ち聞きしたことには変わりないだろ」
「う……そ、そりゃそうだけどさ」
「……よかったな、女に心配されて」
「へ?」
 きょとんとした顔になった滝川に、茜が相変わらずブスッとした顔で言う。
「姉さんのことだよ。あれでも一応女だ。よかったな、モテて」
「……あ、そうか。森、俺のこと心配してくれたんだ」
「……おい。まさか気付いてなかったとか言うんじゃないだろうな」
「いや、気付いてなかったっていうか、実感がなくて……でもそっかー。森、おれのこと心配してくれたんだ」
 じんわりと胸が暖かくなる。自分を気遣ってくれる人がいるって言うのは、すごく嬉しいことだ。
「後で礼言っとなかくちゃな」
「言わなくていい! ……お前は、本気で雰囲気が読めない奴だな」
「へ? 何が?」
 茜はブスッとした顔でまた鼻を鳴らした。そして滝川を見ると、一度深呼吸して口を開く。
「……滝川。一つ聞いてもいいか」
「へ? なんだよ急に」
「……速水のことだ」
 滝川は思わず息をつめた。茜は苦虫を噛み潰したような顔で、滝川を見て言う。
「……お前、速水はもういいのか」
「……どういう意味?」
「速水を許したのかって聞いてるんだよ」
「へ?」
 滝川は思わずきょとんとした顔になった。
「許すって、何を?」
「……だから! 今までやられてきた犯罪級のイヤガラセを、許してやったのかってことだ!」
「……あ、そっか。普通に考えたら、俺が怒る方なのか。全然気付かなかった」
「あのな……」
 茜は思わずと言ったように額に手を当てた。
「それじゃなにか? お前は、速水が何をしようと聖人のように広い心で受け入れて、気にもしないってのか?」
「そ、そんなことねーよ。いろいろヤなこと言われたりされたりしたのは今考えてもすげーヤだし、芝村に似合わないとか、そーいうこといわれたのはすげームカつくし。殺したいくらい嫌われてるって考えると、なんかすげー落ちこんだりもしたけどさ……でも……」
「でも、なんだよ」
 滝川は一度黙り込んで(自分でもよくわからない、うまくいえないことなのだ)うつむき、やたら頭をかきながら顔を上げると考えを何とかまとめようとしながら口を開いた。
「……あいつ、『また明日』って言ってくれたから」
「……は?」
 あっけにとられたような声。滝川は恥ずかしくなってまた頭をかく。
「なんだそれは。具体的に言え」
「……あのさ。あいつ、俺のこと殺したいとか言っててさ。実際いろいろそーいうことやってさ。……俺のほうは、あいつが優しくしてくれたこと忘れられなくて嫌えなくてさ……」
「………」
「でも、あいつ戦場で俺のこと助けてくれて。そんで、そのあと会いに行って、俺が『また明日な』って言ったら『また明日』って答えてくれたんだ。また明日会えるってことなんだ。どんなにあいつが俺のこと嫌ってても、今日は俺のこと殺さないで、また明日会ってくれるってことだって思ったんだ。もしかしたら明後日も、そのまた明日もずっと会ってくれるかもしれないって……」
「………」
「あいつ、俺のこと無視したし、やっぱり俺のこと嫌ってるみたいだけど、それでも、俺がスキでいたら、もしかしたら――また、友達になってくれるかなって、思って。……そんな感じ。俺にもよくわかんねーや」
 茜はちょっと微笑むと、滝川を見てきっぱり言った。
「馬鹿」
「な、なんで俺がバカなんだよ!?」
「馬鹿以外の何者でもないだろう。この大馬鹿」
「なんだとー!」
「……それで、僕に何か用でもあったのか?」
 あ、と滝川は口を開けた。
「そうだ。俺、訓練につきあってくれないか頼みにこようと思ったんだ。茜、一緒に訓練しねぇ?」
 茜は緩くかぶりを振った。
「いや。悪いが、仕事が残ってるんだ。二番機の火器管制システムの調整があと少しで一段落つきそうなんだよ」
「……そっか。しょーがねえ、他をあたるか」
 じゃあな、と手を振って立ち去りかけた滝川は、あ、と足を止めた。
「茜」
「なんだ?」
「……見捨てないって言ってくれてありがとな。嬉しかった。あと、いろいろサンキュ」
 少し照れながら言ったとたん、茜はカッと顔を赤らめた。
「余計なこと言ってないで、さっさと訓練に行ってこい!」
「へーい」
 滝川はにかっと笑って、その場を立ち去った。

戻る   次へ
舞踏少年は涙を流す topへ