「お前らなあ……いくら極楽トンボくらわないからって、毎日毎日三時間目からご出勤ってのはねえだろお?」 本田は苦笑しながら、滝川と舞を見下ろした。 今は水曜日の戦闘訓練の三時間目が始まろうとしているところ。それぞれ休み時間を終えて各自準備体操などをやろうとしていた時に、滝川と舞が授業にやってきたのだ。 「へへへ……まあ、俺たちもいろいろと忙しくって……」 滝川は照れ笑いをした。 「効率のよい訓練方法を追求した結果だ。規則上では遅刻ではないのだろう。なんの問題がある」 舞は相変わらず倣岸だ。 確かに、授業を何時間サボろうと授業の途中から参加するのでなければ遅刻とはみなされない。 三時間目からだろうが四時間目からだろうが、午前と午後それぞれに一時間でも出れば出席扱いなのである。 本田はまた苦笑すると、号令をかけた。 「全員、集合ーっ!」 全員が素早く整列する。ここらへんの挙動は、既に全員熟練の軍人のそれだ。 「よーし、それでは訓練を再開する! 組み合せはさっきと同じでいいな?」 戦闘訓練の授業とは、要するに二人一組になって殴り合うという単純なものだ。体力の釣り合いが取れないとお互い訓練にならないので、自然と相手は決まってくる。 「待て」 舞に声をかけられて、本田は眉をひそめた。 「どうした、芝村」 「滝川と私ではもはや釣り合いが取れなくなっている。相手を変えるべきだ」 「え?」 滝川は驚いて声を上げた。滝川と舞は同じ三番機パイロットになってからずっと一緒に戦闘訓練をやってきた。 それがどうしていきなり? 舞と自分の体力に明らかな差があるのはわかっていたが、それを気にする舞でもないだろうと思っていたのだが。 本田は考える風を見せた。 「ふむ、そうか……しかしそうなると滝川の相手がいなくなるな。スカウト二人を他の奴と組ませるわけにはいかないし、壬生屋……はちょうど芝村と互角ぐらいの体力だから、芝村とやらせたいし……」 ふとなにか思いついたように声を上げた。 「速水! お前どうだ。滝川とやる気あるか?」 え!? 滝川は慌てて速水の方を向く。速水は最近滝川と顔を合わせる時と同じ、完全な無表情でうなずいた。 「……僕はかまいませんよ、先生」 滝川はひどく気が進まないながらも、速水と向き合った。 戦場での指示以外では、あいかわらず速水は滝川を無視し続けている。 だから滝川としては、速水とどんな顔をして向き合えばいいのかわからないのだ。前みたいに馴れ馴れしくしてよけいに嫌われたらいやだし、クールに接するのもなんか哀しいし。 今だ態度を決めかねていて、できることなら相対するのを先のばしにしたいというのが正直なところなのである。 しかし他のみんなは既に訓練を始めている。自分たちもやらなければならなかった。 速水がすっと構える。アップライトの、右足を極端に引いた左半身の構え。 滝川も構える。滝川の構えは正中身を保ったまま腰を落とし、やや右半身という形だ。 ――やいなや、速水が仕掛けてきた。 『速えっ!』 そんな思考がちらっと頭をかすめるより早く、速水は猛烈な勢いで踏み込んで右のパンチを放ってきた。 考えるより先に体が反応した。頭をずらして一撃をかわし、右のカウンターパンチを放つ。 速水はそれを読んでいたようだった。左足を踏みこませてパンチをかわすと同時に、左腕で滝川に強烈なボディーブローを入れる。 ぐふっ。 腹の中の空気が口から漏れた。 『こっちが本命……かよっ!』 衝撃を散らすべく息を吐きながら、左の膝蹴りを速水の下腹部に放つ。これがまともに入ればかなり効くはずだ。 しかし速水はそれも読んでいたようだった。素早く後ろに体をずらして蹴りの勢いを殺し、滝川の袖を引っ張りながら軸足を払う。 『出足払い!?』 滝川はそれをまともに食らってその場に倒れた。すかさず速水は内臓を踏んでくるが、それは必死に転がってかわす。 速水と距離を取って立ち上がり、息を荒くしながら構える。それに対し速水は表情を変えもせず、冷静に構えを取ってこっちを向いている。 『……こんの野郎っ……!』 滝川の頭にカーッと血が昇った。久しぶりに、単純にムカついた。 だっと跳んで、滝川は速水につかみ掛かっていった。 殴る。蹴られる。受ける。避けられる。押し倒す。投げられる。 お互いに相手の動きを読みあい、技を出しあい、攻撃を当てようとする。 お互い何発かいいのをもらった頃、滝川は奇妙な感覚を覚えた。 戦闘時に似た、けれどそれよりももっとシャープな感覚。驚くほど全身の感覚が鋭くなり、周囲の状況がすごくよくわかる。 1秒が妙に長く思える。相手の動きも自分の動きもスローモーションがかかっているように感じられる。 そんな引き延ばされた時間の中で、滝川と速水は拳を交しあう。 滝川は自分が笑っているような気がした。胸はゾクゾクするほど熱くなっているのに、頭はひどく冷静に相手がどこにくるか読み、自分はどう動くのがベストかすさまじい早さで考えている。 滝川は速水の懐に飛び込むと速水の顎をまともに捕らえるアッパーを放つ。 と同時に、速水が思いっきり振りかぶったストレートを放ってくるのがわかった。 『かわせないっ!』 必死に体をひねったが、結局パンチを顔面に浴びて、滝川の意識は闇に沈んでいった。 「……あ、目開けた」 目を覚ますなり、瀬戸口の声がした。 慌てて上体を起こす。頭に載っていた濡れタオルが落ちた。 辺りを見回すと、そこは整備員詰め所の休憩所だった。 周囲には舞と瀬戸口、それに若宮と石津がいる。 状況が呑みこめず呆然とする滝川に、石津が声をかけた。 「……もう……昼……休みよ。どこ……か、痛いところ……ある?」 「……え……と……」 はっ、と気付いて石津にほとんど取りすがるようにして叫んだ。 「速水はっ!? 速水はどうしたんだ!?」 「……そ……こ」 すっと石津が指差す先を見て、滝川は「うひゃあ!」と声を上げて飛び起きた。 そこには速水が自分と同じように濡れタオルを頭に載っけて寝ていたからだ。 「見事だったぜー、壮絶な殴り合いの末のダブルノックアウト。みんな見物しちゃってたんだぜ。思わず実況中継したくなるほどだったね」 「たわけ。訓練で気絶するほど本気になってどうする。その気力をもっと別の場所で使え」 口々に言われ、呆然としていた滝川はようやく我に返ってきた。 「……そっかー。ダブルノックアウトかー」 勝てなかったのはちょっと残念だ。けど、ちょっとスッキリした。速水はどうだったんだろう? ……速水の目が覚めたら、また話しかけてみようかな。無視されてもいいや。なんか俺速水に実はそんなに嫌われてないかもって思えちゃったから。殴りあってた時に、ちらっとなんとなくそんなことを思っただけだけど。 でもあの感覚はなんだったんだろう。体中が異常に研ぎ澄まされていくようなあの感じ。すごく愉しいとさえ言えそうな。 他の奴とケンカした時も、あんな気持ちになったことなかったのに……。 「滝川。これを言いたくてお前の目が覚めるのを待っていたんだが……」 若宮は滝川の目の前に座り込むと、ニッと笑って言った。 「見事だったぞ。いい勝負だった」 「……え、えへ。そっスか?」 滝川は思わず照れ笑いをした。 |