ウイング・オブ・サムライ
「君には今日から二番機パイロットとして働いてもらう」
 速水のその宣告は、不思議に重く聞こえた。本当は不思議でもなんでもないのかもしれないけど。

 滝川は授業が終わると、のろのろとハンガーに向かった。舞とは――というか、他の誰とも顔を合わせたくはなかったのだけど、とにかくお互いちゃんと視線を向けようともしなかった。
 舞の方の気持ちは、もちろん本当のところはわからないけど、やっぱり情けない自分に愛想を尽かしたようにしか思えない。
 その方がいいのかもしれない。こんなに情けない自分と一緒にいるより、その方が。
 そう思う――だけど、嫌だ。
 本当は見捨てられたくない。見苦しいくらい騒いで捨てないでくれって叫びたい。
 でも、自分は怖くて――また拒否されたらと思うと怖くて、第一舞は最初から自分のこと好きでもなんでもないんだからそんなことを言うのは大勘違いで余計に嫌われちゃうかもしれなくて、そう思うとちゃんと顔を合わせることすら怖くてできなかった。

 今朝、滝川は速水に連れられて速水の家を出た。朝ご飯はご馳走してもらったが、速水は起きたら以前のような無表情で必要最小限のことしか言わない速水に戻っており、少しほっとしたような気持ちもあったけどやっぱり寂しかった。優しくしてくれてすごくすごく安心したのは事実だったから。
 意気を阻喪されて、でもとにかく学校には行かなくちゃと思って、だけどやっぱり舞と話すだけの勇気は湧いてこなくて、そんなことをぐじぐじ考えながら学校に着くと、そんな逡巡も何も吹っ飛ばすような話を聞かされた。
「二番機パイロット、って……?」
 どうしても本当のことだと思えず、おずおずと聞き返す滝川に、速水は冷厳とした口調で答えた。
「言葉通りだ。君の部署は今日から二番機パイロットになる。三番機パイロットは善行。入れ替わる形になるな」
「なんで……? 俺が三番機パイロットじゃ、駄目だってこと?」
「そうだ」
 ある意味当然のことかもしれないと思った。戦場での混乱、出撃拒否。本当だったら銃殺されてもおかしくないくらいだ。
 ただ、その事実に押しつぶされそうになった。もう自分は舞と同じ部署ではない。また一つ、繋がりが切れてしまった。
「正確に言うと、君を三番機パイロットにしておくよりも二番機パイロットにする方が戦力になる、ということだ。二番機は今日から新型機になる。――それを乗りこなせるのは、君しかいないと思った」
 速水の言葉もほとんど耳に入らなかった。自分はもう舞と一緒に戦うことはできない。一人で、全て自分一人の責任で戦わなくてはならない。
 今の状態で舞と一緒に戦うことは難しいからむしろ歓迎すべきことかもしれない。でも、それでもたまらなく寂しかった。自分が舞にとって不要だと、改めて思い知らされた気がしたのだ。
 本当に俺にできるんだろうか。自分の中のあしきゆめと、戦うということの恐ろしさと、人の想いを殺すことの惨さと、たった一人で戦うことが。
 できるできないじゃない、しなくちゃならないんだ。みんな一人で戦ってるんだから。俺も一人で戦わなくちゃならないんだ。
 でも、怖い。くじけそうだ。誰かに助けてほしいって叫びたくなる。
 ―――なんて情けないんだろう、俺は。本当に全然、進歩していない。
 午前の授業はほとんどサボって訓練していた。舞と顔をあわせてみっともないことをするのが怖くて、何にも考えずにただ体を動かしていた。
 四時間目の最後の方になってちょっと顔を出した。怖かったけど、ずっと顔を合わせないでいるのもそれはそれで怖かったからだ。
 大抵の人間は自分を遠巻きにしていた。瀬戸口や茜、中村とかは何があったのか聞きに来たりしたんだけど、まだ(いつ誰に聞かれるかもしれないところで)堂々と話せるだけの気力がなくてなんでもないから、と作り笑いを浮かべるしかなかった。
 気遣ってくれるのは本当に嬉しかったけど、怒らせてしまった。茜なんかはものすごく怒っていた。――自分は本当に、人に迷惑をかけてばかりいる。
 舞は――――最初から最後まで、自分と目を合わせようともしなかった。
 滝川は、懐に入れた弁当に触る。学校に来る途中で、小隊寮に寄らせてもらった。たぶんないだろうけど、もしかしたらと思って。
 郵便受けには、手作りの弁当が入れてあった。泣きそうになりながらも、嬉しかったけど――でも怖さはなくならなかった。
 だって舞はこれまでもずっと弁当を作ってきてくれた。自分のことなんかパートナーとしても認めてなくても。
 まだ食べていない弁当の重みが、ひどくやるせなかった。

 ハンガーに着いて、二番機の置いてある場所に向かう。ハンガーにはまだ誰もいなかった。
 ここに一人で来るのは久し振りだ。最初に二番機パイロットだった頃もハンガーには滅多に寄り付かなかった。――あの狭い場所で調整を行うことができなかったからだ。
 これからは調整も一人でやらなくちゃならない。不安だった。まだ自分は、暗くて狭い場所が怖い。
 戦わなくちゃ戦わなくちゃと急かす心に引きずられて、ここまで来たけれど。
 二番機の設置場所で、新しく二番機になったという新型機を見上げた。
「うわあ……」
 思わず声を上げてしまった。その機体はとても綺麗な機体だったのだ。
 シルエットはスリムな人型。ごつごつしたところがないすっきりした体型をしており、頭部から肩にかけての線は優美とさえ言えた。
 色は金属そのままのメタリックシルバー。それにわずかに青色がかっているところが目に気持ちいい。
 こんな時なのに、ドキドキした。たとえ自分の夢が偽物だったとしても、やはり巨大ロボットというのはかっこいい。滝川はやっぱりこういうのが大好きなのだ。
 ――でも、自分はこいつの中に入って整備や操縦をしなくちゃならない。
 できるだろうか。自信はない。まったく。
 でも、心のどこかが自分に何度も言う。『戦え』と。
 滝川は息を吸い込んで、ハンガー二階のパイロット仕事部署に向かった。

 何度も深呼吸して、新型機のハッチを開けた。
 ごくりと唾を飲み込む。やはり怖い。これからこの中に入っていかなくちゃならないと思うと身体が震える。
 逃げちゃいけないと必死に繰り返して中に入り、深呼吸をしてから意を決してハッチを閉めた。
「――――――」
 一瞬、奇妙な感覚に襲われた。体中を何かに――誰かに包まれるような、奇妙で、でも暖かい感覚。
 なんだこれは、と思うと同時に気づいた。自分はこの感覚を以前も感じたことがある。
 どこで?
 ――戦車技能資格試験に受かった時。そして――
 戦場で夢を見た時。
 身体が震えた。恐れというより畏れで。
 今まであの声が誰だったのかちゃんと考えたことはなかった。間抜けなことに。ただ言われたことについてばかり考えてきた。
 今、滝川はそのことに畏怖すら感じていた。なんというか、あれは――ものすごく大きなもののような気がする。尋常ならざる存在だと、そんな気がしてしょうがない。
 それがなぜ自分に話しかけてきたのだろう。あれは、もしかしたら――
 滝川はのろのろと左手を接続端子に伸ばしていた。そこに、答えがあるのではないかと思えたからだ。
 接続する。
「――――――!」
 そのとたん、周りの全てが消えた。
 滝川は闇の中とも光の中ともつかぬ、ぼんやりとした空間に浮かんでいる。
 そこには人の体温が満ちていた。誰かに抱きしめられているように、あるいは――
 誰かの体内のように。
『また、会えたね。……でも、君が気づかないだけで私はいつでも君のそばにいるんだよ』
 声が響く。あの時の声だ。
 お前はなんなんだ?
 滝川は声に出さずに問うた。
 予想通り、それでも答えは返ってきた。
『言っただろう? 君にとっては誰でもいい存在だよ』
 俺に、何をさせようとしてるんだ?
『私はただ、君に幸せになってほしいだけさ』
 …………は?
 予想外の言葉に、滝川は一瞬声が出なかった。
 声はとうとうと語り続ける。
『私はただ君が幸せになる、そのためだけにこの世界に存在している。あと、5121小隊のみんなもできれば幸せになってほしいと思うよ。そのために私はこの世界で君と共に戦っている』
 ……俺と一緒に?
『そう、君と一緒に。私はずっと君のそばにいた。君を何よりも強くするために、君に介入してきた』
 ……失敗してるじゃねぇか。俺、ちっとも強くなんてなってないぜ。だいたい介入ってなんだよ?
『介入は介入さ。……そう、君は弱い。ある意味ではとても弱い。そして別の見方をすればとても強い。だから、私は君を愛する』
 …………愛!?
『そう、愛だ。……君は今、突き抜けるかどうかの境目にいる。ほんの薄皮一枚の差なんだ。自分の力を認識し、恐れ、惑い――そこから人でないもの≠ノ変わっていく道は見つかる』
 人でないもの……?
『今度は君に入り口を示そう。君は自らのあしきゆめを知った――君が君のまま、人でないものになれるか――楽しみに、見させてもらうよ』
「………………!」
 その瞬間、滝川の意識はばーっと大きく広がった。
 舞がグランドはずれで運動力の訓練をしている。速水が小隊隊長室で仕事と陳情を繰り返している。若宮と来須が仕事場でスカウトの訓練をしている。他の小隊のみんなもそれぞれにそれぞれの仕事をしている。
 さらに広がって、熊本中の小隊のことを同時に感じた。ある小隊では必死に訓練を重ね、ある小隊では幻獣と戦闘をしている。どの顔も必死だ。
 そしてさらに、あちこちの家庭の日常生活――幻獣に怯えながらも仕事をして、飯を作って、食って、子供を学校に通わせて――そういうものまで意識の中に押し寄せてきた。
 それは全て、ただ――
 生きるために。生き延びるために。
 生きたい。幸せに生きたい。ただ、それだけのために、必死に日々を送っている。
「………なんだよ………これ」
 滝川は叫んだ。
「どうしろってんだよ!?」
 みんな生きたがってる。そんなことは知っている。
 でも、自分は嫌なんだ。怖い。もう殺したくない。だって幻獣は人の想いなんだから。
 自分はこんなもの背負えない。必死に頑張ってきたけどそんなの無駄だった。
 逃げ出したいんだ。放り出したいんだ。人が死ぬのも殺されるのも、自分が人に褒められたいから想いを殺してきた人殺しだってことも、自分には重すぎる。忘れてしまいたいんだ。なかったことにしたい。
 もう嫌なんだ。本当はもうどうでもいいんだ。何もかも――
『本当にそうかな?』
 こだまする小さな声。それはやけにはっきりと意識の中に残った。
 滝川は叫んで、叫んで、でも逃げ出せず、どことも知れぬ空間に浮かびながらのたうちまわっていた。

『201v1、201v1……』
 多目的結晶体から響く声に、滝川はのろのろと目を開けた。
 まだ夢うつつだ――でもこれだけははっきりわかる。
 また、戦いが始まる。

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