踊ってる。 真っ赤な士翼号が、刀を持って。 あの赤い色は、塗料だろうか? それとも幻獣の返り血だろうか? ああ、違う。あれは人間の返り血だ。士翼号は踊りながら人を殺しているんだ。 士翼号が舞うたびに人の首が飛ぶ。断末魔の絶叫が聞こえる。 『死にたくない死にたくない死にたくない俺は嫌だ嫌だ嫌だ死ぬなんて俺は悪いことなんかなにも』 『殺してやる殺してやる俺を苦しめた奴らみんなそんな俺が殺されるなんてまさか嫌だそんなこれが』 そんな想いの絶叫を聞きながら士翼号は舞う。殺されるものの恐怖も、痛みも、絶望も知らぬげに。 いや違う。あれは士翼号ではない、人間だ。人の返り血を浴びながら、人が人を殺しているんだ。 さあ、と光がさして、その人間の顔を照らす――と同時に、滝川は絶叫した。 そこには自分の――滝川の、血塗られてひどく楽しそうに満面の笑みを浮かべた顔があったからだ。 「あ………あ!」 滝川は跳ね起きて、数秒経ってからそこが寮の自分の部屋だということに気づき、息をついた。 別におかしいことがあるわけではない。毎日見ている夢だ。 起きている間ほぼ全ての時間を訓練と仕事に費やして、疲れ果てていても見てしまう夢だ。 だから本当はいまさら、驚く必要も、声を上げる必要もないのだ。 起き上がって着替え、学校へ向かうべく部屋の扉を開ける。するとかつんと音を立てて扉がなにかにぶつかった。 しゃがみこんで、そのなにか≠拾い上げる。 それは弁当箱だった。すでに見慣れた、機能的だが愛想のない四角い金属製の弁当箱。 舞によく似合う弁当箱だった。 滝川は数秒間その弁当箱を見つめる。一瞬顔の凍りついたような無表情が崩れ瞳を潤ませた泣きそうな顔になるが、結局泣かないまま弁当箱を拾い上げる。 これも、いつものことだ。本来なら心を動かすようなことではないのかもしれない、だが―― これだけは、朝起きて弁当箱を見つける一瞬の感情だけは、なくしてしまいたくなかった。たとえ、どんなに苦しかろうと。 学校に着いても、滝川はHRにも授業にもほとんど出ない。鉄棒で懸垂をしているか、士翼号の調整をしているかだ。 ――できるだけクラスメイトたちには会いたくなかったので。 その日もグランドはずれで懸垂をしていた。いつもと変わりなく。 だが、違ったのは――九時を回った頃、本田がひどく慌てた様子でやってきたことだ。 「滝川! おい、滝川!」 仕方なく鉄棒から下りて、本田と顔を合わせる。 「なんですか」 「おめぇな、こんな日にまでサボるんじゃねぇよ! 準竜師閣下からお前に電話だ。急げ!」 「…………」 面倒だな、と思った。なんの話だろうか。勲章授与式で何度も会ったことはあるけど、準竜師が俺に直接話すことなんて―― そう考えてはっ、とした。まさか――芝村に、なにか!? 滝川は本田が大声で叫んでいるのも聞かず、全速力で走り出した。 『――朝から悪いな。いいニュースだ。昨日づけで大統領がお前に絢爛舞踏章を出す手続きに入った』 滝川の体はそれを聞いたとたん動きを止めた。 別にまた勲章が増えるだけと言えばそうなのかもしれない。だが――これ以上の上はない絢爛舞踏章というのは、自分が昔、ずっと昔憧れていたもので、手に入りっこないと理解しながらも夢想していたもので―― そして以前に、誰かに目指せと言われた目標だった。 『目標は、三百だ』 あれは、芝村の声――― (――なにかが、変わるんだろうか?) この果てがないんじゃないかと思われるほどの戦いの日々から、何か変わるものがあるんだろうか? それとも、それも全て夢にすぎないんだろうか? 『3時間以内にテレビ発表が行われるだろう。世界で5人目の受賞ということだな』 そんなことはどうでもいいことだった。これまでに何人の人間が受賞していようと、受賞したことでどんなに称えられようと。 だってどんなに称えられたって、自分が人殺しだということを、滝川はよく知っているのだから。 自分の欲しかったものは――昔から、ずっと、欲しくて欲しくてたまらなかったものは―― 人を殺して手に入るものじゃない。 なんだかよくわからないうちに車に乗せられてテレビ局に運ばれ、礼服に着替えさせられ、顔になにやら塗りたくられた。気持ち悪いと訴えようかと思ったが、誰も自分の話を聞いてくれなさそうなのでやめた。 目の前でアルガナを取った時に数倍するフラッシュがバチバチと焚かれる。あっちを向けこっちを向けと指示されて、それに従う。人形みたいだと思った。 大統領からの授与式が終わったら(大統領というのを初めて見たが、滝川には別になんということもないただの老年の男にしか見えなかった)しばらく撮影大会が続き、それが終わったら演説をしろと言われた。 渡された演説の原稿を読み上げればいいらしい。なにもかもがひどく馬鹿馬鹿しい――そう思いながらも、滝川は原稿を持ってカメラの前に立った。ひどく疲れてきて、もうほとんどなにもかもがどうでもよく感じられた。 原稿を読み上げる。 「誇り高き日本国民のみなさん、私は――」 そこで滝川は止まった。 『早く続きを!』と急かすカメラマンたちの姿にはむろん気づいていたが、それよりも滝川は演説の原稿から目が離せなかった。 無言のままにページを繰る。ほとんど同じことが書いてある。さらにページを繰る。そこにも同じことが書いてある。 繰る。繰る。繰る。どのページにも同じことが書いてあった。 すなわち、滝川が――自分がいかに人々のため誇りを持って戦っているかということと、他の国民たちにも自分と同じように戦えということが美辞麗句を連ねて美しく表現されていたのだ。 「…………じゃない」 微かな声に身を乗り出したカメラマンたちに、周りの人間に、自分に勝手なことを押し付ける奴らに向けて怒鳴った。 「冗談じゃない!」 誇り? 俺の戦いのどこに誇りがあるって言うんだ。俺はただ人を殺しているだけだ。他にどうしようもないから。他にできることがないから。 俺は見たこともない他人のために命を懸けて戦えるような、そんな上等な人間じゃない。俺はただ怖くて、嫌だっただけだ。人が死ぬのが。殺されるのが―― そんな俺に自分がやっていることを誇れって? 殺していることを誇れって? 俺を見習えってみんなに演説しろって? 冗談じゃない。死んでも嫌だ。俺は、自分が、自分のしていることが、嫌で気持ち悪くてしかたないのに―― それをみんなにやれなんて、絶対言えるわけがない。 滝川はばしっ、と原稿を床に叩きつけた。そしてどうしようもない腹立ちに堪えきれず、胸につけられた絢爛舞踏章も引きちぎって投げ捨てる。 どよめく周囲の声に耳も貸さず、滝川はおそろしく鋭い、殺気すら感じさせる声で怒鳴った。 「――こんなもんクソっ食らえだ。俺はこんなもん死んでも読まない。人殺しを褒めたいなら勝手にやってろ、でも俺はそんなもんに関わるのはごめんだ!」 言うや演壇を下りてカメラの間を通り抜けていく。あちこちから戸惑ったような静止の声がかかるが、滝川はそれを全て無視した。 と、目の前に自衛軍の軍人らしきいかにも屈強そうな男たちが数人立ち塞がった。先頭の男が低い声で言う。 「お戻りください滝川千翼長。あなたに課せられた任務を放棄するおつもりですか」 「課せられた任務だろうがなんだろうが、俺はあんなことしない。絶対に」 「これは準竜師閣下のみならず、九州総軍、いやそれどころか中央直々の命令なのですよ」 滝川はきっと男たちを睨んで、腹の底から怒鳴った。 「どんなに偉い奴からの命令だろうが、なんだろうが――戦争が、人殺しが正しいと思わせるための手伝いなんて俺は絶対にしない!」 ちっと男たちは舌打ちすると、素早く滝川を取り囲んだ。 「なんとしてでもあなたには演説をしていただく。断るというのなら、申し訳ないが少々痛い目を見ていただくことになりますぞ」 滝川はふん、と鼻で笑って、言った。 「やってみろよ」 男たちは一斉に滝川めがけ飛び掛ってきた。かわしにくいようにそれぞれのタイミングも計算している、よく訓練された動きだ。 だが、滝川はそれをどうさばけばいいかわかっていた。 正面からかかってきた男の蹴りをごくわずかな体さばきで薄皮一枚の差でかわし、みぞおちに拳を入れる。 呻き声を上げながら倒れる男の体を避けながら、後ろから羽交い絞めにしようとしてくる男の顔に肘を一発。 警棒で手を打ち据えようとしていた男には腕を蹴り上げて警棒を落とさせ、そちらの方に視線が行った隙に回りこんで延髄に手刀を入れる。 ――この間、一秒にも満たない。 周囲の唖然とした様子を無視して、滝川は歩き出そうとした。 「ま、待て!」 後ろから声がかけられて、滝川は振り返る。そこにはやはり軍人らしき男がこちらに向けて銃を構えていた。 「戻れ! 演壇に戻るんだ! さもなければ撃つ!」 滝川は肩をすくめた。 「撃てよ」 「な……?」 滝川は冷然と、ひどく冷たく言った。 「撃って、俺を殺してみろよ。殺せるもんならな」 「き、き、きさっ……!」 腕が震えてきた。あと数秒で撃つ、と見切った滝川は、素早く間合いを詰める。 パン、と乾いた音を立てて銃から弾が飛び出す。だがその時には滝川は銃の発射される角度とタイミングを読み切り、攻撃範囲から身をかわしていた。 次の瞬間滝川の渾身の拳が男の顔に入った。男は鼻血を噴き出しながら吹っ飛ぶ。 ――凍りついたような空気の中、滝川はすたすたと、堂々と、外へ出ていった。 滝川は、学校に帰ってくると、教室に顔も出さずまっすぐハンガーへと向かった。急ぎ足で士翼号の中に入り、ハッチを閉じる。 士翼号の中だけは狭くても怖くはなかった。たとえ嫌な奴でも、誰かがそばにいると感じられたから。 その中で、滝川は泣いた。 自分がまた一つ人でなくなってしまったような気がした。自分はどんどん人ではなくなっていく。人を殺すだけの存在になっていく。 その度に自分が欲しかったものから、どんどん遠ざかっていく―― それが悲しくて、たまらなく悲しくて、ひどく苦しくて、あとからあとから涙がこぼれた。 ふと、かすかに声が聞こえた。高く澄んだ、まっすぐな、鮮烈なまでの気高さを感じさせる声。 「――滝川。出てこい、滝川」 ――舞の声だ。 |