キャットテイル
 校舎裏に座りこんで、はーっと滝川は溜め息をつき、ブータを膝の上に引っ張り上げた。
「なんだかなぁ……」
 はーっ、と溜め息をついてブータをぎゅーっと抱きしめる。ブータはんなー、と嫌そうに鳴いてジタバタ暴れた。
 だがそれに構わず滝川は抱きしめたままブータの毛皮を撫でて言った。
「なあブーター……ちょっと聞いてくれよー」
 んなー。
 嫌だよ、と言われたような気がしたが気にせずに前足を引っ張る。
「んなこと言わねえでさー。……あのさ。俺、また善行司令に叱られちまったんだよなー」
 にー。にー。
 ブータは知ったことかという感じの鳴き声を上げ、滝川の腕から逃れようとのたのた足を動かすが、滝川はがっちりホールドしてそれを許さない。
「この前ほどじゃねえんだけどさ。二番機パイロットやめろって言われたわけでもねえけど。敵との間合いの取り方がなっちゃいねえって。今度の戦いでもそのままなら死にたいものとみなしますよ、って言われちゃってさー」
 うにー、うなー。
 しぶとく暴れるブータの巨体をなだめるつもりで滝川はわしゃわしゃと柔毛をかきまわしつつ続ける。
「俺だって死にてぇワケじゃ全然ねぇよ。でもさ……やっぱり、幻獣見るとさ……すっげ、怖いんだよな。動いてる時はそんなでもない感じなんだけど、じっとしてると……なんつーか……なんでなのかよくわかんないんだけど……体中がうじゃらうじゃらしちゃってさ……苦しいんだよ。今日は必死で我慢したつもりだったんだけど……なー…」
 はーっ。
 深い溜め息をつき、ブータを引き上げて視線を合わせた。
「なーブータ、どう思う? 俺ってやっぱ…パイロットに向いてないのかな? 俺も頑張ってるつもりなんだけどさ…なんか、うまくいかないんだよなー。……俺、どうすればいいんだろう?」
 …みー。
 ブータが滝川をじっと見て、一声鳴いた。
 なんとなく心の中を聞かれてるような気がして、滝川ははーっと息をついた。
「俺はさ……パイロット、やめたくないんだけどさ……」
 ぶなー。
 ブータは無表情のまま、ぶっきらぼうに鳴いた。
 答えのわかりきった質問をするな。
 そう言われた気がする。
 滝川は、はーっと息を吐いた。
「なんだよ……悪かったな。どーせ俺はバカだよ。もっと頑張れって言ってんのか? …ったくお前はいいよな。ただ日がな一日ボーっとしてりゃいいんだもん。訓練する方はなー、けっこう大変なんだぞー」
 でも、やらなくちゃいけないことをやっているっていう気がする分、ちょっと訓練を頑張る前より嬉しいかもしれない。
 訓練を頑張るようになる前は、ちょっと苦しかったから。自分でもなんでなのか、よくわかんないけど。
 ふるふると滝川は首を振って、よっ、と声を上げブータを持ち上げた。
「うーっ……お前、ほんっとーに重いなー」
 滝川はブータの後ろ足だけを地面につけて、前足を持ち上げ、ぱっと放した。
「ほれ、たすーん」
 たすーんというよりどすーんと言う音をたててブータの前足が着地した。ブータはむっつりとしたままその場を立ち去ろうとする。
「あー、待てよ! 悪かったってー」
 ブータの胴体を両手でつかみながら、滝川は自分が猫相手に憂さ晴らしをしているのがちょっと情けなくなって、はーっ、とまた溜め息をついた。
「――滝川」
「うわっ!」
 滝川は文字通り飛び上がり、その拍子にブータの体から両手を放してしまった。
「……芝村……」
 声のしたほうを向くと、そこに立っていたのは舞だった。いつものごとく傲岸不遜と言いたくなるような表情で、手を腰に当ててこちらを睥睨している。
「……どうか……したのかよ」
 そう言いながらも滝川は自分の顔が赤くなるのを感じた。どこから見られてたんだろう。どこからでもかなり恥ずかしい。校舎裏で地べたに座りこんで、猫をかまいながら独り言、しかもグチ言ってるなんていうのは他の誰かに見られたらかなり情けない姿なんじゃないだろうか。
 ああ、どうしていつもいつも、俺はこいつに情けない姿ばっかり見られちまうんだ?
 滝川はなんだか、ちょっと泣きたくなってきた。
 ふいに、芝村が厳かに、と言っていいほどゆっくりと口を開けた。
「……そなたは、猫が好きか?」
「……は?」
 滝川はあっけに取られて口を開けた。舞はいつものごとくの無表情で、だが真剣にこっちを見ている。
「いや、まあ…どっちかっつーと…うん、好きだけど……」
 そう言うと、舞はひどく嬉しげに、それこそ花がほころぶように明るく笑った。
『―――うわっ!』
 滝川は慌てた。心臓があっという間に8ビートのリズムを刻み始め、顔がかぁっと熱くなる。ただ芝村が笑っただけなのに何を慌てているのかという自分がどこかにいたが、そんな声にまともに耳を傾けている余裕などなかった。
『だって、だって―――』
 気持ちを落ち着かせようと滝川はごくんと唾を飲みこんだ。
『芝村が笑うところなんて、見たことなかったから――』
 ひどくびっくりした。なんだか自分がものすごいものを見た気がして。
『あんな顔して笑うんだ……』
 可愛いじゃん。
 その言葉が頭に浮かんだ瞬間、ぼんっと滝川の頭に血が昇った。
『な…な…何を考えてんだ俺は―――っ!』
 あの芝村相手に可愛いだなんて。あのいつも偉そうで、言うことがやたら難しくって、やることなすことあんまり優秀で嫉妬心も起きないくらいかけ離れた存在である芝村に、可愛いだなんて。
 ――でも、嫌いじゃない。
 それは確かだ。
『いやだけど、それとこれとは……』
 混乱する滝川に舞は笑ったまま嬉しげに話しかけてきた。
「私も好きだ」
「そ、そうなの?」
「一度も飼うことは許されなかったがな」
「そ、そうなのか」
「いや、飼うのはよかったが、父は、すぐ猫は殺すと言っていた」
「へ? ……なんで?」
「守りきれぬような存在を、飼うなと」
「………」
『さすが芝村の親父さん、っつーか……変だよ、その理屈……』
 滝川の内心の思いに気づかず、舞はうつむいて、頬を赤く染めて言った。
「それでも……私は好きだ。ふわふわしていて……よい」
 ――ドキン!
 心臓がさらにペースを上げた。
『なんだなんだ、なんなんだよこれは!』
 芝村は何で顔を赤くしてるんだ、俺の前で。あのいっつもにくたらしくなるくらい冷静でえらそーな芝村が。いや、そりゃあいつだっていつもいつも冷静ってワケじゃないのは知ってたし、実はけっこう熱いヤツだってのも知ってたつもりだったけどでもこれは――
『まるで女の子みたいじゃんか』
 いや、もともと芝村は疑問の余地なく女の子なんだが。
 顔を赤くして『猫が好き』なんて言う芝村は、今まで見たことがなかったのでそれでつい――
「なんだその顔は」
「へ?」
 滝川はきょとんとした。舞は顔を険しくしてこっちを見ている。
「今、似合ってないなどと思ったな!」
「え!? いや別に……その……(自分の心を探ってみて)……ちょっと……」
「……怒った!」
 ギロッと睨まれ滝川は思わず後ずさったが、そのすぐ後舞が急にうつむいたのでびっくりして逆に近寄った。
「し……芝村……?」
「ばかもの……私とて似合わぬと思っている……」
 沈んだ声。
 滝川は慌てた。
「い、いや、別に俺そんなつもりじゃ……」
「…だが、にゃーとか、尻尾を立てて歩いているのを猫に責めても仕方あるまい。お門違いの抗議もいいところだ」
「…へ?」
 なんだそりゃ。
「だいたい…かわいくするな、とか。猫に言うのは、控えめに見ても私には似合わぬ」
 プッ。
 思わず滝川は吹き出した。
 こいつって、もしかして、すんげーかっこつけで、照れ屋なんじゃねーの?
「…笑うな」
「いや、別に笑ってねーって……」
 嘘だ。自分でもはっきりわかるくらい笑っている。
「そなたのそういうところ、嫌いだ。……もういい」
 そう言って足早に立ち去ろうとする舞に、滝川は慌てて声をかけた。
「おい、待てよ!」
 なんとなくこのまま行かせるのはひどくもったいないというか、イヤな気がした。
 舞は素直に足を止めたが、うつむいてこっちを見ようとしない。
 滝川はさらに慌てた。
「えーっと……いや……あのな、その……」
 なんかないかなんかないか。あいつが面白がるような。
 滝川は焦る頭で必死に考え、はっとした。横で悠然とこちらを見ていたブータを抱き上げる。
「行く前に、こいつ抱いてけよ! 猫、好きなんだろ?」
「え……」
 舞は硬直した。
 滝川は怪訝な顔になる。
「…猫、好きなんだろ?」
「あ……う……う……」
 舞は硬直したままこちらを凝視している。
 滝川は困惑したが、ふと気づいて言ってみた。
「……お前、もしかして緊張してんの?」
「なっ…」
 舞の顔がみるみるうちに赤く染まる。それを見て滝川はなんだか悪いことをしたような気がしたりして少しどきりとしたが、ムリに知らないフリをしてぶっきらぼうにジタバタ暴れるブータを差し出す。
「おら。いいから触ってみろよ」
「う……あ……あ……」
「大丈夫だよ、噛みつきゃしねぇから。……多分」
「う……」
 滝川の言葉もほとんど耳に入らない様子で、硬直したままブータを見つめている。と、その表情が戦闘時にも見たことがないような決然としたものに変わった。
「一生に一度の決断だ。私は……私は……触る!」
 言葉とともにブオン! という音を立てて舞が手刀をブータに振り下ろす。
「フギャー!」
 当然、ブータは怒って舞の手をひっかき、滝川の腕の中から抜け出して校舎裏を飛び出して行ってしまった。
「…………」
「…………」
 滝川も舞も、しばし(滝川はあっけにとられて)何も言えなかった。やがて恐る恐る滝川が口を開く。
「あの、さ。もしかしてお前、猫触るのって、初めてだった?」
「…………」
 舞は無言のままうなずく。
「そ……っか……」
 もしかして、ずっと猫に触りたいって思いながらさっきみたいに緊張して触れられなかったんだろうか。
 そうだとしたら……それはなんだか、可哀想だ。
「ふ……これも我らの呪われた生き方だろう」
「の…呪われた、って……」
 舞はうつむいて、ぽつぽつと話す。
「……いいんだ。猫が暮しよい世界であれば、別に、触れなくても。何でも思い通りになるからといって、それをするのはいかぬ。力持つものが許されぬこともある。それは真に好きなものを好きということだ。抱きしめることだ……」
「芝村……」
 ひどく落ちこんだような表情。また滝川は慌てた。
「あ…あのさ…なんならもう一回、ブータの奴呼んでこようか?」
「……いい。私は……猫が嫌がるのは好かぬ」
 そう言われるとどうしようもない。
 滝川は自分がひどくどうしようもないような人間だという気がして、うつむきたくなった。
 舞のさっきの笑顔とか、照れた顔とかが思い出されてきた。あんな顔してたのに、今はこんな顔してる。そう思うと、なんだか胸がひどく痛い。
 俺のせいな気がする。
 なんとかしなくちゃ。なんとかしてやりたい。
 どうしよう。どうすればいいんだろう――
 グルグルする頭とムズムズする顔。訳がわからなくなるくらい考えて、考えて、考えて――
「………………猫」
 舞がうつむかせた顔を上げて、滝川を見た。
「の、ぬいぐるみ……」
「……なに?」
 滝川は言葉を搾り出すように息をつめ、舞を見ながらいう。
「が、裏マーケットに売ってんだ。今度…買ってきてやるよ。…だから…」
 頼むから、そんな顔しないでくれよ――
 その言葉は滝川の口の中で消えてしまった。
 舞は驚いたように目を見開いて、それからちょっと困ったような表情になった。
「…なぜ、お前がそんな顔をする必要がある?」
「え…」
 言われて、滝川は自分の目が潤みかかっていて泣きそうに見えるくらい歪んでいるのに気がついた。
「うわっ!」
 慌てて後ろを向いて目を擦る。ひどく恥ずかしかった。落ちこんでる奴の前で泣きそうになるなんて――何やってるんだろう何でそんなことをするんだ俺は。
 舞の戸惑ったような声がした。
「お前は本当に、よくわからない奴だな」
「……なんだよ、それ」
「強いのか弱いのかわからない。何を考えているのかわからない。一体何をなす者なのかわからない……。別に見極めようなどと思っているわけではないが、時々気になる」
「…わかんねーよ、なんだよそれ」
 ずっと後ろを向きっぱなしというのも変なので、滝川はのろのろと振り向いた。舞の表情が落ちついているのを見てホッとする。舞は肩をすくめた。
「無謀とも思える突撃をするがそれが勝つためのひとつの戦術であるようだったりする。おのれの力と技を全力で磨いているが何かを恐れているようにも見える。戦術を知るものの動きをするくせに何も考えていないという――」
「…なんだよ、それ? …ほめてんのか? けなしてんのか?」
「褒めてもけなしてもいない。事実と思えることを言っただけだ」
「…はー…」
 お前の言ってることってよくわかんねーよ、と溜め息をつく。舞はまた困惑げな表情になった。
「……その上、今度は猫のぬッ、ぬいぐるみを買ってきてくれるなどと言うし……」
 滝川はムッと口を尖らせて、また目が濡れてくる感触をごまかした。
「いらねーなら、いいよ。別に」
「いっ、いや、誰もいらないなどとは言っておらんだろうが!」
 舞は顔を赤くして怒鳴る。そして顔を赤くしたままちょっと困ったような顔になった。
「…ただ、お前がなぜそんなことをしようなどと思ったのかがよくわからんだけだ」
「…それは…」
 …だって。
 舞にあんな顔をされて、ずっとそのままにしておくなんて、なんだかすごく嫌だったから。舞の笑った顔を、もう1度見てみたかったから。――可愛かったから。
『うわ…』
 また俺、ヘンなこと考えてる。
 でもそう考えたのは本当のことだ。舞が悲しんでいると、自分も悲しかった。どうせなら笑っていてくれたほうがいいと思った。笑っていたほうが嬉しかった。
『いや、でも、それじゃまるで……』
 まるで自分が舞のことを――
 舞はじっとこちらを見ている。
 いつものにくたらしくなるぐらい冷静な顔だ。
 でもそのにくたらしくなるぐらい冷静な顔をしながら舞は一生懸命で、でもどうってことないって顔してて、たまに俺の近くにきて俺を助けてくれたりもして――
 滝川はかーっと顔が熱くなった。わけがわからなくなった。きっと舞を見て、叫んだ。
「いいか、俺は絶対ぬいぐるみ買ってきてやるからな! 覚えてろよ!」
 言うやだっとその場を走り去る。
 舞のあっけにとられた顔がまぶたに残った。
 自分が何をやってるのかよくわからない。自分の感情もわからない。
 ただ舞が泣くのはなんか嫌で。舞の笑った顔がなんだかひどく印象に残ってて。舞としょっちゅう一緒に訓練してたことが、いまさらのように思い出されてきて。体の中がよくわからない気持ちでいっぱいになる感じで――
 そんなことを混乱した頭で考えながら、滝川はひたすら走り続けた。


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