ラブ
 滝川はハンガーの外まで駆けて、はあはあと息をついた。
 この程度の距離でへこたれるほどやわな鍛え方はしていない。だが心臓が勝手に高速のビートを刻むのだ。
 だってあんなことになるなんて思ってなかったから――
 狭いところに入って、怖くって、逃げ出したくって。
 それがふいに――抱きしめられて、体を包まれて、なんだか優しく手を握るように言われて、そうしたら何だか体の力が抜けて、どうしてなのかわからないけどすごくほっとして――
 気がついたら芝村の膝の上で、ものすごく楽な気持ちで座ってた。
 滝川は「ううう……」とうなりつつ頭をかきまわしながらその場にしゃがみこむ。
 なにやってるんだろう自分は。芝村にいろんなこと言われて、やられて、ドキドキして、苦しくて、ほっとして――メチャクチャやってる。
 馬鹿みたいだと自分でも思うけど止められない。芝村にメチャクチャカッコ悪いところ見られて、メチャクチャ恥ずかしいのにどこかで気持ちが楽になってたりもする。もうなんだかわけがわからない。
 溜め息と同時に言葉がこぼれ出た。
「もう……なんなんだよ……これ……」
「それは恋だな」
「うわぁぁぁぁっ!」
 返事されて滝川は文字通り跳びあがった。声のした方を向くと、そこには瀬戸口が立っている。
「せっせっせっ、瀬戸口師匠っ…なんすかその恋って――!」
「いや別に。お前がいかにも悩んでいそうな顔で『なんなんだよこれ』とか言ってるからついこーいう時のお約束として『それは恋だな』、と……」
「………」
 なんだ、冗談か……とほっとして息をつく滝川に、瀬戸口はにやりと笑って後ろから抱きついた。
「うわ!」
「ところで滝川ク〜ン、君は何をそんなに悩んでいるのかな? この人生経験豊富なお兄さんに相談してみないかい?」
「なっ、別に悩んでなんかいませんって!」
「嘘つけよ。どう見ても『僕は思い悩んでいます、誰かに相談した〜い』って顔してたぜ?」
「どんな顔っすか、それ……」
 滝川はげっそりした顔をしたが、瀬戸口はそんなことなど気にもせず滝川の頭をうりうりして、ひょいと顔を覗きこんだ。
「まあいいから話してみろよ。場合によっては力になれるかもしれないぜ?」
「………」
 滝川はぶーたれてそっぽを向いた。
「おいおい、その反応はないだろ〜」
「だって……師匠、絶対馬鹿にしますもん」
「しないよ。絶対、しない。だから話してごらん? ん?」
 小さく微笑んで滝川の顔を見つめる。その優しげな顔になんとなく警戒を解いて、滝川はしぶしぶという顔で話し出した。
「……なんか……俺、ヘンなんすよね」
「うん」
 瀬戸口は表情を変えず、優しげにこちらを見つめている。
「俺……芝村と一緒にいると、なんか最近やけに緊張しちゃって……もうしょっちゅうとっちらかってわけわかんなくなっちゃって……」
「……うん」
「芝村が言ったこととかやったこととかになんでかすごくドキドキしちゃったりして、なのに時々すごくホッとする時もあって」
「………」
「芝村にかっこ悪いとこ見せたくないって思ってるのに見せちゃって、でもなんでかそれでほっとしたりして、あとあいつに言われたことがもうメチャクチャ嬉しかったりして、俺もあいつに負けないように、力になってやりたいとかって思ったりして――」
「……………」
 瀬戸口にはーっ、と溜め息をつかれて滝川はむっとした。
「……やっぱり馬鹿にしてるじゃないですか」
「いや、馬鹿にしてるっていうかな……」
 瀬戸口はもう一度はーっと息をついて言った。
「それ、マジで恋だろうがよ」
「へ……?」
 滝川はぽかんと口を開けて、しばらくするとかーっと顔を赤くしてわめいた。
「な、な、なに言ってンすか師匠! 俺が何で芝村に恋しなきゃ……っつーかヘンでしょ、それ! んなことあるわけないじゃないですかー!」
「いや、だってな……お前の言ってる諸症状はどう聞いても『恋』だ」
「んな……」
 滝川は熱くなる顔を両手で押さえた。
 そうなんだろうか?
 自分は芝村に……その……恋とかしてるんだろうか。
 あの傲岸不遜な少女に? そりゃ、あいつにはいつも訓練に付き合ってもらったりして感謝してるけど……側にいて、嬉しいとかおもったことってないし……
 本当になかったかな? いつかあったような気もするんだけど……
「滝川。芝村はやめとけ」
 考えこんでいるところに話しかけられて、滝川ははっと顔を上げた。
「へ?」
「だから、好きになるなら別の女にしろ」
 滝川は、なぜかむっとして問い返した。
「なんで……ですか?」
「だからな……ほら、速水が、な……」
「速水がどうかしたんですか?」
 瀬戸口はしばし滝川の顔を見つめ、自分の頭をぐしゃぐしゃとかきまわすと溜め息をついた。
「いや、いいわ。好きにしろ。お前の思う通りに、彼女にアタックすりゃあいい」
「アタック……って……」
「惚れてんだろ? ならアタックするのが礼儀だろうが。相手に対しても自分に対しても、な」
「そ……だからそんなんじゃねーって言ってるでしょーがっ!」
 滝川はそう言うと顔を赤らめ、その場を走り去った。
 またわけがわからないことが増えた。自分が恋してる? 芝村に? んなアホな。
 芝村と一緒にいると緊張する、それは確かだけど……。
 とにかく――それはまた明日、考えよう。
 滝川は走りながら、ぎゅっと拳を握りしめた。


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