ラブ・アクション
 滝川はプレハブの屋上へ続く階段を上りながら、「本当に、これでいいのか?」と自問自答を繰り返していた。
 昨日一晩、ほとんど寝ないで考えた。そして今日一日舞を観察して、結論を出した。
 だが、本当にそれは正しかったのだろうか? 実際にはまだどこかもやもやしている自分の気持ちをそんな風に早々と決着をつけてしまっていいのか? 自分の気持ちに、観察した舞の姿に、見落としはないか? 相手のことも本当にわかったとは言えないのに、どころか自分の気持ちにすらわからないところがあるのにこんなことをしてしまって本当にいいのか?
 いや、いいんだ! 滝川はその疑問を噛み潰すつもりで奥歯を噛み締めた。
 一度意識してしまったらもうダメだった。胸が苦しい″という気持ちを滝川は初めて知った。本当に息ができなくなって、胸がつまるのだ。
 苦しくて、たまらなくって、どうにかして楽になりたかった。
 早く結論を出さないと、自分の気持ちがもっとワケのわからない方に行ってしまうか苦しいまま沈殿して固まってしまいそうだった。だから、早く決着をつけちまおう、と決めたのだ――
 屋上についた。幸い辺りには誰もいない。
 真ん中辺りまで歩いてきて、ぐるりと振り向いた。
 舞はすぐ後ろにくっついてきていた。いつもの倣岸な無表情だ。その顔が夕陽に赤く染まっている。
 滝川は深呼吸して、懐に入れていたものを取り出した。まずはこれからさっさと済ましてしまわなければならない。
「これ」
 ぶっきらぼうに言って包みを差し出す。舞が少し目を見開いた。
「なんだ?」
「やるよ。いらねーんだったら別にいいけど」
「……中味はなんだ?」
「…開けてみればいいだろ」
 舞は包みを受け取ってしばし何事か考えるように立っていたが、やがて無言で包みを開き出す。すぐにその目が大きく見開かれた。
「これは……」
 猫のぬいぐるみだった。
 小さめの、だが女の子が抱きかかえるにはちょうどいい大きさの。
「言っとくけどな、約束した次の給料日にはもう買ってたんだからな。ちょっと、速水と茜に金借りちまったけど。昼食代貯めて返してるからな、ちゃんと。……けど、なんか改まって渡すのもヘンじゃねーかと思ってさ。なんか、こんなこと言うのもヘンだけど、ハズカシーような気もしたしさ。待たせて悪かったけどよ。包み開けてねーから、別……に……」
 照れにまかせてまくしたてていた滝川の言葉が、尻切れとんぼになって消えた。
 舞の顔が、夕陽よりもさらにすうっと赤くなっていったからだ。
 目が見開かれて、息がつまったように口が小さく開いて、どこかあっけにとられたような視線がこっちに飛んできて。
 見たことのある表情だった。
 あ、こいつ、照れてるんだ。
 そう思ったとたん、滝川の頭にもかあっと血が昇ってきた。
 舞は赤くなりながら、困ったような、少し怯えているような、いわゆる恥じらいの表情でこちらを見ている。
 可愛いな、とちらっと思い、慌ててそれを打消しかけ――その打消そうとする気持ちをさらに打消した。
 俺は、これから、そういうことをやりに来たんだから。
 舞が恥じらったまま、口を開いた。
「…その…まあ…あの…なんというか…とにかく、すまん。かたじけない。ありがたく思う…感謝する。本当に、なんと言っていいか、わからんが…」
「…そーいう時は普通、『ありがとう』でいいんじゃねーの?」
 ぶっきらぼうに言うと、舞はちょっと口を開いて、赤くなったままちょっと微笑むようにして言った。
「………あり……がとう。……嬉しく思う」
 滝川の心臓がどきんと痙攣した。
 慌てて視線をそらし、また自分でもひどいかなと思ってしまうくらいぶっきらぼうに言う。
「……そっか。よかった」
 ちくしょう。どうしろってんだよ。めちゃくちゃうれしーじゃねえか。
 こんなことがこんなに嬉しいなんてことがあっていいんだろうか。プレゼントしてもらうんじゃなくて、あげて喜んでもらえるのが泣きたくなるくらい嬉しいなんて。
「……話というのは、このことなのか?」
「あ、いや……」
 そうだ。話はこれで終わりじゃない。
 滝川は舞のほうを見た。舞もこちらを見ている。
 何回か深呼吸をした。吸って、吐いてを繰り返したが、胸は楽にはならない。
 空を見上げた。言っちまったら、もう後戻りはきかないぞ。覚悟はいいか?
 全然覚悟なんかできてない、でも言わないわけにはいかない。
 すうっと最後に大きく息を吸って舞を見て、一息に言った。
「俺、おまえのこと好きだ」
 舞の顔からすうっと表情が消えた。いつもの無表情なのとは違う。目の鋭い光がない。
 じゃあいつものは無表情なんじゃなくて無愛想だったんだな、と思い、俺もそんなことがわかるくらいにはこいつのこと見てたんだ、と思うと場違いにも少しおかしかった。

 数分経っても舞は呆けたような無表情のままなので、耐えられなくなって口から勝手に言葉が滑り出た。
「……好きだと思う。たぶん。いや、たぶんっつーか……こーいう言いかたって、たぶんすっげームカつく言い方だと思うんだけど、俺……マジでそんな感じで。好きなのかって聞かれるとはいとはすぐに答えらんなくて……けど、でもなんだかおまえ見てると……ドキドキ、すんだよ。わけわかんなくなっちまうくらい体中が心臓になっちまって…今日見てたら、ホントにそんな感じで…笑った顔思い出したら、その…なんつーか…か、可愛いって思ったり、してさ…いつものブアイソ、つーか、いや、その、どうってことねーって顔もなんかいいかも、とか思ったりしちまうんだ、よな。いや、顔だけがいいっていうんじゃなくて、性格とかも、さ。どこがいいって聞かれるとわかんねーけど、なんかすげー真剣ですげえなとか思ったりしたし。だから、なんつーか、その……さ……」
 ああもう自分はこの世で最低の大バカだ。こんなことするんじゃなかった。頭の中は後悔の嵐だ。
 途中から滝川は舞から目を背けていたが、もうどうしようもなくいたたまれなくなってしゃがみこんで頭を抱え込んでしまった。半ばヤケになって最後の一言を付け加える。
「…よくわかんねーけど、俺はおまえのこと好きな感じなの。そんだけ」
 舞は、それでもしばし無言だったが、数分経つと落ちついた声で返事をしてきた。
「…たわけ。好きな感じだと? もう少し台詞を選ぶがいい」
 それからまた少し間をおいて、声。
「…私も、たわけかもしれんな」
 くすり、と小さく笑う声。
「私の感情は、おまえよりもっと不明確だ。私はおまえに対しどのような感情を抱いているか、自分でもわからない。嫌悪や憎悪ではないのは確かだが、好意や…その、愛情かどうかはわからない。いや、好意のようなものを抱いたことは、あるのだが」
 いったん言葉を切って息をついた。
「私はお前がわからない。どのような人間か判断がつかない。だが…お前がどのような存在か、気になるのは確かだ。お前に対する感情はなんなのか確かめたいとも思う。お前をもっとよく知りたい、確かめたいと思う……」
 ここでまた一拍間をおいて、続けた。
「それでもいいか?」
 滝川は「へ?」などと言いつつ舞を見上げた。舞は真っ赤な顔で、だがひどく真剣な顔でこっちを睨むように見ている。
「い……いいか、って?」
「……そのような私でもいいのか、と聞いているのだ」
 ほとんど真っ白になっている頭の中に、舞の言葉が染み透っていく。
「…それって、その……つきあってもいい、とか…そーいうこと?」
「…何度も同じ事を聞くな! 私の質問に答えろ!」
 その時の滝川の顔は、我ながら凄まじい間抜け面だったと思う。
「……嘘だろ?」
「こんなことに嘘をついてどうする! いいから質問に答えんか!」
 ――ボンッ。
 そんな音が聞こえたような気がした。
 体中の血液が頭に集まっていくようだった。
 がばっと立ち上がって、立っていられなくなって再びしゃがみこんでしまう。
「うわ……マジかよ―――!?」
 頭を抱え込んで、大声で叫んでしまった。頭も体もわやくちゃで、ひどく頬が熱かった。
「だって、俺、だって……オッケーだなんて全然考えてなかったんだぜー!? ンなことぜってーありえねえっつーか、考えてもいなかったっつーか……うわ、マジで? うわ、俺、いいのか、マジでいいのかよー!? うわー! どうしろってんだよー?」
 頭をがしがしかきまわして、わやくちゃのままがばあっと舞を振り仰いだ。
 舞は、はじめて見る、ちょっと気弱げな……言ってみれば不安そうな眼差しでこちらを見ている。
「芝村……?」
「…私の質問に答えろ」
 そう言われてはじめて自分が舞の質問に答えていなかったことに思い至った。
 熱い頭を、ぺこりと下げる。
「……よろしく、お願いします」
 言われて、舞も顔を赤くしたままぺこっとお辞儀をした。
「……よろしく頼む」
 そう言ってすっと手を差し出す。
 その手を握り返して、その時はじめて照れとよくわからない嬉しさのせいでお互いちょっと笑った。


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