「あら」 整備班長の原が少し驚いたような声を出した。 「ちょっと森さん、見てみなさいよ。芝村のお姫様がすごい勢いで歩いてくわよ」 「え?」 足回りを一心不乱に整備していた森は、はっと頭を上げ原の指差す方に目を向ける。原の言った通り、ハンガー外を舞が凄まじい勢いで歩き過ぎていく。 踏み鳴らす足音が聞こえるような気がして、思わず森は身をすくませた。 「あらあら、すごい勢いね。あれは司令室の方角よね。昨日の戦闘のことで文句でもつけに行くのかしら」 原がわざわざ班長席から立ち上がって舞の姿を目で追いながら嬉しそうに言う。森は内心またこの人の悪癖が出たか、と思いながら溜め息をついていた。 「……正直、私、速水君があんな子供っぽいことをするなんて思ってませんでした」 いや、子供っぽいとかそういうレベルではないと思う。 仮にも善行を押し退けて司令になった人間が、部隊運営に私情を持ちこむなんて絶対にあってはならないことのはずだ。 森は戦闘後のミーティングで、絶対に速水は槍玉に挙げられてリコールされるに違いないと思っていた。 だが結果的には全くのお咎めなし。 三番機整備士代表でミーティングに出たヨーコから聞いたところによると、会議に出席した全員から(控えめに)抗議を受けたのだが、速水はあれはハッパをかけたにすぎないと受け流してしまったのだそうだ。それに納得できずに頑張った者達には、『実際に結果を残しているだろう? それなのに何か文句があるのか?』という言葉で反論を封じてしまったらしい。 確かに結果だけ見れば、申し分のない大勝だ。 それに、滝川の後について幻獣を攻撃した壬生屋と善行を静止しなかったのも確かではある。 ――でも、だからって。 森は苛立たしげにレンチをひねった。 戦場であんなことを言い出すのが許されていいはずないと思う。 滝川はどんな気持ちで速水のその言い草を聞いたのだろう。舞が慰めてやったのだろうか? ――まあ、別に、どうでもいいけど。 森はムスッとした顔になって、骨と骨を繋ぐボルトを強く締めつける。 舞を見送った原が、班長席に戻りながら言った。 「まあ無理ないって言えば無理ないわよね。速水君……じゃない、速水司令は芝村のお姫様に最初からご執心だったみたいだし。それを横からあっさり滝川君なんぞにかっさらわれちゃあ腹も立つわよねェ」 「……そうなんですか?」 初耳だ。もっとも、森は滝川と舞が付き合い出したことも昨日まで知らなかったぐらいだから当然と言えば当然だろうが。 「そうそう、さっさと手出しちゃえばよかったのに速水君もバカよね。結局まだお子様なのよ。あんなウブい子、ほとんど早いもの勝ちだってことぐらいわかりそうなもんなのにね」 あんなウブい子″というのが舞のことだと気づいた森は、わずかに原の言ったことにムッとした。 どの部分にムッとしたのかは、よくわからなかったが。 「これから先って、はっきり言って泥沼よね……芝村さんの現恋人は滝川君、けど速水君は権力を握ってる。やろうと思えば謀殺だっていくらでもできるしね。でもこの手の話は必ずしも勝負に勝ったほうが勝者ってわけでもないし…まあ見てる分にはどっちでも面白いからいいけど。芝村のお姫さまも二人の男に挟まれて少しは世間ってものを知るでしょうし」 原は笑って肩をすくめた。 「森さん、どう? どっちが勝つか賭けない? あたしは速水君だと思うんだけど、滝川君ってヘタレだし」 森は手を動かしながら、顔をしかめて言った。 「先輩、不謹慎ですよ」 「だって、こんな他人の泥沼を間近で観戦できるなんてめったにないじゃない? ま、男の片っぽがちょっとばかり役者が足りてないけど」 それが滝川のことだと気づき、森は思わず立ち上がって言った。 「私は、滝川君がそんなに速水君に負けてるとは思いません」 「へえ?」 「滝川君も、二番機に乗ってた時から一度も故障起こしたことないんですよ。それだけの操縦ができるパイロットなんだと思います」 「ふうん……」 言うと、原はにんまりと笑った。 「そういうことならあたしはますます速水君を応援しないとねー」 「……なんでそうなるんですか?」 「可愛い後輩はやっぱり幸せになってほしいじゃない?」 「はあ……」 釈然としない顔でいったんうなずいた森は、一瞬の後顔を真っ赤にして怒鳴った。 「先輩! ヘンなこと考えてるんじゃないでしょうね!? 私はただ思ったことを言っただけで……」 「わかってるわよ、言われなくてもv」 原はくすくす笑って、仕事を再開した。 「あ、芝村の姫さんだ」 善行とプレハブ校舎前で立ち話をしていた瀬戸口は、ハンガーの方から歩いてくる舞を見つけ声を上げた。 遠目でよくわからないが、ずかずかと力を込めて足を踏みしめながら決死の早さで司令室に向かい歩いている。 そのきゅっと唇を引き結んだ表情が見えたような気がして、瀬戸口は肩をすくめた。 「すごい勢いだな。ま、無理もないか。仮にも恋人を謀殺されそうになったんだからな」 「謀殺、ですか」 善行が眼鏡を押し上げる。瀬戸口はまた肩をすくめた。 「そうとしか言えないだろう? 滝川のウォードレスが廃棄してあったのだってあいつの差し金かもしれないぜ? 勘繰れば、司令になったのだって滝川を謀殺するためかもって見えちまう」 瀬戸口は善行をすくいあげるように見る。 「マジな話、どうして司令の座をあいつに譲った」 善行ははあっ、と溜め息をついた。 「…自分から譲ったのでは、ないんですよ」 「ほう?」 「ある朝準竜師に呼び出されて、本日付けで司令を速水に異動する″といきなり言われたんです。いやもおうもありませんでしたよ。正直余りに突然だ、と思いましたが小隊内の人事異動権は準竜師にあるわけですからね。とりあえず様子を見ることにしたんです」 「…それで?」 善行は目を閉じ、半ばひとりごちるようにして言う。 「速水君が司令になったら急に物資の出し渋りがなくなったと加藤さんが言っていました。気づいていますか? ハンガーに格納されているスカウト用ウォードレスの数に。その他の物資も毎朝必要以上の数が届けられています。彼は――速水君は軍の上層部か、政界に強力なパイプラインがあります。おそらく、その関係で準竜師にも目をかけられているのでしょう。司令の仕事に関してもこれ以上ないくらい優秀でした。彼が司令でいけないわけはどこにも見出せなかった……」 「だが昨日の戦闘で問題が発覚したわけだ。小隊を導くべき司令がパイロットに殺意を抱いて率先して足を引っ張ってるなんて、冗談じゃないぜ」 瀬戸口は善行を見た。 「あんたが司令に復帰する気はないのか」 善行は目を開けて前を見たまま答えた。 「あったとしても無駄でしょうね、彼に司令職を動く気がなければ。陳情するだけ……」 「人事を司るのは準竜師、か」 「そういうことです」 はあ、と瀬戸口は息を吐き、司令室の方を向いて言った。 「……あいつ、何を考えてるんだと思う?」 「わかりません。ですが……」 善行も司令室の方を見た。 「このやり方は今まで見てきた彼らしくない。彼は今まで自分の弱点をまったく見せず作らずにきました。なのに今、こんなあからさまな形で小隊の人間を蹴落とそうとしている」 善行は眼鏡のつるに指をかけたが、押し上げはせず、変わりに強く眼鏡を自分の顔に押しつけた。 「私には、彼が焦っているというか……ムキになっているように見えます。頭に血が昇って錯乱していると言ってもいいかもしれませんが」 「錯乱、ね……」 瀬戸口は頭をぽりぽりかきながらしゃがみこむ。 「あいつはもう少し普通の恋愛すると思ってたんだがな。恋人は芝村のお姫さん、恋敵は謎の発言力過剰男か……」 「…考えてみれば、彼も芝村に連なる者なんですよね。とても、そうは見えませんが」 「つーか、本人に全然その自覚ないぞ。WCOP貰った時、真顔で俺に『芝村って、お嬢様なのかな?』って聞いてきたからな」 「……なんですかそれは」 善行が呆れ顔になって瀬戸口を見下ろす。瀬戸口は半ば笑いながら説明した。 「だからさ。あいつ、芝村がどーいう一族なのか全然知らなかったらしいんだな。そんでいきなり準竜師が出て来て『陽平、今日から芝村を名乗るがいい』だろ? 芝村がとんでもない名家で、付き合っただけで結婚が確定するような家柄なのかって思ったみたいで。顔真っ赤にしながら、『俺、けっ、けっけっ、結婚なんて考えたことなかったけど、芝村がそのつもりなんだったら、がんばって責任取る』とか言っちゃってな。まー可愛らしいというかなんというか」 善行は思わず目頭を抑えた。 「全くの間違いだとは言いませんが……そういうレベルの話ではないんですがね。芝村が何かも知らずに芝村と付き合うとは……なんというか、牧歌的というか……」 「健気なんだがその方向性がイマイチ間違ってるっつーかな」 瀬戸口と善行は顔を見合わせて苦笑を交わした。 司令室に舞がかけこんでくるのを見て、加藤は思わずびくりと身を震わせてしまった。 それほど舞の表情は気合いと気迫に満ちており、オーラが体から立ち上らんばかりだったのだ。 舞はつかつかと司令の机の前までやってきて、きっと速水を睨んで言った。 「速水司令。訊ねたいことがある」 「なにかな?」 速水はいつもの優しげな微笑みを浮かべて問い返す。だが加藤はその微笑みを見て、体が勝手に震えるのを感じた。 舞は物怖じした様子もなく速水を睨みながら言葉を続ける。 「滝川にあのような訓練を命じたのはそなただと聞いたのだがまことか」 速水はあっさりうなずいた。 「うん、そうだよ」 「なぜだ」 「必要だと思ったから」 「私は必要とは思わん」 速水を睨みつけたまま、舞は言いつのる。 「滝川はこれまでに自力で極めて効率のよい訓練を行ってきた。だのになぜ体中に数百kg錘を付けて走らせるような非効率的な訓練をする必要があるのだ?」 数百kg!? 加藤は思わず絶句した。 「しかも、走る速度が一定以下になったら電流が流れる首輪を滝川につけたのもそなただそうだな?」 いや、それもう拷問やん。 加藤が思わずこっそりツッコミを入れたが、速水は当然それに気づくこともなく答える。 「そうだよ」 「それでは単に体をいじめているだけではないか。訓練とは呼べん」 そう言うと舞は速水を裂帛の気合いを込めて睨みつける。 だが、速水は舞の視線も柳に風と受け流し、にっこり微笑んだ。 「それで君は僕に抗議しに来たわけだ?」 「そなたの真意を質しに来たのだ」 速水がくすっと笑って、舞に手を伸ばした。 「いやだな。僕の真意なんてもうとっくにわかってるくせに」 速水が舞の手をつかんだ。驚いて一瞬硬直する舞に、囁くように速水は続ける。 「愛してるよ、舞」 「!?」 舞は一瞬固まって、かーっと赤くなった。赤いうなじが加藤の席からもしっかり見える。 「舞、愛してる。僕は世界で一番君のことが好きだ。君の髪も目も口も鼻も肌も心も魂も――全てが僕を引きつける。この世で唯一見つけた僕の至高の宝石。別れてはいられない比翼の片羽。自信を持って言えるよ、この世界の誰よりも強く、僕は君のことを愛してるって」 立ち上がって、真っ赤になって硬直している舞の耳元に囁きながら速水は舞の髪をいじる。 加藤は内心うわぁぁぁと絶叫していた。 濡れ場やー、しかも浮気の。なんでウチがいる時にこんなことになるん? 頼むからもうちょっと気ィ使ってほしいわー。 加藤の内心の声には当然かまわず、速水の行為はエスカレートしていく。 「こんなに真っ赤になって……可愛いよ、舞」 言いながら舞のおとがいに指を這わせ、自分の方に持ち上げて――速水は身をかがめた。 すわ、キスか!? と加藤が思わず身を乗り出した瞬間、ドンッ、と舞は速水を突き飛ばした。 荒い息をつきながら速水を睨みつける。 「自ら前に進もうとしない人間に、私に触れる資格はないぞ!」 言うや、バッと向き直り猛然と舞はその場を立ち去った。 残された二人の間には、ただシーンと沈黙が下りる。 加藤はなんとかそ知らぬ顔を作って仕事をやるふりをしながら、内心そりゃそうだろなーと思っていた。 いくら好きって言われたってその相手に現在の恋人を謀殺されようとしていたら、ふざけんなと言いたくなるだろう。 「く……」 速水が苦しげな声を上げたので、加藤はこっそり様子をうかがった。 速水はうつむいている。さすがに落ちこんでいるのか、と思ったがそうではなかった。 「く……くくくく……くくくくくく……」 この人、笑ってる…… 加藤がそう認識した瞬間、速水は大きく頭を振り仰いで哄笑した。 「くっ、あはは、あはははははは! あは、あは、あははははははは! あーっはははははははははは!」 ううう……怖い〜、この人怖い〜、なっちゃん助けて〜! 加藤は内心で絶叫した。 |