原はくふんと鼻を鳴らして、座っている舞にしなだれかかるようにして訊ねた。 「それで? どうなったの?」 「その首輪の制御システムにハッキングしてロックを解除した」 舞はパソコンと多目的結晶体を繋いで凄まじい早さで操りながら答える。 「ふうん……」 すうと原が舞から離れ、脇から顔を覗きこむ。舞はうっとうしげに眉根を寄せた。 「で? その爆弾とやらはどのくらいのものだったの? ほんとに致死量だったわけ?」 「いや。爆薬自体はそう多くない。爆竹や花火と大差ないレベルだ。……しかし、爆薬に遅効性の神経毒薬が混ぜてあった」 「あらま」 「納得したなら離れろ。私は今忙しい。これ以上そなたの相手をしている暇はない」 「あら、つれないのね」 舞はその言葉を無視し、パソコンを操作し続けた。パソコンのディスプレイの表示が視認するのも難しいほどの早さで切り替わっている。 原は薄く笑って、舞の座っている椅子に手をかけて舞の方に身を乗り出した。 「熱心ねえ。そのプログラムも速水くんに対抗するために軍での発言力を増すためのものなんでしょう?」 「………」 「でも、ねえ。あなたは本当に滝川くんのこと好きなのかしら?」 「なに」 楽しげに笑んだ原の言葉に、ディスプレイの変化が止まった。 「どういう意味だ」 「そのままの意味よ。あなたは本当は滝川くんのことなんか全然好きじゃないんじゃないかって言ってるの」 舞は多目的結晶体を接続したまま原の方を振り向いた。睨みつけるような強い視線を原は余裕の笑みでかわす。 「あなた、滝川くんにどきどきしたことある?」 「ど、ドキドキ?」 舞は困惑した顔を見せた。原の笑みが深くなる。 「そう。心臓がバクバク言ったり、顔が熱くなったり、頭に血が昇ってわけがわからなくなったりってしたことある?」 「それは――ある。あるぞ、うむ」 舞はやや顔を赤くして目をそらしながら言う。だが原は口調をゆるめない。 「本当に? 手が触れただけで、嬉しくって舞い上がっちゃうような気持ちってわかる?」 「それは――」 「わからないでしょう?」 容赦なく決めつける原。舞は途方にくれたような顔になった。 「私の見たところ、あなたが滝川くんにドキドキしたりしてるのは若いコ特有の恋に恋する状態の現れでしかないわ。滝川くんが好きなわけじゃ全然ないの。滝川くんの方が盛り上がっているから、それにつられているだけよ」 「……そうなのか。いやしかし……」 「絶対そうよ。あなたはむしろ速水君にドキドキしてたみたいじゃない? それって恋愛感情なんじゃないの?」 「…………」 「いい機会だから少し考え直してみたら? 本当に滝川くんが好きなのか。もしかしたら自分でも思いもかけなかった人が好きだったことに気づくかもしれないわよ?」 ポン、と背中を叩くと、舞は茫然としたように接続を切ってよろよろと整備員詰め所を出て行った。原にまくしたてられてすっかり惑乱してしまったようだ。 これでよし、と原は舌なめずりをするように唇を舐めた。 「これで速水君によろめいたりしたらますます泥沼状態になるわね。森さんにもちょっとはチャンスが出てきたってことになるかな?」 一人ごちて小さく肩をすくめる。 「まあ逆に滝川くんに接近しちゃう可能性もあるけど……それはそれでいいわよね、面白いし」 さあこれからどう転ぶかな、と原は野次馬根性丸出して呟いた。 「ドキドキ……舞い上がる……恋に恋する……好き……」 舞はブツブツ呟きながらふらふらと校舎はずれを歩いていた。 舞は原に言われたことを、全思考力をもって考えていた。自分は本当に滝川のことを好きではないのだろうか。滝川に好きだといわれて盛り上がっているだけなのだろうか。 「いや待て。それは問題の立て方からして間違っているぞ」 舞は口に出してそう呟いた。盛り上がるも何も、自分は滝川に告白された時滝川に対する感情は『よくわからない』と言ったではないか。それは今も変わっていない。 つまり滝川に対する感情は不確定であるから、原の指摘は不適当ということに…… しかし、それでは原の言っていた滝川のことを好きではない″という指摘は一面正しいことになりはしないか。 舞は考え込んだ。言われた通り、滝川に対して手が触れただけで嬉しくて舞い上がっちゃう″ような気持ちになったことはなかった気がする。舞の滝川に対する感情に確定性がないという事実は、自分が滝川のことを好きではないという裏付けになりはしないか? いや、待て。原の言っていたことが事実だと誰にわかるのだ。自分には当てはまらないことかもしれないではないか。 だがそういった一般的な経験則を無視してしまうのはあまりに早計ではないか? いやいやしかしそれにとらわれるあまり自分の感情に対する確信性を失ってしまうのも…… 「ええい、うっとうしい! なにゆえ私がこんなことで悩まねばならんのだ!」 思わず大声で怒鳴ってしまう。 だがその理由も既にわかっている。自分が恋愛という未知の事象に対して、まだ向き合う立場を決めかねているせいなのだ。自分とは無縁の話だと、ずっと考えずにきたせいで。 はあ、とため息をつく。いったい全体なんでこんな難事を抱え込んでしまったのだろう。自分はただ目的に向って邁進していただけのはずだったのに―― 「よ、芝村」 声をかけられ、舞はびくりと跳び上がった。 滝川だ。 「何してんだよ、こんなとこで。珍しいな、お前がここらへんでうろうろしてんのって」 嬉しそうに笑いながら、こちらに向かい歩いてくる。 舞は困った顔になった。正直今の状態で滝川と顔を合わせたくはなかった。まだ滝川に対する感情を決めかね精神が定まっていない。 だが滝川は舞がそんな顔をしていることにも気づかず嬉しげに笑いかけてくる。 舞は奥歯を噛み締めて気合いを入れた。こんな些末事で心を乱されてどうする。自分はとうにただの人間であることをやめたはずだ。 「芝村、今ヒマか? だったらさ……一緒に訓練しねえ?」 舞は滝川を見た。ちょっと照れたように少し視線をそらし、頬をぽりぽり人差し指でかいている。 覇気というものがあまり感じられない面構えだ。ただの人間″といささかも違ったところがあるようには思えない。 だが自分はこいつがどれだけ努力しているか知っている。ただの弱い一人の人間から、戦う者へと自らの意思で生まれ変わろうとしたのだ。本人に自覚があるかどうかはともかくとして。 自分は滝川のそういうところは気に入っている。 「わかった。まかせるがいい」 舞はうなずいて、グランドはずれへと歩き出した。滝川はまた速水に錘をつけられている。あんまり早く移動してはついてくるのに苦労するだろう。 滝川は舞の後ろについて歩いてくる。 と、舞が地面のでっぱりに足を取られた。 「わっ!」 「お、おいっ!」 どさっ、と音を立てて舞が倒れる。 が、その下には滝川が先に滑り込んでいた。倒れる舞を支えようとして間に合わず、とっさにクッションになったのだ。 「……大丈夫か?」 舞の下から半ばうめくような声で滝川が訊ねる。 「……大事ない。それよりおまえの方はどうなのだ」 「俺はへーきだよ。男だぜ?」 「立てるのか?」 「へ? ……あ、やべえ、立てねえ!」 慌てて体をばたつかせる滝川の上から降り、手を貸して立たせる。 「はー、サンキュ。一瞬焦っちまったぜ」 「たわけ。転んだところで別に怪我をするわけでもないのだ。お前は転んだら起き上がるのに苦労するのだから、放置するのが最良の策だぞ」 「え……そ、そりゃそーかもしんないけどさ……でも俺はやだったんだからしょーがねーじゃん! 俺はお前がこけそうになってるのにほっとくなんてやだったし……つーか、考えるより先に体が動いてたの! 悪かったな、うまく助けられなくてお前にまためーわくかけちまって!」 「……お前という奴は、まったく……」 舞は肩をすくめて小さく笑った。確かに愚かではあるが、自分はこいつのこういうところが好きだ。 ……好き? 舞ははっとした。好き? 好きって、滝川をか? 私が滝川を、好きだって? ――今、確かに自分は滝川のことを好きだと思っていた。 「? ……どうしたんだよ」 滝川が舞に向けて手を伸ばした。 「大丈夫か?」 肩をつかんで、目をのぞきこむ。 ……ドーン! と何かが爆発したような気がした。 「う、うわっ!」 「わっ! なんだよ、どうしたんだよ芝村!」 舞は思わず滝川の手を振り払った。 滝川の手が触れたところが熱い。そこから体中が加熱されているようだ。 まるで熱に浮かされたように頭が熱くなっていた。脳裏を何度も滝川の顔が去来している。 紫水晶の瞳、バンソウコウを貼った鼻、よく笑う口、頬の傷、そういうものが何度も何度も―― なんなのだ。なんなのだこれは? 滝川のことが頭から離れない。滝川の顔が去来するたびに心臓が跳ね上がる。 一体これは―― 「おい、芝村、本当に大丈夫か? なんか顔真っ赤だぞ?」 滝川がまた自分の顔を覗きこんできた。 その心配そうな紫の瞳――! 「す、すまん!」 「芝村!?」 舞は滝川の体を押しやって、駆け出してしまった。 あの一瞬。滝川と目が合った一瞬。 体の中心で、ぞくりとひどく甘やかなうずきが生まれた――なんて、信じられない。わけがわからない。 ただひどくはっきりしているのは、このたまらないほどの胸の鼓動。あの一瞬の泣き出してしまいそうなほどの心地良い高まり。 何が起きても忘れられそうにない、体中に走ったあの快感―― 自分はおかしくなってしまったのだろうか? 混乱する頭を必死に振って、舞は全力で駆けていった。 |