「僕は滝川が嫌いだ」 そうきっぱりと狩谷に言われ、加藤は戸惑った顔になった。 「そ……そうなん?」 「そうだ。だから滝川の話をするのは遠慮してもらいたいな。聞いてるだけで、イライラしてくる」 端末を操作しながら、切って捨てるような口調で狩谷は言い捨てる。 「あいつは頭が悪い。周りの雰囲気がどんなものかも気付かないで脳天気な顔をさらしてる。三番機に乗ったら急に戦績が華々しくなって黄金剣を受賞したりしてるが、あれは僕にはお調子ものが調子に乗って調子のいいことをしてるとしか思えないな。いつボロが出るか知れたものじゃない」 狩谷の言葉にはどんどんと悪意がこもってきていた。顔もひどく嫌そうにしかめられ、嫌悪の情もあらわに滝川の悪口を言いたてる。 「馬鹿だし間抜けだしお調子者だし。士魂号の調整はほとんど芝村に任せきりだし。速水が滝川を攻撃するのも僕にしてみれば当然だな。一回くらい死ぬ思いをしたほうがあいつの為だよ。まあ馬鹿は死んでも治らないって言うけどね。いや、死んでしまえばあの脳天気な顔を見なくてすむから害はなくなるか」 ククク、と陰気に笑う狩谷に、加藤は悲しげな視線を向けた。 「なっちゃん……」 「話がすんだらさっさとどこかへ消えてくれ。僕は集中している時に邪魔をされるのは好きではないんだ」 「………」 加藤は悄然としおたれて、整備員詰め所を出ていった。 フン、と狩谷は鼻を鳴らすと、プログラム作成に戻った。 だが多目的結晶体を操作しながらも、脳裏には先刻の加藤の言葉がまだ響いている。 加藤はいつもと同じ、なんでもないただの世間話のつもりであんな話をしたのだろう。だがそれこそが狩谷にとっては耐えがたいことだった。 『あんなあ、滝川くんって司令の嫌がらせにもめげず頑張って訓練してるやろ? 最近女子の間でけっこう人気高なってるんやで』 ――そんなこと知ったことか。 滝川の人気が高くなろうがどうしようが、僕は滝川が大嫌いだ。あの脳天気な顔を見てると癪に障って仕方ない。 人気が高くなってるだって? 滝川の本性を知らないからそんなことが言えるんだ。本当の滝川は人に褒められるような奴じゃない。 怠け者で臆病で、口ばかり一丁前な甘ちゃんだ。今戦場で活躍してるのは無理をしてるだけだ。すぐメッキがはがれて大惨事になるに決まってる。 速水――そう、彼のやっていることは悪くない。芝村を取られたことに対する嫉妬なんて動機は子供っぽいことはなはだしいが、あんな調子に乗った馬鹿者には相応の罰を与えてしかるべきだ。もっともっと滝川を苦しめればいい。 ――いっそなんにもできないように手足をもいでしまえばいいんだ。自分と同じように。 ブ―――ッ。 端末から響いた耳障りな音にびくりと顔を上げる。端末の画面にはプログラム作成に失敗したことがはっきり表示されていた。 チッ、と舌打ちして接続を切る。イライラが心の中でどんどんと膨れ上がっていくのがわかった。 だが物に八つ当たりしようとしても自分は足元にある物を蹴り飛ばすこともできない。苦しい思いをしながら身をかがめて拾い、投げ飛ばすくらいしかできない。 「くそっ」 狩谷は苛立ちにまかせて机を叩いた。しかし当然それでイライラが治まるわけもない。むしろ油を注いだように燃え上がってきた。 ぐっと奥歯を噛み締める。誰かにぶつけたい。このイライラを誰かにぶちまけて、イライラした気分にさせてやりたい。 がた、と入り口の方から音がしたので、苛ついた目でそちらを向く。 そこにいたのは、滝川だった。 「狩谷……?」 滝川はやや訝しげな声を上げると、狩谷の方に向かいのろのろと歩いてきた。腹の部分を両手で押さえやや身をかがめた妙な格好だ。 「君がこんな所に来るなんて珍しいね。普段は訓練ばかり馬鹿みたいにやってるくせに。まあ他にやることがないからしょうがないんだろうけどね」 「狩谷……石津は……?」 かなりストレートに言った嫌味を無視され、狩谷の眉間に皺が寄った。苛立ちに満ちた口調で答える。 「さあね、僕は知らないよ。僕がここに来た時にはもういなかったな。――なんだい、人の呪い方でも教わるつもりだったのかい?」 「そう……か……」 滝川はヘタヘタとその場に座り込んだ。狩谷の言葉がほとんど耳に入っていないような素振りに、狩谷はぎりっと歯を噛み鳴らす。 「どうしよう……おれ……」 「……滝川?」 滝川はそのまま前に倒れ込んだ。狩谷の呼びかけに返事もしない。 狩谷は怒りで顔を紅く染め、いっそ車椅子で轢いてやろうかと近付いた。 ――滝川の背中は、真っ赤だった。 制服の背中が真ん中辺りから鮮やかな真紅に染まっている。どこか金臭い、錆びた鉄のような匂いがぷうんと漂ってきた。 ―――血だ。 「―――!」 狩谷は一瞬パニックに陥った。 滝川が、なんで? 戦場ならともかく、なんで学校で血を流して倒れてるんだ? 一体誰が? 黄金剣のエースを狙った幻獣派テロか? 滝川が何かヘマをしたための軍内部の粛清か? それとも――速水か? そう思うと胃の腑がかあっと焼けついた。 許せない。 自分は確かに滝川が苦しめばいいと思ったし、少しくらい死ぬような目にあっても当然だと思った。 だが、これは違う。これは反則だ。 こんなふうに倒れる滝川を、僕は見たかったんじゃない。 滝川の背中は頭の中まで染まりそうなくらい紅い。とにかく傷口を見なくちゃ、と狩谷は身をかがめて滝川の体をひっくり返した。 腹も真っ赤だ。腹に置かれた手の隙間から見える制服は真紅に染まっている。 思わず頭がクラクラするのを抑えて、必死に応急処置の方法を思い出そうとする。 ええと、まず意識の確認と気道の確保。違うそれは人工呼吸の時だ。いや、怪我をした時も意識を失った時は気道の確保をしたほうがいいんだっけ? 滝川の意識はかなり混濁しているように見えた。目をほとんど閉じて、浅い呼吸を繰り返している。 どうすればいいんだ。まず止血をしなきゃ。どうやって? 傷をちゃんと見て、それから布で強く締め付けるんだったような……それは手足の怪我だろう、胴体の場合はどうするんだった? 気ばかり急いてどうするべきかという結論は全くでてこない。ただ迷っている間にも滝川の体からどんどん血が抜けていくということは分かっている。 狩谷は半ば泣きそうになって頭を抱えた。なんでこんな時に誰もいないんだ。こんな時こそおせっかいな誰かがいてくれるべきなのに。 誰か―― そうだ、救急車! やっとのことでそれに気付き、慌てて多目的結晶体に手を伸ばす。 と、詰め所入り口の桟がかたりと音を立てた。 石津が帰ってきていたのだ。 「石津……!」 やっと来たか、と安堵と苛立ちの入り混じった息を吐く。 石津は狩谷を見てちょっと後ずさったが、滝川が目に入ると一瞬目を見開いてすぐに駆け寄ってきた。 「……怪我をしたみたいなんだ。多分誰かにやられたんだと思う。詰め所にはいって来てすぐに倒れた」 石津は救急箱を持ってくると、手早く処置をはじめた。 脈を確認し、瞳孔反応を診て、服を脱がせて傷を確認する。 手を動かしながら狩谷に言う。 「……急いで……救急車……呼んで。かなり……血が……出ている、輸血……必要」 「わかった」 急いで多目的結晶体に触れる。やいなや滝川が叫んだ。 「救急車はダメだ!」 「………! 滝川、意識があったのか?」 慌てて滝川の顔を覗き込む。相変わらず呼吸は浅いし眼はほとんど閉じられているが、滝川は強い声で呟くように言う。 「救急車はやめてくれ……騒ぎになるから……余計な心配……かけたくないし……」 狩谷はカッとなった。衝動のまま叫ぶ。 「馬鹿か君は! そんなことを言っている場合じゃないだろう、君の命がかかってるんだぞ!」 言ってみると本当にこれは大変なことなのだという気がして背筋がぞくりと冷えた。 だが滝川は意固地に首を振る。 「頼むよ……俺、大丈夫だから……大事にしたくないんだ、ほんと、たいしたことないから……」 「たいしたことないって……」 狩谷は絶句した。そして思いついた。 滝川は速水を庇ってるんじゃないか? 騒ぎになると速水が責任を追及されるから、だからこんなことを言ってるんじゃないか? ――なんて馬鹿だ、こいつは。 どうしようもなく腹立たしく、同時にひどく悔しかった。 石津はきゅっと唇を噛むと、スッと滝川の腹に手を当てた。 するとふわっと石津と手を当てた患部の回りに青い光が浮かび始める。 驚く狩谷にかまわず、石津は自分に言い聞かせるような口調で呟く。 「弾は……抜けている……多分、内臓も……傷ついて……ない……血を……止めれば……大丈夫……」 こいつ、この光で傷を治そうとしてるのか。 狩谷はぐっと奥歯を噛んだ。 気味が悪いが、なんでもいい。滝川が死なずにすむのなら。 祈るような気持ちで滝川を見る。 滝川は相変わらずほとんど目を閉じているので意識のあるなしは分からない、だが苦しそうだった。 頼むから何とかしてくれ。こんなところでこいつが死ぬなんて冗談じゃない。 狩谷はふと、あ、と口を開いた。一ヶ月近く前、滝川の言った言葉が急に思い出されてきた。 「下に降りるんだったら、運んでやるぜ?」 ハンガーニ階左側。仕事時間も終わって、整備員たちもすっかりいなくなった頃にまだ残っていた狩谷に滝川は声をかけた。 狩谷はちょっと顔をしかめたものの、すぐに頷く。 「ありがとう。じゃあ、頼めるかな」 滝川はへへ、と笑って車椅子の後ろについた。 よくあることではあった。無職の滝川は仕事時間はあちこちをぶらぶらして、仕事時間が終った頃にハンガーにやってくることが多い。士魂号を見るのが楽しいのだと言っていた。 ハンガーに来るなら来るで戦車技能の訓練でもすればいいものを、と狩谷は思う。狩谷は滝川のことが嫌いだ。無職で職を得る努力もしていないくせに口だけは一丁前なところがひどく癇に障った。 だが普段どんなに馬鹿だと思っていても、その馬鹿にでも手伝ってもらわない限り自分はここから下りることすらできない。 狩谷は自嘲の笑みがこぼれるのを抑えきれなかった。 「なになに? なに笑ってんの?」 滝川が聞いてくる。鬱陶しいな、と思いつつ皮肉ってやる。 「二番機の整備士たちのことを考えていたのさ。パイロットのいない士魂号を整備するというのは、どんな気持ちなんだろうってね」 そう言うと滝川はあからさまにしょんぼりした顔になった。 「そーだよなあー……ホントは俺があの二番機に乗る予定だったんだよなあ…あーちくしょ、なんで乗れねーんだろ」 「君が士魂徽章を持っていないからだろう。僕の車椅子を押している暇があったら、戦車技能を取得する訓練でもしたらどうだ」 実際、滝川はよく狩谷の車椅子を押していた。「俺、ヒマだし」と言ってしょっちゅう車椅子を押しに来る。 気まぐれだ、と狩谷は唇を噛む。 今は気が向いたから僕の側にいるだけで、どうせすぐに別の所へ行ってしまうのだ。 僕はここ以外どこにも行けないのに。 「う……だってさー……あーあ、訓練しないでパイロットになる方法ないかなー」 そう言いつつ、滝川は狩谷を階段から地上に下ろした。そしてそのまま車椅子を押しだす。 「お、おい……」 「ついでだから校門まで押してってやるよ」 「いいよ」 「遠慮すんなって!」 狩谷は馬鹿にされているような気がして奥歯を噛み締めた。 押してもらえるなら楽なのは確かだ、せいぜい使ってやればいいと自分を納得させるが苛立ちは治まらない。 「さっきの話だけど。本気で訓練せずにパイロットになれると思ってるのかい、君は?」 狩谷は話を蒸し返した。ここをつつけば滝川を傷つけてやれるだろう。 思った通り、滝川は困ったような声を出した。 「そ……そーいうわけじゃねーけどさ……」 「そうだね、訓練もせずに戦場で活躍できるなんて虫のいい話があるわけない。君はパイロットになりたいとか言ってたけど考え直した方がいいと僕は思うね。そんな根性じゃパイロットになんてなれるわけないし、よしんば戦場に出たところであっという間に戦死するだけだよ」 「ちぇっ、なんだよそれー。ひでえのー」 気の抜けた滝川の声に顔をしかめる。これだけ言われて怒りもしないのか。無神経にもほどがあるだろうが。 「でも……そうだよなー。死ぬよな、やっぱ」 狩谷は驚いて滝川を仰ぎ見た。今の滝川の声に、なんだかひどく滝川にそぐわないものを感じたからだ。 滝川は笑っていた。 ちょっと困ったような、しょうもなさげな、どこか諦めたような、そんな笑顔だった。 「滝川……」 しょうがねーよな、そういうことなんだから。 そんなふうに言っているように見えた。 その時、狩谷は気付いた。もしかしてこいつは、最初っから自分が生き残れるなんて思ってないのかもしれない。 むしろ死ぬだろうと予想して、パイロットになろうとしてるのかもしれない。 そう思うと全身の毛が逆立つような感覚が襲ってきた。 体中がゾクゾクとして、何故だか泣きたくなる。 胸が不思議に暖かくなって、息が詰まりそうだ。 ふと、これは幸福感と言うんじゃないかと思って狩谷は少し茫然とした。 本当に死ぬのか。本当に死んでしまうのか? こんなにあっさりと? 理不尽だ。こんなことがあっていいはずがない。 滝川の腹は相変わらず血で真っ赤だ。 と、石津のまとう光がいよいよ強くなり、一瞬眩しいくらいになった――と思ったらすぐ消えた。 石津がふらついて手で体を支えている。どうやら力尽きてしまったらしい。 「滝川の傷は? ふさがったのか、どうなんだ!?」 狩谷は声を荒らげたが、石津は答えもせずにはあはあと息をつきながら滝川の顔を覗き込む。 狩谷と石津の見守る中で、滝川は目を開いた。 「……痛くない」 がば、と勢いよく体を起こす。 「あれ? 全然痛くねーじゃん、うわ、マジ? スッゲー!」 驚きつつも嬉しげに言ってぴょんと跳ぶように立ち上がる――とたんふらついて倒れそうになる。石津が慌てて体を支えた。 「……駄目。血が……少なくなって……るんだから、ちゃんと……休まな……くちゃ」 「うわ……でもマジで全然痛くねえよ……すげえな。石津がやってくれたんだろ?」 石津は問われてあからさまにびくりとしたが、滝川はそれに気付いたのか気付いてないのか明るく笑った。 「すげえな、石津。マジ助かったよ。ありがとう。撃たれた時はマジ死ぬかと思ったもんなー、命の恩人だよホント」 「………」 石津はちょっと戸惑ったような顔をしたが、笑っている滝川を見てつられたように少し顔を赤らめて口の端を吊り上げた。 「滝川……」 狩谷は滝川に向き直った。言ってやりたいことがいくつもある。 「狩谷」 滝川が狩谷が嫌味を言おうと口を開くより早く、照れたように笑った。 「悪いな、狩谷。心配かけちまって。けど大丈夫だぜ、もしこれから出撃があってもちゃんと士魂号に乗れるから!」 「え」 「心配しなくても平気だって、芝村だっているんだし。石津のおかげでもう全然いつも通りだから!」 狩谷は最初、滝川が何を言いたいのかわからなかった。 頭の中で何度もリピートするうちに、じわじわと理解がやってくる。 滝川は、心配しなくても自分はちゃんと戦える、ということを言っているのだ。 心配しなくても。 狩谷たちは心配する立場で滝川は心配を受けとめる立場。 つまり今の滝川は、狩谷を守ってやる立場に立っているのだ。 ――滝川たちとどう別れたのかは覚えていない。 ただ気付いたら、校舎はずれを車椅子でひたすら闇雲に走っていた。 「……ちくしょう」 悔しい。 「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう」 悔しい、悔しい、悔しい。 自分がひどくみっともない、ちっぽけで惨めな存在だという気がした。 「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!!」 もう滝川はあの時の滝川じゃない。 自分が死ぬだろう、と考えていた怠け者で臆病でお調子者の滝川じゃない。 今の滝川は違うのだ。 もう、違う。 「ちくしょおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」 悔しくて悔しくて仕方なかった。 ひどく惨めだった。そして認めたくないことに、とても悲しくて寂しかった。 狩谷は自分が涙を流していることにも気付かず、車椅子の車輪を回し続けた。 |