瀬戸口は窓を閉め切って真っ暗になった自分の部屋に入った。 ベッドの上で、じっと天井を見ている速水に近寄る。 「いいかげん、なんか食えよ。体に悪いぞ」 声をかけても速水は気付いた様子もない。いや、気付いてはいるのかもしれないがまったく反応しなかった。 ただひたすら、まったくの無表情でじっと天井を見つめている。 瀬戸口はため息をつくと、ベッドの縁に腰掛けた。持っていた盆をベッド脇のサイドテーブルに置き、上に乗っている粥の入った椀を取って中味をさじに載せて差し出す。 「ほら、食えよ」 「………」 粥の入ったさじを口の前まで突き出されても、速水はぴくりとも反応しなかった。 速水はずっとこの調子だった。一昨日瀬戸口がこの部屋に連れて来てから、何も言わず何も口にせず、それどころか眠りもせずにただひたすらベッドに寝転がって天井を見つめているのだ。 一昨日の戦闘中、滝川が急に高熱を発して、補給車のところへ戻ってきてから。速水は急にふらふらと(まだ戦闘が続いているにも関わらず)戦場の方へ歩き出した。 驚いて引き止めてみると、目はぼんやりと生気がなく、何を言ってもしてもまったく反応しない。ただ無言で戦場へ向かっていこうとする速水を見て、これは放っておいてはまずい、と感じた瀬戸口は、滝川の病状が快方に向かったのを確認してから指揮車の人間を適当に言いくるめてテレポートパスを使って戦場からねぐらの一つに速水を連れ帰ってきてしまったのだ。 戦闘が終わった後のこととはいえ、司令を戦闘の事後報告もさせずに連れ帰ってきてしまったのだから上に知られれば厳重な処罰を受けることは間違いないのだが、そんなことは瀬戸口にとっては些末事だ。 速水は明らかに、緩慢な方法で自殺をしようとしていた。 瀬戸口はそれを見過ごす気はサラサラない。 とにかくまずゆっくり休ませて、刺激のない環境を与えることだと思った瀬戸口は、いくつかある自分のねぐらの中でも最も静かなここに速水を連れてきたのだ。 しかし速水は瀬戸口に言われるままに、素直にベッドに横になりはしたもののまったく眠ろうとはしなかった。食事もしない、水も飲まない。焦った瀬戸口が睡眠薬や水をむりやり飲ませようとしても吐き出してしまう。 はっきり言って、まったく速水らしくない話ではあった。 できるかぎり注意を払いながら、何かあったのかということを聞き出そうとしたが、速水は無反応のまま、一言も口を開くことはなかった。 ただ、一度だけ。瀬戸口が、『滝川が急に死にそうな熱を出したことと何か関係があるのか?』と聞いた時。 「もう、いいんだ」 と言った。 「何がいいんだよ」 「何もかも。何もかももういいんだ」 「……芝村のお姫さんもか? あれだけ無茶苦茶なアプローチしといて、もういらないって放り出しちまうのか?」 速水は生気のない微笑みを浮かべた。 「違うよ。僕がいらないんだ。僕がもういらなくなったんだ」 「……お前自身が不必要な存在になったって言いたいのか」 「そう」 「冗談言うなよ。少なくとも俺はお前さんのこと、まだ必要だぜ。俺はお前さんのことかなり気に入ってるんだ。……それに、小隊には司令が絶対必要だろう」 速水は薄い微笑みを浮かべたまま言った。 「ありがとう。でも、僕はいらないんだ。なによりもまず、僕が僕をもういらないんだ」 そしてゆっくりと無表情に戻り、その後は何を言っても無反応を貫き通した。 おそらく滝川が関係しているだろうことはわかったが、どういう思考回路を辿って速水がこうも厭世的になったかはさっぱりわからない。何をどう考えても、今までの速水からはまったく想像できない状態だった。 そして瀬戸口は結局何もできないまま、速水のそばで一昼夜を過ごした。もう二日目も終わろうとしている。 いつまでもこうしているわけにはいかない。二日連続で休んでさすがに変だと思う奴も出てきているだろうし、第一司令がいなくては部隊が立ち行かない。それは部署換えをすれば解消される問題ではあるが、しかし速水がこの状態では―― ガンガン。 けたたましい音を立てて部屋の扉がノックされた。 ここはほとんど人の入居していないワンルームマンション。瀬戸口が名簿に載せている住所はここではないので、見舞いに来たクラスメイトというわけではないだろう。 銃も何も持っていないが、一応警戒しながら誰何する。 「どちらさま?」 「僕だ」 茜の声だ。 驚きながらも、一応とぼけてみせる。 「どちらの僕さん?」 「とっととこの扉を開けないと壁ごと吹き飛ばすぞ。僕は武器庫から手榴弾を持ってきたんだからな」 やれやれ、と肩をすくめて瀬戸口は扉を開けた。その向こう側には、茜がいつものごとく傲岸不遜な態度でふんぞり返っている。 しかしその眼には明らかな焦燥が見て取れて、速水もこれくらいわかりやすけりゃ楽なんだがな、と瀬戸口は内心苦笑した。 「速水がここにいるだろう。会わせろ」 「参考のため聞いておきたいんだけどさ。お前さん、なんでここがわかったの」 「テレパスセルを使ったんだよ。……ったく、コソコソと隠れて余計な手間かけさせやがって。一から作ってたらこんな時間になっちまったぜ」 なるほど、と瀬戸口は嘆息した。 「速水はどこにいるんだ?」 「あー……速水には今あんまり人を会わせたくないんだけどなー……」 「なんでだ」 「……今、あいつ死にたがってるんだわ。なんか、自分で自分のこともういらないとか言ってんの」 ち、と茜は舌打ちした。 「やっぱりか。……あいつ、たぶんろくなことを考えてないだろうとは思ったが……」 瀬戸口は少し驚いて茜に尋ねた。 「お前、速水が普通の状態じゃないってなんでわかったの? いや、それだから探してたんだろうとは思うけどさ」 「……一昨日の戦闘で、滝川が熱を出して――僕は、遠くから滝川のほうを見ていた。だから、速水が石津に何か渡してふらふらと戦場の方へ歩いていくのも、お前がそれを引き止めるのも全部見てた。お前が速水を連れてテレポートするのもな」 「そうか……」 言って瀬戸口はふと気付いた。 速水が石津に何か渡していたというのは気付かなかった。瀬戸口はほかのみんなと同じようにすぐそばで滝川の様子を見守っていたからだ。ずっと速水を観察していたわけではない。 「その時は気にしてる余裕がなかったけど、後から考えると――速水が石津に何か渡した後、急に滝川の熱が下がりはじめたこととか、速水の様子があからさまに変だったこととかからすると――どうも、滝川のあの熱は速水が仕組んだものみたいに思えるんだ」 「―――なに?」 瀬戸口は片眉を上げた。どこかで予想していたことではあったが、あえて反論を試みてみる。 「どうやって。滝川が熱を出すような細工を、速水がどうやってできたっていうんだ?」 「毒物の本を紐解いてみろ。その手の暗殺用の毒物は山とある」 「これまでさんざん滝川を死ぬような目に逢わせてきたのに、死ぬ土壇場になって怖気づいたっていうのか? あの速水が?」 「――僕も速水の心理まではわからない。ただ――僕は速水が本当に滝川を殺したかったとは思わない」 「そう思いたいだけじゃないのか?」 「――否定はしない。だが、滝川が死にかけて、速水は何故かはわからないが強いショックを受けてる。滝川に対する感情が殺意だけじゃない理由にならなくもないだろう」 ふむ、と瀬戸口は腕を組んだ。 「で? 滝川を殺しかけたかもしれない、そのことで強いショックを受けてるかもしれない速水に、お前さんは何をしようっていうんだ?」 「――まず、話を聞く」 茜は強い視線で瀬戸口の背後を見た。 「ぶん殴ってでも、僕の聞きたいことを聞き出してやる」 「いいザマだな、速水」 ベッド脇でふんぞり返る茜にも、速水は無反応だった。瀬戸口ははたから見ると余裕たっぷりに、内心速水がどう出るかハラハラしながら二人を見守っている。 「勝手にさんざん暴走したあげく勝手に自滅か? バカ丸出しだな。芝村みたいな下衆女でさえ、今のお前を見たら愛想を尽かすだろうよ。今のお前は負け犬だ。負け犬」 言いつのる茜に瀬戸口はひやひやしたが、速水はまったくの無反応だ。 茜はきゅっと眉を吊り上げると、速水の胸倉をつかんで引きずり起こした。 「おい、茜……」 「お前は引っ込んでろ。……速水」 ぎっ、と速水を睨みつけて言う。 「一つだけ答えろ。……滝川を、お前はどうしたかったんだ」 ぴくり、と吊り上げられた速水の指先が震えた。虚ろな瞳のまま中空を見つめて、感情を感じさせない声で言う。 「……もう、いい。もう、僕はいらないんだから……」 「………」 茜はしばし無言で速水を睨んでいたが、やがてばんっと速水をベッドに叩き付け、手を離した。無反応のままベッドに倒れこむ速水には目もくれず踵を返す。 瀬戸口は部屋を出ようとする茜を追いかけて、小声で聞いた。 「もういいのか?」 「ああ。少なくとも僕じゃダメだということがわかった」 「……それって、お前……」 「すぐまた来る」 ひどい仏頂面でそう言うと、瀬戸口の鼻先で茜は部屋の扉を閉めた。 |